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hyperboleをめぐって : 福永武彦によるマラルメ読解

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hyperboleをめぐって : 福永武彦によるマラルメ読

著者

岩津 航

雑誌名

年報・フランス研究

38

ページ

41-53

発行年

2004-12-25

URL

http://hdl.handle.net/10236/10325

(2)

hyperboleを め ぐって 一 福永武彦 によるマラル メ読解

岩津 航 は じめ に 本稿 は、 日本 の小説家福永武彦 (1918-1979)に よるマ ラル メ理解 をた どる こ とで、詩 の読解 が小説 に何 をもた らす か を考察 の 目的 として いる。福永武彦 と いえ ば、何 よ りもボー ドレール研究者 として名高い。だが、福永 のボー ドレー ル理解 は、何度 も指摘 されてきた とお り、ボー ドレール に始 ま リヴ ァレリー に 至る、広義の象徴主義との関連で捉えられるべきものである。ヽ そ して、この象 徴主義の中心には、常にマラルメがいた。福永のマラルメ理解 を確認する こと は、彼のボー ドレール理解 を裏打ちする意味で も、重要な作業 と思われる。そ れはまた、フランス近代詩が 日本現代文学に与えたものを考える作業にほかな らない。

1.「

外国人であることの条件」:詩 人福永とマラルメ 福永武彦は、1941年に結成され、1946年に共同で詩集を刊行 した 「マチネ・ ポエティク」グループの中心的な同人だった。 「マチネ」は、 日本語による押 韻詩の実現 を模索 したが、その急進性ゆえ、三好達治か ら「荒地」派まで、大 勢の批判にさらされた。し鮎川信夫は、「マチネ」が依拠 した象徴主義 とは、「詩 そのものを、それだけ切 り離 して考えるところか ら生ずる悪習」であ り、 「わ れわれを詩 に駆 り立てる詩でない現実の生活の実存的意味を忘れている」 と非 難 した(3ゝ とはいえ、福永武彦は、第一詩集『ある青春』(1947)の あとがきで、 「生き

(3)

42 hyperbolcを

め ぐって 一 福永武彦 によるマラルメ読解 る ことが第一の問題であ り、詩人である ことが第二 の問題だった “ )」 と書 いてい る。彼 は決 して現実 の生活 を忘れて いたわ けで はな い。ただ、人生 と詩の係わ りについて、 「荒地」派 とは違 う考 え方をもっていた というだけである。では、 詩人である こととは何か。福永 は次のように続 ける。 僕 は大学時代 にフランス象徴詩 を研究 した。僕 にとって言語 を異 にす るとは いへ、詩 とは何であるか、詩想 と詩型 とは如何なる関係 にあるかは、初めて 明かに示 された といへるだ らう。僕はそ こか ら強 引に自分 のための伝統 を抽 き出 して来た。 もし僕がボオ ドレエルやマ ラル メや ランボオや ロオ トレアモ ンを知 る ことがなかつたな ら、僕 は遂 に詩作 を諦めたか もしれぬ。僕 は 自分 と同 じ詩人 として、彼等 の作品 を読んだ。外国人である ことの条件は、詩人 といふ普遍的な意識 の前 には、何 と簡単 に消える ことか。ボオ ドレエルがポ オに傾倒 し、 リルケがヴ ァレリイ に傾倒 したや うに、僕 はボオ ドレエルやマ ラル メを自分の詩の軌範 とした。い) 「外 国人である ことの条件」 は、実際にはそんなに 「簡単 に消え」は しない だろ う。 まさに彼 自身が認めるよ うに、福永 は 「強 引に自分 のための伝統 を抽 き出 し」た のである。問題 は、なぜ フランス象徴詩 に 自らを合流 させな けれ ば な らなかったか とい うことだ。一つ には、同時代 の 日本 の詩壇 に対す る失望が あった。失望 の対 象は、第一 に、 自由詩 の散文化への堕落 (と彼 には思われた 傾向

)に

、第二 に、戦時 のデマ ゴギー に対す る詩人の無 力ぶ りに向 け られて い た。福永 を含 む 「マチネ」 同人 は、厳 密な方法論 に従 って、彼 らを取 り巻 く戦 争の現実 を超越 した詩 を書 くことで、その失望 を解消 しよ うとした。彼 らが発 表 した共同宣言 「詩 の革命」 のなかで、 「現代文学 の再建 に とつて の第一歩 は 創造 的主体 の確立で ある と云ふ時、我 々 も亦、マ ラル メか ら始 めな けれ ばな ら

