Title
初歩の段階における読解指導とその問題点
Author(s)
喜友名, 宏
Citation
沖縄短大論叢 = OKINAWA TANDAI RONSO, 11(1): 41-67
Issue Date
1997-03-01
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/10673
初歩の段階における読解指導と
その問題点
喜 友 名
宏
1.はじめに 読解指導は、英語教育において重要な位置を占めていることは、何人も否定 できないことであろう。我が国では、読み書きはよいが、聞く話す能力が劣っ ているとよく言われる。果たしてそれはどうであろうか。TOEFL
における英語 力の国際比較では、聞く話す能力は言うまでもなく、読み書く能力でも一般的 に言って、平均以下であると言われている。読解力の問題はその分野だけで解 決するものではなく、聞く話すこととも相補的な関係にあるが、それ自体とし ても取り扱い方を検討しなければならないことは勿論である。 読みの指導を効果的あらしめるには、先ず、その指導の目的を明確にする必 要がある。使用しているテキストを読み終えることでも、文法を教えることで も、また単語を覚えさせることでもない。それは、言語的知識や非視覚的情報 を活性化させ、総合的に駆使することによって、積極的に意味を推測する学習 態度を育てることではなかろうか。その目的のためには、教材も指導も網羅的 ではなく、重点的に絞り込むことが必要になってくると思われる。 効果的な指導には、指導目標の明確化に加えて、それに劣らず重要なことは、 学習者に関することであろう。いわゆる学習者論である。即ち、そのレベルに おける学習者の読みの実体と特質を把握していなければならない。それには、 熟練した読み手の読解の仕方とを比較検討し、また読みが上達することはどう いうことなのか深く知る必要がある。それによって、学習者のレベルに関係な く、ほぽ同じ指導方法を踏襲するのではなく、それぞれの発達段階に応じた異 なる指導的な対応策が採れるのではないかと思う。その点から言うと、我が国 において、往々にして、英語学習の初歩の段階(中学校)から大学教育に至る まで翻訳式教授法が多用されていることは再考が求められる。唱 - - .
4 a・英語教育において、言語における意味とは何か、そしてそれをどういう風に 理解するかということは、根本的な課題であるが、英語教育の分野で、必ずし もそれらの問題が重視され、そしてそれが指導の中に充分生かされているか疑 問である。意味の理解と直接結びつかないやり方で、文法構造的な面がそれ自 体として取り扱われ過ぎている嫌いがあると言えないだろうか。そう言った事 柄に余りにも多くのエネルギーが費やされ、バランスを欠いた、偏った指導が 多かったと思われる。母国語話者が、日常生活で、意志の陳通を図っていく上 で、文法は50%ほど知っていれば、支障がないと言われている。それは言語の もつ余剰性(Redundancy)と言う特性によるものであろう。特に言語の発話に は、意味的理解に必要以上の情報が含まれているということである。しかしな がら、書き言葉にも、話し言葉ほどではないが、それは当てはまることである。 あくまで相対的なものではあるが、意味理解には、文法に加えて、その他の種 類の情報が相補的に作用し、総合的に行われるのだから、文法的な形式だけの 精度化に不必要な時間が割かれるのは、学習にも時間的制約があるわけで、無 駄なことと言っても過言ではないと考える。 最初のところで述べたことの繰り返しになるが、特に初歩の段階における読 解の指導は、言語的非視覚的な情報を相補的に総合的に活用して、意味を理解 しようとする学習態度の基盤を身につけさせることである。読解力を身につけ るには、学習者が確たる目標を持って(もたせる)ことによって、自信を小刻 みに積み重ねていく必要があり、それは教師の一方的な授業を受付身的に受け ることからは生まれてくるものではなく、主体的に学ぶ中から生じてくると思 われる。そのような自信を生み出す教授法を模索しなければならない。以後、 読解、特に読解の初歩の段階にいる学習者の観点からの読解指導のあり方に焦 点を当てて検討していくことにする。
2
.
最近の読解の捉え方の傾向 読解指導の問題点を取り上げる際、頭にすぐ浮かんでくることはと言えば、 それは伝統的な文法・翻訳式教授法のことである。それほどまでに長期にわたっ て指導法だけでなく学習者の学習感までも支配しているのである。その理由はいろいろあると思われるが、その中の最大のものは学習者の観点からの読解に 対する考えがまだ深められていないことであろう。文法・翻訳式教授法の指導 上の問題点については後で検討することにするが、先ず知っていなければなら ないのは翻訳と違う ReadingComprehensionとは何かと言うことである。そこ で何人かの研究者の定義を引用することから始めよう。 FrankSmith (Under -standing Reading, 1994:7)は次のように定義づけている: Understanding, or comprehension, is the basis of reading and of learning to read. What is the point of any activity if there is no understanding? Comprehension may be regarded as relating relevant aspects of the world around us -written language in the case of reading -to the knowledge, intention, and expectation we already have in our heads. これは典型的なTop-downmodelで、要するに、予備知識、期待、予想、経 験等の非視覚的情報を多用して意味の理解に到達する。読解においては積極的 に推測することが中核的な考えであろう。読みに熟達すればするほど、少ない 視覚的情報で意味を把握することになる。母国語読みというか熟練した読み手 の特質を示す読解の過程であり、外国語の読みにおいてはその段階に容易に到 達できないことは勿論であるが、読解指導において常に銘記しておくべきもの で、それは読解の重要な特質の一つを表していることは否定できない。 また、 RonaldWardhaugh (Reading: A linguistic Perspective, 1969:137)も 次のように述べている:
Comprehension is not a passive process. The comprehender must con -tinually make hypotheses about what he is hearing or reading
,
attempt to match these hypotheses with other data he has available to him,
and modify the hypotheses if they are inadequate. 読解というのは受け身的なものではなく、仮定と検証の連続である。特に書 q d a n Tき言葉は
Wardhaugh
の言葉を引用すれば‘I
ng
e
n
e
r
a
l
,w
r
i
t
t
e
n
l
a
n
g
u
a
g
e
i
s
more
d
e
l
i
b
e
r
a
t
e
,more complex
,more h
e
a
v
i
l
y
e
d
i
t
e
d
,and l
e
s
s
r
e
d
u
n
d
a
n
t
t
h
a
n
spoken l
a
n
g
u
a
g
e
,and i
t
o
f
f
e
r
s
n
o
o
p
p
o
r
t
u
n
i
t
y
t
o
Q
u
e
s
t
i
o
n
t
h
e
w
r
i
t
e
r
i
n
o
r
d
e
r
t
o
s
e
e
k
c
l
a
r
i
f
i
c
a
t
i
o
n
o
f
h
i
s
i
n
t
e
n
t
i
o
n
o
f
h
i
s
s
t
a
t
e
m
e
n
t
s
.
