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富士谷成章著『打聞』の写本二種 : 本居宣長記念館蔵本と龍谷大学蔵本

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(1)Title. 富士谷成章著『打聞』の写本二種 : 本居宣長記念館蔵本と龍谷大学蔵本. Author(s). 吉見, 孝夫. Citation. 札幌国語研究, 9: 1-10. Issue Date. 2004. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2679. Rights. 本文ファイルはNIIから提供されたものである。. Hokkaido University of Education.

(2) 富士谷成章著﹃打開﹄. ﹃打開﹄. の写本二種. に、一写. の写本二種を紹介する. 下﹄. 注3. に﹁おほうみのはら﹂の題名で収載さ. ﹃打開﹄. ﹃富士谷成章全集. ﹃日本随筆大成﹄. ﹃百家説. と称されるものがある。主に近. 筆者未詳. 竹岡正夫 蔵. がある。 ︵中略︶. 一・百家説林正編下. 吉. 夫. 注4. ﹁和歌うち聞﹂. 孝. ﹃百家説林﹄正ノ下所収. は、内題では. とを別の書としてい. には以下の写本が挙げられている。た. ﹃和歌打開﹄. ︵﹃補訂版国書総目録﹄︶. おほうみのはし一巻㊨随筆⑧富士谷成幸⑬日本随筆大成三期. る混乱がみられる。. ママ だし、﹃おほうみのはし﹄ と. また、﹃国書総目録﹄. のそこはかと、浪まのもくつかすつめて﹂とあるのによる。. 注5. 事も、さすがにをし鴨のさわく入江の水くきに、大うみのはら. とも称されるのは、践文に﹁住のえのきしの草葉にうつもれむ. どの外題、内題があるが、同一の書である。﹁おほうみのはら﹂. ﹁打聞﹂﹁和歌打開﹂﹁近代和歌打開﹂﹁おほうみのはら﹂な. となっていて﹁近代﹂の二字がない。奥書の類は一切ない。. [B]の ﹃近代和歌打開﹄. [C]おほうみのはら. 1本居宣長記念館蔵本と龍谷大学蔵本−. 富士谷成幸の著書に 林..か. 世の公家衆の逸話を書き記した随筆である。早くに 主1注2. れており、また竹岡正夫が 本の翻刻を載せている。本稿は ものである。 二. 写本. ﹃打開﹄の写本については、既に竹岡が次のように説いている。. 打開一冊. 同右蔵. 静嘉堂文庫蔵. これと同内容の書は管見に入ったところでは、. 筆者未詳. 写本. [A]打開一冊. 写本. 筆者未詳. [B]近代和歌打開一冊.

(3) では、官裏本と龍谷大本とを紹介し、合わせて両者の関係をみ. 本居盲亮記念館. 横一九.七センチ. 第二門十四号. 宣長本の概要は左記のとおりである。. 三. 和歌打開一冊⑳打開㊨歌学㊨富士谷成章㊨静嘉︵﹁近代和歌打. ︵﹃補訂版国書総目録﹄︶. には荒木田経雅著という﹃和歌 所蔵. 書印あり。 縦二七.〇センチ. 表紙左の題箋に﹁和寄うち聞﹂. の方形蔵. ることとする。. ﹃古典籍総合目録﹄. ︵﹃古典籍総合目録﹄︶. ﹁和寄内き、﹂ 全二〇丁. 荒木田神主経雅. の本を天明元年八月に荒木田経雅が書写し、更にそれを天. の直筆である。. に投している。天明元年︵一七八一︶. 荒木田経雅は寛保二年︵一七四二︶ 八〇五︶. は四十歳、この. に生まれ、文化二年︵一. 明二年五月三日に本居宣長が書写したものである。確かに宣長. い︶. 