ノルウェーにおけるアウトドア・ライフの思想(1) : ニルス・ファールンド「故郷に帰る道」
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(2) . 北海道教育大学紀要 (人文科学・社会科学編) 第50巻 第2号. 平 成12年 2月. )VO 50 i ISc i I i fEduca i lofHokka i do Un i t tyo t Journa enc e an e sandsoc a s r s on(Ht鵬L 1 1 ve . .2 ,No. February,2000. ノ ル ウ ェ ー に お け る ア ウ ト ド ア ・ ラ イ フ の 思 想 (1) ~ ニ ル ス ・ フ ァ ー ル ン ド 「故 郷 に 帰 る 道」 ~. 前. 田. 和. 司. 北海道教育大学旭川校スポーツ社会学研究室. ニルス ・ フ ァ ー ル ン ドに つ いて. i luf l i 本稿 は, ノ ルウ ェ ー のア ウ ト ドア . ラ イ フ, 「フリ ルフス リ フf t r s v」 の 中心 的提 唱 者 である ニ ルス ・ フ ァ ー ル ン ドのエ ッ セイ, 「故郷 に帰る 道」 の翻 訳 で ある‐ この エ ッ セイ は, 「ディ ー プ. エ コロ ジー」 を 提 唱 したノ ルウ ェ ー の哲 学 者 ア ルネ ・ ネス を は じめ, ノ ルウ ェ ー の環境思想家 を広く紹 介 したディ ビッ ド・ロー ゼ ンバ ー グと ピー タ ー .リ ー ド編 によ る 「Wi sdom in the. ir open a. ~ ノ ル ウ ェ ー に お ける ディ ー プ ‐ エ. コ ロ ジ ー の ル ー ツ ~ (Universi i ty of Minnesota Pre nneapol s ss ,1996)」 に所 収さ れている‐ , Mi. ニ ルス ・ フ ァ ー ル ン ドは, ノ ル ウ ェ ー の ディ ー プ・ エ コ ロ ジー 運 動 家 であ り 登 山家 である‐ も と も と 微生. 物学と生化学の研究者であっ たが, ノルウェー近代化にともなっ て, 自然破壊が顕著になってきたことを憂 } こ の 時期 フ ァ ー ル ン ドはア ウ ト ドア .ライ フ の た め の 慮 し, 1966年 か らア ウ ト ドア. ガイ ドとな っ た1 . ,. 雑誌. 「Mestre f l l i t(Master the mounta je ns)」 を 通 じて, 教育 全 般 に お い て, 山 を 安 全 の た め に 飼 い e. 慣らすことなく, 利用する人々の能力を養う必要性を説いた‐ その後, 私設のアウト ドア・ ライ フ研修所 「ア ルペ ン. セ ンタ ー」 を 開 き, 一 方, ノ ルウ ェ ー .ス ポー ツ . 体育 大 学 で 講 師, 研 究 者 と して 勤 め, ノ ル. ウェーの伝統的な生活様式であっ たフリルフスリフの再評価と, その思想の確立, そして普及に尽力 した‐ } ま た フ ァ ー ル ン ドは ノ ルウ ェ ー 現在 同 大学 に は, 1年 間 の フリ ル フス リ フ . コース が設 置 さ れて いる2 ‐ , , 環境 省 の アウ ト ドア・ レク リ ェ ー シ ョ ン政策 の 諮 問 委員 も 務 め て いる. 筆 者 は, 1997年 に1ヶ月 間ノ ルウ ェ ー ・ス ポ ー ツ ・ 体育 大 学 に在 外研 究員 と して 赴 き, フ リ ル フ ス リ フ 研 究者 と の研 究 交流, フリ ル フス リ フ に関 する 文 献 収集 と と も に, 同大 学 で行 わ れて いる フリ ルフス リ フの 講 義 に 参加 する 機 会 を得 た. その 時 の 資料 や 指 導 者 へ のイ ンタ ビュ ー を も と に, こ こ で フリ ル フス リ フ につ い. て簡単に説明しよう と思う‐ i fe と な る. 一 般 的 に は outdoor l i fe と 訳さ れる 場 合 が 多 い. そ フリ ル フスリ フ を英 訳する と free air l. の 内容 はス キー, 登 山, キ ャ ン プ, ヨ ッ トな どを 含 む が, 多く の フリ ル フス リ フ 指導 者 は, こ れ ら と 「ア ウ. トドア・アクティ ビティ (野外活動) 」 を明確に区別する. この辺りの感覚はわれわれ日本人 には理解 しに くい. という のも, そう した活動は, われわれにとっ てはすべて外来文化であり, アメリカを中心として発 達 した ア ウ ト ドア ・ アク ティ ビ ティ とノ ルウ ェ ー 固 有 の フリ ル フス リ フ と を 区別 で きな い か ら であ る‐ しか し, ス キー は2000年 近く の歴 史を 持つ ノ ルウ ェ ー の 伝 統 文化 であ り, 登山, キ ャ ン プ, ヨ ッ トも ノ ルウ ェ ー ,. 各地で伝統的な生活文化として実践されてきた地方文化であって, 現在のテクノロジー化されグローバル化 さ れた も の で はな い‐ した が っ て, そ こ で使 わ れる 用 具 な どは, ノ ルウ ェ ー 独 自 の も の であ り ノ ルウ ェ ー ,. の中にあっ ても地域差がみられる. 当然, ノルウェー社会におけるこう した活動は, 日本社会におけるそれ とは異なる意味を有している. 現在, フリ ル フス リ フ は義 務 教 育 の中 で 必 修 で あ り, 体育 教 師を 目指 す 学 生 は, ノ ルウ ェ ー ・ス ポー ツ ・ 85.
