規制廃止初期のアメリカ合衆国民間航空会社経営の
実態 : 二つの破産例を中心に
著者
上野 喬
著者別名
Ueno Takashi
雑誌名
経営論集
巻
34
ページ
53-99
発行年
1990-03-24
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00005728/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja営の実態
二つ の破産 例を中 心 に
上
野
喬
目 次1. 問題の所在と限定2. 合衆国公共政策略史3. 合衆国民間航空産業規制略史4. 規制廃止論と州内航空会社の業績5. ブラニフ国際航空会社の発展と破産6. コンチネンタル航空会社の破産と更生7. 新しい経営者の必要1.
問題の所在と限定1978
年10 月28 日 アメリカ合衆国 カ ーター大統領 は, 上下両院議会におい
て漸 く合意を みた「 航空産業規制廃止法案」 に署名 した。
こうしてこの日を もって, かつて合衆国民間航空産業を保護 していた法体
系 は全面的 に撤廃されることが決定的と なったのであ る。 しかしながら当産
業界の関係者の殆 んどの ものは,以 前に もまして航空会社間 の弱肉強食即ち
吸収と合併の発生を憂慮する。加えて,当産業 界 は,1979 年 の石油価格の暴
騰,1981 年か ら1982 年 にわたった合衆国全地域 の経済不況そして1981 年8
月か ら行 なわれた全国的な航空管制官 スト ライキにより,大打撃をうけた。1979
年 来累 積赤字3 億2,934 万 ド ルを 計上 し たブ ラニフ国 際航空 会社は1982
年5 月13 日連邦破産法第11 章(会社更生 法)適用の申請書を提出し破
産し た1)
。 そして1984 年3 月か ら, ハイ ヤット会社の子 会社と して小規模な
がらの営業 を再開し たが,1986 年当社の国内航空市場 占有率 は僅か0,7 パ ー
セントで, 昔日の面影は残 っていない。1983
年9 月24 日コ ンチネンタル航空 会社 (新コ ンチ ネンタル) は,1979
年来 の莫大 な累 積赤字,更に は約1 億ドルに達す る賃金切り下げを,当社労
働組合が拒否し たことを理由に, ヒュースト ン連邦破産裁判所 に連邦 破産 法
第11 章適用の申請を 行なった。 しかし ながら9 月27 日 から当社 はこれまで
の国内運航都市 を78 か ら25 に削減 し,1
万2,000 人 の従業員 を4,200 人 に
へらしレ 既存 の102 機 に代 る42 機 の ジェット機を もって運 航業務 を再開 す
るとと もに漸次財務内容を改善 し, 従業員給料 の大幅引 き下げを断 行し,更
に イースタン航空会社, ピープ ル・エ クスプレス航空会社を傘下 に加 えた。1986
年末に当該 グル ープ は,合衆国国内航空市場 占有率 の19.6 パ ーセント
を誇示 しうる, 最大規模の航空企業に成長した2)
。1970
年代末 から1980 年 代前半におけ る, ブラニフとコンチ ネ ンタルの歴
史 は‥
という激流に棹さして失敗しそしてまた成功してい った企業 の歴史 であ る。
で は同一 の経済環境の中にあり ながら, いかなる経営状況が破産を ひきおこ
し, また成功を もたらしたのか。 このような状況 にあ って上級経営者 の資質
はいかに関 わってい るのだろうか。 およそこのような問題を本論で は取り扱
う。
まず第2 節において は, アメリカ合 衆国の公共政策 の歴史 がふり かえ られ
る。連邦政府 は時に応 じて硬軟夫々の政策を行なって きたのであ る。
第3 節で は, この連邦政府の公共政策 が民間航空産業をい かに規制してい
たのかが明らかにさ れ, 第4 節 では連邦政府から離 れてい る州内 航空 産業の
実績が全国 的規制廃止を出現させ る基礎となったことが明 らかにされる。
第5 ・6 節において はブ ラニフと コンチネンタルの歴史と現況 とが描写さ
れる。 この描写において は企業を とりまく環境 が激変 したと きいかに上級経
営者層(ト ップ ・マ ネジメ ント) の資質 が企業の命運 に大 きく影 響するか が
提示 されよう。
最後 の第7 節においては会社企業破産についてのい くつ かの要因 のうち,
上級経営者の資質 の占 める比重 が極めて大 きい ものであ ることが強調されよ
う。規制廃止とい う激流が押 しよせて きた当産業 界にお いて, 会社企業 の存
続という大命題を解 くにあたって求め られたのは,新 しい環境 の動向 を逸早
く洞察し, そ れを経営活動の申 に取り入れることので きる所謂「 合理的経営
者」 なのであ った。 人的そして物的な経営資源を競争 の自由 の申 で適時にか
っ 巧みに利用しえ た「合理的経営者」 こそ,旧来からの「家父長 的経営者」
ことって代 ることになったのである。
2. 合衆国公共政 策略史
およそ様々な能力 そして価値観を具備する人間 の経済活動 が,有限な物財
の生産・分配・消費 において行 なわれるかぎり√人間集団 の経済活動につい
て みれば, 瞬時に は是正しえ ない不均衡そして不平等 が必然的 に発生 してく
ること, これは自明のことであろう。 こうした事態 の進む ところ,所謂少数
有能者への物 財・富の集中 が即ち独占 が形成 されて くること もまた容易に想
定 することができるであろう。我々 は,大げ さに表現す るならば「人類の歴
史」とと もに, このような様々な独占に対峙して きたのであり,更に また,
独占の形成 とと もに,そ れに対抗しかつそれを是正 しようとす る反独占的運
動 も発生 して きたのである。
西 ヨーロ ッパ市民 社会の伝統を,善 かれ悪 しかれ輸入 して きたアメ リカ合
衆国 において も, こ の問題 は, 独自の色彩をお びて再現 して くる。南北戦争
により,封 建的 独占を廃止したのも束の間の如 く, 全国土 にわたって急速 に
発展してきたこの国 の資本主義 は,少数の資本家 への富の集 中 と,多 数の国
民 大衆への貧困 の集積を惹 き起してい った。 このような経済的 利益 の極端か
つ著明な偏在 は, 建国来「複数主義」(キントナー)3
)を是 とす るこの新世界
において,資本家 に対する「持 たざ る」国民の不満を凝結 させてい った。
周知の如く,J.D. ロ ックフェ ラーに率い られたス タンダ ード石 油会社はト
ラスト(信託)方式 により,競争相手 を吸収合併あるいは破滅さ せ,19 世紀
後半のアメリカ石油産業 界において, 独占的地位を築 きあげて いった。 しか
しながら国民大衆 の支持を背景にした連邦政府 は, このような独占形成に対
して,しかるべき公共 経済政策を実施していく。即 ち1890 年 に は,独占大企
業 の活動制限を意図 して, シャーマン反トラスト法 が制定 され, ト ラスト活
動 の制限, 競争 の自由が法制化された。そして1891 年 ス タンダード石油会社
は,20 の独立 会社に分割解体 される。このト ラスト活動 の制限,競争 の自由
維持の法理 は,1914 年 に成立 する クレイト ン法により,時代 に応 じた形で補
強さ れていった。
しかしながら他方 において は,農産物国内市場の形成, それを可能にした
全国的な鉄道網の完成, 更に20 世紀 に入 ってから大 きく発達 する鉄鋼,自動
車 産業等 は, 連邦 政 府の これまで の公 共政策に, 新 しい 傾向 を導入 させて
い った。 即 ち当局 は, 国 民 の経 済生 活 に大 きな影 響 を与 え て く る こ れ ら の産 業 の市 場 に, 積 極的 に介 入 して , 消費 者 保 護, 産 業 存 続 を理 由 とす る, 調 和 的 経 済活 動 の実現 を 目 論 ん だ。 具 体的 にこ の政 策 は,各 種 の産業 規 制 法 と , そ れを 監 督 実 施 す る機 関 と し て の各 種 の委 員 会 設 置 に よ り行 な わ れて い っ た。 こ こ で は そ れ の 最 初 の 例 と し て , 鉄 道 産 業 の 保 護 規 制 を 目 的 と し た1887 年 の州 際 商業 法 の制 定 と 州 際 商業 委員 会 の活 動 を あ げ る こ とが で き る。 こ う し た政 策 に よ り, 国民 の経 済生 活 の安 定 と国 内 市 場 の健 全 な 発達 を 目 的 と し て , 反 ト ラ スト法 の適 用 除 外, 競 争 の自由 の一 定 の抑 制 が, 同 じ く国 家 に よ り 実 施 さ れ て い っ た。 し か も反 ト ラ ス ト 法 適 用 除 外 に よ る保 護 規 制 の論 理 は, 資 本 そ して 企業 経 営 に の みあ て はめ ら れ た ので は な く, 労 働 に もあ て は め ら れて い く ので あ る。19 世 紀 末 以 来 の国 内 産業 ,国 内 市場 を 対 象 と し た 合 衆 国 連邦 政 府 の公共 政 策 は, こ の よ うな 自由 競 争 の 促進 と競 争 制 限 と い う対 照 的 な 内容 を もつ 政 策原 理 に よ っ て運 用 さ れて きた こ と,国 家 は適 時 に硬 軟 い ず れか の政 策 を 実 施 し え た こ と, こ の こ と はい く ら強 調 し て も強調 し す ぎ るこ と の な い, 合 衆国 公共 政 策 の特 徴 な ので あ る4)。1914 年 ウ ィル ソ ン大 統 領 は, ク レ イト ン法 を成 立 さ せ る と と も に「連 邦 取 引 委員 会 」を も発足 さ せ た。 アメ リカ 資 本 主義 は,第一 次世 界 大 戦 終了 後 に, 多 数 の 巨大 企業 の 出 現 に 象 徴 さ れ るよ う な経 済 活動 の躍 進 そ して 繁 栄 を 謳 歌 し た の であ っ たが,1929 年 か ら発 生 し て き た大恐 慌 を 経 験 す る こ と に より, ま すま す保 護 規 制 の中 に組 み入 れ ら れ て い っ た。 崩 壊 の危 機 に 直面 し た ア メ リカ 資本 主 義 を 再 建 し, 国 内市 場 を 正 常 化 す る た め に, 経 済 活 動 に一 定 の 秩 序 を 導 入 確 立 し よ う と努 力 し た の が, ニ ュ ー テ ール の ル ー ズヴ ェ ル ト大 統 領 で あ った。彼 の政 権 担当 期間 中 に,「連 邦電 力 委員 会 」(1930 年 ),「連 邦 通 信委 員 会 」,「証 券取 引 委員 会」(1934 年 ),「国 家 労 働 関 係 委 員 会」(1935 年 ) そ し て「民 間 航 空委 員 会」(1940 年 ) が設 置 さ れ た。 こ う した 中 で, ア メ リカ 資本 主 義 は, 計 画 さ れ規 制 さ れ な が ら, 第二 次 世 界大 戦 を 迎 え た の であ る。 第 二 次 世 界 大戦 で の戦 勝 を 契 機 と し て, 自 由主 義 世 界 の盟 主 に な って い っ た ア メ リ カ合衆 国 は,1950 年 代 か ら,両 大 戦 間 期 の繁 栄 を もし の ぐ経 済 的好 況 を 経 験 した。 し か し な が ら こ の好 況 も, 諸 外国 の経 済 復興 そ して そ れら に 連 動 し た外 国市 場 にお け る ア メ リカ製 商品 の競争 力 低 下 に よ り, 次 第 に下 火
