発達障害児にとっての「他者」
―相互作用としての他者理解―
Understanding Others as the Interaction for the Children with Developmental Disorder
司城 紀代美
†SHIJO Kiyomi
概要(Summary)
発達障害児は他者との関係に困難を抱えるとされるが,それは,発達障害児個人の能力の問題と してではなく,周囲との相互作用の中で生じる関係性としてとらえる必要がある。本研究では相互 作用の中での発達障害児の他者理解という視点から,発達障害の男児のエピソードの分析を行っ た。その結果,以下の2つの視点が示された。他者理解が難しく他者とのかかわりに困難を抱える とされる発達障害児が,実は豊かな他者との関係を構築しており,そこには欠損や遅れではなく, その子どもの独自性が認められるのではないかという視点,他者とかかわるために必要なスキルと して教えられる方法は,他者とのかかわり方を広げると同時に他者とかかわることの複雑さを認識 させるための契機になっているのではないかという視点である。以上2点は,発達障害児の他者理 解のとらえ方に「質的な違い」という視点を加え、発達障害児への理解をさらに多面的にするもの ではないかと考えられる。 キーワード:発達障害,他者理解,相互作用,エピソード1.はじめに
発達障害児の他者理解については,主に自閉症児に関して,心の理論や,その発達的起源となる 共同注意との関係などから研究が行われてきた。その中では,当初、自閉症児の心の理論の獲得の 遅れや欠損が指摘されてきた。一方で,そういった自閉症児等による他者の心の理解を,欠損や遅 れとしてではなく通常とは別種の理解のしかたとしてとらえる視点も指摘されている。例えば,別 府(2015)は,自閉症児者が「空気を読めない」とする考え方に対し,他者の心の理解とは本来 双方向的なものであり,自閉症児者が定型発達児者の「心の理解」が難しいことだけを強調するの は一面的であると述べている。定型発達児者が自閉症児者の心を理解できないことも一種の「空気 を読めない」状態であり,一方のみに原因があるのではなく,そこにズレが生じているとみなすべ きであろう。 浜田(1999)は,自閉症児が周囲と意味世界を共有できない状態を,安心して動ける陸地が少 ない,海の中に島が浮いている状態として表現している。そこに浮いている島は自閉症児にとって は重要な意味を持つ世界であり,それにこだわることは唯一安心して足をつけられる場所なのでは ないかとも指摘している。自閉症の子どもたちのこだわりは,彼らにとって意味を見出せる場であ り,それをやめさせようとするとき,「私たちは自分たちの日常的な世界観にとどまったまま,こ の子どもたちをもそこに引き込んで」(浜田,1999)いるのではないかと改めて立ち止まって考 † 宇都宮大学 大学院 教育学研究科(連絡先:[email protected])えてみる必要があるといえよう。遠藤(2013)は,発達障害者への支援が,定型発達者を基準と した社会への障害者の適応という視点から脱却できていないことを指摘し,「定型発達を『正常』 とみなす枠組みを一度捨象し,人間のもつ様々な違いに再び目を向けること」が必要であると述べ ている。このように、発達障害児の心的世界を単なる欠損や遅れとしてではなく,彼らの独自性と して詳細に検討していくことの必要性が増していると考えられる。特に,発達障害児が「他者」を 彼らの視点からどのようにとらえているのかを再度検討してみる必要があろう。 発達障害児者の他者理解は,他者との相互作用の中で変化するものであり,固定的なものではな いと考えられる。浦崎(2009)は,自閉症児が支援員との関わりの中で,相手を重要な他者とと らえるようになる過程を示し,その重要な他者が心理的安全基地としての基点となって,自閉症児 が生活世界で脅かされずに生きることが発達の基盤をなすものであり,他者との共同性が「外的世 界へと向かう」発達の力を育むものであると述べている。