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市民性をめぐるデュルケーム社会学 寄与と限界

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(東京講演(日仏会館)、2017年9月) イヴ・デロワ氏はボルドー政治学院教授で、フランス大学学院の名誉会員(正会 員は2000年‐2005年)である。政治的なものの歴史社会学を専門とする同氏には、と りわけ以下の著書がある。『学校と市民性。ジュール・フェリーからヴィシー政権ま での共和主義的個人主義。――論争』(1994年)、『神の声。もう一つの選挙投票の歴 史のために。フランスにおけるカトリック聖職者と投票、19‐20世紀』(2006年)、『投 票行動』(2008年)。最近、ラルシエ社から『選挙分析』についての概論を共著で、 またラ・デクーヴェルト社から『政治的なものの歴史社会学』(邦訳『国民国家構築 と正統化――政治的なものの歴史社会学のために』中野裕二[監訳]、稲永祐介、小 山晶子[訳]、吉田書店、2013年)の新版を刊行している。また、ストラスブール政 治学院、パリ政治学院、ソルボンヌ(パリ第一大学)でも教鞭をとってきている。 現在ボルドー政治学院院長であり、『フランス政治学評論』誌の編集委員長でもあ る。邦訳論文として、「失われた時間性を求めて――政治的なものの標定に対する歴 史社会学の貢献」(『社会学雑誌』第20号、2003年)「移民、エスニシティーの問題に 関する、フランスにおける研究についての視点――ある政治社会史学者の観点」(『社 会学雑誌』第22号、2005年)もある。

市民性をめぐるデュルケーム社会学

―寄与と限界

イヴ・デロワ

Yves DÉLOYE (ボルドー政治学院、エミール・デュルケーム研究センター) (Sciences Po Bordeaux, Centre Émile Durkheim)

白鳥 義彦

SHIRATORI Yoshihiko

(神戸大学) (Université de Kobe) キーワード:デュルケーム(Durkheim)、市民性の体制(régime de citoyenneté)、       方法論的ナショナリズム(nationalisme méthodologique)、       市民的規範(normes civiques)

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ある著者−久しい以前から「古典」とみなされている―の影響を十分に客 観的な仕方で評価するということは、もちろん常に複雑微妙な事柄です。と りわけ、この著者が、レイモン・アロンの有名な著作のタイトルを援用して 言うならば「社会学的思考の[創設]段階」に立派に貢献したという事実か らしてそうなのです。とはいえ、その没後百年にエミール・デュルケームの 業績の継承を論じるこの大学的な関心の機会においてわれわれが行おうと試 みるのは、思い上がった賭けです。この講演の目的はしたがって、見かけ上 は単純な一連の問いに答えることを試みるということになります。その一連 の問いとは、市民性の社会学は『社会学講義』の著者デュルケームの業績に 何を負っているのか、市民性の諸制度の歴史的ならびに現代的展開について 妥当性をもってエミール・デュルケームと結びつけてわれわれが考えること を可能にするものは何か、彼の理論的な選択ならびに時にイデオロギー的な 方向性に応じた理解をこれほど困難にするものは何か、というものです。 最初の大枠で考えてみると、これらの問いに対する答えは、想像され得る よりもいっそう複雑なものであることが明らかになります。そしてそれは二 つの理由によるものであり、冒頭の論題としてまず論じていきたいと思いま す。第一の理由は、ある驚きに起因します。拡張的な見方が想起させ得るで あろうことに反して、市民性の社会学に応用されたデュルケーム的なカテゴ リーの後継は、この主題に取り組む現代の諸研究において存在感がかなり小 さいように思われます。確かに、フランスにおいて、ドミニク・シュナペー ルの著作が、たとえかなりしばしば批判的ではあっても、「国民」に関する デュルケームの定式化やそれに関連する市民的統合の形態に関する首尾一貫 した描写を行っているとしても1)、国際的な文献ははるかに控え目であること を示しています。こうして、エンジン・F・イシンおよびブライアン・S・ ターナーの編によって2002年に刊行された『シティズンシップ研究ハンド ブック』では、デュルケームは、ジェラード・デランティが「共同体主義と 市民性」との間の関係を叙述した章において、示唆的な仕方で、デュルケー

1)Dominique Schnapper, La Communauté des citoyens (1994), Paris, Gallimard, « Folio Essais », 2003 (=中嶋洋平訳『市民の共同体 : 国民という近代的概念について』、法政大学出版局、2015年)、

とりわけp. 27-31. この著者ののちの著作は、É・デュルケームの影響によってよりいっそう刻 印づけられるでしょう。La Relation à l’autre. Au cœur de la pensée sociologique, Paris, Gallimard, « NRF Essais », 1998を参照。

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ムは実際上「共同体主義の最初の古典的理論家2)」であろうと見なされて一度 言及されているのみです。困惑させられることなのですが、自由主義の伝統 にも、市民性の共和主義的アプローチにも着目しているこの著書の各章にお いて、エミール・デュルケームへの言及はまったくありません。読者の困惑 は、他の「古典的」著作者の方は反対に強調的に詳細に言及されているため にますます強まります。マックス・ヴェーバーは七回、あるいはジョン・ス テュアート・ミルも同じ回数引用されています3)。あたかも、『代議制統治論』 (1861年)あるいはまた『女性の解放』(1869年)の著者ミルの影響力は、フ ランス社会学派の創設者デュルケームの影響力を今日明白に上回っているか のように思われます。デュルケームの影響は、リチャード・ベラミーとアン トニオ・パルンボによって公刊された最近の論文集におけるように、時に完 全に隠れてしまうほどにも至ります。市民性の本質と発展ならびに市民性に 関連した挑戦についての網羅的な観点を学生および実務家に提示することを 目的としている叢書の一冊として2010年に刊行されたこの論文集は、デュル ケームに一度も言及しない一方で、J・S・ミルには十回、M・ヴェーバーに は八回、そして『ユダヤ人問題によせて』(1843年−1844年)の著者マルク スには四回言及しているのです4)。それゆえ、市民性に取り組む現代の社会学 的研究が、今やなぜ非常に限定的にしかデュルケームのカテゴリーならびに 考察を用いないのかを理解することができます5)。二人の著者のみがここで言 及されるに真に値します。それは、アイルランドの歴史的状況を考察するた めにデュルケームの知識社会学と宗教社会学をまさしく適切に用いている、 2)Gerard Delanty, « Communitarianism and citizenship », in Isin Engin I., Turner Bryan S. (eds.), Handbook of Citizenship Studies, London, Sage, 2002, p. 161.

