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EU加盟後のフィンランド外交の新機軸 : 積極的EU外交とアハティサーリ仲介外交

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EU加盟後のフィンランド外交の新機軸

―積極的EU外交とアハティサーリ仲介外交―

髙木道子

1.はじめに 本稿では、EU 加盟後のフィンランド外交の変容と M・アハティサーリ 大統領(在任:1994-2000)の国際紛争仲介外交に焦点を当て、冷戦後のフィ ンランド外交変容の背景、中立外交から仲介外交に至る論理の内実を検討 していく。冷戦の終結とソ連の解体をへて EU 加盟を実現したフィンラン ドは、冷戦期のように国際政治構造や隣接する大国との関係を所与とする のではなく、それらに自ら主体的に働きかけることにより、秩序形成に関 与していく新たな積極性を発揮する余地を見出した。そうした冷戦後、特 に EU 加盟後のフィンランド外交の変容が、主に論理の面でどのように展 開したのか、フィンランド自身の国際政治状況認識と外交戦略に焦点を当 てながら明らかにしていくことが本稿の主眼である。 冷戦後のフィンランド外交の変容として、EU での積極外交を機軸とし た、対 NATO および対ロシア外交の展開を概観する。さらに、冷戦期に培っ た中立外交の実績によって冷戦後は地域紛争での仲介外交で存在感を発揮 することを指摘したい。特に、1999 年のコソヴォ危機でのアメリカとロ シアの間の仲介役にフィンランドのアハティサーリ大統領が選ばれたこと の背景を考察することとする。 2.積極的 EU 外交と地域戦略 EU 加盟後のフィンランド外交の新機軸として、積極的 EU 外交とそれ

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を基盤とする地域戦略を取り上げる。EU に内部から積極的に働きかけ、 制度やルールの改善に貢献することで、フィンランドの地位と実質的国益 を増大させる外交政策が、実践としてどのように表れているかを見ていく ことにしよう。ここで地域戦略として取り上げるのは、EU の共通外交・ 安全保障政策への取り組み、NATO との協力、ロシア関係の発展である。 (1) EUの共通外交・安全保障政策への積極的貢献とその限界 EU を機軸とした積極外交の主眼は、「西欧の一員」という、自ら獲得 したアイデンティティを「EU の優等生(mallioppilas)」へとさらに発展 させるため、主体的かつ関与的な EU 政策を展開することである。特に小 国でありヨーロッパの辺境地域に位置しているフィンランドにとって、自 身の存在感を発揮するためには、EU の内側から働きかけて、EU の制度 自体を改善していくという主体的な努力が必要だったのである。 このことは、以下のように 2001 年 11 月の P・リッポネン首相の発言に 表れている。「EU を強化することでフィンランドの政策実行能力もまた 改善する。小国であるフィンランドは国際協力への参加によって利益を得 てきており、EU の中でわれわれは一国では決して得ることのできなかっ た影響力行使のための経路を獲得したのである。問題は共通政策の分野で の影響力と、これまで培った知識と、自国の目的の達成にある。EU の北 方次元イニシアティブは、フィンランドとより広いヨーロッパの利益を共 通のものとするのに成功した実践的一例である。EU は主要な国際的主体 になりつつあり、北方ヨーロッパ地域の協力の推進力となってきている」1 リッポネンは、EU の第五次拡大で同時に加盟した他の諸国とフィンラ ンドとの対 EU 政策の積極性を比較し、フィンランドが「最良の生徒」で あると評している2。中立政策から積極的な EU 政策へと外交を転換させ たことで、EU 内部での発言権と EU の制度改革においてフィンランドの 国益を確保することに成功したのである。 さらには、2009 年当時の首相である M・ヴァンハネンも以下のように 述べ、EU の諸制度の改善に意欲を見せている。「EU の諸制度を発展させ

