ごんはなぜ言葉を話すのか?
──「歴史を哲学する」ことで「ごんぎつね」を読みなおす──
渡 辺 哲 男
Why Does GON Speak Japanese?
── A Study of GON-GITSUNE using Analytical Philosophy of History ──
Tetsuo WATANABE
Ⅰ は じ め に
本稿は、国語教科書の定番教材となっている 新美南吉「ごんぎつね」(小学校 4 年)を、い わゆる「歴史の物語り論」を援用して再読する 試みである。「ごんぎつね」は、広く知られて いるように、きつねのごんと兵十の「悲劇」と して語られる、あるいは、そう児童に読みとら せる作品として位置づけられてきた。そこに「歴 史の物語り論」をもちこむことで、劇中に描か れるごんと兵十の関わりが、ごんを撃った兵十 による「物語り」、すなわち「過去の制作」で あるという地点に立つことになる。そうすると、 兵十(=作者である新美南吉)が最後に撃った ごんは、自分と同じ境遇にある分身であり、あ るいは自分の「母」であるのだと読むことがで き、またそれを「物語る」ことによって、彼が 〈孤独〉を受け入れたのだということを明らか にしてみたい。 そして私たちはこのことによって、「ごんぎ つね」を、従来の「悲劇」であるという固定化 された位置づけに、「問いを立てる」ことが可 能になる。筆者は、今後この作品を、全面的に 本稿の結論にしたがって読むべきだと主張した いのではない。ごんに寄り添い、同化しながら 読んだ後で、こうした新しい「問い」を投げか けられるような教材研究の方法があるのではな いかと考えているのである。すなわち、国語科 の授業を、一つの「読み」を提示したり、登場 人物に共鳴(あるいは反駁)したりして、「わかっ て」終わるのではなく、「わかった瞬間にわか らなくなる」あるいは「終わったところから始 まる」というように、最後に「問いを立てる」 授業を構築するための、一つの新しい教材研究 の提案である。 本稿の具体的な流れは次の通りである。まず 先行研究の成果を確認したうえで、「ごんぎつ ね」が、主人公ごん(と兵十)の「悲劇」であ るという捉え方に対する新しい可能性を提示す るため、尾田栄一郎のマンガ『ONE PIECE』 の一部分をとりあげて「ごんぎつね」と比較考 察を行う。すなわち、『ONE PIECE』に登場 する海賊船と、「ごんぎつね」におけるごんと いう、本来言葉を話すはずのない二者がともに それぞれの作品中で言葉を話すという重なりを ヒントにして、両作品が「物語り」という同様 の構造を有することを明らかにし、「歴史の物 語り論」を「ごんぎつね」に導入することで、 この作品に新しい視点が与えられることを示す。 また、この考察を通して、「ごんぎつね」が、「「他 者」との「心の交流」はそうたやすく実現する ことはない」[府川 2000:169]ことを体現し た物語であるとするならば、ただそうしたことを「読みとる」だけではなく、そうしたうえで、 人と人とがともに生きることについて「問いを 立てる」ことが可能になることを示したい。さ らに、「問いを立てる」ということと、学習者 が「哲学する」ということの関連性に言及する ことにしたい。
Ⅱ 「悲劇」としての「ごんぎつね」:
先行研究から
まず、「ごんぎつね」について、多くの先行 研究は、兵十がごんの思いを知らぬままごんを 撃ち殺してしまうという展開に「悲劇」をみて いるというところから出発してみよう。この作 品に「悲劇」をみるのは、次に示す、二つの視 点からの分析によるものだろう。第一に、西郷 竹彦の代表的著作である『教師のための文芸学 入門』[西郷 1968(1998)]が示した、視点論 にもとづく分析である。「ごんぎつね」は当初 ごんの視点から物語が展開するが、国語教科書 の構成でいうと、最後の第六節だけは兵十から の視点に切り替わる。ごんが兵十に好意をもち、 かつ兵十の母の死んだ責任の一端が自分にある のだと思い込んだことで、兵十に自らの境遇を 重ね合わせて共感していたにもかかわらず、そ の兵十に撃たれてしまったという「悲劇」に加 え、最後に兵十の視点に切り替わることによっ て、ごんを撃ったそのとき初めて、兵十はごん の自分に対する好意を知るという「悲劇」も示 さ れ る こ と に な る[cf. 西 郷 1968(1998): 139]。このように、「ごんぎつね」には、ごん と兵十双方に悲しい結末が訪れるというところ に、「悲劇」1)の二重性が読みとられてきたとい える。たとえば、高校生に「ごんぎつね」を読 んでもらうという試みを行った丹藤博文は、「視 点の転換は、そのような(ごんは兵十の境遇を 重ね合わせて自己化していたが、兵十はそのよ うにごんに共感を覚えていなかった──筆者 注)ごんと兵十の認識のずれを鮮明に前景化さ せる」[丹藤 2002:57]と述べ、最終節で視点 が転換することの効果を指摘している。また、 府川源一郎は、「兵十はこの時初めて、「他者」 と し て の ご ん に 出 会 っ た の で あ る 」[ 府 川 2000:155]と捉えている。 第二に、国語教科書に掲載されている「ごん ぎつね」は、新美南吉の「オリジナル」ではな く、『赤い鳥』に掲載されるにあたって鈴木三 重吉が手を加えたものであるという点に着目し、 草稿(スパルタノート=「権狐」と呼ばれる) と改稿後のもの(定稿=「ごん狐」と呼ばれる) を比較考察した結果判明する「悲劇」性である。 すなわち、定稿では、最後に兵十に撃たれたご んが「お前だったのか、いつも栗をくれたのは」 と問われると「ぐったりと目をつぶったままう なづきました」(教科書の記述)となっている のが、スパルタノートにおいては、「権狐は、 ぐつたりなつたまゝ、うれしくなりました」と なっている部分の違いへの着目である。