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モハンダース・K.ガンディーの宗教観と基本的諸信条 : マックス・ヴェーバーの「現世逃避型瞑想」と「現世内的禁欲」の概念に照らして-香川大学学術情報リポジトリ

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モハンダース・K.ガンディーの宗敦観と基本的諸信条

マックス・ヅ于・︲・バーの﹁現世逃避型瞑

﹁現世内的禁欲﹂の概念に照らして

石  井

. - . − はじめに

モハンダース・K.ガンディー︵とo回乱a芦P乱F︶は、近代文明を物質主義と精神性︵宗敦や道徳︶の軽視に 特徴づけられるものとして批牲しヽそうした文明を乗り越えるための基本的諸信粂として﹁アヒンサー﹂︵訃ま汽 T︶ 不殺生︶、﹁サティヤ﹂︵回言一真実︶、﹁アステーヤ﹂鮒百汽不盗︶、 パリグラハ﹂︵召吐9訃汽不所有︶などを挙げた。これらの諸信条が ゝ ¬ ブフフマチャリヤ﹂︵brahmacharya :純潔︶、﹁ア  ヒンドゥー敦、ジャイナ敦、仏敦などインド ︵2︶ 古来の諸宗敦に加えてキリスト敦の影響下に形成されていったことはすでに広く知られている。しかしそれらは、い わば欲望制御のエートスとして﹁近代﹂貢本主義の原動力となった﹁利己心﹂のおよそ対極に向かうベクトルをもつ        四一 27−3・4−255(香法2008)

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       四二 ことから、ここに資本主義の発生に関わるマックス・ヅェーバ︲︵Max Web恚の﹁現世逃避型瞑想﹂︵万回斥回膏 ︵3︶ Kontemplation︶と﹁現世内的禁欲﹂︵innerweltliche Aske乱の二つの概念に照らして分析する余地が生まれてくる。  ヅェーバーは、土記のインドの諸宗教に﹁現世逃避型瞑想﹂の類型を、またキリスト敦に﹁現世内的禁欲﹂の類型 を見出し、後者の中から貢本主義の発生につながる﹁合理的生活態度﹂を拍出した。しかし、ガンディーの宗敦観お よび基本的諸信粂は、これらのいずれの類型に収まるものでもない。そこで、第一節では、ガンディーがヒンドゥー 敦に軸足を置いて諸信粂を形成しながらもヒンドゥー正統派に対して示した異端性を、また第二節では、﹁アヒン サー﹂の戒律をヒンドゥー敦以上に徴底したジャイナ敦と仏敦から披が受けた影響を検討するが、その際披の諸信条 がヴェーバーのいう﹁現世逃避型瞑想﹂の類型とは異なることを示す。第三節では、キリスト敦﹃聖書﹄とトルスト イおよびラスキンの著作を題材にして、ガンディーがキリスト敦からぬきがたく影響を受けていたことを確認する が、その際彼の諸信粂がヴェー︲バーのいう﹁現世内的禁欲﹂の類型とは根本的に異なることを示す。最後に、ガンディ ーの追及した諸信条が、ヅェーバーの示した類型のいずれにも属さないことにその独白性を認め、その﹁近代﹂批判 のエートスとしての意義を考えて結びとする。

第一節 ガンディーとヒンドウー教

﹁アヒンサー﹂解釈の異端性を中心として

 ガンディーの基本的諸且条が、インド内外の諸宗敦の影響のもとにいかに形成されていったかを考えるには、なに よりもまず、インド最犬多数の人々の生活を規定しているヒンドゥー︲︲敦との関巡が検討されなければならない。ここ

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モハンダース・K.ガンディーの宗教観と基本的諸信条(石井) では、ガンディーが白らの思想と行勤の穀大の指針とした﹃バガヴァッド・ギーター﹄︵まに宅回兪回︶を中心にこ れをおこない、彼が二顔に伝統を踏襲しつっも独自の﹁アヒンサー︲﹂解釈を展開して、ヒンドゥー正統派に対する異 端性を明催に表現したことを嬉認する。  ヒンドゥー敦の聖典の一つに数えられている﹃ギーター﹄は、インドの古代叙事詩﹃マハーバ土フタ﹄︵次弥乱どR已 の一部を構成する宗敦的教訓詩である。﹃ギーター﹄の主人公アルジュナは、神聖なる地クルクシェートラに親族ど うしの合戦が始まろうという時に、敵陣に親類縁者が多数いるのを見て、親友クリシュナに扮した崇高なる神︵バガ ヴァッド︶の前で戦意を喪失する。﹁クリシュナよ、戦おうとして立ちならぶこれらの親族を見て、私の四肢は沈み こみ、□は干洞らび、私の身体は震え、総毛立つ二上村訳、丁几九二、二九ぺ九ン︶。物語は、クリシュナがアルジュ ナに対してクシャトリヤとしての﹁義務に基づく戦い﹂︵同前書、三七ぺ九ソ︶の重要性を説き、戦闘を決意させよ うとするかたちで展開してゆく。  ガンディーは、イギリス留学中にエドウィン・アーノルド郷﹃Sir Edwin Amo言による 来の歌﹄こ。で汐凛9yヽミ︶を友人と輪読することによって﹃ギーター﹄にはじめて触れ ゝ ¬ ギーター﹄の英訳、﹃天 後に南アフリカに渡っ てこれを本格的に研究することになる。彼は、﹃ギーター﹄を﹁真実の知識を得るための最もすぐれた古物﹂︵9乱F 芯昭一邦  ﹃白叙伝 訳、一二七ぺIジ︶と見なしているが、その第二章は、彼の思想と行勁の最犬の拠り所となったものである。 ﹄では次の箇所が引用されている。 人もし 四三 27−3・4−257(香法2008) その官能の対象に執着すれば 対象の魅力おのずから湧かん 魅力から欲望の生じ来たるあり 欲望はやがて激しき情熱の炎と燃え 情熱は無分別の種を宿すにいたる

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かくて追億   れてあらん ガンディーは、 ヤ︵純潔・ 践されたが 禁 欲 心 すべてはかなき ︵同前書︶。 に高き望みは失われ 心は涸れて 四四 ついには志操 心情 身命ともに失わ 欲望に身を任せることの俸さを語った﹃ギーター﹄のこの行を、その半生を貫いたブラフマチャリ やアパリグツハ ︵不所有︶の精神的支柱とした。これらは、南アフリカのトルストイ農園などで実 ︵9乱戸↑呂宍邦訳、二三八−四三ぺ九ン︶、そこでは、身体的禁欲というブラフマチャリヤの通俗的 意昧を超え、断食や食事のコントロールをも含めた広い意昧での自発的な欲望の制御が求められた。また▽几二四年 U¥6 ‘’︲‘’ フラフマチャリヤを﹁ブラーフマン︹宇宙の最高神または根本原理︺の追求﹂(Gandhi。1958︲沢。vol. 24。 p. 括弧は引用者︶と定義し、﹁ブラーフマンは各人に内在的なものであるから、黙想したりみずからの内部へ光を当て ることを通して認識されうる﹂デ已と論じた。 ヴェーバーによると、バラモンがおこなう睨術的禁欲主義の内容は﹁性的、経済的禁欲﹂であり︵ギーg芯に↑ 邦訳、七八ぺIジ︶ とが求められるが にガンディーは、 ご仮らは仕俗を捨てて森林生活者となり、そうした禁欲を通じて睨術力と魔術力を身につけるこ ︵同前書、ハ○ぺIジ︶、これは、彼のいう﹁現世逃避型瞑想﹂の一つの類型に相当する。たしか 性的、経済的禁欲を実践した点でバラモンの修行者と通ずる部分はあるが、﹁現実の問題を考慮に 人れず、問題の解決に役立たない宗敦は、宗敦ではな い ︵︵y乱Eこ呂ご邦訳、二二ぺIジ︶と述べるように、あ くまでも現実世界に留まって、宗教を絞治的、経済的諧諜題に取り組むために活用していたのであり、その意昧で彼 の思想は、ヴェーバーのいう﹁現世逃避型瞑想﹂の類型には区分されえない。  インド哲学におい フマン﹂ ︵9匹ヨ回一 ては、人間存在の実体である﹁アートマン﹂︵そヨ回一我︶が、宇宙の根本原理である﹁ブラー 梵︶と同一であるとする考え方が、ウパニシャッド哲学において示され、後にシャンカラ

