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山本

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ノミコトの祖神︑というように平和的な英雄神になってしまう︒

そこには何らかの神話の編集者︑記紀を編さんした人物の大き

な意図があってのことと容易に想像できる︒

 記紀を編さんした大和朝廷とこの神話の舞台となっている

﹁出雲国﹂との関係を示す記録はほとんど残されていない︒た

しかなのは︑奈良時代まで続いた国造のなかで︑出雲国造だけ

がその就任ごとに朝廷に参向して︑服属の誓いともいうべき

 がユと ﹁賀詞﹂を奉る習慣のあったことである︒このことは︑大和朝

廷の国土統一及び国家形成の過程において︑出雲が大きな敵対

勢力であり︑その出雲を服従させ︑その祭祀・統治権を中央に

統合することが重要な意味を持っていたことを示している︒ス

サノオノミコトは︑その出雲を領有していたオオクニヌシノミ

コトの祖神であると共に︑アマテラスオオミカミの恭順な弟と

して︑国家形成神話の構成の上で︑大和と出雲を結びつけ︑出

雲の服属を正当化する役割を課せられているのではあるまい

か︒

参考文献

山根堅一 逸見芳春 竹本健司

倉野憲司 武田祐吉

坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野 晋 ﹃備中神楽﹄ ﹃備中神楽﹄ 昭和五七年 岡山文庫 昭和五八年 新見市昭和町商店会

﹃古事記・祝詞﹄ 昭和四〇年  ︵日本古典文学大系︶

﹃日本書紀上﹄  一九八七年  ︵日本古典文学大系︶ 岩波書店 岩波書店 松村武雄 武沼祐吉 尾崎知光 川副武胤 折口信夫 荻原浅男 森 浩一 森 浩一 竹内明照 竹野長次 中村啓信 菅野雅雄 門脇禎二 ﹃日本神話の研究﹄昭和五八年  ︵第﹁巻〜第四巻︶

﹃古事記編i皿﹄ 昭和四八年  ︵武田祐吉著作集︶

﹃全注古事記﹄  昭和五七年

﹃古事記及び日本書紀の研究﹄         昭和五一年

﹃日本紀﹄    明和六三年  ︵折口信夫全集︶

﹃古事記への旅﹄ 昭和六三年

﹃倭人の登場﹄  昭和六〇年  ︵日本の古代1︶

﹃縄文・弥生の生活﹄  ︵日本の古代4︶昭和六一年

﹃成羽史話﹄   昭和三九年

﹃古事記の民族学的研究﹄         昭和三五年

﹃日本神話﹄ 培風館 角川書店 桜楓社 風間書房 中央公論社 日本放送出版協会 中央公論社 中央公論社 成羽町教育委員会 文雅堂書店

昭和⊥ハ○年 桜三社

﹃出雲の古代史﹄ 昭和六三年 日本放送出版協会

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津山高専紀要第28号(1990)

の斐伊川の上流に︑﹁血になりて流れき﹂というようなものす

ごい濁流を流すほどの大規模な砂鉄採集がはたして行われてい

たのであろうか︒現在の考古学の見地からすると︑この地の製

鉄はもっと時代が下るとされているのだが︒

 ところで︑この製鉄謳からすれば︑オロチの尾から出た﹁つ

むがりの太刀﹂は当然鉄製でなければならないはずである︒は

たしてどうか︒

 古事記によれば︑ヤマトタケルノミコト︵倭建A叩一1第二代       み やずひ 景行天皇の皇子︶が東征の途上︑この宝剣を尾張国の美夜受血

売のもとに置いて伊吹山の神を討ち取りに向かったとして︑こ

の宝剣を祭る熱田神宮の縁起を暗に示している︒また︑書紀        あ ゆちのむら 書二には︑具体的に﹁こは今︑尾張国の洗湯市村に存す︒すな

     はふり  つかさど はち熱田の祝部の掌りまつる神はこれなり﹂とあり︑この剣

が熱田神宮の御神体になっていることを記している︒

 この御神体の剣がはたして鉄製であるかどうかは興味深いと

ころであるが︑それを確かめるすべを知らない︒ただ正木正英

  ぽよくせんしゆう

の﹃玉籔集﹄によれば疑いもなく青銅剣であると記しているの

だが︒  結局︑この神話が青銅器から鉄器へ移るいわゆる製鉄神話︑

鉄剣の出現を語る神話であると考えたいのであるが︑どうも否

定的な要素が強い︒

 ついでながら︑オロチを切ったスサノオノミコトが所持して

いた剣はどのような剣であったのか調べてみよう︒古事記は

「ヤ 籟﹂︑書紀本文は︑﹁ヤ紅舌﹂︑書紀一書二は﹁蠣の鱈畷と

       いそのかみ       から いふ︒こは今の石上に存す︒﹂と記しており︑書紀一書三は﹁韓

さびのつるぽ

鋤剣﹂と記し︑﹁今吉備の神部のもとにあり︒﹂とも記している︒       まのはヘタリのつるぎ また書紀一書四には﹁天蝿研剣﹂とある︒それぞれがそれぞれ の意味をもっての命名と思われるが︑それが銅剣か鉄剣かとい うことはわからない︒しかし︑﹁韓早寒﹂の名が示すごとく︑ 朝鮮半島からの影響が強く働いていることが想像できるのであ るが︑ここではこれ以上のせん索はやめにしたい︒  最後にこの神話の主人公スサノオノミコトとその役割につい て考えてみよう︒  スサノオノミコトは︑記紀神話ではアマテラス蹴上ミカミの 弟とされている神である︒       よみのくに         みそぎ すなわちイザナギノカミが黄泉国から帰って喫をし︑左目を 洗った時にアマテラスオオミカミが生まれ︑右の手を洗った時 にツクヨミノミコトが生まれ︑次に鼻を洗った時に生まれたの が︑スサノオノミコトであると︒この神の神格は極めて複雑で︑ その名が示す通り︑荒ぶる神でありながら農耕神としての性格 も備え︑高天原から追放されて後は出雲へ下って︑ヤマタノオ ロチを退治して 躍﹁大英男神となる︒  しかし︑スサノオノミコトが皇室の祖神とされるアマテラス オオミカミに対して︑最も対立的な神として描出されているの       さまた は明らかである︒すなわち︑アマテラスオオミカミの神能を阻

 そこな

げ害い︑高天原の秩序の破壊者として描かれる︒これが﹁天の       あがな      ひげ 岩屋戸﹂の段である︒罪を磧い︑財産を没収されたうえに︑髪 を切られ︑手足の爪も抜かれて出雲国に下りてきた︒それほど 厳しい罰を加えられ︑惨めな姿で出雲へ下り︑争心チを退治し て︑その尾から宝剣を得るや︑それを高天原のオオミカミに献 上するのである︒荒ぶる神から一変しての恭順な姿勢︑そして 七つ神の女性と結婚︑やがては﹁国譲り﹂をするオオクニヌシ

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を発見する︒古事記ではこれを﹁つむがりの太刀﹂といってい