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ることはフィンランドにとって重要な課題である。…小国であるフィンラ ンドは EU の諸制度の円滑な運行に明らかな利益を持っており、そのこと こそ、我々が EU 条約の改善に積極的で建設的な貢献をする理由である。 小国の声は、全員が同じテーブルについている時にだけ聞き届けられる。 この単純な考え方が我々の EU の諸制度と規則の発展へのアプローチを決 めている」3 こうした EU 政策路線は、1995 年の EU 加盟当初すでに外務省内で議 論され確立されており4、その路線にそって、マーストリヒト条約で定め られた EU の共通外交・安全保障政策に積極的に関与していった。ただし、 フィンランドは旧中立国であり、加盟に際しても「軍事的非同盟」を標榜 していたため、EU の共通政策にどの程度関与するかということは国内に おいて重要な議論の対象となった。また、EU の内部においてもオースト リアやスウェーデンといった「軍事的非同盟」の立場をとる諸国が、加盟 後、共通外交・安全保障政策に対して非協力的な態度を採るのではないか、 と懸念する声が上がっていた。 フィンランド政府は加盟にあたって、EU の共通外交・安全保障政策へ の全面的、積極的関与への意欲を隠そうとはせず、他の「軍事的非同盟」 諸国と比較してもその積極性は明らかであった。それは以下のヴァユルネ ン外相の発言にも表れている。「我々は(マーストリヒト条約の防衛次元 に関する)この発展において建設的に参加する用意がある。…我々は将来 において、WEU の枠組みにおいて創設されるであろうヨーロッパ連合の 共同防衛軍に参加することも、NATO の加盟国になることも、可能性と しては排除しない。言い換えれば、我々は新しいヨーロッパに、柔軟な姿 勢で参加するのである」5 1992 年に始動した EU の共通外交・安全保障政策は、フィンランドが 加盟した時はまさにその創成期にあたった。フィンランドは積極的な参加 姿勢を鮮明にすることで、従来の加盟国が新加盟した「軍事的非同盟」諸 国に対して抱いていた疑念を払拭し、自らが共通外交・安全保障政策の 制度設計に関与していくことで、EU の利益を損なわない形でフィンラン

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ドの利益を確保しようとしたのである。そのために、例えば 1998 年のア ムステルダム条約起草に際して、危機管理政策の推進のためにスウェー デンと共同のイニシアティブをとったり、1997 年にロシアを初めとする 北方次元の発展と協力を促進する「北方次元イニシアティブ(Northern Dimension Initiative)」を提唱したりした。 このようなフィンランドの EU 内における積極的な取り組みは以下のよ うな認識に支えられている。フィンランドの「軍事的非同盟」の立場は、 いかなる軍事同盟にも加わらないということだが、それは NATO だけで はなくヨーロッパ防衛軍をも指している。冷戦期のソ連ほどには脅威でな くなったものの、隣国ロシアの動向は常に安全保障上の懸念であり、ロシ アが自国を含まない西欧の軍事同盟と国境を接することを嫌う限り、フィ ンランドは WEU やヨーロッパ防衛軍が有効性をもって実現することに危 惧を抱いている。 超国家的な地域軍事同盟はフィンランドのような小国にとってはしばし ば負担の増大を意味し、外交上の自律性が著しく制限される可能性もはら む。したがってフィンランドは、「EU の優等生」として共通外交・安全 保障政策に留保をつけず参加し、EU の防衛機能を高めながらも、最終的 な防衛軍創設を阻止することが当面の方針であった。また、西欧とロシ アをつなぐ窓口としてのフィンランドの歴史と実績は、EU とロシア双方 からの信頼を生み、フィンランドが前述の「北方次元イニシアティブ」 を EU‐ロシア間の関係調整役として推進することを可能にしていると言 える。こうした、EU の利益とフィンランドの利益を調和させていくため に、EU に積極的に貢献しながら、その発展の方向性を制御していこうと する、フィンランドなりの「小国の自律戦略」が必要となっていたのである。 (2) NATOへの協力とジレンマ 冷戦後のフィンランドの安全保障政策の大きな変化の一つは、NATO 加盟が政策の選択肢として議論されるようになったことである。フィン ランドは冷戦後の安全保障政策の変更に当たって、ロシアへの配慮から

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NATO ではなく EU にその足場を求めたのであったが、EU 加盟申請と足 並みを揃えて NATO への接近が図られた。1992 年 6 月には北大西洋協力 評議会(NACC)にオブザーバー参加し、その後継としての欧州・大西洋 パートナーシップ理事会(EAPC)には創設時の 1997 年 5 月に加盟して いる。また 1994 年 5 月には NATO の「平和のためのパートナーシップ (PfP: Partnership for Peace)」に参加するなど、NATOとの協力関係を強化した。