3)ブライアン・S・ターナーが宗教と「市民性の原初形態」との関係を取り上げて、ヴェーバー による寄与を詳細に論じる一方でデュルケームにはほとんど言及されていない章における、 カール・マルクスによる考察への二つの言及にもまた注目しましょう(Ibid., p. 259-275)。 4)Richard Bellamy, Antonio Palumbo (eds.), Citizenship, Surrey, Ashgate, 2010. ロナルド・ベイナー

Ronald Beiner によって提案されたもう一つの論文集 (Theorizing Citizenship, New York, State University of New York Press, 1995) は、15年前に、市民性に関するデュルケーム的思考の影響 の同様の喪失を確証しています。エミール・デュルケームは、第一次世界大戦中の彼の愛国 的活動についてアラスデア・マッキンタイアAlasdair Macintyre の筆によってたった一度しか 言及されない(同書の210頁)のに対して、『ユダヤ人問題によせて』の著者マルクスについ ての考察は、六回の言及と一つのまとまった検討との対象となっています。

5)例として、メタイエ社 éditions Métaillé から2016年にオリヴィエ・クリスタン Olivier Christin の編で刊行された、最近の『人文科学における放浪の概念の事典』Dictionnaire des concepts nomades en sciences humaines における、ジャンニ・ダマート Gianni d’Amato が執筆した「(移 民の)市民性」« Citoyenneté (des migrants) » の解題のなかで、デュルケーム的思考への言及 が全く不在であることを指摘しておこう。

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ベルファストのクイーンズ大学の社会学者ジェームス・ディングレイ6)と、よ り控え目ではありますが、2007年に公刊された国民国家の社会理論について の著書においてデュルケームの寄与について一章を割いている、ダニエル・ チェルニーロ7)です。 第二の4 4 4理由は、市民性の問題体系に対してエミール・デュルケームが行 う考察―本質的に国民国家的な観点から―の一部は、マルセル・フルニエ とジャン・テリエの適切な表現を再び用いるならば、「規範的な領域での処 理」に立ち戻るという事実に起因しています8)。彼の業績の他の領域(ここ では社会学的方法や、あるいはまた宗教社会学を考えましょう)以上に、 市民性に関するデュルケームの著作ならびに考察は、こうした問いに関し て『社会学的方法の規準』の著者が、社会学者の観点とフランスの公的生 活の主要な知識人となったフランス市民の観点とを切り離すことの困難さ を証明しています。1904年に『ルビュー・ブルー』によって公刊された「知 的エリートと民主主義」についての短いテクストのなかで、デュルケーム 自身、「作家たちと学者たちは市民である。したがって彼らが公的生活に参 加する厳正な義務を有するということは明白である。残る問題は、いかな る形で、またいかなる程度においてか、ということである9)」ということを まさしく進んで認めています。選挙政治への関わりのあらゆる見地を拒否

6)James Dingley, Durkheim and National Identity in Ireland. Applying the Sociology of Knowledge and Religion, New York, Palgrave Macmillan, 2015を参照。さらに数年前に、この社会学者は、以下 の著作において自らの批判的考察を粗描しています。Nationalism, Social Theory and Durkheim, New York, Palgrave Macmillan, 2008.

7)Daniel Chernilo, « Émile Durkheim (1857-1917). Moral universalism and the normative ambiguity of the nation-state », in A Social Theory of the Nation-state. The Political Forms of Modernity beyond Methodological Nationalism, London, Routledge, 2007, p. 61-73を参照。ナショナリズムの理論 あるいは哲学へのデュルケームの寄与については、かつての論文Marion Mitchell, « Émile Durkheim and the philosophy of nationalism », Political Science Quarterly, 1931, vol. 46, n°1, p. 87-106お よ び、最 近 の も の と し て Jennifer Mergy, « Teamwork across disciplines : Durkheimian sociology and the study of nations », Revue européenne des sciences sociales, 2004, n°129, p. 237-248も参照。 8)国民に関するマルセル・モースの著作に対して著者たちが用いている表現(Mauss Marcel, La Nation, Édition et présentation de Fournier Marcel et Terrier Jean, Paris, PUF, « Quadrige », 2013)。 フランス社会学派が国民について考察することの困難さについて、近年の Stoicea-Deram Ana-Luana, « Mauss et la sociologie française de la nation », Durkheimian Studies, 2017, vol. 23, n°1, p. 119-133を参照。 9)Émile Durkheim, « L’élite intellectuelle et la démocratie », Revue bleue, 1904, vol. 5, n°1, p. 705.(= 佐々木交賢、中嶋明勲訳「知的エリートと民主主義」、同訳『社会科学と行動』、恒星社厚生 閣、1988年、221頁。)

