金子光晴の第一詩集について
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大正八年に金子光晴は第一誇集の﹃赤土の家﹄を、本名の金子 保和の名で出版している。本名での出版はこの詩集だけだったの で、そのことが象徴するように、金子自らは、この詩集を碑人金 子光晴の来生以前のものと放っている川。その ﹁﹃赤土の家﹄は 未熟なら未熟でもいいのだが、時の風潮におんぶして、借りもの を出なかった﹃民主主義の方へ﹄の拙劣なえぴごーねん。﹂ とい うきびしい自己評価のが与ってか、初期の作品の中で、第二詩集 の﹃こがね虫﹄ ︵大正十二年︶ に比べても、人にも取り上げられ ることが少ない①。確かにデモクラシーという﹁時の風潮﹂ の影 蔚 甘 口 新 一 審や、カーペンターの締集﹃民主主義の方へ﹄を模倣した晋作と いう趣がないわけではないが、処女作として正当な位置を得てい ないように思われる。なぜなら ﹁自叙伝﹂ で、コアモクラシーは、 僕にとって、辿りついた漱事であり、水飲み場であり、また一つ の﹃救い﹄でもあった。﹃民主主義の方へ﹄は、むすぼれ解けな い観念上の踏絵の糸を、どこか仏教的な平等の精神によって、解 きはなち、断ちきり、地球上にあるものすべて等しき価値をもっ ていることを力説したものであった。﹂ 軸というように、金子自 身が、﹁﹃民主主義の方へ﹄の拙劣なえぴごーねん﹂ と自作を批 判する引き合いに出すことになった、そのカーペンターの作品に よって、当初は、自分の生命を回生させられるような体験を持っ ていたのである。デモクラシーという思想によって、自分が救わ 一 七 頁れるという出来事があったわけである。一人の人間の生命が蘇り、 なりふり構わず模倣㈲までしたものが、単に ﹁えびごーねん﹂ と いうことで片付けてしまえるであろうか。金子の本質的なものが そこに現れているのではないだろうか。本給の意図はその金子の ﹁きびしい自己評価﹂ の再検討にある。 そこで、金子の受けたデモクラシーの影響を見る前に、比較の 意味で、わが国における一般的なデモクラシーの影響とはどのよ うなものであったかを、﹁民衆辞派﹂ によって見ておく。 デモクラシーの影響を受けて ﹁民衆誇派﹂が大正時代に一時期 を画したのは、同派の雑誌由が出始めた大正四・五年ころから、 百四宗治が同派の業績を総括した、﹁所謂民主詩の功罪L mとい う文を書いた大正十四年ころまでである。まさに大正時代と歩み を共にしていたのであるが、待人で、﹃金子光晴全集﹄何の締着 でもあった秋山滑もいうように廟、﹁民衆詩派﹂ は、大正期の日 本の近代政治思想としての ﹁デモクラシー﹂ と似通った姿を示し ていた。つまりその政治思想としての ﹁大正デモクラシー﹂ は、 時期的に社会主義よりも一歩手前にあって、現実のゆるす範囲で 漸進的な改良をはかろうとするその立場によって、その後の社会 変革の気道を高めた。それは、帽級意識に根ざした社会主義に比 べると、知識人を中心とする人道主義という穏当な思想ではあっ 一 八 東 たが、それによって、労働連動や普通選挙連動などの前進に道を 開いたのである。それと同様に、﹁民衆詩派﹂ も、労働着や階級 的押入によるプロレタリア帝の一歩手前にあって、秋山の青葉を 借りると、﹁農民や工場労働者やサラリーマンなどの人道的な良 心に根ざした誇﹂ を書こうとした。その手本がアメリカのホイッ トマンやイギリスのカーペンターなどの縛であった。そしてわが 国に ﹁口甜自由詩﹂ の大衆化への道を開いたのである。つまり、 それらの手本が示したような、素材や表現の日常性、そして批判 的、反抗的、自我主義的、人道主義的というような思想性によっ て、文誇・定型による新体詩以来付いて回った、諦して感動する という性格から脱した、﹁口繕自由詩﹂ の可能性がもたらされた のである。そういう意味で、﹁民衆綺派﹂ は、わが国の詩が素材 の自由や表現の平明さ、及び思想性を持つために、絶対必要な地 ならしであった。そして、そういう要素によって既成の概念を取 り払い、蹄といえば口詩自由詩をさすというように、ロ諦自由詩 というものを一般化するのに貢献したわけである。しかし ﹁民衆 誇派﹂ は、そういう口薄日由緒を広めた功績と共に、広めすぎた 失敗も併せ持っていた。その失敗として、デモクラシーをあまり に簡単に詩の連動に取り込んだように、素材に対する吟味不足・ 生硬さ・不消化をもたらし、表現においても、まるで散文と変ら
