成人教育の世界都市的構想、と社会教育の改造
一東京市の「市民講座jの ‑実施過程一
Designing Adult Education in the World City and the Reform of Social Education:
A Historical Research into the Lectures on Citizenship in the Tokyo 話unicipality
i
藍Naoki S旦KI
Thc Municipality was one of thc leading ccntcrsぱ socialeducation in prewar Japan. This is a study in the history of social education wωk. focusing upon the lccturcs on citizcnship startcd in June, 1924 by thc Tokyo Municipality that led to the next stage of social cducation under thc influencc of adult cducation projects in thc world cities of the samc period.
1 t is assumed t出ha泣tt出hiおswork was collatcral to the na瓜tiわon
Ministry ば0fEdu山1κca瓜ti山(οm,出品 thatit was an imitation of foreign university extension movement. The reality was different. 1 would likc to discuss the development and originality of the wωk from threc
based on the archives of the Tokyo Municipality.
the placc of lecturcs on scicnce and art had bccn at the Tokyo Scl子GovernmentHaU that was built in 1922 for the Peace Memorial Exhibition of Tokyo under the mayor of
Goto. Goto attached grcat
and classrooms for after the Exhibitic治, as a place of to cultivate Q'ood sense.
Then, the Municipality and the Tokyo Institute for
inquiry into adult education conditions in thc world great cities, New
Rcsearch made a basic London, Buffalo to reform social education. The reason why these metropolises were suggestive for Tokyo was that all of the cities, including Tokyo, had similar urban problems and searched for the same way. to a fundamental comparative study, the Municipality showed a lack of systematization in the social education scheme, and tried to devise a strategy for graduates of middle schools due to an insufficiency of university extension movement in J apan compared with Finally, this well‑groundcd for the lectures on resulted in the development of specialized courses for diffcrent participants. The chief of the social education section, Tetsutaro Ikezono, regarded individuality as essentia ,l and mediated bctween the idea of adult education and the practice of classroom that to the civic life. His contributions to thc success in reform were great.
