二
〇
一
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中国
第Ⅲ部
は
じ
め
に
二〇〇〇年以来、中国の科学技術は急速な経済発展に伴 い、著しく発展してきた。現在では、研究者数、研究論文 数、特許総出願数などのアウトプットは米国を抜いて世界 一位となっている。また、中国トップレベル研究者の多く は外国の留学経験や研究経験があり、主要国研究者のネッ トワークにアクセスし、学術的交流、ないし共同研究も活 発になってきた。さらに、つい最近に中国大陸で初めての 自然科学分野のノーベル賞受賞者が生まれた。興味深いこ とに、当研究は中国医学の古典にヒントを得たという。そ こで、中国の古代科学技術はどのようなものだったのか、 欧米を中心とした現代科学技術との間にどのような接点が あったのか、一九四九年に中華人民共和国成立後、科学技 術近代化における取り組みなどについて述べたい。Ⅰ
古代中国
の
科学技術
古 代 の 中 国 は、 技 術 に お い て 輝 か し い 成 果 が 多 か っ た が、世界の科学技術への寄与について客観的に評価される まで、長い歳月がかかった。エジプト文明、メソポタミア 文明とインダス文明、中国文明という四大文明のなかで、 中国文明は最も若かった。そのため、一九五〇年代まで、 科学史の研究では、中国人の思想と慣習に見られる特異な 発展の多くが、他の文明の起源に由来したというのが一般 的な研究態度であった。たとえば、一八世紀のヨーロッパ の学者が、中国語の表意的性格が早く姿を見せている点を 根 拠 に し て、 「中 国 人 は 古 代 エ ジ プ ト 人 の 植 民 だ」 と 結 論 づけた。これらの一般的な見解に対して、ケンブリッジ大 学のニーダム博士 * 1 は数多くの中国人研究者の協力を得て、 世界の科学文明に対する中国の貢献を整理し、その集大成 と し て『中 国 の 科 学 と 文 明』 (全 一 一 巻) を 出 版 し た。 『中 国の科学と文明』において、数多くの中国の重要な貢献が 世界の人々に紹介されている。 古 代 中 国 で は、 哲 学 に お い て、 原 子 の 概 念、 陰 陽 二 元 説、五行理論を、天文学において、二八宿 (黄道の分割) 、 木星の周期、日時計を、数学において、周髀幾何学、πの 算出を、医学において、経絡理論、針灸術、漢方薬を、器 械 製 造 に お い て、 地 動 儀 (地 震 計) 、 路 程 車 な ど を 例 と し て、ニーダム博士はその科学技術の独自性を証明した。そ れどころか、一四世紀までの中国の科学と技術がヨーロッ パより進んでいたという結論にも至った。とりわけ、龍骨 車、 送 風 機 ・ 風 扇 車、 凧、 努 (武 器 の 一 種) 、 竹 と ん ぼ、 鉄鎖式吊り橋、運河用水門など個別の技術は、ヨーロッパ より一〇〇〇年以上前に利用されていることが分かった。 古代中国の科学技術は独自性があるが、閉じたシステム ということを意味しない。 ①中国は紀元七〇年頃から、主に仏教を介してインドと の間で文化と科学の交流をしていた。とりわけ、唐の僧侶 たちがインドの医学、天文学、数学、化学、方術などの知 識を中国にもたらした。その後の交流で中国の『周髀算経 (年 代 不 詳) 』『九 章 算 術 (一 世 紀) 』『孫 子 算 経 (三 世 紀) 』 のような数学著書がインドに伝わった。 ②七世紀頃からイスラーム教創始以来、アラブ世界と交 流が強化され、シルクロードを経由した貿易で物品、科学 技術の交流が行われた。その代表例として、一三一三年頃 中国医学全書たる『中国科学に関するイル汗国の宝』の編 集 が 命 じ ら れ、 中 国 の 脈 拍 学、 解 剖 学、 発 生 学、 婦 人 科 学、薬物学をはじめ、他の医学的科目が設定された。 ③一三世紀頃、モンゴル制覇の時代に入り、東西全域の 統 合 に 伴 い、 当 時 ユ ー ラ シ ア 大 陸 の 両 端 (中 国 と 西 ヨ ー ロ ッ パ) に 住 ん で い た 科 学 者 間 の 交 流 が よ り 頻 繁 に な っ た。たとえば、一二五八年にモンゴル軍がバグダードを略第Ⅲ部
国力
と
し
て
の
科学技術
―
ノ ー ベ ル 賞 を 視野 に 入 れ る 中国中国
の
科学技術
の
歴史
と
現状
周
少丹
奪し、アゼルバイジャン地方のマラーガーに、当時最先端 の天文台を建設していた。天文台の建設には、多くの中国 人天文学者を招き、彼らがスペインのような遙か西方から やってきた学者たちと巡り会ったようである。 古代中国はこのように、インドやアラブ世界と交流しな がら、科学思想や技術が互いに影響していた。さらに、ア ラブ世界経由でヨーロッパにも技術的な影響を与えていた が、科学思想の影響が見られなかったことは興味深い。こ の理由について、おそらくアラビア語をラテン語に翻訳す る場合、選ばれたのはイスラーム世界に密接する地中海世 界で生まれた有名な著者が多かった。つまり、中国やイン ドの科学思想はイスラーム学者の作品ではなかったからで あ る (ニ ー ダ ム 一 九 九 一) 。 有 名 な エ ピ ソ ー ド で は あ る が、紀元前五世紀頃書かれた『孫子兵法』は一七七二年に 初めてフランス語で紹介されて、ナポレオン ・ ボナパルト に 愛 読 さ れ て い た。 『孫 子 兵 法』 は 科 学 思 想 に 関 連 す る 著 作ではないが、外交関係において他国の戦争に関する考え 方 が 科 学 思 想 よ り 遙 か に 重 要 だ と 考 え ら れ る た め、 そ の ヨーロッパへの伝播はニーダム博士の結論を傍証できるだ ろう。