は
じ
め
に
︱ ︱﹁ 地 域 割 り ﹂ か ら﹁ 問 題 割 り ﹂ へ 小 稿 は、 中 国 研 究 者 で あ る 筆 者 が、 「コ ミ ュ ニ テ ィ」 を ひとつの事例として、地域研究が「地域を突き抜ける」可 能性をめぐって問題提起を行うものである。逆説的ではあ るが、地域研究はそのまま「地域割り」の発想ではその真 価 が 発 揮 さ れ ず、 「問 題 割 り」 の 発 想 で「地 域 を 突 き 抜 け る」ことによって命が吹き込まれると考える。ある地域内 部のローカルな事象に精通し、最新動向をフォローするよ うな地域研究は、最も「地域研究らしい」地域研究かもし れないが、作品として見ればまだまだ地域研究としての醍 醐味を提供するまでに至っていないのである。それは、① ある地域の個性というのは、本質的には比較を通じてしか 理解しえない、②比較が可能になるためには、社会の丸ご と比較ではなく、ある地域の中から、一定の普遍性をもつ 「問 題」 を 抽 出 す る 作 業 が 不 可 欠 で あ る、 と い う 事 情 に 深 く関わっている。 筆者が「問題割り」の重要さを認識するきっかけとなっ たのは、もっぱら個人的な諸事情である。ここ数年来、筆 者は「中国研究者」であることに安住することなく、それ を外側から眺めざるをえなくさせるような三つの環境の下 に置かれていた。一つ目は、二○○四年から二○○九年ま で、東京大学大学院の「人間の安全保障」プログラムで運 営委員・授業担当教員を務めたことである。筆者は東京大 学の大学院レベルでは総合文化研究科地域文化研究専攻に 所属しており、通常は「中国」を関したゼミナールを開講第Ⅲ部
新
し
い
地域研究
を
め
ざ
し
て
﹁
地
域
を
突
き
抜
け
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﹂地
域
研
究
︱
︱
コ
ミ
ュ
ニ
テ
ィ
の
可
能
性
田
原
史
起
くに海外の学術誌への投稿は依然、ハードルが高いのが現 状であろう。その点、日本のインド研究者は現地でも国際 的な場でも英語を使用することが当たり前に求められる環 境にいるため、中国研究者が直面するような成果発信言語 のジレンマは小さいだろう。 第二に、日本社会では同時代中国の最新動向それ自体へ の 需 用 が 高 い た め に、 「中 国 ウ ォ ッ チ ン グ」 が 市 場 と し て 成立する。これはロシア情報、インド情報への需用の比で はないだろう。その結果、中国情報にアクセスし、分析を 行 い、 発 信 す る 主 体 は 研 究 者 に 限 ら ず 百 花 繚 乱 と な る。 ウ ォ ッ チ ャ ー の 領 域 で は、 ジ ャ ー ナ リ ズ ム と ア カ デ ミ ズ ム、 記 者 と 研 究 者 の 仕 事 の 区 別 が 曖 昧 と な る。 他 方 で、 ウ ォ ッ チ ャ ー に な ら な い 中 国 研 究 者 (数 の 上 で は お そ ら く 半 数 を 占 め る) は、 東 洋 史 と い う 伝 統 領 域 の 傘 の 下 で 歴 史 家となり、細分化された諸問題の蛸壺に入る。こうした状 況下で犠牲になるのは、現代の諸問題を対象に、じっくり と腰を据えて社会科学的な分析と概念化を行うような研究 である。 二つの傾向は相互に強め合う。国内での中国情報の需用 が高く、日本語による報告や論文発表の機会に時間とエネ ルギーを割かねばならない環境下にあるので、社会科学の 共通問題について外国語で発信し、対話を深めるための余 力 は も は や な く な っ て し ま う。 中 国 研 究 は 無 意 識 の う ち に、日本社会に軸足をおいた「業界」を形成しやすい知的 風土のなかに置かれている * 1 。全体としてみれば、中国研究 で地域を「突き抜ける」ことの難易度は、他の地域の研究 よりも高い。その意味で小論は無謀な試みに属するのかも し れ な い が、 あ え て「事 を 荒 立 て る」 問 題 提 起 を 行 い た い。 コ ミ ュ ニ テ ィ は 地 域 の 個 性 を 理 解 す る た め の ひ と つ の 「方 法」 で も あ る と と も に、 そ れ 自 体 が 地 域 横 断 的 に 存 在 している「問題」でもある。その意味で本稿は、地域研究 お よ び 中 国 研 究 に た い す る 二 重 の 問 題 提 起 と な る で あ ろ う。以下の二つの章では、①コミュニティというミクロな 地域を研究することが、より大きな地域社会や全体社会を 研究する際のサンプルの役割を果たす「方法」としての側 面、続いて②筆者自身のコミュニティ遍歴を紹介しつつ、 現場で見いだされ鍛えられた「問題」が、個別地域を突き 抜 け て 比 較 の 視 点 を 導 い て い っ た プ ロ セ ス (「問 題」 と し ての側面) 、について整理してみたい。
Ⅰ
﹁
方
法
﹂
と
し
て
の
コ
ミ
ュ
ニ
テ
ィ
コミュニティはまず、地域研究的なアプローチを支える 「方 法」 を 実 践 に 移 す た め の フ ィ ー ル ド で あ る。 周 知 の 通 してきた。しかしながら「人間の安全保障」との二枚看板 授 業 を 開 く こ と に な っ て か ら は、 ど の「地 域」 を 扱 う の か、ではなくどういう「問題」を扱うのかを問われる状況 が 生 ま れ た。 第 二 に、 二 ○ ○ 九 年 か ら 文 科 省 新 領 域 研 究 「 ユ ー ラ シ ア 地 域 大 国 の 比 較 研 究 」 政 治 班 の 活 動 に コ ミ ッ トし 、 ロシア 、 イン ドと中 国の比 較研究 に着手 した ことで あ る 。 地 域 を 移 し 、 新 し い 国 で の フ ィ ー ル ド ・ ワ ー ク を 展 開 す る な か で 、 そ れ ま で 自 分 が 中 国 で 扱 っ て き た 「 問 題 」 が 何 で あ っ た の か を 再 検 討 す る 必 要 性 に 駆 ら れ た 。 第 三 に 、二 ○一○ 年から 二年 間 、東京 大学教 養学部 後期 課程の 地域文化研究学科アジア分科で分科主任を務め 、中国の外 部 に あ る 「 ア ジ ア 」 の 多 様 性 に 無 関 心 で は い ら れ な く な っ たこ とであ る 。この 三番 目の環 境は 、煩 瑣な雑 用と 学生の 世話役を一手に負わされるといったもので 、研究時間の面 では大きなブレーキとなった 。しかし多少なりとも前向き に捉 えるな ら 、この 経験 はとも かくも 、 日本か ら西 アジア まで多様な地域を卒論で扱う学生たちを相手にしながら 、 それ までの 内向き な傾 向を反 省し 、多 様で 、と きに は混沌 と し た ア ジ ア 地 域 に 改 め て 目 を 向 け る 機 会 を 与 え て く れ た 。 こうした環境に置かれたことで、筆者は地域研究として の中国研究を、多少は外からの目線で見るようになってき た。 一 言 で い え ば、 日 本 の 中 国 研 究 は、 「地 域 を 突 き 抜 け る」ことが中々に困難な業界であるといえる。