契約不履行に基づく損害賠償における 賠償と履行の背景⑴
――フランス法――
白 石 友 行
目 次 はじめに
第1章 契約不履行に基づく損害賠償のモデル転換
第1節賠償方式としての契約不履行に基づく損害賠償の誕生 第1款 生成
第2款 背景(以上,本号)
第2節賠償方式としての契約不履行に基づく損害賠償の展開 第1款 論理
第2款 発展
第2章 契約不履行に基づく損害賠償の再モデル転換
第1節賠償方式としての契約不履行に基づく損害賠償の課題 第1款 挫折
第2款 問題
第2節履行方式としての契約不履行に基づく損害賠償の再生 第1款 復権
第2款 提唱
はじめに
本稿は,契約不履行に基づく損害賠償に関 する2つの理論枠組みを用いて,契約不履行 法,契約責任論を再検討し,その成果を契約 法,損害賠償法の基礎理論と接合するための 考察の一環をなすものである(1)。
今日,契約・債務不履行に基づく損害賠償 のあり方が一大争点となっている。言うまで もなく,具体的な解釈論を展開し制度を設計 する際には,前提となる基本構想を検討して おかなければならない。現在では,不法行為 法との共通性に着目する立場と合意を起点に
据える立場との対立構図が描かれ,帰責の根 拠を出発点とする争いが議論の中心に置かれ ている。しかし,この議論だけでは,基本構 想の全貌を浮かび上がらせ,各考え方に内在 する課題を明らかにすることはできない。そ のためには,根拠の問題とは別の次元で,損 害賠償の本質をどのように捉え,これをどの ような論理の下で捉えるのかという視点を持 つことが重要である。こうした損害賠償の本 質という問題設定からは,契約・債務不履行 に基づく損害賠償について,不履行によって 生じた損害を賠償するための制度として捉え るモデル(賠償モデル)と,実現されなかっ
た契約・債権の実現を確保するための制度と して把握するモデル(履行モデル)を抽出す ることができる。そして,これら2つのモデ ルを分析枠組みとして設定することにより,
賠償の論理を前提とした従来の議論に存在す る問題・課題を浮かび上がらせることができ るだけでなく,履行の実現という視角から,
契約・債務不履行に基づく損害賠償に関わる 諸問題について,判例上の解決を無理なく説 明しつつ,理論的に一貫性のある枠組みを構 築することができるし,更には,契約不履行 法・民事責任法全体を包括する枠組みを示す ことが可能となる。また,履行モデルは,2 つの損害賠償制度を区別し,契約・債務不履 行に基づく損害賠償を債権の効力として位置 付ける民法の構造にも適合的である。これら が前稿における考察の成果であった(2)。もっ とも,これだけでは,賠償モデル・履行モデ ルという分析枠組みの有用性と履行モデルの 意義を完全に示したことにはならない。この ことを明確にするためには,個々の検討から 明らかにされた成果を総体として捉え解釈の ための枠組みとして提示すること,2つの理 論モデルがどのような背景の下にどのような 目的を持って構想され,今日その目的が達成 されているのかを明らかにすることが必要と なる。これが本稿の課題である。
日本の民法は,少なくとも総論的な展望に おいては,債務不履行に基づく損害賠償を債 権の代替的な履行実現手段として位置付けて いた。また,この構想はフランス民法典の中 にも見られ,民法典制定から約1世紀の間は,
履行モデルの発想が(理論的基礎付けはとも かく)ほぼ異論なく受け入れられていた(3)。 ところが,その後,日本・フランス両国にお
いて,契約・債務不履行に基づく損害賠償を 履行実現のための手段として捉える認識は失 われていく。日本では,民法制定後間もなく,
契約・債務不履行に基づく損害賠償を不法行 為に基づく損害賠償とパラレルな構造を持つ 制度として捉え,要件・効果の両面について 2つの損害賠償制度に共通の枠組みを構築す る伝統的通説が形成された(4)。そして,賠償 モデルの原理それ自体は,その内部で様々な ヴァリエーションを生み出しつつ,今日に至 るまで異論なく承認されてきた。他方,フラ ンスでも,19 世紀末以降,判例と学説が協同 する形で,不法行為責任と同じ原理に支配さ れる契約責任概念が登場するに至った。こう して,両国ともに,履行モデルの考え方が姿 を消し,賠償モデルが議論を支配するように なったのである。もっとも,フランスにおい ては変化も見受けられる。今日の有力な学説 は,契約不履行に基づく損害賠償を等価物に よる履行手段として再構成することを試みて いるからである(5)。
本稿は,こうした理論モデルの変遷,動揺,
復権の過程とこれらをもたらした要因をフラ ンス法について分析し,日本法と対比しよう とするものである。賠償モデルはどのような 背景の下どのような動機に導かれ生成・発展 したのか。賠償モデルの出現により民法の規 定にどのような意味が付与されることになっ たのか。賠償モデルは民法を取り巻く社会 的・思想的・理論的環境が変化した今日でも 有用なモデルとなりうるのか。日本とフラン スでこれらの問いへの応答に差は存するの か。仮に相違があるとして,それはどのよう な理由・背景に基づくのか。また,近時のフ ランスで等価物による履行の考え方が出現し
たのはどのような理由によるのか。これらの 問いを分析することによって,日本・フラン ス両国の法状況を明らかにし,賠償モデルに 対する履行モデルの解釈論的有用性を説くこ とが本稿の目的である。なお,本稿の問題意 識に関わる日本法の分析成果は別稿でその概 要を示しているので(6),以下では,フランス の変遷を描き,そこに日本法の議論を組み込 む形で叙述を進める。
第1章 契約不履行に基づく損害賠償 のモデル転換
