医療関連死における死因究明制度の現状と展望 ―いわゆる“医療事故調”に関する法律上の諸問題 民主党案(患者支援法案と原因究明制度案)と厚生労働省案(医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案・自民党案)等の検討―
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(2) 横浜国際経済法学第 19 巻第3号(2011 年3月). 第 1 緒 言 本稿の目的は、診療中・診療後の死亡事例について、どこの誰が死因に関す る初動調査を担うべきなのか、かりに捜査機関以外の第三者機関が初動調査を 担う場合、刑事訴訟法に基づく捜査との関係を、どのように調整するべきなの か、医療事故調査委員会の主たる設置目的は、再発防止のための原因究明にあ るところ、調査結果を、どのようにして再発防止策に反映するべきなのか、な どについての展望を示すことにある。 本稿の目的を達成するため、 筆者は、 まず、 現行の法制度について調査した(本 。わが国においては、医療機関に対して所轄警察署への異状死届出義 稿の第2) 務(主に死因を特定できない死体が発生したことの届出義務)を課していることから、 届出の対象が自院における死亡症例であった場合、届出が捜査の端緒となり得 ることから、届け出た医療機関は、自院による医療過誤の結果、患者が死亡し たと疑われることになる、つまり、その旨を規定した医師法 21 条は、医療機 関に不利益供述を強要したことになるので、黙秘権保障(憲法 38 条 1 項)の見 地から問題があることを明らかにした。それゆえに、捜査機関以外の第三者機 関が、医療事故の初動調査を担う余地を認めるべきである、と小括した。 本稿の第 3 においては、第三者機関としての、いわゆる医療事故調査委員会 の設立に向けた政界・医学界の動きを追跡した。その結果、主要な試案として、 「厚労省医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案」 (厚生労働省案。いわゆる大綱案) と、 「医療に係る情報の提供、相談支援及び紛争の適正な解決の促進並びに医 療事故等の再発防止のための医療法等の一部を改正する法律(仮称)案骨子試 案(患者支援法案)」および「医療事故等による死亡等(高度障害等を含む)の原因 究明制度案」(いわゆる民主党案)などが存在することが判明した。そこで、これ らの試案を検討の素材とすることにした。 本稿の第 4 においては、各試案を検討する前提として、医療事故調査に限ら れない、事故調査委員会一般の機能・設置目的について検討した。その結果、 主要な機能・設置目的は、再発防止のための原因究明にあることが判明した。 166.
(3) 医療関連死における死因究明制度の現状と展望. さらに筆者は、かような機能を十全化し、その設置目的を達成するため、事 故調査委員会のあるべき姿・理念型について検討した(本稿の第5)。とりわけ、 事故調査と犯罪捜査における、証拠の収集と保全作業の競合が不可避なので、 この点の調整が重要であり、調査の実効性を減殺することのない方途が不可欠 であるところ、各方式のうち、調査優先方式が相対的に優れていると小括した。 本稿の第 6 においては、本稿の第 5 における小括を前提として、医療事故の初 動調査に限定した事故調査委員会に関する、既往の各試案を検討した。各試案 の基本的な差異は、現行の医師法 21 条削除するのか、存置するのか、あるいは、 存置した上で例外を認め、一定の要件を備えた場合には、所轄警察署への異状 死報告義務を免除するのか、という点にあるところ、本条を削除するべきとす る民主党案は、その規定の仕方により、捜査権の介入の程度は、現状と比較し てさほど変わらないことが判明した。 そこで、本条を存置した上で、その例外を認めることにより、捜査権の介入 を合理的範囲に限定する方途がとられるべきことになるが、かような体裁をと る大綱案は、報告を義務付けられる異状死体の範囲を限定しており、しかも、 所轄警察署に代わるべき報告先である「医療安全調査委員会」は、医療関係者 と法曹らにより組織され、調査結果の医学的・法律学的合理性が担保されてい るのみならず、再発防止策への反映が容易であることから、民主党案およびそ の他の試案と比較すると、相対的に優れていると小括した。 既往の検討結果を前提とすると、大綱案を法案となすべきであり、これを叩き 台として審議を重ね、可及的速やかに新しい制度を構築するべきであると結論 した。 第 2 医療関連死における死因究明制度の現状と問題の所在 現行の医師法 21 条は1)、死亡事例のうち医師が死亡診断書を交付できない 場合、つまり、当該死亡者が自らの診療継続中の患者ではなかった場合、また は、診療継続中の患者であったとしても死因が診療にかかわる傷病と関連しな 167.
(4) 横浜国際経済法学第 19 巻第3号(2011 年3月). い場合には、当該死体を検案し、異状を認めたときには、24 時間以内に所轄 警察署に届け出なければならないと規定している(因みに、異状を認めなければ死 。すると、この届けを受理した警察は、犯罪の嫌疑 体検案書を作成すれば足りる) の有無を明らかにするため、刑事訴訟法の規定により検視を行なう。検視の結 果、犯罪の嫌疑があると思料される場合は、刑事訴訟法の規定により司法解剖 (捜査)に着手する(因みに、嫌疑不十分と思料される場合には、監察医等が死体検案書を. 。 作成すれば足りる) このような建前を前提とすると、医師は、自ら診療した患者に関する異状死 届出を、法律上の義務として強制される場合があり得、しかも、その届出が捜 査の端緒となり得ることから、医学界や法学界において、このような取り扱い は、黙秘権の保障や不利益供述強要禁止の趣旨に反するのではないか、という 議論がなされている。このような議論状況を踏まえ、近年、医療事故の初動調 査は、捜査機関ではなくて医療の専門家を交えた公正な第三者機関が担うべき であるとするとする考え方が支持され、第三者機関のあり方についての議論も 終息しつつあり、厚生労働省の医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案(厚 労省第 3 次試案を含む)と、民主党案(患者支援法案と原因究明制度案)などの数試案. に収斂され、そのいずれが法案の叩き台として適切なのか、というところまで 煮詰まっている。 以上述べたように、現行法制は、医療事故における初動調査を、刑事訴訟法の 規定に基づく検視という形で捜査機関に委ねているが、その妥当性については 既往のような議論があり、このことから理解されるように、医療事故調査権の 帰属先如何は、医療事故の一方当事者に他ならない医師や医療機関にとって、 可及的速やかに解決されるべき喫緊の課題である2)。 医療界の実情を見てみると、捜査機関は、1999(平成 11)年 1 月に発生した 横浜市立大学病院患者取違事件 を 契機 と し て、都立広尾病院消毒液誤注射事 件・東京女子医大病院心臓ポンプ誤作動事件・杏林大学病院割箸片看過男児死 亡事件・埼玉医大抗がん剤過剰投与事件、そして、これら一連の事件よりも少 168.
