新制大学発足時における一般(教養)教育形成過程に関する研究 : 旧制高等学校と新制大学教養部との連続・不連続に焦点をあてて
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(2) の展開について述べた。. 第1章では、一般教養教育の理念について、 戦前レベルでの一般教養教育の到達点を押さえ た上で、アメリカから導入された一般教育の理 念がどういうものであり、それが戦後日本にど う反映したのか比較分析的考察を行うととも に、戦前との連続・不連続を明らかにした。新 制大学における一般教養教育は、アメリカの大 学及び一般教育の理念を採り入れ、戦前の大学 及び旧制高等学校における一般教養教育とは違 う、新しい大学、新しい一般教養教育の理念で あり、連続面は全くなかった。. 第2章では、戦前の旧制高等学校、アメリカ における一般教育の教育課程を押さえた上で、 アメリカから導入された一般教養教育の理念が 実際の新制大学の教育課程にどう反映したのか 比較分析的考察を行うとともに、戦前との連続. ・不連続を明らかにした。アメリカから導入 された大学の理念及び原理に基づき、戦後新 制大学に導入された一般教養教育の教育課程 は、理念同様、連続面はほとんどなく、不連続 のはずであった。しかし、戦前の科目中心主 義の継続、「総合」原理の不採用によって、連 続面が残ることになった。. 第3章では、個々の新制大学における一般教 養教育がどのような状況で出発したのか、そこ に新制大学早期実施と財政的問題の影響はなか ったのか、大学設置委員会の審査結果及び概要 をもとに明らかにした。審査結果をみると、全 ての新制国立大学が昭和24年度より開設が適 当と認められたが、そのほとんとが条件付であ った。特に一般教養教育の状況は深刻であった。. 新制大学の早期実施と財政的問題が、新制大学 における一般教養教育の理念と実態の乖離を生 み出す要因となっていた。また東京大学は、審 査を無条件で通ったが、その実態は、新制大学 及び一般教養教育の理念達成に向けた基本的環 境整備できず、当初の計画とは全く違った状況 であった。. 第4章では、個々の大学が、一般教養教育の 理念をどう捉え、どのような構想をもとに教育 課程を編成していったのか、そこに旧制大学芋 の既得権を守る動きがなかったのかを検証する ために、東京大学教養学部における一般教養教 育の形成過程及び戦前との連続・不連続を明ら かにした。東京大学教養学部の設立構想は、新 大学制実施準備委員会の議論を経る中で基本的 枠組みが着々と整えられていったが、当時の東. 大内部には、こうした構想に難色を示す気運が 高かった。東京大学の一般教養教育は、当初2 ヶ年行われる予定であった一般教養教育が1年 半に短縮された。また、新制大学における一般 教養教育を戦前と同様に専門学部の予科的性格 のものとみなす意見が出されるなど、新制大学 に新しく導入された一般教養教育の理念は、東 京大学内部には十分理解されていなかった。東 京大学内部の多くは、従来の大学での専門教育 の水準を低下させたくないという前提に立った 発想で戦後の一般教養教育を考えていた。さら に、一般教養教育の教育課程編成について審議 したのは第4特別委員会であった。議論を経る 中で、専門学部の要求により、当該学部の学問 領域が属する一般教養科目系列への偏りがみら れた。専門教育と一般教養教育の年限にとどま らず、一般教養教育そのものについても、その 形成過程において、本来の理念・制度がなし崩 しにされ、旧制からの既得権を守ろうとする動 きが働いていた。東京大学教養学部教官につい て、戦前の一般教養教育と連続性をみると、旧 制高等学校における教育が東京大学教養学部に おける一般教養教育へと引き継がれていた。し かし、研究業績による選考は、戦前における旧 制大学の研究及び専門教育機関としての体質を 残し、戦後導入された一般教養教育の充実を妨 げる要因となった。. 第5章では、これまでに調査し明らかにした 結果を整理するとともに、戦前・戦後の一般教 養教育の連続・不連続が、今日的問題にどう関 わっているのか、その問題の根元を明らかにし た。戦前・戦後の一般教養教育に連続面が残っ た要因として、(1)科目中心主義の継続と「総 合」原理の不採用(2)戦前における従来の大学 の既得権を守ろうとする意識(3)教養学部教官 の研究業績による選考があげられ、これらの要 因が、戦前とは不連続であったはずの戦後の一 般教養教育に連続面を残し、理念と実態との乖 離を生みだした。特に、戦前における従来の大 学の既得権を守ろうとする意識は、負の遺産と なって今日まで引き続いて存在し、今日的課題 の根元となっている。. 終章では、今後の大学教育及び一般教養教育 の方向性について論じた。. 主任指導教官 指導教官. 加治佐哲也 竺沙 知章.
(3) 平成11年度 学位論文. 新制大学発足時における一般(教養)教育形成過程に関する研究 ∼旧制高等学校と新制大学教養部との連続・不連続に焦点をあてて∼. 兵庫教育大学大学院. 学校鮪研究科 学校教育専攻 教育経営コース. M98060J 細 彦.
(4) 一目次一 序章 一般教養教育への問題関心 第1節 問題関心の基底一一一一…一一…一一…一一一一一一……一…一一一一一一一一一一一一一一一一一一…一一1. 第2節 研究の課題一一……一…一一一一一一一一……一一一一…一…一一…………一一一一一一一一一4. 第1章理念の連続・不連続 第1節 旧制高等学校の教育理念一一一……一一一……一一一一一…一一一一一一…一…一…一一一一10. 【1】旧制高等学校成立の背景(10) 【2】旧制高等学校の教育理念の変遷(11) 【3】旧制大学の理念との関係(13) 【4】まとめ(14) 第2節 アメリカの一般教育の理念一一一…一一…一……一一一一一一一一…一一一……一一一一一一一・14. 【1】アメリカの一般教育の理念(14) 【2】旧制高等学校の教育理念との比較(16). 第3節 新制大学における一般教養教育の理念…………一一一一一一一一一一一一…一………17. 【1】第1次米国教育使節団報告書が示唆した大学及び一般教養教育の理念(17) 【2】新大学制度の出発と一般教養教育の導入(18) 【3】旧制高等学校との連続・不連続(19). 第2章 教育課程の連続・不連続 第1節 旧制高等学校の教育課程一一一一………一…一一一一一一一一一一一一一一一…一一…一…一20. 【1】改正高等学校令以前の教育課程(20) 【2】改正高等学校令の教育課程(22). 【3】高等普通教育と大学準備教育との差異(23) 【4】旧制高等学校教育の分析及び考察(25) 第2節 アメリカにおける一般教育の教育課程一一一…一一一一一一一一…一一一一一一一一一一一……一一一・2g. 【1】アメリカにおける一般教育の教育課程(2g) 【2】旧制高等学校の教育課程との比較(32).
