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<記録> W・R・ランバス宣教師の足跡を訪ねて : ブラジル・アメリカ・中国への旅から (第42回関西学院史研究会)

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<記録> W・R・ランバス宣教師の足跡を訪ねて : ブ

ラジル・アメリカ・中国への旅から (第42回関西学

院史研究会)

著者

グルーベル ルース M., 多田 義治, 池田 裕子, 神

田 健次

雑誌名

関西学院史紀要

21

ページ

113-131

発行年

2015-03-15

URL

http://hdl.handle.net/10236/13029

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神田   ただいまより学院史編纂室主催の第四二回関西学院 史研究会・創立一二五周年記念シンポジウムを開催させて いただきたいと思います。ご存知のように今年は一二五周 年ということで、創立記念日を中心としてさまざまの大き な記念行事が行われてまいりましたが、今日も記念すべき 行事といえると思います。 関西学院の創立者のウォルター ・ ラッセル・ランバス先生は、ご存知のように世界各地で宣 教 の 足 跡 を 残 し て ま い り ま し た。 一 昨 年 よ り 同 窓 会 の 企

関西学院創立一二五周年記念シンポジウム

・ランバス宣教師の足跡を訪ねて

  

ブラジル・アメ

カ・中国への旅から

― 

       パネリスト  

ルース・

・グルーベル

︵関西学院院長︶               

多田

義治

関西学院同窓会企画委員長︶               

池田

裕子

︵関西学院大学学院史編纂室総合主管︶        コーディネーター                 

神田

健次

︵関西学院大学学院史編纂室長︶   

42回関西学院史研究会

︵二〇一四 ・ 一二 ・ 一六︶

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画委員長の任をおっておられる多田義治さんを中心といた しまして、ブラジル、昨年はアメリカ、そして今年は、つ いこの間でありますが、中国へランバス先生の足跡を求め て、ずいぶん多くの方々が一緒に 参加されてその足跡を訪 ねる旅をしてまいりました。この三年間の歩み、足跡を訪 ねる旅の記録を、この機会にもう一度振り返っていただい て、今日的な意味というのがどういうことなのかというこ とも合わせて一緒に考えたいと企画させていただきました。 今日は、パネリストとしてグルーベル院長、同窓会の企画 委員長の多田義治さんに お越しいただきました。それから、 学院史編纂室総合主管の池田裕子さんです。多田さんが三 回ご出席で、グルーベル先生は二回アメリカと中国、池田 さんはアメリカに参加されましたが、それぞれの立場から 発言をしていただきたいと思います。それではさっそく三 回とも企画され、全部回られた多田さんからパワーポイン トを使って、お手元の資料に即して始めさせていただきた いと思います。なお、司会をつとめますのは、学院史編纂 室長を務めております神田と申します。よろしくお願いい たします。 ︵拍手︶ 多田   ご紹介をいただきました多田義治でございます。同 窓 会 で は 企 画 委 員 長 を 仰 せ つ か っ て お り ま す。 関 西 学 院 大 学 を 昭 和 三 六 年に 卒 業 い た し ま し た。 本 日 こ の よ う な 席 に お 招 き い た だ き ま し て 大 変 光 栄 に 思 っ て お り ま す。 同 窓 会 が 三 年 企 画 で 実 施 を い た し ま し た﹁ W ・ R ・ ラ ン バ ス 博 士 の 足 跡 を 巡 る 旅 ﹂ は、 二 〇 一 二 年 か ら 始 ま っ て ブ ラ ジ ル 編 ・ ア メ リ カ 南 部 編・ 中 国 編 の 三 回 で 延 べ 百 名 の 方 に ご 参 加 を い た だ き、 一 一 月 一 〇 日 の 中 国 を 最 後 に 終 る こ と が で き ま し た。 三 年 間 で 世 界 を ぐ る り 一 周 す る よ う な 格 好 に な っ た わ け で す が、 そ の 間 何 の ト ラ ブ ル、 事 故 も な く 皆 さ ん 方 無 事に 帰 国 い た だ き、 ま た 現 地 で は そ れ な りに 大 き な お 役 目 を 果 た し て い た だ き ま し て、 た い へ ん 喜 ん で い る 次 第 で す。 今 日 は 私 の 方 か ら 実 施 い た し ま し た 旅 行 の 趣 旨 や 訪 問 先 を 足 早に 振 り 返 っ て 皆 さ んに ご 紹 介 し た い と 思 い ま す。 特に 、 昨 年 ア メ リ カ 南 部に ま い り ま し た の が、 最 大 の ハ イ ラ イ ト で い ちば ん 重 要 視 し た 企 画 で す。 と 申 し ま す の は、 ラ ン バ ス 家 の 母 教 会 で あ り ま す パ ー ル リ バ ー・ メ ソ ヂ ス ト 教 会 の﹁ ラ ン バ ス・ デ イ ﹂ が 年に 一 回、 一 〇 月 の 第 一 木 曜 日に 開 か れ る と い う 情 報 を 得 ま し た の で、 そ れに 照 準 を 合 わ せ て 実 施 い た し ま し た。 ﹁ ラ ン バ ス・ デ イ ﹂ は 長 年 続 い て い る 行 事 で あ り ま す が、 関 西 学 院 か ら 大 き な ミ ッ シ ョ ン で 参 加 し た の は 初 め て と い う こ と で、 地 元 関 係 者 の 方 々に 温 か い 歓 迎 を い た だ き ま し た。 そ の 時 の 様 子 が、 テ