(5) 医療関連死における死因究明制度の現状と展望. し後に起きた慈恵医大青戸病院腹腔鏡事件・福島県立大野病院帝王切開胎盤剥 離術妊婦失血死事件などにおいて、医療機関からの届出を積極的に捜査の端緒 とみなし、届出があると捜査に着手するようになった。当初は、医療過誤以前 の過誤というべき横浜市立大学事件や広尾病院事件などが捜査の対象とされて いたが、東京女子医大事件では被疑者医師を逮捕するなど、初動調査のイニシ アチブをとった。その後、医師の裁量にかかわる難しい症例、例えば杏林大学 事件について、任意捜査を経て担当医師を起訴し、また、限界事例に属する福 島県立病院事件について、事件発生後 1 年以上経過してから担当医師を逮捕し、 起訴するなどしたため、医療界に対して強い衝撃を与えた。 しかし、このような医療事故の刑事事件化傾向は、医療の質を向上させるこ とには結びつかず、萎縮医療と防衛医療を蔓延させ、一部地域における救急医 療・周産期医療科・耳鼻咽喉科の激減、患者のたらいまわしなど、却って医療 制度の機能不全という禍根を残した3)。くわえて、既往の事件についても、東 京女子医大事件・杏林大学事件・福島県立大野病院事件について、相次いで無 罪判決が確定し、限界事例についての過誤認定は、刑事裁判にとっては荷が重 すぎることを露見したのであった4)。. 第 3 医療事故調査委員会の設立に向けた政界・学会等の動き 都立広尾病院事件(医師法 21 条違反被告事件)に対する有罪判決が出たことを 契機 と し て(2004(平成 16)年)、日本医学会加盟 19 学会 は、 「診療行為 に 関連 した患者死亡の届出について ─中立的専門機関の創設に向けて─」と題する 共同声明を発表し、異状死届出が捜査の端緒に結びつき得ることへの懸念を示 した。これを受けた厚生労働省は、日本内科学会への委託事業として、 「診療 行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」を開始し、制度構築に向けた調査 を行なった。続いて、衆参両院の厚生労働委員会において、 「第三者機関によ る調査・紛争解決の仕組み等について必要な検討を行う」(参議院)、 「医療事故 169.
(6) 横浜国際経済法学第 19 巻第3号(2011 年3月). 等の問題が発生した際に、医療行為について第三者的な立場による調査に基づ く公正な判断と問題解決がいつでも得られる仕組み等、環境を整備する必要が ある」(衆議院)という付帯決議をなし(2006(平成 18)年)、医療事故調の設立を、 民間の学会や一省庁の事業ではなくて、国の事業として推進することを確認した。 その後、厚生労働省は、モデル事業の調査結果等を参考にして、 「診療行為 に関連した死亡の死因究明等の在り方に関する課題と検討の方向性」と題する 声明を発表し、具体的な論点と、その検討の方途を明確にした(2007(平成 19) 。 年 4 月) そして、同年4月より 10 月までの間に、 「診療行為に関連した死亡に係る死 因究明等の在り方に関する検討会」を計 16 回ほど開催し、同年 10 月、いわゆ る第2次試案、つまり「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に 関する試案」を起案・公表し、議論の叩き台とした。 そして、第2次試案について公議を尽くし、2008(平成 20)年4月、いわゆ る第 3 次試案、つまり「医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因 究明・再発防止等の在り方に関する試案」を起案・公表し、さらに煮詰め、同 年6月、公議世論の集大成というべき、いわゆる大綱案、つまり『厚生労働省 医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案』を 起案・公表 し、法案提出 の 最 終的な準備を整えた。 大綱案は、当時の政権与党であった自民党が関与した案であるが、時を同じ くして公表された対案が、当時の野党第一党であった民主党の、いわゆる患者 支援法案、つまり「医療に係る情報の提供、相談支援及び紛争の適正な解決の 促進並びに医療事故等の再発防止のための医療法等の一部を改正する法律(仮 称)案骨子試案」と、いわゆる原因究明制度案、つまり「医療事故等による死. 亡等(高度障害等を含む)の原因究明制度案」である。なお、民主党案は、その出 自が純粋な民間の私案であることから、その性質上、公議を尽くしてはいない。. 170.
(7) 医療関連死における死因究明制度の現状と展望. 第 4 いわゆる事故調査委員会の位置付(機能・設置目的). 医療事故調査委員会に限らないところの、いわゆる事故調査委員会の一般的 な位置付けであるが、これを図解すると、おおむね上の図のようになる5)。 公設(例えば、後述の運輸安全委員会など)か否か(例えば、各医療機関内に、事件ご とに任意かつアドホックに設立される院内調査機関など)の区別は格別として、設立目. 的は、再発防止を主要な目的とし、併せて、事故を惹起した者に対する社会的 制裁と、事故により生じた被害者の救済と理解するのが通常である。再発防止 につき、これは、社会的制裁とセットで理解するべきものであり、特別予防的 な防止策と一般予防的な防止策に区別される。前者は、当該事故についてとら れる措置であり、関係者の再教育と行政処分である。後者は、当該事故を教訓 となし、類似の事故発生を予防するための措置であり、日常的な安全対策を講 じることである。そして、被害者対応の内容については、事故調査結果に関す る情報開示、調査の経緯に関するアカウンタビリティ(説明責任)、責任主体の 明確化、再発防止策の策定と開示、金銭賠償または補償、謝罪、という各項目 があげられている。 もっとも、被害者対応を事故調査委員会の必須の機能とするのか否かについ 171.
(8) 横浜国際経済法学第 19 巻第3号(2011 年3月). ては議論がある。けだし、金銭賠償や補償は、別途、個別の民事訴訟や国が策 定する損失補償制度に委ねるのが筋であり、謝罪についても、事故調査が、捜 査や裁判とは別個の作用であることを考慮すると、捜査や裁判開始前に調査の 場で謝罪することは、過ちを自認した、つまり、法的責任を肯定する旨の意思 表示と解釈され、捜査や裁判に援用される恐れがあるからである6)。 第 5 医療事故調査委員会の理念型 1 「間口」の問題 ─事故申告のあり方─ 医療事故調の目的が、事故再発防止にあるとすれば、標本となる事故を、で きる限り多く把握し、類型別の事故発生件数と効果的な対策を講じる必要があ る。そのため、申告要件を可及的に緩和するべきである(間口はできるだけ広く)。 しかし、単に間口を広くするだけでは、自らの非ともなりかねない事故の存 在を審らかにしたくないのが人の心理であることから、申告しないケースも必 発なので、正確な統計作成と対策のため、申告を強制することも考えられる。 かような見地から、申告義務違反に対して罰則を設けるべきか、が問題とされ ている。確かに、罰則を付加すると、把握件数は向上するであろうが、不申告 に対して科されるペナルティは、行政処分であって刑罰ではないものの、黙秘 権の保障や不利益供述禁止の見地から問題が多いことは、すでに述べた通りで ある。そうかといって、罰則を外し、倫理的義務に過ぎないとすると、今度は 申告漏れが続発するであろう。少なくとも、正直に申告した医療機関は行政処 分や世論の批判を受け、申告しない医療機関が安穏としていられる、というこ とにはならない要件を整える必要がある。 2 「内容」の問題 ─調査・検討・分析のあり方─ 事故の申告先を、所轄警察署から(医師法 21 条参照)医療事故調査委員会に変 えたとしても、調査方法の正確性が担保されていないとしたら、当事者や社会 の信頼を得られない。そこで、例えば、診療過程、とりわけ手術過程の録画な 172.
