経営官僚制と統治官僚制(下)
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(2) この概 念的区分は ,官僚 制理論のき わめ て多様 なアプロ ー チを もっと も広範囲 にわ たって 包摂 しう ることにな り, これが ため に, それは ,官僚 制理論の 展 開 と発展の動 向を全般的に展望す る うえに と りわ け有用な存在にな って いるから で ある 。 もとよ りかか る展望 が, 「官僚制の 経営学的研 究」 の展開に有用 な概 念休系を確立しようと するわ れわれにと って ,多 かれ少なかれ不可欠であ るの は 自明で あろ う。 ここ にあ えて われわれが, その内 容を概観 しよ うと するゆ え ん があ るが,ア ) レブロウ の展開の順序にし たがっ て, まず ,. 「合理的組織」と. しての 官僚制の概念から , その論 議の内 容を みていく こと に しよ う2)。. 1)斎藤美雄稿, 「 経岱官僚制と 統治官僚制 ( 上) 」 近畿大学商経学芯,第5 6乃,1 9 7 6 年 11 月号 ,. 183~197頁。. 2) このアルプロウの論議に登場 して くる多 くの著作に関し て本稿でなさ れる 引用の多. くは,それら の原典からの直接引用て はなく ,ア ルプロウの苫書からの間接 引爪で あること を,ここで あらか じめ明記して お断り しておき たい。 ( 1 ) 合理 的組織 として の官俯制 1). ア)レプ ロウによ ると, これは 主 に ウ ェーバー の官僚 闊の理念咽をめ ぐる社会 学者 達 の論議 の中 か ら出て きた観念 であ って ,官僚制を 「竹理能率 を極大化 す るための組紐」としてと らえよう とするブ ラウ. 2). や, 「板雑 な 大規校組織 の安. 定性 と能 率を糾 杵す ることに, とく によく適合し てい ろ組織化の様式」 とする. R. G .F r a n c i sandR .C .S to ne )の見解 3) など が代表 フランシ ス= ストーン ( 的で あろう 。 ウ ェーバー という 名 の権威 が背後に あ ると思 われてい ることが, 近年, ますます この利の概念 の人気を裔め て きたが, 「この概念は たん に組織 目的の 実現を め ざす合理 的な , 明確に定 義 された活劫 の陀列 を指示す るにす ぎ ない」 とい うヒ° ー ター・ レオ ナード ( Pet erLe onard)の規定4) のなかにも そ の典型がみ られる。 かかる社会学者の 観念が,行 政 的非能 率 とし て の官似制の 通俗 的観念 と相反 する とこ ろが大 で あるの はいう まで もないが, これ を正当化 す るため に彼らに よ って通常な されるの が,妍 俗的観 念 には多分 に主殴 的な価値判断が 介 まれ て. - 94(6554)-.
(3) いるが,彼ら自身の概念は純粋に 「技術的」 あるいは「中立的」で ある という 主張に他ならない。 しかしア)レブロウによれば, も しそうである とすれば, ゎ れわれ は,能率に関する判断には とにかくも評価的要素が含まれないが,非能 率に関する判断にはそれが含まれる と推論せざるをえなくな ってく る。か くて アルプロウ は,官僚制を 「 合理的組織」と規定することと , それを 「 人々が自 己の行為 に合理性の 甚準を適 用する組織」と 規定する こと を区 別す ることが犯 要 であると 強調するが 列. それは彼が ウェ ーバーの理念型の精神には後者の方. がはるかによく合致 してい るとみなしてい るか らであって, それからすれば, これ がなされないかぎり ,こ の概念は彼らが通俗的なものと して はねつけてい る概念 とも同一の論理的範賭に開することになるということは注目を要する 叫 1)M.Al brow, o fc i t. ,p p .87~89. 2)P. M. B l a u , TheDynamicso f Bureaucracy,opc i t . ,p .6 0 . 3)R .G .Francisand R .C .Stone,Ser v i c eand Procedure i n Bureauc r a cy, 1 9 5 6 , p.3 .. 1 . 4)P. Leonard, Sociology i nS o c i a l Wor k,1 9 6 6 ,p .8 5)M. Al brow,opc i t . , p.8 9. 6)i b i d . ,p .8 9 . ( 2 ) 組織の非能率とし ての官柏印JI). アルブロウ によ ると ,合理的組織と して の官僚制の概念の渕源は ,学術的出 版物だけにかぎ って も,十九世紀の ドイッ行政理論にま でさ かのぼり うる 。 し か しそ れはつねに学界 エリート の所有物 であって,. 日常 的に用いられる 官僚制. という用 語が, 当時に おいて も一般に将蔑的な含み をも って いた こと はいうま でもない。非能率的組徽 として の官僚制の概念はもとよりかかる通俗的用法に 根ざす ところ が大 であるがゆえに , それを支えるのに ,一切 の学問的伝統を必 要 としない。 か くて , この秤の概念もま た社会科会の文献には結構ひ んぱんに. ¥ 出てく るが, それが孤立的になるきらいがあるのはいなめない 2 たとえば政治学者の E ・ シュトラウス ( E • Strauss )は,官僚制を 「巨大な. 組織の構造や 機能における秤々の欠陥を示す」ために用いられる用語とみな. - 9 5( 6 5 5 5) -.
(4) して,先例へ の過度 の投入,進取 的梢神の欠如,遅延,繁雑 な書式,重複 した 努力 とセ クシ ョナ リズムな ど をその 徴 候 に あげている 3)。 これ は,官僚制 を 「 非 弾力性 と非人格化の傾向 を もつ複合 的制度」 と規定 する初 期の ディモック の定 義 4) ともその内 容 にお いてよ く類似 して い るが, これらはそれぞれ,両者 によ り全 く独自に 展開され た概念 に他ならない。 したが って, アルプロウ が指 摘 す る よ う に かかる非能率に閃す る論諮の理論 的 枠 組 み を 実質的に 準備し たのは , むしろ 合理性 との関連に焦点をお いて 官僚制を とりあげる論者達の一 部 であっ た こと は注意を要す る又 たとえ ば, マート ン ( R .K .Merton) にはじまる 一連 の研 究が示すとこ ろに よ ると,表面的には 合理的にみえ る組織にも ,様々の イン フォ ー マル な予期 し ない過 冗 が生じ てお り, そこ に行政的遅滞 と繁文紺 礼 につい ての公衆の不蘭, ' i の 原因 がみられる こと があるが, この 点 を 指 摘する こと は, 多 くの論者に とっ て,合理 的組織 としての官僚制の概念を放変し ,合理性の概念の なかに合まれ てい る暗黙の 規範的志 向を捨て 去る ことを窓味し ている. 。 しか し, この アメ. 6). M.Crozier) にいたって リカ 的伝統を最近の フランスで代表するク ロー ジェ (. は, それから更 にすすんで,つ いには官伯制 を本四 的 に非能率的 組織 とみ なす 正反対の立場に回 ったこと は,彼が官僚制を 「 そ の犯 した 誤りからの学羽に よ って ,行動 を是正しえない組織」 と規定 してい ること か らも明ら かであろ う叫 クロ ー ジェによれば, かかる非伸 縮 的なシステム は現代的 業務や科 学的 ニー ド によく 適合 しえない が, ア) レプ ロウが, そ こには フラン スの組糀構造に閃 す る ク ロー ジェ自身の不滴が 強く反 映され てい ることを問題 とす るの も,分析者 自 身の規準 を適用す ること によって 識別 される非能率と ,公衆の問に 官僚制に 対 する不満 をひきお こ している状 況をは っきりと区別する ことが,概念を明快に するうえ に とりわけ市要 だか らに他ならない B ¥ 1)M. Al b r ow,opci t . ,p p .89~91 2)i bi d. ,p .8 9 . 3)E. S traus s,TheRul ingServants ,1 9 61 , p.41 - 96( 6556)-.
