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大連便り思いつくまま -_5_.PDF

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大連思いつくまま−

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カササギ

日本ではあまり野鳥に興味が無かったのだが、野鳥に 関心のある友人に影響されてか、こちらに来てから公 園などに散歩するとき鳥が飛んでいると多少興味を持 って接している。大連には白と黒に見事に分かれたき れいな鳥がたくさんいる。日本では見たことも無い鳥 なので最初この鳥がなんと言うのかわからなかったが、 最近「カササギ」という鳥だと知った。早速広辞苑を 調べてみると日本には 17 世紀ごろ朝鮮から持ち込ま れ、現在は北九州に生息し日本では天然記念物に指定 されているという。しかしこちらではたくさんいる。中国のほかの地域では保護されているため増えす ぎて困っているところもあるそうだ。 何とか写真に収めたいと思いカメラを向けるのだが近づくとすぐ逃げてしまいなかなかカメラに収ま らない。遠くから撮ったのが上の写真だ。 さらに、広辞苑によるとカササギはカラス科に属する・・と書いてあった。これを知ったとたんこのき れいな鳥が何だか俗っぽい鳥のように思えたのは日本ではカラスに対するイメージが悪すぎるため か? 大連では冬になると海面が凍結する。 この凍結した海面を鴨など人間が食 べてもおいしそうな鳥が群れている のだが、これをめがけて鷲が襲い捕 食する光景がニュースで伝えられた。 (Record China 掲載)驚くことに カササギがコバンザメのように鷲に 追従し、食べ残しを漁るという。なぜかカサギは鷲に襲われない。カササギは鷲にとって美味しくない のだろうか?やはりカラスは相当知恵の働く鳥であり、カササギもカラスと同様鷲と共生するすべを心 得ているのかもしれない。 市内にいるカササギは住宅街や公園内のどこにもおり住宅街では青空市場で散らかした切れ端など食 べており、かわいらしい鳥なのでこれからもやさしく観察することにしよう。

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今年

1 月の天気

2 月に入ったが 1 月は暖かい日が続き拍子抜けだった。12 月は結構寒い日があり震えていたが、そのとき皆から1 月に なるともっと寒くなると脅かされていた。ところが1 月が過 ぎてみると12 月より寒い日が無かったような気がする。日 本でも暖冬のようだが、中国人に聞くとやはり今年は少しお かしいといっていた。暖かいといっても相対的なもので毎日 零下の日が続いており、ただ零下10 度を超える日が無いと いうことだ。1 月 28 日午前中雪の童牛嶺に行ってきた。3 日前に降った道路の雪はすでに消え、以前報告したようなこ とにならず安心して横断歩道を渡ることができた。この日も 暖かく汗が出てくる状態だった。学生時代の雪山の経験では 零下 10 度以下になるといくら重労働でも汗が出ないことを 思い出した。たぶん今日も気温は零下だと思うが登り道を急 いでいくと汗が出てくる。大連では雪が珍しいので雪景色を いくつか紹介する。 (左上は童牛嶺山頂付近、左下は登る途中の風車のある池付近。) 下は童牛嶺頂上から見た凍結した黄海(満潮のとき砂浜が凍る現象、引き潮になると凍結した部分が残る)

冬休み

中国の学期は2 学期制だ。前期は 9 月に始まり 2 月で終了する。従い後期の始まりは 3 月 1 日のためそ の前の春節(旧正月)をはさみ冬休みが始まる。冬休みは中国語で「寒假」と呼んでいる。大学生は大体 1 月 20 日頃から休みに入るようだ。従い大学生は春節のラッシュを避けて 1 月末ごろから帰郷が始ま る。それでも大学生の数が多いため休みに入った最初の週末(1 月 26 日)は帰郷の大学生で大都市の 駅は大学生でいっぱいだとニュースで報道されていた。近くの大連民族学院の学生もそれぞれ大きなバ

