Title
復帰後の沖縄の政治−軍用地問題を通してみた復帰後の
政治潮流
Author(s)
仲地, 清
Citation
名桜大学紀要 = THE MEIO UNIVERSITY BULLETIN(1): 9
-17
Issue Date
1995-08-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/8547
復帰後の沖縄の政治一軍用地問題を通してみた復帰後の政治潮流
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nawa
KiyoshiNakachi
要
約
沖縄 は1992年5月15日で、復帰20周年 を迎 えた。復帰前、沖縄県民 は日本国憲法の完全適用、サ ンフラ ンシスコ平和条約第三条の撤廃、 日米安保条約の廃止、基地の全面撤去 をスローガ ンに闘 って きた。 しか しなが ら、1971年の沖縄返還協定 は、 日米安保条約の適用 を沖縄 にも広 げることで、米軍基地がそのまま 残 ったままの復帰 になった。 軍用地問題 を分析するフレームワー クとして、(1)一体推進派、(2)普遍主張派、(3)現状維持派 を設定 して、 その中に、軍用地問題 に関連する諸団体 を当てはめた。 そして、それぞれの団体 の歴史、意見、 さらに沖 縄県土地収容委員会の採決内容、那覇市軍用地違憲訴訟の判決内容の分析の結果、復帰後の政治運動の特 徴 は次の三つにまとめ られ る。(1)一体化推進の力が増 して きたO(
2
)
普遍主張派 は規模 こそ小 さいが、復帰 前の沖縄県民の主張 を引 き継 いでいる。普遍主張派が存在 し続 けること沖縄政治の特徴 である。(
3
)
三つの 派、一体化推進派、普遍主張派、現状維持派の存在 は政治のあ らゆる事象で見 られ る。三つの派 は対立、 協力 し合いなが ら共存するだろう。 AbstractThispaperanalyzesthecharacteristicsofthepoliticalmovementinOkinawaaftertheReversion byexami ningmi litar'ylandissues.DuringtheReversionera,theOkinawanpeoplecampaignedto completelyapplytheJapaneseconstitutiontoOkinawa,tocancelArticleIIIoftheSamFrancisco PeaceTreatyandeventuallytoremovetheU.S.militarybasesfrom Okinawa.However,although OkinawadidreturnunderJapaneseconstitution,theU.S.militarybasesremainedduetoJapan-U.S. MutualDefenseTreaty. OkinawanpeoplediscoveredagapbetweenPre-Reversiondeemedand PosトReversionreality.Undersuchpoliticalcircumstances,therearethreepoliticalgroupsexsisted: (1)ThoseseekingtocooperatewithandpromototheJapanesegovernment;(2)Agrouprepresenting thecollectiveideasofthereversionmovementand(3)Thoseseekingtokeepthestatusquo.
1
.は じめに
沖縄 は1992年5月15日で, 日本復帰満20周年 を迎 え た。復帰前 と復帰後の政治潮流が どう変化 したかを研 究することは必要かつ興味あるテーマである。 しか しなが ら,復帰後の沖縄 の政治研究 はほ とん ど なされていない。 さきに琉球大学の島袋邦教授が編集 した F論集 ・沖縄 の政治 と社会』 (ひるぎ社,1989年) があるが, まだまだ客観性の伴 った論文の成果 は少な い。復帰前,沖縄問題 は本土お よび国外の多 くの研究 者が取 り組んでいたが,復帰後 は少な くなった。 沖縄 の政治研究の困難 さは沖縄 の中で問われている 政治問題が鋭意 な課題 を含んでいるか らである。た と えば,平和問題, 日米安全保障条約存続の問題,主権 国家の問題, 自然保護問題等の厳 しい課題 である。 ま た政治現象 は常 に流動的であるので客観的資料 の収集 と判断がむずか しいか らである。仲 地
2.
論文のテーマ
この論文のテーマ は軍用地問題 を通 してみた復帰後 の政治潮流である。全国に米軍基地が138施設(96.766 ヘ クタール)ある。その内,沖縄県内に45施設(25.026 ヘ クタール)あ り, これ は全国の25.9%にあたる。米 軍専用基地のみに限ってみる と,全国の米軍専用施設 は105施設 (32.475ヘ クタール)で, その内,沖縄県内 に43施設(24.239ヘクタール)あ り,これは全国の74.6% にあたる。(1)このように,全国の四分の三の米軍施設が, 狭い沖縄 にあることが演習 による被害, 自然破壊,都 市計画の障害 を生んでいる。 1972年の復帰以後,沖縄 の施政権が米軍か ら日本政 府へ移 り,基地問題の矛先が米軍から日本政府へ変わっ た。軍用地問題 を例 に とると, 日本政府 は日米安保条 約 に基づいて,米軍へ軍用地 を提供す る義務か ら,翠 用地 を確保するために,軍用地地主 と交渉 を続 けて き た。大多数の地主 は土地提供 に賛成 し契約 を結んだ。 しか し,一部 の地主 は契約 を拒否 し, 日本政府 は強制 使用 している。 