1 巻頭言
現実社会と研究者の責任
小林 良彰 * 著者は慶應義塾大学教授. ※ 本稿は 2011 年 11 月受理. * 1. 現実社会との関わり 現実社会における経済や政治に経済学者や政治 学者が関わる機会がある.例えば,経済財政諮問 会議には,歴代,経済学者が民間議員として加わ っていたし,他にも様々な経済政策に関する審議 会や委員会に多くの経済学者が参加している.同 様に,衆院選の選挙制度として小選挙区比例代表 並立制(以下,並立制)を導入した 90 年代の第 八次選挙制度審議会には政治学者が参加していた し,菅内閣で発足した東日本大震災復興構想会議 にも,政治学者が議長,議長代理,部会長と主要 な役割を担っていた. こうした形で経済学者や政治学者が現実社会と 関わる背景には,専門家の協力を仰ぎたいという 「政治側の目的」と社会のために自分の考えを実 現したいという「学識側の目的」が重なり合って いるものと考えられる.また,そうした会議や審 議会,委員会のメンバーになることで,少なから ぬ時間を割かなければならないことから,「世の 中を良くしていこう」とする思いなしにはメンバ ーを引き受けることは難しい.もちろん,そうし た現実との接点が希薄な純粋な方法論などの研究 も重要であるのは言うまでもないが,同時に,経 済学や政治学が現実社会との接点をもつことで自 分たちの理論やモデルの現実妥当性を検証して行 くことも必要な作業である.そのためには,前述 の委員会などのメンバーになって現実社会への視 野を広げることで,経済学や政治学に貢献し得る と期待する人も多いであろう. その一方で,現実社会には政策の帰結が伴うこ とになる.例えば,新自由主義的な政策の結果, 社会的格差が生じたのかどうか,また並立制を導 入した結果,政策論争が起きて政治の質が高まっ たのかどうかなど,当初の目論見通りの帰結にな るとは限らない.その際,政策を決定した政治側 だけでなく,政策形成に関わった学識側にも批判 の目が向けられることになる.そこで,本稿では こうした現実社会と関わりにおける研究者の責任 について考えてみることにしたい.なお,ここか らは 90 年代の政治改革論議を例にとって議論す るので,政治学に伴う特殊性があることをおこと公共選択の研究 第57 号 2011 年 2 わりしたい. 2. 90 年代の政治改革 ここで,当時を振り返ってみると,リクルート 問題や佐川急便事件など「政治とカネ」を巡る問 題が顕在化した際に,「きれいな政治」を求める 改革論議が巻き起こった.その際,政治資金の規 制強化を避け,選挙制度を当時の中選挙区制から 別のものに変えるように方向転換を図ろうとした 者もいた.つまり,国民の目を政治資金論議から 選 挙 制 度 論 議 へ 移 す た め に ,「 日 本 は 中 選 挙 区 制」なので「同じ政党から複数の候補者が出馬す る」ことになり,「同じ政党だから,政策に違い がない」ので「サービス合戦(有権者に対する利 益供与)をするしかない」ので「選挙にお金がか かる」ので「特定の企業や個人から巨額な政治資 金を受けることになる」と言う論理が当時,議論 されていた.言い換えると,「悪いのは政治家で はなく,選挙制度である」と言う主張であった. もちろん,この論理が誤っているのは言うまで もない.同じ政党から複数の候補者が立候補した としても,政策は候補者によって異なっている. また,たとえ政策に違いがないからと言って,何 故,サービス合戦で選挙を戦わなくてはならない のかが理解できない.さらに,仮にそうするとし ても,何故,だから違法な手段でお金を受け取っ ても良いと言うことになるのかがわからない. しかし,現実には,こうした論理がまかり通り, 「小選挙区制にすれば,政策論争が起きる」とか 「中選挙区制では 20%の投票者の支持を得れば当 選できるが,小選挙区制では 50%の投票者の支 持を得なければ当選できない.だから,20%民 主主義よりも 50%民主主義の方がより多くの民 意を吸収できる」,だから「一部の有権者目当て の票と補助金の交換は減少する」と言う理屈が産 み出され,結局,衆議院の選挙制度は中選挙区制 から小選挙区比例代表並立制へと移行することに なったわけである. それでは,日本の政治が良くなったかと言えば, そうではない.例えば,宮澤内閣から細川内閣に 政権交代した際には,衆議院の選挙制度が中選挙 区制から小選挙区比例代表並列制に変わったが, それで政治が良くなったのだろうか.