'
ふつう言語には必要以上の情報が含まれていることはすでに述べたことであ る。特に話し言葉にはその傾向が強いと言われ、書き言葉は余剰情報が比較的 少ないため、書き手の意図するところをつかむためには読み手は言語的意味的 な推測を活発に行わなければならない。話し言葉をすでに習得している母国語 話者でも音声と文字の結びつきを学習すればすぐに理解を伴った読みができる かというとそうではなく、かなりの読解の訓練を必要とすることは言うまでも ない。 上記の、特に、Smith
の言う文脈的な手がかり、あるいは背景的な知識を駆 使して意味を予測するという考え方はすでに述べたように外国語の読解指導で も極めて重要であるが、文法構造の認知をすでに自動化している母国語話者の 場合でさえ、理解の困難にぷっつかった時は個々の語棄や文法を意識的に検討 する必要とすると言われ、ましては外国語としての読解において、まだ未熟な 学習者は特に語集や文法項目を認知できるように訓練し、それをスピーディー に意味の理解に直結させる訓練をしなければならないことは言うまでもない。 もう一つのスキーマ理論的なR
e
a
d
i
n
gC
o
m
p
r
e
h
e
n
s
i
o
n
の見方を取り上げると、R
i
c
h
a
r
d
C
.
Anderson and P
.
D
a
v
i
d
P
e
a
r
s
o
n
(
1
9
8
8
:
3
7
)
は次のように述べてい る:…t
h
e
i
s
s
u
e
o
f
how t
h
e
r
e
a
d
e
r
'
s
s
c
h
e
m
a
t
a
,
o
r
knowledge a
l
r
e
a
d
y
s
t
o
r
e
d
i
n
memory
,f
u
n
c
t
i
o
n
i
n
t
h
e
p
r
o
c
e
s
s
o
f
i
n
t
e
r
p
r
e
t
i
n
g
new i
n
f
o
r
m
a
t
i
o
n
and
a
l
l
o
w
i
n
g
i
t
t
o
e
n
t
e
r
and become a
p
a
r
t
o
f
t
h
e
knowledge s
t
o
r
e
.
Whether
we a
r
e
aware o
f
i
t
o
r
n
o
t
,
i
t
i
s
i
s
t
h
i
s
i
n
t
e
r
a
c
t
i
o
n
o
f
new i
n
f
o
r
m
a
t
i
o
n
w
i
t
h
o
l
d
knowledge t
h
a
t
we mean when we u
s
e
t
h
e
term c
o
m
p
r
e
h
e
n
s
i
o
n
.
て、読みの理解を捉えると言うことだろう。それはテキストや談話構造等の内 容構造をどう捉えるかと言うことである。
David E. Eskey (1988:93)は‘the(top-down) model they (Goodman and Smith) promote is accurate model of the skilled reader, fluent reader, for whom perception and decoding have become automatic, but for the less,
developing reader -like most second language readers -this model does not provide a true picture of the problems such readers must surmount.'と述べ、 bottom-up recognition sk
i
1
l
sとtop-downinterpretationの過程の絶えざる相 互作用が必要であることを強調している。勿論どちらをどの程度強調するかは 読み手の学習段階を考慮しなければならない。特に初歩の学習者にとって言語 的、即ち語棄と文法構造の認知の訓練は強調されなければならない問題であろ う。いずれにせよbottom-upもtop-downのいずれにおいても文構造や意味的 な予測の積極的な活動であることである。教師の一方的な指導をただ受け身的 に消極的に受け取るという態度からは学習の成果はあまり期待できないであろつ
。
3
.
熟練した読み手と未熟な読み手の特質 未熟な読み手について述べる前に、どうしても熟練した読み手の特質を検討 する必要がある。それとの比較を通して初期の学習者の特質がより一層明確化 し、目指すべき目標がよく分かり、目標に一歩一歩近づくための学習の指導方 法も生まれてくるからである。読解というのは視覚に訴えることと心理的な認 知過程の両面をもっており、ただ文字を線形的に音声化すれば読解が成り立つ ものではなく、逐語的に母国語に置き換えれば文が理解されることでもない。 それは言語的情報と非視覚的情報の活性化による総合的な認知過程の結果であ ろう。読解では指導の対象者がどのレベルであろうと、基本的には同じで、読 解の基礎を築くためには、読み手の積極的な働きかけが必要とされることであ る。学習のそれぞれの段階においてどのような取り組みをするかである。特に Frank Smithを参考にしながら熟練した読み手の特徴や傾向について未熟な読 み手と比較しながら述べることにする。 F h d a 4Frank Smith (1994:18)は‘Predictionis the core of reading.'と述べ、読解に おける予測の重要性を車の運転に例えている:
An important difference between a skilled driver and a learner is that the skilled driver is able to project the car into the future and the learner's mind is more closely anchored to where the car is now -when it is usually too late to avoid accidents. The same difference tends to distinguish skilled readers from beginners, or from any one having difficulty with a particular piece of reading. 熟練運転手と未熟運転手の違いはよき読み手と不慣れな読み手との聞の違い にも当てはまることである。それは何かというと、予測力があるかないかの問 題であろう。慣れた運転手は運転操作も自動化しているだけでなく、先の先ま で広い見通しをもって運転できるが、慣れない運転手は予測力に欠けるので、 注意が狭い範囲に限定されて、正確な運転が妨げられる。それと同じように、 慣れた読み手は眼前の視覚的な情報への依存度を最小限にとどめ、非視覚的な 情報、即ち、予備知識や経験を多用して、意味をスピーディーに把握する、い わゆる Top-down的な読みである。それとは対照的に、未熟な読み手は逐語的 に処理し、大きな文脈の中で意味を捉える読み方をしない。と言うよりそのよ うな理解の仕方ができないと言う方が適切であろう。ここで熟練した読み手の 特質についてもっと詳しく見てみよう。 先ず第ーに、意味を理解するのに視覚的情報への依存が少ないことである。 語棄を認知するのにそれを構成している個々の文字をすべて同じように直接視 覚で捉える必要がないし、それから文の意味を把握するのに個々の語棄を逐語 的に見ていく必要がない。より大きな単位聞の関係一一語と語、句と旬、そし て文と文一ーの中でいろいろの情報の手がかりを活用して理解しようとするの で、個々の単語に一様に注意を払う必要がない。たとえ文中に不鮮明な文字が あっても、言語的知識や予備知識を補って推測して理解するので、全体的な意 味を把握するのにあまり支障がないのである。
