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放射性炭素年代測定法を用いた中近世建築遺構の年代判定 : 国宝大善寺本堂,旧土肥家本家および隠居屋住宅,重要文化財三木家住宅

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[論文要旨]  放射性炭素年代測定を文化財建築遺構に適用し,その有効性を明らかにした。事例として,国宝 大善寺本堂,旧土肥家本家住宅,旧土肥家隠居屋住宅,重要文化財三木家住宅の年代調査結果を報 告する。文化財建造物を測定する場合の部材選択や試料採取の方法を示した。部材最外層年代から 建築の年代情報を得るために,部材の年代測定から建物の年代判定へ研究発展の必要性を指摘した。 【キーワード】文化財建造物,放射性炭素年代測定,国宝大善寺本堂,常陸海浜公園旧土肥家住宅, 重要文化財三木家住宅

NAKAO Nanae, WATANABE Yoko, SAKAMOTO Minoru and IMAMURA Mineo

❶はじめに ❷国宝大善寺本堂(山梨県) ❸旧土肥家本家住宅・隠居屋住宅(茨城県) ❹重要文化財三木家住宅(徳島県) ❺おわりに

国宝大善寺本堂,旧土肥家本家および隠居屋住宅,

重要文化財三木家住宅

中尾七重・渡辺洋子・坂本 稔・今村峯雄

Radiocarbon Dating and Research on Historical Buildings in the Middle Ages and the Early Modern Times: Case Studies of the Daizenji Temple Main Hall,

the Former Head and Branch Doi Houses, and the Miki House

放射性炭素年代測定法を用いた

中近世建築遺構の年代判定

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[論文要旨]  放射性炭素年代測定を文化財建築遺構に適用し,その有効性を明らかにした。事例として,国宝 大善寺本堂,旧土肥家本家住宅,旧土肥家隠居屋住宅,重要文化財三木家住宅の年代調査結果を報 告する。文化財建造物を測定する場合の部材選択や試料採取の方法を示した。部材最外層年代から 建築の年代情報を得るために,部材の年代測定から建物の年代判定へ研究発展の必要性を指摘した。 【キーワード】文化財建造物,放射性炭素年代測定,国宝大善寺本堂,常陸海浜公園旧土肥家住宅, 重要文化財三木家住宅

NAKAO Nanae, WATANABE Yoko, SAKAMOTO Minoru and IMAMURA Mineo

❶はじめに ❷国宝大善寺本堂(山梨県) ❸旧土肥家本家住宅・隠居屋住宅(茨城県) ❹重要文化財三木家住宅(徳島県) ❺おわりに

国宝大善寺本堂,旧土肥家本家および隠居屋住宅,

重要文化財三木家住宅

中尾七重・渡辺洋子・坂本 稔・今村峯雄

Radiocarbon Dating and Research on Historical Buildings in the Middle Ages and the Early Modern Times: Case Studies of the Daizenji Temple Main Hall,

the Former Head and Branch Doi Houses, and the Miki House

放射性炭素年代測定法を用いた

中近世建築遺構の年代判定

………

はじめに

 古建築を研究対象とする日本建築史学は伊藤忠太,関野貞らによってその基が築かれ,文化財建 造物や歴史的建造物は,様式や意匠,架構や継手仕口,加工痕などの現存建築遺構から得られる情 報と,墨書や古記録など史料による年代情報を総合し,様式編年の方法を以て建築史研究のなかで 建築年代が判定されてきた。一方,1985 年に奈良文化財研究所が日本産ヒノキの暦年標準パター ン作製に成功し,年輪年代法により法隆寺をはじめとする古建築部材の年代測定が行われはじめた。 年輪年代法は部材の年輪最外層年代を誤差なしに確定できる精度の高い年代測定法で,現在ではヒ ノキ,スギ,コウヤマキ,ヒバの 100 年輪以上の木材に対応可能なため,良質なヒノキを用いた古 代から中世前期の社寺建築の年代測定に大きな成果をあげている。しかし年輪数や樹種に限定があ るため,年輪数が少なく,ヒノキやスギ以外の樹種で構成された中近世の地方的な建築やより庶民 的な建築は適用外である。これについては,近年の技術発達によって高精度の年代測定が可能になっ た放射性炭素年代測定法が有効である。加速器質量分析計(AMS)による微量試料の短時間測定, 同位体分別効果補正,暦年較正曲線による炭素年代から暦年代への較正,樹木年輪を試料とするウィ グルマッチ法(wiggle-matching)などによる測定の高精度化によって,従来先史時代の遺物に用 いられていた放射性炭素年代測定法は歴史時代の資料に効果的に適用できるようになった。  すでに歴史的建造物の中でも,文献記録が少なく,年輪年代法対象外の樹種が用いられ,様式編 年が困難な近世初期以前の古民家を対象に,放射性炭素年代測定法を用いた年代調査を行い報告し た (1) 。これらの古民家の建築年代解明に放射性炭素年代測定法はたいへん有効であった。ならば民家 以外の建築にも適用可能だろうか。さらに,そもそも年代不明な民家の年代測定で得られた年代で はその当否を明らかにできず,年代の判明している建築で放射性炭素年代測定調査を行い,信頼性 を明らかにするという課題が見えてきた。  本研究では,中近世の地方寺院(大善寺本堂(2),長野県宝池口寺薬師堂),住宅(山梨県指定文化 財棲雲寺庫裏(3)),城郭(国指定史跡麦島城出土建築部材(4)),民家(旧土肥家住宅,吉村家住宅(5),三木 家住宅(6)),町家(登録文化財瀬川家住宅(7))を対象にした放射性炭素年代測定調査を通して,建築年 代の明らかな建造物を対象にした放射性炭素年代測定による信頼性・有効性の追求および,上記の 条件を持ち建築年代の確定の困難な種類の建築における放射性炭素年代測定の有効性の追求を研究 目的とした。城郭の現存遺構の年代調査については,城郭が築城以来幾多の改修改造を経ているた いへん規模の大きい建物であること,地方公共団体管理の国宝指定物件であることから,建築調査 を含めた大掛かりな年代調査が必要であり,本研究では行い得なかった。本稿では,中世寺院建築 の国宝大善寺本堂(山梨県),民家は重要文化財三木家住宅(徳島県)と旧土肥家本家および隠居 屋住宅の年代調査を報告する。  大善寺本堂は渡辺が担当し調査対象に選定した。大善寺本堂の背面両隅柱には「弘安九年参月 十六日」の刻銘が穿たれ建築年を示している。この両隅刻銘柱を対象部材として放射性炭素年代測 定を行い,年代測定の信頼性について検討した。  民家は三木家住宅(徳島県)は中尾,旧土肥家本家住宅と旧土肥家隠居屋住宅は坂本・中尾が担

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当し調査を行った。三木家は,最初に数部材の年代調査を行ったにもかかわらず,建築年代を絞り 込めなかったため,追加測定を行い,部材年代から建築年代を推定するための条件を考察した。旧 土肥家本家・隠居屋住宅は,国営常陸海浜公園移築復原に伴う年代調査で,民家部材解体保存時の 防腐剤による汚染が見つかった。  以上の放射性炭素年代調査は,担当者が調査部材の選択を行い,所有者のご協力ご理解を得て試 料採取を行った。採取した測定試料は前処理を経て炭素 14 年代測定を行った。得られた炭素 14 年 代値の暦年較正を行い,年輪試料についてはウィグルマッチ法を用い,部材最外層の暦年代を得た。 部材最外層暦年代から部材の伐採年を推定し,部材の伐採年から建物の建築年代を判定した。  前処理については,国宝大善寺本堂,重要文化財三木家住宅の場合,試料は建築以来住居あるい は寺院本堂として用いられてきた建物の部材で,出土材の場合と異なり汚染の程度は小さいと考え られる。それぞれの分析試料十数ミリグラムを分取し,標準的な酸・アルカリ・酸による洗浄処理 (AAA 処理),化学洗浄した試料の二酸化炭素への変換,二酸化炭素のグラファイト化,ならびに 14C の加速器質量分析を一括してパレオ・ラボ社に委託した。旧土肥家住宅については試料汚染が 判明した。  AMS 測定により得られた炭素 14 年代値には炭素 13 同位体比と測定施設のラボ番号が付される。 炭素 13 同位体比は,炭素 13 の炭素 12 に対する同位体比の標準試料に対する偏差で,千分率で表 される。炭素 14 年代は,炭素 14 濃度(14C/12C 比)の測定によって得られた値を炭素 14 年代に換 算した値で示されている。炭素 14 年代値は,西暦 1950 年に相当する大気炭素 14 濃度基準値に対 する試料の濃度比から計算されるモデル年代で,δ13C の同位体分別効果補正(-25‰に規格化)を 行った値である。通常は BP 又は yrBP で示される。表の炭素 14 年代につけられた誤差は,測定 における統計誤差(1 標準偏差,68% 信頼限界)である。暦年値に換算するには較正曲線を用いて 実年代(暦年代)に変換する必要があるが,基本的には測定試料の炭素 14 濃度と,過去の大気の 炭素 14 濃度曲線(較正曲線)との比較から年代が得られる。実際には濃度を炭素年代に換算した 値(モデル年代)で解析する。  ウィグルマッチ法は年輪試料に適用して高精度の年代測定結果を得ることができる。木材がもつ それぞれの年輪の炭素 14 濃度(同位体組成)は,ミクロ的には木材繊維(セルロース)が形成さ れた年代の大気二酸化炭素の炭素 14 濃度(同位体組成)×経過時間による壊変減衰率である。年輪 中の炭素 14 濃度は全体としては,時間の経過による放射壊変のため,過去に遡るほど少なくなっ ているが,詳細に見るとそれぞれの年の大気中炭素 14 濃度の変動によって凸凹の特性を持ってい る。すなわち暦年較正曲線は凸凹(wiggle)をもっているため,測定値はしばしば複数の暦年代に 対応することになる。この問題を解決するため,年代間隔のわかった複数試料で炭素 14 測定値を 得て,暦年較正曲線の凸凹の特性と照合解析し年代推定誤差を小さくする方法がウィグルマッチ法 で,近年の暦年較正曲線の整備や年代測定精度の向上に伴って実用化してきている。年輪に沿って 多数の測定値がある場合には,全体のデータのパターンを満たす条件は極めて限られ,高精度に年 代が決定される。ここでは,ウィグルマッチ法のための歴博製解析プログラム RHC3.2w と RHC3.2ws1510–1954_3yr av で計算した。プログラムは現在国際的に広く用いられているベイズ統 計の方法を用いるもので,通常 95% の信頼限度で推定年代範囲を算出した。またχ二乗検定と平