This article is concerned with the scene of the lectures on citizenship for nearly twenty years to the Second W orld War, and with thc acceptance of an冶dulteducation" in the US and Europc at the forcfront in prewar Japan. The precious case us to thc formative years of social cducation in the話。balcontext of adult education
アダルト..]ニヂュケーション 治 関 哲 太 郎 世 東京白 61‑
成人教育の依界再j¥!titr‑J繕想、とれ会教育の改造一‑^1U;;CIむの「市民議内 0)開発・実施泊料
次〉 はじめに
A B.
立.欧米大都市成人教育の影響と A
震.
A.
お.
C. おわりに
はじめに
を[刈っているの に入ってから、成人を対象とする
していぺたことを
したものばかりでは
けられ、
たことカおら、
おいてもこ れてきている
として、
合内はともに、
な
こころみがみ いるれその…例 をあげ、これを として把叫した。
を為しつつあるもの例としては東京市がある 11)
と、 的
来たしたJ6)と したいこれらにおいては、
える。
62
弘前学拡大学文学部記繋 第 号 (2008)
以上をふまえ、
設定するの第一に、
東京白治会館の附'市;事業という観点から検討する。
戦前日本を代表する社会教育施設のい‑つであった 東京白
及ぼし
が モ デ ル と し た 英:1討 を 代 去 す る 地 方 教 育 当 局 (Local Education Authority)の一つである、口 ンドン・カウンテイ・カウンシル (LondonCounty
との比較を行うことで、
そして、第三に、
においてこ
j自国哲太郎の成人教育のピジョンを検討しつつ、
「市民講座」の特質を明らかにしたい口
I陶東京市のf市 民 大 学j構 想
A.堂設館としての東京畠治会鎮
3月から?月まで、
京J;(府主催:の千平己念:東京博覧会が、 上野公屈を 会場に開催されたのここで、東京市が、 r事 設 計 と監督を中保粕…自I~ ~ニ委嘱し、市の特設鮪として 白治会館で、あったH)の「白糠
り る
していたり
敷付の本務的な様式であったり
博覧会開催中のruJ仙の具体的活動については、
ノ シ広ク公家ノ シムルト同時ニJl:一斉r~ ヲ
光テIli政其ノ他硝産興業、教育、衛生、救'1M,上 木、者I$rti生活、 ['1治思想、二関スル観念知識ノ砂i接、 発注二資スベキ椛々ノ
ホシ
/観覧轄講ニf供共シ夕:ワ)J
の1博専覧会間{催崖を、市民の自治精神の j雨義や市故理 解の好機と捉えた東京市が、市民博物館と公会堂 を統合した社会教育機関として、自治会館の建設 を試みたことがわかる。陳列室の…H平均の観覧
9丹、
と移り、同年10月i日の 自治記念日を機会に、一般公開されるに弔った。
関東大震災の際、天井や壁の亀裂等はあったが、
大きな損得を受けることなく12)、戦前期を通じて、
る自治精神の j函養を其のご長要な
である
なお、以上の経過については、市長就任のll,!初 より、社会教育をまを悦していた後臓が、博覧会の 開催準備段階で、「市民講座」構想、を練っていた
は、
する事の出来ぬ事情となって居るので、近く すu]"き市民館内に市民講陪を新設し、同氏、思想 問題、自治、│叶際、保健、婦人、文芸、学術、出 教等の各講賂を開いて、TtT氏の随意参聴を
じられている
