「物名」の和歌―古今集・拾遺集を中心に―
著者
深谷 秀樹
雑誌名
日本文学文化
号
2
ページ
30-38
発行年
2002
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00006317/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja﹁
物
名
﹂
の
和
歌
│古今集・拾遺集を中心に│
はじめに ﹁物名﹂は、和歌の技巧の一つであり、﹁和歌や俳譜で、 歌 の 勾 の 意 味 に 関 係 な く 物 の 名 を 詠 み こ ん だ も の ﹂ ( ﹃ 日 本 国 語 大 辞 典 ・ 第 二 版 ﹄ ﹁ 物 釘 歌 ﹂ の 項 ) と 説 明 さ れ 針 。 た と え ば 、 秋 近 、 つ 野 は な り に け り 白 露 の お け る 草 葉 も 色 か は り ゆ く ( 古 今 ・ 四 四0
・ 友 則 ) こ の 歌 に は 、 ﹁ き ち か う ( 桔 梗 ) の は な ﹂ と い う こ と ば が 、 第 一 ・ 一 一 句 の ﹁ あ き ち か う の は な り に け り ﹂ の 部 分 に 隠 す よ か ︿ し だ い うに詠み込まれている。物名が別名隠題とも呼ばれるゆえ んである。しかし、右のように、ただ歌を一見しただけでは、 詠 み 込 ま れ た ( 隠 さ れ た ) こ と ば ( 以 下 、 本 稿 で は こ れ を ﹁ 里 と称する)をみつけることはむずかしい。それは、一つは歌 自体における語・文節・匂などの切れ目を全く無視して題が深
桔
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芳宅と 7!1 詠み込まれることが多いこと、いま一つは、題が歌の中で意 味的な役割を何ら果たしていないことによる。このように、 物名歌においては、いかにうまく題を隠すか、とい、Z
瓜 に 重 点が置かれ、一般的な歌のよしあしとは異なった評価の基準 を 有 す る の で あ る 。 以下、本稿では、古今・拾遣の両勅撰集における物名歌の 特色、ならびに物名歌全般において老ゑ不すべき問題点につい て 述 べ て い き た い と 思 う 。-30-古今集の物名歌
古今集では、巻十に物名の部が単独で置かれ、四七首の歌 を 収 め る 。 但 し 、 こ の 中 に は 、 朱雀院のをみなへしあはせの時に、をみなへしと いふいつもじをくのかしらにおきてよめる つ ら ゆ きをぐら山みねたちならしなくしかのへにけむ秋をしる人 ぞ な き ( 四 三 九 ) のように、いわゆる折句の技法(右の例では﹁をみなへし﹂を 各 句 の 最 初 に 置 く ) を 用 い た 歌 や 、 巻 末 の はをはじめ、るをはてにて、ながめをかけて時の うたよめと人のいひければよみける僧正聖宝 はなのなかめにあくやとてわけゆけば心ぞともにちりぬ ぺ ら な る ( 四 六 八 ) の よ う に 、 物 名 と 沓 冠 の 技 法 ( 右 の 例 で は ﹁ は ﹂ ﹁ る ﹂ を そ れ ぞ れ 歌 の 最 初 と 最 後 に 置 く ) を 併 せ て 用 い た 歌 が 含 ま れ て い る 。 折匂や沓冠も、ことばを隠すという点では物名と共通して いる。ただ、ことばをそのまま隠すか、一文字ずつ分解して 隠すかが異なっている。古今集では、こうした技巧の歌も広 義の物名とみなして収めていたと考えられる。 次に、物名題として詠み込まれた題材をみると、四七首 ( う ち 一 首 は 折 句 歌 ) の う ち 、 約 三 分 の 二 に 当 る 三