さらに,そ の後,羽田内閣を経て自社さ連立による村山内閣 に政権再交代して自民党が政権に復帰したが,そ れで政治がどう変わったのかも明確にはなってい ない.つまり,政策に基づかない政権交代は政権 の担い手であるアクターの変化に過ぎず,政治の 善し悪しを左右する肝心の政策の変化には至らな い.もし,二大政党制による政権交代が起きるほ ど良い政治と言うならば,選挙の際に戦車が出て きて流血騒ぎを起こす二大政党による政権交代を 繰り返しているバングラデシュの政治が世界で一 番良いと言うことになる.しかし,現実には,同 国は選挙の度に政権が替わり政局が安定せず,長 期的な経済政策を欠いて世界最貧国の一つになっ ている. ただし,政治学者にとっては,選挙制度改革や 政権交代の帰結が問われるのではなく,それまで の主張がどれほど客観的で信頼に足るデータや根 拠,そしてどのような政治学的な理論やモデルに 基づいてなされたのかが問題である.そして現実 が自分が予測したものと異なっていたのであれば, その根拠であった理論やモデルの何が間違ってい たのかを検証して次世代の政治学への貢献を行う ことが責務となる. 3. 累積多数決の嘘 したがって,小選挙区賛成論者が 90 年代の政 治改革の折に,どのような根拠で小選挙区制のメ リットを説き,世論を並立制導入へと導いたのか, そしてその後,一転して反対の主張を行ったので あれば,先の根拠の何が間違っていたのかを明ら かにしなくてはならない. 例えば,「世論は多様なのだから意見を統合し なくてはならないので小選挙区がふさわしい」と 如何にももっともらしい理屈を立てる政治学者が いる.しかし,多様な世論を統合する方法は二つ ある.第一の方法は,小選挙区制により政治家を 選ぶ時点で統合してしまう方法である.第二の方
巻頭言:現実社会と研究者の責任 3 法は,比例代表制により多様な世論をそのまま議 席に反映して,議会の討議により統合する方法で ある.どちらの方法でも同じように見えて,汲み 取ることができる民意の量は大きく異なっている. 第一の方法に伴う小選挙区制の当選者の平均得票 率は 50%程度だから,その当選者によって構成 される国会における過半数 で吸収できる民意は 50%の過半数の内の 25%になる.つまり,多数 決の多数決という累積多数決を行うことで,有権 者の1/4 の民意が社会の決定を下すことが起こり 得る.「多数決の多数決は多数決とは限らない」 というのは公共選択論の基本である. 一方,第二 の方法で は代議 員を選出す る際に 多数決を採用せずに国会における多数決だけで社 会の決定が下されるため,有権者の1/2 の民意が 吸収されることになる.ここからは私見で恐縮で あるが,小選挙区賛成論者は「現実を良くしよう とするあまりに」政党や政治家に期待し過ぎてい たのではないか.問題なのは,その期待を小選挙 区賛成論者の中で政治学と連結させ,そうした期 待に基づいて政治学そのものを揺るがしたのでは ないか.しかし,政党や政治家が政治学的な理論 やモデルに基づいて行動しているとは限らないの で,現実政治の帰結が期待通りでなければ,その 期待によって形成された政治学が揺らいで見えて しまうのではないか.一例を挙げれば,90 年代 の政治改革当時,選挙制度について,与党に対抗 し得るだけの野党を形成するためにはどのような 選挙制度が良いのかという観点から政治学的な選 挙制度論をしていたのではないか.その結果,小 選挙区制に賛成したものの,それによってできた 大きな政党が小選挙区賛成論者の期待通りの政治 を実現しないと,今度は全く異なる政治学を持ち 出すことになる. もちろん,小選挙区賛成論者がその時々で特定 の政党や政治家に期待するのは自由であるし,政 治学者としてそれに基づく評論をするのも自由で ある.しかし,その評論が政治学者が依って立つ 肝心の政治学まで変えてしまっては本末転倒であ る.最も肝心なことは,私たちが貢献すべき相手 は,政党でも政治家でもなく市民であり,そのた めの政治学が研究者によって異なるとしても,市 民のための各自の政治学が早々,頻繁に変わりう るものではない.90 年代に入り,政治学は改革 論議のブレーキからアクセルへ変わったが,肝心 なのは,社会をどこへ導いていくのかというハン ドル操作を間違えないことである.曖昧な根拠や 政 局 に 任 せ て 思 わ ぬ 方 向 へ 社 会 を 導 く こ と は , 「学の暴走」と批判されても仕方ないことである. (こばやし よしあき)