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学校教育における〈母〉のメタファー : 教師の家庭科観に関する分析から

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(1)学校教育におけるく 母ノの メタファ一 一教師の家庭科観に 関する分析から 一. 堀内かおる ". Metaphor. of. Mother in SChool EdUCation. :. An、nalysis{nゝeachers' ̄erspectives{n Home@ Economics Kaoru@ HORIUCHI Abstract Home@ economics@ is@one@ of@the@ required@ subjects@ from@ elementary@ school@ to@ high school@ education@ in@ Japan , Especially,@both@ boys@ and@ girls@have@ begun@ to@ learn this@ subject@ since@ 1994@ at@ high@ school , Nowadays,@. expected@for@building@a@new@society@promi men. ・. Thus,@ educational@ system@. changed@. home@ economics@. education@ is. ing@gender@justice@for@both@women@and more@. equitably@ than@ before. ・. However,. teaching@ and@ learning@ situations@ may@ be@ biased@ by@ gender@ still@these@ days , Furthermore,@ there@ may@ be@ an@ implicit@ sexism@ in@ teachers*@ perspectives@ towards home@. economics. , According@. research@ interest,@ the@ purpose@. to@ above@ mentioned@. educa. Ⅰ. onal@ background@. and. of@ this@ study@ is@to@ clarify@ implicit@ gender@ bias. within@ home@ economics@ education The@ number@ of@ 122@ elementary@ school teachers@ answered@ questionnaire@ about@ their@ opinions@ on@ home@ economics,@ and compared home economics to s0methlng using me apho In addltion to the ・. Ⅰ. Ⅰ・. research@ of@elementary@school@ teachers,@ narratves@ of@3@female@ high@ school@ home economics@ compared@. teachers@ from@ interview@ were@ analyzed , Fifty-one@ percent@ of@ teachers home@ economics@ teachers@ to@ mother , One@ of@ the@ reasons@ that@ they compared@ home@ economics@ teacher@ to@ mother@ was@ their@ image@ of@home@ economics Another@reason@was@that@home@economics teacher@ who@doing@cooking@and@sewing teacher@ looked@ soft@ and@ kind,@ having@ warm@ atmosphere FCmale@ teachers@ also recognized@ thor@ image@ as@ mother@ by@ themselves . ・. ・. Keywords@:@home@. economics,@ gender,@ metaphor@ of@mother,@ school@ education,. female@ teacher ,横浜国立大学教育人間科学部家政教育講座.

(2) 堀内. 140. 1 .. かおる. はじめに一一問題の 所在 一. 1994 年度より,高等学校では男女ともに必修履修の 家庭科教育がスタートした。 1975 年 の国際婦人年以降の 男女平等をめぐる 世界的な動向を. 背景として,家庭科は教育課程上,. 大きな変化を 遂げてきた。 現在では, 「男女共同参画社会」を 目指す方策の 一 っとして, 杓 「家庭科教育の 充実」が期待されるようになったのであ る ( 総理府男女共同参画室編 97) 。 かつての中等教育における「女子のみ」の. 教科であ った時代からみれば ,仝日の家庭科 は , ジェソダー・バイアスの 顕著な教科 ( 「ジェソダード・サブジェクト (Att は 1990) ) 」. という位置づげを 返上することができたともいえるかもしれない して本当に,. 「男女で共に 学ぶ家庭科」が ,. しかし実際には , はた. 0. ジェソダー・フリー. ". な 教科として機能して. いるの た ろ うか 。. 小学校における 家庭科は, 1947 年に教科として 誕生して以来,第 5 . 6 学年で男女共に. 必修で履修され ,現在に至っている。学校教育における 一教科であ るという点においては , 他の教科と何ら 変わるところがないのにも 関わらず,家庭科を「誰が」担当しているのか という点に着目してみると , 明らかなジェソダー・バイアスが 見て取れた ( 堀内 1994. 1995b) 。 「家庭科専科」の 教師は女性が 大勢を占め,学級担任がすべての 教科を担当す るような場合でも ,. この教科に関しては 低学年やその 他の学級担任のく 女性 ノ 教師が担当. する場合が少なくなかった。 文部省『平成 7 年度学校教員統計調査報告書 によると,高 等学校家庭科を 担当している 教師の比率は ,女性教師の15.2%, 男性教師の 0 00/ という 結果が示されており ,男性で家庭科を担当する教師がきわめて 希少な存在であ ることがわ コ. ・. かる。 教科指導が組織化される 過程を「教科のパラダイム」と た. 定義し,その生成過程を分析し. 田中 (1996) は, 「教科担任 制 」について,生徒の教科へのパースペクティブを 一定の. 範囲に限定していく 作用を及ぼすものであ ると指摘している。 すなわち,教科担任制 に基 づく一定の教師集団が 成立することによって ,教師の人数や授業時間数といった 学校組織 におけるその「教科の 成層構造」が 生徒たちに伝えられることになるのであ る。 このよう な田中の論点に 依拠して家庭科の 場合を考えてみると , 「教科の成層構造」として 見逃せ ないのが担当教師の 属性としての 性別であ る。 女性の担当者が 大勢を占めている 家庭科は , 子どもたちが 実際に家庭科の 学習内容に接して 学ぶ以双の段階で , 既に一定のジェソダー・. バイアスを含んだ「教科へのパースペクティブ」を. 子どもたちの 中に形成しているのでは. ないだろうか。 「女性のための 教科」であ ることを制度上は 否定しながらも. ,学校の中で家庭科が「. ど. のようにして」教えられているのかという 問題,そして学習内容それ 自体が明示している ことに加えて ,明示されない「隠れたカリキュラム」として,学習活動を通して「どのよ う なこと」がメッセージとして 児童・生徒に 伝えられているのかという 問題は,今日の家 庭科教育研究において ,検討を要する重要な課題であ ると筆者は考えている。 さらに, 家 庭 科を教えている 教師が「どのような 教師」なのかということは ,子どもたちのジェソダー・.