に な っ て い っ た 。1971 年 末 の ス ミ ソ ニ ア ン 体 制 の 成 立 は , 国 際 金 融 経 済 活 動 の 中 に お け る ア メ リ カ 資 本 主 義 の 成 熟 と 脆 弱 化 と を 国 の 内 外 に 明 示 し た 深 刻 な 指 標 と な っ て い っ た 。 こ う し た 状 況 に お い て ,「 強 い ア メ リ カ 」そ し て ア メ リ カ 資 本 主 義 活 性 化 の 主 張 は , ま ず 連 邦 政 府 の 公 共 政 策 再 検 討 の 要 求 と し て 現 わ れ て く る 。 即 ち 各 種 の 委 員 会 に よ る 保 護 規 制 に よ り , 消 費 者 へ の 用 役 ( サ ー ヴ ィ ス ) が 硬 直 化 し か っ 高 料 金 化 し て き た と み な さ れ る 産 業 の 市 場 機 能 の 見 直 し と , そ こ で の 競 争 の 自 由 が 指 摘 さ れ て き た の で あ るレ た し か に,1960 年 代 中 葉 に は 規 制 関 係 機 関 の 増 加 と そ れ に 伴 う 費 用 増 加 が 著 し か っ た 。 ス テ フ ァ ン ・ ブ ラ イ ア ー に よ れ ば , 連 邦 官 報 に 掲 載 さ れ た 連 邦 規 制 関 連 事 項 の ペ ー ジ 数 は,1936 年 の2.599 ペ ー ジ か ら1977 年 に は65,603 ペ ー ジ に 増 加 し ,同 期 間 の 連 邦 規 制 関 係 予 算 も, 当 初 の そ れ の6 倍 に あ た る と い う 。1965 年 合 衆 国 粗 生 産 物 の8.5 パ ー セ ン ト は , 規 制 さ れ て い る 産 業 で 生 産 さ れ,1975 年 に そ れ は23.7 パ ー セ ン ト に 達 し た の で あ る 。5) こ の よ う な 連 邦 政 府 の 規 制 拡 大 に 対 し て , 次 の5 つ の 批 判 が 提 示 さ れ た 。 即 ち(1)規 制 の た め の 莫 大 な 費 用, (2)費 用 対 効 果 が 余 り に も 小 さ い, (3)規 制 手 続 の 不 公 平 , 非 能 率, (4 )規 制 実 施 に み ら れ る 非 民 主 性 と 非 合 法 性 , そ し て(5 ) 規 制 効 果 の 不 確 実 性 で あ る 。 し か も こ の よ う な 非 難 は , 自 然 独 占 に よ っ て 成 立 す る サ ー ヴ ィ ス 産 業 で あ る 所 謂 公 共 事 業 に も 向 け ら れ て い っ た の で あ る6) こ の よ う な 潮 流 の 中 で,1960 年 代 末 か ら 合 衆 国 で は い く つ か の 規 制 の 見 直 し が 実 行 さ れ た 。1968 年 合 衆 国 最 高 裁 判 所 は , ア メ リ カ 電 信 電 話 会 社 が 独 占 し て い た 通 信 装 置 の 公 開 使 用 を 命 令 し,1969 年 に 「 連 邦 通 信 委 員 会 」 は 「 こ の 気 運 を 更 に 進 め た 。1970 年 に 「 連 邦 準 備 委 員 会 」 は 銀 行 預 金 利 子 の 自 由 化 を,1975 年 に 「 証 券 取 引 委 員 会 」 は 株 式 売 買 手 数 料 の 自 由 化 を 発 表 し た 。1980 年 に は 鉄 道 並 び に ト ラ ッ ク 運 送 業 に お い て 免 許 制 度 の 見 直 し , 運 賃 統 制 の 撤 廃 が 実 現 さ れ た 。 こ の よ う に し て ,1978 年 に 出 現 し て く る 民 間 航 空 産 業 界 で の 規 制 廃 止 も , 合 衆 国 公 共 政 策 と い う 巨 大 な 振 子 が , 自 由 競 争 ・ 反 独 占 と い う 極 に 接 近 し て い く 振 動 の 中 に 含 ま れ て い る と た と え る こ と が で き る で あ ろ う 。
3。合衆国民間航空 産業 規制略史
第一次世界大戦後 のアメ リカ合衆国 において, 次第に発達して くる民間航
空業界でも, 前節で瞥見し たような硬軟両 極の性格を もつ公共政 策の展開が
みられた。
一部好事家の遊 び道具と みなさ れて きた当初 の飛行 機は,安全 と速度につ
いて国民 大衆を納得させる機能を もたなか った。 しかしながら飛行機の将来
性 に期待した連邦政府は, 補助金と航空郵便料 金の支給 により,航空産業を
保護発展させようとした。1926
年には航空商業法が初 めて制定 される。当法により,連邦政府当局 は
航空路線,空港設備の充実を担当 し, 各航空会社 への航空郵便料金支払い は
郵政 長官 の権限と みなされた7)
。
アメ リカ大陸横断 の航空路線網形成 を意図 して出現 してきた多 くの航空会
社 は,時とと もに吸収合併を,資本 の集中・集 積をくりかえ す。 この過程に
お いて航空会社と飛行機製造会社 とが同一 の持株会社により支配される例 も
でて きた。 フ ーヴァー大統領時代 の郵政長官 ウォルター・ ブラウンは,当 産
業 界 の育成 を目論んで,強引極ま る業 界指導を敢行 し,
「利権会議」とも称 さ
れ る業者同志O 談合と共謀9 機構を 存続 させた8)
。 こO 官民 癒着 則 犬況は・1933
年 か ら始 められたブラッ ク上 院議員主 宰 の公聴 会の過程にお いて 明 ら
かにされた。このような状況 の是正を 目的 と して,
「航空産業 界に向けられた
シャーマ ン・ クレイトン法」とい われる1934 年 の航空 郵便法が制定される。
当 法は,航空郵便運送契約者 の業 務外経済活動 の禁止,持株会社 による飛行
機製造 と運航業 務との包括経営の禁 止と分離とを規定 した。更 に当産業 は,
連邦政府 の三 つの関係部局 の監督下 におかれ ることにな った9)
。1938
年 にルーズ ヴェルト大統領 は,
「マ ッカラン・ リー法案」に署名する。
当 法により,営業路線,運賃等 の経 済関 係事項は,5
人の委員か ら成 る「民
間 航空委員 会」 の管轄となる。当委員 会は更 に, ブ ラック委員会以後 に再編
された当業 界の既存の会社とそれらが運航 して いる路線 とを「祖父 権」 とし
て,従来通り承認 する。こうした政策により,国 内大手4 会社( アメリカン,
イ ース タン, トランス・ ワールドそしてユ ナイテ ッド) と国 際線会社 (パ
ン・ アメリカ ン) とが大 きく発展して くるのであ る。
民 間航空委員会による当産業界保護規制 の体系 は, ジェット航空機時代の
航空法であ る1958 年の 「連邦 航空法」 において も, 殆んど変更 されなかっ
た。当 法制定後の20 年間に も,当委員会 は幹線大手,地方中小 航空会社 の存
続, 新規参入企業 の抑制,特定路線の運航制限そして運賃改訂,合併申請に
つ い ての厳 格 な 審査 に示 さ れ る, 保 守 的 態度 を崩 さな か った。 こ のよ う な硬 直 的 な行 政 指 導 の結果 は, 乗 客 を 無 視 した サ ー ヴィ ス競 争 の 過剰 と高運 賃 更 に は好戦 的 な 職能 別労 働 組 合 と 高 賃銀 の 出現 であ った。 合 衆国民 間 航空 産業 界 の こ の よ う な 体質 を形 成 させ た非 弾 力 的 規制 体 系 の 見 直 しは, 他 の反 規 制体 系 運 動 の展 開 と同 様 に,1960 年 代 中 葉 か ら盛 ん に な って きた。こ れに は次 のよ うな 原 因 もあ っ た。即 ち1 郭0 年 代 末 か ら当 産業 界 に ボー イ ングB-747, ダ グ ラスDC-10 そ して ロ ッキ ードL-lOU 等 の広 胴 機 が導 入 さ れて く る。 こ れ ら の機 種 は, 第 一 世 代 ジェ ット機 を は るか に しの ぐ 輸 送 能力 を もつ。 そ れ は既 存 の 航空 需 要 を は るか に こえ る も のだ った。 こ う して 高運 賃 , 高 費用 を 当 然 と み な して い た当 産業 界 の秩序 を, 根 源か ら ゆさ ぶ りか ね な い需 給不 一 致 発生 の素 地 が 顕 わ に なり, 新 七 い 価 格 体系 そ して 秩 序 成 立 の必 要 が生 れて きた ので あ る。 新 七 い状 況 は, 連 邦 政 府 の権 限 か ら自 由 で あ った州 内 航 空 産業 の発 展 がっ くり だ し た ので あ る。
4.
