著者
井沢 泰樹(金泰泳)
著者別名
Yasuki IZAWA, Taeyoung KIM
雑誌名
東洋大学人間科学総合研究所紀要
巻
22
ページ
113-126
発行年
2020-03
URL
http://doi.org/10.34428/00012017
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja.倫理的配慮
本論では、利用者および支援者のプライバシー保護のため、個人が特定されないように個人名はア ルファベットで表記するとともに団体名は仮名とした。.触法精神障害者と地域生活支援
NPO法人「やすらぎ」(仮名)の特徴の一つに、触法精神障害者を受け入れているということがあ る。触法精神障害者とは安藤他( )によれば、法に触れる行為をした精神障害者を指す用語であ るが、単純に考えても、上記の「精神障害者」と「触法者」との つの意味で、さらにその社会復帰 を難しくすることになるという。また、彼らのなかには責任能力に問題があるということから罪を問 われない人もおり、そのことが、「犯罪を行ったのに刑罰を免れた人」といった社会の見方につなが り、また別の壁になることもある。 そして「触法精神障害者」という用語には、「犯罪精神障害者」ではなく「触法精神障害者」と呼 ぶ理由があるとする。すなわち、精神障害のために事件を起こしたということになると無罪になるこ とがあるといったことは世間でもよく知られているが、これを規定しているのが刑法第 条であ る。それは、「刑法第 条 心神喪失者の行為は、罰しない。 心神耗弱者の行為は、その刑を減 軽する」である。 この法律の一項の適用を受けた場合、その行為は外形的には法に触れるもの、すなわち「触法行 為」ではあったとしても「犯罪」とは言えない。ゆえにそれを行った者も「触法者」ではあっても 「犯罪者」とは呼ばれないということになる。つまり「犯罪精神障害者(もしくは精神障害犯罪者)」 ではなく、「触法精神障害者(もしくは精神障害触法者)」なのである。もっとも触法行為は犯罪を含 む。したがって「触法精神障害者」には有罪となった「犯罪精神障害」も包含される。詳細は省くが 海外の多くの国では刑事責任能力の有無を処遇の大きな分岐点として作用させていないため、あまり触法精神障害者における地域生活支援の可能性と課題
─当事者と支援者の相互作用に焦点をあてて─
井沢 泰樹
*(金 泰泳)
* 人間科学総合研究所研究員・東洋大学社会学部この点を区別、あるいは意識して論ずることは少なく、ひとまとめに「精神障害加害者 Mentally Dis-ordered Offenders (MCO)」という用語を用いることが多い。)
また、「累犯障害者」という用語がある。累犯障害者とは、知的障害や精神障害があり犯罪を繰り 返し起こしてしまう人のことであり、山本譲司が著書『累犯障害者』の中でこの用語を使用し、その 実態を明らかにしたことで社会的にも広く認知されるようになった。なお、 年 月末日現在に おいて処遇指標が決定した全受刑者中に占める精神障害者の比率は .% である。) また、法務省が出している『矯正統計年報』には「出所受刑者の帰住先」という項目があるが、 年の出所受刑者の帰住先は以下のとおりである。総数 , 人のうち「社会福祉施設」は 人にとどまっており、「福祉の現場は前科が加わった障害者に対して概して冷淡である」) ということ がいえる。 結局、触法とラベリングされた障害者は、出所後の社会に居場所は用意されておらず、何回も何回も服役生 活を繰り返してしまう。(中略)私が知っている障害のある受刑者たちも、その多くは、福祉から見放され、 ホームレスに近い生活を続けた挙げ句、無銭飲食や置き引きといった罪で服役していた。福祉が関わってさえ いれば、なにも実刑判決を受けるような罪ではない。障害者が起こした軽微な罪の場合、身元引受け先の有無 が、司法の判断に大きな影響を与えるのだ。(中略)日本のマスコミは、努力する障害者については、美談と して頻繁に取り上げる。障害にも負けず仕事に頑張る障害者、パラリンピックを目指してスポーツに汗する障 害者、芸術活動に才能を発揮する障害者などなど。確かに、それも障害者の一つの姿かもしれない。だが一方 で、健常者と同じように、問題行動を起こす障害者もいる。) また、触法精神障害者を受け入れことのむずかしさについて神奈川県内の支援関係者の有志でつく る「県モデル活動研究会」は 年 月、医療機関と福祉事業所の職員を対象にアンケートを実施 した。 の機関・施設の 人から回答があり、「支援の実態を知らない」といった知識や情報不足 のほか、「人的余裕がない」「他の利用者や近隣の理解を得るのが難しい」などが挙がった。また、同 研究会のメンバーで、田園調布学園大学の伊藤秀之氏は「実態を知る機会が限られていることもあ り、医療や福祉職の中でも『また事件を起こされる』と言った偏見や理解不足がある」と指摘し、 「制度化された専門治療の医療機関に比べ、理解が進んでいない地域の精神保健福祉を充実させるこ とが必要だ」と強調している。)
.NPO 法人「やすらぎ」について