(5) 4) M. E .Dimock, "Bureaucracy Sel f-exami ne d " , opc i t. ,p .1 9 8 . 5)M. Albrow,opci t . ,p .9 0 . 6)i b i d .,p.9 0 . 7) M.Crozier , TheBureauc r a t i c Phenomenon, 1 9 6 4 ,p .1 8 7 . 8)M.Albrow,opc it .,p.9 0 . ( 3 ) 官吏に よ る支配としての官僚制 ] ). この最とも古い官僚制の概念にも再び規範的志向という問題がつきまとうの は, ド・グルネやミルの用いた官僚制という用語の意味がまさにこれであるこ とを想起す るだけでも十分であろう 。 この概念が伝統的政治理論に起源をも つ こと は, それが政治類型に閃する思想 の古 典的枠組みの熟慮にもとづいて定式 化 されてい ることで も明 らかであ るが, それにもかかわらず,実征 的観点 と規 範的観点の融合 とい う点におい て , この概念が既述の二つの概念にくらべても はるかに遅れをとる原因としてアルプロウがあげるのが,民主主義を一階級の 支配 という 観点からのみ ならず,全人民の福祉のための支配 としても考察 しよ うとする現代的願望に他ならない 2)。 それはどのように椛 力が配分 されていよ うとも, 頁の民主主義が存在 しう ること を示 そうとする 努 力 を 意 味 している が, そこでは, 官僚制 と民主主笈は両立 しうるとみなされ るばかり でない。前 者は後者にと って 必要とみなされ ることさえもある 。 しかし ,ア ルブロウによ れば,官僚制,君主制, あるいは貸族制の詔概念が権力をにぎ って いるどの時 代の 集団 あるいは個人であれ, その木質的特質を明示 する もの とみなしうるの は,そこで 閻われるのが, 「権力は誰のためになるか」という ことよ りも , む しろ「誰が椛力をもつか」ということだけにかぎられてい る場合 である叫 アルプロウによれば,相対的に古い) 歴史をもつにもかかわらず,こ の官僚制 の観念の背後に ある 思想の流れは, 内容がきわめ て貧弱 である 4)。 それでもな お両大 戦間に はか な りの数の思想家が輩 出してい ること は,アル ブ ロウ が有名 なラスキをは じめ として,官僚制を 「 官僚に よる 統治」としてとらえるハ ーマ HermanFiner) や, 「行きすぎた形式主義」とい う観念 と ン ・ファ イナー (. - 9 7( 6 55 7) -.
(6) 結びつ けながらも,. 「 専 門行政官に よる権力の行使」として官僚 制 を と らえ る. w .R.シャープ (W.R.Sharp),更には. 「 官吏の影啓力の増大」 という 怠味で. Dani elWarnot t) など をあげ てい この用 語 を用い るダニエ ル ・ワ ルノッ ト (. ¥ ることで も明 らかであろう 5 しか しこ の官僚制の定義 を, それが陪示 す る他の椛力類型 との関迎 におい て 発展 させよ うとす る試み は殆ん どなされな か った が, その大き な原囚 と して, アルプロウ は, 支配 の多様性 とい う現実 を否定 す る ミヘルス の「罪 頭 制 の 鉄 則」に代表 的な決定論的理論 によ って , 政 治の一般的分煩表の使用がさ また げ られたこと によるとこ ろが大き いと 指摘 してい ること は注目を要 す る凡. した. が って, この概念 の最近の 発展は ,多分に ミヘルス の理論の絶対性の修正 にか か ってく るが, そのためには,第一 に,官吏が権力をもつか ど うか という こと で はなく ,ど の程度 まで彼 らが権力をもつ か という ことが間頌 なの で あ り,第 ニに ,そ の結果 として, ある社会が他 の社会 よ りも 一胴官僚制 的な こともあ る ということ が一般的に 認識 されなければなら ない。か くて , 官僚 制 の この観念 を 「すべて の行政官 が何らかの程度 において権力 を もつ 」 という 命題 と結 びつ ける アーノルド・ブレヒト ( ArnolBrecht) は, いかな る 国 にも 官僚制 は存 在す ると主張 して いる。 ラスウェル= カプ ラン によ る「権 力 と社会」 (Harold. Lasswel land AbrahamK a f l a n , Powerand Soc i et y, 1 9 5 0 .) は, かかる 官僚制 の概念の暗示する支配 の完全 な類型論の作成に おけ る大 きな功績の一つ であるが,ジャン・ メ イノー の 「テ クノクラシ ー」 ( JeanMeynaud, Tech. nocrac y ,1 9 6 8) もか かる支配形態の 一つ を分析の 俎上にのせよう として い る 最近の注目す べ き試 み の一 つ にあげられ ている ]. 1)M. Al b r ow,opci t .,p p .91~ 94. 2)i b i d . ,p .9 1 . 3)i bi d. , p.9 1 . 4)i bi d . ,p .9 1 5)i bi d. ,p .9 2 . 6)i bi d . , p.9 3 . - 9 8( 65 5 8)-.
(7) 7)i b i d. ,p .9 3. ( 4 ) 行政としての官椋 1 l i 1 Jl). 逆,汎的なこと に, アルプロウによると ,外兄的に は価値判断を含んでいない 宜仙 制のこの概念 の奴とも イ ず )」な文持者はムッソ リーニ である。それは単に, この概念が社会を国家に 吸収しようとするファシス トのプログ ラム によ く遥合 しているばかりでない。それはまた ,権力の科学的分析におい て , 価値判断の ま じら ない概念を用いようとするミヘルスの願坐とも結びつい て くるが,彼の 迎論においては ,宜僚間はどの組絨にもみられる一要索であるのに対 して, 多 且家のもつ特別の性格にかんがみ , とくに行政にあてるために こ くの人々は , 1 の用語を とってお こうと してい る 。 もちろん, ここにおい て も, 自由放任主 義 の立勘からこの忍味の官僚 間に反対する人々と , ファ シズムの立場か らこれ を 支持する人々の伯] には , それ にl 刈する迎解の仕)jにきわめて大きなへだたりが あ ること はいうまでもない 2 ¥ イタリヤに I 刈する研先者 1 『ことくに それが 多 いとはいえ , 官似制の この概念 も,本格 的な政 治学的研究にしば しば登場 してくるが, この勘合の概念形成の 焦点が, その仕事の性質 よ りも ,』家に よる 雇用の共有 におかれる こと によっ て, その社団的側血が強調される傾向がみられるのも ,比絞のためには これが 児な一定不変の特徴 であるからであるばかり でな い。国家被傭者の もっ とも自 l 一般活動から「純粋」行政と 呼ば れる領域を抽 尿 しようと しても ,構造上 の特 徴から公務員制度を組織一般と区別するのは困難 であるがゆえに ,意思決定に あたって, 「公益」として知られ るあ いまいな品準を使用するこ とにそれを求 めるとし て も, その 具休的な連用の際に生じる固有の困 難 に定 , 平がある こと は 周知のとおりであろう 。 アルブロウ は, 「公 益」 は実施過程で解釈されるが, 要 この過柱は公務旦 にゆだねられており , ここ に集団 としての官僚の価値観や f 度が庄目される一つのゆえんがあると指摘している叫 か くで昌仙制 のこの概念は政冶に 1対する比蚊研究や政治生活への一般 シス テ. - 9 9(6559)-.
