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「地域環境資源の価値デザイン-2―サウンドスケープによる持続可能な活用:音楽の大衆化と観光資源化―」

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Academic year: 2021

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序  研究目的 この研究の目的は,「地域環境資源の価値」について,「サウンドスケープ論」の視 点からその持続的な活用について考察し,さらに価値を形成するためのシステムを構 築することにある。まず,「サウンドスケープ」(Soundscape)の定義として,「この 世の中にある,ありとあらゆる音が鳴り響く環境のこと」と言っておきたい。「あり とあらゆる音」のなかには,当然,風や嵐や雷や水のせせらぎや波の音や木の葉のそ よぎといった自然音をはじめ,街の騒音や人の声や機械音も含まれるし,不愉快な雑 音としての「ノイズ」や芸術的な「音楽音」(音楽)も含まれる。ここでは,この 「サウンドスケープ」を地域環境資源としてその価値を利用し,地域環境資源の価値 デザインとその観光資源化の社会的ニーズに応えようとするものである。

地域環境資源の価値デザイン−2

―サウンドスケープによる持続可能な活用:

音楽の大衆化と観光資源化―

The valuable design to the environmental resources in the districts

― Sustainable activity of Popularization and Sightseeing

fund of Music as a Soundscape.

研究代表者 M a s a m i c h i T S U R U TA1) 共同研究者 N o r i y a s u K U N O R I2) Yoshifumi T S U R U TA3) 1)中部大学現代教育学部教授,2)富山大学教授,3)大東文化大学講師

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今回の研究課題 今回の「地域環境資源の価値デザイン―2」は,先の「残したい“日本の音風景 100選”」で論じた「地域環境資源の価値デザイン―1」の研究成果を得て,典型的な 「サウンドスケープの持続可能な観光資源化」について,具体的な考察を加えたい。 特に今回は,以下の三つについて論じることとする。そして,音楽を観光資源化する ときには,必然的に,音楽の大衆化現象が起きる。だが,この音楽の大衆化は,従来 言われてきているような「音楽の低俗化」や「音楽の衆愚化」であってはならない。 それは正しい意味の「観光資源化」ではないからだ。したがって,今回の研究課題の 主題は,「音楽の大衆化と観光資源化」という二重の主題を追求するものとなる。 A コンクール B 音楽祭 C オペラ講座 D 市民参加の演奏会 A コンクール 国際的な競争 2010年の5月,イタリアのナポリで「第7回国際タルベルク・ピアノ・コンクー ル」(Premio pianistico internazionale Sigismund Thalberg 2010)が開かれた。国際 タルベルク協会の名誉理事である鶴田は音楽批評家の資格で,日本から審査委員の一 人として招待を受けて参加した。委員長はナポリのピアニストのフランチェスコ・ニ コロージ(Francesco Nicolosi)である。コンクールの「応募者」(candidati)は,文 字通り,世界中から集まり,イタリアやフランスやドイツやスペインやアメリカはむ ろん,チリやルーマニアやロシアや日本やベラルーシからも参加した。5人の審査員 は,イタリア人が3人で,カナダからユージイヌ・スコヴォロドニコフ(Eugene Skovorodnikov)と日本から鶴田が参加しただけで,あまり国際的とはいえない。こ れは,ひとえに資金の問題だ。 それに,イタリアだけでも,毎年30以上の国際ピアノ・コンクールがある。鶴田が 審査員として参加したイタリアのコンクールだけでも,カプリ島国際音楽コンクール (ピアノ部門も併設)とカゼラ国際ピアノ・コンクール(ナポリ)とトラーニ国際ピア ノ・コンクール(南イタリア)がある。どれも,著名なピアニストやピアノ教師や音

