信用力と信用取引
宮 澤和 敏
〈はじめに〉
信用取引においては,与信をしようとする者はつねに,受信を求める者の将 来の支払を信用することができるかどうか,すなわち受信を求める者の信用力 がどの程度であるかを考慮して,与信を行うかどうかを判断するであろう。そ して,諸資本の行動を通じて資本主義的な信用機構が機能するとすれば,信用 機構の機能の仕方と受信者の信用力の問題とは密接に関連するわけである。本 稿は,受信者の信用力の問題に焦点を当てながら,資本主義経済における信用 機構の機能の仕方を考察することを課題としている。
マルクスは,「商業信用にとっての限界は,それ自体として見れば,(1)産業 家や商人の富,すなわち還流が遅れた場合の彼らの準備資本処分力であり,(2)
この還流そのものである」(K.皿,S.497)と述べ,手形の受信者の資本の
還流の遅れと,還流が遅れた場合の準備資本処分力の不足が,受信者の支払を
不可能にすることについて論じている。そしてマルクスは,このような限界を
もつ商業信用にたいして,「産業家や商人どうしのあいだの前貸が,銀行業者
や金貸業者から産業家や商人への貨幣前貸と混ぜ合わされる」(K.IH, S.50
1)ようになると,すなわち商業信用に銀行信用を含む「本来の貨幣信用」(同
上)が加わると,「各個の製造業者や商人にとって,多額の準備資本の必要が
避けられ,また現実の還流への依存も避けられる」(同上)と論ずる。すなわ
ち,個々の資本の現実の資本の還流の不確実性と準備資本の不足が商業信用の
限界であったのにたいして,銀行信用を中心とする「本来の貨幣信用」がその
限界を打開するとされているわけである。しかし,その限界がどのように打開
されるのかは必ずしも明らかではない。商業信用において,手形で受信を求め
る者の資本の還流の不確実性と,その準備資本の不足は,受信を求める者の将
来の支払にたいして他の資本家が信用することを妨げ,結局,商業信用が成立
するのを妨げるとみることができるが,銀行信用がその限界をどのような意味
で打開するのであろうか。マルクスは,銀行への預金者が「産業家や商人たち 自身から,しかしまた労働者からも…,地代収得者やその他の不生産的な階級 からも成っている」(同上)というのであるが,銀行がこのように社会に存在 する貨幣資本を集めることによってどのように商業信用の限界を打開するのか については,積極的に論じているとはいえないであろう。
もっとも,マルクスにあっては,商業信用の限界を銀行信用が打開するとい う観点は部分的にみられるにすぎない。『資本論』には,「商業信用,すなわち 再生産に携わっている資本家たちが互いに与え合う信用」が「信用制度の基礎 をなしている」(K.m, s.496)という認識や,「生産者や商人どうしのあい だの相互前貸が信用の本来の基礎をなしているように,その流通用具,手形は 本来の信用貨幣すなわち銀行券などの基礎をなしている」(K.皿,S.413)
という認識も部分的には存在するが,その認識にもとついて信用論の具体的内 容が展開されているわけではなく,商業信用がどのような意味で信用制度の基 礎になっているかは,必ずしも明らかにはされていない。商業信用の限界との
関連で指摘された資本の還流の不確実性の問題も,信用制度全体にとってどの ような意味をもっているかは,『資本論』において十分には明らかにされてい ないように思われる①。
宇野弘蔵は,マルクス信用論の方法を再構成して商業信用を信用の基礎的機 構と位置づけつつ,諸資本の行動が信用関係を機構化する論理を解明している。
このような宇野の方法は,資本主義的信用制度の機構的役割を明らかにするた めにも,さらに資本主義的信用制度が歴史的に多様化する論理を解明するため にも,きわめて有効な方法であると考えられる。とはいえ,宇野にあっては受 信者の信用力の問題が積極的に論じられているわけではない。宇野は,紡績業 者が織物業者に綿糸を手形で売り,その手形で紡績業者が綿花栽培業者から綿 花を買うという事例を考察しつつ,「この関係は,…織物業者の製品が一定期 問後には市場で一定量の貨幣に実現されることを基礎とする」(宇野[1973]
462頁)と述べ,手形の受信者の将来の販売が意図したように実現されること が,商業信用の成立の基礎的条件であることを明らかにしている。しかし,織 物業者にたいする与信者である紡績業者や綿花栽培業者が,どのような根拠に もとついて織物業者の将来の販売の実現を信用するのか,という点については 論及されてはいなかった。
信用力の問題は,宇野以降のマルクス経済学の信用論の発展のなかで次第に
宮澤:信用力と信用取引 39
クローズアップされてきたといってよい。とりわけ,受信者の信用力の問題を 一つの主要な問題と捉えて信用論を展開しているのは,山口重克である。山口 は,「〔商業信用〕の限界は,基本的には個別資本の流通過程の不確定性ないし 将来の流通過程についての予想の不確実性に起因するものである」(山口
[1988](4)98頁)と捉えたうえで,商業信用の限界の一つとして,受信者の 信用力の問題を積極的に論じ,銀行信用によって受信者の信用力に起因する商 業信用の限界の一面が打開される関係を立ち入って展開しているのである。
そこで本稿では,まず第1節で山口の信用力の捉え方を手掛かりとして,信 用力という概念が,信用機構の原理的考察にとって必要であることを確認しよ
う。その必要性にもかかわらず,信用力という概念の具体的内容は必ずしも立 ち入って論じられてこなかったように思われる。そこで第2節では,信用力が いったいどのような要因によって規定されるのか考察する。それによって,と
くに資本家の流通活動がその資本の信用力を評価するさいに重要な意味をもつ ことが明らかになるであろう。ただし信用力を評価することには多くの困難が 伴うといってよい。続く第3節では,諸資本の信用力は,どのような主体によっ てどのように評価されるのかを論ずる。それをふまえて第4節では,諸資本の 信用力のあり方によっては,再生産に携わる資本家のなかから形成される信用 関係として,商業信用のみならず,貨幣貸付も論じうることを示す。最後の第 5節では,諸資本相互の信用力の評価の仕方によって,信用取引のあり方も変 化することを明らかにしたい。
1.信用力という概念