(8) ム論的 アプロ ーチ におい て , 行政が分析の一単位 となる際の 一構成要索 とされ るのが普通で あるが, そ こで は行政の過程よりも圧力団体としての官僚制に , また社会 的諸価値を形成する勢力としての官僚制に、焦点が合されることが多. Morstei n い 。 この意味の官僚制に関する有名な比校研究には , M. マー クス (. ¥ S.N. アイ ゼ ンシュタッ ト ( S. N . Marx) によ る 四 類 型 の 区 分 が あ る が 4 Eisenstadt) も官僚制を行政官吏団とみて, 2 7の歴史上の帝因についてその 研究をなし ている叫 ラ ・パロムバ ラ ( LaPalombara) の論文集 , 「 官僚制と 政治的発展 」 ( Bureaucracyand P o l i t ic alDevel o d men t , 1 9 63 ) にもみら 』についての」'及近の研究でも れるように , 発展途上 I. この概念がよく用いられて. い るが, それはすべての公務風 に泌用され ている場合もあれば,高級公務員の みに適用されている場合もあ って様々である。工業社会では,行政を「立法部 によって 決 定 さ れ た 政 策 の 実 施」 とみなすだけ で は意味が せ ますぎると考え て,行政制度を「統治において)けと役務を配分するための機構」と定義する. p.w.リグスは , それとの閲辿におい て官伯制を 「 そ の主たる職業が政府の仕 事である人々 , また世製でも選挙 で もない手段によってこの 仕事に任用されて いる人々をさし示す」集合名辞とし てと らえたが叫. 後には再び行政の よ り伝. 統的な観点にも ど ったのは,こ れ ら0)概念的区分の維持に困難が多 いこと をも のが たって いる。 この官僚制概念の 「アコー デ ィオ ンのよ うに 伸縮的」 な性質 は,行政概念の不明確さに根ざ すと ころが大であることから ,活動的な政治梨 団に注怠を向ける こと によ って , 論点を明確にしよ うと する試みが 出て くるの も無理はないが, アル ブロウはその一例として ,官仙 制を多 くの利益集団の一. G. A.Almondand つ と してとらえようとするア ーモンド = コー ルマ ンの所況 (. J . S .Coleman, TheP o l i t ic so f Devel o p i n g Area s ,1 9 6 0) をあげている”。 1)M. Al br ow,opc i t .,pp.94~98. 2)i b i d. ,p.9 4. 3)i b i d. ,pp.洪~9 5. 4) Mor辿t ei nMarx,TheAdmi n i s tr at iv eSt a t e ,1 9 57 . 5)S. N .E i s ens t adt ,ThePol i ti c alSystemo f Empi re s ,1 9 6 3 . -1 0 0( 6 5 6 0 )-.
(9) 6)F .W.R i g g s , "Agrariaand Indust ria —-Toward aTypologyo fCom-. .S i f f i n ,e d . , Towardt heCompara — p a r a t iveAdmi n i s t r a t i o n , "i nW.J t i veS tudyo f Publ i cAdministrati o n ,1 9 5 7 . 7)M.Albrow, opci t . ,p .9 7 ( 5 ) 官吏お よび民吏に よる着理とし ての官僚伽Jl). 政治的圧力集団の面ではなく ,行政に 合 まれている活動を浮き彫りにするよ うな概念を見出そうとすれば,すべての組縦に一般的に妥当する 箇理過程に関 する理論の一部 として発展させられた官僚制の観念に目が 向けられることにな る。アルプロウは , ウェ ーバーが組織構造の 三屈構成の分析的枠組みにもとづ いて, その中間部分をなす行政幹部が被任命者から構成されている場合にそれ を官僚制とよぶことがあるところから ,理念型と区別され た一般概念 として の 官僚 制が多分に , 「任命された 官史による笠理」としての意味をもつと指摘し てい る 2J。 しかしこの官僚制 の概念が ヨーロッパ人の著作にとりわけ 多い理由 として 考えられるのは 必ずしもウェーバー の影聾だけ ではない。大陸行政の本 質に根ざすところも同様に大きい。 たとえば, カール ・レンナー ( KarlRen-. ner ) によれ ば,すべての組絨は官僚制的機構をもっ てい るが, この官僚機構 の独自性をたえず補強してきたのは , ヨーロッパの社会階屈制におい て長期に わたってっちかわれてきた威信配分)j式に他ならない 3 ¥ アルブロウは ,政府以外の I 脈絡でこの概念を使用し たすぐ れた実例の一つと して, H-p .バルト (H.P .Bahrdt)の「迩棠官僚制」 ( I n d u s t r i e b i . i r o k r a t i e ,. 1 9 5 8) をあげ てい るが, H-サルタン ( H. Sultan) も組紙 という広い背景 の下 でこの概念に 注 目し ,官僚制の成長は糾紙の規校の一函数にすぎない とみなし ている. 。 アメリカではベンディックス ( R .Bendix) や プラウにこの概念の. 4). G. E .Ayl mer) 共鳴者を見出しうるが, ィギリス の歴史家 G-E-エイルマ ( も 「官僚制を 酋理の 一定の 方法」と考えるのが最とも有益 であるとして, 専門 職業主義や整然とした階統制,部門化,文占=,:已録への 衣存などにその特徴を見 ( 出している叫. -1 0 1(6561)-.
(10) アメ リカの政治学者 , ウォーラス ・セイヤー ( Wal l ace Sayer) も大規模組 絨の箇理上の特質に閃する同様な一露表を作成し てい るが, その 合理性の水準 につい て何の論評も加えられていない点をア)レプ ロウ は重視 し て い る 叫 官 僚 制の体系的な比蚊分析 を通じて近代行政 制度の一般的特徴を解明し ようとする カール ・フ リードリッヒ ( CarlFried r ich) の場合にも ,分析の焦点が行政の 且 ' ( 1 J 1 」がみら 特徴の検,,寸から次第にはなれて , 組織の一屈包括的な概念に向う f. れ, これが T.コールと の共著 では,「官僚制は政府の内部のみならず,外部に も見出される」という 主張となっ てあら われ ている 叫. かかる認識があらゆる. 種類の臼理 ・行政に妥当する概念の発展に とってき わめ て重疫な f J l j J 比である の はいうまでもないが, フ リードリッヒ によれば ,行政 と政策が通常あまりに も 咀確に区別されている のは , これらの機能を同時にもつ機閲が多 くみられる況 実 からしても問題が多い。かく てフリ ー ドリソ ヒにとっては ,官僚 制の渚奨索 が多 くの稲類の組織に見出されるばかりでない。 それらの沿要索には ,単なる 臼理以上 のものも 含 まれているとすれば, 次の番は全 体としての組級;こ妥当す る官僚制の脹念 の登 t l であろう 8)。 1) M. Al brow, opc i t .,p p .98~100. 2)i bi d . ,p .9 8 . 3)Kar l Ren n e r , Demokratieund Bure aucrat i e,1 9 4 7 , s.4 5. 4) M. Al brow,opc i t .,pp.98~99. 5) G .E .Ayl mer,The Ki ng' sServant s,1 9 6 1,p .459. 6)M. Al brow, opc i t . , p.9 9. 7)i b i d . ,p p .99~100. 8) i b i d . ,p .1 0 0 . ( 6 ) 組織 として の官似伽J l l. アルプロウ によれば,組紐 A 怜造に[刈するウェ ーバーの三屈構成 的見解に は, 明らかに彼の時代における社会の階統制的 イメー ジの反映がみられるが,他)j におい て ウェ ーバー が,政姐 決定 のl 行 )」が行政宜 によ ってにぎられる 傾i 1 1 1 」のあ るのをみとめるのみならず, それを強調しさえしていることも ・ J ; : 実である。尖. -1 0 2(6562)-.