このため,復帰20年の間,契約拒否地 主 と日本政府の対立が続 いている。 那覇防衛施設局 は, 日本政府が米軍用地 として未契 約地主の土地 を強制使用 している根拠法の 「米軍用地 特別措置法」が,1992年 5月14日に切れ るので,引 き 続 き強制使用す る目的で,県土地収容委員会へ裁決 を 申請 した。期間 は十年で,14施設,14万9千平方メー トルの面積が該当 した。地主 は461人で, この うち372 人が-坪反戦地主 となっていた。 この申請 に対 して,去 る1990年12月に新 し く選 ばれ た革新系の県知事,大田昌秀氏 の下で,県収容委員会 が どのような判断を下すかが課題 だった。 沖縄の軍用地問題 は終戦後 の米軍 占領開始 によって 生 じた。それ はヘ-グ陸戦法規 「陸戦 の法規慣習 に関 す る規則」 に基づ き,戦勝国が占領地 の土地 を自由に 確保で きたか らである。米軍 は朝鮮戦争 を契機 に対共 産圏封 じ込 め戦略の必要か ら,沖縄 を重要基地 とみな し,恒久の軍事基地建設 を目的 に軍用地 を拡大 した。 さらに1951年のサ ンフランシスコ講和条約 の締結で, 沖縄 は1972年の復帰 まで,米軍 の統治下 に置かれ, 日 本 の憲法,法律 の及 ばない地域 となった。おかげで米 軍 は軍用地 をたやす く確保で きて, さらに拡大 した。 新 しい形態の軍用地問題 は1972年5月15日の復帰 の 日か ら生 じた。すなわち,前項 で述べたように,復帰 後,沖縄 に も日米安保条約が適用 され, 日本政府 は日 米安保条約 の運用 に向けて,軍用地 を米軍 に提供す る 義務 を負った。 日本政府 は 「沖縄 における公用地 の継 続使用 に関する法律」 (昭和46年12月31日制定)を制定 し,1977年5月14日までの 5年間,未契約地 を強制使 用 した。 清 日本政府 は同法の再延長 を望んだが,国会で否決 さ れた。そ こで,自由民主党 と他の保守政党の支持で「沖 縄県の区域内における位置境界不明地域内の各筆の土 地の位置境界の明確化等 に関す る特別措置法 (地籍明 確化法)
」 を採決 し,新 たに5
年間の使用権 を得た。 地籍明確化法が1982年5月15日に切れたので 日本政 府 は同法の継続使用 をあ きらめて,今度 は20年間 も発 動 してなかった昭和27年制定の「米軍用地特別措置法」 を発動 した。 それに基づいて,那覇防衛施設局 は1987 年5月14日まで, 5年間の使用権 を得た。 1984年11月,那覇防衛施設局 は再 び 「米軍用地特別 措置法」 に基づいて手続 きを開始 した。内容 は使用期 間20年 (2007年5月14日まで)の長期 に渡 る内容だっ た。県土地収容委員会 は,那覇軍港が5年,他の施設 が10年の期限つ きで裁決 した。 この期限 も1992年5月15日に切れ るので那覇防衛施 設局 は新 たに10年間の 「米軍用地特別措置法」の適用 を求 め,県収容委員会へ裁決 を申請 した。 このように変化 した軍用地問題の過程 の中で, どの ような政治潮流が生 まれて発展 していったかを次章で 分析す る。3
.分析方法
復帰前の沖縄県祖国復帰協議会のスローガンは,(丑 日本国憲法の完全適用,(塾サ ンフランシスコ平和条約 第三条の撤廃,③ 日米安全保障条約の廃案,④米軍基 地 の全面撤去だった。(2) これ は当時の県民の過半数の意見だった。 この こと は1968年11月の初の主席公選で,沖縄県祖国復帰協議 会の会長であった屋良朝苗氏が, 自由民主党か ら立候 補 した西銘順治氏 を破 って当選 したことか ら明 らかで ある。屋良民 は沖縄教職員会 の会長で,革新共闘会議 の推薦で 「基地 の即時全面撤去,安保条約廃棄」 を公 約 とした。一方,西銘氏 は 「安保条約の堅持 と基地の 段階的撤去」 を公約 した。屋良氏 は1971年の選挙で も 保守系の候補 に勝 った。 よって,復帰直前か ら復帰直後 の県民世論 は基地の 全面撤去 と安保条約破棄 だった といえる。 しか しなが ら,1971年の沖縄返還協定 に示 された沖 縄返還の条件 は 「日米安保条約 を沖縄 にも適用するこ とで,沖縄 の基地 を本土並みの条件で使用する」 とい うことであった。 日米安保条約 の適用で,沖縄の基地 の存在 は合法化 され,沖縄県民が望んだ基地の全面返 還 は達成で きなかった。 1972年 5月15日をもって,沖縄県 は日本国憲法 と法 律 の完全適用 を受 けて, 日本国の一県になった。1992 年5月15日で復帰20年 を迎 えた。 沖縄県民 に とって復帰 とは 「日本国憲法,法律,対 - 10-外条約の適用 を受 けて, それ らを遵守 し, それ らの恩 恵を受 ける」 ことである。 復帰後の政治潮流 を次の3つに分類す る。 ①一体推進派 日本復帰 を歓迎 し, 日本国民 として憲法 ・法律 を 順守 し,その恩恵 を積極的 に受 けようとする派 ②普遍主張派 復帰運動の中で問いかけた平和運動,民族国家へ の疑問, 自然保護運動,憲法の解釈論等 を提起,主 張する派 ③現状維持派 復帰以前 に得た利益,沖縄の特殊環境で受 けた権 益保護 を主張する派 これ らの3派 は復帰後 の政治,経済,文化の諸面 に 表れる。 もちろん,それぞれの派 は別々にまたは一緒 にまとまる場合 もある。 1978年か ら1990年 まで沖縄の県知事 を勤 めた西銘順 治氏 は日米安保条約 の保持 を主張 す る一体推進 派 で あったが,一方
,
「ウチナー ンチュの心 は大和人 になれ ない心」 とウチナー ンチュの心 に固執 した。 次の章で, この項 の三つのカテゴ リーに照 らして土 地問題 を通 してみた政治潮流 を分類する。4.