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首が植物 を詠み込んでいる。その背景としては、古今集成立前後に催 された、物名歌を含む歌合が深い関わりを持っていると考え られる。それらの歌合の題材みな植物となっている。これは すなわち、植物が、和歌に詠むに相応しい﹁雅﹂な題材であ ったということである。古今集を権威ある﹁晴﹂の歌集とす るため、歌合という公式の行事で詠まれた歌を積極的に取り 入れたことはよく知られているが、物名部においても、植物 を詠んだ歌を多く収めているところに、そうした﹁晴﹂の歌 集を意識した編纂であることが窺えるのである。また、物名 題として詠まれる植物の特徴として、﹁さうび(蓄被)﹂﹁き ちかう(桔梗)の花﹂など、字音語で詠まれているものがあ る こ と に も 注 意 し た い 。 なお、古今集での植物以外の題材としては、地名(八 首)・鳥(二首)・虫(一一首)などが挙げられる c -31一 拾遺集の物名歌 古今集に続く勅撰集である後撰集には物名部は置かれず、 次の拾遺集で再び物名部が設けられることになる。 拾遺集・巻七の物名部には、勅撰集中最多の七人首の物名 歌が収められている。この中には、古今集にあったような、 折匂や沓冠の歌は含まれず、純粋な物名の歌だけで構成され て い る 。 物名の題材としては、植物が最も多いことは古今集と同じ であるが、その歌数は二二首で、全体の三割弱にとどまって いる。そして、植物の次に多いのが、一七首を数える食物である。食物は、もとより和歌に詠まれることが少なく、あま り和歌に相応しくない﹁俗﹂なものである。ところが、物名 という特殊な部立ではあるものの、これほど多くの食物の歌 を収めるというのは、勅撰集としては特異なことであり、注 目 に 値 す る 。 拾遺集が食物の物名歌を多く収めている要因として、物名 ( 注 3 } の名手といわれた藤原輔相の存在がある。物名部のうち、約 半数に当る三七首が輔相の歌で占められており、さらに食物 の歌一七首のうち、輔相の歌は一一一首を数える。現存する資 料から考えて、食物を物名歌に詠むことは、当時一般に流行 していたというより、輔相独自の特質と考えられる。 ところで、食物を詠む歌は、はやく万葉集にみることがで きる。万葉集の巻十六には、物名歌の原型と考えられる﹁詠 物歌﹂が存在する。左にいくつか例を挙げてみよう。 な が の い み き お さ ま ろ 長忌寸 d 意吉麻呂が歌人首 い ち ひ ツ ひ ぼ し きす鍋に湯沸かせ子ども傑津の槍橋より来む狐に浴む さ む ( 三 八 二 四 ) あるときもろもろついど 右の一首、伝へて云はく、一時に衆集ひて宴飲 やゐうきんかう す。ここに夜漏三更にして、狐の声聞こゆ。すな も ろ ひ と れ
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、 ま ろ す す ぎ ん ︿ はち衆諸、奥麻日に誘めて日く、﹁この僕具、雑 器、狐の声、河の橋等の物に関けてただ歌を作れ﹂ といへれば、即ち声に応へてこの歌を作る。 む か ば き あ お な す ご も や の ヲ ワ は り 行勝・蔓脊・食薦・屋、容乞詠む歌 食 薦 警 c蔓著煮持ち来梁に行膝掛けて休むこの君 ( 三 人 二 五 ) ひ し は ひ る な ぎ 酢・醤・蒜・鯛・水葱を詠む歌 醤酢に蒜掲き合てて鯛願ふ我にな見えそ水葱の藁 ( 三 人 二 九 ) は ち す ば ひきかたの雨も降らぬか蓮葉に溜まれる水の玉に似た る 見 む ( 三 八 三 七 ) 右の歌一首、伝へて云はく、右兵衛なるものあり わ ざ ふ け 姓名未詳なり、歌作の芸に多能なり。ここに府家に し ゅ L 酒食を備へ設けて、府の官人等に饗宴す。