規制廃止 論と州内航空 会社の業 績
日本で は規制緩和と意訳 されてい る, アメ リカ合衆国民間 航空産業 の規制
廃止は,まずR-- ケーヴスの『航空運送業 と規制者』
(1962 年)の中で,産業
組織 論の立 場か ら主 張さ れ た。 この規制 再 検討 そして廃 止 の論議 は, 更 にW
・ ジョルダ ンめ 『 アメ リカにおけ る航空産業 規制J (1970 年),A ・E ・
カ ーンの『規制 の経済学』
(1970 ―71 年)そしてG ・ ダグラスとJ ・ ミラー3
世による『国内航空産業 の経 済規制』(1974 年) において も展開さ れていっ
た10
)
。
これらの経済学者は,1938 年来当産業 界の通念と もなっている「独占」が,
依然 として保護規制を正当化 する概念 か否 かを問題としたのであ る。交通運
送業 でみられるこの「自然 独占」 の問題 は,当該産業 を公共事業とみなす根
拠に結 びつ いて いた。即 ち一産業 に独占状況 が出現 してくることは, その独
(寡)占企業 にお いて,企業規模 が大 きくなればなる程, 生産費用は逆 に逓減
してくるという,
「規模の経済」原理 が貫 徹しているものといわれる。このよ
うな「規模 の経済」 とい う特殊 な有利性を具備 する独占企業 は,それが消費
者の日常生活に不可欠 な用役
電力, ガス,水道, バス,ト ラック,航空
機-
を提供す るのであ れば, 当企業存続 のためにめ,政 府関係当局 はそ れ
表la. 合 衆 国 航 空 会 社 財 務 状 況,1977 −85 年 年 度197719781979 現 預 金 市 場 性 有 価正 券( ド ル)1,820.52,111.91,809.8 運 転 資 本 (-)566.7480.5 (223.1 ) 流 動 比 率 (-)1.141.100.96 税 控 除 前 利 子 負 担 指 標2.33.31.7 固 定 負 担 指 標2.02.81.5 対 長 期 負 債 現 預 金 収 支(%)30.339.525.2 対 総 負 債 現 預 金 収 支(%)27.736.123.0 対 長 期 負 債 留 保 現 預 金 収 支(%)29.237.723.6 対 総 資 本 短 期 負 債(%)55.949.252.5 留 保 利 益( ド ル)2,211.53,199.63,542.5 自 己 資 本 収 益 率(%)13.220.16.7 税 控 除 前 資 本 収 益 率(-)11.313.67.3 営 業 現 預 金( ド ル)2,033.52,524.41,940.8 資 本 支 出( ・)1,710.82,538.53,459.0 長 期 負 債 資 本 リ ー ス( ド ル)6,714.06,395.07,700.7 短 期 負 債623.7593.0736.8 ド ル は1,000 万 単 位 ‥J.Maldutis,ThefinancialconditionofU.S.airlineindustrysincederegulation,SalomonBrothersInc.nodate,2.
を保護規制し なけ ればならない。
こうした公共事業 規制論に対して, ケーヴスは合衆国「国内幹線航空会社
の中では,企業規模 と平均費用との間 に,有意 の関係 が存在しない」ことを,
豊富 な資料を提示す ることで論駁 しだ )
。ケーヴスの所 論 は,R ・レ ヴィンの
「規制 は必要 か
カリフォルニア州航空運送業 と国家 規制政策」
、 サイマ¬
ト・ ヘリーセ ン・ エイヒナー社 の「テキサス, カリフォ ルニアにおける州内
航空規制」そしてL.J. ホワイトの「航空産業界にお ける規模 の経済と自然独
占問題」等 の論作 により支持さ れることになった12)
。1979
年 にカ ーン教授 は,エリ ー講演会において「 不完 全世界への経済学」
を発表し た。 そ れは彼の大著『規制 の経済学』 でかつて主 張 された自由な市
場 についての交 通経済学的要約であ るとともに, 民間航空委員会を主宰 した
経験 を もつ大学人 の感想で もあ った。
1980-1,366.9
(887.2)
0.88
1.0
1.0
19.3
17.1
3 1 3 8 1 18 56 626 (0 5 736 826 985 184 2 7 5 3 )08757 1981 -1,148.4 (1,812.2) 0.77 0.3 0.4 14.3 12.4 13.3 58.3 3,472.0 (11.9) 1.8 1,291.6 3,731.0 9,041.8 1,408.0 1982 -1,612.2 (1,575.2) 0.80 0.1 0.2 10.2 9.2 9.2 62.7 2,709.8 (16.0) 0.4 1,112.5 3,752.1 10,957.4 1,148.1 1983 2.851.2 (689.4) 0.92 0.6 0.7 23.3 19.9 21.0 59.9 2,442.5 4.0 4.3 2,590.8 4,678.3 11,634.3 1,365.7 1984 -3,789.9 (522.3) 0.95 2.0 1.8 32.9 29.0 31.5 55.3 3,046.1 9.3 13.3 3,659.3 3,670.0 11,132.0 1,500.7 1985 -4.547.7 330.7 L03 1.6 1.4 23.9 25.1 27.8 57.1 3,851.7 3.9 9.8 3,926.1 5,748.5 13,417.3 2,208.1当然 のことな がらカーンは, 現実世界における競 争を礼賛する。
「経済効率
は, 価格が限界社会費用に等 しくな ることを必 要と し, そ れが技術的に可能
であるならば,競争 こそ, これを達成す ると同 様 に,X 非効率(無駄 のあ る
経営)を極小化 し,更に革新 の最適効率 を確実 にす る最良 の制度的枠組」 な
のであ る。 だが民間航空産業界にお いて「効率 に対 する最大 の障害 は,規制
それ自身なのであり, 規制者のなしうる最 も創造的 な事とは,市場参入口か
ら,そ れらの規制体系を取りのぞく」ことなのであ る。更 に彼 のみるところ,
収益 が低下してい る当産業界では,料金 と非料金競争 の間 の調整 こそ緊急に
行 なわれねばな らぬ。即 ち彼によれば,民 間航空委員 会に よる運賃科金規制
こそ,当産業界 に みられる諸弊害 の根源なのだ。「価格 競争があり ま甘んと,
会社間 の競争 は, 高価格を もたらすことになる サーヴィス の改善一
とりわ
け定期便数 の増加-
の形を とる」 ようになる。 こうした サーヴィス過剰競
表lb.1979 年 合 衆 国 国 内 航 空 会 社営 業 規 模 国 内 幹 線 航 空 会 社 イ ー ス タ ン デ ル タ ユ ナ イ テ ッ ド ア メ リ・カ ン ト ラ ン ス ワ ー ル ド ブ ラ ニ フ ウ ェ ス タ ー ン ノ ー ス ウ ェ ス ト コ ン チ ネ ン タ ル パ ン ア メ リ カ ン ナ シ ョ ナ ル 地 方 航 空 会 社 ユ ー エ ス エ ア ー レ パ ブ リ ッ ク フ ロ ン テ ィ ア ー ピ エ ド モ ン ト ヒJ3. ズ エ ア ー ウ エ ス ト テ キ サ ス 国 際 航 空 オ ザ ル ク 有償旅客(単位1,000 人) 旅客平均距離(マイル) 42,724 40,274 35,373 31,009 22,574 14,353 11,952 11,636 9,874 9,275 6.582 14,060 12,031 6,539 5.429 5,045 4,441 4,034 635 623 1,041 1,040 1,046 746 823 862 917 1,870 1,102 359 306 457 353 495 --492 385
N.K.Taneja,AirlinesinTransition,Leχington,Mass.,1981,9.