本論の作成のためにフィールド調査をおこなった NPO 法人「やすらぎ」は関西地方の村にある。 その村は約 % が山林であり、農林業を主産業としながら発展してきた農山村である。そして日本 の多くの農山村がそうであるように、この村もやはり高齢化と過疎化の進む村である。 「やすらぎ」の定款にはその目的を、「この法人は、地域に生きるすべての人々に対して人々が自己の能力を発揮し、一人一人が輝き、生き生きと暮らせる地域社会を創造するために、相互扶助参加型 の施設を創造するとともに、地域の農産物や資源を生かした、環境保全、地域循環型社会の形成に寄 与することを目的とする」としている。 年代終わり頃、村役場から、「精神障害の方の職場適応訓練を受け入れてくれ」という依頼が来 て事業所をつくり、そして 年 月、「有志の会「やすらぎ」」として、精神障害者受入れ県指定 社会適用訓練事業所となった。そして当時、統合失調症の人が 人、双極性障害の人が 人、またう つ病の人が 人の 人の人の職場適応訓練をおこなった。 そうしたところ今度は小規模作業所をしてほしいという依頼が村からまた来た。これは、当時、厚 生労働省が「精神障害者の地域での受け入れを進めなさい」ということを各自治体に促したのにこた えて、村がその精神障害者のための小規模作業所を設立したいといってきた。N さんは、「どうしよ うかと思ったんですけれども、始めてしまったし、どこも行くところがないという話なので、うちが 受けましょう」ということで小規模作業所を作った。そして 年 月に小規模作業所「夢工房 「やすらぎ」」に移行した。そして、小規模作業所の活動をおこなっていたところ、 年に施行さ れた障害者自立支援法に移行してほしいと、これも村の方から依頼があり、 年 月に特定非営 利活動法人「やすらぎ」が設立されたのである。その後、 年 月には精神障害者就労継続支援 事業所を開設し、また同年 月に共同生活介護事業を開始した。
.触法精神障害利用者支援の事例
NPO法人「やすらぎ」の特徴の一つに触法精神障害者を受け入れているということがある。前項 のような傾向もあり、精神障害者を受け入れている福祉施設でも、「触法精神障害者は対象外」とい うところは少なくない。そうした触法精神障害者を「やすらぎ」ではなぜ受け入れているのか?その 質問に対して施設長である N さんは、「目の前に倒れている人がいれたら寄って抱き起こすやろう? そういうことや」と述べる。本項では N さんへの聞き取りから、触法精神障害者である利用者の 方々の支援の実情を明らかにしていきたい。 【事例 】A さん 歳女性 中度精神遅滞 知的障害 放火・傷害 A は「やすらぎ」に来る前は「放火」で医療刑務所に入っていた。そして別の医療刑務所やろ。ほいで、そ のまま F 病院。F 病院に入院中にうちに話があった。A が 歳のときや。関西の つの地域生活定着支援セン ターが一緒に「やすらぎ」に来て「受けてくれへんか」言うて。 A は自傷行為が激しかったから医療刑務所やった。彼女がそうなったのは、やっぱり生い立ちが関係するや ろな。生まれた時は実の父と母親の下で生まれてんけども、小学校の時ぐらいにもう離婚しはって新しいお父 さんが来て。で、その人が A さんだけを籍に入れなかった。他の兄弟は籍に入れたけども。こいつは将来何す るか分からへんみたいな。 せやから、その頃から反抗的やったんかもしれないけども。で、中学ぐらいの時にかな、虐待があって、児童相談所が介入して、施設への入所。両親からの虐待でな。育てにくい子であったのは確かやと思うねんな。 自己主張のすごい強い子やし。そいで児童相談所に預けられて、そこで中 までは施設入所やったんかな。 そっからまた家に帰ってきて。ほんで事件を起こしてっていうな。 それから九州の定着(地域生活定着支援センター)にも行ってるし、うち来る前に。「もう 時間誰かが付 いてないと無理やった」言うてはったわ。自傷、他害、両方とも。で、物壊しも。せやから、廊下とかにも一 切、物置いてなかったいうて、A がおる間は。スプーンや歯ブラシといった異物をとにかく飲み込むという。 びっくりしてはったけど、わし連れていって。自由にわしはさしてたから。向こうはびっくりしとったけど な。「ほっといていいんですか」言うて。「大丈夫です」言うて。せやから A は、 つの定着のトップが来て 「全国どこも受け入れるとこがない」っていう。で「なんとかなりませんか」っていう。「まあ会うてみましょ か」言うて。ほんで F 病院行って、そっから。 はじめて会ったときは「やんちゃそうな女の子やな」ぐらいかな。A が の時やな、「やすらぎ」に来たん は。そら、A に接するときには、そらもう過敏な子やから、とにかく言葉遣いを気をつけてたな、傷つけない ように。別にていねいな言葉遣いじゃないけども、傷つけないように、傷つけないようにという。 そやから結局、その子の歴史を頭に思い浮かべながら喋らなあかんわけやんか。だからこうやったんやろな とか、ああやったんやろなとかいうような想像を。実際に本人から聞いた事も含めて。で、想像して。押さえ とかなあかん事を頭の中で押さえて喋るみたいな。 来た当初は寝かせてもらわれへんかったもんな。夜中もずっと起きて怒ってはる。モノ投げるし。わしや他 の職員がずっとそれを「ふんふん」って聞いて。まあどうやって鎮めるかということやろな。考えんのは。気 持ちをな。本人が納得いかない事に対して、言葉での説明と。ずうっとの積み重ねからの怒りやろな。不当に 自分を扱われてきたということ。直接的に言うしな。「今、不当にあなたたち扱ったでしょ。私の事扱ったで しょ」って。