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定年退職にあたって : 追想

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Academic year: 2021

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[追想]

定年退職にあたって

田中 穂積

本誌の編集子から、定年退職にあたって、何か一文を寄せて頂い ても、とのお誘いに当初は達巡したのですが、法学部開設後、23年 間在籍した者として「来し方」を御披露することにも若干の意義が あるのかも、との思いで筆を執らせて頂きました。 月並みですが、「光陰矢の如し」という先人の言が定年退職する にあたって妙に考え深く心に響きます。振り返って見ると、母校の 明治大学に職を得、その後、緑あって昭和54年に札幌大学教養部に 奉職し、その教養部から平成元年に開設された法学部に移籍して以 来、通算33年の長きに亘って札幌大学で教育に携わることができま

した。ここでは以下に、思いつくままに「来し方」について、印象

に残っている事柄などを交えて筆を進めることにします。 私が昭和54年に教養部に奉職した札幌大学は、一時の経営難に陥 った後の12年経過していた時期で、学部は経済学部、外国語学部、

経営学部の3学部と、これらの学部を横断する教養部、さらには、

札幌大学女子短期大学部から構成されていました。 当時のキャンパスは、現在の1号館、2号館、3号館、体育館そ して2つの生協食堂のみで、周りは畑とホップ園で囲まれている牧

歌的な雰囲気でした。特に私の昌を楽しませてくれたのは、1号館

と2号館の聞から見える藻岩山の風景で、東京の御茶の水界隈で

日々を送った者にとっては、その四季折々に変化する姿は新鮮に映

ったものです。現在は中央棟が建っており、残念ながら、藻岩山の

姿はその建物でブロックされて見ることができない。 教養部では10年間在籍し、教養課程の「法学」を中心とした科目

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を担当し、また、外国語学部の選択科目であった「国際法」を担

当することができ、この「国際法」担当の経験は、後に開設された 法学部での国際法講義に生かすことができ、この点で幸いでした。 学生達の印象は、東京の場合とは異なり、純朴でおとなしいという 感じで、多少の物足りなさを感じたものでした。教養科目であった 「法学」の受講者は全学部に亘っていたので600名余で、大教室で

の講義で行われ、期末試験の採点作業に1週間掛かり、悪戦苦闘し

たことが今は懐かしく思われます。 教養部の教授会は大所帯で、教授会は大会議室で行われ、教養部 として独立していた関係で、学部の教養課程を担っているという意 識に立っていたので、時には議論沸騰し会議の場が険悪な雰囲気 になることもありましたが、教養課程の在り方について考えさせ

てもらえた良い機会でした。この教養部は平成6年に解体され、教

養部所属の教員は各学部に分属されることになりましたが、「教養 科目」の編成・統括組織をはじめ、「教養科目の在り方」について は、今日でも正解が求められることが難しい問題であることを痛感 しています。 次に、法学部での思い出の素描に移りたいと思います。 法学部の開設は、くしくも平成元年であったが、その開設は久し く学内で計画されていたもので、開設の経緯に関わる御苦労話につ

いては、当時、法人理事として文部省と折衝に当たられた堺 鉱二

郎先生(経営学部所属)の「法学部設立」(1)、さらには、堺先生の

「法学部10周年の歩み」(2)なる表題の寄稿文に詳しい。 教養部から新設の法学部へ移籍することになったわけであるが、 完成したばかりの研究棟の居心地の良い研究室の窓からは、近くに は藻岩山そして遠くには手稲山が一望でき、東京時代の環境との違 いに感慨を覚えたものです。学部の教授陣の構成は内山法学部長 (故人)を初め多士済々で、これから著名な教授の方々と学部の運 営を共に進めて行くことになると思うと、気持ちが高揚したもので

