緒言
安宅川佳之先生の思い出
いまでは誰も使わないのかもしれないが, かつて職場に 「ワープラー」 という言葉があった. 仕事でもっぱらワープロばかり打っている人という意味である. さらにいえば若手職員で, 上司 の指示やメモ書きを機械的に打ち込む作業ばかりを朝から晩までやっているという自嘲的なニュ アンスである. 四半世紀ほど前, すなわち 1990 年代の初頭, 私は金融機関の 「ワープラー」 として東京で働 いていた. その職場に, 投資顧問会社の営業担当常務取締役として時折いらしていたのが安宅川 佳之先生であった. 当然のことながら, 「ワープラー」 とは身分が違う. 安宅川先生は, いわば天上の人であり, 直接お話をできる機会などはなかった. しかし安宅川先生は, 少しも威張ったところがなく, む しろこちらが恐縮するほどに, いつも丁寧で, 腰が低く, フレンドリーで, 穏やかな笑顔を湛え て職場にいらしていた. 念のため書いておけば, それは決して安宅川先生がそのとき 「営業担当」 だったからではない. 当時の力関係からすれば, どう考えてもわれわれの側が安宅川先生に平身低頭しなければならな個人年金保険の商品性とその位相
長沼建一郎
* * 法政大学社会学部 要 旨 停滞する社会保障の公私分担論のなかで, とりわけ議論の外に置かれているのが個人年金である. その目立たない位置づけとは別に, 個人年金保険の商品性を内在的にみると, そこでは保険性に比 べて, 貯蓄類似性が際立っていることがわかる. 他方その背後には, 個人年金保険に限らない, 日 本における年金全般にかかる貯蓄への近接現象というべきものがあり, そのなかで個人年金が 「埋 もれてしまう」 のも十分理由があることだといえる. キーワード:個人年金, 終身年金, 社会保障, 私的年金, 貯蓄類似性かったはずなのだ. しかし安宅川先生は, そういう威圧感のようなものを一切消し去っていた. 私は実に不思議な気持ちで, この天上の人を遠くから見つめていた. 十年ほどのち, 安宅川先生と私はそれぞれの経緯を辿り, まったくの偶然から同じ年に日本福 祉大学に赴任した. 安宅川先生は, 以前と少しも変わっていなかった. 相変わらず, 少しも威張ったところがなく, 穏やかな笑顔を湛えて教育・研究に尽力されていた. 毎回の授業のために, 朝早くから膨大な新 聞記事の切抜きを整理して, 学生のために印刷して配布されていた. その実務能力の高さから, ただちに学内でもさまざまな役職を担うことになったが, 愚痴も不 満も言わず, 淡々と仕事をこなされていた. ごくまれに仕事のことで私に相談しに来られること があったが, その内容からは, 安宅川先生が相当に困難な業務課題を担っておられることが想像 できた. しかしながら安宅川先生は, そんなことはおくびにも出さず, 数ヵ月後に 「あれは何と かなりましたよ」 などと言ってくれたりもした. その間に, 日経新聞の論壇で注目されたり, 研究書を何冊も出版したり, 国会議員に呼ばれて 講演を行ったり, 引き続き大活躍しておられたが, そのようなことにかかる一切の自慢話とも無 縁であった. 五年ほど前に, 私は大学を移り, 東京に戻った. 昨年七月に, 私は別の講義でゲスト講師として呼んでもらい, 美浜のキャンパスを訪れた. そ の帰りの名鉄電車で, たまたま安宅川先生と一緒になった. 知多奥田から金山までの間, 昔話を させていただいた. 「あっという間ですね. 二十年前, 安宅川常務なんて, 私にとっては本当に雲の上の人でした」 「そうそう, あの頃, あんたのことは, よく覚えておるよ」 「何を言っているんですか. 私なんか その他大勢 のひとりで, 常務 の目に入ったはずが ないでしょう」 「いやいや, あんた, あの頃から目立っていたよ. よく覚えているよ」 それは嘘だと思う. 前述したとおり, 私と安宅川先生とは 「身分」 が違ったのであり, とても 直接会話をできるような間柄ではなかったのだ. 実際, 私は人生の前半において, サラリーマンないしは 「ワープラー」 としての生活に挫折し て, 研究の世界に来た人間である. そして今, 研究の世界でもロクな業績をあげられず, 人生の 後半も失敗しつつあるというべきだろう. 安宅川先生のように, 前半において金融の世界で成功 し, 後半においては研究の世界でも成功した人とは対極的なのである. しかしそれでも, あの電車のなかで, 安宅川先生が私にかけてくださったコトバは, もしかし
たら私の人生の前半も, 必ずしも 「完全な失敗」 ではなかったかもしれない, と思わせてくれる (あるいは錯覚させてくれる) ものだった. 神様がくれた贈り物のような時間であった. 困難や苦労と思われる事柄も, 安宅川先生にとってはそうではなかった. 憎むべきであったり, 疎むべきであったりすると思われる事柄も, 安宅川先生にとっては, そうではなかった. そして 普通なら無視してしまう, 取るに足りない些細なことにも, 安宅川先生は意味を見出していた. 考えてみれば, 昔からずっとそうだったのであるが, 会社でも, 大学でも, また偶々ご一緒さ せていただいた電車のなかでも, 安宅川先生はいつも何かを否定せず, 肯定して, そのことによっ て多くの人々に 同僚に対しても, 学生に対しても, 仕事の相手に対しても, そしてもちろ ん私にも 大きな力を与えてきたのだと思う. 「ワープラー」 から仰ぎみた限りにおいてではあるが, かつての金融の最前線での安宅川先生 の活躍 あえて踏み込んで書けば, 年金運用における投資顧問・投資一任契約の位置づけの 確保 も, そのようなものであったように思える. さらにいえば, 私には十分評価する能力 には欠けるものの, その学風, その学問的な態度も, そういうものではなかったか. そうであれば, 安宅川先生と二度にわたって同じ職場で時間を過ごす幸せに恵まれた私として は, せめて自分の人生の後半も, 「完全な失敗」 から少しでも救い出すように努めるべきであろ う. 以下では安宅川先生が情熱を傾けられた年金領域のなかで, ごく片隅に置かれている問題に ついて, 若干の検討を試みることで, 安宅川先生への感謝と追悼に代えたい.