源元寛︵この人物についてはまだ詳らかにすることができな. 本居官盲㌘. 天明二年壬寅五月三日書写畢. 天明元年八月. ﹁右 転法輪殿なる源元寛の本もて写し侍ぬ. 一面一二行. ﹁鈴屋之印﹂. 開﹂︶・高山香木︵﹁成幸編うちき、﹂︶・無窮神習⑳富士谷成. 章全集下. ところで 打開﹄が収録されている。. ︵﹁和 歌 う ち 聞 ﹂ 一 冊 ︶. 和歌打開詑竺冊㊨歌学㊨中川経雅︵荒木田経雅︶㊥天明八◎宣 長記念館. であ. である。ここ. 2. しかし、この ﹃和歌打開﹄もまた富士谷成章の ﹃打開﹄ ﹂十6. に著者名が記されていないことから、書写の経. ることは小論に説いたところである、。本居宣長記念館蔵本︵以. 下﹁宣長本﹂︶. ﹃和. 緯を記した奥書に﹁天明元年八月荒木田神主経雅﹂とあるのを 読み誤ったものである。 さらに ﹃国書総目録﹄ には龍谷大学にも荒木田経雅著の 歌打間﹄ が所蔵されているとある。. ○和歌打開詑竺冊㊨歌学⑧荒木田経雅㊥天明八◎竜谷 ︵﹃補訂版国書総目録﹄︶. ﹃打開﹄. 今回、龍谷大学蔵本 ︵以下﹁龍谷大本﹂︶ を実見する機会を. 得た。結論を言えば、これもまた成幸の. 書 数量題題型 奥行数内外書.

(4) むかふのきしくらくして船こゑしてよぶ 三みせん. 人をうらみて月み、かし入る. これらは、ゐんのつくらせ給へるとなん。又たれかつくりけむ。. 頃は伊勢内宮禰宜の職にあった。門人ではないが、宣長とは親 交を結んでいる。 既に翻刻のある﹃日本随筆大成﹄所収のテキスト︵﹃百家説林﹄. のと同一︶、竹岡正夫蔵本と対照すると、語句の異同は多々あ. 竹岡正夫氏蔵本. 注7. 内侍のうへのきぬ蔵人の下がさね ︵しとゞ ぼたん︶ るが、内容上大きく異なる所はない。ただ上記の翻刻されたテ ほすまでたばぬる三把の木 キストは抜文の末尾に﹁成幸﹂とあり、著者名が知れるのだが、 人のかたりしは、 又為綱卿の作られし、なぞ︿ほくとて、 この宣長本にはそれが記されず、著者名を直接知る手がかりが さみだれの雲に入りぬる郭公 全くない。荒木田経雅も宣長も、著者が富士谷成章とは承知し ていなかったと推定される。知っていればその旨を書き記した. たゝうかみ. むかふのきしくらくして船こゑしてよふ. たにのとら. 一とせなそノ\もしといふもの内院にももてあそはせ給ひけり. .が. であろう。 一とせ、なそくもしといふもの、内院にも、もてあそはせ給けり。 宣長が﹃打開﹄を歌論なり作歌活動にどう利用したのかは調 た、うかみ。 たにのとち 査していないが、一つわかっているのはこれをある著作に引用 むかふのきしくらくして船こゑしてよふ 三みせん。 していることである。 これらは、院のつくらせ給へるとなん。又たれかつくりけん、 ﹃打開﹄は中世以来のなぞなぞを六題収録している。それを 入日。 人をうらみて月みしかし 宣長は﹁なぞなぞ﹂に引いている。ここにいう﹁なぞなぞ﹂と しとゝ。 内侍のうへのきぬ蔵人の下かさね は宣長はじめ、本居春庭、本居大平、荒木田末偶ら門人たちが ほたん。 ほすまてたえぬる三把の木 なぞなぞを作りあって楽しんだ記録であり、筑摩書房版﹃本居 又為綱卿のつくられけるなそく本句とて人のかたりしは、 +工8 宣長全集 別巻二﹄に収載されている。 さみたれの雲に入ぬる郭公 ﹃打開﹄のこのなぞなぞ部分を宣長本と他のテキストとで比 較してみよう。 宣長本. た︰つがみ. ﹃日本随筆大成﹄本 一とせ、なぞく文字といふもの、内院にもてあそばせ給ひけり。 たにのとら. 3.