ここに さ ん し も . け 僕食は盛るに、皆蓮葉を用ちです。諸人酒酎にし 。 ぷ ら ︿ え さ て、歌侮騎駅す。乃ち兵衛に誘めて云はく、﹁そ すなはむ の蓮葉に関けて歌を作れ﹂といへれば、登時一声に 応へてこの歌を作る、といふ。 q 4 q J 右のうち、左注が付されている歌合一八二四・三八三七番歌) をみると、これらの歌が宴席で詠まれ、目の前にある物など を即興で歌に詠み込むことを求められたことが記されてい る。そして、同じような状況を示した詞書が﹃藤六集﹄に存 ( 注 4 } 在することから、両者の聞に共通性があるのではないかと想定されるのであるが、輔相の伝記がほとんど残されておら { 注 5 } ず、万葉集との関係を見出すことは困難である。 なお、右に掲げた詠物歌と、古今集以降のいわゆる物名歌 には決定的な違いがある。それは、詠物歌が物(題)を歌の 内容に反映させる形で詠み込んでおり、物名歌のように隠し ていないということである。ただし技巧的・遊戯的な性格は 物名歌に共通している。このほか、巻十六には﹁数種の物を 詠む歌﹂という題詞をもっ歌も存在するが、いずれにせよ、 詠み込む﹁物﹂が多くなればなるほど、それら全てを歌の内 容に機能するように詠み込むのは至難の業といえよう。詠物 歌では、物名歌と違った面での技術が求められるのである ( 唯 一 の 例 外 と し て 、 三 八 二 四 番 歌 ﹁ 槍 橋 よ り 来 む ﹂ の 部 分 に 、 狐 の 鳴 き 声 で あ る ﹁ コ ン ﹂ と い う 擬 声 語 が 隠 さ れ て お り 、 古 今 集 以 降 の 物 名 歌 の 原 型 と み る こ と が で き る ) 。 なお、植物・食物以外の題材としては、地名(一四首) 鳥(六首)・虫(四首)・干支(四首)などが挙げられる。 終りに、拾遺集と関わりの深い私撰集である拾遺抄での物 名歌について述べておきたい。十巻本の拾遺抄には物名の部 立は設けられていないが、巻九・雑上の終りの二二首が拾遺 集の物名部に収められており、拾遺抄においてもまとまった 形で物名歌を収録しているのである。拾遺抄に歌を増補して 成った拾遺集であるが、物名歌については、じつに五六首も 増補されており、物名歌を積極的に取り入れようとした、拾 遺集撰者の姿勢が窺える。さらに、先ほど触れた食物の歌は、 拾遺抄の四首から拾遺集の一七首へと、大幅に増えているこ とに注目したい。すなわち、拾遺抄に食物の歌があったのを そのまま採ったのにとどまらず、より多くの食物の歌を収め ようとした意図が読み取れるのである。 なお、拾遺抄では、物名歌に混じって、折句の歌が一首入 っているが、拾遺集ではこの歌を物名部でなく雑秋部(一一
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二番歌)に入れている。前述したとおり、拾遺集の物名部 には、物名の歌のみが収められ、古今集のように折匂歌が紛 れ込むようなことはなかったのである。 -33-四 物名歌をめぐる諸問題 続いて、物名歌に関するさまさまな問題点について考えて いきたい。なお、各々についての具体例は、引き続き古今・ 拾遣の両集から掲出する。(
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)