ない

Lと

述べるとき、マラルメは何よりも方法論と超越性を代表するものとし

て挙げられている。もちろん、彼らが日本語押韻詩の直接の理論的根拠とした

(4)

hyperboleを め ぐって 一 福永武彦 によるマラルメ読解 のは、マ ラル メではな く、九鬼周造 の『 日本詩 の押韻』(1933)で ある。九鬼が パ リ滞在 中に稿 を起 こした この試論 によると、押韻 の価値 は 「自律 の投企 によ つて 自由藝術 としての自由の境 を創造す る粘0」 にある。つ ま り規則 の制約があ って こそ創造性 は発揮 され るとい うことだ。福永が 「詩想 と詩型 の関係」 とい うのは、そ うい う意味で ある。 また、福永 はのちに『古事記 』 を全訳 した こと か らも判 るよ うに、押韻 に富んだ定型詩である記紀歌謡 を愛誦 して いた。伝統 的な 日本語 の響 きに対す る愛着 もまた、彼 をマ ラル メの方法論へ と導 いた要 因 の一つであると考 え られるだろう。 紙幅の制限か ら、ここで福永の押韻詩 を詳細 に分析す ることはできない。『あ る青春』所収 の 「今 はな い海 の歌」 を引用 して、マ ラル メ との相違 を確認す る にとどめたい。 わた くしらは遠 い昔か らこの生 を生きてきた

/そ

よ風 ににほふ時間は音 もな く過ぎて

/花

片の散 る丘 に海は人 を待つてゐた

/こ

の丘 に振 りちぎつたハ ン カチイ フの色 のみは 白くて

/知

らぬ國へ と船 出を した希望 の船 はもう掃 るま い わた くしらは大海 の孤獨 の中を生きて きた

/神

神 の 日を染める虹の矢 はあつ て も

/心

はいつ も潮 のや うに にが く 蒼 く 澄んでゐた

/そ

して海の深み にわた くしらの愛が沈んだ 日か ら

/い

のちの旗 は三度 と風 にひ るがへ る こと はあるまい わた くしらはをさないままに生 きてきた

/さ

び しが りやの心の破片 のひ とつ にも

/タ

ベの潮 にひびきあふ魂 の馨が あつた

/そ

れで も散 らばつた心の上 に はるばるとした海 の上にも

/員

冬 の雪 は しづか に降 りつ もつて

/こ

のきよ ら かな風景は記憶のほかにもうあるまい6)

(5)

hyperboleをめ ぐって 一 福永武彦によるマラルメ読解 3連か らな る この詩 はマ ラル メの 「海 の微風」 冒頭 をエ ピグラム に掲 げて い るが 、それでな くて も、 「海 の微風」 との共通点は一 目瞭然である。 じつ は福 永武彦 は、マ ラル メの翻訳 を数点手が けてお り、 「海 の微風」の福永訳 も存在 す るのヽ 興味深い ことに、 この訳詩で も福永 は脚韻 を試みている。 肉体は悲 しい、ああ、既 に読み終つた、すべての書物 は。

/逃

れよう彼方へ! 私 は感 じる、大空 と未知 の水泡

/湧

く央 に、海鳥 は酔ひ しれてゐるのを。

/

何 もの も、わだつみの底深 く涵 された この心 を

/と

どめるものはな い、瞳 に 映 る古 い苑 も、おお

/い

くたびの夜

!

白は閉ざす空 しい紙 の上を

/守

る洋 燈 の荒涼 とした光 も、

/ま

た、み どり児 に乳ふ くませ る新妻の姿 も。

/私

は 立た う

?