よい読み手は意味的文法的に有意味な結びつきであればあるほどそれだけ理 解する正確度や速度も増してくる。それは彼らが意味を理解するのに、言語的 意味的な余剰情報を多用していることの表れであろう。未熟の読み手の場合は、 有意味な結びつきであることの読みへの影響は、よき読み手の場合のような顕 著さは見られない。これも両者の違いを示す特質であろう。人間の脳が一定時 聞に処理できる視覚的情報量というのは、限界があり、各単位聞の結びつきを 考慮に入れずに、個々の文字や単語を個別に独立したものとしてトンネル視覚 的に捉えると、記憶処理に過重な負担がかかり、それだけ読む速度も遅くなる。 そのために意味理解が著しく妨げられるようである。というのは、読み手が読 んで理解するというのは、すでに読み終えた部分を記憶にとどめ、それを新た に読む部分とを結びつけながら読み進むからである。意味の理解と記憶の問題 は読解の重要な要素である。 流暢流な読み手の特質の一つに‘
t
h
e u
s
e
o
f
r
e
d
u
n
d
a
n
c
y
,
o
r
a
l
t
e
r
n
a
t
i
v
e
s
o
u
r
c
e
s
o
f
i
n
f
o
r
m
a
t
i
o
n
'
(
F
r
a
n
k
Smith
,1
9
7
1
:
8
)
がある。言語表現にはそれを理 解するのに必要以上の情報(
R
e
d
u
n
d
a
n
c
y
)
が含まれている。よい読み手はその 情報をうまく活用すると言われる。例えば語のレベルで言えば、語の最初の文 字が tであれば、その次に使用さられる可能性のある文字は殆どと言っていい くらいh
,
r,
w
か母音に限るとか、また文が“We"
であれば、次に現れる語は動 詞である可能性が極めて高いということである。新聞英語等によく使用される 構造に、“.
.
s
a
i
d(
t
h
a
t
)
…"があるが、次には(主部+述部)が来るなどである。 このような言語構造的な情報に加えて、言外の知識等を補って意味を理解する のである。 ここで、“R
e
a
d
i
n
gC
o
m
p
r
e
h
e
n
s
i
o
n
"
の特質について総括的に述べてみよう。 先ず第一に、FrankSmith (
1
9
9
4
:
1
8
)
が'
P
r
e
r
e
d
i
c
t
i
o
ni
s
t
h
e
c
o
r
e
o
f
r
e
a
d
i
n
g
.
'
の ように述べているように、読解(聴覚を含めて)は予測や推測を必要とするも のである。読みすすみ理解していくためには絶えずより大きな文脈の中で、言 語的意味的な情報を選択しなければならない。未熟な読み手の場合は注意が個々 の文字や単語を分離的に見ていき、他の要素との文法的意味的な関連性の中で 考えない。眼前の視覚的な情報を越えた非視覚的な情報を駆使できないところ 司 t a a τが未熟な読み手の特徴であろう。よい読み手の場合、有意味の単語の結び、つき であれば、限定的な視覚情報で容易に理解できるのも意味理解が予備知識を多 用して行われる証左であろう。プロの読み手である放送者は原稿を読む前にそ の原稿を走り読みをしてその趣旨をつかんだ上で、本番に備えると言われ、文 字や単語などの視覚的情報への依存を最小限に止め、スピーディーに読めるよ うになるのである。上記のことは、予備知識の活用が読みにとっていかに重要 かを示していると思う。それは通訳の場合にも言える事柄である。‘Prediction' のメカニズムについてもっと言及すると、予測というのは意味に関するいろい ろの選択肢(意味の暖昧さ)から意図する意味の特定化のために言語や予備知 識などの非視覚的な情報を駆使して、その範囲を狭めて意味を理解することで ある。 FrankSmith (1994:157)中から引用してみよう。
The term
meaning i
n
d
e
n
t
i
f
i
c
a
t
i
o
n
also helps to empasize that comprehen-sion is an active process. Meaning does not reside in surface structure. The meaning that readers comprehend from text is always relative to what they already know and to what they want to know. Put another way,
compre -hension involves the reduction of a reader's uncertainty, asking and getting them answered, which is a point of view already employed in the discussion of letter and word indentification. Readers must have specifications about釘leanmgs. 流暢な読み手の場合は、繰り返しになるが、総じて視覚的情報への依存度は低 いと言える。但し、このような熟練した読み手も読むテキストの内容が自らの 予備知識の範囲を超える場合、文中の文法構造等を意識的詳細に詮索せざるを 得ないことが起こるようである。その意味で熟練した読み手と未熟な読み手の 違いは絶対的なものではなくて相対的なものである。この辺の事情はFrankSmith の次の言葉から明らかでトある:
Even experienced readers have difficulty in reading some texts because of the way the texts are written, or because of inadequate nonvisual infor
-m
a
t
i
o
n
on t
h
e
r
e
a
d
e
r
'
s
p
a
r
t
,
and some t
i
m
e
s
b
e
c
a
u
s
e
o
f
p
r
e
s
s
u
r
e
o
r
a
n
x
i
e
t
y
i
n
v
o
l
v
e
d
i
n
t
h
e
p
a
r
t
i
c
u
l
a
r
a
c
t
o
f
r
e
a
d
i
n
g
.
And when o
t
h
e
r
w
i
s
e
“c
o
m
p
e
t
e
n
c
t
"
r
e
a
d
e
r
s
e
x
p
e
r
i
e
n
c
e
d
i
f
f
i
c
u
l
t
y
i
n
r
e
a
d
i
n
g
,
t
h
e
y
t
e
n
d
t
o
r
e
a
d
l
i
k
e
b
e
g
i
n
n
e
r
s
.
