教育における地域社会について(1)
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(2) 36. 田. 代. 元. 弥. 郷土科であるべきであるガと説いているのほ,郷土教育の進路をしめす好例であったとい. えよう。ともあれ,戦前の郷土教育(料)理念は,郷土社会の文化(歴史一地理的内容) について目的論的考察を試みることにより将来文化創造の価値を学びとること,郷土とい. う小宇宙とその生活が児童生徒に対して完全な調和統一的全体として直観される人格陶冶 材としてみる方向へ進んでいった3)。そして,全体主義体制下のプログラムのあいだにそ の生命を埋没させられて放哉にいたった。. 第2次大戦後の日本教育においては,民主的な社会人の育成をもって最高のねらいとし たことはいうまでもないが,その最初にして重要な指標を提供した米国対日教育使節団報 告書には,. "日本の教育制度は現実社会に対してその生徒を準備することに失敗した"と. いう程度の指摘4)がされているのみで,のちにさかんな関心をあつめたコミュニティ-ス クールcommunity. scbool等のごとき活動の方向を具体的にしめすものは出ていない。. したがって,翌1947年春′発足をした6-3-3-4制に社会科が1教科として採用されるま では,地域社会とのむすびつきを学校の側から積極的に考えようとする着想は具体化して いないと思われ。上記6-3-3-4制実施に合わせて発表された文部省編〟学習指導婆餌一. 般編(試案)". (1947年)においても,教育課程curriculumの編成にあたっては,児壷. に即するとともに"現場の地域の社会に即し"5)ておこなうべきことを原理的に述べている にすぎない。 以上のごとき経過からして,わが国教育者が新しい意味における地域社会と教育との関 連を意識し,教育活動のうえにそれを具現化しようとしはじめたのは,. 1947年の学制改. 革以後,教育内容のとり扱い-なかんずく社会科についての理解と実践をめぐっておこ ったものであるとみられる。すなわち,そとには民主主義の発見と接近の空気があり,うち にも日本社会改造に対する最善の方法であるとする自負ならびに新教育内容についての研 究の必要感が,教育者をして地域社会を念頭におかせる動機となったのである。しかしな. がら地域社会なるものが教育内容(とくに学校教育における)として考えられているだけ では,まだ十分な意味においてそれが教育に体現されたとはいえない。それが学級経営か. らさらに学校管理の全般にひろまって根をおろしたとき,われわれ学校数育と地域社会と の関係が正常化したと考えるのである。 §2. 地域社会学校の問題. 前記社会科をふくむ新教育課程の構成ならびに学習指導要餌の発表を中心として,新学 制の推進にあづかって力があったのは,当時文部省または大学・研究機関に所属していた. 一群の教育学老であった。それらのひとびとは,戦前から自由主義もしくは進歩主義を信 条として,ときいたってその所信を強調したものもあったが,そうでないものといえども,. 米国のニューディール派を主軸とする占街軍の指導下においては,後期進歩派. Progres-. sivesの教育運動に着目せざるを得なかったと思われる。かつ教科書その他諸教材が欠乏 3)わが国民学校(昭16-22)における国民科の構成理念は,必らずしもこれと同一ではない。 4) T土1e Aims Content and of Japanese 5)序論二,どんな研究の問題があるか,第1段。. Eduction,第4段(1946)。.
(3) 37. 教育における地域社会について(1) し,同時に教育課程は各教師がみずから生徒とともに構成するものであるといわれると, 教師がたよるあいては上述の研究者の諸説のみということになり,その結果として,地域 社会改造プログラムが学校教育計画とむすびつくようになった。このような教育計画の編 成作業に積極的になり,またその展開の過程を重視する教師らの口にコミュニティースク. ールの語がのぼるようになったのは,それからまもなくの1947年後半の時期であった。 コミュニティースクールが急に教師の話題になったのほ,文献のうえではオルスソ6) (01sen, E.G.)に負うところがきわめて大きいと考えられる。当時連合軍司令部民間情報. 数育部(CIE)の文庫に入って紹介された彼の著書は,わが教育研究者によって注目されひ ろめられた。爾来,教育的関心や学習活動の社会(生清)化とからみ合って学校経営(管 理)の目標にコミュニティ-スクールをかかげる学校がいちじるしく増加した。ただしこ のような思潮をとりいれ,実践のプランを編成したのが,たいていの場合,校長や一部の 教師だけの手によっていたた桝こ,かりにPTAの組織等を通じて一般成人にはたらきか けても,大局的には教師のひとり相撲という其うな結果になった事例が多い。オルスソが. 時代別に学校とその内容の特質を分類7)して1940年以後を生活中心のコミュニティース クール時代であるとしたことから,観念的にこれをとりいれ,名目にとらわれたところも あったことは事実で.ある。. デューイ(Dewey,. J. 1859-1952)よりこのかた教育における環境についてたえざる注. 意をほらってきた米国の場合と異なり,教育の社会的側面の考察がなおざりにされ. 子ど. もや成人の環境としての社会を教育計画と正しくむすびつける準備に欠けるところがあっ たわが国の場合には,地域社会との関係が学校の当事者には実感をもって考慮されるにい たらなかったとしてもやむを得ないことといえるかもしれない。しかし,コミュニティー スクール運動が,今日ではすでに国内各所で行きづまり,立ち消えになろうとしているの. をみると,これまでの経過のどこかに問題があり,それに対して,今後いかに考えるべき かをとりあげてみる必要も生じていると判断されるのである。. したがって,以下述べるところにおいて,戦後のわが国教育界において地域社会をどの ように(どの程度に)おさえていたのか,とくにそこに板木的な誤まりはないか,今後い かなる考慮をめぐらすべきかを検討してみようと企図するものである。コミュニティース. クールの構想の消長は,ある意味では学校経常の前進・後退をあらわしていると考えられ るばかりでなく,過去の実績の評価がまちまちになされていることもあって,教育全般の 遅滞を防ぎ,その進展の方向をみきわめる手がかりがつかめる可能性の有無に関係してい. る。それゆえに,地域社会と教育の基本的・構造的な関連を諸方面から探究する必要もあ ると考えられるにいたった。. ⅠⅠ地域社会の研究法 §3. 研究方法の設定. 6)著書School 7). academic. Community. (1945年)0 (book-centered), progressive (cbild・centd.),community and. school. (life-centd.)..