(3) 学校教育におけるく 母ノの メタファー バイアスに基づく「教科のパースペクティブ」に. 41. Ⅰ. 関わって,家庭科の学習に影響を 及ぼす. ことが予想される。 この意味で,家庭科という教科は学校内のジェソ グー 構造のを典型的 に 反映している 教科だと考えられる。. ところで,学校のジェイダー構造の仕組みをとらえ ,その解消のための手がかりを得る ためには,あ くまでも「現代日本の 学校文化」に 固有のジェソ グー 構造が形成されている という観点から ,考察を進めなければならないだろう。学校教育におけるジェソ ダ 一の問 題に関して,これまで 明らかにされている 欧米の研究者による 研究成果,) との共通点を 見 いだすと共に , 我が国ならではの ジ,ソグー問題を指摘していくことが 必要であ る。. 「学校文化」とは ,久富 (199$ 15 一 20) によると「制度文化」「教員文化」「生徒文 化」「『校風 文化」とし ぅ 要素からなり , 「教員文化」に 関しては, 「教師 像 」「教師 イメージ」といったものが「顕在的要素」として 教師と生徒の 関係を媒介しているという コ. ことになる。. 木村 (1990) は,学校文化とジェソグー をとらえる際にセクシズムの 概念を導入する 必 要性について 論じている。 つまり,木村によると,学校とは「男女の平等原理とセクシズ ムがダイナミックに 錯綜している 領域 ( 前掲 書 : 149) 」ということになる。 我が国の家 庭 科の,小学校から高等学校まで 一貫して男女とも 必修で学習するという 一見「男女平等」 な システムと理俳の 中に潜在化しているセクシズムの 存在を,ジェソダー・セソ シティブ な 視点 ( 堀内. 1995a) で注意深く検討する 必要があ ろう。. 以上のような 問題意識から ,本研究は,家庭科という 教科を手がかりとして 我が国の学 校教育に潜在するジェソ グー 構造を浮かび 上がらせ,その問題点を指摘することを 目的と している。 最終的には,学校のジェソグー 構造を解体し ,ジェソダー・フリ一な構造へと 再構築するために. ,今後の学校教育において,家庭科教育が果たしうる役割について. 提起. したいと考える。 本稿では,そのための端緒として,特に教師が家庭科をどのようにとら えており,教育実践を通して何を考えているのかということを 明らかにしたい。. 2.. 方. 法. 本稿における 論考は,教師に対する質問紙調査および. イ. ソタビュ一に 依拠している. 0. 次. に ,それぞれの調査の方法について 述べる。. (1)小学校教師に 対する質問紙調査 質問紙調査は , 1997 年 8 月に,筆者が担当した神奈川県教育職員免許法認定講習におけ る「家庭科教育法」の 講義の導入部分で 実施され,受講者であ る小学校教師 122 名からの 回答を得た。 有効回収率は 100% であ った。 回答者の内訳は ,男性20 人,女性¥Q2 人で女性 が多かったが ,平均年齢は男性 37.6 歳,女性38.0 歳で男女ほ ぽ 等しかった。 平均勤続年数 は 男性 10 6 年,女性15.6 年で,女性の方がやや長 い 。 教師たちの勤務校は 横浜市内 24.0%, 川崎市内 27.2%, 横浜・川崎以覚の 市部 40.8%, 町村部 8.0% となっており ,教師たちの 学校内での立場は 図 1 に示すよ う に多様であ った。 ・.

(4) Ⅰ. 堀内. 42. かおる. 5 3. 3t.6 0 3 5 2 20 5 5 0. 出 里 騒 ま皓. 賠. 出 里. 騒. 押 廿 N. 出 里 軽. 出 里. 駁旺蛙. 沖 坤 の. 寸. 出 里 鱗押. 虻. の. 出 里 軽. 掩. 叶. 侭. 輔. 臆. 結. 蝶. 再 冊 卸 Q. ま 軽. 出 里礎. 押. や. の. 睾 G 中. 虫沖. 世. 図 1. 回答者の属性. ( 単位. : 拷 , n 二 122). 家庭科担当経験があ る教師は男性 80.0%, 女性 77.5% で,そのうち男性の 30.0%, 女性 019.6% は,現在家庭科を担当していた。 したがって回答者のおよそ 8 割は, 自らの家庭 科 担当経験をふまえて 質問に答えたものと 予想される。 調査内容は,勤務校 における家庭科担当者の 実態, 「家庭科教師」および「家庭科の 授 業」のイメージ ,家庭科の教育的意義,家庭科担当教師として望まれる資質,家庭科を担 当したときの 印象について 等であ る。 これらの質問内容に 関して,主として自由記述や比 楡 ( メタファ ド 表現で表す形式で 回答を求めた。 メタファーを 分析する手法は ,秋田の研究 ( 秋田 1995, 1996) から示唆を得たもので あ る 4) 。 秋田 (1995: 49) は,教師の授業観や態度というものが「授業や 教師をどのような 比 楡の作成」による ことばでいかに 語るかという 修辞の仕方」に 反映されると 見なし, 授業観の分析を 試みている。 秋田によると , 「授業は∼のようだ。 なぜなら……だから」 というような 地楡表現とその 理由を示す課題は , 「自分をよりよく 見せようと回答するこ 「. とが比較的少なく ト. ,その人自身が自覚していない 暗黙知の側面を 捉えられる」というメリッ. があ るという。. また, レイコフ とジョソソソ (1980) は, 比楡 ,すなわち「メタファ一の本質は,ある 事柄を他の事柄を 通して理解し 経験すること」であ ると定義している. 0. さらに彼らは ,.

