• 検索結果がありません。

現代証券市場の基礎構造 : 寡占化と機関化(Ⅰ)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "現代証券市場の基礎構造 : 寡占化と機関化(Ⅰ)"

Copied!
21
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

25        ネ

現代証券市場の基礎構造

寡占化と機関化(1)一

塊  藩

学 はじめに:構造分析の目的と方法 1.戦前期の証券市場 II.復興期の証券市場 III.高度成長期の証券市場………以上本号 IV.金融自由化期の証券市場 V.国際化および構造調整期の証券市場 はじめに:構造分析の目的と方法  本稿の目的は,80年代以降急速に変貌しつつある現代証券市場の諸現象な いし諸問題を実体経済の資本蓄積構造の変化と結び付けて統一的に把握し分 析するための分析枠組みを構築すること,その基礎構造並びにその変化の特 徴を明らかにすることである。  ここで「構造」という用語にはさしあたり次のような方法的な意味が込め られている。証券市場において何等かの新しい諸現象ないし諸問題が生じた 場合,その現象を従来の市場参加者の通説的行動(およびその理論モデル) によっては十分に説明出来ない場合が生じる。この時,従来の理論モデルを 修正してゆく方向として,次の2つのものが考えられる。第一は,従来の理 論モデルないしそれが包含してきた市場観(パラダイム)と現実とのギャッ *本稿の研究にあたり,1988年度および89年度の教育研究学内特別経費による援助を受け  ました。

(2)

26  彦根論叢第265号 プに対し再検討を加えることである。第二は,従来の理論モデルが包含して いたパラダイムの大枠は維持しつつも与件をより現実的なものに変形ないし 追加し,モデルの複雑化ないし拡張を行おうとするものである。もちろん両 者の区別は相対的なものであるが,後者がモデルの量的もしくは外延的側面 に関心をもとうとするのに対し,前者はモデルの質的もしくは内包頬側面に 関心をもとうとするものである,と言えよう。我々が「構造」を問おうとす るのは主として前者に関わる問題性を追求し,これを議論の主たる対象とす るためである。もとより証券市場は孤立したものではなく,他の金融市場, 外国為替市場,海外金融市場との相互依存性・代替性を強めており,また世 界的スケールで進行しつつある再生産構造の国際化・情報化とも密接に連関 して.いる。その意味で「証券市場の構造」はこうした外的諸要因の変化とも 密接に連関しつつ,また独自の内的な運動様式を持つものとして二重に把握 されねばならない。  さて,「証券市場」はややもすると「ゲキタク売買」に象徴されるよつなワ ルラス型完全競争市場の貴重な実例とされてきたが,果してそのイメージは どの程度現実を近似しえるのか,という素朴な疑問がわれわれの出発点であ る。また1929年の株価暴落と87年のそれとは実体経済への影響という点にお いて著しく相違しているが,こうした違いは国家の経済過程への介入という 事態と無関係ではないであろう。さらに経済理論においてはしばしば「企業」 とは,アトミックで同質的な・生産に関する意志決定主体と考えられている が,例えばGMやIBM, AT&T,ベクテル社,三菱重工業,トヨタ自動車, 松下電器産業などの世界企業は海外に多くの生産・販売拠点をもち,多くの 子会社(金融子会社を含む),関連会社,下請け企業を擁する国際的企業グル ープとも呼ぶべきものとなっている。さらに,株式の相互持ち合い(日本の 場合)や持株会社(アメリカの場合)による資本結合,社長会等による定期 的協議の開催,役員兼任関係,融資関係,業務提携,研究所やシンクタンク の共有,巨大プロジェクトの共同受法統一した商標の使用や広報宣伝活動 などによって他の巨大企業や巨大金融企業・巨大商社と多角的に結合ないし

(3)

現代証券市場の基礎構造   27 図1 寡占型 資金配分の効率性 完全競争型 資金配分の非効率性 協調し,生産一販売一望費一章融一文化(そして国家機構もノ)の再生産全 般にわたる巨大な企業集団を構成している。こうした国際的企業集団の行動 によって引き起こされた経済構造の国際化や寡占化は当然証券市場の構造や そのパフォーマンスを変化させずにはおかないであろう。こうした諸点を明 らかにすることこそ構造分析の主眼である。  証券市場をどうみるかという場合,その分析基軸として市場構造に関わる ものと市場成果に関わるものを設定してみよう。市場構造に関しては「完全 競争型」と「寡占型」を両極として,その中間に様々なスペクトラムを考え ることが出来る。市場成果に関しては「資金配分の効率性」とその「非効率 性」を両極として設定しえよう。  このような分析平面おいて伝統的または主流的な考え方はAの位置で示す ことが出来る。すなわち,市場が完全競争的で情報効率的(informational efficiency)であれば,将来性があると期待される企業ないし産業のネット・ キ・ヤッシュ・フローの現在価値は高く,当該企業の株価は,均衡においては 期待配当もしくは期待収益を市中長期金利で資本還元したものと等しくなる。 従って収益力の高い企業ほど株価は相対的に高くなり,時価発行増資などの 方法によって有利に資金調達を行うことができる。将来収益力の高い有利な 企業はそれだけ多くの資金を低コストで入手できるから,資金の配分はただ

(4)