(5) これらは院のつくらせ給へるとなん 人をうらみて月みしかし. 三みせん. 入日 鶉 しとゝ ほたん. 又たれかつくりけむ. 内侍のうへのきぬ蔵人の下かさね ほすまてたはぬる三把の木 また為綱卿のつくられたるたそく本句とて人のかたりしは さみたれの雲に入ぬる郭公 ︵一六丁オ・ウ︶. ることを忘れていない。こういった措置が施されている点でも、. ト、 四. 本文の校訂のうえで宣長本は無視できない。. シ. 写字台文庫. 911・204/29−W. の方形蔵書印あり。. 龍谷大学大宮図書館. 龍谷大本の概略は左記のとおりである。 所蔵. ﹁写字台蔵書﹂. 横一九.四センチ. 完﹂と墨書. 縦二七.〇センチ. 表紙中央に直接﹁和歌打開. ﹁和苛内きゝ﹂ 全一九丁. 荒木田神主経雅﹂. 転法輪殿なる源元寛の本もて写し侍ぬ. 一面一二行 ﹁右. 天明元年八月. なお、どのような経路を経て写字台文庫︵西本願寺門主の文. 4. ﹃日本随筆大成﹄本の﹁人をうらみて月みゝかし入る﹂はな ぞなぞの問いかけと解とが分離されておらず、しかも解の﹁入 注9 日﹂が﹁入る﹂と誤っている。また﹁内侍のうへのきぬ蔵人 の下がさね﹂と﹁ほすまでたばぬる三把の木﹂との解が合わさっ てしまっている。竹岡氏蔵本は﹁たにのとち﹂﹁ほすまてたえ ぬる三把の木﹂と誤写があり、﹃日本随筆大成﹄本同様に、果 たしてなぞなぞを正確に理解していたのか疑わせる。 他方宣長本には、そのような誤りは全くない。この箇所に関. の本文批判を行ううえで、首衰本が貴重で 庫︶ に収められたのかは不明である。. た不通の部分には、﹁本ノマ、﹂ぁるいは﹁00欺﹂と傍記す. あ る こ と が 納得できよう。 次節に見るように、龍谷大本は宣長本と極めて近似しており、 ただし、全編にわたって宣長本が正確であるわけではない。 前節で宣長本について記したことは、なぞなぞの解の ﹁たゝう 後述するように脱落もある。また践文に﹁露もはる雨も色にい かみ﹂が龍谷大本では﹁たかうかみ﹂になっている点を除けば てしと、おもひくちてはありふれと﹂の傍線部、宣長本では﹁見 すべて龍谷大本にもあてはまる。 ひくちては﹂とあり、意味が通らない。しかし宣長本はこういっ. す る 限 り 、 ﹃打開﹄. 奥行数内外善 書数量題題型.

(6) 五 ここで宣長本と龍谷大本との関係について考えてみたい。両. 除く︶。盲衰本で勘定して全四五九行中でこの数は少ないとい. える。﹃日本随筆大成﹄本や竹岡蔵本と対照させるならば、こ. の数倍の異同表が必要となろう。両本はよく一致しているとみ なせる。. ︵宣長本一丁オ書入︶. ︵宣長本一丁オ︶. ︵龍谷大本一丁オ吾人︶ 人にしられん. ︵龍谷大本一丁オ︶. ︵盲豆本一丁り︶. ︵龍谷大本一丁ウ︶. ︵宣長本三丁オ喜入︶. ︵龍谷大本三丁オ吾人︶ ︵宣長本四丁り吾人︶. ︵龍谷大本四丁オ書入︶. ︵宣長本四丁り吾人︶. 三宅亡八斗. ︵龍谷大本四丁り︶. ︵宣長本五丁オ︶. ことにこのみきこせ給けるも. ことにこのみきかせ給けるも. ︵龍谷大本六丁オ︶. ︵官衰本六丁り︶. 宝永六年 ︵龍谷大本五丁オ書入︶. 宝永七年︵宣長本五丁オ喜入︶. 三宅亡羊. 近衛信尋︵龍谷大本四丁り書入︶. 近衛信尋公. 輔信公. 輔信. 三条西実隆公. 三条西内大臣実隆公. かしこまりておはしける. かしこまりてそおはしける. 人にしらせむ. 辰子二条関白青息女. 辰子二条関白青息公女. 者の奥書を改めて引用しょう。. ⑨. ⑧. ⑦. ⑥. ⑤. ④. ③. ②. ①. 宣長本と龍谷大本との異同. ︵二〇丁オ︶. 