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レビ、新聞等でも報道されましたので、テレビの報道の一 部を二分二〇秒のビデオで見ていただきます。 テレビビデオ報道 「 L B T ニ ュ ー ス = Lambuth   Day」   米 国 N B C 系 列 二〇一三年一〇月三日放送から 池田裕子さん、グルーベル院長がインタビューを受ける映 像   いかがでしたでしょうか、わずか二分二〇秒の映像でご ざいましたが、昨年の﹁ランバス・デイ﹂では、地元から 大きな歓迎をいただきました。ミシシッピー州の州都であ りますジャクソンから車で約一時間の距離にあるマディソ ン郡までバスでまいりましたが、ちょうど市のはずれから マディソン郡警察の白バイとパトカーが待機してくれてい ました。そこからは先導をして次々と交通を遮断して通し てくれたものですからあっという間に着いてしまいました。 そういういきなり思いがけぬ歓迎を受けた次第でございま す。   それでは、今から三年の企画を振り返ってまいりたいと 思います。そもそも学院創立一二五周年にあたって、同窓 会としての記念事業や記念行事を二〇一一年から企画委員 会で検討してまいりました。沢山の提案がございましたが、 実 行 さ れ た 最 大 の 行 事 は 今 年 の 五 月 三 一 日 ユ ニ バ ー サ ル・ スタジオ・ジャパンをほぼ貸切状態で実施しました総会で す。 ﹁ オ ー ル 関 西 学 院 フ ェ ス テ ィ バ ル ﹂ と い う 名 称 を 付 け 同窓・教職員・学院在籍者など関西学院に繋がる一万六千 人の方々にご参加をいただいて一日ユニバーサル・スタジ オ・ジャパンで過ごしたわけでございます。同窓会で掌握 している申込者を分析いたしますと、圧倒的に四〇歳以下 の方、また平成の卒業の方が多かったのです。だいたい同 窓会活動というとアフター六〇歳の人が活動の中心になる のです。二〇万人を超える同窓がいる中で、若い人や、近 年では大学卒業の半数近くが女性であることから、平素同 窓 会 活 動 に 参 加 い た だ け て い な い 層 を タ ー ゲ ッ ト に し た 企画が U S J の総会でございます。見事に的中いたしまし て、先ほど申しました四〇歳以下の人が約六八パーセント、 平成卒業の方が四八パーセントという結果が出ております。 そういった行事は、大変な精力を傾注しても一日限りでご ざいます。企画委員会で、なにか記念になる息の長い行事 を考えて提案されたのが﹁ W ・ R ・ランバス博士の足跡を 巡る旅﹂でございます。ランバス博士が関西学院を創立さ

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れる前、また後に大きな業績を世界各地で残されています が、あまり身近に紹介されていないので、一二五周年にふ さわしい事業として学院を創立した想いを同窓や現役の皆 さんと共有できるような形にしたいということで実施をい たしました。ただ足跡を訪ねて歴史的なこと ば かり追いか けても面白くないので、ブラジル・アメリカ・中国それぞ れ観光と、もう一つの目的を抱き合わせて実施をいたしま した。三つの国の訪問都市にある支部との交流会や協定校 との行事なども考慮しました。内外の多くの方に準備段階 からご支援とご協力をいただいて実施することができまし た。   最 初 は 二 〇 一 二 年 の ブ ラ ジ ル か ら 始 ま り 九 月 二 八 日 か ら 一 〇 月 八 日 ま で 一 一 日 間 サ ン パ ウ ロ、 リ オ デ ジ ャ ネ イ ロ、世界三大瀑布で有名なイグアスにも行ってまいりまし た。いち ば ん長い期間であり、お金もかかる、そして遠い。 日本のちょうど反対側ですから飛行機に乗っている時間だ けで最低二四時間以上というのは厳しかったようです。当 初は四〇人程度の参加者を目論んだのですが、初回は最少 催行人員の二〇名を集めるのに苦労しました。私の関係し ている支部・団体の方に助けていただいてやっと二〇人集 めたという状況でした。   皆さんのレジュメには訪問先や現地行事をすべて書いて ございますが、この画像で紹介するのはランバス博士の足 跡の部分を前面に掲げました。   ラ ン バ ス と ブ ラ ジ ル は、 ど ん な 関 係 が あ る か と 聞 か れ ま し た。 一 八 八 九 年 に 関 西 学 院 を 創 立 さ れ た 二 年 後 の 一 八 九 一 年 に ア メ リ カ に 帰 国 さ れ て、 米 国 南 メ ソ ヂ ス ト 監 督 教 会 の 伝 道 総 主 事 を つ と め ら れ、 そ の 後 最 高 位 の 監 督 に 就 任 さ れ て い ま す。 ブ ラ ジ ル に は 伝 道 総 主 事 時 代 の 一八九四年と一九〇四年の二回。一九一〇年に監督になっ てからは、毎年七月か八月に年会を主宰するために行って お ら れ ま す。 当 時、 飛 行 機 は あ り ま せ ん か ら ア メ リ カ か ら行くには相当な時間がかかります。ブラジルでは、毎年 一カ月ないし一カ月半ぐらい滞在をされたようです。ラン バス博士が監督に就任するまでブラジル年会は一つしかな かったのですが、活動が広がっていたので、一九一〇年に 年会を北と南に分け、南年会が設けられ、二カ所の移動は かなりの強行軍だったようです。ランバス博士はブラジル に行く度にリオデジャネイロに寄り各地へ向かわれました。 リオデジャネイロは町の真ん中に南メソ ヂ スト監督教会の ブラジル宣教拠点として最初に作られたカテテ教会があり ます。大きな聖堂の横に小屋のように見える建物が、最初

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に誕生した教会です。一九〇〇年代から大聖堂になってい ました。監督として訪れた一九一一年の写真が手に入りま したので、私どもは一〇一年前の写真と同じ場所で、記念 撮影をしました。前列の左から三番目がランバス博士です。 今回の前列三人目は元学長の平松一夫教授です。同じ格好 で撮った写真のひとコマです。そういったところを訪ねて まいりました。   第 二 回 は 昨 年、 ア メ リ カ 南 部 テ ネ シ ー 州 に ま い り ま し た。 ミ シ シ ッ ピ ー 州 の ジ ャ ク ソ ン、 そ れ か ら ナ ッ シ ュ ビ ル、 ニ ュ ー ヨ ー ク そ う い っ た と こ ろ に ま い り ま し た。 毎 回 大 き な 横 断 幕 を 持 参 し 写 真 を 撮 る 時 に 使 い ま し た。 ブ ラ ジ ル の 時 は 関 西 学 院 同 窓 会 ブ ラ ジ ル 交 流 団 と 書 い て あ り ま す が、 ポ ル ト ガ ル 語 に な っ て い ま し て﹁ Comitiva de Intercâmbio ao Brasil ﹂、 アメリカの場合は ﹁ Tracing Dr. W. R. Lambuth s Footsteps in the U.S.A. ﹂、こういう横断幕を 持参してまいりました。アメリカ南部の参加者は、三三名 でした。グルーベル院長、学院史編纂室の池田さんにも同 行いただきました。アメリカにつきましては、本当に池田 さんに準備段階から現地のコンタクトなど頑張ってやって いただきました。そして、年に一回一〇月の第一木曜日に 開 催 さ れ る パ ー ル リ バ ー・ メ ソ ヂ ス ト 教 会 の﹁ ラ ン バ ス・ デイ﹂に出席をいたしました。この教会は一八三三年に創 立されましたが、ちょうど関西学院が創立した一八八九年 に建て替えられてこの形になっています。すでに一九七三 年に教会としての役目を終え、電気、ガス、水道の設備も ないのですが、歴史建造物として保存されていて﹁ランバ ス ・ デイ﹂ にだけ使用されています。この教会の前にモニュ メントがございます。ここからランバス博士の父ジェーム ス・ ウ ィ リ ア ム︵ J. W. Lambuth ︶ が、 中 国 伝 道 に 旅 立 っ たと刻まれています。この教会の裏手にはランバス家の墓 地 が ご ざ い ま す。 ラ ン バ ス 博 士 は 中 国 に 眠 っ て い ま す が、 ここにはランバス家の方が眠っておられ、綺麗に整備され ています。   二○一三年の﹁ランバス・デイ﹂記念礼拝は、関西学院 からの参加者で教会がいっぱいになり、隣に大きなテント を張って私たちは教会の中に招き入れてくれて、一般の地 元 の 方 は た く さ ん 外 に 溢 れ た 記 念 礼 拝 で し た。 今 日 も 来 られています同窓会副会長の辰馬勝さんを団長とするアメ リカ交流団三三名が出席をいたし感動いたしました。後ほ ど院長がお話されると思いますが、その時に、ランバス家 の古材から作られた十字架が、グルーベル院長とミシシッ ピ ー 州 監 督 の ス ワ ン ソ ン︵ Bishop James E.Swanson,Sr. ︶