そういうふうに感じてるわけやな、彼女としては。感じてる。ほいで過去の怒りが湧いてくると いうこともあるわな。今現在ではなくて。 もういま振り返っても、そういう期間がどれくらいやったんかっていうのは思い出されへんもんな。すっご い長かったようには思うけども、実際には期間としては短いと思うよ。時間がすごいたつのが、毎日がな。も うへとへとやったからな。早く寝てくれへんかなっていつも思ってた。 でもそういう間に落ち着いてきたよ、少しずつ。突発的に荒れる事も、しょっちゅうあったけどもな。いっ ときは立たれへん、声が出ないってときもあったな。身体表現性障害やな。最初に「やすらぎ」で生活してた のは 年ぐらいかな。それで A 本人はそのまま「やすらぎ」におりたがったんやけど、F 病院の先生が、「こ のままやと N さん休まさんとつぶれてしまうよ」って言って、それで A を説得して、F 病院に入院してもらっ たんや。それで状態がまた逆戻りしてしまったところがあって、入院中に外出の時にスーパーで人を傷つけ て、また刑務所入ることになって。 そやから自分一人では生きていく事できないから。知的障害があるからな。言葉での表現も難しいやろう し、怒りの持っていきどころが。うん。読み書きは難しいわな。せやけど例えば部屋の片付けをきっちりでき るとかな。そういう能力的には高い部分もある。
それで最後に刑務所入って出てきて、男の人と出会って結婚したんやな。 時間、自分のほうを向いてくれ る人が見つかったということが一番大きな。大体それで落ち着く人が多いように思う。相手の人は献身的な男 の人。受け止めれるというよりは、どんな事があっても彼女の事が好きやという感じかな。相手の男の人も精 神疾患で入院歴がある人。病院で知り合うてんねん。F 病院で。 お母さんの A に対する対応も違ってきた。今まではもう知らぬ存ぜぬだったけど。で、まあ良うなったなと 思うてんけども、実はお父さんとお母さんは借金の追い込みかけられとって、巻き上げようと思うてたみた い。せやから「自分とこに、そばに引っ越しといで」て、兄弟みんな呼び寄せとってん。そのおかん。A に 入ってくる、いろんな補助金とかそういうの当て込んで。A がしばらく里帰りしてたら、「もう借金取りの電話 が毎日かかってくる」いうて言うてた。そういう意味じゃ変わってない。もうそやから「一切連絡を取らんよ うにしい」言うて。今はな。 ただそれがそやから、お母さんとしては、娘のために何かしてやりたいというのが本心やったんかもしれな いんやけどな。「出産の時も私が立ち会います」とか、いろいろ言うてはってんけどな。でも結局 A は「やす らぎ」の信頼できる女性職員に立ち会って欲しかったから。だから基本のとこで、やっぱ親を信用できへん かったんやと思う。 Aさんは現在、「やすらぎ」のグループホームで、職員や利用者に見守られながら 歳 ヶ月にな る娘さんと生活をしている。筆者は、A さんがまだ不安定な時期に、何度かその様子を拝見した。一 晩中、泣き、大声で叫びながら職員に何かを訴えていた。N さんはじめ職員の方々は毎日ローテーシ ョンを組んで、そうした A さんの訴えに耳を傾けていた。 またある時期には立って歩くことができず車椅子に乗って移動する生活をしていた。声を出すこと もむずかしいらしく筆談で職員や他の利用者を会話をしていた。 そうしたころに比べると現在の A さんは別人のようである。まだ気分の浮き沈みはあるというこ とだが、調子が良いときは農作業に汗を流している。N さんは、A さんの犯罪行為もふくめたいろい ろな行動は、これまでの積み重ねられた怒りがその根源にはある。不当に扱われてきたということを 彼女としては感じている。今現在のというよりは過去の怒りが湧いてきて、さまざまな荒れた行為に つながっていると分析している。そして、A さんを理解する術を、その人の歴史を頭に思い浮かべな がら喋らなければいけない。こういうことがあったんだろうな、ああいうことがあったんだろうなと いうような想像をしながら接する必要がある。そうして押さえておかなければいけないことを押さえ ながら相手に接していく必要がある、と述べている。 【事例 】B さん 歳男性 軽度精神遅滞 殺人未遂 本人も学校でいじめられてて、ほいで、中学はほとんど不登校。そういう状態の中で、お兄さんが家の中で 暴れる。親が困ってる。何とか助けてあげたいというので首を刺したみたい。お兄さんは統合失調症。物壊す とかあったみたい。いろいろ。包丁でお兄さんの首を刺したけど、怪我はたいしたことはなかったみたい。で
も傷害で捕まって。首やからな。殺人未遂やからな。それで少年院に入れられて。彼が 歳のときやな。そ れでそこを出るときに、知り合いの弁護士が彼をここに連れてきて、で、「自分、何してるんや」聞いたら、 「いえ、何もしてません」言うから、「そんならもう、明日から仕事うちでするか?」言うて。あいつが ぐ らいちゃうか。 非常に能力はあると思う。頭ええ。レクリエーションの案内文なんか書かしても、割付けすごい上手やから な。料理もきれいに盛り付けしよるし。ただ、後片付けがでけへんな。 行政も福祉関係も一切関わってない。まあまあ単純なもう「そんなん遊んでるんやったら働けや」言うて。 それこそもう誰が来てもオッケーやから。別に彼が不遇な状態にあったからとかいうことで「おいで」て言う た訳でもないし。人はなあ、何人もおったほうがいいから。 