ず、だらだらと書きたいままに書き流すというように、拡散・混 乱・無節駒をもたらした。このように、﹁民衆誇派﹂ は功罪相半 ばする評価によって、近代詩史に位置づけられるのである禍。 金子は ﹁民衆辞派﹂ に属していなかったが、彼の第一詩集も r民衆辞派﹂ と似たような特徴、すなわち ﹁人道的な良心﹂ とい う思想性、素材の吟味不足・生硬さ・不消化たよる内容の概念性、 そして表現における散文化という傾向を持っていた。だからこそ、 出版後間もない大正十年に改訂がなされ、その表現における散文 化傾向が改められたり、更にその三年後には再度改作がなされ、 その時には、原型を止めないものになったので、やむなくそれは 破棄されるということが起ったりしたのである08。二度目には、 思想性なり素材にまで改作の手が入ったのではないかと思われる。 こういう臆一拍集に対する思いが、先に見たように、六十歳をす ぎてからもなお、﹁時の風潮におんぶして、借りものを出なかっ た﹂ というきびしい自己評価を吐かしめたのである。しかし、そ ういった自己否定にもかかわらず、第一詩集には、﹁人道的な良 心﹂ という思想性と素材の傾向において、金子の独自性が示され ている。そのことについて、次に見てみることにする。 \ ︵ 二 ︶ 金子の生命を蘇生させるような思想的体験に与った、カーペン ターの詩集﹃民主主義の方へ﹄田の中に、﹁﹃ヂモクラシイ﹄な る青葉﹂という一編がある。その冒頭部分は次のようになってい る。 ﹃ヂモクラシイ﹄なる膏薬 今や凡ゆるものは、それらのそれに相会ふところに他の渚の 青葉の有効を餌頭せしむるこの﹃青葉﹄の下に来たりたり。 政治、芸術、科学、商業、宗教、日常生活の習慣と方法、世 の 常 の 事 物 の 外 観 ま た 顆 似 − 花苑なる背薇、納屋の扉のうしろに懸けられたる斧 − これらの意味は、すべて今こそこの言葉のうちに吸収され而 して改鋳されざるべからず、然らざれば乾きたる竜の如くその 間づるに先って脱落すべし。 見ずや卿、卿が個人の生命は、他の諸の生命の不断の犠牲を 一 九 責
払ふことによりてのみ確保さるるを、 されば、卿は、順番来たらば、他のためにそを犠牲と為すペ く常に用意するを条件としてのみそを有ち得るならずや! h ⊥ ゲ ち ■ − 1 ﹃無私﹄の法則、そはこれより以後、顕然に認識せられまた 実施されざるべからず。 訳者宮田砕花はこの詩集の序文で、カーペンターは、﹁必ずし も 純 法 律 上 若 く は 政 治 上 の 観 念 よ り し て D e 臼 O C r a C y な る 文 字 を 用 ひたるに非ずして、より内的なる字義を帯びたもの﹂ として使っ ているという。デモクラシーを ﹁より内的な字義﹂ に使う姿勢に よって、カーペンターは、蹄にみられるように、﹁政治﹂ という 社会的なことから、﹁納屋の斧﹂ という物質的なものに至るまで を同等に見る視点を得ている。それが金子が ﹁どこか仏教的な平 等の精神によって、解きはなち、断ちきり、地球上にあるものす べて等しき価値をもっている﹂ と理解したことであろう。つまり、 人間を特別視せず、地球上の ﹁個人の生命は、他の渚の生命の不 断の犠牲﹂ の上になっているのであるから、人間も ﹁順番来たら ば、他のためにそを犠牲と為す﹂べきだという仏教的な平等観がr 窺えるのである。﹁地球上にあるものすべて等しき価値をもって いる﹂ ということを、人間も﹁地球上にあるもの﹂ の一つとして、 二 〇 衷 自己犠牲の連鎖に等しく加わることによって、実践しようという エコイズム 考えである。その時、もし人間の ﹁我﹂ が突出すれば、その価値 体系を変えてしまうので、人間における ﹁﹃無私﹄の法則﹂ とい うことが、何をおいても大切になる。だからこそ、それがデモク ラシーの性根だというのである。 このように、カーペンターがデモクラシーの吉葉を ﹁より内的 な字義﹂として使い、デモクラシーの性根を ﹁無私﹂だと見たり する姿勢は、金子に、デモクラシーを傭人の問題として捉えさせ た。つまり、本来的に ﹁法律上若くは政治上の観念﹂ としての社 会的な広がりを持つデモクラシーを、エゴイズムの克服という一 点に集中して捉えさせたわけである。 確かに ﹁民衆詩派﹂ も ﹁人道的な良、ど というように、デモク ラシーを ﹁より内的な字義﹂ で捉えてはいるが、そこには、詩人 自身のエゴイズムという視点は入っていない。入っていないから こそ、百田宗治も総括したように伯、﹁素材の吟味不足・生硬さ ・不消化による内容の概念性﹂ という、内容に血が通わないこと があったのではないだろうか。それに対して金子の場合は、自分 自身にこだわり、自分に関わるエゴイズムの問題を第一義的にす るところがあったのである。切れば血の出るような問題を扱って い た の で あ る 。