(5) 第3節 新制大学における教育課程の形成過程一………一…一一一一一一一一一一…一…一一一・33. 【1】大学基準における一般教養教育関係条項の成文化過程(34) 【2】アメリカの一般教育との関係(38) 【3】旧制高等学校との連続・不連続(39). 第3章. 第1節. 設置認可にみる一般教養教育の状況 大学設置委員会の設置と活動一一…一一一一一一一…一一一一一一……一一一一。一一一一一一一…・41. 第2節 新制国立大学の設置認可及び審査結果の概要………一一一一一…一一一一一…一…43 第3節. 「新制大学審査報告書要領」にみる一般教養教育の状況一……一……一一一一45. 第4節. 新制東京大学の設置認可申請及び審査結果の概要一一一一一一一一…一…一一一一一…47. 第4章 東京大学教養学部の一般教養教育 第1節 教養学部設立の基本構想一一一一…一一一一一一。一…一…一一一一一一……一一一…一一一一一…52. 【1】東京大学内における一般教養教育の位置(52) 【2】旧制高等学校との合併(56) 【3】施設・キャンパス及び収容定員(57) 第2節 教育課程の形成過程一一一一一……一…一一一一一一一一一一一一一一一一…一一…一一……58. 第3節 専門学部の一般教養教育への要求一一一……一一一……一一…一…一…一…一一一一一66 第4節 教養学部における教官の状況一一一一……一一一一一…一一…一一一……一一一一一…一一…72. 【1】設置認可申請書にみる教官の状況(72) 【2】教官の連続・不連続(73). 第5章. 研究のまとめと今後の課題. 第1節. 研究のまとめ一一……一一一一一一……一一…一…一一一一…一…一一一一一一…一……一一…79. 第2節. 一般教養教育の連続・不連続と今日的課題の根元一一一一一一…一…一一一一…一一一一一一・82. 第3節. 今後の研究課題一一…一…一…一…一一……一一一一一………一一一一一一……一…一一・83. 終章 一般教養教育の充実に向けて…一…一一一………一一……一一一…一…一…一…一…85. 参考文献…一一一一………一一一一…一一一一一……咀一一一一輯…ロー璽冒一一一一一…q開一咀一一一一璽巳巳一嘱鴨鴨一一’一90.
(6) 序章 一般教養教育への問題関心 本章では、第1章以下で一般教養教育における戦前・戦後の連続・不連続の考察を進め るにあたり、次のことを確認しておく。まず第1節において、今日の教育改革の現状と一 般教養教育の重要性に触れながら、一般教養教育への問題関心の基底を確認する。次に第 2節では、本研究全体の課題を明確にするとともに、先行研究との関係、本研究における 論の展開について述べることにする。. 第1節 問題関心の基底 1946(昭和21)年12月27日、教育刷新委員会が6−3.3.4制の新学制を建議し、戦後我が. 国において単線型学校制度がスタートすることになった。1949(昭和24)年に新制大学が 発足し、6−3−3−4制が全面実施されて、今年で50年目を迎える。敗戦を契機とする民主主. 義的野改革の一環として実施された学制改革のもとで、我が国の教育は、量的にも質的に も著しい発展を遂げ、教育の機会均等などの実現と全国的な教育水準の向上に寄与してき た。しかし一方で、今日の教育の現状は、児童・生徒を取り巻く急激な環境の変化の中、. 知識偏重の学力観や受験競争の加熱化、いじめや不登校の問題、青少年の非行の増加、家 庭や地域の教育力の低下など極めて憂慮すべき状況を生み出している。. このような状況を踏まえ、中央教育審議会は、1996(平成8)年7月、「21世紀を展望し たわが国の教育の在り方について」(第1次答申)をとりまとめ、今後の教育の在り方の基. 本的な方向として、子どもたち一人一人の個性を尊重し、「ゆとり」の中で自ら学び、考 える力や豊かな人間性などの「生きる力」を育むことが最も重要であるという考えに基づ き、学校の教育内容の厳選、完全学校週5日制の実施、家庭や地域の教育力の充実、学校 と家庭、地域社会との連携などの提言を行っている。また、1998(平成10)年7月に出さ れた教育課程審議会答申は、中教審答申を踏まえ、「完全学校週5日制の下で、各学校が ゆとりのある教育活動を展開し、子どもたちに『生きる力』を育む」ことを改善の基本的 視点に据え、教育内容の厳選、基礎・基本の定着、「総合的な学習の時間」の創設、など 教育課程の基準の改善について提言するとともに、各学校が創意工夫を生かし、特色ある 学校づくりを進める必要があることを指摘している。この答申を踏まえ、総合的な学習の 時間の創設、選択学習の一層の拡大、体験型学習の充実などを内容とする学習指導要領の. 一1一.
(7) 改訂が行われた。. 学習指導要領の改訂に伴い、初等・中等段階における学習内容の厳選、学習の選択幅拡 大によって、学習内容は大きく削減されることになった。しかし、それは一方で、自ら課 題を見つけ、自ら学び、自ら解決するという自己教育力を身につけさせることを狙いとす るものであり、生涯学習を見据えたこれからの社会を生き抜く力を育成しようとするもの. である。高度化、複雑化した現代社会を生き抜くためには、物事を多角的に捉え、豊かな 発想力や思考力が求められる。これらの改革によって、中等教育までの段階において、精 選された「ゆとり」のある学習の中で、問題解決能力など「生きる力」を身につけさせる ことができると思われる。. しかし、このような改革が、すべて好結果をもたらすかと言えば、そうとは言い切れな い。特に、後期中等教育における学習の選択幅拡大は、大学受験に有利な科目選択、自分 の興味・関心の強い科目選択、逆に苦手科目を回避するといった、非常に偏った選択履修 を可能にしている。今日の高校生を取り巻く環境から考えて、上記の理由により、選択科 目の内容に偏りが出ることはやむを得ないともいえるが、提供する高等普通教育としての 中身が、非常に幅の狭いものになってしまっていると考えられる。 そこで、高等教育における一般教養教育が注目される。中等教育段階までに培われた「生 きる力」を生かし、自分にとって苦手あるいは未知の分野を学ぶことにより、知識ととも に知恵を養うことができると考えられる。中等教育段階までに培われた問題解決能力など 「生きる力」は、程度も低く、幅の狭いものである。高等教育において一般教養科目を学. ぶことで、その幅をさらに拡大し、複雑で多様化した社会を生き抜く力をさらに発展させ ることができると考えられる。さらにそれは、専門科目を学習する際にも、これまでにな い発想や取り組みに繋がることが期待できる。少子化による希望者全入時代1を迎え、高 等教育における一般教養教育は、今後より一層重要な役割を担うものと考えられる。. 一般教養教育の必要性は大学審議会答申(21世紀の大学像と今後の改革方策・1998年 10月)にも盛り込まれ、社会の高度化・複雑化等が進む中で、課題探求能力の育成が重要 な課題であり、そのためには、「学問のすそ野を広げ、様々な角度から物事を見ることが. ・1大学審議会答申は、18歳人口は2009(平成21)年には120万人、大学入学者は70万人 と試算し、大学を選ばなければ希望者全員が入学できると予測している。. 一2一.
(8) できる能力や、自主的に・総合的に考え、的確に判断する能力、豊かな人面性を養い、自. 分の知識や人生を社会との関係で位置付けることのできる人材を育てる」という一般教養 教育の理念・目標の実現に向けたより一層の改善・整備が必要であることが強調されてい る。高度な課題探求能力を身につけるために、幅広く学問に触れ、高度な知識を身につけ ることは必要不可欠であり、一般教養教育が果たすべき役割も大きいと考えられる。 ◇教育改革と大学改革の動向. 1979(昭和54)年. 教 育 改 革. 大 学 改 革. 西暦(元号)年. 共通一次試験開始 「ゆとりの時間」. 1980(昭和55)∼ 1983(昭和58)年. ・授業時間数10%削減. 1987(昭和62)年. 臨時教育審議会答申答申 ・個性化 ・自由化. 1990(平成2)年. センター試験開始. 1991(平成3)年. 大学審議会答申 ・大学設置基準の緩和 @ ↓各大学の自主的改善努力 教養部改組. 1992(平成4)∼ 1994(平成6)年. 改訂学習指導要領 ・生活科(小). ↓. 一般教育科目の改革:. ・選択幅の拡大(中・高). ↓. 1996(平成8)年. 第15期中央教育審議会答申. スくの問題点. ↓・教養教育軽視・ ↓・専門教育が狭い領域に. ・ゆとり. ・生きる力. @限定、など ↓. 1998(平成10)年. 大学審議会答申 ・学部教育の強化(課題探求能力 の育成、教養教育の強化). しかし、一般教養i教育提供の状況はどうであろうか。1991(平成3)年6月、大学設置基. 準の大綱化が実施され、従来の一般教育科目、専門教育科目等の開設授業科目及び卒業要 件における科目区分の廃止、教育課程概念の導入、単位計算方法の弾力化等が可能になり、. その結果、一般教養教育の担当部局であった教養部が改組され、一般教育は全学共通科目. などの名称に変わり、すべての学部がそれぞれ責任を持って担当することとなった。大学. 基準の大綱化により、一般教養教育を担当する組織はなくなったが、これまでの1,2年 次における教養部による一般教養教育の提供から、全学部がそれぞれ責任をもって4年間 一般教養教育を提供することで、専門教育との有機的連関を深め、一般教養教育を格段に 充実させようとする狙いがあった。しかし、現実には一般教養教育の全体的削減・縮小と. 一3一.
