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Anzia Yezierskaが描くアメリカ社会 : 東ヨーロッパユダヤ系移民史の語り部

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Anzia Yezierskaが描くアメリカ社会

―東ヨーロッパユダヤ系移民史の語り部―

人文学系教授 大越 孝 キーワード: Anzia Yizierska(アンジア・イージエスカ)、ユダヤ系女性作家、移民、同化、 語り部

1.はじめに

Saul Bellow、Bernard Malamud、Philip Rothと言った現代アメリカ文学の主流に躍り出た ユダヤ系作家の陰にあって、20世紀前半に活躍したMary Antin、 Anzia Yezierska、Fannie Hurst等ユダヤ系女性作家の存在は、我が国ではほとんど注目されていない。彼女たちは、ユ ダヤ系アメリカ人社会が抱える経済的、社会的あるいは宗教的戒律に縛られた日常生活の矛 盾、女子教育に対する不平等、男尊女卑的宗教観に対する反発等を作品のテーマとして取り上 げている。また、新天地アメリカにおける自由、平等、アメリカ社会への同化という極めて対 照的なテーマも取り上げている。本稿では、Anzia Yezierskaの主要作品を中心に、東ヨーロッ パユダヤ系移民の語り部として彼女を位置づけ、作品分析をおこなう。

2.東ヨーロッパのユダヤ人社会を取り巻く情勢

東ヨーロッパのユダヤ人がなぜ19世紀末に大挙してアメリカへ移民したのか、その背景を 見てみる。Irving HoweのWorld of Our Fathers によれば、1881年夏、ウクライナ地方からオ ーストリアに大挙してユダヤ人の脱出がおこなわれた。その背景にはいくつかの要因があっ た。 19世紀中頃になると、農奴の解放による経済的打撃や東ヨーロッパユダヤ人社会の経済状態 の悪化等により、極貧層が激増し、1870年代以降はさらに悪化の一途をたどった。 19世紀末、西ヨーロッパやロシアの労働者は、資本家との闘争をおこなっていたが、ユダヤ 人労働者は貧困との戦いに喘いでいた。1882年、“Jewish notables” と呼ばれるユダヤ人指導者 会議がセント・ピーターズーバーグで開催された。議題はロシア領からの集団移民であった。 議題となった集団移民案に対し、参加者の大多数は反愛国的で解放闘争の趣旨に反するとして 反対した。Russky Evrei, Russian-language weeklyでは次のように述べている。

By supporting mass emigration the Jews would be playing into the hands of their enemies, who hope they will flee from the field of battle.

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Either we get civil rights or we emigrate. Our human dignity is being tramped upon, our wives and daughters are being dishonored, we are looted and pillaged; either we get decent human rights or else let us go wherever our eyes may lead us. 1)

東ヨーロッパのユダヤ人は、これまで様々な形で生存権が踏みにじられてきた。19世紀末に 現地にとどまって公民権獲得を目指して闘争する道を選ぶのか、あるいは大挙してアメリカへ 移民するのか、二者択一を迫られていた。1894年から1898年の4年間でユダヤ人社会の1/3が 極 貧 層 に な っ た と 言 わ れ て い る。 そ れ を 裏 付 け る 歴 史 学 者 Salo Baron の “In many communities”を見てみる。

....fully 50 percent of the Jewish population depended on charity, particularly during the Passover week.... In Russia, as in the other countries going through the early stages of modern capitalism, the rich grew richer while the poor became more and more indigent.... It has been estimated that in many communities up to 40 percent of the entire Jewish population consisted of families of so called luftmenshn, that is, persons without any particular skills, capital, or specific occupations. 2)

過ぎ越祭の時期慈善団体の施しを受ける割合はユダヤ人住民の50%にも及んだ。また、40% の人が手に職もなく私財を持たない悲惨な状況にあった。 1881年、ロシア皇帝アレクサンドル2世が暗殺されるなどテロも頻発する政情不安の時代で あった。当時のロシア政権下、前述の通り、国民の目を政治からそらす目的で官憲主導の「ポ グロム(pogrom)」と呼ばれるユダヤ人虐殺がロシアやルーマニアを中心に東ヨーロッパで繰 り広げられた。難民と化した彼らは、ユダヤ人支援組織の援助を受け、ドイツのハンブルグや ブレーメン経由で『旧約聖書』の「出エジプト記」に描かれた「乳と蜜の流れる約束の地」すな わちアメリカへ夢と希望を抱いて脱出してきた。 1882年春からポグロムが激化の様相を呈すると、数ヶ月だけで2万人以上のユダヤ人難民が 人口わずか1万5千人のオーストリアの町に流入した。1890年代初頭Anzia Yezierskaが、16歳 (不詳)の頃、ロシア領ポーランドからアメリカへ移住してきた。1901年から1914年の間にヨ ーロッパを脱出したユダヤ人は160万人以上に及んだと言われている。

