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ソ連邦における所得税制度の発展

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(1)

ソ連邦における所得税制度の発展

その他のタイトル The Development of Income Taxation in the Soviet Union

著者 佐藤 博

雑誌名 關西大學經済論集

9

2

ページ 142‑168

発行年 1959‑06‑20

URL http://hdl.handle.net/10112/15597

(2)

142 

所得の強制的移転の伴うものであり︑所得を貨幣の所有と見

( 3 )  

倣せば︑かかる﹁所有形態の移転﹂の有無が﹁租税﹂﹁非租税﹂区分の基準であるとされている︒

この基準からしてソビェトにおいて﹁租税﹂と見倣されうるものは︑協同組合企業機関およびコルホーズから国 r .  

﹁租税﹂とは財政資金の徴達に際し︑ る︒かかる区分の根拠は︑ 租税がある︒ソビェト国家予算のオ入項目において︑関心を与えている︒ソビェトの論者は︑国家財政資金調達のこれら二つの異なった方法を分類して︑前者を財政資金の﹁非租税的徴収方法﹂

(H eH aJ IO rO Bh il i  Me TO .l

l)後者を 

(H aJ IO rO Bb il l:  M eT OJ l)

と称して> その比重は極めて小さいが︑

( 2 )  

﹁租税﹂の概念規定に依存している︒﹃国民の租税﹄の著者ゲ・マリヤーヒン

Ma pb HX HH ,

しかしながら国家予算に集中される資金のなかには︑ ソビェト国家は︑国家財政機構を通じて毎年多額の貨幣資金を社会的経済的需要のために支出している︒周知の

如く︑国家の経済的基礎は生産手段の社会主義的所有であり︑財政資金の圧倒的部分もかかる社会主義的諸企業の

( 1 )  

所得から成つている︒

ソ連邦における所得税制度の発展

このほか国民から直接徴収される

その存在は︑われわれに大きな

(3)

143 

ツ連邦における所得税制度の発展︵佐藤︶ で果すべき課題としたい︒ 家へ所有形態が移転せしめられる協同組合企業機関所得税︑得および農村における農業収入から国家収入に転化される所得税︑農業税である︒

本稿において分析の対象とされるものは︑個人所得に対する課税制度││'所得税と農業税ーーである︒これらは

今日資本主義諸国で実施されている個人所得税と︑

ある︒そこでわれわれは更らに進んで︑しからば何が故にソビェトでかかる資本主義的租税の典型たる所得税が実

施されているか︑

ものと信ずる︒ の問題を提起し︑ その性格内容において同一のものと見倣すことが出来るからで

その解答となるべきソビエト所得税の意義ならびに役割の解明をもつて︑本稿

また問題に対しては︑歴史的な面と政策的な面との二つの方向から接近してみたい︒けだし︑現在のソビェト所

( 4 )  

得税制度を特徴づけているものには︑ひとつには革命前のロシア財政制度の遺産という点と︑もうひとつには革命

後新政権の実施した社会主義的諸政策の帰結という点の二つが考えられうるからである︒これら相方の力がソビェ

ト所得税制度の発展にどの程度影響し合って来たかということは︑われわれの課題解決のための手懸りを提供する

(1

) 一九五八年予算で見ると︑この部門からの収入は︑総予算収入の八八・七パーセントに達している

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1959•

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53

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﹃国民の租税﹄国立財政図書出版所︑一九五七年︶︒

(3

) 

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K e ,

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4.

 

(4

) 本稿で﹁ソピエト所得税制度﹂と述ぺるばあいは︑ソ連邦における個人所得税を指し︑

んでいる︒

( Cf .

V•  

La

vr

ov

, 

︵ゲ・マリヤーヒン

﹁所得税﹂と﹁農業税﹂とを含 コルホーズ所得税と︑都市住民の賃金俸給その他の所

(4)

・144 

ソ連邦における所得税制度の発展︵佐藤︶

は︑ほとんどが所得税の課徴を知らなかった︒しかしながら帝政ロシアの課税体系のなかに所得税を導入しようと

﹁上からの改革﹂として知られる農奴解放を行った皇帝アレキサンダーニ世

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I I は ︑

一八六二年ロシア財政制度の大改革を行った︒それまでのロシア財政制度

はアンシャン・レジームミ祠

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森 笠

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のそれであった︒即ち当時の財政制度の特徴は︑課税階級と免税特権階級

の差別が著しいことで︑国家経費の負担は︑その大部分が︑国民のなかでも最も低い︑最も貧しい階級にかかつて

いた︒当時国家収入の主体となつていたものは︑直接税たる人頭税と︑間接税たる塩税であった︒その上更らに租

一方国家の財務行政面も極めて粗末で︑実に一八六二年の財政改革前において

は︑国の財政法規を定める確たる法律が全く存在していなかった︒従ってそれまでは国家予算も︑

( 1 )  

国家の機密に属するものと見倣されていた︒ そのほとんどが

一八六二年アレキサンダーニ世によって行われた財政改革は︑財政制度の近代化を意図したもので︑改革の主眼

は︑財政法規の制定と財務行政の確立であった︒この改革によって︑ロシアに始めて予算編成過程に対する法律的

措置が現われ︑予算の統一︑単一国庫制度︑予算の公開︑大蔵大臣の予算統轄などを含んだ近代的予算制度が確立

( 2 )  

税は租税請負人に委ねられていた︒ シアに近代的財政制度を確立するため︑

一八六一年農奴解放の昔より︑しばしば行われてきた︒ ソ連邦において所得税の実施は極めて近時に属するもので︑

一︑革命前ロツアにおける所得税の発展

事実一九一七年十月の革命に到るまでロシア国民

(5)