後者で は兵十とごんの心が通じ合ったことが「うれし く」から読み取れるが、前者ではそれが伝わら ず、府川のいうように、「ごんのむくろを抱い た兵十にごんの心中は伝わるはずはない」[府 川 2000:164]ということになる。つまり、後 者の方が心が「通じ合わない」分、「悲劇」な のである。 このように、「ごんぎつね」の草稿から定稿 に至るまでの改稿の経緯や、それが国語教科書 に用いられてどのように読まれてきたかを戦前 から戦後まで詳細に追った代表的な研究が、府 川[2000]であり、これと同様の視点からの研 究であるが、ごんが作者新美南吉の投影である という視点から、南吉の生育歴を調査し、兵十 が当時南吉が思いを寄せていた「M子」である という説を発表したのが、北[1991]である。 以上のように、「ごんぎつね」は、ごんと兵 十の思いがずれたままごんの死で終わる「悲劇」 として捉えられてきたが、近年では、これらの 成果をふまえて、さらに考察を深めた研究もあ る。たとえば鈴木啓子は、ごんと兵十という血 縁のない両者ではあるが、ごんが兵十に家族さ ながらの愛慕を寄せる点に着目し、「家族の壁 を超えた共生へと開かれていく『ごんぎつね』 という物語を私は読みたい。絶望的な状況でこ そ、基本的な他者愛の方向性はもっとも切実に 求められるのではないだろうか。人の喜びを喜 べる自分を発見することで、人は孤独や虚無か ら救われるのだ」[鈴木 2004:40]と述べ、血 縁を超えた「共生」という、新しい人間同士のつながりを「ごんぎつね」から見出そうとして いる。 また、中村哲也は、ごんが兵十の母親の死を うなぎを自分が盗んだことに起因していると恣 意的に筋立てた(emplotting)ことは、兵十と 自分を同じ〈孤独〉な者だと仮構することであ り、「共依存」のようにごんが自分の傷を埋め ようとしたのだと論じ、「「つぐない」とは、兵 十とつながるために仮構された強固な幻想の物 語であり、この物語という紐帯があればこそ、 兵十のごんとのかかわりは幻想的に担保され続 けるのである」[中村 2007:68]と述べている。 ごんが栗や松たけを兵十の家の前に置き、ある いはリスクを冒して土間にまで立ち入ることは、 ごんにとっては兵十とつながっていることの証 明であったということである。 これらの研究は、「ごんぎつね」の終末のあ りようから、「悲劇」という前提で考察してい るといえる。しかし、ごんが兵十に撃たれたの は「終末」ではなく、むしろ「始まり」なのだ という視点の転換を主張したのが、田中実であ る。田中は、鈴木[2001]の考察をふまえなが ら、兵十がごんとの関わりの顛末を物語ること に着目している。鈴木はごんの死を村の物語と して「公共」に開いていっているというが、田 中は兵十とごんがともに〈母恋い〉の物語を語 ることでつながり一体化する共同性の拡充こそ が「ごんぎつね」という作品の力だという[田 中 2005]。すなわち、兵十がごんを撃ったとこ ろで終わる物語ではなく、撃った後で村人に兵 十がごんのことを物語り、その土地の人々に世 代を超えて共有されていくという点に着目する ことを促したのである。鶴田清司はさらに田中 の研究を受けて、「ごんぎつね」をごんの物語 ではなく、兵十の物語であるのだということに 着目させようとする実践例を紹介している[鶴 田 2010:142f.]。こうした視点を採用すること で、「ごんが村人に受け入れられた話」として 読者は心のカタルシスを得られるのだという。 しかしながら、上記の結論では、「兵十の物語」 であるという視点からの読みであるのに、「ご ん」が主語になるのでは、結局ごんの物語とい うことになってしまい、主人公=ごんという地 点から脱却することができない。また、「兵十 の物語」であるとするならば、兵十にとってご んを撃ったということ、そして、この話をその 後村人たちに物語ったということにどういった 意味があったのかを、追究しなければならない のではないか。本稿では、近年の先行研究にお ける「始まり」という着眼点を受け入れつつも、 上記の問いに応答するため、「歴史の物語り論」 を導入した「ごんぎつね」の再読を試みたい。
Ⅲ 歴史の物語り論:物語り行為と
「現実との和解」を中心に
本節では、本稿において導入する「歴史の物 語り論」について、あらかじめ、「過去の制作」 という見方の特徴と、「物語る」ことの意味内 実を確認しておきたい2)。 「語り得ぬものについては沈黙しなければな らない」(ヴィトゲンシュタイン)、あるいは、「観 点に先立って対象が存在するのではさらさらな くて、観点が対象を作りだすのだ」[ソシュー ル 1972:19]といった言葉などに代表される、 対象表示的言語観からの転換を示す「言語論的 転回」の思想が私たちに膾炙していくなかで、 歴史学領域にもこのインパクトが及び、私たち が経験した「歴史」も、非実体的なものであり、 私たちが「物語る」行為によって「制作」され たものなのだという視点が導入された3)。歴史 の分析哲学という視点をもたらした嚆矢である ダント[1989]、「過去とは言語的に制作された ものである」[大森 1992:115]と論じた大森 荘蔵、さらにはこれらの議論をふまえて本格的 に「歴史の物語り論」を広めた野家啓一[野家 2005]、鹿島徹[鹿島 2006]らの論が代表的な ものであるといえる。 たとえば鹿島は、「歴史が物語られる」とい うことの特質を、次のように述べている。この 引用は、以上に挙げた論者たちの述べていると ころの最大公約数的なものである。 歴史的過去とは、通常の意味で客観的に実在 するのではなく、「想起」を通じて解釈学的 に再構成されるものである。その再構成は過 去の思い出を言語化することによって行われ、 しかもそれが恣意的なものにとどまらないためには、共同化と構造化という作用が必須の 条件になる。すなわち、言語的に提示された 思い出は他者と共有され、他の歴史の語りと の連関のうちにおかれるのでなければならな い。それを行うのが特定の出来事と他の出来 事とを結びつけ脈絡を与える物語り行為であ る。