軍用地問題 における政治潮流
軍用地問題 における政治潮流 を三つに分類す ると次 の様 になる。 ここでの分類基準 は日米安保条約体制 を 支持するか,否かである。い うまで もな く, 日本政府 の政策 は日米安保条約の保持である。 ①一体推進派一一那覇防衛施設局 西銘保守県政の県土地収容委員会 ②普遍主張派一権利 と財産 を守 る軍用地地主会 (皮 戦地主会) 一坪反戦地主会 那覇市 ③現状維持派一沖縄県軍用地等地主会連合会 次にそれぞれの団体 の歴史 と主張 を分析す る。 〔那覇防衛施設局〕 那覇防衛施設局 は防衛施設庁直属の機関で復帰後, 那覇に設置 された。防衛施設庁の主な業務 は(D在 日米 軍, 自衛隊の駐屯地や空港の確保。 そのための軍用地 の購入,賃借契約。 それが困難な場合 は法律 (米軍用 地特別措置法,土地収用法)に基づ く強制使用.(参砂 防ダム,道路改良,防音工事などの基地周辺整備事業。 ③駐留米軍の軍人,軍属 にかかわ る事件,事故 の処理, 補償 -である。(3) 那覇防衛施設局 は全国の四分の三 の米軍基地 に関す る日本政府の業務の責任 を持つので,全国の防衛施設 局の中で,その業務 は大 きい。 那覇防衛施設局 の予算規模 は大 きく, その ことか ら も那覇防衛施設局 の役割 の大 きさが理解で きる。平成 元年度 (1988年)の全国の防衛施設庁 の予算 は377億 円 で,その うち那覇防衛施設局の予算 は120億 円で,全国 予算の32.29%に相当す る。(4)(表1を参照) 日米安保条約 を維持 してい くための直接の行政庁 と して軍用地 を健全 に確保す る役割 は大 きい。軍用地の 確保 は日米安保条約体制 を維持す る日本政府 の至上命 令で もある。 表 1 防衛施設庁関係沖縄分当初予算の推移 (昭和62年∼平成元年度) (単位 :百万円、%) 昭和62年度 昭和63年度 平成元年 全 国 333.30 345.23 377.33 沖 縄 110.95 112,38 120.68 沖縄の米軍及び自衛隊基地 (資料集)平成2年3月 沖縄県総務部知事公室発行 〔沖縄県土地収容委員会〕 県土地収容委員会 の役割 は那覇防衛施設局か ら出 さ れた裁決申請 を審議す る機関である。中立機関である が,任命者 は時の県知事であるので,県知事の選任が 委員会の性格 を左右す る。委員の数 は7人で任期 は 3 年。委員および予算委員会 は次の各号 に該当する場合 を除いて罷免す ることはで きない。(》収用委員会の議 決 によ り心身の故障のため職務 の執行がで きない と認 め られた とき。②収用委員会 の議決 により職務違反そ の他委員たるに適 しない非行があると認められたとき。(5) よって,委員 は特別 な事情がないか ぎり否認で きな い。委員会の判断が軍用地問題 に大 きく影響する。 平良幸市県政時代 に県収用委員会が国 と対立 した裁 決 をした例がある。当時の土地収用委員会の委員長 は 宮里栄一氏 (革新系)だった。1976年10月7日,反戦 地主会が 「受 け取 った損害補償額が契約地主 と比べて 低 い として,増額 を求めた」 に対 して,県収用委員会 は「国の補償額 は不当に低 く, 2億 7千 3百万円払 え」 と裁決 を下 した例がある。国 は支払 いを拒否 した。 慶長,平良革新県政時代 には宮里氏が委員長 にあっ たが,1979年7月30日に任期が切れたので,西銘知事 は保守系の小堀啓介氏 を委員 に任命 した。 その結果, 1979年7月31日か ら1991年7月31日まで,小堀氏が委 員長の座 にあった。西銘県政時代 は西銘氏が任命 した 委員が過半数 を占めたので,保守側,すなわち那覇防 衛施設局寄 りの裁決処分 は当然,予想で きた。 〔権利 と財産 を守 る反戦地主会 (反戦地主会)〕 復帰協が中心 になって反戦地主 に呼びか けて,1971 年12月9日 「権利 と財産 を守 る軍用地地主会」が結成仲 地 され,軍用地契約拒否闘争 を展開 して きた。 地主会 は①先祖伝来の土地 を守 り抜 く ② 自分の土 地 は自分で使 う ③農業収益 より地代が安い ④民法 604条 (賃貸権の存続期間20年)との関連による不安 ⑤ 契約拒否するのが権利の留保 になる ⑥反戦平和 一の 立場か ら契約拒否闘争 を続 けている。 その目的 は 「戦争 につながる一切の国の政策に反対 し,真に日本国憲法 を守 り反戦平和 を堅持すると同時 に地主の権利 と財産 を守 ることを目的 とする」(権利 と 財産 を守 る軍用地地主会会則の第二条)。 活動 として(》公用地法に反対する広汎な地主の結集 ②前項 に賛同する自治体,民主団体 の連絡提携 ③軍 用地 に関する実態調査 と啓豪宣伝 ④権利 と財産 を守 るための裁判闘争 (9軍用地の接収 に伴 う損害補償等 の要求 ⑥軍用地の契約拒否 と強制収用対策 -となっ ている。 (第三条)(6) 反戦地主会 は圧倒的に会員数の多い沖縄県軍用地地 主会 に対抗 して,反戦平和,基地撤去,軍用地契約拒 否運動 を続 けているが,会員数 は年々,減少の一途で ある。 復帰時点の昭和47年 (1972年)には2850人,地籍明 確化法が成立 した昭和52年 (1977年)には321人,公用 地法期間が満了 した昭和57年 (1982年) 5月14日には 144人,防衛施設庁が20年強制使用裁決 を申請 した昭和 60年 (1985年)8月 5日には136人,昭和61年 (1986年) 8月15日には108人の会員がいた。(7) 長年,反戦地主会の リーダーであった平安常次氏 は 1988年11月に辞任 した。辞任理由 として 「未契約軍用 地の10年強制使用に伴 う損失補償金に対する課税が一 千万円で払 えなかったので,嘉手納基地内の土地 と家 屋が差 し押 さえられた」 と述べたが,直接的な理由は 説明 していない。(8) 1989年10月20日,平安常次元会長の後任 に照屋秀伝 氏が選ばれた。