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ッグをガラガラ転がしながら(最近はこの表現が一番適当なほど旅行バッグが流行っている)バス停に 向かっている光景が最近よく見るようになった。(開発区からはバスに乗って大連駅まで行きそこから 各地に向かう) ちなみに夏休みは「暑假」と呼ぶ。なるほど呼び方も合理的だ。冬休みは寒いから休み、夏休みは暑い から休み・・・と理解やすい。夏休みは日本と同じように大学生は大体 7 月中旬ごろから休みに入る。 小、中、高校生は大学生より休みが短いのは日本と同じだ。学校は7 月が卒業となるのだが入社試験は いつごろから始まるのだろうか?以前大連民族学院の卒業生激励パーテイが 12 月にあったことを書い たが、このころから就職試験が始まるのだろうか?又大連大学の学生が12 月にはいると実習生として 各社に派遣されてくるが、これも就職活動の一環かもしれない。以前に報告したとおり9 人の大学生が 実習に来ていたが入社するか否かはまだ聞いていない。報道によると今年は大学生の就職氷河期に当た るそうで就職するのが非常に難しいそうだ。

美しい国○○

昨年日本では安部総理が登場したとき「美しい国日本」を標榜して話題になったが(私はまだこの本を 読んでいないが)中国ではそれより以前に同じようなキャンペーンを政府が中心に展開していた。もっ とも趣旨は日本のそれとまったく異なるものだが、心は同じかもしれない。 2008年オリンピックが開催されるが、それとは別に中国人が海外旅行に出かける機会が多くなり中 国人の行動が諸外国に注目され始めている。フランス観光局などは公式に「中国人の観光客のマナーは 最悪」と公表しているようにとにかく中国人のマナーの悪さについての批判があちこちで出始めている という。このため昨年から中国共産党と政府機関が連名で「美しい国民たれ」と中国人のマナーの向上 について訴え始めたようだ。それは、「中国公民旅行文明行為指南」というもので常識的な内容を噛ん で含めるように指導しているものだ。その内容は「痰やガムを吐き散らすな」「列に並べ」「人に向かっ てくしゃみをするな」「衣服に気をつけ、公共の場所で裸になるな」「わいせつ、賭博、薬物使用は断固 として拒絶せよ」「外国人に記念写真を撮ることを強要するな」・・・などというものだ。(中国情報局 NEWS を参考にした) なるほどな!これまでは上記の行動がごく普通に見られたのだが、さすがに政府関係者も世界に恥ずか しくない国“美しい国”になるためにはまず常識的なことから改善しなくてはいけないと感じたのかも しれない。 関連することだが、北京市では今年の2 月 11 日から毎月 11 日を列に並ぶ日と決めたそうだ。感のいい 人なら 11 日の意味がわかると思うが。これもオリンピックに向けて“美しい国“を目指そうとの現わ れだ。 これとは別に日本の新聞にも紹介されたが上海市の例で「パジャマで外出するな」とか「怒鳴りあい厳 禁。違反者は罰金」などと注意してニュースを見ているといろいろなことが発見される。 怒鳴りあいについては以前はよく街中で見たが、今はあまり見かけなくなった。だが、最近スーパーの レジのところで若い女性の買い物客とレジ嬢と大声で怒鳴りあいをしているのを見かけた。私の列の数 人前で起きたことなのでズーと観察していたが、どうやら支払った紙幣がボロボロだったため(あるい