1. 公私分担論の低調
今日 (2012 年), 社会保障にかかるいわゆる公私分担論は, 一時のような活況からは程遠い現 状にある. たとえば 「税と社会保障の一体改革」 の報告書 (平成 23 年 6 月) においても, 公私 分担や民間保険というコトバすら出てきていなかった1. もちろんこの 「税と社会保障の一体改革」 については, その主眼が今後の社会保障制度の維持 に向けた財政的な裏づけを図ることにあるとすれば, そこに公私分担論の影もないことは当然か もしれない. しかしここしばらくの議論, すなわち高度成長が一段落して, 高齢化のスピードが 加速するなかでの社会保障改革にかかる諸議論では, つねに公的な守備範囲をある程度絞り込む ことが議論され, それとセットで公私分担論, 民間保険の役割などが論じられてきたのではなかっ 1 たとえば自民党政権下, 2006 年に内閣が取りまとめた 「今後の社会保障の在り方について」 報告書で は, 「自助, 共助, 公助の適切な組み合わせ」 が志向されていた. なお, サービス提供主体の公私分担論については別途, 議論されているが, 本稿ではいわゆるファイ ナンス面での公私分担論のみを扱っている.たか. 年金民営化に加えて労災民営化なども提起されていたのは記憶に新しい. そして今日でも, やはり社会保障にかかる財政的な厳しさが議論の基調になっているとすれば, そこでは公的保障 による守備範囲論がせめて顔を出してもおかしくないはずである. なぜこのように公私分担論が低調になっているのかについては, いくつかの説明が可能である. すなわち第一に, 2009 年に政権に就いた民主党は, 社会保障の拡充を唱えている (少なくと もマニフェスト段階では唱えていた) ことから, それと公私分担論 公的な守備範囲の絞込 みにかかる議論とでは, 折り合いがいいとは考えづらい. 第二に, 公的な守備範囲を縮小するとすれば, あとは自助努力でということになるが, 昨今の 長期不況の下では, それは説得力を持ちづらい. 「自助努力をする余裕のある人」 など今時多く はないし, そのような自助努力できる 「恵まれた層」 に対してさらに政策的に税制支援等を行う ことが, 優先度合いが高い施策とは思われないからである. 第三に, 私的保障を担うべき保険会社の方も, その本業においてさまざまな問題の収拾に追わ れている. とくに保険金不払問題のつけは大きかったというべきだろう. 長く続く低金利も保険 会社の経営にとっては痛手であり, それは後述するようにとくに貯蓄性商品には深刻な影響をも たらしている. 公的保障の新たな受け皿を用意する余裕には乏しいというところであろう. 第四に, これまで公私分担論というテーマのもとで議論されてきた内容が, 必ずしも具体的で はなかったことが明らかになってきた面がある. ややイメージ先行的に, 「基礎的な保障部分は 公的に, それを越える部分は私的に」 といわれる分には通りはいいが, 実際にどこが基礎的な部 分なのかという線引きは容易ではない. 極言すれば, 社会保障にかかる論者は実際の民間保険の内容を必ずしもよく理解しておらず, 逆に民間保険にかかる論者は社会保障の仕組みを必ずしもよく理解しておらず, 互いに一方的な イメージに依拠して議論していたという面がなくもないように思える.