それは扱われている素材と表現された内容という二虚によく表 わ れ て い る 。 まず扱われている素材として、﹃赤土の家﹄鵬の所収作品から 見てみると、次のようになる。 一部 ﹁寺の串要し、﹁日没強酒﹂、﹁翼は 二部 ﹁波浪の歌﹂、﹁波の群像﹂、﹁海の青葉し、﹁小品﹂、 ﹁ 荒 磯 ﹂ 、 ﹁ 島 の 生 活 ﹂ 三部 ﹁深緑の野﹂、r麦の穂を枯らす虫﹂、r太陽﹂、﹁陽 光を裕びてし ﹁新らしい目し、﹁野原に立って﹂、r﹃赤 土 の 家 ﹄ に ﹂ 四部 ﹁小蛇﹂、﹁壊し、﹁白鷺﹂、﹁微笑j これは自分自身へのこだわりがあるため、﹁民衆詩派し のよう な ﹁人道的な良、ど という、その ﹁人道的な﹂ という社会的関心 が閉め出されたことを物繕っている。そのため ﹁良心﹂ の質が、 傭人的な心に関わる事柄に限られたのである。﹁自然と女性﹂ と は、どちらも、個人的な心が直接的に自らを照らし出して見るの に都合のよい素材である。彼はその素材によって、自分自身の最 も開心のある自分の ﹁我﹂ の突出の問題を扱ったのである。 表題でもおおよそのことが分かるように、扱われているのは、 淘・野・太陽・動物という自然の事象と女性である。これは、 ﹁民衆縛派﹂ の ﹁農民や工場労働者やサラリーマン﹂ というもの と比べた時、かなり特異な素材である。r民衆詩派﹂ のような社 会性を持つものではなく、非社会的なものばかりなのである。こ の場合、後で見るように、女性も社会的な視点から扱われている わ け で は な い 。 ︵ 三 ︶ そこで、次にその ﹁自然と女性﹂ という素材によって表現され た内容について、具体的に見てみる。 まず﹁女性﹂を扱った作品であるが、辞集中には、﹁寺の串要し ﹁日没強酒﹂、﹁夜﹂ の三相がある。そのうち ﹁寺の潟東﹂ が ﹁女性﹂ との閑係について男の姿を正面から扱っているので、そ れを取り上げてみる。 この作品は三段構成になっていて、いまもいうように、男と女 の関係が扱われているが、心を寄せる女性を前に、男は自分のこ としか籍らないというように描かれている。 まず第一段であるが、男が女性にむかつて締り掛ける口鍋にな 二 一 貫
っている。それに対する女性の反応は見えない。ただその日柵に よって、女性の状況についての男の理解と、それに対する対応が 示されるようになっている。女性の状況とは、 あなたの層は燃えてゐる。/いつも、さう若苦しい真紅によっ て綻びてゐる というように、まず肉体に関するものである。燃える ﹁層﹂ とあ るように、その肉体は若さと情熱を秘めている。そういう肉体の 持ち主に、男は次のような事態を見ている。 ざ ・ フ げ おゝ、あなた/あなたのかゞやいてゐる胸の血Lは、曹薇、/ あなたの鋭い感覚の手、/あなたの繊細なアスパラガス、 悶乱の、死の潟東、/おぴたゞしい花束の、砕けるやうな接吻 をもって、/あなたのむせかへる裾のうへに、 やがて、/あなたをとらへてゐたあなたの手足は、/陰惨な、 闇の放縦のなかに、ただ一人、あなたをのこしてゆくであらう。 二二貢 この節一連で ﹁者薇﹂、﹁アスパラガス﹂ と蓄えられるように、 女性の肉体は植物的な生気を発散している。それが第二連では、 同じく植物的な爛熟のうちに、死の毒気が女性を包んでいる。そ して第三連にあるように、﹁やがて﹂ とその時間的推移の中で、 その女性の肉体は生気ある光を失って、自らを死の闇に放置する ことになる。そのように、男は女性の肉体に即しながら、その死 の顛末を思いやっている。そしてそれが現実のものとなった。 ノ し お1/いつしか/饗宴の日は過ぎた。/私のため、あなたのた め、/かずかずのたのしい日、追憶の日、/芳醇ないのちを注 ぐ盃は砕けた! その女性の充実した生の終焉は、急に訪れたのではなく、﹁い つしか/饗宴の日は過ぎた﹂ といわれるように、その若さに満ち た生が、時間的猶予を持って過ぎ去るという形で訪れたのである。 そのように、輝く生の時を反叙する時間があるのは病床の死にふ さわしい。当然付き添う者にも同じ時間が共有されるはずである。 だから第一段は、死病の床にある若い女性を、過去に二人して楽 しい日々を過したことのある男が看取っている場面と見立てられ る の で あ る 。
