序
現在、日本の芸術界に大きな足跡を残し た戦後の作家として評価、位置付けられて いる岡本太郎(1911~1996年)(図1)は、
制作の傍ら、書籍の刊行やメデイアへの出 演といったさまざまな活動を通して芸術の 啓蒙活動も行なった作家である。彼は膨大 な作品を残したが、それらのうち 140点近 く(現存していない作品も含む)は公共空 間に設置されたパブリック・アート作品で あった。稿者は、岡本の芸術活動や作品に ついて調べていくうちに、積極的に「大 衆」に啓蒙活動を行なってきた彼の作品群 の中でも、公共空間に設置された作品は現 在の鑑賞者から実際にはどのように受け止 められているのかと次第に疑問を抱くよう になった。しかし、先行研究を探しても、
公共空間に設置された彼の作品群全体に対 する鑑賞者の受容状況を論じた研究はもち ろんのこと、個々の作品についてすら、ご く一部の作品を除き、論考がほとんどない
ことが分かった。また、岡本の芸術活動に おいて特に重要なウエイトを占めた「博覧 会」関係の作品のうち、国際博覧会である
「日本万国博覧会」以外の博覧会、すなわ ち 3 つの地方博覧会に関係する作品に至っ ては、先行研究は皆無であった。
そこで稿者は、本論文において、公共空 間に設置された岡本のパブリック・アート 作品のうち地方博覧会に関連する作品に着 目し、その作品が設置されるに至った背景 や経緯、テーマ、さらにそれらの作品の設 置場所である地域の今日の住民による受容 状況を、以下の構成、方法で解明していく ことにした。
序
Ⅰ章「岡本太郎の人とその足跡/岡本 の芸術思想・作品に関する先行研究 とその問題点」
Ⅱ章「アメリカにおける「パブリック
・アート」の誕生と日本における同 用語の導入、並びに岡本太郎のパブ リック・アート作品」
岡本太郎のパブリック・アート作品の地域住民による受容研究
-地方博覧会のシンボル作品の事例研究を通して-
A Study on the Acceptance of Taro Okamoto’s Public Art Works by Local Residents
-Through Case Studies of his Symbol Works of a few Local Expositions-
安森 大樹
Daiki YASUMORI崇城大学大学院芸術研究科博士後期課程芸術学専攻 Doctoral Course, Graduate School of Art, Sojo University
が、ライフヒストリー法や、岡本自身の著 作から彼の思想を抽出する方法で行われ、
それらによって岡本の社会観や、彼の思想 家的、社会学者的側面、彼が主張した「対 極主義」に関する考察が進められ、さらに それらの思想が《太陽の塔》や万博テーマ 館の企画・構成にどのように反映されたの かについての研究も進められていた。そし て「教育学者」による先行研究では、多く は美術教育における岡本自身やその作品の 題材化、彼の美術教育思想に関する考察な ど、研究者自身の専門分野に関連のある研 究が、各々の専門分野の方法で進められて いた。最後の「その他の分野」による先行 研究では、日本近現代・比較文学者やフラ ンス文学者などが、彼の著作中のテキスト や各々の専門分野の視点から、アヴァン ギャルド概念の形成過程や芸術活動へのバ タイユの影響と反映について考察、検証し ていることが明らかとなった。
以上の先行研究の概観結果を総括すれ ば、岡本の思想に関する研究は、4分野の それぞれにおいて取り組まれており、岡本 の芸術活動や啓蒙活動、執筆活動、美術教 育活動における主張や、その思想に影響を 与えた人物などが多角的に考察、検証され ていると言える。さらに、戦後から晩年に かけての岡本の啓蒙活動の社会における受 容状況も、目下解明されつつある状況で あった。しかし一方で、多くの著作の刊行 や美術の啓蒙活動を通して表明された岡本 の思想が、彼の作品にどのように反映され ているのかについての検証は未だ不十分で あることを導き出した。さらに、彼の作品 に焦点を当てた学術論文は、《太陽の塔》
や「旧東京都庁壁画作品群」を取り上げた ものに限られており、それらの以外の作品 についての考察は、岡本研究の未解明事項 の1つであることも明らかにした。また、 各分野の研究者が研究対象としている時代 は、1930年代のパリ滞在時代から 1970年 開催の日本万国博覧会のための《太陽の 塔》の制作までに集中しており、晩年の芸 術活動や作品に関する研究は皆無に等しい 状況にあることも問題点として指摘した。
Ⅱ
.ア メ リ カ に お け る「パ ブ リ ッ ク・アート」の誕生と日本にお ける同用語の導入、並びに岡本 太郎のパブリック・アート作品
次いでⅡ章では、まず、前章で導き出し た岡本研究の未解明事項の中から、作品に 焦点を当てた研究、中でも彼の芸術活動中 もっとも重要なウエイトを占めるパブリッ ク・アート作品に絞って調査することにし たことを明示した。そして、岡本のパブ リック・アート作品の調査に先行して明ら かにしておくべき基本事項、すなわち、① 今日的意味での「パブリック・アート」の 誕生とその展開、並びに日本への同用語の 導入時期と日本における展開、次いで②岡 本の全パブリック・アート作品とそれらに 関する先行研究の概観、確認を実施した。
①では、今日的意味の「パブリック・ア ート」がアメリカで誕生したとされるた め、まずアメリカのパブリック・アートの 歴史を概観し、アメリカでは、1933年に 実施された連邦政府の「ニューディール政 策」を契機に、多数の芸術作品が連邦政府
Ⅲ章「岡本太郎作《未来を拓く塔》の今 日の地域住民による受容」
Ⅳ章「岡本太郎作《であい》の今日の地 域住民による受容」
Ⅴ章「岡本太郎作《花炎》の今日の地域 住民による受容」
結 語
Ⅰ
.岡本太郎の人とその足跡/岡本 の芸術思想・作品に関する先行 研究とその問題点
まずⅠ章では、岡本研究を進めるための 前段階として、岡本の人とその足跡の概 観、確認を行なった。また、彼の先行研究 の現状と未解明事項を解明するため、学術 論文や研究書、図録などを中心に先行研究 を洗い出し、研究者の専門分野を分析し て、それらを大きく 4 つの専門分野(「美 術批評家・美術史家」、「社会学者・哲学 者・思想史学者」、「美術教育学者」、「その 他の分野」)に分け、分野毎に研究内容の 概観、分析を行なった。
その結果、まず岡本の人とその足跡に関 しては、明治44(1911)年に誕生してか ら平成8(1996)年に 84歳で没するまでの 間に、芸術作品の制作以外にも、執筆活動 やインダストリアル・デザイン、報道番 組、コマーシャルへの出演と多方面に活動 を行なってきたことが確認された。さら に、その範囲を芸術活動に限定してみて も 、第28回「二 科 展」に お け る「二 科 賞」の受賞や旧東京都庁舎に設置された壁 画作品群の制作、日本万国博覧会のテーマ 展示プロデューサー就任、並びに同博覧会