By t
h
e
same t
o
k
e
n
,
when b
e
g
i
n
n
e
r
s
f
i
n
d
e
a
s
y
m
a
t
e
r
i
a
l
t
o
r
e
a
d,
t
h
e
y
t
e
n
d
t
o
r
e
a
d
l
i
k
e
e
x
p
e
r
i
e
n
c
e
d
r
e
a
d
e
r
s
.
ここまで検討してきたことからも、初期の読み手の特質は、ほぽ明らかである と思われるが、その特質をより一層明確にすることは、低いレベルの学習者を どう自主的な学習の軌道に乗せるかを考える際、極めて重要だと考える。前章 で、読みに慣れたものと慣れていないものとの違いを車の運転を例に検討した。 車の未熟な運転手は運転操作が充分自動化してないだけではなく、視野が車の 現在地の狭い場所に限定され、広い視野というか、見通しをもたずに、不確か な状態で運転している。車の運転は言語の運用とは必ずしも同じものではない が、読みを学習している読み手の有り様をよく表していると思われる。その特 質をいくつかの視点から検討してみよう。 第一に、個々の単語を孤立的に見る。即ち、他の単語との関連で意味を推測 することができないことである。従って、意味を理解しようとすると、一つの 単語に余計に注意が向けざるを得ない。そのように単語一つ一つに繰り返し注 意が向けられることが行われることになる。理解するためには、視覚で捉えた ものを数秒で消滅してしまう短期記憶の中に先ず保持しなければならない。そ の為記憶に課される負担が過重になり、理解作用が妨げられ、あるいは不可能 になると言われる。例えば、本のページを読む場合、一つの単語だけが見えて、 他の部分は押さえて見えない状態にした場合のことを考えればよく分かること である。言うまでもなく、読むスピードが極端に遅く、そのため短期記憶から 視覚情報が次々消滅していく。全体が支離滅裂になり理解作用が失われてしま う。いわゆる‘t
u
n
n
e
lv
i
s
i
o
n
'
的になり読解障害に落ち込む。こうしたことやそれ に類似したことは、指導の際、日常的に経験していることである。 第二に、読んで理解するためには、視覚的な情報を読み手がすでに知識とし て蓄積している非視覚的情報に結び付けなければならない。(
F
r
a
n
kSmith
,1
9
9
4
:
-49-7
)
は‘Comprehensionmay b
e
r
e
g
a
r
d
e
d
a
s
r
e
l
a
t
i
n
g
r
e
l
e
v
a
n
t
a
s
p
e
c
t
s
o
f
t
h
e
w
o
r
l
d
a
r
o
u
n
d
u
s
-w
r
i
t
t
e
n
l
a
n
g
u
a
g
e
i
n
t
h
e
c
a
s
e
o
f
r
e
a
d
i
n
g
-
t
o
t
h
e
knowledge
,
i
n
t
e
n
t
i
o
n
,
and e
x
p
e
c
t
a
t
i
o
n
s
we a
l
r
e
a
d
y
h
a
v
e
i
n
o
u
r
h
e
a
d
s
.
'
と述べ、読解は新 情報を既知の情報に結びつけることにおいて一般的な学習と共通するものであ ると結論づけている。初歩の学習者は非視覚的な情報が乏しいだけでなく、そ れらを読解に活用するストラテジーの適用の訓練が欠けていると言える。その ためどういうことが起こるかというと、前述したように、文字や単語のような 視覚的なものへの依存度が高くなり、理解作用が大いに妨げられる。たとえ、 訳が一応できたとしても、学生に訳をさせた場合によく見られることだが、訳 文が何を言おうとしているか意味不明な場合が多く、採点に閉口するとことが ある。 第三に、言語の持つ‘R
e
d
u
n
d
a
n
c
y
'
(言語にはそれを理解するのに必要以上の 情報が与えられている)を利用した暖昧さの減少が読みの理解である。いろい ろな可能性の中から適切なものを選択することである。その場合、適切な選択 を可能にしてくれるものは言語の構造に対する知識と世界知と経験の絶えざる 活用であろう。初歩の学習者にはその面の弱さが顕著であり、広範囲の文脈の 中で意味を考えることができない。意味というのは孤立的なものからは生まれ てくるものではなく、可能な限り大きな文脈の中に個々の語棄を位置づけなけ ればならない。意味の基本単位は語棄であるが、語重量には文法的意味的触覚が あり、他の語棄のそれと結びつくことによって、相互作用を行うことで意味が 生ずる。語棄にはもともと多くの異なった意味の可能性があり、それぞれの文 脈の中で意味が絞られて、その意味が確定される。未熟な読み手の読みは、読 みが線形的で、無目的でしかも非選択的に左から右へ進む。読みには目的を持っ て、予測を伴って進行しなければならないが、未熟な読み手にはそれが欠知し ている。 読み習得の成否は大きく母国語の読解力に依存するという見方もある。そう 言う意味では、未熟な読み手の問題は母国語の読みの問題と重要な関連'性を持っ ていると考えられる。その点から未熟の読み手の特質を導き出すこともできる だろう。J
o
l
l
y
(
1
9
7
8
)
は“S
u
c
c
e
s
s i
n
r
e
a
d
i
n
g
a f
o
r
e
i
g
n
l
a
n
g
u
a
g
e
d
e
p
e
n
d
s
c
r
u
c
i
a
l
l
y
apon o
n
e
'
s
f
i
r
s
t
l
a
n
g
u
a
g
e
r
e
a
d
i
n
g
a
b
i
l
i
t
y
r
a
t
h
e
r
t
h
a
n
upon t
h
e
s
t
u
d
e
n
t
'
s
l
e
v
e
l
o
f
E
n
g
l
i
s
h
i
f
t
h
i
s
i
s
i
d
e
n
t
i
f
i
a
b
l
e
"
と主張している。Coady
(l9
7
9
)
は外国語の読みは読みの問題であって、言語の問題ではないとま で言い切って、‘Wehave o
n
l
y
r
e
c
e
n
t
l
y
come t
o
r
e
a
l
i
z
e
t
h
a
t
many s
t
u
d
e
n
t
s
have v
e
r
y
p
o
o
r
r
e
a
d
i
n
g
h
a
b
i
t
s
t
o
t
r
a
n
s
f
e
r
from t
h
e
i
r
f
i
r
s
t
l
a
n
g
u
a
g
e,
a
n
d
t
h
u
s,
i
n
many c
a
s
e
s
,
we must t
e
a
c
h
r
e
a
d
i
n
g
s
k
i
l
l
s
w
h
i
c
h
s
h
o
u
l
d
h
a
v
e
b
e
e
n
l
e
a
r
n
e
d
i
n
f
i
r
s
t
l
a
n
g
u
a
g
e
i
n
t
r
u
c
t
i
o
n
.