(5) 学校教育におけるく 母ノの メタファー. 「人間の思考過程はメタファ によって構造を. 一によって成り 立って」おり ,. 143. 「人間の概俳体系はメタファー. 与えられ,規定されている」と述べている。. レイコフ とジョソソソ の論点、. は ,人間があ る物事を理解する. 際に, メタファーを 用いて何かにたとえることによって , 既に理解済みの 事柄に関連する 近い概念として 新たな事柄を 位置づ け ,理解するという思、 考 過程をとるということを 意味する 0 つまり, メタファーとして 表される言葉によって ,. 我々は未知の 世界を知り , 新たな理解を 深めることができるのであ る。. したがって,. 「家庭科の授業」および「家庭科. ( 担当 ). ,教師たちがこの教科を学校教育の. 分析することによって. の教師」に関するメタファーを 中にどのように 位置づげてみて. いるのかということが 浮かび上がってくると 考えられる。 さらに本研究では ,. 表現に基づく 理解を裏 づけるために ,. して必要な資質」,. 「家庭科教育の 目的」, 「家庭科を担当する 教師と. 印象」と, 回答を分析した。. 「家庭科を担当したとぎの. とその理由」に 関する自由記述による. メタファ一. 「今後の家庭科担当希望の 有無. (2)高等学校家庭科教師に 対する イ ソタビュー 質問 紙 調査の結果に 基づく考察を 補完する目的で , 1996 年 m2月から 1997 年 8 月にかけて 筆者が実施してぎた 高等学校家庭科教師に 対するイソタビュ 一の結果を取り 上げることに したい。 これらのイソタビューは , 「男女共修の 家庭科教育」に 関する教師の 考えや授業 の 実践状況をたずねたもので ,一人あたりの所要時間は 約 1 時間,会話はテープに録音 さ れた後に文章化された。 本稿では, これらのイソタビュ 一の中から教師の 語りの一部を 抜 粋し. ,考察を深めるための資料として参照する。. 3. 小学校教師のとらえる 家庭科教育 まず,質問紙調査の結果から,家庭科教育に対する小学校教師の. 認識を探ることにした. い。 なお,調査方法に関しては既述の 通りであ るが,各質問に対して若干の 無回答があ っ たため,回答者数はそれぞれ異なっていることを 付記する。. (1) 「家庭科の授業」に. 関するメタファー. 小学校教師を 対象とした質問紙調査の 結果, 「家庭科の授業」について , 101名の教師 から合計 143 個のメタファーが 作成された。 それらを種類別に 分類したものが 図 2 であ る。 「楽しさ・安らぎ」を 意味するメタファーが 最も多く作成され , 44.6% であ った。 生 「. 活 上の必要性・ 役立ち」に関連するメタファーが. 次いで多く, 26.7% であ った。 また,家. 庭科という教科の 特性に関して 言及しているメタファーが 作成されており , 13.9% を占め ていた。 これらのメタファーとしては ,具体的には表 1 に示すようなものがあ げられる。.

(6) Ⅰ. 堀内. 44. かおる. マイナスイメージ. 家事. ( 家の手伝い ). 創意工夫 日常生活. ( 創造性 ). ( 家庭生活 ). 教科の特性に 関するもの 生活上の必要性・ 役立ち 楽しさ・安らぎ. 4、 6 5. 0. Ⅰ. 0. Ⅰ. 5. 図 2. 「家庭科の授業」のイメージ. 表 1. 20 ( 単位. 25. 30. 35. 40. 45. : 拷 , n=l01). 「家庭科の授業」のメタファ 一の 例. く 楽しさ・安らぎ ノ のメタファー. 趣味,遊び,遊園地,バーペ キュ Ⅰ ピクニックのお 弁当,宝物の発見,おもちゃ箱 ,休 み時間,大好きなおやつ, ポップ コ一ソ ,楽園,遠足の 前日,お楽しみ会 ,太陽,マンガ ( 楽しい,. サージ. わくわくする ,子どもが楽しみにしている授業 ), 母 , ふかふかの布団, マッ. ( 暖かい,優しい,子どもが肩の力を抜くことができる. 時間,気持ちが楽になる ). く 生活上の必要性・ 役立ち ノ のメタファー 小さな家庭生活, ミニキャ ソプ ,. ミニ サ " イ " ル ,生きる糧 ,原始人,単身赴任 ( 生きる. 術を身につげる ,一人立ち), ご飯,台所 ( 生活の基盤 ), ビタミ ソ ,スーパーマーケット , 水 ,非常食,空気 ( 役に立つ,生きるために必要 ) く 教科の特性 ノの メタファー. 海 ( どこから教えてもぎりがなさそうで 広い ), からまわり ( 根気が必要,同じことを何 度も教える ), お 化 け 屋敷 ( スリリソグ 社 体験がいっぱい ), びっくり箱 ( 何が起こるかわ からない ), バザール ( 食べることもあ るし作品を飾って 見合うこともあ る ), 台風 ( 荒 れている う ちは大変だが 晴れてしまえば 晴天 ), 夢 (未来を作っていくもの ), 雪道にはまっ た車. ( いくら. ェソジソ を回しても,前に進まないことがあ るから. ).

(7) 学校教育におけるく 母 》のメタファー. 145. ,子どもたちが家庭科の授業を 楽しみにしている 様子がうかがえる。 加えて,子どもたちにとって家庭科の時間がほっとするような 安らぎ を感じさせる 時間であ ることが示唆される。 生活上の必要性・ 役立ち に関するメタファーは ,家庭科の学習内容に関連するもの く. 楽しさ・安らぎ》のメタファーから. く. ノ. る。 学習が生活それ. 自体を対象として 進められることから た メタファーが 提起されている。 であ. ,実生活との関連でとらえ. 教科の特性》に 関するメタファーからは ,教師たちの家庭科 観 が推察される。 これら の メタファーは ,家庭科の学習範囲が広く , 繰り返し行 う ことが必要で , 様々な実践が 伴 う ということ,そして 学習を進める 上で一律には 進まない場合があ ることを示している。 く. (2)家庭科教育の 目的 「家庭科は子どもたちにどのような 力をつける教科だと 思いますか」という 質問に対し て 122 名からの記述が. 得られ,記述内容に着目して合計 319 個の意見を取り 上げた。 これら の意見をさらに 内容に応じて 分類した結果を 図 3 に示す。. 9.8. 力. 保克. 面. 能閉自. 6. < し. を 楽. 活. 生. す人. 自己 洞擦. 珪放た ついて学ぶ. Ⅰ. 7. 2. カ. ︶. 燵 実 (. 綺 技 活 生. 4. ・. 乃. 0. Ⅰ. 0. 図 3. 家庭科は子どもたちにどのような. 20. 30. 力をつける教科か. 最も高率であ ったのは「生活について 学ぶ・考える」. 3. 生. て. 宇. し ・ こつ. 生. 活. 行力 る 甘 るえ のき 考. 生活に関する 知 俺の智行. 40. 50. ( 単位. :.%, n 二 122). 60. (55.7%) で,過半数を占めた。. 教師たちは,家庭科の授業を通して ,子どもたちが 自らの生活を 見つめることに 意義を見 いだしているといえよ う 。 次いで, 「生きる力」 (43.4%) , 「生活技術の 習得」 (32.0 %) があ げられる。 ここであ げられている「生きる 力」とは,生活技術の習得とほほ同義 の 言葉として使用されており , 19㏄年の第 15期中教審第一次答申 (文部省 1996) にみら れる「生きる 力」の概俳とは 異なるものであ る。 本調査において 教師たちは, 自分の生活.