るが︑その語義は未詳で︑﹁切れ味のよい太刀﹂の意であろうか︒

﹁あやしき物と思ほして﹂とあるから︑これまでの太刀とは全

く違ったすばらしいものとして目に映ったに相違ない︒だから

して︑アマテラスオオミカミに事情を申し上げると共に︑この

太刀を献上したのである︒

 日本書紀によれば︑﹁これいはゆる草薙剣なり﹂と叙し︑そ

の細註に﹁本の名は天叢雲剣︒けだし大蛇いる上に︑常に雲気          なつ あり︒かれ︑以って弄くるか︒日本馬皇子に至りて名を改めて

草薙剣といふ﹂と見え︑この太刀の名の由来を説明している︒

すなわちこの太刀には霊気があって︑その剣のあるところ︑常

に雲が立ち上ったところがら︑天叢雲剣と名付けたものと見え

る︒その後︑ヤマトタケルノミコトの東征の際︑相模国におい

て︑賊のため野中で焼かれようとした時に︑この剣をもって草

を薙いで迎え火をうち︑難を免れたことから︑草薙剣と称せら

れたと記している︒

 この説話が単なる地方の説話にすぎないにもかかわらず︑天

の岩戸の説話に続いて伝えられているのは︑実にこの宝剣の出

現を説くためであったのである︒かっては高天原でアマテラス       あぜ オオミカミの経営する田の畔を切ったり︑水路を埋めたり︑あ

るいは神聖な機屋に馬を逆はぎにして投げ入れるなどの乱暴を

はたらいたスサノオノミコトではあったが︑ここでは︑オロチ

の尾から出現した霊剣をアマテラス降卒ミカミに奉献するので

ある︒特に日本書紀の叙述に見える﹁これあやしき剣なり︒誓

いかにぞ敢へて私に臨けらむや﹂には明らかに三芳ミカミに対

する忠誠心がうかがえるのであって︑ここにスサノオノミコト に始まり︑オオクニヌシノミコトに至るいわゆる出雲神話が︑ アマテラスオオミカミを中心とする高天原神話︵宮廷神話︶の 中に組みこまれる秘密があったのである︒  しかし︑まだ大切な問題が残っている︒三種の神器ともなる べき宝剣が︑なぜオロチの尾から出たのかという問題である︒ オロチの尾から剣が出たという話には︑何らかの神秘的な意味 がなくてはならない︒  これについて︑最も有力な説は製鉄謳である︒  オロチは山の主であり︑オロチを切って宝剣を得たというの は︑山を掘って鉱石を得︑これを精思して鉄器を作る技術を得 た話である︒あるいは︑ヤマタノオロチは﹁鉄の文化﹂の所有 者であって︑アシナヅチに代表される鉄の文化に浴しない人間 にしばしば迫害を加えた︒これを征伐して切れ味のよい鉄製の 剣を得た話である︒というように︑スサノオノミコトのオロチ 退治の説話は︑その天降りし地︑つまりは斐伊川の上流が︑日 本屈指の良質な砂鉄を産し︑たたら吹きの中心地であったがた めに製鉄潭が極めて有力になったといえよう︒  さらに︑具体的に記紀の叙述から見ても︑﹁檜・杉と生ひ︑ その長は難今谷・峡八号機渡りて﹂というのは︑たたら吹きに 適した薪炭材に富んだ中国山地を思わせ︑﹁肥の河︑血になり       かんななが て流れき﹂は鉄穴流しの濁流を思わせ︑﹁その腹を見れば︑ご とごとに常に血ただれつ﹂というのは︑酸化鉄を含む地層を想 像させるとか︒また︑﹁大蛇いる上に︑常に雲気あり﹂という 書紀本文の注書が示す表現は︑三日チ族が操業しているたたら 製鉄の火煙であるというよに︑いろいろと解釈がなされている︒

 しかし︑この記紀が編さんされた時︑すなわち奈良時代にご

一 131 一

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津山高専紀要第28号(1990)

 幕内に潜んでいたスサノオノミコトが︑息をこらしてオロチ

に近より︑﹁やい!﹂と一太刀浴びせかける︒オロチは驚いて

目をさまし︑そのかま首をもたげるや︑すさまじいうなり声を

発し︑真っ赤な口から火を吹いてミコトに襲いかかり︑大乱闘

になる︒直径四〇センチ︑長さ忌数メートルもある胴が︑スサ       ご ノオノミコトに巻きつき︑あわや飲みこまれたかと見えた間一

髪︑スサノオノミコは︑オロチの胴を切りはらって立ち現われ

る︒さらに激しい激戦の末︑オロチの首をとり︑その尾から一

振りの剣をとり出す︒

 素数  ﹁大蛇を退治して宝剣を得たり︒この剣こそ姉上天照

  大神にささげ奉らん︒﹂

 太鼓  ﹁お手柄にて候う︒﹂

 舞いあげのあと︑うれしき舞

        げ      やくがみ  素菱・太鼓  ﹁実にありがたの御ことや︒末の世までも疫神

  やくはら      ときわ  かきわ   厄払い︑祇園三社と仰がれ申せば︑わが敷島は常盤︑堅盤

  の︑松の葉色の変わらぬ御代こそ︑めでたけれ︒﹂

と︑血刀を捧げ︑︑かきとったオロチの首を左の肩にかけ︑氏子

の厄払いもかねて舞台を数回まわり︑めでたく打ち上げとなる︒

 さて︑このオロチ退治の一段は︑英雄神が美女を妖怪から救

い宝物を獲得するモチーフの︑いわゆるアンドロメダーーペルセ

ウス型に分類されるものであろうが︑山神・水神を蛇に見たて

た農耕儀礼の神話とみるのが妥当であろう︒しかし︑一方にお

いて︑﹃古事記﹄﹃日本書紀﹄の編さんの重要課題であった﹁国

家成立﹂の神話という観点からみると︑スサノオノミコトのオ

ロチ退治神話の究極の目的は︑皇位のしるしの一つである﹁草

薙剣︵拙掌芸太刀︶の起源を語ることにあったのである︒その 部分をオロチ退治の場面も含めて記紀の叙述をみよう︒  ︹古事記︺かれ︑のり給ひしままに︑かく設け備へて待ちし   時︑その八号のをうち︑まことに言ひしがごと六つ︒すな   はち船ごとにおのが頭をたれて︑その酒を飲みき︒ここに   飲み酔ひてとどまり伏し響き︒ここに速須佐之男命︑その       とつかっるぎ       はふ   はかせる十拳剣を抜きて︑そのをうちを切り散り給ひしか   ば︑肥の川︑血になりて流れき︒かれ︑その中の尾を切り        みはかし   給ひし時︑御刀の刃欠けき︒ここにあやしと思ほして︑御   刀の先もちて刺し裂きて見給へば︑つむがりの太刀ありき︒   かれ︑この太刀を取りてあやしき物と思ほして︑天照大御       くかなぎのた ち   神に申し上げ給ひき︒こは草那芸太刀なり︒  ︹書紀本文︺酒を得るにいたりて︑頭を各々一つの槽におと       ねぶ   し入れて飲む︒酔ひて睡る︒時に素配下尊︑すなはちはか     とっかのつるぎ   せる十握剣を抜きてつだっだにその蛇を斬る︒尾に至りて       さ    みそなは   剣の刃少しき欠けぬ︒かれ︑その尾を割裂きて視せば︑        くさなぎのつるぎ   中に一の剣あり︒これ︑いわゆる草薙剣なり︒︵草薙剣︑こ        あるふみ       あまのむらくもの   れをば倶沙那伎量都留伎と言ふ︒一書に言はく︑本の名は天叢雲