また,司城(2012)は,教室での発達 障害児と周囲の児童とのかかわりが互恵的なものであり,発達障害児が一方的に支えられる存在で はないことを明らかにしている。これらの指摘から、発達障害児の他者理解を個人の能力としてで はなく、周囲との相互作用を通して,その関係性の中で生まれ,発達していくものとしてとらえ直 す必要があるといえよう。 発達障害の子どもたちは,学齢期には家族とのかかわりに加えて,学校という場で教師や友達等 の数多くの他者と出会い,その中で他者を理解する,あるいは他者から理解されるという経験を重 ねていくと考えられる。本研究では,その過程で生じる周囲との相互作用の過程に着目し,発達障 害児の他者理解を再考する。通常の学級に在籍する発達障害のある男児の6年間のエピソードの中 から,彼が家族、教師、友達といってさまざまな「他者」とどのようにかかわっているのかを分析 し,相互作用の中で彼の他者理解がどのように生じているのかを考察する。
2.方法
研究協力者は広汎性発達障害との診断を受けている男児れいじ(仮名,以下登場する教員や児童 の名前はすべて仮名)。公立小学校の通常の学級に在籍し,小学校1年時より週1回自閉症・情緒 障害通級指導教室への通級を行っている。筆者は入学当初より卒業まで本児とかかわりをもち,母 親との面談,担任教師へのコンサルテーション等を行ってきた。ここでは,6年間のかかわりの記 録から作成したエピソードに対する分析を行う。直接的なかかわりだけではなく,筆者が継続して 行っていた母親との面談,担任教師へのコンサルテーションも含めてエピソードを構成する。れい じが他者とのかかわりをどのようにとらえているのかをあらわすと考えられるエピソードを抽出し, れいじの他者理解の様相を周囲との相互作用の視点から検討する。 なお,研究に際しては,学校、保護者及び本人からの同意を得て進めた。3.結果と考察
れいじが周囲との相互作用を通じて他者理解を深めていると考えられるエピソードを取り上げ、 考察を行った。 (1)れいじ独自の豊かな他者理解 れいじは入学当初,教室での学習活動に加わらない場面が数多くみられた。休み時間などに他児と一緒に遊ぶ場面はあまり見られず,一人で過ごすことがほとんどであった。また,他児とのかか わりよりも,大人とかかわることのほうを好んでいる様子もみられた。しかし,周囲の児童とのか かわりがまったくないわけではなく,周りの児童も,れいじが示す自分たちとは異なる他者へのか かわりを自然に受け入れる様子が見られていた。 以下はそのようなれいじの様子を示すエピソードであり,2年生の1学期に見られた周囲の児童 とのかかわりの場面である。 【エピソード1】さとしと一緒に お楽しみ会の計画を立てる学級会で,れいじは司会役となっていた。司会は,学級の中で役割と して順番に回ってくるものである。学級会の最初には,一緒に司会をやっているさとしが一人で話 し合いを進めている。れいじは,手を自分の前でひらひらさせ上下に動かしており,話し合いにか かわろうとする様子はあまり見られない。しかし,多数決をとるために賛成の児童の人数を数える ときには,れいじは,以下のような行動を見せた。3つの場面に着目してエピソードを示す。 <場面1>多数決をとる場面になり,さとしは「賛成の人は立ってください。」と言い,前に立っ たまま,立ち上がった児童の人数を数え始めた。すると,れいじも立ち上がり,さとしの隣に寄り 添うようにして,人差し指で立ち上がった人を指さしながら,さとしと同じように数えている。 <場面2>司会者の席から数えることが難しいと感じたさとしに対して,書記をやっていたゆりが アドバイスをし,賛成の人に立ち上がってもらった状態で,一人ひとりに触れて数え,数え終わっ た人には座ってもらうようにした。しかし,さとしの数えるタイミングと児童の座るタイミングが 合わずに数がずれてしまったために,途中で「違うよ。」と女児に指摘されさとしの動きが止まる。 