大衆民主主義における政党と圧力団体の政治的機能
に関する一考察
著者
松岡 八郎
雑誌名
東洋法学
巻
1
ページ
97-114
発行年
1957-11
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00007748/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja大衆民主主義にbける政党と
圧力団体の政治的機能に関する一考察
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岡 入良
区
十八世紀から十九世紀にかけて生きていた幾多の政治思想家たちは、 いわゆる市民的民主主義の政治機構につ い て 、 つぎのような構想をいだいていた。すなわち、それ以前の専制的絶対主義的な政治体制のもとにおいては、特 定の集団(君主とその意中の臣﹀が政治権力を独占しており、民衆は政治権力から遠ざけられて、 政治に参与すること はなかった。しかし政治に関係しないということは、自己の幸、不幸となんらの関係ももたないということであり、 これは明らかに不合理である。そこでかれらは、各人に権力を分配し、各人が治者であるとともに被治者である政治 機構を構想するにいたった。国民自治の原理 U H H 人民主権の原理に立つ民主主義がこれである。しかし実際には多数 の者が、すべて直接に政治権力の行使に参加することは不可能であるので、その代表者を選んで、これに権力の行使 を委託することが考えられた。しかもこの権力が一人の人間あるいは一つの集団に集中することを避けるため比、権 カ分立制が考えだされ、立法、司法、行政の三つの権力機関を分離独立させて、相互に抑制し、牽制させようと企図 したのである。さらに代表者の政治的責任を痛感させるために、民衆がその権力の行使を監視する必要があり、そこ で、選挙制度を確立し、不適任な代表者を再選しないことによって、監視の効呆をあげようとしたのである。かくし て政治権力の分配からはじまって監視にいたるまで、民主主義の政治機構は、政治権力の横暴を防ぎ、民衆の幸福な 大衆民主主義における政党と圧力団体の政治的機能に関する一考察 九七東 洋 法 学 九 J、司 生活を確保しようとする構想にもと事すいていたのである。 このような政治機構を円滑に運営し、その効果をあげるためには、民家が政治について能動的に自発的に し か し 、 行動することが必要である。ジェ l ムス・プライス
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は、民衆の積極的参加によって生まれでる民主 主義の理想図をつぎのように描いている (1J 。 ﹁一般市民は、公共の問題が自分の義務であるとともに自分の利益で かれは政治の重要問題を理解しようと努力し、自 分の利益よりも公共の利益を優先させる不偏不党の精神でこれを考える。もし、公共の福祉実現のための手段につい これにたいして絶えず細心の注意を払うに至る。 あることを認め、 て意見の相違が生じてくるため、政党がぜひ必要になるならば、 かれは一つの政党に加わり、その会合に出席する かれは、選挙場に出ることを決して怠らないが、さりとて、その能力と人格 が、党沃心による昂奮を抑制している。 とに満足する場合にのみ、 自党の候補者に投票することとする。かれは 1 1 公共への奉仕を義務と脅えているから、 (もし自分の能力を十分と思うならば)、快く地方の議会または委員会で事務を引きうけ、さらに代議士の候栴者にもな る。このような市民が選挙人であるなら、議会は、有能清廉で、 かつ専ら国民のために奉仕しようとする人々で構成 されることになる。選挙人の買収や公務員の汚職などは、その跡を絶つに至る。指導者は必ずしも常に一意専心する とは限らないし、議会も必ずしも常に賢明でないかもしれない。しかし、とにかくすべてが公正熱心で信頼と善意と が支配的となる。そして、紛争を起させる原因の大半は消失する。なぜなら、嫉視反感を醸成させるようななんらの 特権もなんらの利益も存在しないからである。官職を求めるのは、単にそれが有益な公共への奉仕の機会を与えるか らである。権力は万人にわけられ、栄進の道も万人にたいし平等に開かれている。法律が富の蓄積を阻止しないとし てもーーーおそらく阻止することは不可能であるが││、公衆の看視によって不法な致富の道をさえぎるか、 その程度は少くかっ極端にわたることはない。もっとも堕落した分子を除いてすべての人は、法律を自分のものと考えてこれ に従いこれを支持する。憲法は、あらゆる苦情にたいし救済を用意しているから暴力に許える口実もなくなる。平等 は人聞の連帯感を生み A 風習は改めて兄弟のような親愛の感情を増進させる口﹂ 支える基礎条件として、民衆の政治への能動的自発的な行動がいかに重要であるかを述べたものであるが、なおこの 一言葉のなかには、財産の偏在しない、相当程度の実質的平等が、ある程度実現していなければならないことが民主主 プライスのこの言葉は、民主主義を 義にとって必要であることが、予定されている。すなわち、レッセ・フェア(︼巳