荒木田神主経雅. 転法輪殿なる源元寛の本もて写し侍ぬ. 宣長本奥書 ﹁右 天明元年八月 天明二年壬寅五月三日書写畢 本居宣長﹂. 転法輪殿なる源元寛の本もて写し侍ぬ. 龍谷大本奥書 ﹁右. 天明元年八月 荒木田神主経雅﹂ ︵一九丁り︶. これをそのままに解釈すれば、源元寛本を荒木田経雅が筆写. 総記・言語・文. したそのものが龍谷大本であり、それを宣長が筆写したのが即 ち宣長本と読み取れる。 ﹃龍谷大学大宮図書館和漢古典籍分類目録. 学之部﹄によれば﹁江戸︹後期︺写︵天明元荒木田経雅書写本︶﹂. とあり、筆写者を荒木田経雅と認定している。確かに両本の本 文は極めて近似している。 漢字と仮名の使い分けもよく一致している。送り仮名や仮名 ︵次節で問題とする箇所は. 字体の相違、漢字か仮名かの不一致を除いて両本との異同を挙 げると以下のように三人箇所となる. 5.

(7) ︵宣長本七丁オ︶. 中納言定基正徳元年豪︵宣長本七丁り吾人︶. さからにこそ心得はへらね ︵龍谷大本七丁オ︶. さらにこそ心得はへらね︵音衰本七丁オ︶. あけてみむとなられけるに ︵龍谷大本六丁り︶. あけてみむとせられけるに. 御とのゐところに ︵合点がない。龍谷大本六丁り︶. ⑲ 御とのゐところに ︵合点がある。宣長本六丁り︶. ⑪ ⑫ ⑬ ︵宣長本八丁オ︶. 中納言定基 ︵龍谷大本七丁り吾人︶. あまりに口をしく候ほとに 余り口をしく侯ほとに ︵龍谷大本七丁ウ︶. おいたる法師の手に短尺をもちたるか入居けり ︵宣長本八丁オ︶. ⑳. ⑳. ⑳. ⑳ ⑳. ⑳ ⑳. ⑫. この集をくりもとめさせ給ひけるに. ︵龍谷大本九丁り︶. ︵宣長本九丁り︶. ︵宣長本一〇丁オ︶. この集をくりもしめさせ給ひけるに. 何のれうにせさせ給はんするそと. ︵宣長本一〇丁り︶. ︵龍谷大本一〇丁オ︶. かしらつきはいかにととはせ給へは. ︵龍谷大本一〇丁り︶. 何のれうにせさせ給けんするそと. かしらつきはいかにもとはせ給へは. 九条の左の大殿︵言責本一〇丁り︶. 九条の左大臣殿︵龍谷大本一〇丁り︶. 冷泉大納言為村︵宣長本一一丁り︶. 恥おほしとふいのちなかさを. ︵龍谷大本一二丁オ︶. ︵宣長本一二丁オ︶. 為村︵龍谷大本一一丁り︶. 恥おほしてふいのちなかさを. 天下万民のうき草しらぬやうやはあるへき︵宣長本一二丁り︶. 天下万民のうき事しらぬやうやあるへき︵龍谷大本一二丁オ︶. ︵宣長本一二丁り︶. ︵龍谷大本一二丁オ︶. あしくいはれにけりなとのたまはせて. あしくいはれにけりなとのたませて. ︵龍谷大本一二丁り吾人︶. 大納言重配⋮︵宣長本一二丁り書入︶ 重配州. 中納言実永︵宣長本一二丁り善人︶. ︵宣長本一三丁オ︶. 実永︵龍谷大本一二丁り吾人︶ かいけちてうせにけり. ︵龍谷大本一三丁オ︶. ︵宣長本一三丁ウ書人︶. かいけちてうせにけりとそ 通窮公. 通窮︵龍谷大本一三丁オ書入︶. 6. ⑯ ⑮. ︵宣長本九丁り︶. 招月庵徹書記 ︵龍谷大本九丁オ︶. 招月庵. これはは御はかしの姿にも候はねは ︵龍谷大本九丁オ︶. これは御はかしの姿にも候はねは ︵宣長本九丁オ︶. なさせ給ぬへきものにも候はぬは ︵龍谷大本九丁オ︶. なさせ給ぬへきものにも候はねは ︵宣長本九丁オ︶. あやまりてとりおとし侯ひつれと ︵龍谷大本八丁り︶. あやまちてとりおとし候ひつれと ︵宣長本九丁オ︶. 茶湯の数きせたまひけるに ︵龍谷大本八丁オ︶. 茶の湯の数きせさせたまひけるに ︵音亮本八丁り︶. ︵龍谷大本八丁オ︶. おいたる法師の手に短尺をもちたるか入居をり. ⑲ ⑳.