(3) . 前. 田 和. 司. 体育 大学 で1年 間の フリ ルフスリ フ・ プロ グラム を 修める こ と に な っ ている‐ さ ら に, 各 地域 のス キー 連 盟,. 山岳会, 青少年育成団体などが, 年間を通じて独自のフリルフスリフ・イ ベントを主催している. こう した 学校 教 育やイ ベ ン ト以 外 に も, フリ ル フス リ フ は一 般市 民 の 日常 生 活 に深 く 根 づ い ている‐ さ て, フ ァ ー ル ン ドのエ ッ セイ を こ こ で取 り上 げる 目 的は, 第 一 に, ノ ルウ ェ ー社 会 にお ける フリ ル フス リ フの 意 味と, ノ ルウ ェ ー の環 境 政策 の 中 での 位 置 づ けを明 ら か にする こ と であ る. 第二 に は, フリ ルフス. リフという身体文化の思想的背景を理解することである‐ 日本における野外教育や環境教育の発展は自覚しいものがあるが, ともすると過度に感情的になり自然科 学的側面を誤って理解したり, 逆に自然科学的知識に偏り過ぎ自然に対する情緒的な感性を無視することが } また 身体活動そのものを重視するあまり 自然そのものや自然と社会の関係性への視点を欠く場 ある3 . , , 合もありうる. ただし, フリルフスリフの場合, 当初よりその身体活動それ自体によって自然と交わり, 同時に環境の低 下を必然とする現代社会のあり方を変革するこ とが目指されていた. そして, それが, ネスのディ ープ・エ コ ロ ジー を は じめ とするノ ルウ ェ } の 環境 思想を生み出す原点ともなったのである. 身体活動を媒介にした. 自然の理解, 自然に対する情緒的経験, そこから環境問題を生み出す社会を相対化していくプロセスには学 ぶべ き点 が多 い と 考 えて いる.. ニ ルス ・ フ ァ ー ル ン ド 「故郷 に帰 る 道」. 序. ,. .. .. 現代 のノ ルウ ェ ー 文 化 は, ヨー ロ ッ パ の文 化, すな わち 西 洋 文化 で ある. しか し, その 文 化 は, 人類 の 故. 郷から次第に遠く離れたものになってきた. 私たちは, 人類の本当の故郷としての手つかずの自然, つまり 潮の満ち引きやリ ズムとして知られる原自然の感覚を再現できない文化に属している. つまり私たちの文化 は, 手つかずの自然がその地位を失っている, とい. う重要な見解に達することができなかったの だ. 故郷を失い, . 世界の中で難民となっ たとき, 人間は失望し孤独になる. 近代文化は 、 , 私たちを自然へとも る う 一度導くかわりに, 人間は他の生命よりも卓越しており, 「確立された個人」 , 真に客観的な観察者であ‐ ことが美徳であると主張することで, 私たちの孤立感を深めている. 孤独になったとき, 私たちは不安ゆえ に祈り, おそれを感じる. おそれることで, ある者は外国人に対し, あるいは自然に対して攻撃的になり, またある者は, 抵抗を拒絶し追随者となる. いずれにせよ, 他者を攻撃するようになるか, あるいは希望を 失い無力感におそわれ, シニカルになるか, 狂気にさえ陥る だろう. 手つ か ず の 自然 が地 位 を 失 っ て いる 文 化 にお いて, 人々 は仕 事や レジ ャ ー, 特 にア ウ ト ドア ・ レク リ ェ ー ・然 が地 位 を失 っ て いる と ころ で は, 自然 はた い てい こ シ ョ ンを通 じて, その攻 撃性を解消 しよう とす,る.r目. う した攻撃′性の犠牲になる. 人間は, 自分たちをデカルトの言う 「自然を導き, 手にする者」 だと考えてい る. ニュートン主義的自然科学がもたらした科学技術の切れ味の良さと結びついて, 今日の世界が生態的危 機の断末魔の叫 びをあげているのは, 今さら驚くことではない‐ もし, あなたが手つかずの自然の中で故郷にいるように感じるなら, この危機について何度も感じてきた だろうから, 説明する必要はないだろう‐ もしあなたが, 客観的に自然を観察する一方で自然に対して思い やりを持てるなら, 危機について書かれた文献が示す状況の重大」性を理解することができるだろう. あなたが, 自然を資源としてしかみなさない人であっても, 日常生活に割り込んでくる魚の大量死, 死に ゆく 森 と い っ た ニ ュ ース は, あ な た を 目覚 め させ る の に十 分 だろう.. しかし, 未来は一様に暗闇の中にあるわけではない. その危機から逃れる道, つまり自然とともにある歓 86.
(4) . 1 ) ノ ル ウ ェ ー にお ける ア ウ ト ドア ・ ライ フ の 思想( びという 感 覚 によ っ て 開 か れる 道 は, ま だあ る の だ‐ ノ ル ウ ェ ー で は, フリ ルフス リ フ と いう 伝 統 が自 然 の ため の 理 解 を再創 造 する 道 であ り, 人類 の 本当 の 故郷 を再 発見 する 道 である. 「フリ ー ・ ルー フス .リ ー フ」 i f と 発音 さ れ, open air l e という 意 味を 持つ こ の 言葉 は, 英 語の 「ア ウ ト ドア・ ライ フ」 と 似 て い る が,. そのように使い古されたも の で はな い‐ そ れ は フラ ンス 語 の, la vie en. fe, i plein air や 英 語 の nature l. 古 典 英 語 の nature faerd な どと共 鳴 する. しか し どのよう に訳 さ れよう と も, そ れ はノ ルウ ェ ー 文 化 が 生. み出した伝統的技能, 道具, 体験知へと人々を導くものであり, いま だ手つかずの自然のリ ズムと調和する も の である‐ そ の ル ー ツ や 価値 は, 19世 紀, ヨー ロ ッ パ に起 こ っ た ディ ー プ・ ロマ ン主 義 運 動 の poesophy l (poe try/phi osophy) に 呼応 して いる‐ こ のエ ッ セイ で 私 は, フリ ル フス リ フの 背 後 にある 考 え 方 を 発 展 さ せ, ま たよ り 具 体 的 に しよう と思 う.. それは未来に向かう, つまり故郷に帰る道となるだろう. 手つかずの自然と出会う歓 びは, 個人と社会の双 方 に と っ て転 換 点 になる だ ろう. そ こ にこ そ 希望 がある の だ‐. 取り残された地, その背景 19世 紀 の は じめ, ノ ル ウ ェ ー は「発展 途上 国」だ っ た‐ ス ウ ェ ー デ ンや デ ンマ ーク に支 配 さ れ, ス カ ン ジナ ビ ア の 中 で さ え 田 舎 だ っ た ため に, 当 時の ヨ ー ロ ッ パ にお ける ロ マ ン主 義 的 想 像力 を 表現 する 場 所 と して は う っ てつ け だ っ た.. 194 0年の春, ヒッ トラーに占領されたときもま だ発展途上国であっ た‐ 連合国側の科学技術力が優勢だっ たおかげで, ヒッ トラーの軍隊は5年後に撤退を余儀なくされた. その時の教訓は, 再建に追 われる解放後 ) のノ ルウ ェ ー にあ っ て も 失 わ れな か っ た‐ ノ ル ウ ェ ー は, アメ リ カ の マ ー シ ャ ル ・ プラ ン4 の 援助 を 得 て, 必 要 な 人 材 の 育 成, テクノ ロ ジー の 拡 大 に向 か っ て, 全力 を挙 げて 努力 して い た. そ れ に伴 っ て, 川 と いう. 川は, その生命を育む水をしぼりとられ, 山々は虫に食われた殻のようになり, 野原は空港や高速道路, 新 興 住 宅 地 へ と 変 え ら れて い っ た‐ 国家 経 済 の増 大 こ そ が, ノ ルウ ェ ー の幸 福 の シ ン ボルと な っ た.. 農業国から工業国へとノルウェーを完全に変容させたこの開発は, 限りない愛国的感情と結びついていた‐ そ れ を 行 き過 ぎた 開 発 である と批判 する こ と は, ほと ん ど反 逆 罪 に等 しか っ た. 新 しいノ ルウ ェ ー の 建 設 に. 対する 「感傷的な」 反対意見が述べ立てられたが, 政治家の背後に寄り添う専門家の無情で 功利主義的な 「費用便益」 論によって論駁されてしまった. 少数の農民が, 水力発電所建設によって畑が水没することに対して抗議した. しかし, 農場が地理的に孤 立 して いる た め, 水力 発 電 に 反対 する 協 同 戦 線 を張る あ らゆ る 努力 が, 力 を 失 っ て しま っ た‐ 農民 は‘ 1814. い, その声はだんだんと小さくなっていた. 年のノルウェー独立の立役者であっ たが, 工場労働者の増加に伴・ ノ ル ウ ェ ー よ, さ ら ば? 自然 と 調和 するノ ルウ ェ ー という も の は, 失 わ れる 寸前 で あ っ た. しか し, 戦 後の こ の 荒涼 と した状 況 の 中 にあ っ て も, 踏 み 固め ら れ た 地面 と アス フ ァ ル トを突 き 破り, 希望 の芽 が 少 しずつ 出 は じめ て いた‐ 様々. な国や時代からもたらされた思想が豊かにブレンドされ, それが, こう した勇敢な芽の苗床になっ た‐ ヨー ロ ッ パ で は, ハイ デ ッ ガー が 「オイ コス と テク ネ」 を対 比 さ せ, ニ ー ルス ・ ボ ア と コペ ンハ ー ゲ ン大 学 は,. 「ニュートン主義」 から 「新しい」 物理学への転換の土台を築いた. また, フランクフルト大学社会学部は, 自然 科 学 の 「客 観 性」 を批判 す る 新た な 論 陣 を 張 っ た‐ アメ リ カ で は, ヘ ンリ ー ・ D ・ ソロ ー の 『森の生活』 } ルイ ス ・ マ ン フ ォ ー が ひとつ の 伝 統 を生 み出 し, のち に バ ッ クミ ンス タ ー ・ フ ラ ー, ル ネ ・ デ ュ ポ ス5 , 87.