争は,結局高運賃, 低利 用率そして高費用という体質 を, 保護 規制さ れてい
る航空会社に もた らすのであ る。市場理論 については, シカ ゴ学 派 の主 張そ
の ものと みなされた彼の講演の結論, それは既成 の体質 改善 のために は「市
場を競争的な形 をと るよ うに変革 し, そして(輸送能力)供 給者 に は,運賃
引き下 げを許 し,乗客獲得 の競争」を行なわせることであ った13)
。当 委員 会退
職後, ロ レンソ の率い る ニュ ーヨ ーク・ エ アの取締役 に迎 え ら れるこ とに
なったカ ーンは, こうした当産業界全体の体質改善 が, できるか ぎり短期間
で完了 することが望 ましいと結んだ。
しかしながらカ ーンが民間 航空委員 に任命される前 の,1970 年代当初 の当
委員会 は,あ たか も時代 の流 れに逆らうか の如 く,航空会社間 の供給力制限
協約を容認 し, 更 に新路線開設申請を一時棚あげにした こともあ った。 こう
し た措 置 は, 折 か ら もえあ が ってい った合 衆国 上 下 両 院 議 会 内 外 の規 制廃 止 運 動 に,油 を 注 ぐ よ う な結果 を もた ら した。1975 年 に フ ォ ー ド大 統 領 のもと で, 航空 産 業 規 制 廃 止 の新 た な 法 案 が 検 討 さ れ,E ・ ケ ネ デ ィ そ し てH ・ キ ャノ ン上 院議 員 は, 夫 々 が主 宰 した公 聴 会 の結 果 を 基 礎 に, 新 航空 法案 作 成 に着手 す る。そ して1976 年 に,大統 領 に当 選 し た カ ー タ ー は,こ れ まで の 規制 廃止 運 動 を 一 挙 に前 進 さ せた。 とり わ け彼 によ る カ ー ン教 授 の当 委員 つ いで 委員 長 任 命 は, こ の運 動 の展開 に決定 的 な 意 義 を も た ら し た。 ヵ − ン委 員 長 は, 新 路 線 開 設 そ して割 り引 き運 賃 の実 現 等, 矢 つ ぎば や に自 由 化 へ の 政策 を 実 施 して い っ たM)。こ う した自 由化 は,表la,b で示 さ れ る如 く,合 衆 国 経 済活 動 の 活 撥化 に も助 け られて, 当 産業 界 に久 方 ぶ り の好況 を もた ら し た の であ る。 こ のよ う な 全国 的 な状 況 の変 化 の中 で, 当初 は当 産 業 の 規 制 廃止 に反 対七 て い た業 者 団 体 「 航空 運 輸 協 会JATA も, 漸 く そ れを撤 回 す る動 きを示 し, 当 産業 界 最 大 手 企 業 のユ ナイ テ ッド もこ れに追 従 す る。 し か し な が ら容 易 に 想 像 さ れ るよ う に, 自 由競 争 原 理導 入 に よ る, 労 働力 市 場 と い う既 得 独 占権 喪失 をお そ れて, 諸 労 働組 合 は, 一 貫 して こ の規 制 廃止 運 動 に反 対 して い っ た。 結局合 衆 国 上 下 両 院議 会 で は規 制 廃止 論 者 が多 数 を 制 し, 法 案 は大 統領 の もとに付 託 さ れ て い った ので あ る。 十 「航空 産業 規 制 廃 止 法」 は,4 ヶ年 で 当産 業 界 に存 続 す る主 要 経 済規 制 を, 逐次 廃止 す る こ とを 目的 と したい981 年 末 日 ま で に路 線 認 定 権,そ し て1983 年 元 旦 まで に同 じ く運 賃 認定 権 を 廃止 し,一 定 限 度 内 で 自 由化 す る。 会社 企 業 の合併,協 約 そ し て兼 任重 役等 の事 項 は,1983 年 元 旦 ま で に運 輸 省 扱 い と なり,最 後 に民 間 航 空委 員 会 そ の ものが,1984 年 末 日 に消 滅 し,残 り 業 務 は 運 輸 省 が引 き継 ぐ。 こ うし て世 界 で も稀 な 「官 が 官 を 縛 る」 事 態 が出 現 して きた の であ る。 こ のよ う な法 改正 の結 果, (1)路線 申 請証 明 の変 更 一 一 社 の路 線 取 得, 開 設 に反 対 す る他 社 のあ る場 合, 当 の反対 す る会 社 が そ の反 対 理 由 提 示 の義 務 を負 う (2)一 定 限 度 内 で の市 場 参 入自 由,(3) 休 眠路 線 申 請 再 開 の 自由, (4)弾 力的 運 賃 帯 の設 定,(5) 地 方 自治 体路 線 の運 航停 止 告 知 手 続 の設 定,(6) 小 地 方 自治 体 路 線 の10 ヶ年 間 の営 業 継 続 そ して(7)失 業 従業 員 保 護 規 定 の義 務 づ け 等 が承 認 さ れ た ので あ る15)。 当 規制 廃止 法 は, 明 ら か に航 空 会 社 の経営 活 動 に大 幅 な 競 争 の 自由 を 認 め
表2a. 主 要 生 産 性 指 標 (1974 −1975 )
従業員一人当り
航空会社
有 償
トン 飛行
定時
搭乗
マイル
時間
出発
乗客
平
均
航空機
航空機
乗
客
座席数
マイル
マイル
二
二笑 乱80,00023.2935.852,733
昌
フオルニア79,76229.4845.942,113
サウスウェスト73,60630.6445.252,820
フロンティア42,79833.2052.231,007
ぶぶぶ-
全36,45030.5645.84982
163245308
115211368
110241251
73.1191385
71.9211342
Simat,Hellesen&Eichner,Theintrastateairregulatione χperienceinTexasandCalifornia,inp.W.MacAvoy&J.W.Snowed.,Regulationofpassengerfaresandcompetitionamongtheairlines,Washington,D.C.1977,58.Table2-4 よ り . し 表2b. 投 資 収 益 率 ( % ) _ _T- マ. ?-/―7>.../I 年 度 カ リ几 フル ニ ア サ ダ ス’ウ1エゾ ト サ ウ スウ エ スト197352.562.939.63197431.915.1422.81197516.51 (7.32 )23.44197616.716.6419.80197716.255.4018.29 ---幹 線 会 社 一5.626.792.798.509.97 --- 一 地 方 航 空 会 社9.3012.194.889.7813.57 E.E.Bailey,D.R.Graham&D.p.Kaplan,Deregulatingtheairlines.Cambridge, Mass 。1985,31.Table2,1 よ り 。 だ 。 そ の 結 果 運 賃 競 争 の 激 化 は 直 ち に 予 想 さ れ , 会 社 企 業 の 吸 収 合 併 も 頻 発 す る だ ろ う 。 そ し て そ の 後 の 事 態 は , こ の 予 想 通 り に 進 ん で い っ た 。 お よ そ1985 年 ま で の 当 産 業 界 で は , シ ャ ー マ ン ・ ク レ イ ト ン 的 法 理 が 大 々 的 に 通 用 す る 雰 囲 気 が つ く ら れ て い っ た16)。 事 実 当 法 成 立 と 時 を 同 じ く 七 て,1985 年 来 ス ト ラ イ キ 保 険 と し て 航 空 会 社 が 参 加 ・ 利 用 し て い た 「 相 互 援 助 協 定 」MAP も 廃 止 さ れ た 。 こ う し て 労 働 争 議 に お け る 資 本 家 同 志 の 共 同 行 為 は 禁 止 さ れ た17)。 こ の よ う な 状 況 が 進 行 す る 過 程 で , 経 営 合 理 化 の 手 段 と し て 吸収 合併 が, そ し て 労 賃引 き下 げ に よ る労 働 組 合 の弱 体 化 が経 営 者 に よ って 検 討 さ れて い った の で あ る。 で はカ リフ ォ ル ニ ア そ し と テ キサ ス州内 航 空 産業 の い か な る特 徴 が, 規 制 廃 止 論者 に有利 な資 料 を 与 え るこ と に なっ た のか。 まず留 意 さ るべ き こと は, 州 内 航 空産 業 を 監督 し た の は, 連 邦 の民 間 航 空 委員 会 で はな く, 州 独自 の機 関 であ った こと であ る。 カ リフ ォル ニ ア州 で は カ リフ ォ ルニ ア公共 事 業 委員 会 が, 州 内 航 空 産 業 を 掌 握 し た。当 州 で は1949 年 にパ シフ ィ ッ ク・ サ ウ ス ウェ スト 航 空 会 社(パ シ フ ィ ック・ サ ウ ス ウェ ス ト) が, ロ サ ンジェ ル ス, バ ーバ ン ク, オ ンタ リ オ そ し て サ ンフ ラ ン シ スコ 湾 岸地 方 の12 都 市 を中心 に, 運 送業 務 を 開 始 し た。 更 に1967 年 か ら は エ ア・ カ リフ ォル ニ ア会 社 も, サ ンフ ラ ン シス コ湾 岸 地 方 と サン タ・ ア ン ナを 中 心 に10 都市 間 で同 様 に営業 を 始 め た。 こ れ ら州 内 航 空 会社 と ユ ナ イ テ ッ ド, ト ラ ン ス・ ワ ール ド そし て ウ ェ ス タ ー ン等民 間 航 空 委員会 管 轄 の 州 際幹 線 大 手 航空 は,同 一 路 線 で競 合 して い っ た。 し か も前 者 は後者 に比 べ て,格 段 に安 い運 賃 を設 定 し た。即 ち短 距 離(109 マ イ ル)路 線 で,前 者 は マ イ ル当 り9.36 セ ント,後 者 は16.85 セ ント,後 者 は前 者比80 パ ーセント高,中 距 離(338 −373 マ イ ル)路 線 で 前者 は マ イ ル当 り5.02 セ ン ト, 後者 は9.68 セ ント, 後 者 は前 者 比 で92.9 パ ーセ ン ト高 であ る。 州 内 航空 会 社 が, そ の地 域 性 を考 慮 し な が ら安 い運 賃 を 設 定 し た 例 は, テ キ サス州 航 空委 員 会 の許 可 に よ り, 航空 業 務 を 行 な って い る サ ウ ス ウェ ス ト 航空 会社 ( サウ スウ ェ ス ト) と州 際幹 線 航 空 会 社 と の運 賃 比 較 か ら も明 らか に な る。 ヒュ ー ス ト ンそ し て ダ ラ スを 中 心 に,4 都 市 を 市 場 と し た サ ウ ス ウ ェ スト は, 後 者 に 比 べ て30 ∼40 パ ーセ ント安 の運 賃 を 設定 し, しか も安 全 吐 に支 障 を きた す こ と な し に業 務 を 続 け てい た18)。 州 内航空 会 社 に よ る こ う し た低 運 賃提 供 の結果 は, 当 然予 想 さ れ る如 く, 当 該 会社市 場 占 有 率 の上 昇 で あ っ た。 カ リフ ォル ニ ア州 の 黄 金 路 線 と もいえ る サ ンフ ラ ン シス コ・ ロ サ ン ジェ ルス路 線 に つ いて みれ ば, ユ ナ イ テ ッド の 市 場 占有率 は1948 年 の62 パ ー セ ントか ら1965 年 の15 パ ーセ ントに 下 落 し た。しかし な が ら,パ シフ ィ ッ ク・ サ ウス ウェ スト は,1949 年 か ら1962 年 に わ たり約50 パ ー セ ン トの年 間平 均 市 場 占有 率 を 誇 り,1964 年 に も約35 パ ー セ ントのそ れを 維 持 し た19)。 同 様 の傾向 は,サ ウ ス ウェ スト め 実績 で も明 らか に な る。当 社 は1974 年 ま