(11) 際,型職者 や将校も官椋化するというウ ェーバーの考え方はきわめて 啓発的で ある が,そ れでもなお ,臼理機能が糾紙の 階統制 全体に広がっているとみなさ. Verwaltung) とは支配 れるにはいたらなかったの は, 彼 に とって, 筐 理 ( ( 権威)の行使を窓味するがゆえに ,命令を受けるのみで決して命令を与えな い人々も紐紐には存在することになるからである。にもかかわらず,官僚 制の 理念型と彼がよぶところの岱理要員 (行政幹部)を組紐する方法のなかには , 専門職文的災格の要件,常勤勤務,職務上の財産と個人財産の完全な分離,契 約による屈用 , などのように組織の全成旦 に適用しうる原則が含まれている。 したがって, もしもこれらの点脱則 の適用が一般的にみられ,組絨全体にわた って ,支配 が広く散在している事実 が認識されるならば,組織の全構造を官僚 制として訪ることもあながち不適 当 ではなくなり,. ここに官僚制は「下位体. 系」から「休系」そのものになるとア ルブロウ は指摘 する又 アルブロウ によれば, この論法を 直接に , また全体的にだれか一人の 特定の 苫者 か ら母 き出すことはできない。 しかしこの 事実 の中に ,何故,組織と官僚 制を同義治 とみなす立場をとる人々にとってのみ , たまたま ウェーバー が その 出発点とみなされてきたかということが節 潔 に示唆されてい ることは 皿要 であ ろう. 。 つまりそれは , ウェ ーバーの用 語法に ,官僚制のこの概念の発展を促. 4). 辿せしめるような修正と拡大をもたらしたのは,実に ,彼の時代以来の近代的 フォ ー マル組紙の高度の発展にもとづく組織構造の変化に他ならないという事 実をものがたっている 。 ちなみに 1 9世紀には大学を官僚制の 一つとして語る こ とは 全 く奇異 にきこえたであろうが,今 日ではそれと対照的 に,学校や 軍隊, 教会 および病 院等 を官僚制として語ることが通俗的用法におい て も普通である のは , これら の伯域にも血一的な 官僚 制的 h 惜造の発展が顕著にみられるから で あろう叫 したがって,組織を官僚制として著述している以代 の社会科学者達は , ウェ ーバー迎論 の似 糾な修正の手続きをへるまでもなく , この日氾語をよりどころ とす るだけで十分に彼らの概念を正 当化することができる。かくてタル コット. -1 0 3( 6563)-.
(12) ・パーソン ズ ( T a l c o t tParsons) は 「専門化された機能をも った相対的に大 規模 な組織が,今日 ,かなり大ざっぱに 「官僚制 」 とよばれているものに他な らない」と 指 摘 し て い る が 丸 ハ イネマ ン ( C. S .Hyn e man) も 「抽紋的な面 からみれば,官僚制は大規絞組織であり , どのような大規松組織も個々の具体 的な面からみれば官僚制 である 」と 述べ ている”。. アル プ ロウは更に , サ イモ. ン ( H .A.Simon )やプ レスサスも , 官似 制を「大規快組織のほぼ同義語」と みなす論者に含まれるとみなしているが叫. 同 じく官僚制を組織 という用語の. 同義語 とみなす エチ オニー によると , それには次の二つの欠点がある。第一に 「組織」 は中立的な言葉であるのに対して, 「官僚制」は一般の人々にと って はしば しば否定的なひびきをもつ。第二に , ウェー バー の理念型によく通じ て いる人々の場合には , すべての組織がウ ェー バー によって明品された官僚制の 諸原理によっ構成されているとみなしやすい。しかし ,視代社会にもなお ,か かる特殊な認味 で官僚制的でない組織がみられるとすれば, このような と らえ 方には問題があろう 9 ¥ そ こで官僚制を全体としての組紙に必 用しようとす る人 々の中にも ,広い組 絨の概念をもち ,彼らの研究範囲を,似合 的な , あるいは大規松な , あるいは 近代的な , ある いはフォ ーマルな組綴だけ に限定 して , どのような次元によっ て それが特徴づけられるかを解明しようとする論者も出てくるが, 「官僚 制は 組織の一形態である。組織が官僚制的であるかどうかはこれらの特直がみられ るか ど うかによってきまる」とのべて , 一 辿 の 要索をあげる F- ヘディ ( F .. Heady)もその一人であろう. 。もちろん , この 官僚制を構成する諸 特質 の一. 10). 瓦表の内容は論者によって様々である 。 たとえばフ゜レスサスは ,専門化, 階統 的地位にもとづく権限,寡頭制 ,合理性,能率を官僚 制の特徴としてあげ てい るが Ill,. w .ベニス (W.Bennis)は命令系統,規則 ,分業,能力にもとづく 選. 択, および没人格性をあげている叫ヘディはこれらの論者のあげる一豆表の 内容を整理 して , そこに「実質的」 な合意のみ られるものとして,陪統制,分 化または専門化, および資格または能)」 の三つの 禎目 にそれを縮少した 。こ. -1 0 4( 6564)-.
(13) こでア)レプロウ が, このような 試 み の 中 心 こ の 概 念 の 支 持 者 の 間 に 流 布 しつ つある いま一つの概念形成の戦略を見出すことが可能であるとするのは , そ の数がふえてくるとともに , これら の一臨表に共通なものは何かを確定するた めの 「経験実証的」な研究計画に着手することがいまや でき るよう になるから であ る 。 とこ ろがその結果 とし ても たらされ るのは ,一般的 に涵見の 一致がみ られる特質も含んだ官僚制についての一つの新しい叙辿 であろう。. しかし この. ような方法で意見の一致をさがし ていくと ,結局におい で 自僚制概念の有効性 に疑いが投げかけられるほ どの多様な項目がそ こにあらわれてくること にもな りかね ない。かくて アルブロウ は, 「それは組織の比校研究のための一致し た. ' i " J 枠組み を作る助けになる よりも ,む しろそれを妨げる よう に思われる 」 概念 i と述べて , これに懸念を表明している 3 1¥ 元米 ,組織構造の視実が,観察したい者であれば,誰にでも容易に心録が で きる明僚なデータ ーではなく ,創造的解釈に よっ て多分に左右される抽象的 な とらえどころ のない現象 であるとすれば,組織としての官似制も理解の容易で ない観念であることはいうまでもない であろう。た とえ ば,組織と醤理の区別 がやっかい で あるの と同様 に,組紙が終り ,社会がはじまる揉界線を見出すこ とも決して 容劫ではない。今日 ,階統制や規則 ,分業,昇進,資格な どは単に 佃々の 組織の中にあるというよりは ,むしろ況代社会そのものに深く根ざ して いる。かくてアルプ ロウ が「組織はより広い官僚制である況代社会それ自体の 一部であ れば こそ,今日 , それを官僚制的なものとして語ることがで きるのか も知れない」 とのべると き14し こ こ にはす で に次に 出てく るいま 一つの官僚制 の概念が示唆されている 。 1)M. Albrow, o p . ci t . ,p p . 100~ 120. 2)i b i d. ,p .1 0 0 . 3)i b i d . ,p .1 0 0 . 4) i b i d .,pp.100~ 101. 5)i bid,p .1 0 1 . 6)T .Parsons ,Struct u r eand Proces ses i n ModernSociet y,1 9 60,p .2 .. -1 0 5(6565)-.