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当し調査を行った。三木家は,最初に数部材の年代調査を行ったにもかかわらず,建築年代を絞り 込めなかったため,追加測定を行い,部材年代から建築年代を推定するための条件を考察した。旧 土肥家本家・隠居屋住宅は,国営常陸海浜公園移築復原に伴う年代調査で,民家部材解体保存時の 防腐剤による汚染が見つかった。  以上の放射性炭素年代調査は,担当者が調査部材の選択を行い,所有者のご協力ご理解を得て試 料採取を行った。採取した測定試料は前処理を経て炭素 14 年代測定を行った。得られた炭素 14 年 代値の暦年較正を行い,年輪試料についてはウィグルマッチ法を用い,部材最外層の暦年代を得た。 部材最外層暦年代から部材の伐採年を推定し,部材の伐採年から建物の建築年代を判定した。  前処理については,国宝大善寺本堂,重要文化財三木家住宅の場合,試料は建築以来住居あるい は寺院本堂として用いられてきた建物の部材で,出土材の場合と異なり汚染の程度は小さいと考え られる。それぞれの分析試料十数ミリグラムを分取し,標準的な酸・アルカリ・酸による洗浄処理 (AAA 処理),化学洗浄した試料の二酸化炭素への変換,二酸化炭素のグラファイト化,ならびに 14C の加速器質量分析を一括してパレオ・ラボ社に委託した。旧土肥家住宅については試料汚染が 判明した。  AMS 測定により得られた炭素 14 年代値には炭素 13 同位体比と測定施設のラボ番号が付される。 炭素 13 同位体比は,炭素 13 の炭素 12 に対する同位体比の標準試料に対する偏差で,千分率で表 される。炭素 14 年代は,炭素 14 濃度(14C/12C 比)の測定によって得られた値を炭素 14 年代に換 算した値で示されている。炭素 14 年代値は,西暦 1950 年に相当する大気炭素 14 濃度基準値に対 する試料の濃度比から計算されるモデル年代で,δ13C の同位体分別効果補正(-25‰に規格化)を 行った値である。通常は BP 又は yrBP で示される。表の炭素 14 年代につけられた誤差は,測定 における統計誤差(1 標準偏差,68% 信頼限界)である。暦年値に換算するには較正曲線を用いて 実年代(暦年代)に変換する必要があるが,基本的には測定試料の炭素 14 濃度と,過去の大気の 炭素 14 濃度曲線(較正曲線)との比較から年代が得られる。実際には濃度を炭素年代に換算した 値(モデル年代)で解析する。  ウィグルマッチ法は年輪試料に適用して高精度の年代測定結果を得ることができる。木材がもつ それぞれの年輪の炭素 14 濃度(同位体組成)は,ミクロ的には木材繊維(セルロース)が形成さ れた年代の大気二酸化炭素の炭素 14 濃度(同位体組成)×経過時間による壊変減衰率である。年輪 中の炭素 14 濃度は全体としては,時間の経過による放射壊変のため,過去に遡るほど少なくなっ ているが,詳細に見るとそれぞれの年の大気中炭素 14 濃度の変動によって凸凹の特性を持ってい る。すなわち暦年較正曲線は凸凹(wiggle)をもっているため,測定値はしばしば複数の暦年代に 対応することになる。この問題を解決するため,年代間隔のわかった複数試料で炭素 14 測定値を 得て,暦年較正曲線の凸凹の特性と照合解析し年代推定誤差を小さくする方法がウィグルマッチ法 で,近年の暦年較正曲線の整備や年代測定精度の向上に伴って実用化してきている。年輪に沿って 多数の測定値がある場合には,全体のデータのパターンを満たす条件は極めて限られ,高精度に年 代が決定される。ここでは,ウィグルマッチ法のための歴博製解析プログラム RHC3.2w と RHC3.2ws1510–1954_3yr av で計算した。プログラムは現在国際的に広く用いられているベイズ統 計の方法を用いるもので,通常 95% の信頼限度で推定年代範囲を算出した。またχ二乗検定と平 註 ( 1 ) 今村・中尾,民家研究における放射性炭素年代 測定について―その 2 重文関家住宅・重文箱木家住宅・ 重文吉原家住宅の事例―,国立歴史民俗博物館研究報告 第 137 集,pp. 211–225,2007.3 ( 2 ) 木戸真亜子,建築遺構における放射性炭素加速 器質量分析に関する研究,2007 年度芝浦工業大学大学 院修士論文,2008.3 ( 3 ) 中尾・モリス,山梨県指定棲雲寺庫裏の放射性 炭素年代測定について,日本建築学会大会学術講演梗概 集 9228,pp. 455–456,2009.8 ( 4 ) 中尾・今村,麦島城建築部材の放射性炭素年代 測定について,日本文化財科学会第 25 回大会研究発表 要旨集,pp. 50–51,2008.6 ( 5 ) 中尾七重,重要文化財吉村家住宅の放射性炭素 年代測定中間報告,日本建築学会大会学術講演梗概集 9048,pp. 95–96,2010.9 ( 6 ) 中尾七重・坂本稔・今村峯雄,重要文化財三木 家住宅の放射性炭素年代調査について,日本文化財科学 会第 27 回大会研究発表要旨集,pp. 146–147,2010.6 ( 7 ) 丸山俊明・中尾,京都外縁の町家の農民住宅化 ―放射性炭素年代測定を用いた瀬川家住宅の再評価―, 日本建築学会計画系論文集第 74 巻第 638 号,pp. 919– 926,2009.4

( 8 ) PJ Reimer, MGL Baillie, E Bard, A Bayliss, JW Beck, C Bertrand, PG Blackwell, CE Buck, G Burr, KB Cutler, PE Damon, RL Edwards, RG Fairbanks, M Friedrich, TP Guilderson, KA Hughen, B Kromer, FG McCormac, S Manning, C Bronk Ramsey, RW Reimer, S Remmele, JR Routhon, M Stuiver, S Talamo, FW Taylor, J van der Plicht, and CE Weyhenmeyer. (2004) Radiocarbon 46, 1029–1058

( 9 ) M Stuiver, PJ Reimer, and TF Braziunas, (1998) High-precision radiocarbon age calibration for terrestrial and marine samples. Radiocarbon 40, 1127– 1151 均値検定を行い,測定と判定について適否の判断を行った。数値は最外年輪の較正年代を cal AD で表した。年代の計算値は用いる基準データ(暦年較正データベース)や計算法で一桁台は変わり うるので,細かな数字の違いを議論することは意味がない。暦年較正データベースは IntCal04 (2004(8))および Stuiver による 1 年ごとの炭素 14 測定データ(1998(9))を用いている。  本研究は国立歴史民俗博物館共同研究「歴史資料研究における年代測定の活用法に関する総合的 研究」(H18–20 坂本稔,今村峯雄)と科学研究費(18300306)「中近世建築遺構の放射性炭素を用 いた年代判定」(H18–20 中尾七重)の共同研究で実施した。国宝大善寺本堂調査は芝浦工業大学渡 辺研究室との共同研究で実施した。国営常陸海浜公園移築旧土肥家主屋住宅および旧土肥家隠居屋 住宅は社団法人日本公園緑地協会との共同で年代調査を実施した。重要文化財三木家住宅の採取試 料は福武学術文化振興財団研究助成「AMS 分析による成立期近世民家の年代判定」(H16 中尾七重) によった。