(9) いう傾向を生み出すことになった。さらに、昨今の大学における教育改革をみると、学生 の興味・関心に沿った高度な専門教育に力点を置く大学が現れるなど、現実にはその理念 ・目的が反映した形で実践されていない例もみられる。ウ2. 今日、大学教育の目的、そこに至るための手段を再検討することが求められている。そ れは同時に、大学教育における一般教養教育の目的、それに至るための手段の再検討をも. 包含したものである。今日の教育改革の流れの中で、今後、大学教育に占める一般教養教 育の重要性が増すことは疑いのないところであるが、今日の現状及び今後の見通しは暗い といわざるを得ない。高等教育を受けたすべての学生が、高度な課題探求能力を身につけ るべく、幅広く学問に触れ、高度な知識を身につけるために、大学制度及び一般教養教育 をどのようにすればいいのだろうか。. ◇大学設置基準大綱化による一般教養教育提供制度の変化 各専門学部. 4年. 皐. L. 黷P専博1専博; l l ll. l 蓼. l 1. 4年. 9門1門1門1門1門. 専門科目. 3年 ヒ. 一. 一. 一. 一. 一. 一. 一. 一. 噂. 層. 冒. 一. →→→→. 一. ウ 養 部. 2年. 全. w 、 2年 ハ ネ目. 3年 ?l l l. w1学1学1学1学 奄奄奄鴛煤G部1部1部1部酵. 一般教養科目. 1年. 1. 6. ,. 専. 門 科 目. 1年 〈大綱化後〉. 〈大綱化前〉. 第2節研究の課題 一般教養教育は、戦後の教育改革によって、初めて我が国の大学教育の中に取り入れら. れた教育計画であり、1949(昭和24)年の新制大学発足の際、大学教育を支える重要な柱 として位置づけられた。人文、社会、自然の諸科学を包括する総合的な判断力を養い、自. 主的な社会の構成員としての人間形成を目指すものとして導入された。敗戦を契機として. ・2大学教育学会が倉敷芸術科学大学教養学部に委嘱して行った調査r大学の教養教育に. 関する実態調査』(1999年2月調査、4年制大学528校、短期大学213校が回答)による と、大学設置基準大綱化以降、4年制大学の68%、国立大学では90.0%が、卒業要件と して求めている一般教養教育の単位数(旧人文・社会・自然科学分野)を「減らした」と回. 答していた。また、少数ながら「一般教養教育を廃止して専門教育に組み込んだ」という 報告があった(校数は未発表)。. 一4一.
(10) 我が国の社会機構が民主的に変革されるとともに、学術の研究や職業教育の必要と同時に 人間完成を目指す人間教育の重要性が強調された結果であった。. しかし、一般教養教育は、その後の経過の中で順調な成長と定着をみることなく今日に. 至っている。一般教養教育は、戦後常に重要性が謳われながら、現実にはうまく機能しな い状況が続いているのである。現在の大学制度は、先に述べた大学設置基準の大綱化によ り緩和されたが、新制大学発足以降、大きな枠組みは変化していない。つまり、一般教養 教育に関して、現在起こっている混乱や問題は、戦後大学改革の理念の空洞化や制度的・ 技術的限界として今日それが形となって現出したものといえる。. 一般教養教育の理念・制度が、その出発点から「空洞化」「形骸化」の道を辿ることに なった要因はどこにあるのだろうか。その答えを導き出す手がかりとして、国立学校財務 センター教授である天野郁夫の言葉に着目したい。彼は、今日の一般教養教育問題につい て、次のように述べている。「教養教育が重要だ、必要だと言われて、それに反対する者 は誰もいない。ところが具体的な話になると違ってくる。例えば、誰が教養教育を担当す るのかになると、教養教育支持者でも、とたんに自分の役割でないという顔をする。また. 専門教育は大学院に譲り、学部段階は完全に教養教育化したらどうかなどと主張しようも のなら、学部内で総スカンを食う。「総論賛成・各論反対」の典型例が、この教養教育問 題である」。’3この言葉から、今日の一般教養教育に関して、理念と現実との間に大きな. 溝があることを理解することができる。一般教養教育の理念と実態の乖離、これが本研究 のキーワードであり、新制大学誕生から今日まで一般教養教育の重要性が謳われながら、 「空洞化」「形骸化」の道を辿ってきた大きな原因であった思われる。つまり、敗戦を契. 機とする民主主義二二改革の一環として実施された学制改革のもとで、新制大学及び一般 教養教育の理念は導入され、具体的な制度として結実していった。しかし、出来上がった 制度が、いくつかの要因により、その形成過程において、本来あるべき一般教養教育の理 念から大きく歪曲したと考えられるのである。. 一方、戦前において、一般教養教育提供の役割を担っていたのが旧制高等学校であった といわれる。旧制高等学校は、学校教育法の公布に伴い、廃止されたが、新制大学発足時 に包括され、教養部や教養学部・文理学部などに引き継がれた。したがって、戦前の旧制. *3『内外教育第4991号』1999(平成11)年2月23日付. 一5一.
(11) 高等学校と戦後の新制大学教養部との問には繋がりがある。しかし、アメリカの占領政策 の下、戦後の学制改革及び教育改革を通じて、大学及び一般教養教育は、その役割、内容、. 環境など、多くの面にわたって大きな変化を遂げた。その結果、戦前までの大学及び一般 教養教育とはまったく違う、新しい大学、新しい一般教養教育が誕生したと考えられる。. 新しい学制の下、新制大学及び一般教養教育がスタートを切るにあたり、戦前・戦後で 変わった部分、変わらなかった部分は当然存在していたと考えられるが、ここに問題があ ったように思われる。つまり、変わらなかった部分、旧制からの連続面を色濃く残した部. 分が、一般教養教育の出発点における理念と現実との乖離を引き起こし、本来あるべき一 般教養教育を大きく歪曲させた可能性が高い。さらに、付け加えれば、それが負の遺産と して今日的課題の根元となっている可能性がある。これらの点から、旧制高等学校教育及 び戦後新制大学に導入された一般教養教育の理念・制度を評価し、両者の連続・不連続を 整理することは重要であると考える。. ◇戦後改革による一般教養教育提供制度の変化. 6年 旧制大学. 5年. 〈新制大学〉. 専門科目 @(3年). 4年. 各専門学部. 3年 旧制高等学校. 2年. 4年 3年. 一般教養科目 @ (3年). →→→→→→. 1年 〈戦前〉. 専門科目 @(2年). ? 一 一 一 層 一 一 ■ 一 一 r 一 一 一. ウ養部 カ理学部. w芸学部など. 2年 1年. 一般教養科目 @ (2年). 〈戦後〉. 本研究では、旧制からの連続面が色濃く残った要因を以下に絞り、一般教養教育の理念 と実態との乖離をみる視点とする。まず第1に、新制大学早期実施と財政的問題との関係 があげられる。短期間に新学制(単線型・6−3−3−4制)を実施をしたために、計画に現実的. 財政的裏付けが追いつかない状況が生じ、その結果、新制大学及び一般教養教育の理念達 成に向けた基本的環境整備ができず、当初の計画とはまったく違った状況での実施を余儀 なくされたと考えられる。. 第2には、旧制大学側との関係があげられる。戦後の学制改革により、大学の年限は3. 年から4年へと延長されたが、大学への一般教養教育導入により、専門教育の年限は3年 から2年に短縮されることとなった。この年限の短縮が、旧制大学側の既得権を守ろうと する動きに結びつき、一般教養教育の出発点における理念と現実との乖離を引き起こした. 一6一.