と東京白治会館が、 luJー施設かどうかは不
JであるO しかしながら、「講堂」の充実や、その 後の「市民講出」の開設経過をふまえれば、後藤
し
のんょ;4
たこと辻、疑いのないとこ fピリオンではなく、
らはても、恒久的なi即日が 前提となっていたことは明らかである。
「人聞が街中if{心のあると云ふのは是が向治的本 能の発達、教育が不
って、自治的教育が完全になって来るとむふと、
一 部 一
成人教育めIll:界掠!1j(10構想,tと社会教育の改詣 東京市のfilH<:講州 0)問うさ,実施過科一…
併なるのである、惑に し進めた第一部に対して、入討を150名と制限し きを致 ながら、アカデミックな制耐に重;点を置いたとこ すことになるであらうと忠ふの と
、近代都市への発展を支える、
を急務と捉えた後藤は、学問・教獲を媒介とした 白己改造への期待を、東京内
あらわしたのであるのその後、この構想は、
'よって、具体的課題と して、 されていくことになるの
B. f市畏講座Jの発足
を会場に、
新設したむこれは、
を
成っているの「実際問題に し、市民の
る詳}‑‑fciISは、 もので、
点と
と評されたように、
専門部とし
と第¥部から を
を持たれて Jli~- る j市に最も身近な種類の
ろカ人
さらに、 1925年度には、 fk子成人に対し専門 教育の機会均等を与えるJ::3)ことを目的とした、
「婦人議出jも、東京自
かみさんまでありとあらゆる社 会階級へ行きわたって居る」仰という女性たちの
まりが判明した日そこで、
発展解消することになるの 以iてから、 1921年か その名称や混合士号;も合めて、
ド立に:'~たると Jラえられるむまた、それとえ左右し、
治会館の装し
必要があろう。?導:覧会¥'i時の一 小坂;等が、 1923年4H、三つの つの
の後、これらの教室は
においても、
るむ
吾.散米大都市成人教育の影響と社会教育の改造 ん 欧 米 大 都 市 成 人 教 膏 の 調 査 研 究
のヲ正案による
弘前学院大学文学部紀要 第44;;悶(200紛
る状況に直富する した、都市教育の 本で初めて を経験する中で、改革
を創始 したのは、大正十三年六月であるが、それよち翌 年三月になるまでの講師の予定まで立てたことは、
しでか?ないとしても、近代
る
J三[Dj連続の講義も開かれる ししEこと 評価するむここから、
して、
となっていた当時の日本の社会教育の実態を うかがうことができるのそのー卜.で、
らしながら、いく 考察されているの
ヵ ヘ
で、行われていない現状に ないことが、
多くの市民に
あるが、もっと
。l似し
しめる点よ るにかかはらず、我が問では特 しではあまりに行はれなを、 I:m 精神養成のための余暇支械も
において、
これらをふまえて、自本の社会教育の んでないこ とゼある、と分析するのニューヨークの公開講 会、ロンドンのイ文学院、パファ口市の成入学校が、
いずれも小.~ 't学校の校舎を利用している点に着 て、日記が東京市の;本暇講官会や自治議法会 は、その社会教育に重要なるものであるが、之を もっと拡張して、その[rTl数を多くし、その小講演 会、白楽会、活動写真会等を
るものあらんと思はれ を盛ならしめるよ きHlしている。
このように、東京市政調査会は、
上千?に、i!iR精神養成のための
s ロンドンの「夜学説J(evening
との比較
さらに、ロンドンの夜学院について、「成人教 としては、甚だ顕著なる成績を
ことは、之を蹴る者の斉しく 又労働の余賎を
で、!七討の趣味を
めること幾何であらうかと あ とし、
となっていたり 人の為めの系統的教育機関の
を以トのように述べている るり
65‑
成人教育のi吐界自[)市約機怒と社会教背の改造 東京市のrrh'己1i満版!の時党・実路i的税……
ここでいう「夜学説jと辻、五
る。口ンドンでは、ロンドン学務委員 会 (SchoolBoa吋 [orLondon) の1882年に、
基礎教育を行う公立夜間学校 されている36)。その後、 1893年、
i誤を公式撤廃したことで、成人への開設が進み、
基礎教育以外の幅広い教育・文化活動を蛇供する
によゾ、
にロンドンの教育男局となったむンドン・カ ウンテイ・カウンシルの F、近離の公立夜間学校 の過肢の教育活動の貰複が問題となり、 19日年、
ここで、
ンステイテュ…ト