フランスにおいては 19 世紀末頃から,契 約不履行に基づく損害賠償を不履行によって 生じた損害を賠償するための制度として捉え る考え方が登場し,その後,この考え方は判 例・学説により受容される。本章では,その 要因を通時的な視点を入れつつ理論的・思想 的・社会的背景との関連で検討する。これに より,第2章において,賠償モデルの生成・
発展過程でどのような解釈論的問題が生じた のか,賠償モデルの背後にある実践的意図は 今日でも妥当するのか,賠償モデル内部で認 識された問題を克服するためにどのような議 論がなされ,また,なされるべきであるのか 等を考察する際の前提が構築される。
検討に先立ち,先行業績との関連で一言し ておく。フランス契約責任論については先行 研究による優れた整理が存在しており(7),そ の成果の多くは民法学の共通認識となってい るとも言える。もっとも,本稿の分析枠組み を用いて言えば,従来の研究は,賠償モデル を当然の前提として行われており,この限り で特定の理論モデルに規定された検討に止
まっていると評価しうる。本稿は,先行研究 のプライオリティを尊重しつつ,契約不履行 に基づく損害賠償の理論枠組みという独自の 視点から,冒頭で示した検討課題に応接する ために,フランスの議論を分析するものであ る。
第1節 賠償方式としての契約不履行に基 づく損害賠償の誕生
フランスにおいては,19 世紀末以降,契約 不履行に基づく損害賠償の性質をめぐって激 しい議論が展開された。民法典の立場を承継 し,契約不履行に基づく損害賠償を契約の金 銭的等価物による実現手段,不法行為に基づ く損害賠償をフォートにより惹起された損害 の賠償手段として,両者を明確に峻別する立 場が擁護される一方(8),債務発生原因である 法と契約,法律違反としての不法行為上の フォートと契約違反としての契約上のフォー ト,これらのフォートから生ずる損害賠償を 完全に同一視し,2つの損害賠償制度をいず れもフォートによって損害を惹起した者に対 し当該損害を賠償させるための責任制度とし て捉える立場が主張されたのである(9)。こう した論争は,1930 年前後に相次いで公刊され た論稿により,2つの損害賠償の性質的な同 一性を認めつつも制度としての二元性を承認 する立場へと収斂していき(10),ここにおいて,
学理的には2つの責任は存在しない。2つ の責任制度が存在するだけである(11) と いう今日の一般的な見方が確立されたのであ る。こうした議論の変遷を一瞥するだけでも 明らかなように,フランスにおいては,19 世 紀末から 20 世紀初頭にかけて,履行モデル から賠償モデルへの転換が実現されたと見る
ことができる。まずは,その過程と要因を明 らかにする。
第1款 生成
19 世紀末,サンクトレットは,契約不履行 に基づく損害賠償を契約の履行方式と理解す る従前の学説を承継し,これを保証・責任と いう枠組みによって補強しつつ,そこに当事 者意思の視点を介在させることで,履行モデ ルをそれまでとは異なる内実を持つ考え方へ と変容させた。
サンクトレットは,以下のような議論を展 開する(12)。権利関係は,常に公的意思の発現 である法律か,私的意思の合致である契約か ら生ずる。民法典は,これら2つの状況とこ れらに対する違反を明確に区別し,前者に責 任,後者に保証という名称を与えた。責任は,
他人の権利を害することはできないという規 範に由来するのに対して,保証は,契約は守 らなければならないという規律に由来し,契 約の実現を担保するものだからである。証明 責任,損害賠償の範囲,免責(責任制限)条 項等の様々な場面において,2つの損害賠償 制度が異なる規律に服するのも,そのためで ある。従って,責任と保証は明確に区別され なければならず,これらを混同することは許 されない。このように,サンクトレットは,
公の意思と当事者意思の峻別を基礎に,履行 方式としての契約不履行に基づく損害賠償の 論理を説明しようとした。従って,サンクト レットの議論は,履行の論理を基礎に据えて いる点では従前の学説と同列に位置付けう る。しかし,彼の議論の中には,それまでの 理論とは明らかに異なる特徴を見出すことが できるのであり,この点にこそ,契約不履行
に基づく損害賠償の理論モデルの転換をもた らした要因の1つを検出することができる。
2点を確認しておく。
第1に,当事者意思が強調され議論の出発 点とされていることである。確かに,19 世紀 の学説の中にも,損害賠償を基礎付けるに際 し当事者の黙示の合意を援用するものが存在 した(13)。そこから,前稿では,債権を起点と するものと合意を起点とするものという2つ の履行モデルの型を抽出した(14)。しかし,そ の多くは,損害賠償の範囲の理論的基礎を説 明するために黙示の合意を用いたに過ぎな かった。これに対し,サンクトレットの議論 では,当事者意思,当事者の私的な利益とい う視点が前面に押し出されている。サンクト レットが契約不履行に基づく損害賠償に対し 保証という主観的モメントを強調するような 名称を与えていたことは,彼の理論における 当事者意思の重要性を明瞭に示すものと言え る。かくして,19 世紀末において,履行モデ ルは当事者意思と明確な形で結び付くことに なったのである。
第2に,身体的損害の問題が契約領域に含 められたことである。サンクトレットは,責 任と保証についての一般論を展開した後,運 送事故と労働災害を契約の問題として規律す べき旨を主張した(15)。彼は,運送事故の問題 につき以下のように述べる。運送契約も契約 であるから,そこで生ずる問題に対しては,