(8) 146. 堀内. かおる. 力」と言っていることがわかる。 すなわち「生 きる力」とは ,現実的な生活上のサバイバルのための 力 であ り,そのために必要なのが 「生活技術」だと 解釈できる。. を 維持管理していく 実際的な力を「生きる. (3) 「家庭科の教師」に. 関するメタファー. 家庭科に対して 以上のような 認識を持っている. 教師たちは,. 「家庭科の教師」について. はどのような 教師像を描いているの た ろ うか 。 「家庭科の教師」に 関するメタファーは , 94 名の教師によって 作成され,合計数は130 であ る。 教師たちのメタファ 一表現を分類し た結果,突出していたのがく母ノ というメタファ 一であ り, 51.1% を占めていた。 次いで 多かったのは , 母 以外の家族,あ るいは「 親 」といった表現で , 9.6% であ り,第1 位を 示したく 母ン への集中が顕著であ る。 「家庭科の教師」をく 母フ にたとえる理由を ,表2 に示す。 表2 家庭の仕事. ( 「調理」. 「家庭科の教師」をく 母上にたとえる 理由. 「裁縫」. をする. ). ( 教える ). 存在としてのく 母ノ. お母さんのやっていることを 教えるⅠ調理や 裁縫が上手なような 気がするⅠ生活のことを 教えてくれる. /. 生活に必要な 知識を子どもに 与えるからⅠ家庭の 柱のように頼りになる 家. 事・裁縫のプロ / いつも ェ プロ. ソ. をしているⅠ母の 代理で生活を 教える. 暖かさ・愛情の 象徴としての 存在であ るく 母 ノ 子どもに優しさと 暖かさを生活力として 身につけさせて い くから / 担任に言えないことも 話せるから -. /. 暖かいイメージがあ 。 る / 母の愛を伝える , 暖かいものがたくさんあ ・. ・. る/. 子 とも ・. への愛情を持ち , 生きて い く力を教えていくⅠ優しい / 子どもが素直に 心を開いている 教 科Ⅰ頼りになる 存在 / 子どもたちを 暖かく包んでほしいから く母ノの メタファーは ,. に大きく. 2. つの種類に分類することができる。. 1. つは,. 「家庭の仕事をする 存在としてのく 母 》」という観点に 基づくメタファ 一であ る。 この場 合のく 母 ) の メタファーは ,家庭科の学習内容が家庭生活に視点を 当てたものであ る点に 依拠するものと 考えられる。. ところで,広範にわたる える ) う. 家庭科の学習内容の 一部であ る「調理」や「裁縫」をする. (教. 存在としての 家庭科教師 像 が強調されていた 点に留意する 必要があ ろう。 前述のよ. に,家庭科教育の目的として「生活について 学ぶ」こと,. とりわけ「生活技術の 習得」. に学習の意義が 認められている 結果が得られていたよ う に,教師たちの家庭科教育に 対す る 認識にお 、 て ,家庭科は「家事処理技術を教える」ことが 不可欠のものとして 位置づ け られていた。 家庭科における 技術指導に対するこのような 見解が,教師にとっての「家庭 科のパースペクティブ」を 形成しているものと 考えられる。 し. また,. く母) の. メタファーを 意味づける第. 2. の理由として ,暖かさや愛情の象徴として.

(9) 号目がき臼庭ハ自 リ。 は た て れ ら 担い う らこ るれ 家﹁ あが し ﹁ 資か よあよ にせ れ 9 める 0名 さで 科な 的 よさ 地 深 摘 教 緒 ろ を のヵ 指﹂ 清 い対 と 察 が く の て 仏 者 点 開 て し 丈 て る な っ 示 校 い い 心 と を 学 つ て に に 性 る 。に し 直 あ だ 素も ど 特異 に義 意 い. 147. のえあ え科数 こ ⑭ ど由. 学校教育におけるく 母ノの メタファー. 0 3 てるは 2 0. 5く. 5 他 枝欲 術 の枝 舞経 意仮 育性 特轟 知カ 能技 そま 平活 教性 枯す る寅 ・生活 土の 溥 男庭 指、 観 関資 活 楳 ほ の 疎 生 清 士 実 生 汀 指 学甘. で. 状 。 ,況に直面.