3.Yezierska 文学とアメリカ社会

Yezierska自身も含め、移民第一世代が、極貧の中で力強く生きる姿を自らの体験を基に作品 に描いている。Yezierskaを含む移民第一世代のユダヤ系女性作家は、民主主義国家アメリカで 教育の機会を得て、ユダヤ教・主義とその伝統への反抗や自立の問題に目覚めてゆく。 Yezierskaが、作家としてデビューした1920年代初頭は、移民第一世代の読者が、彼女の作 品と自己体験を重ね合わせ、共感を持って受け入れた時代であった。Yezierskaの作品の主人公

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(女性)は、旧世界(東ヨーロッパ)と新世界(アメリカ)という二つの世界の狭間で、同化と自 己のアイデンティティの保持という大きな課題に直面し、そして葛藤する。この心情を彼女は 1923年に出版したChildren of Loneliness の結末で次のように綴っている。

“Am I really alone in my seeking? I am one of the millions of immigrant children ̶ children of loneliness, wandering between worlds that are at once too old and too new to live in.” 3)

ユダヤ系第一世代のマージナリティーの心情を代弁する一節は、移民社会、アメリカの姿を 見事に捕らえている。出版から90年たった今も色褪せることがない。むしろグローバル化の現 代社会にあって、現代人の心情を描く上で当てはまる言葉といえる。

Anzia Yezierskaを含む当時の移民第一世代は、WASP中心のアメリカ社会において、ユダヤ 人としてのアイデンティティの保持とアメリカ社会への同化という、相反する命題に直面しな ければならなかった。 

Hungry Hearts(1920)からAll I Could Never Be(1932)に至る6作品を矢継ぎ早に発表した 頃、Anzia Yezierskaが、作家としてもっとも注目された時代であった。Hungry Heartsが出版 されるとハリウッドのゴールドウィン社が映画化権を彼女から獲得したため、ニューヨークの スラム街に住む無名の女性作家が、一躍ハリウッド作家として脚光を浴び、“Sweatshop Cinderella”として注目を集めた。2作目のSalome of the Tenements(1923)も映画化された。

Yezierskaは、マンハッタンのLower East Sideと呼ばれるゲットー(極貧街)を創作活動の 原点と位置づけ、東ヨーロッパユダヤ系移民社会を間近に眺めながら作家活動を続けた。彼女 は東ヨーロッパ出身のユダヤ系移民第一世代の生活を余すところ無く、力強く時には激しい口 調で描いている。Yezierskaの取り上げたテーマは、アメリカン・ドリームを目指す、極めて 向上心の旺盛な女性たちである。 Yezierskaは、東ヨーロッパユダヤ人社会の宗教、伝統を継承しつつ、アメリカ社会への同化 の狭間で自己のアイデンティティを求めて揺れ動く姿を創作の基本として描いている。長い歴 史を経て形成されてきたユダヤ人の宗教観、社会観、道徳観、結婚観などは、新世界、アメリ カのそれとは大きな隔たりがあった。 Yezierska が作家としてデビューした1920年代のアメリカ社会は、ジャズ・エイジの幕開け が目前に迫っていた。物質的豊かさとジャズという新しい音楽ジャンルが徐々に社会に浸透 し、新旧の価値観がぶつかり合い、とりわけ若い女性は新たな生き方を獲得した時代でもあっ た。アメリカ社会全体が、程なく物質的豊かさを謳歌する時代に取って代わっていったが、 1929年の大恐慌によって終焉を迎える。 1920年代前半は移民第一世代のアメリカの夢を抱いて極貧の中から立ち上がる姿を描いた Yezierskaの作品は読者の共感を得たが、物質的な豊かさが広がるにつれ、人々の関心は、新た な流行に移ってしまった。そのため、Yezierskaの作家としての名声と作品に対する評価は、以

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後数十年間忘れ去られる事となった。 1960年代のカウンターカルチャー以降、公民権運動やフェミニズム運動が新たな潮流とし てアメリカ社会に変革をもたらした。過去の文学的遺物として忘れ去られていたYezierskaの 作品が、フェミニズムの観点やエスニシティを是認するアメリカ文化の幕開けと共に、再び脚 光を浴びる機会が到来した。その結果、Yezierskaの作品の見直しがアメリカ国内の研究者間で 盛んになり、それに伴いアメリカで彼女の作品の復刊がおこなわれるようになった。 その結果、Yezierskaは、東ヨーロッパユダヤ系第一世代移民史の語り部、あるいは1920年 代のフェミニズム研究の対象として注目されるようになった。換言すれば、彼女の作品はアメ リカ文学のみならず社会学的な見地から改めて評価されるようになってきている。 Yezierskaの作品に共通するのは先に述べた強い向上心を抱く女性の主人公である。それに 加え、旧世界(東ヨーロッパ)と新世界(アメリカ)への同化とアイデンティティ、ユダヤ人社 会の伝統的な社会通念である男尊女卑や教育、言語の習得、アメリカでの教育、困窮を極める ユダヤ人子女の救済慈善事業に対する批判等がある。彼女の主人公たちは、自己実現、アメリ カ社会への同化、公平性、女性解放を強く意識している。