'
と主張しているくらいである。言語的非視覚的な 知識があると言うだけでは充分ではない。それは活性化されて初めて顕在化さ れ、読解に生かされてくると言われる。J
ohn D
.
B
r
a
n
s
f
o
r
d
,
B
a
r
r
y
S
.
S
t
e
i
n
and
Tommie S
h
e
l
t
o
n
は次のようにR
e
a
d
i
n
gs
k
i
l
l
の指導の重要性を強調している:The a
v
a
i
l
a
b
i
l
i
t
y
o
f
p
o
t
e
n
t
i
a
l
i
n
f
o
r
m
a
t
i
o
n
i
s
n
o
t
s
u
f
f
i
c
i
e
n
t
f
o
r
c
o
m
p
r
e
h
e
n
-s
i
o
n
;
p
o
t
e
n
t
i
a
l
knowledge must b
e
a
c
t
i
v
a
t
e
d
i
n
o
r
d
e
r
t
o
f
a
c
i
l
i
t
a
t
e
p
e
o
p
-l
e
'
s
a
b
i
l
i
t
i
e
s
t
o
u
n
d
e
r
s
t
a
n
d
a
n
d
l
e
a
r
n
.
読みの方略の指導は読解指導の重要な部分を占めるのは間違いないことである と考える。英語の読解をサポートし、より効果的にするためには極めて重要な ことである。 最後に、初歩の学習者は読みの暖昧さに弱いと言うことである。意味の理解 というのは表層的明示的なものの認知ではなく、複雑な抽象的な構造の把握で ある。言語的非視覚的情報を活用しての読み手の積極的な働きかけによって、 いろいろの可能性の中から意味を推測し、創造する活動であると思われる。そ う言う意味で、読解活動には常に暖昧さを伴うのは当然である。読解力を身に つけるためには、暖昧さは避けられないもので、当然経験しなければならない ものである。それに適応していく心の柔軟性が要求されてくる。読んで意味を 理解することは‘t
h
er
e
d
u
c
t
i
o
n
o
f
u
n
c
e
r
t
a
i
n
t
y
'
とも言われ、読解の出発点は暖 昧さの中にあると言っても過言ではないであろう。暖昧さを避けては、読解作 用も起動しない。未熟な読み手の特性として、教師の訳を唯一のモデルとして それに依存しきってしまうことである。他力依存性が歴然と見られるのである。 唱i F 同 u教師中心の指導がこのような受け身的な学習態度に拍車をかけ、教師から独立 した積極的な読みの習慣の養成を妨げてしまう。どうしても教師中心の指導は、 完壁主義に陥りやすく、学習者の側から言うと、教師の訳が何と言っても絶対 的なものに見えてくる。学習者自身が意味ををあらゆる情報を活用して意味を 推測するという積極性はでてこない。自ら意味を見つけだすことに購膳するか、 または恐れを抱くことさえするのである。本来、意味解釈は読み手の頭の中で 創造されるもので、そう言う意味では絶対的なものではなく、相対的なもので ある。 読み方にはBottom-upとUp-down的なものがあるが、初歩の学習者はBot -tom-up的な読み方をし、熟練者はUp-down的な読み方をするという絶対的な 区別はないようである。そのことについては、 DavidE. Eskey (1988)は次に様 に述べている:
…
many studies have shown that poor readers are just as likely as good ones to rely on prior knowledge in deciphering texts, and that the use of this top司downstrategy is not,
as top-down theorists would have us believe,
the hallmark of good reading in every situation...To properly achieve both, developing readers must therefore work at perfecting both their bottom-up recognition skills and their top-down interpretation strategies. 読みに関しては、熟練者、未熟練者を問わず、読みの基本は推測と言うことで ある。それは両者を区別する絶対的な特質ではなく、相対的な問題であろう。 そう言う意味でも、初歩の学習者の指導においても推測力をどうやって身につ けさせるかという方向性を持って指導することが大事ではないかと思う。次に 初心者が読解にとって、重要な推測力を高めるための基本的な事柄について述 べてみよう。
4
.
初歩の学習者の指導上の留意点4. 1
読解に必要な文法事項の精選の必要性 読解指導の初期の段階において、学習者は文法事項の基本的な知識を身につ けいなければならないが、外国語としての英語の読解を学習している、特に初 歩の学習者は、文法的知識もまだ貧弱な段階にあるので、読解指導と同時に文 法構造についても指導しなければならない。また、たとえ文法の基礎的知識を 持っていても、単なる知識の段階に留まっている場合が多く、それを意味獲得 に活用できるという保証はないのである。この場合の文法事項の指導はどうあ らねばならないか、極めて重要な事柄であることは言うまでもない。読解は実 際的な言語の運用であるので、普通よく見られるところの文脈から独立した断 片的な網羅的な文法知識の指導ではないことは明らかであろう。意味を把握す るための手段としての文法事項の精選と重点化が必要となってくる。そしてそ れは文文法の枠を越えたパラグラフ等の文より大きい単位を取り扱う談話構造 や文と文脈や文が使用される場面との関係を特に見る語用論までも包含しなけ ればならないであろう。そのことについてはD
a
v
i
dL
i
t
t
l
e
(
1
9
9
4
)
は次のように 述べている:Throughout t
h
e
h
i
s
t
o
r
y
o
f
l
a
n
g
u
a
g
e
t
e
a
c
h
i
n
g
,
t
h
e
word grammar h
a
s
u
s
u
a
l
l
y
meant s
e
n
t
e
n
c
e
grammar and h
a
s
b
e
e
n
a
s
s
o
c
i
a
t
e
d
w
i
t
h
a
s
t
r
o
n
g
p
e
d
a
g
o
g
i
c
a
l
e
m
p
h
a
s
i
s
on i
n
f
l
e
x
i
o
n
a
l
m
o
r
p
h
o
l
o
g
y
and s
戸l
t
a
x
. R
e
c
e
n
t
f
o
r
m
a
l
c
o
n
c
e
r
n
w
i
t
h
l
a
n
g
u
a
g
e
i
n
u
s
e
o
f
f
e
r
s
t
o
e
x
t
e
n
d
t
h
e
s
c
o
p
e
o
f
“gram-mar" t
o
i
n
c
l
u
d
e
,
f
o
r
example,
d
i
s
c
o
u
r
s
a
l
and p
r
a
g
m
a
t
i
c
d
i
m
e
n
s
i
o
n
s
.