28  彦根論叢第265号 株価が利用可能な情報を十分かつ迅速に反映しえるように情報公開制度を整 備し(さらに取引コストや税負担を低め),できるだけ行政的な介入を排除し て市場の自由な需給の変動に委ねることにより効率的な資金配分が自動的に 達成されて行くと考える。このような議論の典型として「効率的市場仮説」        1) や「M=M理論」を挙げることが出来る。  「効率的市場仮説」の問題点としては,①株式を支配証券,ないし資本結 合の一手段としてとらえておらず,従って株式取得の目的を投資収益を目的 としたものに一面化していること,②株式投資家を個人投資家のような同質 的なものとみなしていること,③株式市場を国家介入のない完全競争的な市 場構造を持つものと見なしていること,④証券市場の均衡はマクロ的にみれ ば貯蓄と投資の均衡の一部分をなすものであるにも関わらず,この理論では 投資(資本蓄積)など実体経済との関連が不問であること,などである。  次に,別の議論の典型は奥村氏の「需給株価論」(羽中のB)である。氏は 株式をたんに利潤証券や物的証券とみるのではなく支配証券としてもとらえ, また現代経済の特質を法人の株式相互持ち合い等によって重層的に資本結合 したビッグ・ビジネスからなる法人資本主義ととらえる。その前提の上で流 通株式の慢性的供給不足が構造化され,さらに大手証券会社による証券市場 の寡占化状況のなかで,株価は実態経済との連関を希薄化させ,クロス売買 や取引所外の直取引などの手段によって株価は管理しょうとすれば容易に管 理しえる対象となっていると主張する。その結果時価発行増資によるプレミ アム獲得などの「現代の錬金術」が可能となる反面,株高がもたらした歪み として企業の実物投資への健全な意欲を喪失させ投機化させること,過剰資 1)効率的市場仮説のわかりよい説明としては米沢康博「合理的期待形成と効率的川場仮 設」,計測室テクニカル・ペーパー(日本証券経済研究所)No. 56,1982, Augustを参照。 またM=M理論についてはF.Modigliani and M.H. Miller:The Cost of Capital, Corporation Finance and The Theory of lnvestment, The Amen’can Economic Review, vol. XLVIII, June,1958を参照。株価指数先物を用いたランダム・ウォーク仮説 の実証的検討については芹田敏夫「株価指数先物の変動について」,『証券経済』日本証 券経済研究所,第171号,1990.3参照。

(5)

       現代証券市場の基礎構造   29 本の整理を遅らせるなど不況を長期化させ産業の再編成を遅らせる可能性が       2) あること,企業間の資金調達格差が拡大すること,を指摘されている。さら に証券市場の寡占化は,発行会社の株式を買占め,これを高く買い取らせる ことによって利益を得ようとする投機化グループによる乗っ取りがらみの株 式投資を横行させるなど,法人資本主義の腐食化を進行させるとともに,個 人投資家の証券市場からの離反を進行させ,将来の株式市場が法人だけの一 人相撲のもとで無意味なものとなり,法人資本主義の危機が進行してゆく可 能性をも示唆されている。  ここであらかじめ筆者の立場を述べておけば,今日の現実の証券市場,と くに日本の場合はCの位置にあると考える。というのは,本質的には証券市 場は自由市場であり,とりわけ金融の国際化が進行している状況の下では, 株価操作はグローバルかつ長期的には管理不可能である。しかし限界的かつ 短期的には操作可能であり,また国家による増資調整や起債調整などを含む 種々の介入や調整がこれまで行われてきたし,またブラック・マンデーに際 しても行われた。例えば,当時,連邦準備銀行と市中金融機関の間のオンラ イン・ネットワーク(Fed Wire)が有効に機能し決済システムの混乱を謡い         3) だ,と言われている。さらに証券市場を通じた資金配分は企業集団に属する 企業に相対的に有利に行われていると見られる。こうした諸点を総合的に考 慮すれば,Cの位置が妥当と考える。  次に,証券市場の市場構造について考察を加えておこう。通常,寡占市場 は完全競争市場の概念的対立物と見なされるから,その構造を問題とする場 合にはさしあたり完全競争の構成要件が検討の対象となる。ただし証券市場 の場合には発行市場と流通市場があり,会員制の取引所市場と店頭市場があ る。これらを考慮して証券市場の構造に関しては以下の要因が重要である。 (1)情報効率性と公平性:投資家が企業ないし産業の将来性に関し適切な 見通しを持てるよう企業の投資収益に関わる情報が十分かっ迅速かつ公平に 2)奥村 宏著『株価はこうして決まる』,ダイヤモンド現代選書,1979.6,p. 208。 3)経済企画庁編『経済白書平成元年版』P.333。

(6)

公開されているか,またインサイダー情報を利用した取引が行われていない かどうか。 (2)市場集中の原則:株価が全ての需給を集中統合して形成されているか。 (3)共謀の非存在:金融機関,発行企業や証券会社などの証券市場におけ るゲームの参加者は互いに共謀ないし利益の共有をせず,資本結合や融資関 係,役員兼任などを行わず,互いに独立または競争的に行動するか。 (4)投資家の同質性:投資家は自ら企業情報を分析し,それを実行しえる 十分な知識と資金能力(ないし資金調達力)をもつような同質的な存在であ るか,また投資家は投資収益の最大化とリスクの最:小化のみを追求する同質 的な投資目的をもつ競争的な経済主体(これを「単純で同質的な投資家」と 呼ぼう)として行動しているか。 (5)株価管理の不可能性:市場は十分競争的であり,人々はプライス・テ イカーとして行動し,仕手集団などにより特定株価を意図的に操作すること は不可能であるか,また機関投資家などの大口売買は市場価格の形成に何等 影響しないか。 (6)証券発行市場への参入障壁:証券発行による資金調達はどのような企 業にも自由に利用可能であるか。 (7)証券業界への参入障壁:証券業界への参入は自由か,また証券業界は 競争的か。 (8)投資銘柄の無差別性:投資家にとって同一の投資収益率(ないし期待 収益率)をもたらす有価証券は無差別であるか。 (9)証券市場への国家介入の非存在:直接,間接の手段による証券市場へ の国家介入は行われていないか。国家機関との人的結合はないか。  我々が証券市場の構造変化ないし寡占化と言う場合,こうした諸要因の変 化を念頭においている。  次に,現代の証券市場の構造変化と株価形成の連関性ならびに構造分析の 重要性の一端を知るために,いささか断片的ではあるが興味深い若干のデー タを提示してみよう。図2はNTT株の1987.2.16∼1989.9.4の127週間の毎週

