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4.フィールドレポート

著者

加藤 剛, 青山 和佳, 石井 正子, 本名 純, 左右田

直規

雑誌名

アジア文化研究所研究年報

50

ページ

233(114)-224(123)

発行年

2016-02-29

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00010892/

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4  フィールド・レポート 4.フィールド・レポート

国境と境界と地域アイデンティティの動態

加 藤   剛

* 10月2日(金)から6日(火)まで,慌ただしい日程だったが,初めて台北と廈門へ旅した。長 津一史氏の境域社会についての調査の一環で,3日には台北訪問の先達・植野弘子氏のアレンジに より台湾中央研究院台湾史研究所でセミナーを開催した。そこでのわたしの話は,「国境 Border と境界 Boundary:「ミナンカバウ」とどう「距離」を取るか」と題したものだった。「境域社会」 の「境」は国境を意味する。話の趣旨は,境界との対比で国境を考えてみよう,ということだった。 ここでいう境界とは,基本的に一国内の行政上の線引き,たとえば県境を意味している。英語では 国境も境界も Border と記すことができるかもしれない。しかし,なんの形容もつけずに Border といえば,通常は国境だろう。他方 Boundary は,日本語の境界に負けず,多義的だ。文化人類学 者フレデリック・バルトは,特定のエスニック・グループが立ちあがる過程に注目する分析で, Ethnic Boundary Making と称する概念を展開した,といった具合にである。わたしの話では国境 が相対化の対象だということもあり,境界 Boundary は,国内行政上の境界に限定して用いてい る。1 * 国同士,行政単位同士を,国境や境界という,地図上に落とすことができる線によって分けると いう考え方と実践は,近代西ヨーロッパに発するものだと思われる。日本語版ウィキペディアの 「国境」の説明にもあるが,西ヨーロッパで国境が意識されるようになるのは,おそらく30年に亘 るカトリックとプロテスタント間の宗教戦争を終わらせたウェストフェリア条約(1648年)が契機 だろう。これにより条約国の主権を相互に認め,お互いの領土を尊重することや内政干渉をしない ことが約されることになった。それ以前の国家は,国境という線ではなく,「国際地帯」(筆者の勝 手な造語)というベルト状の地域で分けられていた。条約後,徐々に国境を管理できる官僚組織の 整備や傭兵ではない常備軍の設置があり,印刷産業の発展による地図の流通拡大などもあって,意 識面においても実践面においても,国境が実体化することになったと考えられる。なお,バルトと は違った意味で,国境という Boundary Making は,トンチャイの議論(トンチャイ・ウィニッチャ クン著,石井米雄訳『地図がつくったタイ』明石書店,2003)ではないが,国家なるものの想像を 容易にさせ,国民教育を通して国境護持と国家意識・国民意識を植え付ける上でも重要だったであ ろう。つまり「国民」の誕生は,国境の出現を必要としたということになる。 一国内の行政的境界,すなわち同一権力の支配下にある国内の行政的境界の歴史,少なくとも 「国際地帯」にはない地域の境界は,地方権力者による徴税などための必要性を考えても,国境の 歴史より古い可能性が高い。古代中国に発する郡県制は,線としての境界を持っていたのか知りた いところである。 国境と境界の違いは多々考えられる。国境の変更はきわめて難しい。それに対して境界は,政治 的必要性などにより変わることが珍しくない。シェンゲン協定を締結した EU 加盟国のような例外

*東洋大学アジア文化研究所客員研究員;Asian Cultures Research Institute, Toyo University, 5-28-20, Hakusan, Bunkyo, Tokyo, 112-8606 / [email protected]