のテーマ館《太陽の塔》の制作、海外展へ の出品など、多岐に亘る活動や業績を確認 できた。
次に、先行研究の現状と未解明事項の把 握に関しては、美術批評家や美術史家、社 会学者、哲学者、思想史学者、美術教育学 者、民俗学者、日本近現代・比較文学者、
フランス文学者といったさまざまな分野の 研究者が岡本を研究対象としていることが 判明した。そしてそれらの研究者がどのよ うな方法で何をどこまで研究しているかに ついては、まず「美術批評家・美術史家」
による先行研究では、岡本の思想や著作、
作品が研究対象とされていたことが明らか となった。そしてそれらのうち思想の研究 では、岡本の思想に影響を与えた人物とし て、マルセル・モースやジョルジュ・バタ イユ、花田清輝、ミルチャ・エリアーデが 研究対象とされ、彼らから岡本への影響内 容や、その後の岡本の芸術活動への反映状 況などが考察されていた。また、彼の著作 に着目した研究では、代表的な著作におけ る彼の主張や執筆目的、刊行当時の社会に おけるそれらの受容状況が考察されてい た。さらに、岡本の作品に関しては、特に
《太陽の塔》や「旧東京都庁壁画作品群」
に関する研究が進められていた。その他、
岡本と雑誌やテレビといったマスメディア との関わりや、彼の両親の当時の社会にお ける受容状況と彼の美術活動の評価との関 係、さらに岡本が初めて縄文土器と出会っ た博物館の当時の状況の考察、検証も着手 され始めていた。次いで「社会学者・哲学 者・思想史学者」による先行研究では、彼 らの専門分野である思想に着目した研究
が、ライフヒストリー法や、岡本自身の著 作から彼の思想を抽出する方法で行われ、
それらによって岡本の社会観や、彼の思想 家的、社会学者的側面、彼が主張した「対 極主義」に関する考察が進められ、さらに それらの思想が《太陽の塔》や万博テーマ 館の企画・構成にどのように反映されたの かについての研究も進められていた。そし て「教育学者」による先行研究では、多く は美術教育における岡本自身やその作品の 題材化、彼の美術教育思想に関する考察な ど、研究者自身の専門分野に関連のある研 究が、各々の専門分野の方法で進められて いた。最後の「その他の分野」による先行 研究では、日本近現代・比較文学者やフラ ンス文学者などが、彼の著作中のテキスト や各々の専門分野の視点から、アヴァン ギャルド概念の形成過程や芸術活動へのバ タイユの影響と反映について考察、検証し ていることが明らかとなった。
以上の先行研究の概観結果を総括すれ ば、岡本の思想に関する研究は、4分野の それぞれにおいて取り組まれており、岡本 の芸術活動や啓蒙活動、執筆活動、美術教 育活動における主張や、その思想に影響を 与えた人物などが多角的に考察、検証され ていると言える。さらに、戦後から晩年に かけての岡本の啓蒙活動の社会における受 容状況も、目下解明されつつある状況で あった。しかし一方で、多くの著作の刊行 や美術の啓蒙活動を通して表明された岡本 の思想が、彼の作品にどのように反映され ているのかについての検証は未だ不十分で あることを導き出した。さらに、彼の作品 に焦点を当てた学術論文は、《太陽の塔》
や「旧東京都庁壁画作品群」を取り上げた ものに限られており、それらの以外の作品 についての考察は、岡本研究の未解明事項 の1つであることも明らかにした。また、
各分野の研究者が研究対象としている時代 は、1930年代のパリ滞在時代から 1970年 開催の日本万国博覧会のための《太陽の 塔》の制作までに集中しており、晩年の芸 術活動や作品に関する研究は皆無に等しい 状況にあることも問題点として指摘した。
Ⅱ
.ア メ リ カ に お け る「パ ブ リ ッ ク・アート」の誕生と日本にお ける同用語の導入、並びに岡本 太郎のパブリック・アート作品
次いでⅡ章では、まず、前章で導き出し た岡本研究の未解明事項の中から、作品に 焦点を当てた研究、中でも彼の芸術活動中 もっとも重要なウエイトを占めるパブリッ ク・アート作品に絞って調査することにし たことを明示した。そして、岡本のパブ リック・アート作品の調査に先行して明ら かにしておくべき基本事項、すなわち、① 今日的意味での「パブリック・アート」の 誕生とその展開、並びに日本への同用語の 導入時期と日本における展開、次いで②岡 本の全パブリック・アート作品とそれらに 関する先行研究の概観、確認を実施した。
①では、今日的意味の「パブリック・ア ート」がアメリカで誕生したとされるた め、まずアメリカのパブリック・アートの 歴史を概観し、アメリカでは、1933年に 実施された連邦政府の「ニューディール政 策」を契機に、多数の芸術作品が連邦政府
Ⅲ章「岡本太郎作《未来を拓く塔》の今 日の地域住民による受容」
Ⅳ章「岡本太郎作《であい》の今日の地 域住民による受容」
Ⅴ章「岡本太郎作《花炎》の今日の地域 住民による受容」
結 語
Ⅰ
.岡本太郎の人とその足跡/岡本 の芸術思想・作品に関する先行 研究とその問題点
まずⅠ章では、岡本研究を進めるための 前段階として、岡本の人とその足跡の概 観、確認を行なった。また、彼の先行研究 の現状と未解明事項を解明するため、学術 論文や研究書、図録などを中心に先行研究 を洗い出し、研究者の専門分野を分析し て、それらを大きく 4 つの専門分野(「美 術批評家・美術史家」、「社会学者・哲学 者・思想史学者」、「美術教育学者」、「その 他の分野」)に分け、分野毎に研究内容の 概観、分析を行なった。
その結果、まず岡本の人とその足跡に関 しては、明治44(1911)年に誕生してか ら平成8(1996)年に 84歳で没するまでの 間に、芸術作品の制作以外にも、執筆活動 やインダストリアル・デザイン、報道番 組、コマーシャルへの出演と多方面に活動 を行なってきたことが確認された。さら に、その範囲を芸術活動に限定してみて も 、第28回「二 科 展」に お け る「二 科 賞」の受賞や旧東京都庁舎に設置された壁 画作品群の制作、日本万国博覧会のテーマ 展示プロデューサー就任、並びに同博覧会
のテーマ館《太陽の塔》の制作、海外展へ の出品など、多岐に亘る活動や業績を確認 できた。
次に、先行研究の現状と未解明事項の把 握に関しては、美術批評家や美術史家、社 会学者、哲学者、思想史学者、美術教育学 者、民俗学者、日本近現代・比較文学者、
フランス文学者といったさまざまな分野の 研究者が岡本を研究対象としていることが 判明した。そしてそれらの研究者がどのよ うな方法で何をどこまで研究しているかに ついては、まず「美術批評家・美術史家」
による先行研究では、岡本の思想や著作、