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しながら、デュルケームはこのテクストにおいて、ある人々にとってはデュ ルケームをフランスにおける政治学の創始者とする10)政治社会学のあちこち に点在している、市民的、時に愛国的さらにはナショナリスト的な考察に 関して彼が広く果たすこととなる、「助言者」、「教育者」の役割を主張して います。すなわち、学問的観察―ポール・フォコンネとマルセル・モース の有名な言葉によれば、社会学者デュルケームが自らを「時間ならびに空 間の外(…)に置く11)」ように導かなければならない観察―に属する事柄と、 状況に基づいた知的関与とを切り離すことは、ここで複雑微妙なのです。 こうした二つの困難にも関わらず、この講演においてわれわれは、三つ の段階を追って立論を展開していきたいと思います。最初にまず、第三共 和政下における市民意識に関する彼の考察が、歴史的に文脈づけられた市 民性の社会学への道をどのように開いたのかを明らかにするために、デュ ルケームのテクストに立ち戻ります。次に、市民的事実に関するこの包括 的なアプローチの利点を指摘した上で、最後に結論として、今日の市民性 について考えるために、このアプローチの限界と弱点を明らかにします。 市民性についてのデュルケーム社会学 常識からの断絶を訴える方法論の正統性とは相反するあり方ではあります が、市民性の問題体系についてデュルケームが論じたテクストの読解を今日 なお有用なものとする12)のは、彼の社会学的考察の、状況に埋めこまれた、そ して時には社会参加した特性にまさしくあります13)。デュルケームがその証人 であり、また多くを要求する行為者でもあった第三共和政を通じてずっと、 『社会学講義』の著者デュルケームは、知識の賭け金と道徳的ならびに政治 的関心とが常に交差する熟考を提示することになります。そもそも、デュル 10)ここでBernard Lacroix, Durkheim et le politique, Paris, Montréal, Presses de Sciences Po, Presses de l’Université de Montréal, 1981を参照。この観点に対する厳しい批判として、Chamboredon Jean-Claude, Émile Durkheim : le social, objet de science. Du moral au politique (1984), Paris, Éditions Rue d’Ulm, 2017を参照。

11)Paul Fauconnet, Marcel Mauss, « Sociologie » (1901), in Mauss Marcel, Œuvres, tome 3, Éditions de Minuit, 1969, p. 159.

12)Cf. Mustafa Emirbayer, « Useful Durkheim », Sociological Theory, 1996, vol. 14, n°2, p. 109-130. 13)Cf. Erik Allardt, « Division du travail social, types d’intégration et modes de conflit » (1967), in

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ケームの社会学的野心が道徳的、社会的、政治的事実に関わっているという 事実を正当にも強調してきた数多くの人々はデュルケーム研究の専門家たち なのです。こうした道徳的、社会的、政治的事実は完全に抽象的なものとは 決してならず、その存在が問われることはありません。ベルナール・ラクロ ワのかつての言葉を再び用いるならば、こうした実体は「反対に、最も多く の場合国家によって所与のものとされそして具体化される国土の上に定まる、 個別化された統一体である。こうした実体はまた、不安定で、危機に瀕して いて、ある意味で常に再構築されるべき凝集性を与えられている全体性でも ある14)」のです。実際、社会学的データの産出、構築されつつあるこの学問の 根本的なカテゴリーの定義、その方法的手続きの体系化といった、デュル ケームの企図の大きな部分は、それが生まれる歴史的状況のなかに緊密に根 を下ろしているのです。こうして、デュルケームの業績は特定の歴史的情勢 を大きく反映したものとなります。その歴史的情勢とは、根元的な変動(時 に危機を免れ得ない15))と、変容の途上にあるフランス社会というもので、こ の社会学者デュルケームがある意味でその震度計となるのです。当時の道 徳・政治科学のなかに自らの地位を占めることを望んでいたデュルケームは、 政治的秩序、市民的服従、近代の国民共同体の可能性の条件に関わる諸問題 に、定期的に取り組むことになります。この著者の最初期のテクストからす でに明らかなこの政治的関心は、1890年半ばの彼の伝記的道程において強ま るばかりでした。しばしば指摘されるドレフュス派としての社会参加のエピ ソード16)を越えて、デュルケームの学問的関心と知的ならびに政治的参加との 間に存在する永続的な親和性に注目する必要があります。市民性の社会学の 観点からは、市民性についての彼の理解の革新的で実り多い特徴を理解する ために、三つの文脈的要素がとりわけ重要であるように思われます。真の 『習俗と法の物理学』(1890年代以降ボルドーでもパリでも教授された彼の 『社会学講義』の副題を再び用いています)を生み出すことに熱心であった デュルケームは、三つの大きな市民的変容の同時代人であり、社会的統合と

14)Lacroix Bernard, Durkheim et le politique, op. cit., p. 85.

15)ドレフュス事件はここで、デュルケームの知的参加という点においても、彼の研究の主題の変 化という点においても、とりわけ重要なエピソードとなるでしょう。豊富な文献のなかでこ こでは、Chad Alan Goldberg, Émile Durkheim, « Introduction to Émile Durkheim’s ‘Anti-Semitism and Social Crisis’ », Sociological Theory, 2008, vol. 26, n°4, p. 299-323を参照。

16)こ こ で Emmanuel Naquet, « Émile Durkheim et la naissance de la Ligue des droits de l’homme à Bordeaux au temps de l’Affaire Dreyfus », in Béra Matthieu, Émile Durkheim à Bordeaux (1887-1902), Bordeaux, Éditions Confluences, 2014, p. 35-49を参照。