で にダラス・ヒ ュースト ン, ダラス・ サン・ ア ント ニオ市場で60 パ ーセ ン
ト以 上の市場占有率を誇り,1975 年 から始 められたリオ・ グランデ峡谷市場
で も43 パ ーセント以上のそれを保持す ることができたのである20)
。
このよ うな州内航空会社 の高い市場占有率 は, 表2a,b
からも明 らかな如
く, 従業員の生産性 の高さ, そして投 資収益率 の高さとなって示されよう。
この高収益, 高生産性の要因 として次の6 つ の要約を銘記 すべきであろう。
即 ち,(1)当 該 社 は, 他 の交 通 手 段自家用車, バス
と競合する短・中
距離路線で, 所謂高密度市場で営業 してい る。(2)
彼 らは低運賃と高頻度運航
とをうり ものにしている。
(3)
彼 らは更に幹線大手航空会社の航空機が利用で
きない,都心近くの副次空港を 発着点 として乗客 の便宜を図 っている。(4)
彼
らの使用機 は,競争会社のそれに比 べて座席数 が多い。
(5)
有視飛行が大部分
であるために, 計器飛行に要する莫大な計 器整 備,維持負担費から免がれて
おり,(6)
非労働組合従業員 の雇用により労 務費軽減を実現している≒
民間航空委員会の監督外にありなが ら,幹 線航空会社と充分に太刀打 ちで
きた州内航空会社 の経営実績 は, その低運 賃, 低労務費そして高利用率 から
生じてきた成果 は,
「規模 の経済」に依存して,当産業 界で主 張されて きた独
占企業規制論と公共事業 サーヴィス規制論 の再検討を迫 る強力 な論証とな っ
てい った。即 ち, 中小規模航空会社 が充分に活躍して いる限り, 巨大独占 企
業 のもつ有利 匪は疑問視さ れ, 運航 サーヴィスについて も, 文字通り多社多
様である以上,当産業界を単一 公共事業と みなす理論 の説得力 は弱 まってく
る。 このようにして,現在 の当 産業界 の特 徴的状況 は, 規制 された結果生じ
てきたものであり,決して当産業 界個有 の内在的特徴で はないとの,規制に
対 する反 論が勢を増して いったのであ る≒
そして1978 年後のカリフォルニア,テキサ ス州州内 航空産業 界にも,従来
以上 の競争の強制力が貫徹 して いった。1988 年 にパ シフィック・ サウスウェ
ストはU ・S ・エアに, エ ア・カ リフ ォル土アはアメ リカンに吸収合併 され
た。
5.
ブ ラニフ国 際航空会社 の発展と 破産1930
年 に オクラホマ市 でト ーマ スと ポールのブ ラニフ兄 弟 は, ロッキ ー
ド・ ヴェ ガ機 を 使 って 航空 会 社 を 始 め た。 ブ ラニフ はその後 テ キサ ス州
フ ォート ワ ースに本社を移して次第に営業を拡大していった。 当時 のテキサ
ス州を 中心 に し た石 油産業 の発 展 によ り, 西部 地 域 に お け る航 空 需 要 が増 加 した ため であ る。 ブ ラニ フ は, 第二 次 世 界 大戦 中 に も, 南 下政 策 を変 更 し な か った。 当 社 はパ ナ マ地 帯 保 護 の た め の軍 事 輸送 に大 きな業 績 を示 し た。 す で に1943 年 に当 社 は, メ キ シコ国 内 で営 業 を 継続 して い た が,1948 年 に当 社 路線 は更 に ペル ーの首 都 リ マに 伸長 さ れた。 社 名 もま た その営 業 発 展 に ふ さ わし く,「 ブ ラニ フ国 際 航 空 会 社 」 に変 更 さ れた。1954 年 に ブ ラニ フ兄 弟 は,相つ い で死 去 し た が, 当 社 の発 展 は更 に続 い た。1955 年 に当 社 は待望 の ワ シ ント ン・ ニ ュ ーヨ ー ク路線 免 許 を 取 得 す る。 また コ ンチ ネ ン タ ルを退 社 し たハ ーデ ン グ・ ロ ーレ ン スが当 社 社長 に就 任 して か ら は, 経 営 拡 張 に一 層 拍 車 がか か っ た。1967 年 に当 社 は, そ の南 米 路線 網形 成 に 不可 欠 な 要 素 と な る パ ナ グ ラ航 空会 社 の買 収 合 併 に 成 功 し た。更 に1969 年8 月 か ら は,テキ サ ス州 を出 発点 と す るハ ワ イ路 線 運 航 権 を も獲 得 し た ので あ った23)。 ブ ラニ フ兄 弟 が健 在 だ っ た時 期 の当 社 の社 風,そ れは「 ブ ラニ フ家 族 主 義 」 の言 葉 で表 現 さ れ る。 確 か に 彼 ら は, 他人 の意見 に耳 を 貸 す こと の少 な い所 謂 専 制 的 経 営 者 で あ っ た。 し か し な が ら1953 年 の当 社機 械 工 労 働 組 合 の ス ト ライ キの際 に, ピ ケ ッ ト・ ライ ンを 堅 めて い る労 働 組 合員 に, 食 事 を 差 し 入 れ する よ うな, 従業員 に 対 す る家父 長 的 姿勢 を も示 し て い た。 こ う士 だ企 業 文化 の一 型 態 であ る家 族 主 義 が,「 ヤ ンキ ー」の活躍 す る合衆 国 東 北 部 か ら 遠 い南 ・西 部 地 域 に お いて, コ ンチ ネ ン タル, デル タ そし て当 社 の中 に存 続 し てい た こ と は, 企業 文化 と 地 域 と の関 連 を 考察 す る際 に, 注 意 さ れ ねば な ら ぬ事柄 で あ ろ う24)。 確 か に 家 父 長 的 経 営 者 が, 持 て る才 能 を 充分 に発 揮 で き る状況 にお いて は, そ の悪 弊 は 直 ち に表 面 化 し な い。 しか し彼 が この 経営 権 を失 う時 期 に こ そ,経 営 に は最 大 の緊 張 と危 機 と が訪 れよ う。1954 年 に ブ ラニ フ兄 弟 が当 社 を 去 った時 に 残 さ れた状 況 , そ れは 中 ・下 級 経営 幹 部 更 に は一 般従業 員 も, 全面 的 に上 級 経 営 者 の指 示 に盲 従 して い る雰 囲 気 だ った。 こ う した特 徴 は, ビ ア ー ドが 社 長 に就 任 し, つ い で ロ ー レ ンスが 社 長 に 迎え ら れ る1960 年 代 中 葉 に な っ て も変 らな か っ た。 彼 は 他 社 に 比 べ て 業 務 訓 練 が 驚 く ほど不 完 全 だ っ た企 業 に ふ み こ ん で い っ たの であ る25)。 合衆 国民 間 航 空 産 業 界 に, 需 給 の不 均 衡 が 発 生 して き た1960 年 代 後 半 に は, 乗客 を 引 きつ け るの に必 要 な運 航 サ ー ヴィ スの質 の向 上 が 大 きな課 題 と な って きた。 だが テ キサ ス人 以 上 に テ キ サ ス的 にな った か のロ ーレ ンス に, き め細 かい 乗 客 サ ーヴ ィ スを 求 め る こ と 自 体無理 だ っ た。 彼 は外 面 的 と もい
える経営政 策を実施 していった。人目を引くに充 分す ぎるスチュワーデスの
金色の制服, 豪華な機内用食器そして サーカ ス専用 の航空機かとも, みまち
がえ られた奇抜 な意匠と色彩の ジェット機等 は,当産業 界人 の常識をはるか
にこえる ものであり, 逆に友好的理由で就任 した社外取 締役を含む取締役会
も充分 に機能 しな かったのであ る。 そして1970 年代 に入 って目立 って きた
現象の一つ に,当社乗客サ ーヴィスに対する苦情増加 があ った。 この重大な
状況 は, 労働組合単位の分業 体制 の中で,増幅さ れると も縮少 されること は
なかった。 民間航空委員会に記録 された乗客苦情率で, 当社 は不名誉なその
一位 にあり,最下 位はデルタであった。ロ ーレ ンスの独善的経営拡張政策 は,
逆 に乗客を当社機から遠ざける結果をもたらし たのであ る。 彼のこうした経
営政策 は, 路線伸長に必要な ジェット機導入そしてパ イロット の新規募集 で
もみられた。当社 は1974 年半ばか ら1978 年10 月にか けて,既存パイロット
人員 の約48 パ ーセ ントにあ たる588 人 の新パ イロットを採用 し,1978 年末
には, 更 に300 人 のパイロ ット,300 人の客 室乗 務員採 用を発表したのであ
る。
「 航空産業規制廃止法」成立の翌日 には,先着順獲得を好機として,彼 は
当委員会 に,開放さ れる1,300 路線申の625 路線取得を申請し たのであった。
ブラニフは路線形成 において, デルタとともに所謂「 車輪方式」 を開発し
た。即 ちあ る中心空港(ハブ) を設定し, そこか ら多数 の路線( スポーク)
を展開させてい く路線構造である26
)
。
そして当産業界 の経営者の殆 んど が途惑 うよ うなロ ーレ ンスの経営政策の