Yezierskaは、“Mostly about myself” の中で、自己の創作とそれに至る経緯について下記の2 節を述べている。

“Writing is to me a confession ̶ not a profession.”

“My first alphabet of self-expression was hatred, wrath, and rebellion...

I wrote out on my greasy lunch bag the thoughts that were boiling in me for a long, long time. ” 4) 1節目は、むしろ新天地アメリカで、たとえ極貧の中であっても新たな人生のスタートライ ンに立つ道を選択した東ヨーロッパ系ユダヤ人社会の語り部としての決意が、“confession” と いう言葉に込められている。2節目は、英語修得もままならないユダヤ系移民たちは、極貧故 に、豊かな異文化社会、アメリカに対して嫌悪感、怒り、反抗心をエネルギーにして、果敢に 生活基盤の改善に向けて挑んでゆく。 換言すれば、貧困を脱出する事は、豊かなアメリカ人の一員となる同化への第一歩を踏み出 すことを意味する。Yezierskaの作品にちりばめられている東ヨーロッパ系ユダヤ人社会の共通 語Yiddishと不完全な移民第一世代の英語の織りなす世界は、多様性に満ちたアメリカ社会あ るいはアメリカ人を強く意識して意図的に描くツールとして効果的に用いられている。 Yezierskaが作家デビューした時代は、まだWASPがアメリカ社会の主流であり、アメリカ社 会への同化は、WASPをロールモデルとする時代でもあった。 ユダヤ系心理学者のErik Eriksonは、前述したYezierskaの主人公の心情が発するエネルギ ーを裏付けする初期移民の心理について次のように語っている。

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    初期のアメリカ移民は、あたかも、自分の住みなれた土地から根をひき抜いてしまう ような悲痛な気持ちで、移住の決意をおこなったのであった。――    この決意は、結果的に彼らに新しい「生き方」すなわち、人的、工業的エネルギー源を 生み、新しい思想的方向づけを生み出させた。5) 東ヨーロッパからアメリカへの移民は、自己の意志により住み慣れた土地から根をひき抜く 行為を決断した。彼らの ‘uprootedness’(根こぎ感)は、新たなエネルギー源であり、新たな未 来を切り開く動機付けになった。移民の人々には「三つのCh――change, chance, choiceが要 求された」6) 移民第一世代は ‘greenhorn’ と蔑まれた疎外者として、アメリカの大地に第一歩を踏み出し た時から、アメリカン・ドリームという夢・幻想を共有した集団である。彼らは、この理想を 糧として貧困の中から這い上がってくるエネルギーを備えた集団といえる。 1920年代は、物質的な繁栄の時代であると同時に社会的な変化が大きな時代でもあった。自 動車とラジオの普及が人々の移動と情報伝達速度を飛躍的に高めた。1924年、フォード車の価 格が、発売当初の1/3まで値下がりし、誰もが購入可能な価格になった。1920年、女性参政権 が発効し女性の発言権が高まった。電気製品の登場により家事から徐々に女性が解放される環 境が整っていった。 1920年代の衣服製造業に従事する女性労働者は二通りの労働形態があった。衣服工場労働者 は 27 万人。工場外労働者 24 万人であった。工場外労働者は前者と比べると低賃金であった。 それでも1929年の大恐慌までは労働者の賃金も好景気のおかげで上昇した。一方で、第一次世 界大戦時に起こったロシア革命や社会主義体制に対する不信感は増幅された。1920年に起こっ たSacco and Vanzetti事件もその後、労働者階級に対する嫌悪感を高める要因となった。その 結果、労働組合活動を共産主義と重ね合わせ危険視する風潮も高まった。事実、1914年の労働 組合員は200万人程度だったのが、1920年代は400万人と倍増していた。それだけ労働組合の 影響力は強まっていた。このような社会情勢は、社会の最下層で貧困にあえぐユダヤ系移民を 描くYezierskaの社会観にも当然影響を及ぼすことになる。

4.語り部としての Yezierska

Yezierskaは、“Mostly About Myself” の冒頭で、貧困にあえぐユダヤ人たちが、自己の窮状 を訴える手段をロシアでは持てなかったことを次のような表現で描いている。