当面の運動 として軍用地関連裁判闘争 の継続 と1992年の契約拒否闘争 をあげている。「反戦, 反基地,反安保」を闘いの柱 にしている。(9) 反戦地主数が減少 した原因について,池原秀明事務 局長 は 「反戦の精神 を守 る人だけが残 った。沖縄全体 に反戦地主 を支 える平和運動が弱 まったこと。経済的 理由で契約 した人 もいる」と説明する。(10)また,契約 拒否地主に支払われる 「損失補償金」 は,契約地主の 借地料 に比べて安 く,税金が高いことも,反戦地主の 数が減少する原因になっている。 〔-坪反戦地主会) 反戦地主の軍用地 を買い求めて,その-坪 を所有 し て地主 とな り,契約 を拒否 して反戦平和運動 を進める グループである。1982年12月12日に結成 した。会員 は 1万円で土地 を共有する。 目的 は 「この会 は戦争 に反 対 し,軍用地 を生活 と生産の場 に変 えてい くことを目 清 的 とする」 (-坪反戦地主会会則第二条)。活動 は(彰一 坪反戦地主 を拡大 し相互の団結 を強化する。②反戦地 主 と連携する。③未契約軍用地 を返還 された反戦地主 を支援する。④契約拒否運動 を拡大する。⑤反戦平和 運動 を拡大する。 (-坪反戦地主会会則第三条) -坪反戦地主会の会員 は昭和57年 (1982年)12月12 日の結成時に千人,昭和60年 (1985年) 8月 5日,20 年の強制使用裁決申請時には1959人,昭和61年 (1986 年) 8月15日には1967人,昭和62年 (1987年) 2月25 日には1978人にふ くれあがった。(川 組織 は関西反戦一坪の会 と沖縄反戦一坪地主会に分 かれている。関西地主会 は関西周辺 をカバー し,沖縄 地主会 は沖縄 と関西 を除いた全国一円をカバーする。 -坪反戦地主の存在 は那覇防衛施設局の頭 を痛めて いる。年々,減少する反戦地主会の会員に対 して,-坪反戦地主会の会員数 は増 える傾向にある。那覇防衛 施設局が強制使用を目的 とする地主の90% は-坪反戦 地主のメンバーである。-坪反戦地主は 1万円を支払っ て共有地主にな り,その共有地 を生活源にしていない ので,契約拒否闘争 にはずみがかかる。 那覇防衛施設局 は次のような手続 きを経て強制使用 権限を取得で きる。①総理大臣への使用認定申請 ② 関係地主への認定通知 ③土地物件調書の作成 ④調 書への地主の署名,捺印 ⑤県土地収用委員会への裁 決申請 ⑥県収用委員会の公開,非公開審理,裁決, 損失補償金の支払い。損失補償金を支払って強制使用 権限を取得するが,全国に散 らばっている-坪反戦地 主を探 して損失補償金 を支払 うのは時間を要する。 1986年現在,全国に散 らばっている-坪反戦地主の メンバーは次の通 りである。北海道 2人,東京都265人, 大阪府265人,京都府18人,山形県 1人,茨城県 3人, 埼玉県36人,千葉県33人,長野県 1人,静岡県 1人, 愛知県 1人,兵庫県39人,奈良県17人,和歌山県 1人, 岡山県 1人,福岡県 2人,大分県 2人,熊本県 6人, 鹿児島県 6人,沖縄県1128人。居住地不明 3人,本土 居住者713人,沖縄県内居住者1128人で,合計1844人で ある。(12I 〔那覇市〕 那覇市が 「基地の全面返還」 を市政方針にかかげた のは1968年の平良良松市長誕生にさかのぼる。平良市 長は革新共闘会議の支持で当選 した。「基地の全面返還, 反安保」 を市政方針にする。 この市政方針は平良市長 の後任 として1982年の選挙で選ばれた親泊康暗市長に 引 き継がれ,那覇市 は23年間 「基地の全面撤去,反安 保」を通 している。 現在,那覇軍港の中に那覇市有地15,020平方メー ト ル (19筆),普天間飛行場内に那覇市水道局管理地3,907 平方メー トルがある。 親泊康晴市長 は1982年 5月12日の那覇市議会の市政
-
12-方針で 「市政の基本姿勢 を反戦平和,主権在民,地方 自治の確立 を保障 した日本国憲法に求め,それを砦 と して市民生活の民主的な住民 自治」 を目指す として, 戦争に関する全ての件 に反対する方針 を打ち出した。(
1
3)1
9
6
8
年か ら1
0
年間続 いた屋良,平良県政 は 「基地 の 全面返還,反安保」をかかげて きたが,1
9
7
9
年か ら1
9
9
0
年 まで続 いた西銘県政 は「基地の段階的返還,容安保」 の政策 を取 った。県の施政 に対立 して那覇市が 「基地 の全面返還 と反安保」の政策 を取 り続 けている。 那覇市の政策 は,次章の軍用地違素訴訟 の中で説明 する。 〔沖縄県軍用地等地主会連合会〕 沖縄県軍用地等地主連合会 は昭和2
8
年(
1
9
5
3
年)6
月,
「軍用地地主連合会の財産権 を守 る」を運動の基本 目標 に掲 げ発足 した。県内に2
8
地主会があ り,約2
万7
千人 の地主がいる。 同連合会が規定する 「軍用地等」 は昭和4
7
年(
1
9
7
2
午)5
月1
4
日,沖縄 においてアメ リカ合衆国軍隊の用 に供 されている土地で,現 に国,県及 び沖縄電力株式 会社の用に供 されている土地 をいう (沖縄県軍用地等 地主会連合会定款第一条の2
)。組織 の目的 は「軍用地 等に関する諸問題の適正妥当な解決 を図 り,併せて軍 用地等関係地主の財産権 の保護及び福利厚生の増進」
(土地連合会定款第三条)0(14) 軍用地地主が受 け取 った軍用地料 は昭和4
7
年(
1
9
7
2
午)が1
2
3
億 円,昭和5
0
年度(
1
9
7
5
年)が2
5
9
億 円,昭 和5
5
年度(
1
9
8
0
年)が3
11億 円,昭和6
0
年度(
1
9
8
5
年) が3
8
3
億 円,昭和6
3
年度(
1
9
8
8
年)が4
0
6
億 円 と増加 の 一途である。(15)軍用地料の増加 は軍用地地主の魅力 に なっている。 (表2
を参照) 軍用地主の階層別賃貸料受領額 を昭和6
0
年(
1
9
8
5
年) でみると,5
0
万円以下が1
2,
8
5
9
人(
4
7.