従来,信用力という概念は,おもに商業信用の限界とのかかわりで論じられ てきた。それは信用力の問題が,商業信用の限界を銀行信用がどのような意味 で打開するかを明らかにするうえで,重要な論点になるからだと思われる。と はいえ信用力という概念の必要性については,商業信用にもとついて銀行信用 を展開するという宇野の方法を継承しながら,大内力と山口が対照的な捉え方
を提示している。すなわち,大内が商業信用の限界において信用力の問題を消 ,
ノ化して理解しているのにたいして,山口はむしろ信用力の問題を商業信用の 基本的な限界の一つとして捉えているのである。本節では,信用力という概念
にかかわる限りで,大内にたいする山口の批判をみておくことにしたい。
大内は「銀行券の本質」を明らかにするために商業信用の限界についての諸
説を検討した後,「問題は,商業信用ないし手形の限界をどのように考え,銀 行券がいかにそれを解決するのかという点にしぼられることになるが,まず手 形の実質的限界としてこれまであげられてきた,その支払が振出人の個別的な 資本の還流に依存しており,そのいみで信用に限界があるという点から考察を はじめよう。このばあい,これまではこの問題は,振出人が期限がきたとき果 して現金の支払におうじうるかどうかが不確実であるというふうに理解される 傾向が強かったことは,すでに明かにしたが,それをそう単純に理解すること でいいかどうかには疑問がのこる」(大内[1978]151頁)と問題を提起する。
将来の手形の支払が確実かどうかという点こそが商業信用の「実質的限界(2)」
であるように思われるが,大内はそのような「商業信用ないし手形の限界」の 理解の仕方を疑問とするわけである。大内はそれにたいする批判を次の三点に 分けて展開している。
大内は,まず第一に,振出人の信用に限界があるという問題は,「はじめか ら手形の振出人が不安定な経営者であり,その手形が不渡になるかどうかが疑 わしい,といういみに理解されてはならない」(同上)という。そして,現実 の取引では「インチキな資本家」による「詐欺的なやり方」も生じうるが,
「原理論では,いちおう健全な経営をしており,相手に信用されるに値する資 本家が手形を振出すものとするしかない」(同上)という理由が述べられるの である。
大内のこのような主張にたいして山口は,「健全な経営や安定的な経営者に 対象を限るという場合,健全とか安定ということの意味なり基準なりは中々難
しい」(山口[1988](4)107頁)と述べ,「各資本の利潤率は部門間でも部門 内でも不均等であり,不断に均等化する傾向があるとしても不断に不均等化し ている」(同上)という,原理論のとりわけ第三篇の想定を確認したうえで,
「一一般的利潤率よりも低利潤率の部門の資本ないし低利潤率の資本のことを健 全な,安定的な資本とはいい難いとしても,しかしだからといってそれらのす べてを不健全な,不安定な資本といって受信資本から排除してしまうわけにも いかない」(同上)と論ずる。そして山口は,大内にあっては「諸資本の均質 性が想定されている」(同上)という点を疑問とするわけである。
山口のいうように,原理論とりわけ競争論では,諸資本の不均質性を消極化
すべきではないと考えられる。現実の資本の蓄積過程においては,部門毎の利
潤率は,それぞれたえず変化しながらいつでも相違しているであろうし,部門
宮澤:信用力と信用取引 41
内の諸資本の生産技術の相違や規模の相違もいつでも存在しているであろう。
また,個々の資本家がそれぞれ独立して意思決定を行っているのであるから,
個々の資本家の経営方針も互いに異なっているというのが,通常の状態である。
もちろん一方では,諸資本が相対的に有利な資本の行動を模倣することによっ て,諸資本の既存の不均質性は競争の過程で消極化する面があるといってよい が,他方では,より多くの利潤を得るために諸資本はたえず新しい行動を展開 すると考えられるから,新たな不均質性が競争の過程で生じてくるといえよう。
現実の資本の蓄積過程においては,諸資本の不均質性のあり方が競争の展開の 仕方に影響を及ぼし,競争の展開を通じて新しい不均質性が生み出されると考
えられるのである。
そして信用取引においては,このような資本の不均質性は重要な意味をもつ。
与信を行おうとする者は,利潤率が低下しつつあり,近い将来には利潤を取得 しえないという可能性のある資本にたいして与信を行うことは,できるだけ避 けるであろう。そのような資本は,たとえ詐欺的な資本家ではなくても,「そ の手形が不渡になるかどうかが疑わしい」からである。それにたいして,高い 利潤率を保持している資本については,その危険性が少ないのであるから,積 極的に与信活動を行うであろう。諸資本の不均質性に応じたこのような与信者 の行動の結果として,信用は諸資本の蓄積を不均等に促進することになる。ま た,受信を求める者の信用力が低いことから商業信用が成立しないというケー スで,銀行の介入によって彼にたいする与信が成立するとすれば,商業信用の 限界の一つが銀行信用によって打開されることになる。すなわち,さまざまな 資本家を「信用されるに値する資本家」として一括してしまうという方法は,
資本の蓄積にたいして信用が不均等な作用を及ぼすことや,商業信用と銀行信 用とで諸資本の不均質性にたいする対応の仕方が異なることが解明されえなく なってしまうという点で問題が残るのである(3)。
しかし大内は第二に,そもそも「将来の信用力」が確かめられるのかという,
より基本的な疑問から,信用力の問題を商業信用の限界と捉えることにたいす る批判を展開する。それは,「振出人の信用力というのは,…手形の満期にお ける支払の確実性ということになる」(大内[1978]151頁)が,「将来の信用 力が問題だとすれば,それはじつはだれにも確めようはないのであって,一々 確めうるかどうかを問題にすること自体いみのないことにならざるをえない」
(同152頁)というものである。「将来の信用力」ということで大内がここで問
題にしているのは,景気動向とのかかわりである。すなわち大内は,「この将 来の時点における支払能力は,結局はそのときの景気動向に左右されるのであ り,…景気の破綻がいつどのていどに起り,また当該の資本がそのなかでどの ような打撃をうけるかは,まさに神のみぞ知るである」(同151頁)と述べて