(5) . 前. 田 和. 司. } ア ン・ エーリ ッ ヒ ポー ル. エーリ ッ ヒ7 )らの仕 事 が 「市民 的不 服 従運動」 を花 開 かせることとな ド6 っ , , , た‐. ノ ルウ ェ ー で は, ペ ー テ ル・ ヴェ ッ セ ル・ ザ ブ フ ェ が 自然 の多 様性 を守る こ と につ い て 自ら の 言 葉 で , ,. 力強く声を上げた‐ アルネ・ネスは, 多くの仲間たちとス ピノザの倫理を研究していたし 彼の学生であっ , た ジ グム ン ド・ク バ ロイ は ノ ル ウ ェ ー の 景 観 に対 して 行 わ れて い たあ らゆる 暴力 に対 して ガン ディ ー の , ,. 非暴力的抵抗を実践することを主張- した‐ しかし, 環境思想の成長は, ノルウェーにおいて問題がなかったわけではない. 私たちの環境運動が最初 にぶつかった困難は, 開発政策を変えるために, 生態学的議論を過信したことから来た. 欧州経済共同体の 時期に起こった, マル ドーラ水力発電ダム開発反対運動では, システムを志向する生態学の確実なデータは , 私たちにとって役に立った. しかし大学が, その分野に関する権利を主張し, データから規範的な意味合い を取り除き, 記述された学問へと変えるまでそう 長くはかからなかっ た. 職業的 「専門家」 は 政治家の後 , ろで陣形を整え, 生態学的な考え方の中にいかなる規範的な議論も認めようとしなかっ た. こうした中で, 私たちの抵抗は打ちのめされ, あるいは無視されるよう になっ た‐ 0年代の環境運動のモッ トーは, 「百の花を咲かせよう」 であっ た. しかし, そう した多様性は 運動に 7 , 力を貸す どころか, 逆の効果をもたらすことが多かった‐ 「新左翼」 は, 的外れな政治思想を環境運動 に結 びつ けた. 様々な団体が, 互いの異質性を取り除く努力 によって共同するよりも 環境運動を利用 した方が , 都 合 が良 いこ と に気 づ い て い た. 多 様 な植物 相 にた と え ら れる グリ ー ン・オ ルタ ナ ティ ブは か え っ て 運動 ,. を分裂へと導き, 意気込みを失わせ, ついには 「燃え尽き」 させてしまった. ノ ル,ウ. エ ー固有 の オ ルタ ナテ ィ フ -. 60年代中頃, ノルウェー独自の文化的背景に触発されて, 自然に対する感受性を再生する新しい方法が模 索されはじめた. もし故郷から遠く離れてしまったら, 帰る道を探そうとするだろう‐ 私たちが 身近なと , ころで帰り道を探すことに集中した理由は, いわ ば2つの部分からなっ ていた. 私たちは, 当初, 自分たち の 「新しい自然哲学」・を生み出すバックグラウンドを, 奔放な多様性という アプローチに求めていた. それ らはそれ相応に正当化できるものだっ たが, はるか東洋哲学の諸観念に着目するあまり, 私たちはノルウェー におけるフリルフスリ フの豊かな伝統を見過 ごしていた‐ 第2に, 知的で難解な議論は, 手つかずの自然と の 直接 経験 の 代 わ り に はな らな か っ た こ と であ る‐ コ ンラ ッ ド・ ロ ー レン ツ が 「自然 は即 座 に理解 できる も. のである」 と述べたよう に, ノルウェー人を, 手つかずの自然という価値へともう一度引き戻すもっ とも効 果的な方法は, 自然に直接向き合う機会を増やすことだと思われた. そ の ルー ツ と成 長. フリ ル フス リ フ を再 び取り 上 げる と いう 最初 の 提案 は, ノ ルウ ェ ー ・ マウ ンテ ン‐ク ラ ブを トロ ンハイ ム 工 業 大学 に組織 した 際 に行 わ れた. 1960年 ま で ノ ルウ ェ ー にはノ ルウ ェ ー ・ア ル ペ ン‐ク ラ ブ しか存 在 し , な か っ た. そ れは, 英 国 ア ルペ ン・ ク ラ ブをモ デ ルに作 ら れた エリ ー ト集 団であ り ク ラ ブ創 立 者 の 厳 しい ,. 規準に見合った業績や人格を備えた登山家しか入ることができなかっ た‐ それに比べ, トロンハイム工業大 学 のノ ルウ ェ ー・ マ ウ ンテ ン・ク ラ ブは, 関 心 のあ る 学 生 な ら ば 誰 に対 して も 開 か れて い た.. 会員資格をこのようにオープンにしたことで, 登山につきものの危険を無難なレベルに押さえておかなけ ればならなかった. そのため, リーダーに非常に大きな責任を負わせることになった. しかし, この危険と 88.