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さんに贈られた光景でございます。その後﹁ランバス・デ イ﹂の交流会がありました。集われた皆さんと親しく懇談 をする交流会がもたれ、本日も東京から参加されているメ ンバーの一人が折り紙を持参されて、作り方を体験してい ただくと同時に、皆さんにプレゼ ントしました。   州都のジャクソンでは、南メソ ヂ スト監督教会が創立し たミルサプス大学を訪問しました。ランバス家の歴史資料 をたくさん所蔵されております図書館を見学した後、学生 さんがキャンパス・ツアーをしてくれました。途中、関西 学院の時計台を彷彿させるような風景に出くわしたわけで す。なんとなく似ていますでしょう。   ﹁ ラ ン バ ス・ デ イ ﹂ に 来 ら れ て い た ミ シ シ ッ ピ ー 州 の 監 督のスワンソンさんは、その時に関西学院創立一二五周年 には行きたいと言われていましたが、今年五月二九日に関 西学院来訪が実現したのです。そしてランバス記念礼拝堂 でチャペルアワーをもっていただきました。その時の写真 です。アメリカ交流団のメンバー何人か集っていただいて、 チャペルアワーを一緒にすごさせていただきました。   テネシー州のナッシュビルでは、ランバスが神学と医学 を修めたヴァン ダ ビルト大学を訪問しました。公式ガイド の方が、我々の来訪までに図書館でたくさんの資料をひも 解 き、 ラ ン バ ス が 学 ん で い た 当 時 の 様 子 を 調 べ て ご 案 内 をいただき頭が下がりました。そして、ナッシュビルでは、 ランバスが初代牧師を務めたウッドバイン合同メソジスト 教会も訪れました。礼拝堂にはランバスがこの教会で最初 に牧師を務めたことを表す美しい配色のステンドグラスが あります。何年か前に泥棒が入ってこのステンドグラスが 壊されました。それを聞きつけた関西学院がその改修費用 の一部を募金したというお話も残っておりました。訪問し た 時 に 牧 師 さ ん が 訪 問 日 を 勘 違 い さ れ、 鍵 が か か っ て い たというハプニングがありましたが、実は牧師さんが考え ておられる日にち通り行ったら、三〇分でおいとまできな かったような歓迎の準備をされていたようです。今年の夏 休みにこのウッドバイン教会を高等部が訪問されておりま す。皆さんにお配りしている﹃学院史編纂室便り﹄のなか にもその様子が載っているかと思います。   アメリカの最後は、ニューヨークでした。ランバスが東 洋医学を研究して博士号を取得されたベルビュー大学病院 跡を外部から見学しました。その大学は、現在ニューヨー ク大学医学部に変わっておりますが、当時の施設はホーム レス関係に使用され残っていました。   そして今年の中国編で﹁ W ・ R ・ランバス博士の足跡を

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巡 る 旅 ﹂ は 最 終 回 で す。 一 一 月 六 日 か ら 一 〇 日 の 五 日 間 実施いたしました。この日程設定には、少し意味がありま し て、 一 一 月 一 〇 日 で ラ ン バ ス 博 士 は 一 六 〇 歳、 つ ま り 生誕一六〇年になるのです。従って、その時期に合わせて 一一月六日から一〇日を選定しました。今回は過去最高人 数の四七名の方に行っていただきました。ランバス博士は 一八五四年一一月一〇日に 上海で生れておられます。医療 宣教のために最初に赴任した地も上海でした。その後、江 蘇省の蘇州にも医療宣教を開始されて一八八三年一一月八 日、今から一三一年前に博習医院という病院を開設されま した。この病院を原点として一九〇〇年に東呉大学が誕生 し、現在の蘇州大学になりました。   まずは一一月七日に蘇州市に ある蘇州大学を公式訪問い たしました。写真の中央に立たれている蒋星紅副学長から、 関西学院と蘇州大学は創立者を同じくする大学だから今後 も深く関係を保っていきたいという、たいへん素晴らしい メッセージを私たちにいただきました。来年には蘇州大学 に関西学院大学オフィスが開設されるそうです。予定され ている国際センターの四一〇号室に は、すでに 什器が入っ ており見学をしてまいりました。そして、蘇州大学時計台 をバックに中央芝生で蒋副学長と私ども一行が記念撮影を しました。 こちらは、 蘇州大学の前身である東呉大学のキャ ンパスです。蘇州大学は江蘇省最大の総合大学で、キャン パスはいくつも分かれていますが、国際合作交流処︵国際 センター︶の陸恵星副処長に は、旧東呉大学キャンパス内 を要領よく案内いただきました。アメリカ南メソ ヂ スト監 督教会が建てた建物を見学しながら母校の雰囲気に 浸りま した。それからキャンパスの外へ足を延 ば して、一八八三 年一一月八日にランバス博士が義弟のパーク師と共に創立 した博習医院旧址︵蘇州市文化遺産︶を見学しました。現 在 は、 石 碑 か ら 六 〇 〇 メ ー ト ル 西 に 蘇 州 大 学 医 学 部 附 属 第一病院という蘇州市重点病院となっています。入口の大 きな看板には﹁一八八三年博習創立﹂と記されております。 その近くには、南メソ ヂ スト監督教会が創設した聖ヨハネ 教会︵聖約翰堂︶があり、こちらも蘇州大学の外に 位置し ているため行きにくいところ全員で訪問、牧師が喜んで迎 えてくれました。   そして上海に移動。一一月九日のランバス生誕一六〇年 の前日に当たりますが、朝一〇時から休恩堂︵ムーオンタ ン教会︶の礼拝に一行のほかに上海在住の同窓も誘って出 席しました。この教会は、ランバス博士が一九二一年に横 浜で亡くなった後、葬儀が営まれた場所でもあります。礼

