<シンポジウム>ヘレニズム時代の都市におけるギュ
ムナシオン : 最近の研究動向を中心に
著者
波部 雄一郎
雑誌名
関学西洋史論集
号
41
ページ
9-16
発行年
2018-03-31
URL
http://hdl.handle.net/10236/00027662
ヘレニズム時代の都市におけるギュムナシオン
──最近の研究動向を中心に──
波 部 雄一郎
はじめに この数十年来、ヘレニズム時代をギリシアの「都市」の衰退の時代とする見 方が否定されるようになり、制度面や公共奉仕などの慣習において古典期から の連続性が強調される傾向にある(橋場編 2009)。むしろギリシア・小アジア における碑文習慣の広がりや、発掘調査の結果、公共建築物の活発な建築活動 が確認されるなど都市が活性化した時代として再評価されるようになった (Gauthier 1984)。都市の公共建築物のなかでも、青少年の体育・軍事訓練機関 であるギュムナシオンの建設が、ヘレニズム時代のギリシア本土や小アジアの 諸都市で数多く確認できる。やがてギュムナシオンは、西暦 2 世紀の著述家パ ウサニアスが指摘しているように、都市における代表的な建築物として認識さ れるようになる(Paus X. 4. 1)。 しかし、近年の研究では、都市生活においてギュムナシオンが果たした多面 的な役割が強調されるようになった。その契機となったのは、2001 年に開催 されたヘレニズム時代のギュムナシオンにかんする国際シンポジウムの報告書 である(Kah-Scholz 2004)。本稿では、近年のヘレニズム時代のギュムナシオ ン研究を紹介し、都市におけるギュムナシオンの機能、ギュムナシアルコス職 と恩恵施与慣行、都市の青年層という 3 点の問題について考えてみたい。 ― 9 ―1.ヘレニズム時代におけるギュムナシオンの役割 ギュムナシオンはこれまで都市の教育機関ととらえられてきたが、それはエ フ ェ ー ベ イ ア 制 度 と 関 連 づ け ら れ た た め で あ る(Marrou 1958 ; Delorme 1960)。この制度は、市民の子弟で 18 歳から 20 歳の青少年がギュムナシオン を中心に体育・軍事を行い、将来の市民としての修養を積む目的で紀元前 4 世 紀にアテナイで導入され、ヘレニズム時代にエーゲ海や東方の諸都市に広まっ たとされる(Chankowski 2011)。 しかし、1990 年代になると、碑文史料の考察がすすみ、ギュムナシオンは 教育機関だけでなく、都市の儀礼・祭祀の中心として、そして文化活動の中心 としても評価されるようになる(Delorme 1960)。また、考古学の成果から、 ギリシア本土や小アジアの諸都市において、紀元前 2 世紀以降にギュムナシオ ンの建築構造や機能が拡大するようになったことが解明され、その機能の多様 化を裏付けるもとのとされた(von Hesberg 1995)。 ギュムナシオンが都市の宗教の中心と変化するのは、後継者戦争時代のこと である。多くの都市ではヘルメスやヘラクレスがギュムナシオンの守護神とさ れ、儀礼として青少年たちによる体育競技会が開催されていた。やがてこの時 代に諸都市でヘレニズム諸王に対する君主礼拝が創設されると、体育競技は儀 礼のひとつとして各地で開催された(Aneziri and Damaskos 2004)。一例をあ げると、紀元前 3 世紀末のエレソスでは、ギュムナシオンにおいて、青少年ら がプトレマイオス 4 世とヘルメスに対する体育競技会を開催していた(IG XII Suppl. 122)。また、ヘレニズム時代後期になると、いくつかの都市では、都市 支配層の葬儀などもギュムナシオンで行われるようになった。 ギュムナシオンが都市の文化教育の拠点となったことが指摘されるのは紀元 前 2 世紀以降のことである。いくつかの都市のギュムナシオンでは、修辞学や 哲学、音楽や数学などの講義が行われた(Scholz 2004 ; Hin 2007)。また、ア テナイなどで、ギュムナシオンに図書館が併設されるようになったことも確認 されている。このような傾向から、ギュムナシオンが軍事教練の場から、学術 ― 10 ―