蒸汽船 は風 にそ の身を傾け

/異

邦 の風土へ と錨 を巻 け

!/酷

薄の 希望 に虐 まれた倦怠 は、なほ

/信

じよ う、ハ ンカチー フ振 る最後の別れ を、

/恐

らくは この船 も、宿命 の嵐 を呼ぶ海のゆ くて、

/マ

ス トもな く、マス ト もな く、草茂 る小島 もな くて、

/風

は絶望 の破船の上を吹き過 ぎるか もしれ ないものを…0/しか し、おお私の心よ、聞け遠 い水夫の歌 を! 訳詩 として は、む しろ彼 の『悪 の華』 の押韻訳 と比較す るべ きか もしれ ない が、 ここでは立 ち入 らな い。 「今 はない海の歌」 と読み較べると、 「海の微風」 が、命令形や頓呼法 の反復 によ って、実現できな い未来への絶望的な希求 を語 るの に対 し、 「今 はない海 の歌」 は、そ の題名 と過去形の反復が示すよ うに、 遠 い過去へ の ノス タル ジー とあき らめ を語 って いる。 また、到達不可能な対象 が、マ ラル メにお いて は 「草茂 る小島 もな い」 という風 に空間的イ メー ジであ るの に対 し、福永 にお いては、海 に降 り注 ぎ溶 けてゆ く雪が、忘却 と回想 、す なわ ち時間的イ メー ジのなかで捉 え られて いる点で も、二人 の詩人は異な って いる。 じつ は、 この空間か ら時間へ の転移 こそが、福永 のマ ラル メ受容 のポイ ン ト である。それはまた、彼が詩人か ら小説家へ転身 した理 由をも説明するだろう。

(6)

hyperbOleを め ぐって 一 福永武彦 によるマ ラルメ読解 それ を論証す るため には、hyperbOleと いう言葉 をめ ぐる彼 の解釈 を確認す る必 要がある。

2.マ

ラルメか らプルース トヘ :hyperboleを め ぐって 彼が最大 の情熱 を傾 けたボー ドレール に較べ る と、残念なが ら福永 はほんの 僅か しかマ ラル メ論 を残 して いな い。 だが、マ ラル メの方法論が福永 に与 えた 影響は決定的である。詩集 『ある青春』 と同時期の 1947年に書かれた 「純粋詩 の系譜」 において、すで に福永 はマ ラル メにつ いて、次のよ うに述べている。 「マ ラル メ詩の論理 は、後期 に行 くに したがって、次第 に非論理的 に見える言 葉 の堆積 となるに至 った。それ は、類推が、初期では言葉 と言葉 との間に、中 期 で は形象 と形象 との間 に行われて いたのが、後期で は詩人 のコスモスか ら発 した多 くの hyperbOle(実 存 の外部 に投影 された影像 を意味す る

)の

間 に、謂わ ば象徴 と象徴 との間にお こなわれて、類推 され る二対象が もはや 同一の次元 に 属 さな い というに至 ったためで ある。従 ってそ こに抒情が涸渇 して いったのは やむをえなかった。(10)」

このhyperboleという言葉は、マ ラル メの ‖Prosc oour des Esscintes)‖ 冒頭か ら

採 られた ものである。全

14連

か ら成 る この詩 を細か く論 じることは、本論の主

旨ではないので、その最初のスタンザ を引用す るにとどめる。

HyperboL!de ma mё moire

T五 omphalelment ne sais― tu Te levet auJourd'hul grllnoire Dans un livre de fer vetu:

周知の とお り、 この hyperbolcと いう言葉 については、 じつに多 くの解釈がな されて きた。イベルボール とは、福永が参照 したであろう時代 の論考 に限 って みて も、 あるいは 「絶対的なポエジー」(Eo Nouleoで あ り、あるいは 「あ りう

(7)

hyperboleを め ぐって 一 福永武彦 によるマラルメ読解 べき詩への呼びかけ」(R Bcaus缶c)で あ り、あるいは 「過去 の一切 を含 む生の横 溢」(J.Gengoux)で ある、 という風 に、定義はさまざまである(11)。 福永武彦は、 学習院大学 フランス文学科での 1955年 度の講義で、次のよ うに解釈 している。 それ [hyperbole]は 詩人が、彼 の技術 によって、記憶 の中か ら投射 した一つ の虚像である。 この言葉 によって示される ものは、至上の、恐 らくは空 しか るべき野心の産物である理想の書物である。それ は理智 に訴える新 しいポエ ジイであ り、詩人はそれ を彼の妹、即ち魂 に語 りかける。それは自我 と魂 (或 いは詩人 と読者