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モハンダース・K.ガンディーの宗敦観と基本的諸信粂(石井)  ︵呂目ra︶によってヅェーダーンタ学派に受け継がれて牡仁。ガンディーは、この梵我T仰の考え方に関逓づけな がら、すべての生介の一体性を主張しており、ここにヒンドゥー正統派との共通性を見出すことはできる。﹁ヒンドゥ ー敦の主要な価値は、すべての生命︵人類だけでなく、すべて感覚のある存在︶は一つである、言い換えると、すべ ての生命は唯一の普遍的根源から生じているという信仰を持っていることです﹂︵9乱Eし呂尺邦訳、二七七ぺI ジ、括弧は原著者︶。  しかし、ガンディーが特異なのは、さらに踏み込んで﹁最下胴者の深い苫しみと一体になる﹂ことによって﹁神 −嶽ハ理−に直接まみえ﹂ようとしたことである︵P乱器し呂ご邦訳、一〇三ぺIジ︶。披が貪者と一体になる 方法は、さしあたり糸紡ぎや使所掃除などであったが、ビクー・パレク(Bhikhu Parekh︶の説明するように、社会 奉仕を宗敦と結びつけたり、貧者の目から涙を拭うことを解脱への道に据えることは、スワヽ刄 ・ヅィヴェーカナンダ        ︵5︶  y万乱ざgr回乱となどを例外として、インドの宗敦的伝統の中ではきわめて稀である︵汐﹁ヽ百し回タや呂﹂。 ガンディーは、職業の世襲制を内包するカースト制度を是認する傾向を示して、不可触民出身のビムラオ・アーンペ ドカル︵Bimrao Armbedk剔と激しく対立し仁犬ヽ他方で、サンサ土フ︵言魂輪廻︶やカルマン︵因果応報︶を基輔 として、不可触民刎度を正当化するヒンドゥー正統派を厳しく批判レた。﹁もしも不可触民制がヒンドウ主義の二耶 であるとすれば、それは腐敗した部分か、あるいは無用の長物というよりほかはない﹂︵P乱戸芯昭一邦訳、一五 九ぺ九ン︶。 であるとすれば、それは腐敗した部分か、あるいは無用の長物というよりほかはない﹂︵P乱ぼし呂ご邦訳、一五 として、不可触民刎度を正当化するヒンドゥー正統派を厳しく批判した。﹁もしも不可触民制がヒンドゥ主義の二耶 九ぺIジ︶。  ところで、ガンディーの諸信粂を代表する﹁アヒンサー﹂については、どのように考えればよいのであろうか。イ ンドの伝統的﹁アヒンサー﹂は、ヒンドゥー敦よりもジャイナ敦や仏敦においていっそう徹底しており、その起源に ついては論者の問で見解が分かれている。しかし、いずれにしてもそれは、パレクの示すように、そもそも﹁傷つけ ︵8︶ 四五 27−3・4−259(香法2008)

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ないこと﹂ あったが、 四 六 ︵邑コー旦回こないしは﹁生命を破壊しないこと﹂︵呂コー汗瓜ヨ江呂o﹁︷ぼ︸といった消極的な意昧の言葉で ガンディーはそこに﹁愛﹂ 意味を読み込んだのであった︵J﹁Q弓 ンサー﹂と等しく置いたのであるが、 いるのである。 ︵隣人愛︶や﹁人間の福祉の増進のために殼善を尽くすこと﹂などの積極的な 芯回ら゛呂︶。彼は、さらに政治的意昧合いをもつ﹁非暴力﹂の観念を﹁アヒ いずれの場合においても、その 背景には後述するようにキリスト敦が影響して ちなみに﹃ギーター﹄は、第一六章において﹁真実﹂ ¬ 離 m 無 所 有 J ﹁貪欲でない 生 ﹁怒らぬこと﹂ いる︵上村訳 ﹁中傷しな ▽几九二 い こ と ` 〃 こと﹂などと並んで、﹁不殺 ﹁生類にたいする憐窓﹂などを﹁神的な資質に生まれた者に属する﹂として コーニページ、括弧は引用者︶。また第一七章において、﹁不殺生﹂を﹁神々、バラモン 師匠、知者の崇拝﹂、﹁清浄﹂ 扁 尹U 行 谷 刃 ̄ぐ 欲 心 1. な ど と 同 様 に ¬ 身 体 的 な 苦 行 ハ 功 徳 `J L_ に 数 え て い る ら 同 前 書 八ぺIジ、括弧は訳者︶。しかしながら、﹁不殺生﹂を他の徳目とともに断片的にのみ語っている感は否めず、 体を正面から論じる箇所はない。  むしろ崇高なる神︵バガヅァッド︶ るレ﹂奥ご 、コー それ自 が、アルジュナに対してクシャトリヤとしての﹁義務に基づく戦い﹂を推奨す ﹃ギーター﹄は正義のためのものとはいえ、﹁暴力﹂を内実とする戦争を舞合とするものであり、ここに古典 的﹁アヒンサー﹂はおろか、ましてや﹁非暴力﹂の原点を見出すことは難しい。古瀬恒介は、﹁ガンディーのギータ 1解釈は、アヒンサーにおいて、最も異端的であり、正扶派の立場に挑戦し、一見挑戦することによってのみ、ギー ターとの関係を保っているかにみえる﹂︵古瀬 ∇几七七、八六ページ、傍点は原著者︶とし、﹁ガンディーがギータ Iにアヒンサーを読みとった箇所こそ、ギーターでは暴力を容認し、戦争を正当化している箇所ともいえる﹂︵同前 書、八八べ九ン、傍点は原著者︶          ︵9︶ と述べている。