文法と言っても、意味の理解と無関係であってはいけないし、あくまで、意 味の暖昧さを少なくし、意味の理解の方向性を示し、読解作用に貢献するもの でなければならない。文法的説明は枝葉末節的なものは極力避け、意味理解を 助けるものに特に限定する必要がある。学習者のレベルによって異なるが、少 なくとも、初歩の学習者を対象にした場合は、意味の理解に必要最低限のもの にすべきであると思う。“
Forb
e
g
i
n
n
e
r
s
,p
e
d
a
g
o
g
i
c
a
l
grammar a
s
c
o
n
t
e
n
t
may
内 唱 M F h d
be l
i
t
t
l
e
more t
h
a
n
a
h
a
n
d
f
u
l
o
f
g
e
n
e
r
a
l
r
u
l
e
s
b
a
s
e
d
on o
b
v
i
o
u
s
c
o
n
t
r
a
s
t
s
w
i
t
h
t
h
e
i
r
f
i
r
s
t
l
a
n
g
u
a
g
e
,
and p
e
d
a
g
o
g
i
c
a
l
a
s
p
r
o
c
e
s
s
may b
e
d
i
f
f
i
c
u
l
t
t
o
d
i
s
e
n
t
a
n
g
l
e
from t
h
e
o
t
h
e
r
p
e
d
a
g
o
g
i
c
a
l
m
e
a
s
u
r
e
s
t
h
a
t
t
h
e
t
e
a
c
h
e
r
e
m
p
l
o
y
s
.
"
(
D
a
v
i
d
L
i
t
t
l
e
,
1
9
9
4,
e
t
a
l
)
のように、事細かい文法的な分析は学習者の理解を 助けるどころか逆効果になりかねない。その段階の指導は、あくまで、自力で 主体的に学習を進めるための基盤づくりをするというか、学習の方向性を示す 必要最低限のもに止めるべきで、詳細な文法的知識は当面の学習には必要では ないと思われるからである。読む量が増え、読解力が付いてくるに従って、文 法能力は徐々に向上し、洗練され、そしてそれが意味の理解の尚一層の正確さ を助けることになるであろう。読解の基礎を築くためには文法は部分的な役割 に止め、意味を理解するための総合的な情報の一環として限定的に考えるべき である。それが学習の複雑さを軽減し、より効率的に読解の基礎を身につける 近道だと考えられる。読みのレベルによって、より詳しい、正確な文法知識を 要する場合もあるが、一般的に言って、文法事項の多くが意味理解において余 剰情報であり、意味の理解は言語的な要素だけではなく、いろいろの言語外の 情報を手がかりにして総合的に行われ、詳細な文法的知識は要らないと考える からである。過重に文法形式の分析に依存すべきではなしそう言う意味で、 特に初歩の読み手の読解指導においては文法項目の骨太な重点的な取り扱いが 極めて重要な事柄である。 文法で最も重要なことは、動調とその他の品詞、特に名詞とが相互にどのよ うに結びついて、どのような文構造を構成していくかであろう。それに品調の 問題はいろいろの文法で取り扱われ、重要な部分をなしているが、果たして学 校教育でどのようにどの程度重視され、指導されているか明らかでないが、品 詞の文中における役割と特質に対する理解を深め、品調感覚を養うことは文構 造を理解し、また意味推測を行う際、極めて重要なことである。品詞は語集と は不離一体なもので、その明確な形式的意味的な概念を持つことは極めて重要 である。単語を知ると言うことは品調に対する知識もその条件の一つでなけれ ばならない。と言うのは単語は単独で使用されることは殆どなく、他の単語と の関係で使用され、その際、品詞の概念が必要になってくる。そのことについて、 JeanAitchison(1987:99)は次のように述べている。
When people pick one word in mistake for another, the errors almost always preserve the word class of the target, whether they are based on meaning
,
sound,
or both meaning and sound. N ouns change place with nouns, verbs with verbs and adjectives with adjectives, as in the examples below:I1's called the Quail (Lark) and Dove. I looked in the calendar (catalogue).
I
t
's a good way to contemplate (compensate). The book I just wrote (read) was awful. That model is extinct (obsolete).The tumor was not malicious (malignant).
語業選択の誤りはその品調を保持するという。そのことは品調が語棄の不可欠 な要素であることを表している。そう言うわけで単語の知識の中には重要な要 素として品調が含まれていなければならない。文を構成は単語と言うよりむし ろ品調であり、それが相互にどう結びつくかによってなされるものである。 文構成で最も重要な品詞は動調である。文構造の要の部分であり、文の意味 の理解も動詞を軸にして展開されていく。その他の品調、特に名調がいくつど ういうふうに動詞に結びつくかによって、いろいろの文構造ができあがる。文 を理解する場合も、その枠組みを把握することは極めて大事なことである。 H. H. Clark/ Eve V. Clark (1977:63)は次のように動調の役割を説明している。
Content words themselves limit what can occur around them. Among content words, verbs restrict their environments the most. Within simple sentences
,
for example,
the verb often specifies whether there should be one,
two,
or three noun phrases with it
.
P
﹁
u
r D
従って、文中の動詞を確定することは、文に統語的意味的枠組みを与えるこ とになり、意味把握に重要な貢献をなすことになる。このことについて、
H.H.
Clark/ Eve V. Clark (et al)は次のように例をあげて説明している:The man slep
t
.
The man hit ball.The man put the dog into the house.
