C A N C E R
10 (2001),
p. 19-21 19赤紫色のモクズガニの出現状況
小 林
哲
していた (図1 ) . 筆者は生態調査を目的として , 河 川 お よ び 海 域 に お い て モ ク ズ ガ ニEriocheir japonica
をこれま で 15年 間 に わ た り 5 ,0 0 0個 体 以 上採 集 し て き た . そ の 聞 に , 体 色 に 異 常 の あ る 個 体 を 何 度 か 採 集 す る機会があった. 通常,モクズガニは付着物に覆 わ れ な け れ ば 頭 胸 甲 の 背 面 か ら 歩 脚 に か け て の 生 時の体色は青緑がかった褐色である . それに対し, 体 色 異 常 個 体 は い ず れ も 赤 紫 色 (あずき色) を呈 採 集 さ れ た 場 所 は1例 の み 福 岡 県 宗 像 郡津 屋 崎 町 の 砂質 底 の 海 岸 域 で あ っ た が , 他 の6例 は い ず れ も 同 じ で 宗 像 郡 福 間 町 を 流 れ る 西 郷 川 の 感 潮 域 上流部にある, 家 庭排 水 の 注 ぎ 込 む 排 水 口 か ら 半 径1メ ー ト ル 以 内 の 転 石 下 で あ っ た ( 表1 ). そ こ は 普 段 淡 水 が 流 れ 大 潮 の 満 潮 時 に の み 高 塩 分 (塩 分 濃 度 1.6%) の 塩 水 く さ び が 到 達 す る 水 域 で 図 1 赤紫色のモクズガニ 2000年2 月23 日採集,雌未成体 表1 モクズガニの体色異常 (赤紫色) 個体の採集記録 採集年月日 採 集 場 所 1992/5/12 津屋崎海岸,砂質底 1996/8/10 西郷川! 惑潮域上流部排水口直下,転石下 1998/11/4 西郷川! 惑潮域上流音11排水口直下,転石下 2000/2123 西郷川感潮域上流部排水口直下,転石下 2000/2123 西郷川感謝l域上流部排水口直下,転石下 2000/12/8 西郷川感謝Ifj或上J庇音11排水 口直下,転石下 2000/12/8 西郷川感i朝域上流音11排水口直下,転石下Satoshi K oBAYASH1: Occurrence pattem of red-purple type of the ]apanese mitten crab
Eriocheir
japonica
(de Haan) .性 ま 佐 雄 雄 雌未成体 雌未成体 雌未成体 雄 甲幅 (m m) 52.5 27.5 23.5 32.5 22.4 24.3 32.8
20 赤紫色のモクズガニの出現状況 あり , また60cm X 60cmの排水口からは多量の家 庭排水がほとんど絶えまなく注ぎ込んでお り, 合 成洗剤 によると思われる泡が絶えず発生して い た. 体色異常個体はいずれも甲幅2 0 m m以上の 中 型以上のサイズであり,同じ場所では甲幅2 0 m m 未満の小型個体も多数採集されたが,それらには 体色異常は認められなかった . 他の底生動物とし てはシマイシピルErpobdella lineata, ミズ ム シ
Asellus hilgendoポ, サカマキガイPhysa acutaなど, 水質汚染の生物 指標では強腐水性にあたる 種類 (津田, 1964) が集中 して分布 していた . 体色異常の原 因 として まず考えられるの は,色 素形成に異常の生じた突然変異が同所的に発生し たということであるが,モクズガニの回遊習性 を 考慮に入れるとその可能性は否定される . モクズ ガニは通し回遊を行う習性を持ち ,海域で鮮化 し たゾエア幼生が浮遊生活により海域を分散した 後,メガロパ幼生として河 川の感潮域に着底し , そこで稚ガニに変態して淡水域に遡上する(小林, 1999a) . このカニは海域を通して幼生が広く分散 し,河川間の交流も少なからずあると考えら れ, 日本列島内に分布するモクズガニの遺伝的な分化 の程度は非常に 小 さいとの結果も得られている
(Gao & Watanabe, 1999). また底生生活に移行 後も ,特定の巣穴や縄張りを持ち長期間定住する 性質は弱く,移動したり放浪する習性を持つと考 えられる (小林,未発表). 今回異常個体が集 中 して採集された場所は,メガロパ幼生が着底して 稚ガニに変態後成長する水域にあたり ,成長途上 の 未 成 体 や 成 体 も 多 数 採 集 さ れ て い る (Kobayashi, 1998). モクズガニの回遊習性 を考 慮に入れると,このような場所でーカ所に集中し て異常個体が採集されたとしても ,それらは鮮化 後- s . 海域を分散した後に, 川 を遡上し着底した 個体がたまたま同所に出現していただけであり , 近縁関係であったり先天的に突然変異の生じた遺 伝子を共有する個体が集積していたとは考えら れ ない . このことから ,体色異常は成長の一時期 に 立ち寄っ た場所でカニが化学物質に汚染され,後 天的に生じたものであると判断できる . 