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モハンダース・K.ガンディーの宗教観と基本的諸信条(石井) ガンディーは、﹃ギーター﹄の中心的敦義が﹁アヒンサー﹂ではないことを認めつつも、それは﹁アナサクティ﹂ 拓目回回︶すなわち﹁無私の行為﹂鮒E?Qa呂︶であり、﹁アヒンサー﹂は﹁アナサクティ﹂に含まれると説明す る︵P乱箆応呂ら’氾︶。ヅェーバーは、﹁行為の果実に対する欲望なしに、行為を遂行する﹂という﹃ギーター﹄ のこの教えを﹁現世内行為の現世無関心﹂と呼んだが︵ギヽg﹁し旨ご邦訳、二五三ぺ九ン﹂、ガンディーは、﹁アナ サクティ﹂に半ば強引に﹁アヒンサー﹂ひいては回井暴力﹂を読み込んで、後者を現実の社会改革の原理として掲げ たのである。 ﹁ブラフマチャリヤ﹂や﹁アパリグラ ハ 1 ﹁アヒンサー﹂などの諸信粂は、ガンディーが近代文明の﹁利己心﹂や 物質主義を批判する際の精神的根拠となったものである。彼は、ヅェーバーが﹁現世逃避型瞑想﹂の形を見出したヒ ンドゥー敦に一定の軸足を置いてこれらの諸信粂を形成していったものの、それらによって現実の政治的、経済的問 題に対応しようとしていたのであり、けっして﹁現世逃避﹂の方向に向かうことはなかった。披が、﹁甘者﹂と一体 化することで ¬ 神 1__ にまみえようとし、不可触民制度に強く反対したことは、すでにヒンドゥー正統派に対する明薙 な異端性を表していたが、さらに﹁アヒンサー﹂に﹁非暴力﹂や﹁隣人愛﹂などの積極的意昧を読み込んだ背景には、 キリスト敦からの影響がある。したがって、私たちは、次に、インドにおいていっそう﹁アヒンサー﹂思想を徹底さ せたジャイナ敦および仏敦のガンディー思想への影響をみた後で、さらにはキリスト敦のそれを検討しなければなら ない。 四七 27−3・4−261(香法2008)

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第二節 ガンディーとジャイナ教および仏教

インドの本格的﹁アヒンサー﹂思想の源

四八  ヅェーバーが、﹁﹃アヒムサ﹄の戒律は、おそらく昔から古典的なづフモン苫行者たちの問で、厳しさの相違こそあ れ行われていたもので、後代の若干の款済宗敦によって極端にまで強化された﹂と述べるように︵ギヽg﹁し旨ご邦 訳、二I一ページ﹂、ジャイナ敦と仏敦は、いずれも正統派バラモン敦に対する異端宗敦として束北インドにほぼ同 時期に成立し、﹁アヒンサー﹂の原則をヒンドゥー敦以上に微底した。仏敦が、インドでは消滅しながら世界宗教ヘ と発展したのに対して、ジャイナ敦は、インドの範囲内に留まりその後縮小していったものの、いずれも、二五〇〇 年の間インド社会の倫理的側面に犬きく影響を及ぼしてきたことにかわりはない。そこで、本節では、これら二つの 宗敦のガンディー思想への影響を検討する。  ジャイナ教の開祖マヤ・︲‘ヴィ士フ︵ぼ弓竺ロ︶は、ヅ于・︲︲ダの儀礼戒律と教説を個人の款済に無意昧なものとして 拒否した。ジャイナ敦は、勣核物はもちろんのこと、地、水、火、風、犬気などにも霊魂言Iヴァ︶の存在を認め、 徹底した﹁アヒンサー﹂、すなわち生命体を殺害することの絶対的禁止を戒律の頂点に置く。この戒律を厳守するた めに、信者は、空気中の小さな生物を殺さぬように白い小さな有切れで□を覆い、路上の小さな生物を踏まぬように 歩く場所を柔らかい袷で掃き、採取に際して殼生をともなう危険性の高い球根類や蜂蜜などは□にしないなどして細 心の注意を払う。ジャイナ敦の五つの戒律は、一、生き物を傷つけないこと︵不殺生︶、一一、虚偽の言葉を□にしな いこと︵真実語︶、三、他人のものを取らないこと︵不盗︶、四、性的行為を一切行わないこと︵不婬︶、五、何もの

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モハンダース・K.ガンディーの宗教観と基本的諸信条(石井) も所有しないこと︵不所有︶である。知識は最高の牧済手段であり、款済に達する道は、瞑想とならんで禁欲である。 それは、﹁家庭を持たぬこと﹂を含めて一切の世俗的関係を断絶することを意昧し、ヅェーバーはここに﹁隣人愛﹂ というキリスト敦的概念の矢卸を見出しているが、同時にそれは彼のいう﹁現世逃避型瞑想﹂の一類型をなす。  これら五つの戒律は、冒頭に掲げたガンディーの基本的諸信粂にほぼそのまま対応しているとみてよい。ガンディ ーの﹃自叙伝﹄においては、ヒンドゥー︲︲教や仏敦、キリスト敦と比べるとジャイナ敦に関する記述は目立たないが、 中村元が指摘するように、ジャ子ナ敦から受け継がれた﹁不傷害の思想﹂が、ガンディーの﹁アヒンサー﹂思想に生 きていることは間違いない︵中村、▽几七〇、二九ぺ九ン︶。ただし、先に述べたように、ガンディーはけっして﹁現 批逃避﹂の方向には向かわなかったのであり、その点でヴェーバーの理解するジャイナ敦の枠組みに収まるものでは ない。  実際、ガンディーが、▽几二六年にアーメダバードの野犬殺しを支持したことによって、ジャイナ敦徒を含む動物 愛好家から激しい批判を買ったエピソードは、彼がジャイナ敦に盲目的には従わなかったことを示している。このと き、﹁狂犬を殺すこと以外にわれわれに残された道はありません。時には、われわれは殺人犯をやむなく殺さねばな らないこともありましょう﹂というガンディーに対して、あるジャイナ敦徒の友人は﹁怒りや厭昧や尊犬を露にした﹂ が、ガンディーは基本的に﹁野犬は社会にとって危険であり、野犬の群れは、社会の存在そのものにとって脅威であ る﹂という姿勢を崩さなかった︵Jgj芯沼一邦訳、二四二−四五ぺIジ︶。  このほかに﹁やむを得ぬ殺生﹂としてガンディーが認めたものとしては、たとえば一九三七年に腫れもののひどい 仔牛の生兪を三日間思い悩んだあげくに断った経験を﹁非暴力﹂、﹁無私の行為﹂であったと説明した︵9乱旦↑呂尺 邦訳、二、九一ペLン︶。また、四六年六月には、﹁わたしは、私の穀物を食い荒らす猿や、鳥や、虫を殺さなければ       四九 27一3・4−263(香法2008)