当時、イスラーム世界の翻訳状況を考えてみれば、 中国文化思想に精通し、同時にラテン語にも精通するイス ラームの翻訳家はさほどいなかったであろう。 近 世 に 至 り、 満 州 族 が 中 国 で 清 (一 六 四 四 ~ 一 九 一 二 年) を 建 国 し た。 初 期 の 皇 帝 は 人 口 の 大 多 数 を 占 め る 漢 民 族との同化や、辺境地の乱の鎮圧などに取り組み、安定し た国内経済発展の環境を整えるために鎖国政策をとり、外 国との交流を抑えた。科学技術におけるヨーロッパとの格 差は、むしろ鎖国政策の後遺症だといえよう。一八四〇年 ~一九四九年の間、中国はアヘン戦争、義和団事変、国内 の革命戦争、日中戦争と国共内戦を経て、ようやく中華人 民共和国が建国された。この一〇〇年余りの間で、科学技 術を発展させる安定した環境が整わなかった。
Ⅱ
新中国
の
科学技術
一九四九年の建国から、GDPが世界二位になった習近 平政権まで、中国科学技術の発展は直面する課題、科学技 術政策の基本方針によって、主に表1のような四つの時期 に分けられる。1
毛沢東時代
︱
一九四九年∼一九七六年 建 国 初 期 に お い て、 中 国 政 府 の ミ ッ ションはいかにして社会主義制度を確立 し、経済を立て直すかに注力していた。 科学技術の政策は、一九五六年頃に「科 学技術発展遠景規画一九五六~一九六七 年」が策定された。当時は、中国の科学 技術は基本的にソビエトやほかの東欧諸 国の技術的援助によって、発展させる方 針であった。その後、中国とソビエトの 関係が破たんしたことによって、外国か らの援助も途切れてしまった。さらに、 文化大革命に突入して、大学教育が廃止 され、知識人たちが無残に迫害され、中 国の科学技術は深刻な停滞を余儀なくさ れてしまう。一方、こうした動乱の状況 の な か で、 継 続 で き た 研 究 開 発 も あ っ た。 そ れ は、 原 子 爆 弾、 水 素 爆 弾、 ロ ケ ッ ト、 衛 星 お よ び 青 蒿 素 (ア ー テ ミ シ 時期 1949年~1976年毛沢東時代 1978年~1990年鄧小平時代 1991年~2003年江沢民時代 2003年~2012年胡錦濤時代 主要な社 会的課題 •冷戦時代: 米国との対抗 中ソ関係の悪化 •計画経済の基盤整備 •汚職、浪費、官僚主義 反対運動(三反運動) •文化大革命の影響の 除去 •階級闘争から経済建 設への方向転換 •国民経済を立て直す ため、市場経済の導 入 •西方思潮の浸透 •改革開放政策の深化 (とりわけ、国有企 業の民営化) •科学技術における人 材不足、資金不足お よび設備不足 •米国との関係改善 •金融危機により、輸 出依存から内需拡大 への方向転換 •製造業の低い生産効 率・エネルギー利用 効率 科学技術 基本方針 自力更生注1 (二弾一星注2開発に特 化) 科学技術は第一生産 力なり注3 科教興国 注4 イノベーション駆動 型国家の構築 「市場を以て外国技術を交換する」戦略 重要科学 技術政策 「科学技術発展遠景規 画1956~1967 年」(文 化大革命期間中停滞) 「中共中央が科学技術 体制改革に関する決 定」 「中共中央・国務院が 科学技術進歩の加速 に関する決定」 「国家中長期科学技術 発展規画綱要2006~ 2020年」 「国家第十二次科学技 術発展五カ年規画」 大きな出 来事 •1949年:中国科学院 設立 •1950年:朝鮮戦争 •1966~1976年:文化 大革命 •経済改革、対外開放 •大学教育の再開 •ソビエトの崩壊•義務教育の普及 •211、985重 点 大 学 プ ロジェクト注5 •中国のWTO加盟 •中国名目GDP世界2 位 •科学技術投入は日本 を越えて、世界2位 •金融危機 表1 新中国の科学技術発展の流れ (注)1. ソビエトとの関係が破たんしてから、外国の支援に頼らず、自力で経済復興を目指す方針である。 2. 原子爆弾、水素爆弾および衛星を指す用語である。 3. 文化大革命の後、国の管理には階級闘争が必要だという思潮に対して、鄧小平は経済建設がすべての前提だ と論断した。さらに、科学技術が経済建設に大きな役割を果たすことを強調するために、用いた表現である。 4. 科学技術と教育の強化によって、国を興す方針である。 5. 江沢民時代に、中国教育部が定めた重点大学の建設計画である。211プロジェクトは、1995年に策定された 「21世紀に向けて100の大学に重点的に投資する」計画で、最終的に普通大学109校、防衛大学3校、計112校 が選定された。また、985プロジェクトは、中国の大学の研究の実力を世界レベルに向上させるために、1998 年に打ち出された。最終的に、普通大学38校、防衛大学1校が選定された。
ニ ン) の 開 発 に 代 表 さ れ る 軍 事 関 連 の 研 究 開 発 で あ っ た。 これらの研究は主に米国から呼び戻された有能な中国人研 究者たちによって行われてきた。当時、周恩来の保護の下 で、彼らは迫害から免れた。
2
鄧小平時代
︱