中国は、① 大国であり、②日本との関係も深いため、中国研究という 一国研究が日本国内で十分な市場を持ち、それ自体がひと つの世界を形作っているからである。上記の①は、たとえ ばロシア研究やインド研究にも共通していえることだが、 ②は大国研究のなかでも中国研究に固有の条件である。 ここから、ひとつの「業界」としてみた際の日本の中国 研究には、次の二つの特徴を指摘できる。第一に、英語や 中国語による成果の発信が圧倒的に少なく、日本語による 成果の発信が大半を占めることである。必然的に、研究の 水準自体は高くても、中国や欧米の中国研究学界において それらが参照される機会が少なく、孤立しがちとなる。な ぜ日本語による発信が多くなるのか。ひとつには、中国研 究者のキャリア・パスの問題がある。中国現地で学位を取 得するというよりは、日本の大学院に籍を置いて、中国現 地へは一年からせいぜい二年程度、語学習得や資料収集を 目的として滞在するのが主流である。長期の留学等を通じ て地域にどっぷり漬かることが少ないため、なかなか中国 語で論文を書きこなす水準まで到達しにくいという事情が あ る。 こ れ は、 中 国 研 究 者 の タ マ ゴ で あ る 大 学 院 生 が、 「途 上 国」 で あ る 中 国 で の 学 位 取 得 に あ ま り 価 値 を 見 い だ していないからかもしれない。他方で、英語圏への留学は 学位取得を目的としたものが多いだろうが、これは絶対数 が少ない。大多数の中国研究者にとり、英語での発信、とや、文化人類学的フィールド調査などとの異同にも触れて いく。
1
﹁
コ
ミ
ュ
ニ
テ
ィ
の
文
脈
﹂
を
採
取
す
る
第 一 段 階 は、 現 象 と 現 象 の 連 関 に か ん す る 小 さ な「発 見」を積み重ねていく、ある意味で混沌としたステップで ある。現場には無限の現象、出来事があふれているが、コ ミュニティ・スタディはそうした無限の現象の中から何か 意味のありそうなもの、あまり意味がなさそうなものも含 め て、 現 象 や 出 来 事 を 記 録 し て い く。 そ こ で は あ る 種 の 「嗅 覚」 が 問 わ れ る こ と に な る。 そ う す る と あ る 時 点 で、 一見、無関係に見えた現象が、ある要素を媒介にしてつな がってくることがある。 たとえば筆者は山東省のフィールドで、次のような二つ の現象に出会った。 【現象1a】 村の中にゴミ捨て場があるが、適時に収集 が行われていないようで、ゴミがあふれて 腐乱している 【現象1b】 村民委員会選挙で村幹部が交替したが、新 しい委員とそりの合わなかった支部書記が 辞職してしまった 両者は一見して、互いに何のつながりもないようにみえ る が、 実 は あ る と き、 【現 象 1 b】 に よ っ て も た ら さ れ た 村 リ ー ダ ー の 日 常 的 管 理 業 務 の 放 棄 が、 【現 象 1 a】 の ゴ ミ処理業務の停止を招いていることに気付くことがある。 そ れ ら の 背 後 に あ る も の は、 端 的 に い う と、 「村 ガ バ ナ ン スの空洞化」であることになる。 さ ら に 筆 者 の 江 西 省 の フ ィ ー ル ド か ら ひ と つ 例 を あ げ る。 【現象2a】 集落の中程に、家族だけではとても住みき れ な い ほ ど の 部 屋 数 の あ る 豪 邸 が 威 容 を 誇っている 【現象2b】 村民の家に御馳走に呼ばれると、一○皿の 料理の内、たいがい肉料理が八~九皿を占 めている こ の 場 合、 二 つ の 現 象 の 背 後 に あ る も の は、 「面 子 意 識」であろう。すなわち、比較的貧しい農村であるが、村 民は自らの経済的実力を村内外の人々に対して誇示したい メンタリティをもっているということである。 筆 者 は こ れ ら 複 数 の 現 象 の 連 関 を、 「コ ミ ュ ニ テ ィ の 文 脈」 と 呼 ん で い る。 コ ミ ュ ニ テ ィ の 文 脈 を 発 見 す る 際 に は、インタビューによる言語情報や現地で公刊されている り、地域研究はさまざまな方法論を動員して、ある特定の エ リ ア を 部 分 的 に で は な く 総 合 的 に 見 る こ と を 大 切 に す る。あるひとつの現象を説明する際にも、外部者の立場か ら で は な く、 現 地 の 文 脈 か ら の 内 在 的 理 解 を 目 指 す。 コ ミュニティ・スタディのアプローチとは、こうした地域研 究のもつ志向性を、よりミクロな地域をサンプルとして、 より自覚的なかたちで体現するものである * 2 。 地域研究とコミュニティ・スタディの相違点は、対象と す る「地 域」 の サ イ ズ に あ る。 コ ミ ュ ニ テ ィ・ ス タ デ ィ は、 「目に見える」 「手で触れられる」 「歩いて回られる」 、 可能なかぎりミクロな地域を出発点としている。フィール ド・ワークの効用が高いのも、ミクロな地域を対象として いるがゆえである。中国の農村で「コミュニティ」という と、①県、②郷・鎮、③行政村、④村民小組と四つくらい の地域社会を指す可能性があるが、脚で歩いて全体像を把 握できる範囲といえば、③または④となる。④の「村民小 組」は、およそ四〇戸程度の集落で、道路を含めて一戸が 二○○平米くらいと仮定すると八○○○平米、おおざっぱ に 見 て 半 径 五 ○ メ ー ト ル に な る。 そ の 意 味 で、 コ ミ ュ ニ テ ィ・ ス タ デ ィ は 半 径 五 ○ メ ー ト ル く ら い か ら 始 め ら れ る。極端にいえば、半径五○メートルをつぶさに観察する ことにより、国家などの大きな地域を扱う際にはさまざま なノイズによって曖昧化してしまう問題を、よりはっきり とした輪郭で見いだせるかもしれない * 3 。以上の意味で、コ ミュニティ・スタディとは地域研究の「縮小版」であり、 もっと象徴的な言い方をすれば「半径五○メートルの地域 研究」なのである。 実のところ、中国社会を対象としたコミュニティ・スタ ディの方法 (中国語では「社区研究」 ) は、早く一九三○年 代に、費孝通を中心とする社会学者や人類学者によって体 系化されている * 4 。費はこの方法を「雀の解剖」と呼んでい る。つまり、雀は小さいが、五臓は完備しているというこ とであり、コミュニティの研究がより大きな社会のサンプ ルとなりうる点を主張したのである。その後、一九五○年 代から七○年代にかけての中国社会学の長いブランクを経 て、現在では中国人研究者による農村調査が再びさかんと なっているが、費孝通のコミュニティ・スタディの方法的 メリットは、現在の研究者らにも十分に自覚されていない ように感じられる。それはとくに、以下に整理する3「次 なる現場に持ち込んで『問題』を鍛え上げる」という側面 においてである。大多数のコミュニティ研究は、単発のモ ノグラフで完結してしまっているからである。 そ れ で は コ ミ ュ ニ テ ィ ・ ス タ デ ィ の 方 法 と は 何 か 。 以 下 、 研 究 の 段 階 に そ っ て 、 三 つ の ス テ ッ プ に 分 け て 整 理 し て み た い 。 