For ages and ages, my people in Russia had no more voice than the broomstick in the corner. The poor had no more chance to say what they thought or felt than the dirt under their feet. 7)

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った。このような厳しい社会環境下で、主張するすべを持たなかったユダヤ人貧困層社会に、 長い忍従生活を通して敗北感が疫病のように蔓延していた。それに引き替え、アメリカでの生 活は、民族、階級、信仰いずれの点においても自由である事は、極貧の生活からの出発であっ ても、彼らは感動を覚えずにいられなかった。 東ヨーロッパの抑圧から脱出したユダヤ系移民にとって、アメリカは、まさに『聖書』の「出 エジプト記」になぞらえた「乳と密の流れる理想郷」のはずであった。彼らは、沈黙と閉塞感か ら一挙に開放され、ロシアではかつて望むべくなかった表現の自由をアメリカで享受した。一 方、彼らを迎えた現実は極貧の生活からの出発であった。しかし、沈黙の呪縛から解き放たれ た途端、書き表したい衝動に駆られるが、走馬燈のように様々な事柄の断片が溢れ出てくる。 ‘And then I gather these fragments, words, phrases, sentences, and I paste them together with my own blood.’ 8) この一文は、作者が全身全霊を捧げて断片化した言葉を文章化する意思

を見事に表している。

Yezierskaは、ユダヤ系第一世代が受け継いだ劣等感をバネに、自己のエネルギーへ替えてゆ こうとする強い決意をWalt Whitmanの “It is lucky to die as it is to be born.” と言う一節をも じって、“It is lucky not to have advantages as it is to have them.” と述べている。このようにし て、Yezierskaは貧しく劣悪な移民としての自己体験を武器にして、体験者のみが語ることので きる不屈の精神と社会の底辺から這い上がるエネルギーを備えた人々の世界を描くことに自ら の一生を捧げた。

“An Immigrant Among the Editors”の中で、Yezierskaは、洗練された文体で書かれた作品 を求める編集者に対して果敢に異議を唱える。ハングリーな精神にあふれた移民の姿を描く手 法として、Yiddish語混じりの少々荒削りのブロークンイングリッシュの方が、より強いイン パクトとリアリティーを読者に与えることができると主張する。言葉だけではなく、時には身 体的飢餓や精神的飢餓も、人間を創作や行動に駆り立てるとYezierskaは主張する。たとえば 極貧と慢性的空腹の生活状況、富裕層に対する反発、批判、あるいは嫌悪感が、Yezierskaの執 筆の原動力になっていた。 Yezierskaは、移民第一世代というテーマのみ取り上げ、目先を変えて繰り返し描いていると 見なす批評家がいる。しかし、移民史の語り部あるいはエスニシティ文学の観点から捕らえれ ば評価は自ずと異なる。

Yezierskaは、あえて人間の ‘Hunger driven by loneliness,’ ‘man’ s bread hunger,’ ‘man’s love hunger,’ 等様々な ‘hunger’ をユダヤ系移民第一世代のエネルギー源として繰り返し作品に描 き続ける。Yezierskaは、移民問題を文学作品のテーマとして掲げ、アメリカ民主主義社会のあ り方を問うている。

また、Yezierskaは、コロンビア大学教授であったJohn Deweyと親しい関係にあったことか ら、Deweyの思想が何らかの形で彼女の創作にも反映されていても不思議ではない。

‘Learning ? certainly, but living primarily, and learning through and in relation to this living.’ 9)

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学習はもちろん必要だが、大切なことは生きることで、学習は生きることを通じて、また生 きることと結びついておこなわれるとの見解を The School and Society 第2章でDeweyが述べ ている。この一節はYezierskaが描く、貧困との苦闘の日々(学習)を通してアメリカ社会への 一員となる努力を続ける移民第一世代の姿に重ね合わせることができる。結果として、この一 節は Yezierska の創作をプラグマティズム的側面から擁護するにふさわしい表現といえる。 Yezierskaが、移民の困窮した生活状況や心情を生々しく描くことによって、作品も社会変革の 原動力となり得る。

5.語り部、Yezierska と長編小説

(1)偽善的資産家による慈善活動への反抗と草の根慈善事業家としての再出発 

An Arrogant Beggar(1927)は、天涯孤独のAdele Lindnerの貧民街からの脱出と回帰の物語 である。Adeleは、若さ故、貧困からの脱出の第一歩が、慈善団体が運営する若年女子労働者 寮を安住の地と安易にも思い込み入居した。同時に、豊かな将来を約束してくれるロールモデ ルとして経営者の息子にも胸をときめかした。希望が叶い喜びに浸るAdeleだが、寮則に縛ら れ自由がない。また、勉学の機会を与えられても慈善団体を運営する資産家でドイツ出身のユ ダヤ系アメリカ人は、彼女たちを安価な労働力と見なし、対等な人間関係でないことを知る。 彼女のアメリカの夢に対する期待感は、偽善的な経営者の姿と社交界の人間関係を重んじる 青年の態度を目の当たりにして失望した結果、彼らと一線を画し、下記のような激しい非難を 彼らに浴びせた後、ゆく当てもないまま退寮する。

