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〈研究ノート〉
イギリス公債史上における
Closed Subscription
仙 田 左千夫
イギリスにおける公債発行形態は1740年代以降,随時,「封鎖募集」(Colsed SubscriPt・ ion)と称する特異な形式を導入するにいたる。それは打ちつづく戦乱,巨額戦費調達の ための公債発行,そしてその「確実な消化」のために案出されたものであった。消化のた めの努力はこれにとどまらない。投資家の便宜をはかる意味での「分割払制度」(insta1・ ment)の採用とこれによる市場での流通促進。さ収こ加えて投資者の関心をより喚起する 目的をもって種々の奨励綱度すなわち「心付け」(douceur)が付加される。しかもこれら の諸措置は複雑に関連しあっている。公債の完全消化にかける政府の意向が並大抵のもの でなかったことを物語る。 このノートにおいて,いま,以上の経緯:の予細について跡づける状況にはない。限られ た資料によって,一部のしかもその大略を瞥見するにとどまる。以下,順を追うてそれら の骨子を摘記するが,精粗不同,不十分たるをまぬがれない。 工 公債発行における新機軸の採用 〈!) Closed Subscription イギリスにおける公債発行は創草期のころからすでに一部Open Subscriptionすなわ ち公募形態がとられたのであって,国庫が提示する条件で,限られた範囲とはいえ,不特 1) 定多数の投資者からの応募を期待するというものであった。だがこの方法につきまとう困 1) 「Open Subscriptionとをま発行条件が合意されると,応募せんとするすべての人に応募者台 帳を開いておく(the books would lie open for anyone who wished to subscribe)方式 である」。(Sutherland, L S.,“Samson Gideon and the Reduction of Interest,1747−50” , Econe?n. ic History Review, Vol. XVI, 1946, p 20,)76 難はつねに全額消化の保証がえられないことにある。時として公募残の生ずるおそれがあ z) り,事実,過去の事例はこのことを示していた。 スペイン戦争勃発(1742−48)、,戦争遂行のためには公債の完全消化は至上命令である。 この要請に応えるべく案出されたのがClosed Subscriptionである。それは引受シンジケ ートによる請負消化を意味した。程度の差はあれ当時のシティーにおいて国庫との関連を 有する有力個人(individuals)からの応募を期待するものである。かれらはGovernment Contractorと呼ばれ,かれら自身のほかに,おのおのの背後に一団の予定応募者(would− be Subscribers)を有していた。その中のある者はとぐに外国人投資層を統括しかつ代表 3) していた。 Government Contractorは政府の求めに応じて参集し,政府との間で公債発行の諸条 件を討議して決定する。そのおのおのが組織しうる予定応募者リストと消化能力とを勘案 して責任請負額を分担する。Government Contractor tlこは下院議員,金融業者,有力商 人などが名を連ねた。かれらは一方において政府の財政需要充足に一役を買うとともに, 他方においては債券市場価格の変動を利して多額の売買差益を追求する相場師(stags) 4) であったともいわれる。 50年代に入ってもこの基調に基本的な変更はない。.七年戦争(1756−63)。この間,逐年, 以前にもまして超巨額の公債が発行されたが,そのすべてはClosed Subscriptionによっ 5) た。ただ一考を要するのはこの時期におけるGovernment Contractorのヴィヘィヴィア のすべてを,従来のごとくStock Jobberの性格のみに係わらしめて理解するのはいささ か問題をのこすやも知れぬという懸念である。何故なら債券の市場価格はつねに堅調とは 2) 「1693年:トンチン式年金公債,1696年:第1回国庫証券,1697年:麦芽富加公債,1711年目 富籔公債,1715年:5%債,1720年;新規無期債,1721年:590債,1726年:3%債。これら はすべてその一部が払込みされないままに残された」。(DickSon, P. G. M, The Financiαl Revolution in England, 1967, p. 222.) 3)その最も著名なものはSamson Gideonであって,「かれのリストはさもなくぼ無視された であろうユダヤ人投資層から成っていた」。(Sutherland, L. S.,“Samson Gideon and the Reductien of lnterest.”, ibid,. p, 19.) 4) Sutherland, L. S,, “Samson Gideon: Eighteenth Century Jewish Financier,” Trans− action of Jewish Historical Society of England, Vol. XVII, Session 1951−52, p, 82.; Sutherland, L. S., “Samson Gideon and Redution of lnterest ”, ibid., p. 19; Dickson, P. G. M. ibid,, p. 286. 5) Browning, R., ‘‘The Duck of Newcastle and the Financing of the Seven Years War”, The !ournal of Ecqnoptic History, Vol. X.XXI, 1871, p. 365,
〈研究ノート〉イギリス公債史上におけるClosed SubscriptiQn 77 いえず,差額利益の獲得は保証のかぎりでない。加えて度重:なる巨額公債の発行は当時の 貨幣・公債市場の能力を超えるものがあったと察せられるからである。しからばかれらの ヴィヘイヴィアの代償は何か。それは貨幣獲得以外の社会的栄誉と名声,その著例は下院 への議席の約束と官職への登用であったと思われる。
②分割払込制度