(9) 医療関連死における死因究明制度の現状と展望. ど、診療過程の再現性を担保する方途を整備する必要があろう。 また、従来まで、一律に変死体として取り扱われていた医療関連死体を、そ れ以外の変死体と区別して取り扱う以上は、死因究明のため、調査の実効性を 保障する見地から、遺族の承諾の有無にかかわりなく、例外なく行政解剖を可 能とする法整備をなすべきであろう。従来までは、院内調査に資する見地から 遺体を病理解剖に付そうとしても、遺族が承諾しない限り、これを実施するこ とができなかった7)。医療事故調査委員会が存在せず、現行の医師法 21 条が 存在する限り、遺族が病理解剖を拒否すると、難しい症例については必然的に 死因不明ということになるので、医療機関は、事実上、所轄警察署に対する異 状死の届出を強制されていた(もちろん、病理解剖に付したとしても、なお死因不明の 。かような悪循環を断ち切り、医療死亡事故に ゆえに届出が必要なこともあり得る) ついての初動調査機関である医療事故調に、調査を一任する以上は、その調査 を実効性あるもの、医学的正確性・合理性があるものとしなければ、制度構築 の意味がないことは自明である。 事故発生後可及的速やかに正確な結果が出されるとすれば、調査結果を類似事 故の再発防止に役立てることができるのみならず、併せて当事者が納得し、無 用な民事訴訟や刑事裁判を回避できるのであれば、事故に付随する社会的損失 も、最低限度に抑えることができる8)。 3 「出口」の問題 ─結果公表のあり方─ 調査の目的は主に再発防止である。効果的な再発防止案を策定するために調 査をなし、証拠を収集したのである。ゆえに、調査委員会は、これらの証拠に 基づいて診療当時の前提事実を確定し、それに基づいて事故原因を特定し、当 該医療機関をして、その原因除去に務めさせるべきである。そして、調査結果 を広く公開し、多くの医療機関に知らしめることにより、類似の原因に起因す る事故の再発を可及的に防止するべきである。すると、調査件数が増えれば増 えるほど、さまざまな事故原因とその対策が全国的に周知されるので、医療事 173.
(10) 横浜国際経済法学第 19 巻第3号(2011 年3月). 故の発生原因は次第に減少するはずである。調査委員会の主要な目的が、この ようなスキームの完成により達成されることに、異論はあるまい。 もっとも、 「第 4 いわゆる事故調査委員会の目的」において述べたように、 調査委員会の機能・目的に、再発防止のみならず法律上の責任追及をくわえる 見解もあることから、再発防止目的で収集した証拠を、法的責任を問う他の手 続、つまり、罪責を問うための刑事裁判、損害賠償を求める民事訴訟、医療倫 理違反や非行に対する懲戒=行政処分に供することができるのか、が議論され ている。なお、本稿は、医師法 21 条のあり方を中心として、主に調査と捜査・ 公判との関係を論じるものであることから、民事責任や行政処分との関係につ いては、拙稿「民事医療過誤事件における紛争解決手段としての ADR のあり 方 ─その現状と展望・和田仁孝教授の類型論、植木哲教授の試み、東京三弁護士会方式な どを検討素材として─」日本大学法学部「法学紀要」第 52 号所収論文(2011(平成 23)年3月)に譲る。. そこで、刑事責任との関係における問題の所在であるが、捜査機関が捜査に 着手した場合、調査委員会が収集した資料を、刑事訴訟法の手続に即して当事 者より任意領置する、あるいは令状に基づく捜索・押収をする、という形で証 拠資料となし、必要に応じて一件記録の一部として公判廷に提出するという手 続、または、公開に付された資料を直接証拠資料とする方法が想定される。こ れを許すとなると、わが国の最高法規である日本国憲法が、刑事手続における 被疑者 ・ 被告人の人身・財産の(原則)不可侵を基本的人権の一つとして保障 し(人身の自由 憲法 31 条~ 40 条)、これらの条項を授権した刑事訴訟法の諸規 定が、自白法則(補強法則)・伝聞法則・黙秘権保障・令状主義などの諸原則を 採用し、適正手続(憲法 31 条)の下において収集 ・ 採用された証拠方法のみ証 明力を有するとして、人権侵害を可及的に予防しようとした趣旨を潜脱するこ とになるのではないか、くわえて、調査過程において、医療機関が刑事責任の 追及を恐れて供述を渋るのではないか、という点にある。この点については、 捜査に優先して調査に付された事案については、調査に応じて作成された供述 174.
(11) 医療関連死における死因究明制度の現状と展望. 調書の内容や収集された非供述証拠を “ 刑事免責 ” の対象とする、つまり、公 判廷において有罪を証明する証拠方法として採用することができない、とする などの方途も一考の余地があろう。もっとも、一律に証拠能力を否定するので はなくて、両手続の効果を相殺しない限りにおいては例外として証拠能力を肯 定することも、事件の早期解決、当事者の裁判からの早期開放という見地から 有用なので、整合的な運用方法如何を、慎重に検討する必要がある。 ただし、以上のことは、事故調査委員会の性格を、(医療機関が)事故報告を 義務付けられている公設の統一的機関と捉えた場合には(後述の運輸安全委員会 の調査と類似することから)素直に妥当するが、アドホックに設立される院内事故. 調査機関に近い形態である場合には、必ずしも妥当しない。けだし、当事者の 付託合意を前提として設立されるものであるとすれば、その際に調査方法を別 途合意するので、その取り決め方次第といえるからである。このことは、現行 法が、各医療機関に対して院内安全管理委員会の設置と、当委員会に対する院 内事故報告を義務付けているが、事故調査委員会の設置を義務付けておらず、 その設置の有無や態様、調査方法等を当事者の任意としていることからも根拠 付けられる(なお、現行法については第 6「各法案の検討」において後述する)。 4 事故調査委員会の調査と犯罪捜査の競合 事故調査委員会の性格を、(医療機関が)事故報告を義務付けられている公設 の統一的機関と捉えた場合における、調査と捜査の競合問題については、証拠 方法の相互利用の可否や証拠資料の奪い合いなど、未解決の問題が山積してい るので、念入り調整しないと互いに実効性を相殺することにもなりかねない。 この点に関し、医療事故以外の、既存の事故調査委員会の存在形式おいて参考 になるものがあり、また、いくつかの試案も公開されているので、ここに示す。 (1)調整方式 かような方式を採用する既存の事故調査委員会として、船舶や航空機の事故 175.
