• 検索結果がありません。

歌唱活動を中心とした小学校音楽教育に関する一考察

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "歌唱活動を中心とした小学校音楽教育に関する一考察"

Copied!
97
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)平成10年度 学位論文. 歌唱活動を中心とした. 小学校音楽教育に関する一考察. 兵庫教育大学大学院 学校教育研究科 教科・領域教育専攻. 国 枝 伸 弘. 芸術系コース.

(2) 凡 例 *引用文献・参考文献および資料名を示す場合『 』を用いる。 *その章で新しく引用文献・参考文献が出てきた時には,(著者名・『著書名』 ・出版年) と記す。. *雑誌については,本論には雑誌名を記し,巻末に著者の題目を記す。. *引用文,および重要な単語には「」を入れる。 *表や図は,それぞれの章ごとの番号にする。. *人名の敬称はすべて省略する。.

(3) 目. 次. 凡例 はじめに. 第1章. ………………………………・・・・・・……1. 歌唱教育における問題点. 第1節 第2節. 音楽の授業のあり方 …………………………7. 第3節. 連合音楽会の衰退 ……………・・…・…………11. 第4節. 子どもを取り巻く音楽環境 …………………15. 第5節. 歌わないこども. 第皿章. ……………・・・……………18. 学校でしかできない音楽. 第1節 第2節 第3節 第4節 第5節 第6節 第皿章. 息抜きとしての音楽の授業……………………5. 学校に音楽は必要か……………………………25 子どもにとっての表現…………………………28 全校音楽の成果…………………………………31 課外活動における音楽教育……………………34 子どもの文化……………………………………36 音楽教育の有効性………………………………37. 人間と「うた」. 第1節. 人間と「うた」…………………………………41. 第2節. 楽しく歌うということ…………………………43. 第3節. ストレスと音楽…………………………………4g.

(4) 第1V’章. 合唱活動の意義. 第1節 自己表出と合唱のかかわり……… 第2節 合唱における事例研究…………… 一. 歌唱活動を通して生きる力への発展. 。・・・・…. @。・。・… 55. … 。・・・・・・・・… 56. 一. ①本番にとどいた奇跡のソ……………………………56. ②歌唱に対して無気力なY児の変貌…………………60 ③体調不良の中での涙の特訓…………………………63 ④双子の兄弟のレギュラー選抜………………………65. ⑤父子家庭の中で3年目の初出場……………………68 ⑥不登校児S児の音楽体験……………………………71 おわりに. ……………・・・…………………………74. 引用・参考文献および資料………………………………78 参考資料. 謝辞. ……………・・…・………………………83.

(5) はじめに 昨今、頻繁に小・中学生による殺傷事件が報道されたり,少年による犯罪が 増加の一途をたどったりという現象が起きている。こんなにも現代の子どもた. ちの心をすさんだものにしているものは,何なのだろうか。10年前には想像 もしなかった変化が,学校や教育をめぐって,あるいは子どもたちの心の中で 確実に起きている。. 新学力観・指導から支援へ・子ども中心の授業・生活科・環境教育・国際理. 解教育・新しい教科の発想・そして,学校週5日制と現代の学校教育はあまり にも多くの課題を抱えている。学校教育が大きな転換期を向かえた今,私たち 教育者は大きな渦の中にいる。この大きな社会の変化に対応すべく,学校が, 教師自身が,自ら変革しなければならない時を迎えている。. 数年前表定定構想がとりざたされた時,多くの人たちが,音楽科がなくなる ことへの危虞を背景に,表現科反対の大合唱を行った。戦後の音楽科の歴史は. 50年を超え,着実に音楽教育の実績を積み上げてきていることは周知のこと である。だが,音楽教育に対する批判の声があることも事実である。学校音楽 教育は今のままでよいのだろうか。社会や子どもたちのこのような大きな変化 に音楽教育は対応できているのであろうか。. そもそも,音楽と人間とのかかわりを考えてみると,音楽は,人間がこの世 の中に生活を始めた時から,人間の生活とともに存在していたと考えられる。. それは、有史以前の古代エジプトの壁画やギリシアの彫刻などに集団で歌って いる姿が描かれていることからわかる。音楽は,古くから人間の生命そのもの と共存してきたといえよう。また音楽は人間の精神と深く結びついており,喜 怒哀楽といった〈感情〉とも大きくかかわっている。とりわけ「うたうこと」. は,人間の生活と切り離せないものであり,それは必然性をもって生み出され た行為といえよう。. 音楽の原点は,「うたうこと」であると筆者は考える。「うたう」の語源が 「訴う」であるように、人が「声をだしてうたう」という行為は,人間の魂を. .1一.

(6) 直接揺さぶる,最も有効な手段の一つだと思うのである。また「うたう」とい う行為は,自己表出の最も直接的な手段ではないだろうか。「うたうこと」に は,人問の生活を潤いのあるものにし,人の心を和らげ,人と人の絆を強める という作用がある。. そういう意味からも,音楽教育の場では「うたう」という活動が重要な位置 をしめている。「うたう」という行為は,実に簡単な行為にみえるが,教育の 上で本質的にそれを行おうとする時,かなりのエネルギーが必要となる。なぜ なら,「うまくうたう」ための技術指導はもとより,「うたおうという気持ち になる」「うたわずにはいられない雰囲気づくり」など,精神面での指導も重 要になってくるからである。. では子どもの実態はどうかというと,昨今「子どもの学校音楽ばなれ」が,. 問題となってきている。中学校や高校では,音楽の授業で子どもが歌わないと いう例も少なくない。元来「うたうこと」や「体を動かすこと」が大好きな子 どもが,どうして「うたうこと」を嫌いになってしまうのか。だが一方,学校 をはなれると,カラオケやバンド活動など積極的に音楽活動をする姿が日常的 に見受けられる。この現象はどうみても学校における音楽教育の成果とは考え にくい。学校では歌わないが学校以外では歌う。ここに学校音楽教育の大きな 課題があるのではないか。. 歌唱活動の中でも教育現場でとりわけ重要な位置をしめるのが合唱活動であ る。合唱活動は,複数の人が音を出し合い音楽として成立させるものである。. そこには,うたう者それぞれの主張があり,指揮者を含めた音楽を共有する者 たちの絡まりの中から一つの音が生まれ,育まれていく。そして子ども同士,. 教師と子どもの心のつながりが生まれ,本物の音楽が生まれる。さらに,音楽 美を追求する姿勢が育ち,美しいハーモニーに感動するといった体験も生まれ る。これらのことが,子どもたちの人格形成に大きく作用し,精神の安定や連 帯意識の育成といった効果につながっているのではないだろうか。. 以上のことを基底におきながら,学校教育の中で音楽教育がこれから先,ど. 一2一.

(7) のような位置をしめ,さらにその中で歌唱教育がどのような役割を果たしてい けるのかを考察していきたい。また,音楽教育がともすれば学校教育の中で軽 視されつつある現状をふまえ,とりわけ集団活動を基盤とした合唱活動の意義 を,事例研究を通し「生きる力への発展」というテーマに沿って探究したい。. これからの教育が生涯学習としての広がりをもって進もうとしている今,学 校における音楽教育も,子どもたちの将来の音楽活動というところまで視野に 入れて取り組むべきである。その意味で,歌唱活動を中心としたこれからの音 楽教育の理想像を追求していきたい。. 一3一.

(8) 第1章. 歌唱教育における問題点. 第1節. 息抜きとしての音楽の授業. 第2節. 音楽の授業のあり方. 第3節. 連合音楽会の衰退. 第4節. 子どもを取り巻く音楽環境. 第5節. 歌わない子ども.