6
3
%)
で一番多 い。続いて5
0
万円以上1
0
0
万円が5
4
8
1
人(
2
0,
3
%)
,1
0
0
万円以上2
0
0
万円が4
3
8
3
人(
1
6.
2
3
%)
と多い。軍用地 主の7
0
%
以上が1
0
0
万円以下の地料 を得ている。1
千万 円以上2
千万円が2
0
人(
0.
1
0
%)
,2
千万円以上が2
7
人(
0.
1
%)
と高額 を占める。(16)(表3
参照) 昭和6
0
年度(
1
9
8
5
年)の軍用地地主の7
0
%
は百万円 以下の地料であった昭和6
0
年度の県民所得 は1
5
4
万6
千 円であったので,三分の二の不労所得 を得た ことにな る。(17) 軍用地地主 は早期返還 を望んでいない。沖縄県が1
9
7
5
年7
月から8
月にかけて,軍用地地主2
万4
9
0
人のうち, 単純無作為摘出 した3
千3
9
人 を対象にアンケー ト調査 した結果,8
2
4
人が回答 した(
2
9.
1
%
の回収率)。 その 結果,
「返還 を望 まない」が,51.
3
%
と出たO返還反対 の理由は①地料 に魅力がある(
5
4
%)
②利用で きない 土地だか ら(
2
6.
3
%)
③軍用地基地 は必要(
4.
9
%)
と 出た。(18)よって,軍用地料 は多額で はないが,地主 は 表2
年度別米軍基地貸借料支払実績 単位 :千 円 年 度 貸借料 昭和4
7
年(
1
9
7
2
)
1
2,
3
1
4,
7
5
9
昭和4
8
年(
1
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)
1
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4,
5
3
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昭和4
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1
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5,
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1
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9
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1,
0
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0
昭和5
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1
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0
4
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年(
1
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4
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3
年(
1
9
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)
2
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6
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6
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4
年(
1
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2
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3
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1
昭和5
5
年(
1
9
8
0
)
3
1,
1
1
6,
3
6
8
昭和5
6
年(
1
9
8
1)3
3,
7
7
6,
0
0
0
昭和5
7
年(
1
9
8
2
)
3
4,
5
0
7,
0
0
0
昭和5
8
年(
1
9
8
3
)
3
5,
4
8
6,
0
0
0
昭和5
9
年(
1
9
8
4
)
3
6,
7
7
1,
0
0
0
昭和6
0
年(
1
9
8
5
)
3
8,
3
1
4,
0
0
0
昭和6
1
年(
1
9
8
6
)
3
9,
9
3
2,
0
0
0
昭和6
2
年(
1
9
8
7
)
3
9,
4
0
2,
0
0
0
昭和6
3
年(
1
9
8
8
)
4
0,
6
71,
0
0
0
沖縄の米軍及び 自衛隊基地 (資料集) 平成2年 3月 沖縄県総務部知事公室発行 表3 軍用地主の階層別貸借受領額一覧表 (昭和60年 4月 1日現在) 顔 人数 構成比 (%)5
0
万円以下1
2
8
5
9
4
7.
6
3
5
0-1
0
0
5
4
8
1
2
0.
3
1
0
0-2
0
0
4
3
8
3
1
6.
2
3
2
0
0-3
0
0
1
8
5
4
6.
8
7
3
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0-4
0
0
9
6
4
3.
5
8
4
0
0-5
0
0
5
2
2
1.
9
3
5
0
0-6
0
0
3
1
8
1,
1
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6
0
0-7
0
0
1
8
5
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6
9
7
0
0-8
0
0
1
2
0
0.
4
4
8
0
0-9
0
0
7
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0.
2
9
9
0
0-1
0
0
0
6
2
0.
2
3
1
0
0
0-2
0
0
0
1
4
3
0.
5
3
2
0
0
0
以上2
7
0.
1
土地連3
0
年のあゆみ一通史編一 平成元年6月 1日発行 編 社団法人沖縄県軍用地主等地主連仲 地 喜んで受 け取 っているといえる。 宜野湾市の1976年7月,地主2474人の調査 によると, 82,6%が返還 を望 んでいない と出た。(19) 1976年,国会で「公用地暫定使用法案」「地籍明確化 特別措置法」の審議中,屋良県政 は反対 したが,土地 連 は 「早期可決」 を訴 えた。1976年の衆議院選挙 で土 地連合会顧問の桑江朝華氏 (保守系) は,知事選で保 守系の安里横千代氏 を推薦 した。大田現知事が 「基地 の全面返還」 を,第三次振興計画案 に記載 しようとし た際
,
「跡地利用計画が先である」 と反対 した。 土地連 は非政治団体であるので安保条約 に対す る態 度 は表明 していない。 しか しなが ら,基地 の即時返還 には反対 している。那覇防衛施設局 との契約交渉 もス ムーズに進 んでいる.復帰以前か ら続 いている既得権 保護派である。5.