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によって、社会はおそら く中等程度の規模をもっ市民 H 商人、工業家、農民によって形成されると考えられていたのである。 以上述べてきたような民主主義の政治機構、民衆の積極的の政治行動様式およびその社会的経済的基盤によって、 べなければならない。 な ぜ な ら 、 自由な政治的意見の表明が許される民主主義においては、 さらにいま一つの前提、すなわち政党の問題についても述 政 党 は 、 民衆の政治的 ここに完全な民主主義が成立することになるのであるが、 意見の通路としてその発生は必然的であり、 (思自信ロ島田口同 W O ) は政党を定義して次のように述べている(宮)。 協同の努力により、 しかも代議政治には不可欠なものだからである。 エドマ y ド ・ パ l グ ﹁政党とはある特定の主義について意見を同じうす る も の が 、 その主義を基礎として国民的利益を増進せんがために結合しておる人々の団体であ る﹂この定義からみると、政党は特定の主義にもと申すいて結合したものではあるが、 進を目的とするものであり、したがって政党聞の対立は、 国民的利益HH
公共の福祉の増 この国民的利益の増進についての主義や方法に関する対立 であって、その底には国民的利益の増進という共通目的が在するわけである。かくて、多数党は少数党にたいして論 争は行うが、決して圧制は行わないし、 また少数党は多数党にたいして反対のための反対は行わず、良い政策には進 大衆民主主義における政党と圧力団体の政治的機能に関する一考察 九 ゴ し東 洋 法 学
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0 0 んで協力する。 そこには合理的な説得が在在し かくて 輿繭を巌判として政完聞の政権の交替が円借に行われる こ と に な る 。 このように、民主主義の政治機構、能動的自発的な民衆の政治行動様式、中等程度の財産所有者によって構成され る市民社会、政治機構の合理的な運営者としての政党が在在することによって、民主主義は民衆にとってこのうえも ない政治の世界を現出するはずである。しかしこれは全くのユートピアにすぎない。現実においては、民主主義の政 治機構は政治権力の集中独占化の方向に進み、民衆の大部分は政治権力から疎外され、一部のもののみが利己的な利 益の実現のために権力への接近を試みている。また資本の独占集中は極度に不平等な社会を現出し、政党は国民的利 益ではなくて、特殊利益の代弁者となり、政党聞広はあくことなき権力欲が支配している。このような市民的民主主 義の破綻は、二十世紀に入るや、 一層その状況を深くするのである。 現代は大衆民主主義(宮山g
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﹀の時代である。すなわち教養と財産を基準として参政権が賦与されていた 市民的民主主義とは異なって、ひろく国民大衆 ( 3 ) にひとしく参政権が与えられている。大衆民主主義は、二十世紀と くに第一次世界大戦後に生まれでたものであるが、これは多年にわたる人聞の理想の実現として喜びをもって迎えら れたのであった。しかるに、大衆民主主義の実現後十余年にして多くの国ーーその典型はドイツーーにおいて民主主 義の無残な破壊が行われるにいしたった。元来、民主主義はケルゼン ︿ 回 目 ω 同 己 ω g ) が説いているように、 ﹁無指導 性 ﹂ ( 4 ) (喝 容
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を理想としているのであるが、現実には指導のない政治はありえないのであり、この指導 を最少限にとどめることが、民主主義の実際上の目標とされた。しかるに現代においては、独裁に近いまでの政治指 導が行われ、しかも少数のものがこれを常時独占するにいたったのである。これは一体どのような理由に基ずくもので あ ろ う か 白 比較的中等規模の財産所有者によって構成されるはずの産業社会が、資本の独占集中により、鋭いピラミッド型の 社会構造へと移行し、また技術の発達によって文明社会はますます機械比され、合理化され、分業ル刊されて、国民大 衆はこの巨大にして複雑な機構のたんなる部分品としてとどまり、閉鎖的孤立的な生活領域に閉じこめられるにいた ったのである。このような社会では、政治権力はピラミッドの頂点にたつものが独占し、封鎖化することは明らかで あ る 。 つぎに現代は資本主義体制の動揺の時代であり、そこにはインフレ l ション、パニック、失業などの深刻な経 済不安、社会不安が発生する。したがってそこでは、広い政治的経済的社会的視野に立った計画、統制、機動力が要 求される。