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拝前の九時半から小さな礼拝堂で、関西学院創立一二五周 年を記念した特別祈祷会をもっていただきました。真ん中 におられるのが主任牧師さんです。その右は今回コーディ ネ ー タ ー と し て 同 行 い た だ き ま し た 福 岡 女 学 院 の 准 教 授・ 徐 亦 猛 先 生 で す。 関 西 学 院 大 学 神 学 研 究 科 の 博 士 課 程 前・ 後期を出られた、今日司会されています神田健次先生の教 え子です。上海生まれで、終始通訳なども引きけていただ きお世話になりました。   これまでが、三年にわたりますランバス博士の足跡に直 接関係あるところでございました。限られた期間では何か と難しいことも多かったのですが、関西学院に関係する内 外の方々に、あらゆる面でたいへんご協力をいただいた次 第でございます。   ついでながら手短に、この旅の中で実施した関連行事を こ こ に 載 せ て お り ま す。 ブ ラ ジ ル で は ブ ラ ジ ル 支 部 総 会・ 交流会をいたしました。交流団二〇名と支部から二〇名が 出 て 非 常 に 和 や か な 交 流 会 が 持 た れ ま し た。 関 西 学 院 か ら見ると地球の反対側にある世界中で一番遠方の支部です。 今回は、二〇一〇年関西学院と学術協定を締結したサンパ ウロ大学との初めての合同シンポジウム開催がありました。 大学から商学部の平松一夫教授、国際学部の鷲尾友春教授 が出られて、非常にいいタイミングでした。サンパウロ大 学は州立総合大学で州内に七つのキャンパスがあり学生数 八万人、南米最大の教育機関でございます。   それから、昨年はニューヨーク支部との交流会には交流 団から三二名、ニューヨーク支部から二一名が集い交流を いたしました。グルーベル院長、同窓会から辰馬副会長が ご出席されました。ことしは支部との交流会は、蘇州で K G 蘇州会の交流会を持たしていただきました。中国には多 くの同窓が活躍されておられますが蘇州にもこういう会が あることを直前に知りまして、ひと晩夕食をともにする機 会ができた訳です。それから上海支部とは、一一月九日休 恩堂の礼拝後、別の会場で支部から二〇名に参加いただき 交流会を開きました。支部会員は若い人が多くて楽しく和 やかに過ごしました。   同窓会の三年企画﹁ W ・ R ・ランバス博士の足跡を巡る 旅﹂は、ランバス博士のルーツや偉業に触れただけでなく、 関西学院が一二五年間に築いた同窓の絆を深める機会にも なりました。また、学院が目指す世界市民とは何かを体感 し、次代に向かっての大きなステップになったと思ってい ます。私の報告はこれにて終らせていただきます。ご静聴 ありがとうございました。 ︵拍手 ︶

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神田   ただいま多田さんから三回に亘るランバス先生の足 跡を巡る旅をたいへん分りやすくポイントを得てご説明い ただきました。本当にありがとうございました。それでは そのお話を受けて、続きましてグルーベル院長からアメリ カと中国の方に実際に行かれた旅のなかからお話を伺いた いと思います。ではよろしくお願いします。 グルーベル院長   皆さま、こんにちは。私は﹁ W ・ R ・ラ ンバス博士の足跡を巡る旅﹂に、二度参加させていただき、 感謝しています。ご一緒させていただいた皆さまが素晴ら しく、旅を一層楽しいものにしてくださいました。   まず、昨年、アメリカのパールリバー教会でいただいた 十字架について紹介します。この十字架は木製でしっかり した造りですが、 それほど重くはありません。 近所のマディ ソ ン 合 同 メ ソ ジ ス ト 教 会 の メ ン バ ー で あ る ジ ム・ ミ ラ ー ︵ Jim M ille r ︶ ん が 、ウ ォ ル タ ー ・ ラ ン バ ス 先 生 の 祖 父 、ジ ョ ン・ランバス︵ John Russell Lambuth ︶さんが住んでおら れた家の板から作られました。この家は一八四七年に建て られ、ジョン・ランバスさんの後、現在の所有者であるロ イ・ ハ ー ト︵ Roy Hart ︶ さ ん の 一 家 が 管 理 し て い ま し た が、老朽化のため取り壊されました。その際、まだしっか りしている板は残し、テーブルや馬小屋など様々な用途に 再利用されました。この板はサイプレス︵イトスギ、セイ ヨウヒノキ︶なのですが、近くのパールリバーの川沿いに はたくさんのサイプレスがあったそうです。ロイ・ハート さんによると、この板は床の根太だったのではないかとい うことですが、十字架の茶色い部分も、真ん中の黒い部分 もどちらも同じ板から取られたそうです。ウォルター・ラ ンバス先生が若いころ、お祖父様の家を訪ねた時、この板 の上を何度も歩いたことでしょう。ランバス先生だけでな く、お父様のジェームズ︵ James William Lambuth ︶さん や お 母 様 の メ ア リ ー︵ Mary Isabella Lambuth ︶ さ ん、 お 祖父様のジョンさんの足音も感じられるような気がします。 この十字架は関西学院大学博物館に保管されています。ま たスワンソン牧師にも贈られましたので、ミシシッピーの メソジスト教会にもこれと同じ形の十字架が保存されてい ます。   先月の中国の旅では、徐先生にいろんな教会に案内して い た だ き、 ラ ン バ ス 先 生 の 葬 儀 が 行 わ れ た 沐 恩 堂︵ Moore Memorial Church ︶に も行きました。中国のキリスト教は 日 本 や ア メ リ カ と は 組 織 が 異 な り ま す が、 大 変 熱 心 な 信 者さんがおられ、心の悩み、生活の悩み、人生の悩みのあ る方々が教会での交わりによって勇気を持って互いに支え