今はもう、うちの職員寮に。そやけど、あの例えば車の中にごみだらけで、うん。片付けられないからな。 「車の中がゴミだらけになってるのを片付けろ」言うたり。それから仕事途中でほったらかすというか、ちゃ んと片付けせんとな、そういうのを注意したりとかそんなとこぐらいかな。ほんでただまああの、新しい中古 の車買うて電信柱に激突。で、腕を折るということもあった。なんか次に車買うて、つい最近、借金が 万 ほどあるいうのが分かって、サラ金から カ所借りとって。んで、パチンコに全部使うて。ギャンブル依存や な。 そやから親に仕送りがすごく多かったからな。うん。減らしてもらえとか。やっぱり家庭のほうもお父さん が新聞配達だけで、お兄さん年金とってなかったから生活苦しかったやと思うねん。そやから滞納分もあった し。そんなんもあってかなりの額を渡しとったから。そやけど「もうええ」言うて。この間、連れてきた弁護 士に「お兄さんの年金とったってくれ」言うて。んで弁護士が動いてくれて年金入ったからな。ええ子やで。 やさしい。 Bさんは現在、保護観察処分の状態にある。「やすらぎ」のカフェレストランで調理および接客の 仕事をしている。 筆者は 年 月と 月の 度、B さんからインタビューをさせていただいている。しかしそれ は、B さんが起こした「犯罪」にまつわることではなく、現在の「やすらぎ」がかかえているさまざ まな問題点についてどのように考えているのかということについてたずねたものであった。B さんは 「やすらぎ」がかかえている諸問題を客観的かつ冷静に話してくださった。N さんから、B さんの起 こした事件のことをあらかじめ聞いていた筆者は、B さんがどれだけ暴力的、攻撃的な人かと先入観 を持ってインタビューに臨んだ。しかし実際の B さんは、「事件」のことを聞いていなければ、そう した「犯罪」を起こしたとは思えない穏やかでやさしい人であった。 Nさんは、はじめて会った時点で、行政も福祉関係も一切関わってない B さんに、「明日から働き に来い」と声をかけている。それは、「そんなん遊んでるんやったら働けや」といった単純な動機で あったという。それは、「やすらぎ」は「誰が来てもオッケーやから。別に彼が不遇な状態にあった からとかいうことで誘った訳でもないし」と述べている。しかし、そうした「誰が来てもオッケー」
という間口の広さが B さんの人生を変えたといっても過言ではない。 【事例 】C さん 歳男性 広汎性発達障害 常習累犯窃盗 別のある施設の人から連絡があって「ちょっといっぺん会うてもらえませんか」っていうことで刑務所行っ て。ほんだら、拘禁症状出てて、ああって、その、ああ、その、ああとか言うて、うん。んで、賽銭泥棒をと にかく繰り返して止まらないと。ほいで、いわゆる「取る」ということに関しての、「賽銭は誰のものでもな いから取ってもいい」ということが、「取ってはいけない」ということが分からないと。広汎性発達障害やな と思って。実際にそういう診断やった。知的もかなりある程度。で、お母さんとも会うて、「受けようか」と いうことで。いわゆる自傷他害はないし、身近な人に対して物を取るとかいうような行為もない。なかったん でな。ただ、多動やからじっとしてられないから、そこら中うろつき回る。夜も昼も構わず。で、風俗に出入 りする。もう毎日のように、盗んだ金で。 年半、刑務所入ってた。えっと 回かな。わしが関わってからは 回だけか。ただ捕まったんは、それま でにも捕まっとるよ。そやけど証拠が出えへんかったんで。うん。刑務所へ行った時は、とにかく 人刑務官 が付いてきたんや。いわゆるその健常者の不規則な行動ではなく、その彼独特な行動が予測できないから刑務 官がびびってたんやろな。全然たいしたことないんで。怖くないねんで、初対面でも。そやけど横に二人付い て。普通やったら一人。ほんで、戸の外に 人付いて。うん。「なんという厳重な」って思うたけど。刑務所 から F 病院入院。多動性の治療。 歳のとき、F 病院に会いにいったとき、C は哺乳瓶で水を飲んでいた。愛 着障害のためじゃないかとおもう。 そやから九州の定着(地域生活定着支援センター)のときに医療的治療は全く効果なかったけど。医療的に は。まあ医療って要は薬やからね。効果なかったんやな。 いわゆる拘禁状態に置くから、本人はストレスだけがたまっていくという。まあ刑務所も病院も一緒で、教 育的な配慮がなかなかできないという。ほんで日替わりメニューで職員が変わっていくし。安定した支援でき ていないという。信頼関係がこう生み出せないという。 小学校の低学年の時から物を取ってて、賽銭箱から 万円取ってきた時にお父さんが叱って、そのお札を燃 やしたゆうんやな。「それアウトやなあ」言うてて。ちゃんと返しに行かなあかんやろうと。本人、訳分から んわな。お父さんも広汎性のこだわりの強い。そう。超こだわりの強い。そやから家の中ぴかぴかやで。潔癖 症やから。止めた車も自分の近い、見える所にしか止められへん。傷ついたらあかんからやて。服は全部自分 のんだけ自分で洗いはんねん。ほんで、お母さんの実家でおはぎが出てきたら食べはらへんねん。「お母さ ん、手、汚い」言うて。 「やすらぎ」に来てからは、まず片付ける。「やすらぎ」の厨房とか部屋とかにあるもの全部。自分がいらな いと思ったら、汚いなと思った物は全部ごみ箱にほうって。ほんで、物がとにかくどこにあるのか分からへん ようになって。C が来てから。じっとしてられないからな。夜中中片付けして。それはお父さんがそういうの を見て、変に刷り込まれてる部分はあると思うよ。ほいで無断外出。度重なる無断外出、長期にわたる逃亡。 でその間に賽銭をいっぱい取ってきて、かばん中小銭だらけという。