一九七八年∼一九九〇年 一九七六年に中国政府指導者として復帰した鄧小平は、 一九七八年、国防・農業・工業・科学技術の革新を目指す 「四 つ の 近 代 化」 を 唱 え、 中 国 の 市 場 経 済 化 を 促 進 す る 「改 革 開 放」 政 策 を 開 始 し た。 一 〇 年 間 廃 止 さ れ た 大 学 入 試 制 度 も、 同 年 に 急 遽 再 開 さ れ た。 こ の 時 か ら、 「科 学 技 術は第一生産力なり」というスローガンが生まれ、現在の 中国における科学技術政策の基礎が作られた。 一九七八年一二月に「中国共産党第一一次中央委員会議 第三回全体会議」が開催され、経済体制の根本的な転換に よって、国民経済の活性化を目指す「対内改革、対外開放 (改 革 開 放) 」 政 策 が 打 ち 出 さ れ、 「経 済 発 展 は 科 学 技 術 に 依存し、科学技術事業は経済発展を目的としなければなら ない」という基本方針が定められ、中国の科学技術は新た な段階へと進んだ。 さらに、一九八六年には、中国系ノーベル物理学賞受賞 者である李政道の助言を受けて、中国初の研究ファンディ ン グ 機 関 で あ る「国 家 自 然 科 学 基 金 委 員 会 (N S F C) 」 が 設 立 さ れ る と と も に、 「国 家 ハ イ テ ク 研 究 発 展 計 画 (八 六三計画) 」が開始された。3
江沢民時代
︱
一九九一年∼二〇〇三年 鄧小平の後を継いだ江沢民は、改革開放路線を継続する とともに、一九九五年に科学技術と教育によって国を興す という「科教興国」の方針を決定した。そして経済発展の 進捗とともに、資金と人材を集中して投入するプロジェク ト を ス タ ー ト さ せ、 具 体 的 に は、 「中 国 科 学 院 知 識 創 新 プ ロ ジ ェ ク ト 」「 教 育 部 (M O E) 二 一 世 紀 教 育 振 興 計 画 」「 科 学 技 術 部 (M O S T) 国 家 重 点 基 礎 研 究 計 画 (九 七 三 計 画) 」 な ど を 実 施 し た。 教 育 の 強 化 に お い て、 幼 児 啓 蒙 教 育、義務教育、職業教育および大学教育の強化により、人 材育成に大きく力を入れ始めた。 一九八〇年代の半ばから二〇〇〇年代の半ばにかけて、 中国の巨大市場の一部を外国企業に譲ると同時に、海外の 進んだ生産技術を吸収する外資導入政策を基本方針として 実施していた。 一九九〇年代後半になり、外資導入政策の見直しやアジ ア 金 融 危 機 の 強 い 影 響 で、 外 資 導 入 が 大 幅 に 縮 小 し て い た。その後、WTOの加盟交渉に伴う規制緩和と市場開放 が進められ、投資環境が著しく改善されたなかで、対中投 資額は二〇〇〇年以降に再び拡大の軌道に戻り、二〇〇三 年 に は 契 約 金 額 と し て 過 去 最 高 の 一 一 五 一 億 ド ル に 達 し た 。 外国の対中直接投資により、進出した外資系企業内部の 「企 業 内 技 術 移 転」 、 外 資 系 企 業 と 現 地 生 産 協 力 企 業 間 の 「企 業 間 技 術 移 転」 お よ び 外 資 系 企 業 が 進 出 先 市 場 の 全 体 に及ぼす「企業外技術移転」という三種の効果があり、外 資系も中国市場でのシェア率が高くなり、存在感が高まっ た。要するに、外資と技術の導入によって、中国の市場に 外 国 の 先 端 生 産 技 術 を 取 り 入 れ る 外 資 導 入 政 策 が 奏 功 し た。しかし一方、外資系企業に対する優遇政策により、中 国国内企業が不平等な競争環境に置かれ、研究開発にまで 手が回らず、優秀な人材も外資系企業に流出し、中国国内 企 業 の 自 主 開 発 能 力 の 抑 制 効 果 が 報 告 さ れ て い る。 さ ら に、中国の対外技術依存度が五〇%以上と高く、コア技術 の自給率が低くなった。中国は大量な技術導入によって高 い生産コストを強いられるとともに、技術優位性を持つ国 に け ん 制 さ れ る 面 も あ る (ジ ェ ト ロ 北 京 セ ン タ ー・ 知 的 財 産権部 二〇〇七) 。4
胡錦濤時代
︱
二〇〇三年∼二〇一二年 二〇〇三年に胡錦濤は「科学発展観」を発表し、後に中 国共産党、中国政府の指導方針に格上げした。科学発展観 と は、 中 国 の 近 代 化 を 導 く コ ン セ プ ト で、 「人 を 基 本 に し て、都市部と農村部、沿岸部と内陸部、経済と社会、人間 社会と自然、国内発展と対外開放などのバランスを考慮し た 全 面 的・ 協 調 的 持 続 可 能 な 発 展 観」 の こ と で あ る。 「科 学発展観」が唱えられた背景には、二〇〇三年のSARS への危機感、急速な経済成長に伴う環境問題・エネルギー 問題、および資源集約型と労働集約型の産業からの脱出、 持続発展可能な社会の構築などがあげられる。 「国家中長期科学技術発展規画綱要 (二〇〇六~二〇二〇年) 」 二〇〇六年に、胡錦濤の科学発展観を反映し、中国国務 院 (内 閣 府 相 当) が 中 国 初 め て の 中 長 期 科 学 技 術 計 画 で あ る「国 家 中 長 期 科 学 技 術 発 展 規 画 綱 要 (二 〇 〇 六 ~ 二 〇 二〇 年) 」 (以 下 は 中 長 期 計 画 と 略 す) を 発 表 し た。 中 長 期 計 画 は ① 自 主 創 新 * 2 、 ② 発 展 支 援、 ③ 重 点 飛 躍 * 3 、 ④ 未 来 誘 導 * 4 の 思想に基づき「自主創新」を重視した内容となっており、 三期の科学技術五カ年計画により実施されるものである。 中 国 は、 二 〇 二 〇 年 ま で に 研 究 開 発 投 資 の 対 G D P 比 を 二・五%にし、自国の特許登録数、学術論文引用数を世界 トップ五にする数字目標を設定し、①自主的イノベーショ ン能力の向上、②科学技術による経済成長と国家安全保障 の強化、③基礎研究および先端研究のレベルアップとブレ イクスルーの実現、④イノベーション駆動型国家への転換 を目指している。 中 長 期 計 画 の 研 究 分 野 は 重 大 特 定 プ ロ ジ ェ ク ト (一 六 項 目) 、先端技術 (八分野、二七項目) 、基礎研究 (一八項目) および四つの重大科学研究計画から構成されており、中国 の科学技術発展の方向を明確に示し、現行のすべての科学 技術関連策のベースとなっている。 