いる。
このような大内説にたいして山口は,諸資本の不均質性という第一の論点を ふまえて,「原理論でも諸資本の間に利潤率の水準ないし動向の相違を想定す るとすれば,それに応じて諸資本の支払能力にも,景気の動向によるいわばタ テの相違だけでなく,景気のある局面におけるヨコの相違も存在する」(山口
[1988](4)108頁)と述べ,大内の捨象した,景気の同一局面の諸資本の信用 力の相違を指摘したうえで,「この信用力の問題は将来の予想にかかわる問題 であるから,そこには何らかの不確実性がつきまとうが,しかし誰も確実には 予想しえないからといって,個々の資本としては相手の支払能力の差を無視し て行動するとは考えられない。取引相手を選別し,取引条件を決定するために は,不確実にせよ一定の予想を確定せざるをえないのである」(同上)という のである。
一般的にいえば,信用取引が成立してしまえば,与信者は受信者の将来の支 払を受動的に待つしかないのであるから,信用取引には与信者からみて大きな 不確実性が伴う。にもかかわらず,大内の説くように受信者の信用力はまった く確かめようがないとすれば,信用取引はほとんど成立しえないのではないだ ろうか。信用論の基本的な舞台設定としては,将来の支払は予測しにくいので あるから手形は一般的には流通しえず,将来の支払がある程度の確実性をもっ て予測される場合にのみ手形は受け取られると想定すべきであるように思われ る。大内が一・方で「将来の信用力」は「だれにも確めようはない」といいなが ら,他方で「手形が軽転流通する」というのは,事実上信用取引の不確実性を いちじるしく軽視することになっているようにみえる。しかし実際には,大内 が述べているように手形の流通において「すくなくとも裏書人は日常的な取引 の相手方であろう,したがってその信用が一々確められないということにはな らない」(大内152頁)と考えられる。そして日常的な取引の過程で相手の信 用力がある程度確かめられるからこそ,与信者はその手形を受け取るのである。
そのさい与信者は,手形の支払が確実かどうかという点について景気の動向も
考慮するであろうが,受信を求める資本のうちどの資本を信用しうるかを慎重
宮澤:信用力と信用取引 43
に判断するはずである。すなわち山口の説くように,与信者は諸資本の「ヨコ の相違」をみながら,「不確実にせよ一定の予想を確定せざるをえない」とみ ることができる。
それでは大内の第三の論点をみてみよう。それは,「この将来の信用力がも し問題だとすれば,産業資本のそれのほうが薄弱であり,銀行のそれのほうが より確実だという議論はあまり説得力があるとは思えない」(大内[1978]152
頁)という批判である。たしかに産業資本のなかには,銀行と同様の,ある いはそれを上回る信用力をもつ資本が存在することもあると考えられる。しか しこのことは,銀行資本を含めて,諸資本の信用力に相違があることを理論的 に消極化する論拠とはなりえないであろうし,信用力の相違が商業信用を取り 結ぶさいの障害になることを否定する論拠ともなりえないであろう。また,産 業資本が銀行よりも高い信用力をもつという想定を原理的に排除する理由はな いとすれば,問題は,銀行と同様の,あるいはそれを上回る信用力をもつ産業 資本があるときに,商業信用と銀行信用の関係はどのようになるかという点に あるように思われる。
大内は以上の三点を総括して,「手形の実質的な限界と考えられてきた信用 力の問題というのは,じつは手形の期限の問題に帰着する,ということが明か になるであろう。すなわち,手形のばあいには,その支払の確実性は,…将来 にかかっている。それについて諸資本はある予想はもちうるとしても,絶対確 実だとは当の振出人さえいえないことである。したがって手形はその期限が長 くなればなるほど,それだけで流通性を失うことになろうし,反対にそれが軽 転しているうちに,満期までの残余期間が短くなれば,流通性は大きくなると いっていい。…だから手形と銀行券とどちらが信用力があるか,という問題は,
じつは同じ時点における産業資本と銀行資本の信用力の比較ではないといわな ければならない。将来における前者の支払確実性と,現在における後者の支払 確実性との比較にすぎないのである。…銀行券が党換を背景にして,より大き な流通性をもつのも,そのためにほかならない」(同153−154頁)という。す なわち大内は,手形の信用力の問題を手形の期限の問題に帰着させ,手形の期 限が短ければ短いほど手形の流通性は大きくなると捉え,銀行券は免換を背景 に現在の支払確実性にもとついて流通するから,より大きな流通性をもつとい うのである。
これにたいして山口は,「諸資本の利潤率の相違を想定するとすれば,支払
確実性の相違を消去することはできない」(山口[1988](4)108頁)と述べ,
たとえば同じ期限の手形であっても,「手形で商品を販売する側としては,支 払確実性の比較的に高いと予想される資本の手形の方を好んで受けとり,支払 確実性が比較〔的〕に低いと予想される資本の手形の受けとりは余り好まれな いことになる」(同上)という。そして山口は,支払確実性についてのこのよ うな「予想ないし選択に多少とも偏りが生ずれば,振出人ないし裏書人の相違 によって商品の信用価格に差が生じる」(同108−109)ことになり,「この価格 差の極端な場合として,特定の買手については信用価格が成立せず,商業信用 関係が成立しないということもありえよう」(同109頁)と述べて,「信用力の 問題は手形の期限の問題に解消するわけにはいかない」(同上)と大内説を批 判するのである。
このような山口による大内批判は妥当であると思われる。同じ資本家が振り 出す手形であれば,手形の期限が長ければ長いほど手形の信用力は低くなるが,
同じ期限の手形でも振出人が異なれば,その信用力は異なるであろう。そして 信用力の低い手形は高い手形にたいして受け取られない可能性が高いと考えら れる。したがって手形の信用力の問題を大内のいうように手形の期限の問題に 帰着させることはできない。