今はしょっちゅう出て行ってる。ただ、自力で帰ってくるようになった。バスに乗って帰ってきたりとか。 前は警察からとか連絡があって。以前は何日も帰ってけえへんかって、タクシーで乗って帰ってきたり「迎え に来てくれ」言うて迎えに行ったり。それから今は前の晩に出て、次の日の昼までのバスで帰ってきたりとか いうような事ができるようになってきてる。んで、仕事ができるようになってきたわ。続くようになってきて ん。片付けのとか潔癖症のこだわりもだいぶんないな。その夜中に片付けるとか、物がなくなるとかいうよう な事はなくなってきたんかな。ずっと叱られ続けるから。注意するやん、そん時。だんだん刷り込まれてい く。だから 年かかって刷り込まれた、価値観や行動の習性を 年かけて治すみたいな感じやねんな。刑務 所でも医療機関でもなかった教育的配慮をここでやってるってことやな。たいがいそんなんできなくなるの は、ほとほと疲れたいうことやろ。みんながな。そこのエネルギーの問題やろうな。どこまでエネルギーを持 続させていけるかが、こっち側がな。あきらめないで。で、絶対手を放しませんよというメッセージをずっと 発し続けると。 職員達もこういうふうに接しようとか、こういう時にはこういう注意をしようとか、そんなん共有する。ち ぐはぐな対応だと駄目やな。もう絶対駄目。それからいわゆるチームワークを組まないと絶対無理やから。職 員会議、昼してるやんか。そういうチームワークとか、この人に対してはこういうふうに接していこうとか、 情報共有なんかっていうのはそういうのを場を設けて。 C さんは農作業を結構やってる。でも肝機能が悪いから。むちゃくちゃ食うからな。気持ち悪いくらい食う から。 ただ賽銭泥棒はこれから先もやるやろうな。また捕まるんちゃう。まだ分からんみたい。なんで取ったらあ かんのかが。「取ったらあかん」て言われてることは分かんねんけども、なぜ取ってはいけないのかというの は「まだ理解できない」て言うてる。昔はバイク盗んだり、いっぱいしてたみたいやけどな。でも、それはな くなったように賽銭へのこだわりもなくなったらええねんけどな。 Cさんは現在、刑務所に入っている。N さんが言ったように 年秋、再び「賽銭泥棒」をして しまい逮捕され、裁判の結果、 年間の懲役刑に服することになる。筆者は、まだ裁判の前の、警察 署に拘留されている C さんに、「やすらぎ」の職員と弁護士とともに面会をした。C さんは、「頭で はアカンと思っててもからだが動いてしまう。今度やったらクビくくらなあかんぐらいには思って る」と、後悔の念を切々と語っていた。そして、話の内容からうかがえたのは、「やすらぎ」の職員 たち、とくにそのときに面会に行った、C さんの面倒をいちばんよく見てきた、その職員に見放され るということをいちばん恐れているようだということであった。そうしたストレスからか、C さんの 口は曲がり、いわゆる顔面神経痛の状態を呈していた。そして職員からの、「なんでやってしまう ん?」という質問に対して、「ストレスがたまるとやってしまう」と答えていた。 年秋、C さん は刑期を終えて出所してくる。「やすらぎ」は C さんを受け入れる予定である。
【事例 】D さん 歳男性 広汎性発達障害 他害行為 ある市で カ所ほど関係機関に行ったが、処遇が困難だということで、自宅でお母さんと 人で。お父さん が働きに行ってお母さんと 人で日中過ごしてて。その市の相談支援センターに相談して、「家で暴れている がどうにかしてほしい」ということで連絡があって病院に入れられた。それが国立系の病院やった。 で、病院に カ月ほど入ってたんやけど、病院側が「もう出てほしい」ということいろいろなところに相談 して、ここににたどり着いて、「会ってほしい」ということで、ぼく、病院に行ったんや。 ほんだら、本人はかなりきつい薬で抑えられてて、病室の隔離室に。鉄の扉で閉める。床に、床はこういう 状態で便器だけがあって、薄いウレタンのマットみたいなのが 枚引いてあるだけの部屋に本人がおった。 行ったときには本人は言葉をしゃべらなくて、ずっと頭を揺らしてる状態やった。薬の調整をその間、それ から先生とシェアして、ちょっときついよねとか、ここはこうしたほうがいいんじゃないかという話を先生と していって。で、そこから カ月後に退院しましょうということで引き受けてここに住んでもらったんや。 住んでもらった初日から、「バンバンバンバン」と、こういう感じで、一日中、テーブルと壁、床、それか ら人を殴るということを繰り返してた。夜間はおれと他の 名の職員が対応して。本人が一番奥に寝て、 人 並んで寝て、うちはカギ一切ないから、本人が閉める以外に、外から閉めるようなことはないんで非常に危険 だということで 人でついて寝てた。 それでも乗り越えられて、近くの家に夜間に行って。で、近くの家から、「おまえ、ここの家、買うてく れ」いうて、「こんな気持ち悪いところ、わし住んでられへん」とかいうような話があって。でもまあ昔から 知ってるから酒持っていって、「まあまあまあ」ということで、というようなことを繰り返しながらやって た。 