(14) 7)C. S. Hyneman,Bu reaucracy i n a Democracy,1 950 , p.3 . 8) M. Al b r o w , op.ci t . ,p .1 0 1 . E t z i o n i , Modern Organ iz at ions ,1 9図 , p.3 . 9)A. 1 0)F.Heady, Publ i cAdminis tr at ion: A Compar a ti v e Per s pe c t iv e,1 9 6 6 , p .1 9 . 1 1)R .V .Pre s thus , TheOrgan iz at ionalS o c i e t y ,1 9 6 5,p .4 . 1 2 ) W.G .Benni s,Changi ng Orgamza t i o ns ,1 9 6 6,p .5.. 1 3 ) M. Al b r ow,op.c it .,p .1 0 2. 1 4 )i bi d . , p.1 0 2. ( 7 ) 現代社会としての官僚制 I). アルブロウによれば, 「官僚制の神格化」すなわ ち, 宜伯制が民上上和,共 産主義,資本土義,社会主義などの渚概念とならんで ,社会の本質を把握しよ Pantheon)2 lに受け入れられることがあっても , うとする観念のパンテオ ン (. 」におかれた観念 これをその概念形成のさいに ,民土制,呉朕制,君主制 と同夕l に固有の発展とみなすならば ,決して驚くにはあたらない。けだし ,実際にし 付についてと同様に , ばしばそ うされているように , 「 民主的」という 言染が政 J 社会につ いてもその形容詞として用いるこ とが決して不必切でないとすれば, 同様な発展の可能性は官僚制の概念につい て も常に期待しうるからであるが, この概念の構想期間に見出される困難も , これを過少 評価 してはならないの は い うまでもな い叫 たと えば,社会の類型についての辿欧思想の伝統は上にマルクスとその信奉 者に よってう けつがれてき たが, その異端者 で あるプル ー ノ ・ リ ッチ ( Bruno l as ) によっては じめ て「官僚制的社会」と いう 観念 Riggi) とジラス (M.Dji. が展開さ れたと いう事実にもあらわれているように , そこでぱ巨椋制の概念は 決し て支配的地位を占めてはいなか ったの である。この マル クス主義の対立者 の中で,官僚制としての社会という観念にもっとも怯近した考えをもつ論者と してアルブ ロウがあげるのはモスカであるが,社会は官僚によって支配されて い るという見解の西欧的表視のうちでモスカ以来, もっともよく知られている のは バー ナム C J.Burnham)の 「経営者革命論」 (The Managerial Revolu. -1 0 6(6566)-.
(15) t io n ,1 9 41 .) に他な らない。 バーナ ムの重要な特色は ,一方 にお いて経済に おける(生産的)経営者集団の役割を重視する とと もに ,他方 におい て,経営 者集団 と政治的官吏の明確な区別が困難であるこ とを強調 して やま ない点にあ るが,たと えバーナ ムが国家 と経営の融合を心に描い ている として も,彼の理 論がなお , マ) レ クスや モス カと 同様に ,社会の類型は支配階級の性質 によ って 特徴づけられるとみな してい ること には変りがない又 かく てモ スカと バーナ ムは ,官僚制になっ てし まっ た社会の意味ではなく , 主として ,官僚制に よっ て支配された 社会の意味におい て官僚制的社会を語 っ ているが, この両概念が内容的に大きなひらきをもつ こと は,ア ルプ ロウがそ の一例としてあげている次の二人の論者の所説に て らして も明 らかであろ う。 すなわち , カール ・ウィ ッ トフォ ーゲル ( KarlWi tt f o g el ) は人 口のほぼ 9 5形 を構成する未分化の四民が支配的地位にある官僚階級を支えてい る官僚制的社 会に言及 してい るが, ジラス は, その成口の各々が特定の組絨上 の役割をもっ た高度に分化し たフ ゜ ロレ タリ アート によ って構成されていて, その全構造が官 僚制とみなされうる社会にふれてい る兄 アル プ ロウ による と,国家 と社会を融合しようとする イデ オ ロギー的願望が もっ とも具体的になるのは イタ リヤのファシズムにおい てで あるが, その解況 者逹が, それに適合する休制にあ て はまるとみな したi 幾構は組合国家に 他 なら. 0世紀 におけ る社会構造の変化によ って, 国家概念 と社会概念 ない 6)。他方,2 の対置が次第に時代遅れになっ ていること を指摘 した論者とし てその名をあげ. KarlMannheim) に他ならな いが, た られているのはカ ール ・マンハ イム ( とえば ,いまや権力や任用方法,公共性,および成日の人格的類型な どの点に おい て,私的組織 と公的 組綿の問には決して旅本的な相迩がみ られないという ことにも , その所説の一つ の大き なより所がある叫 次い で組織の内部構造の分析 から出発しながらも , 同様な結論に逹する論者 と してア ) レブ ロウ があげるのは クロ ー ジェやフ゜レスサスなどで あるが, ここで まず彼が指摘するのは , ウェ ーバー の理念型をめぐる論議において ,組織の内. -1 0 7( 65 6 7 )-.
(16) 部規制の枠組みが, よ り広い 社会構造 を反映 してい ること を強調 す る傾 向が一 般 的であったという 事実に 他ならない。 たとえ ば,実業 とス ボー ツの よ うに, 相互 関連性の 殆んど ないきわめ て異質 的な活動分野にお いて さえ ,一様 な規則 の体系がみ られ るのも , 「諸関係を公式化 したい」という 共通の 関心が根底に あ ること を示唆 して いるが, アル プ ロウに よ ると , クロー ジェ が フランス の官 僚制的文化を強調 して いるのも このよ うな 考 えの い きつくとこ ろであ るばかり でな い。「組織は実に社会の縮図 である 」 というプ レスサス の所診も8) の中にも , 官僚制を社会の 一類型 とす る観点を見 出 しうるのは ,彼がかね てよ り,大規校 組織を官僚制 的構造の 同義語 とみなす立場をと って いるか らに他な らない。 最後に , アルブロウ が分析する如く , このような考えのいきつく とこ ろが, 「官僚制化 」と いう 賎念 の使用においてもみられるこ とは興 味深い。 まず アル プロウ が指摘す るよう に, 「 官僚制化」という用 語は 単 に 「 官僚 制の成長」と い う意味で 用 いら れる 場合 が 多 い。 しか しそ こで は, 「官僚 制」 それ自体 と同 数だけの 多様な 意味が 「 官僚制化 」 に出て くるのも論理上, 当然であろ う。 た だ しそのいずれ の協合に も,集団であれ,社会 であ れ,官僚制化 されつつある 一 つの単位の存在がそこ に示唆 され ている のぱ, この用語 が実質 的に 動詞であ ること から して も明らか であろ う。 か くて 1 9 2 0年代 には 休 系的な 符理法の消 入 と純粋符理職員 の数 の増加 を さして 企業の官僚制化 とよ ばれるのが将通 であ った が, アルブ ロウのいうよう に, この過程の影粋は 決し て企業だ けに限 定さ れるも ので はない。 すな わ ち企業の従業員は 同時に 社会の成目 であ り,彼 らの 組糀に おける休験 は当 然に社会にもちこまれてくる か らであ る。 もちろん,企 業 の成長 とと もに 一単位 と しての企業の影岬 力も妍大 す るが, もし ,かかる企 業 自体が一つ の官僚制とみなされるならば,社会 の官僚制化 は社会に おけるか か る企業 の組織の 数や 規校 の培大 との関 連 に おいてもとらえることがで きよ う。 しか しまた ,官僚 制化 を官僚 の態度 と価値が 及ぽす 影 粋 力 ヘ の社会の従 鳳 あ る いは アー ノル ド ・ ゲ レン ( Arno ldGeh len) の言 葉にしたがえ ば, 「内在的完 全 主 義 の 発 展」と も と らえう るの で あ って , ア イゼンシ ュタッ ト. -1 0 8( 65 6 8) -.