もちろん,銀行券が一覧払の債務であることから現在における支払確実性が 問われる面があり,現在における支払確実性によって,銀行券が銀行手形以上 の流通性をもつということはできる。けれども,銀行券が大きな流通性をもつ のは,銀行の高い信用力にもとつく面が強いのであって,見換を背景にそれが 大きな流通性をもつと捉えるだけでは不十分である。かりに,信用力の低い資 本家が一覧払債務の手形を振り出したとすれば,その債務はただちに支払を請 求されてしまい,手形は流通しえないといってよい。銀行の振り出した一覧払 の債務である銀行券がただちに支払を請求されずに流通しうるのは,銀行手形 が優良な債務として多くの人々に認められ,多くの人々が銀行手形を受け取る という行動をとることにもとついている。もとより,銀行券の流通根拠を明ら かにするためには銀行手形の信用力以外の要因も考慮しなければならないが,
まず明らかにしておかなければならないのは,「期限をなくすことを可能にす る根拠」(竹内[1995]45頁)である。そしてそれは,銀行手形が高い信用力 をもち,多くの人に受け取られるという点にあると考えられるのである。
以上のようにみてくると,信用取引を考察するさいには受信者の信用力の問
宮澤:信用力と信用取引 45
題をふまえて論ずる必要があることが理解されるであろう。では,信用力はど のような要因によって規定されるのであろうか。また,個々の資本家が他の諸 資本の信用力を評価するさいの判断要因はいったい何か。山口は,個々の資本 は取引相手を選別し,取引条件を決定するために「諸資本の利潤率の水準と動 向にもとついて予想を立て,行動を決定する」(山口[1988](4)108頁)と述 べ,また,「このような予想ないし選択が諸資本の問で一致する保証は必ずし
もないが,予想ないし選択に多少とも偏りが生ずれば」(同上),信用価格に差 が生じ,価格差の極端な場合として,信用価格が成立せず,商業信用関係が成 立しないということを述べている。では,相手の支払能力についての諸資本の 予想や取引相手の選択には「偏り」が生ずるのはなぜか。そして,必ずしも予 想や選択が「一致」するわけではないのはなぜか。それを明らかにするために は,予想や選択に作用する諸要因をさらに立ち入って検討することが必要であ ろう。そしてこの問題は,商業信用の限界と銀行信用の機能を考察するうえで 興味深い問題であるように思われる。そこで節を改め,諸資本の信用力を規定 する要因について考察することにしよう。
2.信用力の規定要因
信用力を規定するのは将来の支払能力であるから,現在の利潤率の水準より もむしろ将来の予想される利潤率の水準が問題になる。将来の利潤率を事前に 予測するのであるから,そこには多かれ少なかれ不確実性がいつもつきまとう が,与信者としては,受信を求める者のそれまでの利潤率の動向を確認したう えで,その変動の方向を予測し,さらに意図せざる結果が生じた場合に受信を 求める者が支払準備金として利用することのできる貨幣資本の量を勘案して,
受信を求める者の信用力を判断するしかないと考えられる。そのさい基準とな る利潤率は,必要な費用をすべて控除したあとの,実質的に自由に処分可能な 利潤と,流通上の諸資本をも含めた投下総資本との比率としての利潤率であろ
う。そこで以下,利潤率という場合にはこの意味で使用する。
この利潤率は生産過程の技術的条件によってのみならず,流通過程の諸要因
によっても変動する。とはいえ,生産過程と流通過程とでは,費用と効果との
関係が大きく異なっている。生産過程は,投入と産出の関係が技術的に確定可
能であるという性格を基本的にもっている。つまり資本家としては,生産手段
と労働力さえ確保できれば,意図したとおりの生産量を生産することに大きな
困難はないのである。しかも生産技術は一旦固定資本が投下されれば相対的に 長期間変化しないのであるから,ある生産技術の導入以降は,時間がたつにつ れてその生産技術についての情報は他の資本家にも徐々に知られるようになる であろう。したがって与信者が受信を求める者の信用力を評価するさいには,
生産過程の技術的条件を評価することには相対的に困難は少ないといえる。そ れにたいして,流通過程に投下される費用と効果の関係には技術的な関係が必 ずしも存在しない。つまり費用を投下しても,意図したように売買を行うこと ができるかどうかは,不確定な面がある。技術的に優等な生産条件をもつ資本 が流通にかかわる諸費用を効率的に投下するとは限らず,その資本が高い利潤 率を確保するとは限らないわけである。そして商業信用が取り結ばれる期間は,
たとえば三ヵ月なり五ヵ月なりといった比較的短かい期間であり,それは一定 の生産技術を前提としたうえで締結されることが多い。そのような期間の諸資 本の利潤率の動向は,短期的に変化させることができる流通上の諸費用にたい して,どのように資本が投下されるかによって大きく規定されると考えられる。
与信者からみれば,受信を求める者が流通過程に投下する諸費用の効果は予測 しがたいにもかかわらず,その効果を予測しなければ受信を求める者の利潤率 の動向がわからないという点に,信用力を評価するさいの大きな困難があるわ けである。
ただし,流通過程は不確定であるといっても,そこにはいろいろなレベルの 不確定性が含まれていると考えられる。そこで流通過程の不確定性をいくつか の段階に分けて考察し,将来の支払能力に作用する諸要因を分析してみよう。
まず,もっとも単純なケースとして,同じ部門に属するすべての資本家がその 生産物に同じ価格を設定し,積極的な流通活動を行わず,買手からみてどの生 産物も無差別であるとしよう。この場合,市場にあるどの商品も,一定期間内 に売れる確率は等しいと考えられる。それに応じて,個々の売手にとっての流 通過程の不確定性も確率的に計算することが可能であるといってよい。
このことを簡単なモデルで例示してみよう(4)。市場に商品を供給する売手 はX,Yの2人だけであり,彼らは毎日それぞれ1個ずつ商品を市場に供給す るとしよう。そして毎日2個の商品が市場から流出するものとする。この場合,
かりに,毎日のはじめに市場に2個の商品が流入し,その日の終わりに2個の
商品が市場から流出して市場が空になるという状態が成立したとすれば,個別
的にも社会的にもいわば無駄がないわけであるが,このような市場の状態は一
宮澤:信用力と信用取引 47