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4  フィールド・レポート もあるが,国境は人もモノも通貨 も,一般に自由に越えることはでき ない。このような「不浸透性」が境 界に当てはまることは滅多にない。 国境はしばしば国民語を分かつ。境 界が言語を分かつことがないわけで はないが,法律に基づきこれを分か つ 事 例 は き わ め て 限 ら れ て い る, 等々。わたしが試みたいのは,国境 や 境 界 と い う Boundary Making が,特定地域の地域的文化的アイデ ンティティとどのように交差するか を,インドネシアのクアンタンとマ レー半島のヌグリン・スンビランを事例に,西スマトラ州を故地とするミナンカバウ族との関係に おいて歴史的・動態的に考える,ということだった。 別掲の地図で,西スマトラは図左下に波線で区切られ斜めに拡がる地域である。他方,クアンタ ンはその東側にサツマイモ状に左右に伸びる斜線の地域で,行政的にはオランダ時代以降,リアウ 州に属する。ヌグリ・スンビランはマレーシアという文字の「マ」の下辺りにある。ミナンカバウ とクアンタンの結びつきは,その地理的近接さから想像はできるが,ミナンカバウとヌグリ・スン ビランの関係はどのように考えたらよいのだろうか。じつはクアンタンもヌグリ・スンビランも, 遠距離移動手段が河川と海だった時代,具体的には14世紀頃に始まるミナンカバウ人の開拓移住に より,西スマトラと繋がっている。クアンタンもヌグリ・スンビランも地域の名称で,これらの地 の開拓者は民族的にはミナンカバウなのである。両地域では伝承としてそのように伝えられている だけでなく,言語面での近似性,宗教における篤いイスラーム信仰心,アダット(慣習,伝統)面 での世界でも珍しい母系親族制度の維持,さらには母系氏族名においても,共通性ないし関係性が 西スマトラのそれと多く認められる。 現在では州境ないし国境により西スマトラのミナンカバウと隔てられているとはいえ,上のよう な歴史的・民族的・文化的繋がりを考えれば,クアンタンもヌグリ・スンビランも,自らの地域的 アイデンティティの定位において,ミナンカバウとの文化的な「距離」を近く取っているのではな いかと想像される。しかし実際には,この「距離」の取り方は,ふたつの地域で異なるだけでなく, 歴史的にも変化してきた。その変化を理解する上で,マラッカ海峡を挟むこの地域の政治経済環境 の変化,具体的にはこの200年ほどの変化とともに,国境と境界が持つ政治・文化的な意味を考え る,というのが台湾での発表の眼目だった。 変化は,1824年の英蘭協約により,マラッカ海峡の真中に線が引かれ(前掲地図参照),スマト ラはオランダの影響下,マレー半島はイギリスのそれとされたことに始まる。19世紀半ばまでにオ ランダによる西スマトラの植民地化があり,19世紀後半のヌグリ・スンビランを含むマレー半島の イギリスによる植民地化,そして20世紀初頭のクアンタンのオランダによる植民地化が続き,これ らによって国境と境界という Boundary Making が導入された。国境には英蘭協約以降の変化はな いが,境界の変化はヌグリ・スンビランで1度,クアンタンでは2度起こっている。この点だけで 説明はできないが,地域アイデンティティと関係する歴史的過程だけをかいつまんで述べると, 1957年のマラヤ連邦の独立後,ミナンカバウとの文化的距離が遠のいたヌグリ・スンビランでは, 近年,自己のミナンカバウ・ルーツを語る動きが目立ってきている。一方,それまでミナンカバウ・ 図)1980年頃のリアウ州の行政区分と中央スマトラの河川網

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4  フィールド・レポート コネクションを語っていたクアンタンでは,1980年代以降,リアウ州の地域アイデンティティがム ラユ(マレー)とされるなかでミナンカバウよりも自分たちはムラユだとする言説が優勢となり, スハルト政権崩壊後の1999年に,民主化・地方分権化の波の中でクアンタン・シンギンギ県(地図 の2箇所の斜線部分)が独自の行政単位となってからは,ミナンカバウ・コネクションは否定され る傾向にあり,それに代わって「クアンタン人」の語りが強く聞かれ,「クアンタン的」年中行事 が大々的に挙行されるようになってきている。どうしてこのような変化が見られるのか,それを探 るのがわたしが研究課題としているところである。