基礎であ る思想 は,1979 年4 月 に彼が当社全 従業 員に通達し た「規制廃止と
ブラニフ」 の中に示 されている。
規制廃止後のブ ラニフの経営戦略, それは自社 の国際線と国内線とを有機
的 に結合して乗客を確保し,他社 の上 に立つことだ った。 また急膨張経営 の
存続を危惧 す る当社内外の人 々に対 して,彼 は「 ブラニフの成 功の鍵であ る
顧客への最上 のサ ーヴィスと, それに結びつい た成長と規模 こそ, ブラニフ
存続の鍵」であ ることを強調 した。しかしながらこの楽観的経営成長論こそ,1978
年以 前の当産業界の通念ではなかったのか,彼 は,驚 くべきことに,規
制廃止 によ って当産業界の門戸が一旦開かれて も, そ れはいずれ閉ざされ,
再規制め時代 が到来す るだろ うと予想 してい た27
)
。だが1978 年後の当産業界
の状況 は,彼 の予 見が全 く間違 っており, それが当 社破産 の最大 の要因であ
ることを暴露 するであろう。 規制廃止後の当産業 界にあ って,幹線大手航空
会 社 に前を 抑 え ら れ,更 に新 参 入航 空 会 社 に, 後 か ら追 いあ げ ら れ る当 社 の 如 き申小 航 空 会 社 にと り, こ の疾 風 怒 濤 の状況 にお いて は, 成 長 と規模 に目 を向 ける よ り も,効 率 と収 益 に,「 す き間市 場 」開 拓 につ いて の厳 密 冷静 な検 討 こ そ, 最 大 の問 題 な の であ った。 で は ジェ ッ ト機 購 入 で はど うだ っ たか。 ブ ラ ニ フ は新 機 材 購入 のた め に,1978 年度 に1 億8,600 万 ド ル, そし て翌79 年 度 に は,実 に7 億9,200 万 ド ル の 資金 を予 定 し,1981 年 度 まで にB-72732 機,B-7478 機 そ し てDC-101 機 を就 航 さ せ よ う と す る。こ れ の資 金 源 と して の長 期 負 債 は,1978 年 度 の3 億4,800 万 ド ル か ら翌 年 度 に は実 に5 億7,800 万 ド ル と い う天 文 学 的 数 値 に達 した。表3 のB 項 目 の総 長 期 負 債 の数 値 か ら も明 ら か な如 く,当 産 業 界が最 悪 の時期 に突 入 し たに も拘 ら ず, こ の数値 は破 産 年 度 まで 増 加 す るば かり で あ っ た。 ロ ーレ ンスの破 天 荒 と もいえ る経 営 戦 略 は, そ れ に ふ さ わ しい結果 を 生 みだ し た と いえ よ う28)。 こ のよ う な経 営 業 績 の悪 化 は, もし もロ ーレ ン スの周 辺 に, し か るべ き才 能 を 備 え た経 営 幹 部 が 活 躍 す る 限 り, 或 る程 度 阻 止 さ れ た こ と は想 像 で き る。 しか し な が ら1970 年 代 中 葉以 降 の ブ ラニ フ に は そ の よ う な幹 部 さえ 存 在 しな か っ た。 ロ ーレ ン スが 全 幅 の 信 頼 を お い て い た エ ド ・ ア ッ カ ー はパ ン・ アメ リカ ンに去 り, 秀 れ た経営 財 務家 であ っ た彼 の後 は う め ら れ るこ と が なか っ た。 更 に ロ ー レ ンスが主 宰 す る取 締 役 会 議 へ の出 席 者 も兼 任 の取 締 役 が多 く, 当 社 の実 情 を正 確 に把握 し, そ れに基 づ く意 見 を 彼 に具 申 す る人 は 少 な か っ た の で あ る。 彼 と 当 社 と は 激 変 す る 環 境 の 中 で 次 第 に 孤 立 して い っ たの であ る29)。1978 年 度 は ブ ラニ フの 社業 が 最 高 頂 に達 し た 年 であ っ た。 純 利 益 は1977 年 度 の3,670 万 ド ルか ら4,520 万 ド ルに, 連 結営 業 収 益 も約10 億 ド ルに上 昇 した。 こ の よ う な業 績 を反 映 して か, 当 社 株 の市 場 価 格 も上 昇 した。 利用 乗 客 も前年 比 で, 国 内線 は20.4 パ ーセ ント そ して 国 際 線 で は56.4 パ ーセ ント の増 加 であ っ た。3 月18 日 に は ダ ラ ス・ フ ォ ート ワ ー ス空 港 か ら,当 社待 望 の イ ギ リス向 け 一 番 機 が飛 び た っ た。8 月16 日 か ら は メ キ シ コ市 そ し て南 米 諸 都市 へ の直 航 便 も開 始 さ れ た。1978 年 当 初40,000 マ イ ル だ った当 社 路 線 は年 末 に は60,000 マ イ ルに伸 長 さ れる。 こ の業 績 は, ロ ー レ ン スによ れば 次 の4 要因 に よ る も ので あ る。 即 ち(1)高 性 能 ジェ ッ ト機 の就 航,(2淀 期 便へ の ビ ジネス客 の増 加,(3) 低費 用 営業 の有 利性 そ し て,(4) 長 年 の 高 収益 に 由来
表3 ブ ラ ニ フ国 際 航 空 会 社 統 計1972 −1981 年 年 度A. 営 業 収 益 乗 客 他 運 航 収 益 運 航 関 連 収 益 子 会 社 収 益 総 営 業 収 益 営 業 費 用 営 業 利 益 ( 損 失 ) 総 営 業 外 費 用 税 控 除 前 利 益 ( 損 失 ) 純 利 益 ( 損 失 )
B。貸借対照表主要項目
流動資産
流動負債
運転資本(不足)
営業財産設備
総資産
総長期負債
払込資本
留保利益(損失)
総資本(不足)
c. 運航(定期チャター)統計
有償乗客マイル
有効乗席マイル
有償乗客数
定期便座席利用率㈲
座席損益分岐率
(%)
有償飛行マイル
従業員数
1972 -383,898 -29,320 -17,151 -一 一 一 195,528 -108,402 5,455,820 10,565,450 -49,4 46.0 -9,675 1973 一 一 -445,637 -42,593 -23,151 一 一 -234,463 -131905 5,902,633 11,493,010 10 50.2 46.1 203 1974 -552,396 -55,751 -26,137 -227,853 -155,066 6,414,144 12,684,500 -49.9 46.4 -10,740 1975 -598,856 47,389 -20,388 -234,913 -158,522 6,614,396 13,199.596 -49.3 47.4 -10,730 D 。 従 業 員 当 り 収 益 ( ド ル )39,67946,67751,43155,811A,B は1,000 ド ル 単 位 ,c は1,000 単 位BraniffInternationalCorp.,AnnualReport,1980,4f,1981,12f.J.J.Nance,SplashofColors,NewYok1984,Appendix1.1976 582,715 70,332 20.482 6,190 679,719 620,927 58,792 23,410 35,382 26,339 113,238 114,634 (1,396) 466,674 627,839 241,899 56,575 124,046 180,621 7,170,135 13,881,440 9,307 51.1 47.9 108,754 10,538 -64,502 1977 678,177 84,062 21,795 7,123 791,157 722,129 69,028 19,569 49.459 36,692 134,028 124,008 10,020 493,319 699,523 272,619 56,732 155,035 211,767 7,865,467 15.248,396 9,983 50,8 46.8 117,317 10,825 73,086 1978 845,353 95,161 24,789 6,805 972,108 891,949 80,159 24,924 55,235 45,230 156,519 170.543 (14.024) 612,189 870,165 348.198 56,792 193,359 250,151 9,999,987 18,330,385 11,744 53.8 50.2 134,380 11,995 81,043 1979 1,200,329 107,824 28,213 9,909 1,346.275 1,384,713 (28,438) 43,292 (81,730) (44,330) 211,041 (65,289) 863,429 1,157,901 578,198 56,795 141,822 198,617 13,686,604 24,185,257 14,508 56.3 59.9 164,109 14,619 92,091 1980 1,305,305 104,893 31,595 10,337 1,452,130 1,559,623 (107,493) 28,090 (135,583) (131,436) 197,790 341,032 (143,242) 868,443 1,107,368 583,602 56,795 9,385 66,180 11,998,311 20,497,529 12,224 58.4 64.5 133,369 15,200 -95.535 1981 1,097,232 80,422 28,510 8,011 1,188.975 1,283,775 (94,800) 61,699 (156,499) (160,611) 200,237 405,077 (204,840) 777,471 1,008.297 591,012 56,795 (151,226) (94,431) 8,890,393 15,599,427 10,495 56.9 63.9 104,225 11,500 103,389
する健全 な財務操作30)
。確かに彼の指摘 は,この年度について みる限り,表3
か ら明 らかな如 く,誤りと はいえ ない。 莫大 な長期負債も, 有償乗客が国 内
外路線 で恒常的に増加 する限り,彼 によ れば,いず れは返済可能という極 め
て他律的 かっ 楽観的評価で片付 けられてい る。当社 の5 労働組合