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国宝大善寺本堂(山梨県)

2–1 概要

 大善寺は山梨県甲州市勝沼町真に所在する真言 宗智山派の寺院である。境内には本堂のほか,客 殿,庫裏,仁王門(1798),楽屋堂,舞台(稚児堂), 行者堂(1700),鐘楼(1714)他が建つ。薬師堂 すなわち現在の大善寺本堂は,文永 7 年(1270) の火災後,弘安 9 年(1286)3 月柱立,正応 4 年 (1291)上棟,徳治 2 年(1307)頃にほぼ完成し たとされる。大善寺本堂は鎌倉幕府が造営を援助 した寺社のうち唯一の現存遺構であり,また類例 の少ない純粋大仏様の木鼻をもつ東国で唯一の事例である。昭和 33 年 6 月に厨子(1473)を附つけたりと して,国宝に指定されている。

2–2 本堂の建立に関する関口説の検討

 古代末からの伽藍の推移と現本堂の建立について,既往研究における考察は近年,やや変化を見 せている。本報告にとって不可欠であるため,ここではその対象を建築史学上の従来の定説,およ び近年の二論考に絞りまとめておきたい。  まず関口欣也「大善寺本堂(1)」であるが,大善寺の現本堂が建立されるまでの経緯について,次の ように述べている。  大善寺は 14 世紀末頃まで寺号を柏尾山寺もしくは柏尾寺と称し,本堂を大善寺と呼んでいる。 現伽藍の東方 1 km の白山々腹で昭和 37 年に発見された,康和 5 年(1103)在銘の銅経筒により, 12 世紀初頭の頃,柏尾山寺往生院の院主が叡山学者尭範であり,当時の柏尾山寺が天台宗の甲斐 屈指の霊場であったことが知られる。この経筒を埋納した結縁聚の中に三枝宿弥守定,同守継の名 があることから,平安時代末に在地の有力な氏族である三枝氏と密接な関係にあったことが確認で きる。後の天文 14 年(1545)「柏尾山諸堂覚書写」,同 24 年『柏尾山造営供養記案』によれば,大 善寺は天禄 2 年(971)に三枝守国によって薬師堂が建立されたという。三枝氏との関係は銅経筒 により,少なくとも 12 世紀初頭までは明らかである。その後,応保 2 年(1162),甲斐国衙が熊野 社領八代庄を停廃したことに端を発した長寛勘文(1163)により,在庁官人としての三枝氏は罪に 問われ,おそらくそれが契機となって,13 世紀以降の外護者の中心は鎌倉幕府に移行する。  なお,柏尾山において大善寺とともに重要な位置を占めたのは,この康和銅経筒に見える往生院 (西明寺,本尊阿弥陀三尊),および浄瑠璃寺(本尊薬師如来)である。  大善寺は中世,康元元年(1256),文永 7 年(1270),応長元年(1311),建武 3 年(1336)の四 回火災に遭っているが,このうち大火は文永 7 年,建武 3 年の 2 回であり,文永には本堂(現大善 図 2–1 国宝大善寺本堂

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国宝大善寺本堂(山梨県)

2–1 概要

 大善寺は山梨県甲州市勝沼町真に所在する真言 宗智山派の寺院である。境内には本堂のほか,客 殿,庫裏,仁王門(1798),楽屋堂,舞台(稚児堂), 行者堂(1700),鐘楼(1714)他が建つ。薬師堂 すなわち現在の大善寺本堂は,文永 7 年(1270) の火災後,弘安 9 年(1286)3 月柱立,正応 4 年 (1291)上棟,徳治 2 年(1307)頃にほぼ完成し たとされる。大善寺本堂は鎌倉幕府が造営を援助 した寺社のうち唯一の現存遺構であり,また類例 の少ない純粋大仏様の木鼻をもつ東国で唯一の事例である。昭和 33 年 6 月に厨子(1473)を附つけたりと して,国宝に指定されている。

2–2 本堂の建立に関する関口説の検討

 古代末からの伽藍の推移と現本堂の建立について,既往研究における考察は近年,やや変化を見 せている。本報告にとって不可欠であるため,ここではその対象を建築史学上の従来の定説,およ び近年の二論考に絞りまとめておきたい。  まず関口欣也「大善寺本堂(1)」であるが,大善寺の現本堂が建立されるまでの経緯について,次の ように述べている。  大善寺は 14 世紀末頃まで寺号を柏尾山寺もしくは柏尾寺と称し,本堂を大善寺と呼んでいる。 現伽藍の東方 1 km の白山々腹で昭和 37 年に発見された,康和 5 年(1103)在銘の銅経筒により, 12 世紀初頭の頃,柏尾山寺往生院の院主が叡山学者尭範であり,当時の柏尾山寺が天台宗の甲斐 屈指の霊場であったことが知られる。この経筒を埋納した結縁聚の中に三枝宿弥守定,同守継の名 があることから,平安時代末に在地の有力な氏族である三枝氏と密接な関係にあったことが確認で きる。後の天文 14 年(1545)「柏尾山諸堂覚書写」,同 24 年『柏尾山造営供養記案』によれば,大 善寺は天禄 2 年(971)に三枝守国によって薬師堂が建立されたという。三枝氏との関係は銅経筒 により,少なくとも 12 世紀初頭までは明らかである。その後,応保 2 年(1162),甲斐国衙が熊野 社領八代庄を停廃したことに端を発した長寛勘文(1163)により,在庁官人としての三枝氏は罪に 問われ,おそらくそれが契機となって,13 世紀以降の外護者の中心は鎌倉幕府に移行する。  なお,柏尾山において大善寺とともに重要な位置を占めたのは,この康和銅経筒に見える往生院 (西明寺,本尊阿弥陀三尊),および浄瑠璃寺(本尊薬師如来)である。  大善寺は中世,康元元年(1256),文永 7 年(1270),応長元年(1311),建武 3 年(1336)の四 回火災に遭っているが,このうち大火は文永 7 年,建武 3 年の 2 回であり,文永には本堂(現大善 図 2–1 国宝大善寺本堂 寺)一郭,建武には伽藍東方の常行堂(往生院),如法道場など寺の道場を中心とする区域を焼失 している。両度の火災により,寺の主要部全域を焼失することになったが,文永の火災後の復旧に より再建された堂宇の中心が現在の大善寺本堂であり,建武の災禍は免れて現在に至っている。  文永 7 年火災後の弘安 7 年(1284)8 月 23 日,鎌倉幕府は関東御教書により,柏尾山寺本堂大 善寺造営のための,甲斐国中の勧進を認めた。しかし,同 9 年 12 月に先の関東御教書を紛失し, 翌 10 年 9 月になって,幕府は沙汰のない者へ早く勧進すべき旨を命令している。  このようにして大善寺本堂は正応 4 年(1291)上棟,徳治 2 年(1307)頃にほぼ完成したと考え られるが,さらに延慶 3 年(1310)5 月に幕府は,いまだ数宇の堂宇を残すため,新たに信濃国棟 別十文銭を寄進し,造営を遂げるべき旨を告げ,9 月には「人屋に平等に沙汰せしむ」として平等 の徴収を徹底している(2)。  このような鎌倉幕府の援助にもかかわらず,文永火災後の復旧は長期間にわたったが,建武 3 年, 再度の大災に遭うまでに,三重大塔などは復興できなかったとみられる。追い討ちをかけるように 建武 3 年(1336),今度は伽藍東方の常行堂・鎮守・浄瑠璃寺・如法道場の一郭が兵火により炎上 した。その復興は南北朝の動乱期に重なったこともあり,それ以前の文永 7 年火災後の復興よりも 一層困難なものであったと考えられる。浄瑠璃寺と如法道場は建武火災によって失われたままで あった。大善寺本堂は建武火災を免れたものの,二階楼門と三重大塔は明徳 5 年(1394)になって も復興されず,主要な堂宇は往生院・本堂大善寺・鎮守五所権現であったとみられる。このあと当 寺の復興が進むのは,江戸中期を待たねばならない。(以上を本研究では関口説と呼ぶ。)