(7)

数80 度 60 40 20       現代証券市場の基礎構造 図2 NTT株収益率分布      (1987.2.16一一1989.9.4) 73 49        i  V///M  V////M   3 i

 o

   −O.3 一〇.2 一〇.1 O O.1 O.2 O.3 O.4     1   s i  l s   s   l   l    −o.2 一〇.1 o e.1 o.2 o.3 o.4 o.s (注) 期間は127週。収益率は毎週月曜日の終り値の増加率をとった。 (出所)株式会社ダイツーより株価データを購入し,作成。 収益率 31 月曜日の終り値による増加率の分布をみたものである。株式投資の収益率は インカム・ゲインとキャピタル・ゲインからなるが,日本の場合配当政策の 特殊性もあってインカム・ゲインは極めてわずかである。従って増加率は株 式投資収益率の代理変数とみなしてよい。NTTは国際情報通信時代に羽ばた こうとする日本一の超巨大企業であり,民営化によって国内電気通信事業の 独占は切り崩されたとはいえ,誰しもその将来性を疑う者はいない。NTT株 は国債累積にともなう財政圧迫の切札として1985.4.1の民営化後,1987.2.9 に上場公開され,当初の公開価格は119万円であったが初値が付かず,翌10B に160万円の初値が付き,87.4.22には318万円の最:高値を記録した。87.11.12 には第二回,88.10.21には第三回の売り出しが行われ,政府は合計10兆円を 超える「創業者利得」を手にいれた。NTT株の放出によりほぼ51万人(87年 中)の個人株主が増加したが,しかし国民の期待をよそにNTT株は下落を続 け,1990年春には公開価格以下となった。この期間の週増加率の最大値は34. 0782%,最:小値は一11.5385%,平均値は0.00098%,標準偏差は0.051782で

(8)

彦根論叢 第265号 図3 法人株式所有比率とTOPIX年平均株価の相関 (注1) (注2) (出所) 8 7  ρU      =﹂      4

TOPIX年平均株価

3 ご  コ  ︸ ξぎ

 2

 0 20 40 60 80 O/.

     法人株式所有比率 法人とは,投資信託を除く金融機関と事業法人。 TOPIX年平均株価は対数表示。期間は1949一一87 『東証要覧1989』より作成。相関係数は0.9603 ある。この週増加率の分布は明らかに正規分布とは異なる特異な分布構造と なっており,また87年から88年にかけての東証一部の株式投資収益率の年率 11.3%(ただしインカム・ゲインも含む。週率では0.27489%)と比較しても 著しく低い。NTT株価の動きは,株価が単なる企業の将来性によって決まる のではなく人気と投機性に基づく株価形成がいかに重要であるかということ の一証左である。  次に,図3は1949年から1987年の39年間の法人株式所有比率とTOPIX年平 均株価との相関を見たものである。株価の方は自然対数表示である。ここで 法人とは投資信託を除く金融機関と事業法人等をさす。法人株式所有比率は 日本の企業集団による株式の相互持ち合い構造を反映すると考えられる。(例 えば『系列の研究1990年版』によると東証1部の上場会社で金融・証券を除

(9)

       現代証券市場の基礎構造   33 いた企業は88年3月で986社あるが,このうち6大企業集団に属する企業は 577社であり,使用総:資本の68%,売上高の75%を占めている)相関係数は0. 9603と極めて高い。  われわれはこうした諸点を念頭におきながら,まず証券市場の歴史的発展 を振り返ってみよう。ここでの眼目は証券市場構造の寡占化と機関化であり, その変化を実体経済の資本蓄積構造の変化,企業集団との関連,国家の介入 という諸点に力点をおいて考察してみたい。 1.戦前の証券市場  日本の株式取引所は早くも1878年に開設されたが,戦前は上場銘柄もごく 少数であり,投機的な清算取引(仕切り売買による先物取引)が中心であっ た。また国民貯蓄の零細性という要因や,「財閥系企業は,自己金融中心でフ       4) アイナンスしていたため,その株式が市場に出回らなかった」という事情も あり,株式市場の国民経済における産業資金調達手段としての役割は極めて 小さいものであった。他方,公社債市場は第一次世界大戦を画期として日本 経済の重化学工業化の進行,新興財閥系大企業の台頭に伴い若干の発展をみ た。1925年には野村証券が誕生(大阪野村銀行証券部から分離独立)し,1928 年目は「社債黄金時代の現出圭と言われる活況が生じた。しかし公社債市場 も流通市場は依然として未発達であり,また発行市場も大銀行(受託銀行)       5) に大きく依存するなどその役割は極めて限定されていた。日本経済は世界恐 慌後の慢性的不況や満州事変(1931.9)をへて戦時経済へと漸次的に突入し ていったが,金融・資本市場は強力な国家統制の下に置かれ,金融構造の再 編成(主なものは内外金融市場分断のための外国為替管理法の制定,社債の 有担保原則の導入,銀行合同,1県1行主義により形成された地方銀行体制, 農業会による配給機構の系統金融組織への再編成,4大証券体制の確立など) が進められ,戦費調達のための手段へと変質させられていった。特に1932.11 4)日本銀行金融研究所『新版:わが国の金融制度』1986.8,p.520。 5)同上,p.539。