(6) . 1) ノ ル ウ ェ ー にお ける ア ウ ト ドア ・ ,ライ フ の 思想(. いう要素が, 登山の根本原理を問い直すきっ かけとなった‐ なぜ, 登山は自然と通じ合う方法として適して いる の か. どの よう に行 わ れる の が ベ ス トな の か‐ こう した 問 い が, 「登 山の 文 化 史」 と も 言 う べ き 研 究 へ. と私たちを向かわせた. 当 然 なこ と と して, 私 た ち が最初 に着 目 した の は, 英 国 と ヨー ロ ッ パ の 登 山 史で あ っ た. そ の伝 統 は多 種 多 様 で, 山々 に対 する 深 い感 情 を 表 現 して いる こ と も あ っ た‐ しか し, よ り 印象 的 だ っ たの は, そ の 強 硬 な. までに攻撃的な記述であっ た‐ 登山家たちは, 山々と触れあうことよりも, テクノロ ジーを使っ て山を征服 することの方に興味があるようだっ た. 山々と通じ合うことよりも, 競争の方が優先されていたのだ‐ さら に, 英国と ドイツの登山家たちは, 登山を身体的な格闘としてごく控えめに記述する 以外, それについて語 る こ と を極 端 に た め ら っ て い た (た だ し例 外 がある. イ ン グラ ン ドの レス リ ー ・ス テ フ ァ ン がその 一 人で あ る) ‐. 一方, ノルウェーには, 探検や登山についての注目すべき根強い伝統があり, それはま っ たく異なる雰囲 気 を 持 っ て い た. フリ ッ チ ョ フ・ ナ ンセ ン は, 極 地 探 検 家 で あり 人 道 主 義者 であ っ た が, 特 に強烈 なイ ンス ピ レー シ ョ ンを私 たち に与 え た 人 だ っ た‐ こ の 国民 的英 雄 は, 1888年 に グリ ー ンラ ン ドをス キー で横 断 し, 1895年 にはス キー で北 極 点 を 目指 した が失 敗 に終 わ っ た‐ ま た, 戦 争 の 色 が濃 か っ た ヨー ロ ッ パ に平和 を も た らす た め, 国 際連 盟 のノ ル ウ ェ ー 大使 と して 疲 れを知 らな い働 き を見 せ た. そ の 間, 多 く の ヨ ー ロ ッ パ 人 が彼 に触 発さ れ, ス キー を は じめる よう に な っ た.. ナンセンは, 若者たちを育成するためには, うわべだけの知識しか得られない 「観光」 へと流れる傾向を, 生 活 の あ らゆる 場面 にお い て 回避 す べ き だと 主 張 した. さ ら に, アウ ト ドア・ライ フに おいて, テクノロ ジー. は 「適切」 に使用されなけれ ばならず, 手つかずの自然の中での生活を豊富に経験させることだけが, 責任 ある成熟した人間を育てる と強調した‐ ナンセンの著作は, 自然への畏敬の念と, 自然の中にいる歓びの感 覚をあらわしていた. そして, 手つかずの自然は私たちの本当の故郷である という彼の信念は次のように明 確 であ っ た.. 「自然の中でシンプルな生活をすることで, 私たちは生命を吹き込まれ, 人間の実存へと導かれる. 森や 平原の中で, あるいは山々や高原の上で, そして偉大で孤独な空虚さのなかで, 新しくより大きな思考が私 たちの中に流れ込み, その徴しは容易に消しさることができない‐ 何か根本的で本当の自分自身のようなも のを感じる人もある だろう し, 都会にいるときよりも新鮮で健全な人生観へと立ち返っていく人もいる だろ う. ウィ ル ダネス の 中 で, 森 の 孤独 さ の 中 で, 山々 に 臨み, 喧 騒や 混 乱 か ら離 れる. そ こ にお い て, バ ー ン ナリ テイ が 形成 さ れる の だ.」 登 山家 であ り 詩 人 でも ある カ ー ル. ルベ ンソ ン (1814‐1905) も, 私 たち にイ ン ス ピ レ ー シ ョ ン を 与 え て. く ・れた人だっ た. 彼はヒマラヤでの長い巡礼の旅から戻っ てきたとき, 「人間の中には多くのことがある」 と記 して い る‐. 「現在の, 特に都会における生活は, 役に立つとは言えない‐ 人間が自然とともに生活し, 生きるために 自然の力と戦わなければいけなかっ た頃から受け継がれた能力と本能は半ば忘れられている‐ 今日のわれわ れは, それを使う必要がないからである. しかし, 過去からわれわれに残された何かがあるはずだ‐ すべて の健全な人間には, 自然の中で故郷にいるように感じ, その人の精神がまだ大地にしっかりと根づいている こ とを 示 した い, と いう 切 実 な思 い がある‐ そ の思 い こ そ が, わ れわ れ都 会 人 を, 海へ, 森 へ, そ して 山 の 上 へ と 駆 り 立 て て いる の だ‐」 89.
(7) . 前. 田 和. 司. つまるところ, こう した経験が言葉にならないとしても, 自然の中での経験が, 近年の歴史の中で非常に 重要 だ っ た た め に, 多く のノ ル ウ ェ ー 人 がそ れ を試 み てき た の だ. ノ ル ウ ェ ー 人の, 「海からそ びえる」 山々 に対 する 意 識 は, ビョ ル ンス テ ル ン・ ビ ョ ル ンソ ン が書 い た 国歌 の 中 にあ ら わさ れてい る. ヘ ンリ ク .イ プ セ ンの 詩 「Paa Vi ddern (の序章) 」 は, 自然の中での素朴で清廉な生活を絶賛するノルウェー文学に, フ. リルフスリフという言葉を初めて取り入れた. 自然 の価 値 に対 する 感 覚 を伝 え た の は言 葉 だ けで はな か っ た. キ エ ルラク ノ ル ドラーク グリ ーク の音 , ,. 楽は, この国にしっ かりと根をおろした民族の伝統を, 多彩にそして豊かに表現した‐ J .C .H‐ダールと, H. グーデといっ た芸術家は, 自然の荘厳さをキャンバスの上に描こうと試みた. これらの作家, 作曲家, 芸術 家 す べ て に共通 して い た の は, 彼 ら が19世 紀 の ディ ー プ・ ロ マ ン主 義 の担 い 手 だっ た という こ と である. 産. 業革命が, 私たちを自然から引き離すことに全力を注ごうとしていたその時, ロマン主義運動は, 自然とと もにある私たちのアイ 、デンティティの将来を賞賛した. ロマン主義芸術家たちは, ありのままの自然 の中で 見いだされる歓びに耳を傾け, 今ここでもっとも深い衝動が満たされていることに気づく, と主張した. ノ ル ウ ェ ー の独 自性. ナ ンセ ン, ルベ ンソ ン, そ して ロ マ ン主 義芸 術 家 たち のメ ッ セー ジは 間 違 っ て い な か っ た. 彼 ら は手 つ か. ずの自然を再発見することを目指していたのだ. ロマン主義運動は, ノルウェー人の魂に深く訴え, 国民と して の ア イ デ ンティ ティ を 復活 させ た. こ れ がノ ルウ ェ ー であり, こ れ が手つ かずの 自然 であり, 我々 はそ. れによってノルウェー人でありうるの だ. ドイ ツの哲学者, シュケリングの 「自然は目に見える精神であり, 精神は目に見えない自然である」 という 言葉は, そうした祖国への感受性の目覚めを端的に言い表している. も ‘ちろ んその 言 葉 は, 現代 のノ ルウ ェ ー 人や ヨー ロ ッ パ の 人々 が, す で に自然 と の アイ デンティ ティ を失 っ て いる こ と を意 味 して い た. 