2–3 本堂の建立に関する清雲説と秋山説の検討

 上記,大善寺造営にとって長く定説であった関口説に対し,外護者三枝氏との関係および文永火 災後の鎌倉幕府の再興援助について疑義を唱えたのが清雲俊元「大善寺(3)」である。  彫刻史の研究成果より,三枝氏が嘉禄 3 年(1227)から翌安貞 2 年(1228)にかけて薬師三尊像 (丈六の本尊は文永火災で焼失,脇侍現存)をはじめとする一連の造仏を主導していることが判明 したため,三枝氏の外護が鎌倉期にも存続したことを主張,長寛勘文(1163)によって同氏が失脚 したとする従前の説を否定している。  続いて柏尾山衆徒らが鎌倉幕府から受けた「下知状」や文永火災後再建のための勧進を命じた「御 教書」について,慎重な検討を要するべきとしており,結論として「大善寺本堂の造営に(鎌倉) 幕府がかかわっていたことは確かであろうが,これが全面的な幕府の後援によりなされたとみるま でには至らない。」としている。(以上,清雲説)  この翌年刊行された,秋山敬「創建と歴史」「三枝氏と大善寺(4)」では,三枝氏の再建外護活動に ついて,別の見解を示している。同氏との関連を丹念に読み解いた上で,三枝守国が大善寺を創建 したのが天禄 2 年(971)ではなく,本尊薬師如来像と同年代の 9 世紀後半であったこと,長寛勘 文によって厳刑を受けることはなく,福光園寺(御坂町)の寛喜 3 年(1231)銘吉祥天女像に大檀 越として三枝氏の名前があることから,鎌倉期にも依然として健在であったこと,を明らかにして いる。  かつ鎌倉幕府からの下知状については,内容を批判的に捉えずに認めており,文永火災に先立つ

(7)

貞応 2 年(1223)頃からの朽廃による再建勧進に際して,まず寺が勧進により一定の費用を集めた 後,嘉禄 2 年(1226)に幕府が下知状を発給して再建を支援するという形式をとっていること,文 永火災後も幕府が甲斐国内の地頭御家人に対する勧進を許可するのは,被災後 14 年経過した弘安 7 年(1284)に至ってからであり,この時には寺自身による勧進が困難を極めたからであろうと推 察している。(以上,秋山説)  以上,三説のなかでは,関口説に外護者三枝氏との関連で修正を加えた秋山説が最も妥当である と考えられる。その理由としては,大善寺本堂には鎌倉幕府が関与しているとしか考えられない建 築的特徴があるからである。特に南都系大仏様木鼻は,大善寺本堂以東には存在せず,また最も地 理的に近い遺構類例は滋賀県にある。  三枝氏が大檀越となった福光園寺(御坂町)の寛喜 3 年(1231)銘吉祥天女像の作者は奈良の仏 師の蓮慶であり,三枝氏は南都系の工匠に依頼する伝手をもっていた。蓮慶の名は大善寺の十二神 将像の墨書(1227,勧進僧厳海)にもあることから,何らかの関係はあったのであろう。しかし寺 と地元の外護者のみによる勧進では現本堂の再建は不可能であった。鎌倉幕府による勧進支援が あってこそ完成した堂であり,具体的な設計経緯は不詳ながら,大仏様という様式そのものを日本 に導入したのが鎌倉幕府による東大寺再建(大仏殿落慶 1190)であったことを考えると,大善寺 本堂と幕府との強い関連を無視することは不可能である。

2–4 年代調査の経緯

 先にのべたように,大善寺本堂は弘安 9 年(1286)3 月柱立,正応 4 年(1291)上棟,徳治 2 年 (1307)頃にほぼ完成と建築の過程がほぼ判明し,しかも「を二」柱には「東 弘安九年参月十六日」, 「を十二」柱には「弘安九年参月十六日」と刻銘されており,本堂の柱立ちの年月を表している。 年代の判明している建築について放射性炭素年代測定を行いその有効性を確認する,という課題に まさにうってつけの建築であり建築部材である。さらに,文化財保存修復も完了しており,修復の 記録も出され建築の情報も得ることができる(5)。そ こで,大善寺ご住職井上哲秀和尚のご理解を得て, 大善寺刻銘柱および当初柱の放射性炭素年代調査 を行った。  2006 年 11 月 9 日に渡辺洋子,中尾七重,中島 千鶴(システム計画研究所,当時),木戸真亜子・ 寺本理恵(芝浦工業大学大学院生,当時)が山梨 県甲州市勝沼町の大善寺において,「を二」柱(東 柱)と「を十二」柱(西柱)の 2 部材の試料採取 を行った。国宝文化財を損傷することのないよう, 柱表面のささくれやキツツキのあけた柱穴の縁か ら微量の木屑をピンセットでつまみあげ,10 年 おきの単年輪試料を採取した。  追加調査は 2007 年 12 月 13 日に木戸が「を四」 図2–2 大善寺本堂測定部材位置図

(8)

貞応 2 年(1223)頃からの朽廃による再建勧進に際して,まず寺が勧進により一定の費用を集めた 後,嘉禄 2 年(1226)に幕府が下知状を発給して再建を支援するという形式をとっていること,文 永火災後も幕府が甲斐国内の地頭御家人に対する勧進を許可するのは,被災後 14 年経過した弘安 7 年(1284)に至ってからであり,この時には寺自身による勧進が困難を極めたからであろうと推 察している。(以上,秋山説)  以上,三説のなかでは,関口説に外護者三枝氏との関連で修正を加えた秋山説が最も妥当である と考えられる。その理由としては,大善寺本堂には鎌倉幕府が関与しているとしか考えられない建 築的特徴があるからである。特に南都系大仏様木鼻は,大善寺本堂以東には存在せず,また最も地 理的に近い遺構類例は滋賀県にある。  三枝氏が大檀越となった福光園寺(御坂町)の寛喜 3 年(1231)銘吉祥天女像の作者は奈良の仏 師の蓮慶であり,三枝氏は南都系の工匠に依頼する伝手をもっていた。蓮慶の名は大善寺の十二神 将像の墨書(1227,勧進僧厳海)にもあることから,何らかの関係はあったのであろう。しかし寺 と地元の外護者のみによる勧進では現本堂の再建は不可能であった。鎌倉幕府による勧進支援が あってこそ完成した堂であり,具体的な設計経緯は不詳ながら,大仏様という様式そのものを日本 に導入したのが鎌倉幕府による東大寺再建(大仏殿落慶 1190)であったことを考えると,大善寺 本堂と幕府との強い関連を無視することは不可能である。

2–4 年代調査の経緯

 先にのべたように,大善寺本堂は弘安 9 年(1286)3 月柱立,正応 4 年(1291)上棟,徳治 2 年 (1307)頃にほぼ完成と建築の過程がほぼ判明し,しかも「を二」柱には「東 弘安九年参月十六日」, 「を十二」柱には「弘安九年参月十六日」と刻銘されており,本堂の柱立ちの年月を表している。 年代の判明している建築について放射性炭素年代測定を行いその有効性を確認する,という課題に まさにうってつけの建築であり建築部材である。さらに,文化財保存修復も完了しており,修復の 記録も出され建築の情報も得ることができる(5)。そ こで,大善寺ご住職井上哲秀和尚のご理解を得て, 大善寺刻銘柱および当初柱の放射性炭素年代調査 を行った。  2006 年 11 月 9 日に渡辺洋子,中尾七重,中島 千鶴(システム計画研究所,当時),木戸真亜子・ 寺本理恵(芝浦工業大学大学院生,当時)が山梨 県甲州市勝沼町の大善寺において,「を二」柱(東 柱)と「を十二」柱(西柱)の 2 部材の試料採取 を行った。国宝文化財を損傷することのないよう, 柱表面のささくれやキツツキのあけた柱穴の縁か ら微量の木屑をピンセットでつまみあげ,10 年 おきの単年輪試料を採取した。  追加調査は 2007 年 12 月 13 日に木戸が「を四」 図2–2 大善寺本堂測定部材位置図 柱の試料採取を行った。東柱と西柱で異なった年代が得られたため,当初柱の年代との比較を目的 とした。得られた試料は標準的な前処理および AMS による炭素 14 年代測定を一括して(株)パ レオ・ラボに委託した。  調査した 3 部材はいずれもウィグルマッチ法を用いて最外年輪の年代を求めた。その結果,東柱 は 1067~1089 年(ピーク値 1078 年),西柱は 1280~1292 年(ピーク値 1286 年),「を四」柱は 1227~1243 年(ピーク値 1235 年)と得られ,西柱は刻銘に記された弘安九年と合致する年代となっ た。他方,東柱はそれより 200 年遡る 11 世紀の年代で,「を四」柱は 13 世紀前半の年代となった。  大善寺本堂放射性炭素年代測定調査については木戸真亜子が研究報告(6)を行っているが,本論文は さらに大善寺本堂の建築経緯を追求し,得られた部材年代の解釈を行った。