機関へと変化をとげたと指摘される(Perrin-Sanindayar 2007)。その要因とし て、都市が軍事的機能をヘレニズム諸王国、ついでローマに依存するようにな り、ギュムナシオンが本来の目的を喪失してしまったという背景が挙げられて いる。 しかし、このような見方を一般化すべきではない。というのも、このような 機能を備えたギュムナシオンは、アテナイやロドスのような大都市に限定され るからである。多くの都市のギュムナシオンでは、ヘレニズム時代を通して依 然として青少年が弓射や、武装競争など、軍事訓練を行っていたという事実に も注目する必要がある。 2.ヘレニズム時代の都市におけるギュムナシアルコス ギュムナシアルコスはギュムナシオンを管理し、青少年の訓練を監督するた めに諸都市で設けられた公職である。ギュムナシアルコスに就任した市民は、 ギュムナシオン運営のために私財を提供することが前提とされたことから、都 市の有力市民から選ばれるのが一般的な傾向であった(Schuler 2004)。ギュム ナシアルコス職に注目が集まった一つの契機は、マケドニアの都市ベロイアか ら 出 土 し た、「ギ ュ ム ナ シ ア ル コ ス の 法」碑 文 の 新 校 訂 の 公 刊 で あ ろ う (Gauthier-Hatzopoulos 1993)。ベロイアのギュムナシアルコスの規定は、紀元 前 3 世紀末から紀元前 2 世紀のはじめ頃に定められたと考えられているが、青 少年の訓練と育成にかんするギュムナシアルコスの職務について様々な情報を 提供してくれる。 しかし、多くの都市においてギュムナシアルコスに求められたもっとも重要 な任務は、ギュムナシオンの管理・運営における財政負担であった。なかで も、利用者が訓練前後の清めに使用するオリーヴ油の購入は、相当額の負担と なったと想定される。紀元前 3 世紀には諸都市のギュムナシオンのオリーヴ油 購入費用は、諸王からの寄進によってまかなわれていた。しかし、諸都市のギ ュムナシアルコスへの顕彰決議を分析したカーティの研究によると、紀元前 2 ― 11 ―
世紀以降、ギュムナシアルコスにオリーヴ油を含むギュムナシオンの運営費用 の負担が求められ、オリーヴ油の提供が顕彰理由とされるようになったという (Curty 2015)。この時期の都市財政においてギュムナシアルコスの重要性が高 まったという指摘は、ゴーティエが示すヘレニズム時代のエヴェルジェティズ ムの傾向とも一致している。すなわち、ヘレニズム時代前期には、諸都市は諸 王の恩恵施与に都市財政の多くを依存することができたが、ヘレニズム時代後 期になるとローマの進出とヘレニズム諸王国の影響力が減退したことにより、 諸都市は都市内のインフラにかかる費用を自市の富裕市民に依存するようにな り、その結果としてギリシア本土や小アジアの諸都市で恩恵施与者に対する顕 彰決議の増加傾向を指摘するのである(Gauthier 1985)。 3.都市におけるギュムナシオンの利用者:「エフェーボイ」と「ネオイ」 ギュムナシオンの利用者層の主体は、18 歳前後のエフェーボイや、20 歳か ら 30 歳のネオイ(neoi または neaniskoi、neoteroi など都市によって多様な呼 称が用いられる)と呼ばれる青年層であった。エフェーボイを育成するエフ ェーベイア制度の目的は、将来の市民としての修練だけでなく、都市の軍事力 育成と考えられてきた。しかし、近年ではエフェーベイアの軍事的機能は限定 的なものと解釈され、エフェーボイの役割は都市境界の警備や治安維持への従 事が中心であったと理解される。ヘレニズム時代後期になると、エフェーボイ はむしろ体育競技会や祭典行列などの都市の儀礼で大きな役割を果たすように なる(Chankowski 2011)。 従来のギュムナシオン研究ではエフェーボイに焦点が当てられてきたが、近 年ではネオイと呼ばれる都市の青年団がギュムナシオンの利用者として注目さ れている。彼らは都市の青年市民層であり、民会に出席する資格も有してい た。それゆえ、ギュムナシアルコスの顕彰決議を働きかけるなど、ギュムナシ オンの運営において重要な役割を果たしていたことが想定されている(Dreyer 2004)。 ― 12 ―