それにしては、親しい女性の死に際して、男は喪失の悲しみを あまり見せない。強く女性を生に呼び戻そうとはしない。ただ、 あこがれ もう/どのやうなこ1ろの憧憬/どのやうな光の片影すら、こ れ以上あなたを引きとめはしないだらう。 もう、どんなに美くしく、あなたを触ってゐた湊⋮⋮悔恨も、 ふたたび、はればれしい、/恨慾のあとの微笑みにまで、あな たを導いてゆきはすまい そして/すべての関連が、あなたからその重い組をはづし、/ 夜の灯火のなかに、あなたの柩が守られて、/やがて、あなた の亡き骸は、/いっさいの虚無のなかに、引とられていってし まふだらう。 舞いの青葉というよりも、引導を渡すのに等しい。 お︶、しかし/あなた、/一途に、それを嘆いてはいけない。 /一途に、悲しい告別の唱歌をもって/あなたの心情をかきみ だ す な 。 むしろ/あなたの墓穴に耳を澄ませ それは/あだかも、臭くしいもののいっさいが亡びないやうに、 私の透徹する顔律を通して 永恒の全世界のはてに、/あなたの噂を呼びさますまで⋮⋮ というように、女性の死が決定的になったことを静かに追認す るだけである。あくまで死に対して従順で、男から決してそれを 凍き乱そうとはしない。当然のことであろうが、むしろ女性の方 が生への執着をみせて、生の拒絶を嘆いている。その女性に対し て、男は安らかな死に誘うペく声を掛けるのである。それは、見 このように、男は女性の死を厳然と踏めた上で、女性の存在は ﹁私の透徹する親律を通して﹂、永遠に亡びないと考えている。 ﹁親律﹂ とは、音声を主体とした秩序ある青葉のことであろうが、 混乱した真情よりも、その透徹する吾妻を評価し、そこに死を越 えるものを秘めているのである。その具体的な内容は示されてい ないが、それは、死に対する悲しみよりも、死の受容を誇り掛け る男の主旨に沿ったものであろう。しかも、それとは逆説的な、 二三責
再生を招来させる意図をも持ったものであろう。そしてその昔葉 は、死を掻き乱さないとか、﹁あだかも、美くしいもののいっさ いが亡びないやうに﹂という比喩とかに見られるように、理知的、 静的な美意識に支えられてもいるのである。 若い女性の死を目の前にして、男はそのような吉葉を鎮魂の膏 薬として挿げたのであった。 ところが第二段になると、一転して、、男は自らの内部に空し い叫び声を響かせる。 灰色だ!/灰色だ!/空虚だ!/空漠な叫びだ!お1、 それは答えのない問い、自分を難詰する狂おしい吉葉である。 何故、私は、私の全生涯をあげて、鋼鉄の鋭い投げ錦のやうに、 /お前の皮肉にうち込まねばならないのか。 何故、お前の肉体の、その破れた傷口にぷらさがつて、私のこ ゝろの飽き足るまで、/その生き血をす1らねばゐられないの か。 二四一員 そして、また、/私の痛高い叫びが、/打砕くガラスの破片の やうに、八方に、取乱して、/何故、また、時は、元の空漠に かへってしまはねばならないのか、/何うした、/少しの反響 も な い の か 。 男は、女性の ﹁肉体﹂ に対するこだわりに煮め苛まれている。 その自らの貪焚きに、苦しみの叫び声を上げている。理知的、静 的な美意識に支えられた ﹁透徹する親律﹂ の担い手にとって、そ の女性の ﹁肉体﹂ に対するこだわりは、詰問せずにはいられない 無秩序な性向なのである。そして、その激情的、動的な性向に対 する詰問は、内部の真相を暴き立てることになったが、そうした ところでどうなるものでもないという空しさが加わって、その苦 しみを増嘱させただけであった。 そして/私を毒虫のやうにふとらせ、/私の全身を沸きたざら す/この其赤な寺寺しい血しはは、一体、どこから、/私の血 つ 管へ注ぎ込まれたのだ。 語間は、更に苦渋の色を深め、グロテスクな性向に対する難詰 は、答に窮したままとなった。
静盆な美意識の持ち主の内部に、このような肉欲に拘掘する性 向の苦しみがあったのである。その性向は、生へのこだわりとい うことで、死の受容と再生の意図を裏切る妄執であった。 そこで第三段になると、男は妄執への措置を講ずるべく、自分 の 決 意 を 括 る 。 ︵ 或 日 の 恐 ろ し い 歌 ︶ 私はかずかずの宝玉をなげうたう。 私は回転する夢の扉を彼方におしやらう。 貪食するもののやうに、/私の眠りは、私の手足をふとらせる。 /夜も、昼も/芋虫のやうに、ころがってゐよう。 さ、つして 私の一生を/見はてしのつかない大きな闇の中へ葬ってしまは ー つ 。 男は、肉欲と軌を一にする、あらゆる価値や希望という妄執を 捨てようとする。その結果、彼はまるでそれらのものに飽食した かのように、憐情に陥り、妄執が影を潜めることになる。しかし それは皮肉にも、逆にすべての妄執に取り付かれたような醜い姿 となって、自らを放置することでもあった。それは、理知的・静 的な美意識からみても、また激情的・動的な性向からみても、そ れぞれを否定した姿であった。全く余地を残きぬ自己否定である。 そして ﹁私の一生を/見はてしのつかない大きな肺の中へ葬って しまはう﹂ と、徹底的でもある。