ロシアに対する抑止力として EU の安全保障政策に期待したフィンラン ドであったが、実際の軍事的抑止力の面では、EU や WEU よりも NATO を信頼していることも事実である。NATO のヨーロッパでのプレゼンスを 必要不可欠なものと考えているため、NATO に対して協力的であり、危機 管理部門での連携やアフガン派兵など、実際的な活動を共にしている6 フィンランドにとって実効性の高い NATO はロシアに対するカウンター バランスとして非常に重要であるが、加盟ではなく協力に留まっていると いうことが、ロシアを刺激することなく安全保障を高めるというフィンラ ンドの実利的な意思決定を反映している。しかし、それは同時に完全な安 全保障を得られないというフィンランドのジレンマでもある。そのような 状況下でフィンランドが最も望むのが EU と NATO との協力関係の発展 である7 NATO 加盟論議に関しては、フィンランド政府内で加盟賛成の防衛省 と加盟反対の外務省の間で対立が見られるが8、フィンランド国民は、非 加盟のままで NATO と協力関係を深めるという現状の政策にある程度満 足しているようである。2005 年の世論調査では、NATO 加盟賛成が 20% 足らずであり、50 ~ 60%は加盟に反対している一方で、PfP などを通じ た協力関係に対しての理解と支持は過半数を超えている9。したがって政 府の当面の判断としては、ロシアと NATO が敵対しないような状況が生 まれ、機が熟せば加盟したいが、現時点では現実的ではないため可能性と して保持するに留まっていると言えよう。

この安全保障をめぐる EU と NATO の間のジレンマは、EU と NATO が競合関係にあるときに、フィンランドにとって完全な安全保障を得られ

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ないという不利な状況を生むが、その一方で、有利な状況を作り出すこと もある。すなわち、競合する EU と NATO の間で中立的な立場をとるこ とが可能になるのであって、後述するように、アハティサーリが仲介役と して必要とされた理由の一つもそこにあったのである。 (3) ロシア関係の発展:EUとの関係調整役 冷戦期のフィンランド・ソ連関係は 1947 年の講和条約と 1948 年の友 好協力相互援助条約に規定され、ソ連との「友好」な二国間関係を基礎 に、外交を展開せざるを得なかった。それはソ連という脅威と独力で向 かい合わなければならない状況下にあった戦後フィンランドの現実的政 策でもあった。 冷戦が終わり、 1992 年にロシアと締結した新たな協定 (Agreement on the Foundation of Relations between the Republic of Finland and the Russian Federation)は、CSCE 原則と国連憲章が基礎と なった多国間の枠組みを前提としたものとなり、もう一つの経済協力のた めの新協定(The Agreement between the Government of the Republic of Finland and the Government of the Russian Federation on Cooperation in Murmansk, the Republic of Karelia, St. Petersburg and the Leningrad Region)に基づいて、ロシアとの二国間でさらなる経済的協調関係を実 現した。 また、フィンランドは EU 加盟によって、ロシアに対しての一定の安全 保障を確保すると同時に、EU・ロシア関係の窓口としての役割を担う機 会を得た。つまり、ロシアからの圧力や要求に対して、フィンランドは EU を通じて対処できるようになり、貿易摩擦などの紛争が生じた場合も 一国で対峙する必要がなくなったのである。このように、ロシアとの関係 を更新し、EU に足場を得たフィンランドは、ロシアと冷戦期以上の協調 関係を発展させていると言えよう10 EU の「北方次元イニシアティブ」は、1997 年にフィンランドのリッポ ネン首相が提唱し、ロシア、ノルウェー、アイスランドをも参加国として 含めて始まった、北方地域の経済、環境、福祉、教育、文化など幅広い分

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野での協力を推進する枠組みである。中心となるのは、ロシアとフィンラ ンドの国境周辺地域の経済格差の是正や環境問題の改善などであり、フィ ンランドのイニシアティブによる EU・ロシア協力の促進を目指した大き なプログラムである。フィンランドは EU に足場を得る事によって、ロシ アという不安定な隣国の存在を利用し、積極的なイニシアティブの提唱で EU 内での存在感を発揮する機会を得ていると言えよう11 ただし、ロシアはソ連解体後に弱体化したとしても、大国であることに 変わりはなく、フィンランドにとって無視できない隣国であり続けるとい う事実を指摘しておきたい。このことは、1995 年のチェチェン紛争の際 にフィンランド政府がとった対応を見ると明らかである。チェチェン紛争 でのロシアの対応を強く非難した EU は、ロシアの欧州評議会への申請と 貿易協定の批准を一時保留にすることを決めたが、それに対してアハティ サーリは、チェチェン紛争はロシアの内政問題だと発言し、フィンランドの 外交委員会は、EU がロシアに経済制裁をかけないように望んだという12 ロシアと EU の関係が極端に悪化すると、フィンランドはその狭間で困難 な立場に置かれ、またロシアへの経済制裁はフィンランドの経済にも打撃 を与えるため、対立が先鋭化しないように EU をなだめる必要があったの である13 ここには、フィンランドがロシアとの友好関係を活用して EU・ロシア 関係の新たな協力枠組みを自らのイニシアティブで発展させようとする自 律的な外交実践が如実に表れている。しかし、EU とロシアの関係が悪化 すると対立の矢面に立たざるを得ないフィンランドは、EU に対してロシ アに対する強硬姿勢を弱めるよう説得するなど、EU に対して消極的な対 応をとらざるをえない場面も出ている。 3.地域紛争の頻発と仲介外交: アハティサーリのコソヴォ紛争での仲介(1999) 冷戦後の国際環境の変化のなかで重要なのは、地域紛争の頻発という事