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はにせ札だったかもしれない)レジ嬢が紙幣の受け取りを拒否してきれいな札を出せといっているらし かったが、些細なことで喧嘩に発展したようだ。怒鳴りあいの大喧嘩の末、結局買い物客が負け新しい 札を出しプンプンしながら立ち去っていた。これは店員が悪いと思うが近くにスーパーの指導員がいる のだから早くとめればよいのだが何もせず傍観しているだけだったが、これは店の恥にもなるのだし店 員教育の徹底をお願いしてほしいものだ。(以前私も近所の店のおばさんから怒鳴られたことがあった っけ) 上記のマナー改善について私の親しい、気の許せる中国人に筆談を交えて話してみたところ「日本人も 50 年前は同じではなかったのか」「50 年後の中国人はマナーも大きく向上しているはず」「中国人は1 6億人もおりみな一様でない」などと厳しく反論された。ごもっともである。ただしこのことは私が中 国人を批判しているのではなく、中国政府が自覚してこのようなキャンペーンをしているのだから必ず 中国は 50 年経たなくても美しい国になるはずだと話し、この議論は終わった。このとき教えてもらっ た言葉「好好学習、天天向上」が印象的だった。これは今でも小学校で毎日唱和しているそうだ。そう なのだ!中国人は毎日が勉強なのだ。常にいろいろな分野で諸外国のよいところを取り入れるよう官民 一緒になって取り組んでいる姿勢がよく見られる。 ちょうどこの文章を書いているとき、日本の漫才コンビが海南島でテレビのロケ中尻を出したとかで厳 重注意されたというニュースがあった。上記のように中国では党と政府が必死になって中国公民のマナ ー改善に取り組んでいるさなかであり日本人として恥ずかしい行為は謹んでほしいものだ。中国人であ れば逮捕、投獄されてもおかしくない事件だ。とにかく中国では今、目標を定めたら国家権力のもとに なりふり構わず取締りをする実施するので行動には常に注意を払う必要があると改めて感じた。たとえ が少し違うが汚職撲滅にも力を注いでおり、汚職に死刑が適用されるほどだから。

漫才

今日は2 月 4 日。テレビを見ていると日本で言う「マンザイ」 の番組が多く見られる。大連に来て約4 ヶ月になるがこれま であまりマンザイ番組など目にしなかったような気がする。 (気のせいかもしれないが)最近は歌番組を押しのけてお笑 い番組がいわゆるゴールデンタイムの主力になっている。こ のことについて中国人に聞くと、多くの家族は正月に皆帰郷 し家族そろって正月を過ごすため家族みんなでお笑い番組を 見て楽しむのだといっていた。このため正月まで未だ2 週間 以上あるのに正月の本番を目指して「マンザイ選手権(相声大賽)」みたいな番組もやっている。(賽と は競技という意味)それぞれがみなプロの芸人のようだが中国は広いので各地方の芸人が中央に集まり それぞれの技を競い正月番組を飾るのだろうか?(上の写真は現役の軍人マンザイ師、観客にたくさん の軍人が制服で応援に来ていた)。中国のマンザイは「対口相声」といい、古くからの伝統芸のようだ が、文字とおり二人が掛け合いでやるいわゆる「シャベクリ」マンザイだ。話術の巧みさで人を笑わす いわばマンザイの古典的なスタイルで日本では最近見られなくなった芸だ。もっとも私にはさっぱりわ からないが雰囲気だけは感じられる。

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マンザイ以外にも関西では誰でも知っている吉本新喜劇と同じような舞台もやっている。これなんかは 吉本新喜劇の真似だと思うが、どうだろうか?それともこちらが本家なのか・・時間があったら調べて みよう。でも観客は皆腹を抱えてゲラゲラ笑っているし動作からも言葉がわからなくても楽しめる番組 だ。又番組の司会(主持人)は以前は美男美女の司会者が多かったが、この頃の番組では明らかに「お 笑い芸人」いわれる人が番組を進行しているようにも感じられる。やはり家族団らんは楽しくなければ ならない。これから正月まで暇な夜はお笑い番組を楽しもう。(あまりテレビを見ないのに、たまに見 たくらいでこのような評論家みたいに感想を述べるのをお許しください。)

<続き>

大晦日(中国では大年三十という)にはテレビ番組も1 年の総決算とも言うべきか、中央電子台を含め て全国の地方テレビ局が合同で「春節晩会」を放送する。大晦日の夜8 時から年を明けて 12 時半まで ぶっとうしで放送する国民的な番組だ。従いどのチャンネルを回しても同じ番組をやっている。ここに は現在の中国で活躍している歌手、マンザイ、小品(コント)などの芸能人や各界の有名人がすべて出 演する。この番組は基本的には歌番組なのだがマンザイが中心的な役割を果たしている。私には誰が人 気があるのかわからないがとにかく中国人にとってこの番組を見ながら家族全員で年を越すそうだ。中 国人に視聴率のことを聞いたら中国人全員が見ているので視聴率は 100%だといっていた(実際は 80 数%らしい)。例外的に他局の専門チャンネルなどは普段の放送をしているがほとんど見ない。全盛期の NHK 紅白歌合戦みたいなものだ。 私にとって歌やマンザイは正直言ってあまりよく分からないのだが、圧巻だったのは少数民族の踊りが 各民族ごとに演出されたが見ごたえがあった。ウイグル族の踊りなどは衣装もダンサーの顔つきも東洋 人のものでなくて西洋人そのものだったのには(知識と知っていたものの)改めてシルクロードの歴史 みたいなものを感じた。2000 年も以前からローマと東洋との交易で中心的な役割を担っていたウイグ ル族をはじめとして、今は滅んでしまった楼蘭の貴婦人(ミイラで発見された)のことが思い出された。