コ ミ ュ ニ テ ィ ・ ス タ デ ィ の 方 法 的 特 徴 を 際 だ た せ る た め に 、 随 時 、 い わ ゆ る 「 社 会 調 査 」 ( social survey * 5 )素のなかでもとくに問題の核心を構成するような「基本変 数」が徐々に浮かび上がってくる。 筆 者 の 場 合 、 自 身 の 研 究 者 と し て の 「 問 題 」 を 、 現 地 コ ミ ュ ニ テ ィ の 抱 え る 「 問 題 」 と で き る だ け 重 ね 合 わ せ 、 両 者 が 大 き く 乖 離 し な い よ う に し て い る 。 現 地 の 住 民 の 生 活 の目線にひたすら寄り添うつもりで現場の現象を観察すれ ば 、 ど の 現 場 で も 「 コ ミ ュ ニ テ ィ ・ イ シ ュ ー 」 と も い う べ き イ シ ュ ー が 存 在 し て い る の に 気 付 く だ ろ う 。 コ ミ ュ ニ テ ィ ・ イ シ ュ ー と は 、 住 民 と 同 じ 高 さ の 目 線 で 見 た 際 の 、 公 共 生 活 を め ぐ る 「 争 点 」、 も っ と か み 砕 い て い う と 「 住 民 た ち が 日 常 生 活 の 中 で 一 番 困 っ て い て 、 お し な べ て 関 心 の 高 い 公 共 的 な 問 題 」 の こ と で あ る 。 た と え ば 中 国 の 内 陸 農 村 で は 、 良 い 舗 装 道 路 が 無 く 、 村 の 経 済 発 展 の 障 碍 と な っ て 住 民 が 困 っ て い る こ と が 多 い し 、 ロ シ ア の 農 村 で は 冬 場 の暖房や除雪問題が住民の最大の関心事であったりする。 こ こ で、 「問 題」 を 見 出 す こ と が な い ま ま (あ る い は あ え て 問 題 を 設 定 せ ず) 、「要 素」 を 並 列 的 に 記 述、 整 理 し て いったものは、コミュニティ・スタディではなく、コミュ ニティに関わるデータの提供を主目的とした「調査記録」 ということになる。また、オーソドックスな文化人類学的 のフィールド・ワーク――というといささか偏見めいてい るが――では、どちらかというと現場で問題を見出すとい うよりは、親族組織や儀礼などの古典的なテーマに従った 「要 素」 を 追 求 し が ち で あ り、 政 治 や 経 済 の 領 域 ま で 含 め た要素間の関係から独自に「問題」を立てようとする姿勢 はわりと希薄に見える * 9 。
3
次
な
る
現
場
に
持
ち
込
ん
で
﹁
問
題
﹂
を
鍛
え
上
げ
る
「半 径 五 ○ メ ー ト ル」 で あ る こ と か ら、 コ ミ ュ ニ テ ィ・ スタディの研究者には、あるひとつの操作的な方法――比 較研究――が可能になる。すなわち、最初に入ったコミュ ニティで見いだされた問題を次なる現場に持ち込んで、問 題の立ち現れ方がどのように異なっているか、そしてその 差異を生じさせている原因は何か、について相互に比較す る手法である。これは中国という一国内での比較というこ とでもあり、中国以外の地域でも農村部に古いタイプのコ ミュニティが存在し、一定の政治社会的な重要性をもって いるという条件下で国際比較が可能となる。地域研究にお けるコミュニティの扱いに関連して、山口博一は「コミュ ニティ研究一般が……コミュニティの典型性についての検 討なしにそのまま自動的に地域研究を構成するとは筆者に は 思 え な い」 (山 口 一 九 九 一: 四 一) と 述 べ、 地 域 の 諸 概 念の中からコミュニティを除外している。しかし複数のコ ミュニティに問題を持ち込んで比較を重ねていくことで、 統計資料、また過去についての歴史的史料を参照すること もまた有用であろう * 6 。しかしながら、コミュニティ・スタ ディの方法はまず、しっかりした現場の観察から出発すべ きであり、この点では文化人類学的アプローチと共通した ところがある。この点、もしも社会調査の方法であれば、 コミュニティの文脈は無視して、あるひとつの現象を切り 取ることになる。仮にあるコミュニティに実際に赴いて調 査をする場合でも、現場に行く前に、すでに「ほしいデー タ」 と い う の が 決 ま っ て い る の で あ る。 た と え ば 対 象 コ ミュニティのゴミ処理の仕組みがどうなっているか知りた いとか、農家の住環境がどうなっているか、通婚圏の大き さ を 知 り た い と か、 人 々 の 政 治 参 加 の 意 識 を 知 り た い と か、つまりコミュニティのある一部を切り取る目的をもっ て現場に赴くことになる * 7 。手法の面から見れば、社会調査 は、可能なかぎり統計と統計の解釈に基づいて議論しよう とする。社会調査は多くのサンプルを集めて全体的な傾向 をつかむのには適しているが、現象の前後にある「文脈」 を 採 取 し て い な い の で、 「な ぜ そ う な っ て い る の か」 が 分 か ら な い と い う 問 題 が 生 ず る。 「ゴ ミ 処 理 の シ ス テ ム は 未 整 備 で 問 題 が 大 き い」 と か、 「通 婚 圏 は 狭 か っ た」 と か、 「政 治 参 加 意 識 が 低 か っ た」 な ど の 結 果 が 得 ら れ た と し て も、社会調査ではその理由が分からないのである。異なる コミュニティごとに、また同じコミュニティでも時期が異 なればまた違った文脈が立ち上がってくるのだから、全部 足 し 合 わ せ て、 「こ の 地 域 は 全 体 と し て 政 治 参 加 意 識 が 低 い」などという結論を導く社会調査は、コミュニティ・ス タディの立場からするとあまり意味がないことになる。2
﹁
問
題
﹂
を
浮
き
彫
り
に
す
る
第二段階は、コミュニティの文脈を採取する作業を進め ながら、当該コミュニティにとっての、あるいは研究者自 身にとっての「問題」を浮き彫りにしていく段階である。 次々に起こっては消えていくさまざまな現象の背後にある 比較的恒常的なファクター、上記の例でいえば、ガバナン ス の 空 洞 化 や 面 子 意 識 の 存 在 な ど を、 こ こ で は 仮 に「要 素」と呼んでおく。そうすると、コミュニティを構成する 「要 素」 も 数 か ぎ り な く あ る こ と に な る。 し た が っ て、 あ らゆる要素に配慮し、記述することは不可能であるが、し か し そ れ ら の な か で と く に 重 要 に 思 え る「要 素」 と「要 素」の関連が徐々に見えてくる。見出すべき「要素」を最 初から限定して切り取ろうとするわけでもないが、何でも かんでも見るわけでもないということである。とすると、 これは研究者が「どういう問題を解こうとしているか」に よって「要素」のつかみ取り方も異なってくるということ である * 8 。こうして雑多な要素の連関を見極めるなかで、要的 に プ ロ ジ ェ ク ト 全 体 を 見 渡 し た 上 で 概 念 化 に 導 く リ ー ダーの力量が成否を分ける鍵となるだろう。 