公募による応募金額は一括払いであった。一括払いはややもすれば引受消化の障害とな 6) りやすい。それゆえすでに1704年度から分割払込方式(instalment)が採用されてきたが, 40年代にはすべてこの方式が踏襲された。払込回数は区々であったし,方式にも若干の変 遷がみられた。 1742年度公債においては,4分割払の第1回払込が終了すると受取証(receipts, subsc− rlption receipts)が交付され,この所有者がイングランド銀行備付けの応募者台帳(sub・ scription ledgers or stock ledgers)に登録された。この応帳者台帳は4つの記入欄をも 7) っており,次回以降の払込みもその都度それぞれ改めて登録された。しかるに翌1743年法 律〔16Geo. II, c.13〕による譲渡性受取証(assignable subscription receipts)は,各 払込み毎の登録は行わず,その都度,受取証にその旨記載するに止めることとした。した がって,期日前に払込みの完了した受取証ないしは最終払込みの日付をもった受取証の所 有者のみが当該金額の債権者として応募者台帳に登録されるようになった。譲渡を容易に 8) するための措置であった。 第!回払込み直後に交付される受取証は未払込金額を残す意味で仮債券(scrip)であ り,同時に譲渡性仮債券(assignable scrip)でもある。これはLight Horseのニッタ・ ネイムで呼ばれ直ちに市場において売買された。とりわけ高度の投機的取引の対象となつ 9) た。払込みのすべてが完了したものはHeavy Horseと呼ばれた。 (3)消化促進のための「心付け」制度 発行公漬の元全消化を期するため,投資層の関心を喚起する目的で「心付け」(dOuceur) 6) この年採用されたのは3分割方式であった。(GrellierJJ., The Terms ofall the Loans, 1812, p. 11.) 7) Dickson, P. G. M., ibid., p. 217, footnote (6). 8) Dickson, P, G. M,. ibid., p. 217. 9) Mortimer, T., Every Man His Own Broker, 1761, pp. 151−52; Sutherland, L. S, “Sarnson Gideon and the Reduction of lnterest,”, ibid. p. 19.; Sutherland, L. S. “Sa− mson Gideon: Eighteenth Century jewish Financier”, ibid., p. 82.78
を付加する方法が,随時,採用された。 投資層の関心を誘う第1の措置は「一つの公債発行」を通常無期債と富籔公債とに分割 .する方法の導入である(1743年以降随時)。富籔公債は野台後,当り籔には割増金のほかに 無期公債と同一年利を保証するとすれば,空籔をどう処置するかの問題は残るとしても通 常無期債に比してよりアトラクティヴである。空誉にも同一年利を保証する(1744年以降 随時)とすればなおのことである。条件に差のある二種類の公債を同時に発行するのであ るから応募は有利な側に集中する。このかぎりでは「一つの公債発行」の意味に乏しい。 ここはやはり有利な悪馬公債応募への前提として通常無期債への応募が義務付けられてい なければなならないであろう。しかるに1740年代においてはこの両者の関連が必ずしも明 10) らかでない。少くとも文献的にこれを確認することができない。 第2の措置は同じくみぎの通常無期債と富籔公債との分割発行に加えて,さらに投資層 の関心を高めるべく留場公債に年金公債を付加するものである(1745年以降随時)、1富籔公 債に年金公債が加わるのであるからよりアトラクティヴとなる。それゆえ,これへの応募 条件は同様にその前提として通常無期債への応募義務が先行せねばならぬであろう。・だが このことに関しても4G年代に関するかぎり文献上確認しえない。50年代にいたるとこの三 者の関連は次第に明分となる。1756年以降,随時,富籔公債と年金公債とは通常無期債の 11) 「心付け」という位置付けが判然とするのである。 「心付け」の第3の措置は一定額の無期債応募にたいし,別に一定額の通常公債元本 (1747年)または一定額の富籔公債元本(1748年)を付加するものである。結果として応募 者は実際の応募額を超える債権元本を取得することになる。後者のごとく富籔公債を配布 12) する場合は,その割増金の分だけさらに応募者にとって有利となる。 (4)イングランド銀行管理 この時期の公債管理は小額の終身年金公債を国庫が管理する以外はすべてイングランド 銀行の管理に委ねられた。それは煩雑な手続から国庫を解放するとともに,イングランド 銀行の対政府協力の具体的な証左でもあった。これによって公債はすべてイングランド銀 10) グレーリアの叙述においても40年代の事例に関するかぎり,この点には全く触れていないQ 11)1750年代になるとこの間の関連が丈献上明示されるようになる。(Grellier J. J,, ibia., ex. p. 36. & p. 38.) 12)ディクソンは第2,第3の措置のみを指して「心付け」と称している。日.く「心付けは1745− 46年のLife Annuitiesと1747−48年のextra Stock or Lottery Ticketsである」。(Dic− kson, P. G. M,, ibid., p. 220.)〈研究ノート〉イギリス公債史上におけるClosed Subscription 79 行が備える特別の応募者台帳に登録される。イングランド銀行は政府の銀行として中央銀 13) 行としての性格を濃くする。 皿 1740年代の公債発行とClsoed Subscription 1742年 800,000ポンド。法律〔15&16Geo.1[., c.19〕(6月16学年による。3% 無期債。利払基金は減債基金。イングランド銀行管理。Colsed Subscription方式を採用。 イングランド銀行への取扱事務報酬は従来100万ポンドにつぎ805ポンド15シリング10ペ ンスであったが,これを減額して100ポンドにつぎ625ポンドとする。したがって80万ポン ドに関しては年額500ポンドとなる。別に管理報酬(allowance for management)として 年額450ポンド。 応募事務は6月24日より開始。4分割払(25%一7月6日,25%一9月6日,25%一11月6 日,25%一12A 6日)。期限前払込(prompt payment)については,現実の払込日から指定 払込日までの期間について,年利4%の割合で報償金をみとめる。この額は現実に7,677 1) ポンド7シリング3ペンスに達した。 応募額満了時における応募者構成比は第一表の通り。 (第一表) £ Nos. % 謁 %
Under 500 24 9.5 5,200 O.7
500 一 999 52 20.6 27, 650 3.5
1, OOO−4, 999 117 46.4 215, 650 26.9
5, OOO−9, OeO 39 15.5 230, 500 28.8
10, OOO&over 20 8.0 321, OOO 40.1
(TotaD 2s2 loo. o soo, ooo loo. o