作品が研究対象とされていたことが明らか となった。そしてそれらのうち思想の研究 では、岡本の思想に影響を与えた人物とし て、マルセル・モースやジョルジュ・バタ イユ、花田清輝、ミルチャ・エリアーデが 研究対象とされ、彼らから岡本への影響内 容や、その後の岡本の芸術活動への反映状 況などが考察されていた。また、彼の著作 に着目した研究では、代表的な著作におけ る彼の主張や執筆目的、刊行当時の社会に おけるそれらの受容状況が考察されてい た。さらに、岡本の作品に関しては、特に
《太陽の塔》や「旧東京都庁壁画作品群」
に関する研究が進められていた。その他、
岡本と雑誌やテレビといったマスメディア との関わりや、彼の両親の当時の社会にお ける受容状況と彼の美術活動の評価との関 係、さらに岡本が初めて縄文土器と出会っ た博物館の当時の状況の考察、検証も着手 され始めていた。次いで「社会学者・哲学 者・思想史学者」による先行研究では、彼 らの専門分野である思想に着目した研究
り、当時の関連する新聞記事の洗い出しに よって解明した。そして、そうした解明点 を基に作品の受容状況の考察に入った。
その結果、《未来を拓く塔》の制作、設 置に密接に関わっている「ぎふ中部未来博 覧会」は、日本の地方博覧会ブームのピー ク時に開催されたものであり、同年代に実 施された地方博覧会の中でも、観客動員数 や収益が際立って大きく大成功を収めた博 覧会であったことが明らかとなった。ま た、同博覧会開催の直接の契機となったの は、愛知県名古屋市がオリンピック招致に 失敗したことであり、オリンピックに代 わって中部地方を活性化するイベントとし て、岐阜県代表として名古屋招致に加わっ ていた岐阜県議会議員が地方博覧会の開催 を提唱したことが始まりであることを明ら かにした。そして《未来を拓く塔》は、同 地方博覧会のシンボル作品として制作、設 置された高さ 21.5mの作品であり、設置当 時は《太陽の塔》に次ぐ大きさの大作で あったことや、その原案は、アメリカの フィラデルフィア市に設置する予定であっ たものを転用したものであったことを明示 した。
その後、研究の主要解明点である《未来 を拓く塔》が設置された地域の住民による 今日の作品の「受容」の有無、並びにその 状況を、アンケート調査によって解明し た。なお、アンケート調査には依頼の仕方 や回収の仕方によってさまざまな方法が考 えられ、実施者や規模、目的、予算などに 応じて最適な方法が選択されているが、本 論文では、一個人として可能な範囲で、以 下のようなアンケートによる受容調査を実
施した。
①アンケート用紙設置期間
令和2(2020)年8月1日~14日(約2 週間)
②調査地
《未来を拓く塔》が設置されている岐阜 県岐阜市
③アンケート用紙の設置場所/郵送場所
ⅰ.「岐阜メモリアルセンター」(《未来
を拓く塔》の設置場所であり、老若 男女問わず利用している公共施設に 設置)
ⅱ.「岐阜県図書館」(アンケートの設置
は許可されなかったが、同館の御好 意で館員(老若男女が問わず利用し ている公共施設の職員)を対象にア ンケートを郵送)
④調査対象者
ⅰ. アンケートを設置した公共施設の利
用者や職員
ⅱ. アンケートを郵送した公共施設の館
員や、その他の関係者(設備管理・ 警備委託業者)
⑤アンケート用紙の記載方法
その場で回答者が書き込む自己記入式
⑥アンケートの調査項目
項目の設定については、M. A. ロビ ネット著、千葉成夫訳『屋外彫刻[オブ ジェと環境]』(1)を参考にしながら(2)、 回答者の統計を取るための基礎的な質問 事項(a)~(d)に続き、地域住民の「受 容」を把握しうると思われる(e)から(p) のような12の質問を設定した(表1を参 照)。
⑦アンケート用紙の設置方法・回収方法 の政策によって公共空間に設置されてきた
こと、さらに、「パブリック・アート」と いう言葉が公に使用され始めたのは 1960 年代からであることを確認した。他方、日 本では、地方自治体が実施主体となって彫 刻設置事業を行い、多数の彫刻作品を公共 空間に設置してきたこと、さらにその事業 は 1960年代から開始されたことを確認し た。また、「パブリック・アート」という 用語が日本で初めて使用されたのは 1980 年代、一般に普及したのは 1990年代後半 になってからであり、それ以前の日本で は、公共空間に設置された作品は一般には
「野外彫刻」や「シンボル・モニュメント」、
「公共芸術」と認識され、またそのように 呼称されていたことを確認した。従って、
現在「パブリック・アート」と呼ばれてい る岡本の作品も、1980年代までは「野外 彫刻」や「公共彫刻」と呼ばれていたこと が判明した。
次いで、②岡本のパブリック・アート作 品については、一覧表を作成し、最初の作 品を制作した 1952年から逝去する 1996年 までの間に 140点を越える作品を制作、設 置し、その作品形態も、初期には平面作 品、晩年になるにつれて立体作品を中心に 制作、設置したことを確認、明示した。さ らに、Ⅰ章における岡本作品に関する先行 研究の現状の概観が、パブリック・アート 作品に限定して検証したわけではなかった ため、本章で改めて彼のパブリック・アー ト作品の先行研究の現状を整理し、作品の 総数やその設置場所の研究はかなり進んで おり、彼の代表作品の《太陽の塔》や「旧 東京都庁壁画作品群」も学術論文の研究対
象となっているが、一方でそれら2作品以 外のパブリック・アート作品については本 格的な論考はまだ存在していないことを明 らかにした。そして、岡本と言えば博覧 会、博覧会と言えば岡本と関連づけられる にも拘らず、日本万国博覧会以外の博覧会
(国際博覧会・地方博覧会)に設置された 作品に関する研究がなされていないため、
彼のパブリック・アート作品の中でも地方 博覧会に設置された 3作品に焦点を絞り、
以下の3つの章でそれらについて調査する ことにしたこと、また、その際、岡本芸術 の理解、評価には一般の鑑賞者が彼の作品 をどのように受容したかを把握することが 不可欠であるため、研究の主要解明点を、
彼のパブリック・アート作品の設置場所で ある地域の現在の住民の受容状況に定めた ことを明示した。
Ⅲ
.岡本太郎作《未来を拓く塔》の 今日の地域住民による受容
続いてⅢ章では、地方博覧会に設置され た岡本の 3作品のうち、まず年代的に最初 の作品である昭和63(1988)年に岐阜県 岐阜市で開催された地方博覧会「ぎふ中部 未来博覧会」に設置され、現在も未来博会 場跡地に開館した総合スポーツ・センター
「岐阜メモリアルセンター」にあるパブ リック・アート作品《未来を拓く塔》(図 2)を研究対象として取り上げた。そし て、研究対象の作品自体に関する基本的事 項、すなわち設置されるに至った背景や経 緯、制作過程などを、同博覧会の関連資料 の収集や分析、当時の関係者への聞き取
り、当時の関連する新聞記事の洗い出しに よって解明した。そして、そうした解明点 を基に作品の受容状況の考察に入った。