以 上、 「方 法」 と し て の コ ミ ュ ニ テ ィ (コ ミ ュ ニ テ ィ・ ス タ デ ィ) に つ い て の ポ イ ン ト を 整 理 し て み れ ば、 次 の よ うになる。 ①「要素」とは、現場に生起するさまざまな現象の背後 にあって、現象の発生を規定しているものを指す。 ②「要素」は現場には無限に存在するので、研究者はい くつかの要素を選択的につかみ取る必要がある。 ③「問題」とは、要素と要素の連関のうち、もっとも核 心的なものを指す。最終的にどの要素をつかみ取るか は、研究者が「どういう問題を解こうとしているか」 に沿って決まってくる。 ④「要素」間の関係を問わず、並列的に記述・整理して い っ た も の (つ ま り「問 題 不 在」 の も の) が「調 査 記 録」 、 要 素 間 の 連 関 を 問 う も の の、 学 界 の 伝 統 に 従 っ て「問 題」 を 選 定 す る 傾 向 が あ る の が「人 類 学 的 フィールド調査」である。 ⑤異なる要素の内容で構成される新しい現場に持ち込ん で、 さ ら な る 観 察 を 繰 り 返 す こ と で、 「問 題」 は 鍛 え られ、汎用性が高まると同時に、コミュニティ間の比 較を通じてそれぞれの特徴を浮き彫りにすることも可 能になる。
Ⅱ
﹁
問
題
﹂
と
し
て
の
コ
ミ
ュ
ニ
テ
ィ
筆者はここ十年ほどの間、四つの村、もっと広く対象を とると四つの県を固定観察ポイントに定め、継続的に農村 調査を行ってきた * 11 。そのなかで、中国の農村問題は単なる 農家レベルの収入向上の問題ではないことを感じてきた。 ま た、 冒 頭 に 触 れ た と お り、 こ こ 二 年 来 は 新 領 域 研 究 「ユ ー ラ シ ア 地 域 大 国 の 比 較 研 究」 プ ロ ジ ェ ク ト の 一 環 と して、ロシアとインドにおいても村落調査を実施した。こ の過程で、国内に一定規模の農村社会を抱える地域におい て、 コ ミ ュ ニ テ ィ (と そ の ガ バ ナ ン ス の 問 題) は そ れ ぞ れ の社会的文脈を映し出し、非常に個性的な現れ方をする領 域だということにも気付いた。こうした意味で、コミュニ ティは地域研究の取り組むべき大きな「問題群」のうちの ひとつであると考えている * 12 。 以下では、調査対象フィールドを徐々に拡大し現場を移 し な が ら、 筆 者 の な か で「コ ミ ュ ニ テ ィ・ ガ バ ナ ン ス 問 題」が実際にどのように鍛えられてきたのか、に焦点をお きながら簡単に振り返ってみたい。 典型性に関する検討は補完されうる、というのが筆者の考 えである。したがって、コミュニティ・スタディの古典で あるリンド夫妻の『ミドルタウン』を引きながら山口自身 も 認 め て い る (山 口 一 九 九 一: 四 〇) よ う に、 問 題 は コ ミ ュ ニ テ ィ 研 究 自 体 に あ る の で は な く、 単 独 の コ ミ ュ ニ ティの典型性に関する検討無くして、それだけをもってよ り大きな地域を代表させてしまう点にこそある。 さて二つ目以降の現場では、もちろん1で述べたような 現 象 と 現 象 の 相 互 連 関 を 再 び 記 述 し て い く こ と に は な る が、ひとつ目の現場とは異なり、まったく手ぶらで入って いくのではなく、すでに見いだされた「問題」を念頭にお き、現場の状況を見ながら徐々に「問題」の立て方、そし て「要 素」 の 見 い だ し 方 全 体 を 再 調 整 し て い く こ と に な る。一九三〇年代の費孝通の場合、ひとつ目の現場は揚子 江下流域、江南農村のコミュニティであり、そこでは文化 人類学的モノグラフの観点から、家族、親族組織から始ま り、さまざまな事実をことごとく記録している印象を受け る。と同時に、記述の端々からは、農村経済をめぐるいく つかの要素の連関が基本軸に据えられていることも見て取 れ る。 す な わ ち、 「近 代 的 な 商 工 行 業 勢 力 の 侵 入」 →「伝 統 的手工業の崩壊」 →「不在地主化」という農村経済の崩壊過 程が、どのようなコミュニティでどの程度、発生している の か と い う 問 題 意 識 で あ る ( Fei 1939 ) 。 費 は、 ひ と つ 目 の現場で見いだされた近代的市場の影響による農村経済の 崩壊過程への問題意識をもって、市場の影響のより及び難 いであろう雲南農村に赴き、異なる要素の内容で構成され る三つのコミュニティの中に持ち込んで問題を深めようと し た ( Fei & Chang 1945 ) 。 つ ま り、 費 の コ ミ ュ ニ テ ィ・ スタディは、あるコミュニティにおいて見いだした要素間 の 関 係 を、 他 の コ ミ ュ ニ テ ィ の 研 究 を 通 じ て 再 確 認 し た り、 修 正 し た り す る こ と を、 自 ら に 課 し て い た わ け で あ る。現場での調査にかかる時間の差を逆に利用して問題意 識を熟成させていく「芋づる式比較研究」の採用である。 もちろん、これは一人ないしは少数の研究者のチームに よる場合、必然的に、多大な時間と労力をかける覚悟を要 する。こうした意味で注目すべき研究は、湖北農村の「原 子化」を比較の参照軸としながら、安 徽 、浙江、湖南、遼 寧、陝西、山西、河南にまたがる九つの村における自らの 調査結果に基づいて、農民の行動様式と村レベル・ガバナ ン ス を 類 型 化 し て い っ た 賀 雪 峰『村 治 模 式』 (賀 二 〇 〇 九) で あ ろ う。 同 書 は「中 国 村 落 ガ バ ナ ン ス・ モ デ ル 実 証 研 究 叢 書」 全 一 六 冊 の う ち の 一 冊 と し て 刊 行 さ れ て い る が、他の一五冊は基本的に一人の研究者が一村の状況を記 述したモノグラフである * 10 。このように多数の研究者が参加 し て コ ミ ュ ニ テ ィ・ ス タ デ ィ を 展 開 す る 場 合 は、 「問 題」 と「方法」の共有がどの程度、上手くいくか、そして最終かが欠けたら村民の生活は成り立たなくなる。したがって 灌漑サービスをしっかりと提供することが、村のリーダー た ち の 重 要 な 仕 事 と 見 な さ れ て い る。 北 京 村 に 比 較 す る と、 山 東 村 の イ ン フ ラ 建 設 は そ れ ほ ど 大 が か り と は い え ず、共有財産の運用により毎年、得られる村自身の収入だ けで、井戸掘り、貯水庫整備、地下水路のパイプ敷設、村 道整備などを行っている。また北京村のように村幹部が何 でも一元管理するのではなくて、たとえば実際にリンゴ畑 に水やりをする際には、村内に一○個ある村民小組が単位 となって実際の管理をするというように、ある意味「分権 的」なガバナンスがみられることが分かった。
2
内
陸
農
村