す。この開設されたばかりの新学部で、私は教務委員を拝命し、な

−8一

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んと1クールの4年間に亘って勤めることになりました。ゼロから の出発でしたので、教務運営を十全にすることに腐心しましたが、 特に、夏季休暇中などには東京や九州に戻られた先生もおいでにな り、とりわけ学部長の内山先生とは何度となく東京に電話連絡する ことがありました。そんなことでか、内山先生が札幌に戻られた際 には、お土産を戴くこともあり、先生の気配りに有難く思ったもの です。 開設時の法学部は定員200名で、その特徴は、当時では先進的 な、行政コースと企業法務コースの2コース制で、また、カリキュ ラムの面でも先進的な科目として、まず、1年次での必修科目であ る「公法学原理」および「私法学原理」が設けられ、さらに、少人 数教育を謳った必修科目としての「演習」(3・4年生)にも「売 り」がありました。私は「公法学原理」を担当しましたが、この科 目の内容は非常にユニークなもので、公法分野を形成する、憲法、 行政法、刑法そして国際法の担当者がオムニバス方式で講義を展開 するもので、その意味で、まさしく広く「公法」の「原理」を知る ことを趣旨としたものでした。この当時には、「公法学原理」と名 づけられたテキストは未だ無く、特に私の場合、国内法ではなく国 際法の担当であったので、他の3分野の講義とどのように有横的に 関連付けて授業を展開すれば良いのか、当初は不安を感じたもので した。この科目は、その後のカリキュラム変更により無くなるまで 長く継続しましたが、学生の評価としては、特に、担当者が4回も 変わるという点での不評も一部あり、オムニバス方式の授業の難し さを知らされました。この科目担当で忘れられない点といえば、成 績評価のために4人の担当者が各々担当科目の300余名の受講者の 点数を持ち寄り、その点数を合算し、最終評価をするという手間暇 のかかる作業があったことです。 法学部が開設されてから9年目に入った平成9年4月から2年間 の任期で、前任の内山先生や堺先生とは異なり、適材とは言えない 私が法学部長の職に就くことになり、学部長室の椅子に座ったもの

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の不安でならなかったことを想い起こします。2年間の在任中で最 も気苦労であった事は、平成2年の臨時定員増100名からの減員に 法学部がどのように対応すべきかという問題で、法人理事側と折衝 を重ねた作業でした。世情はバブルの崩壊、18歳人口の減少という 教育環境の変化の中にあり、定員減は避けられない状況でしたの で、結果として、数次に亘って漸減して行くということになりまし た。 法学部長職の在任中で喜ばしかった事は、平成10年11月に法学部 創立10周年記念講演会(講演者は、小林孝輔先生(故人)と米倉 明先生[早稲田大学]でした)を成功裏に開催することができたこ とです。●また法学部カリキュラムとの関係では、法学部全体の学生 による「ゼミ交流会」を立ち上げ、これにより前期はスポーツ交流 会、後期はゼミ発表会を行いゼミ相互間の人的交流を深める「場」 を設けることができたことです。 最後に、本学の大学院法学研究科での思い出を若干述べることに します。 丁度私が法学部長職に就いた年に大学院法学研究科が、本学の最 初の研究科として開設され、ようやく札幌大学も大学院を有する総 合大学になれたことに溜飲を下げることができました。法学研究科 の申請の経緯については堺 鉱二郎先生の「法学部設立」の寄稿文 中の「大学院の申請」に詳しい。(3)大学院の設置は歓迎すべきこと

ではあったのですが、他方で、私は法学部長職に就いていたため、

夜間の大学院授業も担当しなければならず、まさしく八面六腎の 日々であったことを想い起こします。当時は、学部長職にある者に 対する授業担当数を減らす制度は未だ無く、改善の要有りと思った ものです。 大学院の授業では、毎年、6月に1泊して定山渓温泉で行われた 修士論文の「中間報告」に参加し、院生と親しく交わる機会を持て たことなどが特に記憶に残っています。 以上、誠に散漫な記述ではありますが、定年退職を迎え、33年に −10−

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亘る「来し方」を振り返り、教育、研究、学内行政のいずれの面に

おいても中途半端な「己」の存在を見るにつけ、内心、健梶たるも のがあります。 (1)r法学部設立J札幌法学 第20巻1・2合併号 5−11頁 (2)『法学部10周年の歩み」札幌法学 第10巻1・2合併号 3∼9頁 (3)r法学部設立j札幌法学 第20巻1・2合併号11−12頁

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