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態である。フィンランドは、冷戦期の「東でも西でもない東西間の架橋役」 というアイデンティティから、「EU の優等生」としての「国際紛争の仲 介者」という新たなアイデンティティを実質化し、国際社会で存在感を発 揮しようとしてきた。その外交実践を、EU 特使としてコソヴォ紛争の解 決に乗り出していったアハティサーリの仲介外交を事例として検討してみ よう。 (1)中立外交から仲介外交へ デタント期、U・ケッコネン大統領(在任:1956-1981)が推進した積極 的中立外交によって、フィンランドは「東西間の架橋役」としてイニシア ティブをとり、SALT や CSCE を開催して東西の緊張緩和を促進するな ど、その国際的地位を大きく高めた。しかし、1970 年代末から 80 年代に かけて国際政治は再び「新冷戦」の様相を帯び東西の緊張感が高まる中で、 コイヴィスト大統領(在任:1982-1994)の率いるフィンランド外交は超 大国同士の紛争に巻き込まれることを回避するべく、一見すると単に控え 目で「立場を表明しない」中立政策に回帰していったように見えた。 しかし、80 年代にはフィンランドとソ連の間の信頼関係がより深まり、 また国内政治では選挙結果が政権構成に反映され、長期政権が実現するよ うになるなど、内外の政治状況が安定していた。そのため、コイヴィスト は国際環境の変化や他国からの働きかけに抑制的に対応する姿勢を見せな がらも、対ソ連関係や欧州統合の問題においては、決して受動的ではなく 相手の先手を打つ提案を行い、フィンランド外交の選択肢を広げ、実質的 利益を獲得しようとする姿勢を見せたのであった。ただし、国際政治の場 においては、ケッコネンが行ったようなイニシアティブをとって存在感を アピールしていく架橋役を担うことはなく、米ソ首脳の間の書簡の受け渡 しといった舞台裏での架橋役を行うことに留まっていた。 ソ連の解体後、EU 加盟への道筋が開けると同時に、フィンランドの中 立政策の是非が問われ始めた。東西対立がもはや存在しないという状況 は、フィンランドが立つべき「東西の間」という位置が失われたことを意

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味し、引き続き中立に留まっていれば、ヨーロッパ政治の周辺に押しやら れてしまい、大国同士の意思決定過程から排除され孤立しかねないという 危惧を引き起こした。安全保障不安や経済危機、西欧的アイデンティティ の獲得への熱意によって、フィンランドは中立を「軍事的非同盟」と修正 し、1995 年 1 月に EU に加盟したのである。 このとき旧中立国として同時に EU 加盟を果たしたオーストリアとス ウェーデンとの中でいかに存在感を示すかが、1994 年に大統領に就任し たアハティサーリの下でのフィンランド外交の課題であった。EU 内部に おいては、共通外交・安全保障政策への積極的貢献や EMU(欧州通貨同 盟)への参加によるユーロの導入、前述したロシアとの関係調整プログラ ムである「北方次元イニシアティブ」の提唱など、オーストリアとスウェー デンに先んじた積極姿勢で EU の中での信頼を勝ち取り、影響力を高めよ うとした。ここにこそ、EU の制度設計に進んで関与し「優等生」として の姿勢を示し、フィンランドの利益に沿うようにその発展の方向性を誘導 するという外交実践が表れている。 他方、国際政治においては、冷戦の終結によってそれまで東西対立の中 で抑えられてきた民族紛争や内戦が頻発し、当該国家だけではなく、「国 際社会」がその解決と処理に乗り出していく状況が生じた。紛争解決のた めに、第三国による仲介や調停の重要性が増す中で、フィンランドは冷戦 期の中立外交の実績やノウハウを活用して冷戦後の不安定な地域紛争に対 処する意欲を見せていた14。 特に旧ユーゴスラヴィア内戦において、 国 連、EU、NATO ロシアが紛争解決に乗り出していき、紛争後の処理をめ ぐる主導権争いをにらんだ言わば「仲介競争」が繰り広げられた。しかし、 大国の利害が真正面から対決しては直接的な争いに発展しかねないため、 公平な立場の仲介役が必要とされた。それが、旧中立国であり、かつ拡大 した「EU の優等生」であるフィンランド大統領のアハティサーリだった のである15。こうして、アハティサーリは国際紛争の仲介役として、冷戦 後の新たな国際秩序形成に参画していくこととなる。 1995 年、アハティサーリは、「協力は我々の共通の安全保障要求にとっ