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あっている姿を目にしました。沐恩堂は大勢の信者さんが おられ、私はイエス・キリストぐらいしか聞き取れません でしたが、牧師も熱意をもって説教をされていました。皆 さんがしーんと静かに聞かれていました。何百人もいたと 思います。 多田   千人入るんですが入りきらなくて、第二礼拝堂とか 小さな会議室全部モニターを置いて、いっぱいだったです ね。一日四回ある礼拝の二回目に出たのですが、それが一 番多いそうです。朝の一〇時からというのが。 グルーベル院長   ランバス先生や、お父様、お母様が中国 で始められた教会や福祉活動、 教育活動などが、 形は変わっ ても、大勢の人たちに大きな影響を与え、慰めと励ましを 送りつづけているように感じました。   スワンソン牧師が今年五月に関西学院に来られた時、上 ケ 原 の ラ ン バ ス 記 念 礼 拝 堂 で お 話 を さ れ ま し た。 ﹁ ラ イ オ ンキング﹂の﹁自分は誰であるかを忘れてはならない﹂と い う メ ッ セ ー ジ に 例 え て、 ﹁ 私 た ち は﹃ 神 の 子 ﹄ で あ る こ とを忘れてはいけない﹂というお話でした。日本に住んで いる私たちも、アメリカに住んでいる人も、中国に住んで いる人も、ブラジルに住んでいる人も、みんな同じ﹁神の 子である﹂というつながりをもっています。この旅でそれ を改めて感じました。皆さま、どうもありがとうございま した。 神田   引き続きまして、アメリカへ行かれました池田さん にお話をしていただきます。よろしくお願いいたします。 池田   学院史編纂室の池田裕子と申します。冒頭のテレビ ニ ュ ー ス の 映 像 で 最 初 に 登 場 し た の が 私 で す。 パ ー ル リ バー教会で、マスコミ︵新聞社、テレビ局︶の取材を受け ました。大きなテレビカメラが私に向けられた時どうしよ うかと思いましたが、立場上インタビューを断ることはで きませんでした。もう若くはないので、心臓には毛が生え ていますが、英語が苦手な私にとっては、英語で口頭試問 を受けたような気分でした。私は留学経験がありませんか ら、あのひどいカタカナ英語は関西学院で身に付けた英語 ということになります。   このような大歓迎を受けたことにより、 ﹁ランバス ・ デイ﹂ を主催している地元の方々は私たちの訪問をどのように受 け 止 め て い る の だ ろ う と 考 え さ せ ら れ ま し た。 ミ シ シ ッ ピー州の方々にとっては、一五九年前に自分たちが中国に 送り出した若き J ・ W ・ランバス夫妻︵関西学院創立者の 両親︶の蒔いた種が大きな実りをもたらしたことを示す象

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徴的な出来事だったのかもしれません。それから、アメリ カ の デ ィ ー プ・ サ ウ ス と 呼 ば れ る 地 域 を 南 部 出 身 で な い アメリカ人のグルーベル院長と行動を共にしたことも私に とっては得難い経験となりました。ランバスの母メアリー が南部の人ではなく、ニューヨーク州出身だったことを実 感しました。   本日は、アメリカ南部編の実施にあたり、先方とどのよ うに連絡を取ったかということについてお話ししたいと思 います。   多田さんから同窓会が企画した創立者の足跡を巡る三年 計画のツアーの話を伺った時、素晴らしい企画だと思いま した。その二年目となる二〇一三年の目的地をアメリカ南 部 と し た い が、 具 体 的 に ど こ を 訪 ね た ら い い だ ろ う と 相 談を受けました。私は、ランバス・ファミリーの故郷ミシ シッピー州パールリバーとランバスが大学生活を送ったテ ネシー州ナッシュビルをお勧めしました。   ミシシッピー州のパールリバー教会︵今は教会としての 役割を終え、史跡となっています︶では、毎年一〇月の第 一木曜日に、 地元の方々とランバス ・ ファミリーの子孫︵創 立者の直系は孫の代で絶えています︶ が集まり、 ﹁ランバス ・ デイ﹂の礼拝が行われています。その礼拝に参列する形で ツアーを実施すれ ば 何よりの記念になると思いました。   この礼拝には古い歴史があります。一九〇〇年、ランバ ス家の働きを記念し、教会の正面に記念碑が建立されまし た。以来、毎年記念礼拝が行われるようになりました。そ れが﹁ランバス・デイ﹂と命名されたのは一九二七年のこ とだそうです。このパールリバー教会には関西学院から何 度か訪問団を送っています。創立九〇周年を記念して行わ れ た 海 外 諸 大 学 視 察 旅 行 で は、 久 山 康 理 事 長・ 院 長 以 下 七〇名の教職員が立ち寄りました。また、二〇〇四年には、 ランバス生誕一五〇年を記念し、山内一郎理事長、畑道也 院長、平松一夫学長、田淵結宗教総主事が訪問されました。 その時、私も同行しました。いずれの機会も、関西学院発 祥の源ともいえる教会で礼拝の時が持たれました。しかし、 そ の 礼 拝 は こ ち ら の 旅 程 に 合 わ せ た も の で、 ﹁ ラ ン バ ス・ デイ﹂に参列するという形ではありませんでした。   それから、もうひとつの訪問候補地ですが、ランバスは テネシー州ナッシュビルにあるヴァン ダ ビルト大学で医学 と神学を学びました。学びながら、ウッドバイン教会の初 代 牧 師 を 務 め ま し た。 教 会 に は 馬 で 通 っ て い た そ う で す。 教会の建物は既に建て替えられていますが、ステンドグラ スにランバスの名が刻まれていると聞いていました。その

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ステンドグラスを見て、若き日のランバスの働きに思いを 馳せることができると思いました。今から一〇年前、ウッ ドバイン教会に泥棒が入ったことを先ほど多田さんがお話 しになりました。そのことを関西学院に知らせてくださっ たのは学会でナッシュビルを訪問された法学部の鮎川潤先 生です。実は、ナッシュビルでランバスに関係ある教会は どこですかと、鮎川先生は日本を発たれる前、私にお尋ね になっていました。お時間があったら、ウッドバイン教会 をぜひお訪ねくださいと、私は申し上げていました。   多田さんは、私の提案に賛同されました。そして、現地 関係者に打診してほしいとおっし ゃ いました。それは、ツ ア ー 実 施 の ち ょ う ど 一 年 前 の こ と で し た。 ﹁ ラ ン バ ス・ デ イ﹂に出席されたランバス・ファミリーの子孫から、私は 毎年礼拝の様子をお聞きしていましたので、翌年の予定を 尋ねたり、同窓会が参列を考えていることを連絡したりす るのに、ちょうど良いタイミングでした。実際、私が真っ 先に連絡したのは、創立者ランバスの父の弟の子孫に当た るジョン ・ サウス ・ ルイス︵