担任の先生に「はいもう一回。」と声をかけられ,さとしはまた最初から数え始めた。すると,れ いじはさとしの隣に駆け寄り,一緒に人数を数え始める。しかし,さとしとれいじが数えるタイミ ングが微妙にずれるため,数えられた児童はいつ座ればよいか戸惑い,さとしもどこまで数えたか がわからなくなった。それを見た担任の先生から「れいじくん,今さとしくんが数えてるから。数 えるときは一人。さとしくんが数えるならさとしくんだけ。れいじくんが数えるなられいじくんだ け。」と言われ,先生の顔を見た後,れいじは数えるのをやめ,自分の場所へと帰って行った。 <場面3>もう一度多数決をとる場面になると,人数を数えに行こうとするさとしの腕を引っ張っ てれいじが止める。れいじが,さとしの耳元で何か話をすると,さとしは自分の椅子に戻る。その 後,再度れいじの様子を気にするように,一旦れいじに話しかけようと少し近づいたさとしは何も 言わずまた椅子に戻った。れいじは一人ずつの頭に触れながら人数を数え始めた。 多数決が始まるまでのれいじは,周囲の他者に興味を持っていないように見受けられる。しかし, さとしが児童の人数を数え始めると,れいじはその様子を見つめその傍らに寄り添うようにして, さとしと同じような動きを見せる。ここでは,れいじは,さとしと視線を共有しており,同じ対象 (数えるべき立ち上がっている児童)を意識していることがうかがえる。「人数を数える」という 行為そのものに興味を抱いているのかもしれないが,さとしと「ともに」その行為を行おうとする
意図が示されているといえる。 さらに,さとしが人数を数え間違って,新たにはじめから数え直すタイミングでれいじはさとし の近くに駆け寄っており,さとしの意図を理解しているのではないかと推察される。また,2度目 の多数決では,人数を数えようとするさとしを遮って自分が数えたいことを伝えている様子が見ら れ,自分の意思を相手に伝え,交渉を行うという他者とのやりとりを成立させている。それを受け たさとしは,やや心配そうな行きつ戻りつする様子を見せながらもれいじを見守っている。この一 連の場面からは,れいじとさとしがお互いにやりとりを成立させ,共通の目的をもって行動してい る様子が観察された。 ここでのれいじの他者理解は自然な形で行われている。一見,周囲に興味を示さず他者の意図を 理解していないように見えてしまう発達障害の子どもが,実は定型発達者である大人が想定するの とは異なる方法で,周囲の意図を自然に理解していることが多々あることを示唆しているといえよ う。 また,小学校低学年の周囲の子どもたちもまた,れいじのそのような独自の他者とのかかわりを 自然に受け入れ,れいじとやりとりをしている様子が見える。そのような相互作用の中で,れいじ の独自性は意味ある他者とのかかわりを生み出していくと考えられる。 【エピソード2】サイトウ先生とぬいぐるみ これは,れいじの担任の先生から聞いたエピソードである。2年生の1学期末に通級指導教室の 担当のサイトウ先生が長期の休暇をとった際,れいじは先生に会えないことにショックを受けた様 子がみられ,在籍する通常の学級でも通級指導教室でも落ち着いて授業に参加することが難しい状 態であった。このとき,通級指導教室で他の先生が,ぬいぐるみを休んでいるサイトウ先生に見立 て,いつもれいじのそばに置きながら言葉かけを行った。そのことによって,れいじはぬいぐるみ に触れながら,課題に取り組むことができるようになっていったということであった。この話を聞 いた後,通常の学級の教室でれいじに会うと,れいじは筆者に対しても「サイトウ先生はお腹が痛 くて休んでるんだよ。」と語り,「早く先生戻ってくるといいね。」と筆者が言うと,「うん。」 と大きくうなずいた。 通級指導教室でれいじはサイトウ先生との関係を構築し,サイトウ先生がれいじにとって「意味 ある他者」となっていることがわかる。サイトウ先生の状態を心配し,そのことを筆者にも伝える れいじの姿からは,相手の状況や心情を理解しようとする様子がうかがえる。 