︱ ︱﹁ つ な が り ﹂ か ら ﹁ ま と ま り ﹂ へ 北京や山東のようなコミュニティ共有財産がどの地域で も存在するわけではないことは、筆者も先行研究を通じて 周知している点であった。それでは、共有財産の少ない大 部 分 の 内 陸 農 村 (中 部・ 西 部) に お い て、 ガ バ ナ ン ス 問 題 はいかなる資源を動員して解決されているのか。この点が 問題意識として浮上したことから、二○○六年からは中部 内 陸 地 域 に 属 す る 江 西 の H 村 (以 下、 「江 西 村」 ) で、 続 い て 二 ○ ○ 九 年 か ら は 西 部 内 陸 地 域 に 属 す る 甘 粛 の L 村 (以 下、 「甘 粛 村」 ) で 調 査 を 始 め た。 両 地 で の 課 題 は、 一 見 し て救いようもなくバラバラで利己的に見える村民たちの間 に、どのような「つながり」や「まとまり」の契機を発見 していくか、そして、それらがいかにしてガバナンスの資 源に転化しうるのか、を見出していく作業であった。 江西村 * 15 江西村は、一見したところリーダーシップも共有財産も かぎりなくゼロに近い、停滞した村である。まず、北京と 山東でみられたような村のリーダーたちの存在がほとんど 感じられない。名義上「村幹部」は存在しているが、その 仕事ぶりは非常に不活発である。村のリーダーたちが会議 や打ち合わせをするはずのオフィスの建物自体も民間に払 い 下 げ ら れ て し ま っ て い る。 村 に は 企 業 や 共 有 地 な ど が まったくないため、唯一の「コミュニティ共有財産」は山 林であるが、これも村民に収入をもたらすような運用の仕 方――たとえば果樹や孟宗竹を植えるなど――はされてい な い。 村 民 は 稲 作 + 出 稼 ぎ で 世 帯 ご と に そ れ ぞ れ 勝 手 に 生きており、出稼ぎで稼いだ収入はまず、豪華な住宅を建 てるために使われている。青年層は浙江省や福建省、壮年 層は省都の南昌に出稼ぎに出ており、村の子どもたちは長 期間父母に会うこともなく、祖父母や親戚の家で養育され て い る (い わ ゆ る「留 守 児 童」 問 題) 。 村 の 組 織 や 相 互 扶 助 に依存する度合いが小さいため、近隣や親族の付き合いが あるのを除けば、行政村を単位とした村落生活はほぼ皆無1
沿
海
農
村
︱ ︱﹁ コ ミ ュ ニ テ ィ 共 有 財 産 ﹂ の 発 見 筆者のコミュニティ遍歴の第一歩は、二○○一年から二 ○○二年にかけて、北京および山東の村落生活の観察から 始まった。当時はもちろん明確な「問題」を見いだしてい たわけでなく、漠然とオーソドックスな農村社会学の調査 手 続 き に し た が っ て、 村 民 の 間 の つ な が り が ど の よ う に なっているのか、を調査するつもりだった。相対的に発展 している北京郊外、山東半島を調査地としたのも意図した 結果でなく、ただ単純に、当時は他の調査地に赴く つて 4 4 が 無かったためである。 北京村 * 13 ま ず 北 京 の X 村 (以 下、 「北 京 村」 ) で は、 入 村 す る や 否 や、 村 の 中 央 部 に 陣 取 っ て い る 野 菜 卸 売 市 場 が 目 に 入 っ た。聞けば、北京村は一○○○万元規模で資金を投入して この卸売市場を建設しており、野菜栽培によって村民の収 入は着実に伸びていた。市場では広東など南方の仕入れ業 者が野菜を買い付け、そこで村が建設した保冷庫に貯蔵し て包装し、トラックで高速道路をとばして広東まで出荷す る仕組みができあがっていた。そして市場を中核とした発 展戦略の裏側に、同村の強力なリーダーの存在があること も分かってきた。さらに北京村のリーダーシップとは何な のかと疑問を持ちながら眺めた時、その重要な内容として 「外 部 と の つ な が り」 が 見 え て き た。 党 支 部 書 記 を 筆 頭 と する村のリーダーが、県当局とのコネクションを構築して おり、このことが村内部の実力を超えたスケールで資金を 調達し、大きなインフラ建設を可能にしていた。この市場 や保冷庫はコミュニティ共有財産となって、村民の野菜生 産に付加価値を与えるとともに、リース収入が村の財政を 支えるため、リーダーたちの力は共有財産によって再強化 される。ぼんやりとこのような構図が仮説として浮かび上 が っ て き た。 よ り 抽 象 度 を 上 げ て い え ば、 「コ ミ ュ ニ テ ィ 共有財産」と「リーダーシップ」は、北京村での観察から 引き出された二大「要素」であった。 山東村 * 14 山 東 C 村 (以 下、 「山 東 村」 ) の 調 査 で は、 北 京 村 の 観 察 から浮かび上がってきた二大要素が同地でも見いだされる のか、という着眼点からスタートした。リンゴや葡萄の産 地である山東村では、過去の人民公社時代の村幹部のリー ダーシップによりつくり出された共有財産としての村営ソ ファー工場などから上がる収入が、現在の灌漑施設の建設 資金となっていることが分かった。華北の農業では灌漑の 程度で農作物の出来がまったく違ってくるため、水利建設 が 大 事 で あ る。 村 民 は さ ま ざ ま な 副 業 に も 従 事 し て い る が、 家 計 の 構 造 は 農 地 経 営 + 副 業 の 二 本 立 て で、 ど ち ら儀式がよく保存されていることや、同族の家神廟や土地廟 などがコミュニティの紐帯となっている点なども江西村で は見られなかった点である。 その他、当地は四川省との省境にもほど近く、二○○八 年の四川大地震の被害も一部、及んでいることもあり、復 興資金をはじめとする政府の公的資金の投入が増大してい ることも、江西村以上に目立っていた。そして江西村では まったく観察されなかった現象として、もと炭鉱経営者で あった四○才代の村民が地方党組織の意向を受けて村党支 部書記に就任しており、村で何かの費用が発生する際には 自らのポケットから立て替えたりしている。二○一○年か ら始まった村道建設では、政府の資金を申請すると共に、 書記が所有していたブルドーザーなどの機器を無償で道路 工事に使用するなどして、村の建設は緩やかに進展してい た。村レベルのリーダーシップに体現されているように、 甘粛村では江西村よりもはるかに高いガバナンス能力が見 いだされたのである。
3
地
域
を
突
き
抜
け
る