社 会 現象 と して の フリ ル フス リ フ の発生 は, こ のよう に皮肉的なものであっ た.. ロマン主義芸術家は, 描くべき対象を求めてノルウェー中を旅した. そして, 都市に住む人々は都会から流 れ出て彼らの足跡をたどったのだった. 田舎に住む人々は, その土地を離れたことがなく, ある意味で, あ らためて土地と一体になる必要を感じていなかった. だが/ 「解説者」 として都会人を案内した農山村の人々 だけは, 「彼らのルーツ を発見」 することができたのだった. これはおかしな光景ではあっ たが, こうした都市住民の誠実さを疑うべきではない. その初期の段階でさ え, 「文 明化 さ れ た」 ノ ルウ ェ ー 国民 は, ヨー ロ ヅパ やノ ル ウ ェ ー の詩 人たち に 詠 わ れた 「真の」 ノ ルウ ェ ー. から引き離されることで, 重大な犠牲を強いられることをわかっていた. 「真の」 ノルウェー国民に回帰しようという強い衝動は, 今でもノルウェー人の心に深い影響を及ぼして いる. ス ウ ェ ー デンや デン マーク で も フリ ル フ ス リ フ と いう 言葉 が使 わ れて いる が, そ れ は整 備 さ れ た コー ス で のク ロス カ ン トリ ー ・ス キー ・ レース や, 入 念 に 作ら れた 農村 の 遊 歩 道, ある い は, 休 日 で 混み 合う 群 島を め ぐる ク ルー ジ ン グに対 して 使 わ れて いる. 一 方, ノ ルウ ェ ー の ア ウ ト ドア 愛 好 者 の多く は, 「本物 の」 フリ ルフス リ フ をや っ て い な い と言 わ れた ら, と て も 強く 反 発する こ と だ ろう. ノ ルウ ェ ー にお ける フリ ル フス リ フ と いう ,言 葉 は, も っ と 限定 した 使 わ れ方 をさ れてい て, どち ら か とい え ば手つ かず の 自然 の中 で の 活動 の こ と を指 して いる. こう した 活動 の た め の ルー ル を確 立 しよう と 主 張 する よ り も, む しろ, フリ ル フスリ フ が自 然 の プロセス. やあらゆる生命に対する, 尊敬の念をもたらしてくれると述べた方がふさわしい‐ フリルフスリフは, 手つ かずの自然の中で行われ, 移動手段として自動車のような高度なテクノロジーを使用しない. フリルフスリ フは, 全人的な人間を目指す様々な挑戦と, 情緒的, 身体的, 知的な関わりの機会を提供してくれる. 90.
(8) . ノルウェーにおけるアウトドア・ライフの思想(1). 私 たち は, フリ ル フス リ フ で はな い いく つ かの も の を挙 げる こ と で, フリ ルフスリ フ とは何 か につ い て 理 解 できる か も しれな い.. スポーツが, 利己的で競争的な方法による身体活動であり, 他の全ての点で不自然で不健康なライフスタ イ ルの補 償 と して と ら え ら れる な ら ば, フリ ル フ ス リ フ はス ポー ツ で はな い. フリ ルフ ス リ フ は, 「気 ま ぐ. れな」 自然を飼しy慣らし, 「フェアな競争」 やエキサイティ ングな活動を保証するため に入念に整備された ▼ 競技場で行われるものではない. 観光が, 異なる場所を素早く移動する ビジネスや体験としてとらえられるならば, フリルフスリフは観光 ではない. そう した旅行 は, 環境や周囲の人々から疎外された感覚を生み出し, それによって影響を受ける. フリ ルフス リ フ は, 客 観 的な 関 心 のあ る標 本を 収集 し, 自 然 の物 理 的 プロ セス につ い て 教 え てく れる 科 学. ・こう した自然に対するアプローチ は, 自然への情緒的な感覚や, 自然と出会う上で最も重 的調査ではない. , というものを取り除いてしまう 要な詩情 . フリ ル フスリ フ は, 装 備, 財力, 観 光, 競 争 的な 冒 険, ス ポ ンサ ー の た め の広 告 窓, 「ス パー リ ング・パー トナー」 と して の 自然 を 呼 び物 に した ヒマ ラ ヤ 探 検 の 「ミ ニ チ ュ ア 版」 でも な い.. 、ビティ が, 根本的に反自然的で攻撃的なライフスタイルの安全弁と してとらえられ ア ウ ト ドア 」アクティ る な ら ば, フリ ルフス リ フ は ア ウ ト ドア ・ アク ティ ビティ で はない‐ フ リ ル フス リ フ は, 近代 的な 生 活 の 仕. 方を支えるものではなく’ 個人, そして社会をそこから救い出すものである‐ フリ ル フス リ フ が, ノ ルウ ェ ー 社 会 の 中 でそ のよう に強 い 反応 を 喚 起す る の は, そ れ が 国民 と して の ア イ デンティ ティ, こ の土 地 に本 当 に 「属 して いる」 と いう 感覚, 第二次世界大戦の頃にノ ルウ ェ ーで支配的だっ た感 覚 を 呼 び覚 ま す か ら である. フリ ル フス リ フ は,・同 様 に二つ の 目的 にお いて, 社 会 的アイ デ ンテ ィ ティ を伝 達す る. ひとつ は 「真 の」 ノ ル ウ ェ ー 人の た め,、もう ひとつ は, 自然 へ 帰る べ き上流階級のためである. フリ ルフス リ フ は最 終 的 に, ナ ンセ ン が記 したの と 同 じ方法, つ ま り 都 市 で育 っ た 人々 を, ある 種 の 「本 質. 的な自己」 へと一皮むくことによっ て, 個人的アイ デンティティ とは何かを伝えるのである. ノ ルウ ェ ー 人 の 文 脈 の 中 で, フリ ルフスリ フ は, 自然 と 調和 する ライ フス タイ ル をもう 一 度創 造 する 生 き た伝 統な の で ある‐ フリ ル フス リ フ は,.自 然 と親 しく なる こ と, そ して 私 た ち の 文 化 の 中 に, 、 手つ かずの 自. 然の地位を情熱的に再形成することを意味する. それは, 利他的な 「我-汝」 関係であり, 自然と相容れな い社会の人間中心主義から立ち去る関係のあり方である. フリ ル フス リ フ・ セミ ナー. 戦 後, ノ ル ウ ェ ー 社 会 に訪 れた.「合 理主 義」 と 「カ ウ ンター ・カ ルチ ャ ー」 は, ナ ンセ ンのよう な 文 化 的. 英雄や, ダールのキャンバスからしたたり落ちるロマ ン主義的感情を, 懐疑主義的な忍び笑いとともに忘れ させてしまった. 近代になって人々は, 地球を資源の貯蔵庫とみなすようになった. そしてその資源を争う り, 自然の 「愛」 はその地位を失った. ロマン主義芸術家の 「不 ように≠ しかも効率的に統御するようにな′ 正確・ さ」 や 「感傷癖」 をとがめる人がいるかもしれないが, 彼らは原生自然に対する感受性, 自然を 「客観 的に」 研究している と主張する生物学にはまっ たく欠けていた感受性を正当化したのだ‐ 0年代, 私たちの生態学的議論が, 科学的制度によってその進路を定められていたとし ても, 私 そして197 たちは自然を救う 「主観的な」 論拠をまだ示すことができた. その論拠は, 1世紀前にロマン主義芸術家た ち によ っ て 表現 さ れて い た も の な の だ. 私 たち が, 1958年 に トロ ンハイ ム 工 業 大 学 に 設 立 したノ ルウ ェ ー ・ マ ウ ンテ ン.ク ラ ブは, こ の 感 情 にう っ た える力 に真剣 に取 り 組 む こ と が目 的 だ っ た. は じめ の ころ, 私 た. ちは大学のエンジニアたちに, 山を異なるやり方で感じる方法を教えた. つまり, 山にドリルで穴を空けて 91.