(9) 歌唱教育における問題点. 第1章. 第1節 息抜きとしての音楽の授業. ここに1っの詩がある。 計算テスト,漢字テスト,文章テスト 学力テスト,全校テスト テスト,テスト,テスト テストが追っかけて休むひまがない。 テストさん 少し休ませてください。 ぼくはっかれた。. (朝目新聞「小さな目」より). このように子どもたちがテストに追われていることは大人たちはよく知って いるはずである。きっと,「がんばって」と励ますより他に成す術がないこと であろう。まるで,学校教育全体が,受験向きに組織されているようにさえ感 じる。しかし,明らかにテストの点で,成績で,子どもたちは輪切りにされる のが現状である。仮に小学校で新学力観と銘打ち,成績主義を廃止しても,今 の受験制度では,高校入試を迎えた子どもたちは結局テストに追いまくられる のである。. ここで,ある小学6年忌0児の事例をとりあげて考えてみよう。. 0児は,小学6年生男子,学業の成績は優秀で親の希望もあり,4年生の時 から私立中学をめざして,学習塾に通い続けた。毎晩弁当持ちで,母親の車で. の送迎つきで近くの町まで通った。筆者は週2時間の音楽だけを担当していた が,ある音楽の時間に0児がぼつりとつぶやいた。音楽の授業が始まってまも なく,覇気がない0児にどうしたのかと聞くと,「もう,僕つかれた」と一言 言った。しかし,そのうち周りが大きな声で歌い出すと,ぼうっともしておら れず元気に歌い出した。もともと音楽は好きな方だったので,エンジンがかか. 一5一.

(10) ると,汗ばむほど体全体で歌って,授業が終わるとすっきりした顔つきで教室. へ帰っていった。その日の放課後,ホームルームを終えた0児は,少しだけ音 楽室に立ち寄り,こう言い残して帰っていった。「僕は学校へ来ていて,給食 を食べながら友達としゃべる時と,歌を歌ったり,運動をしている時だけが楽 しい。だから,先生これからも楽しい歌いっぱい歌わせてな。」と。. 卒業式を間近に控えた3月のある日,休み時間に0児が音楽室にやって来て 急に顔をくやくしゃにして泣き出した。何事かと思うと,めざしていた私立中 学に落ちたというのである。「僕の3年間は何やつたんや,したいこともせず,. ぐっとがまんして勉強したのに,僕はこれからどうしたらいいんや。」と大声 で泣き叫んだ。筆者は,慰めの言葉もなかったが,やがて時間がたち,静かに. 帰っていった。それから,0児は,公立中学に進み,大学を出て立派な社会人 となった。. 筆者は,その時のことが印象的で忘れられない。. ここで考えたいのは,いつも睡眠不足で普段の授業も居眠りがちな0児がど うして,音楽の時間は生き生きとしていたのか。なぜ,学校で歌っている時が 楽しいと言ったのかである。小学校高学年ともなると,学習内容が煩雑で,覚 えることもぐんと増える。そして,音楽や図工,体育などが,息抜きという表 現が適切でないにしてもそれに近い時間となっていることは否定できない。子 どもたち自身が意識していなくても結果的にそうなっている場合もある。それ ほど疲れ果て,精神的に欲求不満が溜まった状態の子どもが多いということで. ある。三目の塾通いで肉体的にも精神的にも疲れ切っていた0児もその一人で あったといえよう。実際に音楽の授業の後,「もやもやがとれた」とか「頭が すっきりした」と言いながら音楽室を出ていく子どもをよくみかける。もし,. 音楽の時間も難解な語句の意味を考えたり,たくさんの用語を覚えたり,難し い理論を学ぶ時間であったなら,決して子どもたちはそんな気分にはならない であろう。音楽には,このようないらいらした気持ちから解放してくれる,疲. れた心を癒してくれる働きがあるのである。そう考えると,0児のとった言動 が理解できる。. 0児に限らず最近の子どもたちは,学習塾や習い事,スポーツクラブにと追. 一6..

(11) いまくられた生活を送っている。今の子どもにとって,学校はむしろ息抜きの 場となっている場合さえある。決してそれを肯定するわけではないが,そこま で子どもたちを追いつめる方向にある現代の教育をこのまま見過ごしてよいの だろうか。もっと子どもたちの心情を考え,今何が子どもたちに必要なのかを 熟考することが差し迫った課題ではないだろうか。. このように音楽科の授業が息抜き的要素をもった時間として扱われている実 態は,学年が進むにつれて多くなる傾向にある。また,それを間近に感じ,こ れからの音楽科教育を危惧している教師も多くいるであろう。心豊かに生きて いくことをめざし,豊かな感性を育むはずの音楽科の授業が,果たしてこのよ うな状態でよいのだろうか。. 第2節. 音楽の授業のあり方. では,理想的な音楽の授業とは,どうあるべきなのだろうか。たとえば、小 学校高学年の学習指導要領では、 ロ. ロ. !①音楽の美しさを味わい,音楽活動をしょうとする意欲を育てる。 ほ. コ. ロ. ロ. 1. 1②音の重なりや和声の聴取と表現に重点を置いて,表現及び鑑賞の能力 :. 1 を育てる。 ! 1③音楽経験を生かして,生活を明るく潤いのあるものにする態度と習慣 1. ロ. ロ. ほ. コ. 墨. ■. 1 を育てる。. :. 1・一一購・一・繭・■騨一膨幽圏一願繍“一・一幽6圏9幽曜・一9幽幽一塵薗層一騨一■幽伽一.■響■・■幽一巳■薗薗豊一・■薗魑.■露翻・■■陶冨■塵一閲嗣日ロー■・■・一邑一一嘲學願・」. となっていて,実際現場では,次のような学習が行われている。. .7一.

(12) ・歌の歌い方を学ぶ ・楽器の演奏法を学ぶ ・簡単な旋律を創る ・指揮の仕方を学ぶ. ・リズム・旋律・和声を聴き取る ・楽譜を読む. ・作曲家の生涯や作品について学ぶ. これらは,何かを為すための「技能」と,何かについて知るという「知的理 解」の二つの学習にまとめられる。これらの力は音楽をするために必要不可欠 なことである。音楽表現するためには,楽譜どおりの音を出す演奏技能や,音 楽に関する知識は当然必要になってくるからである。また,演奏技術を身につ けるには,繰り返し行われる錬磨も必要となってくる。そしてこれらの技能や 知的理解の前提として,指導要領にもあるように「音楽活動をしょうとする意 欲を育てる」ことが必要不可欠となってくる。音楽に対する“心の高まり”な くして,音楽活動は成り立たず,そこにどんなにすぐれた技術や知識を持って きても無意味なものになってしまう。こんなふうに歌いたいとかこのように演 奏したいという欲求がないと,演奏は無味乾燥なものになってしまうだろう。. いわば,この“心の高まり”と“優れた演奏技術”が相まってひとつの音楽が 生まれ,そこに魂が吹き込まれるのである。時には,地道な錬磨の過程でしだ いに心が高まっていくということもある。要はバランスの問題で,両者は相互 作用をなすものである。. しかし,従来の音楽の授業は,技能習得に偏りすぎた傾向にあるのではない かという反省がなされている。それは,明治以来の教育が知育偏重になってい たことの影響もあるが,別の角度から見ると,技能や知識は目で見たり耳で聞 いたりわかりやすいものであるのに対し,心の高まりはみえにくいものである ということも原因の一つではないだろうか。大事なことは,音楽の持つ本来の 意味,音楽を通じて子どもたちをどのように育てたいかということを常に念頭. 一8一.