春を迎える食べ物

春餅 2 月 4 日は立春である。テレビのニュースでは北京の有名な中華料理店の前で「春巻」を買うために行 列を作っている光景を映していた。「春巻」を食べないと立春を迎えた気がしないと解説していた。北 京では立春に「春巻」を食べる習慣だそうだ。これは春野菜などで作った餡を入れて立春のころ食べる ので「春巻」という名が付いたそうだ。 この話を会社で話したら大連では「春餅」を食べる習慣だという。この「春餅」とはどんなものか聞いた ところ、小麦粉を丸く薄く延ばして(クレープみたいに)焼いたものに“ジャガイモの千切り炒め”や “もやし炒め”など野菜をのせて包んで食べるものだそうだ。春巻きみたいなものだが、春巻きは皮が もっと薄く一般的には油で揚げて食べるものだといっていた。春巻きはスーパーなどで冷凍品がいつで も売っておりいまや立春だから食べるという感覚は持っていない・・という味気無い答が帰ってきた。 いずれにしてもこの時期未だ冬の真っ盛りであり春を迎えるどころではないのだが、早く暖かい春が来 るように(あるいは今年1 年豊作であるように)との祈りを含んでいるのだろう。 春餅を食べる地方と春巻きを食べる地方と若干違いはあるようだが、大連では春餅を食べるほうが多い そうだ。私の中国語の若い先生は「春巻を食べるなんて知らない」とにべも無い。都会の若い人は古い

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しきたりなどは関係ないのだろうか?日本も同じだが。 餃子 春節(旧正月)には餃子を食べる。毎年大晦日になると家族総出でたくさんの餃子を作り大晦日の 12 時を過ぎると皆で餃子を食べ新年を祝う。昔食べ物が十分でなかった時代栄養もあり主食にもなるため 特に正月などお祝いのときに食べたものらしいが、今では中国を代表する食べ物になった感がある。形 が貨幣の“元宝”に似ているため“招財進宝”の意味もありお金が貯まるようにとの願いを託するとい う人もいる。又、別の中国人は“餃子”が“交子”に通じ旧年と新年に交わるという意味から 12 時を 過ぎてちょうど年を越すときに餃子を食べるのだと説明してくれた。理屈はどうであれとにかく新年は 餃子から始まるといっても過言で無い。もともと中国では餃子といえば水餃子をさしており焼き餃子は 餃子のうちにはいっていなかったが、正月などにたくさん作った餃子があまったとき、再度暖めなおし たのでは美味しくないので焼いて食べたことが焼き餃子の始まりらしい。従い、焼餃子はあまりものの 再利用という発想で料理とは言えないらしい。もっとも最近は皮を薄くした焼餃子もあり餃子専門店で は焼餃子も出てくる。今では焼餃子も中国人の中で市民権を得たようでテレビでも盛 んに焼餃子のコマーシャルを目にする。単身者には便利な食べ物で美味しく食べられ る。(右の写真が今人気の冷凍の焼餃子。これは味も形も日本の餃子だ) 大連にも餃子専門店があるが、メニューを見ると皮と餡の組み合わせで何十種類の餃子があり、メニュ ーを見ていろいろ注文するのが楽しい。 縁起ものとして正月の2 日にそばを食べる習慣もある。日本の年越しそばと同じで長く延びることから “長寿”を願いで食べるそうだ。 その他にも中国独特の正月料理もたくさんあるそうだが、若い人に聞いてもあまりよくわからないので やめておこう。 中国では1 年を通して「二十四節気」というものがあり立春が一番最初の旧暦の行事であり、それぞれ の行事にはその時々の縁起料理を食べるようだ。少し先走りするが端午の節句には「ちまき」を食べる のも中国から来ている。