(4) 38. 田. 代. 元. 弥. 十分な意味で地域社会を教育研究の狙上にのせるた桝こは,戦後教育社会学グループに 所属する研究者がやってきたような基礎的諸研究のつみかさねと,それらを教育を核とす る総合の手順にもち込む必要がある。ところで教育社会学は,教育学の全体系のもとにお いては,基礎科学のひとつとしての位置をしめるものであるから,その寵域におけるいず. れの研究作業も性格上は基礎研究の一部として成立している。しかし,そのような研究に 対しても.現実の教育の側からの期待や評価は,むしろ直接的かつ具体的な関係を求める 方-傾きやすい。ここに総合的なとりあつかいへの要請が出てくるのである。 とくに地域社会は,現実の社会生酒を成り立たせる統一体であり母体であって,それ自 体包括的な内容の包含者でなければならない。それが,コミュニティー成立の基本条件で. ある以上,それに対する研究の到達点は包括的なものでなければならないことはあきらか である。そのゆえに.教育社会学による地域社会への接近は,巨視的・総合的になされる とともに一方ではきわて微視的・特殊的な追究がなされて今日に至っている。地域の歴. 史・社会機能・コミュニケ-ショソ・生酒・文化教育等幅広い側面からこれをとらえてい こうとするのは前者の例であり,学校経営・PTAその他の団体活動,地域集団内におけ る人間関係等を事例厨究式にとりあげていったのは後者の例である。いずれの場合におい ても,その研究手続ならびに研究態度ほ客観性を保っていなければならない。それととも. に,この種の研究ほ実践活動ときりはなし得ないものをもっていることを忘れてはならな い。すなわち,地域社会の性格・特質・課題等を決定するものは現存し,動いている社会 そのものだからである。. このことから,作業仮説の立てかたにも,おのずからのいきかたが出てくる。それはま ず,研究対象地域の選定と関連して考えられる。さらに対象となる地域の実際的な動向が 注意される。そして現実的な動向にからむ歴史的な因果関係が追究されなければならな. い。また別の面からすれば,その地域社会を構成している成員(住民)の意識にもかかわ るものがある。これらの人為的な条件の基底に,決定的であるともいえそうな自然的要因 がある.このような自然-人為(文化)要田の結合のうえに立って,はじめて一定の"地 域像"がうかびあがり,接近の目途がつくものと考えられる。 これまでに,地域社会を成立させる条件を基本的にとりあげたものはいくつかあるが, L. A.. いま最も定型的にこれをしめした例をもとめるならば,それを 業によってみることができる(``A. Sociological Appro声Ch. それによれば,コミュニティー接近のわくとして,. to Education". Cook. の新しい作. 1950,. 64頁)。. (次図参照)が考えられ,これの各部. 分に,土地利用,交通通信,住宅;人口;施設(経済面・家族面・政治面・教育面・厚生. 娯楽面・宗教面);性格行動(個人の動静・社会経済状態・反社会的行為);指導活動(梶 進団体・団体間の協力・外部の指導)8)等をあてはめてみることである。 E.G. Ⅰ. 01senはコミュニティ-のくみたて(setting)を次のように概括している。 自然的条件--気候,広さ,地形,土質,水利鉱物資源,森林および牧畜. 8)これらの細目は,同じく くわしくのべられている。. Cookの〃Community. Background. of. Educationガ1938,. 93頁に.
(5) 39. 教育における地域社会について(1). コミュニアイ--仰. のまとまり. 生態学 的構造 歴史的変化(発展). 住民. -総 体. _. -. 社会構造. 生 括 活-動 群. 権力関係 価値体系. ;. 外界との接触 J 地域生活の充実 Ⅱ. 人間的条件--人口,年令および性別構成,教育状況,職業,国民性,少数民族,. 階層および宗教(派) そしてこれらがしめす水準は,物質的水準9),制度的水準10),精神的水準11)の何れかに てらしてみることができるという12)。このほか分析の視点は諸家によって数多く提示され ているけれども,結局は,アメリカ教育社会学発達の過程にみられるとおり,そしてまた. 教育社会学学習の順序にいまでも嘩用されているように,教育作用と社会との基本的な関 連構造をたしかめる.ために,まず第一次集団と考えられる地域社会の構成を理解する作業 がとりあげられ,そのさいにおける接近の手がかりとして,上にあげたような項目が用い られるのである。. 地域社会を基本的に理解するた糾こ,これまで多く用いられた方法としては,実態調査 による数量的把垣と,それにもとづく論理的解釈ならびにデータの重ね合わせによる比較 的検証が主であった。もちろん研究仮説を設定するためにほ歴史的文献や各種資料(記録) によって得られる知識が有用であるが,ともかく実地に入ってみることに重きがおかれ た。. L.A.. Background. Cookのテキスト(Communitiy. of. Education,. 1938)が,コミ. ュニティーの理解(第一部)を裏付ける方法として, 小さい町. small. town-village. 小都市. small. city-middletown. 大都市. metropolis. の三地域頬型を追究していったのはその例であるo 今日では地域単位としておさえられる一定のひろがりも,それが独立独行し得る範囲は. いちじるしく限定されてきている。したがって,ある地域社会を類型的にとらえる作業に おいても,たえず周囲の関係ある地域とのからみ合いをあわせてみていく必要がある。こ 9)住民自身ならびに住民が用いるかまたは作り出したもの(外的文明)すなわち天然資源,産業 ならびにその製品,その土地の物理的条件(設備)など。. 10)生活のしくみ,住民の一般自勺慣習など。 ll)習慣や創作の決定をする住民の意欲motivation,その他一般に行動を規整する価値観など。 12)オルスソがラッグの〃AmericanLife Curriculumガ(1936)にならって分現した and School もの。.
(6) 40. 田. 第1図. 代. 元. 弥. 協同の生活機構における小都市の位置. ・(矢印は有力な影響の方向を示す)-L.A.. Cookによる. の点をクニyクは小都市の場合を想定して,第1図によって説明している。 わか国における過去の実績からいえば,全般的傾向としては,大都市における問題と実 態,地方農・山・漁村のいずれかについての調査,炭坑・へき地・観光地その他特定地域. における問題をめぐる研究等がある。なかんずく漁・山村を対象とした大分県教育研究所 の調査研究は,その立場の決定18)および課題設定のしかたに特色を発揮した。 実態調査がひろく行われるにつれて,その研究規模は拡大していった.すなわち広域社. 会一一般にわたる作業がすすみ,かつそのなかで作業の分化,分担作業の共同化がほかられ るようになった。 §4. 地域社会への接近. すでに第2節においてのべたように,わが国戦後教育界が地域社会に目をつけるように なったのは,カリキュラム構成運動とくに社会科を中心とする地域教育計画立案を行う過 程14)と,もうひとつは,■. PTAの組織化にともなって地域(学区)の成人教育の必要なら. びに学校経営に関して構想されたコミュニティースクール運動が中心となっていた。 しかしながら,人口が過剰で土地が狭いわが国においては,小地域の独立性,自立性は きわめて弱い。にもかかわらず,学校を中心とする地域社会のおさえかたは,伝統的に,. あるいは行政(事務)的に規定された-小区画からぬけ出すことが困難な状況にある。そ のことが結果として教育関係者の地域社会に対する理解をあいまいにしたきらいがある。 すなわち,便宜上定められた区域を大した批判もなしにコミュニティーとみなしてしまっ. たのであって,それがひいては彼等の概念を漠然としたものにしてしまったともいえる。 このような事態15)に対して,直接教育社会学の手で,根本的にわが地方社会におけるコ と称した。大分県教育研究所:地 13)所員間ではこれを〟小学区主義・生活,歴史弁証法主義〃 域教育計画に関する基礎的研究(1956),同:漁村と教育(1954-55)参照。 ■明石プラン,福沢プラン,広島県豊田郡教 14)川口プラン,松江市教育立地計画,石和プラソ, 育計画等々その動きは昭和22-25年前後の時期に活況を望した。. 15)もちろん例外はあるo注14に出ている広島県の例は, -郡下をとらえている(もつとも実際 には本郷町を中心としてそこに集中している)o そのほか青森県北津軽郡下の全村学校運動, 神奈川県津久井郡の地域教育振興協議会組織もー郡を通ずるものであった..