)と

の double inconscience、 即 ち未知 の、秘 密の力を以て描 かれ る。それは

De vuc et non de visions

即 ち見 る こと(sttet)であつて、見 られた もの(o切et)で はな い。詩人の名づ

けた ものを読者が推量 し、発見す るのである。 このような藝術 によって、調

和の花々で ある la famille des廿idё es、 即ち言葉たちは、プラ トン的観念 (イ

デア

)の

世界 にまでその領域 をひろげるであろう。(1幼 フランス語で引用 されている言葉は、いずれ も PrOseに 出て くる表現である。 イベルボール とは、単 に詩人の内面か ら投射 された ものが外界 に定着す る作用 だけを指す のではな く、読者 を巻 き込む もの と して理解 されて いる ところに、 福永解 釈の特徴 が ある°助。 「二重の無意識」 という表現 を、福永は、詩人の暗 示 を読者が展開す る、 とい うメタフアーの働 き を指 した ものだ と考 えた。イペ ルボールはあ くまで詩人の側か らの放射であ り、その世界を読者が見ない限 り、 イベルボールは空虚な幻影 にす ぎな い。だが、マ ラル メが 「詩句の危機」 にお いて、詩の本質 をallusionに見 出 した とき、読者の理解 力 というものをどれほど 考慮 して いたか は、議論 の余地が ある(1°。 「書物 は といえば」で 「書物 はひ と りでにできあがる。それはできて、そこにある(fait,ёtant)(15Lと言うとき、む しろ、マラルメは作者も読者もなく、言葉だけが自立的に存在する空間を夢見

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hyperboleを め ぐって 一 福永武彦によるマラルメ読解 て いたのではな いだろ うか。 しか し、福永武彦 は、読者 に理解 されない詩 はそ もそ も成立 しない、 という常識的な立場にとどまっている。福永はallusionと い うものを、 あ くまで メタ ファー の力 として理解 している。だか らこそ、散文 に お いてイベルボール を実現 した作家 と して、福永 はプルース トを引き合 いに出 す のである。マ ラル メ とプルー ス トの類似性お よび違 いにつ いて、福永 は次 の ように説明 している。 しか し、マ ラル メと同じよ うに、 この [プルース トの]hyperboleは 、それ が観念的 に頭脳 の中に思 い描かれているだけでは何の役 にも立たない。そ れ は表現 されて初めて一つの世界 として完成す るので、謂わば完成へ至 る 道程が、或 いは書 くことによって思考 し、思考す る ことによって書 くこと が、hyperb01cの 特徴で ある。 [略

]マ

ラル メの hyperboleが 空間的現象の 定着 で あった の に対 し、 プルー ス トのそれ は時間的現象 の定着で ある。 [略

]マ

ラル メは現実或いは vicが 凝縮 し、冷却 して一冊の本 に終 ること を望 んだが、プルース トは彼 の書物が膨張 し、赤熱 して、現実或 いは実人 生に及ぶ ことを願 った。00 マ ラル メの「イベルボーノИ が空間的現象のみ に係わ る と断 じるのは、単純化 のそ し りを免れ得ないだ ろう。ポール・ベニ シューの解釈で は、イベルボール は記憶 と対置 され、記憶はイベルボールの痕跡 (souveniっ のみを言葉 に与える、 という関係 にある。つ。 また、‖Prosd'の 旧稿では、記憶 とイベルボールが同格 に 置かれて いた ことも、今 では知 られて いる。助。福永 の論の進め方 は、何 よ りも 小説 と詩 の 目的の違 いか ら演繹的 に導かれた ものだ といえる。そ して、想像力 をテ クス トとして定着 させ るマ ラル メの方法論 を小説 に応用 させた いとい う作 家 としての彼の欲求が、 このよ うな論法 を生み出 した ものと考え られる。 ところで、イベルボール とは、マ ラル メにお いては、言語表現で あると同時 に、言語 を超越 した、あ るいは言語以前の直観 をも意味す る。それ は夢 と似て

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48 hyperboleを

め ぐって 一 福永武彦 によるマラルメ読解 いる。我々が夢 とい う言葉で指示す るのは、実 際 には 目覚 めた後 の夢 の記憶 で しかな い。それ は言語が到達で きな い地点 にあ りなが ら、同時 に言語 によ って のみ捉 え られ る不 可能な ものを指 して いる と思 われ る。ベニ シュー の表現 を借 りれ ば、 「生 き られ たイ ベル ボール と言 葉 のイ ベルボー ル (ここで は 「呪文 grimotte」 と言われて いるもの