その結果、《未来を拓く塔》の制作、設 置に密接に関わっている「ぎふ中部未来博 覧会」は、日本の地方博覧会ブームのピー ク時に開催されたものであり、同年代に実 施された地方博覧会の中でも、観客動員数 や収益が際立って大きく大成功を収めた博 覧会であったことが明らかとなった。ま た、同博覧会開催の直接の契機となったの は、愛知県名古屋市がオリンピック招致に 失敗したことであり、オリンピックに代 わって中部地方を活性化するイベントとし て、岐阜県代表として名古屋招致に加わっ ていた岐阜県議会議員が地方博覧会の開催 を提唱したことが始まりであることを明ら かにした。そして《未来を拓く塔》は、同 地方博覧会のシンボル作品として制作、設 置された高さ 21.5mの作品であり、設置当 時は《太陽の塔》に次ぐ大きさの大作で あったことや、その原案は、アメリカの フィラデルフィア市に設置する予定であっ たものを転用したものであったことを明示 した。
その後、研究の主要解明点である《未来 を拓く塔》が設置された地域の住民による 今日の作品の「受容」の有無、並びにその 状況を、アンケート調査によって解明し た。なお、アンケート調査には依頼の仕方 や回収の仕方によってさまざまな方法が考 えられ、実施者や規模、目的、予算などに 応じて最適な方法が選択されているが、本 論文では、一個人として可能な範囲で、以 下のようなアンケートによる受容調査を実
施した。
①アンケート用紙設置期間
令和2(2020)年8月1日~14日(約2 週間)
②調査地
《未来を拓く塔》が設置されている岐阜 県岐阜市
③アンケート用紙の設置場所/郵送場所
ⅰ.「岐阜メモリアルセンター」(《未来
を拓く塔》の設置場所であり、老若 男女問わず利用している公共施設に 設置)
ⅱ.「岐阜県図書館」(アンケートの設置
は許可されなかったが、同館の御好 意で館員(老若男女が問わず利用し ている公共施設の職員)を対象にア ンケートを郵送)
④調査対象者
ⅰ. アンケートを設置した公共施設の利
用者や職員
ⅱ. アンケートを郵送した公共施設の館
員や、その他の関係者(設備管理・
警備委託業者)
⑤アンケート用紙の記載方法
その場で回答者が書き込む自己記入式
⑥アンケートの調査項目
項目の設定については、M. A. ロビ ネット著、千葉成夫訳『屋外彫刻[オブ ジェと環境]』(1)を参考にしながら(2)、 回答者の統計を取るための基礎的な質問 事項(a)~(d)に続き、地域住民の「受 容」を把握しうると思われる(e)から(p) のような12の質問を設定した(表1を参 照)。
⑦アンケート用紙の設置方法・回収方法 の政策によって公共空間に設置されてきた
こと、さらに、「パブリック・アート」と いう言葉が公に使用され始めたのは 1960 年代からであることを確認した。他方、日 本では、地方自治体が実施主体となって彫 刻設置事業を行い、多数の彫刻作品を公共 空間に設置してきたこと、さらにその事業 は 1960年代から開始されたことを確認し た。また、「パブリック・アート」という 用語が日本で初めて使用されたのは 1980 年代、一般に普及したのは 1990年代後半 になってからであり、それ以前の日本で は、公共空間に設置された作品は一般には
「野外彫刻」や「シンボル・モニュメント」、
「公共芸術」と認識され、またそのように 呼称されていたことを確認した。従って、
現在「パブリック・アート」と呼ばれてい る岡本の作品も、1980年代までは「野外 彫刻」や「公共彫刻」と呼ばれていたこと が判明した。
次いで、②岡本のパブリック・アート作 品については、一覧表を作成し、最初の作 品を制作した 1952年から逝去する 1996年 までの間に 140点を越える作品を制作、設 置し、その作品形態も、初期には平面作 品、晩年になるにつれて立体作品を中心に 制作、設置したことを確認、明示した。さ らに、Ⅰ章における岡本作品に関する先行 研究の現状の概観が、パブリック・アート 作品に限定して検証したわけではなかった ため、本章で改めて彼のパブリック・アー ト作品の先行研究の現状を整理し、作品の 総数やその設置場所の研究はかなり進んで おり、彼の代表作品の《太陽の塔》や「旧 東京都庁壁画作品群」も学術論文の研究対
象となっているが、一方でそれら2作品以 外のパブリック・アート作品については本 格的な論考はまだ存在していないことを明 らかにした。そして、岡本と言えば博覧 会、博覧会と言えば岡本と関連づけられる にも拘らず、日本万国博覧会以外の博覧会
(国際博覧会・地方博覧会)に設置された 作品に関する研究がなされていないため、
彼のパブリック・アート作品の中でも地方 博覧会に設置された 3作品に焦点を絞り、
以下の3つの章でそれらについて調査する ことにしたこと、また、その際、岡本芸術 の理解、評価には一般の鑑賞者が彼の作品 をどのように受容したかを把握することが 不可欠であるため、研究の主要解明点を、
彼のパブリック・アート作品の設置場所で ある地域の現在の住民の受容状況に定めた ことを明示した。
Ⅲ
.岡本太郎作《未来を拓く塔》の 今日の地域住民による受容
続いてⅢ章では、地方博覧会に設置され た岡本の 3作品のうち、まず年代的に最初 の作品である昭和63(1988)年に岐阜県 岐阜市で開催された地方博覧会「ぎふ中部 未来博覧会」に設置され、現在も未来博会 場跡地に開館した総合スポーツ・センター
「岐阜メモリアルセンター」にあるパブ リック・アート作品《未来を拓く塔》(図 2)を研究対象として取り上げた。そし て、研究対象の作品自体に関する基本的事 項、すなわち設置されるに至った背景や経 緯、制作過程などを、同博覧会の関連資料 の収集や分析、当時の関係者への聞き取
与えていることがわかった。また、質問
(o)「《未来を拓く塔》について思ったこ とや、《未来を拓く塔》を見て感じたこと があればお書きください」に対する回答の 中には、「大阪万博の太陽の塔に似ている ので、岡本作品かなとは思っていました。
なぜメモリアルセンターに設置されている のかは知りませんでした」(40代、女性)
や「岡本太郎さんらしい作品だと思った」
(50代、女性)とする回答が複数確認さ れ、同作品の造形が一部の鑑賞者には、岡 本独自の作風を強く感じさせていたことも 明らかにできた。
以上の事実や結果から、稿者は、《未来 を拓く塔》は岐阜県及び岐阜市の多くの地 域住民に受容されていると結論づけた。
Ⅳ
.岡本太郎作《であい》の今日の 地域住民による受容
続いてⅣ章では、2つ目の地方博覧会関 係のパブリック・アート作品として、平成 6(1994)年に三重県伊勢市で開催された 地方博覧会「世界祝祭博覧会」に設置さ れ、現在、三重県伊勢市朝熊町「伊勢フッ トボールヴィレッジ」にある彫刻作品《で あい》(図3)を研究対象として取り上げ た。この作品についても、まずは、作品自 体に関する基本的事項である設置の背景や 経緯、制作過程を解明した。
その結果、《であい》の制作、設置に密 接に関わる「世界祝祭博覧会」は、当時低 迷していた伊勢志摩地域の観光振興の打開 策として計画されたものであり、基本構想 の見直しなどの困難を解決しながら開催さ