ダバオ市のサマ人に関わるキリスト教布教とその影響

青 山 和 佳

1 目的2 * 南部フィリピン,ミンダナオ島,ダバオ市のサマ語系住民,とくに海サマ人(Sama Dilaut)に 関わるペンテコステ派キリスト教布教とその影響を調査する。当面の焦点は,2013年4月の調査地 全焼前後における財とサービスの交換および贈与,教会ネットワークが信仰実践・経済生活でいか に活かされているかを確認すること。また,より一般的には,フィールドワークの対象となってい る地域(ダバオ市)における諸制度(institutions)とサマ・バジャウの人びとの行為主体性 (agency)がどのように相互作用し,その結果,1)どのような生活空間が創出されているのか, また,2)行為主体性そのものがどのように(再)創出されているのか,ということを実証的に検 討したい。 2 本研究の意義 析出地を舞台とする従来の研究とは異なり,本研究は都市移民であり,いまやあまり動き回らな くなった「海サマ人」が,グローバルに動き回る外部アクター(キリスト教宣教師など)と相互作 用しながら,生活空間を切り拓いていく事例を扱っている。国家(state)がガバナンスを貫徹で きるような諸制度に欠け,公共財の供与が十分になされない状況において,人びとは,個別にエー ジェンシーを発揮して,さまざまな外部アクターと相互作用し,生存維持やリスク管理/対処を図 ろうとする。サマ・バジャウ移民コミュニティは地理的にはまとまった場所に在るものの,外部ア クターとのやりとりはサブグループ,世帯,個人の次元で差異化しており,もはや均質の空間を生 き て い る と は い い に く い 状 態 に あ る(Appadurai, Arjun. 1996. Modernity at Large: Cultural

Dimension of Globalization. University of Minnesota Press.)そのリアリティを描くとともに,マ

レーシア・サバ州の海サマ人の事例などとの比較を通じて,フィリピンという国家の性格が本事例 をどのように規定しているのか論考したい。

*東京大学東洋文化研究所;The Institute for Advanced Studies on Asia, The University of Tokyo, 7-3-1 Hongo, Bunkyo-ku, Tokyo 113-0033 / [email protected]

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4  フィールド・レポート 3 進捗状況 2014年8月末までは米国滞在,その後は別の共同プロジェクト(翻訳出版)遅延によるスケ ジュール管理の困難から,フィールドワークを行うことができない状況が続いている。ただし,現 地の調査助手や米国人宣教師とはときどき連絡をとり,調査地の変化する状況の把握につとめてい る。2016年1月∼3月の間に,3週間∼1ヶ月のフィールドワークを2回行う予定。また,2016年 度前期は担当授業がないため,5月および7月頃に3週間∼1ヶ月のフィールドワークを行いたい。 4 フィールドワークの代わりに行ったこと 2015年後半∼現在にわたり,おもに「グローバル・ペンテコスタリズム」,「開発と宗教」などに 関する文献サーベイを行いながら,1997年以来収集してきたデータとその解釈を見直す作業をして きた。また,制度的枠組みを分析するという関心から,長津一史氏による「マレーシア・サバ州に おける海サマ人の公的イスラームの経験」の事例を,自分自身の調査地における「フィリピン・ダ バオ市における海サマ人のペンテコステ派キリスト教の受容の経験」の事例と比較し,東京大学大 学院および北海道大学経済学部で講義を行った。また,この過程において,ダバオ市のサマ・バジャ ウ移民コミュニティ内部に生じている適応状態の多様性を説明するための枠組みとして,開発学に おける「社会的排除/包摂(social exclusion / inclusion)」概念に関する先行研究のサーベイも行っ た。これらによって,以下6. に述べる2015年1月以降のフィールドワークのための仮説を構築し, データ収集のための準備を進めた。

5 「社会的排除/包摂」の概念的フレームワーク

図1 経済的排除と文化的排除:再分配と承認

(出典) Kabeer, Naila. 2004. Social Exclusion, Poverty and Discrimination: Towards an Analytical Framework. IDS Bulletin 31(4): p.85, Figure 1.