(12) 可能性がある。つまり、従来の専門的学問水準を下げないよう、旧制大学からそのまま受 け継がれた専門教育の計画を保持しようとする意識が、一般教養教育の形成過程に大きな 影響を与えたと思われる。. これらの点は、全体的状況及び形成過程よりも、個々の大学におけるそれをみることに より、さらに明確なものとなって表出してくると考えられる。そういう意味で、個別大学 を対象に改革議論及び形成過程をみることは非常に重要である。. そこで本研究では、以上のことを仮説として、その検証を研究の目的とする。本研究で 明らかにするのは以下の点である。. (1)戦前の旧制高等学校における一般教養教育と戦後新制大学に導入された一般教養教育 との連続・不連続を明らかにする。. (2)仮説であげた連続面を色濃く残すことになった要因が、新制大学発足時における一般 教養教育の形成過程にどのような影響を与えたのかを明らかにする。 (3)旧制からの連続面と一般教養教育の今日的課題との繋がりを明らかにする。. ◇本研究の仮説 アメリカから導入された一般教育の理念 コ. コ. 戦前 ↓ 1本来あるべき 1 一般教養教育 →→→→→→→→→→→ i戦後一般教養教育i (旧制高等学校) (理念・教礁狸・鞘船一不連続)1(新制大学) l. 単線型学校制度の導入(5.3.34制実施). 新制大学早期窺と財政的問題. ↑. 乖離. 旧制大轄門学部の既雛を守る動き. 戦前の. 一般教養教育. (旧制高等学校). l. l. ↓. ↓. 教育に関. 実態としての. 一般教養. する今日. →→→→→→→→→→→ 戦後一般教養教育 →→ 的問題・ (理念・教育課程・鮪内容一連続). (新制大学). 負の遺産 課題. 本研究では、全体の構成を以下の7章に分けて考察する。まず第1章では、一般教養教 育の理念について、戦前レベルでの一般教養教育の到達点を押さえた上で、アメリカから. 導入された一般教育の理念がどういうものであり、それが戦後日本にどう反映したのか比 較分析的考察を行うとともに、戦前との連続・不連続を明らかにする。第2章では、戦前 の旧制高等学校、アメリカにおける一般教育の教育課程を押さえた上で、アメリカから導 入された一般教養教育の理念が実際の新制大学の教育課程にどう反映したのか比較分析的 考察を行うとともに、戦前との連続・不連続を明らかにする。第3章では、個別大学にお ける一般教養教育の形成過程及び連続・不連続を明らかにする前提として、個々の新制大. 一7一.
(13) 学における一般教養教育がどのような状況で出発したのか、そこに新制大学早期実施と財 政的問題の影響はなかったのか、大学設置委員会の審査結果及び概要をもとに明らかにす る。第4章では、個々の大学が、一般教養教育の理念をどう捉え、どのような構想をもと に教育課程を編成していったのか、そこに旧制大学側の既得権を守る動きがなかったのか を検証するために、東京大学教養学部における一般教養教育の形成過程及び戦前との連続 ・不連続を明らかにする。なお、東京大学を調査対象校としたのは、東京大学が1877(明. 治10)年創立の日本最古の国立大学であり、近代高等教育の中心的存在であったことが大 きな理由である。つまり、東京大学における一般教養教育の形成過程及び出発点の実態を. 調査し得られた結論が、他の大学を対象としたそれに比べ、新制大学の実態を推測する上 で重要な示唆を与えてくれると考えられる。第5章では、これまでに調査し明らかにした 結果を整理するとともに、戦前・戦後の一般教養教育の連続・不連続が、今日的問題にど う関わっているのか、その問題の根元を明らかにする。そして最後に終章として、今後の 大学教育及び一般教養教育の方向性について論じていくこととする。 最後に、本研究の課題に直接関係している主な先行研究との関係について述べておく。. まず、これまでの戦後日本の教育改革と大学教育との関係についての研究として、海後 ・寺崎著『大学教育』(1969年)がある。その中で、一般教養教育は一つの領域としてと りあげられ、新制大学発足にあたって一般教養教育がいかに制度化されたのか、その導入 に至る経緯について検討がなされるとともに、理念・制度両面から考察が行われている。 しかし、それは全体的動向からの考察であり、個別大学における一般教養教育の形成過程 まで掘り下げて考察されたものではない。また、戦前・戦後の一般教養教育についての記 述はあるが、その連続・不連続に焦点をあてた詳細な記述はなされていない。. 次に、大学基準の準備過程及びその成立に関わる諸過程を明らかにした研究として、大 学基準協会編r大学基準協会十年史』(1957年目がある。さらに、旧制高等学校制度の持 つ歴史的意義や位置を意識的に解明し評価しようと試みた研究として、中島太郎『旧制高 等学校の成立』(1957年)、『旧制高等学校の変遷(1)』(1963年)、『旧制高等学校の変遷(皿. ・皿)』(1965年)がある。いずれの先行研究も、現在なお、それぞれの領域における研究. の基礎に置かれるべき基本的業績である。これらの先行研究がその領域における全体的動. 向・背景をもとに考察が加えられているのに対し、本研究は、戦後新制大学における一般 教養教育の形成過程を明らかにする中で、戦前の旧制高等学校における一般教養教育との. 連続・不連続を整理し考察するものであり、先行研究とはその領域及び関心が異なってい. 一8一.
(14) る。. なお、本研究では、戦前・戦後の連続・不連続を論じる上で、原則として「一般教養教 育」という用語を用いる。本研究の対象としている時期、新制大学発足時に用いられてい たのが「一般教養教育」であったのがその根拠である。「一般教養教育」という用語は、1950. (昭和25)年の大学基準改訂の際、「一般教育」と変更された。しかし、この名称変更は、 理論的反省の結果なされたものではなく、単なる用語の統一が目的であった。’4その後、. 1991(平成3)年の大学設置基準の大綱化以降、「教養教育」と呼ばれるようになり今日に 至っている。このように、戦後日本において、これら用語は、広義に大差なく解釈され、 厳密に区別されて用いられていない。しかし、アメリカでは、「教養教育」と「一般教育」. の相違は歴史的に存在していた。ここではその詳細には触れないが、記述の中で、若干で はあるが、「一般教育」「教養教育」の用語を使う場合があることを付け加えておく。. ・4海後宗臣・寺崎昌男『大学教育』東京大学出版会、1979、406頁. 一9一.