(10)

34  彦根論叢第265号 には日本銀行引受による国債発行が開始され,それは管理通貨制度への移行        6) とともに臨時軍事費特別会計を通じて強力な戦費調達の主要手段となった。 また1937.9には最初の日華事変公債1億コ口発行されている。1943−4年には 野村証券が第一証券と久保田証券を,山一証券は小池証券を,日興証券は共 同証券と川島屋証券を,大和証券は藤本証券と日本信託銀行をそれぞれ吸収 し,現在につながる証券業界の4社体制の基礎がつくられた。 II.復興期の証券市場 戦後はGHQ主導のもと,軍事力の解体と持株会社を頂点としたピラミッド 型の資本結合=財閥などの前近代的な経済制度の民主化が行われたが,証券 市場にかんしてはアメリカの証券取引法を手本として投資者保護と資本市場 育成の観点から証券の民主化,株式の大衆化が追求された。具体的には,① 財閥解体と独占禁止法の制定,②財閥株の大衆放出,③証券取引法の制定と 取引所の再開,が重要である。  ①については1946.8に持株会社整理委員会(HCLC)が発足し,10大財閥家 族と持株会社など83社を指定し,その株式を没収した。この株式の大衆放出 は証券処理調整協議会(SCLC)が扱うこととなった。しかし実際に解体され たのは財閥本社など28社と,三井物産,三菱商事,国際電気通信,日本電信       7) 電話工事の合計32社にとどまった。さらに1947.12には過度経済力集中排除法 が49.6までの時限立法として成立し,HCLCは合計325社を指定したが,これ も最終的には18社にとどまり,企業分割11社(日本製鉄,三菱重工,三井鉱 山,三菱鉱業,山鼠(住友)鉱業,王子製紙,帝国繊維,大権産業,東洋製 罐,大日本麦酒,北海道酪農協同),工場処分3社(日立,東芝,日通),株       8) 式処分4社(帝国石油,日本化薬,松竹,東宝)にとどまった。また47.4に は独占禁止法が公布され,カルテル行為や持株会社の禁止,事業会社や金融 6)同上,p.521。 7)神田文人『昭和の歴史8』P. 223。 8)同上,P.287。

(11)

現代証券市場の基礎構造   35 表1 復興期の証券市場年表 金融・証券 1945 GHQ「証券取引所に関する覚書」     市場再開にはGHQの承認必要 1946.2金融緊急措置令(新円切り替え) 1946.8 持株整理委員会発足 1947.4 1947.7 独占禁止法公布     証券処理調整協議会,財閥持株の放出を    開始 1947 持株整理委員会,83社の持株会社と10財    閥家族を指定 1948−50再建整備法にもとつく銀行,事業法人の    増資や株式公開あいつぐ 1948.4 改正証券取引法公布 1948 第一次株式ブーム 1949.1 1949.5 1949秋 1949 GHQ,取引所再開にあたっての3原則提示 3大証券取引所再開 恐慌相場 個人持株比率64.8%に増加 1950.5信用取引のための証券金融機関設立 1951.6信用取引制度発足/証券投資信託法 1951  日本開発銀行設立(復興・金融公庫廃止)/     日本輸出銀行設立/貸付信託法 1952 長期信用銀行法 1953。3スターリン重体説により株価10%の暴落    投信額面割れへ,株価低迷 1953.10−54.3金融引締め 1953 独占禁止法改正,不況・合理化カルテルの    容認,金融機関の持株制限を10%まで緩和 1953 有価証券のキャピタルゲイン,非課税に 1954.6資本充実法 政治・経済動向 1945.8終戦 1945.11GHQ,財閥解体指令 1946.11日本国憲法公布 1946  経団連設立 1946−49戦後インフレーション 1947.12過度経済力試中置除法 1947.12臨時金利調整法 1948.2 集中排除法の対象257   社を指定(最終的には18   社処分) 1948.12GHQ,経済安定9原則    発表 1949.3 ドッジ・ライン発表 1949.4 1ドル=: 360円の一単一    為替レート設定 1949.5 外為法,資本取引は原    足禁止 1950 外資法/資産再評価法 1950.6 朝鮮戦争勃発/特需景    気おこる 1951.4 住友系,白水会発足 1951.9対日講和条約調印/日    米安保条約調印 1951−2特別償却制度や各種準   備金・引当金制度設けられる 1952.5 日本,IMFに加盟 1954 三菱商事再建: 1955ごろ三井物産(第一物産)

  再建

(12)