図2:制度,アクセス,排除

(出典) Kabeer, Naila. 2004. Social Exclusion, Poverty and Discrimination: Towards an Analytical Framework. IDS Bulletin 31(4): p.87, Figure 2.

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4  フィールド・レポート 6 「社会的排除/包摂」概念を援用した問いと仮説 (1)調査地におけるサマ・バジャウの貧困は,周囲のほかのエスニック集団がしばしば語るよう に,本人たちの怠惰や「文化」が原因なのか? → 仮説:サマ・バジャウの貧困は,市場,政府サービス,ローカル・コミュニティ(宗教施設, NGOs ほか),家族/親戚ネットワークへのアクセスが阻まれていることによる。 (2)サマ・バジャウ移民コミュニティ内部におけるサブグループ(計5つ)ごとに見られる都市 経済生活への適応の多様性は,移住前における資源保有やスキル,あるいはモチベーションの差異 を反映したものなのか? → 仮説:それらの役割は否定できないが,似たような初期状態にあったサブグループでもダバオ 市での適応状態が異なることがある。それは,サブグループごとに,都市におけるメゾレベルでの 諸制度へのアクセスの差異を反映している。 (3)2013年4月時点では,すべてのサブグループにおいてペンテコステ派を含むエバンジェリカ ルなキリスト教の部分的,あるいは全面的な受容が生じた。これは,政府の社会政策が十分でない 状況のもとで,援助としての物質的資源の供与を求めたために生じたのか? → 仮説:政府の失敗をミッショナリが肩代わりしている側面は否定できない。しかし,都市経済 生活に比較的うまく適応し,海外出稼ぎ労働者が存在するサブグループまでがキリスト教化したこ とから,物質的利益のみのために入信したとはいいにくい。むしろ,入信により「キリスト教徒の バジャウ」という新しい社会的アイデンティティを獲得し,それがほかのエスニック集団から一定 の敬意をもって承認されることで,都市における生活空間の保障を得たことに意味があるのではな いか。ほかに,信仰実践が生活にもたらした精神的な意味もあると考えられる。 7 調査方法 住み込みによる参与観察とインタビュー調査。対象は,1999年実施のコミュニティ内の主観的不 平等調査で抽出した5つのサブグループを代表する世帯,およびその構成員。

誰が「バンサモロ(Bangsamoro)」なのか

─フィリピン南部新自治政府設立過程における民族概念の再編─

石 井 正 子

* 1970年前後,政治の中心から追いやられ,経済的に窮乏したモロ(主にイスラーム化したフィリ ピン南部の先住民)が,自決権を求めて武力蜂起した。以来45年が過ぎ,フィリピン南部の武力紛 争は世界で最も長い紛争となった。その紛争に終止符を打つべく,フィリピン政府と MILF(Moro Islamic Liberation Front モロイスラーム解放戦線)は,2012年10月に最終和平合意にいたるまで のロードマップを記した枠組合意(Framework Agreement on the Bangsamoro)に署名し,2014 年3月にバンサモロ包括的合意(Comprehensive Agreement on the Bangsamoro)に到達した。3

*こ

*立教大学異文化コミュニケーション学部・教授;The College of Intercultural Communication, Rikkyo University, 3-34-1 Nishi-Ikebukuro, Toshima-ku, Tokyo, 171-8501 / [email protected]

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フィールド・レポート

れにより,2016年にフィリピン南部に新たな自治政府を設立する予定である。本研究では,この過 程で生じた「バンサモロ(Bangsa Moro / Bangsamoro)」の民族概念に関する議論の考察を行った。

「バンサモロ(Bangsa Moro / Bangsamoro)」とは,モロ民族という意味である。モロとは,元々 はスペイン植民地勢力がフィリピンのムスリムを指して呼んだ他称であった。16世紀にマニラに植 民地政府をおいたスペインは,南部のイスラーム王国を征服しようとした際,住民が十字軍の敵で ある北アフリカのムーア(Moor)人と同じ宗教を信仰していたことから,軽蔑と敵意をこめて彼 らを「モロ」と呼んだ。