れ、目標入場者数を超える成功を収めた博 覧会であったことが明らかとなった。ま た、博覧会閉幕後、大部分のパビリオンは 取り壊されたが、同博覧会に併せて建設さ れ、建設時から博覧会以降も残すことが決 定されていた多目的施設「サンアリーナ」 は、スポーツや集会、国際会議等に利用す る施設となったことも明らかにした。そし て岡本の《であい》は、三重県企業庁がま つり博に企画出展したサンアリーナ前に設 置された「であいの泉」という泉の中心 に、同博覧会のシンボル作品として制作、 設置されたものであり、博覧会終了後も、 所有者はサンアリーナになったものの、で あいの泉とともに当時の設置場所に置かれ たことを明らかにした。また、その後、伊 勢市がサンアリーナの正面向かいに「伊勢 フットボールヴィレッジ」を建設すること になり、2013年には当初の設置場所から わずかに南西の、同フットボールヴィレッ ジのクラブハウス脇に移設され、作品の所 有者もフットボールヴィレッジとなったこ とや、作品が置かれていた泉は撤去された ことなどを明らかにした。
続いて、研究の主要解明点である《であ い》が設置された地域の住民による今日の 作品の「受容」の有無、並びにその状況 を、以下のようなアンケートによる受容調 査によって解明した。
①アンケート用紙設置期間
令和2(2020)年8月1日~13日(約2 週間)
②調査地
《であい》が設置されている三重県伊勢 市
ⅰ.の設置場所では、文書での設置依 頼を行い許可を得た上で、設置期間前に 稿者自ら施設に伺い、アンケートの協力 を求める文章を記載したパネルやアン ケート用紙、アンケート回収箱を手渡し ておき、調査期間初日に施設の職員の方 に設置いただいた。そして調査期間最終 日には施設の職員に回収いただき、回収 完了後アンケート用紙を稿者へ郵送いた だいた。
ⅱ.の場所では、《未来を拓く塔》が同 館の敷地内に設置された作品ではないた め、同作品に関連するアンケートを来館 者に実施することは許可できないとの回 答を得た。しかし、その代わりに、来館 者ではなく、ⅱ.の館員や関係職員を対 象としたアンケート調査の実施を御提案 下さったため、アンケート用紙を同施設 へ郵送し、館員や関係者の方々に記入い ただいた後、同用紙を郵便で稿者へ返送 いただいた。
⑧アンケート調査の資金源
崇城大学大学院芸術研究科博士後期課程 芸術学専攻配布予算
⑨データ分析の方法 量的分析を採用
⑩アンケート調査の成果の報告方法 博士論文や崇城大学芸術学部の紀要に発 表。また、学会にも発表予定
その結果、計72名の利用者・職員・関 係者などから有効回答を得ることができ た。内訳は、「岐阜メモリアルセンター」
が 21名、「岐阜県図書館」が 51名であっ た。そして、アンケート調査の結果(表2 を参照)や分析から、調査地の岐阜市及び
岐阜県では、半数以上の回答者が《未来を 拓く塔》の存在を認識していることや、多 くの人が作品に対し好意的な印象を持って いること、また、設置場所である「岐阜メ モリアルセンター」と作品との組み合わせ に関しても不満は抱いておらず、多くの回 答者が同作品を岐阜市にふさわしいとみな していること、さらに今後も同作品を残し て行きたいと思っていることなどが判明し た。ちなみに、《未来を拓く塔》が岡本の 作品であることを知っている回答者の方 が、作品に好意的な印象を示す割合が高 かったことから、作者の認知度は同作品の 印象に多少は影響していると考えられる。
また、質問(l)「この作品は岐阜市にふさ わしいと思いますか?」の回答の中で、ふ さわしいと「思う」を選択した回答の中に は、「未来博で出展されたため、岐阜市及 びメモリアルセンターのシンボルとしてふ さわしい」(40代、男性)、「未来博のレガ シーだから」(50代、男性)といった《未 来を拓く塔》が設置されるきっかけとなっ た未来博に関系する意見もあり、過去に開 催された地方博覧会の中でも大きな成功を 収めた未来博のシンボル作品であることが 好まれる理由の 1 つとなっていることも分 かった。また、設置場所に関しても、「昭 和63年開催の「ぎふ中部未来博覧会」の シンボルタワーで青空の元(原文ママ、傍 点は稿者による)、金華山と岐阜城をバッ クに輝いていると思う」(50代、女性)と いった意見から、岡本が作品の設置場所の 選定時にこだわった《未来を拓く塔》と金 華山との関係について知っている鑑賞者も おり、同鑑賞者にも作品は好意的な印象を
与えていることがわかった。また、質問
(o)「《未来を拓く塔》について思ったこ とや、《未来を拓く塔》を見て感じたこと があればお書きください」に対する回答の 中には、「大阪万博の太陽の塔に似ている ので、岡本作品かなとは思っていました。
なぜメモリアルセンターに設置されている のかは知りませんでした」(40代、女性)
や「岡本太郎さんらしい作品だと思った」
(50代、女性)とする回答が複数確認さ れ、同作品の造形が一部の鑑賞者には、岡 本独自の作風を強く感じさせていたことも 明らかにできた。
以上の事実や結果から、稿者は、《未来 を拓く塔》は岐阜県及び岐阜市の多くの地 域住民に受容されていると結論づけた。
Ⅳ
.岡本太郎作《であい》の今日の 地域住民による受容
続いてⅣ章では、2つ目の地方博覧会関 係のパブリック・アート作品として、平成 6(1994)年に三重県伊勢市で開催された 地方博覧会「世界祝祭博覧会」に設置さ れ、現在、三重県伊勢市朝熊町「伊勢フッ トボールヴィレッジ」にある彫刻作品《で あい》(図3)を研究対象として取り上げ た。この作品についても、まずは、作品自 体に関する基本的事項である設置の背景や 経緯、制作過程を解明した。
その結果、《であい》の制作、設置に密 接に関わる「世界祝祭博覧会」は、当時低 迷していた伊勢志摩地域の観光振興の打開 策として計画されたものであり、基本構想 の見直しなどの困難を解決しながら開催さ
れ、目標入場者数を超える成功を収めた博 覧会であったことが明らかとなった。ま た、博覧会閉幕後、大部分のパビリオンは 取り壊されたが、同博覧会に併せて建設さ れ、建設時から博覧会以降も残すことが決 定されていた多目的施設「サンアリーナ」
は、スポーツや集会、国際会議等に利用す る施設となったことも明らかにした。そし て岡本の《であい》は、三重県企業庁がま つり博に企画出展したサンアリーナ前に設 置された「であいの泉」という泉の中心 に、同博覧会のシンボル作品として制作、
設置されたものであり、博覧会終了後も、
所有者はサンアリーナになったものの、で あいの泉とともに当時の設置場所に置かれ たことを明らかにした。また、その後、伊 勢市がサンアリーナの正面向かいに「伊勢 フットボールヴィレッジ」を建設すること になり、2013年には当初の設置場所から わずかに南西の、同フットボールヴィレッ ジのクラブハウス脇に移設され、作品の所 有者もフットボールヴィレッジとなったこ とや、作品が置かれていた泉は撤去された ことなどを明らかにした。