[鹿島 2006:57] 要するに、歴史、過去というのは、「物語り 行為」の産物であるので、普遍的絶対的なる歴 史や過去は存在せず、物語る当事者の視点に よって取捨選択されて言語化されているという のである。また、言語化されるには、その物語 りを聴く人々が当然存在するわけで、聴く人々 の存在が、一方的な主観に陥ることのない「歴 史/過去」とする条件となり、聴く人々によっ て物語りが共同化されるということである。野 家啓一は、夭折したわが子の思い出を語る母親 を事例としながら、言語化することなどできな いわが子との個人的な思い出を、あえて母親が 「手垢にまみれた」言葉で語ることによって、 それが公共的な記憶となり、「思い出が歴史へ と転生を遂げる」[野家 2005:172]のだと述 べている。だとすれば、その歴史は世代を超え て伝承されていくことになるが、もちろんその 歴史は「テクスト」であり、語り継がれるごと にその時代の状況に応じて、読み替えられると いうことにもなる。 それでは、物語り行為を行った語り手が、こ うして思い出を「歴史」とすることには、どの ような意味があるのだろうか。「歴史の物語り 論」の論者たちが多く用いるのが、ポール・リ クールの「物語的自己同一性」4)である。リクー ルは、「自己」が脆いものであるからこそ、物 語るのだという。自分のアイデンティティを正 当化するのは、自分がどういった人間であるの かを物語り、自分という者を自他に確認するこ とによってなされると考える[リクール 1987, 1988, 1990]。すなわち、自分の過去を組織化す ることによって、自分を定位していくことが「歴 史を制作する」という作業の意味内実だという ことである。そのとき語りの当事者は、私たち に既存の物語を骨組みとして経験の再構成を行 うことによって、「私たち」の未来を志向する 物語りとなるのだという[cf. 貫 2010:55f.]。 物語りが「共同化」するということは、リクー ルによれば、未来を志向するということになる のだ。これを野家は「物語行為は、それゆえ一 種の解釈学的行為であり、過去の出来事を再構 成することによって、現在の自己の境位を逆照 射する機能をもっている」[野家 2005:108] と述べている。さらに野家は、かような過去を 物語ることが自己を再構成するという視点を もった論として、政治哲学者ハンナ・アーレン トの次の言をとりあげている[316-317]。 リアリティは、事実や出来事の総体ではなく、 それ以上のものである。リアリティは以下に しても確定できるものではない。〔中略〕物 語のうちでここの事実はその偶然性を失い、 人間にとって理解可能な何らかの意味を獲得 する。〔中略〕物語として語ることができて 初めて、人間にとって耐えられるもの、意味 あるものになると、つけ加えることもできた であろう。〔中略〕事実の真理を語る者は、 「現リアリティ実との和解」を生じさせる。[アーレント 1994:357] たとえば、私たちに起こった悲しい出来事な どの耐えがたい現実があったとすると、時を経 て、それを他人に物語ることができるようにな ることは、ようやくその悲しい過去を「耐えら れる」現実として受け止められるようになった ことを意味するというのである。これをアーレ ントは「現実との和解」と称したのである5)。
Ⅳ 『ONE PIECE』と「ごんぎつね」に
「歴史の物語り論」を援用する
それでは、以上に論じた「歴史の物語り論」を、 「ごんぎつね」に援用して再読してみよう。い うまでもなく、「ごんぎつね」は、「これは、わ たしが小さいときに、村の茂平というおじいさ んから聞いたお話です」[新美 2009(光村図書 平成 21 年版):62]と書かれていることから、 茂平の「物語り」であるという考え方を導入す ることは容易であろう。ただし、本稿は、単に 作品の見方を変えると面白いという授業の提案のためにこうした再読を試みているわけではな い。すなわち、彼の語る兵十とごんの「歴史」は、 「制作された過去」であり、フィクションなの だと、単にいいたいわけではない。また、当然 のことながら「ごんぎつね」は、小学校 4 年生 の国語教科書に掲載されているものであり、い きなり歴史哲学じみた話を児童に展開するのは 無理があるだろう。本節では、実際に授業を行 う場合の工夫も視野に入れながら、「ごんぎつ ね」に「歴史の物語り論」を援用する意味内実 をより明らかにするため、尾田栄一郎の『ONE PIECE』が「ごんぎつね」と同様の構造をもっ ているということに、まず着目してみたい。 北[1991]には、北自身が「ごんぎつね」を 小学校 6 年生に行った授業の記録が掲載されて いる。これをみると、ある児童が、第一次感想 文のなかに「なんとなく、うそっぽい感じがす る〔中略〕きつねがそんなことできるかなあ、 と思ったりする…」[298]と書いている。きつ ねがいわしやら栗やらを兵十のためにもってく る(という意志をもっている)などということ があるのかという疑問である。また、別の児童 は、 やはり第一次感想で「「ごんぎつね」って、 日本語が分かるねんなあ」[314]と書いており、 そもそもきつねであるごんが言葉を話すことに 対する驚きを表明している。あくまでこれは第 一次感想であり、きつねが言葉を喋るのも、あ る種のファンタジーであるからだし、読み手が 同化しやすいように擬人化されている6)からだ といわれれば、それまでである。また、読み進 めていくにつれて、恐らくこうした疑問は雲散 霧消してしまうだろう。しかしこの児童の問い は、根源的かつ本質的なものであるともいえる かもしれない。私たちは、恐らく今日の教室で もこうした感想を漏らす児童がいることを考慮 に入れながら、この一見瑣末な感想や問いをあ えて深めるという視点から、「歴史の物語り論」 の援用を行ってみたい。すなわち、ここでは、「な ぜごんが言葉を話すのか」という疑問に、「歴 史の物語り論」の視点から応答してみようとい うのである。