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て唯一の信頼できる答えである。安全保障協力の歴史は短い。冷戦の間、 我々は二つの異なる政治体制の間で平和的な関係をいかに管理するかを学 んだ。今、我々の任務は変化を管理することである。共産主義が倒れた後、 パリの CSCE サミットは西欧の原則―人権、法の支配、経済的自由―をヨー ロッパ全体の我々共通の価値の基礎として承認した」16と表明しており、 西欧の原則に基づいて「変化の管理」つまり危機管理政策等に重点を置く ことを強調している。 また、アハティサーリは大統領就任後まもなくして、1995 年 10 月 18 日のロンドンでの演説において、アメリカとロシア、EU が今後のヨーロッ パの情勢を左右する主体だと認識したうえで、この三者が定期的に会合を 行うことを提案し、フィンランドがそのホスト国となる準備があると主張 した。 冷戦は世界規模の対立であって、その終焉は終わりの兆しの見えな いグローバルな変化の過程を引き起こした。それは特に欧州・大西洋 共同体に革命的な衝撃を与えている。今日、この共同体はますます鍵 となる三つの政治体によって構成されつつある。EU、アメリカ、ロ シアである。これら三つとその変容しつつある関係性に着目しようと いうのが私の意図である。(中略)これらの政治体のあいだの関係性 は三角形のようなものである:二辺はかならず三つめの辺と結びつい ていなければならない。今や、この三者は前向きな相互関係に向けて 進むべきである。ヨーロッパにおける平和と安定、繁栄を強化する ための主要な努力はみな、この基本的な事実に基づかなければならな い。(中略)私は、首脳会談や他の重要な諸機関を使った、常設の政 治対話の場を EU とアメリカ、そしてロシアの間に確立しようと考え ている。この対話の目的は新たなヨーロッパの安全保障構造を構築す ることである17 また、EU に加盟したことでフィンランドがヨーロッパ・アイデンティ

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ティを確立し、冷戦後の新たなヨーロッパのなかでスウェーデンと共に 北方次元を形成していく主体としての自覚と自信があることを表明してい る。加えて、それは北方ヨーロッパにおける政治秩序の形成を企図するも のであった。 フィンランドは今年 EU の加盟国になった。最新の世論調査では、 フィンランドの市民は引き続き加盟にたいして堅固な支持を示してい た。我々の加盟への決断は正しかったことが証明された。フィンラン ドは自らのヨーロッパ・アイデンティティを確かなものにしたのであ る。(中略)フィンランドとスウェーデンの加盟は EU に北方次元を 創出した。地理的にバランスの採れた EU は 21 世紀におけるヨーロッ パの利益をさらに首尾よく擁護することができるだろう18 アハティサーリのこうした発言は、国際的にあまり注目を浴びることは なく、三者会合の定例化は実現しなかったが、ここには、のちにアハティ サーリが大国の関わる国際紛争に仲介役として乗り出していく際に、フィ ンランドこそがアメリカ・ロシア・EU の三者の間に立てると自負してい たことを証明するものであったと言えよう19 このような中立外交から仲介外交とも言うべき新たな外交政策への移行 は、デタント期に獲得した「架橋役」というアイデンティティをより発展 させ、冷戦後の地域紛争の頻発という国際環境に働きかけ、「国際紛争の 仲介役」という新たなアイデンティティを追求するフィンランドの意欲の 表れと見ることができる。アハティサーリによるコソヴォ紛争での仲介が 行われた 1999 年は、フィンランドが加盟後初めて EU 議長国を務める年 でもあったため、アハティサーリが仲介を引き受け、紛争を解決に導けば、 EU の国際的地位の向上に貢献し、ひいては、それがフィンランドの地位 向上に直結するという思惑が働いていたのであった20 また、フィンランドの中立外交の実績に対する評価や、国連での積極的 な活動に対する信頼などから、冷戦後、仲介役としてフィンランドにしば