人 ,運 航 発 着員(ATDA )50 人 そ して 地上 事 務 員(IBT )4,600 人 の労 働 契 約 も支障 な く更新 さ れた ので あ る31)。客室乗
と の間
務員(AFA )2,250人,機械工(IAM )1,550人,パイロ ット(ALPA
)2,000
当社航空機 も,1977 年 末の92 機(B-727-10023 機,B-727-20054
機,B-747-1001
機,DC-8-628
機,DC-8-51G
機) から1978 年末には103 機 (B-727-10021
機,B-727-20064
機,B-747-1003
機,DC-8-624
機,DC-8-516
機) に増加し た。乗客収益 も前年度比で24.7 パ ーセ ント増の8 億4,535 万 ド
ルであ った32
)
。
「石油輸出国 機構」によ る第二回 目の大幅な石油価格値上げ は,これまで好
業績を誇 っていた航空 会社 に冷 水をあ びせた。 ブラニフで も1978 年 に ガロ
ン当り39.78 セ ントの ジェット燃料 が,1980 年 に は91.39 セ ント に上昇 し た。
このため1978 年に2 億1,088 万ド ルの燃料費は,1979 年に4 億963 万 ドル,1980
年 に は4 億8,112 万 ド ルに達 し た。 当費用 は1980 年総 営業 費用 の31
パ ーセ ントを占めるまでに なったのであ る33
)
。1979 年 は当社 にとり
更に緊張
を強いられた年 だった。 即 ちニュ ーヨ ークに本社をおいていた四大手 の一 つ
であるアメリカンが, これまでの「海岸 から海岸まで」 の路線網 に加えて,
ダラス・ワ オートワ ースに本社 を移 すことにより,新 たな「車輪方式
」路線
網を形成 することになる。 ブ ラニフ は乗客獲得で も今後苦戦を強いられるこ
とになった34)
。
このような環境 の激変 は, ロ ーレ ンスの強気一方の経営戦略を根本か ら破
壊 した。1980 年 度の当社 の純損失 は1 億3,146 万 ドルに達 した。 コ ンコルド
機を就 航させようとの彼 の構想 も,夢物語でしかなくなる。 枯渇 して くる当
社の運転資本充足のために, 彼は優先 権株を発行したが,逼迫 して いた金融
業界で所期の資金を集 めることは不可 能だった。 彼は更 に資金ぐりのために
旧型 ジェ ット機 の売却を試 みたが, すでに機材 がだぶつ いてい る中古 機市場
で は買い た・
ゝかれるのが関 の山であ った35
)
。1970
年代 のブラニフ繁栄 の象 徴であった彼 は,こうして満身創痍 の有様と
なり,1980 年12 月末日に25 年 にわたり勤務し た当社を去 ってい った36
)
。
ロ ーレ ンス の後 任 者 は ジ ョ ン・ ゲ ー ジであ る。 彼 は社 長 の座 に つ く や直 ち に 次 の3 つ の緊 急 対 策 , 即 ち(i)収 益 向 上 の ため の保 有 ジ ェ ット 機 そ し て従業 員 組 織 の再 編成,(2) 不採 算 路 線 の運 航停止 そし て(3)航 空 機売 却 を, 実 施 し よ う と する。(1)につ い て は, 当 社 の中 心 地 であ るダ ラス・ フ ォ ー ト ワ ース空 港 発 着 便を,全運 航 便 の3 分 の1 以 上 に集中 させ,従業 員 を11,500 人 まで 縮少 す る。(2)は コロ ラド スプ リ ング, デト ロ イト等4 国内 線 そ して パ リ, ア ムス テ ルダ ム国 際 路線 の 運 航 停 止,(3) に つ いて は「 航空 機 販売 金 融 会 社」( ボ ーイ ン グ航空 機 製造 会 社 の一 子 会社) に1981 年 末 迄 の期 限 付 きでB727-2009 機 の売 却を 依 頼 し た。 こ う し た努 力 は表3 の同時 期 のC ・D 項 に お いて 示 さ れ る如 く, 確 か に さ ゝ や か な生 産 性 向 上 の成 果 と して 表 わさ れ る。 彼 は更 に債 務 支 払期 日 の引 き のば しを 金 融 機 関 に申 し入 れ, 全 従業 員 の賃 銀 の10 パ ー セ ント切 り下 げ を 断 行 し た ので あ る37)。 このよ うな ゲ ー ジ の努力 に も拘 らず,1980 年 度 末 の ブ ラニ フ の経 営 業 績 は 絶 望 的で あ った。 社 外 か ら就 任 し て い た取締 役 達 も次 々 と 辞 任 して い っ た。 結局 彼 は戦 い に疲 れ,1981 年9 月 に, その 雇用 契約 期 間 終了 を ま た ず に辞 職 す る。当 社 の1980 年 度 年 次 報 告 書 は,純 損失1 億3,143 万 ド ル, 運 転 資 金 不 足1 億4,324 万 ド ル そ し て 総 長 期 負 債 は5 億8,360 万 ド ル の数 値 を 公 表 し て い る。当 社 の監 査 会 計 事 務 所 デ ロ イ ト・ ハ ス キス・ セ ル スは当 報 告 書 に お い て, 初 め て 「当 社 は存 続 企業 と して 継 続不 可能 の恐 れが」 生 じ て きた こと を 明記 する まで に な る38)。 前 述 し た テ キ サ ス州 内 航空 会 社 サ ウス ウェ ス トの 社長 か ら転 出 して , ブ ラ ニ フ に移 って き た ハ ワ ード ・ パ ト ナ ムは,1981 年10 月 当 初 に,当 社 が10 日 分 の手 持 現金 し か な く, 費 用 削 減 も殆 ん ど実 現 さ れ てい な い状 況 に あ るこ と に気 づ く。 そ の上39 主 要 債 権 者 へ の 負 債返 済期 限 も4 ヶ 月 後 に迫 っ て い た。 この苦 境打 開 の た めに , 彼 は(1)大 幅 割 り引 き運 賃 テ キ サ ス・ ク ラ スの 導 入, そ して(2)18 人 の経 営 幹 部 の 解 雇 を行 な った。 こ の二 つ の対 症 療 法 に 加 え て,1982 年2 月 か ら は,採 算 を 無 視 し たか の如 き「一 枚 分 で二 枚 の切 符 」の発売 , そ の上 当 初 の ド ル箱路 線 と な っ て い た南 米 路 線 を 僅 か3,000 万 ド ル で イ ース タ ンに 貸し だ す。1981 年 度 内 で 国 内 の11 路 線 は閉 鎖 さ れ,ブ リ ッセ ル,フ ラ ンク フルト路 線 も廃 止 さ れ た。1981 年 末 に当 社稼 動 航空 機 は83 機 に へ らさ れ た39)。 客 観的 に みて も性 急 と 思 われ た, パ ト ナムと そ の経 営 陣 の必 死 の 再 建策 に
よ って も下降していくブラニフと, それを とりまく狂瀾を既倒にかえすこと
はで きなか った。 社運を決定する最大 の緊張 の中 で,経営陣の提示する度重
なる賃金引 き下げに, 労働組合 はもはや 応 じなかった。
「 会社に何 かを譲歩 す
るより もブラニフの没落を みたいものだ」 とうそぶく労 働組合の幹部 も現わ
れた。 こうしてかっ てのブラニフ家族 は, 自他共 に許七 た一 社団結 の雰囲気
はもろ くも崩 れてい った。つい に1982 年5 月当 初にパト ナムは,当社の夏 の
繁忙期を またずに現金途絶という最終的状況 の出現を予 想せざるをえなかっ
た。 パト ナ ムを中 心 とす る上 級経営 者 は, レ ヴ ィ ン・ ヴェ ント ラウブ・ ク
レ ームス法律事務所(ニューヨ ーク)と連邦破産法第u
章適用申請 について
協議を始 める。1982 年5 月13 日正午パト ナムと当法律事務所所長 は, 当 社52
年間 の存続に終止符をうつ ため,申請書類を手 に,破産裁判所判事の もと
に出頭 したのであ った40
)
。
6 。コンチネンタル航空会社の破 産と更生
コ ンチネンタルの合併と破碑そして更生 の経過を叙述する時において も,
当社 の代名詞として有名 だったロバ ート・ シックスの経歴を無視すること は
で きない。1907 年生 れのシックスは29 才 の時にテ キサス州 エルパソ所在の
ヴ ァーニースピード航空 会社 の総支 配人 と なる。1936 年 に連邦政 府は,定期
航空路線用飛行機 の性能基準を改善 す る。 即ち それによ れば,双発, そして
送受 信 ラジオを備え た機種のみが運 航を認可 さ れたのである。当社 はこの新
機種 に必要 な資金を もたなかった。 このために シッ クスは僚友 ムエラーとの
共同 出資 により漸 く双 発のロ ッキ ード12 を3 機購入 す ることがで きた。 こ
れが行 なわれた1937 年 に, シッ クス は当社社名 を コンチネ ンタルに変更し,
また本社を エルパソからコロラド州 のデ ンヴァ ーに移す。16人 の全従業員 も
同時 にここに移転した。1938 年 彼 は社長に就任し た。この小航空会社の社長
は無類 の飛行機愛好者であるとと もに,秀 れた経営才能を備えていること が
次第 に明 らかになって くる。漸増 して くる西部地域 の航空需要に合 わせて,
彼は高性能機−
ロッキード14 そしてロッキード18
な経 営幹 部
を買 い入 れ,有能
を採用
オスカー・ハウェ ータ ーそして ス タ ン・ シャット
する。 第二次世界大戦中の軍事輸送に は当社 も積 極的 に協力する。民間航空
委員 会 も当 社のこの姿勢を高く評 価した。1945 年 に当社 はデンヴァー,エル
パ ソ, ザン・ ア ント ニオそして カ ンザ ス・ シテ ィを結 ぶ路線網を造りあげ