(13) に置くことである。学習指導要領の改訂に伴い,評価の項目も「知識・理解」. が先頭にきていたのが,「意欲」が先頭にくるようになった。ここにもこれか らの教育が何を重視していこうとしているかが伺える。. では,学校の音楽の授業に何が求められているか,それについて考えるこ とにしよう。. 小学校音楽科の授業では,子ども達がさまざまな音楽にふれ,自分の感じ方 や考え方を生かして音楽表現を楽しんだり,音楽を聴いてそのよさや美しさを 深く感じ取ったりするような学習活動,つまり子ども達が,音や音楽,人と音 楽とのかかわり方などを《自分のものにしていく》ような学習活動が強く求め られている。それは,子ども達の今までの音楽経験やそれから身につけたもの などから,かかわる対象の内包する意味や価値を自分なりに受けとめ,その中 に新たな課題をみつけ,それを納得するまで追求することである。 さらに,新たな音楽経験をしたり,新たな技能や知識を身につけることで《音. 楽へのかかわり方》や《自分独特の音楽表現を探っていく》という方向への発 展がみられるのである。. 《自分のものにしていく》ということを具体的に言うと,例えば文部省唱歌 の「もみじ」や「おぼろ月夜」を歌詞の持つ意味や情景を自分たちなりに受け 止め,自分たちが納得いくまで繰り返し歌ったり,「まきばの朝」や「冬げし き」を友達と歌声を合わせることで喜びを共有したり,「冬の歌」や「アンデ スの祭り」を友達と編曲して器楽合奏し,楽器を合わせることの楽しさを感じ たりする,ということである。. あるいは,《音楽へのかかわり方》という面でいうと,教師の三唱や模範演 奏を聴いたり,上級生の演奏を聴いたりして,直接音楽にふれることで意欲や 関心を高め,その音楽との新鮮な出会いが自分たちの活動の方向を示唆してく. れるということもある。例えば,体育館で行われる音楽集会で,6年生80名 が「サライ」をきれいな頭声的発声で歌ったところ,1年生の教室やろうかで 一目中この歌を口ずさむのが聞こえていたという事例がある。1年生にとって は生の歌声は初めて聴くものだったのである。そのうえ,この1年生が音楽会. 一9一.

(14) で6年生の影響を受けて,頭声的発声で歌ったというのであるから驚きである。. また,《自分独特の音楽表現を探っていく》というのは,子どもたちが音楽 活動をしさらにそれを深めようとした時,自分たちなりの音楽表現の仕方を工 夫するようになる。歌唱表現の場合なら,その歌の歌詞内容にふさわしいフレ ーズの作り方とか,発声の仕方,ブレスの仕方などを工夫することである。そ れがどのような音楽表現にたどりついたかという結果も大事であるが,その過 程がそれ以上に大切なのである。. このように子どもと,学習対象としての音楽との生き生きとしたかかわりを 引き出し,日々の学習活動が,より創造的で主体的なものになるには,個に応 じた教育という観点にたち,音楽の授業を子ども達が自ら創り出していくとい う展開が必要となる。. このような観点から,音楽科の授業について,筆者なりに問題点を考えてみ た。. ①〈子どもの学習活動〉 子ども達は日々の授業を通して,心から音楽を楽しみ,進んで音楽活動に 参加しようとしているだろうか。. 子どもたちが音楽を好きになり,楽しんでいるかどうかということは,その 授業の成否にかかわる重要な問題である。子どもたちが主体的に音楽活動に取 り組んでいるか,それぞれの子どものよさや可能性を発揮:して豊かな自己実現 を目指しているかが重要である。. ②〈教師の役割〉. 音楽と子どもの出会いにおいて,教師は有効な橋渡しの役割を果たしてい るか。子どもが主体的に音楽を学ぶことにおいて,適切な支援をしているか。. 子どもたちがどのような形で音楽に出会うかということについて,教師の果 たす役割は大きい。理想的な授業の姿は,教師自らも音楽を楽しみっつ,それ が鏡のごとく子どもたちに反映されており,教師が子どもの音楽活動にとって. 一10一.

(15) よき支援者となっているという形である。. ③〈授業の実態〉 子ども達が歌うことや楽器を演奏することに喜びを感じ,「音楽の楽しみ」. という本質に触れられるような授業の工夫がなされているだろうか。. 授業が形式的になったり,画一的になったりしていないかということについ て,教師はいつも省なくてはならない。学習活動の内容や方法がその手順ばか りにとらわれていないかどうかにも注意を傾ける必要がある。常に心がけるこ とは,音楽の本来の目標を見失ってはいないかということである。. 以上のような課題を解決するには,音楽科の学習活動を「子どもと音楽との かかわりを深める過程」としてとらえなおし,音楽科で育てる資質・能力を明 確化し,教師自身がはっきりと意識をもって指導に当たることが必要なのでは ないだろうか。音楽の授業で学ぶこと,それは指導要領にもあるように,①音 楽活動への意欲をかきたて,②表現及び鑑賞の能力を身につけ,③音楽に対す. る態度と習慣を養うことの3点に集約されるのである。さらに,のぞましい音 楽の授業のあり方は,「音楽にふれる喜びを感じ,子どもの主体性や感性を育 てる授業」を組み立てることである。. 第3節 連合音楽会の衰退 音楽教育には,その成果を発表する音楽会というものがある。音楽が視覚や 聴覚に訴える芸術であるからであろう。では,最近の小学校ではどのような曲. が発表されているのかについてみてみよう。平成元年度∼平成7年度までの揖 保郡太子町連合音楽会で歌われた合唱曲(斉唱を含む)を抽出し,集計してみ. た。総丁数は161曲であった。 小学校の合唱曲として歌われたものは,全部で161作品で,内訳は次のよ 一11..

(16) うである。(資料参照). グラフ1ジャンルによる分類 丁合唱曲 ■外国曲 □教科書. 1. ロポピュラー. ■童謡・唱歌 0%. 20%. 40%. 80%. 60%. 100%. 囮不詳. ・合唱曲…………合唱曲として作曲された作品 ・外国曲…………外国民謡など. ・教科書…………教科書のための書き下ろし作品 ・ポピュラー……国内・外のポピュラー作品 ・童謡・唱歌……童謡・唱歌及びそれらを素材とした編曲作品 ・不詳……………曲名からは判断が不可能な作品. 出場規定に「2曲の場合は,1曲は教科書から選曲,もう1曲は児童の発達 段階にあったもの」という項目があり,1曲教科書から選定しているので,も う1曲は歴とした合唱曲が選ばれた傾向が強い。教科書の曲は歌いやすく,練 習時間もあまりとらないので好まれるが,簡単な構成のものが多く演奏時間も 短いため,発表曲としては向かないものもある。そのせいか,教科書の改訂の 度に音楽会用練習曲として,巻末にやや長めの作品が載せられることが増えて きた。. 子どもの歌いたい曲という設定で選曲した場合は,ポピュラー作品になるこ とが多い。ここには高学年の教科書ばなれという傾向がみえる。. 次に,年度別曲数をみてみると,次のようになっている。. 12一.

(17) グラフ2年度別珍数. 30 25 20. 圃平成元年 ■2年 ロ3年 □4年. 15 10. ■5年 國6年 ■7年. 5. 0 1. 「学年100人を超える場合は2ステージ」という規定があるため,ステー ジ数は毎年変化があまりないが,平成5年でステージ数が急に減っているのは, 3年生が参加しなくなったためである。. 次に,演奏形態による分類をみてみよう。 グラフ3演奏形態による分類. 80. ,73ゴ∴・ ・、・.,『』・:.;. 60. 饒ll::. 40 20. 裡三部合唱. 0. 3年以上の参加なので,斉唱は圧倒的に少ない。やはり,二部合唱が圧倒的 に多いのは,指導が安易であることと,児童の発達段階に合っているからであ ろう。三部合唱については,ほとんどが音楽クラブによるもので,合唱組曲の 中の作品が多い。全体的には,同声合唱の作品は,混声や女声に比べて少なく,. 楽譜を手に入れるのに時間がかかるという問題もある。近年では,前奏や間奏 にマリンバやグロッケンの簡単な演奏を入れたり,効果音を取り入れたりとい うアレンジも増えてきて趣向をこらす傾向にあった。. 一13一.