その作業の補助線として、『ONE PIECE』[尾田 1997-2012](現在コミックス第 65 巻まで刊行)を用いてみたい。 Ⅳ -₁ なぜ船がことばを話すのか?:「物語 る」役割を帯びたウソップという視点 『ONE PIECE』は、新世界に存在するとい うひとつなぎの秘宝(ワンピース)を求め、海 賊王を目指すルフィをはじめとする「麦わらの 一味」が冒険する物語である。彼らは「海賊」 であるので、海賊船に乗って旅をする。65 巻 時点では「サウザンド・サニー号」という海賊 船を使用しているが、以前は「ゴーイング・メ リー号」(以下メリー号と略記)に乗っていた。 コミックス 35 巻のあたりで、メリー号は修理 が不可能なほど損傷が激しくなり、ルフィはメ リー号を「捨てる」決意をする。しかし、メリー 号に愛着のある一味の狙撃手ウソップは、あく までメリー号を修理して乗り続けることに固執 し、結果ルフィと対立、決闘して敗れ、いった ん一味を抜けることになる(とはいえウソップ は仲間から離れず、鼻が長いので明らかに正体 は分かるのだが、お面をかぶって「そげキング」 という別人を名乗ってルフィ達の前に現れ、 「ウォーターセブン編(以下W 7 編)」までこの 姿で行動を共にしている)。 その後、W 7 編終末で、一味は結局メリー号 を沈めることにしたのだが、たいまつの火をル フィがメリー号に放った瞬間、メリー号がル フィ達に「ごめんね」「もっとみんなを遠くま で 運んであげたかった…」と語りかけてくる のである。そして最後、「今まで大切にしてく れて どうもありがとう」と、これまで一味が 自分を大切に扱ってくれたことへの感謝を述べ て、メリー号は沈むのである[尾田 2006(44 巻): 224-225]。 このように、本来言葉を話すはずのない船が 話すということについて、作品中では「精霊」 の存在が指摘されている。ただあえてここでは 精霊の存在は措き、船が言葉を話した、という 事態そのものに焦点を当ててみたい。「ごんぎ つね」と同様、本作品においても、本来話すは ずのない船がルフィたちに言葉でメッセージを 送っている。この 2 作品に重なり合う、本来喋 るはずのないものが喋るということの意味は、 何なのであろうか。以下では、内田樹による、 『ONE PIECE』の名言集である『ONE PIECE STRONG WORDS』下巻の解説をヒントにし
ながら、両作品がともに「物語り」の構造を有 しているということに注目してみたい。 『ONE PIECE』が、ちょうど 100 巻で完結 するように尾田によって構想されているという のは、有名な話であるが、内田はこのことに関 連して、早くもこの作品のラストシーンを予想 し、「僕は『ONE PIECE』完結編のラストの コマは、「海に沈む夕日を一人みつめる老ウソッ プ」の後ろ姿が似つかわしいような気がします」 [内田 2011:201]と述べている。すなわち、 ルフィやゾロに比べれば、決して戦闘能力の高 くないウソップ(62 巻以降ではそうでもない が)の「麦わらの一味」における役割とは、(黒 澤明『七人の侍』における勝四郎と重ねながら) 「ウソを語ること」=「物語を語ること」であり、 したがって、『ONE PIECE』のラストシーンは、 英雄譚を語り終えた、老いたウソップの姿だと いうのである。だとすれば、この作品は、「ご んぎつね」のように、そう明示されていないが、 実は「麦わらの一味」の一員であるウソップの 「物語り」であり、彼は英雄譚を後進世代に語 り聞かせる役割を担っているのだということに なる。 このウソップの「物語り」が、制作された過 去であるという考え方を導入すれば、船である メリー号が言葉を話すというのも合点がいくだ ろう。すなわち、ウソップによって、メリー号 は言葉を話したということにされた、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、のである。 もちろん、一味全員にそうした声が聞こえたと いうファンタジックな「事実」があり、ウソッ プはそれを忠実に語っただけかも知れない。た だあえてここでは、ありえないことが起きたと いうことは、過去が制作されたからであるとい う筋立てを行ってみよう。 内田は、メリー号の廃船が決定的となってな お、廃船に反対し、ルフィと対立した結果一時 は一味を抜けるというまでの「こだわり」をみ せたことについて、「ウソップが仲間に強い不 満を抱くのは、メリー号の事跡についての語、 られ方が足りない、 、 、 、 、 、 、 、ということです」[203, 傍点 原著]と述べている。メリー号がこれまで自分 たちにしてくれたことをふまえれば、使えなく なったから仕方ない、捨てようで切り捨ててよ いのか! ということである。船を廃棄せざる を得ないことは十分ウソップにも分かっている のだが、ならば物語りとして言葉を紡ぐために、 自分たちはその英雄的な船の役割をもっと互い に語ることによって、メリー号が深く一味に共 有されなければならないということである。 このように内田が分析したことをふまえて、 ウソップが言葉を喋ったメリー号という「過去 の制作」を行ったことの意味を、先述した「歴 史の物語り論」の視点(とくにアーレントの言 葉)を援用すれば、恐らくウソップは、こうし たメリー号の顛末を語ることによって、メリー 号という自分の愛着ある船を捨てざるを得な かったという「耐えられない現実」を、「耐え られる現実」にし、「現実との和解」を果たし たのであろう。ウソップ(あるいは一味)が、 船を途中で捨てたという自責の念からの解放を、 この「物語り」は意味しているのではなかろう か。 