(Dickson, P. G. M., The F・inancial Revolution in England, 1967, p. 287,) みられるように5,000ポンド以上の大口応i募者59名によって,ほぼ69%に相当する 551,500ポンドが占められている。これは従来の構成比にくらべて明らかに大口応募者の 比重が高い。Closed Subscriptionの効果が顕著である。かれらの多くは転売による差額 利益を目指す相場師(stags)であった。10,000ポンド以上の応募者20名の状況は第二表 13) Dickson, P. G. M., ibid., p. 21Z 1) Grellier, J, J, The Terms of all the Loans, 1812, p. 27. 2)Henry Muilman−1740年頃からロンドンで弟Pieter Muilmanと協力。かれらはオラン ダの銀行家Pieter Schout Muilmanの子息である。(Dickson, P. G M., The Financial Revolution in England, 1967, p. 286.)80 2) 3) の通り。Samson Gideonを筆頭にHenry Muilman, Pinckney Wilkinsonがつづいてい る。しかし応募者台帳(subscription ledgers, stock ledgers)への登録開始前にはすでに 4) 6名がすべて転売し終り,4名が50%以上を処分し終っていた。 ’ 一John Backer 十James Colebrooke William Dobree Thomas Gibson Samson Gideon ・・ Benjamin工saac 十Henry lsaac Henry Lascelles 十Lord William Manners t James Martin 十Benjamin Mee 一 Henry Muilman Nathaniel Newnham Marth Parker Duck of Rutland . Francis Salvador Sambrooke Thomas Snow Duck of Somerset . Pinckney Wilkinson (Total) x6名:全額転売 10, OOO 20, OOO 10, OOO 10, OOO 35, OOO 15, OOO 15, OOO 20, OOO 15, OOO 10, OOO 15, OOO 25, OOO 10, OOO 10, 500 20, OOO io, ooo 15, 500 (第二表) Mark Lane New Broad Street
MonumentYard
Lohtbury Ludgate Street Magpie AIIey, Fenchurch Street Fenchurch Buildings Mincing Lane Bur1ington Street Lombard Street Gracechurch Street, Later Clapham Devonshire Square Watling Street LeicesLLer Fields merchant merchant merchant financier merchant merchant (gent.) merchant (gent) merchant financier merchant, financier merchant merchant spinsterLine Street merchant
Basinghall Street, later Berkeley spinster Square 10,000 Temple Bar 20, OOO 25,000 New Bond Street 321, OOO 十4名:SOgo以上転売 (Dickson, P G. M., The Financial Revolution in England goldsmith, financier boekkeeper , 1967, p, 288) 1743年 1,800,000ポンド。法律〔16Geo. IL, c.13〕(3月22日)による。うち!00万 5) ポンドは3%無期債。80万ポンドは富籔公債。利払基金は消費税(スピリット)。イングラ ンド銀行管理。Closed Subscription。 3)Pinckney Wilkinson 1720年代における彼はCopthall Courtのbookkeeperであった。 40年代に入って急速にcontractorの仲間入りをした。1748年の巨額公債にも10,000ポンドの応 募をしている。(Dickson, P. G, M,, ibid., p.286) 4) Dickson, P. G. M. ibid. p,286. 5) この公債発行は通常無期債と富籔公債との分割・同時発行方式の稿矢とされるが,必ずしもこ の方式導入の意図が明らかでない。ディクソンは「この方式は政府をして多額の割増金支払の義 務を負うことなくギャンブルにたいする大衆の関心を刺激することを可能にした」(Dickson, P. G.M., ibid., p 217.)としているが,割増金の内容や応募のさいにおける無期債と富籔債との 間の何等かの関連の存在が明らかでないかぎり肯首しがたい。〈研究ノート〉イギリス公債史上におけるClosed Subscription 81 100万ポンド無期債は4分割払(25%一4月11日,25%一7月15日,25%一10月27日,25%一12 6) 月20日)。指定払込日以前の払込にたいしては年利2%相当の報償金をみとめる。 80万ポンド富籔公債は10ポンド券8万枚にて発売。一括即時払。当り籔にたいする割増 金の内容は明らかでないが,これにはさらに一様に年利3%を保証して無期債並とする。 7)空籔については一枚すなわち10ポンドを7ポンドに減額評価する。抽籔後両券の所有老 はそれぞれ所有額を無期債と同一台帳に登録する。これを「富籔券確定措置」(funding 8) tickets in stock)と呼ぶ。「一つの公債発行」として台帳の合計は180万ポンドとなる。 この公債にかかわるClosed Subscriptionの子細は明らかでないが,この時はじめて 「譲渡性受取証」(assignable subscription receipt)が導入され,これが投機(staggin9) 9)をより助長したとされる。 1744年 1,800,000ポンド。法律〔17Geo. ll,c.18〕(3月22日)による。うち120万 10) ポンドは3%無期債。60万ポンドは富籔公債。利払基金は消費税(スピリット)。イングラ ンド銀行管理。Closed Subscrlption. 120万ポンド3%無期債は4分割払(25%一4月9日,25%一7月9日,25%一9月28日,25 11) %一12月20日)。 60万ポンド富籔公債は10ポンド券6万枚にて発売。当り籔についての割増金の子細は明 らかでない。すべての富籔券にたいし同年12月25日以降,年利3%を保証する。この富籔公 債にははじめて分割払が採用された。4分割払(25%一4月9日,25%一6月8日,25%一8 12) 月10日, 25%一10月 5 日)c この公債180万ポンドの大部分は9名のGovernment Contractor ILよって引受けられ た。Closed Subscriptionが最も環形的に行われた事例である。 Samson Gideon John Gore John Bristow Gerard van Neck Roger Drake 300, OOO 150, OOO lso, eoo 150, OOO 90, OOO Richard Jackson John Edwards Peter Burrel Henry Lassels 6) 7) 8) 9) 10) Grellier, J. 」 ibid,, pp. 27−28. Grellier, J. J., ibid., p, 28. Dickson. P. G. M., ibid., pp. 218−20. Dickson, P. G. M., ibid. p..289. &:cf. p 217. ge, ooo 90, OOO 90, OOO 90, OOO この公債発行も「一つの公債発行」とされながら,通常無期債と富籔公債との内的関連が明ら かでない。 11), 12) Grelller, J J,, ibid. p. 28.