(17) ( S. N .Eisenstadt) も「官僚制化」 の意味につ いてほぽ同様な区別の試みを なしてい るが, たえず新しい 諸要素を吸収 しながらその意味を拡大していく官 僚制概念の本来の性格を考えるならば ,厳密に これ を維持 してい くこ とが実際 にははなはだ困難であることはアルプロウの指摘をまつま で もあるまい。けだ し彼に よ ると「組織の成長は 社会の官僚制化を伴 っており , それは社会が官僚 制になる ことと同 じであ る」 から である庄 1)M.Al brow, op.c i t . ,p p .1 0 3-1 05 . Pantheon)は, 古代ギリシヤ ・ローマの万神殿をさ す名詞である。 2)パ ンテオン ( 3)M. Al brow, o p .c i t . ,p p .1 02-103. 4) i b id . ,p .1 0 3 . 5)i b i d.,p.1 0 3. 6) i b i d . , pp.1 0 3 -1 0 4 . 7) Karl Mannhei m,Freedom,Powe r and Democratic Planning,1 9 5 1 , p .4 5 .. 8) R.V .Pr e st h u s , The Organiza ti o n a l Society,1 9 6 2 ,p .4. g)M. Al br ow, o p .c i t . ,p p .1 0 4-1 05 .. 第四節. 統合の主題と概念形成の戦略. 1 . 官僚制理論の区分 と統合の主闊 アルプロウ によ ってなされた, 官僚制の現代的詔概含の区分は ,官僚制理論 の展開と動向につい て の全般的な展望を得るうえにははなはだ有用 であるが, 官僚制の問題を と くに企業経営との関辿においてとりあげ よ うとするわれわれ の場合にぱ , それをそのままのかたち で受け入れ て踏襲するだけにとどまるわ けにいかないのは当然 であろう。. けだし , 「官僚制の経営学的研究」 が,官僚. 制の諸理論を企業行動に適用する こと によっ てなされるものである以上,何よ りもまず, それ を直接に企業の行動に適用し うるものとそうでないものに 区分 する こと が軍要になるから で ある 。 これ をなすにあ たってまず,注目されるのは ,ア)レブロウ の区分した七つの 現代的諸概念の大半が,何らかの点において組綴との閃連で定式化された組織 - 109( 6569)-.
(18) 概念の性格をもつことであろう。 具体的には ,( 1 )の 「 合理的組織」 として の 2)の 「 組織の非能率」 としての官僚制 , ならびに ( 6 )の 「 組織」と 官僚制 と,( 5)の「官吏 と民吏に よる 管理」として の官 して の官僚制はいうにおよばず, (. 僚制も , そしてある意味では ,( 7 )の「現代社会」としての官僚制にも 多分に 3 )の「官吏による支配」として の官僚制 と, これが妥当する。それに対して , ( ( 4 )の「行政」 として の官僚制は ,多かれ少なかれ, 「 公権力の行使」 にかかわ. るところに固有の特色がみられるがゆえに , それ はすぐれて伝統的な政治学的 アプローチ にもとづく政治概念としての性格が強い。かくてその第一義的な理 綸的志向におい てこれ を区分すれば ,官僚制の諾理論は ,官僚制の組織概念に もとづく組織論的アプロ ーチと, 官僚制の政治概念にもとづく政治学的アプロ ー チに大別しうること がまず ここに 示唆されているばかり でない。 他の箇所ではア)レブロウが,近年,次第に有力になりつつあるもの と して , 「組織一般の構造を指示する概念」 として の官僚制 と,「 官吏が国家権力を行使 する統治構造」としての官僚制の両概念をあげていることば注目を要するであ ろう ]) 。 けだしわれわれは , この両者に ,官僚制の賭理論を以上のように二分 する場合の統合の主題たりうる性格を見出 しうるからである 。 まず前者につい てい えば, それによって指示されている組織一般の梢造が, 一連の組織原理によって成立している官俯制の定型的構造である のはいうまで もない。そ して 官椋制理論における組織論的 アプロ ーチのすべてが,何らかの かたちで多かれ少なかれこれにかかわ ってい ることも自明であろう 。 この点に おいてま ずこの概念は , その下に官僚制理論の組織論的 アフ゜ローチ が統合され る一般的な統合の主題の一表現であるばかりでない。 このように , この官僚制 の組絨概念がもっぱらその客餞的な構造的側面において定式化されるこ とによ って ,一切の 評価的要素が そこから捨象される ことも,それが統合の主頌 た り うるうえで大きな窓義をもっ ている 。 けだし , このように特定の評価的立場か らはなれて中立的であ ること によ って ,かえ ってそ れは様々の評価的立場のア プロ ーチとも結びつくことができるからである 。加うるに ,官僚制の定別的な. -1 1 0( 6 5 7 0)-.
(19) 構造的側面に ついては ,多かれ少なかれ論者の間に 巾広い 見解の一致がみ られ ることも見逃 しえない事実であろう 。 次いで ,後者の 「 官吏が国家権力を行使する統治構造」 として の官僚制につ いていえ ば,すべ ての政治学的 アプロ ーチが多かれ少なかれ,何らかのかたち でこれに かかわっ てい るのは いうまで もな い。 けだし , 「国家強制」や 「公権 カの行使」 を重視する ところ に, これらの アプ ロー チが, すぐれて「政治学 的」たるゆえんがあるか らである 。 したがって,それがこれらのアプロ ーチを 統合する主題の一表現 た ること も自明であろう 。 ここで , この両概念が,今日 ,次第に有力にな ってきている 原因に目を向け ると , まず第ー には ,そ の現実的茄盤の動向をあげうる であろう 。 すなわ ち, 前者に閃しては,近代的フォ ーマル 組織 の末曽 有の発展 という現代社会 の韮調 に,そして後者については ,社会の各領域に対する政府の影聾力の培大 という 歴史的趨勢にそれを見 出しう ること はす でにみたとお りである 。 い うま でもな く, これらの問題は , いずれも , きわめ て大きな現代 的意義をもつ。 した が っ て , この 点からも ,官僚制の 諸理論 を, この両概念の下に 統合される組絨論的 アプローチと ,政治学的 アプロ ーチに二分す ることは ,単に可能 であるにとど まらず, きわめ て有効でも あろう 。 第二に ,こ の 両 概 念 が 相 互に競合 しながら発展し てきたこと も, それを有 力にする大きな原因をな してい る。 アルプロウによれば, この両概念の競合 も, もとをただすと , 両者がともに , 「官吏による統治」 という概念か ら出 発 しながらも,. 「同家強制」という 要素の意 義を, 官僚制に固有のもの として 煎. 祝するか否かの 差異にも とづいて , この両者に分化してきたという 事実に由来 してい る2)。 すなわち , 「官吏による 統治」と いう概念を 広く 把握する と,そ こには,官職の階統制的序列 ,特定の任命手続,成文法規の強調,慣密的な行 政上の先例陪襲,官吏の自由裁墨権,および 国家権力の官吏による行使,など の特徴がその意味に含まれている。もとよりそれは必ずしも明示的ではない が, これらの 詔要素の各々についての相対的な強凋 の打度 は論者 によって様々. -1 1 1( 6 57 1)-.
(20) である 。 この場合 に, 「国家強制」 の行使 とい う点にお いてのみ,従来 よ り官 僚制 とよ ばれて きた もの とは異 なるが,他の多くの点 では, それ と共通な語特 徽を そなえた 組織が高度 に発展 してく ると, それはこの概念の展 開 にどのよう な影孵 をおよ ぽすで あろ うか 。. 「決 して 明示 的で はなか ったが,こ の概念の使. 用者の 多 くが,強制 の側面 を とるに足 りぬも のと みな して きた」とア ルブ ロウ は指摘して いる叫. いまや他 の特徽 に閃 して は,政府 の組織 と政府以 外 の組織. の類似性はきわ めて大 きい。今日の高度に発展 して きた’ 管理技術の 多 くは ,公 的組織の公務員にも ,私的 組織の職員にも 広 く一般 的 に適用 されているがゆ え に,公務員 も,民問の職員 も同じよう な型の昇進や 昇給制度の下 に編成 されて お り, 要求される 資 格 に ついて も共通 す るとこ ろが多 い。 かく て現代社会で. i 午理者 と は,そ の戦務経験 と閃心な らび に価値観 の共有性に もとづいて ,経営 : 行政官 から 成 る一つの 独 自の集団も 識別が可能で ある。 これがわが国 で も,っ とに上田 貞次郎博士 が, 「官吏」 に対 して,「 民吏」 という 言葉 を用 いら れたゆ えんであ ろ う。 した が って , 「国家強制」と いう要 素に こだわ らぬ論者に とっ ては,政府組織を 「 官僚制」と よぷが, それ以外 の組綿 を「官僚制」と よばな いでお く理由は皆無で ある。かく て官僚制 の この概念は ,現代社会 における フ ォーマ)レ組織 の高度の発展を媒介 的契槻 に 次 第 に一般化 す ること にな り,こ れが今日の 官僚制組繍論の発展にも 通 じている 。 しか し ,. 「官吏に よる 囚家強制の行使」 を, 官椋制 の 観念の本質的要素 とみ. る人 々が,官僚制の かかる概念的展開 に満足し うるはずはな い。彼 らは政府以 外 の組織が官僚 制と よば れ ること に刺 激 され, ます ます国家 強制の怠義を強調 して,こ の概念 の外延を政府以外の組織 にまで拡大さ せた他の 諮特徴 を付随的 とみ ること につと める 凡. しか もこの 官柏制の 政治概念 も, 国家機能 の拡大 ・. 進化 とと もに ,近年, ます ますそ の意義が大 き くなっている のは既述 の とおり で あ って , これがま たそ の主張の一つの大 きなよ りどころ にな っている 。 か くて一方の発展が更 に他方 の発展を刺 激す るとい うかたちで相互 に両概念 が競合して発展し てい くこと にも , この両者 が次第に 有力に なって くる 一 囚が. -1 1 2( 6 5 7 2) -.