なお、内田は、こうした視点をさらに延長し て、ルフィたちが最高のパフォーマンスを発揮 して戦い続けることについて、ルフィたちは、 ウソップのこうした役割を感覚的に知っている (期待している)から、つまり、後世に自分た ちの活躍が語り継がれるという期待があるから、 のちに自分たちがこうして英雄として語られる ことを事前に想像しているからこそ、最高のパ フォーマンスをもって戦うことができるのだと 考察している[200]。 Ⅳ -₂ 『ONE PIECE』の視点を「ごんぎつね」 に適用する:兵十の「物語り」 次に、上述の『ONE PIECE』に「歴史の物 語り論」を導入する視点を、「ごんぎつね」に 重ね合わせてみよう。「ごんはきつねなのにな ぜ言葉を話すのか?」という先ほどの問いに対 しては、こう回答できるだろう。すなわち、「ご んぎつね」は兵十→(何人かまだ間にいるかも しれないし、兵十=茂平かもしれないが)茂平 →わたし、と伝承された「物語り」なのであり、 したがって、その語りの内容は「制作された過 去」ということになる。そして兵十がこの制作 された過去を村の人々に「物語る」ことによっ て、自分を定位して未来を志向し(リクール)、 「現実との和解」(アーレント)を果たしたと読
むことができるのである。 では、兵十が果たした「現実との和解」とは、 一体何であったのか。このことを考えるために、 まずは、どのように「過去の制作」がなされた のかを筋立ててみよう。この立場からすると、 まず、実はこの物語に登場するきつね、すなわ ち、いたずらしてはりきりあみからうなぎを盗 んだきつね、そして栗や松たけを兵十に届けた きつね、さらに最後に兵十に撃たれたきつねが 「同じ」きつねであるということも「制作」と みることができる。よほどの身体的特徴がない 限り、これらのきつねがすべて同一のきつねで あると看破するのは難しい。兵十はこれらのき つねを、すべて同じだと「制作した」のだ。こ のことは、そもそも、当初は兵十のうなぎを盗 むなどしていたずらしていたごんが、反省、後 悔し、しかも、兵十の母の死とうなぎを盗んだ ことを接続し、自分のせいで母が死んだのだと いうごんの「思い込み」も「制作」されること で、盗んだきつねと、栗や松たけを届けてくれ る(というのも「制作」なのだが)相反する行 動をとるきつねを「反省した」という推論7) によって同一のきつね「ごん」として接続した のである。 このことは、ダントがいう「始まり 中間 -終わり」の相互に連関する三項を定式化した説 明モデルにも重ね合わせることができる。 ⑴ x は t₁ 時に F である。 ⑵ x に H が、t₂ 時に生じる。 ⑶ x は t₃ 時に G である。[ダント 1989: 285] ダントは、歴史家が x において F が G に移 行したことを説明するとき、「一般法則」が参 照されるという。これは「一般にどのようなこ とが生じるのか」(あるいは、ある社会に共有 されている「常識」といってもよい)を表現す るもので、これに基づいて歴史家は、F から G に変化が生じたとき、史料調査をふまえつつ、 H がその原因となっていると説明するのであ る。いまの事例の場合、F うなぎを盗んだきつ ね、G =栗や松たけをとどけたきつね、H はき つねが反省、後悔した(ことにより、F きつね = G きつね=ごん、が成立)ということにな るだろう。 先述の先行研究の整理において挙げた中村哲 也の論稿によれば、ごんがそうした「思い込み」 をすることによって兵十と自分の境遇を重ね合 わせて「共依存」的関係になったのだと論じて いたが、「歴史の物語り論」を援用すれば、ご んが「思い込み」をしていたというよりも、む しろ兵十が、ごんがそういった「思い込み」を していたという出来事を「制作」したとみるこ とができる。もちろん、ごんがそのように考え ていたというのは、ごんが言葉を喋っていたこ とからわかるのであるが、メリー号の事例と同 様に、ごんが人間と同様に話をしたり、意志を もって行動したということも、兵十の「物語り」 なのだと考えればよい。ごんは、あのように考 え、話していたということにした、 、 、 、 、 、 、 、のである。 それでは、兵十が「おれと同じ、ひとりぼっ ちの兵十か」とごんが思ったことにしたという 「物語り」には、どういった意味があるのだろ うか。従来の見方であれば、それは、先の中村 のいう「共依存」であれ、鈴木のいう、家族の 血縁を超えた共存であれ、ごんが兵十に自分と 同じ境遇を重ね合わせ、ある種の共感を覚えた ということになるだろう。しかしながら、中村 による、ごんと兵十が一種の分身のような関係 であるという視点を受け入れたうえで、本稿の 立場で読みなおせば、兵十は、ごんという自分 の境遇と重なり合う存在がいて、なおかつ自分 に好意を寄せていたのだと「制作」したのだと いうことになる。「ごんの行為に感動した兵十 が最初に語り始め、それを聞いた村人がさらに 代々語り継いできたというわけである」[鶴田 2010:136]という捉え方が、通俗的なものだ ろうが、「物語り」として捉えなおしたときには、 兵十はごんが感動する行為を自分にしていた ということにした、 、 、 、 、 、 、 、ということになる。そして、 かようなごんという存在を、兵十は撃ち殺して 消し去ってしまうという出来事も「制作」する のである。自分自身で自分と分かり合える可能 性を持ち得る存在を消し去ったという出来事の 「物語り」によって、兵十はいかなる「現実と の和解」を成し遂げたのか。 自分と共鳴しうる存在を自ら消し去ったとい