機関の5%以上の他社株式の保有が禁止された。一方,金融機関については 「財閥解体においてまったく手がつけられず,ほとんど無傷のまま生きのび   9) ていた」と言われている。  ②については,1947.6に証券処理調整協議会(SCLC)が設立され,戦前の 財閥株を中心とした3億5700万株,約200億円(この規模は1946.3の払い込み       10) 資本金の42%に相当)の売却が行われた。実際の売却はSCLCが4大証券会社 の引受シンジケート団に一括して株を買い取らせ,GHQの指導の下に証券会 社が売り出しを行った。「証券民主化」のかけ声にも関わらず極東情勢の悪化 に伴う対日政策の転換とともにほぼ40%の財閥関係株式は旧勢力に還流した       11) と言われている。  ③については企業内容の公開,証券業の登録制,会員組織の取引所の設立, 銀行・証券の業務分野規制(65条)などを定めた証券取引法が1948.4に公布 され,今日につながる証取法の原型がつくられた。とくに,65条により銀行 と証券業者とはそれぞれ短期金融と長期金融の担い手として役割分担され, 金融市場の近代化と金融秩序の安定化が期待された。また取引所の再開にあ たっては「3原則」が提示され,時間優先の原則,仕切り売買の禁止と取引 の市場集中原則,先物取引の禁止が命令された。  こうした諸改革の結果,旧財閥は銀行を中心とした新しい企業集団として 再結集してゆく素地を固めたが,他方「証券の民主化」によって個人持株比       12) 率は45年度末から49年度末にかけて51.9%から64.8%へと急上昇した。  復興期の経済は激しいインフレの進行の中で,日銀信用に支えられた復興 金融公庫による重点投資=傾斜生産方式による再建が意図された。47.12には 臨時金利調整法が制定され,政府・日銀が金融機関の預金・貸出金利の上限 を規制し,金利体系に介入してゆく法的根拠が与えられた。しかし激しい労 9)柴垣和夫『昭和の歴史9』P.92。 10)瀬川美能留『私の証券昭和史』p.52。 11)同上,P.54。 12)岡崎守男・濱田博男編「現代日本の証券市場』p.5。

(13)

       現代証券市場の基礎構造   37 働争議のつづく中,ついに占領軍は「経済安定9原則」を提示し(48.12), 賃上げ抑制と人員整理を強行しつつ,為替レート設定のための環境づくり= ドッジ・ラインに乗り出した。  1949.5には3大証券取引所が再開されたが,ドッジ・ラインによる強力な 引締め政策の中で,恐慌相場が現出された。これに対し増資等調整懇談会の 発足などによる相場の安定=株価対策が意図されたが十分な効果は得られな かった。具体的には,部分的な仮需要導入のための信用取引とそのための信 用供与機関として「日本証券金融」が設立された。日証金の資金の大部分は        13) 短資業者を経由した日銀信用が導入されたと言われている。さらに,大衆の 貯蓄を市場に導入するために大蔵省が中心となって新しい投資信託が構想さ れ,GHQの反対もあったが将来の分離を条件に,証券会社の投信兼営が認め られた。(1959.12大手証券4社,投信分離)  ドッジ・デフレのなかでゆきづまった企業金融を打開するため,49.6には 日銀信用に支えられた社債発行促進制度が導入され,日銀が適格と認めた社 債(日本銀行適格社債事前審査制度)には金融機関に対し日銀借入れの担保 とすることを認めた。こうした状況の中で49.4には1ドル=360円の単一為替 レートが設定され,同年5月には資本取引の原則禁止を定めた外為法が施行 された。  1950年の資産再評価法の狙いは「減価償却引当金の増大とそれにともなう        14) 計上利益の圧縮をとおして節税し,自己金融基金の造出を促進すること」に あった。再評価積立金の資本組み入れば4分の3まで随時可能となり,折か らの朝鮮特需ブームの中で企業業績は好転し,企業による増資が無償,有償 組合せて行われた。「三度にわたる措置によって再評価を実施した法人は5万        15) 2000社に達し,再評価の前後の帳簿価額差は1兆3435億円」となった。  朝鮮特需や資産再評価の実施,各種特別償却制度や準備金・引当金制度の 13)同上,P.7。 14)同上,p.8。 15)同上,p.9。

(14)

38  彦根論叢第265号 導入により,戦後処理は終わり,GNPは戦前水準を回復した。占領軍の,長 短金融を銀行と証券会社に役割分担させるという金融再編計画は銀行と企業 の強力な結び付きの前に後退していった。49年から55年にかけて金融機関(除 く投信)と事業法人の持株比率は15.4%から32。7%に上昇し,かわって個人       16) のそれは69.1%から53.1%まで低下した。53年には独占禁止法が改正され, 金融機関の持株制限は10%にまで緩和された。講和条約の発効にともない「三 井」「三菱」「住友」などの旧財閥商号の使用が解禁され,社長会が発足し始 めた。また財閥解体で徹底的に破壊されたはずの三井物産,三菱商事も再統        17) 合により復活・再建していった。  1951年には日本開発銀行(復金の後身)が設立され,電:力,鉄鋼,海運』 石炭などの基礎産業に対する長期資金供給体制がつくられ,また同年には日 本輸出銀行が設立され,貿易金融を担うこととなった。52年には長期信用銀 行が設立され,資金調達手段として金融債の発行が認められた。その他,貸 付信託法,相互銀行法,信用金庫法などが制定され,日銀,都市銀行を機軸 とし,長期信用機関や各種専門金融機関,政策金融機関をその補完とする規 制金利体系と起債統制にもとつく金融制度の骨格が形づくられた。こうした 中央集権的な間接金融優位の金融構造の中で証券市場は限界的な資金調達者 としての地位に甘んじなければならなかった。 III.高度成長期の証券市場  高度成長期には巨大な民間設備投資や設備の近代化に伴う慢性的な資金不 足状況の下で(戦後民主化によってほとんど手が付けられなかった)都銀に よる系列融資や重点的産業へのワンセット型競争融資,日銀信用に依存した オーバーローンなどが行われ,間接金融優位の金融構造が確立・発展した。 公定歩合は低利に固定され,レバレッジ効果を高め,自己資本比率は53年上 ユ6)株式所有分布の数値は東京証券取引所『東証要覧1989』による。以下同様。 17)柴垣和夫:前掲書,P.91。