(8) ㊧. ⑲ ⑰ ⑳. 中納言よろこひてやかてか、れにける︵宣長本一五丁オ︶ 中納言よろこひてかゝれにける ︵龍谷大本一五丁オ︶ た︰つかみ ︵宣長本一六丁オ︶. け、使用仮名字体を含め、両本の表記は類似しているが、ここ. では奇妙な表記の一致を挙げておく。﹃打開﹄には﹁武者小路﹂ が三箇所出現するが、両本は最初の例では﹁武者小路﹂とし、. 後の二例では﹁無車小路﹂という余り例のない表記を採ってい る。﹃日本随筆大成﹄本、竹岡蔵本は三例とも﹁武者小路﹂で. たかうかみ ︵龍谷大本一六丁オ︶. 無車小路の儀同三司ちこおひの時︵宣長本一六丁り︶. ある。. ﹁武者小路﹂ ︵宣長本二丁オ、龍谷本二丁オ︶. 無車小路儀同三司ちこおひの時︵龍谷大本一六丁り︶ 元和御時︵合点がある。宣長本一七丁り︶. ﹁無事小路﹂. 六丁り︶. ︵宣長本三丁ウニ六丁ウ、龍谷本三丁り・一. 元和の御時︵合点がない。龍谷大本一七丁オ︶. 宗建卿︵宣長本一八丁オ喜入︶. 両本には﹁本ノマ、﹂の傍記があり、これがほぼ一致する。. 宗建︵龍谷大本一八丁オ吾人︶. よもやまの人わらへにやならんとすらん︵宣長本二〇丁オ︶. ︵宣長本一五丁り、. ﹁本ノマゝ﹂の一致︵傍線部の右に﹁本ノマゝ﹂と傍記︶. し。︶. ﹁かた山吋引のふちの木に﹂ 丁オ︶. ﹁凪叫くちてはありふれと﹂ 丁オ︶. ︵宣長本一九丁り、龍谷本一九. ︵宣長本一九丁り、龍谷本一九. 龍谷本一九丁オ。ただし龍谷大本には﹁本ノマゝ﹂の傍記な. ﹁今はこれある封uかはとおほゆるものを﹂︵宣長本一九丁オ、. 龍谷本一五丁り︶. ﹁為綱の大納言なとの笥たる申める﹂. よしやまの人わらへにやならんとすらん︵龍谷大本一九丁り︶. この異なる箇所を、他の写本︵﹃日本随筆大成﹄本、竹岡蔵本︶. と照らし合わせると、①⑳⑳を除いては悉く宣長本と一致する。 ︵③︶、各説話の. 他本と比較するまでもなく、宣長本の方が正確な本文となって いる。龍谷大本には、係り結びの合わない例. 初めにあるべき合点がない例︵⑲︶、単純な誤記︵⑫⑳㊧⑲︶、 桁字︵⑲︶などがあり、宣長本に比し粗雑な書きぶりが目立つ。. なお、⑦は﹁三宅亡羊﹂が正しい。三宅亡羊は京都の儒者、 三宅寄斎。﹁亡羊﹂は字。天正人年︵一五人〇︶生、慶安二年︵一. 六四九︶毅。宣長本の﹁亡八斗﹂は﹁羊﹂を﹁八斗﹂と誤読、. もう一つ、両本の近さを示す例を挙げておく。竹岡蔵本には 誤 写 し た も の。 更に両本の近似性を指摘しておこ、つ。漢字か仮名かの書き分 以下の箇所がある。︵﹃日本随筆大成﹄本もほぼ同文︶. 7.