諸都市におけるネオイは、将来の都市エリート層として強い人的紐帯を維持 し、都 市 の 政 治 活 動 に 強 い 影 響 力 を 及 ぼ し た と 理 解 さ れ て き た(Forbes 1933)。近年、新たな碑文史料の発見などから、ネオイの影響力の要因を多面 的にとらえる見解が提示されている。例えば、ネオイは都市の軍事力を構成す るとともに、ギュムナシオンで将来の市民層であるエフェーボイと日常的に接 することによって、次世代に影響力を及ぼすことができたため、都市において 一定の政治勢力となりえたと指摘される(Kennell 2013)。一方で、ネオイの存 在が都市で不安定な状況を生み出すこともあった。ファン・ブレーメンは、諸 史料からネオイが都市に混乱や不安定な状況をもたらした事例を挙げ、都市の 支配層(presbyteroi)との対立から内戦に発展するなど、彼らが都市の秩序を 乱す要因となりえたと論じている(Van Bremen 2013)。 このように、都市内でネオイの影響力を評価する見解は多くみられる。それ に関連して、彼らが都市の外交、特にヘレニズム諸王との関係において果たし た役割について考察する必要がある。例えば、プトレマイオス 2 世はハリカル ナッソスにギュムナシオンの修復の許可を求められ、それを許可しているが、 王は都市への書簡の中で、「ネオイが使用するために」とわざわざネオイにつ いて言及している(Wilhelm 1908, no.2)。また、紀元前 213 年にアンティオコ ス 3 世はサルディスに書簡を送り、ギュムナシオンの再建に際し、そこでネオ イらが使用するオリーヴ油の購入費用を捻出するための基金創設を命じている (SEG XXXIX. 1283 ; 1285)。ヘレニズム諸王が、諸都市のネオイに言及した理 由については、諸王国の対ギリシア都市政策の枠組みの中で検討されるべき課 題であろう。 おわりに 以上、ヘレニズム時代のギュムナシオンをめぐる近年の動向を概観してきた が、依然として軍事訓練機関としての役割が強調される傾向にある。この時代 においても、境界紛争など都市間の戦闘行為は断続的に発生していた。つま ― 13 ―
り、ギュムナシオンの広がりは、諸都市がヘレニズム諸王国や傭兵に依存せ ず、市民による軍事力を確保する努力をある程度試みていたことの証左ととら えることもできよう。 一方で、紀元前 2 世紀になると都市によってはギュムナシオンの役割に変化 がみられるようになったことも事実である。上述したようにアテナイやロドス などの大都市では、ギュムナシオンに図書館が併設され、哲学や修辞学などの 講義が行われるようになった。これらの都市においては、青年市民層や将来の 市民層に求められる素養の変化を見て取ることができる。 また、ヘレニズム時代後期には、富裕市民層が都市の財政に貢献するように なり、多くの都市でギュムナシアルコス経験者への顕彰決議が増加する。こう したギュムナシアルコスの顕彰決議を、都市の決定機関に働きかけたのは、ネ オイと呼ばれる青年市民層であったが、彼らの動向は時に都市において緊張状 態をもたらすほどの影響力を維持していたのである。 このように、ギュムナシオンについては近年新たに発見された新史料や考古 学の成果から、多面的な考察がなされ、多くの成果が公刊されてきた。ギュム ナシオンの特質やその変化は、ヘレニズム時代の社会経済の状況に大きく影響 を受けているといっても過言ではない。 参考文献一覧
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