まず運送契約の規範が,次いで契約の一般規 範が適用される。良識と信義誠実の原則に 従って判断すると,運送契約において運送人 は対象を目的地まで安全に到達させることを 約束しており,従って,仮に乗客が出発した 時の状態で到達しなかったとすれば,運送人
には債務の不履行が存在する。かくして,運 送事故の問題も契約不履行に基づく損害賠償 の対象となりうるのである(16)。もちろん,日 本の安全配慮義務や保護義務論の到達点を踏 まえて今日的視点から見れば,生命・身体の 問題を契約領域に含めたからといって,直ち に特定の理論モデルが前提とされているとの 理解を導くことはできない。身体的安全の問 題が契約目的の中に取り込まれていれば,そ の金銭による履行を語ることができるからで ある(17)。しかし,運送事故や労働災害に代表 される身体的損害の問題がそれまでの学説で はほとんど言及されていなかったこと,サン クトレットの議論が,ソーゼの論文ととも に(18),20 世紀フランス民事責任論の象徴とも 言うべき身体的安全性の問題に対し学理的な アプローチを試みる端緒となったことを看過 すべきではない。運送事故と労働災害の問題 は,身体的損害という点においてその対象レ ベルで不法行為法と同質性を持つことから,
後に,契約領域においても,安全債務の違反 によって身体的損害を発生させた以上この損 害は賠償されなければならないという思考プ ロセスを生み出すことになったと見うるので ある。これは,賠償の論理が契約領域へと侵 入することを意味している(19)。
19 世紀末のフランスにおいて,履行方式と しての契約不履行に基づく損害賠償は,上記 の内容を持つ制度として,つまり,その基礎・
制度の全てが当事者意思によって正当化さ れ,かつ,身体的損害の填補を実現するため の制度として捉えられていた。とはいえ,こ の理解は,債権の実現という視点を基軸とし ていたポチェやオーブリー=ローの議論と も,当事者意思に依存しない形での合意を起
点としていたドマの議論とも,当事者の黙示 の合意を援用しつつそれに部分的な意味しか 与えていなかった 19 世紀の一般的な議論と も異なっている。従って,ここでは,一元論 が批判の標的とし,統一的民事フォート論や 性質的一元性・制度的二元性の議論が克服の 対象としたのが,上記の内容を持つサンクト レット流の二元論,あるいは,サンクトレッ トの二元論を通じて把握される 19 世紀の一 般的な議論であったことを確認しておかなけ ればならない。
このことは,契約責任と不法行為責任の完 全な一元化を志向する議論(一元論)の中に 顕著な形で現れている。一元論は,サンクト レットの説く二元論を激しく批判し,2つの 損害賠償制度の同一性を提示したものであ る。法律は契約と同じく市民の一般意思に基 づき,契約は当事者間において法律に代わる のであるから(フランス民法典 1134 条1項),
法律と契約は同じ性質を有する。従って,法 律に由来する債務と契約から発生する債務は 同一の性格を持つ(20)。ここから,契約責任と 不法行為責任の同一性が導かれる。法律違反 が許されないのと同じように,当事者間にお ける法律としての契約に違反することも許さ れない。これらは,いずれもフォートを構成 する。そして,このフォートを原因として損 害賠償責任が発生するのである(21)。結局,契 約責任という定式は誤っている,責任は必 然的に不法行為責任なのである(22),責任は 1つであり不法行為である(中略)。法律上 の債務であろうと契約上の債務であろうと,
債務者または第三者が生じさせた侵害は全て 不法行為なのである(23)。
学説史の文脈で見ると,この立場は,法と
契約を完全に同一視するという前提と,民法 典に存在する2つの損害賠償制度間の相違を 無視するという帰結に多くの問題を抱えてい たため,当時の学説の支持を集めることはな かった(24)。この意味で,一元論が過渡期の議 論であることに疑いはない。しかし,契約不 履行に基づく損害賠償の理論モデルの転換と いう視点から眺めたとき,一元論は,以下の 意味を有するものであったと評価しうる。
第1に,契約領域に不法行為法の論理を持 ち込んだことである。履行モデルの考え方に よる限り,フォートによる損害賠償債務の発 生という不法行為法の論理が介入する余地は 存在しない。これに対して,一元論は,契約 責任と不法行為責任の性質的な同一性を標榜 するものであるから,この論理の上に成り 立っている。つまり,一元論は,法と契約の 同一視という容易に異論を提起することが可 能な前提に依拠したものではあったが,初め て明確な形で,フォートによる損害賠償債務 の発生という論理を契約の中に導入したので ある。その後,一元論のテーゼが賛同を集め ることはなかったが,こうした論理構造それ 自体はプラニオル等によって引き継がれるこ とになる。
第2に,契約不履行に基づく損害賠償にお ける当事者意思の役割に批判の目を向ける契 機となったことである。一元論も,20 世紀初 頭の学説のように,契約それ自体における当 事者意思の役割に異論を呈していたわけでは なかったが,契約不履行に基づく損害賠償の 基礎付けとしてはこれを採用しなかったので ある。このことは,以下の説明の中に現れて いる。グランムーランは言う。19 世紀の学 説は契約不履行に基づく損害賠償を当事者の
黙示の合意によって正当化するが,債務者が 損害賠償を支払わないつもりで契約を締結し 債務に違反したケースをどのように説明する
のか。責任は合意とは無関係である。とい