(7) 41. 教育における地域社会について(1) ミュニティーの成立の条件をたしかめようとしたのが,. "学区の社会学的基礎"という. 1951年以来の共同研究(代表牧野異教授)である。その直接の対象をむけたのが,静岡県 富士郡であったので,この研究は,富士郡下の基本調査を通じて教育ならびにそれと関連. のある社会諸活動が地域的にはいかにかみ合うかを明らかにすることに集中したのであ る。富士郡を研究怒域に選んだ理由のなかには,共同研究に参加したわれわれ研究者の勤. 務場所との距離も若干考慮されていることは事実であるが,巨大都市(東京・名古屋・大 阪等)にあまり近接していないこと,産業構成や交通文化事情があまり単純でないこと, 研究上現地の協力が得やすいことを主として決定したものである。. 富士郡であると否とを問わず,学区設定に関連してとえられる地域は,義務教育の課程 においては比較的小さいのはいうまでもないが,一般に既設の学校を中心として区域を切 る慣行になっている。もちろんそれには歴史的な事情および住民の心理的なものがからん. でいるので,それらを全く無視することはできないけれども・われわれは教育慣行は一面 的事象としてそこに内在する必然性を除いてはそれにとらわれぬようにした。それととも に,教育外の条件の発見にかなりのカを注いだo社会学的研究としたのもそのような意味 をもっており,同時にこれは教育社会学研究の一環であることをしめしている。. 一部域を調査の対象とするする理由については,代表者牧野教授が,日本教育社会学会 第2回大会(1951年於京都・大阪両大学)の席上で説明したこの共同研究の仮説に関す る部分がこれを明らかにしている。 現在わが国でcommunity. scboolの運動を進めておいでの方々の中には,一にはわが国の復興. の最大課題の一つが経済的復興にあるためと,一つには恐らくその教育方針を・他からきわだって 特色あらしめるためだと存じますが,農業なら農業,ある榎の工業なら工業のみが盛んな単一産業 地帯の教育を諭ぜられる方が多いようでありますoしかし,これでは諸程の職業の人々が現在して いる地方の教育を諭ずるのには不便であり,その結果,地域社会学校というのは単一産業地帯だけ でしかできないものかというような疑問さえ起って参ります。. また,これも広い地域の共同動作ということが,必らずしも容易でないことに起因すると存じま すが,一つの村,一つの町,一つの学校を主にした教育が諭ぜられる場合が多いようでありますo. そして,これもすでに述べた単一産業地帯を選ぶということと関連をもっているでありましようo 私は熱心な教育者が,必らずしも他校との協力を必要とせぬ,小範囲でできる事業に挺身される その熱意に対しましては,心からの尊敬を捧げますoしかし,私はこれをノルマルな,どこにでも 通用する教育運動として日本全国に拡げるのには,強い疑惑を感ぜざるを得ないのでありますo 私のかかる単一産業適応主義に対しで快く第一の疑問は,わが国の現状において, は必らずしも恒久性をもっていないし,もつことを保証できないということでありますo. -地帯の昏業. (中略). 第二に,以上にも増してさらに重要なのは子供が必らずしも親の職業,あるいはその生れた土地 に優勢な職業に従事することを希望せず,また実際にも従事しないことでありますo人口がある地 域から他の地域へ,掛こ村落から者隅-移動する現象,すなわち人口の者晒集中の現象が起るのも 主として新らしい生活,新らしい職業を求めるからだと存じますo. (中略). 現在において,各県毎に大学がおかれていて最高の教育までを受けていることは,県をかかる (筆者注より広い基礎的な意味をもつ地域社会)単位として考えさせる有力な根拠になるとも考えられます.
(8) 42. 田、代. 元. 弥. が,一方,地方の実情を顧みるとき,県ではあまりに大きすぎて人民に親近する程度において遺憾 の点が少なくありません。 このように考えて参りますと,われわれの問題は,町村よりは大きく,県よりは小さい地域社会 で,教育を担うに足るようなものがわが国に存在するかo存在するとすれば如何なる内容,如何な る範囲をもっているかoまた如何なる方法によってそれを簡明に把撞できるかということになりま す。. 昨年来朝したアメリカの第2次教育使節団の勧告書に,高等学校を頭にいただく学区制というも のがあらわれているのは,主として技術的見地からでありましようが,しかし私の上述したような 見方と近いものをもっているでありましよう。私共が,学区という文字を研究題目に用いましたの はそれよりも寧ろ現在わが国に存在する高等学校の学区を意味したのであり,この環在の学区の問 題も除外祝するわけではありませんが,しかし,私共は学区という言葉を単に現制の高等学校の学 区だけの意味に解せず,いわば教育区のような意味にも解して,その底にすでに述べたような問題. をみながら進んでゆきたいと思うのであります16)0. 以上にしめされているように,教育区すなわち教育の組織や内容が地域社会と最も密着. し得るひろがり(中型社会と仮称)をもとめて,これを村や町と県との中間において富士 郡に適用してみたのである。. 16)日本教育社会学会編‥. 教育社会学の課題(1951). 68頁。.
(9) 教育における地域社会について(1) §5. 43. 郡域と地域社会. -郡を対象として研究をすすめる場合,予想される問題として,次のようなものを考え ていた。. (イ)村より大きく県よりは小さい地域的なまとまりは果して存在するか。. (ロ)存在するとすれば,果してどんな内容,どんな範囲をもっているか。・ (-)それを今回のように手数をかけずに,今後簡明につかまえるには,どうしたらよ いか。. (ニ)かかる地区社会において子供はいかに育つか。 (ホ)かかる地区社会にはいかなる教育的必要があるか。 (-)かかる地区社会にはいかなる教育施設があり,またあるべきか。 (ト)かかる中型地区社会が存在するとすれば,それは教育の目標樹立の下に果してい かなる意味をもっているか。 (チ)カリキュラム構成と中型地区社会との関係はどうか。. (リ)教育行政の面,教育財政の面で,かかる地区社会はいかなる意味をもつか。 (ヌ)教育に関連して,かかる地区社会は現状のままでよいか。これをいかなる方向へ か改造する必要はないか。この中にほ種々の施設や組織の創設模様替えを含む17'。 これらの問題を富士郡に適用するまえに,われわれは郡の実態にあたってみた。その手. 法は,前記歴史的変化の概観(町村の成立事情,衆落の移動・発展,維新前の餌治関係, 生業の変化,神社・寺院の沿革,村の共同財産の沿革・現状,兵乱・一挺,訴菰・争議, 天災・火災,疫病・飢亀 村の主要人物等)からはじめて,通婿圏,人口移軌韓買圏, 娯楽,請,方言分布範囲,風俗習慣・伝乱交通,通信,慶弔・贈答・貸借・面識範囲, 工業その他の産業の変化,教育施設(社会教育を含む)や方法,学卒者の進路,犯罪の積 弊・分布等について,施設・機関向け調査,抽出世帯に対するききとり・質問紙調査等を 重ねていった。それはあくまで中型社会の適用の可否についての基礎調査であったが,元 来中型社会の意義ほ否定されがちな傾向をとりつつあるので,とくにこの点に留意したも のである。牧野教授はこれについて次のように註釈をしている。 農村社会学者の意見によれば,わが国の農村におい七もつとも力強い基本的な社会集団は徳川時 代の旧村の名残りで,現在部落あるいは大字などとよばれている所のものでありますoそして明治 時代になって,これら数個の旧村が合併せられて現在の行政村となりましたoこの行政村も最初は 機械的な集合にすぎなかったのが, i-れを単位として稜々の事業,殊に中央政府の企画より発する 隆々事業が行なわれ,中でも教育が行政村単位に行なわれることが多かった結果,次第に社会的な 集団としての性格を具えてきましたoレナれどもまだまだ社会的集団としての力は徳川時代の旧村の 名残りである部落あるいは大字の結合度には造かにおよばないものがあるoそして行政村をこえて さらに大きい社会集団のごときは,全然ないとはいわれないにしても,殆んど問題とならない位弱 いものであるoこれがわが国の社会学において常識とされている所でありますo 実を申しますと,私は久しい以前からこの説について疑問をもって参りました。明治以前には村. 17)前掲書ニ76』貢..