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楽批評家や音楽評論家を競って審査員に招いている。人気の審査員を数日(一週間前 後)招くには,多額の資金が要るからだ。若いピアニストたちは,ナポリ生まれの世 界最高のピアニストのアルド・チッコリーニに自分の演奏をじっくりと2時間聞いて もらえるならば,参加費の150 ユーロは安いという。 だが,なぜ,イタリアは都市の国際コンクールが多いのだろうか。それは,わが街 の若いピアニストが,世界に伍して活躍している姿を目の当たりで見てみたいからで ある。なるほど,イタリアのピアニストは,どれも個性的で,「歌」が上手い。「ベル カント唱法」(美しい歌唱法)ならぬ,「ベルカント奏法」である。彼ら彼女らはピア ノでアリアが歌えるのだ。他の国のピアニストには真似が出来ない。総じて,イタリ アのピアノ・コンクールは,本国のイタリア人が優勝する場合が多い。それを依怙贔 屓と見なされないために国際的な審査員が必要なのだ。 ナポリ市民の誇りタルベルク このコンクールのタイトルとなったオーストリアのピアニスト,ジギスモント・タ ルベルク(1812−1871)は,19世紀を代表する超絶技巧のピアニストで,リストの唯 一のライバルと言われた。「トランスクリプション」(オペラや交響曲をピアノで弾く 編作法)を得意として,ピアノ一台でオペラのアリアを技巧的に弾く。両手でオーケ ストラの部分を弾き,両手の親指でソプラノのアリアを弾くのだ。この手法を編み出 したのがタルベルクで,「彼は3本の腕を持つ」と言われた。タルベルクの奏法が賞 賛されるに連れて,追従者が増えて来た。似而非タルベルクの跋扈に,本人は演奏活 動を断念して,遠くナポリに居を構え,趣味のワイン作りに専念した。ナポリの若い ピアニストたちがタルベルクを慕って集まり,執拗に彼の教えを求めた。これが「ナ ポリ・ピアノ奏法」の始まりである。その技法を150年以上にわたって伝統的に継承 しているのが,国際タルベルク協会の指導者たちである。フランチェスコ・ニコロー ジが彼らを代表する。タルベルクの墓は,ナポリにある。ナポリ市民とナポリのピア ニストは,タルベルクを誇りとしている。 市民が住居を提供 国際的なコンクールは,膨大な資金を必要とする。世界中に告知しなければならず, 世界中から審査員を集めなければならない。ホームページのデザイン料をはじめ,事 務局の設置とコンクール会場の確保,審査員の謝礼と旅費と滞在費などなどだ。それ に,海外から来た応募者の長時間にわたる練習場を確保しなければならない。これは, 家にピアノがありピアノの練習室があるナポリの市民の役割だ。隣人の迷惑を考える なら,夜中でも練習できる環境は不可能に近い。そんな中,タルベルクと音楽を愛す る市民は,こぞって,食事と寝室も無償で提供する。彼らの報酬は,コンクールで世

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話をした応募者が入賞したときに,本人に賞状をわたす栄誉を担うだけだ。ファイナ ルには多くの市民がその成果を見に集まってくる。その市民の前で,わが息子や娘の ように思う異国人に,表彰状をわたすのは,彼らにとってなにものにも代え難い喜び と誇りなのだ。騒音に悩まされた隣人である聴衆も,来年は賞状をわたす栄誉を得よ うと思いながら,おしみのない拍手を入賞者と居室提供者に送る。国際的な音楽コン クールは,ナポリの人々に,いわゆる「音楽的集合心性」を醸成させたのだ。 音楽的集合心性 フランスの歴史学者ジョルジュ・ルフェーヴルは,その著『革命的群衆』で「革命 的集合心性」(mentalité collective)について論じている1)。群衆が群衆をなすのは, ただ,経済的・社会的・政治的な諸条件が満足されて集まるのではなく,「お互いの 間に,『心的相互作用』(action intermentale)が働き,『集合心性』(mentalité col-lective)があらかじめ形成されているからなのだ」という2)。この国際タルベルク・ ピアノ・コンクールを支えているのは,多くのナポリ市民の「集合心性」であり,そ れは「音楽的集合心性」といっていいものである。決して,経済的・社会的・政治的 なものではない。「ある集団が自覚的に形成された場合でも,それに加わった者たち は,その時からというもの,個々ばらばらであった時と同じような仕方で考えかつ行 動するわけではないということ,また,集合心性の形成には,日常生活において人々 を結び合わせる役割を果たしているかもしれないような集合体,多少とも無意識的な 集合体をも,考慮に入れる必要があるということである」3)とルフェーヴルは説明を 追加する。 ナポリ市民の「集合心性」を可能にしているのは,「無意識的な集合体」を形成す る音楽という芸術への思いである。市民が共同して,ナポリ・ピアノ楽派を永年にわ たって支えてきたのは,それが音楽という,「日常生活において」,市民に対して無意 識的に働く「気晴らしであり楽しみ」4)なのである。むろんそこには,誇るべきタル ベルクがいて,古典的なピアノ調律法があって,優れたピアニストがいて,それを喜 んで楽しむ環境がナポリの市民に担保されていることが重要である。 コンクールの観光資源化 この国際タルベルク・ピアノ・コンクールは,来年の2012年,すなわち,ジギスモ ント・タルベルクの生誕 200年の記念の年に第18回を開催する。今年の8月,名古屋 へ会長のニコロージが来て,200年記念のコンクールに応募するピアニストを中心に 「アカデミー」(公開レッスン)を開く。ここに,コンクールの観光資源化がある。応 募者は,ナポリの一般市民の家庭にホームステイして,共にコンクールに向けて,家 族的な「音楽的集合心性」を形成するだろう。その数は,少ないかも知れない。だが,