(21) あるが,かかる動向にてらして も,官僚制理論を その組織論的アプロ ーチと 政 治学的 アプ ローチ に二分しようとするわれわれの試みが不当 でな い ということ がうかがわれよう 。 しかしわ れわれがこれをなそうとする最大の理由は , いう までもなく , それが次の点でわれわれの経営学的意図に即応するからである。 すなわち ,官僚制理論の組紙論的アプローチが, 多かれ少なかれ現代企業に 一 般的に妥当することは ,現代企業の組織原理 として の官僚制 的構造のもつ 意義 の重要性にてらしても明らかであろう。官僚制理論の中 でもとくに 官僚制組織 論が経営学で江目される理由の一つも ここにある。それに対して , その政 治学 的アプロ ーチは 多かれ少なかれ,国家強制や公権力の行使という要索にかかわ ることを特徴とするがゆえに, これが直接に企業の行動に妥当 しない のは いう までもない。したがって ,官僚制 理論をこのように二分することは,結局にお いてそれを企業の行動に直核に適用しうるもの とそうでないものに二分するこ とに通じ ,われわれの忍図に合致してくるこ とになる 。 1) M.Al brow, o p .c i t. ,p .1 2 2 . 2)i b i d . ,p .1 2 2 . 3) i bi d . , p.1 2 2 . 4) i bi d .,p .1 22 .. 2 . 経営官僚制 と統冶官僚間の誤I 辿 官僚制刑論をその組織論的アプロ ーチ と政治学的 アプロ ーチに二分するにあ たって ,われわれはア)レブロウの所説の中に , 「組織一般の構造を指示する 概 家権)」を行使する統治構造」 としての官僚 念」と しての 官僚 制と , 「官史 が比l 制の二つの注目すべき概念 を見 出した。前者が官僚制理論の組織論的アプロ ー チの統合の主迫である官僚制の組椛概念 の一つの表現たりうるとすれば,後者 はその政治学的 アプロ ー チの統合の土題であ る官僚 制の政治概念の一つの表現 たりうるであ ろう。 このうちで前者を, その組織論的アプローチの統合の土題 という 点からより一般的に表現すれば , これを 「 経営官僚制」 とよ ぶ こと がで きよう 。そ れ に対して後者の政治学的アプローチの統合の土辿は , これを「統. -1 13(6573)-.
(22) 治官僚 制」と名づけうるであろ う。 まず前者の 組織論 的ア プ ロー チについてい えば, そのいずれもが 「俯別組絨 における経営の 内部原理 と しての官僚制」にかかわっているこ とは, その主頌 である官僚制の組織概念の内包に て らしても明らかであろう。されば後者の政 治学的アプロー チ の 統 合 の 土 題 が 「統治官僚制」 と名づけうることに対応し て,こ れを 「経営官僚制」と 名づけ てお くこ とが有用である。もちろん ,後者 の主題を 「統治官僚制」とよびうるのは , この場合の官僚制概念の内包が, 定の統治構造にかかわっているから である 。 かくてこ こに官僚 制理論は ,経営官僚 制 を土題 とする組織命的アプロ ーチ, すなわち経営官僚制理論と ,統治官僚制を主頌とする政治学的 アプロ ーチ,す なわち統治官僚制理論に二分されるこ とになる。 この両者の関連を図示したの. \. =. 第一図. 経営官僚制理論. 官 僚制組織論. “. 恣. 惑. ゃ. 惑 薄. が次の第一図である。. 経営官僚制と 統治官僚制の関辿. まず経営官僚制と統治官僚制は ,上図の二つの交鉛する楕円型に示され てい る 。 この うちで , 経営官僚制に更に多くのサプ ・カケ ゴリー があるこ とは, そ こに一例としてあげられている複数の内接円に示されてい る。 もとよりそれ 』が元米,組紙の構造原理という点にみられる宜僚;h りの機能 I 『J 怠 は,経営官似;i. -1 1 4(6574)-.
(23) 義を,個別組絨の レベルにおいて一般的に表現 したものであるという 点におい て,す ぐれて 官僚 制組織の機能概念たることからくる当然の帰結でもあろう。 かく て経営官僚制理論の悲礎理論が官椋制組綴論にある ことは ,経営官僚制理 論が,官僚伽J組織論のフ レームワー クを各種の個別組織に適用することによ っ て成立する必理論の一般的表現であ ることにてらしても明らかである。それゆ え,こ れらの沿理論の各々を「個別官似制理論」とよ ぶなら ば, 「 経営官僚制 理論」 はまさ しくその上位概 念をなす。 した が って「経営官僚制」 もこれらの 「 個別官僚制」 の上位概念として , その制度的機能 にも とづ く組織の稲類に応 じて様々のサプ ・カテゴリーをもつ。 たとえ ば,企業 における「官僚制」を「企業官僚制」とよ ぶならば , それは 官 仰; j り組絨論のフ レームワーク を企業の行動に適 用することによって 成立する 理論の固有の忍識対象 をなしている 。 同椋なこと は, 「 組合官僚制」や「学校 官僚制」 など につ いてもいえる。かくてその数はかかる組級の稲類とともに 多 ‘ し. ゜ しか しその中でも「企業官僚制」 とならんでとくに注目されるの は,行政に. おける官似制 ,すなわち 「 行政官僚制」 であろう。けだし第一図でも明らかな よう に, この経営官僚制のみは ,公権力の行使に虹接にかかわるがゆえに , 同 時に統治官僚制でもあるという特殊な性格がみられるからである。すなわち行 政官僚 制は , これ を政治学的側 面からみれば統治官僚制であるが, それを組絨 論的側面か らみれば経営官僚制 であ る。かく て統 治官僚制と 経営官僚 制は行政 官僚制におい て交錯 す る 。 それ に対 して他 の経営官僚制のサプ ・カテゴリーは ,統治官僚制と 交錯 して いない。こ の ことは ,特殊 な例 外をのぞいて ,統治官僚制理論が行政官僚 制以 外の個別 官椋制に血桜には妥当しないことをものがた ってい るが,それは,そ れらの経営官僚 制のサプ ・カテゴリ ーが血接に公権力の行使に関与することが ないからである。もちろん企業官僚制もその例外でないが,公益企業と公企業 か部分的にこの特殊な例外 に屈し てい ること は注目を要 する。. -1 1 5( 6 5 75 )-.