82 しかし応募者台帳への登録開始時には,4名はすでに転売し終り,のこり5名も手元に 13) 数ポンドを残すにすぎなかった。 1745年 2,000,000ポンド。法律〔18Geo.豆., c.19〕(3月19日)による。うち150万 14) ポンドは3%無期債。50万ポンドは終身年金付軍陣公債。利払基金は関税(輸入ワイン)。 イングランド銀行管理。Closed Sub$cription。 150万ポンド無期債は4分割払(25%一3月25日,25%一 6 R19日,25%一10月15日,25%『 15) 12月20目)。 50万ポンド富籔公債は10ポンド券5万枚にて発売。4分割払(25%一5月 1日,25%e−7 月5日,25%一8月22日,25%一10月3日)。当り籔についての割増金の子細は不明であるが, 同年12月25日以降,全券にたいし年利3%を保証する。さらに「心付け」(douceur)とし て1Qポンド券10枚すなわち100ポンドの応募者については年利4,5%の終身年金を付加す る。終身年金ta22, 500ポンド。同年6月24日から開始するものとし,半年毎に国庫におい 16) て支払う。この公債のClosed Subscriptionの状況は明らかでない。 !746年 3,000,000ポンド。法律〔19Geo・1L, c・12〕(3月19日)による。うち250万 17) ポンドは4%無期漬。50万ポンドは終身年金付富籔公債。利払基金は関税および消費税。 イングランド銀行管理。Closed Subscription。 250万ポンド4%無期債は7分割払(20%一 3 fi 25 H,10%o 一 5月20目,10%一6月20日,20 18) %一8月22日,10%一9月22日,10%一10月21日,20%o 一12月20日)。 50万ポンド富籔公債は10ポンド券5万枚で発売。4分割払(25%一5月20日,25%一7月 21日,25%一g月22日,25%一1G月21日)。当り籔についての割増金の子細は不明であるが, 13)転売のより詳しいことについては不明である。(Dickson, P. G. M., ibid., p 28g.) 14) この年Pretenderのスコットランド上陸によって公債市場に相当の悪影響が生じた。「終身 年金」という「心付け」はこの悪影響に対抗する意味をもっている。事実・3%債は5月に93 %,9月末には84%%へと下落した。(Grellier, J. J. ibid., p.29.) この「一つの公債発行」においても無期債応募と富籔債応募との内的関連が明らかでない。と くに後者の条件が終身年金を伴うという有利にすぎるだけに,前者の応募との間になんらかの関 連がなくてはならぬと思われるが,いまこの間の事情を資料的に明らかにしえない。 15),16)Grellier,工J., ibid,, p.29.;Dickson, P, G. M, ibid., p,217. 17) この場合もまた「一つの公債発行」というかぎり無期債応募と富籔債応募との内的関連が当然 問われねぽならない。といわけ後者が年利9%という法外の有利な条件を伴っているので,その 応募には前者への一定の応募が義務付けられていたものと解されよう。しかしいまこのことを資 料的に明らかにしえない。 18),19)Grellier,工J。 ibid., P・30・;Dickson, P・GM・, ibid・, P・219.
〈研究ノ・一一一ト〉イギリス公債史上におけるClosed Subscription 83 全券にたいし年利4%を保証する。さらに「心付け」として10ポンド券10枚すなわち100 ポンドの応募者については年利9%の終身年金を付加する。終身年金額45,000ポンド。支 払は半年毎に国庫において行う。応募者ないしその代理人は年金受領者が死亡した場合, 19) !ケ月以内にその旨国庫に届け出の義務を負う。違反したときは10ポンドの科料とする。 この年度のClesed Subscriptionの状況も明らかでない。 1747年 (A)4,000.000ポンド。法律〔20Geo. ff., c.3〕(2月5日)による。全額4% 無期債。「心付け」として応募金100ポンドにつき10ポンドの元本を付加し,この分にも同 様に4%の利子を付する。この結果,公債元本は4,400.000ポンド。利払基金は窓税。イ 20) ングランド銀行管理。Open Subscription。6分割払(10%一2月5日,10%一2月17日,20% 21) 一3月17日,20%一5月19日,20%一7月14日,20%一9月22日)。 この公債においては過剰応募が現実化した。応募事務はすでに前年1746年!2月12日より 開始されたが,わずか4時間足らずで600万ポンドを超える応募があり,締切り後もさら 22) に多くの申込が続いたとされる。その子細はさだかでない。 !747年 (B)i,OOO, OOOポンド。法律〔20 Geo. r, c 10〕(3月24日)による。全額4 %丁丁公債。10ポンド券10万枚で発売。利払基金は消費税(ガラス,スピリット)。イングラ ンド銀行管理。Open Subscription。4分割払(25%一3月24日,25%一6月22日,25%一8月 23) 20日, 25%一10月16日)。 この公債においても同様に過剰応募が顕著であった。公募事務開始時期は定かでないが 24) 総計2, 971,000ポンドが応募された。 1748年 6,300, OOOポンド。法律〔21 Geo. IL, cc.2&14〕(2月18日)による。全額 年利4%無期債。「心付け」として応募額100ポンドにつき10ポンドの三二公債を配布。割 増金については不明。この付加元本にも同様に年利4%を保証。元本合計6, 930,000ボン 20)1747年および1748年の公債発行はSir John Barnardの建議によりContractor排除の方針 がとられた。小数者による引受独占を排し,広く一般の投資家の直接投資,とりわけ外国人投資 家の直接応募を容易ならしめんとするとがその名分であった。だが皮肉にもOpen Subscription は引受独占を排除するどころか,かえってそれを強化する結果を招いた。Open Subscriptionが Contractorを排除するとする観測は素朴に失する。政府信用の高度の堅調を前提した場合,市 場価格の変動による利益追求は相場師の暗躍の対象となる。かれらは転売を目的とした大量買い を志向する。過剰応募の現象が必然となる。(Dickson, P. G. M, ibid., p.226、&p.289.) 21) Grellier,工」., ibid., p.31. 22) Dickson, P. G. M., ibid,, p 226, footnote (8). 23) Grellier, J. J., ibid., p, 31. 24) Dickson, P. G. M., ibid., p. 2.?.6. footnote (8).