う「物語り」は、恐らく、兵十が母を失ったこ とによる〈孤独〉を受け入れたということを意 味するのであろう。母を失うという「耐えられ ない現実」を、ごんという存在と自分との関係 を「制作」し、「物語る」ことによって「耐え られる現実」にしたのではないだろうか。これ から一人で生きていくという自己を、「物語る」 ことによって、定位したということになるだろ う。 Ⅳ -₃ 兵十=南吉の「母親殺し」:『おおきな 木』を補助線として ところで、西郷竹彦は〈孤独〉なごんの境遇 を、親の縁の薄かった作者新美南吉の生育歴8) と重ね合わせ、作者の思いが登場人物ごんに仮 託されているという読み取りも行っている[西 郷 1998(1968)]。これも本稿の立場で読みな おせば、南吉が仮託しているのは、ごんではな く、むしろ兵十ということになる。西郷のよう に兵十と南吉を重ねてみれば、これは南吉が〈独 り〉で生きていくということを受け入れたとい うことの表明であるのかもしれない9)。 仮にそうだとすると、南吉と兵十を重ね合わ せるという立場をとったとき、私たちは、ごん を、単なる兵十の分身的存在ではないと解釈す ることも可能になる。そのために、もう一つ、 ある絵本を補助線として用いてみたい。シル ヴァスタインの『おおきな木』[シルヴァスタ イン 2010](原題は The Giving Tree)は、り んごの木が少年(最後は老人になる)の欲する まま、自分のりんごの実や幹、果ては船を欲し た少年のために自分を切り倒すことも辞さない、 見返りを求めない深い愛を注ぐ(と読める)作 品である。この自分を傷つけてまでも少年に与 え続ける木の姿は、訳者村上春樹が述べている ように、純粋贈与者としての母親の姿に重ねる こともできる。 この木の姿をごんに置き換えてみよう。ごん が兵十の母の死後、見返りを求めるでもなく、 兵十に栗や松たけをもってくるのは、(兵十は 栗や松たけを要求していない点で『おおきな木』 とは異なるが)同様に純粋贈与者としての母の 姿であるともいえる。 しかもこの母としてのごんは、より人間臭い。 兵十が自分のいない間に何者かが栗や松たけを 届けてくれることについて、加助が神様がして くれたことだと諭したことを盗み聞きすると、 「おれがくりや松たけを持っていってやるのに、 そのおれにはお礼を言わないで、神様にお礼を 言うんじゃあ、おれは引き合わないなあ」とむ くれるのである。 親は子に見返りを求めずに愛情を注いで子ど もを育てる。その一方でたまに親子喧嘩になっ たとき、「誰に飯を食わしてもらってるんだ!」 と思わず口にしてしまう場合もあるだろう。純 粋贈与者でありながら、そういったことも言っ てしまう。お礼を言ってもらいたくて栗や松た けを届けているのではないのだが、自分が愛を 注いでいるのだけはわかってもらいたいという、 生々しい母親の姿もごんに見出せるのである。 自分にお礼を言ってもらいたいわけではないの に、自分がしてあげているのだということは分 かっていて欲しい、という微妙な思いは、従来 解釈の難しいところであったように思われるが、 母親の子に対する気持ちであると推論すると、 腑に落ちるのではないだろうか。 それでは、私たちはなぜ、あえてこうしてご んに「母」を見出そうとするのか。それは、母 性に恵まれなかった新美南吉個人の生育歴が存 在するからである。南吉は 5 歳で母親が亡くな り、父は再婚、異母弟も生まれる。だが結局父 はこの再婚相手と離婚し、南吉は実母の継母の 養子となる。つまり、血のつながらない祖母の 子となるのである。ところがこれもうまくいか なかったようで、彼はすぐに実家に戻っている。 「ごんぎつね」は、南吉 18 歳の作であるといわ れているが、彼は 18 歳にして、作中で母とし てのごんを消し去る(これはいうまでもなく、 単純な憎悪から消し去ったわけではない)とい うことによって、母親のいない〈孤独〉を「耐 えられる現実」にした、という読みもできる。 ただし、これではごんが兵十の母の死後、自 分の境遇と兵十の境遇を重ね合わせる発言「お れと同じ、ひとりぼっちの兵十か」の意味がな くなってしまうので、推論としては確からしさ に欠けるものである。また、テクスト論の立場 からすれば、作者と作品を都合良く切り離した り、接続したりするのは、「ご都合主義的」と
いう批判も出るだろう。その一方で、私たちは、 こうした読みを行うことで、単に客観化された、 日本語で書かれた文章の意味を了解するだけで なく、その文章を読むことを通してその文章を 書いた人間に触れることができるのだというこ とも、確かだろう。もちろん、南吉が本当にご んと母親を重ね合わせたのかどうかはわからな い。むしろ私たちは南吉自身も意識していない、 彼の深層を読んだことになるかも知れないのだ10)。
Ⅴ 結びにかえて:「哲学する」ための教
材研究に向けて
以上のように、「歴史の物語り論」を「ごん ぎつね」に援用すると、田中実のいう、「結末」 は、「始まり」だという提言を、より深めるこ とができるのではないだろうか。そして、「ご んぎつね」を「悲劇」として捉える視点から脱 却し、新しい視点が提示できるのではないか。 すなわち、これは兵十のある種の「希望」(独 りを受け入れて明日に向かおうとしている意味 で)の「物語り」でもあるのだと(もちろん、 独りで生きていく悲愴な覚悟という側面を強く 読みとれば、「悲劇」であることに変わりはな いかも知れないのだが)。 こうした新しい着眼点にもとづく教材研究を 行うことによって、私たちにはどのような授業 が可能になるか。その一つの可能性は、「〈孤独〉 を哲学する」ということだろう。人間が他者と 関わって生きていくのは、現代においては当然 であるし、不可避のことでもある。そのなかで 兵十は、自分と思いを分かち合える存在、ある いは「母」を打ち消すことを「制作」し、恐ら くそういった存在が今後身近に現れないであろ うことを悟ったのである(だから、〈孤独〉を 受け入れた)。この〈孤独〉を受け入れたとい う「物語り」を、先述の野家の言葉を借りれば、 兵十は「手垢にまみれた」言葉で村の人々に語 り、公共的な記憶となったのである。では、村 の人々は兵十の「物語り」をどのように受け止 め、兵十との関係を築いていったのか。彼は、 他者に物語った時点で、独りぼっちというわけ ではない。この兵十が選択した〈孤独〉の意味 内実を深めていくことは、人と人とが関わって 生きていくことが当たり前だと考える私たちに 大きな問いを与えてくれるはずである。自分の 話を聞いてくれる他者はいる。