うのは,責任は当事者意思がどのようなもの であっても存在するからである。責任は不法 行為であり法律によって作られるのであ る(25)。確かに,合意や合意から生ずる債務 は損害賠償請求の要件であるが,責任の源で はない。当事者の黙示の合意は根拠のない フィクションであり,学説は損害賠償債務の 源と要件を混同している(26)。
ここで批判の対象とされているのが,契約 不履行に基づく損害賠償の基礎と制度を当事 者意思によって説明するサンクトレットの理 解,そして,賠償範囲のルールを正当化する 文脈で黙示の合意を援用する当時の多数学説 であったことは明らかである。サンクトレッ トを通じて理解される 19 世紀の学説は,契 約不履行に基づく損害賠償を基礎付けるに際 し,当事者意思を出発点とするものであった。
そして,これらの学説は,ポチェ等が示して いた合意や債権の実現という発想から距離を 置き,意思や理性の力によって全てを説明す る議論として捉えられうるものであった。一 元論は,法と契約の同一視という論理を介し て,当事者意思の効力が及ぶのはその直接の 対象である契約に限定され,そこから先の問 題,つまり,損害賠償という二次的債務の問 題は当事者意思の領域ではないとの批判を提 起したのである。このように,フランスにお ける契約不履行に基づく損害賠償の理論モデ ルの転換過程において,履行モデルと当事者 意思とを直結させる手法(サンクトレットの 学説を典型的な履行モデルとする手法)と,
当事者意思の観点から履行モデルを批判する 方法は,多くの学説に共有され重要な役割を 担うことになった。
こうした一元論の議論の延長線上に,プラ ニオルの民事フォート論が登場する。プラニ オルは,先存債務に対する違反という統一的 な民事フォートの概念を提示するに際し,明 らかに一元論の諸命題から出発しており(27), 彼が試みたのは,そこに法と契約を峻別する という前提を組み込むことだけであった(28)。 プラニオルは,契約と法律という一次的な債 務発生原因の二元性を維持しつつも,これら の債務に対する違反が共にフォートを構成 し,かかるフォートによって二次的債務とし ての損害賠償債務が発生するという論理を提 示したのである。ここにおいて,法律=契約 という一元論の命題に対する批判を回避しな がら,そこで提示されていたフォートによる 損害賠償責任の発生という論理を肯定する基 礎が完成した。そして,プラニオルの下にお いても,当事者意思による拘束が,民事フォー トの前提である先存債務に及ぶことはあって も,フォートや責任の基礎付けレベルで介在 することはなかったのである。
その後の学説は,プラニオルによって示さ れた枠組みの中で,民事フォートの基礎とな る先存債務の中に区別を設けるべきか(契約 債務とそれ以外の義務を区別すべきか)(29), 先存債務の性質に由来する制度の相違を認め るべきか(契約債務とそれ以外の義務を区別 するとして,先存債務の性質の相違は損害賠 償制度に対しどのような影響を及ぼすのか)
について(30),議論を展開していたに過ぎない と見ることができる。学理的には2つの責 任は存在しない。2つの責任制度が存在
するだけであるというブランの命題は(31), 今日の通説的見解を表現するものとして頻繁 に引用されるが,フランス民事責任法が一元 論からプラニオルへと至る枠組みに規定され ていることを的確に表している(32)。
第2款 背景
フランスでは,19 世紀末から 20 世紀初頭 にかけて,履行モデルが姿を消し,賠償モデ ルが登場するに至った。それでは,こうした 原理レベルでの転換をもたらしたものは何で あったのか。もちろん,この壮大なパラダイ ムシフトを1つの要因に帰すことはできな い。そこには様々な要因を見出すことができ るし,筆者の能力では,そのうちどれが条件 でどれが結果なのかを判別することも困難で ある。しかし,契約不履行に基づく損害賠償 に関する2つの理論モデルの解釈論的な有用 性を問う本稿の問題意識からすれば,日本の 議論の相対化作業を行うための基礎的考察と して,理論モデルの転換をもたらした諸要因 を取り上げ,それらがどのような形でモデル の生成・発展に寄与したのかを明らかにする ことだけでも大きな意味がある。このような 留保を付しつつ,以下では,術語,社会,思 想,民法典,民法学をキーワードとして,理 論モデルの転換をもたらした要因を明らかに してみよう。
まず,術語という視点から見ると,賠償モ デルを成立せしめた要因として,フォート・
契約上のフォートという術語が履行モデルを 基礎とする学説の中でも一般的に用いられて いたことを挙げうる。賠償の論理において は,フォートに重要な役割が付与される。
フォートは,法ないし契約から生ずる第一次
債務とは別の新たな債務の発生原因となるか らである。他方,履行モデルを確立した古法 時代の学説,フランス民法典の起草過程にお ける議論,19 世紀の学説でも,フォートとい う言葉は一般的に使用されていたが,そこで のフォートは,不法行為が問題になる場面と 契約が問題になる場面とにおいて異なる意味 付 け を 与 え ら れ て い た。不 法 行 為 領 域 の フォートには,損害賠償責任を発生させるた めの要素という意味が与えられていたのに対 し,契約領域のフォートは,二次的債務とし ての損害賠償責任の発生原因ではなく,単に 契約当事者が負うべき債務の範囲を規律する 概念に過ぎなかったのである(33)。