)と

の間には、価値 の落差が ある(1カ 」のである。 福永 がマ ラル メを評 して、 「詩 人は唯 自己の思考 を、言語 の追 いつ けな いほ ど に早 く、microcosmeと して所有 したにすぎぬ。彼はその意味で まず penseurで あ り、火曜会 の主 人公 として次 に語 り手であ り、書 く人 として最 も弱か った゛の」 と書 いたのは、そ の意味で正 しい。そ して、プルース トもまた、有 名なマ ドレ ー ヌ挿話が語 るよ うに、生き られた感覚 とそれ を書 き とめる言葉 との間に落差 を認 めていた。 メタファー あるいは暗示が重要 にな って くるのは、そ うした直 接言 葉で表 し得な い もの をいか に言語 で回収す るか、 とい うことが 問題 にな る か らである。

3.小

説 における比喩のマラル メ的使用法 すでに見たよ うに、福永の hyperbob解 釈 は、暗示 に重点 を置 いていた。 また 小説 のイベルボール は、時間的現象の定着で ある と主張 して いた。では、彼 の 小説 において暗示 と時間は、 どのよ うな関係 にあるのだろうか。 福永武彦 の小説 は、 しば しば複雑な時間構造 を もつが 、時系列が混乱 して不 明 にな る ことはな い。結核患者 の二冊 の手記 と、それ を挟む コメン トか ら構成 され た 『草 の花』で も、 中年男性 の手記 とそ の妻 と娘 たちの内面描写 を併置 し た『忘却の河』で も、ともに登場人物の病気の進行が時間の経過 を示 してお り、 語 り手の身分 も常 に明 らかで ある。事物 の描写 は、む しろ リア リズム と言 って よい正確 さを備 えて いる。読者 の協働 を求めた福永武彦 は、読者 に途 中で投 げ 出 されて しま うことを怖 れ るふ しが あつた。時 間 を輪切 りに して、同心 円的 に 再構 成 して い く『死 の島』の初版本 に、読者の便宜 を図つて カ レンダー付 き栞 が 同封 されて いた ことは、彼 の実験 小説家 としての 「限界」 といえ るか も しれ

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hyperboleを め ぐって 一 福永武彦 によるマラルメ読解

49

ない。 福永 は、時 間の重層性 、 とくに過去 が現在 に入 り込 んで 引き起 こす 、あ り得 たか もしれな い仮定法的な時間 の創 出 に こだわ った。すで に第一長編 『風土』 で も、過去 の選択 をめ く゛る後悔 か ら、 あ り得たか もしれな い現在 と現実の現在 とのギ ャップが、 中心的なテーマ として表れて いる。彼 に必要なのは、 こうし たテーマ を活 かす ための形式 の確立だ った。 もはや音韻 は技法 の中心か らは遠 のいた にせ よ、形式が内容 に必然的な意味を与 える、 という発想そ の ものは、 マ ラル メに学んだ青年時代以来 、福永 のなか に生き続 けていた と言 ってよいだ ろう。 時間 を分割 して、多面 的 に表現す る技法 は、直接的 には フォー クナーか ら学 んだ よ うだ。 しか し、そ の資質 にお いて福永 に最 も近か った小説家 は、ジュ リ アン・ グ リー ンである。り。福永 はグ リー ンの小説 を、すでに 1940年代か ら翻訳 してお り、死 の直前 まで 日本語版 グ リー ン全集 の監修 に力を注 いだ。一方で、 晩年 の福永 は熱心 にマ ラル メを読 み返 して いた。の。彼 はグ リー ンとマ ラル メ と の間にいかなる接点 を見出していたのだろうか。 グ リー ンの初期 小説 には、 自分 の欲望 に苦 しむ登場人物が、つ いに抑制 をふ りきって事件 を起 こして しま うとい う話が多 いが、そ の描 き方 は、 あ くまで外 面的・直線 的時間 をもった リア リズムで ある。 にもかかわ らず、一瞬何か別 の 世界 を垣 間見 る、時間が一瞬停止す るな ど、言葉 と現象 を超 えた何 か に触 れ る 瞬間が訪れ る。助。超越的な力 に突 き動か されて、事件が起 きる。それ を じっ と 見つめる視線の強 さこそが、グ リー ンの特徴だ と言えるだろう。 こうした 「不意 に」訪れる瞬間は、福永武彦 の小説 にも頻 出す る。『忘却 の 河』では、藤代が台風 明けの舗道 で転倒 しそ うになった 「その一瞬に」、向か い の ビル の窓が彼 の 「眼の中になだれ込んで20」 くる。 『海市』で渋多吉が安見 子 と出会 うのは 「ふ と何 かの気配」 を感 じたか らである。そ の気配 の方 を見遣 る と、彼女 のセー ター の 「桃色 も 日没 の最後 の余儘 に不吉な ほ ど赤 く血 に染 ま った よ うに見 え、頭 に巻 いたスカー フのあま りが風 のため に鳥 の翼 のよ うに顔