かくしてこのことに、社会的知識の独占必と専門砧とを呼びおこし、限られた少数の政治家、経済的指導 者、高級官僚、法律家などに、政治権力行使の権限を集積し、集中する結呆となった。またこのことは議会制民主主 義をして、行政部に政治における中枢的地位を占めさせることとなり、執行権優位の傾向を生ぜしめたのである。さ らに現代は革命と戦争の時代である。国.内においては、資本主義体制にたいする労働者階級の側からの激しい攻撃が 行われ、圏外からは、戦争の慢性的な危機が脅威している。このような事態においては、政治権力の側における計 画、統制、機動性、秘密性がますます強く要請され、権力の集中集積が一一層顕著となる。尚革命と戦争の脅威は、軍 事力を強大化し、 かっこれを政治権力の手に独占せしめるにいたる。したがってこれをコントロールする少数者はま すますその権力を強必するのである。このような権力の集中と強化とは、同時に権力行使の領域の拡大という現象を 生み出し、政治権力の法透をうけない領域はもはや存在しえなくなり、 いわゆる ﹁ 政 治 化 ﹂
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の時代 となったのである。なお叉このような権力の集中独占を可能ならしめる他の事情が荘在する。それはマス・コミュ-一 大衆民主主義における政党と圧力団体の政治的機能に関する一考察。
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ケ ー シ ョ Y の発達であり、 この発達は、国民大衆を政治権力の意図する一定の枠のなかにつなぎとめ、 かっ操縦する ことを可能ならしめるものである。 しかしここでわれわれは、大衆民主主義における政治権力の集中化の原因が、国民大衆自体の側にも伏在している ことを見のがしてはならない。すなわち国民大衆の政治的無力感と政治的無関心とが、 このような集中化を招いてい る大きな原因である。およそ被治者が政治にたいして無力感をいだき、 また無関心であるのはいまにはじまったこと ではなく、古代社会から近代民主社会の到来まで、被治者は政治的支配にたいして盲従するように馴致されてきたの である。したがって完全に近代比されない国々においては、現在もなおこのような伝統的な政治的無力感や無関心が 根強く残在している。しかし問題は、被治者と治者が同一性をもち、被治者の一人一人が同時に治者であるとされる 現代の大衆民主主義において、なぜ政治的無力感や無関心が発生したかという点にある。 フ ロ ム ( 開 江 島 司B
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はその第一の原因 ( 5 ) を 、 現代社会の強大複雑な機構に帰している。 すなわち現代社会は 統制ル刊され、計固化され、機械ル刊された網状組織をつくっており、 そこでは多様な職能が分化し、階層的な秩序がつ くられている。したがって人間は巨大な機構におけるたんなる部分品であるにすぎず、その結呆小さな自己の生活領 域にのみ関心を向け、広い視野に立って全体社会を見廻すことがでさない。かくしてここに、政治的無力感と無関心 が膝胎するのである。 つぎに現代の政治機構の複雑化とその規模の拡大、政治問題の困難性とにより、国民大衆はそ の一つさえも兎分に理解することはできない。そこでこれらの問題の処理を、白紙委任の形で少数の指導者たちに委 託せざるをえない。したがってこのことは、国民大衆の政治的無力感、無関心を拡大再生産することになる。さらに 現代の消費文化生活も、政治的無関心を培養する大きな原因となっている。娯楽雑誌、 スポーツ、映画、演劇などの大衆娯楽は、国民大衆を非政治化することに大きな役割を呆しているといえよう。 かくしてこのような政治的無関心は、政治に関心をもっ一部のもののみを政治の舞台に登場させ、その独断専行を 行わしめる原因となっており、また政治的無力感は、国民大衆をして自らを政党撰択の主体的地位に置かず、かえっ て自らを政党によって操作され、投票の時だけ臨時の支持者に編成される客体としているのである。このようにして 民主主義の同意による支配は、このような政治的無関心を基盤として、その自己主張をかちとっているのである。 民主主義の政治機構が円滑に運用されるためには、政党の在在が不可欠であり、 また政党がその主要な役割を 果してきたことは、前に述べたとおりである。しかしながらそれが発生した起、源を求めるとき、当初から一定の明瞭 な政治集団として出現したものではなかった。パ l カ l ( 開