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道徳的規範化に対するその変容に伴った影響について考えようと試みた最初 の一人となるでしょう。 まず第一に彼は、政治的共同体に対する帰属と忠誠の関係性の最終的な 世俗化によって示される挑戦の、特権的な証人でした。この挑戦とは、個 人に外在する道徳規範(本質的なところについて述べるならば、フランス 人の圧倒的大多数にとってのカトリックから継承された戒律)から、デュ ルケームがその決定的な擁護者となる17)国家の学校装置を通じて内面化され、 非宗教化され、日常の市民的ハビトゥスに組み込まれた道徳的、市民的な 定言的命令への移行、というものです。この新たな道徳的形態―「非宗教 性 laïcité」という言葉が、過去から継承された宗教の社会的有用性の不在 を言明しながら、ある種の仕方でこの新たな形態を端的に表しています― は、非常に早くからデュルケームが確信していたように、個人主義の像の 根源的な変容をもたらし伴うものです。それのおかげで、個人はこれ以後 俗世に関わるようになります。ルイ・デュモンの分析を再び用いるならば、 「世俗外個人」が、「世俗内個人」となるのです18)。個人の道理が、今やその 至高権が政治的に認められる市民から予期される道徳的行為の、唯一の指 針となるのです。 デュルケームはまた、フランスにおける国民国家の完遂された制度化の証人で もあります。フランスがここで独自の位置を占めていることはよく知られていま す。それは、ピエール・ビルンボームとベルトラン・バディ19)によって提起された 類型論を再び用いるならば、とりわけ「強い」国家的、国民的構築の歴史的過程 を経験してきたという位置です。この経過は、エルネスト・ゲルナーが政治的ナ ショナリズムの定義に与えた表現によれば、「政治的な単位と民族的な単位20)」と

17)こ こ で Yves Déloye, École et citoyenneté. L’Individualisme républicain de Jules Ferry à Vichy : controverses, Paris, Presses de Sciences Po, 1994, 特に第四章に立ち戻ることをお許しいただきた い。この主題については、ウォーレスの古典的な研究Ruth A. Wallace, « The secular ethic and the spirit of patriotism », Sociological Analysis, 1973, vol. 34, n°1, p. 3-11も参照。

18)Louis Dumont, Essais sur l’individualisme. Une perspective anthropologique sur l’idéologie moderne, Paris, Seuil, 1983, p. 35 sq.(=渡辺公三 , 浅野房一訳『個人主義論考 ― 近代イデオロギーにつ いての人類学的展望』、言叢社、1993年、39頁以下。) 19)Pierre Birnbaum, Bertrand Badie, Sociologie de l’État, Paris, Grasset, 1979.(=小山勉、中野裕二訳 『国家の歴史社会学』〈再訂訳版〉、吉田書店、2015年。) 20)Ernest Gellner, Nations et nationalisme, Paris, Payot, 1989 (1ère édition 1983), p. 11.(=加藤節監 訳『民族とナショナリズム』、岩波書店、2000年、1頁。)デュルケームの読解に多くを負っ

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の間のほぼ完全な接合に至るものです。そのような理由でデュルケームは、『社 会学年報』の創設者(デュルケーム)についての伝記的な色調を帯びたものとし て入手可能な稀少なテクストの一つにおいて彼の協力者ジョルジュ・ダヴィが伝 えるように、ある意味で、彼の若き日々において彼に深い影響を与えたこのナ ショナリズム的な時期のイデオローグの役割を果たす21)ことになります。G・ダ ヴィはとりわけ、若き高等師範学校生であるデュルケームが、1880年7月14日に、 パリの通りを駆け巡り、記念日の高揚のこの瞬間を同胞と十全に共有した際の、 デュルケームの愛国主義的な熱狂について詳しく語っています22)。このユニークな エピソードはデュルケームに強い影響をずっと与え続け、そして、集団に対する 永続的な愛着を維持し得る共有された儀礼と象徴を有するようにと近代社会に促 すに際して、『宗教生活の原初形態』(1913年)においてデュルケームが暗黙のう ちに準拠とするのはまさにこのエピソードなのです。というのも、まさに、デュ ルケームが物理的あるいは物質的な力と同じように現実のものとみなし、またそ の原動力はまさしく国民共同体の後見的な姿である、道徳的な力からの積極的な 影響を「個人が」受け、そして「理想化する[ことを学ぶ]のは、集合生活の学 校23)」においてだからです24)。それゆえ、市民性の、本質的にアイデンティティに関 わりまた国民的である次元が、デュルケームが提示する共和主義的市民性の体制 の概念化において、中心的な位置を占めていることが理解できます25)。反対に、た とえ何人かの社会学者たちが最近、民主主義の変容についての現代的な省察の言

ているゲルナーのナショナリズム理論への批判については、John A Hall (ed.), The State of the Nation. Ernest Gellner and the Theory of Nationalism, Cambridge, Cambridge University Press, 1998 を参照。たとえゲルナーが、ナショナリズムの力を説明するために、デュルケームによって 用いられた宗教的隠喩に対する批判を表明しているとしても、二人の著者は、社会化を、よ り正確には、ゲルナーの言葉を再び用いるならば「外教育exoéducation 」を、国民的な市民 的忠誠の本質的なベクトルとしています。 21)このことは、当時のドイツの過度のナショナリズムに対して彼が非常に批判的であることを明 らかにすることを妨げませんでした。この点については、最近刊行された、Émile Durkheim, Bruno Karsenti, L’Allemagne au-dessus de tout. Commentaire à vive voix, Paris, Éditions EHESS, « Audiographie », 2015(=小関藤一郎、山下雅之訳「世界に冠たるドイツ」、同訳『デュル ケームドイツ論集』、行路社、1993年、217-262頁)を参照。

22)Georges Davy, « Émile Durkheim. L’homme », Revue de métaphysique et de morale, 1919, vol. 26, n°2, p. 188. 23)Émile Durkheim, Les Formes élémentaires de la vie religieuse (1913), Paris, PUF, « Quadrige », 1985,

p. 604.(=山崎亮訳『宗教生活の基本形態―オーストラリアにおけるトーテム体系』(下)、 ちくま学芸文庫、2014年、399頁。)

24)この点について、Olivier Ihl, La Fête républicaine, Paris, Gallimard, 1996および David McCrone, Gayle McPherson (eds.), National Days. Constructing and Mobilising National Identity, Basingstoke, Palgrave Macmillan, 2009も参照。