(24) なお企業官僚制と行政 官僚制がとも に 経 営 官 僚伽l の一種であるということ は,経 営官僚制が経営学 と行政学 の共通の主題 の一つであること を意味してい る 。 した が ってその研究 は,経営学 と行政学 の実際 的交流 の促進にも 役立つで あろう 。 しかし,その基礎理論が官僚制組織論に あるとすれば, その交流が多 分に社会学的組織論 の視 角 を媒介とす るものであ ることは,それがウェーバー 以来の 伝統として ,主 に社会学者によって 展開されてきたことにてらしても明 らかであろう 。 しか し同じく 経営学 にあ っても , 公 益 企 業 論 と公企業論のみ は,統治官僚制の問題 との内的関辿において ,政治学 との結び つ きも強いこと を忘れてはならない。. 第五節. 経営学における官僚制理輪の交錯の諸領域. 官僚制理論 と経営学の父鈷 を考える 場合に ,経営官僚制理 論と統治 官似制理 論の区分が前者 について必要であったよう に,後者につい ても ,企業一般を対 象 とする一般企業経営学 (以下, 「 一般経営学」と 略称) と,公益 企文 のみ を 固有 の対象 とする公益企業論の 区分が必要で あろ う。 その理由の 第一 は,官僚制 理論 との I 虹辿 とい う点に おいて ,両者の I 廿 ] には王 要な立場の相迩があるからである 。第二 に, ここ における経営学の区分の品準 は, 当然に官僚制理論におけ るそれに 対応するも のでなければならな い 。 とこ ろがそれは , 「国家強制」を官僚制 に囚 有 の本質的 屈性 とみなして概念 化を行 うか否か にみられ る。さ れば 「 公権 力 の行使」と の止結の 有無という 点からし 』に服 す る企来 とそうでな て, ここで重要となるのは ,政府の直接 的な公共規;l い企業 との区別である。これを経営学 の体系 にあてはめた結果が,一般経営学 と公益企業論の区別に他ならない。 なお ,ここ で公企業論の扱いが一つ の問囮 となる が, ここ における 経営学 の 区分の 基準 として 堕要な 意義を もつ のが,政府 の直接 的な 公共規制 の有無であ 丈J辿 をみ ると,公益介業論 と公企業 論の 間 に るこ とをふまえ で 自伯制理論 とのI. -116(6576)-.
(25) は, さほどに重要 な本質的な 立場の相迩はみ られない。されば,と りたてて両 者を区別 して 扱 うべき 特殊 な事梢がないかぎり ,前者に重点をおく場合には後 者をそれに準じるものとして扱い ,後者に凱点 をおく場合 には前者をそれに準 じるものとし て扱えばよいで あろう 。 けだし 「 公有化」 も広い意味の公共規制 の一形態 と考えう る し, いづれにして も,政府の機能が戦接 にその経営 におよ ぶ という 点には変りが ないからであ る。 かくて官僚制理論 と経営学を, それぞ れに ,以上 のように 二分すると, 次の 第二図に明らかなよ うに,両者の 問には四つの主要な交錯閃係が 出てくること になる 。. 経 営. 官僚 制理 論. 学. 直接的 . .● ● 一 . . . .. ― 問接 的. 第二図. 竹僚制 J 叩論と経訊学の交錯. その各々をみ てい くと , まず第ーは 経営官僚制理論と 一般経営学の交錯 であ る。 おそらくはこれが,官僚 制理諭 と経営学の間にみ られる種々の交錯関係の なか で も, その比軍の大きさ からみ て, もっと も痣本的なもの であ ろう。 その 主たる領域を経営学の体系 に即して いえば,経営組織論 と経営 社会学に なる。 と くに前者が軍要な領域であるこ とは,経営学の体系に おいてそれが 占め る基 本的な位 四 と , 今口の官僚制理論における組織論的 アプロ ーチの 比顎の大きさ にてらしても明らかであろう 。か くて「官僚 制の経営学的研究」の中心的方 向 が,官僚制組織論のフ レームワー クを解明して , これを企業の行動に休系的に. -1 1 7( 6 5 7 7) -.
(26) 適用 して いくこ とにあ るばかりでない。経営社会学 におい て も,最近 は,組織 社会学 の強 い影態 の下 に,官僚制組織の問屈が大き くクロー ズ ・アップさ れて きて,そ の重要 な主題 の一つにな っている が,こ れは,組織 による 疎外 を克服 して, 人間の主体性 を回復するこ とに一つの重要 な課題 を見 出すその韮本的な 問題意識か らして も当然であろう。 第二 は統治官僚制理論 と一般経営学の交錯であ る 。 もとよ り統治官僚 制理論 は企業 の行動に 直接 には妥 当 しない。 しか し,資本主義 の高度化 に対応する 囚 家機能の拡大 ・進化 と , 私企業 の大規板化によ るその社会公共性の 培大 とい う 二つの契機 があいま って,最近 のように企業 と政府の相互作用が重要 な問 題 に な って くると , 間接 的には両者の問 にも 墾要な閃迎が生じ てく る。 「 企業 と政 府」や 「 政府 と企業」などのテ ーマ にその主要な 論議の舞 台がある こと が示 唆 して いるよ うに,経営学 の休系か らいうと , その主要 な領域 は企業環境論に あ る。 第三は ,経営官僚制理論 と公益企業論の交錯 である 。 もとよ り経営官僚制の 問題 はすぐれて近代経営 に一般的 な問題 であって ,必ず しも 公益企業に 固有の もの ではない。 しか しそれは 公益企業 の経営 において きわめて重 要 な現実的惑 義をもつばかりでな い。 「 企 業 性 の 後 退 」 に集約さ れ る企業官僚 制の逆機能 が,組絨 スラ ック の増大を ひ きお こす点において ,公共規制の主要な制 度的機 能である競争代替機能や 利 害 調 整 機 能 の一つの 阻害要 因 とな って いる とすれ ば, この点からも公益企業論においてこれ を安易 に看過 す ること はできない で あろう 。公益企業論 の体系に 即し ていうと ,両者の交鈷 する 主要 な領域は公益 企業経営論 にある。 第四は統治官僚制理論 と公益企業論の交錯 であ る。官僚制理論との 関連にお ける一般経営学 と公益企業論の限要な 差異 の一つ は,統治官僚制理論 との閃連 が,前者では多分に間接的であるのに ,後者では前接 的な こと である。更に前 者にお いて は,統治官僚制理論 よりも 経営官僚制理論の方が方法論的比重が大 きい のに対 して,後者に おいてはむしろそ の閃係が逆 であ るの も両者の重要な. -1 1 8( 65 7 8) -.
(27) 免異であろう。もちろん公共規間の主体は 広義の政府にあるが,今日の政府の 活動に おけるそ の、 は 義の大 きさにてらしても , この統治官僚制の問題を捨象 し て政府の機能を論じる こと は大きな阪界を まぬがれがたい。公共規制の主体に 閲する 体系的分析が公益企業論に おいて重要であるとすれば,統治官僚制理論 もまた ,公益企業論において注目されるべき存在の一つであろう。い うまでも なく ,両者の交錯する 主要な仙域 は公益企業規伽J 論にある。. 結 論 以上の如 く,わ れわれは ,官伯 制の極良 の概念 的不安定性 とアフ゜ローチ の混 乱に対応すべく ,経営官僚制と統治官僚制の概念的区 分 の尊入に よって ,官僚 伽l 理論 と経営学の交鈷を体系的に把握し うる概念的枠組みの確立につとめてき た。も とよ り, このす ぐれて試論的な論議には ,今後の展開において是正され るべき不仙や欠洛がなお多く見 出され るかも しれない。 しかし ,少くともこの 小論の土迎に l 丈l するかぎりで は,この種の論議の ための 「土俵づくり 」 の努力 こそが, いままさ にもっ とも必 要 とされているものに他ならない。. もしこれ. が,今後の よ り充実し た論議の発展の一つの 刺激 ともなれば,筆者にとってこ れ にすぎる醤びはない。滋贄の一 )日の御鞭達と御高母を 乞う次第である。. -1 1 9( 65 7 9)-.
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