しかし,1960年代後半からフィリピンのムスリムを中心とした分離運動が展開されるなかで, MNLF(Moro National Liberation Front モロ民族解放戦線)や MILF はモロという蔑称を,およ そ10以上の民族言語集団からなるフィリピンのムスリムの総称に,また植民地支配と勇敢に闘った 民族の誇称に変えていった。彼らはまた,ムスリム以外の南部の住民を排除しないために,モロの 定義をムスリムに限定せず,再定義を行ってきた。 一方,一般的には,モロはフィリピンのムスリムの総称である。MNLF や MILF の革命勢力は モロを肯定的かつ包括的なアイデンティティに解釈し直していったが,とりわけ北部のキリスト教 徒の住民はモロを反乱者と同一視してきた。また,フィリピン南部のイスラーム化しなかった先住 民ルマド(諸民族集団の総称)の多くもモロのアイデンティティへの帰属意識を発展させてこな かった。 しかし,アキノ III 政権になり,南部に新自治政府を設立することが具体化していく過程におい て,一般のあいだの「バンサモロ」の捉え方に変化が見られるようになった。まず,「バンサモロ」 がアイデンティティとして,より積極的に公式に認められるようになった。例えば,アキノ III 大 統領は,枠組合意発表時に次のような演説を述べた。 この合意は新たな自治体(political entity)を創設する。それは,ミンダナオにおける我々 の祖先の戦いを象徴し,その栄誉を称え,我々のネーションの一部である彼の地(that part of our nation) の 歴 史 と 特 性 を 称 賛 す る 名 称 に 値 す る。 そ の 名 称 と は, バ ン サ モ ロ (Bangsamoro)である[川島 2014: 53]。 枠 組 合 意 お よ び 包 括 的 合 意 に お い て は, 既 存 の ム ス リ ム・ ミ ン ダ ナ オ 自 治 地 域(ARMM: Autonomous Region in Muslim Mindanao)に代わって「バンサモロ政府」を設立することが謳わ れた。上院・下院の代替法案においては,「バンサモロ自治地域」を設立することと文言が修正さ れたが,いずれにおいてもバンサモロを冠する政体を設立することが提唱された。

このようにバンサモロがより積極的かつ公的に認められた反面,バンサモロは,誰がそのアイデ ンティティに帰属するかをめぐって,争点化した。バンサモロ基本法案には,バンサモロのアイデ ンティティが以下のように謳われた。

<Article II Bangsamoro Identity>

Section1. Bangsamoro People.‒ Those who at the time of conquest and colonization were considered natives or original inhabitants of Mindanao and the Sulu archipelago and its adjacent islands including Palawan, and their descendants, whether of mixed or of full blood, shall have the right to identify themselves as Bangsamoro by ascription or self-ascription. Spouses and their descendants are classifi ed as Bangsamoro.

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フィールド・レポート

に住んでいたネイティブまた原住民,そして彼らの子孫は混血であれ純血であれバンサモロの アイデンティティに同定する,または自分自身で同定する権利がある。配偶者とその子孫はバ ンサモロに類する)

Section 2. Freedom of Choice. ‒ The freedom of choice of other indigenous peoples shall be respected.

(他の先住民の自由な選択は尊重される)

この定義によれば,バンサモロは,ルマドを含むことができる。一方,キリスト教徒の移民とそ の子孫は排除された。これに対し,ルマドの一部は,バンサモロのアイデンティティとルマドのア イデンティティを分けるべきだという主張を展開した。彼らは,バンサモロ基本法案に1997年に制 定された IPRA(Indigenous Peoples Rights Act 先住民族権利法)を盛り込むように主張している。

上述のバンサモロ基本法案の文言によると,ルマドが「バンサモロ」に含まれるか否かは,ルマ ド自身の自由選択が尊重されている。それにもかかわらず,ルマドから先のような主張が申し立て られたことの理由には,「バンサモロ」のアイデンティティが新自治政府における広義のシティズ ンシップに関わる問題として位置づけられていると考察することができる。 参考文献 石井正子.2015.「フィリピン南部の2つの先住民と平和構築:バンサモロ政府の設立に向けた動 きとその課題」『地域・草の根から生まれる平和』早稲田大学出版部, 21-39. 川島緑.2014.「南部フィリピン紛争:宗教的民族概念の形成と再定義をめぐって」『アジア太平洋 研究』39: 41-56.