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しば白羽の矢が立ったのである。アハティサーリは、1999 年のコソヴォ 紛争での仲介役を買って出たが、彼が選ばれたのは、紛争に関わっていた 諸大国、アメリカ、EU、ロシアにとって、フィンランド大統領のアハティ サーリが最適の仲介役であったと見なされたからであった。アハティサー リの実際の任務はコソヴォ空爆を指揮するアメリカとセルビアの仲介役で あるロシアと共に、セルビアに対して NATO の停戦条件を受け入れるこ とを説得することであった。 (2)コソヴォ危機での仲介者の選出過程 1999 年 3 月に始まった NATO によるコソヴォ空爆が長引く中で、セル ビアと和平合意を取り付けるための外交努力が続けられていたが、NATO の空爆停止条件をセルビアに受諾させるために、ロシアの代表チェルノム イルジンがワシントンとベオグラードを往復していた。しかし、アメリ カとセルビアの主張は平行線を辿り、セルビアを擁護したいロシアと、 NATO の空爆停止条件の最低ライン(コソヴォからのセルビア軍の完全 撤退と、NATO 軍主導の紛争後の統治体制)は変えられないと強固に主 張するアメリカとの溝は埋まらないままであった。 事態打開のため、チェルノムイルジンは交渉に中立的な立場に立つ人物 を参加させることを提案した。これは、NATO 空爆に対するロシアの国 内感情の悪化によって、チェルノムイルジンは、NATO の要求をセルビ アに呑ませるという構図を回避したいと考え始めていた。 チェルノムイルジンは、新しい仲介者の候補として当初アナン国連事務 総長を推したが、アメリカ側は NATO の要求が弱められることを恐れて、 国連が和平交渉に関与することに強く反対した。他方、アメリカの交渉に おける代表であった S・タルボット国務副長官は、仲介者としてフィンラ ンド大統領のアハティサーリを挙げた。タルボットはアハティサーリな ら、セルビア大統領のミロシェヴィッチに対して NATO と同じくらい強 い姿勢で交渉に当たるだろうと確信していた。このタルボットによる人選 は、チェルノムイルジンを即座に満足させた。非 NATO 加盟国であるフィ

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ンランド大統領は、中立的な仲介者として適任であると考えられた。また フィンランドとロシアの地理的近接性と冷戦期からの政治的友好関係に加 え、アハティサーリ個人のロシアとの協調姿勢は、交渉を有利に進めてい くに当たって、ロシアにとって「都合のいい」影響をもたらすものと期待 された。 アハティサーリの仲介役抜擢は EU にとっても都合のいいものであっ た。フィンランドは 99 年 6 月から、加盟後初めての EU 議長国の任を務 めることになっており、アハティサーリがコソヴォの和平交渉に関わるこ とで、EU のプレゼンスを高めることになると考えたからである。またア ハティサーリ個人の調停者としての実績も、外交官時代の国連での活動の 中で培われてきており、信頼に値するものであった。まさにすべての関係 する大国にとってアハティサーリは、最適の仲介者として映ったのである。 こうして、ロシアからの同意が得られるや、タルボットはアハティサー リに連絡を取り、仲介役を引き受けてくれるよう頼んだ。アハティサーリ は成功の可能性は極めて低いと考えながらも、誰かがどこかの時点で政治 的解決を試みなければならず、自らが「代わりに苦しむ者(sijaiskärsijä)」21 となる覚悟があると語り、仲介者の任を受諾した。 アハティサーリの仲介はコソヴォ危機の真の解決というより、実際に は、アメリカとロシアの利害調整であったが、困難な交渉の末、アメリカ (NATO)とロシアが和平案に合意し、ベオグラードでのアハティサー リの断固たる態度によってミロシェヴィッチに和平案を受け入れさせるこ とに成功した。その結果、アハティサーリは EU の代表としてコソヴォ紛 争を解決したとしてフィンランド自身の、また EU の国際的地位の向上に 貢献したのである22 4.おわりに フィンランドにとってのポスト冷戦期は EU 加盟を機に始まったと言っ てもいいだろう。冷戦期には、ソ連との関係構築とその維持がフィンラン