(10) 44. 田. 代. 元. 弥. 落は殆んど封鎖的で自給自足的であったということはよくいわれることでございますが,私はこれ は疑わしいと思うのであります.私の知っている所では,東洋の稲作りの民族では,ボルネオやス. マトラなどの比較的におくれた地方でも,村すなわちvillageの上に,地方すなわちdistrictと いわれるものがあって,これがもつとも重要な政治的・社会的単位をなしています。またビルマや. 安南などでも村落は決して自給自足的ではなく,あちらの村は土器作りが得意,この村には鍛冶屋 が多い--というように,それぞれに得意なものがあって相互に補完しております。. (中略)日本. でも最古の記録たる魂忘倭人伝に,すでに交易や市のことがはつきり出ております。国や郡という ようなものが甚だ古くから文献に出てくることも,また村だけが社会単位でなかったことを示して. います○殊に郡は,常陸風土記などによれば,古くは新治・筑波など今の郡に相当するものが国と 呼ばれたといいますし,また養老令によれば郡の長である大領少額にはなるべく従来の国造を任命 するとあって,さらに古い時代の国に相当するもつとも古く重要な地域団体であったようでありま す18)0. これら一般的な地域拡大ならびに相互補完の動向は,. 20世紀後半に入るにおよんで加 速度的にふくらみつつあることは明白であって,この傾向にしたがえば,早晩現在の都 府県が将来はいまの郡くらいの意味しかとり得ず,郡域が町村程度にしかみられない時期 もくるであろう。コミュニケ-ショソ手段の発達はそれを裏付けるものである。しかしそ の場合には,県を郡に,郡を町村に読み替えればよいわけで,必要とあれば道州制を県に かえて実現させればよい。そこにはたらく原理(principle)は同じである。 さて以上のような考慮があって,数次にわたる現地研究の期間に,面接はもとより,過. 勤・通学定期券,普通乗車券の行先別発行数,市外電話方向別頻度,バス路線および回数 等数i占二的にとらえられる資料収集の手段を駆使して現状の把撞につとめた.富士郡の調査 の過程において明らかになったことは,いろいろあるが,まず指摘すべきことは,かりに. 郡を中型社会として規定しても,それはある土地を中核としてなりたつ一重構造とみなす ことは困難であるということであるoこの郡下は県の行政上は1地方事務所,. 1教育事務. 所によって管理されているoしかし,郡内の動きは,富士宮・青原・富士(現在いずれも 市制施行)の三地点によ-てそれぞれある程度のまとまりをしめしている。したがって, 郡の中心は一点に集中せず,三角形の三鳳氏を中心にして,いわば三重構造をなしている ことがわかるoしかも,この三頂点は高等学校のほか.一般教員の教育・研修・連絡・共. 同の芯に相当し,またそれぞれ商・工業,消費・娯楽等のセンターともなっている。とい うことは,三市がそれぞれあらゆる社会生活の基本的必要内容を具備して周辺地区をかか. えて独立性を発揮する七はいたらず,相補相関しつつ郡内の動きに関係をし,存立してい るということである。 したがって内外双方の要件をみたすための中型社会の構造は.やはり郡の範囲に比重が. かかり,内部的には三頂点の役割が目立つということになった。ただし三小都市が果し得 る役割はある程度制約をされているoすなわち婚礼の道具等の購入には,多くのものが清. 水市もしくは沼津市まで足をのばしているoこの例からも判断できるように,在来の地域 18)前掲苔73頁。.
(11) 45. 教育における地域社会について(1). 住民の生活要求の水準を超えるか否かによって,地域の白足性の限界-ひいて行動なら びに交渉範囲の伸縮が異なってあらわれてくる。換言すれば,中型社会の特長は閉鎖的で なく,内部も流動的であるということになる。この際経済的要因19'の変動が,流動のすが たをかえるのに強くはたらくことは明らかである。 ⅠⅠⅠ地域社会の変動 §6. 人為的変化. 前節で指摘したように,今日の地域社会についての理解は動的位相においてとらえるこ とを必須要件とするようになっている。次の第3図20'にあらわれているように,デリ-市 の場合,. 19世紀の100年間から20世紀に入るにおよんで,その市域は5倍以上にふく. らくんでいる。もっとも,デリーは,インド共和国独立後それに膚接して新首都(ニュー デリー)の建設につとめたので,いわば特殊事例ということになるけれども,なお第4図 と合わせてみるとo人口の2倍増(蔵前一戦後比)に対して市域の5倍増というところに 人為的条件の大きさがはっきり出ている。政治・経済・文化等の外因によって,郡市デリ -は急激な変貌をとげたのである。もし,このような時期に,適切な都市計画が樹立され. ず,住民(転入者)の悪意や思惑にまかせておいたならば,おそらくこの首都は政府の庁. イソド政府科学館(Vigyan. Bhawan)屋上より公務. 員宿舎をとおして官庁街をのぞむ。その間樹木と泉 水と花壇を配した華麗な町づくりがなされているo. 19)青森県の五所川原市に行くと,駅前のメイソスト1)-トに動力農機具のメーカー特約店が軒 並みに新装して大きな店舗をかまえている。おそらく農村機械化の流行前(といってもここ 2-3年以前)には,このような動きはなかったであろう。つまりオ-トバイを買うために は,この市や郡下の住民は弘前もしくは青森市-出向く必要があったであろうo 軽郡(五所川原市域を含む)内における需給関係の伸張によって購買販売のagenCyが新た. それは北津. に内部へもち込まれ,この点に関しては,外部地域との関係が急変したものと解せられるo 20)以下イソド,新・旧デリーに関する資料は主としてボソベイ大学の社会学叢書第7冊,都市 社会学研究(Bopegamage,. A:. Delhi,. 1957)によっているo.
(12) 46. 田. 代. 元. 弥. 舎が配置されている一郭(行政センター)を除いては,雑然たる状況を呈したであろうこ とは想像に難くない。それはデリーという150万に達しようとする大都市のうち,西暦紀 元前数百年の頃に遡る歴史を有する旧デリー部と第2次大戦後の経営に負うところが多い 新デリー部との自然的・文化的くみ立ての相違によってたしかめられることでもあるo. 最近わが国においても,大都市における機能の麻棒状態から,窮余の策としてとなえら れはじめた官庁の移転すなわち新首都建設案があり,さらに国土計画や地方開発の要請に. もとづく広域都市(建設省関係)および基幹都市(自治省関係)の構想が新聞紙上にあら われるようになっている。もっとも,その間にほ行政・商業をふくむビズネスセンター移 転よりも,安上がりできこえのよい大学分散論などもあって,日本の現状はまだ本格的な "まちづくり". "国づくり"の段階に入ったとはいえないが,いずれにしても自然発生的で. かつ任意的に拡大し密集した都市のいとなみが飽和状態に達して,何らかの公共的な施策 によらなければ動脈硬化症状をきたすにいたった地域が多いことは明らかな事実である。.
(13) 教育における地域社会について(1). 47.
(14) 刀. 代. 元. 蘇. 注)第3-9図(5図を除く)は,本稿45頁注20より,変動要因の 図式的把握の事例(デリー市の場合)として引用したものである。.
(15) 教育における地域社会について(1). 49.