忘年会

前に日本人会の忘年会について書いたが、当然のことながら 中国の正月は春節なので春節から新年が始まる。従い年賀状 (賀年片という)も春節に送ったりする。ちなみに“元旦” は新暦の1 月 1 日を指し旧暦の 1 日(初一)は元旦とは呼 ばず”正月“と呼ぶ。われわれ日本人にとってややっこしい。 従い年末には中国では各職場で“送旧迎新”の交換会を行う 習慣があるようだが、“忘年会”という言葉は無かったはず だ。ところが日系会社が従業員の1 年の苦労に対し感謝の意 味を含めて春節前に社員全員による交歓会を行い、これを“忘年会”と呼んだためにこれが中国社会に 浸透し“忘年会”という呼称が一般的になったそうだ。私の会社も宴会場を貸しきり忘年会を開催した。 2007 年も 2 月になってもこの日(2 月 16 日)までは 2006 年であり、なんだか不思議な感じだ。忘年

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会はそれぞれの会社にもよるが、私の会社の場合外部の芸人などのショーは無く社員だけの和やかな雰 囲気の忘年会が行われた。それでも準備には各職場から委員が選ばれだいぶ前から準備が行われたよう でゲームなどいろいろ趣向が凝らされ盛り上がっていた。そして最後は抽選会だ。私も2 等賞の抽選お よび授与者に指名され賞品の電気製品を財務部の女性に授与する栄誉に恵まれた。

春節点描

伝統を重んじる中国では春節を迎えるにあたり様々な行事や習慣がある。これまでに周囲の中国人から 聞いた習慣をあげてみる。 春聯(チュンリエン) 門や戸口におめでたい文字を書いた赤い札を貼る。年末になるとこ の札がスーパーや路上で大きく店を広げて売っている。日本で言え ばさしずめしめ飾りだ。縁起物なので早速我がアパートのドアに貼 ってみた。(右の写真がおめでたい文字の書かれた札) 中心の「福」の字は「福到家」(つまり幸せが家に来る)という意味か ら来て「福倒」に引っ掛け本来なら「福」の字をさかさまに張るそう だが周りを見るとどこの家や商店も「福」の字を逆さまにせず普通 に張っているので私のアパートも普通に張ってみた。 辞歳(チ・シュイ) ゆく年を送る。大晦日の12 時を越えたときに一家そろって挨拶をする。又寝ずに年を越すことを「守 歳(ショウシュイ)」という。挨拶の言葉は「祝? 春節快楽 万事如意 心想事成 笑口常開 恭禧発 財 合家団圓 歩歩高升」と口をそろえて言うそうだ。子供たちはお年玉がもらえるので一生懸命覚え て叫ぶとのこと。 それに先立ち新年を迎えるにあたり下着から服まですべて新しいものや洗濯したきれいなものに着替 える。中国では「赤」が縁起のよい色なので下着から靴下まですべて赤色でそろえ着用する。このため スーパーでは赤い下着が山と積んで売っている。これらの事を中国人にあまり執拗に聞くので私も買わ される羽目になったが、赤のパンツまで穿くのは誰も見ていないとは言え恥ずかしいので赤い靴下のみ 買った。これを穿いて新年の初詣に出かけよう。 爆竹を鳴らす 新年を迎えると同時に各家では爆竹を鳴らし新年を祝う。中国 では爆竹や花火が無ければ新年を迎えた気がしないらしい。街 のいたるところで朝から爆竹や花火を鳴らしている。私の会社 などは長さ 10 メートルくらいのすだれみたいな爆竹をクレン でつるし派手に鳴らしていた。下からは昼間から花火を連発し て新年を祝っていた。(右の写真)