続いて、研究の主要解明点である《であ い》が設置された地域の住民による今日の 作品の「受容」の有無、並びにその状況 を、以下のようなアンケートによる受容調 査によって解明した。
①アンケート用紙設置期間
令和2(2020)年8月1日~13日(約2 週間)
②調査地
《であい》が設置されている三重県伊勢 市
ⅰ.の設置場所では、文書での設置依 頼を行い許可を得た上で、設置期間前に 稿者自ら施設に伺い、アンケートの協力 を求める文章を記載したパネルやアン ケート用紙、アンケート回収箱を手渡し ておき、調査期間初日に施設の職員の方 に設置いただいた。そして調査期間最終 日には施設の職員に回収いただき、回収 完了後アンケート用紙を稿者へ郵送いた だいた。
ⅱ.の場所では、《未来を拓く塔》が同 館の敷地内に設置された作品ではないた め、同作品に関連するアンケートを来館 者に実施することは許可できないとの回 答を得た。しかし、その代わりに、来館 者ではなく、ⅱ.の館員や関係職員を対 象としたアンケート調査の実施を御提案 下さったため、アンケート用紙を同施設 へ郵送し、館員や関係者の方々に記入い ただいた後、同用紙を郵便で稿者へ返送 いただいた。
⑧アンケート調査の資金源
崇城大学大学院芸術研究科博士後期課程 芸術学専攻配布予算
⑨データ分析の方法 量的分析を採用
⑩アンケート調査の成果の報告方法 博士論文や崇城大学芸術学部の紀要に発 表。また、学会にも発表予定
その結果、計72名の利用者・職員・関 係者などから有効回答を得ることができ た。内訳は、「岐阜メモリアルセンター」
が 21名、「岐阜県図書館」が 51名であっ た。そして、アンケート調査の結果(表2 を参照)や分析から、調査地の岐阜市及び
岐阜県では、半数以上の回答者が《未来を 拓く塔》の存在を認識していることや、多 くの人が作品に対し好意的な印象を持って いること、また、設置場所である「岐阜メ モリアルセンター」と作品との組み合わせ に関しても不満は抱いておらず、多くの回 答者が同作品を岐阜市にふさわしいとみな していること、さらに今後も同作品を残し て行きたいと思っていることなどが判明し た。ちなみに、《未来を拓く塔》が岡本の 作品であることを知っている回答者の方 が、作品に好意的な印象を示す割合が高 かったことから、作者の認知度は同作品の 印象に多少は影響していると考えられる。
また、質問(l)「この作品は岐阜市にふさ わしいと思いますか?」の回答の中で、ふ さわしいと「思う」を選択した回答の中に は、「未来博で出展されたため、岐阜市及 びメモリアルセンターのシンボルとしてふ さわしい」(40代、男性)、「未来博のレガ シーだから」(50代、男性)といった《未 来を拓く塔》が設置されるきっかけとなっ た未来博に関系する意見もあり、過去に開 催された地方博覧会の中でも大きな成功を 収めた未来博のシンボル作品であることが 好まれる理由の 1 つとなっていることも分 かった。また、設置場所に関しても、「昭 和63年開催の「ぎふ中部未来博覧会」の シンボルタワーで青空の元(原文ママ、傍 点は稿者による)、金華山と岐阜城をバッ クに輝いていると思う」(50代、女性)と いった意見から、岡本が作品の設置場所の 選定時にこだわった《未来を拓く塔》と金 華山との関係について知っている鑑賞者も おり、同鑑賞者にも作品は好意的な印象を
れる理由の1つとなっていることも分かっ た。また、質問(O)「《であい》について 思ったことや、《であい》を見て感じたこ とがあればお書きください」の回答に寄せ られた、上述の「金さん銀さんの色あせが し て い る」(70歳 以 上、男 性)や 、「当 時、100歳の “ きんさんぎんさん ” がお越し 下さったことを覚えています。せっかくの 作品なので、もっと有効活用できればなと 思います」(50代、女性)といった回答 や、アンケート調査依頼のために赴いた伊 勢フットボールヴィレッジの職員への聞き 取りから、《であい》は、当時「きんさん ぎんさん」が、まつり博に来場したため か、地域住民から親しみを込めて「金さ ん、銀さん」と呼ばれていることも分かっ た。
以上の事実や結果から、稿者は、伊勢市 の大多数の地域住民が《であい》を受容し ていると結論づけた。
Ⅴ
.岡本太郎作《花炎》の今日の地 域住民による受容
最後のⅤ章では、地方博覧会に関係する 岡本の最後のパブリック・アート作品であ る、平成8(1996)年に佐賀県を中心に開 催された地方博覧会「ジャパンエキスポ佐 賀’96 世界・焱の博覧会」に設置され、
現在も有田町の「歴史と文化の森公園」の 噴水広場にある彫刻作品《花炎》(図4)
を研究対象として取り上げた。この作品に ついても、まずは基本的事項である設置の 背景や経緯、制作過程を明らかにした。
その結果、《花炎》の制作、設置に密接
に関わる「ジャパンエキスポ佐賀 ’96 世 界・焱の博覧会」は、世界的な陶芸関係者 の組織「国際陶芸アカデミー」の定期総会 の佐賀県への誘致活動に呼応して計画され た九州初のジャパンエキスポであったこと を明示した。また、同博覧会は、主会場が 佐賀県内の3つの異なる場所で展開された だけでなく、福岡・長崎・佐賀の3県でも 10ヶ所に共産会場が設けられた広域の地方 博覧会であったことも判明した。そして岡 本の《花炎》は、同博覧会のシンボル作品 として、主会場の内の1会場「有田地区会 場」に設置された作品であったが、岡本が 完成前に没したために遺作であったこと や、同作品の磁器製の花部分は、地域の磁 器会社2社が多くの困難な課題を克服して 完成させた作品であったことなどを明らか にした。
続いて、研究の主要解明点である《花 炎》が設置された地域の今日の住民による 作品の「受容」の有無、並びにその状況 を、以下のようなアンケートによる受容調 査によって明らかにすることを試みた。
①アンケート用紙設置期間
令和元(2019)年8月4日~18日(約2 週間)
②調査地
《花炎》が設置されている佐賀県西松浦 郡有田町
③アンケート用紙の設置場所
ⅰ.「歴史と文化の森公園 焱の博記念 堂」(《花炎》の設置場所であり、老 若男女問わず利用している公共施設 に設置)
ⅱ.「有田町東図書館」(老若男女問わず
③アンケート用紙の設置場所
ⅰ.「伊 勢フ ッ ト ボ ー ル ヴ ィ レ ッ ジ」
(《であい》の設置場所であり、老若 男女問わず利用している公共施設に 設置)
ⅱ.「伊勢市立伊勢図書館」(老若男女問 わず利用している公共施設に設置)
ⅲ.「伊勢市立小俣図書館」(老若男女問 わず利用している公共施設に設置)
④調査対象者
アンケートを設置した公共施設の利用者 や職員
⑤アンケート用紙の記載方法
その場で回答者が書き込む自己記入式
⑥アンケートの調査項目