2. とりわけ忘却された個人年金
ベーシックな位置づけとプレゼンスの低さ 上記のような傾向のなかでは, とりわけ個人年金についても, 昨今取り上げられることは少な い. 実務的な解説記事等において個人年金商品に言及されることはあるものの, 少なくとも学術 論文で, 具体的な商品内容に即した形で取り上げられる機会には乏しい. しかし考えてみれば, もともと年金の公私分担論において, これまでも個人年金が具体的な形 で注目されることはほとんどなかったのだ. 私的年金のひとつとして, 抽象的に言及されること はあっても, 実際の議論は, ほぼ企業年金に集中していたといってよい. その理由としては, まず個人年金のベーシックな位置づけの問題がある. すなわち私的年金のなかでも企業年金の方が, とくに厚生年金基金を中心に, 直接的な政策対 応が可能であるという意味で, またいろいろ問題が起こるという点も含めて, プレゼンスが大きく, 注目されやすかった. これに対して個人年金は, 銀行などを含むさまざまな金融業態が扱っ ており, その内容も多様で, そもそも検討対象として扱いづらいことがある. さらに確定拠出年 金制度の創設は, とりわけそのなかのひとつに 「個人型」 があることから, 議論をさらに複雑に しつつ, ますます広い意味での企業年金に関心を集中させてきた. 低金利によるダメージ 加えて長期的な低金利は, とくに生命保険会社の個人年金保険に大きなダメージを与えている. すなわち保険会社側の大きな要因として, いわゆる逆ザヤ問題がある. 生命保険商品は, 一定 の予定利率を設定して保険料を計算しているので, その水準を運用によりクリアできなければ, 保険会社にとっては収益を圧迫することになる. 長期的な低金利は, とくに貯蓄性の高い商品に 関して, この懸念を現実のものとした. またそれは国民 (顧客・契約者) にとっても, 個人年金商品の魅力を失わせた. 保険商品では 事務経費が一定程度かかるので, 予定利率をあまり高く設定できないようになると, そこから事 務費分を差し引くと, 実質的には運用による利回りがほとんど見込めなくなってしまう. 要する にタンス預金と比べても, あえて個人年金に加入する意味がなくなってしまうのである2. 格差社会化 さらに税制優遇にかかる問題がある. 仮に, より公的年金を補完ないし代替する役割を個人年 金に与えようとしても, 近時は政策的な発動がしづらい状況にあるものと思われる. 生命保険会社の個人年金保険においては, その保険料にかかる税制上の所得控除が重要な役割 を果たしている. すなわち個人年金保険の普及に向けて, 政策的にドライブをかけられるかどう かは, 税制優遇措置のあり方に大きく依存している. ところがこの税制優遇措置は, 現在, 少なくともこれ以上は拡大しづらい環境にある. すでに 一定の水準の所得控除が行われているなかで (契約日により 4 万円ないし 5 万円), さらにこれ を拡大すれば, 自助努力支援といいながら, 余裕がある層だけが自助努力商品に拠出し, それが また所得控除の恩恵を受けるということになってしまう. すなわち実際的には 「金持ち優遇」 に 近くなってしまい, 昨今の格差社会批判の風潮にはそぐわないものと思われる3. 今後に向けて, 個人年金に注目する意味があるか これらのベーシックな事情, すなわち全般的な公私分担論の不活況と, 個人年金の位置づけ・ プレゼンスの低さに, 昨今は上記のような個人年金を取り巻く諸事情 低金利に伴う商品的 2 もちろん保険料には, 事務経費に充てるべき部分 (いわゆる付加保険料) があるが, 顧客・契約者に とっての実質的な利回りは, あくまで支払った保険料と受け取る金額との関係で決まる. 3 もっとも確定拠出年金については, 政策的に拡充方向がとられてきている.
魅力の減退と, 格差社会化に伴う税制優遇措置への逆風 が重なってきている. やや議論は 錯綜しているが, これらにより個人年金を取り巻く環境はきわめて厳しいものとなっており, こ れらの要因が重なるなかでは, 個人年金の存在が注目されないのは当然というべきかもしれない. しかし, この個人年金については, いくつかの点から, なおここで取り上げるべき意義がある ように思える. すなわち第一に, 個人年金を取り巻く運用環境は今後, 少なくとも今より好転することはあり 得る. 個人年金に販売ドライブがかかっていないのは, 必ずしも国民 (顧客・契約者) にとって 必要とされていないというよりは, 前述したような経済環境等による要因が大きく, またそれら が永続するとは限らない. あるいは (低い) 金利水準に対する評価が変わることもあり得よう. 他方, 第二に公的年金については, 今後とも大幅に給付が改善するとは考えにくく, さまざま な改革方向が提示されているものの, いずれにせよその守備範囲は (支給開始年齢等を含め) 限 定されていく可能性が大きい. いいかえれば公的年金のみによって, 十全な老後保障は想定・実 現しづらい. 老後保障を公的年金だけではカバーしきれないとすれば, 私的年金の役割は残らざるを得ない し, むしろ大きくなることが考えられる. そして私的年金としては, 企業年金もあるが, 少なく とも現下の状況では, 企業年金も給付水準等が拡大していく方向にはない. 第三に, このように個人年金に関して, ある意味で一貫して具体的な形では注目されてきてい ないひとつの背景には, 個人年金 (とくに個人年金保険) というものが正確に理解されていない という点があるように思われる. 逆にいえば, ある程度正確な理解をするならば, そこから新た な知見を 具体的には私的年金の役割について, また公的年金との役割分担について, 加え て日本人にとって年金とは何かを考える上での示唆も 得られる可能性がある. そこで以下では, 具体的な個人年金保険の商品構造について, 簡単な素描を試みることで, 今 後の本格的な検討に向けた準備作業としたい.