The written speech crumpled in my hand. “It’s a lie. I’m not grateful. I hate this Home. I hate myself for living here. I hate the hand-me-down rags I wear on my back. I hate every damned bit of kindness you’ ve ever done me. I’m poisoned ̶ poisoned with the hurts, the insults I suffered in this beastly place.” ... “Thank God I’m not a lady, so I can tell you to your faces in my own language what I think of you! Hypocrites! Shaming me before strangers ̶ boasting of your kindness ̶ because I had no home ̶ I had no friends ̶ I had no work. Feeding your vanity on my helplessness ̶ my misfortune.... You robbed me of my soul, my spirit. You robbed me of myselfe.” 10) Adeleは、若年女子労働者寮という住み家を手に入れたが、その代償として一人の人間とし ての尊厳を失った屈辱感に耐えられなくなった。自己の人格を押し殺して、ただ奴隷のように 感情を麻痺させて生きることを彼女は良しとしなかった。Adeleは敢えて孤立無援の状況で生 きてゆく道を選択した。庇護を失って絶望感にさいなまれながら、元のゲットーへ戻ってゆ く。

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当時、ドイツ出身のユダヤ系アメリカ人は既に社会的地位を確立していた。彼らは19世紀末 から20世紀初頭にかけて大挙して押し寄せた東ヨーロッパ系ユダヤ人の対応に翻弄されてい た。新参の東ヨーロッパ系ユダヤ人は様々な点でドイツ系とは大きく異なっていた。同胞とは いえ両者の関係はその後も必ずしも良好ではなかった。もちろん同胞に対する援助は惜しまな かった。Yezierskaは、このような同胞同士の対立構造をこの作品の中にも反映している。 東ヨーロッパユダヤ人社会の伝統が残るゲットーで年老いて慎ましい一人暮らしをする Muhmenkehは、途方に暮れたAdeleに助けの手を差しのべた。老女の好意に甘える外、生き る術はなかった。挫折感に打ちひしがれて舞い戻ったゲットーで、Muhmenkehは、Adeleを 我が子のように面倒を見る。もちろん代償など求めない。孫娘をいつか呼び寄せるため蓄えた 金を惜しげもなく、Adeleが病に倒れた際も看病に当ててくれた。この老女でさえ、貧しいな がらも自立した人生を送っていることに気づく

Seventy-six years old and standing on her own feet. And I beggared my soul stretching out my hands for help! Help from a Mrs. Hellman and as Arthur Hellman. Before I knew it, I found myself pouring out to her the whole mix-up of my life. How I wasted my young years trying to catch on to the false shine of the rich-only to come back to the beginnings of myself. 11)

AdeleはMuhmenkehに自己の胸の内を打ち明けることによって、これまでの経済的庇護を 求めて、安易に若年女子労働者寮に飛び込んだ浅はかさに気づき原点に立ち返える。76歳の高 齢でありながら自立して生きる老女の姿こそロールモデルであることに目覚め、自己の人生と 重ね合わせる。Adeleは、失敗から立ち直り、改めてアメリカ社会の一員となる再生への第一 歩を踏み出す。 彼女は、ユダヤ人同胞に対する無償の個人慈善事業家として、また、自立したユダヤ系アメ リカ女性としてAdeleにとって極めて重要な人物である。彼女 は、Adeleよりアメリカに長く 住んでいながら、東ヨーロッパのユダヤ人社会における相互扶助の意識を今でも兼ね備えてい る。 この点において、Adeleが非難したドイツ系ユダヤ人慈善団体の対極にあることを彼女は理 解する。Muhmenkehの無償の愛と草の根的な慈善事業を自らのライフワークと位置づけると、 Adeleの人生観は大きく変わる。Muhmenkehの死後、Adeleは、貧民街の一角で草の根慈善事 業家、Muhmenkehの意志を継ぎ、Muhmenkeh’ s Coffee Shopを開く。Muhmenkehの夢で あった彼女の孫娘を呼び寄せ、生きる喜びをかみしめる。

Adeleは、一連の体験を通して、「他者のために生きる」ことを学ぶ。Muhmenkeh’s Coffee Shopは、それ故、ゲットーの人々に寄り添って生きる意義を伝えている。また、Yezierskaの 創作の原点であるゲットーにおけるMuhmenkehの死とAdeleの再生(新たな人生)によって、 Muhmenkeh’s Coffee Shopが新たなコミュニティーとしての役割を担ってゆく事を語って