(10) 堀内. 148. 授業中に隣のクラスの 男性の先生に , 説明して」と. かおる. 「悪いけどちょっとエプロンの 作り方子どもに. 頼まれて,自分のクラスを自習にしていったことがあ る。. このように,教師自身の生活技術の習得状況におけるジェソダー・パイアスが 表れてお り,同僚の教師同士の間にも,その影響が及んでいるのであ る。 このほか, 「性格特性」として「子どもに 共感できる感受性の 豊かさ」が 10.8% を占め ており, 「男女平等・ 共生の意識」や「人権 感覚」が必要という 回答も 12.8% に上って い たことを指摘しておきた い 。. (5)家庭科を担当したときの. 印象. 家庭科を担当した 経験があ. る. 95名の教師に対し. 担当したとぎの 印象についての 記述を. 求め,教師たちが言及していた 観点別に分類した 結果を図. 5. に示す。. その他 実智以覚の内容について 家庭科の教育的意 接. @. 7. @Ⅰ. 8. ててて. 7. し. 校. 理. 実. 劫. 「 0. 図 「調理実習・. Ⅰ. 0. 20. 30. 5. 家庭科を担当したときの 印象. 被服製作」. 40 ( 単位 :. 50. %,. 60. 70. 2. つつ 関 子作 と. 身. 教. 自ど 師 子音. 投棄の進め方について. 80. n 二 95). (72.1%) についての指摘が 最も高率で,それに次いで,授業. 中の子どもの 様子 (67.7%) があ げられていた。 「子どもにとってどうであ ったか」という. 観点と,. 「調理実習・ 被服製作」に 関しては, 「教師自身にとってどうであ ったか」. とし ぅ 観点,およびその他の観点から ,記述内容をさらに分類することができた。 具体的 な 記述内容は,表 3 に示すとおりであ る。 調理実習や被服製作という「実習」は , 子どもと教師の 双方ともに,印象深い学習であ っ たことがわかる。 このように,教師にとって実習を重視する 教科 観 があ るために,家庭科 担当者として 特に「生活技術」が 必要という回答傾向が 示されていたものと 推察すること.

(11) 学校教育におけるく 母 》のメタファー. 表3. 調理実習・被服製作に 対する教師の 印象. (. l49. 自由記述から 抜粋 ). く 子どもにとっての. 調理実習・被服製作について ノ ホ 特に調理や ェ プロ ソ 製作,小物づくりなどに関わるものだと ,子どもたちの 目が生き生 きしてくるのにびっくり。 本家庭科は子どもが 日を輝かして 取り組んでいた。 特に ェ プロ ソ ,ナップザック作り ( 、ンン かげ ) は真剣であ った。 常に 未 提出者が多いのにもかかわらず ,期日までにすべて そろったうれしい 思い出があ る。 * どの子も実習は 大好きだということ。 特に , 初めて縫い物や 調理をする男の 子に興味を ミ. 持って取り組む. 姿を感じます。. く 教師自身にとっての. 調理実習・被服製作について ノ * どうしても実習中心になり ,実習に追われてしまった。 ホ調理,裁縫の手順の細かなところがわからず ,指導不足で学習内容の未習熟の 部分が子 どもたちの中に 生じた。 しかし子どもと 考え,工夫しながら学習でき,子どもと共に 楽しんで学習できた。 ホ 調理実習がとても 楽しくできた。 普段机上の学習では 表れない児童の 表情がとらえられ 教師も児童も 楽しさを共有できた。 ができ る 。. (6)今後の家庭科担当希望の. 有無とその理由. 教師たちが今後,家庭科担当を 希望するかどうかをたずねた 結果,図6 に示す よう に 「できれば担当したくない」という 教師は 4.1% にすぎず,ほとんどの教師は,この教科 を 担当することに 対して抵抗を 持っていないようであ った。 「担当したい」と 回答した 54 名の教師があ げていた理由は ,図7 のように分類される。 4.. Ⅰ. 44. 3. 5 Ⅰ・ 6. 図. Ⅰ. 担当したい. m. どちらでもよい. U. できれば担当したくない. 6. 今後の家庭科担当希望の 有無. ( 単位 :. %, n=122).

(12) 150. 堀内. かおる. その他 担 ほとして当然 子どもが生き 生きと取り組むから 子どもの新たな 面が見えるから 内容が興味深い・ 大切だから G. 授業をしていて 楽しいから 0 図. 5. 10. 15. 7. 家庭科を担当したいと 考える理由. 20. 25. ( 単位. 30. 35. 40. 45. :-%, n=54). 教師自身が「授業をしていて 楽しいから」 (42.6%) と感じていることが ,家庭科担当 を希望する第 1 の理由にあ がっている。 次いで, 「内容が興味深い・ 大切だから」 (22.2 %) , 「子どもの新たな 面が見えるから」 (18.5%) , 「子どもが生 き生 ぎと取り組むか ら」 (14.8%) と続いている。 教師自身が授業をしていて 感じる「楽しさ」とは ,次のよ う な教師の言葉に 表れている。 子どもたちとの 距離が近づく。 私自身の家庭の 姿を見せる場面もあ り,子どもたちと ともに楽しめる。 専門的な知識や 技術を持ち合わせているわけではないが 決できたり作り 出すことが楽しい。. ,子どもと一緒に悩んだり解. 子どもたちが 将来自立していく 上でとても大切な 教科で ,国 ミ ・社などとはまた 違っ た 形で,一緒に授業を作る (創る ?) ことが楽しいから。 ・. 子どもが楽しんでいる 時間を共有したいという 教師の思いが ,他の授業とは違った , 子. どもとの距離の 近さを感じることができる 家庭科の時間を 担当することへの 期待につながっ ているように 思われる。 これらの結果から , 「家庭科の授業」とは ,端的に言 うと, 子ど もと教師双方にとって ,学校という場において, 月日常的な F 日常山」を作りだしてい る 時間だと言えるのではないだろうか。 家庭科で行 う 学習内容そのものは ,普段,家庭の 内外で行われている 日常的なことであ る。 しかし子どもにとっては 日頃 の生活経験が 不 「ョ. 足しているために , 「 ョト. 日常的」. 日常的な生活の 営みそのものを 自分自身のこととして 取り組む時間は ,. な 時間ということになる。.

