◎論説アジアがめざす経済統合/FTA
東 ア ジ ア 諸 国 の 地 域 主 義 と F T A
日本の進路木下俊彦
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はじめに
グローバリゼーションは世界経済の統合を進めているが︑
世界各地で見られる形態は世界連邦を目指す動きではなく︑
先進国を含む地域自由貿易地域/協定(RTA)あるいは
欧州連合(EU)のような関税同盟あるいは二国間自由貿
易地域/協定(FTA)である︒東アジアはこうした動き
では受身であった︒しかし︑この数年︑東アジアでもこう
した潮流が強まり始めた︒本稿では︑こうした地域主義に
関連して重要と思える次の四点を取り上げる︒第一は︑な
ぜ近年︑FTAや日本の進める経済連携協定(EPA︹F TAに投資ルール︑基準の相互認証︑人的交流などを加え
た協定︺)が東アジアでファッション化しているか︑こうい
う傾向が続くと世界はどうなるのかという点である︑第二
は︑すでに一部実施段階に入った中国とASEANのFT
A交渉と比べて︑日本のASEAN諸国や韓国とのEPA
交渉は遅れているが︑これで日本は大丈夫なのか︑第三は︑
日本の東アジアEPA戦略として日中EPAをどう位置づ
けるのか︑急ぐべきか︑後に回すべきかについて論じたい︒
東 アジア諸国の地域主義 とFTA
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地域主義の高揚と東アジア
e先進国における地域主義の流れ
第二次大戦後︑ブレトン・ウッズ協定が結ばれ︑IMF︑
世界銀行とともにGATTが締結された︒大戦発生の理由
のひとつが世界経済のブロック化にあり︑そういった事態
を再発させないために︑それは︑最恵国待遇原則のもとに
多国間交渉で関税のない世界を目指すという考えに基づく
ものであった︒その後︑いくつかのラウンドを経て︑先進
国の関税は劇的に下げられ︑﹁自由世界﹂(コメコン諸国を
除く市場経済諸国)内の貿易は急拡大した︒それが︑戦後
の日本やドイッなどの急速な復興を助け︑また︑﹁自由世
界﹂全体の経済発展を促し︑ついにコメコン体制の崩壊を
もたらすに至った基本原因であった︒その後のウルグアイ・
ラウンドを経て︑GATTはサービス貿易︑知的所有権を
含み︑明確な紛争解決メカニズムを盛り込んだ世界貿易機
関(WTO)になった︒
冷戦体制の終焉とIT時代の到来によって︑文字通り地
球規模の経済統合が促進された︒この流れは︑同時に先進
国を含む地域主義の高揚をもたらした︒もともとGATT
は貿易を行うに当たっての最恵国待遇をベースにしており︑ 自由貿易協定や関税同盟といった特定国間のみの関税引き
下げはこの精神に反するとして︑GATT24条によって厳
しい条件をつけて︑例外的にしか認めないようにしたので
あった︒すなわち︑南北問題の観点から自由貿易を進めれ
ぼ進めるほど︑先進国が有利になり︑途上国のポジション
は悪くなることから︑例外的に途上国にのみFTAを認め
ていたのである︒しかし︑冷戦終了後︑潮流は変わり︑G
ATT24条の制約条件の解釈を拡大する形で先進国を加盟
国とするFTAや関税同盟が出来上がってきたのである︒
それがEU(当初の加盟国は一五か国︑二〇〇三年に拡大
EU︹EU25︺に発展)であり︑北米三国による北米自由
貿易地域(NAFTA)であった︒
口受身だった日本・東アジアに変化
日本︑韓国はこうした動きを見つつも︑GATT11WT
O体制が自国にとって理想的体制と考える勢力が強く︑九
〇年代半ばになっても地域主義にシフトしようとしなかっ
た︒中国はまだGATT闘WTOに入っていなかったし︑
日中韓の経済統合もさほど進んでおらず︑いずれの国にとっ
ても米国が最大の貿易相手という事情があったからでも
あった︒しかし︑世界の潮流の変化は東アジアにも変化を
与え始める︒
では︑それまで本当に東アジアで地域主義は見られなかっ
地域 協定 が 中国 、日 本 、ASEANへ 与 え る影 響 (対GDP比%) 表1
中 国 日 本 ASEAN
中国+日 本+韓 国 十 〇.i 十 〇.1 一 〇.3
ASEAN+中 国 十 〇.o 十 〇.o 十 〇.9
ASEAN+日 本 一 〇.i 十 〇.o 一x‑1.1
ASEAN十3 十 〇.i 十 〇.2 x‑1.5
APEC域 内 の 自由貿 易 十 〇.s 十 〇.4 十 〇.7