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いる。 Yezierskaは、東ヨーロッパ系ユダヤ人移民第一世代の語り部として、試行錯誤、挫折、自立 の体験を通して、Muhmenkehの草の根的な慈善事業継承者、Adeleの新たな人生の第一歩こ そ、アメリカ社会への同化と自立への堅実なステップであることを再現している。『旧約聖書』 の「出エジプト記」でも、奴隷の身となっていたエジプトからカナンの地へ、モーゼの導きに より脱出しても、彼らは数十年にわたる苦難の時を経て「乳と蜜の流れる安住の地」にたどり 着いた。旧約聖書の教え通り、堅実な努力による経済的自立が豊かなアメリカ社会への同化の 近道であることを描いてゆく。アメリカン・ドリームの実現は、自主自立である。一見陳腐な テーマと捕らえられがちだが、移民第一世代の実像に迫る語り部、Yezierska文学の正道といえ る。 (2)WASP へのあこがれとアイデンティティの目覚め

Theodore DreiserがSister Carrie(1900)を発表した時、賛否両論の評価があった。Sister

Carrieは、田舎から都会に出てきた娘が、数人の男性との運命的出会いを経て、大スターに成 長して行く小説である。ダーウインの進化論を男女の人間関係に当てはめた弱肉強食的なイメ ージ、アメリカン・ドリームの実現、女性の道徳観等が議論の的となった。Dreiserの Sister

Carrieが、Salome of the Tenements(1923)を書くヒントとなりえたことは十分考えられる。 一方、ヘロディアの娘サロメは、洗礼者ヨハネを殺害してでも彼の首を求めた。Salome of the

Tenementsの主人公Sonya Vrunskyは、ありとあらゆる手段を講じて、アメリカン・ドリーム の実現をめざす物語である。ニューヨークのスラム街に住む無名の女性作家が、一躍ハリウッ ド作家として脚光を浴び、“Sweatshop Cinderella” として注目を集めたのもアメリカン・ドリ ームが、アメリカ社会で共有されていた時代である。当時の社会的ニーズに答えてSalome of

the Tenementsも映画化されたといえる。

Sonya Vrunskyは、Lower East Sideに住むコラムニストである。彼女はインタビューで WASPの富豪慈善活動家、Manning氏と出会う。それを契機にゲットーからの脱出が、彼女の 夢となってゆく。Sonyaは、彼と会うための洋服をニューヨーク五番街に店を構える店主に掛 け合い無償で提供してもらう。それに加え、質屋から借金して部屋の改装までおこなう。 Yezierskaは、Sonyaの上昇願望を次のように描いている。

“An end to darkness and dirt! .... Already I’m released from the blackness of this poverty. Air, space, the mountain-tops of life are already mine!”

“A woman should be youth and fire and madness ̶ the desire that reaches for the stars.” 12)

Sonyaは、世界を二分して見ている。現在住むゲットーは、darkness、blackness、poverty である。他方、彼女のあこがれの的であるManningの住む世界は、the mountain-tops of lifeと

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見ている。「貧困と富裕」あるいは、「低と高」の世界と定義している。この二分された世界に は「大きな溝」が存在している。このハードルを跳び越すには youth、fire、madnessそしてthe desireが必要であると信じて疑わない。 この単純化された二分法は、東ヨーロッパ系ユダヤ人移民第一世代とアメリカ社会を隔てて いる壁でもある。彼らは、Sonya同様「大きな溝」を超えるべく必死で生きている。前述した Children of Loneliness の結末を参照してみよう。

“Am I really alone in my seeking? I am one of the millions of immigrant children ̶ children of loneliness, wandering between worlds that are at once too old and too new to live in.”

Anzia Yezierskaを含む当時の移民第一世代は、WASP中心のアメリカ社会において、ユダヤ 人としてのアイデンティティの保持とアメリカ社会への同化という、相反する命題に直面して いる。二分された世界の狭間にあって、彼らは貧困生活に耐え、同化のチャンスを狙っている。 彼らは、自力でその溝を跳び越えてゆかねばならない。Sonya の行動を嘲笑するゲットーの 人々も、彼女と同じ願望を抱いている。しかし、日々の生活に必死に生きる彼らには、全てを 投げ打って彼女のように一足飛びに壁を越える確信が持てない。 なぜSonyaはこのような行動をとれたのか。彼女は天涯孤独の身であるため、本能的にある いは直感的に行動する術を身につけた。“For every little thing I got to fight, fight, till I’ m nearly dead.... You got a will that will burn through everything.” 13) Sonyaの執念とも思える意