それで家の中で、自宅におったときもそうやけども、放尿。それから壁に糞尿をこすりつけるという。道で も絶えずお尻を出して、全身にうんこをつけて回るというような状態だった。うちに来てからも、もう床は しょっちゅうオシッコだらけ。靴は、ぼくの靴もしょっちゅうおしっこだらけになってたんんやけど、そうい う状態が 週間ほど続いた。 ほいで、ちょっと職員だけでの対応はもう厳しいなということで、「お父さん、お母さん、引っ越してきて ください」ということで、お父さんとお母さんの部屋を作って、お父さんも交代の体制に入ってもらう。お母 さんは、炊事、洗濯のほう。事業所のほうの応援に入ってもらって、スキルの高い職員がとにかくずっと関わ ろうということで毎日やった。 で、徐々に徐々にやけど、本人が落ち着きを取り戻して言葉が出だしたんや。自分が作業所でどういう扱い を受けていたか、どういう処遇を受けてきたかということを、わかりにくい説明やったけど、彼なりに、毎日 毎日繰り返して怒りを爆発させる様子が、ただ、言葉には出せるようになったということです。 ほいで、食事のときなんかは、とにかく自分の好きなものがあると前のテーブルの人の全部食べる。トンカ ツやったら、トンカツを全部食べるというような状態。そやけども、一緒にグループホームに住んでると。躁 うつの人、それから統合失調症の、それぞれすごく難しい時期を一緒に過ごしてきた人たちなんで、何の文句 も言わずにずっと彼を見続けてくれた。
で、だんだん、だんだんと落ち着いてきた。言葉も鮮明になってきた。彼はまず幼少時に言葉を獲得しよう ということで、激しい言語訓練の療育をされた。月に一遍、九州から先生を来てもらって年間 万払って言 葉のカードとか作って、言葉をしゃべると食べ物を渡すという。犬や猫ちゃうねんでと、ぼくなんかは思った んやけども、そういうふうな訓練の仕方で言語を獲得してきた。言語能力は高いんやけど手先はほとんど使え ない。キャンデーの袋が破ることができない。 で、「お母さん、これ福祉の世界ではほとんど皆さん言いませんけれども、ぼくは、お母さん、お母さんの やってきたことは % は間違っている」と。「激しい言語訓練やって、彼は食べ物、しゃべれば食べ物をもら えるということを覚えちゃったね。それからお母さんが本人のためによかれと思って食べ物、自分の分もやっ てたけども、それはだれのものでも食べてもいいように彼は理解したよね。それで彼は苦しんでいるんですよ ね、今」という話をした。 それと、人に対しての信頼感がないので、ぼくはアタッチメントをずっと繰り返しながら、だんだん手をさ わる、足をさわるというとこら辺から体をさわれるようになって。で、おれはほとんど事務所で現場にいて て、事務所の周辺を、事業所の事務所の周辺におるんやけれども、彼がアタッチメントをできるようになった ころから、事務所のソファに一日寝るという仕事になって。彼が来ると、ぼくが寝てると、ペタッと上に乗っ てということができるようになった。人との距離がだんだん近づいてくるようになって。 で、 年間、とにかくお父さんとお母さんに住んでもらって、「一緒にお母さんやお父さんも変わってくだ さい、ぼくたちも変わらなあかん。でないと彼も変われない」ということでやってきた。その間に利用者の人 は、 人ぐらいは殴られているし、職員も応対の悪い職員は 人ぐらい殴られてた。 人は目、充血するぐら い、 カ月間真っ赤になりましたけど、それぐらい強い暴力を受けてた。 Dさんが「やすらぎ」に来て 年目となる。現在、どういう状態かというと、N さんが出かけよう と自動車に乗り込むと、D さんが事務所に行き、ミカンを つ持って車に戻ってきて N さんに渡し てくれた。そして「食べよう」というふうに N さんに促す。 このことを、他の職員に言ったところ、「 つしかなかったからそれを持っていっただけでしょ う」と言った。しかし N さんは、「いやいや、違う違う違う。ミカン箱の中のミカンを つとってき てくれたんだ」と主張する。 そして、次の日、今度は新聞受けの新聞を持ってきて車のところに渡してくれて、「はい、新聞」 と本人が言って、「ありがとう」と N さんが返す。そういうコミュニケーションがとれるようになっ てきているという。N さんは、怒って糞尿を塗りたくっていた以前の D さんと比べるとき、「とても 感慨深い」と述べる。こうした D さんの変化を日々見ながら、「やすらぎ」の職員たちは、人間とい うものはこうやって変わるんだということを日々実感している。D さんの存在は職員たちの技量を高 め、日々の活動の希望となっているという。「だから今、どんな困難な人が来てもおそらく大丈夫や と思う」と N さんは述べる。
.考察