3. 個人年金保険の商品性
そもそも個人年金として何を取り上げるかは検討を要するが, 本稿では民間の生命保険会社に よる個人年金商品を扱いたい. 税制上の取扱いを含め, 公的年金と強い対峙関係にあるのは, 個 人年金保険であるからである4. 個人年金保険では, 通常, 保険料を一定期間積み上げて, 支給開始年齢から, 一定期間にわたっ て年金を受け取るという形が取られる. ここではこのような, 積み上げ過程, 払い出し過程, そ の両者の関係 (保険事故) という 3 つのフェーズに分けて, 商品性に立ち入って分析的にみてい 4 個人年金商品のバリエーションについては, 拙稿 「個人年金の種類と内容」 堀勝洋・岩志和一郎編 高齢者の法律相談 (有斐閣, 2005 年) 95-99 頁を参照.きたい. 積み上げ過程 第一の積み上げ過程においては, 一般的には定期的に保険料が払い込まれ, いわゆる老後に向 けた事前拠出, 積み立てが行われる. この部分で税制面では個人年金保険料控除が適用される. しかしこの積み上げ部分を, 個人年金保険の商品構造における本質的なフェーズと考えるかど うかは意見が分かれ得る. 現役時代から, 老後に向けて事前に準備しておくべきだという考え方 からすれば, もちろん個人年金保険の本質的なフェーズだということになるが, 少なくともこの 部分については, 何らかの形で年金原資となる費用を準備すればよくて, 端的には一時払でも構 わないのであり, その意味では保険の本質ないしは 「保険性」 というべき要素 あるいはリ スク移転の要素 は, あまり見出しづらい. ちなみに普通の (死亡保障に重点を置いた) 保障性の保険商品では 「事前積み立て」 というイ メージはあまりなく (実際には平準保険料方式により, 積み立ての意義は大きいのであるが), とにかく保険に加入すれば, 保険料の支払実績 (その合計額) にかかわらず, 一定の保険金 (保 険給付) を受け取れるというのが基本的な図式である. だからこそ保険は貯蓄とは違うのであ り6, これと比べると個人年金 「保険」 というが, その積み上げ過程では 「保険」 的な要素は乏 しく, 「通常の貯蓄」 (預貯金) とあまり変わらないともいえる. ただし以下の点を補足しておきたい. すなわち第一に, 積み上げ過程においては, 死亡給付が 付加されているのが一般的である. すなわち積み上げ過程における死亡の際には, 所定の (解約 払戻金を上回る) 死亡給付が行われるという設計である. むしろ従来は, これが保険商品の 「保 イメージ図 保険料積立金5 保険料払い込み 年金受け取り 払い出し過程 積み上げ過程 支給開始年齢 5 タテ軸ないしは高さは, 保険料積立金の水準 (残高) をあらわしている. つまり払い出し過程におい ては, 払い出しに伴って年金原資が減っていくことをあらわしている (各回に支払われる年金額自体 が逓減していくわけではない). ただし年金原資は個々人で区分管理されているわけではなく, たと えば終身年金では長生きすると一定の時点で年金原資が尽きて 「打ち止め」 になるわけではない. なお保険料積立金と年金原資とは別の概念だが, ここでは便宜的に両者を同視してタテ軸に位置づけ ている. 6 「貯蓄は三角, 保険は四角」 という言い方がされる. これは支払った保険料累積額 (徐々に増えてい く) にかかわらず, 保険ではあらかじめ約定された一定額の給付が受け取れることをあらわしている.
険性」 他の金融商品, 積み立てによる 「通常の貯蓄」 との違い として位置づけられて いた面もある. 第二に, 積み上げ過程においても, 逆にいわゆるトンチン効果を効かせた (すなわち死亡保障 が 「薄い」) 生前保障重点型の商品設計のパターンもある. そのことにより, 保険料水準を抑え ることが可能になる7. 第三に, たとえばアメリカと比べてみると, この積み上げ過程について述べてきたことは, 必 ずしも日本に独自なものではないともいえる. アメリカの個人年金商品でも, 積み上げ過程では 「保険性」 云々とはあまり関係なく, 「単に」 積み上げているものといえる. 払い出し過程 第一の積み上げ過程によって, 一定額の保険料積立金 年金原資が形成される. これを定 期的に, 年金給付の形で取り崩していくのが, 個人年金保険の払い出し過程である. この年金給付にはバリエーションがあるが, 公的年金のような終身年金よりも, 一般的なのが 確定年金といわれる形態であり, ほかに有期年金や, 終身年金に一定の保証期間がつけられるこ ともある. また年金ではなく一時金として受け取ることも一般的に可能である8. したがって, このフェーズにおいても, 保険の本質ないしは 「保険性」 というべき要素 あるいはリスク移転の要素 は, 必ずしもあらわれていないことになる. 一時金として支払 われるなら, それはいわばそのとき限りだということになるし, 確定年金であれば, その分割払 いである. 事前拠出により積み上げられた一定の保険料積立金 年金原資が, 何らかの形で 確実に払い戻されるということであれば, そこにリスク移転の要素はなく, 「保険」 とはいいが たい. 終身年金等であれば, 保険数理が用いられており, 結果的に拠出額と受取額が一致しない のが普通になるが, 少なくとも終身年金という形態が一般的とはいいがたい9. いいかえれば, この払い出し過程というフェーズが, 個人 「年金」 保険の商品構造において中 核的な部分と考えられるものの, 実際の商品設計ではその評価は別として, 必ずしも 「年金」 と しての, さらには 「年金保険」 としての実質を備えておらず (いいかえればリスク移転の要素を 備えておらず), 大雑把にいえばやはり貯蓄の取り崩しに近いことが分かる. ただし以下の点を付記しておきたい. すなわち第一に, 払い出し過程が 「貯蓄に近い」 といっ 7 もっとも中心的な商品とはなっていないようであり, ここでも後述するような 「掛け捨て嫌い」 があ らわれているものとも考えられる. 8 この給付形態と, そのなかでのとくに終身年金の位置づけについては重要であるが, 本稿では正面か ら扱うことができない. 拙稿 「 長生きリスク と終身年金」 週刊社会保障 2169 号, 24-27 頁 (2002 年), および 「 公・私 の軸における終身年金の位置づけ 個人年金保険との関係を中心に 」 大曽根寛・森田慎二郎・金川めぐみ編 社会保障法のプロブレマティーク (法律文化社, 2008 年) 所収, 112-128 頁を参照. 9 むしろ終身年金は少ないとしばしば指摘される. ただし後述するように, 年金種類等を年金支給開始 時に選択できる以上, 正確に統計的な把握を行うことは, きわめて困難である.