また,ぬいぐるみをサイトウ先生に見立てることができており,「意味ある他者」が存在するこ とがれいじの意味世界を広げているのではないかと推察される。サイトウ先生に見立てたぬいぐる みがいることで安心する様子は,「サイトウ先生が見ていてくれる」という安心感と同時に,サイ トウ先生が見ているのだから,頑張っているところを見せて安心させようというサイトウ先生への 働きかけでもあり,受動的な他者とのかかわりだけでなく,能動的に他者へ働きかけるという側面 も持っているといえよう。 また,ここではサイトウ先生に会えないという体験を通して,れいじがサイトウ先生を自分にと って「意味ある他者」であることを意識し始めているのではないかとも推察される。
【エピソード3】「ママは助けてくれる人」 4年生のとき,母親から筆者に対して以下のエピソードが語られた。れいじが母親に対して「マ マはご飯を作ってくれる人だと思ってたけど,助けてくれる人だったんだ。」と言ったそうである。 母親はこのことに関して,れいじが幼かったころ「自分が母親だと思われていない感じがする。」 という違和感を抱いていたことを語り,「この子は,私のことをご飯を作ってくれる人と思ってた んだなと。だから母親だと思われていない感じがしたんだとやっとわかりました。」と話した。さ らに,「助けてくれる人だって思えてもらえたんだな。」とも語り,れいじとの関係が深まったよ うに感じたことにも言及した。 【エピソード1】のさとしとのかかわりからもわかるように,れいじは自分とかかわる他者に対 して,何らかの「行動」を通して自分とのかかわりをとらえる傾向をもっていたのではないかと 考えられる。れいじにとっては「ご飯を作ってくれる母」と「それを食べる自分」という具体的 な行為のつながりの中で,母親との関係が認識されていたのではないだろうか。れいじがこの話 を母親にしたときには,それまでの具体的な行動から,母親とのより内的なつながりを言葉にす ることを見出し,「助けてくれる」という抽象的な表現で母親が自分にとって「意味ある他者」 であることを語ったのではないかと推察される。そしてそのことが,母親にとっても自分がれい じにとって「意味ある他者」であることが自覚される契機となったと考えられる。 れいじは母親と自分の関係を当初は「食事」という行為を通してとらえていたといえるが,そ れはその根底にある心情的なつながりを示す言葉がれいじにとってわかりにくいものであったた めではないかと考えられる。「助けてくれる」という自分の心情を的確に表現する言葉が見つか ることで,れいじと母親との関係はより幅広い意味をもつものとして意識されるようになったと いえる。 相手との関係が薄いものであるようにとらえられるのは,このように行為を通して表現をされ ているためであり,他者とのやりとりを重ねる中で培った相手とのつながりを示す言葉がそこに 置き換えられることで,実はその根底にあった心情的なつながりが露わになるのではないかとも 考えられる。 このように,コミュニケーションや社会性に困難があると言われる広汎性発達障害のれいじが 見せる姿を,れいじ個人の他者理解の能力としてではなく,周囲との相互作用の中で変化しあら われてくるものとして捉えることで,豊かでれいじ独特のコミュニケーションや他者理解の在り 方が浮かび上がってくると考えることができる。 5年生になると,れいじは特定の児童と休み時間に一緒に過ごすようになり,放課後にも特定 の児童と遊ぶようになる。れいじにとって,小学校での経験を通して「意味ある他者」という存 在が広がっていったものと考えられる。 (2)他者とかかわることの複雑さへの気づきの過程 在籍する通常の学級や通級指導教室および家庭では,れいじが自分自身の状況や感情について周 囲に伝えることができるような支援を継続して行っていた。そのことにより,れいじは自分自身の 状態について説明するスキルを身につけ,実際に自分の状態を伝えることも増えていった。同時に,