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ド外交の主軸であったが、デタント期など国際情勢の機会を捉えて、東西 間の架橋役として緊張緩和に尽力する中立外交を展開してきた。冷戦が終 結し、ソ連が崩壊したことによって、フィンランドは軍事同盟によって結 び付けられていたソ連との関係を清算し、新たな協定をロシア連邦と締結 する。こうして、ロシアとの関係をかつてないほど対等化することに成功 したのであった。しかし、冷戦後の不安定な国際情勢のなかで、中立であ りつづけることが、フィンランドの独立と安全保障を達成する有効な手段 とは考えられなくなった。特に、同じ中立国であったスウェーデンとオー ストリアが、EU 加盟に向けた議論を始めると、フィンランドも新しい外 交の足場として、EU 加盟という選択肢が現実味をもってにわかに立ち現 われたのであった。 本稿で明らかにしたように、アハティサーリ大統領のもとで EU 加盟を 果たしたフィンランドは、他の旧中立国との差異化を意識しつつ、積極的 な EU 外交を新機軸として打ち出し、その枠組みのなかで新たな地域戦略 を展開していった。ここで強調しておくべきなのは、フィンランドが「小 国」という自覚のもと、自国の外交的自律性を拡大し国益を増大するため には、まさに EU という多国間組織の存在感と実質的機能の向上に積極的 に貢献することが必要だと認識していたことであろう。だからこそ、その 地域戦略は EU の大国の影に埋没するようなものではなく、冷戦期に培っ てきたロシア(ソ連)と NATO(アメリカ)との関係性を存分に生かした、 フィンランドにしかできないものであった。 こうした EU 加盟後の新機軸のもとで、地域紛争が頻発する状況下にお いて、国際秩序の安定化という面においても、フィンランドが仲介役とし て抜擢されたのであった。それは、フィンランドの冷戦期の中立外交の実 績と、冷戦後の地域戦略による新たな立ち位置がもたらした成果と言える であろう。

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1 “Pääministeri Paavo Lipponen eduskunnassa Euroopan unionin tulevaisuutta koskevan valtioneuvoston selonteon lähetekeskustelussa 06. 11. 2001”,[議会 において首相パーヴォ・リッポネンがヨーロッパ連合の未来に関する内閣の報告書 について参考議論を行った際の発言], フィンランド国際問題研究所オンラインアー カイブEILEN, <http://www.eilen.fi/fi/404/ ?language=fi>(2020/02/03 アク セス)

2 A. Stubb (toim.), op. cit., s. 13.

3 “Pääministeri Matti Vanhanen Suomen EU-politiikan tahtotila 2010-luvulla – seminaarissa”[首相マッティ・ヴァンハネンによる、セミナー『2010 年代における フィンランドの EU 政策の望むべき方向性』での演説], EILEN, <http://www. eilen.fi/fi/801/ ?language=fi>(2020/02/03 アクセス)  4 当時の外相 A・サトゥリが中心となりフィンランドの EU 政策の基本路線がつく られた。すなわち以下の4点である。「1.共同体の建設を支援する。2.実質 的な部分に注力する。3.常に解決策を探す。4.フィンランドの国益が問題 とならない場合でも、近隣諸国を支援する」。(A. Stubb (toim.), Marginaalista ytimeen: Suomi Euroopan Unionissa 1989-2003, Tammi, Helsinki, 2006, s. 13.)

5 1993 年 1 月 25 日、コペンハーゲンでの演説より。(H. Mouritzen, O. Wæber, H. Wiberg, European Integration and National Adaptations: a Theoretical Inquiry, New York, Nova Science Publishers, 1996, p. 144.)

6 H. Ojanen, “Finland and ESDP: ‘obliquely forwards’?,” in C. Archer (ed.), New Security Issues in Northern Europe: The Nordic and Baltic states and the ESDP, London, Routledge, 2008, p. 70.

7 2004 年の防衛白書によると、政府の NATO 政策は以下のように説明されている。 「フィンランドは NATO を軍事的な環大西洋安全保障政策と安全協力にとって鍵 となる重要性を持っていると考える。フィンランドは NATO との協力を引き続き進 め、EU- NATO 協力の発展と機能強化が必要不可欠と認識している。加盟申請 は将来においても、フィンランドの安全保障政策と防衛政策の可能性であり続け るだろう」。(Ibid.) 8 Ibid., pp. 70-71. 9 Ibid., p. 71.