ても, 逆に保険数理を用いた年金種類については, まさに保険商品だといえる. たとえば平均寿 命を用いて設計する終身年金を, 他の金融機関が取り扱うことは, 保険業法の規制のもとでは難 しい. 第二に, このようないわば通常の貯蓄への近接は, 必ずしも保険会社だけの経営判断によりこ うなっているわけではなく, 少なくとも過去の行政指導が関与していることが推測される. とく に保険料として拠出した元本部分が戻ってこないという 「没収 (掛け捨て) 可能性」 は, 日本人 には理解・納得しづらい面があり, 消費者保護的要請からの行政からの関与ないし介入が想定さ れるからである. 第三に, たとえばアメリカと比べてみると, 積み上げ過程と同様に, このフェーズについて述 べてきたことも, 必ずしも日本に特殊な事情であるわけではない. アメリカの 401 k 等の確定拠 出年金などにおいても, 給付形態として終身年金は多くないと指摘されている10. 両者の関係ないしは 「保険事故」 積み上げてきた保険料積立金が, 一定の事由の発生によって, 年金として払い出す原資に転化 する. この 2 つのフェーズを結びつける 「保険事故」 保険給付事由 は, 年金の支給開 始年齢への到達であり, この保険事故に伴う年金等の支給は, 実際の退職や所得の喪失, 就労不 能等とは関係なく, 決められた年齢が来れば開始される. 他方, 支給開始年齢は契約当初に一応 決めるものであるが, その設定は任意であるし, あとから変更も可能で, いわば暫定的なものと もいえる11. また年金支給形態 (一時金受け取りを含めた年金種類等) も契約当初に一応決める ものの, 年金支給開始時等に適宜変更することが可能である. ちなみに保険事故が発生しない すなわち一定年齢より前に死亡する と, 保険料積立 金や, それ以上の死亡給付が払い戻されることになる. つまり保険事故が起こっても, 起こらな くても, 給付のあり方や受取額を実質的にはそれほど左右しないともいえ, その意味では保険事 故という保険商品にとって本質的な要素が, やや曖昧な位置づけにあるということになる12. これらに関して以下の点を補足しておきたい. すなわち第一に, 個人年金保険においては, も ともと積み上げ過程がなかったり, 払い出し過程がなかったりすることがある点からすれば, 保 険事故概念が曖昧なのは当然ともいえる. しかし保険商品の通常の, あるいは保険本来の考え方 10 臼杵政治 「終身年金パズルについて」 ニッセイ基礎研究所 ジェロントロジー・ジャーナル (2010 年) を参照. 11 年金支給開始時期は, うしろに繰り下げることができる場合が多い. 他方, 年金支給開始時期を前に 繰り上げることはできないが, 年金支給開始前でも途中解約すれば, 一定の給付を受け取ることがで きる. 12 保険事故について正確に議論するとすれば, 年金の給付については基本権 (そもそもの年金支給の開 始にかかる) と支分権 (各回の年金支給にかかる) に分かれており, いずれを対象とするかで議論の 様相は異なるし, 少なくとも何らかの形で各回の年金支分権にも立ち入ってみる必要があるが, ここ ではもっぱら基本権 支給開始時点を問題としている.