「国家第一二次科学技術発展五カ年規画 (二〇一一~二〇一五年) 」 「国 家 第 一 二 次 科 学 技 術 発 展 五 カ 年 規 画 (二 〇 一 一 ~ 二 〇 一 五 年) 」 (以 下 は 一 二・ 五 規 画 と 略 す) は 中 長 期 計 画 の 方針を踏襲しつつも、その時代の動向に応じた内容を盛り 込んでいる政策である。現在実施中の一二・五規画におい ては、中長期計画に沿って重大特定プロジェクト、重大科 学研究計画の推進等を掲げるとともに、二〇一五年におけ る 研 究 開 発 投 資 の 対 G D P 比 率 二・ 二 % (C R D S 試 算: 一・ 五 三 兆 元 に 相 当) を タ ー ゲ ッ ト に し て い る。 米 国 の リーマン・ショックの影響を受けて、中国政府は経済成長 のメインエンジンとして、表2の七つの産業を「戦略的新 興産業」と指定し、中国の基幹産業に育てることを目指し ている。中国政府内では、これら産業の振興によって国内 のR&D成果を生かしたいとの考えがあり、今後これら産 業領域に沿った研究開発投資が推進されると推測できる。 人材育成関連政策 中国から多くの優秀な人材が欧米を中心に留学している ことから、中国政府は一九九〇年代より海外留学生の帰国 奨励策を打ち出した。その先駆けとなったのは、中国科学 院の一九九四年からの「百人計画 * 5 」である。また二〇〇〇 年代に入ると、従来実施されてきた帰国奨励策に加え、国 内の優秀な学生を海外のトップ拠点に積極的に留学させる 取り組みを行うようになった。 現在実施されている人材政策については、 「国 家 高 水 準 大 学 建 設 の た め の 政 府 奨 学 金 留 学 制 度 (二 〇 〇 七 ~ 二 〇 一 一 年) 」 (国 家 留 学 基 金) 、「国 家 中 長 期 人 材 発 展 計 画 (二 〇 一 〇 ~ 二〇二〇年) 」 (国務院、二〇一〇年) や「中 長 期 科 学 技 術 人 材 発 展 計 画 四 二 三」 (科 学 技 術 部、 二 〇 一 一 年) に 基 本 方 針 が 示 さ れ て い る。また、特筆すべき取り組みとして、一九 九〇年代より実施されている各種人材呼び戻 し 政 策 を 強 化・ 統 合 す る 形 で「千 人 計 画」 (中 国 共 産 党 中 央 組 織 部) が 二 〇 〇 八 年 よ り 実施されている。二〇一二年にはここに国内 でのリーダー人材育成を行う「国家ハイレベ ル 人 材 特 別 支 援 計 画 (万 人 計 画) 」 (人 的 資 源・社会保障部) が加わった。 研究分野 詳細研究テーマ 1. 省エネ・環境保護 省エネ・環境保全の重大モデルプロジェクトの実施。省エネの高効率化、先進的 な環境保護と資源循環利用の産業化推進。 2. 次世代情報技術 次世代移動通信網、次世代インターネット、デジタル放送のテレビ網の建設。 モノのインターネット応用モデルプロジェクト建設。ネットワーク製品産業化プ ロジェクトの実施。 集積回路、フラットパネル、ソフトウェア、情報サービス等の産業拠点建設。 3. バイオ 医薬、動植物、工業用微生物菌種等の遺伝子資源データベース構築。 バイオ薬品、バイオ医学工学製品の研究開発と産業拠点の建設。 バイオ育種の研究、開発、試験、実証および優良品種繁殖拠点の建設。バイオ製 造プラットフォームの建設。 4. 先端設備製造 新型国産の幹線・支線航空機、一般航空機、ヘリコプターの産業化プラットフォー ム建設。 ナビゲーション、リモートセンシング、通信等の衛星を活用した宇宙インフラの 骨格を建設。 インテリジェント制御システム、高度デジタル制御装置、高速列車および都市軌 道交通設備の開発。 5. 新エネルギー 次世代原子力発電設備、大型風力発電ユニットおよび部品、効率的な太陽エネル ギー発電・熱利用の新モジュール、バイオマスエネルギー転換利用技術、スマー トグリッド設備等の産業拠点の建設。 海上風力発電、太陽エネルギー発電、バイオマスエネルギーの大規模応用にかか わるモデルプロジェクトの実施。 6. 新素材 航空・宇宙、エネルギー資源、交通運輸、重要設備等の領域で喫緊の需要があるカー ボンファイバー、半導体材料、高温合金材料、超伝導材料、高性能レアアース材料、 ナノ材料等の研究開発と産業化を推進。 7. 新エネ自動車 プラグインハイブリッド車、純電気自動車の研究開発および大規模商業化モデル プロジェクトを展開。産業化応用を推進。 表2 戦略的新興産業の研究分野および研究テーマ
Ⅲ
科学技術
の
現状
と
動向
1
科学技術関連組織
中国の科学技術研究開発にかかわる行政機構を図1のよ うに整理する。中国の国務院には二五の省庁、一五の直属 機関および一三の直属事業機関がある。研究開発の主体と して、各省庁の傘下に散在している数多くの研究所や大学 がある。そのうち、最も活力が溢れ、研究レベルが高いの は教育部の下にある数多くの大学、および中国科学院の研 究所 * 6 である。他には、科学技術部は科学技術政策の策定機 関およびトップダウン式の戦略的研究資金の配分機関とし て存在感が大きく、国家自然科学基金委員会は日本学術振 興 会 (J S P S) に 近 い ボ ト ム ア ッ プ 式 の 研 究 資 金 の 配 分 機関として、大きな役割を果たしている。2
急増
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ト