(15)

       現代証券市場の基礎構造   39       18) 期の41.1%から63年下期の28.7%へと低下した。財政政策も国家資金を産業 基盤整備に優先的に投下するなど,経済成長を促進した。新興工業分野の投 資に対しては機械工業振興臨時措置法(56年),電子工業振興臨時措置法(57       19)年)により,低利の国家資金の優先的供給や税制上の優遇措置が取られた。 高度成長期の資金フローは,「資金余剰部門から不足部門への資金の流れのな かで金融機関の占めるシェアは70年代末まで約90%の水準で推移し」,「形態         的には貸出によるものが75年までつねに全体の70%をこえていた」と言われ るような絶対的な間接金融の優位時代であった。  こうした間接金融ないし都市銀行の圧倒的優位のなかで58−61年ごろ証券 市場は投資信託と大量推奨販売を対抗手段として善戦した。(56.11オープン 型投資信託登場,61年には設定額は1兆円を突破)55−6年ごろには臨海コン       21) ビナート建設があいついだがこの株式を金融機関が積極的に購入した。また このころ,リスク商品である株式の利回りが確定利付き証券の利回りを下回 るまで買われるという「利回り:革命」が世界的に発生し,成長株が人気を博  22) した。  1959.3には証券会社と投資信託が癒着し,株価i操作したのではないかとい う疑惑が国会で問題となった。証券会社が企業の幹事証券の座を得るために, 投資信託の株式運用の中にその企業の株を集中的に購入させ,株価を釣り上 げたとするものである。こうした状況の中で,59.12には大手4社は投資信託 運用部門を投資信託委託会社として分離独立させた。61.1には公社債投信の 募集が始まったが,流通市場のない公社債はときに証券会社の手持ちとなり, 収益の圧迫要因となり,のちの証券不況の一因となった。50年代後半以降, 4大証券会社は株式売買の5割,引受業務や公社債販売の8割を占め,証券 18)岡崎・濱田:前掲書,p.16。 19)同上,P.15。 20)同上,P.48。 21>同上,p.18。 22)同上,p.18。

(16)

彦根論叢 第265号 表2 高度成長期の証券市場年表 金融・証券 1955.7−56末金融機関相場,金融機関は積極的に    株式を購入 1956.4債券売買市場を11年ぶりに再開,62年閉    鎖へ 1956.11オープン型投信導入 1950年代後半4大証券,株式売買高の5割,引受    業務や公社債販売の8割近くを独占 1958−61投信“黄金時代”「投信相場」ブーム     企業の増資活発化,幹事証券争い 1959.3投信と証券会社の癒着が国会で問題に 1959.12証券大手4社投信を独立会社に分離 1960ごろ第一次外人投資ブーム「 1961.1公社債投資信託発足 1961.6流通市場不備のため公社債投信不振 1961.7株価,長期低迷へ 1961.103取引所に市場第二部開設 1961 ソニー,米国でADR発行第一号 1962  日銀,証券会社に対し市中銀行を経由し    計116億円の公社債担保金融を実施 1962  日立製作所,米国で転換社債発行第一号 1963.2 店頭登録制度発足 1963.12武田薬品,欧州で転換社債発行第一号 1963 オーバーローンの中で企業の自己資本比    率28.7%に低下 1964,1 日本共同証券設立(71年1月解散) 1965.1 日本証券保有組合設立 1965.11戦後初めての赤字国債発行を決定 政治・経済動向 1955 神武景気はじまる 1955ごろ三菱系,金曜会 1955.12経済自立5力年計画,    はじめて閣議決定 ユ956  機械工業振興臨時措置法 1957 1957.6 1958.6 電子工業振興臨時措置法 景気反転,鍋底不況へ 景気反転,岩戸景気へ 1960.7合併により石川島播磨    重工業誕生 1960.12国民所得倍増計画,閣    議決定 1961.5 経常収支赤字により窓    口規制実施 1961.10三井系,二木会発足 1961.11通産省,徳山・水島の石    油コンビナート設置許可 1961.12景気反転,不況へ 1962.10全国総合開発計画閣議    決定/景気回復へ 1964.4 日本,IMF 8条国へ 1964.6 三菱系3社合併,三菱    重工発足/海運界,6大グ    ループへ集約/大蔵省証    券局発足 1964.10東海道薪幹線開業 1965.2 米国,ベトナム戦争に    本格介入

(17)