ところが、そのことがこの第三 段の序鞠として 二或日の恐ろしい歌︶﹂ とあるように r恐ろし いJ ことだとするのは、その全面的で徹底的な自己否定に、どこ か理不尽なものを感じているからであろう。自己が全く否定され てしまうことに危惧を残しているのだ。そしてそのような危惧を 残しながら、死と等しい ﹁大きな筒﹂ の中に自己を葬ろうと決意 するところには、自分に対する厳しい批判が存している。それは、 美的な秩序へと死を組織しようとする秩序意識と、破壊的に肉体 に拘泥しようとする無秩序な衝動との自己矛盾に対する自己批判 で あ っ た 。 このように、この作品では、男の自分へのこだわりが中心にあ って、あくまでも、自分がどうするかという考えが重視され、対 二五頁
鏡の女性が問題にされることはない。そこには、傭人的な人間の 心、とりわけエゴイズムが閉居になっている。対象の女性を前に 置いたまま、自分は、理知的・静的な美意識に固執したり、激情 的・勤的な性向に悩まされたり、あげくは双方の矛盾葛藤に苦し んだりしている。自己中心的なエゴイズムが突出しているのであ る。そのエゴイズムに対する批判として、菓つ向からエゴイズム を否定したのである。そしてその時、彼の女性に対する態度が決 定されたわけである。自らのエゴイズムを葬ることによって、目 の前の女性と同じ位置に立つというように。それは女性の間麿を 取り上げる前の、取り上げる僻の問題を処理したということであ る。世界に対する疑いの前に自分に対する疑いがあって、それに 回答を与えたという塩梅である。カーペンターが ﹁政治﹂ から ﹁納屋の斧﹂ までの広い視野を持ちながら、まず個人の内的な ﹁無私﹂ という精神のあり方を閉館にしたのと同じである。ただ 視野のあり方は金子は独自であったが。 ︵ 四 ︶ 次に、金子が固執した、もう一つの素材である ﹁自然﹂ を扱っ た作品を見てみることにする。第二部の六綿はいずれも海を抜っ 二六寅 たものであるが、いずれも海との交感を賛美している。それは ﹁自然﹂という素材に対する金子の基本的な姿勢を煩わせるので、 その中の r湾の書葉﹂ という作品を例に取り上げてみる。 私を組み立てると同じ理由がこの世界をも組立ててゐる。/こ の世界の皆を組立ててゐる。 皆の健康な身体を組立ててゐる。 この偉大な⋮⋮︵ありふれた︶秘密を知らうとして私は、/ど れ程、鍵穴を探したらう。 どれ丈、長い間を、不思議そうに、気味惑気に、青空の瞳の奥 をのぞいて居たらう。 どれ丈、/無心にゆれてゐる草の葉などに、心をとめて見入っ てゐたらう。 この、溢れ立つ胸に、どれ丈の、波頭を、飛沫を見送ったらう。
私は、/裸な若のうへに、/いざり寄ることも許されない思念 に囚はれたま1、坐ってゐた。 私は、恐ろしく織んな薫気を、海から、吸ひあげた。/幸福を、 掌中ににざることができた。 瞬間!/お1/この美くしい世界に私が、亡びてゆかないもの であると知ったそのとき、 あらゆる貪欲が、最良の方法によって、飽沸されずにして、す でに、みたされたとき、 私を組立てると同じ理由が、この宇宙をも組立てると知ったと き、 探索に労れた私の瞳の奥に、 海は、筋一日の典故を、汎く、とゞろかせた。 ﹁いざり寄ることも許されない思念﹂ にまでふくれた ﹁偉大な ⋮⋮︵ありふれた︶秘密﹂ とは、﹁私を組立てると同じ理由が、 この世界をも組立ててゐる﹂ ということの、確かな根拠のことで ある。その根拠が気になるのは、﹁私﹂ と ﹁世界﹂ とは違うとい う前提が、ごく ﹁︵ありふれた︶J こととしてあるからである。 つまり、その気がかりは、現象上の差異を本質上の同一性に捉え 直すことによって生じているのである。なぜそのような気がかり に捉えられたのか、その理由は書いてないが、その気がかりに対 するこだわりは書いてある。すなわち、あちこちと ﹁秘密﹂ の ﹁鍵穴﹂ を探し回ったというように。ところが、その探索は、 ﹁世界﹂、r世界の骨﹂ とはいうものの、人間という ﹁社会的な 存在し ではなく、﹁青空﹂ や ﹁草の稟﹂ や r波浪﹂ という ﹁自然﹂ の現象に向けられたのである。それは、前に金子の素材の傾向性 で見たのと同じで、この時の気がかりにこだわる ﹁私﹂ の心のあ りようをよく示している。つまり、r自然﹂ を対象とすることで、 入間という ﹁社会的な存在﹂ と違って、﹁どれ丈∼のぞいて居た らう﹂、﹁どれ丈∼見入つゐたらう﹂ ﹁どれ丈∼見送ったらう﹂ というような、直接的で、気の済むまでの対時が可能になったの である。それによって自分の気がかりを純粋に取り上げることが できたのである。それほど ﹁私﹂ は気がかりに対して純一であっ たというわけである。 二七寅