中国の大学教育制度が樹立されて、間もなく内乱、日中 戦争および文化大革命に入った。個別的に継続できた研究 は あ っ た が、 国 の 科 学 シ ス テ ム が 樹 立 さ れ た と は 言 え な い。中国の科学技術の正式的な発足は一九七八年の改革開 放政策によると言っても過言ではない。一九七八年から、 大 学 教 育 の 再 開、 義 務 教 育 の 普 及、 八 六 三 計 画 (ハ イ テ ク 研究発展計画) 、九七三計画 (国家重点基礎研究発展計画) 、 重点大学プロジェクトなどの重要な科学技術推進策が打ち 出されても、一九九〇年代の中国はまだ人材不足、研究資 金不足、先端研究設備不足という課題を抱えていた。二〇 〇〇年に入って、急速な中国経済の成長に伴い、中国政府 と民間は科学技術への投資を大幅に増やし、二〇〇九年に 実 質 投 資 額 (二 〇 〇 五 年 基 準 O E C D 購 買 力 平 価 換 算) が日本を抜いて世界の二位になった。それ以来、研究開発 へ の 投 入 は 減 速 し て お ら ず 、 一 位 の 米 国 に 接 近 し つ つ あ る 。 研究施設において、経済発展のため、中国の大学や国立 研究機関は欧米や日本に遜色ない研究設備・施設を持つよ うになった。とくに、中国政府はビッグサイエンスにかか 全国人民代表大会 国務院 国家科学技術教育指導者グループ 国家発展・改革委員会 教育部 科学技術部 工業・情報化部 人力資源・社会保障部 国土資源部 環境保護部 農業部 国家衛生・計画出産委員会 その他部・委員会(計 25 省庁) 国家食品薬品監督管理局 国家エネルギー局 国家統計局 国家知識産権局 中国科学院(CAS) 研究所(104) 大学 中国社会科学院 中国工程院 国務院発展研究センター 中国地震局 中国気象局 中国気象科学研究院(6 研究所) 国家自然科学基金委員会 各省・市・自治区政府 科学技術委員会等 中国共産党全国代表大会 中共中央委員会 中共中央軍事委員会 中共中央組織部・他部署 軍事科学院(12 研究所) 大学 中国科技発展戦略研究院 中国科学技術情報研究所 国防科学技術工業局 中国国家航天局(CNSA) 中国国家原子能機構(CAEA) 国家外国専門家局 国家海洋局(5 研究所、8 研究センター) 国家原子力安全局 中国環境科学院(6 研究所、7 研究センター) 中国農業科学院 研究所(44) 研究所(18) 国家中医薬管理局 中国医学科学院 国家中央軍事委員会 地方政府 国務院直属機構 (全15機関) 国務院直属 事業機関 (全13 機関) 図 1 中国の科学技術行政機構図 (注)•所属関係を実線、関連のある部分を破線にて表示。 •研究開発にかかわる研究所は10以上の場合のみ、ホップにて表示。 (A) 「事業単位」は中国語では、独立行政法人や国立研究開発法人等を指す用語。 (B) 「中国科学技術協会」は全国のすべての学会と科学館を管理し、科学技術知識の普及において、大きな役割を 果たしている組織。わ る 大 型 研 究 施 設 に も 注 力 し て い る。 た と え ば、 「国 家 自 主 創 新 基 礎 能 力 建 設 第 一 一 次 五 カ 年 計 画 (二 〇 〇 六 ~ 二 〇 一 〇 年) 」 や「国 家 重 大 科 学 基 盤 建 設 中 長 期 計 画 (二 〇 一 二 ~ 二 〇 三 〇 年) 」 に お い て、 優 先 的 に 建 設 す る 大 型 研 究 施設をリストアップし、表3の通りに整理した。現時点で は、 「●」 で マ ー ク さ れ た も の は、 す で に 建 設 済 み で あ る。その他の研究施設は建設中で、数年以内に完成する見 込みである。これらの研究施設は、基礎研究や先端技術研 究において必要不可欠なツールのため、中国科学技術のブ レークスルーへの寄与が大きく期待されている。 研究人材において、中国は二〇〇五年に米国を抜いて世 界一位の座を維持している。二〇一三年の時点ではすでに 一四八万四千人に達している。図4では、中国の研究者数 が二〇〇九年に大幅に減った理由は新しい統計方法を採用 したからである。この図には、米国、ドイツ、フランス、 イギリス、カナダなどの主要国で活躍する中国人系研究者 をカウントしていない。これらの研究者は先進国で訓練を 受け、比較的高い研究能力を有し、中国の海外人材誘致政 策で帰国して研究を行う可能性がある。つまり、図4の数 字は中国の研究者の数を過小評価していると言える。 第Ⅱ章4節で言及した「国家高水準大学建設のための政 12,000 10,000 8,000 6,000 4,000 2,000 0 単位:億元 1 9 9 5 1 9 9 6 1 9 9 7 1 9 9 8 1 9 9 9 2 0 0 0 2 0 0 1 2 0 0 2 2 0 0 3 2 0 0 4 2 0 0 5 2 0 0 6 2 0 0 7 2 0 0 8 2 0 0 9 2 0 1 0 2 0 1 1 2 0 1 2 図 2 中国の研究開発支出額 (出所)中国統計局科学技術部(2013)により作成。 4.50 4.00 3.50 3.00 2.50 2.00 1.50 1.00 0.50 0.00 1 9 9 6 1 9 9 7 1 9 9 8 1 9 9 9 2 0 0 0 2 0 0 1 2 0 0 2 2 0 0 3 2 0 0 4 2 0 0 5 2 0 0 6 2 0 0 7 2 0 0 8 2 0 0 9 2 0 1 0 2 0 1 1 2 0 1 2 2 0 1 3 % 韓国 日本 ドイツ 米国 フランス 中国 英国 図 3 主要国研究開発費対 GDP 比 (出所)科学技術・学術政策研究所(2015a)により作成。 