84 ド。利払基金は関税。イングランド銀行管理。Open Subscription。10分割払(10%一1747年 12月12日,10%一1748年1月28日,10%一 2月27日,10%一3月24目,10%一4月22日,10%一5月 25) 24日,10%一6月21日,10%一7月21日,10%一 8 fi 23日,10%一9月20日)り 前年同様にOpen Subscription方式を採用したこの公債発行は,さらに先走った形での 26) 過剰応募が起った。そして,現実には募集額の45%にあたる2,85!,SOO・feンドが139名によ って引受けられた(一人平均引受額20,514ポンド)。仮債券(scrip)での取引が終り応募者台 帳への登録時には,この中の21名が引受額を維持または増加させ,他の15名は半額以下に 減少させた。のこりの大多数103名は大巾に減少させるかすべて転売し終っていた。 最大の引受手はSamson Gideonであってその額59万ポンド。しかし応募;者台帳への 登録時にはすべてを転売消化していた。Jeremiah Joye(Winchester St., merchant)も 155,000ポンドを引受けたが1,000ポンドを残してすべて消化した。相場師の中にはSam・ son Gideonをはじめとして外国人投資家のために活動する者がいたがJobn Edwardsや Henry Muilman(オランダ系)の二人はとりわけオランダ系投資家のために仲介転売を行 った。 引受額を維持または増加させたものはやや異例に属するといえるが,この中には政治色 の極めて濃厚な数名の投家がふくまれている。二人の貴族と五音の下院議員。恐らくかれ らは政府の窮状を十分理解したうえのことであったと思われる。Lord・Anson(£20,000), Lord llechster (£15,000), Henry Fox (£15,000), George Grenville (£10,000), Sir Dudley Ryder (£!0, OOO), Admiral Sir Challoner Ogle (£14, OOO), Admiral Lssaac Townshend(£!2,000)。しかし他の多くの下院議員はかまわず転売した。10, OOOポンド 以上の応募者26名中12名は応募者台帳登録時以前ecすべて転売し,他の73名は引受額を50 27) %以上も減少させた。 この公漬の消化過程で思わぬ困難が生じた。10分割払はかなりの長期にまたがり最終の 払込期日は如上のごとく1748年9月20日であった。ところが年度初頭に情勢の変化が生じ 25)Grellier, J。∫,ibid., p.32;Dickson, P. G, M.弼d.ンp.219. 26)10分割払の第1回払込事務はすでに前年11月(期限は12月12日)に行われた。1747年11月17日, John and Francis van Hemertロソドソ支局はアムステルダムのJan Issak de Neufville に書き送っている。「すでに900万ポンドの応募;があり,かなりの部分が切り捨てられた。前年度 公債の場合と同様に残ったもののみが応募の有効性を保ちうる」Q (DickSon, P. G. M., ibid., 227.) 27) Dickson, P G. M,, ibid., pp 289−290.
〈研究ノート〉イギリス公債史上におけるClosed Subscription 85 た。戦況かんばしからざるとのニューズは悪材料となって,1−2月の間における政府信 用は著しく低下した。事実,2月には3%債の市価は額面を下廻った。同月,政府は4− 28) 5月に予定していた払込を!0−11月まで延期することとした。4月はじめ3%債は77%ま で下り1746年以来の最低値を記録した。しかし,これを底入として以降流れに変化が生じ 29) た。同月26日Van Hemert商会はアムステルダムのde Neufvilleに書いている。 「昨日和平についての予備手続が調印されたとの情報が伝えられた。このことは公債流通に大き な変化をもたらした。とりわけ新規債についてそうであって,昨朝3%ポンド減価していたもの 30) が,いまや3叛ポンドのプレミアムがついている」。 政府信用は1748年1Q月の正式和平条約締結の日までは十分回復しなかったとはいえ払込 は10月までに完了した。だが如上の首尾からしてOpen Subscriptionは半ば失敗ではな かったかという印象を公衆にあたえることとなった。かくて来るべぎ七年戦争時における 公債発行はすべてGideon方式つまりClosed Subscriptionによるべきことをつよく暗示 31) したのである。 1749年 3, 072,472ポンド0シリング10ペンス法律〔22Geo,■., c.3〕による。海軍 32) 債・食糧債・運輸債など短期債の4%無期淳化。 1750年 1,000,000ポンド。法律〔23Geo. II,16〕(3月25日)による。金額3%無期 債。利払基金は減債基金。イングランド銀行管理。Closed Subscription。5分割払(10%一 33) 4月20日,15%一6月20日,25%一8月18日,25%一ユ0月18日,25%一12月18日)。 この公債におけるCIQsde Subscriptionの内容は明らかでない。なお,この公債は前年 度海軍給与その他末払金の支払財源として発行された国庫証券の償還のためのものであ 28) この事情をグレーリアーはつぎのように説明している。「応募開始当初0.5−1.O%のプレミア ム付で売買され第2回払込日の数日前までつづいたが,その後は額面通りとなり,1月25日には %%額面を下廻った。以降下落をつづけ第3回払込日までには相当額下廻った。議会は応募者の 救済を妥当と考え,4月22日および5月24日の第5,第6払込日をそれぞれ10月22日および11月 24日目で延期した。他の払込日は従来通りであったゴ。(Grellier, J∫.,∫δ畝, p.32.) 29) Dickson, P. G. M,, ibid., pp. 227−28. 30) Dickson, P G. M., ibid., p 228. 31)バーナードのOpen Subscription方式は現実的に敗れ去った。これに代るギデオソのClosed Subscription方式はその起債額の巨大さと成功度においてde Pintoのいうごとく「ヨーPッ パを驚愕させる」(cf. Dickson, P, G M., ibid,p.228.)ものであった。 32) “History of the Earlier Years of the Funfed Debt from 1694 to 1786”,Parl. PaPers, Vol. LII, 1898, p. 26, 33) ‘‘History of the Earlier Years of the Funded Debゼ’, ibid., p.20.;Grellier, J. J,ibid,l p, 33,