しかしそれは他方で、﹁私﹂を自分しか存在しないエゴイズム の袋小路に行き詰まらせもしたのである。つまりrいざり寄るこ とも許されない思念に国はれたま1﹂、岩の上に進退谷まってし まったのである。﹁世界﹂ を対象にしながら、純一化の傾向によ って、自らを相対化し難い状態を招き、気がかりと自分が一つに なる身動きのとれない窮地に陥ったのである㍉ そして坐ったまま 動けなくなり、若の上に身を委ねたような状態に自分が外化され た瞬間、﹁私﹂ は ﹁恐ろしく織んな鳶気を、海から、吸ひあげた﹂ というように、あるがままを深く受容したわけである。﹁私﹂ は ﹁自然﹂ と同じ位置に立ったのである。それは、﹁無私﹂ という 精神のあり方によって、﹁私﹂ が、呼吸する肉体というような存 在に還元されて、﹁海﹂ という存在と同等になったことを示して いる。いわば開き直ったわけであるが、あるがままを受容して開 かれた肉体の存在性とは、例えば、金子がカーペンターに対して ﹁仏教的云々﹂ といったことでいうと、ここは釈尊が誕生の際に 口にしたと伝えられる ﹁唯我独尊﹂ の吉葉が示すように、自分が ただひとりの存在であるということの豊かさをいってもいるので あ る 。 だから ﹁私﹂ が ﹁自然﹂ と同じ位置に立ったということは、自 分がかけがえのない存在であるということの豊かさを感受したと 二八五 いうことであった。すなわち、﹁この美くしい世界に私が亡びて ゆかないものであると知った﹂、﹁あらゆる貪欲が、最良の方法 によって飽満されずにして、すでに、みたされた﹂、﹁私を組立 てると同じ理由が、この宇宙をも組立てると知った﹂ というよう に。そこには、﹁私という存在﹂ や ﹁私の欲望﹂ が、かけがえの ない存在であるということの豊かさによって満たされていたり、 ﹁私﹂ と ﹁宇宙﹂ の組立て理由が、﹁かけがえのない存在である﹂ ということにあると見て取ったりした姿が構えるのである。そし て釈尊の善業が誕生時であったごとく、その存在性を現前させた 時の ﹁私﹂ にとっても、﹁薄﹂ は、同じように新生の光や音を発 していたのである。 このように、この作品では、岩の上での開眼の喜びが籍られて いる。岩の上に坐るまでは、課題をかかえた ﹁私﹂ の、錬磨追求 の工夫と努力が続いた。しかしその知りたい一心が、エゴイズム となって、r私﹂ の邪魔となった。ここでも対象自体よりも対象 に対噂する自分のことが閥務になっている。身動きのとれない窮 地とは、まさに自分の問題なのである。その自分の聞感への対応 は、工夫と努力の行き詰まった後の、自己放下した ﹁坐る﹂ とい うことであった。その ﹁坐る﹂ ことによって、肉体という存在性 を現前させ、自分を環境に閲放して、純一なエゴイズムを解消し
たのである。そしてエゴイズムを越えた、かけがえのない存在で あるという自己の姿と宇宙の姿を感持したのである。いわばエゴ イズムという小我を否定する大我 ︵自分がかけがえのない存在で あるということ︶ に開服したのである。それによって ﹁世界﹂ と の平等を確かめたわけであるが、そこには、自分の問題の解決を 抜きにして、﹁世界﹂ との関係を締れないとする姿勢が煩える。 個人の内的な糟神のあり方、とりわけエゴイズムの苦しみを正面 にすえて、その解決が模索されている。そして自己を放下するよ うな体験を絶て、エゴイズムの克服が兄い出されたのである。こ れは、カーペンターが、外界と対等に関わろうとして ﹁﹃無私﹄ の法則﹂ という精神のあり方を間感にしたのと同じである。 ﹁﹃無私﹄ の法則﹂ も、﹁世界﹂ とのあるべき関係を作るために は、自分の問題として正面にすえて、解決するペく努力しておく 必要のあることなのである。だから、このカーペンターの姿勢に 支えられて、金子は、なによりもまず自分の間虜を破り上げ、そ のエゴイズムを解決することに、自らのテーマを見出したわけで あ る 。 ︵ 五 ︶ 以上のように、この詩集を代表する ﹁女性﹂ と ﹁自然﹂ という 二つを素材とする作品を見たわけであるが、どちらも、そこに個 人の内的な関越が、行き詰まるまで誠実に扱われていた。﹁エゴ イズム﹂という自分の抜き差しならない間題を照らし出し、それ を否定することで、対象と自分の関係を見出していた。そしてそ の関係が彼のデモクラシーであった。それはデモクラシーという 水平の.思想を、自分を基軸にして垂直に捉えたというようなもの であった。本来、デモクラシーとは ﹁農民や工場労働者やサラリ ーマン﹂ という、きわめて日常的な世界を対象にした思想である。 ところが彼は ﹁死に瀕した女性﹂ や r自然﹂ という非日常的なも のを対象にした。そういう自分の責任においてのみ扱うことの可 能な対象を扱うことで、純粋に対象との同一性を感得するという ようにして、デモクラシーを捉えたのである。それは宗教的体験 のごとく、自らに裸することの厳しい試練というものを経て、密 かに個人の内で捉えられたのである。狭いが深いといえる捉え方 で あ る 。 その自分の責任においてのみ扱うことの可能な対象を扱うこと 二九頁