  つるぎ      も  なつ        やまと

  剣︒けだし大蛇いる上に︑常に雲あり︒かれ以て名くるか︒日本

  たけるのみこと

  武皇子に至りて︑名を改めて草薙剣と日ふといふ︒︶素菱鳴尊の   のまた       あ        お   曰はく︑﹁これあやしき剣なり︒繕いかにぞ敢へて私に安        あまっかみのみもとたてまつりあ   けらむや﹂とのたまひて︑天神に上献ぐ︒  強い酒に酔いつぶれた以上チを見て︑スサノオノミコトは︑ 身につけた長剣を抜いて四五チをずたずたに切ってしまう︒そ こで︑﹁肥の川︑血になりて流れき﹂という事態になる︒

 さて︑土物チの尾を切った時に︑その尾の中から一振りの剣

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御誓言なり︒これより︑スサノオノミコトの仰せによって︑

毒酒八千石を造らばやと存じ候う︒﹂

 ペラペラ︑ちゃらちゃら︑息もつかずにしゃべりだし︑しゃ

べりだしたらとまらないという松尾明神は︑神楽随一の芸人で

ある︒  掛け合い・漫才・落語に漫談・小唄に流行歌︑なんでもござ

れとふんだんに観客を笑わせながら八千石の毒酒をつくる︒や

  むろのおみようじん

がて室尾明神をはじめ︑道化役数人を助手にして︑手にしたス

モットで酒槽をたたき︑あるいはこねまわしてとんきょうな掛

け合いで︑酒をつくり︑さあ︑できあがったということで︑で

き高の石数調べをする︒

  一国︵石︶は一城

   日光︵二石︶は御岱山

   三国︵三石︶一の富士の山

   四国︵四二︶は大師

   五穀︵五石︶は成就

   大船はとんで八千石

   これにて成就︑まずおめでとう存ずる

      いにしえ   歌ぐら︑古の神のまねして鬼も蛇も

  一︑     きり平らげて産子栄ゆる

 これらの語りも歌もすべて神楽社や︑演出者によって異なる

もので︑00社の掛け合いは面白いとか︑○○大夫は歌が上手

だとか︑さまざまに評価され︑演出者もそれを心得て︑当意即

妙︑時事問題や教訓談もとりまぜて︑おかしくおもしろく演出

するのである︒この酒造りの場は神楽のうちで最も娯楽性に富 んだ場面である︒

第五場 大蛇退治

 オロチ退治の場は︑スサノオノミコトの﹁幕がかり﹂の舞か

ら始まる︒仮面もはずして軽装に変えたスサノオノミコトが舞

台狭しとばかり力をこめて勇壮に舞う︒備中神楽では︑最大な

見せ所としてその演出に意を用いるところである︒

   稲田姫大蛇の口をのがれたり         たばかり        その謀略か酒ぞかしこし

 急テンポに力いっぱい太鼓が高鳴る︒幕の内では大蛇がかま

首をもたげてピーピーとうなり声を立ててうごめく︒スサノォ

ノミコトは右手に持った幣をくるくると回し︑うごめく大蛇め

がけてピシリと投げつけ︑オロチの動静いかにとうかがう︒オ

ロチはいっそう激しいうなり声をあげる︒最近では︑口から火

をふく工夫もとり入れている︒緊迫した一瞬︑スサノオノミコ

トは飛びすさりざま刀を抜き放ち︑力強く舞った後︑いったん

幕内に身を隠す︒

 ヤマタノオロチが︑太くて長い胴をひきずり︑かま首をもち

上げて現れる︒

 ﹁トウロやトーロ︑オオジャガトウロ︑トウロが出たそや︑

トウロ⁝⁝﹂と太鼓がはやしたてる︒ピーピーうなりながらオ

ロチはその長い胴をひきずり︑のたうち回り︑とぐろを巻き︑

酒だるに近づき︑がつがつと酒を飲み︑やがて酔いつぶれて︑

とぐろに頭をうずめて寝入る︒

 ﹁トウロやトウロ︑トウロが酔ったぞ︑オオジャが酔ったぞ︑

トウロ︑トウロ・⁝:﹂

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津山高専紀要第28号(1990)

       ゆ つ   つまぐし   してあり︒汝こそは湯津の爪櫛をとりなおし︑この高殿に

  上がりたまえや︒﹂

稲田  ﹁かしこまって候う︒﹂

 イナダヒメは舞い入り︑スサノオノミコトも幕内へ入り契り

の舞を終わる︒

 記紀では︑このスサノオノミコトとイナダヒメとの結婚はオ

ロチを退治した後︑須賀の地で行われることになっているので

あるが︑備中神楽においては︑﹁大蛇といえども生あるもの︒

ゆえなくして殺めるは神の道にあらず﹂として︑結婚すればオ

ロチは姉の敵になるという大義名分をもうけて︑オロチ退治に

先がけて契りを交わすという形をとっている︒

 この姫の舞は︑優雅で貴品に満ちたものであるが︑殊に神楽

の辞章もすばらしい︒まずその出会いの場についてみてみよう︒

 ﹁日は詣るる佐草野の日はや入りて恋路のやみにわが身まど

わす﹂の歌ぐらによって︑スサノオノミコトを尋ね求めて行く

イナダ姫の姿が初々しく演出される︒

 佐草の里は︑イナダヒメがオロチの難を避けた場所であると

伝えられ︑現在の松江市馬草町にあたり︑縁結びの社として名

高い八重垣神社がある︒祭神はスサノオノミコトとイナダヒメ

の二神である︒その本殿の三面の壁には︑スサノオノミコト︑

イナダヒメなど五体の神像が大和絵風に描かれている︒殊にイ

ナダヒメの豊かなほおや唇の紅はあざやかで生き生きと描かれ

ている︒︑製作年代は南北朝の頃といわれており︑今では︑重要

文化財として境内の一隅にある収蔵庫に保存されており︑訪れ

る観光客の目を楽しませている︒  説明が横道にそれたが︑この愚草の里からはるばるスサノオ ノミコトを尋ねてきたイナダ姫は﹁八雲立つ歌を詠じて聞かせ たまへ﹂と請い︑いわゆる﹁八重垣の舞﹂に入るのである︒  ﹁八雲立つ出雲八重垣妻ごみに﹂とスサノオノミコトが歌い 出し︑それに次いでイナダヒメが︑﹁八重垣つくる﹂と和し︑

﹁その八重垣を﹂と二神合わせて歌いあげる︒

 この歌の解釈は古来いく通りにもなされているのであるがこ

こでは︑ごく普通の口語訳

を記しておこう︒

  ︿八雲立つ﹀その名も出雲の国に︑湧き出る雲は八重の垣

  根をつくる︑愛する妻をこもらせるために︑雲は八重の垣

  をつくる︑ああ︑その八重の垣よ︒

第四場 松尾明神の酒造り

 歩く拍子にぐにゃぐにゃと揺れる立て鳥帽子︑赤の千早に陣

羽織︑幣と小鈴を持つといういでたちで︑道化の仮面をつけた

酒造りの神︑松尾の命が手に持つ鈴を振りながらひょうげたさ

まに舞い出る︒

  世の中にいらざるものが三つある

       ばかに借銭ほうろくのめげ

 松尾 ﹁さって︑この神殿のまん中に立って︑ふん張り︑つつ

  ばり︑またがって︑向こうの別びんさんをじろじろ眺めて

  いる色男を︑いかなる神とや思うらん︒われこそは︑出雲

   たてぬいのニおり   国忌縫郡︑小阪井村に鎮座つかまつる松尾明神酒造りの守

  護神にて候う︒それがしを尊信する者は︑どぶろく︑やけ

  酒︑いくら飲んでも酔狂もさせず︑二日酔いもさせんとの

一 134

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法をとっているが︑古事記のそれは︑﹁湯津爪櫛に取りなして︑