︱ ︱ ロ シ ア と イ ン ド 先述したとおり、二○○九年からは新領域研究「ユーラ シア地域大国の比較研究」に参加することになった。中国 という地域を「突き抜け」て、ロシア、インドにまで調査 対 象 を 拡 大 し た こ と に な る。 ロ シ ア で は タ ン ボ フ 州 と タ タ ー ル ス タ ン 共 和 国、 イ ン ド で は ア ー ン ド ラ・ プ ラ デ ー シュ州とオリッサ州でそれぞれ一村ずつ、合計四村が「比 較コミュニティ・ガバナンス」研究の拠点として加わるこ とになった * 16 。 このように「地域研究」の常識的感覚からすれば、一見 して無謀な試みが現実のものとなったのも、筆者が地域の 枠よりも、あくまで「問題」あるいは「方法」としてのコ ミュニティという点に固執したからだと思っている。もし も中国というフィールドでコミュニティの「ガバナンス問 題」という主題を見いだしていなかったなら、そもそもロ シアやインドとの比較に乗り出そうとは思わなかったろう し、問題不在のままの比較研究はたとえ試みたとしても無 意味なものに終わってしまったはずである。また専門地域 以外の調査にあたっては、当然ながら、言語やローカルな 知識の面での障碍は存在する。しかし、中国での活動を通 じて開発した「方法」としてのコミュニティという軸が存 在したお陰で、個別地域に関する知識や現地語の問題は、 通訳の問題さえクリアすれば致命的とはならなかったよう に思う。幸い、ロシアの調査では北海道大学スラブ研究セ ンターの松里公孝先生が通訳兼研究協力者として同行して く れ、 イ ン ド の 調 査 で も 現 地 語 (テ ル グ 語 と オ リ ヤ 語) と 英語を媒介する通訳を見つけることができた。 である。このように観察を続けるうち、村の凝集力の欠如 は、とくに村の四○才代の年齢層の不在に起因しているよ うに思えてきた。そして四○代が出稼ぎを続けなければな らないことの理由のひとつに、村と外部を結びつける良い 道路がないために、彼らが村に居ながらにしてその事業意 欲を満たすことができるようなサイド・ビジネスが成立し ない、という事情が見えてきた。 ただしこのような村の周辺でも、共有財産を自ら作り出 すような、リーダーシップの兆候となるような現象がまっ たくないかというとそうでもない。村民自身の手による、 他でもない小規模な「道づくり」が随所で見られたからで ある。たとえば江西村の中心集落では、周辺の集落におけ る道づくりの成功に刺激され、出稼ぎに出ていた青壮年た ちが帰郷中であった二○○八年の旧正月に道づくり世論の 高まりが見られた。その後、この計画は種々の事情から頓 挫してしまったものの、村民が「まとまる」力がゼロでは ないことが示された。 こうして、江西村ではガバナンスにおけるコミュニティ 内部の「つながり」や「まとまり」の要素を観察してきた といえるが、同村の調査を通じて新しく浮かび上がってき た「要素」もある。それは、二○○六年前後から拡大して き た 政 府 に よ る 各 種 補 助 金 の 存 在 で、 「新 農 村 建 設」 の 資 金はその代表的なものである。この点は中央政府の宣伝通 りであったが、しかし政府資金の投入の効果は、それ自体 が直ちにガバナンス能力の向上に結びつくような単線的な も の で は な か っ た。 つ ま り、 政 府 資 金 の 導 入 は コ ミ ュ ニ テ ィ の 力 と 連 動 し て お り、 村 の「ま と ま り」 を 形 成 し た り、また逆に水を差したりするなど、現地のガバナンスに 対して複雑な影響を与えている様子が見えてきた。 甘粛村 甘粛村は西部に属するが、広い意味では江西村と同様、 「内 陸 部」 の 村 で あ る。 同 村 で の 観 察 は、 無 意 識 の う ち に も江西村との比較を念頭におきながら進められた。まずは 共通している点として、農家経済は基本的に穀物栽培+出 稼ぎで構成されていること、収入が住宅建設に使われてい ること、留守児童が多く、共有財産や集団経済がゼロに近 い、等の点がある。そして良い「道」がないことに村民が 不便を感じている点でも、両村は共通していた。 だが全体として、甘粛村では江西村よりもコミュニティ が「まとまる」契機が強いように感じた。たとえば、出稼 ぎ者は大部分が浙江省の杭州に出ているが、より「ふるさ と志向」が強いのか、夏場の麦刈りと脱穀作業を挟む農繁 期には、若者を含め、大部分の村民が帰省して農作業に従 事している。さらにここ二年来は漢方薬の原料となる半夏 の栽培がさかんとなり、出稼ぎ帰郷者も含めて家族総出で その収穫にいそしむ姿もみられた。また、伝統的な葬儀のお
わ
り
に
小論ではもっぱらコミュニティとそのガバナンス問題を 事 例 と し て 、 地 域 研 究 が 「 地 域 を 突 き 抜 け る 」 可 能 性 に つ い て 検 討 し て き た 。 そ の 際 に 、 一 国 内 で の 地 域 間 比 較 の レ ベ ル と 、 国 際 比 較 の レ ベ ル が あ り 、 コ ミ ュ ニ テ ィ は 両 レ ベ ルにおいてともに高い比較可能性を持ちうる点が指摘でき た よ う に 思 う 。 二 つ の レ ベ ル の う ち 国 際 比 較 に 関 連 し て は 、「 問 題 」 の 種 類 に よ っ て は 比 較 が 困 難 な 場 合 が 出 て く る か も し れ な い 。 つ ま り 、 一 国 的 な 知 識 が 大 事 な テ ー マ と 、 デ ィ シ プ リ ン 的 な 知 識 が 大 事 な テ ー マ が あ る と す れ ば 、 前 者の場合は比較研究の難易度は高くなるからである * 18 。そ の 点、コミュニティ問題は、小論の前半で論じたとおり、同 時にひとつの「方法」でもあり、ディシプリン的要素が大 き い た め、 「地 域 を 突 き 抜 け る」 こ と が 比 較 的 容 易 だ っ た といえるかもしれない。 ただし、中国研究の場合はやや特殊であるとしても、地 域研究者のなかで本当に一国の研究にしか従事していない 者はむしろ少数派ではないか。たとえばロシアとウクライ ナの比較、インドとパキスタンの比較など大地域のなかで の二国間比較などは日常的に行われているはずである。し たがって「地域を突き抜け」て比較を行うことのポイント は、 そ れ ぞ れ の 研 究 領 域 で 取 り 組 ん で い る「問 題」 を 軸 に、 「困 難 も 大 き い が、 そ の ぶ ん 得 る と こ ろ も 大 き い よ う な 比 較」 (唐 二 〇 一 〇: 六 九) に 敢 え て 乗 り 出 す こ と で、 自らの本来専門としている地域の研究を豊かにする点にこ そある。 ◉注 * 1 以 上 の や や ネ ガ テ ィ ブ な 中 国 研 究 学 界 の 特 徴 付 け は、 主 と し て 筆 者 自 身 の 過 去 の 研 究 姿 勢 へ の 苦 い 反 省 か ら 来 る「自 己 批 判」 で も あ る。 そ の 意 味 で ま っ た く 主 観 と 独 断 に 基 づ く 概 括 で あ り、 当 然 な が ら 多 く の 例 外 が あ る こ と を 承 知 し た 上 でのことである。 * 2 欧 米 の コ ミ ュ ニ テ ィ 研 究 の 成 果 に 立 脚 し た コ ミ ュ ニ テ ィ ・ ス タ デ ィ の 方 法 論 的 概 説 と し て 、 Bell & Newby ( 1971 ) が あ る 。 * 3 実 際、 郭 (二 〇 〇 九) は、 筆 者 の フ ィ ー ル ド に も 重 な る 江 西 南 部 の 客 家 人 地 域 を 対 象 と し て、 村 民 小 組 レ ベ ル の コ ミ ュ ニティ・スタディを追究した代表的な作品であるといえる。 * 4 Fei & Chang ( 1945 )、 費 ( 一 九 九 九 ) な ど 。 ま た 、 中 国 に お け る コ ミ ュ ニ テ ィ ・ ス タ デ ィ の 概 況 に つ い て は 、 Fried ( 1954 )、末成 (一九九五) 、瀬川 (二〇〇四) を参照のこと。 * 5 過 去 の 例 で は、 行 政 院 農 村 復 興 委 員 會 編(一 九 三 五) な どがこれに相当する。 * 6 実 際、 上 記【現 象 1 b】 は 現 地 で の 言 語 情 報 に よ り 見 い ロシアやインドの村も歩いてみることで、ガバナンス問 題に関わる現地の諸「要素」もさらなる再調整を経ること になった。三国のガバナンス問題を分析するための大枠と な る の は、 「公」 「私」 「共」 の 三 つ の フ ァ ク タ ー で あ る (図 1) 。 す な わ ち、 ロ ー カ ル な 地 域 社 会 を 舞 台 と し た ガ バ ナ ン ス の 再 構 築 に 向 け て、 「公」 (政 府 = 再 配 分 原 理) 、 「私」 (市 場 = 交 換 原 理) 、「共」 (コ ミ ュ ニ テ ィ = 互 酬 性 原 理) の 三 領 域 に ま た が る 資 源 の 活 用 と 相 互 移 転 の 視 点 か ら アプローチすることである * 17 。 まだ着手したばかりの段階ではあるが、この三国のガバ ナンス問題の比較作業を通じて、それまでは無自覚であっ た中国の地方政治や農村統治の地域的特徴を再発見するこ と に な っ た。 簡 単 に い え ば、 ① 中 国 の 農 村 ガ バ ナ ン ス に は、 言 説 レ ベ ル で は 政 府 資 金 の 投 入 (「公」 ) や 市 場 経 済 化 の 進 展 に よ る 農 家 収 入 の 向 上 (「私」 ) が 喧 伝 さ れ て い る も のの、実態としては「コミュニティ主義」ともいえる、住 民 の 自 力 更 生 と 相 互 扶 助 (「共」 ) に 大 き く 依 存 し た 特 徴 が あること、そして②この特徴は村レベルのみで住民の直接 選挙が完結し、村が選挙を通じた上位の政体とのつながり を持たない政治システムによりもたらされていること、で ある。こうした特徴は、ロシアでは地方ガバナンスに対す る 上 級 政 府 の 補 助 金 (「公」 ) や、 大 規 模 農 業 企 業 に よ る 援 助 (「私」 ) が顕著であることや ( Tahara forthcoming ) 、イ ンドでは競争的な選挙関係を通じ、もっぱら政府の利益誘 導 (「公」 ) に よ っ て ガ バ ナ ン ス 資 源 が ま か な わ れ て い る 点 などと照らし合わせて抽出された特徴である。 つまり、中国だけ見ていた段階ではあまり自覚的ではな かった「公」と「私」の要素がロシアとインドでのフィー ルド・ワークにより見出され、今度は中国自身のコミュニ テ ィ 分 析 に お い て も 取 り 入 れ ら れ よ う と し て い る。 「芋 づ る式比較研究」のもたらした功績ということになろう。 「公」 (再配分) 「共」 (互酬性) (交換)「私」 コミュニティ・ ガバナンス 図1 ガバナンス問題の三要素 (出所)筆者作成さ れ て い な い よ う で あ る。 さ ら に イ ン ド で は 村 落 が コ ミ ュ ニ テ ィ と し て「ま と ま る べ き」 と い う 前 提 自 体 が 存 在 し な い よ うに見える。 * 13 北京村の詳細については、田原(二〇〇五)を参照。 * 14 山東村の詳細については、田原(二〇〇九a)を参照。 * 15 江西村の詳細については、田原(二〇〇九b)を参照。 * 16 実 際 の と こ ろ、 ロ シ ア の タ ン ボ フ 州 で は 諸 事 情 に よ り、 一 村 を 拠 点 と し た フ ィ ー ル ド・ ワ ー ク で は な く、 複 数 村 を 対 象 と し た イ ン タ ビ ュ ー の 形 式 を と ら ざ る を え な か っ た。 ロ シ ア調査の概要については、田原(二〇〇九c)を参照。 * 17 三 要 素 の「発 見」 の 過 程 に つ い て こ こ に 詳 述 す る 余 裕 は な い。 た だ し、 そ こ で は 自 身 の フ ィ ー ル ド・ ワ ー ク に お け る 見 聞 に 加 え、 Polanyi ( 1957 )、 Bowles & Gintis ( 2002 )、 広 井 (二 〇 〇 九) な ど に よ る 概 念 化 に 示 唆 を 受 け た こ と を 付 記 し ておく。 * 18 新 学 術 領 域 研 究「ユ ー ラ シ ア 地 域 大 国 の 比 較 研 究」 国 際 シ ン ポ ジ ウ ム の ラ ウ ン ド テ ー ブ ル「地 域 大 国 の 政 治 を ど う 比 較 す る か?」 (二 ○ ○ 九 年 一 二 月 一 二 日) に お け る 松 里 公 孝 の 発 言(唐 二 〇 一 〇: 六 九) よ り。 松 里 に よ れ ば、 政 党 制 の 研 究 な ど は 一 国 的 な 知 識 が 必 要 で あ り、 国 際 比 較 は よ り 困 難 であろうという。 ◉参考文献 瀬 川 昌 久(二 〇 〇 四) 『中 国 社 会 の 人 類 学 ―― 親 族・ 家 族 か ら の展望』世界思想社。 末 成 道 男 編(一 九 九 五) 『中 国 文 化 人 類 学 文 献 解 題』 東 京 大 学 出版会。 田 原 史 起(二 〇 〇 五) 「中 国 農 村 に お け る 開 発 と リ ー ダ ー シ ッ プ ―― 北 京 市 遠 郊 X 村 の 野 菜 卸 売 市 場 を め ぐ っ て」 『ア ジ ア 経済』第四六巻第六号。 田 原 史 起(二 〇 〇 九 a) 「水 利 施 設 と コ ミ ュ ニ テ ィ ―― 中 国 山 東 半 島 C 村 の 農 地 灌 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し た が っ て、 未 開 社 会 を 対 象 と す る エ ス ノ グ ラ フ ァ ー と は 異 な り、 コ ミ ュ ニ テ ィ・ ス タ デ ィ の フ ィ ー ル ド・ ワ ー カ ー が 知 る べ き こ と は、 そ の コ ミ ュ ニ テ ィ に 関 す る 全 て で は な く、 究 極 的 に は コ ミ ュ ニ テ ィ に お け る 人 々 の 行 為 で あ り、 そ れ ら の 行 為 が 研 究 者 の 理 論 に ど う 関 連 す る の か、 と い う 点 で ある( Bell & Newby 1971: 42 )。 * 9 その意味では、 エチオピアの一農村をフィールドに、 「富 の 所 有 と 分 配」 と い う 独 自 の「問 題」 を 見 い だ し て 追 究 し た 松 村(二 〇 〇 八) の よ う な 研 究 は、 人 類 学 界 で は 少 数 派 に 属 す る か も し れ な い。 し か し、 こ れ と て も 人 類 学 者 に と っ て の 「問 題」 で あ っ て、 住 民 に と っ て の「問 題」 で は な い 点 は 示 唆的である。 * 10 湖 北、 安 徽 、 江 西、 華 南、 湖 南、 四 川、 陝 西、 浙 江、 江 蘇、 吉 林、 福 建 の 一 一 省 に 跨 る 一 五 の 村 を フ ィ ー ル ド と し て 一人の著者が一村を担当している。 * 11 そ の 他、 プ ロ ジ ェ ク ト 型 の 農 村 調 査 に 参 加 し て 訪 れ た 村 は 多 い が、 そ う い っ た 現 場 で の 活 動 は、 現 象 の 観 察 や 要 素 の 発 見 と い う よ り は、 言 語 情 報 の 収 集 を 目 的 と す る 関 係 者 へ の ヒ ア リ ン グ が 中 心 で あ り、 滞 在 時 間 も 短 く、 ま た 一 度 き り の 訪問となる場合が大多数であった。 * 12 もっともこれは、 それぞれの地域においてコミュニティ の 構 築 が 政 策 的 課 題 と し て 重 視 さ れ て い る か 否 か と は 別 次 元 の 話 で あ る。 中・ 印・ 露 の 三 国 に つ い て い え ば、 農 村 コ ミ ュ ニ テ ィ が そ れ 自 体、 自 明 な 問 い と な っ て い る わ け で は な い。 中 国 の 場 合、 人 民 公 社 体 制 の 消 滅 か ら 税 費 改 革・ 農 業 税 の 廃 止 に い た る 一 九 八 ○ 年 代 初 頭 か ら 今 世 紀 初 頭 ま で の 期 間 は、 公 社 時 代 に 蓄 積 さ れ た コ ミ ュ ニ テ ィ 共 有 財 産 が 分 散 し、 コ ミ ュ ニ テ ィ の 解 体 状 況 が 目 立 っ て 来 た 時 期 で、 「コ ミ ュ ニ テ ィ・ ガ バ ナ ン ス」 の 必 要 性 が あ る 程 度、 認 識 さ れ る に 至 っ た 時 代 で あ っ た。 が、 そ れ も 十 分 に は 意 識 さ れ る こ と は な い ま ま、 現 在 の「ポ ス ト 農 業 税 時 代」 (二 ○ ○ 六 年 ~) を 迎 え る こ と に な っ た。 政 府 資 金 の 投 入 増 加 と、 市 場 経 済 化 の 深 ま り が 同 時 に 進 む な か で、 「政 府」 お よ び「市 場」 の 要 素 が 農 村 問 題 解 決 に と っ て の 重 要 要 素 と し て 脚 光 を 浴 び る 一 方 で、 「コ ミ ュ ニ テ ィ」 の 力 を 政 策 的 に 強 化 し よ う と い う よ う な 議 論 は あ ま り 見 ら れ な い。 と り わ け「三 農 問 題」 の 解 決 と 都 市 ― 農 村 間 の 格 差 問 題 の 解 決 を 国 是 に 掲 げ る 中 央 政 府 や 地 方 政 府 が、 主 と し て 農 民 世 帯 の 収 入 の 側 面 か ら「問 題」 を 論 じ が ち で あ る こ と は、 市 場 化 が 進 展 し さ え す れ ば 自 ず と 三 農 問 題 は 解 決 さ れ る と い う 考 え 方 に 親 和 的 で も あ り、 こ れ が 逆 に コ ミ ュ ニ テ ィ・ ガ バ ナ ン ス 問 題 の 重 要 性 を 見 え づ ら く し て い る 可 能 性 も あ る。 ま た ロ シ ア の 場 合 は 政 府 財 政 に よ る ロ ー カ ル・ ガ バ ナ ン ス へ の サ ポ ー ト の ほ か、 私 企 業 に よ る 行 政 代 行 が み ら れ る こ と か ら コ ミ ュ ニ テ ィ 自 体 の 再 建 は あ ま り 問 題 と
Bell, Colin and Howard Newby ( 1971 ) Community Studies: An In tr od uct io n to the So ci olo gy of the L oca l Com mu ni ty . London: George Allen and Unwin. Bowles, Samuel and Herbert Gintis ( 2002 ) Social Capital and Community Governance . The Economic Journal. Vol. 112, No. 483. Fei, Hsiao-tung ( 1939 ) Peasant Life in China: A Field Study of
Country Life in the Yangtze Valley,
London: Routledge. Fei, Hsiao-tung and Chih-I Chang ( 1945 ) Earthbound China: A Study of Rural Economy in Yunnan. Chicago, Ill.: University of Chicago Press. F rie d, M or to n H . ( 19 54) C om m un ity S tu die s in C hin a, T he
Far Eastern Quarterly,
14. Polanyi, Karl ( 1957 ) The Great Transformation: The Political and Economic Origins of Our Time, Boston: Beacon Press. (吉 沢 英 成 ほ か 訳『大 転 換 ―― 市 場 社 会 の 形 成 と 崩 壊』 一 九 七五、東洋経済新報社) 。 Tahara, Fumiki ( forthcoming ) Principal, Agent or Bystander?: Governance and Leadership in Chinese and Russian Villages Europe-Asia Studies. ◉ 著者紹介 ◉ ①氏名…… 田原史起 (たはら・ふみき) ②所属・職…… 東京大学大学院総合文化研究科・准教授 ③生年・出身地…… 一九六七年、広島県の農村部生まれ ④専門分野・地域…… コミュニティ研究・中国地域研究 ⑤ 学 歴 …… 一 橋 大 学 社 会 学 部、 東 京 大 学 大 学 院 総 合 文 化 研 究 科 ( 地 域 文 化 研 究 専 攻 )、 一 橋 大 学 大 学 院 社 会 学 研 究 科( 地 域 社 会研究専攻) ⑥ 職 歴 …… 大 学 講 師( 三 一 歳、 四 年 半 )、 大 学 准 教 授( 三 五 歳、 九 年半) ⑦現地滞在経験…… 中国 (放浪 : 二二歳、半年、留学生 : 二七歳、 一年、その他、短期の調査多数) ⑧研究手法…… フィールド調査 (本文参照) ⑨所属学会…… アジア政経学会、日本村落研究学会 ⑩ 研 究 上 の 画 期 …… 中 国 へ の 関 心 の 芽 生 え と し て は 学 部 生 時 代 の 中 国 自 転 車 旅 行 と 放 浪、 農 村 研 究 に 進 ん だ と い う 意 味 で は 博 士 課 程 で の 江 西 省 滞 在 と 土 地 改 革 関 連 イ ン タ ビ ュ ー、 コ ミ ュ ニ テ ィ 研 究 と い う 意 味 で は こ こ 十 年 来 の 中 国 農 村 調 査 と 最近のロシア、インド農村調査 (本文参照) 。 ⑪ 推 薦 図 書 …… 広 井 良 典『 コ ミ ュ ニ テ ィ を 問 い な お す ―― つ な が り・都市・日本社会の未来』 (ちくま新書、二○○九年)