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これら爆竹などは普段は専門店でしか売っていないものなの だが春節前には普通の店、昨日まで食堂だった場所が花火を山 と積んで売っている。最近の花火は大型のものでもカセットみ たいになっていて火を点けると36 発が連続で打ち上げられる ようになっている。(左下の写真が大型の36 連発花火セッ ト。490 元)アパートの前の道路でも盛大に鳴らしている。 アパートの窓から外を見ると8 時ごろからプロによる本格 的な花火が右の方(海)でも左の方(山)でも上がっている。 これはアパートの窓から見物した。11 時ごろから住民たちの年越しの花火や爆竹が始まる。12 時前が ピークになりそこら中で爆竹と花火が同時に点火されるので爆弾が落ちたようなものすごい音と硝煙 に包まれる。とても筆舌に尽くしがたい。この体験がしたくて春節に帰国せず残ったので残った甲斐が あった。勿論家を飛び出し街をうろうろして楽しんだ。そして12 時が過ぎると下火になり 12 時半には 音がほとんど聞こえなくなった。爆竹の材料の一部(薬きょうとでも言うのか)が町中散乱している。 たとえて言うなら日本の秋街路樹の落ち葉が道路いっぱいに散っているように爆竹の赤い紙片がそこ いら中に堆積している。しかし翌日朝起きて外を見たら驚いた。掃除隊が早朝から出動して街中きれい に掃きあげており9 時ごろには何事も無かったようにきれいになっていた。 新年の準備 行事ではないのだが新年を迎えるにあたり各家では徹底的な大掃除を行う。又家庭の主婦は新年の食材 を買い揃え準備をする。新年の5日までは何もしなくてもいいくらいの食事を準備する。ある主婦は作 る料理や準備するものをマニュアルのようにすらすらと書き上げたのには驚いた。春節料理は最低 10 種類作り家族数により12 種類、14 種類、16 種類・・・と偶数の料理を作るのが決まりだそうだ。日本 ではスーパーも元旦から開いているところもあるため最近はだんだんおせち料理を作る家も少なくな ったようだが中国では未だこのような習慣が残っており既婚の女子事務員さんたちは春節前は寝る時 間が少なくなるほど忙しくなるといっていた。 床屋 きれいにして新年を迎えたい気持ちは日本も同じだが大晦日の17 日夜、ほとんどの店が閉まっている のに床屋だけが明かりを煌々として営業していた。ちょうど私も髪が伸びていたし夜もヒマなので入っ て散髪してもらった。聞いてみると大晦日は10 時まで営業しているそうだ。料金は 20 元(300 円)日 本の10 分の 1 だ。ここは美容院もかねており女性のお客さんが多かったが散髪もやるとのことでお願 いしたが、丁寧な仕上がりで気に入った。次からもここにしよう。 初詣 あまりこのような習慣は無いようだが、信仰の深い人たちは年を越すと同時にお寺にお参りする。 私もこちらでは一人のため大黒山の寺院に初詣に出かけた。この詳細は別項で詳しく報告する。 これら古きよき習慣が現在でも面々と引き継がれて新春を祝っている。今でも幸いにして大いに盛り上 がっているが、近代化が急速に進んでいる中国では都市部を中心にだんだんと減っていくのが心配であ る。 日本では地方ではこのような古きよき習慣が引き継がれているが、都市部ではドライになったというか 古き習慣がすでに見られなくなったのはさびしい気がする。

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初詣と新年初登山

2 月 18 日旧暦の正月(初一)だ。昨夜遅くまで爆竹やテレビ番組を楽しんだがいつもの癖で 6 時前には目 が覚めた。以前から新年には近くの大黒山に登ろうと決めていた。このため数日前から天気予報を見て 当日の天気を気にしていたが幸いにして快晴で気温も寒くない。昼食を頂上で食べようと朝からご飯を 炊き梅干入りのおにぎりを作った。