で捉えた関係とは、限られた対象との﹁同一性﹂ ということで、 それは思想にも値しない単なる未分化な思想的傾向というもので あるのかもしれない。しかし、日常的で、社会性を持った対象を 扱いながら、﹁平等﹂とはど遠い思想的弱点を示すr民衆辞派﹂ のような例もあるのである㈲。非日常的で、社会性を欠く対象な がら、それと自分がどのように関わるかという金子の姿勢は、思 想の本質的な営為を示しているように思われる。自立的な思想の 出発点と思われるのである。 自分自身へのこだわりのため、視野︵対象︶を限り、深く自分 工コイズム の核心へと納得すべき境地をさぐつていった営為は、﹁我﹂ の突 出の克服へと向けられたのであるが、それは、r世界﹂ とのある べき関係を作ろうとする噂の、若さと共に帝癖な倫理性のにじむ 演習のようなものであった。それがもたらしたものは、対象との 関係の取り方として、対象を自分の核心で納得して捉えること。 そして決して自分の身を傍観者にしないというものであった。そ してその方向は扱っていなかったのである。 それは後年、第二次世界大戦中、国をあげて一つの主義、風潮 の席巻する時、﹃鮫﹄ ︵昭和十二年︶というような抵抗の詩集を 縮むことにつながったのである。 ﹃赤土の家﹄以後の二度のヨーロッパ旅行、その間の結婚㈱な 三 〇 真 どによって、﹁よほど腹の立つことか、軽蔑してやりたいことか、 茶化してやりたいことがあったときの他は今後も蹄は作らないつ もりです﹂ ︵﹁自序﹂︶というように、自分自身へのこだわりを 残しながら、その視野を広げた結果、例えば ﹁おっとせい﹂ とい うような作品を書いたのである。 だんだら縞のながい影を曳き、みわたすかぎり頭をろへて、拝 礼してゐる奴らの群衆のなかで、/侮蔑しきったそぶりで、/ たゞひとり、/反対をむいてすましてるやつ。/おいら。/お っとせいのきらひなおっとせい。/だが、やっぱりおっとせい はおっとせいで/たゞ/﹁むかうむきになってる/おっとせい。﹂ これはその最終段落の終結部であるが、この段落に至るまでの 描写は、﹁群衆﹂ の生態に衆やされている。タイトルの ﹁おっと せい﹂ の膏薬がなければ、この終結部に至るまでは人間の生態の 描写と思わせるのである。勿論それが金子の狙いであろうが、そ の描写の中で、しかもそれが日本人の生態であると思わせること を避けてはいても、充分にそれを暗示していて、グロテスクな生 態を提示しているのである肺。 しかし、それは ﹁やつらがむらがる要のやうに墳行し/もみあ
ふ街が、おいらには、/ふるぼけた映画でみる/アラスカのやう に淋しかった﹂ というように、対象を自分の核心で納得して捉え た結果による描写であった。そしてその ﹁群衆﹂ の生態に向けら れた納得は、終結部で見たように、最後には自分自身に向けられ たのである。その ﹁だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで/ たゞ/﹃むかうむきになってる/おっとせい。﹄﹂ という納得の 境地こそ、﹁民衆誇派﹂ の思想的弱点から免れさせた、自分の身 を傍観者にしないという点であり、この作品の深さと魅力を形成 する点であった。 その最後の ﹁やっぱりおっとせいはおっとせいで﹂ という自己 株誰は、対象に対する自分の核心での納得に比例して果たされた エコイ一スム ものであって、その ﹁耕し の突出の克服があるが故に、﹁むかう むきになっている/おっとせい﹂ という立場が、自立するのであ る。単なる我億とは違うのである。身勝手な傍観者のことをいっ 工コイズム ているのでもないのである。﹁我﹂ を越えた、かけがえのない存 在としての自分の姿が、自立した立場として、普遍性を持ったの である。その深く自立した立場こそ、大戦中の席巻する風潮に、 日本人として、抵抗せしめたものであった。 このように、後年になってから、請人金子光晴の名を高からし めた作品を生むに至るものが、既に、対象との関係の取り方とし て、厳しく自己評価された第一詩集﹃赤土の家﹄の中にも、窺え たわけである。