2–5 大善寺本堂測定部材年代解析結果

2–5–1 東柱(「を二」柱)  東柱は大善寺本堂北東隅の柱で,堂内に面した柱表面に「東 弘安九年参月十六日」の刻銘のあ るケヤキの柱である。本堂背面からの外観観察で 63 年輪が数えられるが,心去材か心持材かは不 明である。年輪がうねり生き節もあるなどのアテ材で,直ぐな樹形ではなかったと思われる。柱表 面は茶褐色から灰褐色を呈している。10 年輪目が,他の年輪の炭素 14 年代値と異なった年代値を 示しており,異常値と考えられる。キツツキ穴やささくれなどを剥ぎ取って試料採取を行ったため, 混入による汚染の可能性がある。そのため 10 年輪目の結果を除外して解析を行った。得られた年 表 2–1 大善寺本堂測定結果 部材 年輪位置 測定番号 δ13C(‰)※ 14C 年代 (yrBP±1σ) 較正年代 ピーク値 総年輪数 辺材 東柱「を二」 63年輪 1年目 PLD–7357 -25.89±0.20 890±20 1067~1089 1078 40年輪 確認不可 10年目 PLD–7358 -28.50±0.27 1010±25 20年目 PLD–7359 -26.54±0.27 925±20 30年目 PLD–7360 -26.76±0.23 935±25 40年目 PLD–7361 -24.51±0.15 925±25 50年目 PLD–7362 -32.46±0.33 1000±25 60年目 PLD–7363 -28.19±0.13 1005±20 西柱「を十二」 46年輪 1年目 PLD–7671 -27.88±0.19 685±20 1280~1292 1286 63年輪 確認不可 10年目 PLD–7672 -25.10±0.15 730±20 20年目 PLD–7673 -34.21±0.56 760±25 30年目 PLD–7674 -27.23±0.26 825±25 40年目 PLD–7675 -25.20±0.13 850±20 背面柱「を四」 97年輪 10年目 PLD–9835 -25.39±0.20 800±20 1227~1243 1235 97年輪 確認不可 50年目 PLD–9836 -25.16±0.21 860±20 90年目 PLD–9837 -25.44±0.14 975±20 ※炭素13の炭素12に対する同位体比の標準試料に対する偏差を千分率で表したもの。炭素14濃度(14C/12C)の同位体 効果の補正に用いる。

(9)

代は 1067~1089 年(ピーク値 1078 年)と得られた。東柱に刻銘された「弘安九年」(1286)年を 200 年程度遡ることとなった。 2–5–2 西柱(「を十二」柱)  西柱は大善寺本堂西北隅の柱で堂内に面した柱表面に「東 弘安九年参月十六日」の刻銘のある ケヤキの柱である。本堂背面からの外観観察で垂直に走る 46 年輪が数えられるが,心去材か心持 材かは不明である。柱表面は白身を帯びた薄茶色である。得られた年代は 1280~1292 年(ピーク 値 1286 年)で,弘安九年(1286)年の柱立てに合致する結果となった。ただし,得られた年代は 西柱最外年輪層の年代であるので,製材時に除去された年輪分を考慮する必要があるが,基本的に 刻銘年に合致する結果であると考える。 図2–3 東柱(「を二柱」)の解析結果 図2–4 西柱(「を十二」柱)の解析結果

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代は 1067~1089 年(ピーク値 1078 年)と得られた。東柱に刻銘された「弘安九年」(1286)年を 200 年程度遡ることとなった。 2–5–2 西柱(「を十二」柱)  西柱は大善寺本堂西北隅の柱で堂内に面した柱表面に「東 弘安九年参月十六日」の刻銘のある ケヤキの柱である。本堂背面からの外観観察で垂直に走る 46 年輪が数えられるが,心去材か心持 材かは不明である。柱表面は白身を帯びた薄茶色である。得られた年代は 1280~1292 年(ピーク 値 1286 年)で,弘安九年(1286)年の柱立てに合致する結果となった。ただし,得られた年代は 西柱最外年輪層の年代であるので,製材時に除去された年輪分を考慮する必要があるが,基本的に 刻銘年に合致する結果であると考える。 図2–3 東柱(「を二柱」)の解析結果 図2–4 西柱(「を十二」柱)の解析結果 2–5–3 「を四」柱  西柱は刻銘に合致する年代が得られたが,東柱はそれより遥かに古い年代が得られたため,比較 のための追加測定を行った。東柱と外観が類似し,東柱と同様修理工事の際に甚だしい傷みが見出 され根継を施された当初柱として「を四」柱を選定し,3 点の炭素 14 年代測定を行い,ウィグルマッ チ法で解析した。得られた年代は 1227~1243 年(ピーク値 1235 年)と得られた。東柱と同時期で はなく,西柱より 50 年程度古い結果となった。

2–6 考察

 大善寺本堂の北側隅柱のうち東柱(「を二」柱)は 1067~1089 年(ピーク値 1078 年),西柱(「を 十二」柱)は 1280~1292 年(ピーク値 1286 年),さらに追加測定した「を四」柱は 1227~1243 年 (ピーク値 1235 年)という結果が得られた。  測定された西柱の年代は刻銘の弘安 9 年=1286 年とよく対応しているが,東柱の年代はそれよ り 200 年程度古い数値が出ており,転用材の可能性が考えられる。では何の転用材か? 大善寺を 含む柏尾山寺(柏尾寺)が山内寺院の複合体であったことを振り返る必要がある。  最も可能性が高いものとしては,柏尾山寺のうち,浄瑠璃寺の建築と関係があるのではないだろう か。浄瑠璃寺は建久 8 年(1197)「柏尾大衆等解状案」により,永保年中(1081–84)に国司実政に より造営されたことが知られ,東柱(「を二」柱)の年代(1067~1089)にほぼ重なる。また浄瑠璃 寺は「柏尾山注進状案」(1339)によるとその本尊が薬師如来であり,本堂大善寺と同様である。す なわち,院政期の柏尾山寺には二棟の薬師堂があったと考えられるが,関係も深かったと推察できる。 しかしながら,浄瑠璃寺は建武 3 年(1336)火災で焼失し,それまでの建築に関して十分な史料が ないことから,焼失前の弘安期に大善寺本堂に柱が転用されていく経緯を追うことは不可能である。  なお,浄瑠璃寺は建武の焼失後,復興されない。前記「柏尾山注進状案」に失われた対象として 「一,浄瑠璃寺 三間,薬師如来・毘沙門,地蔵・観音」という記録が残る以外,建築については 不分明である。 図2–5 「を四」柱の解析結果

(11)

 「を四」柱については,弘安 9 年より 50 年ほど古いが,二つの可能性を考えられる。 ① 柱径を整えるために削られており,現在の最外層年輪が伐採年に該当しない可能性。 ② 文永火災に先立つ貞応 2 年(1223)頃からの朽廃による再建活動があり,嘉禄 2 年(1226)に は幕府が下知状を発給して再建を支援している。この時期の本堂建設は不明であるが,日光・月光 像(丈六薬師脇侍)および十二神将立像は現存している。「を四」柱はこの時期に作られた柱だっ た可能性がある。  いずれにしても大善寺本堂は文永火災後,寺自身によって再建資金を集めている間,かなり困難 があったと想像される。その結果,弘安に新しく新調した柱(西柱)のほか,かつての造営による 古材(東柱・を四柱)を用いた可能性が高い。  弘安 7 年(1284)に鎌倉幕府の勧進支援が開始され,ようやく同 9 年に柱立を迎えることができ たが,それに先立つ 50 年前にも再建活動を行なっており,蓄積のあった材の中から柱を揃えたと 考えられる。なお,『国宝大善寺本堂修理工事報告書』(1956)には修理工事の時点で傷みの大きい 材を抽出しており,「東柱」と「を四柱」はこれに含まれる。  柱立の翌弘安 10 年に幕府は勧進を促す旨を命じ,その後正応 4 年(1291)上棟,徳治 2 年(1307) 頃にほぼ出来上がったと考えられる。その結果,大善寺は東日本では他に類例のない南都系大仏様 の要素と,和様,禅宗様の諸要素を持ち合わせる密教本堂として完成したのである。  以上より,大善寺本堂放射性炭素年代測定の結果,弘安九年刻銘柱の 1 本は,刻銘年に合致する 結果を得た。またもう一本の刻銘柱および背面の当初柱の測定結果は,古材が弘安再建の作事に用 いられた可能性を示し,史実と照らし合わせることで大善寺本堂再建過程の一端を明らかにした。 謝辞:大善寺本堂の放射性炭素年代調査にあたり,大善寺ご住職井上哲秀氏にご理解ご協力を賜っ た。記して感謝いたします。 本研究の試料採取は渡辺・中尾・中島千鶴(システム計画研究所,当時)・木戸真亜子(芝浦工業 大学大学院生,当時)・寺本理恵(芝浦工業大学大学院生,当時),解析は今村,本稿執筆は 2–1・ 2–2・2–3・2–6 を渡辺,2–4・2–5 を中尾が担当した。 註 ( 1 ) 関口欣也『日本建築史基礎資料集成仏堂 VII』 所収,中央公論美術出版,1975 ( 2 ) 「関東下知状写」「関東御教書」延慶 3 年 5 月 5 日,「関東御教書写」延慶 3 年 9 月 5 日 ( 3 ) 清雲俊元『山梨県史通史編 2 中世』第四章第二 節 pp. 158 ~ 160 山梨県 2007 ( 4 ) 秋山敬「創建と歴史」「三枝氏と大善寺」『真言 宗智山派大善寺』山梨歴史美術シリーズ 2 pp. 5–20  山梨歴史美術研究会 2008 ( 5 ) 国宝大善寺本堂修理工事報告書,国宝大善寺本 堂修理委員会,1956,1 ( 6 ) 木戸真亜子,建築遺構における放射性炭素加速 器質量分析に関する研究,2007 年度芝浦工業大学大学 院修士論文,2008.3