S
l
e
p
t
requires only one noun phrase -its subject -though it may have more. Hitrequires at least a subject and an object,
two noun phrases. Put requires a subject, an object, and a location, three noun phrases. When listners encounterρ
ut, for example,
they know they must find an object and location and will identify upcoming content words as an object and location.これは聴覚について言及しているが、読解も Receptiveなもので、意味理解 と言うことでは読解にも当てはまることである。こうした情報は、意味を推測 する場合、有効に活用できるものである。こうした知識の活用も学習者に品詞 の概念がある程度できていないと、充分生かし得ないことだと考える。
David Little, Words and their properties (117). In T. Odlin (1994)も動調の 重要性について言及している: Work on the syntactic properties of words will need to give particular attention to verbs and the verb phrase, for two reasons. First, the verb is the engine of syntactic structure -which helps to explain why early identification of the verbs in a word jumble speeds up the elaboration of a story schema. Second, it seems likely that in the mental lexicon the verb is particularly heavily loaded with syntactic information.
動調は文に構造的な枠組みを与えると共に文全体、文は文から構成されるテ キスト構造に意味的な方向性を与えることにおける貢献度は大である。文構造 の枠組みがまず決められ、それから語句が加えられて文ができあがるのではな く、現在では語章構造を基盤にして、語集相互の関係のあり方によって、文構 造が確定するという考え方が有力になってきていると言ってよいであろう。学 習者に文構造を説明する場合、抽象的に説明を加えても、意味理解にはつなが りにくい。動詞を起点にして、自問をし、それに対する答えを見つけだす、い わば自問自答を次々展開していく方が構造や意味の理解が同時に行えると思う。 それが文に沿ったより具体的で、意味を把握するのに分かり易い効果的な方法 であろう。それには学習者が文中から動調を見つけだすことが先決である。動 調はいろいろの文法的形式(現在形、過去形、進行形、完了形、受身形など) で現れる。そう言う意味では文法の時制の問題は徹底して学習しなければなら ない。動調の意味とか用法を考える前に、文中で動詞を視覚的に捉えることが 前提だからである。 前置調、接続詞、助動調などの機能語は数少ないが、文の構造をつかむため の重要な手がかりとして大いに活用すべきである。文の構造を把握する上で、 機能語の果たす役割の重要性について
S
t
e
v
e
nP
i
n
k
e
r
(
1
9
9
4
:
1
1
8
)
は次のように 述べている:F
u
n
c
t
i
o
n
words a
r
e
b
i
t
s
o
f
c
r
y
s
t
a
l
l
i
z
e
d
grammar; t
h
e
y
d
e
l
i
n
e
a
t
e
l
a
r
g
e
r
p
h
r
a
s
e
s
i
n
t
o
which NP's and V
P
'
s
a
n
d
A
P
'
s
f
i
t
,t
h
e
r
e
b
y
p
r
o
v
i
d
i
n
g
a
s
c
a
f
f
o
l
d
i
n
g
f
o
r
t
h
e
s
e
n
t
e
n
c
e
.
意味を理解するためには、できるだり大きな文脈の中に位置づけて理解する ことが好ましいわけで、そう言う意味では、それらの機能語も意味単佐の区切 りとして利用できる。言いかえれば、意味の暖昧さを減ずるのに役立ち、意味 推測の大きな助けになる。前置調の後には名詞(句)が来て、接続詞の次には、 主部と述部からなる節が現れると言うことは、文法を多少勉強した経験があれ ば、それらのことはごく常識的なものに思えるかもしれないが、意味理解の方-57-略の観点、からそれらを活用していけるかと言えば、必ずしもそうではない場合 が多いと考える。知識として身につ砂ていることとそれを実際的に運用するこ ととは別であると考える。これは英語教育上考慮すべき問題であろう。 文法知識を活性化して、積極的に活用して、意味理解に直結させる具体的な 方法を見つけだすことは、文法的な知識と実際的運用とが往々にして分離しが ちな状況では極めて重要なことではなかろうか。未熟な読み手にとって、文法 構造に関する基本的な知識を持つことは極めて大事なことである。ここで言う 基本的知識というのは語順のことである。動詞を機軸にして、それと名調との 関係を特に意識させ、活性化させなければいけない。それらのことについては、 決して抽象的な説明にならないように、学習者に推測させるという学習者中心 の授業が必要である。先ず動調を指摘させ、他動詞であれば、その目的を指摘 させることによって、構造の理解と意味の理解を直結させる。通常意識しない で使用している母国語の表現を意識させ、活性化させ、比較させることも大き な手がかりを与えることになる。このような骨太の構造を重点的に扱うことは、 学習の煩雑さを避け、意味理解の方向付けに集中させるべきで、意味理解にとっ て、文法の詳細事項が意味理解に絶対的に必要ではなく、多くのものが余剰情 報であり、読解は予備知識をも活性化させ、総合的に意味に到達するように努 めるべきである。 外国語として英語を学習しているものは総じて言語的ハンディーを持ってい る。初歩の学習者は特にそうであることは言うまでもない。文法構造に関する 細かい知識がなくても、テキストの内容が読み手にとって身近なものであれば、 少々の手がかりだけで、容易に意味が理解できる時がある。意味の理解は文法 構造だけに依存するものではないと言うことは、教師は経験上よく知るところ であろう。文法と非視覚的な情報は相互依存的にその機能を発揮するのである。 文法の役割は絶対的なものではなく、相対的なものである。テキストの内容が ‘
a
u
t
h
e
n
t
i
c
'
で身近なトピックであれば、理解がかなり促進される。DavidL
i
t
t
l
e
(
e
t
a
l)は次のように述べている:The (
D
e
v
i
t
t
司e
x
p
e
r
i
m
e
n
ts
e
t
o
u
t
t
o
e
x
p
l
o
i
t
e
t
h
e
f
a
c
t
t
h
a
t
when we r
e
a
d
any t
e
x
t
we draw n
o
t
o
n
l
y
o
n
l
i
n
g
u
i
s
t
i
c
knowledge
,
i
n
t
h
e
narrow l
e
x
i
c
o
-g
r
a
m
m
a
t
i
c
a
l
s
e
n
s
e
,
b
u
t
a
l
s
o
on o
u
r
knowledge o
f
d
i
s
c
o
u
r
s
e
s
t
r
u
c
t
u
r
e
s
and
o
u
r
knowledge o
f
t
h
e
w
o
r
l
d
.