題と歌との関係 物名歌においては、詠み込まれる題は歌の内容に直接関わ ることはなく、隠された題を意識せずとも一首の理解に支障 はない。しかしながら、物名の題と歌の内容とが全く無関係 だとは必ずしも言い切れない面もある。人見恭司氏は、物名歌における題と歌の内容との関係について、 A 題と歌意とが深く関わっているもの B 題と歌意との聞に何らかの関係が見つけられるもの C 題と歌意との聞に全く関係のないもの の三種類に分類された。各々に該当する例歌を次に一首ずつ 掲 げ る 。 う ぐ ひ す 藤 原 と し ゆ き の 朝 臣 A 心から花のしづくにそほちつ?っくひずとのみ鳥のな く ら む ( 古 今 ・ 四 二 二 ) す も も の は な つ ら ゆ き B 今いくか春しなければうぐひすもものはながめて思ふ ぺ ら な り ( 古 今 ・ 四 二 八 ) か に は ざ く ら つ ら ゆ き C かづけども浪のなかにはさぐられで風吹くごとにうき し づ む た ま ( 古 今 ・ 四 二 七 ) A の例歌では、題の﹁うぐひす﹂と、花の雫に濡れて鳥が ないているという歌の内容とが結びつく。
B
は、春に咲く ﹁すももの花﹂を詠み込むのに春の歌として詠んでおり、季 節の一致が認められる。 C は、題が﹁かにはざくら﹂、歌の 内容は水上の玉を詠んだもので、両者は何の関わりもない ( 以 上 、 人 見 氏 の 論 文 よ り 要 約 ) 。 いま、人見氏の分類によって古今・拾遺両集の物名歌を分 け て み る と 、 次 の よ う に な る ( 括 弧 内 は % を 示 す ) 。 古今集 拾 遺 集 A 8 首 ( 口 ・4
)
A3
首(
3
・8
)
B ロ 首 ( お ・ l ) B 口 首 ( 幻 ・8
)
c
m
首 ( 日 ・5
)
C 回 首 ( 九 ・4
)
右の結果から明らかなように、古今集から拾遺集へと移る に つ れ 、 A の割合が減り、逆にC
の割合が増えていることが わかる。ここから、古今集では、物名歌とはいえ、単なる技 巧の歌にとどまらず、題を歌の内容に結びつけ、何らかのま とまりをつけようとしたことが一部の歌に認められるが、拾 遺集では、そういった配慮よりも、物名の技巧自体を重視す る 傾 向 に あ っ た ( 換 言 す れ ば 、 こ と ば 遊 び の 色 合 い が よ り 強 く な っ た ) と い え る の で は な い だ ろ う か 。 a n τ 9d(
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)
題の文字数と複数題 次に、題の文字数について考える。物名の題が長ければ長 いほど、それを歌の中に隠して詠み込むのが難しくなるのは いうまでもない。そこで、一つの題を詠んだ歌の中で、最長の題をみると、古今集では七字(四二九番↓酎が椛﹂・四四
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s b か ・ つ は な リ ウ 一 た む i 1 6 香 ﹁ 桔 梗 の 花 ﹂ ・ 四 四 二 番 ﹁ 竜 胆 の 花 ﹂ の 一 二 首 ) で あ る が 、 拾 遺 集では九字の題がみられる(四一七番忌 ι 宮 山 の 和 駅 ﹂ ・ 四 二 六 か か は む か ぱ き 香 ﹁ 鹿 の 皮 の 行 勝 ﹂ の 二 首 ) 。 こ こ か ら も 、 拾 遺 集 に お い て 物 名 の技巧がより高度になったことが窺えよう。 また、複数の題を詠んだものとして、拾遺集には、十二支 を六つずつ、しかも順番どおりに詠み込んだ次のような二首 があり、これもまた、高度な技術を要する物名歌といえる。 ね、うし、とら、ぅ、たつ、みよみ人しらず ひと夜ねてうしとらこそは思ひけめ、つきなたつみぞわび し か り け る ( 四 二 九 ) むま、ひつじ、さる、とり、いぬ、ゐ むまれよりひつじつくれば山にきるひとりいぬるにひと ゐ て い ま せ ( 四 三O )
(
3
)