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       五〇 ならない。⋮⋮国家が飢鐘に見舞われているときに、アヒンサーの名において動物たちに穀物を荒らさせておくの は、明らかに罪である﹂と述べて、ここでも殺生を認めた︵圓前書、一四五ぺIジ︶。こうしてガンディーの諸信粂 には、ジャイナ敦の﹁アヒンサー﹂思想が原則的に反映しているものの、彼は、一方で苦しむ生命を断つことを苦悩 の末﹁無私の行為﹂であると結論し、他方で人問社会の存在を脅かす動物を殺生することをけっして躊躇わなかった のである。  さらに、ガンディーはジャイナ敦の徴底した﹁アヒンサー﹂の考え方に一つの矛盾を見出していた。すなわちそれ は、ジャイナ敦徒は﹁ヒンサー﹂︵殺生︶を伴う農業にはけっして従事しないが、他者がそれに従事することによっ てはじめて生存できる点である。﹁犬址の何百もの人々がヒンサーを犯してはじめて、同じ上址に住む一握りの人々 がアヒンサーを実践できるとする考えは、まさに価値のないものであり、アヒンサーの最高の義務とは相容れない﹂  (Gandhiし986︲87。 vol. 2。 p. 223)oむしろ、ガンディーは、自らの﹁アヒンサー﹂理解の基盤に﹁人回はヒンサーか ら完全に解放されえない﹂という事実を踏まえながら、きわめて現実的かつ相対的立場からジャイナ教徒の﹁アヒン サー﹂理解を批判的にみていたのである︵︵副乱呉↑呂尺邦訳、一四三ページ︶。  他方、原始仏敦は、憎侶が﹁アヒンサー﹂を朧格に道守するために農耕に従事することを回避した点でジャイナ教 と共通しているが、しかし、極端な禁欲主義を快楽主義とともに拒否する点でジャイナ敦と一線を圓している。それ は、ヴェー︲・バーによれば、特殊に非政治的な宗敦であり、知的訓練を受けた托鉢僧侶層の款済に至るための﹁技術論﹂ であるが、この点で﹁現世逃避型瞑想﹂の一類型をなす。款済は、もっぱら各個人の固有の行為によるものであり、 神や款世主による肋けはない。現仕における個々人の行為は、有意昧かつ倫理的に経過するが、しかし全体として非 人格的、宇宙的な因果律に規定される。業の敦説においては、﹁人格﹂の思想は否定され、したがって﹁良心﹂の概

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モハンダース・K.ガンディーの宗教観と基本的諸信条(石井) 念は存在しない。そこでは、仏教徒の普遍的な憐潤も、感情が経過する諸段階の一つにほかならず、キリスト教的な 意昧での﹁隣人愛﹂は知られていない。牧済は、個々人の自己の力による絶対的に個人的な業績である。  ところが、ガンディーの仏敦観は、これとは異なっている。彼は、ヒンドゥー敦と同じくイギリス留学中に、前出 のアーノルドの著書﹃アジアの光﹄(7&Z¥zl¥/U言を通じて仏教に触れる︵9乱Fこ呂に一邦訳、一二八ぺ九ン︶。 同書は、ブッダ︵回巨F︶の生涯と敦説をうたった仏敦撰仰詩であり、披は、﹁﹃バガヴァッド・ギーター﹄のとき よりも、犬きい興味を寄せながら、それを読んだ。読みだすと、わたしは巻をおくことができなかった﹂︵同前書︶ と回顧している。彼にとっては、ブッダの憐潤の情が、ヅェーバー︲の認識した﹁宇宙的因果律﹂によって非人格的に 規定されるのではなく、まさに人格を構成する倫理として受容されているのである。  全八編からなる﹃アジアの光﹄は、ブッダにまつわる数々の物語を通じて﹁不殺生﹂の精神を説く。たとえば、第 一編の射落とされた白鳥を款う話、第四編のシッダールタ太子︵ブッダ︶出奔時の妻への愛借、憐潤の情と混じり合 う慈愛心、そして第五編において示される三つの物諧、すなわち、蛇に咬まれた赤子を捨てた母親の悲しみを、全て のものの悲しみであるとして共に悼む話、山羊飼いと共に王のもとに赴いたブッダが、王に勤物の犠牲を止めるよう に懇願する話、飢死しようとしている虎の親子に自身の体を与えて、生類への無限の愛を示す話である。古瀬による と、ガンディーが引き合いに出すのは、これら五つの訓話のうち第五編第二話にかぎられるという︵古瀬、▽几七七、 一言ぺ九ン︶。古瀬は、ガンディーが﹁ブッダが仔羊奎屑にのせ、動物供儀をとり行う残酷なブラフマンの所へ行っ たとき、ブラフマンたちが語ったのは穏やかな言葉ではなかった。しかしブッダは心を愛でみたしていた﹂︵P乱呉 芯辺ずこ良 べ○︸・ た箇所として   ゝ 1・-j い ↑J︶とナラシンハラオに書き送った部分に注目し、ガンディーが﹁非暴力﹂の精神を汲み取っ 四のこの部分をとりわけ重視している︵古瀬、▽几七七、一言丁一四ぺ九ン︶。        五一 27−3・4−265(香法20㈲

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五二  たしかに﹃アジアの光﹄第五編第二話を、物語の主人公を戦闘へ駆り立てようとする﹃ギーター﹄と比べるとき、 ガンディーがここから﹁アヒンサー﹂の精神を摂取したとみることはけっして不白然ではない。しかしながら、この 箇所は、かならずしもガンディー的﹁アヒンサー﹂の唯一の源泉ではない。ガンディーが∇几二五年にブッダ生誕を 祝う席で﹁南アフリカで圓書を再び研究しても、私の崇拝は減じなかった﹂(Gandhi。1958︲94。vol.27。p.62)とし、 ブッダをマハーヴィーラやイエス・キリストと並べて﹁私は、彼らの言説を受け入れるし、全力を尽くしてこれらの 敦えにしたがおうとしていることを自出に告白する﹂︵ぎ匹︶と述べるとき、私たちは、より広い視野においてブッ ダの生き方を理解し、彼の敦えが、他の宗教の開祖のそれらとともにガンディーに強く影響を与えた可能性を想定す べきであろう。ガンディーが、﹁ブッダは、疑いなくそのひどい時代の改革者であっ﹂孚器‘︶て、﹁もしも歴史の記 録が正しければ、その時代の盲目的ブラーフマンたちは、利己的であったがゆえに、彼の改革を拒否した﹂︵回F︶ と論ずるとき、彼はブッダの示した憐惘の情に一つの﹁人格的倫理﹂を見出して、みずからの基本的諧信条を構成し ていたものと推察されるのである。  いずれにしても、ガンディーがジャイナ教や仏敦の影響を強く受けていたことは問違いないところであり、このこ とは、古瀬などが﹁ガンディー思想への外来思想の影響は、あったにしても外発的契機に止まったとみなすべきであ る﹂︵古瀬、▽几七七、六べ九ン︶と断定する根拠となっている点である。たしかに、これらの宗敦の徹底した﹁ア ヒンサー﹂思想が、﹁利己心﹂と物質主義に満ちた近代文明に対する彼のゆるぎない批判精神を支えていることは明 白である。しかし、ガンディーが、インドの伝統的﹁アヒンサー﹂に新たに﹁隣人愛﹂や﹁非暴力﹂の意味を付加し て、これを社会改革の原理として掲げた背景には﹁外来の宗教﹂であるキリスト敦が影響しているのであって、その 犬きさはけっして小さなものとはいえない。その愉理観が、ヅェーバーがジャイナ敦や仏敦にも見出した﹁現世逃避

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モハンダース・K.ガンディーの宗教観と基本的諸信条(石井) 型瞑想﹂ の類型に収まらないことの理由は、まさにこの点にあるのである。