(18) この連合音楽会は,平成7年の第38回を最後に廃止となった。38年前か らの経過を簡単に言うと,最初は,小学1年∼6年,中学1年∼3年という全 員参加によるものであった。それは,子どもの数が少なかったせいもある。そ. の後,小学1年生と中学3年忌がカットになり,次には小学2年忌がカット,. 中学1・2年は校内合唱コンクールで優秀賞に選ばれた各学年2クラスのみと なった。そして,次に小学3年忌がカットされ,中学校は普通クラスは全面カ ット,クラブのみの参加となった。いずれも,練習の困難さ,引率の困難さ, 運営の簡素化という理由で,長時間の協議の上,決定された。. その後,太子町の小学校の教師全員に連合音楽会の運営についてアンケート をとった。その結果は,縮小または廃止の方向へという意見が多かった。その 理由としては,. ・練習時間が充分とれず,演奏が仕上がらない ・会場まで児童を引率することに対する安全面の危惧と人員不足 ・学校間で演奏が比較される. ・学校行事の精選 ・前日の準備と素目の後かたづけにかかる手間 などがあげられた。. そして,とうとう平成7年度で廃止,平成8・9年度は,町民芸術祭として,. 各学校1ステージのみの参加となり,平成10年度には,学校としての参加は 全面的に消滅した。このように音楽に関して,教師も行政もその多忙さからか, 意識がうすくなる傾向にあった。. 連合音楽会に限らず,最近の小学校では,校内音楽会についてもステージ数 や曲目を減らしたりして,簡素化を図っている。また,この太子町だけでなく,. 近隣の市町も音楽会が廃止されたり,縮小されたりという現象がおきている。 原因は,学校や行政,あるいは教師,保護者などの音楽に対する意識の低下,. 音楽嫌いの子どもの増加,学校の多忙化による行事の削減,予算の削減による 音楽室や楽器の不備という環境の悪化などが考えられる。このような現象の影 響でさらに子どもの音楽への意識の低下,音楽に携わる機会の減少,音楽嫌い の子どもの増加という傾向がみられるのも事実である。子どもが歌わなくなつ. 一14一.

(19) ている原因がこんなところにもあるのである。. 第4節 子どもを取り巻く音楽環境 現代の子どもたちの周りには、ありとあらゆる音楽が氾濫している。子ども たちが,朝起きてから夜眠るまで,どれだけの音楽を耳にしているか,もしそ の音楽なしの生活であったなら,どれだけ無味乾燥な生活であることか,子ど もたちは気づいていない。それは,音楽に取り巻かれている毎日の生活が当た. り前になっているからである。例えば筆者の住む地域では,早朝5時,夕方5 時半,夜10時の3回,街全体に童謡“赤とんぼ”が流れる。朝の目覚まし, 夕方の帰宅勧告,夜の就寝勧告である。そして,子どもたちがテレビのチャン ネルをひねると,数々のCMソングが流れていて,当然のように覚えてしまう。 朝,登校途中信号待ちをしていると,信号機から音楽が流れる。学校に着くと,. 校内放送で朝の音楽が流れる。全校で歌う朝の歌や,クラスソングを歌う。音 楽の授業で教材を習う。給食の時間,さまざまな音楽が流れる。昼休みの音楽 が校舎全体に鳴り響く。清掃や下校の音楽が流れる。帰って遊ぶファミコンの 音楽が流れる。テレビの歌謡番組で最近のヒットソングを耳にする。それを家. 族でカラオケに出かけた時に歌う。CDを買ってきて、(レンタルもある)ス テレオで聴く。このように子どもたちの生活に音楽は充満しているのである。. そこで小学校4∼6年生の児童にアンケートをしてみた。 「あなたはどんな音楽が好きですか?」という問いに対して次のような回答 を得た。. 一15一.

(20) 1位 アニメソング 2位 ニューミュージック. 3位 CMソング 4位童謡(ポケット歌集に載っている). 5位学校で習う歌 6位 クラシック. 表1 ほとんどの子どもが知っていて興味を示すのは,毎週テレビで放映される1 位のアニメの主題歌である。修学旅行のバスの中でいち早く飛び出し,みんな. が知っていて歌えるというのがこれである。2位のニューミュージックは,最. 近流行の歌手やバンドの歌でCD売り上げベスト50の中に入るような曲で子 どもたちも安価で購入したり,CDレンタルしたりしている。また,ドラマの 主題歌になる場合も多いので継続して耳にしゃすい。しかし曲の回転が早く,. そのスパンは短い。3位のCMソングは,覚えようとして覚えるのでなくこの テレビ時代に育った子どもたちの特徴か,よく繰り返されるCMのバックミュ ージックなどを知らず知らずの問に覚えてしまっているというのである。これ. はスポンサーのねらいでもあるが,ふとした時にこの簡単なCMソングを口ず さんでしまうというのである。あまりテレビを見ない子がみんなが知っている CMソングを知らなくて,いじめの原因になったという例もあるくらいである。. 4位の童謡は,学校で全校音楽などで歌う毎月の歌で一人一人が持っているポ ケット歌集に掲載されているものである。音楽の教科書には載っていないが,. 一般的によく知られている曲である。これも全員が知っているので,集会活動. など一同に会して歌うには適している。5位の学校で習う歌というのは,音楽 の授業で習うものでほとんどが教科書教材であるが,たとえば文部省唱歌など は,その良さにふれずのまま通過していたりして,堅苦しいとか古くさいとか いう理由で敬遠されることが多い。教材の中でも新鋭作曲家による新曲に興味. を示すという場合が多い。6位のクラシックというのは,ごく少数で家で家族. 一16一.

(21) がクラシックを聴いているので知っているとか,ピアノを習っている子どもが 発表会で聴く曲とか,学校の音楽の時間に鑑賞で聴いた曲に興味が湧いたなど である。. 次に自分と音楽のかかわりをどのように見ているかを調べてみた。 「音楽はあなたにとってどういう存在ですか?」という問いに対しては,4・ 5年生はややむずかしかったらしく注釈をいれながらの回答となった。. ・生活の中でなくてはならないもの ・心をやさしくしてくれるもの. ………………… 32% ………………… 67%. ・生活を潤いのあるものにしてくれるもの ……………40% ・気分を楽しくしてくれるもの. ………………… 87%. ・むしゃくしゃした時すっきりさせてくれるもの………63% ・落ち込んだ時励ましてくれるもの. ・別になくてもいいもの. ………………… 38%. ………………… 12%. 表2 表2からわかるように,子どもにとって音楽はいろいろな効果があることが わかった。《生活の中でなくてはならない》と感じている児童は,〈ないと寂 しい〉とかく張り合いがなくなる〉とかいう反応を示した。しかし男子の多く. はそこまでの思い入ればないようで,〈なくても生活はできる〉と淡々として いる。《心をやさしくしてくれる》というのは,気持ちがギスギスしている時 に音楽を聴くと,和らいだ気分になるというのである。心を落ち着かせてくれ るもこの項に含めた。《生活を潤いのあるものにしてくれる》というのは,前 述の給食とか,昼休み,朝の登校時とかに音楽がある方がさわやかな気分にな って一日が楽しいというのである。しかし,選曲によるのでその場に適した曲 かどうかが大きく左右するらしい。《気分を楽しくしてくれる》というのも,. 何か学校で行事があったり,家で自分の部屋にいる時音楽があると楽しくなる というのである。《むしゃくしゃした時》というのは,友達とけんかしたり,. 親に叱られた時,大きな声で歌ったり,聴いたりすると,ストレスの解消がで. 一17一.