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巴 が 指 摘 す る よ う に ( 6 ) 、それはその起源と 本質からみれば、社会共同生活の諸分野において自由に形成された任意の社会集団であるにすぎなかったのである。 たとえば十九世紀におけるイギリスの政界を明瞭に二分していた保守党と自由党でさえ、その揺鑑の時代にのきかぼ るならば、十六、七世紀における旧教徒と新教徒との対立から波生したものであり、いわばそれぞれ異なった宗教的 信条と利害とを主張した沃閥であり集団であった ( 7 ) 。 現 在 で は 政 治 集 団 の 典 型 と 看 この例からも明らかなように、 倣されている政党も、その生誕の時代においては、宗教的、経済的あるいは社交的な諸分野において、独自の目的と 機能とをもった社会集団であったのである。そしてこのような種々な社会集団として発生した諸党源は、十八世紀か ら十九世紀にかけて次第に政治的勢力をうるようになり、 ついには政治集団としての代表的地位を占めるにまで発展 したのである。それではなぜかかる成長を遂げるにいたったのであろうか。その理由を述べよう。 大衆民主主義における政党と圧力団体の政治的機能に関する一考察一
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O 四 第一の理由は、 これらの社会集団の追求していた目的あるいは利益が、あたかもその当時もしくはその後における 政治権力によって政治的解決を迫られていた課題であったという点である、 が、やがてイギp
ス国教会の樹立問題を契機として、国家の宗教政策をめぐる国教徒と非国教徒との政治的斗争にま イギリスにおけるように、 宗波の争い でたかめられた場合がそれである。第二の理由は、第一にもまして重要な理由なのであるが、それは代議制の発達で ある。近代代議制の根抵を支える基本原理は、原子的な選挙人を母体とする地域代表の原理であった。カール・ベッ カ l ( P ユ図。岳民)がいうように ( 8 ) 、﹁民主政治が頭数を勘定する方が頭を叩き割るよりはよいという原理に立っ ている﹂とするならば、頭数という言葉に象徴されている無数の個別意思が、それぞれ自己の好む代表者を選ぶと き、代議体はおそらくアテネの公会の広場に集会した群集の縮小的再現となんら異なるところのない光景を呈するこ とであろう。かかる政治的アナーキーの状態が、絶対制の強大な専制権力に代って、統一的な国家意思の形成をもた らすはずの代議制の意図にそわないことは自明の理である。そこで無数の将動的な選挙人の意思のなかから、その最 大公約数を抽出して、 合する、ある種の媒介機関がおのずから発生せざるをえないのである。そしてその媒介機関をなしたのが、ほかなら ぬ政党だったのである。したがって代議制と政党とは形に影がよりそうごとく発達してきたのである。第三の理由 は、このようにして成長してきた政党が国民的利益の観念と結合したことである。すなわち、多数或は二個に分岐 し、対立した政党が、かつての等族会議の時代におけるような特定の階級利益を杓表する性格をもつものとしてでは なく、ひろく国民的利益を代表するものであると主張されたのである。前述のようなパ l グの定義は、このことをも これをいくつかの特定的政綱に概括することによって、散発的な民裁の意思と政治権力とを結 っともよく表明している。とのパーク的観念に義ずくときには、政党はもはやかつての社会集団としての独自の利益の主張者や追求者ではなくして、国民全体の利益と意思を政治権力へ反映させる唯一の媒介機関であり、散在的な個 個の欲求や利益は、政党という施過装置を経由することによって、はじめて国民的利益ヘ転化することができるので ある。しかしながら、市民的民主主義のもとでは、教義と財産により選挙資格および被選挙資格がきわめて限定され ていた事によって、国民的利益の代表という観念を政党に結合させることは、非現実的な観念論であり、たんなる擬 制にすぎなかった。だが他面、いかに擬制であったにせよ、こうした観念は、政党をしてもっとも有力な政治集団の 地位にひきあげるのに貢献した'のである。 以上で政党がなぜ近代国家において政治集団としての独占的地位を占めることができたかという理由の主なものに これらの理由が相互に複合しながら存在したことが、たんなる社会集団の地位から脱却 せしめ、代議制の唯一の原動力たらしめたのである。かくして政治の形成過程において、政党の占める重心は急速に 増大し、政党はもはや背後に隠れた政府であることをやめて明るみにでてきた。いなそれだけではなく、民主主義の もとでは公認の政府 ( 9 ) となったのである。 ついて説明したのであるが、 唯一最高の王座を占め、 ブローカー(叩)﹂としての独占的役割を呆してきたのであるが、十九世紀末以来、その無力化を指摘され、その代表的 このように政党は社会的諸意思と政治権力とを媒介する過程において、 ﹁諸々の意見の 地位を他の社会集団の政治的進出によって奪われようとしている。すなわち地域代表の原理によって形成されていた 従来の政党の配置状況が、職能的集団の政治的進出と輿論の伝達および形成に非常な影響を及ぼしつつあるマス・コ ミ ュ -一 ケ l ションの発達とによって、著しい変動を受けた結果、政党の従来の機能は凋落を一示しはじめたのである。 ロシヤ革命に現われた階級の高拐、イギリスにおいて自由党に代って劃期的な地歩を占めはじめた労働党の母体とも ︽衆民主主義における政党と圧力団体の政治的機能に関する一考察