事例分析
(
1
)
二十年強制使用 那覇防衛施設局 と未契約用地地 主 との対 立 は復帰 後,ず っと続 いた。 これ は復帰 という名 目で国家権力 とそれを拒否す る県民 との対立であった。国家権力 は 一体化 を強 く進めようとした。 軍用地問題 の中で, もっ とも国 と地主の主張の対立 が はっきり出たのは,那覇防衛施設局が1984年 に提出 した 「20年強制使用裁決申請」の場 であった。 那覇防衛施設局 は総理大臣の使用認定 を受 けた後, 沖縄県土地収用委員会へ 「使用期間20年」の裁決 を申 請 した。申請理 由 として 「日米安全保障条約 に基づ く 米軍 の駐留 はわが国の生存 と安全の維持 とい う国益 を 確保するうえで極めてかつ高度の公共性 を有する。
」
「米 軍 は今後,相当の長期 にわた り駐留すると見込 まれ る」
と述べた。 二十年使用申請の根拠 は 「日米安全保障体制 は旧安 全保障条約が締結 されてか ら既 に33年,現行安全保障 条約が締結 してか らも25年経過 していること,復帰後 における施設,区域 の使用 も早15年経過 しようとして いること等か らみて も20年の使用 は相 当である」 とし た。佐々木防衛施設庁長官 も 「安保条約 は日本の防衛 上不可欠であ り,長期 に続 くことが予想 され,基地 の 安定使用が必要」 とした。(20) 県土地収用委員会 は1985年9月25日,那覇防衛施設 局の申請 を正式 に受理 した。県土地収用委員会が公開 審理中,反戦地主会 は県収用委員会の除斥,忌避,回 避 の戦術 に出た。代理人の伊志嶺善三弁護士 は県収用 委員の小堀啓介会長,浦崎安昭,豊川永昇,宜保安浩, 知花盛昇委員の五人 は 「昭和57年 (1982年)4月,那 覇防衛施設局か ら申請 のあった未契約軍用地の強制使 用裁決事件 を担当 し, 5年の強制使用裁決 を下 した」 清 とし,民事訴訟法の "前審関与"論 をあてはめて,香 員の除斥 を申 し立 てた。 また宮平進委員に対 しては, 忌避 を求めた。新川委員 は四親等内に反戦地主がいる として,回避 (自主退任) した.小堀会長 は収用委員 には民事訴訟法の適用,準用 はない と断った。 反戦地主会 は強制使用に反対 して,1981年2月に提 起 した 「内閣総理大臣の使用認定取 り消 しを求める」 行政訴訟 を引 き続 き闘 うことにした。 一万,-坪反戦地主会 は1985年,内閣総理大臣が認 定 した未契約軍用地の強制使用継続 を不服 として強制 使用認定取 り消 し訴訟 を起 こした。 1987年2月24日,沖縄県土地収用委員会 は裁決 を下 した。 その内容 は米空軍嘉手納基地 な ど11施設内にあ る反戦地主,-坪反戦地主 ら206人の土地,434,000平 方 メー トルを国の申請通 り強制使用 を認 める裁決 を下 した。 しか し,使用期間 は那覇軍港 を5年,他の施設 を10年 とした。期間が短 くなった ことに対 して那覇防 衛施設局 は不満 をあらわ した。 これ までの本土 におけ る米軍特措法 に基づ く強制使用,収用の最高の期限 は 3年で,沖縄 の10年 ははるかに長かった。 (表4参照) 那覇軍港 を5
年に した理由について 「公共施設 (フ リー ゾー ン) として跡利用計画が進め られてお り,す でに予算 も計上 されてい る。 5年が相 当」 と,嘉手納 基地 な ど10施設 を10年 とした理由は 「施設局の申請 し た20年で は憲法第29条の定める損失補償 の適正補償の 面か ら正当な補償 は困難」 として算定で きるのは10年 である」 とした。(21) 県収用委員会 の10年使用 (一部5年使用)裁決 に対 して反戦地主会,-坪反戦地主会,那覇市 は裁決取 り 消 し訴訟で対立 してい くことにした。(
2
)
那覇市 と軍用地違憲訴訟判決 1990年5月31日に出た那覇地方裁判所の軍用地違憲 訴訟 の判決 は,那覇市 と裁判所の対立点が鮮明に出た。 1981年11月,那覇市の平良市長 は国の軍用地強制使用 に対 して 「市民福祉 の向上や平和都市建設の上で,法 的正義 に反する」と,国の強制使用取 り消 しを求めた。(22) 1985年5月,強制使用の期限が切れたので親泊市長 は平良市長同様 に同 じ内容 の訴訟 を提起 した。親泊氏 は,那覇地裁の第16回の口頭弁論 における意見陳述で 「不戦 の誓 いを新 たにして,戦後27年間 にわたって異 民族 の軍事優先支配下 に置かれ苦 しい生活 を余儀な く されて きた沖縄 県民 に とって,わが国の平和憲法 はあ こがれの的であ り,ぜひ とも守 っていかなければなら ない至宝である。 この非武装 による絶対平和主義 を理 念 とす る平和書法下で武力攻撃 を目的 とす る軍事基地 の存在 自体,決 して許 されるべ きでない」安保条約の 下 に置かれた軍事基地 に対 して 『公共の福祉.Jの名の 下 に,一地方に集中的に基地が配置 されているのだと - 14-表4 米軍特措法 による主 な強制使用 ・収用一覧表 (本土) 施 設 名 使用 .収用の区分 所有者数 敬 量 使用期 間 裁決年月 日 横 浜 自 動 車 部 隊 使用
3
土 地2
0
3
年2
月昭2
8
. 1.1
3
〟 //1
〟2
3
1
年 メ/ 〟 〟1
〟4
2
年 〟 〟 〟3
〟1
3
3
年 昭3
1
.3.2
7
1
号 住 宅 地 区 〟2
〟3
4
2
年 昭2
8
. 1.1
3
1