(16) 50. 田. 代. 元. 弥. 左に写した地域開発プラン の基礎調査は,その後具体化 の度を加えており,. 37年に入. るや,これはさらにブロック 別の作業が追加されて,行政 面における地方改善の方途に. 急速な進歩のあとがみられ る。. 一方,国全体の人口増加率はそれほど高くもないのに,大都市に極度の人口集中をきた した裏がえしとして,農山村の人口減少過程はますます顕著にあらわれつつある(漁村は 戟業生晴,民俗ともに保守的であり.閉鎖的であるので,ここでは農山村とは区別してお. く)。日常生活の必要(個々の直接的な)をみたすのに都市社会の方に利便が多いことはい うまでもないが21),元来都市はその背後地backgroundに依存し,そのたすけによって成 立するものであるから,農村地域の消長,安定動揺の如何は,その農村の問題であるばか. りでなく,その凝集区域ともいうべき都市としても無関心ではいられないことがらになっ ている。. 経済的に好況期に際会すると,無限に労働力-の要求が高まって,農村人口を貴欲に吸. 収した都市が,いったん不況になると,そこで生じた余剰人口を農LLl村へはき出して生存 をはかった時代は過去のものとなっている。今日でほ,かってのように農村が余剰人口の ふきだまり.(プール)であった時期とは異なり,現政府の政策にもあるごとく農山漁村の 21)現在国会議員選挙における各区定数の偏向(アソバラソス)が目立っていることからしても, かなり恒久的な移住がおこなわれていることがわかる。.
(17) 51. 教育における地域社会について(1). 人口を基準年(1960年)の60-40%におとして,それを常態とし,余剰の人口を第一次 産業以外に酉己置するのが当然と考えられるようになったというのも,これからは都市が人 口の調整池にならざるを得ないことを示唆している。したがって安定を欠いた都市人口 は,東京の山谷その他,大阪の通称釜ケ崎等を代表とするスラムに落ち込み,泥沼の生活 を余儀なくさせられる結果しかないことになる。このような意味合いからしても,地域柾. 会の性格や動向をみるのに,現実に人間がいかに考え,いかに変えようとしているか,そ してその変化をきたすいとなみは実際にどのようにあらわれつつあるかをとらえることに 注意が向けられなければならなくなっているのである。 §7. 地域の社会力. 地域社会の変動には,人為的な要因が強くはたらいているのが今日的な傾向の主潮流で あるといったが,しかしそのことは,自然的な素因を無視しようとしていい出したのでは ない。いかに大きく,かつ多くの人為的な動因をくり出してきても,それをささえる自然 条件がかみ合ってこなければ,その動きは進展しない。すなわち,ただ機械的な操作によ. って,多くの人間を-ケ所に集中しても,それだけで都市は成立しない。住民の家庭生 括・職業生活の必要をみたすために,その土地が物質的水準においてどれだけすぐれ;豊 富であるかを調べてみなければならない。例えば温泉が湧出することは,その土地にとっ ては何ものにも代え難い財産であり,さらに開発をはかるときの資源である。それによっ て保養観光地としての開発が可能になり,その貿源を活用して他地域にまでそのサービス を拡大することができるようになる。 同様に,製造・加工業の場合をとってみても,原料が近くで安価に得られるかどうか は,その土地の将来を卜する重要な手がりとなるであろう。もとより交通輸送の便がつけ. ば,必ずしも隣接地に資源の供給元がなければならないとはいえないが,反対に今日では 原料を遠方の単一地帯に供給させて,加工は大都市の域内でおこなう必然性もなくなりつ つある。要はギブアンドテイクの関係できまるのであるが,そうしたことがらから,地域. の外縁はひろがり,また,階層や文化のあらわれにも変動がおこってくる。そのような動 需給関係のバランス設定,他地域との協九 教育の基本計画に きにとって土地の生産九 いたるまで程々の特長があらわれることにもなる。. 教育社会学では,一般に上述したような諸点をあげて地域の課題にとりくんでいくため force)の本質にふれようとする努力がなされる。社会力ほ教育を社 にも,社会力(social 会の板木機能の一つとみなす立場からすれば,一定の地域社会において生晴をいとなむ住 民の形成にとって最も有力なエネルギー源であるとも解せられている。それがなければ, 教育を社会の所産としてうけとることがきわめて表面的,形式的になるおそれがある。社 会カほその名がしめすごとく,.人間がつくりあげている社会が具体的な活動をおこすとき にあらわれるはたらきであるが,その場合の社会とは物質・制度・精神の各側面を総合し て考えるも甲であり,そのゆえに社会力は,そのよって立つ基盤における諸要因(物的環 境要因をふくむ)に関係をもつものである。 教育との関連において社会力を正面から解明した文献ほあまり多くないが,. E・G・. 01sen.
(18) 52. 田. 代. 元. 弥. が教育社会学の役割を論じたところ22)で,個人の社会化に役立つ諸因,作用とならんで, 影響力(in月.uence)をあげているのは,社会に本来そのような作用があることを前提とし て考えている証拠とみられ,また,社会の構造を究明していく過程において,大衆社会へ. はたらきかける影響力の代表として汎コミュニティー(pan-COmmunity)なる様態をとり あげているものもある23)0. ただし社会力なるものは,それを無条件に教育的に用いらるべきであるとする楽観論は とらない。教育の包括的な性格決定の作業を社会の相互作用のなかでおこなうことは,敬 育社会学の通念として認められているところであるが,その場合でもそれは受身の教育を 意味しているのではない。意図的・能動的な形成作用はもちろん,無意識的形成またはマ. イナス(価値始に)の作用もやがてはこれをプラスの面にきりかえていく刺激ともなり, 動機ともなる。その相互作用そのものが,本来一面的ではなく,諸形相の複合のかたちを とっている。. さらに地域社会は歴史的にも,あるいは精神的にもある理想(価値)をえがき出し,そ の実現をはかろうとするはたらきを内包している。具体的には,その地域における指導者. 層の考えかたによって変更が加ネられるが,いかなる指導者でも,何らかの理想にむかう いとなみをしないものはない。それによってのみ多数の地域構成員をひきつけ,誘導する ことができるからである.しかし地域社会の成員が増加すればするほど作用のしかたは鮎 雑になる。一時点においてみられる大衆の興味・刺激-の反応,態度の決定には,多様性. がある。そのあいだには流行現象のように,暗示にかかり模倣にはしって一時的にある方 局-極度の傾斜をしめすことも少なくないが,結局は-一種の制御(control)作用がはたら き出して次の局面へとすすんでいく。しかもそのような場合においても,地域のなかに 描,種々の振幅と偏差があらわれるのがふつうである。このように,地域社会の力につい て考え,あるいはそのよのような力を表面化し,組織化するには,いかなるときとところ においても,多くの条件や因子の存在を前提においてみなければならない。今日,地域柾 会を動的に多様性をもって理解しなければならないといわれるのは,作用面からしても当 然のことと思われるのである。 その場合でも社会力は,人と物の両面のからみ合いをもってあらわれることはいう、まで もない。地域を物質的な価値のみによって判断することは適当でない。教育情動が伝統的 にさかんな地方が,物質的にはめぐまれなし「ところに多いのはその証左である.一般的に. 社会活動(機能),成員の到達水準(意識)あるいは人. いって,社会力は経済(生産)九. 間関係等によって,あらわれかた,強さ,効果を異にーし,結果として教育の必要(needs) をかえるもとになる。 22). Rivlin,. H・. N・. (ed):. Encyclopedia. of. Modern. Education. (1943), Educational. Sociology. の項o 23)例. Nelson,. L.. and. others:. 〔後注〕現代社会における. Social. Structure. and. Change,. 1960.. と他の文化変様をひきおこす社会内諸要因との間の動的 1953では次のよう and Society, (同書49頁)一次真上段-. 相互作用のあらわれをOttaway, に図示している。. Community force. A.K.C.のEducation.