(12) 横浜国際経済法学第 19 巻第3号(2011 年3月). 調査に関する、運輸安全委員会がある。これは、旧航空・鉄道事故調査委員会 と旧海難審判庁を統合した組織である(2008 年4月運輸安全委員会設置法案可決、同 。旧航空・鉄道事故調査委員会 は、国家行政組織法第 8 条 に 基 づ 年 10 月施行) く委員会たる審議会であるのに対し(いわゆる 8 条委員会)、運輸安全委員会は、 国家行政組織法第 3 条に基づく外局であるため(いわゆる 3 条委員会)、調査権限 が強化・拡大されている。事故調査は、犯罪捜査と競合することになるが、調 査・捜査開始前に、国交省と警察庁・検察庁との間において、事件ごとに、調 査と捜査(とりわけ捜索と押収や領置)に関する覚書を取り交わし、実施細目を取 り決めることにより、実効性を互いに相殺することのないように務めている。 なお、運輸安全委員会が、再発防止という調査目的を達成するためには、その 地位を、アメリカ合衆国における国家運輸安全委員会(NTSB)のように、国交 省から独立した機関に改組し、くわえて過失を免責するなど、証拠(とりわけ 供述証拠)の収集と保全を容易にするべきとの意見もある。. (2)調査優先方式(再発防止優先方式) かような方式を採用する提案として、厚生労働省第 3 次試案・医療安全調査 委員会設置法案(仮称)大綱案がある。そのスキームであるが、医療関連死が 生じた場合、それ以外の変死体とは区別して、所轄警察署に届け出ることなく、 医療機関の判断により、医療安全調査委員会(仮称)に届け出るか、あるいは、 遺族が同委員会に対して調査請求をする。かりに、遺族が捜査機関に対して被 害届をなした場合、捜査機関はこれを受理することなく、調査委員会への届出 を勧奨する。届出内容が法所定の要件を備えていると判断された場合、委員会 は、事故調査を開始する。委員会は、医師ら医療従事者により組織される医療 の専門家集団であるところ、医学的見地から医療過誤と判断された事例につい ては、行政処分に付する。なお、医療機関に対しては再発防止のためのシステ ムエラーの改善を勧告するとともに、その方策の是非を検討し、個人に対して は再発防止のための再教育を施す。ただし、 問題とされた診療行為について「重 176.
(13) 医療関連死における死因究明制度の現状と展望. 大な過失」または「標準的な医療から著しく逸脱した医療」と判断された事例 については捜査機関に通知する義務がある。通知を受けた捜査機関は、これを 捜査の端緒とすることができるが、捜査着手義務はない。委員会は類似事故発 生防止のため、全国の医療機関に対し、当該事例の詳細や行政処分・刑事責任 の結果・再発防止策等を公開し、情報として共有させる、というものである。 (3)犯罪捜査排除方式 かような方式を採用する提案として、日本医師会医療事故責任問題検討委員 会答申「医療事故に対する刑事責任のあり方」(2007(平成 19)年 5 月)がある。 そのスキームであるが、医療関連死体に関する死因究明について、当該事案の 犯罪性の有無については、その判断を捜査機関に委ねるのではなくて、高等裁 判所・高等検察庁の管轄に対応する8地域に「地域評価委員会」を設け、そこ において審査・評価を行わせるべきであると提案している9)。 第 6 各試案の検討 1 医療問題弁護団意見書 この意見書は、厚生労働省「診療行為に関連した死亡の死因究明等の在り方 に関する課題と検討の方向性」と題する答申(2007(平成 19)年 3 月)に対する パブリックコメントである(同年 4 月)。その内容であるが、概ね、 ①診療行為関連死死因究明委員会設置法(仮称)を制定する。医療関連死は本 委員会に届け出れば足り、所轄警察署に届け出る必要はない。 ②当該医療機関は、本委員会への届出と同時に、院内事故調査委員会を設置し、 調査する法的義務を負う。 ③本委員会は、全ての死亡事例について例外なく解剖を実施し、剖検を当該医 療機関に通知する(行政解剖)。 なお、犯罪性を肯定するべき事例については、所轄警察署に通知する。本委 員会は、当該医療機関の院内調査と併行して調査に当たる。 177.
(14) 横浜国際経済法学第 19 巻第3号(2011 年3月). ④医療機関は、院内調査結果と再発防止策を公表するとともに、本委員会に報 告をする。 ⑤本委員会は、自ら行った調査の結果と再発防止策を公表するとともに、当該 医療機関の院内調査結果と再発防止策を評価し、これを公表する。 というものである。各項目について論評すると、 ①について、医師法 21 条の取り扱いについては明言していないが、本条を 削除するという意味なのであろうか。本条のあり方が主要な争点なので見解を 示すべきである。また、医療関連死についてのみ、捜査機関の初動捜査権を制 限しているが、その理由が明言されていないので、法務省や検察庁および警察 庁の同意を得られないように思われる。 ②について、現行の医療法6条ノ 10、同法施行規則1条ノ 11 は、医療機関 に対する医療安全管理委員会の設置と、これに関する院内報告を義務付けてい るが、院内事故調査委員会の設置には言及していない。すると、本試案は、こ れらの条文を改正して事故調査委員会の設置を義務付けるという意味なのであ ろうか。すると、医療機関には、大小さまざまな規模があるところ、本試案の ように一律に院内事故調査委員会の設置を義務付けると、小規模医療機関にお いては、その人的資源と物的設備を確保するための費用を捻出できない場合も あり得る。その場合、財源をどのように確保するのか。 ③について、本意見書は、試案を実効性あるものとするためには、遺族の承 諾なしに行政解剖に付すことを可能とする法整備を不可欠としているが、現状 においても、病理解剖について遺族の承諾を得ることが困難であることに鑑み ると、全死亡事例について解剖を実施することは困難ではないか。 2 日本医師会答申 この意見書は、厚生労働省「診療行為に関連した死亡の死因究明等の在り方 に関する課題と検討の方向性」と題する答申(2007(平成 19)年3月)に対する パブリックコメントである(同年 5 月)。その内容であるが、概ね、 178.
(15) 医療関連死における死因究明制度の現状と展望. ①現行の医師法 21 条、つまり「医師は、死体又は妊娠 4 月以上の死産児を検 案して異状があると認めたときは、24 時間以内に所轄警察署に届け出なけ ればならない」を本文として、これに「但し、医療関連死の場合には、保健 所への届出を以ってこれに代えることができる」との但書を付け加える旨の 一部改正を行う。 ②捜査機関に対し、医療事故に起因する、業務上過失致死傷被疑事件(刑法 211 条参照)に関する捜査・立件基準の公表を求める。. ③異状死の届出先に所轄保健所を加えることを前提として、保健所において、 なお死因を特定できない事案については、現行法制のように、捜査の一環と しての司法行政解剖に付するのではなく、その犯罪性の有無を含めて、中立 的な第三者機関の調査に委ねる。その後の手続については、先に述べた犯罪 捜査排除方式へと移行する。なお、公衆衛生維持の見地から、異状死体が存 在する旨の申告先を、一定年数の臨床経験を有する医師が常駐する保健所と することには合理性がある。 というものである。各項目について論評すると、①と②については、格別の難 点はないが、③につき、医療関連死についてのみ捜査権を否定することについ て、法務省や検察庁および警察庁の同意を得られないように思われる。もっと も、現時点において、日本医師会は、同会答申「医療事故による死亡に対する 責任のあり方について ─制裁型の刑事責任を改め、再教育を中心とした行政 処分へ─」(2010 年 3 月)の中で、この見解を留保し、次に示す厚労省大綱案を 支持し、これを法案とすることを提唱している(日医声明については後で紹介する)。 3 厚生労働省第 3 次試案・医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案 第3次試案(2008(平成 20)年 4 月)と大綱案(同年 6 月)は、細部においては 異なるが、主要部分についてはほぼ同じなので、両案を一括して検討する。そ の内容であるが、概ね、 ①現行の医師法第 21 条、つまり「医師は、死体又は妊娠 4 月以上の死産児を 179.