86 る。平和恢復以降,利子率は下降傾向にあり 34) とされた。 年利は4%ではなくて3%での発行が可能 N 1750年代の公債発行とClosed Subscription 1751年 2,100,000ポンド。法律〔24Geo.】L, c.2〕による。うち140万ポンドは3 %無期債。70万ポンドは富籔公債。割増金の子細は不明。10ポンド券7万枚で発売。当り 1) 籔,空籔ともに無期債と同様に年利3%を保証する。利払基金は減減債基金。イソ.グラン ド銀行管理。Glosed Subscription. 140万ポンド無期債は7分割払(1e%一3月15日,15%一5月15日,15%一6月17日,25%一8 月12日,10%一9,目28日,10%一11月20日,15%一12月20日)。 70万ポンド富籔公債については5分割払(10%一 3月15日,15%一5月15日,25%一7月12 2) 日,25%一9月7日,25%一10!目7日)o この「一つの公債発行」においても二種類の公債応募の関係が明らかでない。Closcd Subscriptionの内容も不明である。 なお,この公債は!749年2月のペラムの転換計画にさいし,4%から3%への利下げを 拒否した新旧南海年金にたいする現金償還用財源として公募されたものである。 1755年 900,000ポンド。法律〔24Geo. E., c. 2〕による。3%Consols.富籔公債。 10ポンド券10万枚で発売。利払基金は減債基金。イングランド銀行管理。Closed Subscri− ptiono !00万ポンドの発行であるが3%Consols.になるのは90万ポンドのみ。空籔は無効。5 分割払(20%一4月15日,20%一5月15日,20%一6月30日,20%一7月30日,20%一9月10日)。 この公債のColsed Subscriptionの状況は明らかでないが,応募のさいには多数の群衆 がイングランド銀行におしよせ応募額合計は3,880,000ポンドに達したとされる。富籔券 3) の抽籔は10月6日に行われ割増金の総額は!0,698ポンドであった。 1756年 2,000, OOOポンド。法律〔29 Geo. II:., c.7〕による。うち150万ポンドは3.5 34) Gre!lier, J, J,, ibid,, p. 33. 1) “History of the Earlier Years of the Funded Debt, from 1694 to 1786”, ParL PaP− ers, Vol. LII, 1898, p, 26. 2) Grellier, J, J., The Terms of agl tke Loans, 1812, p. 34. 3) “History of the Earlier Years of the Funded Debt.”, ibid.. p 26,; Grel!ier, J J, ibid., p. 35; Hargreaves, E. L., Tke National Debt, 1930, p. 63, Footnote (6).
〈研究ノート〉イギリス公債史上におけるClosed Subscription 87 4) %無期債。50万ポンドは3%Consols.富籔公債。イングランド銀行管理。 Closed Subs・ cription. 150万ポンド無期債は6分割払(10%一2月11H,15%一3月30日,20%一5月15日,20%一 7 月16日,20%一 9月16日,15%一10月30日)。 50万ポンド富籔公債は5分割払(10%一2月5日,20%一4月22日,2G%一 6月16日,25%一 8,月14日,25%一10fi 20日)。 Closed Subscriptionの状況についてはさだかでない。 この公債発行においては文献上はじめて二種類の公債間の応募に関する「内的規定」が 明示されている。すなわち,すべての投資者は400ポンド毎につき3.5%債3GOポンドおよ 5) び3%富呪物100ポンドを必ず購入せねばならない。 1757年 3, OOO, OOOポンド。法律〔30 Geo. ff一, c.19〕による。3%Consols.無期 6) 債。イングランド銀行管理。Closed Subscription。7分割払(15%一5月4日,10%一6月4 日,工5%一7月7日,15%一8,月18日,15%一9月21目,15%一11月10目,15%一12月22日)o この公債は「心付け」として100ポンドにつき1ポンド2シリング6ペンスの終身年金 を伴う。つまりすべての100ポンド投資者はこの恩恵によくすることができる。創出年金 7) 額33,750ポンド。 Closed Subscriptionの内容は明らかでない。 1758年 5,000,000ポンド。法律〔31Geo. lil., c.22〕による。うち450万ポンドは 3.5%無期債(ただし24年後の1782年よりe:: 3 %)。50万ポンドは3%Consols.富籔公債。イ 8) ングランド銀行管理。Closed Subscription. 450万ポンド無期債は7分割払(10%一4月29日,15%一5E30H,15%一6月28日,15%一7 月27日,15%一8.月30日,15%一9月27日,15%一10月26日)。 50万ポンド丁丁公債はユ0ポンド券5万枚にて発売。1759年!月5日より年利3%。6分 割払(10%一4月29日,20%一6月10日,15%一7月10日,15%一8,月19日,20%一9月7日,20% 一〇月9日)。 4) “History of the Earlier Years of the Funded Debt,” ibid., p. 26. 5) Grellier, 」. J, ibid., p. 36. 6) “History of the Earlier Years of the Funded Debt.”, ibid,, p. 26. 7) Grellier, J, J, ibid., p. 37. 8) “History of the Earlier Years oi the Funded Debt.”, ibid., p. 26.; Hargreaves, E. L., ibid.gp. 63.