(11)

50 hyperbolcを

め ぐって 一 福永武彦 によるマラルメ読解 の うしろで羽ばたいていた。25句 こうした瞬 間 に、それ まで リア リズムを守 って いた描写が、突然象徴的な比 喩 に繋が って い くところに、 グ リー ンと福永 の親和性 がよ く表れて いる。 『忘 却 の河』で は、 まさに この 「四角な硝子 の眼」 と向か い合 うことで、小説全体 を支える回想が始 まる。『海市』の 「血に染 まった」という不吉なイメージは、 最後 に示 される安見子の死 を先取 りしている。つま り、こうした瞬間の描写が、 じつは小説全体の時間に響 いて くる仕掛 けになっている。『死の島』になると、 冒頭 に生命 の絶 えた孤 島のイ メー ジが主人公 の夢 として描 かれ、後 に続 く リア リズム文体 による現実描写 の背後 に、 ライ トモチー フとして流れ続 ける、 とい う仕掛 けにな って いる。 いずれ の場合 も、福永 は、詩 人のよ うに一つ一つ の言 葉の allusionの力を発見 してい くのではな く、小説のテクス ト全体 、つま り物語 とデ ィスクールの両方 を通 じて、時間のallusionを作 り上げて いこうとしている。 音 と意味の統合ではな く、イ メージと意味の統合が図 られているのである。 メタ ファー を小説 の時 間全体 と響 き合 うよ うに配置す る こと こそが、小説家 のイベルボールである。それは描写 を越えて、世界全体 と共鳴す る。そ して、double inconscicncc、 つ ま り読者 の想像 力の協調 によって、 この共鳴作用 は完成す る。 これはそのまま、ボー ドレールの corespondanceの 詩学 と軌 を一 にす るものであ る。福永 は、hyperbOLと い う言葉 を、明 らか にボー ドレール に引きつけて理解 して いた。 したが って、福永 に とって、マ ラル メの影 には常 にボー ドレールが あ り、ボー ドレール を補強す る者 として常 にマ ラル メが いた、 と考 えるのが、 最 も妥 当と思われ る。 もちろん、福永 にとって最 も重要な詩 人がボー ドレール だった ことは疑 い得な い。そ の意味で、福永 に とってマ ラル メ読解 は、ボー ド レールか ら読み取 った象徴主義 に、よ り鋭 い輪郭 を与 えるた めに必要だ った と 言 うべきである。 おわ りに ち ょうど詩 にお いて、 メタフ ァーの効果 が読者 の想像 力によ って完成す るよ

(12)