Arguillas, Carolyn O. 2014. Murad to Lumads: We Will Not Repeat the Situation Where a Majority will Oppress the Minority , Mindanews, August 27, 2014.

Blanchetti-Revelli, Lanfranco. 2003. Moro, Muslim, or Filipino? : Cultural Citizenship as Practice and Process. In Cultural Citizenship in Island Southeast Asia: Nation and Belonging in the Hinterland, edited by Renato Rosaldo, pp.44-75. Berkeley and Los Angeles: University of California Press. Horvatich, Patricia. 2003.The Martyr and the Mayor: On the Politics of Identity in the Southern

Philippines. In Cultural Citizenship in Island Southeast Asia: Nation and Belonging in the Hinterland, edited by Renato Rosaldo, pp.16-43. Berkeley and Los Angeles: University of California Press. Editorial Desk, Luwaran. 2014. BBL and IPRA. Luwaran. Oct 25. 2014.

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4  フィールド・レポート

インドネシア・ジョコウィ政権の海洋軸構想について

本 名   純

* 2014年10月にインドネシア共和国の第7代目大統領に就任したジョコ・ウィドド(通称ジョコ ウィ)は,海洋政策の重点化を打ち出してきた。それはどのようなものなのか。政権発足から1年 が過ぎた今,その海洋政策の理念と困難を振り返ってみたい。 この海洋軸というコンセプトは,昨年6月22日,大統領選の対立候補とのテレビ討論会に出演し た時に公にしたものである。その後,大統領選挙の開票結果発表日の勝利スピーチでも言及するが, もっとも体系的に説明したのが,政権発足の翌月2014年11月にミャンマーで開かれた ASEAN 首 脳会議での演説である。 この海洋軸には5つの柱があり,海洋防衛,海洋外交,海洋資源開発,海洋インフラ整備,そし て海洋文化である。これらの5分野の発展を総合的に捉えるのが海洋軸ドクトリンだということで ある。海洋文化については,ここでは省くが,残りの4つについて少し詳しく見ていく。 海洋防衛に関しては,長く続いた経済成長をバックに,いまこそ海軍力を強化するというビジョ ンを掲げる。その背景には,インド洋と南シナ海を結ぶ海の交通は,毎日3,000隻を超す膨大なも のであり,この交通をホストするインドネシア海域で同国に対する主権の侵害があった場合,その 被害は多くの国に及ぶ可能性もあり,今ほど海軍能力の向上・近代化が求められているときはない という認識がある。 また,非伝統的安全保障の課題も大きい。330万平方キロメートルもあるインドネシア海域では, 違法漁業や木材密輸などの海上犯罪が蔓延している。犯罪対策は軍人ではなく文民の警察や法執行 機関の役目が中心になるが,インドネシアの海上警察や運輸省の海上警備艦のキャパシティは低 い。例えばコーストガードを設立し,海の法執行能力を飛躍的に向上させたいという狙いがある。 また,海洋外交の文脈において,海洋軸ドクトリンは,国境線や領土をめぐる域内対立を緩和す る外交につなげたいと主張する。インドネシアは南シナ海をめぐる係争国ではないものの,リアウ 州のナトゥナ諸島の海岸沖は九段線の中にある自国の領域だと主張する中国と対立しており,過去 4年間で何度も中国の漁政指揮センター(FLEC)がナトゥナでインドネシア海軍を挑発してきた。 インドネシアも黙っておらず,2014年4月には国軍司令官のムルドコ大将が,ナトゥナ防衛のため にジェット戦闘機や攻撃ヘリを現地に派遣すると発表し,明らかに中国を牽制する国防上の姿勢を 示した。この国軍の強硬路線の動きを横目で見つつ,他方で柔軟な外交の場に領土問題を埋め込も うという狙いがあり,ここで海洋軸ドクトリンを全面に掲げることで,外交のアリーナをバイから マルチへ転換していく。すなわちインドネシア・中国間のイシューから,インド太平洋の多国間の イシューに薄めることで,インドネシアの外交的自律性がリスクを受けないようにする。こういう 外交を展開する上で,海洋軸の打ち出しは戦略的な意味を持つと政権は考える。 海洋資源開発や,海洋インフラ強化といった課題も,海洋軸ドクトリンの重要な部分である。ガ スや石油といった海洋資源の発掘と有効利用,そして水産業への梃入れによる輸出の拡大という課 題は,政権の経済成長策としてきわめて重要である。また海洋インフラの強化は,インドネシア各