(22) きてすっきりするというのである。《落ち込んだ時》というのは,ショックな ことがあった時,音楽が自分を慰めてくれるというのである。《別になくても いい》と考えている児童は少なく,ほとんど興味をしめさないか,音楽の価値 を感じていない子どもによるものらしい。. この他,「将来何らかの形で音楽とかかわっていきたいか」という問いに対 しては,《自分の好きな曲を趣味として楽しみたい》という意見が多く,音楽 は生活ときりはなせないものだと考えている子どもが多いということがわかっ た。しかし,一部の女子が,《将来音楽の先生になりたい》とか,《ピアノの 先生になりたい》と答えたが,将来音楽に関する仕事に携わることを考えてい る児童はごく少数であることもわかった。. いずれにしても子どもたちを取り巻く音楽は多様であり,音楽環境の変化に は目をみはるものがある。オルガン伴奏による唱歌学習が音楽体験のすべてで あった明治・大正期から,ラジオ・レコード・テレビによる昭和期のマスコミ. 音楽,そしてCD・LD・MDによる平成期の音楽とこのめまぐるしい変化が 子どもと音楽とのかかわりを変えてしまったといえよう。私たちは,この子ど もたちが置かれている音楽環境をしっかりと見据えたうえで,学校でどのよう な教育を行うか考えていかなければならない。. 第5節. 歌わない子ども. 中教審答申の中の「生きる力」の重要な要素として「美しいものに感動する 柔らかな感性の育成」がある。これは,美的な感動により豊かな生き方を希求 するという最も人間らしい現象であるが,現代の子どもにはあまりにもこの美 的な感動の機会が少なすぎるのではないか。テレビやファミコン・あるいはパ ソコンゲーム等に熱中する子ども達にこのような感性は育つのであろうか。一 般の学校教育の実状としては、国語・算数・理科・社会という知的理解を伴う 教科に力が入れられ,感情面を育てる教育は軽視されっっある。そこで音楽を. 一18一.

(23) はじめとする芸術が是非必要となってくるのである。. では,音楽活動を通してどのような能力や資質を育んでいくことができるの か。豊かな音楽体験により,心の解放感を味わわせたり,表現活動をすること で協調性や社会性が養われ,集中力や持続力も培われる。音楽には,そうした 人間としての豊かな生き方を支え,感情を純化し,情操を滋養していく力があ る。. ではここで,音楽活動の中でも歌唱活動ということについて考えてみたい。. 人間にとって声を出すという行為は神から与えられた貴重な能力のひとつであ る。中でも「うたをうたう」という行為は人が生きていく上でどうしても欠か せないことのひとつではないだろうか。. 「うたう」の語源=打ち合う・訴う=と言われるように,詩や曲を聴いてそ の共感を歌声にのせて人に伝える。元来,人はこの「うたう」という行為や「体 を動かす」という行為を好む。幼児や園児が曲にあわせて体を動かしながら, 楽しく歌ったり,踊ったりする姿は誰もが目にする光景であろう。. ところが,小学校中・高学年から中学校にかけてなぜか「うたうこと」を嫌 がるようになってしまう。子ども達が,歌わないので授業が成立しないという 声をよくきく。これは、初等・中等における音楽科教育とりわけ歌唱教育にお いて問題があるからではないだろうか。. また,その一時期を過ぎると高校生・大人では約人割の人が「カラオケでう たうのが好き」と答えている。こんなに歌うことが好きな日本人がどうして学 校では歌わないのだろう。いったいどこに問題がかくされているのであろうか。. そこで,平成5年度∼7年度に筆者の勤務する太子町のある小学校の4∼ 6年生にアンケートをしてみた。4∼6年生の音楽専科をしていたので,毎年 4月に音楽に関する意識調査として行った。. まず,「あなたは音楽が好きですか?」という問いに対しては,次のような結 果が出た。. .19一.

(24) グラフ4音楽が好き?. ■好き. 36. 22. 42. 臨つう ロ嫌、. 嫌いな児童の内訳は男子96% ,女子4% で圧倒的に男子が嫌いという 回答を示した。. 次に、「音楽の中のどの分野が好きですか?」という問いに対しては、次の ような結果が出た。. グラフ5音楽の中の好きな分野. □ 楽 ■ 唱 ロ 賞. 楽器を扱うのが好きな児童が圧倒的に多く,その理由はいろいろな楽器が演 奏できて,合奏が楽しいということであった。小学生の場合,いろいろな楽器 を鳴らしてみたいという願望が強く,それに対して,歌唱は,自分の体が楽器 となるので,その時の体調に左右されるとか,個々それぞれ違う音色を出すこ とが敬遠する理由となっているようだ。. 次に,「歌唱が好きと答えた理由は?」という問いに対しては,次のような 回答を得た。. 一20..

(25) 多. ・ 歌っていると楽しいから. ・ 大きな声で歌うとすっきりするから …. ・ 歌がうまくなるから. ・ いろいろな歌が覚えられるから ・ 難しいことを考えなくていいから …. ・ 心がうきうきする・心がはずむ・いやなことが忘れられるから ・ ハーモニーをきくと,心が洗われるような気がするから ・ ピアノが鳴り始めると思わず,歌ってしまう ・ いろいろな国の音楽を覚えられるから ‘. これらを分析すると,音楽技能的なものは少なく,精神的な理由によるもの が多いことがわかる。. 次に,「歌唱が嫌いと答えた理由は?』という問いに対しては,次のような 回答を得た。. i・声が思うように出ないから. …. i’声醐嫡か『、 …. ・ うまく歌えないから ・ 人前で歌うのは、恥ずかしいから. ・ 同じ激を何度も歌って疲れるから ・ ただ楽しくないから. …. ・ 教科書の曲はつまらないから }. ・ 先生がやかましく言うから ・ 先生が嫌いだから. これらの要因をを整理すると,身体的特質の問題,歌唱能力・技術の問題,. 一21一.

(26) 精神発達上の理由,授業のまずさ,教師との関係ということになる。. 「いつごろから歌うのが嫌いになりましたか?」という問いに対しては、次 のような結果が得られた。 グラフ6歌うのが嫌いになった時期. 5% 6%. 團年. 40%. ■年 □年 □年 39%. グラフ6をみるとわかるように,高学年で歌うのが嫌になる傾向が強い。 筆者が,いろいろな学校へ合唱指導に行って,よく尋ねられることは,「高 学年の男子が歌わないのですが,どうずればよいでしょうか」ということであ る。その理由を考えてみると,上記のようなことが原因であることがわかった。. 特に10年前と比べてみても,児童の体格の向上はめざましく,その分変声期 を向かえている児童の割合も多く,高学年の歌唱指導に頭を悩ませている例は 多い。また,男子だけでなく,女子にも変声期があり,それを向かえると急に 大人びて,人前で大きな口で歌ったり,自然に表現するのを恥ずかしがる児童 がふえ,低学年・中学年のように無心に歌うという機会が減る。. また,もう一つ考えられる理由として,学校のスリム化という言葉がでてき たように,学校週5日制の導入により,ますます,教師も子どもも多忙化し, その分また知的教科への熱の入れ方が強くなり,芸能科の扱いが軽視されてい. ることである。実際,第4節で述べたように,連合音楽会(同一管轄内の学校 が一同に会して演奏を聴き合う)が廃止されたり,校内音楽会のステージ数が 半減したり,音楽クラブが消滅したりしているという現象が起きている。. 一22..

(27) 以上のように,ここ10年の変遷をみてもわかるように,確かにピアノの技 術など,個人レッスンによるものの成長もめざましいものがあるが,学校では 年々,歌わない子どもが増えている傾向にあるといえる。この現象は,以上述 べてきたことからわかるように,学校における音楽教育と子どもを取り巻く環 境に問題があることが原因といえよう。. 一23..

(28) 第II章. 学校でしかできない音楽. 第1節. 学校に音楽は必要か. 第2節. 子どもにとっての表現. 第3節. 全校音楽の成果. 第4節. 課外活動における音楽教育. 第5節. 子どもの文化. 第6節. 音楽教育の有効性.