句切れと題の位置 続いて、題が詠み込まれる位置と、句切れとの関係に注目 し て み よ う 。 た ち ば な を の の し げ か げ 葦引の/山たちはなれ/行く雲の/やどりさだめぬ/世 に こ そ 有 り け れ ( 古 今 ・ 四 三O )
ほ と と 、 さ す 藤 原 と し ゆ き の 朝 臣 くべきほど/ときすぎぬれや/まちわびて/なくなるこ ゑ の / 人 を と よ む る ( 古 今 ・ 四 一 一 一 一 一 ) 右の例歌では、句切れを/で示した。前者は題が一句の中 に収まっている例、後者は句切れを跨いで二匂にわたって題 が詠まれている例である。このように、題が一つの歌につい て、五七五七七の各句の中に収まっているもの、二つの句に 跨っているものの二通りに分け、さらにそれが第何句目にあ るかを分類して各々の用例数を示すと、次のようになる。 に d q J 古今集(一句内初首・匂跨り辺首) 第一句 2 第二句 9 第三句O
第四匂7
第五句 2 一 1 二 句8
二 1 三句8
二了四句 2 四 i 五句 2 拾遺集(一句内心首・勾跨り担首) 第一句 l 第二句口第三一句2
第 四 句 幻 第 五 句2
一 1 二 句 ロ 二 1 三句 3 一 一 一 1 四句5
四 i 五 句 日 一句の中に収まっている例では、両集ともに第二・四句に 多いことがわかる。数の少ない第一・三・五句のうち、第 一・三句は五音と短いので収めにくく、また第五句は七音だが、歌の末尾であり一簡単に見つかってしまうことを配慮して 避けられたものと思われる。また、二句に跨っているものは、 古 今 集 で は 第 一 ' t 二句・第二 1 三匂に多く、拾遺集では第一
土
石
1 第四 1 五句に多いというように相違がみられる。 この問題については、音韻など国語学的な諸問題との関わ り、また句切れ以外に文節・単語の切れ目などをも老議する 必要があろうが、それらの老丞小については別の機会に譲り、 ここは数値を示すにとどめておきたい。 さて、以上みてきたことをもとに、古今・拾遣の両集を比 較すると、拾遺集の方がより技巧面・遊戯面を強めていると い え よ う ( 食 物 詠 ・ 題 の 多 牢 化 ・ 題 と 歌 と の 無 関 係 な ど ) 。 古 今 集 でこうした面が弱いのは、やはり晴の歌集を志向した結果だ と 思 わ れ る 。 五 おわりに さて、物名の歌は、上述したようなことぱ遊びの要素を多 分に含んだ歌であるが、贈答歌などで相手の釜別を歌に詠み 込むことがよく行なわれていたことによって、難読の人名を 明らかにする手掛かりとなることがある。 一例を示せば、中古三十六歌仙の一人で、拾遺集の編纂に 関わったといわれる歌人に藤原長能がいる。長能は、長らく ﹁ながとう﹂とよまれてきたのであるが、家集﹃長能集﹄に 次 の よ う な 歌 が あ る 。 はやう賀茂祭み侍とて、あやしき人を車にのせて はべりしを、むかへによしまさの朝臣たちて、かく いひはべりし そのかみのなかよしとただしりぬれば人のかずともおも ほ え ぬ か な ( 一O
一 二 ) かへし ことはりやしかうき身なりしかあれどもよしまさるらん 人 は た れ そ も ( 一O
四 ) 右の贈答歌では、おE
いの釜削が詠み込まれていると考え られ、長能が﹁ながとう﹂であったなら、歌自体が成立しな くなってしまう。したがって、この贈答歌から導き出される ﹁ながよし﹂というよみは、後世の文献にみえる﹁ながとう﹂ と比べて、より信恵性が強いといえるのである。当時の歌人 たちにとっては、歌に名前を詠み込むことは一種の知的な ﹁遊び﹂に過ぎなかったであろうが、それがはからずも、人 名の考証に一役買うことになったのである。 物名歌には、以上述べてきたようなさまざまな研究の視点 が存在する。本稿では紙数の都合もあって、個々の問題点に ついて詳しく述べるまでに到らなかったが、今後これらの問-36-第 物 題 で 名 点 あ 歌 に る に つ 。 対 い す で る の