hyperboleを め ぐって 一 福永武彦 によるマラルメ読解

51

うに、小説の時間 も、読者 によって解読 されなければな らない。よ り正確 には、 時間は読者 によって作 られな けれ ばな らない。小説 はそ のため に必要な記憶 と イ メー ジを物語 として貸 し出 し、読者 に反復 させ る。福永武彦 の長編小説 の方 法論で、マ ラル メが果た した役害Jとは、メタファー に固有の時間性 をもたせ る、 とい う一点 にある と言 えるだ ろ う。小説家 にとって、小説 の内部が世界のすべ てである。だ とすれば、メタファーが事物の外的描写の単なる補助 に終わ らず、 小説全体 の時間の流れ と響 き合 うとき、そのメタフ ァーは世界 を内包 して いる ことにな る。 これ こそ は、マ ラル メ的方法論 の小説へ の見事 な移植 ではな いだ ろうか。 ただ し、そ の試 みが網羅的で、すべての箇所が うまく響 き合 って いるか とい うと、それ はマ ラル メ自身の挫折 と同 じく、福永武彦 も十全 に実現 した とは言 えない。文学 を論 じる場合 には、当然、意図された ものと実現 された ものとは、 区別 して評価 しな けれ ばな らな い。意 図の壮大 さ と実現 の困難 とい う点で も、 福永 とマ ラルメは似ていた。 注記 この論考 は、2004年5月 8日、大阪大学で催 された第3回関西マ ラル メ研 究会 にお ける 口頭発表 を基 に して いる。発表 の機会 を設 けて くだ さった主宰者 の坂巻 康 司氏 、お よび 質疑応答で さまざまな示唆 を与えて くださった来聴者 の方 々に謝意 を表 した い。 注 (1)豊崎光一 「福永武彦 と二十世紀小説」、福永武彦『二十世紀小説論』解説、岩波書店 、 1984年、 p.306-307. (2)三好達治 「マチネ・ ポエテイ クの詩作 に就 て」(1948)、 『加藤 周一・ 中村真 一郎・ 福 永武彦集』、現代 日本文学体系82、 筑摩書房、1971年、p.412-416。 富士正晴 「Matinё c Po6dqueへの希望」(1948)、 『 日本文学研究資料叢書 大 岡昇平・福永武彦』、 日本文 学研究資料刊行会編、有精堂 、1978年、p.190-191、 な ど。 『荒地』 同人の中桐雅夫

(13)

52 hyperboleを

め ぐって 一 福永武彦 によるマラルメ読解 は、 「マチネ 0ポ エチ ック批判」のなかで、 「詩を自分のために書いてゐるのか、あ るひは日本詩史のために書いてゐるのか」 と疑間を呈 し、ソネッ ト形式にこだわる必 然性が見当た らないとし、「問題は押韻にあるのではな く、一篇の詩そのものにある」 と批判 した。 「マチネ・ポエチ ック批判」(『詩学』1947年 11月号)、 『現代詩手帖』 1972年1月臨時増刊号 「荒地 戦後詩の原点」、p.225-229。 中桐は、30年後にも同じ 立場を表明 している。中桐雅夫『詩の読みかた詩の作 りかた』、晶文社、1980年 、p.102. (3)鮎 川信夫 「現代詩 とは何か」、『鮎川信夫全集』第2巻、思潮社、1995年 、p.57. “ )福永武彦 「『ある青春』ノオ ト」、『福永武彦詩集』、岩波書店、1984年、p。 187.;『福 永武彦全集』第 13巻 、新潮社、1987年 、p.455。 (5)同 上、『詩集』、p.191;『全集』第 13巻 、p.458. (6)マ チネ・ポエティク同人「詩の革命 《マチネ・ポエティク》の定型詩について」(1948)、 伊藤信吉ほか編『現代詩鑑賞講座

H現

代詩篇

V

戦後の詩人たち』、角川書店、1969 年、p.360-363。 なお、実際の筆者は中村真一郎である。 (7)九 鬼周造『 日本詩の押韻』、 「岩波講座 日本文学」第5回配本、岩波書店、1932年、 p.13.ただ し、九鬼が自らの論拠 とした日本最古の歌論書『歌経標式』は、実際には 「歌病」の分類、つまり和歌における押韻の禁忌を分類 したものであり、むしろ行き 過ぎた押韻を禁止するものだった。沖森卓也・佐藤信・平沢竜介・矢嶋泉『歌経標式 注 釈 と研究』、桜楓社、1993年 を参照。 (8)『詩集』、p.46-47;『全集』第 13巻 、p.黎-45。 (9)『全集』第13巻、p.240-241.マ ラルメの翻訳は 「挨拶」 「窓」 「花々」 「春」 「海の 微風」 「エ ロディア ド」 「牧神の午後」の7篇で、すべて訳詩集『象牙集』に収録さ れている。 「海の微風」の翻訳は 1959年 発表。 (10)「 純粋詩の系譜」、『全集』第 18巻、p.286。 福永のマラルメ論 としては、他に 「フ ランス象徴主義についての簡単なノー ト」(1959)、 『全集』第 18巻、p.170-173、 が ある。 (11)Emilie Noulet,『 α "ν κροご″9夕θルS′4カα′θル猪JJa″41940;艶 “ .,Brtlxelles,Jacques