(29) 第皿章学校でしかできない音楽 第1節. 学校に音楽は必要か. 1989年(平成元年)の小学校学習指導要領で,低学年における理科と社 会科が統合され生活科という教科が新設されたことはまだ記憶に新しい。最近. では,学校週5目制の実施に伴う教育課程の改善で,音楽科も図工科と統合し 表現科にといった話が取りざたされた。その時,学校教育に音楽科は必要ない のではないかという意見さえとび出した。それは,子どもの生活感覚や現代社 会から遊離した音楽教育,あるいは芸術的にあまり深まりのない画一的な音楽 教育が行われてきたことに対する批判でもあったような気がする。では,本当 に学校教育に音楽教育は必要ないのであろうか。. 我々が,学校で音楽を教えるという作業は,大きな窮地に直面している。そ もそも音楽というものは,一生かかっても経験仕切れないほど膨大な素材を含 んだ多文化・多様式・多世代にわたる歴史のあるものである。学校教育で扱う 音楽は,そのごくわずか一部分にすぎないが,それにしてもこのように奥深い. 音楽を,たった週に2時間といった短い時間に消化させようというところに無 理があるからである。ましてそれを理解し,美の追究をし,自分のものにする となると,広範な練習と技能が必要となる。現行の限定された学校カリキュラ ムの中では,我々は膨大な量の音楽素材の一部を取捨選択し,さらに教える内 容を精選し授業で扱う,という厳しい選択を迫られることになる。しかし,教 育における音楽の第一の目的は,優秀な音楽家を育てることでも優れた演奏技 術を身につけることでもないはずである。それよりも積極的に音楽に参加した り,共有したり,貢献したりする過程によって,音楽のもつよさ,美しさを十 分に知り,音楽を楽しむような人を育てることが目的であるということを忘れ てはならない。。. 音楽教育を語る前に学校教育全般に目を向けても,今までの方針は,知育偏. 一25一.

(30) 重で,子どもたちに知識や技術を授ける場として扱われてきた感が強い。その 反省に立って新学二二と銘打ち,子どもたちの主体的学習を中心とした新しい 教育が打ち出されたということはいうまでもない。しかし,そのことが問題視 されている今でもなお,学校が知識や技術を学ぶ所だという感覚の人は多くい るし,教育に携わる者でさえそう考えたり,あるいはそう考えずとも,学校現 場で知らず知らずのうちにその伝授だけを行っているというケースさえある。. あくまでも,学校は,生活様式を築き上げ,人格形成を行う場であるはずなの に,ただ単に将来の生活をより豊かに送るための準備をするところと考えてい る人が多すぎはしないだろうか。だから,将来の生活において三役立つために と,数学や英語などの知育に力を入れようとするのである。科学技術の進歩に よってここまでの発展を遂げたといえる目本では,仕方のないことなのかもし れない。どうみても芸術教育が学校教育の中で重要な位置を占めているとはい えない状態ではないだろうか。。先進国日本では,初等教育においても,算数 や国語を重要視し,音楽や図工などは将来の生活に直接役に立たないという理 由から,軽視せざるを得ないというのであろうか。主要教科のみが受験内容と なる高校受験を控えた中学校ではなおさらである。確かに,歌がうまく歌えて も,絵が上手に描けてもそれができないと生きていけないというものではない。. しかし,学校で何を学ぶか,何を身につけるかをもう一度深く考え直す時期が 来ているのではないだろうか。. さて,話を音楽科教育にもどすと,やはり音楽科においても知育偏重の精神 が大きく影響を与えていたという反省がなされている。つまり,戦後の音楽科 教育では,ドレミの旋律をもっぱらまねること,繰り返し覚えること,繰り返 し練習することに終始し,本来の音楽のもつ楽しさや美しさを味わうという余 裕がなかったのではないかということである。. 忘れてならないのは,学校は単に知識や技術を習得する場ではなく,知性と 感性の調和のとれた人間形成の場であるということである。感性を磨くには,. 芸術は必須の教科であり,なかでも音楽科は,音楽と人間性の理想的な本質に 一致する雰囲気で行われることによって感性が一段と磨かれるという側面を持 ち合わせた教科である。バランスのとれた人間形成のためには,子どもたちに. 一26一.

(31) それにふさわしい環境をつくって提供しなければならないが,その環境のため に,音楽は大きな役割を果たせる可能性を持っていると考えられるのである。. デューイは,「学校はある種の,ある質の生活を,すなわち,するに値する 生活経験を子どもたちのために用意する必要がある」と言っている。また,「学. 校は,単純な生活形態を具えたものでなければならない」とも言っている(ジ ョン・デューイ・『学校と社会』・1957)。 たとえば,子どもたちをいきなり. 社会に放り出しても,彼らの人生にとって有益な体験をしていくことができる とは考えにくい。社会における偶然の経験は子どもにとって有害なものや挫折 感を与えるものが多すぎるからである。学校はバランスのとれた生活環境でな くてはならない。というのは,子どもたちがいろいろな経験をしていくために,. ある一つの方面だけに偏らないような環境を用意しなくてはならないからであ る。. そのように考えると,音楽は大変有効なものになってくる。なぜなら,知識 を得る場は数え切れないほど用意されているが,感情を呼び覚ますという要素 を含んだ教科は少ないからである。。例えば小学校では,国語・算数・理科・. 社会を合わせるだけでも,週15∼17時間の授業が行われる。そこでは,知 育が中心で,感情にふれることがないわけでもないが,割合としては少ない。. それに比べて音楽科は週2時間で図工科や家庭科を合わせてもわずか6時間程 度である。音楽は,演奏したり,聴いたりすることでさまざまな感情を引き起 こすという要素を持っている。だからこそ,感性の教育に最適といわれるので あり,数多くの感情経験の機会を与えてくれる教科なのである。この感情経験 が,デューイの言う「するに値する経験」であり,バランスのとれた生活環境 を設定するためには,音楽は必ず必要な教科なのである。. さらに,アメリカの音楽教育学者ジェームズ・L・マーセルは,1934年 に著した『音楽教育と人間形成』(Human Values in Music)の中で,次のように 言っている。. 進歩的な教育原理によって学校を再組織しようとする場合,そのもっとも. 一27..

(32) 理想的な原動力が,音楽過程の中に見いだされる。というのは,音楽は,理 想的な学校の性質と機能に,完全に一致するものだからである。それには, 三つの理由があげられる。. (1)音楽は理想的な学校活動であり,. (2)音楽過程は,正しく扱えば学校教育の内部組織全体を支配する原理を 実現するものであり,. (3)学校と社会を関係づける働きをする。. 特に(3)は現代の教育にまさに求められている。音楽過程によって,純 粋な生活としての学校教育の主要目標が,すべて実現できるといえる。音楽 によって,理想的な社会の縮図が具体化されるともいえる。だから,他の学 科が批判され,廃止されるような破目になったとしても,音楽は,進歩的な 学校教育の理想的なあり方に必要なものとして最後まで残される。. マーセルが50年前のアメリカで述べたことが,現代の日本の状況にもぴた りとあてはまることに驚かずにいられない。日本の学校教育で隅のほうに押し やられている音楽をマーセルは,最後まで残されると言い切っているのである。. マーセルの言葉からもわかるように,学校教育の目標を達成するには,音楽が 必要不可欠なものであると考えられる。学校教育の基本目標と音楽の目標が一 致しているし,音楽を正しく指導すれば,学校教育で達成しようとしている事 柄がそのまま達成できるともいえる。. 音楽科教育が最も大きな転換期を向かえている今,これらの点をふまえて,. もう一度音楽教育の原点に立ち返り,子どもの豊かな成長に資する音楽科教育 のあるべき姿・方向を見定める必要があるのではないだろうか。. 第2節. 子どもにとっての表現. 子どもたちは,生活の中で感じたことを素直に表現したり,自分で考えたこ とを試みたりして,様々な表現活動をしながら生きている。そこには,人間と. しての豊かさを求めながら,主体的に生きようとする本来の姿をみることがで. 一28一.