(16) 横浜国際経済法学第 19 巻第3号(2011 年3月). 検案して異状があると認めたときは、24 時間以内に所轄警察署に届け出な ければならない」を本文として、これに「但し、勤務医が、病院・診療所の 管理者に報告をした場合、または病院等の管理者が、医療法に基づき、医療 関連死を所管の大臣に届け出た場合は(わかりやすく言うと、医療機関が医療安全 、この限りではな 調査委員会に対して医療関連死が発生した旨の届出をなした場合は) い」との但書を付け加える旨の一部改正を行う。 ②医療安全調査委員会が調査の対象とする異状死の範囲を限定する。つまり、 異状死とは、誤った医療を行ったことが明らかであり、その行った医療に起 因して患者が死亡した場合(その行った医療に起因すると疑われる事例を含む)、ま たは、誤った医療を行ったことは明らかではないが、その行った医療に起因 して患者が死亡した場合(その行った医療に起因すると疑われる事例を含み、死亡を 、の各場合である。 予期しなかった事例に限る) ③届出要件の吟味は、死体等を検案した医師ではなく、当該医療機関の管理者 が行う。 ④届出事例について、故意に届出を懈怠した場合、虚偽の届出をなした場合、 検案医より管理者に対して死亡事例が発生した旨の申告がなされなかった場 合など、医療機関の体制不備に起因して、本委員会に対する届出がなされな かった場合には改善命令を出す。現行法のように、届出懈怠の事実から、直 ちにペナルティを課されることはない。 ⑤管理者が届出不要と判断した場合であったとしても、遺族は、本委員会に対 し、調査を請求できる。その結果、調査が開始されたとしても、医療機関は 届出懈怠の責任を負わない。 ⑥犯罪性を肯定するべき一定の要件を備えている場合、つまり「標準的な医療 から著しく逸脱した医療」がなされたと認定された場合には、所轄警察署に 通報する。 というものである。大綱案を論評すると、まず、本案は、いわば役所の公案で あることから、 起案段階において、 関係各省庁などに対する意見聴取とインター 180.
(17) 医療関連死における死因究明制度の現状と展望. ネットを利用したパブリックコメントの収集などにより調整を図った結果であ ること、即ち、党派性の希薄な最大公約数(多数意見の集約)であることを考慮 すると、一私案に過ぎない民主党案と比較すると相対的により中立である。ま た、所轄警察署または医療安全調査委員会への届出を義務付けられる異状死体 の範囲を限定し、届出が容易に捜査の端緒となることのないように配慮してい ることも評価できる。さらには、届出義務懈怠ついて、個人や法人に対する罰 則、つまり応報的な制裁で対処するのではなくて、再発防止を目的とする体制 の改善命令により対処していることも、医療安全委員会の設置目的と合致する。 あえて問題点を指摘するのであれば、①に関し、現行の医師法 21 条を存置 したことであろう。しかし、本条に但書を追加し、本来は例外である医療安全 調査委員会への届出を事実上原則としているので、捜査機関の介入を可及的に 抑制できる。少なくとも、医療者を抜きにして、捜査機関がまっさきに事件性 の有無を決められなくなるので、不合理な捜査をある程度抑制できる。また、 異状死体のうち、診療中または診療後に死亡し、死因を特定できない死体のみ を犯罪捜査の対象から除外する合理的な理由がない、という批判も回避できる。 ゆえに、本条を存置したことを、とくに問題とするべきではない。 4 民主党案(患者支援法案と原因究明制度案) 本案(2008(平成 20)年6月)は、すでに述べたとおり、大綱案と拮抗し得る 唯一の対案である。元来は、 野党の私案に過ぎなかったが、 現政権与党案となり、 可決され得る法案としての地位を得たので、慎重に検討する必要がある。その 内容であるが、概ね、 ①医師法第 21 条を削除する。本条に代えて、 「医師は、診療中の患者が死亡し た場合、妊娠 4 月以上の死産に立ち会った場合、または、死体もしくは妊娠 4 月以上の死産児を検案した場合において、死亡診断書、検案書または死産 証書を交付されるものとされる以外のときは、24 時間以内に所轄警察署に 届け出なければならない」とする規定を新設する。なお、届出義務違反に対 181.
(18) 横浜国際経済法学第 19 巻第3号(2011 年3月). する罰則はない(患者支援法案) 。 ②所轄警察署に対する届出とは別個の手続として、(例え、犯罪捜査が開始されて いたとしても)患者・遺族は、医療安全支援センターに対し、調査を依頼する. ことができる。なお、調査を依頼できる事例は、死亡事例に限られず、高度 の後遺症例を含む。因みに、届出義務違反に対する罰則はない。もっとも、 医療安全支援センターに対する調査依頼の前提として、院内事故調査委員会 による調査が完了していなければならない(原因究明制度案) 。 という、ふたつの法案から構成されるものである。各別に論評すると、 ①について、本条の文言を素直に読むと、要するに、医師が 24 時間以内に 死因を特定できなかった場合には届出義務が発生し、これが犯罪捜査の端緒と なり得ると、(解釈の余地なく)一義的に結論できる。すると、患者支援法案は、 現行法と届出要件を異にする以外、換言すれば、届け出たあと犯罪捜査に付さ れることについては、現行の医師法 21 条と何ら変わらないことになる。また、 医学的見地から考察すると、例えば、患者支援法案によると、分娩中の妊婦死 亡に関し、羊水栓塞症と出血性ショックのいずれに起因するのか特定できな いまま 24 時間を経過した場合(初診における確定診断が極めて困難な症例であるが)、 届出義務が発生することになるが、静脈内に消毒液を誤注射した結果、患者が 死亡した事例(明らかな医療過誤)については、死因は明らかなので死亡診断書 を交付できるゆえ、届出義務は発生しないことになるが、このような結論は著 しく不合理である。前者の症例こそ、まさに犯罪捜査や刑事裁判に適しない症 例であって、医療事故調の調査に委ねられるべきことは論を俟たないからであ る 10)。また、同センターに対する届出義務違反について、罰則により届出を 強制することは不利益供述強要の禁止の見地から問題があることは確かであ る。しかし、罰則に代わる法的ペナルティ、例えば大綱案のような体制改善命 令などのペナルティがないので、隠し得ということにもなりかねず、事故隠し を誘発するのではないか。正直に届け出た医療機関は、結果として “ 馬鹿を見 る ” ことになるのではないか。 182.