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O 六 アメリカにおける農民運動や労資の圧力団体の異常な政治的進出等の現象はこのことを明 白に物語っている。それではこのような変化をもたらした原因は、なにに求めるべきであろうか。ただたんに政党の いうべき労働組合の躍進、 罪にのみ帰することは無論E
しくない。それは前に述べたように一層深く、民主主義そのものの危機現象と深いつな がりをもったものである。しかしながらまた同時に、政党そのものの内部的変質が、逆に民主主義の発展を阻害する 条件をつくりつつあることも否定できない。そこでこの意味において、政党が政治の形成過程のうえで維持し続けて きた代表性、独占性をいかにして喪失していったかという理由を、内在的および外在的の二つの面より考察しよう。 まず内在的原因として二つの点をあげることができる。第一は政党組織の精密化と党規の厳格化である。かつて政 党が仮令擬制であったにせよ国民的利益の観念と結合し、社会的諸意思を整序しうる同質性を保有していた当時にお いては、政党の政策綱領にたいする代議員ないし党員の自由なる選択権と加入脱退権はきわめて弾力に富むものであ った。ところが十九世紀後半において党組織の精密化と党規の厳格化が行われるにいたって、このような弾力性は少 からぬ変ル刊を受け、政党の内在的変質が促進された。それではなぜこのようなことが行われる必要があったか。その 直接の原因は選挙権の拡大にもとずくものであった。いわゆる前に述べたような大衆民主主義という現象が現われ初 めた結果、一定の狭い範囲において従来選挙権者と代議員との聞に在在していた親和性と同質性とは減退し、なお叉 選挙権者の拡大に伴なう増加した代議員の自由な意思にたいしても、なんらかの統制が必要となってきたのである。 かくして政党の政策綱領とその宣伝は、ただ選挙のときの題目にのみとどまらず、広大な全選挙区におよぶ恒常的な 組織化を必要とするにいたった。もとよりこのような政党の内在的変質は一挙に行われたのではなく、漸進的に行わ れたものであった。この変質の結果、代議員は政党からの命令の受託者となり、政党がかつて選挙民との聞にもっていた自由な通風坑としての地位と役割を減退せしめるものであった。それはたんに政党の本質にかかわる問題であっ たばかりでなく、議会を投票機関に転化したという意味において、民主主義に大きな影響を与えたのである。第二の 内在的原因は、政党と特殊利益との結合である。政党が社会的意思と政治権力との媒介機関である以上、その社会に おいて支配的地位を占める意思と利益の主たる媒介者となるのは不可避的であるが、それにもかかわらず、かつては 国民的利益の代弁者であるという社会的承認をえていたのであるが、十九世紀後半以後において政党は露骨に特殊利 諸に奉仕するようになったのである。このような政党と特殊利雄との結合を容易ならしめたものは、十九世紀後半以 さらにその重要な原因 後における資本の集中と、それにもとずく政治と実業との野合にあったことは勿論であるが、 として、前述の政党組織の寡頭化の現象をあげることができる。すなわちこの現象により、政党の操縦は少数の幹部 によってたやすく行われる結果、特殊利益との取引が、多数の党員の自由な批判の彼方で遂行されるからである。以 上にて政党の代表的機能の減退に大きい影響を与えたと思われる内在的原因につき考察したのであるが、つぎにはそ の外在的原因について検討しよう。外在的原因といっても、もとより内在的原因と切り離されたものではなく、相互 に密接な関係のあることはいうまでもない。そこでこの外在的原因の主要なものを考えるならば、二つ数えることが できる。その第一は大衆行動がもっ政治的比重の増大である。およそ代表されざる種々な社会的意思の不満の爆発と して出現する大衆行動は、中世封建時代あるいは近代絶対王制時代において顕著な現象であった。なぜならそこでは 統治は絶対的な神の煮息と結合していたために、特権階級以外の一般の被治者の意思を政治権力に媒介する組織形態 を欠いていたからである。これに反して、代議制という政治的構想は、その本質においてこのような直接行動の存在 を予定していなかった。なぜならこの制度にしたがえば、社会のあらゆる意思と利益とは、選挙人団体←政党←議会 大衆民主主義における政党と圧力団体の政治的機能に関する一考察