ここに,賠償モデルが誕生する素地があっ た。仮に契約領域にもフォートが存在するの であれば,それを不法行為法のフォートと同 じ意味,つまり,債務者に損害賠償債務を課 すための要素として捉えようとする立場が現 れるのも不自然ではない。過ち,落ち度と いったフォートの日常用語としての意味から すれば,こうした位置付けを与えることが自 然とも言える。19 世紀末から 20 世紀初頭の 学説は,債務の範囲を規律する概念としての 契約上のフォートを,債務発生原因としての 不法行為上のフォートと同じ意味を有する概 念へと意図的に読み替えることで,法律用語 としてのフォートの理論的意味を統一したの である。別の視点から言えば,ポチェから 19 世紀の学説に至るまで契約上のフォートとい う言葉が一般的に用いられていたからこそ,
そこに不法行為上のフォートと同じ意味を読 み込むことによって,術語レベルでの抵抗を 受けることなく理論モデルの転換を行うこと が可能になったと見うるのである。これは,
当時の学説における戦略が功を奏したという 意味で,賠償モデル側の要因であると同時に,
古典的な履行モデルが前提としている契約不 履行に基づく損害賠償の原理に適合する術語 を用いなかったという意味で,履行モデル側 の要因でもある。
もちろん,フォートという術語の問題は,
契約不履行に基づく損害賠償の原理的な転換 を側面から支える要素ではあっても,その直 接的な原因として把握されるべきものではな い。そもそも,当時の学説が,契約上のフォー トという概念を利用しその意味を転換したの は,何らかの社会的・思想的・実践的意図に 導かれていたはずだからである。そうする と,履行モデルから賠償モデルへの転換の要 因は,何よりも当時の社会的・思想的文脈の 中に求められなければならない。
フランスにおいては,19 世紀の後半から本 格的な産業の転換が始まる。1852 年に第二 帝政が始まると,皇帝ナポレオン三世は,サ ン・シモン主義の影響を受けて国家主導の産 業政策を開始した。とりわけ,19 世紀の前 半,フランスの鉄道は,ほかのヨーロッパ諸 国よりも遅れており,小規模の民間事業者に よって散在的に敷設されていたに過ぎなかっ たが,クレディ・モビリエやソシエテ・ジェ ネラル等の巨大投資銀行による投資を受け て,1860 年代にはパリを中心とする鉄道網が 完成する。また,パリの都市改造を代表とす る大規模公共事業が行われると伴に,鉄道の 普及・発展に伴って,製鉄・石炭・機械工業 が大きく展開することになった。こうした輸 送手段と産業構造の変化が人間に生ずる事故 の状況に大きな影響を及ぼしたことは,容易 に想像が付く。1842 年5月には,ヴェルサイ
ユで 50 名以上が死亡するという大規模な鉄 道事故が初めて発生しているし,労働災害の 場面でも,それまで余り見られなかった機械 の発展に由来する事故が起こるようになった のである。19 世紀末のフランス民法学が対 峙していたのは,このような社会であった。
言うまでもなく,これは,古法時代やフラン ス民法典制定時に想定されていた社会,馬や 家畜を主たる動力としていた社会とは大きく 異なる(34)。
このような社会状況の下では,産業革命の 負の遺産とも言うべき運送事故・労働災害に 関わる紛争が増大することは必然である。鉄 道事故に関わる事件については,既に 19 世 紀中頃から,各地の裁判所に提訴がなされる ようになっていた。しかし,1870 年から 71 年にかけて普仏戦争が勃発し,安全よりも国 家事業である戦争の遂行を優先させる政策が 採られたことを1つの契機として,不法行為 に基づく損害賠償の要件であるフォートの認 定が厳格に行われるようになった結果,1880 年前後の裁判例において,被害者の損害賠償 請求が認められることはほとんど無かったと 言われる(35)。このことは,少なくとも 1880 年頃までは,運送手段や産業構造の変容に伴 い出現した新たな事故に対して,十分な法的 救済が与えられていなかったことを意味して いる。乗合馬車の運転手の懈怠や馬車それ自 体の欠陥,使用者の不注意が容易に認識でき た時代は過ぎ去り,人間の姿が見えにくい鉄 道事故・労働災害の事案が多発するように なったにも関わらず,裁判所においては,基 本的に従前の判断枠組みが踏襲されていたわ けである。
こうした社会の変容に伴う事故について
は,国家の産業・経済発展の名の下にそれを 甘受させる方向に進むことも考えられた。歴 史的文脈において過失責任主義が行動自由の 確保と結び付けられて語られるとき,しばし ば自由主義経済との関連性が説かれるが(36), 19 世紀末のフランスでも,不法行為領域にお けるフォートに基づく責任の原則性を強調 し,これを産業保護という政策的な目的から 正当化した上で,現状に目を瞑ることも考え られたはずである。また,19 世紀中葉のフラ ンス民法学においては,カント哲学やサヴィ ニーの影響を受けて,個人の理性や意思の役 割が相対的に上昇していた(37)。契約不履行に 基づく損害賠償との関連で言えば,その基礎 を当事者の黙示の合意に求める 19 世紀の学 説や,その基礎と制度の全てを当事者意思に よって説明するサンクトレットの議論は,こ うした思想的基盤の上に成り立っていたと見 ることができる。このような個人を基調とす る思想,民事責任論の文脈で言えば,個人主 義的な色彩を持つ衡平的正義の考え方は,同 時期の経済政策に適合的なものであったとも 評しうる。
もちろん,19 世紀のフランスが,個人主義 や自由主義の思想に支配されていたというわ けではない。労働者の貧困や生活の困窮等の 問題は,既にフランス革命前から存在してい たし(38),19 世紀に至ると,こうした社会に向 き合いそれを改良していこうとする思想も誕 生した。例えば,ナポレオン三世に大きな影 響を与えたサン・シモンは,産業社会の実現 を起点としつつ,スミス流の古典派経済学と は袂を分かち,産業者を主体とする社会の構 築を目指した。また,プルドンを代表とする 社会主義思想が生まれたのも 19 世紀の半ば