(19) 医療関連死における死因究明制度の現状と展望. ②について、捜査機関は、医療安全支援センターとは無関係に捜査を続ける ことができることになる。くわえて、捜査の際に、院内事故調査委員会や同セ ンターの調査結果を尊重する仕組みも担保されていない。つまり、捜査機関は、 自らが必要と考えれば捜査に着手し、被疑者医師を逮捕し、証拠資料を捜索・ 押収できるのである。すると、センターが調査に着手する前に証拠資料が散逸 する恐れがある。あと、本案が院内事故調査委員会による調査を前置している ことにつき、院内事故調査委員会の設置を義務付けている「医療問題意見書」 に対する批判と同じ批判が当てはまる。つまり、小規模医療機関においては、 院内事故調査委員会を設置するに足りる人的資源・物的設備を整えるための財 源を確保することは困難であるところ、その補償をどこの誰がするのか、とい う問題がある。ゆえに、民主党案は、現行医師法 21 条をめぐる諸問題を解消 できていないのみならず、制度運営のための財源確保の問題も解決していない。 第 7 検討結果と私見 大綱案と民主党案が議論の俎上に乗ったとき、政界は、政権交代の可能性が 濃厚な衆議院議員総選挙を控え、風雲急を告げていた。日本医師会や患者団体 は、関係各省庁との折衝を経て、ようやく成案の運びとなった大綱案の法案化 をめざし、政局をにらみつつ、選挙の行方を見守っていた。そのなかで、木下 勝之日本医師会常務理事は、都道府県医師会会員各位に対し、 「…混沌とした 政治状況とはいえ、医療再生の基本法案であるだけに、小我を捨てて大我につ き、医療界がまとまって、大綱案の法制化を果たしたいと考えているので、こ れからもご支援をお願いしたい。 」との声明を発表した(2009(平成 21)年4月)。 その後、選挙は政権交代という形で収束し、民主党が政権与党となった(2009 。民主党系の閣僚や議員は、大綱案の行方について、「2011(平 (平成 21)年 8 月) 」 「厚労省第3次試案が、そのまま成 成 23)年度中に方向性を出して行きたい。 案になることはない。 」 (2010(平成 22)年2月 23 日 衆議院予算委員会における厚労 、あるいは、 「…大綱案をそのまま成案 省政務官足立信也参議院議員(医師)の発言) とするということは、今のところ考えておりませんけれども、今後、幅広く意 183.
(20) 横浜国際経済法学第 19 巻第3号(2011 年3月). 見を伺って、検討を進めるということでございます。まだ、今ですね、いつ提 出するという時期まで決めているわけではございません。 」 (同年3月8日 参議 院予算委員会における長妻昭・前厚生労働大臣の発言)などと発言し、この点に関す. る公式の議論を現在に至るまで一切行っていない。つまり、大綱案は凍結され、 民主党案に関するパブリックコメントを公募するなどの作業も行っていない状 況である。 かような議論状況に関する私見であるが、医事法制全体に対する民主党の姿 勢に疑問を禁じ得ない。民主党は、“ 安心・納得・安全法案 ” と題する基本法 により、医療法・医師法・薬事法をダイナミックに改正するほか、患者支援法・ 原因究明制度をあらたに制定し、医療制度を抜本的に変えようとしている。し かし、その案の内容を仔細に考察すると、いささか、政権人気とり・選挙受け ともとられかねない、患者や遺族への対応・ケアに関する規定ばかりが目立つ。 医師法 21 条問題に関する制度設計の詰めが甘いことからわかるように、全体 として現実離れした理想論に失している。また、制度運営のための人的資源・ 物的設備・財源確保についての検討もなされていない。思うに、制度構築の第 一歩は、医事紛争における原因究明手段の確保、つまり医学的合理性のある事 実の確定がなされること、その方途が担保されることに尽きるのであり、民主 党が強調する再発防止や患者支援は、前提事実が確定された後の問題に過ぎな い。民主党案の問題意識は、前後関係を誤っているのではないか。 私見を総括すると、民主党の “ 安心・納得・安全法案 ” と題する基本法に基 づく、一連の詰めの甘い法案や盛り沢山の法案は、現実と整合させるための審 議に時間を浪費することが明らかなので、叩き台としての資質を疑わざるを得 ない。 第 8 結 語 4案の比較検討作業の結果、相対的に批判の少ない大綱案を法案とするべき である。もっとも、大綱案に対する批判は相対的に少ないに過ぎず、ないわけ 184.
(21) 医療関連死における死因究明制度の現状と展望. ではない。例えば、医療安全調査委員会から所轄警察署への通報が義務付けら れる事例なのか否かを判断する基準としての「標準的な医療から著しく逸脱し た医療」とは、どのような内容なのか、カルテ等の改ざんや、患者や薬品の取 り違え、医療機器の操作ミスなどの単純ミスや、安楽死の要件を満たさない死 亡症例などの故意に起因する事例に限られるのか、それとも医師の専門的知見 や裁量に属する行為を含むのかなど、ある程度具体化しなければならない。こ の基準との絡みで、大綱案は、捜査機関は調査を尊重し、謙抑的な捜査に務め れば足りるとしているが、やはり、少なくとも法律に明文規定を以って、捜査 機関に対する調査尊重義務と捜査謙抑義務を明記する必要がある 11)。そして、 調査と併行して捜査に着手した場合における競合の問題、とりわけ調査過程に おける黙秘権保障の有無などもはっきりとさせなければならない。 また、安医療全調査委員会の性格について、公設の統一的機関と位置付ける としても、例えば厚生労働省の内部機関とするのか、それとも同省の外局、も しくは同省所管の独立行政委員会とするべきなのか、医師会自治の獲得に向け た動きなどを考慮すると、明確にする必要がある。くわえて、各事例に対する 再発防止案の策定について、大綱案は本委員会中央委員会の所掌事務と規定す るのみなので、その具体的な策定プロセスを明確にする必要がある。 しかし、これらの問題点は法案審議過程、あるいは法制化後における改正作 業、もしくは運用により漸次明確化できることである。民主党案の難点のよう な、試案全体を見直すほどの難点とはいえない。そこで、大綱案を法案として 審議するべきである、との結論に至った。 . (2010 年 9 月 26 日 根本晋一 脱稿). 1)医師法 21 条の沿革であるが、1874(明治7)年制定の医制に由来する条文であり、主 に犯罪死の見逃し防止を目的として制定されたものである。医療機関に死因不明の変死 体が搬入されてきた場合、あるいは、診療の際に死亡事故が発生した場合には、前者で あれば、何らかの事件に巻き込まれた結果死亡した可能性を否定できず、後者であれば、 医療過誤の結果死亡した可能性を否定できないからである。本条の制度趣旨について、 185.