般的なものとはいいがたいように思われる。売手であるX,Yは無規定的に発 動される需要にたいしていつでも対応できるように,ある程度の商品在庫をもっ て市場で買手を待つのであり,市場には通常は商品が滞留していると考えられ るのである。そこで,市場に毎日のはじめにそれぞれ1個の商品を流入させて いるXとYが,それぞれさらに1個の商品在庫をもつと仮定し,市場からはや はり毎日2個の商品が流出すると考えてみる。つまり市場には,毎日2個の商 品が流出入することと並行して,商品が2個いつでも滞留しているとするわけ である。このとき,毎日のはじめに市場に流入する2個の商品とすでに市場に 滞留している2個の商品とに,価格と品質のうえでまったく差がないとしよう。
その場合にも,買手はそのなかから2個の商品を選んで買うことになる。そし て買手の選択がまったく無規定的に行われるとすれば,市場にあるどの商品も 売れる確率は毎日4分の2,つまり50%である。ただし,XとYの在庫の状況 は日々変動する。すなわち,ある日の終わりに2個の市場滞留商品を商品在庫 として負担するのは,Xだけが2個負担する場合, XとYが1個ずつ負担する 場合,Yだけが2個負担する場合がある。たとえば,ある日の終わりにXとY がそれぞれ在庫を1個もっていたとすれば,その次の日の終わりにXの在庫が
2個になる確率が約17%,在庫が1個のままである確率が約66%,在庫がゼロ になる確率が約17%である(5)。
以上の簡単な例からも理解されるように,買手からみてどの商品も同じであ るとすれば,市場に滞留する商品のどの個々の商品についても,それが同じ期 間に売れる確率は等しい。それに応じて,個々の売手の商品の在庫量は,ある 確率分布に従って変動することになる。すなわちこの場合,売手にとっての流 通過程の不確定性は,一定の確率分布にしたがって変動する販売期間の不確定 性として理解することができるわけである。一般に受信者は,販売期間が延び て貨幣の回収が遅れた場合にも債務を支払うことができるように,あらかじめ 準備金を用意しておき,それでも不足する場合には種々の遊休貨幣資本を支払 準備金として利用すると考えられるが,販売期間の変動がこのように確率的に 理解可能であるならば,受信者の準備活動は,比較的容易に行うことができる であろう。また与信者からみても,販売期間の変動の仕方は比較的予測しやす く,その変動にたいして,受信を求める者が支払準備金として利用しうる貨幣 資本をどの程度もっているかを考慮してその信用力を評価すればよいといえる。
しかし,売手である資本家は,一定量の商品を市場に供給し続けることで満足
するわけではない。彼は可能であるならば,一定の生産技術を前提としながら もできるだけ流動資本的拡張を行って生産物の在庫を形成し,稼働率を上げよ うとするであろう。需給の動向によっては,市場に滞留する商品量が変動し,
一定期間に個々の商品が売れる確率も変動して,販売期間の変動にたいする準 備活動は複雑化することになる。
たとえば先の例で,毎日のはじめにXとYがそれぞれ1個ずつ商品を市場に 新たに供給し,市場からは毎日2個の商品が流出するという想定は変えずに,
ある日の終わりの在庫商品量がX,Yそれぞれ2個だったと想定を変更してみ よう。その日の終わりに市場には4個の商品が滞留し,翌日のはじめには新た に2個の商品が市場に流入するから,計6個の商品のうちの2個の商品が翌日 中に売れることになる。したがって翌日のうちに売れる確率はどの商品につい ても3分の1に低下する。そして翌日の終わりにXの在庫量がどうなっている かみてみると,在庫が2個のままである確率が60%,3個に増加する確率と1 個に減少する確率がともに20%である(6)。つまり市場滞留商品量の増加に伴っ て,個々の売手の在庫量が増大し,販売期間が長期化するとともに,そのバラ ッキも大きくなるわけである。
この場合,売手である資本家が販売期間の変動にたいして的確な準備活動を 行うためには,市場全体の需給の動向を見極めることが重要になる。たとえば,
売手である資本家が市場全体の需給の動向を見誤り,市場滞留商品が増加して いるにもかかわらず,従来と同じような支払準備金しか用意していないとすれ ば,その資本家は意図せざる販売期間の長期化とバラツキに対応しなければな らなくなる。このような資本家の将来の支払は,彼が見通しを誤ったことによっ て,不確実性が増すであろう。したがって与信者としては,受信を求める者の 生産物在庫の形成と販売期間の不確定性にたいする準備活動とが,市場全体の 需給関係についての的確な予想にもとついたものかどうかを判断しなければな らないわけである。つまり,与信者としても,受信を求める者の信用力を判断 するためには,その生産物市場の需給動向についての的確な予測が必要になる のである。
これと同様のことが,受信を求める者の生産手段の購入活動についてもいえ
るであろう。一般に,売買のイニシアティヴを貨幣所有者が握っていることか
ら,購買は販売と比較すれば,意図したとおりに行うことができる可能性が高
い。需給が対応しつつ市場に一定の相場が安定的に成立しているならば,貨幣
宮澤:信用力と信用取引 49
所有者は相場を支払う限りいつでもその商品を購入することができるのである。
しかし,需給が逼迫し,価格が上昇傾向にあるときには,生産手段の在庫を確 保しておく方が有利になる場合があるであろう。したがって,利潤率の動向は,
生産手段の在庫形成の妥当性によっても左右されるわけである。すなわち与信 者は,生産手段市場の需給動向を予測して,受信を求める者の在庫形成が妥当 なものかどうかを判断しなければならないことになる。
このように受信を求める者の信用力を評価するためには,その生産物市場に ついても,生産手段市場についても,需給動向を的確に予測することが求めら れる。そのためには,市場を構成する多数の売手の販売計画と多数の買手の購 買計画についての情報を得ることが必要になる。もちろん,それを完全に知る
ことは不可能であるが,積極的に費用を投下して情報網を開発し,繰り返し調 査を行うことによって,情報の精度を高めていくことは可能であろう。とくに,