(12)

 「を四」柱については,弘安 9 年より 50 年ほど古いが,二つの可能性を考えられる。 ① 柱径を整えるために削られており,現在の最外層年輪が伐採年に該当しない可能性。 ② 文永火災に先立つ貞応 2 年(1223)頃からの朽廃による再建活動があり,嘉禄 2 年(1226)に は幕府が下知状を発給して再建を支援している。この時期の本堂建設は不明であるが,日光・月光 像(丈六薬師脇侍)および十二神将立像は現存している。「を四」柱はこの時期に作られた柱だっ た可能性がある。  いずれにしても大善寺本堂は文永火災後,寺自身によって再建資金を集めている間,かなり困難 があったと想像される。その結果,弘安に新しく新調した柱(西柱)のほか,かつての造営による 古材(東柱・を四柱)を用いた可能性が高い。  弘安 7 年(1284)に鎌倉幕府の勧進支援が開始され,ようやく同 9 年に柱立を迎えることができ たが,それに先立つ 50 年前にも再建活動を行なっており,蓄積のあった材の中から柱を揃えたと 考えられる。なお,『国宝大善寺本堂修理工事報告書』(1956)には修理工事の時点で傷みの大きい 材を抽出しており,「東柱」と「を四柱」はこれに含まれる。  柱立の翌弘安 10 年に幕府は勧進を促す旨を命じ,その後正応 4 年(1291)上棟,徳治 2 年(1307) 頃にほぼ出来上がったと考えられる。その結果,大善寺は東日本では他に類例のない南都系大仏様 の要素と,和様,禅宗様の諸要素を持ち合わせる密教本堂として完成したのである。  以上より,大善寺本堂放射性炭素年代測定の結果,弘安九年刻銘柱の 1 本は,刻銘年に合致する 結果を得た。またもう一本の刻銘柱および背面の当初柱の測定結果は,古材が弘安再建の作事に用 いられた可能性を示し,史実と照らし合わせることで大善寺本堂再建過程の一端を明らかにした。 謝辞:大善寺本堂の放射性炭素年代調査にあたり,大善寺ご住職井上哲秀氏にご理解ご協力を賜っ た。記して感謝いたします。 本研究の試料採取は渡辺・中尾・中島千鶴(システム計画研究所,当時)・木戸真亜子(芝浦工業 大学大学院生,当時)・寺本理恵(芝浦工業大学大学院生,当時),解析は今村,本稿執筆は 2–1・ 2–2・2–3・2–6 を渡辺,2–4・2–5 を中尾が担当した。 註 ( 1 ) 関口欣也『日本建築史基礎資料集成仏堂 VII』 所収,中央公論美術出版,1975 ( 2 ) 「関東下知状写」「関東御教書」延慶 3 年 5 月 5 日,「関東御教書写」延慶 3 年 9 月 5 日 ( 3 ) 清雲俊元『山梨県史通史編 2 中世』第四章第二 節 pp. 158 ~ 160 山梨県 2007 ( 4 ) 秋山敬「創建と歴史」「三枝氏と大善寺」『真言 宗智山派大善寺』山梨歴史美術シリーズ 2 pp. 5–20  山梨歴史美術研究会 2008 ( 5 ) 国宝大善寺本堂修理工事報告書,国宝大善寺本 堂修理委員会,1956,1 ( 6 ) 木戸真亜子,建築遺構における放射性炭素加速 器質量分析に関する研究,2007 年度芝浦工業大学大学 院修士論文,2008.3

………

旧土肥家本家住宅・隠居屋住宅(茨城県)

3–1 概要

 茨城県稲敷郡新利根村(現稲敷市)より国営常陸 海浜公園(ひたちなか市)みはらしの里に移築復原 された旧土肥家本家住宅,旧土肥家隠居屋住宅(1)を対 象に炭素 14 年代測定調査を行った。調査の目的は 建築年代と変遷年代の判定で,調査で得られた情報 は民家復原整備や社会教育活用の基礎資料となる。  旧土肥家本家住宅の位置した旧新利根村は江戸初 期以来新田開発の進んだ地域である。昭和 49 年度 の民家緊急調査で旧土肥家本家住宅および隣接した 隠居屋住宅が調査され,本家住宅は延宝二(1674) 年建築の重要文化財椎名家住宅(旧新治郡出島村) よりも若干古い 17 世紀に遡る古民家と推定され, また隠居屋住宅も分家制の事例として価値が高いと 考えられた(2)。昭和 56 年に解体され,旧土肥家本家 住宅,旧土肥家隠居屋住宅および旧土肥家閑居(分 家の隠居)住宅の部材が保管されてきた。

3–2 年代調査の経緯

 平成 17 年に国営常陸海浜公園みはらしの里の景観整備に伴う古民家復元事業において,学術的 価値に優れた旧土肥家本家住宅と旧土肥家隠居屋住宅が選定され導入が決定された。平成 18 年度 より,保管されてきた部材の調査が始まり,19 年度には本家住宅および隠居屋住宅の基本設計が 行われ復原調査に付随して放射性炭素年代調査を実施した。  2007 年 10 月に旧土肥家本家住宅 6 部材,2009 年 1 月に旧土肥家隠居屋住宅 8 部材について,常 陸海浜公園の部材保管現場にて試料採取を行った。いずれも建築当初材の可能性が高く,年輪面が 露出し試料採取の可能な部材である。本家住宅部材は 1 年輪試料を 5 年おきに採取し,隠居屋住宅 部材は 5 年輪試料を各部材ごとにウィグルマッチング用に 3~4 点採取し,AMS 測定を行った。  旧土肥家本家住宅の柱材 2 部材は,それぞれウィグルマッチ法を用いて最外層年輪についての年 代推定を行った。両柱とも年輪幅が大きいスダジイの心持ち材であるため,製材時削除部分の年輪 数が少ないと想定できる。年代は最外層で 1 本が 1642~1661 年,もう 1 本が 1661~1671 年と得ら れ,17 世紀後半の土肥家本家住宅の推定建築年代と合致した。一方,本家梁材 2 本と本家差物 1 本は基準パターンと整合しない異常値が測定され,部材の汚染が推測された。改めて解体保存され た部材の履歴を究明し,タールによる汚染が判明した。このうち差物の 1 試料のみ汚染を免れてお 図3–1 旧土肥家住宅の移築

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り暦年較正したところ,部材最外層で 1683~1712 の年代が得られ,記録による家屋の改造時期と 合致する結果が得られた。追加測定した梁材 1 試料は有機溶剤で洗浄しセルロースを抽出して測定 を行い,1643~1675 年と得られた。  旧土肥家隠居屋住宅の柱材 4 本,梁 1 本,敷居 3 本はいずれも当初の材の可能性が高く,建築年 代推定および復原調査に重要な部材である。梁および柱 2 本はスダジイ,柱 1 本と敷居 3 本はスギ でいずれも年輪幅が大きく製材時削除部分の年輪数が少ないと推測できる。  調査した 7 部材は,それぞれウィグルマッチ法を用いて最外層年輪の年代推定を行った。部材の 放射性炭素濃度測定によって得られた炭素年代値を実際の暦年代に較正する際,基準パターンであ る暦年較正曲線が蛇行(wiggle)しているため,複数の暦年較正曲線の年代に対応する場合がある。 今回調査した 7 部材の測定値も暦年較正の結果は全体として西暦 1700 前後と 19 世紀の 2 つの年代 に集まった。旧土肥家隠居屋の「か六」柱はホゾに宝永三年(1706)の墨書があり,また茨城県の民 家編年からも,19 世紀の年代を排除することが適当と考えられ,選択された 1700 年頃の年代は墨 書の宝永三年によく合致した結果となった。  旧土肥家本家住宅・隠居屋住宅は,解体調査および年代調査の結果を活用した復原整備が行われ, 2010 年 10 月より公開展示されている(3)。 図3–2 旧土肥家隠居屋住宅外観(2010.7.27撮影) 図3–3 旧土肥家本家住宅外観(2010.7.27撮影) 図3–4 旧土肥家隠居屋住宅測定部材位置図 図3–5 旧土肥家本家住宅測定部材位置図