からすると, 保険事故が明確であることは本質的な要請のはずであり (そうでなければリスク移 転ということはできないはずである), そこが柔軟・弾力的, ないしは曖昧であるというのは, やはりあえて指摘すべき点であろう. 第二に, 一定の年齢から年金支給が開始されるというのは, たとえば公的年金においてもそう である. ちなみに公的年金においても, 支給開始年齢の繰り上げ, 繰り下げの余地はあり, また それは退職や所得の喪失, 就労不能等とも関係なく, 一定年齢で年金支給は開始される. したがっ て 「年金の保険事故というのはそういうものだ」 という理解も可能であろう. いいかえれば上記 の点は, 個人年金に限らない事柄ともいえる13. しかし個人年金保険では, その保険事故の設定・変更が非常に弾力的ないし柔軟であり, たと えば支給開始年齢を比較的早期に設定するのも可能であることからすると, 保険事故は老齢にか かるリスクに, フィクショナルな意味でも必ずしも対応していないことになる. つまり公的年金では一定の, 少なくとも一般的には 「老齢リスクが実現した」 (ないしは稼得 能力が失われた, 就労不能の状態になった等) と考えられる時点で, 積み上げられた保険料が年 金の払い出し原資に転化する. 前後に多少は動かせるが, それは何らかの社会的なリスクの実現 と一応対応しているはずである. これに対して個人年金保険では, およそそのような社会的なリスクとは関係がなく, むしろ任 意に, 自在に, 積み上げられた保険料が年金等の払い出し原資に転化される時期を決定・変更で きる. その違いは相対的なものともいえるけれども, 保険の基本形 「保険料を支払って, 一定のリスクが実現して偶発的な保険事故が発生したときに, 保険給付を受け取る」 という は, かなり崩れているものといえる. 税制優遇措置の位置づけ 前述したように, 個人年金保険の保険料には, 一定の要件のもとで所得控除が適用される. 現 在のところ (所得税法 76 条. 2012 年 3 月現在), 個人年金保険料控除の要件は, 以下の通りで ある. 一 年金の受取人は, 保険料等の払込みをする者, 又はその配偶者のいずれかとする契約 二 保険料等の払込みは, 十年以上の期間にわたって定期に行う契約 三 年金の支払は, 年金の受取人の年齢が六十歳に達した日以後の日で, 十年以上の期間又は 受取人が生存している期間にわたって定期に行う契約 これらはしかし, それほど所得控除の対象となる契約を限定したものではない. 保険料は一時 払でなければ 10 年くらいはかけて払うのが普通であろうし, 確定年金の給付期間で一般的なの は 10 年間である. すなわち個人年金保険商品であれば, 結果的にはかなり幅広く, 所得控除の 対象となっていることになる. 13 むしろ民間生命保険会社の養老保険における 「満期」 も想起させる.
大雑把なイメージとしては, 「一定程度, なだらかに坂を上る」 形で保険料を積み立てて, 老 後といわれる年齢から 「一定程度, なだらかに坂を下りてくる」 形で年金を受け取る, という設 計であれば, 個人年金保険料控除が適用されるわけである. 前述してきたように, 上記のような三角形のイメージを一応の標準形としつつも, そのもとに きわめて多様な設計のバリエーションが分布しているのが個人年金保険の実態であるが, 所得控 除はそのなかでも, 「そこそこ三角形の体をなしているもの」 には適用されているわけである. 小括 以上からすると, 個人年金保険の商品性に関して, 以下の点が指摘できる. すなわち第一に, 個人年金保険は, かなり幅広いニーズに対応して設計できるようになってお り, 見方によっては融通無碍になっている. それは積み上げ過程についても, 払い出し過程につ いてもそうであり, たとえば前半の積み上げ過程だけ (払い出しは一時金で受け取る), あるい は後半の払い出し過程だけ (保険料は一時払) という設計も可能である. さらに保険事故の設定についても, それは一定年齢への到達という必ずしも 「保険事故らしく ない」 設定であり, しかも弾力的・柔軟に設定・変更することができる. ちなみに前述したとおり, 税制優遇措置としての個人年金保険料控除の適用要件 (所得税法 76 条) をみると, 大雑把にいえば一定の積み上げ過程があり, 一定の払い出し過程があるもの であれば広く対象となっており, ある程度の制約は課しているものの, 対象をそれほど限定して いるわけではないといえる14. 第二に, 上記の点の帰結ともいえるが, いわゆる保険性は薄い. 積み上げ過程においても, 払 い出し過程においても, リスク移転の要素は, 必ずしも大きくない. すなわち拠出した額が, そ のままに近い形で戻ってくるのであり, いいかえれば 「通常の貯蓄」 に近い. 前述したように, 保険事故自体が弾力的ないしは曖昧であることも, この点に寄与している. イメージ図 保険料積立金 保険料払い込み (10 年以上) 年金受け取り (10 年以上ないしは終身) 払い出し過程 積み上げ過程 年金支給開始 (60 歳以降) 14 前述したように, 「貯蓄は三角, 保険は四角」 といわれる. しかし個人年金保険については, いずれ のフェーズも, むしろ三角に近い形になっているともみられる点が, 皮肉ともいえる.