(19) 教育における地域社会について(1) VALUES. TECHNIQUES Macbines lnventions Communications Economic system. *. 外債 者面 技直 はにす. etc.. FORCES. 例価を 合び果 場よ効. /. こ術接. SOCIAL. のおの. etc.. Beliefs Moral attitudes Pbilosopbies Political ideologies. しめ. しかし文化の上に. ○も. たらされる結果は, 社会力のはたらきを. Economic Political Religious Social Status. とおして決まると説 明している。. etc.. Exceptional. lndividuals*. また諸変化を生ぜしめる要因がいかなる循環をなして社会の動きを方向づ古ナ,かつ力. ㌧動的な相互作用を営むかについて次のような図解をしている. (同書52頁) VALUES. TECHNIQUES. 貫こ ア. L{ SOCIAL (including. FORCES. individuals). ‡. SOCIAL. NEEDS. I. CULTURAL. §8. 向用‖. ニ. tedency. 一◆-相互作用. ADAPTATION. and. EDUCATIONAL. 円川川ⅦⅦt一旧Ⅷ相川U I 変 ′1レuす る 方. interaction. " u. CHANGE. 地域編成の計画. 軍隊はただ人間と兵器をかりあつめても,それだけでは成立しない。大きな国家目的に. よって方向があたえられ,もの(装備)の多少優如こよって活動の可能性が判断せられ, さらに兵員の意識能力によって適当な編成(体制づくり)がなされてはじめて戦力をもつ グループとして規定されることになる.地域社会の本当の編成も手続上はこれと似ている. 点がある。日本における地域社会の原型は,ある時期に,頭目(指揮官)にひきいられた 生活能力(武器)をもつ部族(兵隊)の集団が,生活の発展をもとめて,それに適する土 地(自然的要件)を発見し,走者したところにあるといえる.したがって.長年月をそこ に定住し,世代を重ねてきた今日でほ,はじめのような目的意識の表面化はみられなくな っている。しかし,伝簸をたよりに祖先の行動・通産に接し,あるいは自然界の法則によ. って拘束されることにより,おのずからある文化の形態(cultural. pattern)を宿し,表現. しているのである。. 都市の勃興,伝達(communication)手段の発達ほ,個々の特長ある地域形態を刺激して, 変化をおこさせると同時に,等質化の作用を強めるにいたったが,それでも伝統が完全に.
(20) 54. 田. 元. 代. 弥. 抹消されない限り,地方性(locality)は残り,ノ容易には変改されないものがあることをし めすのである。このような保守性が,いい意味で,いい方の側にあらわれれば問題はな. いが,それが道になった場合にほ,きわめて大きい問題を損起する。しかも、,僅民の心性 (mentality)としては,いまよりも悪くはならないという意味で,この保守性にとらわれ やすい。かりに思惟のうえでは変る方がよいと考えられても,そこに決断をさまたげるは たらきが潜在する。それは限られた人間が,限られた時間内で酒動するときにぶつかる限 界でもある。 ある人間が,ある地域にうまれ,そこに住みついているということは,選択の余地を残. すとはいえ,かなり運命的な側面をもっている。それは主として物的条件(自然ないしは その利用による経営等)に関係するものであるが,それゆえに地域を改善し,発展させる (運命的な条件下においても)ことが,人間の必要としてまた欲求(期待)として考えられ ることになる。カ動的地域社会観ほ世紀の偉大なる所産であるといえる・が,・その動機は一. 方には技術の進歩があっ'たけれぎも,さらに物的条件さえも変えなければならぬ破目に人 間が立たされたことによると考えられる。そうした問題がいちじるしく表面化したのは, いうまでもなく,. 1920年代の終りから同30年代にかけての経済変動期であった。とくに. 物的条件を意識的に高度に清かしていた地域ほど,その依存率が高かっただ桝こ,生活の 土台を洗われ,困窮し,ひいては心理的な衝撃をこうむることも大きかった。こうなる と,心理的な立ちなおりを直接にはかることもたいせつであるが,その動機を作り,か. つ,目にみえた回復を策して,裏づけをかためる意味からも,物質生活の改進をはかる必 要にせまられたのであった.社会計画(soci早l planning)はこのような板木対策として, あらゆる必要を総合的に埋め合わせることをめざして考えられるようになったものであ る。それは,したがって,イデオロギッシュなものであるよりも,より物的であり,それ から引き出されたJ亡J理的特色をそなえていた。. アメリカにおける社会計画は,前記の1930年前後における社会的危機にさいしてその 意義をあきらかにした。全国的には〟ニュ-ディール"を看板とする国家計画としてあら われているが,ここでも,社会計画の真骨頂は地方社会のそれにおいてむしろ典型的なも のをみることができたものであった。国(連邦)においてなし得ること,なすべきことは, きわめて広範囲に共通な事象への方策であり,また公共的な意味で,地方の不均衡や食い ちがいの補充・調整であって社会計画の本質は,それに全成員ができるだけ直接的に参加 することにあるがゆえに,いきおい小地域社会に還元されなければ意味がないものになる のである。. 民主的な計画が社会生成上不可欠のものであることは,すでに諸家24)によって十分に論 24)例. Mannheim,. K・:. Diagnosis. Our. Time,. 1943-第1章における基本的考察,第2章 第4節における性格諭,第7章第2部第11節における方法論,にまずその先縦がもとめ of. The New Carr, E・H・: られ,ノそのほかにも ある。 もつともロソドソ大学からシカゴ大学に転じたF.. (隷従-の道,. 1944年)とみるものもいる。. Society, A.. 1951の(二)にもそれを指摘して. -イ-クのように計画化-独裁化.
(21) 55. 教育における地域社会について(1). 述されているので,ここでは再説することはしないが,まだ未解決の問題はある。すなわ ち自由で発展するような計画を,みずからはそうした経験を有しない民衆を基盤にしてう ちたてることが,はたしてできるかどうか。また計画そのものを,作文でなしに,実質的. に社会を変え,文化を進展させる力のあるものにするにはどうすればよいか等ということ である。 そこで,かりに計画の立案は若干の限られた専門家や代表者の手によってなされたとし. ても,それを多数の成員の理解(賛同)のもとに,建設的・実践的な場面にもち出す手順 がはっきりとしていなければならぬということになる。換言すれば,計画が,地域社会本 来の要求に正しく対応していることがまず必要であると考えられる。要するに,地域の課. 題に正対し,それに対してとりくむことから始めて,課題の解決への明確な方向づけをお こない,解決のための活動を推進するものでなければならない。. 第二次大戦後の教育は,上述のような社会科学の認識のしかたに影響されて地域社会を 基調とする生晴教育の設計への意欲をしめした。わが国の場合,直接的には社会科を中核 とするカリキュラム構成運動とその展開方法の研究をめぐって,地域社会への接近をとり あげる傾向が目立っていたことは,すでに述べたとおりであるが,動機は如何にあれ,敬 育と地域社会との関連を,新たな角度から考えなおすようになったことはひとつの進歩で ある。そ・して日常実践の過程においても,. E.G.. 01senの学校を社会から孤立させないた. bridges)などに示唆をうけて,そのいくつかを 糾こ相互間にかけ嘩される十の橋25'(ten カリキュラム展開方法としてとりあげてみるというような動きをしめした。 このような積極的な運動がほどなく下火になった理由としては,その総合的理念である. コミュニティースクールについて.当事者たる日本の教師がよく性格を理解しない(でき ない)でとおってしまったということがあげられる.コミュニテ-スクールの特質につい ては,. 1948年にウィスコソシソ州マディスソにおいて開かれた教育行政研究者全国会読. において,要旨次のような規定をおこなっている。 コミ. ュニティースクールは--. 1)地域社会生晴を改善しようとする共通目的のために家庭における主要な機能の単位 としてたえず活動しようとするものである。. 2)地域社会にあるところの必要と活動のプログラムを一致させるためにつねに市民と 責任をわけもつ。. 3)学校と直結する環境においてよりよき生酒を保証することをまっ先にする。 4)そのカリキュラムは,みずからの目的を実現しやすくするためにわかりやすく柔軟 性に富んでいる。 25). sources,. Surveys,. trips, ences.. -01sen: 1949. Interviews,. Field Resource visitors, materials, Work Service camping, experi・ studies, School projects, Community (さらにPublic relations, coordinationが考えられる) School Community, 1945および Scbool Community Programs, and and. Documentary. より-. Audio一Visual. Extended丘eld.