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ナポリ・ピアノ楽派がその優れた芸術性を維持するかぎり,コンクールそのものも持 続可能であることは間違いがない。 従って,「サウンドスケープの持続可能な観光資源化」の一つとして,この国際タ ルベルク・ピアノ・コンクールを評価する。 B 音楽祭 夏の避暑地の音楽祭 長野県木曽福島町のコンサート・ホールで,毎年,8月の最後の週末に木曽音楽祭 が開かれている。海抜1,000mを越える避暑地は,真夏になると,中部地方だけでは なく,関東や関西からも音楽ファンを集めている。NHK交響楽団の団員がソリスト となって高度なアンサンブルを聴かせるのが人気だ。曲目も,室内楽の名曲で難曲が 多く,高級な音楽愛好家を満足させている。山間の避暑地なので,演奏家たちも充分 に時間をとって,アンサンブルの作りに専念できるのが名演奏を生む秘訣である。 オルテガは,彼の著『大衆の反逆』5)の冒頭で,次のように言う― 「ヨーロッパで人の現在の社会生活のなかには,よかれあしかれなによりも重 要な事実が一つある。その事実とは,大衆が社会的勢力の中枢に踊りでたことで ある。本来のことばの意味からいって,大衆はみずからの生存を管理するべきで ないし,そんなことはできない。まして,社会を支配するなどは問題外である。 だから,右の事実は,民族,国家,文化が忍びうるかぎりの深刻な危機に,ヨー ロッパが現にさらされていることを意味する。しかし,この危機は,歴史のなか で一度ならず生じたのである。その特徴とその結果は,わかっている。その名も また,知られている。それは,大衆の反逆と呼ばれる」6) さらにオルテガは,「大衆」について,次のように言う― 「つきつめていえば,一つの心理的実体としてなら,大衆を定義するのに,な にも人々が群れをなして出現するのを待つ必要はない。目の前にいるただひとり の人間についても,かれが大衆とは,みずからを,特別な理由によって,良いと も悪いとも,評価しようとせず,自分が『みんなと同じ』だと感ずることに, いっこうに苦痛を覚えず,他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持に

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なる,そのような人々全部である」7) また,オルテガは,「大衆」から離れた小さな集まりについて,マラルメの言葉を 引用して次のように言う― 「ある洗練された音楽の演奏を聴く小さな集まりについて,マラルメはいみじ くも次のように語った。聴衆はその数少ない存在によって,多数者の不在を強調 していた,と」8) マルチチュードとしての音楽愛好家 マラルメ(Stéphane Mallarmé, 1842−1898)が語った言葉は,19世紀半ばのパリ の状況であり,マラルメはここで,「多数者」を「マルチチュード」(multitude)と いっている。むろん,今世紀になってアントニオ・ネグリとマイケル・ハートが『帝 国』で提唱している価値的な「マルチチュード」の概念よりも,狭くて,雑多な「大 衆」のことである。ここで,オルテガから引用したこの二つの文章は,お互いに相反 する二つのグループについて語っている。「みんなと同じであること」を願っている 大衆と,大衆から分離して「孤独であること」を願っている洗練された芸術愛好家の 少数者の存在がある。21世紀に木曽音楽祭のホールを埋めた多くの聴衆は,こういっ た「孤独であること」を望む状況をすでにして克服している。ここにも,「サウンド スケープの持続可能な観光資源化」を可能にした実例がある。 オーストラリアの場合 2009年3月にオーストラリアのニューイングランド大学へ派遣交換教授で出講した とき,モーツァルトの歌芝居《魔笛》について一般市民も参加する公開講演を行なっ た。レジュメを担当教官に見せたら,「ここにある《魔笛》の解説も,オキシモロン の説明も,メアリー・ウルストンクラフトの紹介も必要ない」と言われた。オースト ラリアの一般聴衆は,すでにこれらのことは,充分承知しているからだという。講師 としては,直接,本題に入ることが出来るので充実した講演が出来る。これこそ理想 的な「マルチチュード」であった。