25)ここでリョベラの研究Josep Llobera, « Durkheim and the national question », in Pickering William S.F., Martins Herminio (eds.), Debating Durkheim, London, Routledge, 1994, p. 74-99を参照。

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葉を定めるために、デュルケームの業績のなかに想を得ているとしても26)、市民の 地位の本質的に政治的、民主主義的な次元27)の展開の度合いはより低いように思わ れます。すなわち、市民性についてのデュルケーム的な概念は、人間および市民 の権利に集中化される語彙よりも、道徳的統合、社会的連帯の語彙を重視してい るということでもあります。人間および市民の権利は、第三共和政の創始者たち が1880年代の初頭以降、とりわけ市民的学校政策において神聖化してきたもので はあるのですが。共和政のこの日常語とは距離をとりながら28)、デュルケームは、 社会の発展の歴史的概念に基づいて、人間と市民の育成を説明しようとしていま す。こうしてデュルケームは、自らの社会学的論証において、「社会を、法律ば かりでなく、道徳、宗教、さらにはまさしく科学の源泉としながら29)」、社会に中 心的な位置を与えます。彼のある読者たちに対しては、この実体が個人を押し潰 してしまうのではないかという懸念を抱かせることにもなるのですが。とはい え、よく知られているように、分業の過程は、彼によれば、個人の近代的な像を 生み出し、また同時に人間の間での相互依存性を高めます30)。国民国家の市民と なった個人は、まず第一に自らの社会的人格を自覚しなければなりません。これ を行うためには、この個人には、「他者を尊重し、自らの利己主義以外のものに 基づいて自らの動きを律することを強制する31)」市民的道徳が必要です。 最後に、デュルケームが当時の市民性について行った省察は、集団的行 動(例えば、ドレフュス事件の時にフランス社会に行き渡った反ユダヤ主 義)の諸様相、あるいは不十分にしか調節されない個人の行動、19世紀末 におけるフランス社会の社会的(ならびにこれと不可分な道徳的および政 治的)凝集の弱さを示す多くの行動、これらに対する彼の激しい不安を反 26)Yves Sintomer, « Émile Durkheim, entre républicanisme et démocratie délibérative », Sociologie, 2011, vol. 2, n°4, p. 405-416. 27)ここで Jeffrey Prager, « Moral integration and political inclusion. A comparison of Durkheim’s and Weber’s theories of democracy », Social Forces, 1981, vol. 59, n°4, p. 918-950を参照。 28)Y. Déloye, École…, op. cit., p. 165 sq. 29)François-André Isambert, « Durkheim et l’individualité », in Pickering William S., Watts Miller Willie (eds.), Individualisme et droits humains selon la tradition durkheimienne, Oxford, British Centre for Durkheimian Studies, « Occasional papers n°1 », 1996, p. 7、の言葉を再び用いています。 30)社会分業に関する博士論文でエミール・デュルケームが主題とするのは、この逆説の解明で

す。「個人がますます自立的になりつつあるのに、いよいよ密接に社会に依存するようにな るのは、いったいどうしてであるか?」[Émile Durkheim, De la division du travail social (1893), Paris, PUF, « Quadrige », 1986, p. XLIII(=田原音和訳『社会分業論』、青木書店、1971年、37 頁。)].

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映しています。当時のフランス社会を脅かすと思われた個人主義的利己主 義に対して『道徳教育論』の著者デュルケームが呪詛を重ねたことを正当 化する多くの態度が見出されるのです。歯止めのない欲望による激烈な闘 争のなかで当時のフランス社会が瓦解することを防ぐためには、彼によれ ば、こうした「欲求」は「個人に外在する何らかの力によって抑制され32)」 なければなりません。アルトゥル・ショーペンハウアー(1788年−1860年) の読解に深く刻印づけられている彼の観点において、ただ集合的実体(祖 国、国民、市民共同体……)のみが、他者に対する無関心を乗り越え、一 般利害を利する形で自らの個人的利害を犠牲にするようにと各市民に命じ るために必要な、道徳的権威を有しています。デュルケームにとって、「個 人の利己主義を緩和する役に立つ唯一の力はしたがって集団の力33)」だとい うことにさえなります。こうして、これらの懸念と不安は、国民的帰属と いう「われわれ」に中心的な位置を与える、市民性のデュルケーム的読解 を強化します。このようなモデル―フランス第三共和政の経験によって多 くの点が説明されます―は、垂直的な政治統合と、文化的に高められた均 質化の水準を促進します。このモデルは、価値、信仰、集合表象の共通実 体に基礎を置いており、この実体は、それを順守させる使命を国家が有す る規範と義務を備えています。 全体的な社会的事実としての市民性 こうした歴史的拠りどころに支えられ、このように当時の重大な争点に根差 すことに関心を寄せていた34)、市民性についてのデュルケーム的な分析は、われ われによれば、フランス社会学派の創設者がわれわれに残した社会学的文法の なかで、中心的な位置を占めています。『社会学的方法の規準』(1894)からの 32)Émile Durkheim, Le Socialisme (1928), Paris, PUF, « Quadrige », 1992, p. 225.(=森博訳『社会主 義およびサン−シモン』、恒星社厚生閣、1977年、232頁。)

33)É. Durkheim, De la division…, op. cit., p. 401. (=前出、388頁。)これは、1901年に刊行された同 書の第二版序文において、個人の欲求を抑制する役割を負った同業組合的職業集団の解決を 支持せしめるほどにまで、彼の省察のなかで展開される強固な考えです。彼の影響は、1911 年の、師範学校のカリキュラムにおける社会学の最初の教育(彼の弟子ポール・ラピーに よって担われました)の序論においてもまた明らかです。