(33) きる。これからの小学校教育では,このような資質を覚醒させるとともに,生 かし高めていくことに重点が置かれなければならない。そのためには,子ども 自身が自ら進んで考え,判断し,自信をもって表現したり行動したりできる創 造的な資質や能力の育成が目指される。. 表現において育つものについて小島律子は次のように言っている。 (小島律子『音楽による表現の教育』1998). 表現は興味が喚起されることにより始まる。表現は「内なるもの」と外界 との相互作用である。人と外界とをつなぐのが興味であり,興味は外界との 相互作用を自分にとって意味あるものとして展開するには,必須のものであ る。. 興味が子どもと外界をつなぎ,子どもが外界と過去の経験とのズレを感じ ると,「内なるもの」が生じ,それを表すべく外界との相互作用が始まる。. 喚起された興味は,連続する相互作用の中で,範囲を広げられ,充実したも のとなっていく。連続する相互作用において,そこでの経験が連続的に次々 と新しくなっていくことが,人間の成長もしくは発達である。その中核とな るのが想像力と考えられる。. 学習の導入として興味を持たせるというステップがよくとられるが,小島 は,その興味の拡充自体が活動の目的といえると言っている。そこで,「表現 する」ことについて考えてみたい。. 人は,外界との接触により,自分の心の中に「内なるもの」を生ずる。それ を心の中に止めておかず,自分の外に表そうとする。それは,自分の存在を確 認したいからである。外に出せば,自分の心を自分で眺めることができ,客観 的にみられるからである。. 大人の場合,心の中で一度かみしめるという段階があるが,子どもの場合は その段階がなかったり時間的に短かったりする。そのため,内なるものが生じ たら,すぐに外に出そうとするのでストレートな出し方になる。それは,いい ように解釈すれば,素直で正直となる。. 一29一.

(34) このように外的なものの働きかけによって生じた自分の「内なるもの」を素 材をとおして自分の身体の外に表す,これを「表現」という。一般的に,「表 現する」とは,「内なるもの」をなんらかの方法によって,形にして外に表す ことをいう。その方法としては,言語・音声・絵画・身体によるなど,様々な ものがある。表現活動には,単に自分の気持ちや感情を吐露するものから,明 確な伝達目的をもって表すものまで様々である。子どもの豊かな表現力を育て ようとするなら,学校教育では,各教科の学習活動はもとより,すべての学校 生活の中での活動が「表現」であると考えなくてはならない。そうした様々な 表現活動の中で,子どもたちは想像の世界を広げ,より豊かな表現をめざして 育っていくのである。. 子どもが豊かな表現をできるようになるには,その基底となる「感じ取る」. 能力,つまり豊かな感性を育てることが大切になってくる。そこで音楽のもつ 特性が重要視されることになる。. 小島は,この“感性の働き”についてこう言っている。. 感性の働きを無視したところには,「表現」は成り立たない。感性によら ないで外界の事象をとらえて外に表す行為は,「表現」ではなく「記述」に なる。そこでは,一人ひとり違ったとらえ方をしては困ることになる。他方,. 「表現」では,感じ取ったことから生じた「内なるもの」を,形にして表す ことで,その「内なるもの」は感性を基盤に成り立っている。当然「表現」 は一人ひとり違うものになり,違うということにこそ意味があることになる。. 豊かな感性とは,美しい旋律や和声の響きに感動し,自分も同じように表現 してみたいとか,美しい情景を思い描いて想像力をふくらませたりする能力の ことを言う。. 筆者は歌唱指導の際,必ず歌詞を朗読させ,作者の言いたいことや作品の意 図を考えさせるようにしている。頭に情景を思い描かせてイメージをふくらま せ,それを各自の頭の中のスクリーンに投影させてみる。さらに,時間的余裕 がある時はそれを絵に表し,一人一人の独創的なとらえ方を大切にするよう心. 一30一.

(35) がけている。. そしてそのイメージしたものを,自分たちの創り出す音で表そうとする行為 にすすんでいくのである。イメージどおりの音を創り出すこと自体は難しいこ とだが,仮に自分の思いどおりの音を創り出せたとしても,それを聴いた人が 同じイメージを持つわけではない。そこには,両者の微妙な感性の違いがある からである。しかしその違いを克服して一つの共通のものを共有しようと試み るところに,豊かな表現への発展がみられることになる。そのために何度とな く練習を繰り返し,思い通りの表現に近づけようと試みるのである。. 以上述べてきたように,感じる力・イメージ(再構築)する力・表す力の3 段階をふまえて,豊かな表現を実現することができるようになる。このような 表現の過程を通して,子ども一人一人の感性はさらに豊かに育っていく。教育 において感性の育成を目指すということは,真理を求める心や自然を愛し,美 しいものや崇高なものに素直に感動する心を育てようとすることであり,それ は調和の取れた人肥の育成を目指すことにつながっていくのである。. 第3節 全校音楽の成果 筆者は,新しい音楽教育の創造をテーマに実践を積み上げてきた。その内容 は,「子ども一人ひとりが,生涯にわたって音楽を愛好し,多くの人々と音楽 を通して気持ちを通い合わせるのに必要な資質や能力の育成」,「音楽の特徴 や価値を的確に捉える鋭敏な直観力,音楽の芸術としての特性を受容できる能 力,つまり音楽的感受性の育成」「自然を愛し,美しいものや崇高なものに感. 動する心を持った,知性と感性の調和のとれた人間の育成」の3点にしぼられ る。. ここで,筆者が実践した全校音楽についてふれることにする。ここで述べる. 全校音楽については,揖保郡太子町立石海小学校で昭和56年から昭和63年 まで,8年間にわたって実施したものである。全校的に音楽好きな児童の割合 が低く,音楽に対する関心が児童・教師ともにうすく,音楽の授業だけでは音. 一31一.

(36) 楽教育の充実は期待できないという理由で,筆者を含める3人の音楽担当者が 「歌声の響く学校に」というスローガンを提唱し,全校的な音楽環境のレベル アップを目的に始めたものである。. 《全校音楽実施計画案》. (1)目的. 全校児童が一同に会して同じ曲を歌ったり,演奏したりす ることで友達とのつながりを深め,個人の音楽性を高めると ともに情操を育てる一助とする。 (2)実施時と実施方法. ☆ 毎週月曜日の全校集会. 体育館または運動場で,全校で歌ったり,他の学 年の歌声を聴く。. ☆ 毎週水曜目の朝の会. 各教室に音楽委員を1人ずつ派遣し,その豆先生 のもとで歌の練習をする。. ピアノ伴奏テープを放送で流す。 ☆ 点検 点検カード(がんばり表)に音楽委員が記入し, 担任を通して音楽係が点検する。. ☆ 反省・指揮練習・録音. 毎月の音楽委員会で反省するとともに,指揮の練 習・範唱テープの録音をする。. (3) 練習曲. 低・中・高学年にそれぞれ合ったものをポケット歌集から. 一32一.