号 住 宅 地 区 使用1
土 地2
6
1
年昭2
8
. 1.1
3
2
号 住 宅 地 区 //1
〟2
4
2
年 〟 岩 国 飛 行 場 〟1
//1
0
8
2
年 昭2
8
. 1.1
9
キ ャ ン プ .カ ー バ - 〟1
〟4
5
2
年1
月昭2
8
. 1.2
1
〟 収用1
〟4
5
-
昭3
0
,3. 1
ア メ リカ村 住 宅 地 区 使用1
〟2
5
8
1年 昭2
8
. 1.2
7
ノ/ ノ/1
〟4
4
1
1
年 〟 三 菱 商 事 ビ ル 〟1
〟2
1
9
1
年 〟U
Sハ ウス(名古屋市) 〟1
土建工作物等地物1
0
1
5
3
0
2
1
1
年 〟 通 信 隊 地 区 〟1
土 地2
5
0
1
年 昭2
8
.4.9
横 浜 飛 行 場 //2
〟2
5
7
1
年8
月 昭2
8
.4.1
6
ノ/ 収用1
〟 72-
昭3
2
.4.4
八 重 洲 ビル 軍 属 宿 舎 使用1
工作物等1
2
年5
月 昭2
8
.4.1
6
横 田 飛 行 場 //2
土 地6
1
0
1
年8
月昭2
8
.4.2
3
U
Sハ ウス (岡山市) 〟1
土建 地物3
4
9
3
7
1
0
月昭2
8
.5.2
1
立 川 飛 行 場 兵 舎 地 区 収用1
土 地1
0
3
6
6
5
- 昭2
8
.6.3
0
ア一二一 .パイル劇場 使用1
土建工作物等物地4
1
7
1
7
9
5
4
1
1
年6
月昭2
8
.7.1
5
黒 髪 山 住 宅 地 区 〟3
土 地1
4
3
9
〟 // 婦 人 将 校 宿 舎 ノ/3
土建 地物6
5
6
1
5
8
1
月昭2
8
. 7.2
5
串 本 通 信 施 設 収用2
土 地2
4
7
1
-
昭2
9
.7.6
根 岸 バ ラ ッ ク ス 使用1
〟2
0
2
3
6
1
年7
月 昭3
0
.9.1
5
第 一 ホ テ ル 士 官 宿 舎 //1
建土工作物等地物1
5
3
3
9
9
13
4
8
月 昭3
1
.2.1
6
大 阪 ビ ル 婦 人 宿 舎 〟1
土建工作物等物地6
1
0
3
5
8
6
7
1
2
年 昭3
2
. 1.2
7
相 模 原 家 族 住 宅 地 区 〟1
土 地1
6
6
2
年 昭3
3
.3.2
7
沖縄年鑑、1
9
8
7
(沖縄 タイムス社)仲 地 したら,これ こそ地方 自治の破壊である」と言及 した。(23) 那覇市が提訴 した軍用地違憲訴訟の骨格 は (∋日米安全保障条約 と地位協定 は,憲法前文 の平和生 存権,第九条一項 の戦争放棄,二項 の戦力不保持,交 戦権否認 の規定 に反す るもので,違憲無効。従 って, 新安保条約六条 を根拠 に締結 された地位協定その もの も違憲。 (多米軍用地特別措置法 は,安保条約および地位協定 に よってわが国が負った基地提供義務 を履行するための 国内法上の措置 として制定 されている。従 って安保条 約,地位協定が違憲無効である以上, それ らを実施 す るための同法 もまた無効 である。 ③使用認定 はその根拠法 とされ る米軍用地収用特措法 の定 める要件 に該当 しないので, それ 自体が違法であ る。米軍用地収用特措法 による強制使用が認 め られ る には 「適正かつ合理的」の要件が欠かせない。 しか し, 米軍基地 のほ とん どは何 らの合法性 もな く強制接収 さ れた ものであ り
,
「適正かつ合理的用件」が存在 しない。 那覇地裁の判決 は,安保条約 の違憲性 について 「高 度 に政治性 を有す る国家行為 は司法審査の対象外」 と 統治行為論 を展開 して違法判断 を避 け, また使用認定 の違法性 については 「同処分の判断 に裁量 の逸脱 はな く,必要性 と適正かつ合理的用件 を満た している」 と の合法判決 を下 し,認定処分の取 り消 しを求めた原告 那覇市の訴 えを棄却 した。(24) 那覇市 は判決 に不満 を示 したが,控訴 を断念 した。 理 由は 「砂川事件 に対する最高裁判決以来,安保条約 の違憲性 を統治行為論で回避す る司法界全体の姿勢 を 覆す ことは困難である」 とみた。(25)その ことで,那覇 市が地方 自治体 として唯一 の違憲訴訟 の闘争 は終止 し た。 この ことは,沖縄が 日本国憲法 と安保条約 の体制 にさらに深 く組 み込 まれた ことを意味す る。6.結 論
沖縄が 日本へ復帰するということは日本国憲法,法 律 の適用 を受 けて沖縄 と日本が諸面で一体化す ること である。復帰前の県民の希望 は 「① 日本国憲法の完全 適用 ② 日米安全保 障条約 の撤廃 ③ 基地 の全面撤 去」だった。 しか しなが ら,1972年の沖縄返還 は日本 国憲法の完全適用 を受 けた ものの,基地の全面撤去, 安保条約の撤廃 は果た しえなかった。 む しろ,復帰 を さかいに,沖縄 は安保条約 を維持す る日本 に深 く組 み 込 まれた。すなわち,沖縄県に も安保条約が適用 され, 米軍基地がそのまま残 るようになった。 復帰後,政府,防衛施設庁 は安保条約の第六条の地 位協定 に基づ き,米軍へ軍用地 を提供す る義務か ら, 沖縄県内の軍用地主 と契約 を結 んだ。中には反戦平和 の立場か ら契約 に応 じない地主 も出たので, 日本政府 清 は米軍用地特別措置法 に基づいて強制使用 した。 復帰後の土地問題 をめ ぐって次の3つの政治潮流が 生 まれた ことを本文で詳 しく論 じた。 (D一体推進派 は那覇防衛施設局 と西銘県政下の県土 地収用委員会である。