.の成人男女を対象とする ノンボケーショナル・インスティテュート VcにほionalInstitute)が、 111来の公立夜
ら発展分岐したむそのi察、夜間教育機関の総称が、
evenmg 7う、ら、 evening lこ改 さらに、 1920年、 18歳以上の男 を対象とするメンズインスティテュート
Institute)を新設して、公立成入学校の体系化が 試みられた鮮日同時代の束a
とは、これらの のと思われる
また、東京事政 âJ~l 1t 会は、ロンドンのベツナルー グリーン '....vLUUU..Gr田n)地区のメンズ・インス テイテユ←トを実際に視察している4])口それは、
口ンドンのメンズ・インステイチュートカ宮、
イギリスにおいて、成人教育の成功し て、関係者に注目される以前のことであっ
H
という壮界の共u寺的な社会変動をふまえた、
な分析対象の絞込みであった、と百える ただし、口ンドンは、大学拡張運動や民間成人 教育団体の中心地であり、後発となった口ンドン は、そうした伝統的成人教育の搭接を を会場とする、基礎教背後の
学習機会や体育・レクリエーション
な支援に、自らの社会的な役割を見出していた。
これに対して、成人教育の伝統を欠いた東京市は、
を
た口前述し
政策提言‑にもかかわら しなかったのは、
に起因すると考えられるり を欠いたまま、
の系統的教育機関の欠乏Jという 魚点化したことによって、
の開発が加速したとも言えるだ、ろう
人教育受容後の「市民講座jの具体的な民間と、
現場を いて考察したい。
ほ 「 市 民 講 座jの現場と担い手の論理 A. r市民講鹿Jの年度JJIJ推移
、従来の実践をふまえて、
を定め、成人
たことによって、社 とは性格の異なる、「市民講座J
となり、これが、その長
弘前学院大学文学部紀要 第41~J-(2008)
表 r市民講膝Jの年震別推移(1924得度'"1941年度)
l
I'd針)W:京市役所rlよC~;(市教行持干上会教背却下業概況 子千年)ft版』、東京市役所f東 京I!J教育械設や 作{!')比!州、収ょ江市役 所nf!:h(IIJlli成 年 版 教育~千年 )~miJI より学 Kが伶成n なお、点,\ 1 の一一備は、不請であと》 υ また、ぶ ttが講門会主え ぶl部内1$は連続講演会形式のため、「聴講入試 j欄l之 、 枝1f'.度の勝j講".総数(イバの人数〉をノjょしたり
‑67
成人教育の11そ界都市約機想、と社会教育の改造 ……東京市のrIH討議時iの1m発・実JiIli;品作一一
表2 1933年度f市民器産」講義一覧 男 子 部
期 間 ・ 時 間 Hft.U 手千 11 i議 :rlti 1111数 時 間 数 法学.i!重論 潟 大 講 帥 法 学 ? 専 七 rJl村 進 午 3 6
宗 教 学 駒 大 教 控 権 藤 氏Il!態 3 6
政 治 学 早 大 教 義 政 治 学 博 お 舗 法 九 : 戸ノ、 10
社 会 学 文 理 大 教 授 綿 民 官 まffi 4 災
新院lf'f': 千 葉 親 雄 3 6
社 会 問 題 明 大 教 設 本 神 jミ業 3 6
東 京 市 政 rti課 長 谷川 2
1933年6}j 6 f1‑341f 2 Ji 23 11 日本住i体 論 駒 大 教 股 林間ふ:次 ÚI~ 3 6
〈変則冬期は休講) 東 京rti教 符 概 論 11i掛 長 増 田 武 雄 2
入τ、妻ぜ‑:r:,たぞ側γ"^、 洋 大 教 校 ~i;ド久;法 3 6
文 学 論 慶 大 教 段 小 品i攻:fl[s 3 6 i
然 科 学 日 大 教 授 本!Il 親一 3 6
何 操JI.木 曜LJ 日 本 精 神 d針 案 博 物 館 鑑 先 立 人IH 繋 ‑ 2 4 18 : 00~20 : 00 人 性 議 医学博!: Sc1:jや寸て 市1:JII 1i浮 3 6
経 j斉学 慶 大 教 綬 民i婿誠一日$1 5 10
連 記 概 論 .lJil¥l'六 大 部 2 4
来五CiIJ史 Jfi"嘱託 安!接的;万 2
産業,心理学 1帝大教J受文学 t~t: i:k諮問li欠nG 3 6 科 外
持軍航柄本部寿雫!~.大役 ,',イi 1 2 2
101 女 子 部
則的j. I時IllJ・同長fl 本↓ 11 ぷ薄 Mi 回 数 仏J:llll主党
社会ザて 文タ芸大教授 綿rt 雄 4 8
