街区型集合住宅の都市デザインに関する研究
建設工学専攻(修士課程) 508089 茂木 真由美 建築設計研究 指導教員 赤堀 忍
0. はじめに
まず、本論文にて扱う「街区型集合住宅」 (以下、 「街区型」 ) について簡単ではあるが、定義をする。
ここでは、周囲を街路に囲まれ、ひとつの街区を形成してい る集合住宅のことを「街区型」と呼ぶ。中庭を単体または複数 の住棟が囲み、それらの住棟が街路に対して壁面線をそろえて いる、または街路に対して並んで建てられているものを指す。
地上階レベルで定義すると、中庭へのアクセスは可、不可を問 わずに街区型とし、ピロティに関しては、その面積が建築面積 の半数以下の場合において研究対象とする。
・研究背景および目的
フランスの首都パリでは、産業革命により街路が人々の生活 空間から交通のための空間へと変化していき、街路というコ ミュニケーションスペースを失った人々の都市空間への欲求 が、急速に高まっている。その欲求への解決策のひとつとし て、フランスの建築家クリスチャン・ドゥ=ポルツァンパルク
(Christian de Portzamparc) が提案する 「open block」
*1)がある。
「open block」は都市に内在する多様性を許容していくことが できるとされ、現在ポルツァンパルク以外にも取り入れてられ、
新たに広まり始めた考え方である。
一方、日本においては、現在までに東京湾臨海部では都市開 発プロジェクトが多数行なわれている。そのなかのいくつかの プロジェクトに含まれる集合住宅には、街路に沿って建ち並ぶ 街区型が見受けられる。街区型は、主にヨーロッパの都市部で つくられた住居形式であるが、日本での計画数はまだまだ少な い。
日本とくに東京では、世帯数を住居数が超えるという現象が 起きている (2008 年 10 月 1 日現在、 東京都の総世帯数 5,989,800 世帯に対し総住居数 6,784,800 戸)
*2)にも関わらず、今後も集 合住宅建設はしばらく続きそうである。そして、外部環境はど んなに建築技術が進歩しても同様の場所をつくることはできな い。したがって、集合住宅と土地という視覚的のみならず感覚 的なつながりが重要であり、それらを決定づける都市デザイン を明らかにしていくことで、都市空間に対する質の向上につな がるのではないかということが背景になっている。
日本の「街区型」に焦点をあて、時代的変化と近年の都市計 画との関わりの 2 点について、フランスとの比較を交えながら、
都市デザインを明らかにしていくことを目的とする。
1. 街区型集合住宅
集合住宅の配置形式には、主に a)街区型、b)平行配置型、c)
分棟型、d) 高層型、e)L 字型の 5 種類がある。これらについて、
千葉大学服部岑生名誉教授の論文
*3)を参考に「配置における 集合形式」の条件を総合的に考察する。
①住戸の居住性に関する条件
②近隣生活の必要性に関する条件
③周囲の地域性に関する条件
④その他(都市計画や土地の歴史、文化性)の条件
ここに挙げた条件に a) 街区型をあてはめていく。①は全て
の住戸において平等な居住性を与えることはできないが、中庭 を囲むことでプライバシーを守ることができる。②は中庭とい う外部空間を周囲へ開くことにより満たすことができる。駐車 場に関してはコストと景観が課題となる。③について街区型は 最も都市インフラの整備と関わってくる。また、 シティーウォー ル形成による街並みをつくりやすい。④は地域ごとに文化や都 市計画が異なるため、一様に街区型が適しているとは言えない が、街並みの連続性や街路とのつながりは十分に得ることがで きる。
上記の条件からも分かるように「街区型」とは、他の配置に 比べ都市や街路とのつながりが大きく、互いに及ぼす影響の範 囲も広くなる。そこで、本論文が扱う都市デザインの範囲につ いてもここで定義をする。都市との空間構成を考察することを 目的としているため、下図に示したように集合住宅の建つ敷地 内部だけではなく、それらを取り囲む外部空間つまり公共空間 へも範囲を広げることとする。
2. 日本の集合住宅の歴史
日本で初めて集合住宅があらわれたのは、平安時代の『絵巻 図』の中に描かれている町屋だといわれている。江戸時代にな ると諸大名の江戸屋敷の表通りに面した長屋門の周りに、下級 武士達が住む長屋と呼ばれる建物がつくられた。縦方向に積層 した集合住宅ができたのは、1904(明治 37)年に丸の内に建 てられた〈三菱一丁倫敦 6・7 号館〉である。この建物は、住 宅兼オフィスとして建てられたが、オフィスとして使われるこ とが多かったようだ。その後、集合住宅が日本に普及するきっ かけとなった出来事として、1923(大正 12)年に起きた関東 大震災がある。
1945 年に第二次世界大戦が終戦を迎え、戦災からの復興に 続き、その後訪れる成長期に向けた都市への人口が激増し、中 堅所得者向けの都市および近郊における住宅の絶対数が不足し ていった。そしてマスハウジング期が訪れる。
経済成長の加速により、大規模化したニュータウンの計画や 民間マンションの建設も進み、3 度のマンションブームが 1963
~ 1973 年の間に起こり、都心部、大都市圏、郊外へと開発が 進んでいった。
しかし、1973 年オイルショックが起こり、建設業において も大規模再開発の抑制や金融引き締めによる住宅着工数が減少 し、計画の見直しがなされ集合住宅へのさまざまな問題意識が 表れはじめる。人間性を無視した巨大、高層、画一的な都市計 画ではなく、接地性、地域性、伝統性、領域性、プランの多様 性に焦点が当てられた。この時期から「住宅・都市整備公団」
も ぎ ま ゆ み