(13) 学校教育におけるく 母ノの メタファー. 151. また,教師にとっては,学校という場の中で,学校から離れた「日常生活」と 向き合い , 子どもと共に 考えて実践をするのが 家庭科の時間であ ると考えられる。 子どもも教師もと もに家庭科に 対して感じている「楽しさ」は ,家庭科の授業の中で,学校生活という教師 と 子どもにとっての「日常」の 中には,具体的に立ち現れることの 少ない「家庭」や 地域 での生活へとったがる 時空を創り出すことによるものと 推察される。 (7)小指 一 小学校教師の 家庭科教育観にみる 問題 一 これまで述べてきたよ う に,小学校教師たちは, 「家庭科」に 対して他の教科とは 異な る 独自の意味を 付与していたことが 明らかであ った。 いわば「家庭科」とは ,今日の学校 文化とは異質の 空間を作り出す「教科」なのであ. 教師たちは,. 「. く. る。. 生活技術 ) について学ぶ」ところに 家庭科の教科としての 特徴を見い. だし,それ故に教師としては 技能習得が必要な 資質ととらえられていた。 そして,生活技 術を身につげた 象徴としてのく 母 》が,家庭科を担当する教師のメタファーとなっていた と 解釈でき る 。. この点について ,家庭における家事労働担当者としてく 母 》を連想するところに ,教師 たちのジェソ ダ 一規が反映されている。 生活技術を子どもに 伝える ( 教える ) 役割をく 母 》. の役割として 無意識のうちに 位置づけるジェソダー・バイアスが. ,家庭科教育に対する 認。. 識にも投影されていると 考えられるのであ る。 しかし, く母) の メタファ一には ,教師たちのジェソダー・バイアスに基づく見方とは 異なる側面から 想起された一面も 見られた。 すなわち, 「優しさ」 「暖かさ」 「安らぎ」 というような ,子どもにぬくもりや安心感を与える 存在としての 教師の姿を象徴的に 表し ていたのであ る。 学校文化の中で ,家庭科を担当する教師や家庭科の 時間が , 子どもたち にとって肩の 荷を降ろしていられる 安らぎの場となっているのだとしたら ,そのほかの場 面で, 子どもたちが 安らぐことのできない 学校の現状について ,さらなる分析が必要であ ろう。 本稿では,小学校教師たちがとらえた家庭科教師に 対するく 母ノの メタファ一に 関 連して,家庭科の教師たちが自分自身をどのように 位置づ け てとらえているのかというこ とについて, さらに検討を 進めることにする。. 4. 高等学校家庭科教師の 家庭科観にみるく 女性教師 0 位置づけとジェンダ 一 ノ. 次にあ げるのは, 3 人の高等学校家庭科教師に 対して, 「家庭科」あ るいは「家庭科の 教師」を何かにたとえるよ う に求めたとぎの 回答であ る。 3 人とも女性の 教師で,年齢は 20 代後半から 30 代であ った。 生徒にとっては , 「家庭」なんじゃないですか。 結局,家庭でやることをやっている んですよね。 だから,家庭の代わり,とか, 「母親」なんて 言 うと 語弊があ りますけど, 母親的なものを 求めたりするのかしら。 自分が彼らの 世話をしていて ,この子たちのお 母さんみたいだなって 思 う ことがあ りますよ。 母親と家庭を 一緒にしてしまっても 語弊 があ るとは思いますけど。.

(14) 堀内. 152. かおる. 生徒から,お母さんみたいな 授業,お母さんと授業やっているみたいだって んです。 「母ちゃんみたいだ」って 男の子から言われたこともあ. 言われた. ります」……それは. ,. ,高校の教員で。 それから,受け入れてくれる 存在って い う のが,生徒にはあんまりないですね。 でも,家庭科っていう教科の特性かもしれま せんけれど,生徒の存在を受け入れて ,生活に密着しているので,生徒は非常に,なん. 女性っていうのが 少ないですね. か ,安堵感ていうのか,そういうのがあるみたいなんですね。. ,生徒にとってはお母さん的な感じのする 人が多いです。 うちはと 多い高枕なんですが ,生徒にとっては女の先生の方が 話し易いってとこ. 女の先生はみんな ても女の先生が. ろがあ って,みんなそうですね。お母さんみたい。 それは家庭科の 教員だから言われて いるんじゃないと ,私は思うんです。 これらの家庭科教師の 意見から, 家庭科の教師 ) であ る以前に , 女性教師》に 対す る 生徒たちの期待が 見て取れる。 生徒たちを無条件に 受け入れ,話を聞 き ,相手をしてく れる存在としての ,生徒が求めるく女性教師 ) 像が浮かび上がってくる。 ではなぜ,子ど もたちに安らぎを 与える存在が , 女性教師 ) なのだろうか。 男性教師》に 対しては, 子どもたちは 何を求めているのか。 教師の性別による 役割期待が異なるものとして 存在し ているならば ,そのような期待を生み出している 学校文化としてのジェソ グー 構造にこそ, 目を向げなければならないであ ろう。 ところで家庭科教師たちは ,生徒たちのジェソダ 一勧をどのように 受け止めているのだ く. く. く. ろ. く. うか 。 イソタビュ一の 中から,いくつか意見を拾ってみたい。. になった頃 は結構保守的で ,性別役割分業っていうのを 肯定する生徒が 多かっ たんですけれども ,最近はまた変わってきましたね。 私 ,べつにそれを作為的にやった わけじゃないんですけど. ,共働きで家事も分担してやっていきたいって. 生徒が一番多く. なりましたね。 男がやるものじゃないって 言ってる子がいますし ,はっきり言われました。そういう 子は必要がないって 最初から思ってるから ,家庭科嫌いみたいですね。はっきり露骨に 態度に表してるのは 数人ですけど ,考え方が古いというか,そういう意識の子は何人か いるような気がします。 性別役割分業に. 関しては,基本的にはやっぱりそうじゃない方がいいと思ってるけれ. ど, 先にどうなるかというと 男の子は女の 子にやってもらうと 思う,というような, 社 会的・一般的な 部分と自分のことを 分けてる部分があ. るように思います。. 生徒たちの大部分は ,一般論としては「性別役割分業に反対」の立場を 示すけれども , 自分自身がどのようなライフスタイルを. 選ぶかということになると ,. ジェソ ダ 一に沿った.