御みづらにざす﹂という手段をとっている︒﹁湯津﹂は﹁神聖な﹂

の意を表す語であり︑﹁爪櫛﹂は歯の多いつめ形の櫛である︒

﹁取りなす﹂とは﹁変化させる﹂ことである︒つまり︑イナダ

ヒメの姿を櫛に変じて自分のみずら︵髪︶にさしたのである︒

 では︑おとめを櫛に変えるというのはどんな意味を持つので

あろうか︒櫛は髪に刺してその壊れるのを留める道具であるが︑

    く        く  し クシは﹁奇し﹂﹁霊異﹂に通じ︑神秘的な霊力があると信じら

れた︒  たとえばイザナギノミコトが︑死んだ妻をしたって黄泉国を

訪れ︑あまりにも恐ろしい状況に我を忘れて逃げ出した時︑後

       よ も  しこめ から追ってくる黄泉つ醜女めがけて︑みずらにさしていた湯津

爪櫛の歯を欠いで投げ捨てたところ︑その櫛が竹の子に変じた︒

醜女がそれを抜いて食っている間に難を逃れたという話が古事

記の黄泉国の段に見える︒

 そのように魔除けの力を持つ櫛にイナダ姫を変え︑櫛の呪術

的力によってオロチを駆除する力を身につけ︑ヤマタノオロチ

との闘争にそなえたのである︒

第三場 稲田姫との契りの舞

      ひめの し  緋の袴に緋の長袖︑小さな狩衣をつけ︑頭には姫慶斗をつけ︑

面長の上品な仮面をつけたイナダヒメが︑鈴と舞扇を手にして︑

しなやかなもの腰で舞い出る︒

 ハイ︑サンヤ⁝⁝サンヤの離子にのって︑未来の夫に会う喜

びを全身に表しながら︑初々しく︑可憐に舞う︒

  舞い出し 歌ぐら︑ 君をたずねて行く道ぞ     都の方へ急ぐらん

 言いたて

稲田 ﹁舞い出でしみずからは︑出雲国簸の川上に住まいな

 す︑訳名槌︑手管槌の娘︑奇稲田姫にて候う︒さって今宵

 に迫るみずからの命を哀れみたもう素描鳴訓言の御はかり

 ごとのままに︑これより鳥髪が岳に急ぎ参らんと存じ候う︒

     日は暮るる佐草野の日はや入りて﹁

         恋路のやみにわが身迷わす

スサノォノミコト︑幕内より現われ︑

    くれない  そのう 素直  ﹁紅は園生に植えて隠すとも︑色ある花はその香り

 隠れなし︒汝こそは名乗らぬ先にわが重量稲田姫と見受け

 申してあり︒近く寄って語りたまえやの︒﹂

稲田  ﹁ああら嬉しの御事や︒君とわれとが契りして︑たと

 えかばねはこの地に散らすとも︑魂は再び君に会い奉らん︒

 御嶽のはかりごとのままに︑はるばるこれまで舞い来たり

 候う︒何とぞ入雲立つ歌詠じ聞かせたまえやの︒﹂

素菱 ﹁さあらば八雲立つ歌︑詠じ聞かせ申さん︒﹂

   八雲立つ出雲八重垣妻ごみに

稲田 八重垣つくる

嬉々 その八重垣を

契りの舞をひとしきり舞う︒

稲田  ﹁ああら雲州の空晴れて候う︒﹂

素量  かぞいろは袖に涙をせきとめて

稲田 君にささげしわが身なりけり

素菱 ﹁急ぎようやく鳥髪が岳のふもとに着いたとおぼえ申

一 135 一

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津山高専紀要第28号(1990)

考えてよい︒稲田は今︑存続が危ぶまれる状況に追いこまれて

いる︒稲田を飲みこもうとするもの︑すなわち︑イナダヒメを

掠めようとする凶暴な竜蛇︑それが頭が八つ︑尾が八つという

異形なヤマタノオロチである︒

 人間が製缶を好まないのは一般的な事実である︒たとえば山

野を散策するおり︑蛇に出くわすと︑それが毒蛇であろうとな

かろうと︑一瞬︑ぎくっと身の凍るような思いをするのは︑お

そらく万人共通するところであろう︒わが国が水田耕作の適地

とされるのは︑その国土が高温多湿であり︑河川沼沢がいたる

ところにあって︑﹁葦原の中つ国﹂︑あるいは﹁豊葦原の瑞穂の

国﹂と称せられるごとく︑高温多湿︑いたる所に河川沼沢があ

るという草木が繁茂する自然環境に恵まれていたからである︒

しかし︑これらの自然環境は無類にとっても絶好の生息地とも

なるのである︒その原野を開拓し︑稲作を主体とした農耕生活

を確立するためには当然蛇類との闘いを余儀なくされたのであ

る︒この闘いの中から幾多の蛇類に関する説話が生まれるのは

必然である︒そして蛇類からの危害災難を免れるために︑その

蛇類を神格化して祭ることにもなる︒今︑イナダヒメを掠めよ

うとするもの︑八千町歩の稲田を一瞬にして荒廃させようとす

るもの︑それをヤマタノオロチと称したのも意味あってのこと

と考えられる︒

 この哀れな話を感嘆しながら聞いていたスサノオノミコトは

突如として﹁さあれば︑その姫をわれにくれんかや﹂と申しで

る︒あまりの唐突な申しでにアシナヅチは︑﹁そりやまた︑神

様までが何のお恨みにて﹂と︑大そう驚くのであるがスサノオ ノミコトの﹁大蛇ともいえども生あるもの︑ゆえなくして殺め るは神の道にあらず︒その姫をわれにくれるとあらば︑わが身 にとりて大蛇はかたきとなる⁝⁝﹂という説得によって︑イナ ダヒメを差し上げようと決心するのである︒  次いでスサノオノミコトは︑オロチを退治する策を細々と授 ける︒その策は︑  ①酒造りの神松尾明神に八塩折の酒八千石を造らせる︒

②鳥髪山の麓に八つの門を立て︑八つの垣を結う︒

 ③高殿を作って稲田姫を座らせる︒

④姫の姿が八つの桶の酒に映るから︑大蛇が姫を飲もうと

  して毒酒を飲む︒

 ⑤大蛇が酔って伏せるところをスサノオが切る︒

というものであった︒八塩折りの酒というのは︑何度も醸造し

た強い酒である︒その酒を飲ませて酔っているところを退治し

ようというのである︒ではここ分ところを古事記の叙述につい

てみよう︒        ゆ つつまぐし  ︹古事記︺ここに速須佐之男命︑すなはち湯津爪櫛にそのを

  とめを取りなして︑御みづらにさして︑その足名盤・手名       か   椎の神にのり給ひしく︑﹁汝どもは八塩折りの酒を醸み︑        もとほ   また垣を作り廻し︑その垣に八三を作り︑門ごとに八さず       さかぶね   きを結ひ︑そのさずきごとに酒船を置きて︑船ごとにその

  八塩折りの酒を盛りて待ちてよ︒﹂

 書紀本文は省略するが︑古事記の記述とほとんど同じである︒

備中神楽と違う点は︑イナダヒメの扱いである︒神楽の方は︑

さじきにイナダヒメを座らせて︑酒桶にその姿を映すという方

136.一

(9)