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り暦年較正したところ,部材最外層で 1683~1712 の年代が得られ,記録による家屋の改造時期と 合致する結果が得られた。追加測定した梁材 1 試料は有機溶剤で洗浄しセルロースを抽出して測定 を行い,1643~1675 年と得られた。  旧土肥家隠居屋住宅の柱材 4 本,梁 1 本,敷居 3 本はいずれも当初の材の可能性が高く,建築年 代推定および復原調査に重要な部材である。梁および柱 2 本はスダジイ,柱 1 本と敷居 3 本はスギ でいずれも年輪幅が大きく製材時削除部分の年輪数が少ないと推測できる。  調査した 7 部材は,それぞれウィグルマッチ法を用いて最外層年輪の年代推定を行った。部材の 放射性炭素濃度測定によって得られた炭素年代値を実際の暦年代に較正する際,基準パターンであ る暦年較正曲線が蛇行(wiggle)しているため,複数の暦年較正曲線の年代に対応する場合がある。 今回調査した 7 部材の測定値も暦年較正の結果は全体として西暦 1700 前後と 19 世紀の 2 つの年代 に集まった。旧土肥家隠居屋の「か六」柱はホゾに宝永三年(1706)の墨書があり,また茨城県の民 家編年からも,19 世紀の年代を排除することが適当と考えられ,選択された 1700 年頃の年代は墨 書の宝永三年によく合致した結果となった。  旧土肥家本家住宅・隠居屋住宅は,解体調査および年代調査の結果を活用した復原整備が行われ, 2010 年 10 月より公開展示されている(3)。 図3–2 旧土肥家隠居屋住宅外観(2010.7.27撮影) 図3–3 旧土肥家本家住宅外観(2010.7.27撮影) 図3–4 旧土肥家隠居屋住宅測定部材位置図 図3–5 旧土肥家本家住宅測定部材位置図

3–3 旧土肥家本家住宅測定部材年代解析結果

 旧土肥家本家の測定結果および解析結果を以下に記す。 3–3–1 本家「に四」柱  本家柱「に四」は,心持ちの角柱で,樹種はスダジイである。年輪幅が大きく,製材時に落とさ れた部分は数年程度と考えられる。解析結果を図 3–6 に示す。得られた年代は,計算上は,わずか ながら 16 世紀にも確率が存在するが,建築史的な観点からその可能性を排除できる。最外層の年 代は 1642~1661 年と得られる。 3–3–2 本家「へ二」柱  本家柱「へ二」は,樹皮に接する最外層は確認できなかったが,年輪幅の大きいスダジイ材で, 加工による削平部分の年輪数は数年と推定される。最外層の年代は 1661~1671 年と得られる。 3–3–3 本家「へ四~へ二」梁  本家梁「へ四~へ二」試料の測定値を解析すると,χ二乗検定で不可となった。異常値は試料の 表3–1 旧土肥家本家住宅測定結果 試料番号 部材 年輪層 測定番号 δ13C(‰)※ 14C 年代 (yrBP±1σ)(ピーク値)較正年代 樹種 DOI–1 本家柱「に四」 1年目/23年輪 PLD–9332 -26.67±0.16 270±20 1642–1661 (1652) スダジイ DOI–3 10年目/23年輪 PLD–9333 -27.68±0.14 275±20 DOI–5 20年目/20年輪 PLD–9334 -25.48±0.14 315±20 DOI–8 本家柱「へ二」 5年目/25年輪 PLD–9339 241±18 240±20 1661–1671 (1666) スダジイ DOI–10 15年目/25年輪 PLD–9340 -26.18±0.17 230±20 DOI–12 25年目/25年輪 PLD–9341 -28.00±0.14 295±20 DOI–18 本家梁「へ四–へ二」 1年目/29年輪 PLD–9335 -25.44±0.15 450±20 異常値 スダジイ DOI–20 10年目/29年輪 PLD–9336 -26.37±0.11 560±20 DOI–22 20年目/29年輪 PLD–9337 -25.20±0.16 765±20 DOI–24 29年目/29年輪 PLD–9338 -26.08±0.13 735±20 DOI–26 本家梁「へ四–へ五」 1年目/23年輪 PLD–9342 -25.56±0.13 1130±20 異常値 スダジイ DOI–28 10年目/23年輪 PLD–9343 -28.08±0.12 595±20 DOI–31 23年目/23年輪 PLD–9344 -31.72±0.16 310±20 DOI–32 本家差物「に四–ろ四」 1年目/42年輪 PLD–10207 -26.79±0.16 730±20 異常値 スダジイ DOI–33 5年目/42年輪 PLD–10208 -26.45±0.19 545±20 DOI–35 15年目/42年輪 PLD–10209 -27.83±0.19 205±20 1683–1712 DOI–37 25年目/42年輪 PLD–10210 -28.26±0.13 465±20 異常値 DOI–43 本家梁「へ二–り二」 10年目/20年輪 PLD–10369 -25.33±0.15 265±20 1643–1675 クリ ※炭素 13 の炭素 12 に対する同位体比の標準試料に対する偏差を千分率で表示。AMS による測定で参考値。炭素 14 濃度 (14C/12C)の同位体補正に用いられる指標。

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図3–6 本家「に四」柱の解析結果

「に四」柱

「へ二」柱

図3–7 本家「へ二」柱の解析結果

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図3–6 本家「に四」柱の解析結果 「に四」柱 「へ二」柱 図3–7 本家「へ二」柱の解析結果 図3–8 本家「へ四~へ二」梁 タール汚染によるものと推測される。 3–3–4 本家「へ四~へ五」梁  本家梁「へ四~へ五」試料の測定値を解析すると, これもχ二乗検定で不可となった。年輪外側でより 古い炭素年代が測定され,外側により甚だしい試料 汚染がみられた。 3–3–5 本家「に四~ろ四」差物  土肥家「に四~ろ四」差物から採取した試料は, タール汚染のため,異常値が測定されたが,PLD10209 のみ 205±20yrBP という,妥当な測定値 が得られた。試料採取時の写真からも,この試料採取部分(表面から 15 年輪相当)は,着色が薄く, 汚染されていなかったと考えられる。この PLD10209 について,暦年較正を行った結果,最外年輪 は 1683~1712 年(ピーク値 1697 年)となった。「に四~ろ四」差物部材の伐採年は樹皮層までの 年輪数を考慮すると,この年代に 10 年~20 年程度加えた値となりさらに新しくなる。得られた 18 世紀初頭の年代は,建築史的観点から想定された「に四~ろ四」差物が入れられた年代すなわち屋 根の改造時期かつ分家析出の宝永三年(1706)によく対応するものとなった。 図3–10 本家「に四~ろ四」差物の解析結果 図3–9 本家「へ四~へ五」梁

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3–3–6 本家「へ二~り二」梁  旧土肥家住宅より採取した「へ二~へ四」梁,「へ四~へ五」梁,「に四~ろ四」差物の横架材が いずれも試料汚染により異常値が得られたため,「へ二~り二」梁より採取した No. 43 試料につい て,追加測定を行った。No. 43 試料は,「へ二~り二」梁より採取した樹種同定用試料で,外観観 察より汚染が少ないと判断した。樹種同定用試料のため,正確な年輪位置は不明であるが,「へ二 ~り二」梁自体は 20 年輪以上のクリ材で,そのホゾ部分端部より当該試料を割り取ったため,最外 部よりおよそ 10 年輪程度内側の部分と思われる。  汚染物質のタール成分を除去するため,No. 43 試料を有機溶剤(アセトン)でよく洗浄し,前処 理によってセルロース抽出したものについて測定を行った。得られた炭素 14 年代値は 265±20 yrBP となった。この炭素 14 年代値は,当初材である「に四」柱(10 年目試料が 275±20 yrBP),「へ 二」柱(15 年目試料が 230±20 yrBP)ときわめて近い値である。No. 43 試料の年輪位置を最外部 より 10 年輪内側と仮定し暦年較正すると,1 点のみの測定により,1537~1565 年(17%),1643~ 1675 年(74%),1795~1805 年(4%)の 3 つの年代値が得られた。このうち,1537~1565 年と, 1795~1805 年は信頼性の確率が低いことと,建築史学の見地から除外してよいと思われる。その 場合,No. 43 試料(「へ二~り二」梁)の 1643~1675 年は,「に四」柱(1642~1662 年),へ二柱(1660 ~1671 年)と同時期となる。この年代値は,外皮除去部分を考慮していないので,住宅建築年は, これより 5 年~10 年程度下ることになる。すなわち,「へ二~り二」梁は,建築当初材と考えられる。 図3–11 本家「へ二-り二」梁の解析結果