(15) 第1章 理念の連続・不連続 第1節 旧制高等学校の教育理念 旧制高等学校は、我が国独自の高等教育機関であり、1886(明治19)年文部大臣森有礼 の実施した学校制度全般にわたる改革の一環として制定された中学校令に規定された高等 中学校が起源である。ここでは、旧制高等学校制度が成立した背景を探るとともに、旧制. 高等学校の教育理念の変遷及び旧制大学の理念との関係に触れた上で、旧制高等学校の教 育理念がどういうものであったかを考察する。. 【1】旧制高等学校成立の背景. 我が国が近代国家として発足した後、全国的に施行された最初の教育法規は、1872(明 治5)年の学制であった。学制は、学校制度を大学・中学・小学と区分し、大学は中学を 経て、中学は小学を経て進学する仕組みであり、上下の有機的連関を一貫して保持する形 態を備えていた。学制の理念に従えば、単線型の学校体系が確立されるはずであった。. しかし、実際には、明治初期に発足した高等教育機関は、小学・中学の系統の完成を待 つことなく、外国人教師による欧米の学問や技術の伝習機関として成立していった。近代 国家として、欧米列強に対抗して、日本の独立を保持するために、早急に欧米の文物を導 入する必要に迫られていたためである。したがって文部省のみならず、司法省・大蔵省・. 工部省・開拓使・内務省・農務省等の各省が学術や技術伝習のための外国人教師による高 等教育機関を設置した。. 中でも太政官は徳川幕府が創設した開成所や医学所を1868(明治元)年には早くも復興 して新政府の洋学機関として活用し、1871(明治4)年に文部省が創設されると、その所管 を移し、1877(明治10)年には、この両校を合併して東京大学を創設した。東京大学は、 欧米の学術・文化を我が国に移入する役割を担っていたため、その教授研究の学術的活動 は極めて高度な洋学を中心に行われた。したがって、大学に入学する学生は、大学におけ る専門学問の基礎的知識と外国語の修得が必須条件であった。. ところが、当時、本来大学に直結すべき中学校高等教育科の教科内容は、その程度が低 く、特に英語教師の人材を確保することが困難なために、それが著しかった。そのため、 大学が要求する入学条件を高等中学科で満たすことは不可能であった。このような事情の. 下、東京大学の入学に必要な準備教育を行う機関を別に用意する必要が生じ、文部省所管. 一10一.
(16) の国立の教育機関である東京大学予備門が創設された。東京大学予備門は、後の第一高等 中学校である。. 以上の通り、大学に直結すべき中学校の高等中学科の教育が不完全であり、大学があま りにも高度な専門予備知識と外国語の知識を要求したことが、正規の中学校に代わって、. 実質的に大学入学に必要な教育を施す特別な教育機関を発展させる結果に繋がった。そし て、そのことが旧制高等学校制度の成立の大きな背景になったと考えられる。 ◇東京大学予備門・高等中学校・高等学校の学校経路図. 18 17 16 15 14 13 12 11 10 9 8 7 6. 5. 4 3 2 1. 子. 24 23 22 21 20. 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10 9 8 7. 東京大学. 帝国大学 帝国大学. 帝国大学. 高等学校. 東京大学 中学校. ¥備門 中学校. 遠剪?w科. 尋常 中学 校. 蜉w予科. 予科 中学校 補. 題. 小学校. 小学校. 1877−1885. 1886−1893. 小学校. 1894−1918. 高等学校. s刮ネ 中学. Z. 尋常. ネ. 小学校. 1919−1941. 出典:佐竹和世「旧制高等学校とは何か(旧高史D一旧制高等学校史研究序説」『旧制高等学校研究』第1号1974. 【2】旧制高等学校の教育理念の変遷. 1886(明治19)年、文部大臣森有礼は、学校制度全般にわたる改革を実施し、その一環 として中学校令を公布した。そこで規定されたのが、旧制高等学校の前身である高等中学 校である。第1条において、「中学校は実業に就かんと欲し叉は高等の学校に入らんと欲 するものに須要なる教育を為す所とすジ1と規定し、男子に対して上級学校進学のための 教育(本科)と職業準備的な教育(分科)の双方を行うことになっていた。しかし、東京大学. 予備門と同様、高等中学校は帝国大学入学者のための予備教育機関であった。. 1894(明治27)年、高等学校令が公布され、高等中学校は高等学校となった。第2条に おいて、「高等学校は専門学科を教授する所とす。但し帝国大学に入学する者の為め予科. ・1教育史編纂三編『明治以降教育制度発達史 第3巻』竜吟社、1938、150頁. 一11一.
(17) を旧くることを得」蓼2と規定され、これによって高等学校は専門教育を主とする教育機関 として位置づけられた。これにより、分科・専門部が整備・拡充(4年)され、本科は大学 予科(3年置となった。高等学校各学部には、帝国大学にならって、その学科目が定められ、. 講座制が布かれた。しかし実際には、専門教育を施す専門部は発達せず、かえって大学予 科が中心となって発展していった。霧3 ◇大学予科・専門部別高等学校生徒数(明治21−39年) 叉. 明 21 明口22 明 23 明 24 明 25 明治26 明治27 三口28 明治29 明 30 コ口31 三口32 明 33 明 34 請口35 諸口36 明 37 明 38 明 39. 法子。 0. 三子ロ. 医 ロ. 1325 1224 1319 1300 1327 1409 1423 1404 1580 1556 1611 1806 1944. ×. 0 18. ×. 34 46 47 70 109 55 42 19. ×. × × ×. ×. 95 140 127 163 136 113 138 170 172 184 191. ×. 214. ×. ×. ×. ×. 0 0 × × ×. × × × ×. 子予・. 2614 2613 3019 3108 3070 3027 1909 2275 2580 2675 2898 3171 3602 4191 4906 4890 4755 4690 4534. 出典:中島太郎「旧制高等学校制度の成立」r東北大学教育学部研究年報』第5集1957、 「1日制高等学校制度の変遷(1)」『東北大学教育学部研究年報』第11集1963、一部改変して作成. 1918(大正7)年12月、臨時教育会議の答申に基づいて、高等学校令が公布された。第 1条において、「高等学校は男子の高等普通教育を完成するを以て目的とし特に国民道徳 の充実に力むべきものとすゴ4と規定して、高等学校における教育の性格を、旧高等学校 令の高等専門教育機関的な性格を修正し、高等普通教育の完成機関であることを明示して いる。これにより、高等学校は、大学準備教育としての性格を制度上除くこととなった。 しかし、法制上は完成教育機関であったが、実際には高等学校の卒業生のほとんどが、帝. *2『明治以降教育制度発達史 第3巻』207頁 ・31894(明治27)年における高等学校の生徒数は、専門部(法・工・医)の合計が1,588人、. 大学予科が1,909人であった。1906(明治39)年、第五高等学校工学部が熊本高等工業専門 学校となるに及び、高等学校専門部はすべて姿を消すことになった。. ・4教育史編纂三編r明治以降教育制度発達史 第5巻』竜吟社、1938、233−236頁. ,12..
(18) 国大学あるいはその他の官立大学に進学していた。高等学校令に強い影響を与えた臨時教 育会議答申の理由書は、高等普通教育と大学準備教育との関係について、「大学教育は之 を受くるに相当の準備教育なかるべからず現時に於ては帝国大学の準備教育は高等学校大 学予科に於て之を授くと錐本来専門の教育は普通教育の基礎の上に立つべく大学教育も亦 完全なる普通教育を其の基礎とするは相当の事と云はざるべからず」と述べている。5大 学教育を受けるための準備教育として、特別な準備教育は必要なく、高度な高等普通教育 で十分足りるとする見解であった。. 【3】旧制大学の理念との関係. 旧制高等学校の教育理念の変遷を法制で整理すると、1886年の中学校令、1894年の高 等学校令、1919年の高等学校令という3つの段階があったと考えられる。つまり、高等 中学校は大学準備教育と職業準備教育、1894年以降の高等学校は専門教育と大学準備教 育、1919年以降高等学校は高等普通教育、を行う教育機関として位置づけられた。. 前述したが、旧制高等学校制度は、実質的に大学準備教育を施す特別な教育機関が発展 し成立した。旧制高等学校制度が成立した背景から、旧制大学の教育理念及び旧制高等学 校との関係をみていく必要があると考えられる。. 日本最初の大学は、1887(明治10)年創設の東京大学であった。東京大学創設は、文部 省の布達によって宣言されたが、「文部省所轄東京開成学校、東京医学校を合併し東京大 学と改称候條此旨布達候事」寧6とあるに過ぎず、大学の理念は法制上存在しなかった。. 大学の目的を最初に規定したのは、1886(明治1g)年の帝国大学令であった。第1条に おいて、「帝国大学は国家の須要に応ずる学述技芸を教授し三三纏奥を攻究するを以て目 的とす」’7規定し、国家主義的な大学理念を明示した。帝国大学は、国家の期待そのもの. であり、近代国家建設に向けた指導的役割を果たすべき人材育成、官僚養成機関であった といえる。. 大学の理念を示した規定が改正されたのは、1919(大正8)年の大学令であった。第1条. ・5文部省『臨時教育会議要覧』1919、44頁. ・6教育史編纂会編『明治以降教育制度発達史 第1巻』竜吟社、1938、731頁. ・7r明治以降教育制度発達史 第3巻』150頁. 一13一.