項目の設定については、既掲の岐阜市 で実施したアンケートと同様の 16 の質 問を設定した。
⑦アンケート用紙の設置方法・回収方法 まず、事前に文書で設置依頼を行って 許可を得た。その上で設置期間前に稿者 自ら施設に伺い、アンケートの協力を求 める文章を記載したパネルやアンケート 用紙、アンケート回収箱を手渡してお き、調査期間初日に施設の職員に設置い ただいた。そして調査期間最終日にも施 設の職員に回収いただき、回収完了後、
アンケート用紙を稿者へ郵送いただい た。
⑧アンケート調査の資金源
崇城大学大学院芸術研究科博士後期課程 芸術学専攻配布予算
⑨データ分析の方法 量的分析を採用
⑩アンケート調査の成果の報告方法
博士論文や崇城大学芸術学部の紀要に発 表。また、学会にも発表予定
その結果、計66名の利用者や職員・関 係者などから有効回答を得ることできた。
内訳は「伊勢フットボールヴィレッジ」が 27名、「伊勢市立伊勢図書館」が 23名、
「伊勢市立小俣図書館」が 16名であった。
そして、アンケート調査の結果(表3 を参 照)や分析から、調査地の伊勢市では、多 くの回答者が《であい》の存在を認識して いることや、多くの人が作品に対し好意的 な印象を持っていること、また、設置場所 である「伊勢ヒットボールヴィレッジ」と 作品との組み合わせに関しても不満は抱い ておらず、多くの回答者が同作品を伊勢市 にふさわしいとみなしていること、さらに 今後も同作品を残して行きたいと思ってい ることなどが判明した。ちなみに、《であ い》の作者を認識している回答者の方が、
作品について好意的な印象を持っている割 合が高かったことから、作品の印象に作者 である岡本の認識度はある程度影響してい ると考えられる。また、質問(l)「この作 品は伊勢市にふさわしいと思いますか?」
の回答の中で、ふさわしいと「思う」を選 択した回答の中には、「サッカーに合って いるとは思わないが、伊勢には合っている と思う。なぜなら神宮の神鶏のイメージが あるから」(50代、女性)や、「神様の鳥っ ぽいから」(10代、女性)、「神鶏にも見え るから」(50代、女性)」といった伊勢神 宮の天岩戸神話に出てくる神の使いの鶏
(神鶏)との関系を想定したとする意見も あり、《であい》の頭部の鳥の頭のような 造形部分が神鶏を彷彿とさせることが好ま
れる理由の1つとなっていることも分かっ た。また、質問(O)「《であい》について 思ったことや、《であい》を見て感じたこ とがあればお書きください」の回答に寄せ られた、上述の「金さん銀さんの色あせが し て い る」(70歳 以 上、男 性)や 、「当 時、100歳の “ きんさんぎんさん ” がお越し 下さったことを覚えています。せっかくの 作品なので、もっと有効活用できればなと 思います」(50代、女性)といった回答 や、アンケート調査依頼のために赴いた伊 勢フットボールヴィレッジの職員への聞き 取りから、《であい》は、当時「きんさん ぎんさん」が、まつり博に来場したため か、地域住民から親しみを込めて「金さ ん、銀さん」と呼ばれていることも分かっ た。
以上の事実や結果から、稿者は、伊勢市 の大多数の地域住民が《であい》を受容し ていると結論づけた。
Ⅴ
.岡本太郎作《花炎》の今日の地 域住民による受容
最後のⅤ章では、地方博覧会に関係する 岡本の最後のパブリック・アート作品であ る、平成8(1996)年に佐賀県を中心に開 催された地方博覧会「ジャパンエキスポ佐 賀’96 世界・焱の博覧会」に設置され、
現在も有田町の「歴史と文化の森公園」の 噴水広場にある彫刻作品《花炎》(図4)
を研究対象として取り上げた。この作品に ついても、まずは基本的事項である設置の 背景や経緯、制作過程を明らかにした。
その結果、《花炎》の制作、設置に密接
に関わる「ジャパンエキスポ佐賀 ’96 世 界・焱の博覧会」は、世界的な陶芸関係者 の組織「国際陶芸アカデミー」の定期総会 の佐賀県への誘致活動に呼応して計画され た九州初のジャパンエキスポであったこと を明示した。また、同博覧会は、主会場が 佐賀県内の3つの異なる場所で展開された だけでなく、福岡・長崎・佐賀の3県でも 10ヶ所に共産会場が設けられた広域の地方 博覧会であったことも判明した。そして岡 本の《花炎》は、同博覧会のシンボル作品 として、主会場の内の1会場「有田地区会 場」に設置された作品であったが、岡本が 完成前に没したために遺作であったこと や、同作品の磁器製の花部分は、地域の磁 器会社2社が多くの困難な課題を克服して 完成させた作品であったことなどを明らか にした。
続いて、研究の主要解明点である《花 炎》が設置された地域の今日の住民による 作品の「受容」の有無、並びにその状況 を、以下のようなアンケートによる受容調 査によって明らかにすることを試みた。
①アンケート用紙設置期間
令和元(2019)年8月4日~18日(約2 週間)
②調査地
《花炎》が設置されている佐賀県西松浦 郡有田町
③アンケート用紙の設置場所
ⅰ.「歴史と文化の森公園 焱の博記念 堂」(《花炎》の設置場所であり、老 若男女問わず利用している公共施設 に設置)
ⅱ.「有田町東図書館」(老若男女問わず
③アンケート用紙の設置場所
ⅰ.「伊 勢フ ッ ト ボ ー ル ヴ ィ レ ッ ジ」
(《であい》の設置場所であり、老若 男女問わず利用している公共施設に 設置)
ⅱ.「伊勢市立伊勢図書館」(老若男女問 わず利用している公共施設に設置)
ⅲ.「伊勢市立小俣図書館」(老若男女問 わず利用している公共施設に設置)
④調査対象者
アンケートを設置した公共施設の利用者 や職員
⑤アンケート用紙の記載方法
その場で回答者が書き込む自己記入式
⑥アンケートの調査項目
項目の設定については、既掲の岐阜市 で実施したアンケートと同様の 16 の質 問を設定した。
⑦アンケート用紙の設置方法・回収方法 まず、事前に文書で設置依頼を行って 許可を得た。その上で設置期間前に稿者 自ら施設に伺い、アンケートの協力を求 める文章を記載したパネルやアンケート 用紙、アンケート回収箱を手渡してお き、調査期間初日に施設の職員に設置い ただいた。そして調査期間最終日にも施 設の職員に回収いただき、回収完了後、
アンケート用紙を稿者へ郵送いただい た。
⑧アンケート調査の資金源
崇城大学大学院芸術研究科博士後期課程 芸術学専攻配布予算
⑨データ分析の方法 量的分析を採用
⑩アンケート調査の成果の報告方法
博士論文や崇城大学芸術学部の紀要に発 表。また、学会にも発表予定
その結果、計66名の利用者や職員・関 係者などから有効回答を得ることできた。
内訳は「伊勢フットボールヴィレッジ」が 27名、「伊勢市立伊勢図書館」が 23名、
「伊勢市立小俣図書館」が 16名であった。