88 この公債発行におけるClosed Subscriptionは明らかでないが,二種類の公債について の応募条件は確定されている。すなわち,すべての500ポンドの無期債応募者にかぎり, 9) 450ポンドの3.5%債と富籔債5枚つまり50ポンドを取得することができる。 1759年 7, 590,000ポンド。法律〔32Geo. ll., c.10〕による。募集金額は6,600,000 io) ポンドで3%Consols.。イングランド銀行管理。 Closed Subscription。 「心付け」措置として!00ポンド応募者には5ポンドの元本付加すなわち!05ポンド応募 扱いとする。この分についても1759年!月5日から年利3%を保証する。さらに加えて 「心付け」を累加し100ポンド応募者には10ポンドの海南公債を付加する。同じくこれを も元本に算入し1760年1月5日より同様に年利3%を保証する。都合,100ポンド応募者 11) は115ポンドの応募と同義となる。したがって元本総額は7,590.000ポンド。9分割払(15 %o−2fi 13日,10%一3月30日,10%o 一 4月27日,10%一5月31日,10%一6月28日,15%一一一7月27 12) 日,10%一8月31E[, 10%一9月28日,10%一10月26日)0 !760年 8,24Q, OQGポンド。法律〔33 Geo.9., c.7〕による。募集金額8,000,000ポ ンド。1760年1月5日より21年間は年利4%,それ以降は3%の無期債。イ1ングランド銀 行管理。Closed Subscription。 「心付け」措置として100ポンド応募者にたいし3ポンドの富籔公債元本を付加する。 1761年半月5日以降同じく年利4%を支払う。付加元本240,000ポンド。したがって元本 13) 合計8,240,000ポンド。9分割払(15%一1月15日,10%一 2月26日,10%一3月25日,10%一 14) 4月29日,10%一5月.31日,10%一7月3日,15%一 8月14日,10%一9月16日,10%. 一10月 2g日)o この公債発行のClosed Subscriptionについてはいささかの経緯が明らかである。 1759年,すでにその早春,ときの宰相ニューカッスル候は来るべき年の巨額公債発行に 関し,ことの重大さに懸念と危惧を抱きつつも最善の努力を傾けようとしていた。 1759年4月18日,かれはClaremontから書いている(名宛人不明)。 9) Grellier, J, J., ibid., p. 38. 10) “History of the Earlier Years of the Funded Debt,”, ibid,, p 26.; Hargreaves, E. L,, ibid., p 64. 11)付加元本は合計£ 990,000(£330,eOO+£660,000)となるが,付加するのであるから払込み には関係ない。 12) Grellier, J.工∫bid., p 39, 13) “History of the Earlier Years of the Funded Debt.”, ibid,, p 28,,; Hargreaves, E. L,, ibid., pp 63−64. 14) Grellier, J. 」., ibid., p. 4Q,
〈研究ノート〉イギリス公債史上におけるClosed Subscription 89 「わたしはJames West氏にも命じたし,私自身もそうするつもりだが,来週シティーに帰っ て有力人物諸氏と話しあいたい。すなわち,Mr. Gideon, Alderman Baker, Sir Joshua Vanneck, Mr. Br圭stowe(南海会社), Mr. John Gore, Mr John Martin, Mr. George Amyandの諸氏 15) と会って,現下の信用状態や公債の異常な値下り問題について話し合いたい」。 また1759年8月4日,かれは前秘書のAndrew Stoneに書いている。 「わたしは昨日イングランド銀行総裁Merrick Burrell,同割総裁Bartholomew Burton, Sir Joshua Vanneck, Mr, Joseph MellishそれにMr. John GoreのパートナーGeorge Amyand, Nicholas Magens, Mr. Gashryらに会った。その結果わたしは巨額の借入れに多大の困難があ 16) ることを感じとった」 しかしかれはこれにひるむことなく1759年9月9日,秘書のJames Westに指示をあ たえている。 「・一適当と判断される入物,たとえばS圭rJoshua Vanneck, Mr. John Gore, Mr. John Bristew, Al derman Baker, Mr. Jehn Thornton, Mr. Samson Gideonらに会って,明年の起 17) 債についての考えを翻意させるよう努力されたい」。 かれらの努力の甲斐あって起債をめぐる交渉は!2月にいたり成功裡にまとまった。この 経緯からして,この時期のContractorらが自らの行動の基準を単に金銭上の利害にのみ 18) 求めたのではないことが明らかであろう。 第三表はCユosed Subscriptionの実情を示している。 (第三表) The Proprietors of Tallies and Orders (Exchequer) Merrick Burrell (Bank of England) John Bristow (South Sea Company) Mr. Godfrey (East lndia Company) Sir Joshua Vanneck & Co. George Amyand Sir James Colebrooke 1, OOO, OOO 466, OOO 330, OOO 200, OOO 1, 200, OOO 924, OOO 480, OOO 15) Namier, L. B, The St7uctn7e oプPoJ躍os at the Access∫on of George IU,2nd ed., 1952, p 53. 16),17) Namier, L. B., ibid., p. 54. 18)翌1761年,下院の選挙が行われたがClosed Subscriptionに名を連ねた22名中9名が当選し ている。George Amyand, John Bristow, Merrick Burrell, Sir James Colebrooke, Tho− mas Fonnereau, Frazer Honywood, John Martin, Arnold Nesbitt, Samuel Touchet. Samson GideonとJoseph Salvadoreはユダヤ系のゆえにはっきりと,またSir Joshua VanneckとNicholas Magensとはオランダ系の㊥)えに蚤らくは除外されているg(cf. NprpieFf L. B., ibid,, p, 56.)