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C オペラ講座 福祉から芸術への問いかけ 先の『アリーナ8号』9)で,鶴田は,「文化か福祉か:びわこホール問題」につい て論じた。朝日新聞が,「公立音楽ホールどこへ:びわ湖の衝撃オペラ襲う」でびわ 湖ホールの問題を報じた1 0 )。記事は,「滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールで,県の支出 金が08年度から1割カットされることになった。そのうえ福祉医療費の穴埋めに, 半年間の休館や,民間も含めた運営者の公募まで検討されているらしい」というもの だ。どの地方行政の財源も逼迫している。市民や県民の福祉をいかにして守ろうかと 腐心しているなかで,緊急性をもたない文化や芸術は,予算削減の対象になる。滋賀 県の場合のように,「文化よりも福祉にお金を出した方がいい」という県民の総意は どこから生まれるかといえば,それはとりもなおさず,県民の「文化意識」から生ま れるものである。滋賀県民がこぞって,「文化よりも福祉へ」というとき,そこには, 幸せを追求しようという地域住民の「文化的なコンセンサス(共通な価値観)」が反 映されているといっていい。県民として,これはきわめて健全な選択である。「文化 は弱い子供を救えるか」という福祉から文化への問いかけは,すでにサルトルが, 1948年に『文学とはなにか』1 1 )で論じた古くて新しいテーマであって,現代社会が いまだに解決できないでいる永遠の課題の一つである。 オペラツアー この問題は,「音楽の大衆化と観光資源化」が解決すべき格好な具体例である。鶴 田は,鶴田が開いている4つのオペラ講座の会員に呼びかけて,これまでに2回,び わ湖ホールへのオペラツアーを企画した12)。これこそ,サルトルの言う問題解決への 「アンガージュ」(参加)である。2回とも,参加者はバスの定員の限度である54名で あった。チケットは1万5千円の1割引。昼食も琵琶湖ホテルで優雅にとる。地元へ の還元だ。参加者は豪華な舞台と熱唱がきわだつオペラを観て満足していた。来年の 鑑賞も希望している。「音楽の大衆化と観光資源化」の成功例であり,オペラを観な がら福祉に貢献することも可能である。そのためには,オペラの「大衆化」が必要で あり,それは,オペラを解説する講座の開講から始まる。これまで,大衆相手にオペ ラを上演するときには,「面白おかしく,かつ分かりやすく単純に」が求められた。 だが,オペラの真の面白さと楽しさを知る「風雪にたえた大衆」も育ってきている。 礼儀正しい拍手が,公演の質を決めている。正しい意味での「音楽の大衆化」であり, 実質的な意味でも「観光資源化」がなされている証左だ。

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D 市民参加の演奏会 春日井市民第九演奏会 市民参加の演奏会といえば,ベートーヴェンの「第九交響曲」である。毎年,日本 では12月になると各都市で合わせて200回以上の「第九」が上演される。市民が合唱 に参加する。春日井市でも,市制50周年の記念に第1回が開かれて,昨年で第17回を 迎えた。合唱団に参加する市民は,毎年,230名を越え,オーケストラに参加する市 民は80人を越える。聴衆は市民ホールを満席にする千名だ。春日井市民第九演奏会の 実行委員長は中部大学の三浦昌夫学監。事務局は中部大学の渉外局にある。鶴田は第 1回から音楽監督を務めている。アンコールでは,春日井市長も,春日井市議会議長 も,実行委員長も,舞台に立って,客席の市民と一緒に「日本語の第九」を歌う。 中部大学キャンパス・コンサート 中部大学では,春日井市民を「無料」で招待して中部大学キャンパス・コンサート を年に2回か3回,大学のキャンパスで開いている13)。いつも500名の市民が集まる。 生涯学習としての位置づけもあって,ここでも,プレコンサートレクチャーが行なわ れ,曲目と出演者について解説がなされる。大学にとっての「観光資源化」の新しい タイプとも言える。 この論文は,共同研究者3人が討論した結果を,研究代表者 鶴田正道がまとめたもの である。

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1) Georges Lefebvre “Foules Rèvolutionnaires”1934.ジョルジュ・ルフェーブル著「革命的 群衆」二宮宏之訳 岩波文庫版。

2) 同書16頁。 3) 同書17頁。 4) 同書25頁。

5) José Ortega y Gasset “La rebelión de las masas, Revista de Occidente” 1930.ホセ・オルテ ガ・イ・ガセー著『大衆の反逆』寺田和夫訳 中央公論社版。 6) 同書387頁。 7) 同書390頁。 8) 同書390頁。 9) 鶴田正道「音楽都市における批評の役割―名古屋音楽事情2009∼2010年」中部大学ライブ ラリー(アリーナ2010第9号)2010。 10) 朝日新聞「公立音楽ホールどこへ:びわ湖の衝撃オペラ襲う」2008年4月23日。

11) Jean−Paul Sartre Qu’est−ce que le literature?1947,サルトル著『文学とはなにか』(改 訳新装版版) 加藤周一・海老坂武・白井健三郎訳 人文書院,1998。

12) この4講座は「名古屋オペラサロン」と「NHK名古屋文化センター昼の講座」と「同夜 の講座」と中部大学聴講生の「鶴の会」で,2010年3月14日のプッチーニの《ボエーム》 と2011年3月6日のヴェルディの《アイーダ》の2回。

参照

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