山本

削り残された部分を示す語である︒つまり︑八つの谷と八つの

尾根にまたがるほどの大きな蛇である︒そして︑その胴にはこ

けやひのきや杉が生えており︑腹は﹁血ただれつ﹂というよう

な異形な姿として描かれている︒書紀本文にもほぼ同様な叙述

が見える︒したがって︑このスサノオノミコトの二九チ退治の

神話のもつ性格・意味について︑記紀の研究者は種々の仮説を

立て︑さまざまに論評しているところである︒

 たとえば︑﹁身一つに頭が八つに尾が八つ﹂というのは幾つ

もの支流を合わせ︑それがまた幾つにも分岐して流れゆく斐伊

川の形状を比喩的に表現したものであり︑﹁身にこけ・ひのき・

杉生い立ち﹂とあるのは︑重畳たる中国山地の姿を表し︑﹁血

たただれつ﹂の表現は︑斐伊川の上流の砂鉄を含んだ花田岡岩台

地を意味するとかなどがそれである︒さらには︑斐伊川上流に

早くから発達した鉄文化との関連から︑ヤマタノオロチはこの

川上に居住した鉄山族であるとか︑あるいは︑オロチの実体を

凶悪な歴史的人物だとする説などさまざまな論議をよんでいる

ところである︒

 ﹁備中神楽﹂においては明らかに﹁農耕儀礼の神話﹂として

演出している︒﹁今を去ること七年前︑大かんばつに見まわれ

まして︑あちらの田もこちらの田も︑ほがりほがりとやけっく

し⁝⁝﹂というふうに︑事件の発端が大かんばつにあったとし

ている︒﹁神代神楽その一﹂の前書にも述べたように︑備中神

楽の創始者西林国橋は︑成羽町を少し上ったところ﹁日名﹂と        おんざき いう台地にある御崎神社の神官であった︒台地であるがゆえに       ヘ  ヘ  へ この地の農耕生活の脅威の第一はひでりにあったことは容易に

理解できる︒このひでりが続くと村誌は集まって神を祭り雨ご いの行事を行うのであるが︑それを最も素朴な形︑極限の形で 表現しているのが︑﹁一雨くださる神あらば︑八人もある娘の ことゆえ︑一人どもは差し上げまする﹂ということばである︒ 娘は︑雨ごいの代償としての人身御供であり︑娘が毎年一人ず

つ食われたというのは︑この人身御供の悲しい習慣が永い年月

にわたって行われていたことを物語るものであろう︒未婚の美

女を捧げて︑神の心を和らげ悦ばせようとした話は︑全国いた

る所に残っており︑ごく近い時代においても︑たとえば橋や堤

防などを作る場合︑人柱と称して水神に人を捧げる風習が存在

したことは文献にも見えるところである︒この成羽の地にその

ような習慣があったかどうかは別にしても神官として農村の実

態を見つめてきた備中神楽の創始者が記紀の語るオロチ退治の

神話を︑鉄文化などと切り離して純粋に﹁農耕儀礼の神話﹂と

とらえ︑それを雨ごいに始まる話に脚色したのは十分納得でき

るところである︒

 さて︑この説話を農耕生活の中で生まれた神話としてみると

き︑さらには︑大かんばつに見舞われ︑雨の降ることを願った︑

その結果としてたち現われたのであるから︑このヤマタノオロ

チの正体は﹁水神としての竜蛇﹂であると考えてよかろう︒水

神の象徴として蛇を祭る信仰は各地に見られるし︑事実岡山県

の西部地方には︑わらで蛇神をつくって祭るという行事が現在

なお生き続けているのである︒水神は五穀を稔らせ豊穰の神と

して農耕生活者の崇拝の対象となるが︑一度あやまれば︑曲豆か

に稔った稲田を一瞬にして飲みこむ洪水をもたらす悪神ともな

り得る︒  イナダヒメは︑その名の示すとおり︑稲田︵水田︶を表すと

ユ37

(10)

津山高専紀要第28号(1990)

は﹁奇し⁝霊妙だ︑神秘的だの意であろうが︑古事記に﹁櫛﹂

をあてているのは︑後にスサノオノミコトがこの少女を﹁ゆつ

つまぐし

爪櫛﹂に変化させてオロチ退治に臨むこととの関連からであろ

うか︒これもやはり神秘的な意を持つことばである︒

 スサノオノミコトがアシナヅチに泣くわけを尋ねると︑アシ

ナヅチは︑﹁われわれ爺と婆は簸の川上に住まいいたし︑田畑

八千町歩の長者にて︑八人の娘をもうけておりました︒ところ

が今を去ること七年前⁝⁝﹂と︑この一家に突如としてふりか

かった不幸を語るのである︒そのあらましをまとめてみると︑

 ①大かんばつに見舞われた︒

 ②一雨くださる神あれば娘一人ぐらい差し上げますと寝物

  語に話しあった︒

 ③一天にわかにかき曇り︑激しく雨が降ってきた︒

 ④すさまじい雷の音とともに︑身一つに頭が八つ︑尾が八

  つ︑眼はあかがち︵ほうずき︶のようで︑胴には苔・ひの

  き・杉が生え︑腹は血にただれ︑八つの谷︑八つの尾根に

  またがるヤマタノオロチが現われた︒

 ⑤オロチは姉姉をぱくりと飲みとった︒

 ⑥翌年もまた翌年も︑同じ月︑同じ日に︑次々と娘を取り

  去った︒

 ⑦生き残った末娘クシイナダヒメも今宵に迫る命で︑それ

  を嘆き悲しんでいる︒

 このところを記紀とくらべてみると︑

      な      あ  ︹古事記︺﹁汝が泣く由は何ぞ﹂と問ひ給へば︑﹁我が娘はも        ニし やまた をうち   とより八をとめありしを︑この高志の八俣の大蛇︑年毎に

  来て食らへり︒今そが来べき時なり︒かれ︑泣く︒﹂と申 しき︒ここに﹁そのかたちはいかに︒﹂と問ひ給へば︑答

へ申ししく︑﹁その目は赤かがちのごとくして︑身一つに

 やかしら    や  を      ひ      お

八頭・八尾あり︒またその身にこけと檜・杉と生ひ︑その

たけ たにやたに をやを 長は二八谷・峡八尾に渡りて︑その腹を見れば︑ごとごと

に常に血ただれつ︒﹂と申しき︒        やたり ︹書紀本文︺﹁泣くゆゑは︑さきに吾が児︑八箇の少女ありき︒        をとめ 年毎に八岐大蛇のためにのまれき︒今この少童のまれなむ

   まぬか      い た とす︒脱詣るるに由なし︒かれ哀傷む︒﹂とまうす︒︵中略︶

     かしらを   やまた 大蛇あり︒頭尾各八岐あり︒眼は赤かがちの如し︒松柏︑

 そびら       や を やたに

背上に生ひて︑八丘八谷の間にはひわたれり︒﹂

 老夫婦の泣く理由は︑八人もいた娘をヤマタノオロチなる者

が毎年やってきて次々に食い︑最後に残った末娘も︑今まさに

飲まれるという運命にたち至っている点にあった︒これは︑古

事記にも日本書紀の本文にも共通するところである︒しかし︑

ヤマタノオロチとはそもそも何者なのか︑なぜ︑アシナヅチ︑

テナヅチの娘を食ったのかについては古事記も日本書紀も明確

にしていない︒

 ヤマタノオロチとはいったい何であろうか︒

古事記によれば﹁高志の三俣の大蛇﹂とある︒﹁高志﹂とは︑        こし 現在の出雲市古志町のあたりとも︑越の国︵現在の北陸地方︶

とも言われており︑そのいずれであるか確証はない︒また︑そ

の形状については︑﹁身一つに八頭・八尾あり﹂というように

八つまたに身体が分かれている大蛇である︒大きさについては

﹁その長は歌心谷・峡八尾に渡りて﹂とある︒﹁難﹂は山より

流れ落ちる水の削り取った跡の地をいい︑﹁峡﹂はその反対に︑

138

(11)