②普遍主張派 は権利 と財産 を守 る軍用地地主会,-坪反戦地主会,那覇市である。(卦 現状維持派 は沖縄県軍用地等地主会連合会である。 こ の分類方法 は,復帰後,経済,文化活動のいろいろな 分野 に も適用で きる。 次 に, これ らの3つの派 は,復帰 の中で どのような 特徴 を示 したか。一体推進派 は日本政府の日米安保条 約体制 を支持 し,諸面での一体化 を促進 した.②普遍 主張派 は引 き続 き復帰前の主要な政治潮流,反安保, 基地の全面撤去 を打 ち出 しているが,復帰前 に比べる と数,力の面で下降傾向にある。③現状維持派 は基地 の存在支持 を暗黙 に認め,軍用地収入 を喜び,基地の 即時返還 に反対 している。 復帰 の日以来,沖縄県 は日本国に組 み込 まれ,その 国の憲法,法律,条約 を守 ることを義務づけられてい るO よって一体推進派が強 くなってい くことが予想で きる。別面,復帰前の運動の歴史か ら生 まれた普遍主 張派,現状維持派 も数,力 は弱 まるものの残 り続 ける であろう。 脚注 1.沖耗県総務部知事公室編 F沖縄の米軍及び自衛隊基地 (資 料集)」平成2年3月発行, 1- 3頁2.…Okinawa's View" in Ryukyu-USJapan Re一ations 1945-1972pp.142-146. 3.新沖縄文学 ・秋季号,1987年 ・東風平の …那覇防衛施設局 の予算的移 り変わ り"43-48貢 4.沖縄県総務部知事公室編 F沖縄の米軍及び自衛隊基地 (質 料 案)∫50-51頁 5.岩波書店 F六法全書」の中の 「土地収用法」 6.新沖縄文字 ・夏季号,1968年 ・照屋秀伝 "軍用地料 と基地" 102-142頁 7.沖縄 タイムス・1987年8月31日 8.喜久村準 ・金城英男著 rどこへ行 く基地沖縄』71-73頁 9.沖縄 タイムス,1989年10月20日 10.沖縄 タイムス,1990年4月17日 ll.沖縄 タイムス,1987年8月31日 12.沖縄年鑑,1987年版,128貢 13.若尾祐司 「市民 自治 と地域代表」1961-85年那覇市議会, 島袋邦編著 F論集,沖縄の政治 と社会』に所収 14.沖縄県軍用地等地主会連合全編 F土地連三十年のあゆみ通史編,創立二十年史J348-351 百 15.沖縄県総務部知事公室編『沖縄の米軍及び自衛隊基地』 (質 料集)20-25貢。復帰直前の1971年度の米国支出の地料 は 約31億 円だったが,復帰の年の1972年度には18(J億 円 と六倍 にあがった。
-1
6-F土地連三十年のあゆみ』-通史編一78-720頁 10)りゅうぎん国際化振興財団編 『沖縄経済要覧』1989 17.りゅうぎん国際化振興財団編 沖縄経済要覧,1989年版11頁 18.琉球新報,1975年9月28日 19.琉球新報,1976月7月17日 20.沖縄年鑑,1987年126-137頁 21.沖縄 タイムス,1987年2月25日 22.那覇市軍用地違憲訴訟 ニ ュース 「市民 の土地 を市民 の手 に !」創刊号,同「違憲訴訟弁護団自治労沖縄県本部」,1983 年 9月1日発行 23.那覇市軍用地違憲訴訟 ニ ュース 「市民 の土地 を市民 の手 に !」1985年7月15日 24.統治行為論。安保条約 に基づ く米軍駐留が憲法九条 に適合 するか どうかを審理 した砂川刑特法事件の第一審 (東京地 裁,1959年3月)は,「憲法九条 は侵略戦争 はもちろん自衛 のための戦争や戦力保持 も許 していない」 と初めて安保 と それに基づ く駐留米軍 に達意判決 を下 した。 しか し検察側 の上告により,最高裁 (1959年12月) は 「安保条約 は高度 に政治性 を有するか ら一見極 めて明白に違憲 と認め られな い限 りは審査の範囲外 と統治行為論 を取 った。 自衛隊の違 憲性 を争 った長沼ナイキ訴訟 の第一審 (札幌地裁,1973年 9月)は 「自衛隊 は憲法九条にいう陸海空軍 に該当 し違憲」 と裁判史上初 めて自衛隊についての違憲判断 を下 したが, 二審判決 (札幌高裁,1976年8月) は 「違憲性 は立法,行 政部門の判断に従い国民の政治的判断にゆだね るべ き」 と 再び統治行為論 を用いた。 25.沖縄 タイムス,1990年6月7日 注.同論文 は,1991年8月,那覇市で開かれた国際琉球学会で 発表 した論文 に加筆 した ものである。 参考文献 1)新崎盛嘩 『沖縄反戦地主』高文研刊, 19890 2)違憲訴訟弁護団, 自治労沖縄県本部編,那覇市地 軍用地違憲訴訟ニュース 「市民の土地 を市民の手
に!
」, 1983年9月1日号, 1985年7
月15日号 。3
)沖縄 タイムス社編 F沖縄年鑑』。 4)沖縄 タイムス社出版部編 『新沖縄文学』季刊,沖 縄 タイムス社刊。 5)沖縄県総務部知事公室編 F沖縄 の米軍及び自衛隊 基地』 (資料編)年刊。6
)沖縄県軍用地等地主会連合会編,
『土地連30年のあ ゆみ通史創立30年史』沖縄県軍用地主会連合会刊, 平成元年 (1988年)0 7)喜久村準,金城秀男 Fどこへ行 く基地沖縄』高文 研刊, 1989年。8)Nakachi,Kiyoshi,Ryukyu-
U
.
S
:Japan Relations,1945-1972,Philippine:Abiva Publisher,1989.9)那覇市議会事務局編 F那覇市政要覧』,那覇市議会
年版, りゅうぎん国際化振興財団刊。
ll)沖縄 タイムス。