識は、人種問題やフェミニズム等、人権獲得闘争にも通じるテーマである。しかし、Sonyaは、 念願のManningとの結婚を成就したが、上流社交界の人間関係になじめずゲットーへ舞い戻 る。 Sonyaは、結婚を通じて、多様な人間関係や社会の仕組みを学んだ。そして彼女の原点であ るゲットーから改めてアメリカン・ドリームに向かって挑戦してゆく。今度の目標は結婚では なく、デザイナーとして独学で地道な努力を重ねる。結婚に関しては、Manningを神のように 崇めていたが、デザイナーの仕事と向き合った時、多角的かつ論理的に研究と分析をおこない 独創的なデザインを作り上げる事に成功を収める。 Sonyaにとって Manning との関係は、人生の修行過程として彼女を大人に成長させた。 Manningに注いだ愛、情熱、強固な意志を生涯の仕事と新たな人生に高めることができた。 Sonyaは結果として、自らの可能性を信じ、直向きに努力することによって報われるアメリカ ン・ドリームの具現者であり、男性に頼ることなく自立した女性である。 Sonyaが最初に求めた結婚は、自己中心的な欲求の表れであると同時に、究極の目的は結婚 にあるとの東ヨーロッパユダヤ人社会の慣習とゲットー脱出願望の結果だった。Sonyaは、デ ザイナーを職業と定めた時点で、その職業の意義を理解した。他者のためにデザインするクリ エーターが共有する充実感を味わった。デザイナー(クリエーター)として創作に関わる喜び

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とゲットーで新たな自立したSonyaとして再出発する事こそ、 Yezierskaが求めた自立した女 性である。Sonyaもゲットーを原点とした自立した女性の代弁者であり語り部である。

(3)ユダヤ教的呪縛からの自立と女性の自己変革 

Bread Givers(1925)の中で、Yezierskaは、男性優位とユダヤ的宗教観の根強い東ヨーロッ パユダヤ人社会の伝統を批判的に描いている。神への信仰と来世観にその特徴が顕著に表れて いる。神は女性の祈りなど聞いてくれない。従って、天国と来世は男性のもの。女性が天国へ 行けるのも女性が男性の妻や娘である結果なのだ。現代人の見地に立てば、女性蔑視のユダヤ 原理主義思想と見なすこともできよう。 Yezierskaは、女性を従属物とみなす旧来の考え方に反発し、自立へ向けた可能性を求めてア メリカ社会に果敢に挑むと同時に、柔軟に対応し得る新しいユダヤ系女性像を描いてゆく。 Bread Giversの主人公も例外ではない。言語習得というアメリカ社会へのパスポートをいち早 く手に入れ、積極的に同化へ向けた準備を整える。主人公の女性は、新旧二つの世界の狭間に あって、価値観や人生観等の衝突を凌ぎながら自らの道を切り開いていく。アメリカン・ドリ ームを実現するためには、生計の自立が前提であり、その現実を冷静に受け止めて生きる明日 を目指した、したたかな女性像をYezierska自身に重ね合わせ描がいている。

Bread Giversの中で、主人公Sara Smolinskyの目を通して、貧困の実態と家族の生活状況を 描き出してゆく。とりわけ東ヨーロッパユダヤ人社会では神学者である父親は社会的なステー タスの高い地位にあり、家族を養う義務もなくユダヤ人社会の尊敬を集める存在であった。父 親は家族、とりわけ女性に対して厳然たる権威を保持していた。経済的に一家を扶養しようと しない父親が、家族に対して絶対的な権力を持ち、娘の結婚までも父親の一存で決まる。それ に加え、家族の中で父親だけが特別扱いされる旧社会の慣習に不満を抱きながらも、半ばあき らめて、従属的に生きてゆく母親や姉たちの姿に幼いSaraは疑問を抱く。家庭の現状を目の当 たりにしたSaraは、自立とアメリカ社会への同化の意識を目覚めさせてゆく。

“My will is as strong as yours. I’m not from the old country. I’m American.! ....I leaped back and dashed for the door. The Old World had struck its last on me.” 14)

Saraは明確に東ヨーロッパユダヤ人社会の世界観に基づく父親の呪縛から自らを解き放ち、 決別を宣言し家を飛び出してゆく。教師を目指す夢が、若いSaraの精神を強靱なものに鍛え上 げてゆく。教育は専門職であり男性と対等な職業の象徴的な存在である。同時に、Saraの目指 す教育は他者を育てる職業でもある。Yezierska自身、苦学してコロンビア大学で教師の資格を 取得し教歴もあり、Saraと作者を重ね合わせることもできる。晴れて自立した教師としての第 一歩を踏み出す矢先、母親の死と行商に身をやつした不遇な晩年の父親の姿に衝撃を受け、彼 女は父親と和解する。ユダヤの伝統や、父親の専制君主的呪縛から逃れたSaraが、旧来の東ヨ ーロッパユダヤ人の生き方しかできない父親を認めたことは、ゲットーでアメリカ社会になじ