34)社会学的思考が当時の関心事に根差すということは、デュルケームの思考に固有のものと いうわけではありません。ここでRobert Nisbet, La Tradition sociologique (1960), Paris, PUF, « Sociologies », 1984(=中久郎監訳『社会学的発想の系譜(1-2)』、アカデミア出版会、1975 年)を参照。

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引用は、同書の著者にとっての市民性に関する支配的な語義を端的に示すこと を可能にします。その引用は、社会的事実について、したがって社会学の対象 についてデュルケームが与えた有名な定義から借用したものです。「私がきょ うだい、夫、あるいは市民の務めを果たす時、私が契約した関与を私が実行す る時、私は、私と私の行為の外において、法と習俗のなかで定義される義務を 遂行している。それらが私の固有の感情と一致し、そして内部的にその現実性 を感じている時でさえも、この現実性は客観的なものとはならない。なぜなら ば、それらを為したのは私ではなく、私はそれらを教育によって受け取ったか らである。[……]個人意識の外側にそれらが存在するというこの特筆すべき 特性が示すのは、まさにこうした行為し、思考し、感じる仕方なのである35)」。こ の定式化によって、エミール・デュルケームは、共同体への市民の帰属を、家 族あるいは夫婦における同化と同じ次元で考えています。典型的な社会制度で ある市民性は―家族と同様に―、各個人にとって、市民としての行動の効力を 方向づける「客観的な」特性の形態を取り得る固有性を示しています。市民的 規範36)(とりわけ当時の学校が、1882年の新学年度から学校カリキュラムの冒頭 に記載したもの)や、この地位に結びついた関与と義務は、各市民に外在的で あるばかりでなく、市民の外部で定義され、次いで、市民が行うことあるいは 行うに正当であり適切であると市民が考えることに統合されるでしょう。デュ ルケーム研究によって扱われてきたこの資料全体をここで取り上げることはし ませんが、われわれによればデュルケームの社会学的文法におけるこのカテゴ リーの中心的特徴をまさしく確立する五つの構造化的な原理に基づいて、市民 性についてのデュルケーム的な語義をただ端的に示すことにしたいと思います。 これら五つの原理は、デュルケームにおける市民的事実を、社会全体を作動さ せ、数多くの社会的領域(法的、政治的、社会的、文化的、宗教的……)に広 がるという意味で、ある種の全体的な社会的事実として考察することを正当化

35)Émile Durkheim, Les Règles de la méthode sociologique (1894), Paris, PUF, « Quadrige », 1986, p. 3-5.(=宮島喬訳『社会学的方法の規準』、岩波文庫、1978年、51-52頁。)

36)市民性についてのデュルケームの概念と、社会的規範ならびに制度についての彼の社会学とを 結びつける者はデュルケーム研究の専門家に数多い。ここでWilliam Logue, From Philosophy to Sociology. The Evolution of French Liberalism (1870-1914) , Dekalb, Northern University Press, 1983, (=南充彦他訳『フランス自由主義の展開 : 1870-1914 : 哲学から社会学へ』、ミネルヴァ書房、

1998年)、François-André Isambert, « Durkheim et la sociologie des normes », in Chazel François (dir.), Normes juridiques et régulation sociale, LGDJ, « Droit et société », 1991, p. 51-64, あるいは またJean-Claude Filloux, Durkheim et l’éducation, Paris, PUF, « Pédagogues & pédagogies », 1994 などの有力な省察を参照。最後の文献は、正当にも、市民的規範についてのこの社会学を、 『道徳教育論』の著者の教育学的言説に関連づけています。

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するものでもあります。 ・社会的事実の定義の核心にある、外在性の原理はおそらく、最も重要 なものです。なぜならこれは、市民的事実は「特別な特性を示す事実 の次元」に属し、「先に言及したように、これらは、個人に外在し、そ のおかげでそれらが個人に対して強制する能力を備えている、行動の、 思考の、感じることの様式から成り立っている37)」とデュルケームが考 えることを可能にするからです。 ・規範性の原理は、この第一の原理を補い、個人に外在するこれらの規 範の生産と継承の歴史的および文化的条件について市民性の社会学が 問うことを促します38)。この第二の原理がデュルケームにおける両義性、 さらには曖昧性の原因39)であるということは隠さずにいましょう。とい うのも、市民的規範について語ることはしばしば、哲学者あるいは社 会改革者の役割を務めることにもなり、このことは社会学者の役割か らの断絶の要求と衝突せずにはいかないからです。 ・垂直性の原理は、市民性によって、国家への帰属の地位を与えます。 この国家は市民の側に義務、責務、関与(さらには自己犠牲40))の全体 を要求し、その代わりにこれらは権利と市民的解放の源泉となります。 この原理はとりわけ、19世紀末にデュルケームが国家ならびに「高級 政治社会」の諸形態について論じた『社会学講義』における首尾一貫 した展開の対象となりました。よく知られているように、ここで彼は、 一種独特の4 4 4 4 4公務員集団を、近代の国民的集合性の良好な作動に必要な 市民的(そして大いに非政治的な41))関与のモデルとして提示しました。 ・等質性の原理は、不可分で絶対的なものとして構想された領土的なら びに政治的な主権を表す、一枚岩的で排外的な市民的アイデンティティ の向上を奨励します。ここから、市民生活の集合的な次元についての、

37)É. Durkheim, Les Règles…, op. cit., p. 5.(=『規準』、前出、52頁。)

38)社会=歴史的な観点におけるこのようなアプローチの豊かさについては、Yves Déloye, « Gouverner les citoyens. Normes civiques et mentalité en France », L’Année sociologique, 1996, vol. 46, n° 1, p. 87-103を参照されたい。

39)ここで D. Chernilo, A Social Theory…, op. cit., 第五章を参照。.

40)Cf. Nicolas Mariot, Histoire d’un sacrifice. Robert, Alice et la guerre, Paris, Seuil, « L’Univers historique », 2017.