(22) 56. 田. 代. 元. 弥. 5)学校プログラムほさしせま-た地域の必要に見合うた糾こ動的に,つねに変化する ものである。. 6)学習経験をみた糾こ,あらゆる地域の賃料を活周するo 7)教材教具の特長をのばし,利用する。 8)地域の金成員が適当な学習経験の機会を受けられるように,他の関係機関と敵力し 責任を分担する。 9)個人の成長発達のしるしとして,社会的行動の改善を考える。 10)生徒・教師・行政官に対し,生酒の質に関して学校の全プログラムおよびコミュニ ティーの継続的評価をすすめる。 ll)生徒個々のサービスは地域社会の必要と関連させて協同的に展開される. 12)あきらかな目的に貢献しうるように養成された職員,有効な勤務に資する設備をお き,またたえずメンバー相互に専門家としての成長に留意し,かつ学校教育の目的 を達成しようとつとめる各人のやりかたをのみ支持する。. 13)民主的生徒一教師一管理者相互の関係が育つように支援する。 14)地域生酒を発展させるた糾こ,よい学校が果すであろうと期待される場面(situation)を創造し活動をする。. 15)校舎・備品・運動場の設計・施工にあたっては,地域で生酒している児竜・青年 ・成人のうちで,学校以外の機関によっては生晴への準備が適切になされていない 対象に役立つように造られ,利用される。 16)のぞましい社会生活をめぎしていると誰でもが認めるような学校計画を実現させる. ように計算的に予算措置を講ずる。 およそ以上のような考慮にもとづいてコミュニティ-スクールを成り立たせ,地域の教 育化をはかろうとするのが,そのねらいである。 しかしながら地域社会の住民に影響を与え,全体の進歩改善を促す作周はただ,教育だ 桝ここれを求めるべきではない。これからの教育は今後あらゆる位相,あらゆる機会に浸 透していかなければならないし,それが地域の教育的編成の意味なのであるが,教育だけ の力ですべての課題を完全に解決し得るとはいえない。したがって教育は社会の諸機能と ともに統一(coordinate)され,総合された計画のもとにその適当な位置をみいだすこと になる。. 地域振興(改造)の総合プログラムは,大ほ国家計画から,小は-市町村の地区総合建 設計画にいたるまで種々の規模においてみられるが,わが国においては,まだその枠組作. 莱(frame. work)をはじめたばかりの状態が多い。それに比べると,イギリスをはじめ新 Town)"計画(project)とその展開は,. 興諸国家にひろまっている"ニュータウン(New. かならず福祉と教育のプロジュクトを先行させつつも,政治・経済・文化・レクリェ-シ. ョソ・公衆衛生・保安・交通通信等の一体となったプログラムを有し,かつ公共的である 点で,注目すべき構案(planning)であり,実験(experiment)である。 初期の社会計画から今日の総合計画まで,本質にはかわりがないとしても,地域社会の.
(23) 57. 教育における地域社会について(1). 第11図. 第10国. NEW. CITY. YORK. 英国における. ニュ-タウソ配置状況. 第12図. ニューヨーク市. ブロソクス・パークコミ. ュニティー概観図 プロソクス公園コミュニティ-は,ニュ-ヨー. ク市の北部地区に所属し,人口14万余のゾ-ソ である。ここでコロソビア大学教育学部の若手教. 育行政研究所員が中心となつで研究調査をした報 告が,同大学からCommunity. Action. for. Edu-. 1953 として出版されている。 研究のねらいは王 大ニュ←ヨ←クの郡市拡散 (decentralization)の傾向にともなって,この周. cation,. 辺地区の学校への影響がいかにあらわれるか,成 人教育はいかに計画さるべきか等を調べるにあつ. たが,同時に,より生産的な学校,社会協調関係 はいかなる構想(design)をえがくかをあきらか にするところにおかれていた.. 研究の手順は,この人口急増地帯におけるセソ サスをはじめとして形態学的把撞の作業を克明に おこない,あわせて住民の意識調査にもおよんで いるが,学校の必要に関するセソサス(説明省略) から次の三点を引き出している。. 1.この大都会に包含されるコミュニティーの住民は,地区の学校の問題に対して深い関心をもつ ている。. 2.その関心は建物のような最もわかりやすい問題だけでなく,程々の重要な内面的な問題にも同 様におよんでいるo. 3.それらの問題を解決するのには,いくつかの段階を必要とする。その大部分は地区でとり組ん でいけるが,他は市もしくは国における処理を必要とする。.
(24) 58. 田. 代. 元. 弥. 具体性と即事性において進歩のあとが認められ,課題の一般化と包括度が増したことは明 らかである.. ⅠⅤ 地域教育プログラム. §9 地域教育の体制. 日本の特異の事象として・学校数育と社会教育の離反が指摘される。それがわが国近f-e 教育発足以来の歴史的事実であるだけに,その取は深い。学校教師のうちにほ,早くから. 社会教育の意義を認めているものがおり,なかにはそれを実践しているものもいる。にも かかわらず,その実践は大部分が中途で挫折し,あるいは自己矛盾におちいって立ち消え になっている。教育者の多くは意識的にあるいは無意識のうちに,いずれかの教育形態の なかにかくれてわが身をかばう習慣さえ?いているoおそらくこの現実を無視して教育の. 体制を論ずることはできないであろう。 しかしながら・地理的にもまた文化一般としても,従来のような基盤社会の構造観をも. -てしては・われわれが生宿する世界(環境)を理解し・そこへ入る(生きつづける)こ とが困敷こなってきた今日,教育のしくみがいまのままではやっていけないようになった ことに対して,目をつぶっているとすれば,それは教育そのものの否定になるであろう。 現に,地域の各層から教育に対して投げかけられる批判にはきびしいものがある。もちろ. ん素人の直観で物を言うのであるから,その批判が抽象的であり・,一面的であることは避 けられないが,高価な対価によって得られる教育の結果が生活に関して無力であり,価値 が低いと評価されるならば,部分的な進歩はあるとしても,全体としては教育が社会の動. きより後退していることになるoいかなる教育課題も・地域社会生活の現実と関連する学 習になっていかなければ,解決の方向や方途が生き生きとしたすがたでうかびあってくる. とほ考えられない。 もちろん,実質的・行動的な学習ができるようになるには,そのまえに,多くの教育の 課程を経ることが必要とされるoその意味で,いまやわが国の教育も,かたちのうえから 生涯教育にむかい,内容の側からすれば,生酒課題の掘り下げと日常の生活実践への投げ. 返しが必須のものとなってきたo全村教育運動を過去10年以上もつづけてきた青森県北 津軽郡-五所川原市をあわせた北五地方についてみると,このところ数年来,新中卒業 者のほとんど全員が離村する傾向になっているoつづいて一家の生業の中心である男子 (主人)が出稼ぎにいってしまって・農業をささえるものは婦女子だけというところまで きているoいまの農政では共同経営による局面打開が唯一の対策であるが,実際には共同. 経営は成り立たないというところで,生産をめぐる地域課題が表面化しているのである。 元来北郡地方は・琴冷鞄の単作に僅かの果樹園経営をプラスしたやりかたにたよっている ものが圧倒的に多いので,出稼ぎの収入の方が割り徳になる。そこで北地方は,自立の希. 望を放棄して他め地方に隷属するよりほかはないのかどうか,ここに地域の根本問題が出 てきたのであるo地域課題は,このように,その地域社会で食っていけるかどうかという. つきつめた問題としてあらわれる。人口が集中し,工場が立ちならんで,一見もはやこれ.