(9) . 前. 田 和. 司. 水力発電の水路だらけにするのではなく, 足で登って山を感じる方法を教えたのだ. 驚くべき効果が, エン ジニアたちにあらわれた‐ そのうち何人かは政府のダム建設に関わり続けたが, 登山に感化されことによっ て, ダム の 設 計 が影響 を 受 ける こ と にな っ た (と 何 人か が告 白 した) . ま た, ダム 建 設 に よ っ て ノ ル ウ ェ ー. の国力を示したいという彼らの情熱を冷ますことになっ た‐ この出来事によって, 私たちは, 環境運動のひ とつ と して フリ ル フス リ フの 普 及 を続 ける こ と に確 信 を得 た‐ ヘム セ ダー ル 山脈 に 囲ま れたノ ル ウ ェ ー ・ ネイ チ ャ ー ライ フ ・ 登 山セミ ナー は, 小 さ な組 織 だ っ た ア ル ペ ン・ セ ンタ ー か ら 発展 したも の であ る‐. そのセミナーでは, 登山がすでにノルウェー人の間で忘れられかけていたため, 手つかずの自然の価値と 通 い 合う 媒 体 と して, バ ッ ク カ ン トリ ー .ス キ ー が選 ばれ, そ れによる よ り 包 括 的な 「フリ ルフス リ フ. セ. ミナー」 へとカリキュラムが広げられた. 「価値を明快にする」 過程を通じて, 近代的生活様式のネ ガティ ブな傾向が正体をあらわした. そして, オルタナティ ブな生活, あるいは 「つましさに向かって泥まみれに なる」 方法が練習された. はじめ, 教え方はかなり伝統的なものだった‐ つまり, 凝り固まっ た 「軍隊式」 教授法にしたがって, 自然とともに生活する上で必要な規律を植え付けようとしたのだ. 7 0年代の雰囲気からいっ て, そのようなメソッ ドは受け入れられなかった. 自然へ導く方法として何かが 足 り な い こ と は明 ら か だ っ た. そ して, 欠 けて い た 断片 は, 中 央 ネパ ー ルの 伝 統 的コミ ュ ニ ティ にお い て行 わ れて い た 教 授 法 と の 出会 い によ っ て 発見 さ れる こ と にな っ た‐ そ こ で は 子供 たち が 自然 の そ ば で 「真 , ,. 剣に」 生活することを, 遊びを通じて教えられていた‐ その遊びは, とる に足らない気晴らしなどではなく, 実用的な仕事や自然の知恵と結びつけられていた. それでも, 遊びの持つ楽しさという要素は残され, 効率 的な考え方に従って仕事をやり遂げることに意を注ぐのを避 けていた. 大人たちは, 西洋の感覚でいう教師 と言うより, 「促す人」 でありガイ ドであっ た. この役割は, セミ ナーの教授モデルと して採用された‐ 歓 びの要素と自然の中で 「遊びながら学ぶ」 ことが私たちの間で了解され, ティーチング・メソッ ドは, 助言 したり導く形へと変えられていっ た. その人自身の経験を重視したため, 黙っていることが導く術であるこ とも し ばし ばだ っ た. フリ ル フス リ フ は, こ れま で述 べ て き たよう に描 か れて き た. つ ま り, 手つ か ずの 自然 か ら私 た ち を 分離. させる高度にテクノロジー化した社会をたどることから, 一時的にせよ, 私たちをはずす試みなのだ‐ フリ ルフスリフに参加するときには, こう した 「分離に対抗する方法」 に心を注ぐべきである. 巷に流通してい る用具カタログは, 不毛な手引き書に過ぎず, 私たちを混乱させてしまうだけである. 伝統的なものの方が ずっ と優れている. 実際には, 私たちを環境からできるだけ孤立させるようにデザインされた衣服や用具を, あまり重視しないことが肝心である. しか し, フリ ル フス リ フ の方 法 につ い て も っ と も重 要な の は, 「発 見 を導 く」 ため の プロ セ ス で あ る. 参. 加者は, 生命に危険が及 ばない範囲で, 自ら解決可能な課題に挑戦する. 「ガイ ド」 は, 参加者が知 っ てい ることや期待しているところからはじめ, 次に, もっとかけ離れた未知の領域に向かう経験の 「流れの中」 に参加者を 「引き込む」 のだ‐ 「流れの中」 へ引き込まれるということは, 傍観者という立場から参加する プロセス へと 引 き 込ま れる こと であ る. も ち ろ ん, この セミ ナ ー は, できる だ け自 然 そ のも のの 中 で行う べ き であ る‐. 自然と親しくなる可能性がなければ, 私たちは相変わらずテクノロジーの世界におけるホ÷ムレスのまま である. 生活様式が, 労働と大企業という領域に貢献するよう ・にしむけられてきた私たちの文化にとっ て, フリ ルフス リ フ はよ り 新鮮 な 空気 へ と 続く 入 口であ る‐ フリ ル フス リ フ は, 歓 び に満 ち た驚 き と いう, そ れ. 自体の価値を有している. 根源的で完全な自然, つまり原型が基本的な価値となる‐ それゆえ, 原型的な自然を操作することは, 質 92.