41)Pierre Birnbaum, « La conception durkheimienne de l’État : l’apolitisme des fonctionnaires », Revue française de sociologie, 1976, vol. 17, n°2, p. 247-258.

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また市民としての行動の諸領域全体を覆う使命を有する価値の共同体 の必要な共有42)についての、デュルケームの力説が生まれます。 ・普遍性の原理は、著者デュルケームの理論的体系を補強し、市民性に ついてのデュルケーム的概念のコスモポリタンな射程を証明していま す。のちのマルセル・モースにとってと同様、デュルケームにとって、 国民的な市民意識の主張は、人類共同体に至る、より大きくよりグロー バルな帰属原理の擁護と矛盾しません。ある意味で、国民共同体への 統合は、より普遍的な帰属を予示します。そしてこれは、歴史が「コ スモポリタニズムをわれわれのフランス精神の特徴とし、われわれが すべての民族のあいだで[その]独占と特権を得ている43)」フランスに おいてもまさしくそうなのです。 以下の表は、それらの学問的研究が関わるデュルケーム社会学の領域を 補足的な仕方で指し示しながら、これら五つの原理を簡潔に示しています。 表:市民性に関するデュルケーム理論の社会学的文法 原理 語彙 社会学の領域 外在性 社会的事実 社会的な統合と規制 規範性 規範、関与、義務 道徳社会学 教育と社会化 垂直性 国家、従属 政治的な統合と規制 国家の社会学 等質性 道徳的・政治的単位、集合的特性 社会的連帯 集合意識 道徳社会学 宗教社会学 普遍性 愛国主義/コスモポリタニズムの 弁証法 政治社会学 集合表象 42)20世紀初頭に、『道徳教育論』に関する講義において、デュルケームは以下のような言葉 で、自らのドイツ留学期に見出した精神の共同体を称賛しています。「ドイツでは、すべて が共に行われる。共に歌い、共に散策し、共に遊び、哲学、科学、あるいは文学を共に行 う」(Emile Durkheim, L’Éducation morale (1902-1903), Paris, PUF, « Bibliothèque de philosophie contemporaine », 1974, p. 198)(=麻生誠 , 山村健訳『道徳教育論』、講談社学術文庫、2010年、 383頁。). 43)Ibid., 238.(= 同、450頁。) そしてデュルケームは、「われわれが普遍主義者であるのは、ある 意味で、行為においてであるよりも観念においてである。われわれは、人類のために行動す るよりも、おそらくより一層人類のために考える」(Idem.=450-451頁。) とつけ加えています。

(14)

市民性に関するデュルケームの分析が、エミール・デュルケームの社会 学の問題体系の核心にフィリップ・スタイナー44)が置いた社会化の理論の主 要な要素を包含しているということを確認するのは、とても印象的です。 彼の社会学の問題体系と同様、市民性についての彼の理論は、共和主義的 近代性の基礎をなす個性化の過程と、デュルケームが繰り返してやまない 国民集団に必要な優越性との間の緊張を解決することを目指しています。 その整合性と、その野心とにおいて、市民的事実に関するデュルケームの この理論は、およそ半世紀も前に、のちに英語圏の社会学が市民性の問題 体系に与えることとなる展開を予示しています45)。実際、のちのトーマス・ H・マーシャルと同様に、デュルケームは市民性を、社会学的言説が理解 しようとする近代性のある種の指標としています。それゆえ『社会学講義』 の著者デュルケームがわれわれになすようにと促すこと、それは、厳密に 法的な領域(市民性をめぐるそこでの問題体系は、彼の時代からすでにし ばしばがんじがらめになっていました)の分析の視点を歴史的な領域へと 動かすことなのです。ここで特権的なこと、それは最終的には、こうした 社会的役割と、こうした社会的そしてそれと不可分に政治的な事実との展 開を後押しした、歴史的な出来事(過去から受け継がれた大宗教からの離 脱、全国的な市町村有化の歴史的過程……)を理解することにあります。 市民性に関するデュルケームの理論の論理的難点 本章の結論として、市民的事実についてのデュルケーム的アプローチが、 19世紀末のフランスにおける市民性の展開の諸条件を説明するために実り 多いものとなるためであるにしても、この歴史的経験に、より広くはその 「方法論的ナショナリズム46)」に、あまりにとらわれていることを強調するこ 44)Philippe Steiner, Emile Durkheim, Paris, La Découverte, « Repères », 1994, 第四章。 45)ここではとりわけ、根源的なものと見なされているマーシャルによる省察 Thomas H. Marshall, Citizenship and Social Class and Other Essays, Cambridge, Cambridge University Press, 1950(岩 崎信彦、中村健吾訳『シティズンシップと社会的階級―近現代を総括するマニフェスト』、 法律文化社、1993年)を念頭に置いています。市民性のこの社会学的読解の継承について は、Martin Bulmer, Anthony M. Rees (eds.), Citizenship Today. The Contemporary Relevance of T. H. Marshall, London, UCL Press, 1996を参照。

46)ここで D. Chernilo, A Social Theory…, op. cit., 第一章ならびに J. Dingley, Nationalism…, op. cit., 第三章を参照。