 翁  ﹁さて︑大蛇を退治くださるはかりごとは︑いかなるこ

  とにおわしますかな︒﹂

 素菱  ﹁さればにてあり︒汝らはこれよりたち帰りて︑酒造

       まつのおのみょうじん  ほ      やしおおり   りの守護神︑鷲尾明神を祝ぎ出だし︑八里馬の酒八千石を       かど   造るべし︒毒酒醸造の上は︑鳥髪が岳のふもとに八つの門

  を立て︑八重の垣を結い︑八つの桶をすえてこれに八塩折

  の酒を盛り︑また高殿を作りて稲田姫を座せしむべし︒し

  かれば姫の姿は八つの桶に映るゆえに︑大蛇来たりて姫を

  飲まんとして毒酒をくらい︑酔い伏せるところをうかがっ

      は        とっか   て︑わが侃けるこの十拳の剣を抜きはなち︑大蛇をずたず

  たに切りたいらげんそや︒﹂

 翁  ﹁これはよきはかりごとでござりまする︒されば︑われ

  らは松尾明神に依頼なし︑毒酒醸造の上は︑姫もろとも御

  前へ差し出だし申さん︒﹂

 素箋  ﹁しかれば酒造りなさんほどを︑幕内にて相待ち申さ

  んそや︒﹂

 スサノオノミコト幕内へ入る︒

 老夫婦は︑娘の嫁入りのだんどりなど楽しげに話しながら一

首を詠じて幕の内へ入る︒

      朝起きて夕べに顔は変わらねど

      いつの間にやらしわはよるなり

 スサノオノミコトが休息するところに︑アシナヅチ・テナヅ

チが出てくるという運びであるが︑ここで記紀の叙述を重ねて

みよう︒          や ら  ︹古事記︺かれ︑避退はえて︑出雲国の肥の河上︑名は鳥髪

  の地に降りましき︒この時︑箸その川より流れ下りき︒こ こに須佐之男命︑人その川上にありと思ほして︑尋ね求め          おきな   おみな       をとめ て上り行き給へば︑老夫と老女と二人ありて︑童女を中に 置きて泣けり︒ ︹書紀本文︺この時︑素謡鳴尊︑天より出雲国の簸の川上に い た       ね な 降到ります︒時に川上に即実く声あるを聞く︒かれ︑声を    ま  いでま        ひとり  おきな   おみな         な か 尋ねて繋ぎ往ししかば︑一の老公と老婆とありて︑中間に   をとめ         かきな      な 一の少女をすゑて︑撫でつつ実く︒

 両鐙を比べてみると︑書紀の方が淡々と事実を述べているの

に対して︑古事記の方は極めて物語的叙述になっている︒すな

わち︑川上から何物かが流れてくることによって物語が展開す

るのは説話の一つの型であり︑賀茂神社の縁起に見える﹁丹塗

矢が流れ下る﹂という話も︑桃太郎伝説で﹁桃が流れてくる﹂

というのも︑皆この型である︒ここでは﹁箸が流れ下る﹂とい

うことで︑人が川上に住むとの判断からそれを求めて上ってい

くことから物語が展開されていく︒

 案の定︑そこに娘を問にして泣く老夫婦を発見するのである

が︑神楽では︑スサノオノミコトが休息する所に老夫婦が舞い

出るという形をとっている︒

 夫婦の名はアシナヅチ︵単名椎・脚外乳︶︑テナヅチ︵手名四・

手摩乳︶といい︑娘の名はクシイナダヒメ︵奇稲田姫︶−古

事記ではクシナダヒメ︵櫛名田比売︶という︒テナヅチ・アシ

ナヅチの名義は﹁ナヅ﹂は﹁撫づ﹂︑﹁チ﹂は神格を意味し︑そ

れに﹁足﹂と﹁手﹂の対語を冠したものであり︑少女を愛撫す

る意味で名づけたのである︵古事記伝の説︶︒娘の名のクシイ

ナダヒメの名義は︑稲田をつかさどる女神の意である︒﹁クシ﹂

一 139 一

(12)

津山高専紀要第28号(1990)

素菱  ﹁おおさ︑苦しゅうない︒安座いたすがよい︒﹂

翁 ﹁ばばや︑楽座のお許し願うたほどに︑そそうのないよ

 う︑ちんしゃれ︑ちんしゃれ︒﹂

婆 ﹁やっとこまかせのよいよい︒﹂

翁 ﹁さて︑お話し申すも長き物語ながら⁝⁝われわれ爺と

 婆は簸の川上に住まいいたし︑田畑八千町歩の長者にて︑

 八人の娘の子をもうけておりました︒ところが今を去るこ

 と七年前︑大かんばつに見舞われまして︑あちらの田もこ

 ちらの田も︑ほがりほがりとやけっくしましてござりま

 す︒﹂ 素菱  ﹁いかにも︒﹂

翁  ﹁ある夜のこと︑爺と婆とが寝物語に︑八人もある娘の

 ことゆえ︑ 一雨くださる神あらば︑ 一人どもは差し上げま

 するに︑と話し合いましたそのあくる日のこと︑かの鳥髪

 が岳のかなたより︑七色八色の雲湧き出ずると見るうちに︑       しの  一天にわかにかき曇り︑雨は篠を束ねて降りしきり︑びか

 りごろごろと鳴る雷の音もすさまじく︑あれよあれよと驚

 くうちに︑身一つに頭が八つ︑眼はあかがちなして︑身に

 は苔・ひのき・杉生い立ち︑腹は血にただれ︑八尾八谷を

 渡る八俣の大蛇出できたり︑あわれ姉娘をぱくりと飲みと

 りましてござります︒﹂

素菱  ﹁ううむ⁝⁝して︒﹂

翁 ﹁翌年もまた翌年もと︑月も同じ日も同じ︑頃もたがえ

 ず出できたり︑次々と娘を取り去りまして︑生き残れるは

 おと娘奇稲田看ただ一人︒それもまた︑今宵に迫る命なり

 と思えば︑生きた心地もなく︑ただただ狂気のごとく嘆き  悲しむばかり︑助けたもう神はなきものかと︑かくは宮参  りのみぎりにござりまする︒﹂ 素菱  ﹁いかにも︒﹂        たんせき 翁  ﹁大神は武勇たけき神と見受け申せば︑なにとぞ旦夕に  迫る姫の命お助けのほど︑ひとえにお願い奉るそや︒﹂ 素箋  ﹁ふふむ︒翁の物語聞きて驚きいったる次第なり︒し  て︑奇稲田姫とやら︑健在にてありけるかや︒﹂ 翁  ﹁はいはい︑いまだ息災にてござります︒﹂ 言言  ﹁さあれば︑その姫われにくれんかや︒﹂ 翁 ﹁そりゃまた︑神様までがなんのお恨みにて⁝⁝﹂ 素菱  ﹁恨みにあらず︒大蛇といえども生あるもの︒ゆえな     あや  くして殺めるは神の道にあらず︒その娘われにくれるとあ  らば︑わが身にとりて大蛇は姉の敵となる︒敵の意をこめ  てはかりごとをもち︑その大蛇をやすやすと退治いたし︑  姫の命助けてつかわさんぞな︒﹂ 翁  ﹁さらば姫をばお助けくだされまするか︒﹂ 素菱  ﹁いかにも︒﹂ 翁  ﹁すぐにも差し上げまするが︑爺の本意ながら︑これに  婆も連れおりますれば︑しばらく相談のほどお許しくださ  りませ︒﹂ 素菱 ﹁夫婦談合は世の常なり︒しばしがほども急ぎたまえ  や︒﹂ 老夫婦相談の後︑姫を差し上げることに決定する︒ 婆  ﹁これなるは手名槌の婆にござりまするが︑姫は差し上  げまするで︑何とぞ大蛇を退治くださりますよう︑願いあ