のことであった。このように,19 世紀の中葉 にあっても,存在する個人を超えた社会に目 を向け,そこに新たな理念を与えることで,
当時の社会問題に立ち向かう思潮が存在した のである。フランスにおける社会学の祖とも 言うべきコントが活躍したのも,19 世紀半ば のことであった。しかし,これらの諸潮流は,
少なくとも当時の民法学に対しては,それほ ど大きな影響を及ぼさなかったように見受け られる。
ところが,1870 年代以降,フランスを取り 巻く環境,その政治的・社会的思潮は更なる 変化を遂げる。そして,民法学も,機械化に 伴う事故の増大,労働者の恒久的な貧困状況 に由来する一連の労働者問題等への解決を迫 られていた 19 世紀後半の政治的・思想的基 盤の下で,大きな変化を見せることになった
のである(39)(40)。
1870 年代のフランスは,第二帝政の崩壊,
普仏戦争の終結,パリ・コミューンの勃発,
第三共和政の成立等,政治的動乱期を迎えた。
このような状況の後,1880 年代から 90 年代 にかけては,ジュール・フェリーに代表され る穏健的な共和派,いわゆるオポルチュニス トが政権の中枢を担うようになる。しかし,
有名なドレフェス事件を契機として,急進的 な共和派がその地位にとって代わる。こうし た中で,共和国のあり方,共和国の理念をめ ぐる議論が活性化し,自由と平等を統合する モデルとしての価値理念,あるいは,社会主 義と自由主義の中間的思想とも言われる連帯 主義が頭角を現すことになった。急進派の政 治家ブルジョワの連帯と準契約を用いた 社会的債務の考え方は(41),余りにも有名であ る(42)。そして,こうした政治的動向と社会思
想の変化は,立法,民法学にも大きな影響を 及ぼした。
まず,立法について言えば,1884 年3月 21 日に制定された労働組合に関するワルデッ ク=ルソー法に始まる労働・社会関係立法の 出現がその象徴であり,本稿の問題関心との 関連では,1898 年4月9日の労災補償法が重 要である(43)。この法律を一言で表現すれば,
労働災害が問題となる事例の中に,職業的リ スクの考え方を基礎としたフォートなしの責 任を導入し,それに応じた補償制度を創設す るものということになるが,ここには,当時 の民法学における連帯主義の代表的学説で あったサレイユのリスクの理論の影響を 顕著な形で見出すことができる。この法律で 目指されていたのは法の社会化であり,その 目的は,労働災害という現象を社会の中で捉 え,個人が被るリスクを連帯的に補償するこ とで,被害者である労働者に対し自動的な賠 償を付与することにあった。従って,19 世紀 末におけるフランスの社会問題の1つであっ た労働災害については,当時の民法学で影響 力を持っていた個人主義的・自由主義的な観 念が後景に退き,連帯主義的・社会的な思想 に支えられた賠償の論理が前面に押し出され たと見ることができる(44)。
次に,民法学における連帯・社会思想の影 響を見る。法学分野の代表的な連帯主義者と しては公法学のデュギーが有名であるが(45), 連帯や社会の影響は民法学の領域にも及んで いた。とりわけ,ジェニーとともに科学学派 の時代を切り開いたサレイユは,デュルケー ム等に代表される社会学の成果も取り入れ た,民法学の分野における代表的な連帯主義 者として理解されうる学説であった(46)。意思
自治批判や民事責任におけるリスクの理論 は(47),こうした背景を持って生み出されたも のである。ここでは,労災補償法にも影響を 与えたリスクの理論を確認しておく(48)。サレ イユは,社会の変容に伴い事故が偶発的・非 人間的性格を持つようになったとの認識から 出発し,裁判例の現実を分析した後,社会に 適合する理論枠組みの必要性を説いた上で,
偶発的事実のリスクを誰が負担すべきかとい う形で問題を定式化する。そして,フランス 民法典 1384 条1項を(49),物を原因として発 生した損害について,その保管者にリスクを 負わせるための条文と理解し,この中に,彼 が対峙していた社会に接近するための理論,
つまり,フォートなしのリスクに基づく民事 責任の理論を読み込んだのである。ここに は,個人主義的な色彩を持つ正義観から科学 的・社会的・客観的な基礎付けを持つ社会的 正義への転換というサレイユのテーゼが(50), 明確な形で現れている。そして,この局面に おけるサレイユの関心が,労働災害や運送事 故という社会の変容に伴って生じた事故の被 害者に対し,どのような形で連帯的に賠償を 与えるかという点にあったことは明らかであ る(51)。
こうした視点は,サレイユほど明確ではな いものの,同じく連帯主義者の1人として位 置付けられることのある(52),ジョスランの著 作の中にも見出すことができる(53)。ジョスラ ンは,サレイユと同時期に公刊されたモノグ ラフィーの中で(54),運送や労働の主役が人や 馬から機械へと転換されたことにより事故が 偶発化・匿名化し,労働者や乗客が機械化に 伴うリスクを負担させられるという正義に悖 り衡平に反する状態が生じているとの認識か
ら出発する。ここから,ジョスランは,産業 革命によって増大した不公平な状態をフォー トから切り離された無生物責任の構築によっ て解消しようとしたのである。このような ジョスランの無生物責任論の中にも,法を社 会との関連で把握し,無生物から生ずるリス クを適切な形で分配していこうとする強い態 度,より具体的に言えば,無生物の保管者に リスクを負担させようとする断固とした姿勢 を見て取ることができる(55)。