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とが重要です。その長所となるもの(抽象的で哲学的な展開を避けること、 主要な社会的また政治的な変容の生きられた過程にしっかり根を下ろすこ と……)はまた、ある意味でその弱点ともなります。なぜなら、デュルケー ムが描くフランスの国民国家的な市民性のモデルは、かなり例外的なもの だからです。これは、アンシァン・レジームの終結期から作り上げられ、 そして、個人の差異を超越し、とりわけ高い水準の―そしてコストのかか る―文化的な等質性を要求する集団的関心の主張と、垂直的な政治的統合 とを歴史的に後押しする、市民的形態のモデルです。先に指摘したように、 このモデルは、「強い」そして相異なった国家―国民国家となる―が自らの 市民にそれを要求する資格を有する、統合と行動上の義務の規範を備えて いる価値、信仰、および集合表象の実体の存在に条件づけられています。 のちのマルセル・モース47)と同様、エミール・デュルケームは、近代の市民 性を国家と国民との間の一定の傾向を帯びた重なり合いの主要なベクトル とみなしました。ところで、このような重なり合いは、通常の状況という よりも、むしろ例外的なものです。例外的で、今日とりわけコストのかか る国民国家の形態のこの特徴を確認しながら、フアン・J・リンスは1990年 代の初頭からすでに、「国民構築に基づいたもの以外の国家的統合の方法へ と向かう」ことをより良く進めるために、「それに従えばあらゆる国家が国 民国家となることを試みるべきであろうモデル48)」を葬り去ることをわれわ れに提案しています。この移行の核心には、現代の政治理論と比較政治社 会学のアプローチを巡る、本質的な一連の問いが見出されます。それは、 自由主義的な民主主義における文化的な多様性の承認、「多文化主義的な市 民性」のモデルの展開、政治的ならびに文化的な同定の様式の多様性に基 づいた多民族国家の構築とその政治的な有効性、現代社会の「ポスト=国 民的な」未来、これらの社会に結びついた愛国主義と政治的忠誠の類型の 変容、市民性と国籍との間の一定の傾向性をもった分離……などです。つ まり、フランス社会学派の創設者の不安げな心配からわれわれをはっきり と遠ざける争点の全体です。ヨーロッパにおいても、北アメリカあるいは アジアにおいても試みられてきている新たな市民性の形態は、デュルケー ムが生きた観点とは異なる観点のなかに存するのです。数多くの現実の政 治的形態(ヨーロッパ連合、インド、カナダ、オーストラリア、南アフリ

47)ここで M. Mauss, La Nation, op. cit. を参照。

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カ……)において、公的空間のなかに価値の多様性が共存し、異なった価 値を備えた文化的下位システムに社会的行為者が直面しています49)。したがっ て、今後確実に揺り動かされるのは、国民的な国家の装置と完璧に一致す る、前もって確立された共同体あるいはデモスの観念なのです。この枠組 みにおいて、政治的正当性の問題は究極的な価値のレベルではもはや立て られず、しばしば行政的なまたテクノクラシー的なレベルで立てられます。 文化的な統合の弱さ―これはデュルケームの市民的プロジェクトの核心に ありました―は、すべての人に物質的な幸福へのアクセスの一定の平等性 を保障する社会システムの経済的能力によって埋め合わされます。社会の プラグマティックな運営はここでは、過去あるいは現在の配分をめぐる争 いのためにそれに基づいて市民たちが結集するのに苦労する、根本的な価 値への準拠なしになされます。こうした新しい市民的形態の潜在力を探究 するために、政治社会学は「複数のアイデンティティ」や、「立憲的な愛国 主義」や、「分化した主権」や、あるいはまた「法的多元主義」から成る新 たな文法を学ばなければなりません。 グローバル化の複雑な現象のなかに広く埋めこまれているこの激動は、 今日では考えられないことですが、集合体の優越を考慮に入れてデュルケー ムがその重要性を過小評価する傾向にあった、市民性の民主主義の深さを さらにより重く問います。ジョン・G・A・ポーコックによって見事なテク スト50)において標定された、相容れない二つの市民的概念のかつての対話を 想起させないわけはない、上下の観点の逆転が生まれます。それは例えば、 規約にかなった市民性の概念(デュルケームおよび現代の共同体主義の理 論家たちのもの)から、自らの市民性を共に生み出していくことへの市民 たちの配慮により高い価値を与える市民性の行為に適用される語義への移 行です。イギリスの歴史家ポーコックにとっては、市民性の二つの理想的 な概念が古代以来対話を行ってきている、ということが想起されます。第 一の、ローマの法学者ガイウスの業績が具現するものは、そこに何よりも まず特別な法的地位を見出し、その公民的4 4 4次元に高い評価を与えるのに対 して、第二の、アリストテレスの省察が例証するものは、市民的4 4 4次元を強

49)Cf. Alfred Stepan, Juan J. Linz, Yogendra Yadav, Crafting State-Nations. India and Other Multinational Democracies, Baltimore, The Johns Hopkins University Press, 2011.

50)John G. A. Pocock, « The ideal of citizenship since classical times » (1992), in R. Beiner (ed.), Theorizing…, op. cit. 第二章。

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調し、人類に固有の活動様式として市民性を定義します。この根本的な対 立を超えて、現代の分析は、「市民性の行為51)」への移行は今日の市民に期待 される「市民的美徳」の本質を新たな費用で問うことを想定しているとい う事実を強調する傾向があります。ここから、新たな『社会学講義』が生 み出されることになるでしょう……。 51)反対に、参加主義的な見方は、公共空間への市民の強い関与(ベンジャミン・バーバーBenjamin Barber がこの語彙を用いる意味において)を推奨します。そこでは市民たちは、「市民性の 行為」(Engin F. Isin, Greg M. Nielsen (eds.), Acts of Citizenship, London, Zed Books, 2008)を増 加させる使命を負います。この言葉によって、ある理論家たちは最近、市民性に関する研究 の根本的な変容を主張しています。彼らは、国家によって保証される近代的な市民的自由― 国家はその代わりに自らが保護する市民の忠誠を要求します―を認める帰属地位の所有を市 民性のなかに見出す観点を放棄しながら、市民的自由の行使と、国家を逃れさらに時には国 家に異議を唱える市民性の最初の行為者に市民がなるように貢献する政治的表現の目録(フ ラッシュ・モブ、社会参加した消費の様式、政治的象徴の芸術的な嘲弄……)とを強調しま す。

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