そしてそのことは, 個人年金保険の商品としての固有性を薄めることにつながっている. それ は他の金融業態の個人年金商品との間においてもそうであるが, 個人年金以外の, 「通常の貯蓄」 などとの関係においてもそうである. もっとも他の金融業態が, 保険あるいはリスク移転の仕組み, 具体的には生存率や死亡率など の保険数理を織り込んだ商品設計を行うことは, 保険業法の規制のもとでは難しい. その意味で は個人年金保険の, 他の金融業態に対するスキームとしての固有性は確固としてあるといえる. ただし逆にいえば, その商品的な中核 (と思われる部分, いいかえれば保険性) にこだわらずに 商品が自由に, 見方によっては融通無碍に設計されていることが, 個人年金保険の 「全体の姿」 を曖昧なものにしているといえるのかもしれない. 「個人年金保険」 という名称からすると, 保険性, また年金形態での給付が中心的なイメージ でとらえられがちであるとすれば, このイメージと比べると, 実態 (設計のバリエーション) は はるかに大きく拡がっているといえる.
4. 個人年金保険の位相
むすびに代えて
以上, 個人年金保険の置かれた状況と, その商品構造について簡単な素描を行ってきた. 最後 にこれらを踏まえた個人年金保険の位相というべき点に言及することで, 今後のより本格的な検 討に向けた端緒を示したい. 公的年金との対峙関係 すなわち第一に, 公的年金との対峙関係である. このような個人年金保険と, 公的年金との関 係は単純ではない. もしも個人年金保険が, このように貯蓄類似性の大きいものだとすれば, 公 的年金の方は, 少なくとも単純な貯蓄とは異なるのだから, 単に個人 「年金」 という名称に重き を置いて, ひとつの軸の上での役割分担を考えることでよいか, 考え直す必要があろう. 仮に個 人年金保険が公的年金を, 補完ないし代替しているにしても, 公的年金のどの部分を補完したり 代替したりしているのかという問題である. 確かに老後の生活資金準備という意味では, 公的年金から, 貯蓄的なものも含めて, 大きくひ とつに括れるものではあろう. しかし, もしそのような大きな括りで議論するのであれば, 「通 常の貯蓄」 を含め, 個人年金保険以外のさまざまな準備手段もすべて同列に視野に入れて検討す る必要が生じる. あわせて諸外国との比較においても, 個人年金という名称だけにとらわれずに, 公的年金・私 的年金の位置づけをみる必要があるだろう. そうしないことには, 個人年金保険とのかかわりで の年金の公私分担論が, 抽象的で, 必ずしも生産的ではないものとなってしまう面がある (少な くともあった) ように思われる.個人年金保険以外にも通底する 「貯蓄類似性」 しかし上記とは矛盾する面ともいえるが, 第二に, 個人年金保険に関して指摘してきた点 (貯 蓄類似性) は, 日本では個人年金保険以外についても当てはまる可能性がある. すなわち一方では, 個人年金保険以外の保険商品, すなわち死亡保障に重点を置いたいわゆる 保障性の保険商品においても, その貯蓄性が小さくないことが指摘できる. 日本で長く主流であっ た養老保険は, 満期保険金と死亡保険金を同額にした設計であり, その意味で (すなわち高い水 準で保険料積立金・責任準備金が形成されることから), 貯蓄性の高い商品といえる. そして近 時の中心的商品といわれる終身保険については, 満期 (, したがって満期保険金) がないことか ら, 貯蓄性は低いという印象を与えかねないものの, 保険数理的にはむしろ養老保険の満期の時 期を限りなく後ろにずらした設計と理解するべきであり, その意味で (すなわち高い水準で保険 料積立金・責任準備金が形成されることから), 貯蓄性は高い. 日本人は 「保険好き」 といわれるが, その意味では 「保険=リスク移転」 を好むというよりは, むしろ 「貯蓄好き」 という面が強いようにも思える. これと呼応するかのように, 日本人の 「掛 け捨て嫌い」 は, むしろしばしば指摘されるところである. 他方, 公的年金についても, 少なくともそのとらえ方ないし国民意識としては, 貯蓄に近いも のとして あるいは貯蓄に引き寄せて , 理解されている面がある. 財政的にはそもそも 賦課方式に近づいていて, 国家による老齢保障だといえるのであるが, 国民にとっては, むしろ 自分たちの老後に向けた積み立てという感覚でとらえられている面が強いことを否定しがたい15. だからこそ公的年金については, つねに 「損得勘定」 がいわれるのであり, また制度的にも脱 退一時金や遺族年金などさまざまな仕組みが 「掛け捨て」 を防ぐ役割を果たしている. 政策的な 論点としても, 年金資格期間の問題に加えて, いわゆる第 3 号被保険者問題や, 遺族年金に関し て女性の貢献をどう評価するかなどが議論されてきたのは, もちろん公平性の観点からではある ものの, 見方を変えれば貯蓄性の貫徹 保険料として拠出した額が, きちんと自分に戻って くるか が問題になっているともいえる. さらにいえば企業年金についても同様の側面があろう. 企業年金は, 経緯としては退職金の振 り替わりという性格が強いし, 賃金の後払いという性格も指摘されるけれども, 定期的に掛け金 が (拠出主体に関わらず) 払い込まれていることからすると, 多くの従業員は, 退職に向けて積 み立てられているという感覚を持っているのではなかろうか. 年金をめぐる家族的類似性 第三に, これらからすると, 個人年金保険の位置づけ・性格の曖昧さは, 他の保険商品や, 公 15 検討の端緒として, 拙稿 「公的年金が備えるリスクとは 年金を育てる日本人」 週刊社会保障 2549 号, 48-53 頁 (2009 年).