(9) 元和の御時、抗の御すくろくの盤を、人のたてまつりたりける. 文字のa・bは両本の主文が一致するもの︶. 校訂傍記. ︵宣長本三丁り︶. ﹁たまはちや﹂. ︵宣長本一〇丁オ︶. ︵宣長本一一丁オ︶. ︵龍谷本一四丁オ︶. 四丁オ︶. ︵龍谷本三丁り︶. B. ﹁たにはちや﹂ ︵龍谷本四丁り︶ こ敗 ﹁またとは﹂ ︵音一長本九丁オ︶. ︵宣長本五丁オ︶. C. ﹁みちくに﹂. ︵龍谷本一〇丁オ︶. ﹁あふき︿﹂. ︵宣長本一七丁ウ︶. ︵龍谷本二丁オ︶. き. ﹁かすつめて﹂ ︵宣長本二〇丁オ︶. ﹁かすつめて﹂ ︵龍谷本一九丁り︶. b. ﹁とくよひ入させて﹂. ﹁とくとくよひ入させて﹂ ︵宣長本一. とて歎. ﹁その盤﹂ ︵龍谷本一七丁り︶. そ歎 ﹁公の盤﹂. ﹁あふきて﹂. ﹁おほきやかなる﹂ ︵龍谷本一〇丁オ︶ て敗. か歎る歎 ﹁おほきやるなか﹂ ︵宣長本一〇丁オ︶. ﹁うち︿に﹂. ﹁また、せ老か法師﹂ ︵龍谷本九丁り︶ と救う歎. ︵宣長本九丁り︶. ﹁まことは﹂ ︵龍谷本八丁り︶ けカ. ﹁またくせ法師﹂. G. F. E. D. に敗. ﹁おひなほりたりとなん﹂. ﹁松ひなほりたりとなむ﹂. ︵大文字のA∼Hは両本の主文が一致しないもの。小. か、その盤ありかたき香ありけれは、きらせ給て、うへの人々 A. のように、誤記と思われる箇. お歎. に給はせけり。たか里となつけさせ給ける。とはましものを梅 かゝにといふ歌の心はえなるへし璃. 宣長本、龍谷大本ではともに﹁たか里と﹂以下がない。この 話の眼目は香りある双六盤を切って﹁誰が里﹂と名付けた風流 な歌心である。それがこの二写本では双六盤を切ったという事 実だけの話になってしまっている。 六 両本の本文が近似していること、﹁本ノマ、﹂という傍記が ほぼ一致すること、共通する脱落を有することを考えると、両 者の奥書から推定されるように龍谷大本は荒木田経雅筆本であ り、それを転写したのが宣長本と断定できるかに見える。しか. ︵一〇丁オ︶. き歎. a. し、結論を先取りするならばそれは否定される。 か欺る欺 宣長本には、例えば﹁御番所におほきやるなかしもとをつHね にかけおかれけり﹂. 所に校訂を加えている。これは、宣長が見た経雅筆本にこのと おりの校訂の傍記があったか、宣長が自身の判断で経雅本の誤 記に校訂を加えたかのいずれかである。こういった箇所を宣長 本と龍谷大本とで比較したのが次のリストである。. 以上いずれも宣長本が﹁○欺﹂と校訂を加えている形が本来. の本文と思われる。a、bは確かに両本が誤りを含んだ形で本. 8.