(19) において、「大学は国家の須要なる学術の理論及応用を教授し並白薙奥を攻究するを以て. 目的とし兼て人格の陶冶及国家思想の酒養に留意すへきものとすゴ8と規定された。「人 格の陶冶及国家思想の酒養」という文言が加わったが、国家主義的な大学理念に基本的な 変化はなかった。. 【4】まとめ. 以上のように、戦前の大学は、その目的が国家への奉仕、つまり国家の維持・発展に必 要な各分野の指導的人材を育成することを明確に規定し、国家的な有用性を追求する場と して存在していた。先に述べたとおり、旧制高等学校制度は、発足後、法改正を経て、そ の理念を変化させた。しかし、実際には、法改正が示すねらいを達成することはできず、 旧制高等学校卒業者のほとんどが帝国大学もしくはその他の官立大学に進学した。つまり、. 旧制高等学校は、実質的に大学準備教育としての機能を果たしてきたのである。旧制高等. 学校制度の出発が大学準備教育を施す機関であったこと、旧制大学の理念が戦前を通じて 終始国家主義的理念を貫いていたことが、法制上は教育理念が変化しながらも、実質的に 大学準備教育としての機能を果たしてきた大きな要因であったと考えられる。しかし、理 念上、旧制高等学校は、1919(大正8)年の高等学校令改正以降、大学準備教育としての性. 格を制度上除く、高等普通教育の完成機関となった。旧制高等学校における一般教養教育 の提供もこれ以降行われたとみるべきである。. 第2節 アメリカの一般教育の理念 本節では、アメリカにおける一般教育の理念を確認するとともに、前節で明らかにした 旧制高等学校の教育理念との違いを明らかにする。. 【1】アメリカの一般教育の理念. 戦後日本において、大学に一般教養教育を導入する直接の契機は、第1次米国教育使節. 団報告書の勧告(1946年3月〉であった。第1次米国教育使節団報告書における一般教育 の主張・提言は後節で詳しく述べることとするが、ここでは、第1次米国教育使節団報告 書の根拠となった一般教育の理念、アメリカから導入された一般教育の理念がどういうも. ・8『明治以降教育制度発達史 第5巻』479頁. 一14一.
(20) のであったのか、当時のアメリカにおける一般教育の理念とその背景について確認する。 1940年代のアメリカにおいて、新しい一般教育の指針として、特に重要視されたのが、. 通称「レッドブック」、正式には、ハーヴァード大学一般教育委員会の報告書『自由社会 における一般教育』”General Education in a Free Society,Report of the Harvard Committee,1945”. であった。同報告書は、ハーバード大学総長コナントによって任命された12名の委員会 の共同研究の成果であり、当時のアメリカはもとより、日本の一般教養教育に大きな影響 を与えたとされる。り. 報告書は、一般教育の基底を人間性に結びつけ、開かれた世界における個人の社会的価 値を問題にしていた。報告書によると、一般教育の目的は、「責任ある人間存在と市民」. の養成にあり、そのために、「有効な思考、伝達、適当な判断、価値の判定」をなし得る 能力を養うことにあり、その具体的方法として、「自然界、人間生活、人間の内的憧憬と 標準」について知識を与えることによってなし得るとしている。’10言い換えると、一般教. 育の目的は、優れた市民の育成であり、社会の動きの中で自主的な価値判断と態度決定し 正しく行動する社会人の育成であった。その達成に用いられたのが、「均衡」と「総合」. の原理と方策であった。具体的には、学問分野を人文科学・社会科学・自然科学の3分野 に分け、学生に各分野の知識を幅広く習得させるとともに、科目本位に囚われず、内容に よっては数科目を総合し、学科目の境界・区別を考慮せずに教授することであった。 こういつた新しい一般教育が要求され、主張された背景として以下の点が考えられる。. まず第1に、学問研究の甚だしい分化があげられる。19世紀半ば以降、高等教育に農業 や工業など実用的な学問、経営学や新聞学など社会生活に必要な様々な学問が取り入れら れ、それまでのギリシア・ラテンの代わりに、近代外国語の必要と意義が認められるよう になった。また、学問自身の発達、特に自然科学の領域が多用な専門化を遂げたことによ. って、これまでの教養教育では対応が困難になり、様々に分裂した諸学問に対し、何か共 通の基礎になるような知識を授ける必要が生じてきた。. 第2に、社会的変化があげられる。アメリカの社会機構と社会組織が、より社会的、民. *9海後・寺崎、前掲書429頁 ・10山本敏夫「自由社会のおける一般教育」一般教育研究会編『大学一その理念と実際』. 國元書房、1950、266頁. 一15一.
(21) 主的に変化し、これまでのいわゆる個人的自由ではなく、社会的自由が社会生活の基調と. なっていった。こうした社会的変化によって、大学における一般陶冶というものも変化が 求められ、新しい社会の要請に基づく一般教育のあり方が根底から反省されることになっ. た。つまり、これまでの紳士養成を目的とした教養教育ではなく、現代社会に有効に生活 し得る優れた市民を育成するための一般教育が要求されるようになった。. 第3に、社会的変化に伴う教育的背景として、高等教育の急速な大衆化があげられる。. 1945年における大学の学生数は150万人、さらに戦争終了後は300万人近くに達し、大 学教育が庶民、いわゆる中産階級の子弟の教育になってきた。つまり、学生の量的変化が 質的変化を生み出すことになり、これによって大学における一般教育の変化が根本的に必 要になってきた。’11. 【2】旧制高等学校の教育理念との比較. 戦前における日本の大学は、国家主義的理念の下、国家の維持・発展に必要な各分野の 指導的人材の育成を目的とした研究型の大学であった。旧制高等学校における一般教養教 育は、そうした大学教育の基礎を与える準備教育としての役割を担っていた。アメリカの 一般教育が人間性に基底を持っていることはすでに述べた。1919(大正8)年高等学校令が. 旧制高等学校を完成教育機関と位置づけており、旧制高等学校における教育理念も人間性 の基底を有していたといえる。しかし、国家主義的色彩の濃い戦前において、旧制高等学 校の一般教養教育は、外面的な社会的関係を回避し、内面的な個人の人格の完成を理想と していた。言い換えれば、閉じられた世界における個人の人間的価値のみを問題にしてい たと考えられる。. アメリカにおける一般教育の目的は、「責任ある人間存在と市民」の育成、言い換えれ ば、「民主主義の市民」の育成であった。「民主主義の市民」とは、国家全体の中で各個 人個人が政治を行い支配する指導者を指し、「民主主義の市民を教育する」というのは指 導者を教育することである。各個人共通の政治あるいはその国の進むべき方向に対し、自 主的に総合的な判断力をもって諸々の価値の選別や態度決定を行い、それを行動に移す実. ・11木村健康・玉轟文一他、一般教育研究会編『大学一その理念と実際』國元書房、1950、9−10 頁. 一16一.