(22) 横浜国際経済法学第 19 巻第3号(2011 年3月). 馬渕俊介(民事判例評釈) 「医療事故が発生した際に、当該医療事故を警察に届け出ず、 死因を病死とした診断書を作成した場合と、病院の院長および主治医の死因解明および 説明義務 の 違反 ─東京地判平成 16 年 1 月 30 日(認容)─」塩崎勤編著「医療過誤判 例の研究Ⅱ」393 頁(民事法情報センター 2009 年 東京)など 2)歯科医師には、医師と同じ意味においての異状死届出義務がないことに注意するべきで ある。現行の歯科医師法は、歯科医師に対して死亡診断書交付義務を認めているが、死 体検案書交付義務を認めていない(同法 19 条2項) 。このように、同法が歯科医師に死 体検案義務を認めていないことから、歯科医師には、検案の結果の一つとしての異状死 届出義務もないので、医師法 21 条に相当する規定も存しない。しかし、最近における 歯科診療域の事実上の広がりに鑑みて、歯科領域においても死亡事例が増加することも あり得ることから、歯科医師に対しても死体検案義務を認めるべきであるとする見解が あり、これを認めるとすると、歯科医師も医師と同じく、一定の場合、不利益供述強要 の危険に晒されることになる。もっとも、現行の歯科医師法を前提としても、歯科医師 は、死亡事例につき死亡診断書を交付できない場合には、医師以外の一般人が死体を発 見した時と同じく、医師に死体を検案させ、異状を認めた場合には、当該医師は所轄警 察署に届け出なければならないので、結果として、間接的ながら不利益供述強要の危険 に晒されることになる。佐藤慶太「歯科医療における異状死」医療のあゆみ 224 巻 6 号「異 状死問題をこえて ─法医学からの提言─」443 頁(医歯薬出版 2008 年 東京) 、医師、 歯科医師、その他のコメディカルが負うべき法律上の責任一般について、山川一陽 「医 療事故の概念とそれによる医療機関 ・ 医師の責任」 伊藤文夫=押田茂實編著 「医療事故 紛争の予防・対応の実務─リスク管理から補償のシステムまで」 3~ 13 頁(新日本法 規 2005 年 東京) 、歯科の医科に対する特殊性について、岡島芳伸「歯科医療におけ る二、三の問題 ─歯科医師の説明を中心に」日本法学 59 巻4号「契約法をめぐる諸 問題 篠原弘志教授古稀特別記念号」191 ~ 213 頁(日本大学法学会 1994 年 東京) 3)筆者が、堤晴彦教授(埼玉医科大学医学部教授・救急医学)より聴取した事実によると、 杏林大学事件について、担当医師を在宅起訴した影響により(2002(平成 14)年8月) 、 2006(平成 18 年)3月現在、埼玉県内 に、耳鼻咽喉科 の 第Ⅰ・Ⅱ次救命救急 は 存在 し ないとのことであった。また、福島県立大野病院事件について、担当医師を逮捕 ・ 起訴 した影響により(2005 年(平成 17)年1月) 、全国的に周産期医療科の医師が常駐しな い空白地域が発生し、出産間際の妊婦をヘリコプターにより空輸する事態が多発し、そ の旨のニュース報道がなされた。 4)東京女子医大事件につき東京地判平成 17 年 11 月 30 日(無罪 判例集未登載) ・東京高 判平成 21 年3月 27 日(無罪確定 判例集未登載) 、福島県立大野病院事件 に つ き 福島 地判平成 20 年8月2日(無罪確定 判例集未登載) 、杏林大学事件につき東京地判平成 18 年3月 27 日(無罪 判例集未登載) ・東京高判平成 20 年 11 月 20 日(無罪確定 判 186.
(23) 医療関連死における死因究明制度の現状と展望. 例集未登載) 。なお、東部地域病院絞扼性腸閉塞男児死亡事件につき(2003 年発生) 、検 察は、あり得る症例であるが、まれな症例であって予見困難であることを理由に不起訴 処分とした(2006 年) 。本件症例と、起訴された杏林大学事件の(空前絶後な)症例を 比較すると、 (検察庁内に存在したであろう)それまでの暗黙の起訴基準によれば、東 部地域病院事件を起訴したとしても不合理ではないので、医療事故の刑事事件化につい て謙抑的な運用がなされ始めたとも考えられる。なお、上記各事件は、とりわけ医療側 と患者側の裁判外の対立が激しく、無罪判決確定後も患者側に感情的なしこりが残って いるため、研究対象とすることを避ける傾向があり、判例評釈も僅少である。僅かに、 東京女子医大事件と杏林大学事件に関するものとして、飯田英雄 「刑事医療過誤Ⅱ[増 補版] 」(判例タイムス社 2007 年)があり、両事件の無罪判決を批判している。東京女 子医大事件については、本判決が、医師に過失ありとした院内事故調査委員会報告書の 信用性を否定したことを批判し、 「…被告人医師に対して結果回避措置を期待すること はあながち困難とはいえないのではないかとも思われる。本件判決には、事実認定のみ ならず、過失理論の観点からもさらに検討を要する点があると思われる…」と述べ(650 頁) 、杏林大事件についても、起訴状に記載がなく、また公判においても争点とされなかっ たカルテの改竄を、 「…何らかの方法で」書き加えたと認定した点につき、特段の疑問 を付することなく 「…カルテの改竄を明確に認定している点が注目される」と述べ、 また、 その第一審判決が、過失を認めながらも因果関係を否定するという特異な論理を展開し たことについても、 「…伝統的な過失論では、救命可能性を過失犯の要件である結果回 避可能性の問題としているが、本判決では因果関係の存否の要件として捉えているよう である」と述べ、 論理的矛盾はないと解している(727 頁) 。しかし、 改竄認定については、 刑訴法の大原則である不告不理の原則に背馳する恐れがあり、また過失認定についても、 結果のない過失責任は、少なくとも刑事責任においてはあり得ないことも、容易に理解 できることである。飯田教授は、依拠される立場は格別として、何ゆえに、これらの点 について疑問を呈さなかったのであろうか。有罪の疑いが残ると主張することは容易で あるが、それよりも寧ろ、何ゆえに無罪とせざるを得なかったのか、捜査や裁判という 原因究明手段は医事紛争の真相解明に親しまないからではないか、能力の限界なのでは ないか、という点についての追求がないことの理解に苦しむ。 5)鈴木利廣教授の図解をベースとなし、筆者が一部を修正したものである。明治大学法科 大学院医事法センター・医療問題弁護団共催「医療版事故調 : 緊急公開シンポ ─医療 事故の再発防止、医療と患者の信頼関係の確立をめざして─」 鈴木レジュメ1頁(2008 年8月4日 明治大学アカデミーホール) 6)被害者救済なる項目は、主に民事医療過誤訴訟において、患者側の代理人を専門とする 弁護士らによって語られている。浦川道太郎他編著「専門訴訟講座4 医療訴訟」 (民事 法研究会 2010)176 ~ 184 頁によると、わが国の特殊事情であるが、民事医療過誤訴 187.