第三節 ガンディーとキリスト教

社会改革の原理としての﹁非暴力﹂思想の源

 これまでも触れてきたように、ガンディーは、インド古来の諸宗教に見られた﹁アヒンサー﹂にキリスト敦的﹁隣 人愛﹂を読み込んで、﹁現世内﹂の政治的、経済的諸問題に取り組もうとしていたのであり、ここにヅェーバー︲が﹁現 世内的禁欲﹂の類型を見出したキリスト敦のガンディー思想に対する影響を検討する必要が生まれてくる。ここでは まず、彼が、﹃聖古﹄によってキリスト敦に目を開き、トルストイの思想に触れて﹁非暴力﹂を自己の解放を目的と する抵抗の手段へと高め、そしてラスキンの著作から﹁社会的愛情﹂の精神を引き継いでゆく経緯をみた後で、ヴェ 1 バーの﹁現仕内的禁欲﹂の意昧するところを検討することとしたい。 抵抗の手段へと高め、そしてラスキンの著作から﹁社会的愛情﹂の精神を引き継いでゆく経緯をみた後で、ヴェ  ガンディーのキリスト敦に対する印象は、幼少時にはヒンドゥー敦の神々に悪目を浴びせる牧師をみて否定的で あったが、やはりイギリス留学中に﹃聖書﹄の﹁山上の垂訓﹂に感銘を受けて奸転する。﹁されどわれはなんじらに 告ぐ、悪しきものに手向かうな。人もしなんじの右の頬を打たば、左をも向けよ。なんじを訴えて下着を取らんとす る者には、上着をも取らせよ﹂︵o§Rし呂に一邦訳、一二八ぺ九ン︶。ガンディーの若い心は、ここに敵に対しても 向けられる深い﹁愛﹂の精神を読み取り、それを﹃ギーター﹄や﹃アジアの光﹄にもみられる﹁自己放棄﹂の精神と 統合して﹁宗敦の最高の形式﹂と位置づけるのである︵同前書︶。 ガンディーはこのとき、 これ以後キリスト敦に対する洞察を深めてゆくいわば ﹁人り□﹂に立ったのであるが、し          五三 27−3・4−267(香法2008)

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       五四 かし当初は﹃聖書﹄に対する信仰は絶対的なものではなかった。そのことは、南アフリカ時代にポラク夫人に述べた 彼の次の発言からもうかがえよう。﹁わたしは、キリスト教の聖甫をしばらく研究し、それについて熱心に考えてみ ました。わたしはキリスト教に少なからず魅丁されましたが、しかし最後には次のような結論に達しました。すなわ ち、キリスト敦の聖書がヒンドゥー教の中にないものを特に含んでいるわけではないこと、善良なヒンドゥー教徒に なることは、善良なキリスト敦徒になることをも同時に意昧しているということです﹂︵9乱Eし呂yや旨︶。さら に﹃自叙伝﹄でもこの頃の白らの言仰を次のように回顧している。﹁イエス・キリストは、彼の死によって、また彼 の流した血潮により、世界中の罪を順ったということを文字通り信ずることを、私の理性は許さなかった﹂︵P乱hi。 1952 :邦訳、一五八ぺIジ︶。﹁哲学的にいえば、キリスト敦の諸原理の中には、何も変わったものはない。犠牲の点 からいうと、ヒンドゥ教徒のばうが、はるかにキリスト教徒をしのいでいる﹂︵同前書︶。  しかしながら、ガンディーは、後にレフ・トルストイ︵にくざぼー︶とジョン・ラスキンこoぼ回外言。の思想に 触れて、キリスト教に対してより犬きな目を開くことになる。﹁わたしの生涯に、深刻な印象を残したのみならず、 わたしをとりこにした人々に現代では三人がある。生ける交わりをしたレイチャンド・バイ、﹃神の国は汝自身のう ちにあり﹄のトルストイ、そして﹃この最後の者にも﹄のラスキンである﹂︵F乱ぎし呂ご邦訳、一三五づ・︲︲ジ︶。 そこで次に、ガンディーが、トルストイとラスキンの思想の影響下に、キリスト教から﹁非暴力﹂の精神をよりいっ そう摂取してゆく様子をみることにしよう。  ﹃聖書﹄の﹁山上の垂訓﹂にきっかけをつかんだガンディーは、南アフリカ時代にロシアの文豪トルストイの﹃神 の国は汝自身のうちにあり﹄梁でき蔵私ミペQ瓦恥凛SI︸ど︶に深く感勤し、そこから﹁非暴力﹂の精神を受け 継ぎ、これを白己の中に催実なものにしてゆく。﹁トルストイの﹃神の国は汝自身のうちにあり﹄を読んで、わたし

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K.ガンディーの宗敦観と基本的諧信条(石井) モハンダース は感動で圧倒された。それは、私に永遠の印象を刻みつけた﹂︵9乱Eこ呂に一邦訳、一六〇ぺLソ︶。  トルストイは、同古の中でカトリック敦会、ロシア正敦会、プロテスタント敦会などあらゆる﹁敦会﹂が政治的、 経済的権力と結託する様を徹底的に批判している。彼によれば、キリスト敦の敦えは、ごく初期の時代よりそもそも の意義を逸脱し、一部の人間の理解の﹁絶対的な無謬性﹂︵トルストイ、▽几七四、︷九三ぺ九ン︸を薙認してゆく 傾向にあった。﹁この集まり︹=敦会︺こそ、後に権力の支待という肋けを得て強力な施設に発展して、キリスト敦 の真の理解普及の犬きな障碍となったものなのである﹂︵同前吉、▽几七ぺ九ン、括弧は引用者︶。彼は、﹁敦会﹂と 目家が結びつくことによって、宗敦的、政治的、経済的権力の総体が、﹁暴力﹂によって維持されてゆく社会の構図 を見抜いていた。﹁この故に君は、虐待、暴力、詐欺、拷問、殺害と結びついた地主・商人・裁判官・皇帝・犬統鎖・ 大臣言円祭・丘ハ士などという君の立場を反省しないわけにはゆかず、その不当性を認めざるをえないことになるレ同 前古、三八七ぺIジ︶。﹁君﹂のなすべきことは、﹁真理を認めてそれを信奉する﹂︵同前書、三八八ぺIジ︶こと、言 い換えれば﹁神の国への奉仕﹂︵同前古、三八九ぺ九ン︶である。その﹁神の国﹂は、﹁敦会﹂などの権力機惰にでは なく、ほかならぬ トルストイは、 ﹁汝白身のうちにあるなり﹂︵同前書︶と結論される。 いうまでもなく白ら生きた時代のロシア正敦会を廠しく批判していたのであるが、その際﹁悪に対 して暴力で抵抗するな﹂という敦えを力説していた。披は、﹁キリスト教徒は誰とも目論せず、誰に対しても暴力は 用いない。むしろ反対に自ら諾々として暴力を忍ぶ。しかし、暴力にたいするこの態度そのものによって、一切の外 的な権力から白身が解放されるばかりでなく、世界をも解放するのである﹂と述べている︵トルストイ、一九七四、 二九一︱九二ぺ九ン︶。トルストイもまた、 こうした﹁非暴力﹂の精神を聖書から学び取るのであるが、しかし、が ノディーにとっては、トルストイの﹁非暴力﹂          旨 j へ ー ベ ベ N や I 1 1 I ・﹃の敦えがヽ自己の解放を目的とする抵抗の手段だったという意昧にお        五五 27−3・4−269(香法2008)