*立命館大学国際関係学部;The College of International Relations, Ritsumeikan University, 56-1 Toji-in Kitamachi, Kita-ku, Kyoto 603-8577 / [email protected]

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4  フィールド・レポート 地に港湾を増やし,電力を増やして冷凍設備を整えれば各地の漁業も発展し,海運を発達させるこ とで輸出のスピードを高め,運搬コストを低くするというビジョンを支える。インドネシア全土で 島々の間のコネクティビティ─が向上することで,ロジスティックが強化され,東インドネシアを 中心とした地方のローカル開発に大きく貢献し,それが国内格差の是正にもつながる,というのが 海洋軸の発想である。 このように,ジョコウィの海洋軸ドクトリンは,多元的で総合的なものであり,かつ決して海洋 だけを見ているものでもない。そのうち出しは,かなりはっきりとした意識に支えられている。そ れは,今のグローバル化時代のなかのインドネシアの国家アイデンティティを確立させたいという 強い対外的ナショナリズムに他ならない。 しかし,そのナショナリズムに支えられる海洋軸ドクトリンは,多元的・総合的な性格なゆえに, 関与するステークホルダーも多様である。またユドヨノ前大統領と比べれば,ジョコウィは外交問 題への関心は高くない。その状況は何を生み出すか。答えは,外交政策が多様なアクターの関与に よって競争的になるという展開である。単に競争的になるだけであれば,必ずしも懸念されること ではないが,アクターが自己利益のために海洋軸ドクトリンを解釈するようになると,政権のガバ ナンスが問われるようになってくる。 例えばジョコウィの右腕で,2015年9月の内閣改造で政治治安法務担当調整大臣に任命されたル フット・パンジャイタンは,海洋軸の名の下で行われる開発プロジェクトの優先順位を決める大き な影響力を持っている。400を超える国家開発プロジェクトが彼の机の上にあり,当然,様々な政 治的な効果を考えて優先度を判断する。ジョコウィを支える連立与党は国会基盤が弱く,政府法案 を国会に通すときには多数派工作を必要とするが,ルフットが管理する国家開発プロジェクトの入 札をめぐる情報は,国会対策の大きな武器になる。そういう流れが一度できてしまえば,海洋軸は 利権プロジェクトでしかなくなってしまい,その理念も形骸化していくことになろう。 類似の懸念は他にも見られる。2015年2月にジョコウィがマレーシアを訪問した際,インドネシ アと合同で「アセアン・カー」を開発する計画が首脳間で調印されたが,そのインドネシア側のカ ウンターパートは自動車業界ではまったく無名の会社で,ヘンドロプリヨノという退役将校でジョ コウィの選挙顧問も務めた政界の大物が所有するペーパーカンパニーであった。非常に胡散臭いプ ロジェクトである。もう一人,ジョコウィにはスルヤ・パロ(ナスデム党党首)という有名な選挙 資金パトロンがおり,彼もジョコウィ政権の誕生とともに,独自のネットワークで石油外交を進め, アンゴラや中国の石油商人をジョコウィに紹介している。中には国際犯罪で問題になっている人物 も含まれていた。 このように,ジョコウィが政権の目玉として掲げてきた海洋軸構想は,相当しっかり方向づけを していかないと,下のレベルに行くほど,投資プロジェクト案件に転化されて,それが政治的パト ロネージの資本となって,別次元の政治ゲームが,ジョコウィの知らないところで繰り広げられて いく。国会や地方議会の議員たちや政党幹部の多くは,海洋軸にまつわる利権にどう食い込むかに 熱心であり,この日常の政治は,ジョコウィの国家理念としての海洋軸構想を骨抜きにする危険性 を孕んでいる。それを避けるためには,ジョコウィが強いリーダーシップを発揮して,政権のガバ ナンスを強化する必要があろう。政権の船出から1年経ったが,そういうリーダーシップはまだ見 られない。