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O 八 という一連の合理的方式によって政治権力につながることになっていたからである。その結果、代議制の行われてい るところでは、 たとえ議会とそれを運用している政党が、その代表性において欠けるところがあったとしても、 れ にたいする不満足な社会的意思の抗議としての大衆行動は、 一時の変熊現象とみなされたのである。ところが、代議 制の原動力である政党が、前述のような内在的原因にもと q すいてその媒介性を喪失しはじめた場合にひきおこされる 大 衆 行 動 は 、 代議制の変質化にともなう常態現象とすらいってよいであろ う。すなわち大衆は政党政治の舞台の外に、その意思と利益の吐け口を求めはじめたのである。だがその吐け口はか 一時的な変態現象というよりはむしろ、 つての大衆行動のような盲目的な未組織のものではなく、その組織的性格に強弱の差異があったとはいえ、それは明 らかに社会集団としての形態をとっていた。かくて政党以外の別個の社会集団の政治的登場は、もはや必然的現象と 新聞を中心とする報道機関がもっている政治的発言の強化であ 外在的原因の第二のものは、 すらなったのである。 る。もともと現代のような新聞の発達は、代議制の発展と並行してなされたものであるが、その発生の当初において は、政府の御用機関であった。ところが十九世紀に入るにおよんで新聞は次第に政治批判と報道の自由にたいする激 しい斗争をはじめるにいたった。かくて新聞は野党的立場をとることによって、徐々に社会的意思の主要な媒介機関 としての地位を獲得するにいたったのである。新聞が報道の自由を獲得したことは、ある意味で代議蜘酬を補強するこ とでもあったが、しかしながら新聞の大衆化は、同時に唯一の媒介機関としての政党の役割を減殺することにもな り、ここにも政党はその有力な敵手を見出したのである。なおしかし、新聞はその広汎な大衆性を利用する特殊利益 もしくは党滅的立場との結合によって、別の政治的意義をもっている。いずれにせよ新聞は一般的および特殊的のニ つの分野における利益代表機関を形成寸ることによって、政党の程在理由に鋭く迫っていくのである。代議制の発達と深い関連を保ちながら、政治集団として、氷く支配的地位を占めてきた政党が、その唯一の在在理由 ともいうべき代表性を次第に低下せしめていった理由は、前述のとおりであるが、なかでもその主要な原因は、政党 と特殊利益との結合という現象であった。 ところがこの現象こそ、 圧力団体行)の拾頭を促進してやる結果を導いた ことはきわめて皮肉といわねばならない。なぜなら政党と結合した特殊利益も、独占的な企業利益を政治権力の利用 によって追求する社会集団であるという点において明らかに圧力団体に属するものであり、そのかぎり最近の政党が 一般的利益の代表機関としてでなく、特殊な圧力団体の排他的な圧力のもとに、限られた社会的意思あるいは利益の 代表機関として行動した事は、その事によって政治権力への通路をふさがれた他の不満な社会集団をして、自らを議 会および政党の内外における強力な圧力団体へと仕立てあげることに成功させたからである。換言すれば、政党の媒 介的機能の減退と圧力団体の代表的機能の増大は、相互に不断の因果関係を形成しながら発展していったのである。 特殊利益の達成を目的とし、政治に圧力を加える社会集団は、政治の歴史とともに古くから存在していたと考 えられるのであるが、とくにその春在が政治的意味において重要となったのは、前述のように二十世紀以後のことで ある。それではなぜ圧力団体が政治の分野において拾頭するようになったのであろうか。その基本的な原因について はすでに述べたところであるが、さらに精細に分析してみよう。 第一の原因は、民主的憲法のもとにおける集団活動の発展にもとずくものである(ぎ。 現代の民主的憲法は、 普 通 直接には社会集団について規定せず、むしろ個人を対象としてその基本的な権利を保障するという建前をとってはい るが、しかし結社の自由、言論の自由、労働者の団結権等のように、団体行動を積極的に認めているため、 これらの 大衆民主主義における政覚と圧力団体の政治的機能に闘する一考察
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O 権利を利用することによって、種々な社会集団の結成を促しているのである。ことに現代のような複雑多岐に分化し ている社会においては、個人が個人として活動することはほとんど不可能、もしくは効果が少いため、個人は社会集 団を結成し、その一員として多く活動するようになり、そこに自由な社会集団の発展がみられるのである。したがっ て社会集団の一種としての圧力団体の拾頭をもみることができる。第二の原因は、代議制にたいする圧力団体の比重 が増大したことにもとずくものである。近代の民主主義国家における代表の原理は、すでに述べたように地域代表の 原 理 で あ り 、 は、この議会を通じて政治権力に反映するのが建前である。ところが二十世紀にはいって、資本主義の高度の発達と 機械文明の異常な発展とは、職能の複雑な分化とその規模の拡大とをもたらし、ここに選挙権者は、自己の地域的な 選挙区を超えた職能上の利害に密接な関係をもちはじめるようになった。その結呆、地域代表の原理によって選出さ この地理的区分にもとずいて選出される代議員が議会を構成するのである。したがって選挙権者の意思 れた代議員の代表的性格は不完全なものとなり、 この欠陥を補う意味から、特殊利益の達成を目的とする集団が政治 の面に進出するにいたり、政治的な圧力を政治権力に加える事によって、代表されない選挙権者の意思を貫徹しよう こうして圧力団体は、新しい代表的機能の担当者として発展してきたのである。