(10) . ノ ル ウ ェ ー にお け る ア ウ ト ドア ・ ライ フ の 思想( ) 1. の低下を意味する. 芸術と洗練された感性とが, 生命を理解するすぐれた方法として取り上げられる‐ 実証 主義的思考は手段に過ぎず, 本質的な価値ではない‐ 今日, ヘム セ ダー ル の フリ ル フス リ フ・ セミ ナー は, ノ ルウ ェ ー 中 の大 学 と ジ ョ イ ン ト・ セミ ナ ー を行う. ために枝分かれしてきている. セミナー参加者は, より伝統的な教育の下で, 学生として同じ立場に立っ て い る‐. .. 公の秩序へのかかわり. ノ ルウ ェ ー 国民 を手つ か ず の 自然 の価 値 へ と 再 び導 こう と する, トロ ンハイ ム 工業 大 学 での 試 み は, 20年 以 上 にわ た っ て何 と か 続い て き た‐ こ の 間, 公的 分野 にお い て 何 が起 こ っ て き たの だ ろう か‐ そ して, ノ ル ウ ェ ー・ ア ルペ ン・ セ ンタ ー が行 っ て き た 努力 は, どこま で役 に立 っ て いる の だ ろう か. 現 在 の 国 の 政策 にお ける フリ ルフスリ フの 定義 は, 私 が述 べ た よう な 定 義 と 異 なる こと も ある が, たぶ ん 政府 はも っ と重 要 な レベ ル で 議 論 を 行っ て いる‐ 1981年 の 環境 政策 白 書 で は, 「フリ ル フ ス リ フ は, 環 境 へ. の関心を高める上で非常に重要なものである」 と宣言している‐ 政府は現在, 包括的で新しい政策を検討中 で, 諮問委員会 (私も委員の一人だが) を設置して計画が策定されている. 議会は, 必要最小限の用具で最 大限の参加者を 「自然と調和」 させる という諮問委員会の目標を, 今後のレクリェーショ ン政策の指針とし て正式に認める見込みである‐ 複雑な政治過程の中で, 誰が政策の方向性に責任 を持つかについて確実なことはい えない. それでも, ヘ ムセダールの学校と関わる労働者や教育者は, 60年代までの経済成長への盲信に関する綿密な公的調査を行 う上で重要な位置にあった. 彼ら自身を政治的な舞台での合法的な声として確立して, 当局と長い時間をか けた対話を行うことが効果的だと考える.. 政治的道具? フリ ル フスリ フ は, ノ ル ウ ェ ー の 政 治 に影響 を 及 ぼ して き た が, そ れ はフリ ルフス リ フ につ い て の 市 民 の 関心 の 高 さ によ る もの であ る. 自 分たち 自 身や, 自 然 につ いて 考 える 新 しい 方 法 に気 づ かせ る フリ ル フス , リ フ のも つ力 につ い て は, 私 たち はセミ ナー で 繰 り 返 し説 明 して きた. しか し そ れは 政 治的 戦 略 と して , , 十 分 にふ さ わ しいこ と だ っ た の だ ろう か‐. これについて山岳救助を例に挙げてみると興味深いと思う - . ここで私たちが試みているのは文化的救助で あり, 攻撃的もしくは愚かな人類という 雪崩から, 手つかずの自然を救うことだからである‐ 山岳救助と文化的救助の両方でもっ とも重要なのは, 「予防策」 である. フリルフスリフ自体の価値が , 現代社会が突き進む全世界的な崩壊をいかに避けうるかを示すことで, 破滅を防ぐ手助けとなる‐ 中央に組 織された救助隊を, 地域的な雪崩の救助に派遣してもほとんど役に立たない. 同じように 大衆的な環境デ , モ は いく ぶ ん効 果 がある かも しれな い が, 現 地 の コミ ュ ニ ティ の 感 情 と衝 突 する こ と もあ りう る そ して . ,. デモを組織するグループが, 効果的な行動を起こすため に評判を気にしすぎて, 頭でっ かちで, 小回りが利 かなくなることもある‐ 政治制度を変えることを目的としたこう した行動のほとんどは 有効だっ たかもし , れない‐ しかし, 反動主義よりも行動主義が, 政策批判よりも政策デザインの方がさらに効果的なはずであ る‐ 雪崩遭難者は, そう長くは生きられないのだ. 山の遭難では, 有能な仲間がそばにいる場合, 助かるチャンスが高い‐ それは, 文化を救助する試みにお いても同様である. 直接的で草の根の自然とのふれあいという方法がそれである‐ 手つかずの自然の中で , 93.
(11) . 前. 田 和. 司. 故郷にいるように感じられるようにすることが, 一番の予防策である. 人々を手つかずの自然との歓びに満 ち た 出会 い へ と 導く こ と ができ る の は, 「フリ ルフス リ フ 活動 家」 である.. 自然との直接的な交わりは, 遭難した自然を救助するのに必要な運動の基礎を築くことになるだろう. 自 然と交わることは, 人間相互の友情を育むのと同じである‐ つまり, 親密さ (客観主義ではなく) , 慎重さ (怖れではなく) , 熟知すること (プレッシャーを与えず) , 忍耐 (我慢ではなく) と いう条件を必要 とする の で ある.. む. す. び. カール・グスタフ・ユングは, 彼の心理学研究の中で, すべての人間にとっ ての基礎は, 元型の記憶であ ると一貫して述べている. 10万世代以上にわたり, この環境に人間よりもむしろ人間以外の生命が支配的で あったことを思うと, 私たちの元型の大部分が, 手つかずの自然と関連していたとしても驚くに値しない. 私たち自身を理解するために, さらに人間であり続ける可能性を現実のものにするため, 私たちは, ある意 い. 味でもっとも人間的でないもの, つまり野性的で開発されていない自然と親密に対話しなけれ ばならな, フリルフスリ フ, つまり私たちを, 身体で, 理性で, そして精神で自然環境のリズムに感応させる挑戦は, そのための最良の方法である‐ これは, パラダイム.シフトである. 自然を 「客観視」 する支配的なパラダイムから離れ, ロマン主義的 な特徴を持った情緒的なアイデンティティに向かう. ロマン主義的伝統を一つの例として使うことによって, 私 は 「過去 につい て ロマ ンテ ィ ッ ク」 になる べき だと 言い た い の で はな い. む しろ, 自然 と の よ り 多 面 的な. 関係を探し求める方法が, なにも東洋の伝統や, 「ニュー.エイジ物理学」 の中にしかないわけではない, と言おう としたのである. 私たちは, ノルウェーの伝統文化の中に, そう した多面的な自然との関係の根を 持 っ ている し, そ れを 完 全 に失 っ た わ けで はな いの である.. 個人的な娯楽という枠を越えて, フリルフスリフは, 生態学的危機に対する意欲的な反応を触発する伝統 文化なのである‐ それは, 他者やこの地球とうまく暮らしていく新しい方法を目指している. アウトドア・ ・いことが, 生態学的に破壊的な現在の社 アクティ ビティにおける個人間の競争というものをあまり強調しな 会・ 政治 シス テ ム の推 進力 を弱 める こと につ な がる. フリ ル フス リ フ は, さ ほ ど魅力 的 な 「メ ディ ア ・イ ベ. ント」 ではないが, 専門家の視点から言えば, フリルフスリフは身体運動であると同時に社会運動として, オリ ン ピ ッ ク ‐イ ベ ン トよ り も さ ら に重 要 な も ので ある. フリ ルフスリ フ は, 私 たち を本 当の 故郷 か ら遠 ざ. けている仕切りを取り払う ための手段である. その仕切りは, 本当の故郷を探す必要がない生活様式が確立 さ れる こ と で取り 払 わ れる. そ の 意 味で, フリ ル フス リ フ の 目標 は, フリ ル フスリ フ 自 体 を不 必 要 な も の に する こと で ある.. ガンディ ーは, 「平和に導く道という も の はなく, .平和 こそ が道 で ある」 と 記 してい る. フリ ル フ ス リ フ は, 武装した闘いではなく, スポーツ・イ ベントでもなく, 学問でもないが, 永続的な文化変容に向かうひ と つ の 手段 であり, プロ セス な の である.. それはたぶんゆっくりとしたプロセス だろう. しかし, 環境汚染が 「あたりまえ」 になっていることへの 不満の増大は, 私たちが思っているより早く, 環境運動の大波を生み出してきた. その歩みがゆっくりであ る な ら ば, 私 たち は屈 す る こ となく や り 遂 げなく て はな らない. ヘム セ ダー ル ー セミ ナー での 登 山 にお ける モ ッ トー は, 「気 を抜く な」 だ っ た. で も, 現在 の フリ ル フス リ フ は, 多 く の 意 味にお い て, フ リ ル フ ス リ. フ自体がもたらした結果である. 自然の中に出かけて惨めな思いをするようなまじめくさった試みではなく, 希望をはぐくみ, 力強さを表現する生活様式なのである. 94.