(15) 者達こう 方にかし き 分 9 を 生 宮 ろ 起. , は家庭科. るに. 1 ,998. 実 浜 ( ェ践 崎 め記録 1. タマ. る の な 映 家 す︾ と げ 口果 結た 節家 の う こ つ 反い の を し師 そいの意は 校考. のい だ 提 き 万。 社 設に 合 題 生き ト の 問 生 に たな は でと こく ポ よ一 豪族 ま で 中 身 う し の いり よ 来 を 白 分 と , と 将 分 どな﹁ メが て 割く には 師白だ んて えこ なの 分 な ろ に 上 ろ者 を自 いて ︾ろうると 以 し ろ れこ とと こ そ い そ る な る。 る。 っ惑 う えん と に実 てよ る りき でか, 0 て26 得 て か で ち たし とち に ん 握 るめ く い っ 倒 徒 あ 把 し 土顛 間 の はい てて き ずり う8がく 磨らくらな 事かし さ,対 ぅて 唆 り に 示 あ ち ぶ う ん ら る る で ロ り あ 直 か し 師 , 年 が , そ が で た 。 学 ど た ろ め ね め と よ に に 教 し 若 な ノ て は と 徒 る を が し ﹂ 中 韓 。 性 的 節 し ち 9 な % 女 校 数 そ た さ の 困9 い 術 分い で見 うっュ こと こ 生 え ﹂. 153 学校教育におけるく 母 ) の メタファー.

(16) 154. 堀内. かおる. 習の中で , 子どもたちが ,今を生きる 自分にとってのく 生活のリアリティノを 追究し認 識を深めていった 過程が生き生きと 描かれている。 しかし本調査の 結果,多くの教師たち にとって家庭科とは ,. 「生活について 学び,考える」という 意義は認められているものの ,. 実際の授業中の 取り組みでは ,. 「家事処理技術」の 習得に 倭小 化されていたように 思われ. る。 そして,担当する教師が「家事処理技術」を. 教える存在ととらえられたときに. ,家庭. 生活における 家事労働担当者と 重ね合わせてく 母ノの イメージが想起されることになるの. であ る。 ここに,家事労働をく母 》の仕事とみなしている 教師のジェソダー・パイアスが 表れていたといえる。 またその一方で 教師たちは, 自身の性別に 関わらず,家庭科の学習指導を進める 中で , 子どもたちと 一緒に「調理実習」や「裁縫」に 取り組む過程に 楽しさを見いだしていた。 く. 家庭生活》という「日常的」 な 内容に焦点を. 当てて,. く. 学校生活 ノ の中でく学び》をつ. る家庭科は,教師にとっても 子どもたちにとっても ,学校文化の中に異質な 時空を創り出す「教科」なめてはないだろうか。 そのことが,教師に「家庭科の授業は楽 くる教科であ. 「いっもと違 う 子どもの姿が 見られる」という 印象を語らせているのではないかと 考えられる。 家庭科をく 母 》のメタファ 一で表す第 2 の理由としては , 「優しさ」や「暖かさ」の 象 徴としてのく 母ン 的なものを, この教科の中に 見けだしているという 点があ げられていた。 高等学校で家庭科を 担当する女性教師自身も , 「女性教師であ る」ために,学校におけ るく 母ン 的な存在としての 役割を生徒からも 期待されていると 思、 っていた。 教師たちのイ 女性》というジェソ ダ 一に順応し く女性》という ジェ ソタビュ一における 語りから, しい」. く. ソダ 一に期待される 役割をひとまず 担うことによって. ,実質的にく男女平等. ノ. な学校文化. を創り出そうとしているというような ,パラドキシカルな 存在としての 女性教師 像 が浮か び 上がってきた。. それでは, こくわずかながら 確実に存在するく 男性の家庭科教師》は ,学校のジェソグー 構造そのものを 覆す存在となり ぅ るのだろうか。 この点については ,今後の検討課題とし て 残されている。. 本研究は,平成 9. 年度文部省科学研究費補助金. ( 奨励研究. A). の助成を受けたものであ る 。 本稿で取り上げた 小学校教師に 対する調査に 関しては,平成 9 年度日本家庭科教育学. 会 例会 (1997 年 11月 ) において, 口頭発表した。 ま主. 1) 用語の定義について ,「ジェソダー・フリー」と「ジェソダー・ セソ シティブ」の 相違に 関しては,堀内 (1995a) を参照、 されたい。 ジェソ ダ 一にとらわれない 状態を意味する く. ジェソダー・フリーノに 到達するためには ,. ジェソ ダ 一に敏感な視点であ るくジェソ. セソ シティブ ) な視点で, 「当たり双」と 思えることをあ えて「疑ってみる」こ とが必要なのであ る。 ジェソダー・ セソ シティブ な視点で学校教育を 見直したとき に 見えてくるものについては ,堀内 (1998a, 1998b, 1998c) に詳しく述べられている。 ダー・. く. ン.