Antoine,1974,p.257:〈 くLa poё sic absoluc est hypcrbolc― 一igure je撤3 au dcla des apparen∝s,nё e a l'cxttme polrlte de la tension spirituene.〉 〉;Pio「 c Bcausire,Gた)sθs sν r J♭

ρθおJθ′♭Srιρ力α″θル物JFattηど,1945;だ6d.,Pa五s,Champion,1974,p.115:く く夏″″bοたest

plus qu'une apostrophe;une exhortadon,une ttllration au poё me virtuel qui veut na愉e[…]〉〉;

Jacques Gengollx,んθ5ン″bο力む″θaしlza/Ja用ヮど,Pa五s,Librairic Nizet,1950,p.29:く 〈Tout mon

passё,ma mё moire,la vie surabondante oyperbOle!)qui Va tout a l'heure etre exp五 mёe parくく

toute neu■..plus large〉〉,くくliS rnultiples〉〉,〈〈trop grand glaiicul〉〉,〈くCent iris〉〉,tout cela ne peut―

il se lever auJourd'hulJusqu'au g―o廿e quitransmue la Vic en science!〉 〉

(14)

hyperboleを め ぐって 一 福永武彦 によるマラルメ読解 (13)1961年度 の講義草案 にも、次 のよ うな記述が ある。 「一言で言 えば、MallarFn6は 虚 無の上 にimagesを創 ろ うとして、全 く人工的 に投射 された物 の形 を、hyperbolcと 呼 んだのであ る。それ は、或 いは完璧 な書物 として 、いっ さいの謎 を解 く鍵 を含 んで い るか もしれ な い。が、そ の鍵 に手 を触 れな い人間 にとっては、無用 の長物 であ り、砂 の上の文字 にす ぎな い。」『二十世紀小説論』、p.267。

(14)Stephane Mallamё ,《 Crise de ve∬ 〉〉

"、

昭 ωり;と熔 ,Paris,GJlimard,coll.

く〈Bibliothёque de la P16iade〉〉,1998。

(15)Stephane Mallarrn6,〈くQuant au livre〉〉in α夕、招 ωη:をlcs,6りり。εj′・ (16)『二十世紀小説論』、p.83.

(17)Paul B6nichou,Sを わ″』ZaJJa脇,Paris,Gallimard,1995;“6d。,coll.く〈Folio essais〉〉,1998,

p.219. (18)菅野昭正『ステ フ ァヌ 0マ ラル メ』、 中央公論社 、1985年、p.575-585。 (19)Bё nichou,η.ε′′,p.219. (20)『二十世紀小説論』、p.22. (21)豊崎光一「福永武彦 とフランス文学―一研 究者 と作家 のあいだ一― 」、『國文學』1980 年7月号 「福永武彦へのオマー ジュ」、學燈社 、p.65。 (22)清水徹 との対談 「文学 と遊び と」 (『国文学 解釈 と鑑賞』1977年 7月号 、至文堂、 p.20-46)で、最近マ ラル メを読 んで いる ことに触 れ て、福永 は 「マ ラル メは芸術 家 中の芸術家です」 と言 い、芸術 としての 「小説 の 中には、総て の我 々の外側 にある雑 駁 な る現 実の投影 が、つ ま リイ ベル ボールが ある」し39)べきだ と、 旧来 の主張 を繰 り返 して いる。

23)この点 に関 して は、Georges Poulet,〈くJulien Green〉〉in E′閉b sν rたたりsカタ “α J″,t.Щ Paris,Plon,1969、 を参照。 こうした 「不意」 に訪れ る発見や啓示 は、プルース トの小 説 の特徴で もある。福永 とグ リー ンの小説 につ いては、拙稿 「幻視 と記憶 :ジ ュ リア ン・ グ リー ンと福永武彦一― 『幻視者 』 と『忘却 の河 』 の比較検 討」、 『人文論究 』 第52巻第2号、関西学院大学人文学会、2002年、 を参照。 (24)『忘却 の河』(1964)、 『全集』第7巻、p.22. o5)『海市』(1968)、 『全集』第8巻、p.18. (大学院文学研究科研究員)

参照

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