大黒山

は開発区の北側の平坦地からいきなり聳える山で標高663m。 遼東半島南部の最高峰だそうだ。 山全体が石英変質岩からなる岩山のため中腹から上はほとんど木が無い。又山中には古寺がいくつかあ り信仰の山として昔から近隣の人々に親しまれている。 登山口は4 番バスの終点から始まる。(ちなみに開発区内にはバス路線が 8 路線ある。いずれも運賃は 均一 1 元だ。このバスは市民の日常の交通手段となっている。)上の写真の右奥の白いマンション群が 終点の杏林小区だがこのように山の麓まで住宅開発が進んでいる。左側の白い建物は私が勤めている会 社の一部。手前の茶色っぽい建物が大連理工大学の新校舎だ。この付近は将来文教地区とする予定でこ れからいろいろな学校を誘致するそうだ。大黒山は左側のテレビ塔がある山だが頂上にまで近代設備が 建設されており登山を目標とする山としては味気ない。奈良の自宅近くにある二上山と高さも同じで信 仰の山としても似ている。(奈良の人にはイメージがわくと思う) 前置きが長くなったが、以下行程に沿って簡単に紹介する。 バスを降りて30 分ほど歩くと「唐王殿道院」に着く。ここは道教のお 寺で歴史は古く隋・唐時代に建てられたが、現在のものはこじんまりと している。往時の隆盛に戻そうと再建計画があるそうだ。今日は正月の ため道士たちが法衣を着てお勤めの最中だった。2 月のはじめ訪れたと き写した道士が右の写真だ。写真を撮っていると自分たちも撮ってくれ といってきたので写したものだがあまり人が訪れることが無い寂れた 寺だ。今日も私が行ったときは参拝客が一人もいなかった。お勤めの最中だったので次に行ったとき写 真を渡そう。 唐王殿道院から上に続く道を約 45 分登ると石鼓寺がある。したがってこの道を通るためには唐王殿道

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院で上の石鼓寺の拝観料10 元を払わなくてはならない。下が道教の寺、上が禅寺という組み合わせだ が再建には上下一体となる大伽藍を再建しようという計画だ。もともと唐王殿は石鼓寺の伽藍の一部だ ったそうなので元に戻すというのか、その辺の事情は解説書のようなものが無いので分からないが、中 国語がもう少し分かるようになれば上の道士に聞くことも出来るのだがもう少し待ってみるか。 石鼓寺までは登山道以外に自動車道があるため寺に着くとたくさんの人が(といってもチラホラ程度だ が)初詣に来ていた。 この寺も隋・唐代に山を切り開き創建された寺だが長い歴史の中で何度 も建替え直し現在の寺は近代になって作られたものだ。当時は大きな伽 藍を要する遼東地区最大の寺だったそうだ。又標高の一番高いところに 位置する寺でもあると説明書きがあった。(およそ標高500m くらい) 本尊は釈迦如来だが伽藍内に観音閣があり観音信仰の中心でもあると いい、旧暦3 月の「観音閣廟会」には約 20 万人もの信者が参拝に来るという。私は法隆寺の観光ガイ ドをしている手前、仏像には多少興味があるため仏像をいろいろ観察したが、 弥勒菩薩が布袋様のような姿をしていたのにはびっくりした。仏像がどんな 形をしていようが勝手だが、“世界3 大微笑”といわれている奈良・中宮寺の 弥勒菩薩・半跏思惟像を見慣れているとその落差の大きさからなんとも表現 が出来ないくらいの驚きだ。(右の写真の仏像に弥勒菩薩と表示してあった) 石鼓寺から 10 分ほど舗装された作業道を行くと大黒山登山道 に着く。遠くから見ると大黒山直下、谷というかルンゼ(登山 専門用語で急峻な岩溝)みたいな所に白い筋のようなものが一 本下りていたが近くに来て見るとそれが登山道だった。この急 な、普通ではとても登れそうもないルンゼによくも道を作った な!と感心する。道はコンクリートで固められた石段になって いる。旧道は写真右下の建物の右(東側)−東峰の尾根道を通 るように作ってあるがなぜか立ち入り禁止になっている。新道 は1997 年 5 月 20 日竣工とコンクリートに刻んであった。この直登ルートを約 30 分登ると頂上に着く。 頂上には写真のとおり無線基地があり山頂は人が数人立ったらいっぱいになるくらい狭い。ここからの 見晴らしが素晴らしいそうだ。今日は快晴だったが空気澄み切っておらず直下の開発区くらいしか見渡 せなかったが、澄み切った天候の時は360 度遼東半島の地形まで分かるそうだ。登山中私の後ろをズー とついてきた男が頂上で大黒山登山指導員みたいな身分証明書を見せて、今日登った道以外に西側のバ リエーションルートは素晴らしいと盛んに説明してくれたが、この道は一人では危険なので案内が必要 だとも言っていた。確かに以前ほかの登り道を下見したとき大連大学のキャンパス奥からも幾つか登る 道がありそうだが岩場であり確かに難しそうだ。このおっさんは下りも一 緒に下りたそうだったが、私はゆっくり降りるので先に行ってくれと言い 分かれたが、信頼していいのだろうか?携帯番号を教えてくれといったが、 「無い」といって断った。(右の写真はこのおっさんにとってもらった写 真。もっとポーズをとれと注文が多かった。下の開発区の地形がよく分か