第三の原因は、政 党組織の寡頭化にもとずくものである。前述したように従来民主主義国家において、典型的な政治集団であると考え とするのである。 られてきた政党が、選挙権の拡大にともなうその組織の拡大により、 また増加する党員を掌握する必 a 安から、党内に おける少数幹部による支配、統制という現象を生みだし、 その結果、党員の幹部にたいする批判が減少し、幹部は独 ここに幹部と諸種の圧力団体との公然あるいは暗黙の結托、野合が容易となり、その 集団はしばしば政党にたいする資金の提供の代償として、利権の獲得に努めうる絶好の条件をめぐまれることになっ 裁者的性向をもつようになり、たのである。したがって圧力団体は、政党と結合することによって、自己の特殊利益を追求するのに便利となり、こ こに圧力団体の一層の躍進をみるにいたったのである。第四の原因は、社会の各分野にたいする政府の統制の増大に もとずくものである。近代における自由放任の思想のもとにおいては、それぞれの社会集団は、自己の利益をその自 主的活動によって追求しており、したがってその活動の責任も自らの手で負担していたのであるが、二十世紀にはい ってすでに述べたような政府の職能の拡大にともない、社会集団にたいする政府の統制が強化されるにおよび、その 集団目的が達成されるか否かの鍵を政府の掌中に帰せしめることになり、ここに社会集団は、争って政府にたいする 圧力運動を展開するにいたったのである。以上のような種々の原因の複合が、圧力団体の目覚しい発展をもたらし、 政 治 学 者 を し て 、 現 代 の 政 治 は 、 組 織 化 さ れ た 集 団 の 政 治 で あ る ( 日 ﹀ と い わ し め 、 大 小 さ ま ざ ま の ビ ジ ネス、金融、野働、農業、専門職業、官僚等の相対立する圧力団体の外部に横たわる未結品の残津以外のなにもので もない ( M ) とまで結論せしめている。 ま た 民 衆 は 、 それではこのようにして発展してきた圧力団体は一体いかなる政治的機能を営むものであるか。そのもっとも重要 な機能は、すでに述べたように、 代議員
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政党によって代表されざる意思あるいは利益の主張を直接吸引し、 ス ポ 一種の代表的機能を果すことである。しかしここに 注意しなければならぬことは、圧力団体が意見の開陳や資料の提出等によって、立仮にまた正当に楠足的な代表的機 能を演ずるのであるならば問題はないのであるが、現実には圧力団体の行動は、権力意志の追求そのものであり、 ーグスマンとしてこれを立法過程において発言する事によって、 つの集団は自己の特殊利益の達成のためには、他の集団はもとより政党にたいしても、その支配を及ぼそうとする野 撃をいだいている。なるほど圧力団体は一般になんらかの意味において、 いずれも政治権力への接近を企図していな 大衆民主主義における政党と圧力団体の政治的機能に閉する一一考察東 洋 法 学 がら、現在のところ政策綱領をかかげて、直接政治権力を掌握し、自ら政治的責任を負うという政党的役割を果して はいない。また現在では、大多数の庄カ団体は、各般の統治機構にたいして圧力を行使して、自己の特殊利益を実現 させることに満足してはいる。しかしながら、 このようなことは、 代議政治の原理に忠実であるというよりはむし ろ、政治過程において私益性を露出せしめまいとする欺臓的考慮によるものといえよう。それでは圧力団体は、 ど の ような方法をもって圧力を行使するのであろうか。その方法は複雑であり、 まず選挙にさいして、自己に好意的な候補者に金銭的援助や選挙応援を行い、また他方非好意的な候補者の落選を企 図する。当選後は、議会におけるその表決を看視し、自己に有利な法案の通過あるいは不利な法案の通過の阻止を図 単純ではない。 その一斑を述べればお) って議員、委員会、議会へと法案を追いかける。もし自己に不利な法案を阻止することができなければ、法の違憲性 を司法機関で争い、 またその適用をできるかぎり引き延ばそうと努める。あるいはまた法の執行を委任された行政機 関に働きかけて、もっとも有利な解釈をさせようと図る。一方この不利な法を骨抜きにするために修正案を起草し、 自己に好意ある議員を通してこれを議会に上程する。さらにこの不利な法を厳正に執行する官吏にたいしては、その 浪費と無能とを攻め、また新聞等のマス・コミュニケ i h J ョ y を操って、その官吏に悪評をあびせかける。このよう に各般の統治機構を通じて、政治は圧力団体の行使する圧力の網的状態のなかで展開されていくのである。それ故、 多くの政治学者は、かかる政治を秘して、圧力政治(官