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る て 次 テ キ ス ト 本稿における和歌本文は、勅撰集については﹃新編国歌大観・ 第 l 巻 ・ 勅 撰 集 編 ﹄ ( 角 川 書 居 ) 、 私 家 集 は ﹁ 私 家 集 大 成 ・ 中 古 I ﹄ ( 明 治 書 院 ) 、 万 葉 集 は ﹃ 新 編 日 本 古 典 文 μ 丈 玉 集 ﹄ ( 小 学 館 ) に 拠 っ た 。 た だ し 、 表 記 を 改 め た 箇 所 が あ る 。 傍 点 は 等 五 告 に よ る 。 注 ( 1 ) ﹁ 物 名 歌 ﹂ の 読 み 方 に は 、 ﹁ も の の な う た ﹂ ﹁ ぶ つ め い か ﹂ の 二 通 り あ る 。 ( 2 ) 後撰集に物名部が置かれなかった理由として、佐藤高明氏は (二歌合の歌を無視、(二)物名歌の技術低下と一般化、 ( 三 ) 歌 物 語 化 の 風 潮 、 の 三 点 を 挙 げ ら れ て い る ( ﹁ 後 撰 集 の 物名歌逸脱について﹂﹃国語と国文学﹄第お巻 9 号 一 九 五 八 年 九 月 ) C ( 3 ) 輔相の物名歌については、山口博氏﹃王朝歌壇の研究・村上 官泉円融朝篇﹄︿第五章藤原輔相と藤六集﹀(桜楓社一九 六 七 年 一O
月)、山岸徳平氏﹃山岸徳平著作集 E ・ 和 歌 文 学 研究﹄︿物名の歌と折句の歌、藤六集に就いて﹀(有精堂一 九 七 一 年 一 一 月 ) 、 中 田 千 代 子 氏 ﹁ 藤 六 集 と 藤 原 輔 相 ﹂ ( ﹃ 実 践国文学﹄第 6 号一九七四年七月)などに詳しい。また、 山岸氏編﹃八代集全註 l ﹄(有精堂一九六O
年 七 月 ) は 、 巻 末 に ﹃ 藤 六 集 ﹄ の 注 釈 を 収 め る 。 ( 4 ) ﹃ 藤 六 集 ﹄ 三 九 番 歌 の 詞 書 に 、 ﹁ は る 、 と さ の か み な る 人 の も とにいきて、をしあゆくはむといふを、まづうたをよめてと い へ ば ﹂ と あ る 。 ( 5 ) 食物量詠んだ物名歌について、筆者は、和歌文学会第幻回大 会 ( 二OO
一 年 一O
月二八日、於関西大学)で研究発表を行 なった。その内容は、近今に論文化する予定である c ( 6 ) 人 見 恭 司 氏 ﹁ ﹃ 古 今 集 ﹄ 物 名 歌 に つ い て の 老 桑 ﹂ ( ﹃ 中 古 文 学 論孜﹄第 5 号早稲田大学大学院中古文学研究会一九八四 年 一O
月)、﹁物名歌概念の変遷について﹁隠題﹂という語 を通してl
﹂(﹃国文学研究﹄第回集早稲田大学国文学会 一 九 八 八 年 六 月 ) なお、ここに掲げた分類のうち、古今集については人見氏 が分類されたものをそのまま用い、拾遺集については、氏の 分 類 基 準 に 基 づ い て 筆 享 官 が 私 に 分 類 し た も の で あ る 。 ( 7 ) ﹃袋草紙﹄﹁諸集人名不審拾遺抄﹂項に﹁藤長能﹂とあり、 ﹃ 千 載 集 ﹄ の 断 簡 ﹁ 日 野 切 ﹂ ( 俊 成 自 筆 ) に も ﹁ 藤 原 長 た ふ ﹂ と あ る 。 -37-補 注 ︿ 補 注 l v 古 今 ・ 拾 遺 以 降 の 勅 撰 集 で は 、 千 載 集 ( 雑 歌 下 ・ 日 首 ) 、 新勅撰集(雑歌五・お首)、続千載集(雑体・日首)、続後拾 遺 集 ( 物 名 ・ 幻 首 ) 、 新 千 載 集 ( 雑 歌 下 ・ 8 首 ) 、 新 拾 遺 集 ( 雑 歌 下