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 ■開発 238.6 285.12 349.26 397.54 493.46 697.03 802.03 967.2 1140.52 1448.67 1885.24 2358.37 3042.78 3820.04 4801.03 5844.3 7246.81 8637.63 ■応用研究 92.02 99.12 132.46 124.62 151.55 151.9 184.85 246.68 311.45 400.49 433.53 488.97 492.94 575.16 730.79 893.79 1028.39 1161.97 ■基礎研究 18.06 20.24 27.44 28.95 33.9 46.73 55.6 73.77 87.65 117.18 131.21 155.76 174.52 220.82 270.29 324.49 411.81 498.81 国家自主創新基礎能力建設第一一次五カ年計画 (2006~2010年)により指定された科学施設 国家重大科学基盤建設中長期計画(2012~2030年)一二次五カ年計画期間中に優先建設する科学施設 1 ●核破砕中性子源 海底観測ネットワーク 2 ●強磁場装置 高エネルギー放射光検証装置 3 ●大型天文望遠鏡LAMOST 加速器駆動核変換システム 4 ●海洋科学総合調査船 総合的極端条件発生実験装置(超低温等) 5 ●航空リモートセンサリングシステム 大電流重イオン加速装置 6 ●航空機氷結実験用風洞(2015) 高燃焼効率・低炭素ガスタービン試験装置 7 ●地殻変動観測ネットワーク 高高度宇宙線観測ステーション 8 材料安全評価施設 未来通信ネットワーク実験装置 9 ●国家タンパク質科学センター 宇宙環境シミュレータ 10 ●大型宇宙環境基盤観測システム(子午工程) トランスレーショナル医療研究施設 11 地下資源探査および地震予測用超低周波電磁気観測システム 南極天文台 12 ●農業生物安全研究センター 精密重力測量装置 13 大型低速風洞 14 ●上海光源 15 モデル動物の表現型と遺伝分析施設 16 ●数値地球システム·シミュレータ 表3 中国が優先的に建設する大型研究設備・施設リスト (出所)「国家自主創新基礎能力建設第一一次五カ年計画(2006~2010年)」および 「国家重大科学基盤建設中長期計画(2012~2030年)」より作成。
府 奨 学 金 留 学 制 度 (二 〇 〇 七 ~ 二 〇 一 一 年) 」 で は、 二 〇 〇七年 ~ 二〇一一年の間に、中国二一一プロジェクトに選 ばれた大学の大学院生を対象に、年間五〇〇〇名以上、外 国の一流大学への留学を支援した。その後、支援制度の名 称が消えたにもかかわらず、大学院生の留学への支援は、 より多くの大学を対象に継続されている。この制度の関係 で、二〇〇七年以来の八年間で、政府奨学生だけで少なく とも四万名の大学院生が外国の一流大学で教育をうけた。 この制度では、外国で大学院修了・卒業後、中国で少なく とも二年間勤務する義務がつけられている。そのため、数 多くの留学生は帰国し、引き続き研究を行っている。 政府奨学生以外に、大量の私費留学生も存在している。 また、中国の大学や研究機関は多様な形で外国と交流して いる。このように、外国で英語の訓練を受けながら、外国 研 究 者 と 接 す る チ ャ ン ス が 増 え、 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン の ネットワークの形成が想定される。これにより、外国人研 究者や外国にいる中国人研究者と共著で論文を作成する可 能性が高くなる。おそらくこれは英語論文の数が急上昇す る一因であろう。 表4・5は科学技術・学術政策研究所が発表した主要国 の英語論文の数である。ここでは、全論文数とTop1% 1,800,000 1,600,000 1,400,000 1,200,000 1,000,000 800,000 600,000 400,000 200,000 0 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 単位:人 中国 米国 日本 ドイツ 英国 韓国 図 4 主要国研究者数 (出所)科学技術・学術政策研究所(2015a)により作成。 全分野 (整数カウント) 2001~2003年平均論文数 順位 米国 239,474 1 日本 74,630 2 ドイツ 67,044 3 英国 64,746 4 フランス 48,433 5 中国 40,276 6 表 4 全論文数および順位(国別) 全分野 (整数カウント) 2011~2013年平均論文数 順位 米国 327,664 1 中国 187,113 2 ドイツ 92,783 3 英国 89,033 4 日本 77,094 5 フランス 65,969 6 全分野 (整数カウント) 2001~2003年平均論文数 順位 米国 4,461 1 英国 982 2 ドイツ 783 3 フランス 520 4 日本 491 5 中国 264 10 表 5 Top1%論文数および順位(国別) (出所)科学技術・学術政策研究所(2015b)により作成。 全分野 (整数カウント) 2011~2013年平均論文数 順位 米国 6,304 1 中国 1,971 2 英国 1,969 3 ドイツ 1,695 4 フランス 1,130 5 日本 693 12 1,000,000 800,000 600,000 400,000 200,000 0 2003 2008 2013 件数 米国:287,831 中国:704,936 日本:271,731 ドイツ:73,929 英国:19,552 フランス:24,538 図 5 主要国特許居住国への出願数 (出所)科学技術・学術政策研究所(2015a)により作成。