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4  フィールド・レポート

国境を超える「マレー世界」運動の可能性と問題

──「ドゥニア・ムラユ・ドゥニア・イスラーム」

(DMDI)

運動を中心に──

左右田 直 規

* 報告者は,国境を横断する「マレー世界」の連帯と汎マレー・アイデンティティの復興をめざす 政治的な動きとして,「ドゥニア・ムラユ・ドゥニア・イスラーム」(Dunia Melayu Dunia Islam: DMDI =「マレー世界・イスラーム世界」)運動の展開を研究対象としている。1999年にマレーシ アのムラカ(マラッカ)州首相に就任したモハマド・アリ・ルスタム(Mohd. Ali Rustam)が中 心となり,2000年に第1回会議(Konvensyen Dunia Melayu Dunia Islam: KDMDI)を開催した。 その後,DMDI はムラカに事務局を置きつつ,現在に至るまで16回の年次会議を「マレー世界」 の各地で開催している。なお,今年の第16回会議はインドネシアのジャカルタで10月20日に開催さ れた。同会議には,マレーシア各州の州首相のほか,インドネシア各州の州知事,フィリピン,南 タイ,カンボジア,スリランカ,マダガスカルなど「マレー人」コミュニティの代表が参加してい る。なお,DMDI 会長のアリは2013年5月の総選挙ではムラカ州議会から連邦下院に鞍替え出馬 したが落選,同年10月の UMNO 副々党首選でも惨敗した。その後,アリは上院議員に任命され, 現在も DMDI の会長職にとどまっている。アリの政治権力の低下は DMDI の活動にも影響を及ぼ していると考えられるが,現在まで DMDI の活動そのものは継続している。 今年度は,以下の作業を行った。(1)DMDI に関する先行研究の収集と検討を継続して行った。 (2)DMDI に関するメディアの報道をフォローするため,マレーシアの主要紙における DMDI に 関する過去記事を収集した。(3)9月下旬にマレーシアで調査を行い,DMDI に関する資料収集 を行った。今回は主に過去の DMDI の年次会議に関する資料を収集した。これらの資料に関して は今後分析していく予定である。 来年度は,上記の作業に加えて,以下の作業も行いたいと考えている。(4)マレーシアに出張し, クアラ・ルンプールおよびムラカにて DMDI の関係者を対象に聞き取り調査を行い,マレーシア 国内における DMDI の実態を明らかにする。(5)可能であれば,インドネシア(スマトラ)にも 出張し,インドネシア側の DMDI 関係者に聞き取り調査を行い,マレーシア国外における DMDI の実態について考察する。(6)DMDI 運動を国境を越える汎マレー主義運動の歴史的展開の中に 位置づけ,その特徴ならびに可能性と問題点を明らかにする。

*東京外国語大学大学院総合国際学研究院;Graduate School of Global Studies, Tokyo University of Foreign Studies, 3-11-1, Asahi-cho, Fuchu-shi, Tokyo 183-8534 / [email protected]

参照

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