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︼ 庄 の ω﹀といっている。 だ が し か し 、 このような圧力団体の‘活動といえども そこには一定の限界のあることをまぬがれることはできな い。第一の限界は、あらゆる社会集団に内在する宿命的な限界である。もし圧力団体がその特殊利益を達成するため に、やむことなく政治的庄カをかけていくとすれば、その団体は自ら秩序を失って白、波せざるをえないであろう。このことはその圧力活動にも一定の限界があることを示しており、その限界はそれぞれの集団に内在しているはずであ る。第二の限界は、圧力団体の構成員がたがいに重複していることから生ずるものである。現代の社会において、集 団活動は絶対に必要であり、それはますます人間生活の大きな分野を占めるにいたってはいるが、それにもかかわら ず集団活動は人間生活の全部面を蔽うことはできない。したがっていかなる圧力団体といえども、その構成員の全人 格を代表することはできないから、一個人が一つ以上の集団に参加しうるし、またしてもいる。それ故一個人の一つ の圧力団体にたいする関係は絶対的なものということはできず、 すぎない。ここに限界が容する。第三の限界は、一つの圧力団体の行動は、 一つの集団は人間生活のある側面をのみ代表するに かならず利害を異にする他の集団の牽制 や反対を惹起することにより生ずる。労働組合の発展に伴なうその圧力の増大は、それに対応して資本家団体の強化 を招くことは明らかであり、そこに圧力と圧力との相殺という現象がおこってくる。なおまた高度に組織化されてい る圧力団体の活動が、たまたまかえって未組織ではあるが、基礎的社会集団を刺戟して、その圧力を生みだすことが ある。したがって輿論の支持をうけない圧力活動は、いかに一時的には強必を誇ったとしても、永続することは困難 といわねばならない。第四の限界は、代議制との関連から生ずるものである。前述したように、圧力団体の重要なる 機能は、代議制における代表的機能の補完にあるのであるが、この機能がゆきすぎとなるとき、圧力団体のブロック 政治化をもたらし、代議制そのものを混乱と停頓におとしいれる結果となり、 る。したがってこの代表的機能には一定の限界のあることを知らねばならない。 この集団は白波の途を辿ることにな 以上述べてきたような限界が容するにもかかわらず、圧力団体の活動は、代議制や政党の欠陥のために、今後ます ます激化の傾向にあることを否定することはできない。ことに選挙権者である国民大衆の意思が、極度に阻害されて 大衆民主主義における政党と圧力団体の政治的機協に闘する一一考察
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東 法 一 一 四 洋 学 いる場合には、圧力団体の活動は一一層激しくなり、そしてついには、暴力的な破壊活動さえ行われるようになるかも しれない。そこでこのような事態を回避するためには、圧力団体をその限界内に止らせるために、代議制のわくのな 註 かにおいて、その代表的機能を増大せしめる以外に方法はないといわれている。 1rgg 国 々 の ヌ 冨 。 品 。 s u o g 。 。 同 仰 の 山 0 9 松山武訳六六
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六七頁 2 川原次官郎﹁政党﹂(﹁民主主義の諸問題﹂所収)一ご六頁 3 大衆の概念については高橋徹﹁大衆とはなにか﹂(﹁現代思想﹂ E 所収)を参照 4 国 自 ω 同 巳 g R J 1 。B
当 2 8 C白 色 君 。 同 件 号 叫 巴 σ 目 。 w g z p 巴母、西島芳二訳 5 開 止 の げ 司g
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己回 o n w o 同 日 富 。 品 0 2 H H U o g 。 2 智子忌岳、石上、関共訳一一八頁 出 血 W 同 岡 田 川 百 回 目 。 ロ 叶 F O J 門 吋 H A W 。 3 8 弘 司 一 円 削 酬 の 片 山 g a 富 。 品 。 同 ロ の 。 4 0 5 5 8 F J ﹁ ♀ ・ 岡 、 巴 ωN・
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・ 蝋山政道﹁圧力団体の意義と限界﹂法律時報ご五巻一号三頁 出 口m v
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、 同・冨・富良守 O H U 叶 H H o d ︿与えの。 25gg 件 、 巴 島 、 司 -NNO 小松春雄﹁立法過程に於ける利益集団の機能﹂法学新報六十一巻七号一四l
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O 六 頁 7 9 11 10 15 14 13 12// グ 四 // // 二二 //
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