注:あ る前 提 を お いて 試 算 さ れ た もの で 、違 う前 提 を置 い た 別 の試 算 も当 然 あ り うる。
出 所:世 界 銀 行 『東 ア ジ アの 統 合 成長 を共 有 す るた め の 貿 易政 策 課 題 』2003年 。
たのか︒否︒ASEAN(東南アジア諸国経済連合)も東
南アジアにおける政治経済地域主義から生まれた地域経済
統合の一つであった︒ASEAN諸国は域内の関税を五%
に下げるというAFTAを九二年に創設︑先発ASEAN
六か国では二〇〇二年に完成した(ASEANに新規に加
盟したベトナムなど四か国の場合は︑完成年次は二〇〇六
年から二〇一〇年)︒しかし︑ASEAN域内貿易は少な
く︑先進国が入ったものではなく︑世界的な注目を浴びた
わけではない︒
アジア・太平洋をまたいで︑一九八九年に創設されたア
ジア太平洋経済協力(APEC)は当初経済協力を目指し
たものであったが︑九三年にシアトル会議で性格が変わり︑
アジア太平洋地域の貿易自由化を目指すものとなった︒A
PECは加盟国の自発的な行動(ピア・プレッシャー)に
よりそれを目指したもので︑加盟国以外への関税も同時に
下げようとする画期的な性格をもつものであった︒その理
想主義の極地が九四年のボゴール宣言で︑二〇一〇年に日
米など先進国は自由化を完成し︑アジアなどの加盟途上国
は二〇二〇年に自由化を果たすというものであった︒しか
し︑APECにメキシコ︑ペルー︑チリなどが加わり︑地
域的にも広がりすぎたことや米国が次第に関心を失ったこ
と︑さらに決定的だったことは︑アジア通貨危機が九七年
に発生し︑その主たる促進者だったASEAN諸国が打撃
5g‑一 東 ア ジ ア諸 国 の地 域 主 義 とFTA
を受けたことなどから︑最近ではその活動は停滞している︒
ちなみに︑自由貿易を広域で行うのがいいのか︑狭域で
も意味あるかということについていえば︑表1に見るとお
り︑明らかに広域の方がプラスが大きい(その意味では︑
世界的に関税や非関税障壁を下げるのが︑一番効果が大き
いのである)︒この表はある前提条件での試算であるが︑経
済規模の小さいASEANと日本がFTA(あるいはその
総体である地域自由貿易協定RTA)を結んでもASEAN
側にはかなりプラスが出るが︑日本にはプラスは出ない︒
中国とASEANのFTAにしてもしかりであって︑これ
ができなければ︑自国の明日がないなどという議論は明ら
かにオーバーな議論である︒しかし︑EPAにより︑直接
投資が促進される︑基準認証が統一される︑人の移動が以
前より自由になり双方の生産性が上昇されるという動態効
果を入れれば︑もちろん︑これらのFTA(RTA)は正
当化される︒
ところで︑最近になって︑東アジア地域主義への強い求
心力が高揚してきた理由はどこにあるのだろうか︒以下四
点を挙げたい︒
第一は︑欧米における地域統合の進展である︒欧州連合(EU)の結成︑単一通貨ユーロ創設︑拡大EUの成立およ
び北米自由貿易協定/地域(NAFTA)の形成とその南
米への延長計画(FTAA)である︒米国は︑東アジア自 由貿易協定/地域(EAFTA)の形成に反対の論拠を失っ
た︑というものである︒
第二は︑WTOドーハラウンドの挫折と不機能である︒
カンクン会議は︑自ら手厚い農業保護をしながら︑途上国
へ一層の財・サービスの自由化や知的所有権へのさらなる
縛りに強い関心を抱く欧米が対立して合意を見ることがで
きなかったこと︑加盟国がどんどん増え︑事務局機能にも
限界があることから︑WTO自体の機能への幻滅が広がっ
たことである︒
第三は︑アジア通貨・金融危機による痛撃である︒これ
が決定的かつ最も重要な理由となった︒韓国︑ASEAN
諸国は︑一瞬にして巨額の資金が海外に流失し︑為替レー
トの大幅な切り下げ︑金融機関の麻痺をもたらす嵐が近隣
国に及んでいく恐ろしい現象を見て︑一国ベースではこう
した危機に対応できないとして︑地域連帯を高めたのであっ
た︒中国は︑この時点ではまだ直接投資以外の資本取引に
厳しい管理をしていたため︑この危機は辛くも乗り切った
が︑二〇〇一年にWTOに加盟した︒そのため︑いずれ資
本自由化は避けられない︒とすれば︑韓国やASEANが
味わったと同じ﹁二一世紀型﹂金融危機を蒙る可能性が出
てくる︒そのことから︑中国も域内金融協力に合意したの
であった︒日本は︑九七年秋のIMF・世銀総会に︑通貨
危機暴圧のためのアジア通貨基金(ACF)の創設を提案︑