精神病床のある全国の病院で 年以上入院する精神疾患の患者数が、 年 月末時点で少なく とも 人に達することが明らかになった。半世紀にわたり継続入院している患者数について公的 な統計は取られておらず、厚生労働省は患者の地域移行を掲げ削減を目指すが、今も病院に収容され 人生の大半を過ごす人たちが数多くいる実態がある。) 「やすらぎ」の職員で、以前、国立系精神科病院の職員であった看護師によると、病院での拘束、 とくに重度心身障害者に対する拘束が、今も国立系、元国立系の全国 カ所の病院でおこなわれてい たという。その看護師が勤務していた病院では夜間、ほぼ % の人が拘束されていたという。これ は、「拘束してもいい」という病院は厚生省の方針をそのまま受けて何の努力もせずに毎日拘束を続 けていた。 夜間、例えば夕方 時に食事が終わって、 時 分にはベッドの上で拘束帯をつける。それから おしめを全員する。そして睡眠薬を飲み、便が夜中におしめの中に出るように下剤を飲む。だから夜 間の間におしめの中に大便が出ている。日中のケアの最中に大便をしては困るので、夜間に排便する ように薬で調整する。朝 時半になったら、拘束帯を外す前におしめの始末をして 時半に起こすと いうことが毎日行われていた。 そういうことを毎日していると、その患者がどういうふうになるか。土曜日・日曜日に、たまに年 に 回か 回、自宅に帰ることがある。そうしたときにどういう行動をとるかといえば、寝る前に両 手を前に出して「縛ってくれ」と言う。そういう「習性」になってしまうのである。 NPO法人「やすらぎ」の施設は壁もなく、どこにも鍵はかけられていない。それは、拘束帯をつ けられ、排便を薬で管理され、自らを拘束してくれと患者に言わしめる精神科病院の現状とは対局を なすものといえる。 本論の最初でも述べたが、触法精神障害者の地域生活支援に関する研究では、従来、刑事司法的ア プローチや福祉的アプローチの主として制度的側面、システム論的側面からのものが多かった。しか し近年、犯罪心理臨床もなされるようになっている。 藤岡・奥田・益子( )によれば、犯罪行動は、環境の要因と個人の要因の両方によって規定さ れるものであり、その修正・変更には、環境と個人両方への介入が必要であるが、心理臨床が主たる 介入のターゲットとするのは、個人的要因である。個人的要因に甚大な影響を与えている環境要因、 例えば家族関係なども介入の対象となりうるが、あくまで二次的となる。実際には、衣食住などの基 本的生活基盤がない場合は、その支援も不可欠であり、個人的要因と環境的要因の両輪を統合的に支 援していくことが重要である。) しかし福祉施設における日常の支援行為において、利用者(触法精神障害者をふくむ精神障害者) と支援者(施設職員)とのあいだでどのような相互作用があり、それが両者の信頼関係の構築や、逆 に信頼関係に齟齬をきたすのかといったことの実証的研究はこれまで少なかったといえる。以下、NPO 法人「やすらぎ」に、どうして他の施設や機関で“面倒が見きれなかった”人たちの 受け入れ依頼が来るのか、その背景にあるものを明らかにしたい。 Nさんは、利用者たちの精神疾患の発症や重症化、また彼/彼女を触法行為へと向かわせてしまう 背景の一因に愛着障害があると指摘する。岸( )によれば、千葉県地域生活定着支援センターが 開所から約 年半の間に生活支援をコーディネートした特別調整対象者および一般調整対象者につい て、その人々を、「矯正施設を行き来している障害者とは、反省していないわけではないが反省でき ない人たちであった。対象者の多くが地域社会の中で孤立し、ネグレクト、虐待、CV、親族や他人 からの金銭搾取などの被害を受けており、多くが加害者になる前は被害者でもあった」) と述べてい る。 そのために彼/彼女たちの更生のためには信頼関係の構築が必要であり、そのためにはまず、彼/ 彼女たちに対する「絶対的受容」が必要であると述べる。N さんは、たとえば A さんや D さんと いった、自己を理解してもらえず、また否定されてきた利用者への対応について、職員たちに、「あ らん限りの愛情を注げ」といった指示を出し、その共有化をはかる。 また、困難な利用者の事例においても支援者があきらめず、「私たちはけっして手を放しません よ」というメッセージを送りつづけることが大切であると N さんは述べる。ある施設が「この人の 面倒はもう見切れない」となってしまうのは、多くの場合、問われるのは支援者たちがいかにエネル ギーを持続させていけるかということである。そうしたときにあきらめずに「絶対に手を放しません よというメッセージをずっと発し続けることができるか否かが大切である」という。 また、そのためには利用者に対する接し方など職員間の情報共有とチームワークが必要である。ち ぐはぐな対応は絶対に避けなければならず、チームワークを組まなければ支援の効果も薄く、支援者 も疲弊してしまうことが多い。 「やすらぎ」においてまたこうしたことがあった。利用者ひとりひとりの存在価値をみとめる集団 をめざすとき、「やすらぎ」のある利用者が亡くなり、そのお別れの会を「やすらぎ」でおこなうこ とになった。職員たちは、利用者に対して、「お別れの会に出席されますか、それともここにおられ ますか?」という問いかけをおこなった。しかしそれを見た N さんは、「そうではないだろう」と指 導をしたのである。 「やすらぎ」の利用者である、精神障害者、知的障害者の人々は、結婚式や葬儀といった儀礼の場 からは排除をされてきた人たちである。家族は彼/彼女たちの存在を、“人目にふれぬよう”、家にい ることを求め、彼/彼女たちはそうして社会との接点を失ってきた。「お別れ会に出席されますか、 欠席されますか?」という問いは、暗黙の内に「欠席」を求めるものであり、それは社会からの疎外 と排除を意味するものである。だから N さんは言った。「出席しますか、欠席しますか?」ではな い。「出席してください」だろ、と。そしてお別れの会に出席した利用者たちは感じるのである。自 分が亡くなったときにも、あのように悲しんでくれる人たちがいるのだと。利用者自らが自身の存在