にもかかわらず 〈孤独〉を受け入れたということは、何を意味 するのだろうか。〈孤独〉という言葉は誰でも 知っている。しかし、「ごんぎつね」を読むこ とで、そのわかっていると思い込んでいる言葉 の意味内実を問いなおす機会を得るのである。 このように、本稿の結論は、従来のように「ご んと兵十の悲劇」として読んだ後で、子どもに 「問い」を立ててもらうための方策として、こ の「歴史の物語り論」の導入可能性があるので はないかということである。そのとき、第一次 感想として挙げられるであろう「きつねのごん がなぜ言葉を喋るのか」という問いを深めるか たちで、さらには、子どもに身近なマンガ11) をも補助線として用いれば、難しい問題ではあ るが、〈生きていく〉ということの一つの問題 を彼らなりに考えることも可能になるはずであ る。だとすれば、たいてい、本文の深い読みに は至らない段階の「浅い」読みとして、あるい は本格的な読解のための足がかりとして処理さ れそうな「第一次感想」とは、じつは最もその 作品にまつわる根源的かつ本質的な問いとして、 捉えなおさねばならないのではないか12)。「ご んはなぜ言葉を喋るのか」という問いは、 当た り前すぎてあえて問おうとはしないけれども、 実はテクストの解釈を左右する重要な問いなの ではないだろうか。 以上に論じたように、言語論的転回を経た言 語観、歴史観を国語科教育に援用し、これまで 主観的に「正しい」と思い込んでいたことを、 学習者の根源的な問いを深めるかたちで、再び 私たちの議論のテーブルに置き、単に「解答」 を求める学習ではなく、学習者が教師の援助を しながら「問いを立て」て、議論する(この営 みをとりあえず「哲学する」と呼んでおきたい) ことこそ、これからの国語科教育に必要なこと ではないだろうか。 また、いわば「歴史を哲学する」13)というこ とから「〈孤独〉を哲学する」授業を試みる(あ るいは、そのための新しい視点からの教材研究) という提案は、むしろ「道徳」の内容なのでは ないかという反論も、当然予想される。しかしながら、本稿で論じた「哲学する」ことの導入 を提唱する森田伸子が、ある不登校児の書いた 文章から、その不登校児において「知識、言語、 道徳はけっしてばらばらの別々のものではなく、 世界があることの不思議、それを不思議と思う、 言語を持つ人間という存在があることの不思議、 そして、そのような人間として生きるというこ との意味、これらのことが同時にここでは問わ れている」[森田 2011c:4]と述べているよう に、道徳に関することを問うことは、畢竟言語 を問うことにも接続されると考えることもでき る。 私たちが直接経験することができない、みた ことも、考えたこともないことを考える、すな わち、「他者」と出会うことは、言語という迂 回路をもって成立することである。つまり「哲 学する」ということは、そのまま言葉の教育に 接続されるのである。「哲学する」ということは、 情報を適切に選択し、読みとるという PISA 型 リテラシーにおける「思考力」ということに対 して、記号としての言語によって読み、書くこ との特質により目を向けた「思考力」の教育と はなりえないだろうか。道徳と国語を接続する ことは、特定の規範意識、イデオロギー注入の 装置となった歴史的経緯をふまえ、批判的に捉 えられてきた。しかしながら、言語教育が畢竟 「道徳」を問うことであるとするならば、私た ちは再びこの問題に立ち向かう必要もあるはず だ。 最後に、本稿の内容は、2011 年 8 月 19 日に 行われた、滋賀県小学校教育研究会国語部会主 催の「国語力アップセミナー」で筆者が担当し た講座「ごんとルフィの〈孤独〉を考える── 子どもが「哲学する」ための新しい教材研究」 の一部である。本講座では本稿で論じた内容に 加え、さらに親の縁の薄いルフィとごんを重ね 合わせ、なぜ一方が仲間を次々獲得し、他方は 仲間を得られないまま撃ち殺されることになっ たのかを考察した。現職教員約 50 名が本講座 を受講したが、事後アンケートの結果はおおむ ね好評であった。こうした新しい視点からの教 材研究を現職教員に提示することは、こうした 視点からの授業を彼らが今後行うか否かに関わ らず、なかなか新しい刺激を受けにくい環境に ある現職教員には新鮮な刺激となったのではな いか、つまり、現職教員が「哲学する」機会に なったということを、付言しておきたい。 要するに、重要なのは、本稿で提案した「ご んぎつね」の新しい読みを提示された人々が、 「あれ? 本当に『ごんぎつね』って、こんな話 だったっけ?」ともう一度読みなおすことであ る。このことこそ、まさに、授業は終わったと ころから始まるということである。本稿の内容 が、これからの教師教育にも役立てられればと 念じている。また、本稿の内容を、机上の提案 にとどめず、必要に応じて、大学教師である筆 者自身が現場でその可能性を試してみることで、 実際に子どもと対話しながら、どのように「哲 学する」ことを営むのかという実践的課題にも、 今後取り組んでみたいと考えている。 注 ₁)なお,西郷は「悲劇」の質を追究し,「お城」 の描写や加助との関係から,この「悲劇」は個 人的なものではなく,封建社会が生み出した「社 会的な悲劇」であると論じている[西郷 1998 (1968):159ff.]。 ₂)国語科教育において,野家らの研究成果を援用 しながら,ナラティヴ narrative という概念を 導入した代表的存在は松本[2006]であるとい えるが,本研究は,松本のように,(松本は「ご んぎつね」も事例にして考察しているが)学習 者の文学体験と「物語る」ことを接続する(学 習者が「自己の存在を意味づけ,世界を意味づ けるという行為」[127]に着目した)ものでは なく,作品自体が「物語り」構造を有している と捉えなおしてみるという点で異なる。 ₃)歴史学研究が言語論的転回をいかように受け止 めたかについては,小田中[2009]などを参照。 また,歴史において独立した「事実」が存在し うるのか,という問いが言語論的転回以後の歴 史学のなかで議論となったわけだが,これらの 議論をふまえて,西洋史家の遅塚忠躬は,「揺 らがない事実」を度外視して過去想起説を適用 することの誤りが明らかになれば,野家の歴史 哲学全体は崩壊すると述べている[遅塚 2010: 195]。 ₄)鹿島徹のように,リクールのみならず,マッキ ンタイアが『美徳なき時代』で用いた「物語り 的自己性」が援用されることもある[鹿島 2006:178ff.]。リクールと似たような用語であ