I
n
p
r
i
n
c
i
p
l
e
,
l
e
a
r
n
e
r
s
'
d
i
s
c
o
u
r
s
e
and (
e
s
p
e
-c
i
a
l
l
y
)
w
o
r
l
d
knowledge s
h
o
u
l
d
e
n
a
b
l
e
them t
o
c
o
m
p
e
n
s
a
t
e
f
o
r
d
e
f
i
-c
i
e
n
c
i
e
s
i
n
t
h
e
i
r
L2 l
i
n
g
u
i
s
t
i
c
knowledge when t
h
e
y
a
r
e
c
o
n
f
r
o
n
t
e
d
w
i
t
h
a
L2 a
u
t
h
e
n
t
i
c
t
e
x
t
on a
f
a
m
i
l
i
a
r
t
o
p
i
c
.
意味の理解にとって、重要と思われる文法項目の精選と読み手が持つ予備知識 等の活性化によって、意味を推測していく訓練を集中的に行うことによって、 読みの積極'性を養っていくことを基本的な指導方針にすることである。外国語 としてのComprehension
を充分知って、意味を理解しているかどうかを第一義 的に考え、学習者の反応が許容範囲のもであれば,いちいち訂正しないことであ る。このような指導方針に徹底すべきである。文の意味は文にあらかじめ準備 されているものではなく、読み手の頭の中で創造されるもので、限られた言語 能力を最大限に活用して、意味を追求する態度を養うことが最も重要なことで、 完壁性は第二義的である。このような読みを続げていけば、徐々に文法構造に 関する理解度も、正確度も増し、それと並行的に意味の理解も正確さを増して くるものと考える。4.2
訳読指導と完壁主義 この指導法は翻訳と文法を学習指導活動として採用しているもので、ラテン 語やギリシャ語を教える伝統的な指導方法であった。それが19世紀においてフ ランス語、ドイツ語、そして英語などの現代語を教えるのに使用されるように なったが、今日でも、我が国を始め、多くの国でもよく使われていることは言 うまでもない。この方法の典型的な授業形態は、文法ルールや語句の説明に加 えて翻訳の練習からなっているものであろう。この指導の指導の仕方からも分 かるように、どちらかというと、往々にして教師中心のクラス運営になりがち であり、学習者は大抵受け身的になり、積極的な学習態度を養うことが肝要で-59-ある初歩の学習者には、このような翻訳を主体にした指導形態は適切はないと 思われる。 文法・翻訳式読みの典型的な方法は普通の早さで理解を伴った通常の読みと は大変異なったものであり、英文のを日本語の語順にに従って、逐語的に日本 語に置き換えていく方式をとる場合が多い。先ず、主語を訳し、その他の部分 を訳し、最後に動調を日本語に直すという大変回りくどいやり方になると言う のが普通の状況である。その問、学習者は教師の訳に耳を傾け、それをノート に取るというのがよく見られる光景である。動詞を起点にした意味の理解の方 向性とは何か逆の方法であろう。外国語としての読解は意味の理解に全勢力を 集中させるべきなのに、理解した意味を適切な日本語に直すという翻訳にかな りのエネルギーを費やさなければならなくなるからである。学習者にとって、 二重の負担となる。
R
o
b
e
r
tLado (
1
9
8
8
:
1
2
)
は翻訳について次のように述べてい る:T
r
a
n
s
l
a
t
i
o
n
k
e
e
p
s
t
h
e
l
e
a
r
n
i
n
g
e
n
t
a
n
g
l
e
d
i
n
i
n
t
r
i
c
a
c
i
e
s
t
h
a
t
a
r
e
d
i
f
f
i
c
u
l
t
t
o
e
x
p
r
e
s
s
a
c
r
o
s
s
l
a
n
g
u
a
g
e
s
i
n
s
t
e
a
d
o
f
f
o
c
u
s
e
d
on t
h
e
meaning o
f
t
h
e
s
e
n
t
e
n
c
e
s
t
h
e
m
s
e
l
v
e
s
.
The a
p
p
r
o
a
c
h
d
o
e
s
n
o
t
e
n
c
o
u
r
a
g
e
t
h
e
s
h
i
f
t
t
o
d
i
r
e
c
t
r
e
a
d
i
n
g
.
翻訳主義教授法も主たる目的は意味の理解であろうが、それは教師の意図に 反して、R
o
b
e
r
tLado
表現を引用すれば、‘Itd
o
e
s
n
o
t
promote d
i
r
e
c
t
r
e
a
d
i
n
g
,b
u
t
a
c
t
u
a
l
l
y
i
n
t
e
r
f
e
r
s
w
i
t
h
i
t
a
t
t
h
e
c
r
i
t
i
c
a
l
s
t
a
g
e
o
f
d
e
v
e
l
o
p
i
n
g
r
e
a
d
i
n
g
s
k
i
l
l.'母国語話者や読解に習熟している場合は、英語を読む際、英語の語順に 従って、読み進んでいく。勿論、その場合一語一語に注意を払うのではなく、 少ない視覚的情報を使って意味をスピーディーに理解していく。いわゆる直読 直解である。言うまでもなく、初歩の読み手があまり労せず熟練した読み手の ように読めるようになること到底不可能である。直読直解を目指して、段階的 に翻訳を主たる手段にせず、そのレベルに応じた学習者中心の指導方法を採ら なければ、文の意味を理解しようと努めず、逐語的に英語を日本語に置き換えていくといういわば木を見て森をみずの諺の様な読み方に大半の時間を費やさ れ、非生産的なことを繰り返すことになる。いつまでも教師から独立した読み の習慣は育てられずに終わってしまうことになりかねない。 もともと翻訳教授法には完壁性を求めるところがある。教師が文法的な説明 をし、いくつかの難しいと思われる語句の説明を行い、日本語訳をする。その 問、生徒に訳をさせたり、内容について簡単な質問をして、答えさせるなどい ろいろ生徒に考えさせることを行ったりするが、総じて、教師中心の授業形態 になりがちである。教師の文法、語重量の意味の説明、日本語訳を一つのセット として学習者に与えられる。それがあたかも唯一の正解として学習者に受け取 られがちで、読解というのは本来、内容に関する暖昧さを学習の側から問いか げ、推測により、その答えを引き出すことによって、一つ一つ解消していくこ とである。それ故、学習には暖昧さは当然伴ってくる。それと共に、誤りも生 じてくると思われる。‘Althoughthis approach is often awkward and non. motivating, many teachers continue to use it・perhapsbecause translating from a preselected text gives the teacher and the learner a feeling of security that is absent in other approaches.'とRobertLado (1988