 げまする︒﹂

140

(13)

の遣らいの舞はその様を表現したものであり︑その最初の歌ぐ

らに見える﹁重根の国へ避うらん﹂ということばはまさにそれ

を表したものといえよう︒﹁根の国﹂とか﹁底根の国﹂という

   よみのくに のは︑﹁黄泉国﹂に通じるもので︑別に﹁底の国﹂︑あるいは﹁根

 かたすくに の堅州国ともいう︒そして︑これらの語は﹁高天原﹂に対立す

る概念をもち︑高天原を﹁天﹂あるいは﹁陽﹂とすれば︑﹁地﹂

あるいは﹁陰﹂とする思想に基づくものである︒

 かくしてスサノオノミコトの出雲国への天降りは︑母の住む

﹁根の国﹂すなわち比婆山に最も近い所に位置するこの鳥髪山

が選ばれたものと考えられる︒

 さらにこの鳥髪山付近について付言すれば︑これも﹃出雲国

風土記﹄の仁多郡の条によると︑郡内の﹁三処郷︑布勢郷・横       くさぐさのもの 田郷より出すところの鉄︑堅くしてもっとも雑具を造るに堪

ふ﹂と記されている︒このようにこの地方は古代から砂鉄によ        かんな るタタラ製鉄が盛んであった︒今日でも︑砂鉄を採取する鉄傘

流しの跡が随所に見られる︒スサノオノミコトがこのように鉄

を産出し︑治金が行われた鳥髪の地に天降りしたことによって︑

この神の性格︑ひいてはオロチ退治の神話の性格についての重

大な案件を提供することになるのだが︑それは後に譲ることに

しよう︒

第二場 旧名槌・手名槌の嘆きの舞

 ヨイコーラ︑ヨイコラ︑ヨイコラ︑ヨイトマカの嘘子にのっ

てアシナヅチ・テナヅチの翁と婆が登場する︒

 アシナヅチは左手でスモット︵一メートルほどの細い竹の両

端に切紙を結びつけたもの︶を杖につき︑右手の舞扇を﹁ヨイ コーラ⁝⁝﹂のリズムに合わせてくるくる回しながら出てくる︒ テナヅチはと見ると︑これまたスモットを杖にして︑いかにも 疲れたという態でとぼとぼと出てくる︒  翁  ﹁ああ︑これこれ婆さんや︑あとからぽとりぽとりとつ   いてきょうるかや︒﹂  婆  ﹁まあ︑おじいさんの後姿を眺め眺め︑ぼしょりぼしょ   りと行きょうりやすそな﹂  翁  ﹁おお︑ぼとぼとござれ︑ござれ︒﹂   歌ぐら︑世の中にあわれと思う神あらば       助けたまえや姫の命を   スサノオノミコトが声をかける︒        じよう  うば  素菱  ﹁さて︑舞い出す尉と姥は︑いずこのいかなる者か︑   その名を語りたまへや︒﹂  翁  ﹁この爺と婆にお尋ねたもうかな︒﹂  素菱  ﹁いかにも︒﹂  翁 ﹁はいはい︒これなる爺と婆は︑出雲国は簸の川上に住   まいいたす︑介意槌︑手名槌と申す者︒してお尋ねくださ   る神は︑いかなる神にましますかな︒﹂  素菱  ﹁われは天照大神の弟︑神武速二二鳴尊なり︒汝ら尉   と姥の舞い出だす態を見るに︑いかにも憂い悲しみの色あ   り︒なにゆえにかく嘆き悲しみたもうや︑委細語りたまえ   やの︒﹂  翁  ﹁いかにもお尋ねにあずかり︑委細申しあげん︒さりな   がらわれらいささか遠路足痛などいたしおりますれば︑御   前もはばかりませず︑楽座のほど願わしゅう存じまするぞ

  な︒﹂

141

(14)

津山高専紀要第28号(1990)

この舞を﹁素菱鳴尊の遣らいの舞﹂と名付けている︒実に威厳

に満ちた荘重な舞である︒

 ひとしきり舞った後︑﹁言い立て﹂に移る︒       かんたけはや  素菱  ﹁さて舞い出すそれがしは︑神武速素菱鳴尊なり︒わ       しわざ   れ日の神の御ために︑仕業はなはだ悪しきによって︑根の