(22) 行能力を持った人を一般教育によって育成しようというのが基本的な考え方である。. 第1次米国教育使節団報告書が指摘するとおり、旧制高等学校及び大学予科における一 般教養教育は、国家主義的色彩の濃い戦前の学校制度下にあって、極めて少数のエリート にしかその機会を与えられていなかった。先に述べた当時の日本とアメリカの社会事情・ 教育的背景の相違によるところが大きいと思われるが、いずれにしても、国民に開かれた、. 大衆化・普遍化を指向した、1940年代のアメリカの大学及び一般教育の理念と旧制高等 学校における一般教養教育の理念とはまったく異なっていたことが理解できる。. 第3節 新制大学における一般教養教育の理念 本節では、戦後教育改革によって形成された大学及び一般教養教育の理念を確認すると ともに、日本に導入された一般教養教育の理念がアメリカの一般教育の理念をどの程度反. 映していたのか検証する。さらに、戦前の旧制高等学校における一般教養教育の理念と戦 後の新制大学におけるそれとの連続・不連続を整理し明らかにする。. 【1】第1次米国使節団報告書が示唆した大学及び一般教養教育の理念. 第1次米国教育使節団は、1946(昭和21)年3月31日、マッカーサーに提出した報告書 の第6章を「高等教育」(Higher Education)と題して、ここに新しい高等教育の制度と理. 念を示唆した。報告書によると、すべての現代教育制度の「王座」として大学を位置づけ るとともに、「自由社会」における大学の職能を3つ掲げた。それは、(1)学問・思想・ 研究の自由の保持と、それに基づく真理の探究を媒介とした社会への奉仕(2)将来、社会 の指導者たるにふさわしい青年男女のための一般教養教育(3)専門的職業のための訓練と. いう3つの機能を意味していた。また、研究と教育を学部と大学院に分離せず、まったく パラレルのものとして示唆した。さらに、「教育」の内包に、市民の指導者育成のための 教育を加え、このような意味での研究と教育を、大学は「平等の関心をもって」行うもの としたのであった。第1次米国教育使節団は、大学を社会的啓蒙の源泉として位置づけ、 これに研究、専門職業教育、一般教育の統一的遂行を期待したのであった。’12. 以上のような大学の理念を示した上で、報告書は新制大学における一般教養教育につい て勧告している。前節でも述べたが、大学に一般教養教育を導入する直接の契機となった. ・12海後・寺崎、前掲書69頁. 一17一.
(23) のは、第1次米国教育使節団報告書であった。報告書は、“Curriculum of Colleges and Universities”の項で、一般教養教育の導入を次のように勧告していた。「我々の考えでは、. …日本の高等教育機関の教育課程においては、大概は普通教育の機会が余りにも少なく、. その専門化が余りに早く、また余りに狭く、そして職業的あるいは専門家的傾向が余りに 強すぎる。自由な思考に対する多くの背景と、職業訓練の基礎づけることのできるより優 れた基盤とを与えるために、より広範な人文的態度が培われなければならない(abroader humanistic attitude should be cultivated)…」。零13. 第1次米国教育使節団報告書はこのあと、一般教養教育がそれぞれの学生の正規のカリ キュラムの中に正しく統合されるべきこと、普通教育の他にも固有の専攻分野に関連する. 諸学科目がもっと自由に取り入れられるべきことなどを指摘するとともに、外国語、自然 科学系、社会科学系の学習のもつ本質的意義を説いていた。 第1次米国教育使節団報告書の提言を要約すると、(1)一般教育を強化拡充する(2)一般. 教育を正規の課程として準備する(3)専門教育との関連において正しく位置づけることで あった。. 【2】新大学制度の出発と一般教養教育の導入. 第1次米国教育使節団報告書の勧告を具体的方策として進展させるべく設置されたのが 教育刷新委員会(1946年8月10日設置)であった。教育刷新委員会は、報告書勧告の線に そって総司令部や文部省と緊密に連絡調整を図りながら審議をすすめ、同年12月27日、 高等学校に続く学校は4年制の大学を原則とするとの建議(単線型学校制度・6−3−3−4制の. 導入)を採択し、大学の原則的な修業年限と下級教育機関との接続関係を明らかにした。 しかし、教育刷新委員会における一般教養教育に関する議論は、量的にも少なかったばか りでなく、内容的にも形式的・抽象的で、基本的な問題が十分に明確にされなかった。零14. 新制大学の制度を法制化したのは、1947(昭和22)年3月31日に公布された「学校教育. *13田中征男r戦後改革と大学基準協会の形成』大学基準協会、1995、78頁. ・14r教育刷新委員会会議録』をみると、第10回総会(1946年11月8日)において矢野貫 城委員、第21回総会(1947年1月31日)において柿沼臭作委員、矢野委員らによって、 大学における一般教養教育の必要性が主張されていた。. 一18一.
(24) 法」であった。学校教育法の制定によって、大学令、高等学校令などの諸勅令はすべて廃 止された。第52条において、「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、. 深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とす る」と大学の目的が規定された。学校教育法の規定は、戦前の大学令第1条が規定した国. 家主義的な大学理念を否定している。第52条の規定は、まず、大学を「学術の中心」で あると規定し、国家ではなく社会の広がりの中で大学を捉える視点を示している。次に、 「広く知識を授ける」とし、大学における一般教養教育の導入を規定している。そして、. 「深く専門を教授研究」するとした後、最後に「知的、道徳的及び応用的能力を展開させ. ること」とし、大学の人間教育的機能を規定している。「兼て人格の陶冶及国家思想の酒 養に留意すへきものとす」という大学令の規定と比較すると、国家思想の表現の排除とと もに、人間教育的機能が、「兼て」ではなく、大学の本来的機能の一つとして表現されて. いる。学校教育法第52条の規定は、大学を社会における学術の中心と位置づけ、これに 研究、専門職業教育、一般教育の統一的遂行を期待した第1次米国教育使節団報告書と共 通していた。つまり、第1次米国教育使節団によって導入されたアメリカの大学及び一般 教育の理念は、日本の新制大学及び一般教養教育の理念に忠実に反映していた。. 【3】旧制高等学校との連続・不連続. これまで述べたように、戦後日本に導入された大学及び一般教養教育の理念は、第1次 米国教育使節団報告書によってもたらされた理念を忠実に反映したものであり、当時のア メリカにおいて、新しい一般教育の指針として大きな影響を与えた『自由社会における一 般教育』の理念と共通するものであった。それは一方で、国家主義的色彩の濃い戦前の学 校制度下にあった、旧制高等学校の一般教養教育の理念とはまったく異なっていた。. アメリカにおいて、こういつた一般教育の理念が要求・主張されたのは、社会の変化や 高等教育の大衆化など、社会的・教育的背景が存在しており、その点では歴史的流れの中 で生じた必然的結果といえる。戦後日本において、アメリカのような背景が存在しておら. ず、明らかに状況は異なっていた。しかし、戦後日本は、民主・平和国家として再出発す べく、アメリカの一般教育の理念を採り入れ、新制大学に一般教養教育を導入した。それ は、戦前の大学及び旧制高等学校における一般教養教育とはまったく違う、新しい大学、. 新しい一般教養教育の理念であった。つまり、戦前と戦後の一般教養教育の理念には、連 続面はほとんどなく、不連続であったといえる。. 一19一.