更に,連帯や社会の視点は,賠償の領域だ けではなく,契約の基礎としての意思にも及 ぶことになる(56)。サレイユは,契約が社会的 事実であること,当事者における内心の意思 ではなく表示された意思が考慮されるべきこ とを説く(57)。ここでは,当事者の自由意思の 創造から全てが生まれてくるという古典的な 見方,彼の言う意思自治が反社会的な論理で あるとして退けられ,それに代わり,当事者 意思は法律により権限を付与されているので あって,望んだが故に正当なのではなく,正 当であるが故に望まれなければならないとの 見方が示されている。サレイユの意思自治批 判においては,社会の優位が明確に打ち出さ れており,個人や個人の意思に立脚した契約 理論ではなく,契約の社会化・道徳化が志向 されているのである。
以上に一瞥したところからも明らかなよう に,19 世紀末に登場した連帯や社会を基軸と する政治・社会理論は,当時の立法・民法学 に大きな影響を与えていた。もちろん,連帯 を強調する立場に対しては,自由主義を基調 とする立場からの有力な批判も存在した。例 えば,サレイユと同時代の民法学者プラニオ ルが,個人主義的・自由主義的な社会観を有
していたことは良く知られている(58)。そもそ も,先存債務に対する違反という民事フォー トの構想も,リスクの理論に対抗して,フォー トとフォートに基づく責任を救うことを目的 とするものであった(59)(60)。しかし,連帯を基 調とするかどうかはともかく,大多数の民法 学説においては,当時のフランス社会を直視 し法を社会の中で捉えようとした点,より根 源的には,個人に発生した問題を,社会から 切り離された抽象的・理念的な個人の問題と して認識するのではなく,社会全体の問題と して把握するための思想的・理論的基盤を有 していた点において,共通理解が成り立って いたように見受けられる。本稿の問題関心と の関連で言えば,このことは,社会構造の変 容に伴って生じた新たな事故,とりわけ,労 働災害の労働者や運送事故の乗客に対し法的 救済を付与するために,フォートの証明を必 要とする責任制度から決別しなければなら ず,また,少なくとも全ての法的効果の源泉 として当事者意思を観念する態度を採用する ことはできないとの認識が形成されていたこ とを意味する。こうした社会的・思想的文脈 の中に,履行モデルから賠償モデルへの変容 を促す1つの契機があった。
もっとも,新しいタイプの事故の被害者に 対し法的救済を付与する必要性が認められた としても,そこから直ちに履行モデルが不適 切であり,賠償モデルへの転換が必要である との認識が導かれるわけではない。履行モデ ルの考え方を維持しながら新たな事故に伴う 安全の問題に対して解決を与えることも十分 に考えられるからである。そのための方向性 としては,履行方式としての契約不履行に基 づく損害賠償によって安全の問題を規律する
方法と,履行方式としての契約不履行に基づ く損害賠償とは別の手段によって問題の解決 を図る方法が想定されうる。
まず,前者の方法について言えば,サンク トレットの議論は,当事者意思に全ての拠り 所を求めることで問題に対処しようとするも のであった。彼は,損害賠償の基礎と制度の 全てを当事者意思によって説明していたが,
それと同時に,労働契約や運送契約における 安全の問題についても当事者意思解釈の名の 下に合意の問題として捉える方向を提示し た。こうして,サンクトレットは,全面的な 形で当事者意思に依拠することで,古典的な 契約不履行に基づく損害賠償の構想を維持し つつ,当時の社会問題に解決を与えようとし た。つまり,彼は,フォートの証明を債権者 側が行うのではなく外的原因の存在を債務者 側が証明するという,契約不履行に基づく損 害賠償における証明責任の分配構造を利用す ることにより,フォートの証明を必要としな い補償制度を作り上げようとしたのである。
しかし,当時の理論状況の下で,この手法が 受け入れ難いものであったことは,容易に想 像が付く。19 世紀末から 20 世紀初頭は,全 ての法定効果の源泉を当事者意思に求める理 論からの決別が示されていた時代だからであ る。ここには,2つのレベルの拒絶を見て取 ることができる。
まず,絶対的な安全の確保を当事者意思の 問題とすることに対する拒絶である。サンク トレットの論理は,運送契約の当事者意思解 釈として運送人に乗客を目的地まで安全に到 達させる債務を負わせることから出発し,次 いで,乗客が負傷した場合にはこの債務が履 行されなかったと見て,この債務の効力とし
ての損害賠償義務(これも当事者意思に根拠 を持つ)を運送人に負担させるというもので あった。これに対し,その後の学説は,絶対 的な安全債務を当事者意思から導くことはで きないとの批判を提起する。絶対的な安全の 確保を当事者意思に基づかせる手法は,当事 者意思を歪めるものにほかならないというの である(61)。
もちろん,この議論が批判の対象としてい るのは当事者意思の名の下に全ての債務を基 礎付ける方法であるから,この批判は,別の 一面から見れば,意思の領域を適正な範囲に 戻して,契約上の意思を救うことを目的とし ていたとも理解しうる。実際,一部の学説は,
絶対的な安全の確保を,当事者意思ではなく,