fI1ts尽tミく:ー討,総t 同 大 教J受 [lli憂 尚 蛸 3 6
法 学i泊論 商大議前 V~小博士 中 村 i正午 3 6
長;1i人 問 題 明 大 教 投 品、神 l~J奨 3 6
新 開 日 々 新 開 顧 問 千葉 委主雄 3 G
19331f6 n 51] ‑34年 J i2211 東 京 市 政 市 課 長 持I11 ケ1‑ 2
日本ド!体論 駒 大 教 授 林保友次長1$ お
(哀鶏冬期はi本議〉 東 京 市 史 市 嘱 託 安 藤 直)j
東 京i↑i教 背 機 論 i1J掛長 増111 武 雄 l Z
論 理 学 ? 皆 説 教t受 文 学 問 1: 、ξ│ 6
政 治 学 早 大 教 授 政 治 学i存上 出 誠 治7千 10
毎 週 火 ・ 金 曜 日 白書写;科学 日 大 教 授 +:rn親 企 3 G
18 : (真)‑20: 00 3;i字文学 協:大講削l'c下t博 1: 3 6 純j汚子j夫 i科 大 教 授 経 済 中 間f: 月li;'j‑G文P1.J郎 5 10
文マ:~liñ 慶大教;受 ノト:1,jま文 :nI$ 3 G
在五日概論 景品 11 ノ"大f!f~ 4
人文:lil!.理 文 理 大 教 段 i人.JU1究 ー 3 G 見学t
51 100 東山市役所れ;(1'1治会指械 llri手118年}1j.J第9ザ,1934 if, pp.60‑62.より筆誌のく作成。
表3 1934部震f成人教育講産」講義一躍(開設地・東京)
東 京 帯 国 大 学
講
*か(沼大助教ぽ 京 Jj~ 常大教托 東 京 帝 大 教 技 期 間 .11年間・討議日
1934年9汁2611 10 IJ 29 H 11J:;現tJ.水・金曜日 18 . 30 ~ 20 : 30
東 京 商 科 大 学
什Fて一での就一統度に一に制法科一社故対
会 川 閉 山 内 ト︑ げい 二し TJlyy
株 本 身
g J滞 京J;C蒋 科 大 学 助 教 校 東 京H百 科 大 学 教 授 東 広 内 科 大 学 教J受 家 庇 教ft振 興 施 設
弘前学i珪大宇文学部紀要 第44号(2008)
1は、 1924年安から1941年度までの「市民講 の活動の年度別推移をまとめたものである。
全体を通じて、男子部と女子部を中心 いるが、いくつかの専門部を
見られる。これはJ特殊ノ ヘ シ I(第?条)と1.,,'う会問中
その{自は50名から200名に
;及んでいる。なお、 1935年、会日IJ改正によって、
明子部及び女子宮1$の定員が200名に倍増となり、
両部共通で、 rtr長開放もする f水曜特別講出iが したこと辻大きな変化であっ
問、開講曜日 明よって多様だが、
6ヶ月前後の問、毎週2、30、夜間の2、3 i現実施され続けている口
ミで、表 2~ま、 1933年度の
r部の講義一覧である口
える約20科11の講義は、
わたるもので、教義教育
として、東京市政、自 尚時流に応じ特にある 題、経済問題等の如き
は、 だし、
に軟校してしミるところ の取り組みと類似しているりた 訂に近い講義科tlの多彩さという は、什↑jl~講昨日の充実肢が際立つているの
この判│違をもたらした製品Jは、 の講師のほとんどは、
スコミ及び、東京市政関係者である 経済の中心の東京には、専門的な職業 らしていた。東京市・で、は、過去の事業の経験を
めている
また、 なく、設も し、「市民 の方針として、「講師の選定は出来るだけ 多くの講師に依頼、その内諾を求めておき 全貌を明にすること
名声のみに頼らず、こ
の巧妙なるを要するJ4Y!と講師選定の習意点を明 した Iこの種教育jとは、学校教育とは異なり、
実業
専門部の開発と体系化
次のよう を開講している
ることで、
なく、
富んだ
、「希望部Jは、 人に対し各白 も希望する科目を選定し 日の教授により一 層有1届:の向上を図るJS())ことをねらいとし、 i打民 し込んだ希望科目のうち、最多の科討を開講
ここでは、
もなかったn 1ヶ月
義で、どちらも定員を120名とする男子部と に新設されている。 400名が申込 んだ男子部では、
は130名が希望した 女子部は、申込者200名
り、 100名が求めた「宗教並文学j この結果を部設し、法律の胤開、
は、
お 多である
、経
、宗教
ヲ希望スルモノヲシ ヲ受ケルト品川
‑69‑