的年金との間では, むしろある種の家族的類似性をもたらしているように思われる16. それは, 個人年金保険の設計のバリエーションの幅広さを示すとともに, 逆にそのスキームと しての固有性は減じてしまう (いわば 「家族のなかに埋もれてしまう」). そのことは, 他の業態 の個人年金商品についてもあてはまる部分があろう. もっともそれは, 保険会社等に 「責任」 があるわけではなく, 保険会社としては, 国民 (顧客・ 契約者) のニーズに対応するために, 個人年金保険の設計のバリエーションを広げているに過ぎ ない. 結局のところ, ある種の国民性 貯蓄好き, 没収 (掛け捨て) 嫌い が背景に厳然 としてあって, それが個人年金保険についても, また他の保険商品や公的年金についても, 制度 面や, 意識の面において, 同様の貯蓄への近接性をもたらしているのではなかろうか. 税制優遇 措置が, 前述したようにその対象を絞りきれないのも, 同じ理由が背景にはあるように思われる. これらの点は, たとえば諸外国における年金の位置づけと, 大きな対照を示している可能性が ある. 「年金」 であるから, 部分的には類似しているところが当然あるものの, 全体としての傾 向, より具体的にいえば全体的な貯蓄への近接にかかる家族的類似性は, 日本独自のものである ように思える. ちなみに, もしそうだとすると, そのような年金をめぐる全般的な家族的類似性のなかで, 今 後, 個人年金保険がその固有性を打ち出していくとすれば, ひとつの可能性として, 保険性 リスク移転という側面をより積極的に担うという方向はあるかもしれない. もっとも逆に, 貯蓄への近接に徹するという方向もあり得よう. さらにはむしろ, そのように方向性を絞ること 自体への異論もあっておかしくないように思われる. ただその前に, まず事実を精確にみる努力が大切であろう. とくに公私分担論との関係につい ていえば, 役割分担といっても, 比喩的には 「似たような家族」 の間で, 「似たような仕事」 を 分かち合っているだけかもしれないからである. たとえばそれは老齢リスク保障の役割分担では なく, 貯蓄の方法についてのバリエーションにすぎないという可能性もある. 本来, 年金には, さまざまな役割が期待されている. 次元が異なるものを並列的に列挙するこ とになるが, たとえば何に備えるかという点についても, 老後への備え, 退職後への備え, 就業 不能リスクへの備え等々, それぞれ少しずつ異なる見方があり得る. また何を保障するかという 点についても, 生活支出の基礎的保障, 従前所得の保障, 救貧的保障, 防貧的保障等々, さまざ まな所得再分配の位置づけも絡んで単純ではない. またその保障の基本的な性格についても, 国家による保障, 相互扶助・共助, 保険者自治等々, さまざまな見方があり得る. そして実際に日本では, また諸外国では, それらを公的年金・私的年金がどのように役割分担 しながら担っているのか, それらを精確に分析することで, 今後に向けた検討の視野を広げるこ 16 「家族的類似性」 は, ウィトゲンシュタインにより提唱された考え方である. 「われわれは, 互いに重 なり合ったり, 交差し合ったりしている複雑な類似性の網目を見, 大まかな類似性やこまかな類似性 を見ているのである」 ( 哲学探究 (藤本隆志訳) 70 頁 (大修館書店, 1976 年)).
とができるのではないかと思われる. いいかえれば年金が担う役割を包括的にとらえると, それらを公的年金と私的年金とが分掌し ているという単純なイメージが得られるものの, 実際にはそれらの役割と担い手の分掌関係は, もう少し複雑であろう. 「年金は本来, こういうものだ」 という形で年金の役割を定式化すれば, 公私分担にかかる政策論も比較的容易に導出できるかもしれないが, それは前提を過度に単純化 したために, 単純な結論が得られるに過ぎない. 年金にかかるいわゆる公私の役割分担論を政策的に意味のある形で展開しようとするならば, まずそれらの複雑さに向き合って, もう少し精緻な議論が求められるように思う. 本稿の内容は きわめて不十分ではあるが, あまり顧みられてこなかった個人年金商品を内在的に分析すること が, そのような検討や議論に向けた一歩となることを願う. 参考文献 ウィトゲンシュタイン (1976) 哲学探究 (藤本隆志訳) (大修館書店, 1976 年) 臼杵政治 (2010) 「終身年金パズルについて」 ニッセイ基礎研究所 ジェロントロジー・ジャーナル 長沼建一郎 (2002) 「 長生きリスク と終身年金」 週刊社会保障 第 2169 号 長沼建一郎 (2005) 「個人年金の種類と内容」 堀勝洋・岩志和一郎編 高齢者の法律相談 (有斐閣) 所収 長沼建一郎 (2008) 「 公・私 の軸における終身年金の位置づけ 個人年金保険との関係を中心に 」 大曽根寛・森田慎二郎・金川めぐみ編 社会保障法のプロブレマティーク (法律文化社) 所収 長沼建一郎 (2009) 「公的年金が備えるリスクとは 年金を育てる日本人」 週刊社会保障 第 2549 号