John South Lewis

︶さんでした。 こうして、二つの教会とその近くにある大学を回るという 案ができました。二つの大学とは、ミシシッピー州ジャク ソンで、地域のメソジスト教会の記録を収集しているミル サプス大学とテネシー州ナッシュビルにあるランバスの母 校ヴァン ダ ビルト大学です。   八月になると、ツアーに同行するよう同窓会から頼まれ ました。そこで、私が打診したミシシッピー州とテネシー 州の訪問先に関しては同行し、その前後に独自の資料調査 を行う計画を大急ぎで立てました。   ミシシッピー州は、私自身が二〇〇四年のランバス生誕 一五〇年の時訪問していましたので、関係者との連絡・調 整はスムーズでした。特に、ミルサプス大学アーカイブズ ︵ J. B. Cain Archives, Millsaps College ︶のデブラ・マッキ ン ト ッ シ ュ︵ Debra McIntosh ︶ さ ん が 力 に な っ て く だ さ いました。お目にかかったことはなかったのですが、同じ 仕事をしているという安心感から、何でも相談することが できました。私が牧師でしたら、まず教会に連絡したかも しれません。やはり同業者の方が話しやすいのです。ミル サプス大学では、本当に心温まるおもてなしを受けました。 例え ば 、先ほどの写真に もありましたが、私たちが訪問し た時、デブラさんは軽食と飲み物をミルサプス大学創立者 の肖像画の前に美しく並べて私たちを迎えてくださいまし た。また、キャンパス・ツアーのあと、一人一人に記念品 をくださいました。デブラさんとは帰国後もランバスに 関

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する資料のことなどで何度か連絡していますが、実際にお 目にかかったということは大きく、ご迷惑かもしれません が、より一層頼れる存在になりました。   ﹁ランバス ・ デイ﹂ を企画 ・ 実施している歴史委員会 ︵ Pearl River Church Historic Council ︶ の エ ル バ ー ト・ ヒ リ ア ー ド︵ Elbert Hilliard ︶ さ ん と も 何 度 も メ ー ル の や り と り を しました。エルバートさんは心配性で、私たちが昼食をと るレストランからパールリバー教会までの移動が心配でた ま ら な か っ た よ う で す。 多 田 さ ん が お っ し ゃ っ た よ う に、 最 終 的 に パ ト カ ー と 白 バ イ に よ る 先 導 を 手 配 さ れ ま し た。 白バイをご覧になったグルーベル院長は大喜びされました。 す べ て の 行 事 を 終 え、 私 た ち が 教 会 を 後 に す る 時 は、 ﹁ も う行ってしまうのか。涙が出そうだ﹂と言って別れを惜し まれました。   ﹁ ラ ン バ ス・ デ イ ﹂ に は 今 も 地 元 に 住 む ラ ン バ ス・ フ ァ ミ リ ー の 子 孫 が 参 列 さ れ ま す が、 遠 方 か ら 来 る 方 も お ら れ ま す。 昨 年 は ド ン・ メ ッ サ ー ス ミ ス︵ Donald Messersmith ︶さんと二人のお嬢様、 そして甥のビル ・ シェ レ ル ツ︵ Bill Sherertz ︶ さ ん が 来 ら れ ま し た。 ド ン さ ん に 同 窓 会 ツ ア ー の こ と を お 知 ら せ し た 時、 ﹁ そ れ な ら 私 も 初 めて﹃ランバス・デイ﹄に参列しよう﹂とお返事をくださ いました。しかも、ジャクソンで私たちと同じホテルに滞 在できるよう手配されました。私がドンさんと知り合った のは、関西学院が行ったランバス生誕一五〇年記念行事出 席のためご夫婦で来日された時でした。残念ながら、奥様 の シ ェ リ ー さ ん︵ Margarita Park Sherertz Messersmith ウォルターの妹の孫︶はその前年亡くなられました。私は ツ ア ー の 参 加 者 よ り 一 日 早 く ジ ャ ク ソ ン 入 り し ま し た の で、ドンさんとゆっくりお話しする時間を持つことができ ました。嬉しいことに、ドンさんは昨年の参加がご縁とな り、今年の﹁ランバス・デイ﹂でメアリー・ランバスにつ いてお話しされたそうです。   次に、テネシー州ナッシュビルでお世話になった方々で す。関西学院大学は数多くの海外の大学と協定を結んでい て、アメリカだけでも三〇校以上に上ります。しかし、残 念なことに創立者の母校ヴァン ダ ビルト大学とは協定を結 んでいません。私は、一度だけお会いしたことのある同大 学職員マリー ・ マーティン︵ Marie Martin ︶さんに連絡し ました。マリーさんは、二〇一〇年に日米教育委員会フル ブライト交流プログラムの一員として関西学院に来られま した。その歓迎昼食会に出席した私は、ヴァン ダ ビルト大 学が関西学院創立者の母校であること、吉岡美国第二代院

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長を始め、何人もの教師や卒業生の留学先であったことを 話しました。そんな私のことをマリーさんは覚えておられ たようで、快く関係部署の職員を紹介してくださいました。 私は、ランバスが学んでいた頃のキャンパスの様子が想像 できるようなツアーをして欲しいとお願いしました。する と、 同 大 学 の 歴 史 に 詳 し い ラ イ ル・ ラ ン ク フ ォ ー ド︵ Lyle Lankford ︶ さ ん と い う 方 が、 ラ ン バ ス が 使 っ て い た 校 舎 の前からスタートする素晴らしいツアーを提供してくださ いました。   交 渉 に 苦 労 し た の は ウ ッ ド バ イ ン 教 会︵ Woodbine United Methodist Church ︶ で す。 手 紙 を 出 し て も、 メ ー ルを送っても反応がなかったのです。日本から電話もかけ ました。さらに、ミルサプス大学のデブラさんにもお願い して、連絡を取っていただきました。こうしてようやく約 束できた日時に教会を訪問してわかったことは、牧師が日 を 勘 違 い し て お ら れ た こ と で す。 そ れ で も 何 と か 教 会 に 入ってステンドグラスを見ることができました。少し遅れ て牧師も駆けつけられました。   今年、高等部の夏期英語研修旅行に同行されるデルミン 先生からナッシュビルでの訪問先について相談を受けまし た。昨年の同窓会ツアーが大成功だったことを知り、生徒 を連れてヴァン ダ ビルト大学とウッドバイン教会を訪ねた いと思われたそうです。ヴァン ダ ビルト大学のライルさん は既に退職されていましたが、昨年同様、素晴らしいキャ ンパス・ツアーをしてくださったそうです。また、ウッド バイン教会では日曜礼拝に出席し、大歓迎を受けたそうで す。 昨 年、 私 た ち の 訪 問 日 を 勘 違 い し た 牧 師 の 姿 は な く、 新しい牧師に代わっていたそうです。   同窓会が訪問した教会を翌年、若い高校生のグループが 訪ねて大歓迎されたことは、本当に嬉しいことです。また、 関西学院の知名度が東京方面で低いと耳にすることがあり ますが、ミシシッピー州のある地域では抜群の知名度であ ることもよくわかり、大変心強く思いました。 神田   今日はシンポジウムということですが、三年に亘っ て旅を、経験をいろいろ共有され、その意義をいっしょに 考えるという側面がありますので、先ほど多田さんからお 伺いしたら三回とも行かれた方は九名ぐらいいらっし ゃ る のでしょうか。 多田   三回で延べ一〇〇名と申し上げました、三回参加さ れたのは九名で、二回行かれた方が二六名、ですから三回 で延べ一〇〇名ですから、六五名の方に行っていただいた