一個体の み海域で採集された個体は,同様に海岸域で排水 に含まれる 化学物質に汚染されたか,淡水域で汚 染された個体が海域へ繁殖のために移動したもの と考えられる . モクズガニは 比較的汚染に強く,スフエロチ ル スなど藻菌類が底質を覆うような強汚染域で体表 面が藻菌類に覆われながらも生存することが可能 である (小林 ,1999b ). また家庭排水により有 機的に汚染され比較的高濃度に洗剤を含む水に対 しでも ,ある程度耐性があり,忌避反応も示すこ とはないようである . しかし排水に含まれる成分 がカニの代謝活動に影響をお よぽすため正常な色 素沈着が阻害され, 体色が赤みを帯びる ように な ったものと考えられる . モ クズヵーニは底質に 沈殿 している物質や堆積物を食する傾向が強く (小林, 1999a) ,汚染された堆積物経由で化学物質が体内 に蓄積することもあると考えられる . 排水には泡 が絶えず生じていたことから,原因物質として可 能性の高いのは ,合成洗剤に含まれる界面活性剤
(LAS-
直鎖アルキルベンゼンスルホン酸塩・など) である . 合成洗剤に含まれる界面活性剤は 一部を 除き水生生物に対する毒性が比較的強く高濃度で、 は致死作用があり,アユなどの魚類では忌避反応 を示すことも知られている . ただし,水中で希釈 され分解されると毒性が弱まる傾向も認められて おり , また近年分解性の良い界面活性剤の開発も 進んでいることから ,排水口から河川に放流され 希釈される通常の状況では ,水生生物に直接害を 与える程度に高濃度の状況が自然界に存在する よ うな ことは実際問題として 少 ないと考えられてい る( 大矢, 2000). 今 回の異常個体が排水口の半 径 1 m以内という非常に狭い範囲に集中していた ことも,希釈され毒性が弱まることが関係してい るのではないだろうか. 大分県海洋水産センタ ー内水面研究所の景平真 明氏によると,同様な体色異常個体が大分県内の 河川でも採集されている . 近年家庭排水の処理に ついては ,各戸から下水処理場へと導く管渠が結 ばれるように下水道の整備が進みつつあるもの の,未だ下水道の整備されていない 地域では台所 排水などの雑排水は未処理のまま排水口から垂れ 流しにされているのが現状であり,界面活性剤も 未処理のまま直接河川に放流されている . 今回推 察した状況が他の水域でも当てはまるとすると ,家庭排水が直接流入する河川水域では体色異常個 体が出現しでもおかしくないと思われる. 甲殻類 の体色異常はこれまで本誌にも多数報告されてお り,モクズガニについても黄白色の脚を持つ個体 の例が掲載されている( 篠川 ・酒井, 1998) . 筆 者もこれまでに ,左第4歩脚の前節の 一部と 指節 全体にかけて色素の沈着していない,先の報告と 同様な体色異常のモクズガニ1個体を採集したこ とがある . しかもその採集場所は,今回報告した 赤 紫 色 の 個 体 が 採 集 さ れ た の と 同 じ 場 所 で あ っ た. そのため,これ まで に報告されたすべての体 色異常が当てはまるとは考えられないが,篠川・ 酒井 (1998) が報告した例は排水に含まれる化学 物質による後天的な影響で説明できると考えられ る. 林 哲 21
文
献Gao, T.
&
Watanabe, S., 1998. Genetic variation a m o ng local populations of the ]apanese mitten crab Eriocheir japonica D e Haan. Fisheries Science, 64: 198-205. Kobayashi, S., 1998. Settlement and ups仕e a m migrationof the ]apanese mitten crab Eriocheir japonica (De Haan) . Ecology and Ci吋1Engineering, 1・21・31
小林 哲 ,1999a. モクズガニEriocheir japonica ( de H a a n ) の繁殖生態( 総説) . 日本ベントス学会誌, 54 : 24-35. 小林 哲, 1999b. 通し回遊性甲殻類モクズガニの生 態一回遊過程と河川環境一. 生物科学, 51: 93-104. 大矢 勝, 2000. 合成洗剤と環境問題一地球環境時代 の消費者運動の指針として . 大学教育出版,岡山, 165pp. 篠川貴司・酒井雅博, 1998. 黄白色の脚を持つモクズ カ、ニ. Cancer. 7: 1与20. 津田松苗, 1964. 汚水生物学. 北隆館,東京, 258pp.