売手である産業資本家の販売計画と買手である産業資本家の購買計画が,それ それの生産計画に直接にもとついてなされる場合には,調査によってある程度 の蓋然性をもった需給動向の予測が可能であると考えられる。けれども,売手 の販売計画と買手の購買計画に投機的な動機がからむ場合には,売手と買手の 思惑がどのように変化するかをも予測しなければならないという点で,予測の 困難さは格段に増大するといってよい。その場合にも与信を行うかどうかは与 信者の判断によるが,いずれにしても与信者としては,情報網を開発しつつ,
繰り返し市場の需給動向を調査することによって,できるだけ正確な需給動向 の予測を立てることが必要になるのである。
しかし,将来の支払能力に作用する資本家の活動は,市場全体の需給動向を 見込んで行われる,準備活動や在庫形成活動にとどまらない。資本家は,市場 の需給動向を外的な与件として受け取るばかりではなく,生産物の販路を確保 し,さらにそれを拡大するために,積極的に費用を投下して販売促進活動を展 開する。そして販売促進活動の効果は,個々の資本家によって差異が出てくる と考えられる。販売促進活動は,買手に働きかけて買手の購買行動を引き起こ す活動と捉えることができるが,働きかける対象が人間であるために,この場 合にも費用と効果の関係は技術的に確定しうる関係にはない。どのような売手 の働きかけがどのような買手の反応を引き起こすかは,事前には予測がきわめ て困難であろう。しかし,資本家は販売促進活動において,買手の反応を無視
して一方的に買手にたいする働きかけを続けるのではない。売手である資本家
は,みずからのさまざまな販売促進活動にたいする買手の行動を繰り返し観察 しながら,買手がどのような販売促進活動にたいして反応するかを分析するで あろう。もとより,買手の行動のなかには,売手の販売促進活動に反応して行 動した部分とそれとは無関係に行動した部分とがあると考えられる。売手はそ のなかから販売促進活動によって引き起こされた買手の反応を探るわけである。
そしてそれをふまえて売手は買手の反応を効果的に引き起こさせるような販売 促進活動を工夫するにちがいない(7)。また,販売促進活動は,買手の行動を 引き起こす因果関係を解明することを不可欠の作業としているのであるから,
買手についての情報が重要な意味をもつ。この情報は一定の期間は有効であり,
いわば固定的な性格をもつとみることができるから,資本家のもつ情報量の差 異が資本家の販売促進活動の効果に作用する面もあるであろう。そして,買手 の行動の分析の仕方と,それに応じた販売促進活動の再調整の仕方には,個々 の資本家に応じた熟練が形成されると考えられる。この意味で,販売促進活動 の分野は,資本家の活動のなかでもとくに,「資本家自身なり彼の管理補助者 や支配人なりの個人的な事業手腕によって非常に左右される」(K.皿,S.147)
という性質の強い活動分野であるように思われる。
このように販売促進活動の効果が個々の資本家によって異なるとすれば,個々 の資本家にとっての販売期間の不確定性のあり方も異なってくるであろう。効 果的な販売促進活動を行った資本家にとっては,販売期間が短縮されるととも に,販売期間のバラツキもある程度は消極化されると考えられる。逆に販売促 進活動が意図した効果をあげえなかった資本家にとっては,販売期間が意図し た以上に長期化するとともに,そのバラッキも増幅され,意図した利潤が計上 されないことにもなるわけである。したがって,販売促進活動の効果に応じて 支払準備金が充分かどうかも決まってくる。そうしてみると個々の資本家の信 用力を評価するためには,その資本家の販売促進活動の効果を予測しつつ,支 払準備金として利用しうる貨幣資本の量が充分かどうかを判断しなければなら ないと思われるのである(8)。
ただし,与信者からみると,受信を求める資本家の販売促進活動の効果を事 前に予測することには多くの困難が伴う。というよりもむしろ,どの資本家の 販売促進活動の効果が高いかは,事後的にしかわからないことかもしれない。
しかし,事後的にでも差が生ずるのであれば,短い時間の幅で販売促進活動の
効果を調べることによって,資本家による販売促進活動の効果の大きな差異が
宮澤:信用力と信用取引 51
現れる前に,それを予測することはある程度は可能であろう。そして,事後的 にではあれ,効果に大きな相違が生ずるとすれば,個々の資本の販売促進活動 はその資本の将来の支払能力に影響を与えるわけである。したがって,信用力 を評価するさいには,個々の資本家の販売促進活動の効果を早い段階で予測す ることが不可欠の作業になるといえよう。
以上のように信用力を評価するためには,受信を求める資本の支払準備金の 準備の仕方や在庫形成のあり方,さらに販売促進活動の効果といった,主とし て流通にかかわる資本家的活動の妥当性をも評価しなければならないわけであ る。一般に,個々の資本の信用力を評価するときには,その資本の生産活動に ついても,流通活動についても,効率的に行われているかどうかを判断して将 来の支払能力を予測しなければならないが,とくに流通活動を評価することに は,そのための情報網を積極的に開発し,短い時間の幅で繰り返し調査を行わ なければならないという点で,多くの費用がかかるといえるであろう。
3.手形割引の条件
さて,一般に信用力の問題は,商業信用の限界の一つであるとともに,その 限界は銀行信用によって打開される可能性があるとみなされている。信用力が 以上のような諸要因によって規定されるとすれば,商業信用にとって信用力の 問題はどのような意味で限界であり,銀行信用はその限界をどのような意味で 打開すると考えることができるのであろうか。たとえば,産業資本家Bが産業 資本家Aの将来の支払を信用できないという理由で,Aの振り出した約束手形 をBが受け取りえないという場合には,BからみたAの信用力の不足が商業信 用の限界になっている。このとき,銀行がAの手形の支払を保証するなり,A の手形と引き換えに銀行自身の約束手形を与えるなりすることによって,Aと Bのあいだの取引が成立したとすれば,銀行の介在によって商業信用の限界の 一つが打開されたことになる。このように銀行によって商業信用の限界が打開
されるための条件を,信用力の問題に限って考察してみよう。
BがAの将来の支払を信用できないと判断するケースは,大きく分けて二つ あるように思われる。一つは,Bが費用をかけてAの信用力を調査した結果に もとついて,Aの将来の支払は信用できないと判断するケースである。しかし この場合には,銀行がAの将来の支払を信用することもまれだと考えられる。