論文数二つに分けられ、いずれも中国の論文数は世界二位 と な っ て い る。 つ ま り、 中 国 の 研 究 論 文 は 量 だ け で は な く、質も大幅に向上している。確かに、論文数だけでは科 学技術レベルの全体を説明できないが、中国の科学技術の 成長そのものが語られるのではないかと思われる。 実際に、中国は英語の論文のみならず、自国への特許の 総出願件数も同じように増加してきた。 こ の よ う に 、 中 国 は 科 学技 術 へ の 巨 額 な 投 資 に よ っ て 、 中 長 期 計 画 に 掲 げ た 研 究 論 文 お よ び 自 国 に 登 録 す る 特 許 出 願 数 が 世 界 ト ッ プ 五 に 入 る と い う 数 値 目 標 を み ご と に 達 成 し た 。
Ⅳ
中国科学技術
の
課題
前述のように、中国は巨額な投資によって、人材不足、 研究資金不足、先端研究設備不足の課題を解決し、また、 研究論文や特許において世界のトップになった。ただし、 急速な発展に伴う課題も多い。 人材面において、中国政府は大学を民営化したり、大学 生数を倍増したりして、充分な人材を供給できた反面、供 給 過 剰 で 多 く の 大 学 生 は 卒 業 し て も 職 に 就 け な い。 つ ま り、就職難という問題がある。中国は二〇一二年からGD P成長率を七%台に維持してきた。しかし、毎年七〇〇万 人 余 り の 卒 業 生 の 就 職 は、 政 府 に と っ て 大 き な 課 題 で あ る。研究資金において、管理側にとって、どのように研究 資金の乱用を防ぐのか。研究者にとって、いかにして急に 増えた資金を効率的に利用するのか、いかにして次年度の 競争的資金を獲得し、研究を継続するのかを考えざるをえ ない。大型研究施設の利用において、個別の研究機関が国 の 資 金 で 作 ら れ た 大 型 施 設 を 抱 え す ぎ て、 共 有 が で き な い。たとえしようとしても、いかに効率的に共有するかに 関するノウハウがない。研究論文や特許においては、多く の研究者は単なる大学や研究機関の評価対策として出して いるが、技術の応用まで考慮していないケースが多い。 二〇一五年に入って、中国経済の成長はさらに鈍化して おり、七%を下回る可能性が高い。これは、中国政府が資 源 依 存 型、 労 働 力 集 約 型 生 産 方 式 か ら 脱 却 し、 イ ノ ベ ー ション主導型国家への転換を果たすための試練であるが、 その課題の中核はいかにして科学技術を生かし、国の経済 成長に寄与するかにある。現在、中国政府は出口を見据え た研究開発の強化、研究開発主体の企業への移行、産学連 携の推進、研究者の起業へのサポートなどに取り組み、科 学技術の制度改革を深化し、イノベーションを興しやすい 環境の整備に努めている。 古代の中国は、近隣の国々との交流のなかで独自の技術 を確立し、輝かしい成果を上げていた。また、屠呦呦氏が 遙か二〇〇〇年前の先人たちの智慧を生かし、マラリア治 療薬の開発に成功して、二〇一五年のノーベル生理学・医 学賞を受賞した例もある。さらに、DJI * 7 のように、独自 の技術を駆使し、数年間で世界の七割のシェアを手にした ベンチャー企業も生まれている。中国の近代科学技術制度 の樹立は三八年の歴史しかないにもかかわらず、技術を利 用して価値を創造する土壌が昔から存在していた。次期の 科学技術の一三次五カ年計画は二〇一六年に発表される予 定で、中国政府はどのような新しい取り組みに着手するか が期待されている。 ◉注 *1 Noel Joseph Terence Montgomery Needham (一九〇〇 年 一 二 月 九 日 ~ 一 九 九 五 年 三 月 二 四 日) : 英 国 の 生 化 学 者、 科 学 史 家 で、 王 立 協 会 の フ ェ ロ ー( Fellow of the Royal Society : F R S) と 英 国 学 士 院 の フ ェ ロ ー( Fellow of the British Academy : F B A) に 選 出 さ れ、 一 九 八 三 年 に 中 国 社 会 科 学 院 の 名 誉 博 士 号 が 授 与 さ れ た。 中 国 科 学 史 研 究 に お ける権威的存在である。 *2 独自的なイノベーションを指す用語である。 *3 重点的分野におけるブレークスルーを指す用語である。 *4 「未来を切り開く」を意味する用語である。 *5 毎 年、 数 十 名 か ら 百 名 程 度 の 海 外 の 優 れ た 若 手 研 究 者 を 中 国 科 学 院 に 誘 致 す る 人 材 計 画 で あ る。 中 国 科 学 院 は 帰 国 す る 若 手 研 究 者 に 二 〇 〇 万 元(約 三 〇 〇 〇 万 円) の 研 究 資 金 を 支 援 す る。 現 役 の 科 学 技 術 部(M O S T) 副 部 長 を 務 め て い る 曹 健 林 が、 百 人 計 画 の 一 期 生 で あ る。 一 九 九 四 年 か ら 現 在 まで、 千名余りの優秀な若手研究者を中国に呼び戻している。 *6 も ち ろ ん、 他 に は 工 業・ 情 報 化 部 の 傘 下 に あ る 国 家 航 天 局 も 国 家 原 子 能 機 構 も 研 究 レ ベ ル が 高 い が、 軍 事 技 術 に か か わる部分があるため、本稿の対象外にしておく。 *7 大 疆 創 新 科 学 技 術 有 限 公 司( Da-Jiang Innovations Science and Technology Co., Ltd ) の 英 語 略 称 で あ る。 D J I は 広 東 省 深 圳 市 に 本 社 を 設 置 し て お り、 民 生 用 ド ロ ー ン (マ ル チ コ プ タ ー) お よ び 関 連 部 品 の 製 造 会 社 で あ る。 二 〇 〇 五 年 に、 香 港 科 学 技 術 大 学 の 卒 業 生 汪 濤 氏 に よ っ て ベ ン チ ャ ー 企 業 と し て 創 立 さ れ、 二 〇 〇 六 年 ~ 二 〇 一 二 年 に 部 品 メ ー カ ー と し て ド ロ ー ン の 飛 行 コ ン ト ロ ー ラ ー を 生 産 し、 二 〇 一 二 年 に 自 社 の ド ロ ー ン を 販 売 し は じ め た。 そ の 後 の 三 年 間 で、 自 社 の 優 れ た 飛 行 コ ン ト ロ ー ラ ー 技 術、 安 定 し て 撮 影 可 能 な カ メ ラ 搭 載 シ ス テ ム 技 術 お よ び 低 い 価 格 設 定 で 世 界 の 七割のシェアを誇っている。◉参考文献 科 学 技 術 ・ 学 術 政 策 研 究 所 ( 二 〇 一 五 a )『 科 学 技 術 指 標 二 〇 一 五 』。 科 学 技 術 ・ 学 術 政 策 研 究 所 ( 二 〇 一 五 b )『 科 学 研 究 の ベ ー ン チ マ ー キング二〇一五』 。 科 学 技 術 振 興 機 構 ・ 研 究 開 発 戦 略 セ ン タ ー(二 〇 一 四) 『ワ ー ク シ ョ ッ プ 報 告 書 日 中 若 手 ト ッ プ レ ベ ル 研 究 者 を 取 り 巻 く 研究環境』 。 科 学 技 術 振 興 機 構 ・ 研 究 開 発 戦 略 セ ン タ ー(二 〇 一 五) 『研 究 開発の俯瞰報告書 主要国の研究開発戦略(二〇一五年) 』。 科 学 技 術 振 興 機 構 ・研 究 開 発 戦 略 セ ン タ ー(二 〇 一 五) 『 G-TeC 報 告 書 主 要 国 に お け る 次 世 代 製 造 技 術 の 研 究 開 発 に 係 る 政 策動向』 。 ジ ェ ト ロ 北 京 セ ン タ ー・ 知 的 財 産 権 部(二 〇 〇 七) 「自 主 創 新 政策と中国企業」 。 ニーダム、ジョゼフ(一九九一) 『中国の科学と文明 第一巻』 思索社。 秦 舟(二 〇 一 二) 「中 国」 科 学 技 術 振 興 機 構 ・ 研 究 開 発 戦 略 セ ンター編『主要国の科学技術情勢』丸善プラネット。 中 国 科 学 技 術 部(二 〇 一 一) 「国 家 科 学 技 術 第 一 二 次 五 カ 年 発 展規画」 。 中 国 国 務 院(二 〇 〇 五) 「国 家 中 長 期 科 学 技 術 発 展 綱 要 二 〇 〇 六 ~ 二〇二〇年」 。 中 国 統 計 局 科 学 技 術 部(二 〇 一 三) 『中 国 科 学 技 術 年 鑑 二 〇 一三』中国統計出版社。 林幸秀(二〇一三) 『科学技術大国 中国』中央公論新社。 ◉ 著者紹介 ◉ ①氏名…… 周少丹 (しゅう・しょうたん) 。 ② 所 属・ 職 名 …… 科 学 技 術 振 興 機 構 ・ 研 究 開 発 戦 略 セ ン タ ー フ ェ ロー。 ③生年・出身地…… 一九七九年、中国生まれ (中国籍) 。 ④ 専 門 分 野・ 地 域 …… 社 会 情 報 学、 統 計 学 / 中 国( 特 に 科 学 技 術 領域と映画産業) 。 ⑤ 学 歴 …… ( 中 国 )大 連 外 国 語 大 学 日 本 語 学 部( 科 学 技 術 日 本 語 専 攻 )、 同 大 学 院 日 本 語 研 究 科( 言 語 学 専 攻 )、 早 稲 田 大 学 社 会 科 学 研 究 科( 政 策 科 学 専 攻 )、 同 博 士 課 程 単 位 取 得 満 期 退 学 。 ⑥職歴…… 二〇一四年四月一日より現職。 ⑦現地滞在経験…… 二五歳まで中国で生活・学習。 ⑧ 研 究 手 法 … … 科 学 技 術 政 策 に つ い て 、 政 策 分 析 と 現 地 調 査 を 併 用する。特許や共著論文について、 Social Network Analysis ( S N A )を 用い て 分 析 す る 。 中 国 の 映 画 産 業 分 析 に お い て 、 S N A で 映 画 会 社 ・ 制 作 者 の ネ ッ ト ワ ー ク 構 造 を 分 析 す る 。 ⑨所属学会…… 情報処理学会、 社会情報学会、 研究イノベーショ ン学会。 ⑩研究上の画期…… 修士の時、東大の馬場靖憲先生は Social Net -work Analysis と い う ダ イ ナ ミ ッ ク な 変 化 を 可 視 化 す る 研 究 手 法 を 紹 介 し て く だ さ っ た。 そ の 後、 物 事 を 関 係 の 中 で 捉 え る 考 え 方 が 身 に つ き、 映 画 産 業 を 例 に し て 研 究 し 始 め た。 そ の 後、 仕 事 の 関 係 で 中 国 の 科 学 技 術 を 分 析 す る 際 に、 既 存 の 科 学 技 術 の 分 析 手 法 を 勉 強 し な が ら、 S N A 手 法 を 生 か し、 中国の科学技術の構図の可視化に努めている。 ⑪ 推 薦 図 書 … … Jh on S co tt an d Pe te r Ca rri ng to n ( 20 11 )T he SA G E H an db oo k o f S oc ial N etw or k A na lys is . London: SAGE Publications. SNAの基本から最先端までがわかる。