それらの他者とのかかわりの中で他者とかかわることの複雑さ,スキルのみでは対応できない他者 理解の側面に気づいていったとも考えられる。 【エピソード4】声をかけること 4年生のとき,れいじは授業中に落ち着かなくなったときにはそのことを担任の先生に話し,保 健室でクールダウンをするように母親や担任から言われていたが,なかなかそれを実行することが できなかった。筆者が授業観察に入った際も,課題に取り組めずに体を動かしている落ち着かない 様子が見られたことがあった。そのため,筆者が「先生に言って,少しお休みしたら。」と声をか けると,れいじは少し苦しそうに「どこで声をかけていいかわからない。」と筆者に話した。先生 が指示を出し終わった瞬間などに,「今なら大丈夫じゃないかな。」と筆者が言うと,れいじは先 生と自分の机を交互に見るような様子を見せたが,結局先生に声をかけることはなかった。筆者が 先生に「ちょっと落ち着かないみたいです。」と伝えると先生が声をかけてくれ,れいじは保健室 で休みたいことを先生に言うことができた。 このことは他者に声をかけるタイミングを図ることがれいじにとっては非常に困難であることを 示している。れいじは自分が落ち着かない状態であることを自覚できているし,そのときには先生 に伝えて教室を出てクールダウンをするべきであることも知っている。知識やスキルとして知って いることを実際の場面で使うことの難しさもまた,れいじは理解しているといえる。 自閉症等の発達障害の子どもが「空気を読めない」と言われることに対して,このれいじの姿か らは,先生の邪魔にならないように声をかけようと極度にその場の空気を読んでいる姿がうかがわ れた。それは,自分とは異なる他者を理解しようとし,そこに生じる他者とのかかわりの複雑さを れいじが意識していることのあらわれだと解釈することもできるのではないだろうか。 他者とかかわるスキルを身につけることが,他者理解の難しさ,他者とかかわることの複雑さを 認識する契機になっているのではないかと考えられる。単にスキルとしてできるようになることだ けでなく,このように難しさを意識することもまた他者理解の深まりであり,行動上の変容のみで なく,こういった点にも着目する必要があるといえよう。 次のエピソードもまた,同様の解釈が可能ではないだろうか。 【エピソード5】使えないソーシャル・スキル これもれいじの担任の先生から聞いたエピソードである。れいじは,4年生のときに通級指導教 室で行ったソーシャル・スキル・トレーニング(以下,SST)で,自分がやってほしくないこと を相手に伝えるというスキルを身につけるロールプレイを行い,うまく断ることができればそれを 相手が受け入れてくれるということを学んだ。この体験を早速教室の中で活用しようと,れいじは, 活動を急かす隣の女児まりあに対して「今はやらないで。」と穏やかに伝えた。すると,まりあは, それを受け入れずにさらに急かすような働きかけをしたそうである。れいじはそのことに驚き,通 級指導教室でうまくいった方法が自分のクラスでうまくいかなかったことを通級指導教室の先生に 訴えたそうである。SSTで練習したのと同じようには周囲の児童は対応しないことにれいじは驚 き,どのように対応すればよいのかわからなくなってしまったそうだ。
ここでも,れいじは相手にどのようにかかわればよいのかを理解し,そのスキルを使うことがで きている。しかし,相手には相手の主張があり,それをいつでも受け入れてくれるわけではない。 教室での自然なやりとりを通して,れいじは他者とかかわることの複雑さを自覚しているととらえ ることができる。【エピソード4】と同様に,れいじは他者とかかわるスキルを知っているがゆえ に,それが単純に使えるものでないことに気づき,苦労しているといえよう。ソーシャル・スキル は,それを学んでいるれいじの努力によってのみ成り立つのではない。