(10) 文が一致する。しかしそれとDJ. Eを除いては、宣長本の主文. ではなく傍記の方が龍谷大本と一致している。Eは宣長本の傍. 七. 前節までの考察から次の結論が導き出せる。. 宣長本は奥書どおり荒木田経雅筆本を転写したものである。. 記では﹁さふらふこととうちくに﹂龍谷大本と﹁さふらふこ 1. の有無だけの違いである。Dは両本一. とうちくに﹂と﹁と﹂. ︵①∼⑳︶. の. 宣長本は龍谷大本に比し、経雅筆本を忠実に写している。. にそれを転写したものである。. 龍谷大本は荒木田経雅筆本そのものではなく、宣長本同様. で. 2. ︵A∼H︶. 致しない。龍谷大本はbを除き、校訂を傍記せず、直積主文を 訂正しているのである。以上全一〇例のうち八例 3. 龍谷大本は粗雑な点が散見される。両本の異同. 龍谷大本に誤記はない。龍谷大本の字体に誤読の慣れはない。 従って宣長の見た経雅筆本が龍谷大本であるとの推定は否定さ. の傍記は経雅筆本に既に存在. 多くは龍谷大本側の誤写であろう。. 両本に見られる﹁本ノマゝ﹂ であろう。. 両本に共通する﹁たか里となつけさせ給ける。⋮⋮ ﹂ の脱. 宣長本の﹁○欺﹂という傍記は宣長が加えた校訂と推定さ れる。. の本文. 龍谷大本は、疑問のある箇所を、筆写者の判断で訂正した と推定される。. ﹃打開﹄. ︵吉川弘文館一九〇五年一〇月︶. を校訂するうえで貴重である。. 経雅筆本を受け継ぐ二本、とりわけ宣長本は. 7. 6. 落は、もともと経雅筆本で抜け落ちていたと推定される。. 5. していたと推定される。龍谷大本に一箇所見えないのは誤脱. 4. れる。. ﹁○欺﹂は宣長の判断で加えた校訂と見るのが妥当である。 ﹁○欺﹂という校訂に従って. 経雅筆本にあった﹁○欺﹂を宣長がそのまま忠実に写したとす るならば、龍谷大本は経雅筆本の. 主文を訂正したことになる。しかし、それならばDの﹁またゝ き. せ老か法師﹂やbの﹁かすつめて﹂が校訂どおりに直っていな いことが説明できない。直し忘れたとするならば、bでわざわ ざ﹁かすつめて﹂に﹁き﹂と傍記したことがやはり説明不可と なる。. また龍谷大本には一箇所、一行ほどの脱落がある。. ︵宣長本一一丁り︶. ﹁ゑかゝせ給て引手をあはひの貝にし御ふくろたなの引手を 丸ののもしに ﹂. ﹁ゑかゝせ給て引手を丸ののもしに﹂ ︵龍谷本一一丁ウ︶ ﹁引手﹂が続くためにその間が脱落してしまったものである。. これから見ても、宣長本の親本が龍谷大本ではあり得ない。 ﹃百家説林﹄正ノ下. 9.

(11) 2. 吉川弘文館版では. ︵吉川弘. ︵風間書房一九六二. ﹃日本随筆大成﹄第三期第二巻 下﹄. 注3文献、八五四−八五六ページ。. ﹃富士谷成幸全集. 文館一九七六年一一月︶ 竹岡正夫編. 4 注3文献、四九五ページ。. 3. 5 吉見孝夫﹁鈴屋門の言語遊戯−﹃本居宣長全集﹄所収の﹁な. 年三月︶. 6 ぞなぞ﹂の基礎的研究−﹂︵﹃鈴屋学会報﹄第十八号 二〇〇二. 7 注3文献、四九二ページ。. 注2文献、四人五・四人六ページ。. 年二月︶. 8 ﹁なぞなぞ﹂. ︵﹃語. の解きようは左記の小論に記した。. 9. 書見孝夫﹁﹃本居宣長全集﹄所収の﹁なぞなぞ﹂略解﹂. 二〇〇二年三月︶. 注3文献、四九三ページ。. 学文学﹄第四十号 10. 資料の閲覧に際しては、本居宣長記念館、龍谷大学図書館の ご高配を賜った。記して感謝申しあげる。. −10−.

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