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五 六 いて、﹃聖吉﹄よりいっそう犬きな重要性を帯びていたのである。  ガンディーが南アフリカでサッティヤーグラハ運勤を開始した当初、彼はこの運動を﹁受勤的抵抗﹂︵Passive Resistance︶と呼んでいたが︵9乱ぼし呂ご邦訳、二四七ぺ九ン︶、これについて蝋山芳郎は、﹁明らかにトルストイ の反敦会反皇帝の﹃受勤的抵抗﹄から名称を借りてきたものである﹂︵同前書、蝋山注︶と指摘している。トルスト イは、ガンディーから﹃インドの白治﹄︵/yj&ESwagj 。9z%&zj&zz2 j7az7zg 7?M言を受け取ると、﹁犬きな関心を持っこ院 んだ﹂︵z高こ呂こら・回︶と返答しており、死を迎えるニケ月前にガンディーに宛てた最後の手紙でサッティヤーグ ラハ運勣を次のように賞賛している。﹁トランスヴァールは、世界の中心からは全く外れたところにあるようだが、 そこでのあなたの仕事は、私たちにとってもっとも根本的で、しかももっとも重要であり、それがもっとも重々しく 実際仁証明していることは、世界がいまや共有することができ、キリスト敦徒だけではなく全人類が参加することの できるものです﹂︵回斤や回︶。  フ几四五年三月にガンディーが﹁私の思い描く独立とは、﹃神の国を汝自身のうちに、そしてこの犬地に﹄実現す ることにほかならない﹂︵︷ご乱Eし呂堕茸こo︸冶ら﹄呂︶と述べたことからも明らかなように、トルストイの思想 はサッティヤーグラハ運勤に絶大な影響を与えている。ここに﹁悪に対して抵抗するな﹂、﹁敵を愛せよ﹂といったキ リスト敦の精神は、ガンディーの﹁非暴力﹂思想の形成において﹁外発的契機﹂以上のものであったことが理解され る。トルストイ思想が同運勣の精神的支柱だったことを認めるかぎり、キリスト教は、インド古来の諸宗敦とともに まぎれもなくガンディー思想の主要なルーツの一つとして位置づけられるのである。  他方、ガンディーが、ラスキンの﹃この最後の者にも﹄︵7ぞり吋に矢を手にしたのは、やはり南アフリカ時代 のことである。同書の初版が出版されたのはTハ八六〇年のことであるが、このときイギリスは、一八四〇年代から七

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モハンダース・K.ガンディーの宗教観と基本的諸信粂(石井) o年代まで続いた貿易ブームの中にあり、古典派経済学においては、エドワード・G.ウェークフィールド︵Edward G.Wakefield︶やジョン・スチュ万︲jト・ミル(John Stewan Mi11︶などによる帝国主義の思想が出現した時代でもあっ た。同書の訳者である富田義介は、﹁本書は、貪欲の自由に基づく古典派経済学原理に対抗するラ先生のキリスト教 の愛の精神を基底とする新しい経済学原理 倫理的経済学原理 に関する四つの論文を収めたものである﹂と 説明している︵回詮戸↑添宍邦訳、や回胆。ガンディーもまた、ジェレミー・ペンサム(Jeremy Bentham︶の唱 えた﹁最大多数の最犬善﹂︵E・弩気aこo乱of the greatest number︶という功刊主義が﹁少数者の犠牲の上に確保され る﹂可能性を想定していたが、披が同書のグジャラート語訳に与えた﹃サルヴォダヤ﹄(&m7&y:すべての人の幸 福︶のタイトルには、原著者とともに彼の功刊主義に対する批判精神が込められていたのである︵9乱河芯認︲戸 苫↑シ︷︸φ↑︵︶ム↑︶。  ラスキンは、経済学者を含めた論者たちの中に﹁誰一人として、⋮⋮人はその利益が⋮⋮必ずしも反目するとは限 らないということに気付くものがいなかった﹂︵回齢ぎし鴎ご邦訳、一〇三ぺ九ン︶という。﹁雇者と披雇者の利益 が一致するとも、しないとも、一概に論ずることはできない﹂︵同前言︶と述べて、両者の利害が一致する可能性を 残している。その際、ラスキンはフ王人と召使人に最犬量の実績を上げさせる方法は、⋮⋮互いに愛情を持つこと﹂  ︵同前書、コソハペ九ン︶だと考えるのだが、それはあたかも﹁雇い主が披︹わが子︺を待遇するのと同じように使 用人を待遇する﹂︵同前吉、一一七ぺIジ、括弧は引用者︶ことを意昧する。彼のこうした視点は、アダム・スミス  ︵Adam Smith︶以降の古典派経済学者たちが、貴本家と労慟者の利害をほとんど常に対抗するものとして位置づけ てきたことと対照的である。ガンディーは、こうしたラスキンの﹁社会的愛情﹂のテーマを引き継ぎ、受託者制度理 論︵jQo々o﹁HIぼ訃ぞ﹂と呼ばれる労資協調を軸とした独自の社会改革理論を提唱し、一九二〇年代以降に共産        五七 27−3・4−271(香法2008)

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︵ 1 5︶ 五八       /一`X主義者や社会主義者が主張した階撒闘争論にこれを対置したのであった。  さらに、コ般の経済学者﹂︵〇呂目﹁y召回IQQ︵︶`︸︵︶乱安︶が、経済学は﹁そもそも致富の科学である﹂と考えるの に対して︵回齢ぎ↑呂宍邦訳、一一九ぺ九ン︶、ラスキンは﹁富の鉱脈﹂︵The veins of ’Wealth︶は﹁岩石の中には 無い。肉体の中にあるのではなかろうか﹂︵同前書、言二ぺ九ン︶と述べて、物質主義に傾く士流派経済学と一線 を㈲そうとする。つまり彼は、  ﹁富﹂を見出そうとするのだが ゝ ¬ 健康に満ちた眼光輝々として明朗な人々の可及的多数を作ること﹂︵同前書︶にこそ  そこには単なる物質的富の増犬ではなく、人間の質的・精神的充実を重視する視点 をうかがうことができる。次の三点は、ガンディーが﹃この穀後の者にも﹄を読んで︲1私に理解できたもの﹂として 挙げたものであるが、披は、▽几○四年に﹁夜明けとともに立ち上がり、これらの原理を実行に移すために﹂南アフ リカにフエニックス農園を建設したのである︵P乱昇↑呂万邦訳、二Iニペ九ン︶。   一、個人の中にある善は、すべてのものの中に潜んでいる善である。   二、すべての人が、彼らの労働から生計を得る権刊を待っているかぎり、法律家の什事と、理髪屋の仕事は同じ    価値を持っている。   三、労働の生活、すなわち地を耕すものの生活や手工業者の生活は、ともに生きるに値する生活である︵Gandhi。    1952 :邦訳、二Iニページ︶。  こうしてガンディーは、キリスト敦から﹁非暴力﹂や﹁隣人愛﹂︵ラスキンにおいては﹁社会的愛情しの倫理を摂 取し、これらをインドの宗教的伝統にある﹁アヒンサー﹂と融合させることによって、現実の政治的、経済的諸問題 に対応しうる倫理観を打ち立てていったのである。このことは、彼の倫理観が、ヴェーバー的﹁現世逃避型瞑想﹂の 類型に収まらない理由であったが、だとするならば、私たちは、それが、ヴェーバーがキリスト教の中に見出した﹁現