現代証券市場の基礎構造 41     国債の特別マル優制度実施 1965−7410年間で10兆187億円の国債発行されう    ちシ団引受の85.3%が買いオペにより日銀    が吸収 1965.5 山一証券に282億円,大井証券(現和光証    券)に53億円の日銀特融実施 1965.5証券取引法改正,証券会社の免許制,バイ    カイと運用預かりの禁止 1966.2 東証,大証で公社債市場4年ぶり再開 1966.4 日本通運,時価転換社債第一号 1966.10公社債取引再開,第一回国債上場 1968−72第二次外人投資ブーム,PER普及     安定株主工作すすむ。法人持株比率59.7    %に上昇。内外株価の連動性強まる 1968.10日本楽器,時価公募増資第一号 1968  ロンドンで「日本国際投資銀行」,「国際合    同銀行」共同設立 1970、4投資信託の外国証券組み入れにより日本    の対外証券投資始まる 1970,9外国証券会社,日本に参入許可 1970.12アジア開発銀行債,起債される。非居住者    による初めての円建て外債発行 1965.3 山陽特殊製鋼倒産 1965.10景気反転いざなぎ景    気へ 1966.1富士系,芙蓉会発足 1966  国際収支黒字定着 1967.2三和系,三水会発足 1967.7第一次資本自由化実施 1968 経常収支の黒字化によ    り純資産国へ転化/米国,    英国でスタグフレーショ    ン発生/金の二重価格制    実施     GNP世界2位へ 1969.3第二次資本自由化 1969.5新全国総合開発計画     東名高速全通 1970.9第三次資本自由化 1970 新日本製鉄誕生       23) 業界における独占的地位をほぼ確立した。  1955−57年の神武景気,58−61年の岩戸景気には銑鉄一貫製鉄所の建設, 本格的な臨海コンビナート建設などを反映して証券市場からの資金調達が活 発化し,また店頭市場への株式公開ブームが起こった。(61.10,3大証券取 引所に市場第二部発足)公開ブームの背景としては,①銀行借入れでは必要 な資金が調達出来なくなっていたこと,②会社の知名度アップ,③公開にと       24) もなうプレミアム(創業者利得)の獲得,などの事情があった。また転換社 23)同上,p.18。 24)瀬川:前掲書,P.117。

(18)

債の導入や外債の復活,最初のADRの発行など海外証券市場からの資金調達 も活発化し,資金調達手段の多様化がみられた。59年後半には高度成長への 期待と自信の中,1000万株を超える大規模な公募増資も登場し始め,株主割 当額面増資と併用の形ではあったが時価公募発行が盛んになった。(59.10川 崎製鉄,60.12東芝,61富士製鉄と三三製鉄など)また外人投資家による株式 購入も活発化した。  しかし61.7以降,株価は長期低迷をつづけ,「日本共同証券」の設立,「日 本証券保有組合」の設立など官民一体となった株価対策が講じられたが,つ いに65.5には山一証券の経営危機が表面化した。大蔵省は65.2以降,一定期 間増資をストップするなどの異例の措置を発表した。証券不況に対して大蔵        25) 省,日銀,金融機関,マスコミが一体となった救済劇が演じられた。日銀は 山一証券に特別融資を行い(1965.5.28,240億円)危機を回避したが,その 後,証券業者への規制を強化する方向での証取法改正が行われた。68.4には 証券業の免許制がスタートしたが,登録取り消し324件,廃業650件で合計974 件が登録を抹消され,免許をうけた証券会社は277社に減少した。また大手都 市銀行から証券会社に役員が送り込まれるなど,銀行と証券会社の人的結合        26) が進行した。(興銀→山一証券,住友銀行→大和証券,興銀→大商証券)ま た,証券業界の再編成=寡占化が進行し,66.10大商・玉;塚・山叶の’合併によ り新日本証券,67.5日本勧業・角丸の合併により日本勧業角丸証券,68.1大 井証券は和光証券,71.10日東・江口・大一呉の合併によりのちの三洋証券が それぞれスタートした。  証券不況の原因は,①過剰増資・公開ラッシュによる資本の過剰化とそれ による株のだぶつきがある。試算では63年までに約3,800億円の過剰増資があ り,これにより企業は収益を悪化させ,そのことが1株当り利益の低下→株        27) 価低下とつながったと言われている。そして過剰増資が引き起こされた背景 25)証券不況については瀬川:前掲書,第7章を参照。 26)同上,P。150。 27)野村総合研究所証券調査部編著『証券市場をめぐる諸問題(NRIシリーズ第1集)』P.24。

(19)

       現代証券市場の基礎構造  43 としては,貿易自由化にともなう国際競争力強化をめざした設備投資の増大 という要因とともに,系列関係による銀行の過度の長期設備資金貸出→借入 金返済のための増資強行→証券市場への矛盾のしわよせ,という要因が指摘     28) されている。②株価低下に伴う投資信託の不振と解約の増大による証券会社 の資金繰りの悪化。投資信託の不振はブームの反動という循環的要因ととも に,公社債流通市場が未発達な状況の中で,投資信託への公社債組み入れが 大蔵省の行政指導で強制され,投信本来の運用が制約された点が指摘されて

 29)  . 30)

いる。③証券会社の過度の主幹事獲得競争,などの諸要因があると思われる。  64.4には日本はIMF 8条国へと移行し,開放体制への移行を開始した。い ざなぎ景気のつづく中で,戦後からの労働力不足が解消し,人手不足経済へ と転換し始めた。また国際収支の黒字基調が定着した。資本自由化が67年, 69年,70年と段階的に実施され,国内産業への対内直接投資規制が徐々に緩 められ,巨大多国籍企業との競争が喧伝された。他方では,企業集団の株式 相互持ち合い等による資本結合や企業合併が「安定株主工作」の名の下に増 加しはじめた。(法人持株比率は65年の42.9%から72年忌61.0%に急上昇)64. 6には三菱系3社が合併して,三菱重工が発足し,70.3には合併により新日鉄 が誕生した。資本自由化は「第二の黒船」と言われた程には巨大多国籍企業 の日本進出はなく,結果として「国際競争力の強化」を大義名分とした資本 の集中と集積を押し進め,6大企業集団を中心とした強固な寡占体制を生み 出すこととなった。  1968.10には日本楽器が600万株を時価公募発行し(ただし同時に1割無償 を交付),72年以降の時価発行全盛時代の先駆けとなった。66.4には日本通運 が100億円の国内初の時価転換社債を発行し,同じく81年以降の隆盛の先駆け となった。当時,時価発行増資の導入を巡っては,企業側,証券業界,生保 などの株主,大蔵省など,それぞれの立場からの議論がおこったが,大蔵省 28)同上,P.67。また奥村:前掲書, P.56。 29)野村総研:前掲書,P.25。 30)瀬川:前掲書,第7章。