もちろん,Aの信用力にたいする評価の仕方が,詳しく調査したとしても, B
と銀行とで異なることがないわけではない。とくに信用力を評価する場合には,
資本家の流通活動の効果をも予測しなければならないのであるから,同じ情報 を入手したとしても,Bと銀行とで判断が異なることはありうるといってよい。
また,Aへの与信が収益性も危険性もともに高い与信であり, Bよりも銀行の 方が安全性よりも収益性を重視しているとすれば,Bと銀行とでAの信用力に たいする評価が同じであったとしても,上述の手形割引は成立することになる。
しかし,よりしばしば起こるケースは,BがAの信用力を評価するために必 要なだけの情報をもっていないため,Aの将来の支払を信用するわけにはいか ないというケースだと考えられる。というのは,信用力を評価するためには,
受信を求める資本の生産技術の水準やそれまでの利潤率の推移,さらに資本家 的流通活動の効果についての情報が必要になるが,それらの情報は市場に直接 には現れてこない情報であり,Bがその情報をあらかじめ入手していることは 少ないと考えられるからである。もとより与信者は,商品を信用で売るかどう かを判断するさいには,相手の信用力を必ず調査するといってよい。しかし,
費用をかけて調査したとしても,相手の信用力が低いと判明した場合にはその 費用が無駄になる。したがって,与信者が信用調査を行うのは,基本的には,
相手の信用力が高いと評価される見通しがあって調査費用が無駄にならない可 能性が高い場合か,調査費用が無駄になる危険性を考慮してもなお余りあるほ ど与信のメリットが大きい場合に限られるということができる。受信を求める 者のうち,普段から頻繁に取引を行っている相手については,取引の過程であ る程度の情報が費用をかけずに得られることになるため,相手の信用力につい ての見通しも立てやすく,実際に調査を行う場合にも費用は比較的少なくて済 むといえよう。それにたいして,まったくはじめての相手については,情報収 集の費用はそうでないときよりも多くかかるため,あらかじめその相手につい ての何の情報ももっていなければ,信用調査を行わずにその手形の受け取りを 拒否することが多いとみることができる。それゆえ,商業信用における与信は,
普段から頻繁に取引を行っている諸資本のうち信用力の高いとみなされる相手 にたいして行われることが一般的なのである。
そうしてみると,多くの場合,Bが手形の受取を拒否するのは,振出人Aの
信用力を判断するのに必要な情報をBがもっていないからであり,銀行が手形
を割り引くのは,振出人Aの信用力を判断するのに必要な情報をもち,それに
もとついてAを信用してよいと判断しているからであろう。すなわち,Bが与
宮澤:信用力と信用取引 53
信のメリットを得られないのにたいして銀行が手形割引を通じて与信のメリッ トを得ることができるのは,受信者Aについての情報量の相違に由来する面が あるとみることができるのである。このように,所有する情報量が銀行利潤を 支える一つの要因であることをここで確認しておこう(9)。
さて,BがAの手形を受け取らないにもかかわらず,銀行が支払を保証した Aの手形や銀行手形であれば受け取るのは,Bが銀行の将来の支払能力を信用 しているからである。Bがそれを信用するのは,銀行の将来の利潤率がある程 度高い水準にあることを予測しているからであろう。では銀行の利潤率の動向 は何によって規定されるのであろうか。
銀行の主要な収益は,商業手形の支払を保証するときの保証料や,商業手形 を自己の手形と交換するさいの割り引き料から得られると考えられる。このよ うな信用代位を行うさいには,銀行は代位すべき資本家の信用力を慎重に調査 するのであって,そのためは費用がかかるであろう。また,相手の信用力を慎 重に調査したとしても,その支払が将来のことである以上,債権を予定どおり 回収できないことがある程度の割合で発生する。銀行は,信用代位によって得 られた収益から,調査費用や債権が不渡りになった場合の損失等を控除して利 潤とするわけである。したがって銀行は,できるだけ正確かつ効率的に諸資本 の信用力の調査を行って,実質的に信用力のある資本家の債権を取得しつつみ ずから債務を負い,取得した債権を順調に回収して利潤を確保するのである。
すなわち銀行の信用力を支えているのは,諸資本の信用力にたいする銀行の調 査能力に裏付けられた,債権の順調な返済還流なのである。
産業資本家の信用力を評価するさいには,生産技術の水準や利潤率の推移,
そして資本家的流通活動の効果等を調査して将来の利潤率の動向を予測するこ とが必要であった。そのような情報を効率的に収集するための方法や,資本家 的流通活動を的確に評価するための方法については,銀行が諸資本の信用力を 繰り返し調査する過程で,その銀行固有の方法がとられるようになるであろう。
すなわち,情報を収集し,資本家的流通活動の優劣を判断するという活動にも,
個々の銀行に固有の熟練が形成されると考えられる。また諸資本の信用力につ
いての情報はある程度の期間にわたって有効であると考えられるから,ある時
点までの情報の蓄積によって,その後の諸資本の信用力の高低の動向について
も一定の見通しが得られるといえよう。しかし,それぞれの銀行に固有の信用
調査の方法や情報の蓄積を彼らは積極的に開示しようとはしないであろうから,
それを外部から知ることは困難iであろう。また,その方法が優れたものである かどうかを事前に判断することは,さらに困難であるとみることができる。そ うしてみると,資本家Bが銀行の信用力についての情報をあらかじめもってお らず,銀行の調査能力を改めて費用をかけて評価しなければならないとすれば,
Bは資本家Aの手形ではなく銀行手形を受け取るというわけには必ずしもいか ないであろう。とくに資本家Bが資本家Aの手形を受け取らない理由が,Aの 信用力を評価するだけの情報をもっていないという点にあるとすれば,Bがあ
らかじめ銀行の信用力が高いという情報をもっていることが,銀行手形を受け 取るときの主な理由になる。では,銀行の信用力についての情報をBはどのよ
うに得るのであろうか。
4.信用力の高い資本の生成と貨幣貸付