(37) 選ぶ。 (4) 発表. 校内音楽会の全員唱(低・中・高) (5) その他. ・全校集会時は,各クラス担任は,列の中で指導補助をする。. ・水曜日の第1回練習目(4/20)は,職員朝会なしで, 各教室で指導に当たる。. 全校音楽をやり始めてから,1年目・2年目は目に見える変化はなかった。 むしろ,意味があるのかという教師側の反発の方が強かったくらいである。し. かし,3年目に入って変化が見え始めた。昼休みや下校時にあちこちで,その 月の歌を口ずさんだり,手遊びを取り入れて歌う姿がみられたのである。これ は,複数の教師からも報告があり,その成果をみて教師側の姿勢も変わってき. た。音楽会では,3クラスが合同で歌うのであるが,その練習においても,音 楽のレベルが三者三様で指導しにくかったのが,同じレベルの指導が可能にな ったのである。また,1年生の部屋に6年生が給食の配膳の手伝いに行く時や, 掃除の手伝いに行く時にも,いっしょに全校音楽の歌を歌ったり,あるいは, 上級生が下級生に教えたりといった発展も見られたのである。. そして,その成果は,校内音楽会で顕著に現れた。低中高学年に分かれて歌 う全員唱もよく歌声がそろっており,関係者からは高い評価を得た。また,選 曲も保護者が幼年時代を思い出すなつかしいものだったため,大変好評であっ た。それぞれの学年の合唱もこの全校音楽で培った声を生かして,以前よりも レベルアップし,全校的に音楽性が高まったことがわかった。. ここで,この全校音楽の試みが,成功に至った要因を整理してみよう。. .33一.

(38) ・選曲が易しいもので,誰にでも歌いやすいものであったこと ・いつでも,どこでも,何人でも手軽に練習できたこと ・全校が一同に会しているので,お互いのよいところを見られたこと. ・6歳∼12歳という年齢差を超えて,共通意識が持てたこと ・週に2回歌うので,子どもたちへの定着がはやかったこと ・易しい曲の反復練習により,子どもたちの声に磨きがかかったこ ・指導が豆先生で,子どもたちにとって身近な存在の人であったこと ・教師の積極的な働きかけを促すことができたこと ・音楽会という発表の場があり,目標が持てたこと. この後,全校音楽の実践は,学校としての重点的な取り組みに発展し,教育. 研究大会で発表されるに至った。この時,この試みを実施していたのは,21 校中,わずか6校ほどであったが,この報告をした後,同じような取り組みを する学校が増加し,教育効果をあげた旨の報告がなされた。この全校音楽は学 校でしかできない音楽の一つであるといえよう。. 第4節 課外活動における音楽教育. 学校における音楽教育は,音楽の授業いわゆる音楽科教育だけで行われてい るのではなく,前節の全校音楽,あるいは音楽集会などの集会活動,音楽会や 合唱コンクールなどの学校行事,特別活動としてのクラブ活動,課外活動とし てのクラブなどさまざまな場面で行われていることは周知のことである。. 課外としての音楽クラブには,音楽の好きな子どもが自ら希望して入部して くる。つまり,音楽科の授業と大きく違うのは,音楽の好きなあるいは得意な. 子どもの集まりであるということである。第1章第6節のアンケート結果で示 したように,通常の授業では音楽の好きな子どももいれば嫌いな子どももいる。. .34一.

(39) また音楽の技能の面でも,小さい時からピアノなどの音楽教育を受けてきた者 とそうでない者の間には大きなギャップがある。このように意識の面でも技能 の面でも,最初からかなりの能力差があるわけである。. その点課外のクラブ活動では多少事情が違って,ある程度の音楽レベルに達 した子どもが多いので,美しい声を出すとか,楽器で味のある音色を出すとい った技能習得のための練習が中心となっても子どもたちは充分に対応が可能で ある。なぜなら彼らはその技能を身につけることを喜びとするし,高度な音楽 を求めていく中で音楽を楽しむことができるからである。手段,方法が音楽科 の授業とちがっても,基本的には,そこに音楽を楽しむという目標が位置づけ られており,その行為は「生涯を通じて音楽を楽しむ子どもの育成」につなげ ていこうとするものである。. また,課外クラブの指導者は,ほとんどの場合学校の教師である。演奏をす る場合,指揮者(指導者)と演奏者のコミュニケーションは重要である。教師 と生徒という人間関係が演奏に大きく役立っことになる。さらに,教育課程の 中で育んだ能力を土台としてさらに発展させていくということも教師だからで きることの一つなのであろう。. 学年やクラスを超えた音楽好きな仲間が一同に会して,一つの同じ目的に向 かって自分の持てる力を出し合う。合唱や合奏は決して一人ではできないもの である。その共同作業は,それぞれの自覚と責任を促し,人と人との深い絆を つくり,喜びや達成感・満足感を共有させてくれる。人間として,協調性や社 会性が養われ,音楽的成長とともに人間的成長をももたらしてくれる。そして, 後で詳しく述べるがこの経験が,将来的に音楽の道を進むきっかけとなったり,. 障害に出会った時の生きる力となって大きな影響を与えたり,ということにま で発展する可能性を持っている。さらに,音楽の授業では習得できないような 高度な技術を身につけたり,芸術的に高い価値の音楽にふれたり,といった音 楽体験もできる。これが課外活動としてのクラブのメリットなのである。. このように,学校における課外活動としてのクラブ活動は,音楽技能を高め るだけでなく,人格形成の上でも重要な意味をなしているのである。. .35一.

(40) 第5節 子どもと文化. 教育の目的が,子ども一人一人の豊かな人格を形成していくことと,文化を 継承し,創造する担い手を育成していくことにあるということはいうまでもな いG. 音楽の授業で,過去の著名な音楽家たちの作品にふれ,演奏したり鑑賞した りする中で,子どもたちは既存の文化を認知する。学校においては教師の手を 介して,既存の芸術や文化が伝授され継承されていくのである。音楽教育では,. 先人の築き上げた貴重な文化の正しい価値を認識し継承していくという作業は 大変重要な部分を占めている。. 一方新しい芸術や文化の誕生という現象は,先人の築いた文化の十分な成熟 と,それを越えなければならない必然性の中から起こってくるものである。音 楽芸術においてもルネサンスからバロック,古典派,ロマン派といった時代の 変わり目では,常に前時代の音楽の完成と,次の時代を開く大きな欲求エネル ギーの発生という経過をたどっている。小学校教育の場では,そのような意味 で新しい芸術を生み出すということは起こり得ないが,少なくとも子どもたち が将来そういう役割を担っていくための糸口が示されている必要がある。. 子どもたちは,探求心が旺盛でさまざまな対象に強い興味や関心を示す。関 心のないことには見向きもしないが,強い興味・関心を持った場合は周囲が見 えなくなるほどそのことに没頭する。そこで自分の思いや経験をもとに,それ らに進んでかかわり自分らしい課題をみつけ,自分のもてる可能性や自分のよ さを生かしてその解決や実現を目指そうとする。この行為を一つの表現行動と 見なせば,そこには子ども固有の文化への発展の可能性を見いだすことができ る。それは先にも述べたように,高い芸術性を有しているとは言えないまでも,. 子どもの世界で開花しようとしている貴重な文化の種子なのである。. 音楽教育の現場では,実際にそのような可能性を探る試みが行われてきてい る。“音づくり”といった課題がそれである。このような課題を与えると,子 どもは想像もしないようなものを持ってきて,新しい音を創る。大人には思い つかない,真似のできないような奇抜でユニークな発想が生まれてくることも しばしば起こる。. 一36一.

参照

関連したドキュメント

中比較的重きをなすものにはVerworn i)の窒息 読,H6ber&Lille・2)の提唱した透過性読があ

問についてだが︑この間いに直接に答える前に確認しなけれ

る、関与していることに伴う、または関与することとなる重大なリスクがある、と合理的に 判断される者を特定したリストを指します 51 。Entity

「父なき世界」あるいは「父なき社会」という概念を最初に提唱したのはウィーン出身 の精神分析学者ポール・フェダーン( Paul Federn,

歌雄は、 等曲を国民に普及させるため、 1908年にヴァイオリン合奏用の 箪曲五線譜を刊行し、 自らが役員を務める「当道音楽会」において、

「社会人基礎力」とは、 「職場や地域社会で多様な人々と仕事をしていくために必要な基礎的な 力」として、経済産業省が 2006

Q7 

 このフェスティバルを成功させようと、まずは小学校5年生から50 代まで 53