  かたすくに  かんやら   堅州国に神遣いに遣われ︑ようやくこれまで舞い来りしも

  のなり︒         したついわね       宮柱下津髭根に敷きたてて

      露も曇らぬ日の御陰かな

  ひざ折り舞のあと︑       ひ  素箋  ﹁急ぎようやく出雲国︑簸の川上に着いたと覚えてあ

  り︒しばらくこの所において︑休息なさばやと存じ候う︒﹂

  床机へ腰をおろす︒

 高天原から追放されたスサノオノミコトは︑出雲国のひの川       あ も ︵肥の河一記︑簸の川−紀︶の上流に天降りする︒まずこのス

サノオノミコトが天降りしたのはどこかについて考えてみた

い︒       しんじ ニ  ひのかわというのは︑現在︑島根県東部を流れて宍道湖に入

る斐伊川のことである︒さらに古事記は︑スサノオノミコトが       ゐ  ヘ  ヘ  へ 天降りした地は﹁出雲国の肥の河上︑名は鳥髪の地﹂であると

具体的に明示している︒書紀本文には見えないが︑書紀一書四

      ヘ  ヘ  へ  う にも﹁簸の川上にある鳥上の峯・に到ります﹂とある︒

 鳥髪︵鳥上︶の地というのは︑今の島根県仁多郡と鳥取県日

野郡との境にある船通山であるとされている︒

 その論拠は︑﹃出雲国風土記﹄の斐伊川についての叙述から

である︒すなわち︑出雲国風土記に出雲国の大川を説明して︑       ヘ  ヘ  へ ﹁出雲の大川︑源は伯書と出雲の二つの国の境なる鳥上山より       かんど   みずうみ 出で︑流れて仁多の郡の横田の村に出で⁝⁝神門の水海に入る︒ 此はすなはち︑いはゆる斐伊の川の下なり︒﹂とある︒  では︑スサノオノミコトが天降りした地がなぜ鳥髪山︵船通 山︶でなければならないのか︒神々が天降りするのは﹁高千穂 の峯﹂や﹁クシフル嶽﹂のように︑各地の第一級の高山であり︑ 人々が聖山と仰ぎみた山である︒それに比べると鳥髪山は︑た かだか=四ニメートルの山でしかない︒そんな地になぜ天降 りしたのか︒  話を少し前にもどすことになるが︑イザナギ︑イザナミの二 神による﹁神生み﹂の神話によると︑イザナミノカミは火の神 を生んだがために︑やけどをして死んでしまう︒イザナギノカ ミは妻の死を悲しんで︑その遺骸を出雲と言書の国境にある比 婆由に葬った︒この地は今日︑広島県比婆郡にある比婆山神陵 であるといわれている︒また︑次にイザナギノカミは︑アマテ ラスオオミカミ・ツクヨミノミコト・スサノォノミコトの三貴 子を得たことを歓び︑この三貴子に対して︑それぞれ治むべき 領域を委任する︒アマテラスオオミカミには高天原を︑ツクヨ         おすくに ミノミコトには夜の食国を︑スサノオノミコトには海原をそれ ぞれ治めよと命じたのである︒ところがスサノオノミコトだけ はこれを拒んで︑大人になるまで泣き叫び︑死んだ母のイザナ ミノカミが住む根の国に行きたいと激しく泣いた︒それは青山 を枯山にするほどのすさまじさであったと古事記は叙してい る︒  つまり高天原を追放されたスサノオノたどるべき運命は根の

国へ行きつくことにあったのである︒神楽のスサノオノミコト

一 142 一

(15)

にあい︑スサノオノミコトに助けられる︒後にミコトの宮の

      いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ

つかさ

首に任ぜられ︑稲田宮主須賀之八耳神と名付けられた︒

 ﹃備中神楽﹄  足名四の命

 ﹃古事記﹄   足一鞭神

 ﹃日本書紀﹄  脚摩乳神

○ テナヅチノミコトーアシナヅチノミコトの妻︒

  ﹃備中神楽﹄  手名槌の命

  ﹃古事記﹄   手名四神

  ﹃日本書紀﹄  手摩乳神

○ クシイナダヒメーアシナヅチとテナヅチの間に生まれた

 娘︒ヤマタノオロチに食われるところをスサノオノミコトに

 助けられ︑スサノオノミコトの妻となる︒

  ﹃備中神楽﹄  奇稲田姫の命

  ﹃古事記﹄   櫛名田比売

  ﹃日本書紀﹄  奇稲田姫・稲田媛

O マツノオノミコトi酒造りの守護神︒スサノオノミコト

 の大蛇退治の計画に参回目︑濁酒八千石をつくる︒

  ﹃備中神楽﹄  松尾の命・松尾明神

○ ムロノオノミコト他数人一酒造りの助手

○ ヤマタノオロチー毎年この村に出現し︑アシナヅチ︑テ

 ナヅチの娘を食い︑スサノオノミコトに退治される︒

  ﹃備中神楽﹄  入俣の大蛇

  ﹃古事記﹄   三俣の大蛇・三俣の遠点智

  ﹃日本書紀﹄  八岐の大蛇

四︿構成﹀

 高天原から追放されたスサノオノミコトは︑出雲国のひの川 の上流に降りる︒舞台は一転して出雲国で展開されることにな る︒これを次の五場に分けて考察を進める︒          や 第一場 第二場 第三場 第四場 第五場 素菱鳴尊の遣らいの舞 足名槌・手名槌の嘆きの舞 稲田姫との契りの舞 松尾明神の酒造り 大蛇退治

第一場 素箋鳴尊の遣らいの舞

 太鼓が鳴り︑大幕が開かれる︒いよいよスサノオノミコトの

おでましである︒狩衣に陣羽織を重ね︑錦の袴という出で立ち︒

太い眉にらんらんと輝く眼︑でんとすわった大きな鼻︑半ば開

きながらもぐっと引き締まった口もと︑みごとな八ひげ︑見る

からに猛々しい面がまえであるが︑それでいてどことなく貴品

の漂う風貌である︒右手に舞扇︑左手に幣を持って神楽歌に入

る︒   歌ぐら︑まことなるかな神無月

      出島の国へ迷うらん

 やがてゆっくり小幕をはねて本舞台へ舞い出る︒でん︐でん

⁝⁝と腹をえぐるような太鼓の重苦しい響きに合わせて︑扇と

幣を巧みに回し︑ゆっくりと重々しく足を運ぶ︒陣羽織の背の

金色の龍が︑舞い手と共に舞い︑狩衣の袖の松竹梅がやわらか

くそれを受けとめる︒

 くわっと見開いた眼は︑まるで獲物をねらう鷹の眼のように

鋭く︑あたりをへいげいするがごとくであるが︑その目もとは

憂いを含み︑何となく苦悩を内に秘めているように思われる︒

143 一

(16)

津山高専紀要第28号(1990)

備中神楽と記紀

−神代神楽その二

      ﹁大蛇退治﹂︵八重垣の舞︶i

はじめに 山  本  又  三

︵平成二年八月三十一日受付︶

 この調査研究は︑﹁神代神楽その一﹂の前書に述べたように︑

平成元年七月二十九日に︑岡山県川上郡成羽町で行われた﹁備

中神楽﹂を拝見し︑その内容を紹介するとともに︑﹃古事記﹄

﹃日本書紀﹄の記述と照合しながら考察をすすめたものである︒

 ﹁神代神楽その一﹂では﹁天の岩戸開き﹂について述べたの

であるが︑今回は﹁神代神楽その二﹂として﹁大蛇退治︵八重

垣の舞︶について述べようと思う︒

 神楽の上演順に従えば︑ω﹁天の岩戸開き﹂︑②﹁国譲り﹂︑

圖﹁大蛇退治﹂となるところであるが︑物語の展開の上からは︑

﹁天の岩戸開き﹂の次には﹁大蛇退治﹂がこなければ不自然に

なるので︑あえて順序を入れ替えることにした︒神楽において

物語の展開と異なった構成をとっているのは演出上の問題︑あ

るいは観客に対する配慮があってのことと思われるが︑真の理

由はわからない︒ 付記   引用文について

の  ﹃備中神楽﹄の台辞は︑山根堅一著﹃備中神楽﹄を参考

  にした︒

口 ﹃古事記﹄﹃日本書紀﹄の記述は︑いずれも岩波書店の﹃B

  本古典文学大系﹄によった︒ただし︑特殊なものを除いて

  漢字は常用漢字に︑接続詞・副詞・助詞などはかながきに

  改め︑できるだけ読みやすくした︒

二 説明文について

日 神々の名は︑それぞれの伝書によって表記が異なるので︑

  すべてカタカナにした︒

 口 敬語は省略した︒

神代神楽その二

    ﹁大蛇退治﹂ ︵八重垣の舞︶

一︿時﹀昔々︒弥生〜古墳時代を想定︒

二︿所﹀出雲国︒

三︿登場の神々﹀伝書の表記と事績を記す︒

○ スサノオノミコトー乱暴を働いたとがで高天原から追放

 されて出雲国に降り︑ひ︵肥・簸︶の川の上流でヤマタノオ

 ロチを退治してクシイナダヒメを助け︑須賀の地に鎮座する︒

  ﹃備中神楽﹄  野宿鳴尊・神武速素建鳴尊

  ﹃吉事記﹄   須佐之男命・速須佐之男命

  ﹃日本書紀﹄  素菱鳴尊・速嵩置鳴尊

○ アシナヅチノミコトー国つ神大山津見神の子︒妻テナヅ

 チと共に娘クシイナダヒメを愛育する︒ヤマタノオロチの害

144

参照

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