一般に,優れた調査能力をもつ銀行が集めた債権は,高い比率で予定どおり 馬 収されるであろう。銀行の調査能力の優劣は,銀行の集積した債権の返済還 流の順・不順を規定し,銀行の利潤率の水準を規定することになる。したがっ て,利潤率に相違が現れた後になれば,その相違から銀行の調査能力の優劣を 判断することができるわけである。そうしてみると,長期にわたって高い利潤 率を維持している銀行資本があるとすれば,その資本の調査能力が優れている ことが結果的に利潤率として現れているわけであるから,銀行資本の利潤率の 動向を知る資本家は,必ずしも多くの費用をかけて調査しなくても,その銀行 資本の調査能力が優れていると判断しうると考えられる。すなわち,銀行資本 の利潤率の長期的な水準についての情報が,銀行資本の信用力を判断するさい の有力な情報になるのである。もちろん,長期的な利潤率についての情報がた だちに将来の利潤率の動向を示すわけではないが,それによって銀行の調査能 力についての情報を得て,銀行の調査能力が短期的には変化しないと判断され れば,銀行に与信するさいには,短期的な費用の動向や支払準備金として利用
しうる貨幣資本量㊧動向等をみて信用力を評価すればよいと思われる。
このように,資本が長期にわたって高利潤率を維持しているという情報が,
その資本の信用力が高いということを伝える効果をもつことになるというのは,
銀行資本のみならず産業資本や商業資本についても妥当するであろう。資本家
的流通活動の評価も含めて産業資本や商業資本の信用力を事前に判断すること
は困難であるが,ある資本が高利潤率を継続的に維持していることは,流通活
宮澤:信用力と信用取引 55
動も含めたその資本の活動が,市場で高く評価されていることを意味するといっ てよい。それゆえその資本に与信しようとする資本家は,その資本の短期的な 費用の動向や支払準備金として利用しうる貨幣資本量の動向等をみて信用力を 評価すればよいのであるから,与信のための調査費用を大きく節約することが できるのである。したがって,産業資本・商業資本・銀行資本のいずれにして
も,高水準の利潤を継続的に維持していることが社会の多くの人々に知られて おり,今後も同様の資本家的活動を続けると社会の多くの人々にみなされてい る資本は,彼らから信用力の高い資本と評価される可能性が高いわけである。
さて,比較的少ない費用で特定の資本の信用力が高いことが確かめられ,そ の資本に貨幣を貸し付けることによって利子が得られるのであれば,諸資本は 積極的に信用力の高いその資本に貨幣を貸し付けようとするであろう。一般に 資本としては,利子を支払って貨幣を借りてもその貨幣によって利子を上回る 利潤が得られる見通しがあるならば,積極的に貨幣を借りようとするのである。
他方,とくに産業資本の活動においては,流通期問の変動にたいする準備金な り固定資本の償却資金なりの種々の形態で必然的に貨幣が一定期間遊休せざる をえないのであるから,産業資本は一定期間の遊休貨幣を有効に活用しようと する動機をいつももっていると考えられる。けれども,そのような与信動機は いつでも満たされるわけではない。あらかじめ何の情報ももっていなければ,
多数の資本のなかから信用力の高い資本を捜し出すことには,無駄になる費用 も含めて多大な費用がかかるため,産業資本としては,積極的に信用力の高い 資本を捜し出すことに費用を投下することはほとんどないと思われる。
もっとも,先述したように普段から取引を行っている諸資本であれば,その 信用力の高低は推測しやすく,信用力を調査する場合にも比較的費用をかけず に調査することが可能である。けれども,普段からの取引相手にたいする与信 はまず商業信用として,すなわち商品の掛け売りとして展開されると考えられ る。それは次のような理由による。まず貨幣貸付とは異なって商品の掛け売り には,不確定に変動しうる販売価格や販売期間を確定化して準備貨幣資本を節 約したり,現金ではただちには買いえない買手に手形で商品を販売して販路を 拡大したりするという,固有のメリットがあるからである⑩。また,貨幣貸 付にたいして商業信用は,貸し倒れの危険性が少ないといってよい。貨幣貸付
においても商業信用においても,受信者の将来の支払いが契約どおり行われる
かどうかは,受信者の将来の販売が受信者の意図したとおりに実現されるかど
うかに大きく依存している。その点では貨幣貸付も商業信用も,同じように貸 し倒れの危険性を伴わざるをえない。けれども,商品を掛け買いした買手は,
商品を生産手段として消費するなり,転売するなりの,商品の使用価値に拘束 された活動をするのであって,掛け売りした売手からみて,買手のこれからの 活動はある程度は予測しうる性格をもっている。それにたいして貨幣貸付にお いては,貨幣をどのように使用するかは受信者の自由な決定に委ねられている ため,貸し倒れの危険性は高くなるわけであるω。
このように,貨幣貸付と比較して商品の掛け売りには固有のメリットがある こと,貸し倒れの危険性が相対的に少ないことから,産業資本や商業資本が取 引相手に与える信用は,まず商業信用として展開されるとみることができる。
従来の原理論の展開においては,「再生産に携わっている資本家たちが互いに 与え合う信用」としては基本的に商業信用のみが論じられてきたのは,以上の ような理由によるものと考えられる。けれどもこのことによって,彼らの間で 貨幣の直接的な貸付が並行して行われることが否定されるわけではないであろ う。貨幣貸付を行うことができるほどに信用力の高い資本家があれば,遊休貨 幣をもつ諸資本としては貨幣貸付によって貨幣の増殖をはかろうとするにちが
いない。
けれども,従来の原理論で貨幣貸付が明示的に導入されるのは,銀行にたい する預金,それも貨幣取扱費用の節約のためになされる預金ではなく利子付き の有期預金としてである(12>。これは,一般の産業資本や商業資本にたいして,
銀行資本の信用力が高いという前提にもとついた理論展開であるといえるであ ろう。しかし,理論的にみれば,信用力の高い資本を銀行資本に限定する必然 性はないように思われる。産業資本や商業資本であっても,長期間にわたって 高利潤率を維持している資本であり,今後も同様の資本家的活動を展開すると 予測される資本にたいしてならば,諸資本は積極的に貨幣貸付を行うと想定し
てよいと考えられる(13)。