90
Nicholas Magens 460, OOO
Sarnuel Touchet 420, OOO
Arnold Nesbitt 350, OOO
Henry Muilman 330, OOO
Thomas Fonnereau 250, OOO
Joseph Salvadore 250, OOO
John Martin 250, OOO
Frazer Honywood 250, OOO
Mr. W. Belchier 250, Oee
William Beckferd 100, OOO
Mr. Hart 100, OOO
Henry Fox 80, OOO
John Gasper Ringmacher 100, OOO
John Edwards se, eOe
Samson Gideon 60, OOO
John Thornton 100, OOO
(Total) s, ooo, ooo
(Namier, L. B., The Strzacture of Politics at the Accession of George lll, 2nd ed,, 1952, p・ 55,) !761年 12, OOO, OOOポンド。法律〔1 Geo.皿., c.7〕による。うち11,400, OOOポンド 19) は3日差onsols.。600, OOOポンドは富籔公債。イングランド銀行管理。 Closed Subscription。 11,400,000ポンド3%無期債については「心付け」措置として向う99年間(1860年満期) !00ポンドにつき1ポンド2シリング6ペンスの長期年金を付加する。創出年金額128,250 ポンド。9分割払(15%一1月3日,15%一2月28日,1Q%一4月14日,10%一5月27日,10%一 6月23日,10%一7月31日,10%一8月28日,10%一 9Ji 25日,10%. 一lo,目20日)。 60万ポンド二二公債は10ポンド券6万枚にて発売。1762年1月5日より年利3%を伴 う。割増金については不明。4分割払(15%一1月3日,25%一3月21日,30%一4月29日,30 20) %一7月15日)o この公債発行のClosed Subscriptionについては不明であるし,二種類の公債応募の内 的関連も明らかでない。 1762年 !2, OOO,000ポンド。4%無期債。イングランド銀行管理。Closed Subscription。 「議会議事録」によれば4%無期債については,1762年1月5日以来19年間は年利4 %,それ以降は3%を保証するものとるす。さらに100ポンドの応募につき年額1ポンド 19) “History of the Earlier Yrars of the Funded Debt.”, ibid., p. 28; Hargreaves, E. L, ibdi, p. 63. 20) Grellier, J. J., ibid,, p. 41,〈研究ノート〉イギリス公債史上におけるClosed Subscription 91 21) の長期年金(1762年IE5目より98年間)を付加する。創出年金額120,000ポンド。 この点についてグレーリアは別の叙述をあたえている。かれによれば100ポンドの応募 者は1762年1月5日より/9年間,その80ポンドにっき年利4%を保証し,それ以降は3% とする。のこりの20ポンドについては同じく1月5日より,100ポンドにつき年額1ポン ドの割合で長期年金を98年間にわたって支払う。前者の該当金額9,600, OOOポンド,後者 22) のそれは2,400,000ポンド。創出年金額120,000ポンド。 960万ポンドは9分割払(15%一1761年12月23日,10%一1762年2月10日,10%一3月23日,10 %一4月21E[,1090−5月26日,10%一 6月23日,15%一8月18日,10%一9月17日,10%一10月20 日)。 240万ポンドについては4分割払(15%一1761年12月23日,25%一5月10日,30%一5月12日, 23) 30%一7月21目)。Closed Subscriptionについては不明である。 1763年 (A)3, 500,00Qポンド。法律〔3 Geo.皿., c.12〕による。うち280万ポンドは 4%無期債で1763年4月5日より支払う。のこり70万ポンドは二つの富籔公債より成る。 おのおの10ポンド券35, 000枚にて発売。ともに1763年4月5日より年利4%を伴う。イン 24) グランド銀行管理。C1osed Subscription。 これらの公債応募には条件が付されている。100ポンドの応募老は4%無期債80ポンド と二つの富籔公儘それぞれ一枚つつを取得せねばならない。二つの富籔公債は異る時期に 発行される。第一のものは5月20日J第二のものは11月28目。なお空籔にも5ポンドを保 証するから全点が「割増金」を受けることになる。 280万ポンド無期債は8分割払(12,5%一3月15日,12.5%一5月10日,12.5%一6月16日, 12.5%一7月21日,12.5%一8月30日,12.5%一9月27日,12. 5%一10」ヨ21日,12.5%o 一11月24日)。 70万ポンド富籔公債はおのおの二分割払。第一富籔公債(10%一3月15日,90%一4月21 25) 日)。第二1富籔公債(10%一3月15日,90%一10月11日)。 1763年 (B)3,483,553ポンド1シリング10ペンス。法律〔3Geo.皿., c.9〕による。 26) 海軍債・食糧債・運輸債など短期債の4%無期二化。 21) tCHistory of the Earlier Yearg. of the Funded Debt.”, ibid , p 28. 22),23) Grellier, J. J, ibid., p, 42. 24) “History of the Earlier Years of the Funded Debt”, ibid., p. 28. 25) Grellier, J. J, ibid., p 43. 26) “History of the Earlier Y. ears of the Funded Debt.”, ibid,, p. 28.
92 む す び !740−50年代におけるイギリス公債膨脹の軌跡を概観するとき,その主因はあくなき戦 費財源の調達であることは明白であるが,これを可能とした種々新機軸の導入は公債技術 発達史上に記録されてよいことである。いまその一端を垣間見るにすぎぬとしても,事を 処するにさいして政府高官と一部特権的金融閥とが,たがいに錯綜し癒着しあいながら利 害を調整し,戦争遂行の大義にかくれて暗躍するさまは,生きた歴史の裏面を彩るものに ほかならない。折しもこの時期に大量の外来系資金がイギリス債券に投入されたことも記 憶にとどめておいてよい。 とも角も公債は巨大に累積した。それにひきかえ減債の努力,そしてその実は挙げえた であろうか。なによりも第四表はそのいつわらざる実態を物語るものに相異ない。 第四表 1749−1763年:長期債動態 その他財源