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養蜂の歴史的大発明 採蜜用分離器140周年

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ミツバチ科学26(1):33-34 HoneybeeScience(2005)

養蜂の歴史的大発明

採蜜用分離器

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巣板を切 り取 り,これを圧搾 してハチミツを 搾 り取るのではなく,現在の多 くの養蜂の現場 でみ られるように,巣板を壊さないままで,ハ チミツだけを分離する,最初の実用的な分離器 は今から140年前の1865年に発表された. 、その発明者は,1819年3月13日にオース トリアのウィーンに生まれた,フランツ ・フォ ン・ルシュカFranzvonHruschka(図1)である. ルシュカは軍人 として,オース トリア陸軍の幹 部候補生を始まりに,1844年には砲兵隊中尉 となり,その後短期間オース トリア海軍に所属 しベネッイア (ベニス)にも駐在 した.1850 年に,大変裕福な家庭に育ったアン トニーエ ・ アルベル トと結嬉 し,1855年頃からミツバチ を飼い始めた.1857年か ら退役する1865年 までを,ベネッイアか ら西南西85kmの レニ ヤーゴの陸軍隊長 として過 ごしたが,1866年 にオース トリア皇帝がベネッイアを失 うと同時 に,ベネッイアの近 く (西 に 20km)の ド一 口に移 り,そこで大規模な養蜂事業を興 した. 当時の彼 は ドイツ語 圏の近代養蜂の父 と呼 ばれるヨハネス ・デ ィエルゾンJohannesDzi -erzon(1811-1906)の熱心な信奉者で, ドイツ の養蜂家,アウグス ト・フォン ・ベル レブシュ AugustvonBerlepschが開発 した巣枠 ではな く,ディエルゾン式の巣桟 (トップバー)を愛 用 していた.ルシュカの養蜂場を訪問 した見学 者によれば,彼の養蜂は固定枠式 と可動枠式の 中間的な形態であったという. 彼は採蜜用の分離器の製造を独 自に言式みてい た.第一回の ドイツ語圏養蜂会議は1865年に ブル ノ (チ ェコ東部, ウィー ンの北 100km) で開催され,彼はこれに参加 したが,その後も, 図1 採蜜用分離器の発明者フランツ・ルシュカ 1868年のダルムシュタッ ト,1869年のニ ュ ールンベルグでの大会に足を運んだ.この大会 を通 じて,彼はイタリアン種のミツバチを ド一 口から運んで紹介もしていた. さて,ルシュカの採蜜用分離器の仕組みは一 般に考えられているの とはやや趣を異に してい る,彼がベネッイアに滞在 している頃,当地で は砂糖がハチミツよりも大変高価であった.そ こで彼はハチミツから砂糖を抽出 して販売する ことで,養蜂業をより利益性の高いものにしよ うと考えた.当時,最新式の製糖工場では粘性 のある液状粗糖から砂糖を分離するのに遠心分 離法を用いてお り,これを知った彼はその応用 を試みたのである. ブルノでの ドイツ語圏養蜂会議に参加 した彼 は,巣板から貯蜜を取 り出すための最初の採蜜 器についての興味深い講演を行い,聴衆の大変 な関心を集めたという.会議直後の1866年に は,実用的な改良型が完成された.

彼の命名による "CentrifugalApparat(遠心 装置)"は,図2に示す ように,巣板を枠や桟 から切 り取ることな しに,中のハチミツを完全 に分離できるというものであった.図からわか るように,この分離器は現在よく普及 している ような受け容器の中で巣板が回転するものでは な く,代わ りに二つの排蜜口のある大きな水車 のような輪でできている.またこの分離器には ハ ン ドル と自由回転用のクラッチが付いてい る.地面から浮かせた脚部の間に置かれた石は,

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一一′ 図 2 ルシュカの発明した分離器の上面図と側面図 回転中の揺れを吸収 して,分離器を しっか り立 てるためである.水車を水平にしたような本体 を回転させることで,その内側に立てかけた巣 板から遠心力で外側に蜜が飛び出し,外側の壁 を伝って下に落ち

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か所の排蜜口へ集まる仕 組みになっている. この分離器は,全体が金属製で,製造はウィ ー ン南郊のレオポル ドドルフにあったサミュエ ル ・ベ- リンガ- SamuelB611inger社が担当し た.ルシュカは質の,また衛生上の観点からも 木製分離器 (図 3)の製造に否定的であった. 1868年にダルムシュタッ トの会議に出席 し たときに,ルシュカは分離器のさらなる改良点 について報告 した.まず分離器の下にアルコー ルランプを取 り付けて全体を温められるように し,粘度の高いハチミツでも分離ができるよう に した.技術的なポイン トとして,巣板を壊さ ないためには,巣板を2回裏返 して,1回目に はその面の半分だけを分離するようにするのが コツだと述べている. 実際には, 1867年にはパ リで開催された万 国博覧会に出かけ,巣板を裏返さな くても同時 に両面のハチミツが分離できる今 日のように巣 板を放射状に並べ る分離暑旨を初めて見たのだ が,彼はその方法では巣板が簡単に壊れてしま 図3木製の分離器 (1872年頃,オーストリア) うからという理由で気に入 らなかったらしい. 今 日,養蜂において採蜜用分離器は不可欠な ものになっている.過去か ら今後将来にわたり 分離器の発明 と改良が繰 り返され,それに伴っ てハチミツの品質が向上 し,また採蜜効率も向 上することはいうまでもない. ブル ノの ドイ ツ語 圏養 蜂 会 議 にお い て, 1865年 9月 13日に近代的な分離器の発明者 としてルシュカは表彰を受けた.そのときのブ ルノのアウグスチヌス派修道院のナップ院長に よる賛辞は次のようであった. 「みなさん,長年にわたって雇決されるべ く 努力の払われてきた問題が,今 日,幸運にも大 変よい方向で解決いたしま した.これは実用養 蜂の最も重要な問題であ り,この独創的な発明 はディエルゾン司祭の発明による可動巣板をさ らに重要でさらに価値のあるものにすることで しょう.その発明者はフランツ ・フォン ・ルシ ュカ少佐です.ここにみなさんの魂の声 として, この会議にこのような価値のある発明を紹介 し たルシュカ大尉に心からの御礼を申し上げたい と思います」. ル シュカは 1873年 に再度ベネ ッイアに移 り,1888年 5月 8日に貧困のうちに亡 くなっ たと伝えられる. (Ortsstr.32.D-98593Kleinschmalkalden,Germany 翻訳 中村 純)

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