(25) 59. 教育における地域社会について(1) 第1表 目. 課. 標 l・. 題. 社会道徳を高. 雲台旨L9'l めるにはどうす ればよいか。. 村づくり. 2.青少年の教育. を振興するには どうすればよい か。. 具. 目. 体. 標. 1.基本的人権め尊重はどうあるべきか。 2.地域の現実にたつカリキュラムは,どのように改善さるべき か。. 3.学習をとおして村づくりの意識づ桝も. どうあるべきか。. 4.生活力としての基礎学力の理論と実践はどうあるべきか。 5.青少年の文化は,どのように推進すべきか。. 3.生産を高める には,どうすれ ばよいか。 4.. 北五全村教育運動目標. 生活はどのよ に改善さるべ. t 喜. か。. l5. 家庭におレナる 人間関係は,ど うあるべきか。. 6.青年の生産生活を推進するにはどうすればよいか。 7.地域計画を推進する団体活動は,どうあればよいか。 8.生産教育計画とその実践は,どうあればよいか。 9.岩木川流域地方における産業経済の現状と将来は,どうある べきか。. 10.健康の保持増進のた捌こ,生活はどのように改善さるべきかo. ll.消費生活から生産生活に改革するにtj:,どうすればよいか。 12.家族会議の持ち方は,どうあればよいか。. 基本. 目標. みんなが力をあわせ地域の教育を高めよう。. 主題. わたくしたちの町や村は,どのように変わりつつあるか,問題を捻りさげようo. 問題の領域. 教育の問題. 3.生産と経済の問題. 文化の問題. 4.生活改善の問題. 5・人間関係の問題. 以上の変化はあり得ないと思われるものでも,潜在的な問題は無数にある。そして,その 解決にむかって歩みはじめたとき,何らかの意味や,かたちで学習はなされるようになっ. ている。しかし当面する生酒課題を解決の方向へむけようとするとき,それには各方面か らの助力や援助,協力が必要となる。主婦の農業生酒を緩和するために,耕うん機や潅概 用モータ-ポンプを共同購入するように奨励する。ところが,いまの主婦ほしばしば共同. ということが理解できないか,または機械化に抵抗を感じるのか逃げ腰になる。極端に家 計をきりつめて,農業協同組合にはかなりの貯金を預け入れているものが共同によるむだ の排除と,合理的な身体の使用にはふみきれない。. このようなひとつの事例をみてきて,さてそれを変えていこうとすれば,ひとつには根 本的な頭のきりかえのための教育が浮びあがるし,また直接生産面での学習も必要であり, また身体力のほうから衛生保持のための知識と行動とが考えられるようになる。しかもそ れは,昔の経験や伝鄭こよってみたされるものではない。地域社会生括の課題は総合され た力と内容,実践と研究のむすびつきを組織立てて地域情動のプログラムにもち込むより ほかはないのである。. 学校教育が基礎教育にまず直接の責任をとろうとするのに対して,社会教育の側におい てほ,最初から生酒課題にとりくむのが役割であるところから,全面的な問題処理のしくみ に注目せぎるを得なくなった。総合社会教育が唱導され,その計画立案に多くの協力者を. 得て,通常教育とはよばれない額域と一本でも多くの糸をつなごうと試みるようになった.
(26) 60. 田. 代. 元. 弥. 左掲写真の三好 村民実践綱領は, 五所川原市岡地区. 農協を中心とする 全村教育活動の方 向をしめすもので ある。(同農協事務. 所所見。)なおこの 事務所内には教育 文庫が設けられて いる。.
(27) 教育における地域社会について(1). 61. 原因もここにあると考える。 §10. 教育実践をめぐる問題. 地域社会における生酒を基盤をおいて,具体的・直接的に,地域多数住民共通の課題を 考える必要にせまられたとき,総合教育に関する認識は高まった。しかし,観念的には理. 解ができ,認識をされても,実際に教育のプログラムを展開しようとすると,たちまち多 くの障害にぶつかるのである。. それは,まず地域社会という名で一般に考えられているも)のが,甚だ抽象的であって, 現実に白分の生酒をささえ,改善していくさいの動力源であるとは思われていないことも. ー困であるが,家族集団(家庭)に権威を感じ,あるいは安定しようとするような慣習の のこっているところでは,いまや家庭さえも人間形成に失敗している事例が多いのに,普. して多衆が集合して便宜上近接しあってくらしているあいだに,価値あり力あるものが出 てくるとは信ぜられないといった気持であろう。それからまた,いまのわが国では変化を もたらすものには恐怖を感ずる傾向がみられる。部落体制がそれに拍車をかける。 さらに,教育と生活とは別のもので,生酒を直接学習するというのはピントの合わない 映像のようなものであると思い込んでいるものもいる。そのうえ,教育者のほうに,あま. り複雑で横にひろがりすぎると扱いiこくくなるという先入主があった。日本の公務員の絶 張り根性の強さは論外として,道に当然担うべきしごとも避けて通るという弊風があるの. を,教師までが真似ているような傾向も認められる。 このような原因が重なって,結合数育のかけ声は弱まり,衰弱しつつある。しかし,雲. の上の教育にあこがれて,足もとの大地を見誤まり,地面から足をはなしてしまった教 育,板を地中にのばしていない教育は生命力を欠き,まもなく枯死するであろう。そうし たわかりやすい原則を忘れているところに教育の無力があらわれ,信蹟されないものにな る。実践のプログラムはそのような信用の回復だと思ってよいであろう。 総合教育は生晴の困難な事態をなくすためのきわめて親近性に富む内容を,社会の諸機 関の活動も,民間有志の動きもなるべくあらゆるものを扇虫合させて有効な学習にもってい き,学習の結果をたしかめるための指標であり,動機づけである。 だから,一定のコミュニティーとみなされている地方においても,内部の細かい点のう えでの相違は,当然みとめられる。しかもその間に共通の性格をもった問題は,これをあ わせて,次第に広域の問題にあつめていくことにより,それらの問題をとりあげ解決の方 へむけていくために適当な計画を立てた.のが総合社会教育計画である。次頁にしめすのは. 青森県北五地方が三小地区に分れて問題発見とその確認の集会を開いた,その記録の抜す いである。 ところで,地域教育に関連して,村づくり,町づくり運動が各地でおこなわれているこ. とに注意をしてみよう。これも行政上は,新農山漁村建設対策として,農林省が農村のテ コ入れのかたちでおしつけている場合,町村合併のあとしまつとして自活力を増すための 措置(自治省)等に分れ,また人によって意味や重点領域が異なってくる。しかも行政 (命令)系統がいくつにも分れているために,地域振興といいながら,その成果はあがっ.
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(注)
社会教育は、 1949 (昭和 24