(25) 第2章 教育課程の連続・不連続 第1節 旧制高等学校の教育課程 前章でも述べたが、旧制高等学校制度において法制上の大きな変化は、1918(大正7). 年の改正高等学校令の公布であったといえる。これにより、旧制高等学校における教育 が、それまでの大学準備教育機関から高等普通教育を施す完成教育機関へとその性格を 転換することになった。旧制高等学校における一般教養教育の提供もこれ以降行われた とみるべきである。本節では、具体的にどこが違うのか、1918(大正7)年の改正高等学. 校令前後の教育課程を確認し、両者の差異を明らかにするとともに、旧制高等学校教育 の分析及び考察を行う。. 【1】改正高等学校令以前の教育課程. 1894(明治27)年以降、旧制高等学校は専門教育を主眼とする教育機関として位置づけ られていたが、実際には、専門教育を施す専門部は消滅し、法制上は副次的位置にあっ た大学予科が中心となって発展していった。. 1918(大正7)年の改正高等学校令公布前の教育課程の改正は、1900(明治33)年の「高 等学校大学予科学科規程」であった。文部省は、改正学科課程編成の基本方針として、「高. 等学校大学予科は帝国大学の予備教育を施す処なるを以て大学に於ける各専門学科の授 業を受くるに必要なる知識を授くるを以て目的とし予備学科の区画多岐に渉り其の修得 する所却って散漫に干るるか如きは務めて之を避けさるへからす故に新規程に於ては予 備学科の区画は成るへく之を大体に止め各学科の配当丁寧の授業時数等に適当の改正を 施し以て確実なる予備教育の本領を完からしめんことを期す」“1としていた。つまり、大. 学予科の学科課程は、大学の授業を受ける上に必要な学科だけで編成すべきであり、学 科の種類、数は必要最小限にとどめ、大学準備教育の実があがるように学科目、授業時 間数等に配慮を加えるべきだと主張していたのである。. 以上のような方針をもとに学科課程が改正・編成された。学科課程の基本的なところ は、(1)部別編成(2)部ごとに共通の学科課程(3)必要最小限の学科目(4)共通課程以外の. *1教育史編纂会編『明治以降教育制度発達史 第4巻』竜吟社、1938、408頁. 一20一.
(26) 履修(各大学・各学科に必要な学科目)であったが、特に、大学準備教育としての色彩を. 強めた点として、学科課程を構成する学科目を必要最小限にした点があげられる。学科 課程を従前(1894年)と比較すると、第1部では「地理」「数学」「物理」「動物及植物」、. 第2部では「動物及植物」「測量」がなくなった。ただ、大学の学科にとって必要な学科 目は共通の学科課程に加えて履修させていた。奪2それ以外では、外国語の毎週授業時数の 増加と理系(第2部・第3部)の国語の毎週授業時数の著しい減少があげられる。零3 ◇高等学校大学予科課程毎週授業時数表(大学予科学科規程1900.8.4改正). (1)第1部学科課程毎週授業時数表 倫理. 国語及激. 英語. 独語. 仏語. 歴史. 1年. 6. (9). (9). (9). 3. 1年. 5. (9). (9). (9). 3. 4. (8). (8). (8). 3. 3年. 1. 論理及心理. 法学齢. 経済繍. 2. 体操. 計. 3. 30. 3. 31. 2. (2). 3. 29.31. 化学. 図画. 体操. 計. 4. 3. 31. 3. 4. 3. 31. 5実2講3. 2. 3. 30. 体操. 計. 4. 3. 29. 実3. 3. 30. 3. 31. (2)第2部学科課程毎週授業時数表 倫理 1年. 物理. 英語. 3. 8. 8. 5. 7. 7. 4. 3. 4. 4. 6. 3. 2. 数学. 物理. 2年 3年. 独昌昌 数学. 国語. 1. 地質及鉱物. (3)第3部学科課程毎週授業時数表 倫理 1年 2年 3年. 1. 英昌昌. 国語. 独語. 3. 13. 3. 3. 13. 3. 2. 10. 3. 羅旬語. 2. 化学. 3. 3. 6実3講3. 6実3講3. 動物及働. 注:「倫理」は1910(明治43)年11月1日の学科課程改正で「修身」と改まり、第3学年だけでなく、 全学年下1時間の授業を行うことになった。 出典:教育史編纂会下『明治以降教育制度発達史 第4巻』1938より作成. *2倫理、外国語(英語・独語・仏語)、第2部及び第3部の国語がこれにあたる。 ・31894(明治27)年との比較では、外国語の3ヶ年の毎週時数の合計が、第1部38(文)or40 (法)から52、第2部が35(理・農)or25(工)から38、第3部が34から45時間に増加した。. 国語(国語及漢文)は、第1部が18から15、第2部・第3部8から3時間に減少した。. 一21一.
(27) 【2】改正高等学校令の教育課程 1918(大正7)年12月、高等学校令が公布された。高等専門教育機関的性格であった旧 高等学校令の矛盾を修正するとともに、高等普通教育の完成機関であることを明示し、大. 学準備教育としての性格を制度上除いた。高等学校高等科の学科課程は、改正された高 等学校令の理念に沿った形で、「高等学校規程」によって定められた。 ◇高等学校高等科学科課程毎週授業時数表(高等学校規程、1919.3.29公布). 1.文科 修身 国語 第1 第2 歴史 地理 哲学 心理 法制 数学 自然 体操 y漢文. 1. T説. O国 O国. 6. 9. 3. y論理. 2. 3. 2. 3. (4). 1. 8. 5. 2. 5. 3. 3. 2. 29 i33). 4. 8. 5. 29 i33). (4). 1. 計. ネ学. @及 o済. 3. 3. 2. 2. (4). 28 i32). 2.理科 修身 国語 第1 第2 数学 物理 化学 動物 鉱物 心理 法制 図画 体操 y漢文. 1. O国 O国. 4. y植物. 4. 8. 2. 2. 2. 2. 2. 3. (4). 1. 2. 3. 3. 2. 2. 2. 3. (4). 6. 1. 28 i32). 4. 6. 計. y経済. y地質. 28 i32). 4(2). 5実2講3. 5実2講3. 3. 実2講2. (2). i4). (4). 28 i32). 注:第2外国語は随意科目、理科第3学年の数学(2)及び図画(2)と動物及植物(4)とは、そのいずれかを 選択させるものとする。 出典:教育史編纂会編『明治以降教育制度発達史 第5巻』1938より作成. ◇高等学校高等科の学科目分類と平均毎週授業時数及び比率(1919年) 文 科 理 科 学科分類 人 糸 国語 耳. 、. 、、、糸. 計. 1. H. 13.3・ 465%. 13.3・ 40.8% 12.3 37.8. 8.3. 29.1. 1.3 2.7. 4.7 9.3. 3.0. 10.5. L3 2.7 3.0. 4.1 8.2 9.2. H. 1. 3.7・ 14.0% 6.7. 23.8. 3.7・ 11.5% 10.7 33.3. 0.7. 2.4. 0.7. 2.1. 14.0. 50.0. 14.0. 43.8. 3.0. 10.7. 3.0. 9.4. 28.6・100.0% 32.6・100.0% 28.0・100.0% 32.0,100.0%. 注:文科1、理科1は随意科目(第2外国語)を履修しない場合、文科H、理科Hは随意科目(第2外国語)を履修する 場合である。平均毎週授業時数とは、通年制に換算した平均毎週授業時数である。人文系学科目には、修身、国 語及漢文、歴史、地理、哲学概説、心理及論理が含まれる。社会系科目は法制及経済を指す。自然系学科目には、 数学、自然科学、物理、化学、動物及植物、鉱物及地質が含まれる。 出典:関正夫「旧制高等学校のカリキュラムに関する考察」『一般教育学会誌』第10巻1号1988、一部改変して作成. 一22一.
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