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る)このほかにも今日は何人かの人に声をかけられた。 若い女性の二人ずれから私がちょうど大黒山 直下を下り終わったところで「一緒に登ってください」と声をかけられたのだが意味がよく分からず断 ってしまった。(降りてきた人に又登ってくれ!は無いだろう)一緒に登ってやればよかったのかな? とも今考えている。又車で来た親子3 人ずれが駐車場で休憩していると「下まで送ってやるので乗って ください」と声をかけられたが「歩いて帰るのでいいです、謝謝!」と断った。(クイズ――さて信用 していいのはどれでしょう?)実は大黒山に一人で登ると中国人の友人に言ったら「悪い人がいるので 一人で行くのはやめなさい」と注意されていたため若干警戒心は持っていたのだが、ここではいろいろ な人から声をかけられる。だから山はいい!中国語がもっと上達してもっと素直に成れればいいのだが、 未だ初対面の人の見極めが難しい。 帰り道には「点将台」という展望台や「卑沙城」という唐代 の城(再建したもの)があり観光コースになっている。(右の 上が展望台、下が卑沙城)、初詣で来た人たちが展望台では大 勢歓声をあげていた。ここからは開発区が一望のもと見渡せ る。真向かいにいつも上る童牛嶺や目を凝らしてみると私の アパートも見える。又、卑沙城は「高句麗が攻めてきたとき 唐の皇帝が東に出征したときの古戦場であった」と説明している。 帰りは九十九折の自動車道を下るのだが自動車道では味気ないのでふみ あとを見つけそこを下ってみた。なんとこの道は村の人たちの生活道路で お墓に通ずる道だった。道の両側に土盛りしたお墓がたくさん見られ一人 で歩くには少し薄気味の悪い道だ。 下りきると「朝陽寺」という寺がある。ここは明 代に創建された寺だと説明書きがあった。寺の駐車場には小さなお土産屋や物売 りがたくさんいたが、こちらの寺のほうが上の石鼓寺より近いせいか初詣客が多 かった。数年前日本のテレビ局で番組名は忘れたが、「中国にはニャンニャン観 音がある」「ヘー」という番組で紹介された「ニャンニャン観音」がこの 寺にあるのというので確認に行った。上の石鼓寺もそうだったが、この 辺の伽藍は真ん中に本殿があり両脇に○○殿が配置されている。本殿は 阿弥陀如来が祀られており、右側は天后殿といい、ここに「ニャンニャン 観音」が祀られている。本尊が「海神娘娘観音、右の脇侍が「送子娘娘観 音」、左側の脇侍が「眼光娘娘観音」で3 体揃って「ニャンニャン観音」 というわけだ。どういうわけだか分からないがたまたま記憶に残っていたので紹介した。この観音様に は「般若心経」が奉納されているので私も般若心経を口ずさんでお参りした。 この日の所要時間はお寺の見学を除いて大黒山まで登り2 時間、下り 1.5 時間かかった。 正月3 日、4 日(2 月 20 日、21 日)瀋陽の旅に出かけたがページ数が多くなったので次回に廻します。 2007.2.22 大連思いつくまま(6)に続く

参照

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