(12) . ノ ル ウ ェ ー にお け る ア ウ ト ドア ・ ラ イ フ の 思想( 1 ). 道こそ目標であり, 手つかずの自然との出会いは歓 びである. 歓びに勝る力はない. 歓びは故郷にも どる道である‐. 翻 訳 に あ た り. 古鵡郎に帰る道」 の全文である. こう したフ ァ ールン ドの主張は, 確かにノ ルウ ェ ー 以 上 が, フ ア ー ル ン ドの 「 にお い て 大 き な 影響力 を 持 っ て き た が, 実 際 に 現 地 を訪 れて みる と, フ ァ ールン ドの理解 だけが, ノ ルウ ェ ー にお ける フリ ルフス リ フ思 想 の 全て で はな い こ と がわ か っ て き た. 彼 自 身, 「多 く の ノ ル ウ ェ ー 人 は フ リ ル フスリ フ を 私 と はち ょ っ と 違 っ たよう に考 えて いま す. という の も 彼 ら は アウ ト ドア ・ レク リ ェ ー シ ョ ンと いう ビッ グ・ ビジネ ス に影響 を 受 けて き た か らです. 彼 ら は, そ の 考 え 方 をマスメ ディ アやス ポ ー ツ な どか ら得 て きま した. こう した 一 般 的 な 概 念 は, も っ と 観 光やス ポー ツ を志 向 した も の で, そ れはハイ テク や 近 )」 と述 べ てい る 実 際 ノ ル ウ ェ ー 各 地 で 開 代 的 な 道 具 な どを使う こ と で社 会 的地 位 を 得 てい る の です‐8 . , か れて い た フリ ル フ ス リ フ・ イ ベ ン トで は, アメ リ カ 製 のカヌ ー を 使用 して い たり, 地 域 性 を 無 視 した 定型 化 した プロ グ ラ ム が行 わ れて いる 場 合 もあ っ た. ま た, ノ ルウ ェ ー ・ス ポー ツ ・ 体 育大 学 の フリ ル フスリ フ 研 究 者 ビョ ル ゲ・ ダー レに同 行 し, ノ ル ウ ェ ー 中部 にある オ ッ プ ダール地方を訪 れた際, 民間のアウ ト ドア・ セ ンター を見 学 した‐ そ こ は, ノ ルウ ェ ー の 伝 統 的ア ウ ト ドア ・ ライ フ を 体験 できる と 銘 打 っ てお り, ヨー ロ ッ パ や アメ リ カ か ら多 く の 観 光客 が訪 れて いる の だ が, そ れ に対 して も ダー レは, 「こ れ は フ リ ル フ ス リ フ で はな い」 と 断言 した. ま た, 同 じノ ルウ ェ ー ・ス ポ ー ツ ・ 体 育 大 学 のイ ヴァ ル・ ミ ュ ッ ト ウ ン グは, ロ マ ン主 義運 動 に傾 倒 する フ ァ ー ル ン ドか ら離 れ, フリ ルフス リ フの 現代 的 な意 義 を 追 求 して, 独 自の 「エ ゴ ペ ダ ゴジ ー」 を 主 張 して ) さ ら に エ コ フ ェ ミ ニ ズ ム の 立場 か ら フリ ル フス リ フ の男 性 中 心 主 義 的 傾 向 を批判 する 研 究 も 出 いる9 ‐ , , て き て いる.. ある社会において生み出された環境思想を理解しようとする場合, その場所の自然および自然と社会の関 0 } そ して 上 述 した よう に 同 じフリ ル フス リ フ に関 しても 様 々 な 係 性 を考慮 する 必 要 性 を感 じている1 . , , ,. 立場や考え方があり, それを知識社会学的な視点から整理する必要もあるだろう‐ それらについては今後随 時取り組んでいく予定である.. .注- i). Peter Reed & Da▽id R。thenberg, WZ ity of Minnesota Press, Mi sdom Zれ 亡んe ope九 のr nneapo.鴎 , Univers. 1 996 1 55 157 ‐ ,pp. 2) Gunnar Repp, Norwegian relationship to nature through outdoor l if ionaISeminar e , Proceedings oflnternat 94 3242 iv it ies Prague ’ ty, 1996 of outdoor Act ‐ , Charle Universi , pp.. 3) この議論においては, 自然と社会の物理的かつ現象的相互作用に着目するオギュスタン・ベルクの 「通態」 概念が重要と なるの だが, それにつ いて本稿 で触 れる 余裕 はない. オ ギュス タ ン・ベ ルク 『風 土と しての地球』 筑摩書房 1994年参照‐ ,. 4) 第二次大戦後, 混乱するヨーロッパ経済を立て直すために, アメリカ政府が行った財政的援助. 提唱者のジョージ‐C‐ マ ーシ ャ ルの名をとっ てマーシャル・ ブラ ンと呼 ばれる. 食料や 家畜飼 料のみならず, 化学肥料, 化 学 薬 品, 機 械 な どの最 新テクノロ ジー がヨーロ ッ パ へと運 ばれた.. 5) 主な著書として, 『健康という幻想』 田多井吉之介訳, 紀伊国屋書店,1 9 8 7年 95.
(13) . 前. 田 和. 司. 6) 主な著書として, 『都市の文化』 生田勉訳, 鹿島出版会 7) 主な論文と して, Wor zd pop 諺αtzoれ cr z (β賜庭む師 of亡んe A乙omZc sc彩れ#s乙s vol.42 pp.13‐19, Aprill 98 6) sz s , l 8) Ni h(Pe i henberg,1996 d Rot 1 1 2 ) 7 1 7 t s Faarlund, Touch the Eart er Reed & Dav ‐ . ,pp.. 9). 工var Myt ing, From o”tdoor 乙がe 乙o Ecopeααgogy, Proceedings oflnternationaI Seminar of outdoor Ac t iv i t. i 94 ity 1996 pp. 41‐ 47 t es Prague ’ . , Charle Univers , ,. 10) 日本において, ディ ー プ・エコロ ジー は非常に観念的 にとらえられる傾向がある よう に感 じている. そのため理想 主 義 だ という批判も受 けている. しか し, ノ ルウ ェ ーにお いては, そ れはきわめて具体的で実現可能な運動 のよう な 印象を受 けた. それは人口密度や開発の度合いが, 両国では大きく異なっ ているためのよう にも思わ れた‐. 96.
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