本名によるなくもがなとされた詩集ではあるが、 詩人金子光晴につながるものとして、評価されてもよいのではな か ろ う か 。 注 \ノ ︵ rはじめての本﹃こがね虫﹄﹂ ︵﹃週刊読書人﹄昭三三年一 〇月︶という随筆で ﹁じぷんらしい仕事をしたのは﹃こがね虫﹄ なので、これを処女出版とおもいたいのだが、若気のいたりで、 未熟な﹃赤土の家﹄なるものをその以前に出してしまって、爪 先が汚れたような感をその後の五十年洗い落すに落せない気持、 金印をしよった前科者もかくや。﹂ と書いている。なくもがな の詩集と考えていた。 の やはり﹁はじめての本﹃こがね虫﹄﹂ ︵同右︶中のことば。 ㊦ 金子研究の代表的な、首藤基橙薯﹃金子光晴研究﹄ ︵審美社、 昭四五・六︶ では、﹁光晴は大正八年一月、初期詩篇を﹃赤土 の家﹄として出版したが、反響はほとんどなかったという。そ れは新詩人を遇するのに決して不当だったとはいえない。詩が やはり未熟だったのである。﹂ ということで片付けている。と ころが、﹃こがね虫﹄に関しては、一節をさいて論じている。 三 一 寅
山本捨三 ﹁現代詩の世界 − 金子光晴の初期の詩−−﹂ ︵﹃日 本文芸学﹄一七・昭和五六年一〇月︶ では、﹃赤土の家﹄を評 価する方向で扱っているが、論の性質上 ︵講演記録に一部補筆 したもの︶、示唆にとどまっている。 ㈲ 自叙伝﹃綿人 − 金子光晴自伝﹄ ︵平凡社・昭和一三一年八月︶ ㈲ ﹃請人﹄ ︵同右︶ で、右の引用のすぐ後に、﹁僕らは、そこ で過去のゆきかがりの荷物をその場で放棄せねばならなかった。 闇夜の低迷から、光の場につれ出された僕は、眩果し、自個の 表現を見失って、おしっけがましい主張ばかりで内容の乏しい 模倣的な作品を濫作した。﹂ と縛っている。 ㈲ 百田宗治の﹃表現﹄ ︵大正四年七月創刊︶、加藤一夫の﹃科 学と文芸﹄ ︵大正四年九月創刊︶、福田正夫の﹃民衆﹄ ︵大正 七年一月創刊︶ などが主要な発表機関であった。 用 大正一四年五月﹃日本待人﹄に発表。﹁民主持﹂ とは ﹁民衆 誇 ﹂ と 同 じ 。 ㈱ ﹃金子光晴全集﹄全十五巻︵中央公論社・昭和五〇年一〇月 ∼昭和五二年一月︶。 ㈱ 秋山滑著﹃詩入門﹄ ︵三一書房、昭和四六年六月︶。 的 他に、松永伍一着﹃日本農民詩史﹄上巻︵法政大学出版局、 昭和四二年一〇月︶ の ﹁第四縮、民衆詩派の功罪﹂ の中で、ま 三二 寅 た、日夏欧之介著改訂・増補﹃明治大正蹄史﹄巻ノ下 ︵東京創 元社、昭和二三年一二月︶ の ﹁第四婦、大正混沌詩壇﹂ の ﹁第 二節、新興縛堰の成立﹂ の ﹁第三項、民衆衿の功罪﹂ の中でも、 ﹁民衆誇派﹂ を﹁功罪﹂ という視点から論じている。 ㈲ ﹃金子光晴全集四﹄ ︵昭森社、昭和三九年一〇月︶所収の改 訂﹃赤土の家﹄の顕に、﹁改訂﹃赤土の家﹄は、大正八年この 本が出版されてから二年後に補筆改ざんされたもの。その後ま た三年、欧州より帰国後、改作したが、それは、もはや原型を 止めないものになってしまったので破却。大正十年の改作を定 本とすることにした。稚拙な蹄ばかりだが書いたものだからの せる。﹂ とある。この改訂版は、一行の字数や行数が削られ、 散文化改作の跡が顕著である。 的 富田砕花訳﹃民主主義の方へ﹄ ︵天弦堂書房、大正五年三月︶ 的 百田宗治の ﹁所謂民主詩の功罪﹂ ︵前掲︶。 ㈱ 中央公論社版﹃金子光晴全集﹄第一巻所収の﹃赤土の家﹄に よ っ た 。 ㈲ 秋山槽は前掲の﹃誇入門﹄の中で、生活苦で検死した男を扱 った、福田正夫の ﹁四十男の死﹂ という作品に対して、次のよ うな批評をしている。﹁この詩は甘い。泥くさい。そして無責 任。これが民衆詩派のもう一つの面を現わしている。︵鴫︶詩
人としてのもっとも討点とすべきものを、青葉にも表現にも、 事件にたいする作者としての態度にも、現わしている。同情は するが、自分の立場から動こうとしない。この蹄は一応破綻な げに出来ているみたいだが、あきたらないのは、詩人自身が、 この稗に傍観者としてしかかかわっていないところである。詩 人福田正夫のみなず、民衆誇派の討点がそこには露呈している。﹂ と指摘している。 ㈱ 第一次洋行は大正八年二月∼大正一〇年一月まで。第二次洋 行は昭和三年九月∼昭和七年五月まで。大正一四年二月に森三 千代と結婚。同三月に長男誕生。従って第二次洋行は、長男を 実家にあずけて、三千代と道連れの放浪の旅であった。 ㈱ ﹁おっとせい﹂ の第一段には、生理的な嫌藤に満ちたグロテ スクな生態が描かれている。そして第三段には、﹁うらがなし しもやけ い蓉色よ。/凍傷にたゞれた落日の掛軸よ!﹂ というように、 日本の象徴である床の間を暗示して、日本人の荒涼とした精神 風土を表現する青葉が見える。 三三寅