(12)

めない同胞に自己のルーツを認める。拙速な同化を目指すのではなく、多様なアメリカ人社会 の現状を是認して教師としての役割を担う決意を作者は語らせる。

5.むすび

これまで、代表的な長編小説を考察してきた。3作品ともニューヨークのゲットーからの脱 出、回帰、再出発の流れの中で、東ヨーロッパ系ユダヤ人女性が、ゲットーを軸にしてアメリ カ社会への同化を進める姿が描かれている。Yezierskaは、1920年代の社会情勢を踏まえて女 性の自立を描くことによって、ユダヤ系社会の意識の変革を目指して創作活動を精力的におこ なった。 旧来の男性中心のユダヤ人社会観を打ち破るためにも女性の自立を描く必要があった。また、 Yezierskaが用いたYiddish語混じりで、少々荒削りのブロークン・イングリッシュは、時には ユダヤ系移民を愚弄するものだと、同胞からの批判もあった。しかし、彼女はありのままの姿 を描き、社会の底辺で必死にアメリカ社会の一員となろうと生きている新しい女性像を提示し てゆく。当時アメリカ市民である女性にようやく参政権が与えられたばかりで、新しい女性像 の出現が期待されていた時代でもあった。ユダヤ系女性の立場とアメリカ女性の立場を重ね合 わせYezierskaは女性の社会進出を描き出した。しかし、今日ほど女性の権利を主張する社会 的要望もなく社会は物質的豊かさに目を奪われていった。 Yezierskaは、ドンキホーテさながら新旧世界の狭間で翻弄されながらも、自己の人生の指針 を定めて生きる自立した女性像を繰り返し作品の中で描いている。エスニシティを保ちながら 自己のアイデンティティを自覚して生きてゆく、たくましい新たな女性像は、現代の女性像で もある。 今日、先進国で、男女同権が浸透しつつある。しかし、世界を見回してみると、女性の学校 教育の権利すら否定する記事が、世界各地で散見される。Yezierskaが90年前に描いた女性の 権利に関わるテーマは、古くて新しい課題である。Yezierskaは、語り部として今日でも、女性 の自立と男女共同参画社会を文学的側面から、あるいはフェミニズムも含めた社会学的側面か ら支える大きな役割を果たす作家として注目に値する。

1) Irving Howe, World of Our Fathers (San Diego: Harcourt Brace Jovanovich, 1976), p.25. 2) Ibid., p.21.

3) Anzia Yezierska, Children of Loneliness (New York: Funk & Wagnalls, 1923) (東京:本の友社, 1991年復刻), p.123.

4) Ibid., p.12.

5) Erik Erikson, Insight and Responsibility (New York: W.W. Norton, 1964) 『現代のエスプリ』No.78.

「アイデンティティ」(東京:至文堂、1974年), p.124.

6) Ibid., p.124.

7) Anzia Yezierska, op. cit., p.9. 8) Anzia Yezierska, op. cit., p.9.

(13)

9) John Dewey, The School and Society (Chicago: University of Chicago Press, 1915), p.37. 10) Anzia Yezierska,Arrogant Beggar (Durham: Duke University Press, 1996), p.86. 11) Ibid., p.97.

12) Anzia Yezierska, Salome of the Tenements (New Brunswick: Transaction Press, 1999), p.7 & p.9. 13) Ibid., p.62.

14) Ibid., pp.137–8.

参考文献

Antler, Joyce. America and I. Boston:Beacon Press, 1990.

Dearborn, V. Mary. Love in the Promised Land: The Story of Anzia Yezierska. New York: Free Press,1988.

Dewey, John. The School and Society. Chicago: University of Chicago Press, 1915.

Henriksen, L. Louise. Anzia Yezierska: A Writer’s Life. New Brunswick: Rutgers University Press, 1988.

Howe, Irving. World of Our Fathers. San Diego: Harcourt Brace Jovanovich, 1976. Weinberg, S. Sydney. The World of Our Mothers. Chapel Hill: UNC Press, 1988. Yezierska, Anzia. Arrogant Beggar. Durham: Duke University Press, 1996. Yezierska, Anzia. Bread Givers. New York: Persea Books, 1975.

Yezierska, Anzia. Children of Loneliness. New York: Funk & Wagnalls, 1923. (東京:本の友社, 1991年復刻)

Yezierska, Anzia. The Open Cage. New York: Persea Books, 1979.

Yezierska, Anzia. Red Ribbon on a White Horse. New York: Charles Scribner’s Sons, 1950 (東京:本の友社, 1991年復刻)

参照

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