(24) 横浜国際経済法学第 19 巻第3号(2011 年3月). 訟における訴訟代理人につき、弁護士は、医療側と患者側のいずれに付くのかアドホッ クに決められることなく、ほぼ確実に、いずれか一方のみの代理人となる慣行があると いう。医療側の代理人は保険会社の顧問であることが多く、患者側の代理人は、特定の グループに所属する弁護士であって、患者側市民団体などとのパイプにより、依頼者を 獲得することが多い。本書は、患者側代理人の訴訟活動と(176 頁) 、医療側代理人の訴 訟活動(183 頁)を区別して説明し、併せて互換性のない理由を説明している(183 ~ 184 頁。医療機関の内部情報に精通した医療側代理人が、別訴において患者側代理人と なり、当該医療機関の責任を追及することは信義に反するのみならず、医療機関は訴訟 代理人を一般に信用しなくなるので、真相解明に差し支えるほか、有効な再発防止策も 打てなくなる恐れがあるから、と説明している) 。なお、“ 謝罪 ” の是非に関し、近年、 アメリカ合衆国より発祥した医療メディエーター制度を採用する医療機関が増え、社団 法人医療メディエーター協会も設立され(2007 年3月) 、 認定制度が始まるなど、 コメディ カルの一角を占めるに至っていることとの関連を考える必要がある。いわゆる医療事故 調停の手段として、メディエーションを行う場合、医療側が、法的責任に直結しない形 での、例えば、“ 結果として助けられなくて残念、申し訳ない ” という趣旨の遺憾の意、 あるいは陳謝の意を表すことがある。しかし、医療側と患者側の裁判上・裁判外の対立 構造が解消されていない現状に鑑みると、これらの意思表示が、法的帰責の自認を含む 方向で解釈される恐れを払拭できないであろう。 7)遺族が病理解剖を拒否する理由の一つとして、当事者である医療機関にこれを一任する と、悪しきピアレビュー(同僚審査) 、つまり庇い合いに堕する危険性があるので、そ の剖検を到底信用できない、という感情があった。そのため、病理解剖を拒否し、医療 機関に所轄警察署へ事故を申告させ、併せて、所轄警察署に対して被害届を提出し、捜 査権の発動を促す、という悪循環があったことは事実である。杏林大学事件が一例であ る。すると、被疑者医師が起訴されない限り、司法解剖の結果としての剖検が明らかに ならず(捜査の一件記録は公判提出記録となるので、捜査の密行性の見地から、原則と して門外不出である) 、不起訴であれば、死因は、事実上永遠にわからない。かりに民 事訴訟を提起したとしても、裁判所は、被疑者医師が起訴されない限り、剖検を見るこ とができないので、その時点においては、医学的合理性のある判決をなし得ないことに なる(因みに、遺体はすでに火葬に付されているので調べようがない) 。つまり、遺族は、 救済されるどころか、却って苦しむことになるのである。 8)前掲註(5)鈴木レジュメ 3 頁は、調査委のメンバーについて、医療従事者のみならず、 法曹の参加も検討するべきであると提言している。 9)日本医師会は、同会答申「医療事故による死亡に対する責任のあり方について ─制裁 型の刑事責任を改め、再教育を中心とした行政処分へ─」 (2010 年3月)のなかで、過 去におけるすべての見解を留保し、大綱案を支持すると表明している。 188.
(25) 医療関連死における死因究明制度の現状と展望. 10)杏林大学事件は一例である。杏林3次救急は死亡児に対し、Ai(オートプシー・イメー ジング・死亡時画像診断)を施行したにもかかわらず、なお頭蓋内に残存していた7・ 6cm の割箸刺入片を見つけることができなかった。なぜならば、1999(平成 11 年)当 時における(3D すらない)CTスキャンの解像力では、木片を映し出せなかったから である。遺族が病理解剖を拒否したこともあり、杏林は異状死の届出をしたのであるが、 三鷹警察署の警察官ともに来院した、東京都監察医務院の監察医でさえも、割箸片の残 存を突き止めることかできず、なおも死因不明ということで、捜査に着手し、その一環 としての司法解剖に付した結果、ようやく割箸片が発見・摘出され、併せて、空前絶後 の特異な刺入経路と死因が判明したのであった。しかし、そのような剖検は、当事者に は知らされず、単に割箸片が発見された事実のみ、当事者とマスコミに伝えられた。捜 査機関は、この剖検を捜査記録として3年間公表せず、3年後、突如として、その剖検 を秘匿しつつ被疑者医師の取調を始め、1ヶ月の後起訴したのであった。当事者は、起 訴後、検察側より公判廷に提出された一件記録を見てはじめて、つまり事故発生後 3 年 余が経過してから、この剖検を知ったのであった。この事件について、かりに大綱案に よれば、死因特定が困難ということで、医療安全調査委員会の調査に付され、間もなく して、空前絶後な症例であることが判明し、10 年間にもおよんだ刑事裁判(無罪)はお ろか、民事訴訟(請求棄却)にすらもならなかったであろう。これに対して患者支援法 案によると、遺族による病理解剖拒否の壁に阻まれ、因果の流れとして当然に所轄警察 署への事故申告がなされ、結果として犯罪とされ、捜査に着手したことであろう。この ことからわかるように、患者支援法案では、杏林大学事件のような、解明に時間がかか る難しい症例であればあるほど調査の対象から外れ、却って捜査の対象とされ、解決困 難な坩堝に嵌ることになる。つまり、現行法制における弊害をまったく是正できないの である。 11)前出註(3)の堤晴彦教授は日本救急医学会の理事であり、大綱案に対する同会声明を 起案したひとりである。堤教授は、2008(平成 20)年7月 28 日、日本医師会館大講堂 にて開催された「診療関連死の死因究明制度創設にかかわる公開討論会」に同会代表の パネリストとして参加され、業務上過失致傷罪の医療行為に対する適用基準に関し、交 通事故を援用され、加害者であると疑われる余地のある者の、所轄警察署に対する報告 義務の内容について、道路交通法の運用・解釈として、ある程度の合理的な限定がなさ れているが、医療事故については、かような限定がないのみならず、医師法 21 条の異 状死届出義務があることから、却って不利益供述を事実上強いられ、結果として届出事 例の多くが業過に問われていることが問題であると指摘されている。この発言を演繹す ると、大綱案が医療安全調査委員会に対して所轄警察署への通知義務を課した「標準的 な医療から著しく逸脱した医療」の内容を具体化・類型化すれば、捜査権は合理的に抑 制され、医療者を抜きにして、捜査機関がまっさきに事件性の有無を判断することはな 189.
(26) 横浜国際経済法学第 19 巻第3号(2011 年3月). くなる、ということになろう。また、堤教授は、業過規定の改正問題にも言及されてい るが、近年における刑法改正作業により、自動車運転による過失致傷行為について特別 規定を設けたことに鑑みると(改正刑法 211 条2項。ただし、行為態様よりも法定刑を 重くしたことがポイント) 、医療事故についても別個の規定を設け、その適用範囲を合 理的に限定し、ある程度明確化することも、捜査権の発動を必要最小限度に制限する契 機となろう。. 私は、本学大学院在学中、田中利幸先生の講義より、多くの薫陶を受けました。それは、 私の、研究者としての貴重な財産となっております。僭越ながら、この場を借りまして、 深謝し御礼を申し上げます。. 190.
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