るが,こちらの場合,自分の人生は歴史のなか の一部で,「伝統の担い手の一人」である「私」 の役割が強調されているのではないかと思われ る。こうした発想を社会学に援用し,「社会学 的自己論」を論じた研究として,浅野[2001] を参照。 ₅)この問題に質的心理学の立場からアプローチし, 大切な人の喪失を「語る」ことによる「生成」 に着目したのが,やまだようこの研究であると いえる。その集大成的な著作として,やまだ [2007]を参照。 ₆)矢野智司は,こうした擬人化された動物が主人 公の動物絵本を考察し,有用性に生きる人間が ときに無用性に生きる野生の動物たちの世界に 入ることで,自分が人間であるということを知 ることが,脱人間化の体験の一つの意味だと述 べ,「教育」という営みにおける,「発達」に対 置される「生成」を論じている[矢野 2002]。 ₇)「推論」という用語をあえて用いたが,鹿島や 貫は,この後の引用のH(「ごんぎつね」の事 例では「反省,後悔」)が見出される論理は,C.S. パースの「アブダクション」に近似していると 指 摘 し て い る[ 鹿 島 2006:38f.; 貫 2010: 47etc.]。アブダクションについては,米盛[2007] を参照。近年国語科教育でも,アブダクション を援用した実践事例の報告がある[cf. 佐藤 2011, 2010;舟橋 2009etc.]。アブダクションの 意味内実については,稿を改めて,パースの思 想まで遡って厳密に検討したいと考えている。 ₈)新美南吉の生育歴は,斎藤[1973]などを参照。 ₉)ちなみに,西郷[1998(1968):132ff.]で論じ られているように,「ごんぎつね」第六節にお いて,兵十がごんを撃ってから駆け寄り,言葉 をかけるくだりの描写には実際に行うであろう 動きや言動と比べると違和感を感じる部分が多 いと考えられている。細谷直樹も西郷の論述を ふまえ,さらに西郷を乗り越えるかたちで自然 な描写にするにはどうすればよいかを提案し, 現状の「ごんぎつね」は教材にふさわしくない と述べている[細谷 2004]。ほとんど余談的な ことだが,こうした不自然な描写も「過去の制 作」であると考えれば,不自然であってもよい, と説明できる。 10)こうした,言語化された文章を通して作者の深 層を「読む」という試みは,時枝誠記における 言語表現/理解の行為における「個物の一般化」 という独自の言語観[時枝 2008(1955)]に示 唆を得ている。「個物の一般化」を検討したも のとして,渡辺[2011, 2010:118f.]を参照。 また同様の言語観を援用して,「空中ブランコ 乗りのキキ」(三省堂中 1)の教材研究を試み たものとして,渡辺[2012]を参照。 11)マンガなどのサブカルチャー教材を用いる提案 は,町田守弘が近年盛んに行っている[町田 2005etc.]。町田は,学びから逃走する(佐藤学) 子どもたちに接近するために,サブカルチャー 教材の適用可能性をみているようである。「マ ンガ」の教材開発については,改めて論じたい と考えている。 12)子どものささやかな問いを,私たちの存在を問 い直す「根源的な問い」として捉え,こうした 問いをもとにして「哲学する」ことを論じたも のに,森田[2011c]がある。本稿の内容は, 森田の提唱する哲学教育と重なり合うものがあ る。また森田によれば,フランスの中等教育機 関であるリセで施される哲学教育とは,知識と しての哲学を教えるというのではない。すなわ ち「人々が常識的に知っていると思い込んでい ること「ドクサ」を,厳密に批判的な方法によっ て解体し,真理へと向かうソクラテス的な思考 の様式を教育すること」[森田 2011a:69]を 目的としているという。 13)本稿では紙幅の都合から本格的に論じることを 控えるが,他の教材でも「歴史の物語り論」を 援用できると思われる。またそれは文学作品に 限らない。たとえば,「千年の釘にいどむ」(光 村小 5 下)は,千年もつ釘をつくるために奮闘 する白鷹幸伯氏を追ったドキュメンタリー的説 明文であるが,白鷹氏が千年後の職人に笑われ たくないという,「歴史への参加」への思いを もっているがゆえに,しごとにこだわりをみせ るという点は,後世に語り継がれることを無意 識的に期待するルフィの姿と重なるところが あって,非常に興味深い。「歴史に名を残す」 ということの意味を深める授業ができると思う。 引用・参考文献 浅野智彦『自己への物語論的接近──家族療法から 社会学へ』勁草書房,2001 年。 ハンナ・アーレント『過去と未来の間』引田隆也・ 齋藤純一訳,みすず書房,1994 年。 内田樹「解説 街場の『ONE PIECE』論②──新時 代を生き抜くためのしなやかなコスモロジー」 尾 田 栄 一 郎 / 内 田 樹 解 説『ONE PIECE STRONG WORDS』下,集英社新書,2011 年。 大森荘蔵『時間と自我』青土社,1992 年。 尾 田 栄 一 郎『ONE PIECE』1-65, 集 英 社,1997-2012 年。
尾田栄一郎/内田樹解説『ONE PIECE STRONG WORDS』上下,集英社新書,2011 年。 鹿島徹『可能性としての歴史──越境する物語り理
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