価値を見出すことになるのである。こうした利用者への接し方が、従来の精神科病院と「やすらぎ」 の際だった違いであり、こうした配慮が触法精神障害者の受け入れにおける利用者と支援者の間の一 方通行ではない相互作用と信頼関係の醸成に貢献するのである。そしてそれが実社会の中で疎外され てきた/いる精神障害者や知的障害者の「承認」ということにつながると考えるのである。 〈注〉 )安藤・曽雌他( ) − 頁 )法務省( ) 頁 )山本( ) 頁 )山本( ) − 頁 )神奈川新聞 年 月 日 )毎日新聞 年 月 日 )藤岡・奥田・益子( ) − 頁 )岸( ) 頁 〈引用文献〉 安藤久美子・曽雌崇弘他、 「触法精神障害者の社会復帰の現状と課題―事件をおこしてしまった精神障害者 たちにとっての社会復帰」『精神保健研究』 号 国立精神・神経医療研究センター・精神保健研究所 ‐ 頁 藤岡淳子・奥田剛士・益子千枝「犯罪からの離脱のための支援―障がいのある犯罪行為者の心理臨床―」生島浩 編著『触法精神障害者の地域生活支援―その実践と課題―』金剛出版 ‐ 頁 法務省『平成 年 法務年鑑』 年 神奈川新聞 年 月 日 岸惠子「罪を犯した障害者をソーシャルサポートで支える」生島浩編著『触法精神障害者の地域生活支援―その 実践と課題―』金剛出版 ‐ 頁 毎日新聞 年 月 日 山本譲司 『累犯障害者―獄の中の不条理―』新潮社
【Abstract】
Possibility and problem related to community support
for mentally-disordered offenders
─Focus on the interaction of offenders and their supporters─
Yasuki Izawa
*(Taeyoung KIM)
This article is based on the author’s interview data of the staff of an NPO performing social life support of mentally-disor-dered offenders. This NPO is a group supporting both “deinstitutionalization” and the social life of mental patients and, through the interaction of a user (mental patient) and the supporter (the staff), this paper clarifies how a user may transform. The study on community life support of mentally-disordered offenders focusing on the conventional approaches of the detec-tive judiciary and welfare. However, in the everyday support act in the welfare institution, there is what kind of interaction ex-ists among users and supporters is still under discussion. This paper seeks to clarify them through the interview research from a staff of welfare institution accepting mentally-disordered offenders.
Key words : Mentally-disordered offenders, Local community Life support, The person concerned and supporter, Interaction,
Interview research 本論は、精神障害者の社会生活における「脱施設化」と、触法精神障害者をふくむ精神障害者の社会生活を総 合的に支援する NPO 法人職員からのインタビュー調査により、利用者(精神障害者)と支援者(職員)との相互 作用をとおして、利用者がいかに変容していくのか(あるいはいかないのか)ということを明らかにするもので ある。 触法精神障害者の地域生活支援に関する研究は、従来、刑事司法的アプローチや福祉的アプローチにおける主 として制度的側面からのものが多かった。そして近年、犯罪心理臨床アプローチからの研究もなされるように なってきている。 しかし福祉施設における日常の支援行為において、利用者(触法精神障害者をふくむ精神障害者)と支援者 (施設職員)とのあいだでどのような相互作用があり、それが両者の信頼関係の構築や、逆に信頼関係に齟齬をき たすのかといったことの実証的研究はこれまで少なかったといえる。本論では触法精神障害者を受け入れる福祉 施設の職員からのインタビュー調査をとおしてそれらを明らかにするものである。 キーワード:触法精神障害者、地域生活支援、当事者・支援者、相互作用、インタビュー調査