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多田   三回ご出席された方は大阪支部の澤さんですね。 神田   澤さんよろしくお願いいたします。 澤  大阪市の住吉に住んでおります。多田さんとは同窓会 の公認団体になっています食文化研究会でご一緒しており ま し て、 こ の 企 画 が で き る 五 年 前 か ら、 ﹁ 来 年 ブ ラ ジ ル 行 くから夫婦で来なさい﹂というまったく説得のような形で 要望を受けておりました。夫婦でよく海外に行くのですが、 ここ三年間はこれで十分妻に義務を果たせるなと、多田さ んの熱意ある説得にも応じまして参加させていただきまし た。 三 回 そ れ ぞ れ 個 人 的 に 興 味 を 持 っ て お り ま す が、 い ち ば ん関心がありましたのは、元々大阪市の職員なんです が、関西学院を出まして金融機関におりまして、そのあと 大阪市に入って第一の赴任先は大阪市立大学でした。公立 の大学です。市民が建てた大学であるということで、関学 はマスタリー・フォア・サービスですが、大阪市大は市民 に還元するかたちの大学で教員の方々もかなりそういう意 識を持っておられます。三回行きまして、ランバス先生の 非常に献身的な行動、これには非常に私たちも感銘を受け たのですが、各大学を訪れた時にその大学はどんな形で継 承されているのか考えさせられました。サンパウロ大学で もそうだし、アメリカのヴァン ダ ビルト大学でもそうです ということになります。大きいですね。 神田   それではアメリカの旅の団長を務められた辰馬副会 長より何か行かれたご経験についての感想をいただけたら と思います。 辰馬   辰馬でございます。私はアメリカの本土を訪ねる旅 に参加させていただきまして、本当に貴重ないい経験をさ せていただいたと思っております。これもひとえに皆さま 方 の ご 準 備 の 賜 物 だ と 思 っ て お り ま す。 ま た グ ル ー ベ ル 先生がご一緒に行っていただいたということが、大きくプ ラスの影響になったというふうに感謝しております。特に パールリバー教会を訪問したこと、その他向こうの方々が 関西学院に対して温かい歓迎をしていただいたこと、そし てまたランバス博士が、現地では本当に歴史上重要な人物 になっておられる、非常に尊敬されていることを身をもっ て感じたことでございます。私はアメリカだけしか訪問し ておりませんでしたが、ぜひとも三回にわたって旅行され た方々のご意見もぜひ聞きたいというふうに思っておりま す。本当にありがとうございました。 ︵拍手︶ 神田   ありがとうございました。今日はとくに、三回とも 出席された方もおられますのでぜひご感想をお願いいたし ます。

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し、上海の蘇州大学でもそうでした。去年行った時にアメ リカの場合は、大学というのは寄付文化で支えられている と、今回関学も一二五周年ということでいろいろとおつく りになっておられますが、大学は自分たちのまちの誇りで あるし、成功された方は社会還元するということで大学を 支えるためにいろんな寄付行為をされている。卒業生でな くてもいろんな方が寄付をされている。そういうことに感 銘をうけたのですが、日本の大学では官主導、国立大学が メインで、私学の場合も募金活動をしていますが、 O B と してあるいは OG として母校に何ができるかというと、同 窓会活動の原点を考えた時同窓生同志の交流が同窓会の役 割かもしれないけれども、母校を支援する役割が非常に大 きいであろう。そのなかで現役学生に対して O B が何か貢 献できるかたちの大学が望ましいのではないかなとこんな ふうに感じました。旅行はどうだったかといえ ば ランバス 先生の偉大な功績、これには感服した。これだけ申しあげ て、あとは大学のあり方はどうあるべきかということを考 えさせていただいたなということです。 神田   東京から来られた方にも、一言お願いいたします。 川田   突然に困るのですが、私と大倉さんと今出席させて いただいているのですが、五〇年以上前に関西学院を卒業 し、東京同窓会に属していまして、日頃いろいろ参加して いるお蔭でこういう情報も知りました。たまたま参加しま してとてもいい経験をさせていただいて本当に感謝いたし ております。学生時代もっと勉強をしていたらよかったの ですが、ただ卒業しただけでこんな良い目に遭わせていた だけるのは何よりランバス先生に感謝しなけれ ば ならない なと思いましたのでお礼申し上げます。ありがとうござい ました。 ︵拍手︶ 神田   それから今年の渡辺団長、お願いいたします。 渡辺   こんにちは、渡辺です。私は上海へ行かせていただ き ま し た。 上 海 に 着 い た 時 に 多 田 さ ん か ら﹁ 渡 辺 さ ん 上 海 は 何 べ ん 来 て い る ん や ﹂ と 聞 か れ、 ﹁ 一 五 〇 回 ぐ ら い か な﹂と答えたら家内が横から﹁二〇〇回以上﹂と。女の人 は怖いです。チェックしていました。それくらい中国には 来ていましたが、本当に今回のツアーが私にとっては最も 印象に残っているツアーです。院長先生とご一緒だという ことでまず緊張しましたが、もし何かあった時、俺が体で 守らないといけないと思っていました。あるところからい ろいろなことが出て来ましたので、中国大丈夫ですかと言 われ、私が守りますと言ったら笑っておられました。そん な変な雰囲気もなく、蘇州大学のツアーは歩くのが辛くて