(17) 155. 学校教育におけるく 母ノの メタファー. 2). 構造」とは, 「性別によって 異なる価値に 基づき,階層化・序列化され, 秩序立てられている 構造」であ り,本質的には権 威主義を反映し ,強者と弱者,成功者 と 敗北者,先導者と従属者という 対立する二者関係を 生み出す権 力構造であ る ( 堀内 1998b) 。 木村 (1998) も,学校のことを「子どもたちが社会化プロセスで 所属する主 要な社会組織」と 見なした上で ,学校の「ジェソ グー 秩序」が「隠れたカリキュラム」 として提示され ,子どもたちがそれに適応するようにし 向 げられていることを 指摘して 「ジェソ グー. いる。. 3) 欧米のアクション・リサーチに 基づく実証的研究は ,学級の中のジェソ グー 構造を具 1997) やサ ドカーとサドカー ( 川合 訳 19 ㏄ ) の著書があ る。 また,我が国の学校における 教育実 践の中に潜んでいる ジヱソ ダー・バイアスを 浮かび上がらせた 研究としては , 氏原 (19 ㏄ ) , 木村 (1997) などがあ る。 このほか,堀内 (1998a) においても,技術・家庭科 の授業場面の 観察からとらえたジェソ グー 構造についての 言及がなされている。 体的に提示してきた。 邦訳されたものとして ,. アスキューとロス. ( 堀内訳. 4) 秋田喜代美氏の 先行研究については ,横浜国立大学教授 鈴木敏子先生からご 教示 い ただいた。 記して感謝いたします。. 引用文献. (. 著者名アルファベット 順 ). 秋田喜代美 (1995). 「. 11 教えるといういとなみ 一授業を創る思考過程」佐藤牛偏『教室. という場所コ 国土社, pp.45. 秋田喜代美 (19㏄ ). 一. 「教える経験に 伴う授業イメージの 変容一 比喰 生成課題による. 『教育心理学研究 J Vo1.44.. Askew,. 85. No.2,. 検討」. Pp.176 一 186. Sue and Ross, Carol(1988), BoyS Do 穏 , t Cr ノ : BoyS and Sexts 沖幼 Educatton, Milton Keynes: Open University Press, ( 堀内かおる 訳 (1997) 『男の子は泣かない 一学校でつくられる 男らしさとジェソ ダ 一差別解消プロバラム』 金子書房 ). Att 肛 , Dena(1990),. W. Ⅰ. S が れま G. Eco 移omics, London: 深谷昌志 (1980). ど. Ⅰ. 75" T ピ沖り , T み% H Sto グノ d 穏ガ PoJi お c5 o/ Ho 肋召. Virago. ゴ. Press. 有 斐閣, pp.53 一 55 濱埼 タマ エ (1997a) B 子どもが見つめる「家族の 未来」』農山漁村文化協会 墳崎タマ エ (1997b) 「生物 T 卵の授業』からゲーム『たまこっち 団へ ( 上 ) 卵から生命 を育て,いのちを考える」 ひと J Vol.25. No.11 (1997 年 11 月号 ) , pp.58 一 66 濱埼 タマ エ (1997c) 「生物『卵の 授業 からゲーム『たまごっち 凹へ ( 中 ) ディベート たまこっち刀に 賛成 ! 反対 ! [ ひと J Vol.25, No.12 (1997 年 12 月号 ) , PP. 『女性教師論』. 丁. コ. 下. 92. 」. 一. 100. 濱埼 タマエ (1998) 「生物干卵の 授業. コ. からゲーム. 下. たまこっち コへ. (下 ). 私がつくる.

(18) 堀内. 156 『たまこっち. 堀内かおる (1994). (1998 年 1 月号 ) , pp.89 一 96 ジ,ソグー視点による小学校家庭科担当者に 関する一考察一家庭科. 物語」. コ. 「. かおる. 甲. ひと J Vol.26. No.1. および『家庭生活指導』をめぐる 理論枠組として」 p 鳥取大学教育学部研究報告 ( 教育科学 ) j Vo1.36, No.l, pp.147 一 160 堀内かおる (1995a) 「家庭科教育研究におけるくジェソ グー 視点 ) 一 Educational Eauity と Equality of Education をめぐって」 F 家庭経営学研究 J No.30. pp.80. 一. 88. 堀内かおる (1995b) 「家庭科に対する 小学校教師の 関与実態と意識 一 鳥取県の場合」 鳥取大学教育学部研究報告 ( 教育科学 ) J Vo1.37, No.2, pp.283 一 300 堀内かおる (1998a) 「教室の中のジェソ ダ 一差別① くジ,ソグー視点 ) でみる授業」 児 童心理 i Vol.52, No.5 (1998 年 4 月号 ) , pp.113 一 121 堀内かおる (1998b) 「教室の中のジェソ ダ 一差別②学校と 教師をめぐる 問題」 『児童心 理コ Vol.52, N0.7 (1998 年 5 月号 ) , pp.104 一 112 堀内かおる (1998c) 「教室の中のジェソ ダ 一差別③教員養成と 研修の課題」 『児童心理 Vol.52, N0.8 (1998 年 6 月号 ) , pp.113 一 121 木村涼子 (1990) 7 章 、ジェソ グー と学校文化」長尾 彰夫 ・池田買縞『学校文化 一 深層 旺. 『. コ. 「. へのパースペク テイ ブ』 東信堂 , pp.147 一 170. 木村涼子 (1997) 「教室におけるジェソ グー 形成」. 『教育社会学研究 J No.61,. pp.39 一. 53. 木村涼子 (1998). 2. 学ぶ一学校にひそむセクシズム」伊藤公雄・ 牟田和恵 編 ハジ ,ン ダ 一で学ぶ社会学』世界思想 社 , p.38 久富 善 2 (1996) 1 章 学校文化の構造と 特質」 『講座学校第 6 巻 学校文化という 磁 場 柏 書房, pp.7 一 41 Lakoff, George and Johnson, Mark(1980)MgtaPhors We L わ e By, Chicago: University of Chicago Press ( 渡部昇一・楠瀬淳姉・ 下谷和幸 訳 (1986) レト 「. 「. 』. 『. リックと人生コ 大修館書店, pp.6 一 7). 文部省 (1996) 『文部時報 8 月臨時増刊号 いて』 ぎよう せい, pp.21. 一. 21 世紀を展望した 我が国の教育の 在り方につ. 22. Sadker, David(1994)Fairlng af Faiy 移ess: Ho の O 雄 Sc ん oofS C ぬ ㎡ G かね, New York: Simon & Schuster U 川合あ さ子 訳 (1996) 「「女の 子 」は学校でつくられる 時事通信社 ) 総理府男女共同参画室編 (1997) 『男女共同参画 20 ㏄ 年 プラソ & ビジョ ソ 』大蔵 省印刷局,. Sadker, Myra. md. コ. pp.82. 一. 83. 田中統治 (1996) 『カリキュラムの 社会学的研究 一 教科による学校成員の 統制過程』東洋 館出版社, pp.133 一 134 氏原 陽子 (1996) 「中学校における 男女平等と性差別の 錯綜一二つの『隠れたカリキュラ ムコレベルから」 『教育社会学研究 J No.58, pp.29 一 45.

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参照

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