したがって,行動としてう まくいくことだけに焦点を当てるのではなく,やりとりの中でうまくいったり,いかなかったりす る経験を通して他者理解が深まる過程にも着目すべきであろう。 ソーシャル・スキルをそのまま使えるものだととらえてしまうことは,逆に他者とのかかわりの 幅を狭め,その苦しさを増すことになるかもしれない。れいじにとって,他者とかかわるスキルは 周囲とのかかわりの複雑さを認識する契機となっている。 以上のように、れいじにとっての「他者」について検討した結果、以下の2つの視点が示された。 1点目は,他者理解が難しく,他者とのかかわりに困難を抱えるとされる広汎性発達障害のれいじ が,実は豊かな他者との関係を構築しており,それは欠損や遅れではなく,彼の独自性が認められ るのではないかという点である。2点目は,他者とかかわるために必要なスキルとして教えられる 方法は,れいじにとって他者とのかかわり方を広げると同時に,他者とかかわることの複雑さを認 識させるための契機になっているのではないかということである。以上2点は,発達障害児の他者 理解のとらえ方に遅れや不十分さではなく質的な違いという視点を加えるものではないかと考えら れる。
4.総合考察
コミュニケーションや社会性に課題があるとされる発達障害のれいじが他者とかかわる様子を見 ていくと,そこにはれいじが自分の他者理解の特徴とうまく付き合いながら,彼独自の豊かな他者 との関係を築いていく過程があらわれている。これらは,発達障害児の他者理解をその子ども個人 の能力として,定型発達児との比較でとらえるだけでは見えてこない,多様な他者理解のあり方で あると考えられる。 また,ソーシャルスキルをはじめとする対人スキルの獲得は,発達障害児にとって,他者とのか かわりを広げ,集団での適応を高めることにつながると考えられる。しかし,対人スキルを使う上 で,発達障害児自身がそのことをどのように受け止め,いかなる感情を抱きながら他者とかかわっ ているのかにも着目する必要があろう。本研究においては,れいじが,対人スキルを使おうとする 場面では同時に他者とのかかわりの複雑さを認識していることが明らかになった。しかし,これは 否定的にとらえられることではないといえる。対人スキルという他者とのかかわりを媒介する道具 があることで,他者の心の複雑さをより理解することにつながっていると考えられるからである。 一方で,その複雑さに困難さを感じることを発達障害児者の問題としてのみとらえるのではなく, 定型発達児者の側も,自らを対人コミュニケーションの困難さの当事者の一人として位置づけ,そ の困難さは相互作用の中から生み出されていることを自覚する必要があろう。 本研究では,筆者はれいじや周囲とかかわりつつ,観察者でもある立場から,発達障害児の他者 のとらえ方の検討を行った。しかし,筆者自身もれいじにとっての他者であり,そこにも相互作用 が生じている。今後は,発達障害児を含めコミュニケーションが生じているその場にいる人がすべて当事者であるという視点から,より幅広い視点を含めた「他者理解」について研究を進めていく 必要があると考えられる。 <文献> 別府哲.自閉症児者の他者とかかわる心の理解と発達.発達,144,39-44.(2015) 遠藤野ゆり.インクルーシブ教育の課題とその乗り越え―定型発達者の認知多様性に関する聞き取 り調査と天才論としての発達障害論とに基づいて―.生涯学習とキャリアデザイン,10, 85-101.(2013) 浜田寿美男.「私」とは何か―ことばと身体の出会い―.講談社.(1999) 司城紀代美.通常学級において「特別な支援が必要」とされる児童と他児とのかかわり―ヴィゴツ キー障害学の視点から―.特殊教育学研究 ,50,171-180.(2012) 浦崎武.自閉症児との共同性に基づく創作活動を通した重要な他者との関係形成による発達支援. 琉球大学教育学部障害児教育実践センター紀要,10,1-22.(2009) <謝辞> 研究にご協力くださった児童の皆さん,保護者の方,学校の先生方に深く御礼を申し上げます。 平成28年10月3日受理