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3–3–6 本家「へ二~り二」梁  旧土肥家住宅より採取した「へ二~へ四」梁,「へ四~へ五」梁,「に四~ろ四」差物の横架材が いずれも試料汚染により異常値が得られたため,「へ二~り二」梁より採取した No. 43 試料につい て,追加測定を行った。No. 43 試料は,「へ二~り二」梁より採取した樹種同定用試料で,外観観 察より汚染が少ないと判断した。樹種同定用試料のため,正確な年輪位置は不明であるが,「へ二 ~り二」梁自体は 20 年輪以上のクリ材で,そのホゾ部分端部より当該試料を割り取ったため,最外 部よりおよそ 10 年輪程度内側の部分と思われる。  汚染物質のタール成分を除去するため,No. 43 試料を有機溶剤(アセトン)でよく洗浄し,前処 理によってセルロース抽出したものについて測定を行った。得られた炭素 14 年代値は 265±20 yrBP となった。この炭素 14 年代値は,当初材である「に四」柱(10 年目試料が 275±20 yrBP),「へ 二」柱(15 年目試料が 230±20 yrBP)ときわめて近い値である。No. 43 試料の年輪位置を最外部 より 10 年輪内側と仮定し暦年較正すると,1 点のみの測定により,1537~1565 年(17%),1643~ 1675 年(74%),1795~1805 年(4%)の 3 つの年代値が得られた。このうち,1537~1565 年と, 1795~1805 年は信頼性の確率が低いことと,建築史学の見地から除外してよいと思われる。その 場合,No. 43 試料(「へ二~り二」梁)の 1643~1675 年は,「に四」柱(1642~1662 年),へ二柱(1660 ~1671 年)と同時期となる。この年代値は,外皮除去部分を考慮していないので,住宅建築年は, これより 5 年~10 年程度下ることになる。すなわち,「へ二~り二」梁は,建築当初材と考えられる。 図3–11 本家「へ二-り二」梁の解析結果

3–4 旧土肥家隠居屋住宅測定部材年代解析結果

 旧土肥家隠居屋住宅の測定結果および解析結果を以下に記す。 3–4–1 隠居屋「か六」柱  「か六」は心持ちのスギの角柱で,辺材は確認できなかったが年輪幅が 5 mm 以上と大きい。得 られた年代は,計算上は 19 世紀にも確率が存在するが,建築史的な観点からその可能性を排除で きる。ホゾに宝永三年(1706)の墨書があり,測定結果は墨書を裏付けるものとなった。なお「か六」 表3–2 旧土肥家隠居屋住宅測定結果 試料番号 部材 測定年輪層(外より) 総年輪数 測定番号 δ13C(‰)※ 14C 年代 (yrBP±1σ) (ピーク値)較正年代 樹種 DOI–38 柱:か六 1 16 PLD–9345 -26.91±0.15 140±20 1695–1714 (1704) スギ DOI–39 5 PLD–9346 -24.87±0.13 90±20 DOI–40 10 PLD–9347 -26.59±0.17 105±20 DOI–41 15 PLD–9348 -25.31±0.18 160±20 DOI–42 梁:は十~ち十 3–7 57 PLD–12329 -24.41±0.19 135±20 1698–1715 (1700) スダジイ DOI–43 28–32 PLD–12330 -25.59±0.15 145±20 DOI–44 48–52 PLD–12331 -23.90±0.19 250±20 DOI–45 柱:ち十 2–6 36 PLD–12332 -26.37±0.17 110±20 1697–1720 (1705) スダジイ DOI–46 12–16 PLD–12333 -26.00±0.18 135±20 DOI–47 22–26 PLD–12334 -26.15±0.21 160±20 DOI–48 32–36 PLD–12335 -26.31±0.15 165±20 DOI–49 柱:は十 2–6 31 PLD–12336 -25.44±0.15 145±20 1706–1717 (1709) スダジイ DOI–50 12–16 PLD–12337 -25.69±0.15 110±20 DOI–51 22–26 PLD–12338 -28.32±0.15 130±20 DOI–52 敷居:た八~た十 6–10 27 PLD–12339 -24.04±0.20 135±20 1689–1704 (1698) スギ DOI–53 11–15 PLD–12340 -24.07±0.17 135±20 DOI–54 16–20 PLD–12341 -24.38±0.25 175±20 DOI–55 21–26 PLD–12342 -25.42±0.27 195±20 DOI–56 敷居:ぬ十二~を十二 1–5 26 PLD–12343 -23.53±0.15 105±20 1705–1732 (1715) スギ DOI–57 11–15 PLD–12344 -23.82±0.14 110±20 DOI–58 21–25 PLD–12345 -24.50±0.20 125±20 DOI–59 敷居:ち十二~ぬ十二 1–5 15 PLD–12346 -22.34±0.21 140±20 1683–1708(1696) スギ DOI–60 11–15 PLD–12347 -24.71±0.24 145±20 DOI–61 柱:を六 1–5 27 PLD–12348 -23.59±0.29 110±20 1701–1737 (1708) スギ DOI–62 11–15 PLD–12349 -22.10±0.26 140±20 DOI–63 21–25 PLD–12350 -25.67±0.45 110±25 ※炭素13の炭素12に対する同位体比の標準試料に対する偏差を千分率で表示。AMS による測定で参考値。炭素14濃度(14C/12C) の同位体補正に用いられる指標。

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柱は 1 年目の測定結果が他の年輪の年代と合わず,1 年目最外層が汚染されており,汚染成分が試 料に含まれたため,異常値となったと考えられる。そのため 1 年目のデータを外して解析した。隠 居屋の建物は解体され,部材が保存されてきたが,解体時に塗布されたタールが,汚染の原因となっ たと考えられる。発掘部材と異なり比較的汚染の少ないと考えられてきた民家部材ではあるが,今 回の結果からも特に部材表面の汚染を考慮する必要性が明らかとなった。 3–4–2 隠居屋「は十~ち十」梁  隠居屋「は十~ち十」梁はスダジイの瓜剥き材である。年輪幅が大きく,製材時に落とされた部 分は数年以内程度と考えられる。得られた年代は 18 世紀初頭と 19 世紀に確率が存在するが,建築 史的な観点から 19 世紀の可能性を排除できる。最外層の年代は 1698~1715 年(ピーク値 1700) と得られる。 図3–12 隠居屋「か六」柱解析結果 図3–13 隠居屋「は十~ち十」梁解析結果

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柱は 1 年目の測定結果が他の年輪の年代と合わず,1 年目最外層が汚染されており,汚染成分が試 料に含まれたため,異常値となったと考えられる。そのため 1 年目のデータを外して解析した。隠 居屋の建物は解体され,部材が保存されてきたが,解体時に塗布されたタールが,汚染の原因となっ たと考えられる。発掘部材と異なり比較的汚染の少ないと考えられてきた民家部材ではあるが,今 回の結果からも特に部材表面の汚染を考慮する必要性が明らかとなった。 3–4–2 隠居屋「は十~ち十」梁  隠居屋「は十~ち十」梁はスダジイの瓜剥き材である。年輪幅が大きく,製材時に落とされた部 分は数年以内程度と考えられる。得られた年代は 18 世紀初頭と 19 世紀に確率が存在するが,建築 史的な観点から 19 世紀の可能性を排除できる。最外層の年代は 1698~1715 年(ピーク値 1700) と得られる。 図3–12 隠居屋「か六」柱解析結果 図3–13 隠居屋「は十~ち十」梁解析結果 3–4–3 隠居屋「ち十」柱   隠居屋「ち十」柱は,樹皮に接する最外層は確認できなかったが,年輪幅の大きいスダジイ材で, 加工による削平部分の年輪数は数年と推定される。得られた年代は 18 世紀初頭と 19 世紀に確率が 存在するが,建築史的な観点から19世紀の可能性を排除できる。最外層の年代は1697~1720年(ピー ク値 1705)と得られる。 3–4–4 隠居屋「は十」柱  隠居屋「は十」柱は,樹皮に接する最外層は確認できなかったが,年輪幅の大きいスダジイ材で, 加工による削平部分の年輪数は数年と推定される。得られた年代は,18 世紀と 19 世紀に確率が存 在するが,建築史的な観点から 19 世紀の可能性を排除できる。最外層の年代は 1706~1717 年ある いは 1720~1751 年と得られる。 図3–14 隠居屋「ち十」柱解析結果 図3–15 隠居屋「は十」柱解析結果

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3–4–5 隠居屋「た八~た十」敷居  隠居屋「た八~た十」敷居は年輪幅の大きいスギ材で辺材を確認できなかった。得られた年代は, 17 世紀末期と 19 世紀に確率が存在し,建築史的な観点から 19 世紀の可能性を排除できる。最外 層の年代は 1689~1704 年(ピーク値 1698)と得られる。 3–4–6 隠居屋「ぬ十二~を十二」敷居  隠居屋「ぬ十二~を十二」敷居は年輪幅の大きいスギ材で,辺材を確認できなかった。得られた 年代は,18 世紀初頭,19 世紀に確率が存在し,建築史的な観点から 19 世紀の可能性を排除できる。 最外層の年代は 1705~1732 年(ピーク値 1715)と得られる。 図3–16 隠居屋「た八~た十」敷居解析結果 図3–17  隠居屋「ぬ十二~を十二」 敷居解析結果

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