そして、アンケート調査の結果(表3 を参 照)や分析から、調査地の伊勢市では、多 くの回答者が《であい》の存在を認識して いることや、多くの人が作品に対し好意的 な印象を持っていること、また、設置場所 である「伊勢ヒットボールヴィレッジ」と 作品との組み合わせに関しても不満は抱い ておらず、多くの回答者が同作品を伊勢市 にふさわしいとみなしていること、さらに 今後も同作品を残して行きたいと思ってい ることなどが判明した。ちなみに、《であ い》の作者を認識している回答者の方が、
作品について好意的な印象を持っている割 合が高かったことから、作品の印象に作者 である岡本の認識度はある程度影響してい ると考えられる。また、質問(l)「この作 品は伊勢市にふさわしいと思いますか?」
の回答の中で、ふさわしいと「思う」を選 択した回答の中には、「サッカーに合って いるとは思わないが、伊勢には合っている と思う。なぜなら神宮の神鶏のイメージが あるから」(50代、女性)や、「神様の鳥っ ぽいから」(10代、女性)、「神鶏にも見え るから」(50代、女性)」といった伊勢神 宮の天岩戸神話に出てくる神の使いの鶏
(神鶏)との関系を想定したとする意見も あり、《であい》の頭部の鳥の頭のような 造形部分が神鶏を彷彿とさせることが好ま
以上の事実や結果から、稿者は、有田町 の多くの町民は《花炎》を受容していると 結論づけた。
結 語
本論文では、岡本太郎研究の未解明事項 の1つである、岡本が制作した博覧会関係 作品、中でも地方博覧会に設置されたパブ リック・アート作品に焦点を当て、その作 品がどのような背景、経緯で岡本に依頼さ れ、また、どのようなテーマで制作された のか、そしてその作品は彼が自身の芸術の 受容者とした「大衆」、本稿では特に作品 の設置場所である地域の今日の住民に受容 されていると言えるのか否かを主な解明点 に掲げ、現地調査や文献調査、作品が設置 された地域にある公共の施設で実施したア ンケート調査を基に解明した。そして、研 究対象とした地方博覧会関連の3作品は、
受容の程度に多少の差はあれ、いずれも現 在の地域住民に受容されていると結論づけ るに至った。本論文における調査、検証に よって、作品の設置をめぐる背景や経緯、
テーマといった基本事項、並びに本稿の主 要解明点である地域住民による岡本のパブ リック・アート作品の受容状況は、完全と は言えないまでも、かなり明確になったと 言え、所期の目的は概ね達成できたと思わ れる。
しかし、同時に今後の課題も既に見えて きた。例えば、アンケート調査を実施する 際、質問の中で、開催当時の地方博覧会に 行ったか否かを尋ねておきながら、当時 行ったことがある人に岡本の作品をどのよ
うに受け取ったかを問う項目を設けなかっ たために、作品が設置された当時と現在ま での地域住民の受容状況に変化や違いがあ るのか否かなど、さらに踏み込んで論じる ことができなかった。この点については今 後も補足的な調査研究が必要と言える。ま た、岡本のパブリック・アート作品につい て整理する中で、日本万国博覧会や地方博 覧会以外の博覧会、すなわち昭和60(1985) 年に茨城県で開催された国際博覧会「国際 科学技術博覧会」時にも作品を設置してい ることが判明したが、本論文では時間の制 約上、同博覧会の調査に着手出来なかっ た。この点も今後の研究課題としたい。
制作者である稿者は、岡本に関する作品 調査や文献調査を行う中で、彼の思想や作 品の表現方法を知り、それらから多くの刺 激を受けた。特に、彫刻作品とそれを設置 する空間との関係を考えた彼の表現方法 は、今後、稿者が制作や表現の幅を広げる のに必ずや大きな示唆を与えてくれるに違 いない。今後も岡本の著作や彼に関する文 献調査を続け、さらに彼が制作したパブ リック・アート作品の設置場所にも足を運 ぶことで、彼の表現方法を吸収し、制作の 糧としていきたい。
[注]
(1) M. A. ロビネット著・千葉成夫訳『屋外
彫刻--オブジェと環境』鹿島出版会 1985年
(2) 同書のⅤ章「野外彫刻にたいする人々の 反応」には、屋外彫刻に対する人々の反 応を知るための実例調査の方法が幾つか 提示されている。その 1 つに屋外彫刻に 利用している公共施設に設置)
ⅲ.「有田町西図書館」(老若男女問わず 利用している公共施設に設置)
④調査対象者
アンケートを設置した公共施設の利用者 や職員
⑤アンケートの記載方法
その場で回答者が書き込む自己記入式
⑥アンケートの調査項目
項目の設定については、既掲の岐阜市 で実施したアンケートと同様の 16 の質 問を設定した。
⑦アンケート用紙の設置方法・回収方法 稿者自ら施設へ伺い、許可を頂いた机 上にアンケートの協力を求めるパネルと アンケート用紙、アンケート回収箱を設 置し、調査期間最終日に再び現地に伺い 回収を行なった。
⑧アンケート調査の資金源
崇城大学大学院芸術研究科博士後期課程 芸術学専攻配布予算
⑨データ分析の方法 量的分析を採用
⑩アンケート調査の成果の報告方法 博士論文や崇城大学芸術学部の紀要に発 表。また、学会にも発表予定
その結果、計85名の利用者や職員・関 係者などから有効回答を得ることができ た。内訳は「歴史と文化の森公園 焱の博 記念堂」が 44名、「有田町東図書館」が 16 名、「有田町西図書館」が 25名であった。
そして、アンケート調査の結果(表4 を参 照)や分析から、調査地(佐賀県西松浦郡 有田町と西有田町)では、多くの回答者が
《花炎》の存在を認識していることや、同
作品を好ましく思っていること、また、設 置場所である「歴史と文化の森公園」と作 品との組み合わせにも概ね満足し、かつ同 作品を有田町にふさわしいと思っているこ と、さらに今後も同作品を残して行きたい と思っていることなどが判明した。なお、
《花炎》に対する好意的な印象について は、作者の認知度による差はほとんどな かった。その他、質問(l)「この作品は有 田町にふさわしいと思いますか?」の回答 の中で、ふさわしいと「思う」を選択した 回答の中には、「「有田」がどうこうという ことを全く無視しているのが良い。でも ちゃんと磁器っていうのが良い」(30代、
女性)、「陶器で出来ているから」(10代、
女性)といった《花炎》の花部分に関する 意見もあり、作品の一部が有田の名産であ る磁器製であることが好まれる理由の 1 つ となっていることも分かった。また、《花 炎》の本体に関しても、「‶炎” =焼き物窯 の炎を連想するので」(50代、女性)、「炎 や土の形のようで、有田の焼き物とリンク するから」(30代、男性)といった意見か らは、焼物の製作に欠かせない炎を連想さ せる造形自体が好意的な印象を与えている ことも分かった。そして質問(o)「《花 炎》について思ったことや、《花炎》を見 て感じたことがあればお書きください」に 対する回答の中には、先にも挙げた「岡本 太郎の遺作であろう《花炎》が有田町にあ ることが誇らしい」(50代、女性)とする 回答が複数見られ、同作品が岡本の遺作で あり、それが有田町に現存していることに 価値や誇りを感じている人がいることも確 認できた。