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これは参ったと思ったのですが、今、こういうふうに振り 返って見ていますと、いろんなこと見せていただいてあり がたかったなと思います。ムーオンタンで私は三回くらい 礼拝を経験しているのですが、今度の礼拝が、中国のキリ スト教の伸びというのか隆盛というのか、本当にすごくて、 熱気のすごさを感じました。最初の時はそんなにも思わな かったのですが、今回はキリスト教の礼拝というのを中国 の人が頑張ってやっているなということを感じました。あ と、院長先生のお供をして他の上海の教会を回ったのです が、やはりすごいです。でも共産党が支配していますので 制限はあると思うのですが、我々のプロテスタントとカト リックの教会は北京にあるのですが、聖公会の教会だけが 上海であることを許されておりまして行きました。ミラノ のドゥオモのステンドグラス、あれよりすごいなと思うよ うなステンドグラスがありまして、中国政府がお金を出し たらしいのですが、やはり支配されている部分があるので これはしんどいだろうなというのが、その点キリスト教は 自由な発想でものごとを考えられるので幸せだなと思いま す。最近つくづく思っていますのは、なぜ大学の時に勉強 しなかったのかなということで、ここ十何年同窓会や学校 に関係するようになってから、勉強ではないのですが、割 合まじめに学校に来るようになりまして、学生の時に﹁お 前もうちょっとしっかりしとったらなあ﹂というのが、最 近の反省です。ありがとうございました。 ︵拍手︶ 多田   渡辺さんは中国交流団の団長で、同窓会の副会長で ございます。今仰っていましたが、三回とも何もなかった と申しましたが、じつはセキュリティ面でたいへん神経を 使いました。とくにブラジルと中国、そのへんを事前にい ろいろ準備をいたしました。こんなことまでやらないとい けないかなと思ったことをやった結果、無事に皆さん楽し く過ごされたのではないかと思います。 神 田  も う 少 し 時 間 が あ り ま す の で、 元 院 長 の 宮 田 先 生、 山内先生もおられますので、一言いかがでしょうか。 宮田   一〇〇周年の時に院長を仰せつかっておりました宮 田 で す。 今 日 の 報 告 を た い へ ん 印 象 深 く 聞 か せ て も ら い ました。私はどのツアーにも参加しなかったのですが、だ い た い 私 の 性 質 は 自 分 も つ い そ の 気 に な り ま す。 で す か ら行っていないのに報告をうかがって映像を見ていますと、 自分もその場所におったような感じになりましてたいへん 感激して見ておりました。ありがとうございました。   もうひとつは、私が院長になって間もなく、ジャクソン に あ り ま し た 当 時 ラ ン バ ス カ レ ッ ジ と 呼 ん で い た 学 校 の

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学長が訪ねて来まして、その時お土産にとランバス先生の 持っていた杖の複製をいただきました。アカデミックプロ セッションといって、式で、学長などがガウンを着て出て くる時、映画などにもありますが、権威の象徴の杖を手に しています。ランバスカレッジでは、ランバス先生の竹で できた杖を使うのだそうです。その複製をプレゼ ントする と言って、立派な松の木をくり抜いたケースに 杖を入れた のをいただきました。私は今話を聞いていてあの杖はどこ に行ったのかなと思いました。 池田   学院史編纂室で保管しております。 宮田   安心いたしました。いまお話にあったジャクソンに ある行かれた大学とは。 池田   ミルサプス大学です。 宮田   それは前のランバスカレッジですか。 池田   ランバスカレッジはミシシッピー州ではなく、テネ シー州のジャクソンにありました。 神田   山内先生、ひと言お願いします。 山内   私も、今日のたいへん有意義な会に 参加をさせてい ただいて感謝をしております。現職時代にブラジル、アメ リカ、中国それぞれいろんな形で訪問させていただきまし た。ブラジルには宮田先生もご一緒させていただきました。 今回多田さんのたいへんなご尽力で同窓会を中心に三回に 亘るランバス宣教師の足跡を訪ねる旅が、普通の意味での 成功というのでなくて意味のあるプログラムとして終了し たことを皆で喜び感謝したいと思います。私は一九七九年、 学院の九〇周年の時に先ほどお話がありましたが、久山理 事長・院長のお骨折りでランバス先生の生涯をフィルムに 収めるプロジェクトがありました。その時に初めてアメリ カのパールリバー教会に行きました。映画を撮影しながら で大変ヘビースケジュールな旅行でしたが、いよいよナッ シュビルから南下してパールリバーに行く時は、関西学院 のルーツにいまから行くのだと興奮しました。現地に行っ てみますと、さっきフィルムでご覧に なったように 木造の たいへん素朴な小さな礼拝堂と家族の記念碑、それから祖 先のお墓があるだけで、いよいよ関西学院のルーツという ことで胸が高まっていただけにちょっとがっかりしたんで す。 し か し、 そ こ で 二、 三 時 間 過 ご す ほ ど に、 い ろ い ろ 考 えさせられました。関西学院のランバス・ファミリー、そ もそも目に見えるルーツを求めていたんではないか、そう ではなくて本当のルーツというのは目に見えないスピリッ トというものが根底にあるはずで、そういう意味では何か 壮麗な記念の建物とかそういうものではなくて、ランバス

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先生はじめランバス・ファミリーの生涯を貫いていたスピ リ ッ ト と い い ま す か 志 と い う の を そ れ に 想 い を 馳 せ る と いうことが一番大事だということに思いが至りました。そ して一緒に語り合ったのですが、ランバス先生のスピリッ トが私たちより先に日本に帰って関西学院で今私たちにこ う い う 道 を 一 緒 に 歩 も う と 呼 び か け を さ れ て い る と い う ことに気が付きました。ただ足跡を目に見える形のものを 求めるものではなくて、その根底に流れている魂、志、そ れをいまの時代関西学院が本当に受け止めて、その原点に か え っ て、 創 立 一 二 五 周 年 を 迎 え ま し た け れ ど も、 ﹁ も う 一二五周年﹂ ではなく、 ﹁まだ一二五周年しか経っていない﹂ と、これから二〇〇年、三〇〇年、ランバス先生、家族の 偉大な志というものをどういうふうに継承して、人類の平 和のためにこの関西学院という学校が本当に夢をもつ学園 として発展していくか、そのことを改めて思わされる次第 です。今日は本当にありがとうございました。 ︵拍手︶ 神田   山内先生には今日のシンポジウムのまとめのような ご発言をいただきました。ありがとうございました。これ で終了させていただきます。   このシンポジウムのために周到にご準備してくださった 三名の方々、グルーベル院長、多田さん、池田さんに皆さ ん拍手をよろしくお願いいたします。ありがとうございま した。 ︵拍手︶

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