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10 P. Sutela, “Finnish relations with Russia 1991-2001: Better than ever?”, Helsinki, Bank of Finland Institute for Economies in Transition, 2001, p. 23. <https://helda.helsinki.fi/bof/bitstream/handle/123456789/12615/101324. pdf?sequence=1>(2020/02/03アクセス)

11 ただし、その限界も指摘されている。EU 内の大国から協力が得られず、ロ シアの政治情勢に大きく左右されるという弱点がある。(H. Haukkala, “The Northern Dimension: presence and for liabilities?”, in R. Dannreuther (ed.), European Union Foreign And Security Policy: Towards a neighbourhood strategy, New York, Routledge, 2004, pp. 109-111.)

12 D. F. Austin, Finland as a Gateway to Russia: Issues in European Security, Avebury, 1996, p. 11. 13 Ibid., p. 11. またロシア側も、フィンランドが EU に入ることで EU の他の加盟国 がロシアに対して強い態度に出ないよう抑制する役割を担うことを期待していたの ではないか、という議論もある。 14 O・ウィーバーは冷戦後のフィンランドのアイデンティティを、中立政策の延長とし ての仲介政策に求めるべきだとして以下のように述べている。「ポスト中立期にお いてフィンランドのアイデンティティを保持するために維持しなければならないの は、中立の実用的な側面である。つまりそれは、積極的な外交活動や中小国の 仲介政策などである。」(O. Wæver, “Nordic Nostalgia: Northern Europe after Cold War”, International Affairs, London, Vol. 68, No. 1 Jan., 1992, p. 90.) 15 アハティサーリ自身は、EU 加盟を果たしたフィンランドを「中立国」と呼ぶことは

なく、「もはやフィンランドは中立国ではなく、他の北欧諸国と同じく、西側の民主 主主義国家の一員である」と明言している。そのことが意味するのは、「フィンラ ンドはもはやロシアの機嫌をとる必要はない」ということであった。(M. Ahtisaari, J. Iloniemi and T. Ruokanen, Miten Tästä Eteempäin, Jyväskylä, Docendo, 2016, ss. 14-16.)

16 1995 年 10 月 18 日ロンドンでのアハティサーリのスピーチより。(T. Tiilikainen, Europe and Finland: defining the political identity of Finland in Western Europe, Hampshire, Ashgate, 1998, p. 167.)

17 “Tasavallan Presidentti Martti Ahtisaaren puhe The Royal Institute of International Affairsissa Chatham House, Lontoo 18.10.1995”[王立国際問題 研究所にて共和国大統領マルッティ・アハティサーリの演説、チャタムハウス、ロ ンドン], EILEN, <http://www.eilen.fi/fi/2078/ ?language=en.>(2020/02/03

(17)

アクセス) 18 Ibid. 19 アハティサーリは 2000 年 1 月にケッコネン元 大 統 領の生誕 100 周年のオー プニング・スピーチで、ケッコネンの外交的遺産について、北欧 協力や国連 でのフィンランドの存在感を高めることによって、フィンランドを国際政治にお ける積極的な貢献者となしたと評価し、今日のフィンランド外交の基礎となっ て いると述べた。(“Tasavallan Presidentin Puhe Presidentti Urho Kekkosen 100-vuotiasjuhlavuoden Avajaistilaisuudessa Kuopiossa[ ウルホ・ケッコネン 大統領生誕 100 周年オープニング・セレモニーでの共和国大統領のスピーチ]” EILEN, <http://www.eilen.fi/fi/2319/?language=fi>)(2020/02/03 アクセス)  20 ただし、アハティサーリは中立を軍事的非同盟と解釈した前大統領コイヴィストの 立場を踏襲していた。つまり、軍事的非同盟と積極的な EU 政策は両立し、それ こそがフィンランドの国益となると考えていた。彼は次のように述べている。「わ たしはフィンランドの軍事的非同盟路線を支持する。わたしたち自身の評価と経 験を信頼することができ、その一つは軍事的非同盟であり、もう一つはヨーロッ パの政治協力へ積極的に参加することと現在の状況のなかで国益を最大限に 増やすことである。」(EILEN, <http://www.eilen.fi/fi/2319/ ? language=fi>) (2020/02/03 アクセス)

21 M. Ahtisaari, Tehtävä Belgradissa, Helsinki, Werner Söderström Osakeyhtiö, 2000, s. 17.

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