た。そして1955 年 に 当社 は パ イ オ ニ ア航 空 会 社 を合 併 し,当 社路線 網 を ダ ラ ス・ フ ォ ート ワ ー スそ して ヒ ュ ー スト ンに も拡 げ た。 更 に 当委 員 会 は, 当 社 に デ ンヴ ァ ーを 中点 とす るロ サ ン ジェ ル ス, シカ ゴ路 線開 設を 許可 した。 同 年12 月 に 彼 はB-7074 機 を 含 む 最 新 鋭 機24 機 を発 注 し た。 こ れ は来 るべ き ジェ ット機 時 代 に備 え るた め で あ った。 こ の ため に総 額6,400 万 ド ルの資 金 が計 上 さ れ た ので あ る。彼 は更 に経 営 拡 張 を 企 て る。1968 年 当 社 は太平 洋 マ イ クロ ネ シア地 域 の合衆 国 信 託 統治 諸 島 へ の運 航 のた め に エ ア・ マ イ クロ ネ シ アを 創設 し た。 当 子 会 社 は1977 年 に東 京 そ して1979 年 に は香 港 に路 線 を 伸長 した の であ った。こう し て1970 年 代 まで に,四 幹 線 大手 航空 会 社 の 規 模 に は及 ば な か っ たが, コ ンチ ネ ンタ ル は中 堅 航空 会 社 とな って い っ たの で あ る41)。 犬 シッ クス は, 伝 記作 家 ロ バ ート ・ サ ー リ ン グが 『異 端者 』 で の べ た如 く, 「航 空産業 界 の武 骨 な 個性 主 義 の持 主 の最 後 の一 人」であ り,自他共 に 認 め る 強烈 な創業 者 精 神 の持 主 で あ り , 多 分 に家 父 長 的 性 格 を備 え て い た42)。 彼 の 行 動 は当 産 業 界 に お いて絶 え ず 注 目 さ れて きた ので あ る。 シ ック ス の経 営 思 想 は, 当 社 の1971 年 度 年 次 報 告 書 の中 で充 分 に展 開 さ れ て い る。 即 ち,(1)経 営 の死 重 を へ ら せ, 若 く有 能 な人 を 集 め よ。 仕 事 の責 任 と同 じく 権限 を も彼 ら に与 え よ。 社 内 の官 僚主 義 に忙 殺 岑れ る な。 正 当 な 意 見 が発 表 で き る雰 囲 気 を つ く れ。(2}最 新 か つ 最 高 の機 器 を 従業 員 に与 え
よ。
(3)
健全 な市場一
航空産業で は賢 明な路線網
の 開 発 に 努 め よo (4)新市場 に参入 すると きには, 秀 れた機材と サーヴィスで営業を始めよ。(5)合併
に際して は,合理的な補完路線を もつ相手を見出せ。(6)
生 産性改善 に努 めよ。
利益 は大衆 に還元せよ。 小会社 は大会社より も, この点 て弾力的であろう。
当産業界で は小会社が,秀 れた乗客 サーヴィス, 低運賃の試み,改善さ れた
運航 サーヴィスについて多 くの考えを提示 して きた。 こうして利用者 は利益
を享受 するめだ。(7)将来 の企業拡張 の足か せと なる債務をつくるな。(8)目を
将来に向 けよ。今日の生産性 がい かに秀 れてい るか は無視せよ。 それは明日
に は古くなるのだ43)
。
こうし た8 項目 からなる シッ クスの経営思 想は√彼やデルタのウ ールマン
そしてパ ンアメ リカンのホア ン・ト リップ等当産業界発展期に活躍 した所謂
第一 世代経営者が,その経営実務 の中 から学 びとったものであり, そこには
当産業界経営者 の理想 がの べら れて いるのであ る。 しか しながら1960 年代
表4 コ ン チ ネ ン タ ル 航 空 会 社 統 計1971 −1984 年 年 度A. 営業 収 益 乗 客 貨 物 チ ャ ータ ー便 そ の他 営業 総 営業 収益 営業 費 用 営 業利 益(損 失) 総営 業 外費 用(利益) 税控 除 前利益( 損失) 純利 益(損失)B. 資産・負 債・資 本 総 資 産 運転 資 本(不 足) 営 業 財産,設 備 長 期 負債 株主 資本 発行 済株数b'l 株当 たり 純 資産 額c. 定 期 便運 航統 計 有 償飛 行 マ イル 定 期便 飛 行マ イ ル(%) 有 償乗 客数 有 償乗客 マ イル(000) 有 効座 席 マイ ル(000) 座席 利用 率( %) 有 償乗客 マイ ル当 収 入 ( セ ント ) 貨 物ト ンマ イル 1971 272,410 18,379 30,765 17,944 349,798 320,005 29,493 16,195 13,298 8.411 520,128 6,338 381.519 269,688 106,117 12,713,66714 8.35 1972 307 31 26 18 384 348 35 17 17 9 955 834 091 198 078 786 292 950 342 187 604.748 (4,560) 445.465 290,838 143,487 1973 399,898 38,169 5,657 16,622 403,893 385,405 18,485 19,681 (1,196) 5,335 666,854 (31,837) 509,010 334,776 149,033 283,97014,303,220 10.0510.42 1974 399,898 42,710 3,699 10,967 457,274 408,528 48,746 37,525 11,221 8,112 711.401 (46,345) 562,756 350,938 157.145 10.99 1975 455.146 46,307 2,366 11,588 515,397 480,258 36,139 52,177 (17,038) (9,719) 728,855 (18,763) 58,439 393,808 147.426 1976 463,271 48,854 28,319 11,020 551.464 509,566 41.898 28,459 13.439 9.209 678,609 (36,292) 552,219 327,823 156.639 14,303,22014,304,087 10.3110.95 82.388,07982,577,45982,237,90575,489,71578,532,63671,903,815 98.3498,7198.7099.1899.2799.19 5,117,0975,575,1705,955,0756,181,1426,676,4986,468,246 4,712,4505,264,7385,661,3795,653,5206,209,119 9,553,11110,276,12811,692,70010,487,90211,778,70411,080,062 49.3351.2348.4253.9153.7656.04 5.85.86.07.07.17.5 12,833,308151,757.783171,067,813195,637,391249,573,059241,992,813 A,B は(b' を 除 き)1,000 ド ル単 位ContinentalAirlines,Inc.,AnnualReport1980,24f.1981,22.30f.1984,12 −16.
から開始さ れる新機種導入 のための長期負債の増加,1970 年 代末から行なわ
れる当産業界 への競争原理 の導入 は,彼 らの創出した航空企業を, これまで
と は全 く異な る地点 に運 びさり, これまで以上 に経営財務に秀 れた才能を も
つ経営者の出現を必要としていったのである。
そして1978 年 度のコ ンチ ネンタルの経営業績 は表4 のA 項目 からも明 ら
かな如く,1970 年代における最高のものであ った。これは同表C 項目の定期
便運航統計に みられる好調か ら由来 したのであ った。 しかしながらこの年以
降, 高収益 と高賃銀 になじ み,家父長的経営者であ る シッ クスを中心におい
1977 569,715 63.366 13.776 10,209 657,066 609,126 47,940 21,342 26,598 25.642 670,416 (49,390) 527,216 267,795 178,714 1978 674,490 72,269 11.833 16,081 774,673 721,764 52,909 1,986 50,923 49,190 677,272 (64,231) 526,827 200,634 228,561 14,305,92014,892,094 12.4915.35 1979 1980 807,694 89,262 12,245 18,781 927,982 9359903 (7,921) 23,864 (31,785) (13,183) 738,707 (69,873) 513,309 243,979 212,857 15,309,140 13.90 82,784,78794,267,457108,914,128 98.8798.6995.67 7,662,4498,636,6979,113,194 7,204,8268.626.2059,487,985 12,954,26614,531.58715,652,4325 55.6259.3660.62 7.97.88.5 879,593 77,903 16,824 17,699 992,019 1,038,227 (46,208) (10,375) (35,833) (20,704) 1981 968 122 135 642 1,090,777 1,134,246 (43,469) 23,587 (67,056) (60.356) 784,1491,186,257 (65,583 )(57,845 )569,564642,306328,797433,849190,874130,94315,355.26715,414,86512.438.49 98.63 7,422,119 8,117,491 13,967,224 58.12 10.8 89,611,865 98.26 6,847,404 7,915.677 13,733,104 57,64 12.2 275,923,725289,358,730301,999,182198,047,062203,461,981 19821983 (合 併 ) (破産 ) 1,261 165 642 373 1,427,015 1,461,608 (34.593) 10,344 (41,804) (41,804) 1,053,069 (43,629) 1984 995,9941,058,976 116,991126,402 1,112,485 1,263,306 (150,321) 68,127 (218,448) (218,448) 1,185,378 1,077,278 108.100 57,830 29,158 50.270 908,1431,080,393 238,985 670,998 172,178 (109,195) (6.88) 84,937 645,831 258,207 (54,714) (4.55)