フランス民法典 1135 条を引用しつつ(62),運 送契約や労働契約の性質及び衡平の観念等を 援用することにより正当化しようとした(63)。 また,後に大きく発展する判例上の安全債務 が,民法典 1135 条の衡平に依拠しているこ とにも疑いはない(64)。しかし,運送事故や労 働災害の出現を契機として,当事者意思から 直接的に導くことのできない客観的な基礎付 けを持つ債務の存在が承認されるようになっ たという事実は,極めて重要な意味を持つの であり,これが契約不履行に基づく損害賠償 の理論枠組みをめぐる議論にも大きな影を落 とし,もう1つのレベルでの拒絶へと繫がる ことになったのである。それが,契約不履行 に基づく損害賠償を当事者意思によって説明 する方法の拒絶である。ここでは,2つの段 階の批判を観念することができる。
第1に,当事者意思に基づかない債務の不 履行に対する損害賠償の基礎を当事者意思に 求めることはできないとの批判である。民法
典 1135 条と契約の関わり方については議論 が存するが(65),同条から導かれる債務が,少 なくとも当事者意思だけに依存するものでは ないという点については,争いがないと言っ てよい。他方で,サンクトレット(及びその フィルターを通じて理解される 19 世紀の学 説)の契約不履行に基づく損害賠償は,その 基礎・制度ともに当事者意思によって正当化 されるものであった。これら2つの命題の間 に論理的な齟齬が生じていることは,容易に 理解することができる。直接的な債務の根拠 が当事者意思に求められていないのに,その 代替的履行手段だけが当事者意思によって正 当化されることになるからである(66)。ここに おいて,サンクトレットが説く履行モデルで は労働災害や運送事故等の新たな問題に対応 しえないとの評価がなされることになったの である(67)。
第2に,安全の問題に関連して提起された 批判は,契約不履行に基づく損害賠償一般へ と拡大される。すなわち,債務の基礎として 当事者意思を観念するのか客観的な枠組みを 用意するのかに関わらず,およそ契約不履行 に基づく損害賠償に際して黙示の合意を想定 すること自体,当事者意思を強制するものに ほかならないというのである(68)。ところで,
この批判は,破毀院で運送契約における安全 債務の存在が承認され(69),グノーのテーズ等 によって意思自治の相対化が一般的な認識と なった(70),1920 年代に至って援用されるよう になったものである。言い換えれば,当事者 意思を基軸とするタイプの履行モデルは,契 約領域における当事者意思以外の要素の重要 性が増大する一方で,こうした現象の理論 的・思想的基盤が共有され始めた時代に放棄
されたのである。この時代関係を一瞥するだ けでも,当事者意思に全てを依存していたサ ンクトレットの議論が当時の社会的・思想的 要請に応えられなくなっていたことは明らか である。
このように,当時の学説が想定していた履 行モデルには,運送や労働における安全を契 約の中で規律することに大きな理論的問題が 存したし,前提となる損害賠償の基礎付けの レベルでも当時の時代思潮に適合しないとい う重大な問題が存在した。当時の文脈におい て,履行方式としての契約不履行に基づく損 害賠償は,債権の実現という視点を中核に据 えた制度としても,当事者意思に依存しない 契約の客観的な補充という視点から正当化さ れる制度としても捉えられていなかった。こ れらの議論によれば,当事者意思への過度の 依存という批判は問題とならないし,少なく とも安全を契約の問題として捉えられうる限 りでその代替的履行手段を語ることもでき る。しかし,契約不履行に基づく損害賠償の 理論モデルの転換が起こった 19 世紀末から 20 世紀初頭の議論において,これらの可能性 は完全に忘れ去られていた。履行モデルとし ては,当事者意思に依存したタイプの考え方 のみが観念されていた。こうして,契約不履 行に基づく損害賠償を契約の実現手段として 把握するモデルは,そのうちの1つの考え方 に内在していた重大な問題のために,その他 の可能性を顧みられることなく放棄されるに 至ったのである。
次に,履行方式としての契約不履行に基づ く損害賠償の考え方を維持しつつ,それとは 別の手段によって運送事故や労働災害の問題 を規律する方法を検討してみる。1898 年4
月9日の労災補償法は,労働過程において労 働者に生じた身体的な損害の問題を立法によ り解決するものであるから,こうした方法の 1つであったと言える。しかし,立法的な手 当てがなされたのは労働災害の領域に限ら れ,それ以外の問題,とりわけ鉄道や客船等 の運送事故に関しては民法典の規律に委ねら れた。そうすると,履行モデルの基本構想を 維持しながら社会の要求に応えるための手段 としては,不法行為に基づく損害賠償を利用 することが考えられる。しかし,ここにも大 きな困難が待ち受けていた。
当時の民法学が直面したのは,民法典制定 当時には想定されていなかった新しい事故が 著しく増加した社会であった。そこでは,事 故が偶発化・無名化し,その原因を特定する ことが困難となっていたし,機械との関係で 被害者側の落ち度が介在することもあった。
また,当時は,社会思潮の変化と社会権の誕 生に伴い,身体や健康の価値が増大し,連帯 の精神が息づいていた時代でもあった。こう した状況を前にして,フォートに基づく古典 的な不法行為法のシステムでは,使用者や運 送会社のフォートの認定という点で十分な解 決策を与えることができなくなっていた。実 際,労災補償法が制定される以前の労働災害 の事例や運送事故のケースでは,使用者や運 送人の不法行為が否定されることが多かっ た(71)。しかも,19 世紀の学説は,民法典 1382 条及び 1383 条(72) から導かれるフォートに基 づく不法行為責任を過度に一般化していたた め,同 1384 条以下で限定的に列挙されてい るケースを除き,フォートなしの不法行為責 任の一般原則を肯定することができなかった のである(73)。