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モハンダース・K.ガンディーの宗教観と基本的諸信条(石井) 世内的禁欲﹂の類型に照らしていかなる意味をもつのかを検肘しなければならない。  ヴェーバーにとっての﹁キリスト教的禁欲﹂は、遅くとも中世以来﹁自然の地位を克服し、人間を非合理的な衛勤 の力と現壮および自然への依存から引き離して計㈲的意思の支配に服させ﹂るような﹁合理的生活態度﹂︵ギー芦芯呂 汽邦訳、二〇一ページ、強調は原著者︶を意昧し、わけてもプロテスタンティズムの﹁世俗内的禁欲﹂は、利潤追 求の合理化を﹁まさしく神の意思に添うものと考えて、⋮⋮伝統主義の桂枯を破辞し﹂︵同前書、三四二ぺIジ︶た。 これに対して、アジアの宗敦が追及した知識は、ヅェーバーにとって﹁自然と人聞との合理的な支配を可能にする経 験科学的認識の合理的な提示と学習﹂ではなかった妥ざ芦↑函ご邦訳 四 六 四 ペ ジ 心 ¬ 現 世 を 睨 術 か ら 開 放 す ることEntzauberung der xveltおよび、牧済への道を瞑想的な﹃現世逃避j weltnuchtから行動的・禁欲的な﹃現世改 造JWeltbearbeitungへと切りかえること、この二つが残りなく達成されたのは⋮⋮ただ西洋の禁欲的プロテスタンティ ズムにおける教会および信団の壮犬な形成の場合だけであった﹂︵ギーロし呂こ尺邦訳、七六ぺ九ン︶。  こうしてヅェーバーは、西洋においてのみ貢本主義が成立した宗敦的背景を﹁合理的生活態度﹂を内包するプロテ スタンティズムの﹁現世内的禁欲﹂の倫理に求めたのであるが、ガンディーの基本的信粂は、そうした﹁合理的生活 態度﹂とは明らかに異なるものである。ヴェーバーには 変更が儀礼的転落を結果しえたというような儀礼法則﹂は ← に) (N) ← カースト制度の﹁あらゆる職業変更やあらゆる労慟技術の 、経済的技術的革命を妨げるものとして映ったが︵ギふ・ク 邦訳、一四七ぺIジ︶。ガンディーは逆に、同削度のもつ職業世襲の慣行がそうした資本主義的発展やそれを 支える﹁利己心﹂を制御することを欽迎してい       ︵16︶ たのである つまるところ、ガンディーは、キリスト教的﹁非暴力﹂ や﹁隣人愛﹂を白らの諸但条に深く組み込んで ﹁現世内﹂ の諸問題に対応しようとしていたものの、﹁自然の綾位を克服し、人間を非合理的な衝勤の力と現世および自然への 五九 27−3・4−273(香法2008)

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六 〇 依存から引き離﹂そうとする﹁現世内的禁欲﹂とは決定的に異なる倫理を構築していたのである。披の諸信条が、プ ロテスタンティズムの愉理に反して、自然の制約の中に人問が留まることを肯認する傾向をもつのはなぜか。それ は、はなはだ逆説的ながら、その諸信粂が、生命の一体性を前提として人間が白発的に欲望を制御することを﹁アヒ ンサー﹂や﹁アパリグラ かならない。

おわ

り ノヘ に__ に の名のもとに敦えたインドの諸宗敦にもう一方の軸足をしっかりと置いていたからには ガンディーの基本的諸信粂は、インドの宗敦的伝続である﹁アヒンサー﹂を基底に置きながらも、そこにキリスト 敦的﹁隣人愛﹂や﹁非暴力﹂の精神を組み込んで、現実の政治的、経済的諸諜題に取り組もうとしていたのであり、 その意昧でヅェーバーのいう﹁現世逃避型瞑想﹂の類型には当てはまらない。他方、それは、キリスト教の強い影響 にもかかわらず、資本主義的発展を導くような﹁合理的生活態度﹂とは異質のものであり、その意味でヴェーバー的  ﹁現世内的禁欲﹂の類型にも当てはまらない。物質的発展を忌避する彼の白然志向的観念は、キリスト敦よりはむし ろインドの宗教的伝統に広くみられる﹁アヒンサー﹂や﹁アパリグラ ハ 1 の思想からくるものである。 ガンディーの宗敦観が、ヴェーバー的な﹁現世逃避型瞑想﹂にも﹁現世内的禁欲﹂にも収まらないことは、それが、 ここに挙げたいかなる個別の宗敦とも同一化しないという意昧で独自のものである。披が様々な宗敦に依拠しながら 構築した諸信条とは、さしずめ人間が自発的に﹁欲望﹂を制御し、﹁隣人愛﹂に基づいてともに簡素に生きてゆくこ とを歓迎するものであるが、そこにこそ披は、マーガレット・チャッテルジー (Margaret Chatteljee︶ のいう﹁人間

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モハンダース・K.ガンディーの宗教観と基本的諸信条(石井) 社会の将来に対する希望﹂[Chatte¥e]983。p.172︶を見出していたのである。﹁近代﹂の貢本主義システムを支え た﹁利己心﹂と物質主義の価値が、人類を含む生態系の存続を脅かし、まもなく貢源と環境の壁に直面するだろうこ とを思えば、ガンディーの諸信条が、生命の永続性のためのエートスをほかならぬ人間の心の中に構築しようとした ところにそうした時代の価値を超克しうる一つの可能性が潜んでいるのである。 八 ︱ 八  2 ハ  3 ︶ ガンディーの近代文明批判を含む社会経済思想の概要については、r巨︵回っごを参照されたい。 ︶ ガンディーの宗教論に関する本格的研究としては、さしあたり古瀬︵一九七七︶、9策亙g︵芯乙︶、t肖回︵居胎︶が重要である。 ︶ ﹁現世逃避型瞑想﹂は、﹁神秘論が極端な現世逃避をどこまでも徴底させていく﹂ことを、﹁現世内的禁欲﹂は、︻行勤的禁欲が現 世百俗生活︼の内部で、その合理的な形成者として、披造物的堕落の状態にある人間を世俗的﹃職業﹄汐ミ労働を通じて陶冶 する方向に働く﹂ことを意昧する︵ギりぼ﹁し旨孚一邦訳、一〇四ぺLン、括弧は引用者﹂。 ︵4︶ さしあたり、ウパ二シャッド哲学については中村︵一九七九、七四−八七ぺIジ︶、シャンカラによるヴェーダーンタ学派につ   いては中村︵一九七九、二四二−四八ページ︶が詳しい。 ︵5︶ チャッテルジーは、ガンディーがヴィヅェーカナンダの﹁ダリドゥラナラヤン﹂︵FI﹁目回ぷ回﹂、すなわち﹁私の神、貧しき者﹂   (My God the Poor︶の考え方に共鳴していたことを示している︵9回豆芦芯乙こ‘昌︶。 ︵6︶ ガンディーとアンベードカルとの諭争については、Zelliot︵居貨召乙8︲J︶が詳しい。 ︵7︶ ガンディJとヒンドゥー・サナタニスト︵ヒンドゥー正統派︶との論争については、t肖百︵ご芦召・に回︲回︶が詳しい。 八 W ハンスーペーター・シュミット︵F??回 汐巨白W︶は、儀式的アヒンサー理論が後の自己放棄的アヒンサー原理のそもそも の源であるとし︵汐回ヨE︷し呂り召ふ台︲呂︸、ジョハネス.c.ヘーステルマン号回目es C.Heesterman︶も、アヒンサーと菜食 主義の典型的な融合は、バラモンの儀式的思考から発し、仏教徒やジャイナ敦とはその菜食主義にはなんら関係がないと論じてい る︷︸︷a茫呂芦芯添らに旨︸。一方、ルイこアュモン(Louis Dumont)は、仏教やジャイナ敦に﹁アヒンサー﹂の起源を求めて、 ま宍 J  w 且 ⊇‘ま づ ン的 ≒ミ パ づ !。座 乙を ド 壮 ∩ ド Q・  、 ∩ 已言 にリ で寸 昂回 た激 一さ こ:れ 言 の察 い 且 持用 しし スA づ ザ ペ京 そ§ も且 ふ ノX 一 27−3・4−275(香法2008)