(20)

表3 株式持ち合い比率の推移 1960 65 70 75 三井 11.53 10.04 14.14 17.23 三菱 21.44 17.20 20.71 26.41 住友 21.08 18.79 21.83 24.71 芙蓉 14.19 10.85 15.26 19.23 三和 7.51 9.02 11.18 13.15 一勧 14.70 10.26 17.19 16.76 (注) 各系列1部上場企業における発行済株式総数に占める株式持ち合い比率の合計 (出所)小林好宏:企業集団の分析,北大図書刊行会,P。132。 は資本市場の整備の立場から「プライス・メカニズム論」を展開し,時価発       31) 行増資の定着を主張した。これに対し奥村氏は次のように批判される。「時価 発行をやろうとする企業は株価が少しでも高くなることを望む。…不特定多 数の個人だけが株主であるという状況のもとでは,いくら企業が株価を上げ ようとしても,それには業績をよくし,配当を増やす以外に方法はない。と ころが『法人化現象』が進んで,大株主が法人であり,そしてその間に相互 持ち合いが進んでくると,相手の法人に株を買い増ししてもらえばそれによ        32) って株価を上げていくことが可能になる」と。法人の株式相互持ち合いの進 行の中で,株価は実体経済をはなれ,需給相場と言われる投機的な市場に変 質しつつあったのである。  高度成長期の企業金融はそのコストや負債利子の損金参入という税制等の       表4 高度成長期の資金調達コスト 年 1960  65  70 株式コスト  社債コスト  長信銀最優i遇貸出金利 17.190/0 17.600/. ls.070/. s.golo/. 8.3120/o g.oo70/. 9.1250/0 8.40/0 8.50/o (出所)佐賀卓男:(岡崎,濱田編)「現代日本の証券市場』第2章,P.50。 31)奥村:前掲書,P.60。 32)同上,P。61。

(21)

      現代証券市場の基礎構造  45 理由により,間接金融に過大にシフトしたものであったが,起債市場も統制 的な色彩をもち,低金利政策の下,発行条件は実勢以下の低水準に固定され, その流動化は保証されていなかった。その結果,56.4に公社債市場の再開が 意図されたにもかかわらず,定着することはなかった。65年度には戦後の財 政法で禁止されていた赤字国債の発行が再開され,公社債流通市場の未発達 という状況の下で,金融機関と証券会社によって結成されたシンジケート団 による保有の強制が行われた。65年から74年の間に発行された国債10兆187億 円(うち民間引受分8兆4890億円)は次第に金融機関の経営を圧迫し,その        33) 85.3%が日銀買いオペによって日銀に引受けられた,と言われている。公社 債市場はようやく71年になって弾力化がはじまり,75年以降の国債の大量発 行による市場規模拡大や海外債券市場の活況の中で徐々に自由化が進行して ゆくことになる。  また,日本経済の国際化とともに日本企業の海外進出が始まり,それとと もに銀行や生保による海外証券子会社の設立や非居住者による初めての円建 て外債発行などがおこなわれ,金融・証券の国際化が始まった。また,国際 通貨不安の続く中で円切上げを見越し,日本経済の成長力に注目しはじめた ヨーmッパの投資信託などによる外人投資が新しい投資尺度(株価収益率) にもとづいて隆盛をみた。ユーU市場では日本の銀行と証券の業際問題が意 識されつつあった。こうした金融市場の変化はドル危機,IMF=GATT体制 の崩壊,変動相場制への移行,石油危機による低成長時代の始まりと国債大 量発行,オイルマネーの還流によるユーロ市場の急拡大,貿易摩擦の増大と いう70年代の世界経済の構造転換の中で急速に加速されることになる。        (1990.6.26) 33)岡崎・濱田:前掲書,P.27。

参照

関連したドキュメント

経済学・経営学の専門的な知識を学ぶた めの基礎的な学力を備え、ダイナミック

  「教育とは,発達しつつある個人のなかに  主観的な文化を展開させようとする文化活動

これは基礎論的研究に端を発しつつ、計算機科学寄りの論理学の中で発展してきたもので ある。広義の構成主義者は、哲学思想や基礎論的な立場に縛られず、それどころかいわゆ

この調査は、健全な証券投資の促進と証券市場のさらなる発展のため、わが国における個人の証券

FSIS が実施する HACCP の検証には、基本的検証と HACCP 運用に関する検証から構 成されている。基本的検証では、危害分析などの

大村 その場合に、なぜ成り立たなくなったのか ということ、つまりあの図式でいうと基本的には S1 という 場

参考第 1 表 中空断面構造物の整理結果(7 号炉 ※1 ) 構造物名称 構造概要 基礎形式 断面寸法