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  1 . ノ X 一 一 そも禁欲主義的反儀式主義に属すると考えられるのであり、特に異端者︵仏教徒やジャイナ教徒︶によって表現され、古 ダ的ウパ二シャッドにはほとんど輔足を置いていない﹂と結論する︵ま乱∼亘芯呂こよ↑︶。 いヴエー ︵9︶ 大類純もまた、こうした﹃ギーター﹄における戦争の暴力性とガンディーの﹁非暴力﹂との関係に関するガンディー自身の説明   について、﹁極めて明確を欠き、ガンディーには時に論理性を離れ、こえた主観性や自己の宗教体系において現代社会の一切を律   しようという問題点が少なくない﹂と指摘している︵犬類、▽几五七、四三三ぺ九ン︶。 心 ら 八 八 ら 01 心 ら 八 12︶ 11︶ りO 1 j唾 1 Lr︶ 1 以︶ I  ジャイナ敦に関する一般的な説明は、ギーa︵↑旨ご邦訳、二六四−八三ぺIジ︶および山祈︵一九九一、八三七・上二九ページ︶ を参考にしている。  ﹁アヒンサー﹂をめぐるガンディーとジャイナ教徒との論争については、で9g︵芯貨召に呂︲ロ︶が詳しい。  仏敦に関する一般的説明は’Weber︷︸回宍邦訳、二八三上二二Iページ︶および山祈︵一九九一、一六四八−五二ぺ九ン︶を 参考にしている。 ︶ ただし、﹁現代の仏陀﹂と呼ばれることについては、ガンディーはこれを拒否している︵9乱Eし呂っ︰邦訳、二、二二六ぺ九ン︶。 ︶ 幼少時のガンディーには、﹁すべての信仰に対する寛容さが⋮⋮敦え込まれた﹂が、﹁キリスト敦だけが唯一の例外であった﹂  ︵P乱Eし呂宍邦訳、九八ベージ︶。というのは、ヒンドゥー教を批判する牧師に加えて、高名なヒンドゥー敦徒がキリスト敦に 心 / 心 九八−九九ぺ九ン︶。 改宗するやいなや牛肉を食べ、アルコールを飲み、インドとは違った服装をするのをみて神経にさわったことなどによる︵同前古 ガンディーの受託者制度理論については、︵石井、▽几九四︶を参照されたい。 ガンディーは、カースト制度︵ヅァルナの法則︶のもつ職業の世襲制が人々の問の競争を削御する点にヒンドゥー社会の安定性 を求めていた。彼が、﹁街路掃除人として生まれた人は、街路借除人として生計を立て﹂る同制度を支持したのは、 弁護士や大統頷と同様に報酬に値する仕事である﹂という理山においてである︵9乱Eし呂ご邦訳、二六三ぺ九ン ﹁街路掃除人は ﹂。 参考文献 Bodewits。Henk W。U999P‘Hindu Ahimsa and its Roots"。 in yia/Mcg f)gyzjd ; WQjaa。 MM︲WQlaaMz72j z&&zZjQa。lizazjQa¥Walaa?irl     5aM&/U&z4 Ca/mM/#&zary。Jan E.M.Houben and Karel R. van KO〇ij eds.。Leiden : Bri11’ Chatteljee。 Margaret︵1983J Ggzr2Jzj'j j?e14jas 77zaglzr。 Notre Dame : University of Notre Dame Press.

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︸∼︷︸い己゛ 六 四 Ruskin。John︵↑回に︶回ヽミシに4︵富田義介訳﹃この後の者にも﹄培風館、∇几五三年︶゛ Schumidt。Hans︲Peter︵芯回︶“The Origin of Ahimsa"。 Mrif&2nga Z)'&&aylisy7M j A &2M&IQ&9&&7Mis j?aaM。Paris : ltditions E.     Boccard. トルストイ、レフ︵一九七四︶﹃神の王国は汝らのうちにあり﹄︵﹃宗教論︵下︶﹄トルストイ全集第一五巻所収︶河出書房。 Weber。Max︵1920a︶f︶&FwazaMj5c&R/7&uj&r jGg&へ&s lrgja&17as。Gaalz7zg&A4/s&zga。r j?dgjMsgzjQljgjs。Bd.1。     Tubingen : J. C.B.Mohr︵Pau1 Siebeck︶︵犬塚久雄訳﹃プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神﹄岩波書店、∇几八九     年︶‘  ︵1920bブ‘Zwischenbetrachtung : Theorie der Stufen und Richtungen religj6ser Weltablehnung"。 Z)1 Wjra&@2z/zj& &r WglZrg41iQMzz 1/g91gjc&zz&rg/4iQ7zs&)Z&)lagadg y"gc&!。Ga‘2z72mg&?4¥&Zg Zg j&14&)MgZja/4jg。 Bd.l。 TUbil]gen: t 力 町︵2E汐Qg沁︶︵犬塚久雄・行松敬三訳﹃宗教社会学論選﹄、一九七二年︶゜ ご#&&aMM&zW&4&//z&z77E。Gaaz77Md&N4ミMlz‘? ar &!&giQMgzjalQg1. Bd. 2。 Tiibingen : J. C.B.Mohr︵Pau1 Siebeck︶      ︵深沢宏訳﹃ヒンドゥー敦と仏教−世界諸宗敦の経済倫理HI﹄東洋経済新報社、二〇〇二年︶゛ 山祈哲雄監修︵一九九こ﹃世界宗敦大事典﹄平几社。 Ne111ots固QSo﹁︵1996︶Fms&W6zg&z&&zaf︶gzljr : Es&z2ys an z&4s&jbrMgazMz。New Delhi : Manohar Publishers &Distributors m  ̄ ¬ 追 記一本稿は、平成一八−▽几年度日本学術振興 会科学研究費袖助金基盤研究︵C︶による研究成果である。

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