得税創設への道に通ずるものであった︒

︵ 宮

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 から﹁ 一八八五年には︑極め

0

0年の間に︑ 自然経済的諸条件に制約されて︑ 原則を課税体系のなかに実現することであった︒即ち︑

それまで低く且つ貧しい階級に課せられていた人頭税と

財政改革は︑予算制度のみならず租税制度にも及んだ︒アレキサンダーニ世の税制改革の主たる目的は︑公平の

塩税の撤廃︑租税請負制度の廃止を意図するものであった︒財政法規の制定と違って︑税制改革は︑

一八六三年の租税請負制度の廃止と︑

財産税の置換︑

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x)

 

その目的達成

までに︑かなりの年月を要した︒アレキサンダーニ世治下︵一八五五年し一八八一年︶を通じて︑達成されたものは︑

それに代わる内国消費税の実施︑また同年行われた市民人頭税の廃止と市民

0年になされた塩税の廃止であった︒かくの如く租税制度の近代化が遅々とした歩みを続け

てきたのは︑ひとつには財政制度の基盤たるロシア国民経済の後進性に依拠するものである︒周知の如<[上から

の改革﹂として実施された農奴解放は︑農奴制経済崩壊の形式的条件を作り出したものの︑なお残存せる旧体制の

( 3 )  

ロシアにおける産業資本主義確立のためには長い準備の期間を要したのである︒

経済的停滞と社会的反動を体験しながらもロシアは資本主義の勝利の道へと進んで

行った︒資本主義的諸要素の未発達のため︑

ロシアにおける所得税新設の課題は︑

それまで租税制度の近代化を阻止されて来たロシアも︑漸く︑農民に

対する人頭税︵割当税制度︶の廃止が決定され︑アンシャン・レジームの最後の残滓たる課税階級と免税特権階級の

差別的制度が除かれていった︒かくして一八八二年には粗形の遺産税︑贈与税が実施され︑

て不充分ではあったが商工業に対する営業免許税が賦課せしめられた︒かくの如き﹁人税﹂

への発展と︑行政面における租税調査官の設置は︑ともに資本主義国家の公平課税の権化たる所

アレキサンダーニ世によって始められた税制改革運動の一環であった︒

(6)

146 

工業に投資さるべき資本の蓄積を阻止する︒ て︑恐らく意義の少ないものとなるだろう︒ 富裕な人の数は極めて少数であり︑所得税の徴収よりする財政収入は︑その徴税費に比し 的な権能を国家の手に置くことになる︒ ①ロシア国民の文明水準が極めて低位にあるため︑一般市民の純所得に関して正確な報告を得る可能性がない︒

0年代初期までに︑既に一般的となつていた物税制度は︑

その後次第に課税の基礎を外形的形態から所得に移

す試みがなされてきた︒即ち当時既に実施されていた営業免許税の課税標準を粗収入ないし収益にすぺしとの意見

所得税の基準によって賦課すべき計画が当局で進められてい

商工業に対する免許税の形をとつていた当時の営業税に︑

率︑扶養者控除等︑所得税制度に特有なる制度が挿入され︑同時に株式会社の純収益︑官吏の俸給などに対する累

以上の如く所得税新設の気運も高まり︑またその実施への道が次第に切り開かれて行ったにもかかわらず︑

アにおける所得税は︑その実施のために更らに二十数年の遅滞を余儀なくせしめられた︒一八九八年︑時の大蔵大

( 4 )  

臣ウィッテ伯

BH TT e,

C.

 I O .  

は︑所得税実施への道を阻んでいる障害を次の如く述べている︒

②民間の会計記録がほとんど皆無であるため︑申告を証拠づけることが困難である︒

③所得税の実施は︑納税者の私的自由に対する干渉を意味し︑国の未発展の経済条件と相そぐわぬところの恣意

④所得税は︑現状では租税の回避を容易ならしめ︑従って国民の道義心に好ましからざる影孵を与える︒

固ロシアにおいて︑ 進的課税制度が漸次所得税に代わり得るものとして実施された︒ こ ︒かくして九0年代初期には︑ また人頭税的に賦課されていた租税を︑

累進税

(7)

こ ︒ ⑦所得税は︑他の諸税の改革に次いで行なうべきもので︑それに先んずべきものではない︒

以上の如き障害のうち︑特にロシアにおいて特有なものは︑恐らく︑①と⑤に表現されているであろう︒即ち所

得計算が個人にしても︑また当局にしても不充分である点と︑かかる租税からする収入性に限界があるという点で

その後二十世紀に入って所得税の具体化がしばしば政府︑国会で論議され︑一九0五年ココフツォフ伯大臣

KO KO

BU OB , 

B .  

H .  

の時には政府の特別委員会で討議され、一九〇七年には、エム・シボフ財務長官illHIIOB•

M .  

によって

( 5 )  

作成された所得税法案がロシア国会に上程された︒当時ロシアは︑他のヨーロッパ諸国が所得税導入以前にたどつ

た道と同じ道をあゆんでいた︒即ちほとんどすべての物税が漸次所得諜税の方式に基づくように変革され︑また個

人所得税のもついくつかの特長がそれらに加味されていた︒しかしながら所得税が討議の段階に入ってからの十年

間は︑かかる物税から所得税への移行の問題と最低免税点の問題とで意見の対立をみ︑法案可決にまで到らなかつ

( 6 )  

しかし一九一四年の第一次世界大戦の勃発により︑急増する戦費調達の必要から︑如何にしても現実の舞台に所

得税を立たさねばならなくなった︒一九0五年ココフツォフ伯大臣の手によって成った所得税法案は︑十年を経過し

た一九一五年八月に改めてロシア国会に上程され︑

うやく実施の段階へと進んだのである︒この所得税法は︑主としてプロシアの法律に依拠するもので︑所得の定義

を具体的に定めず︑課税さるべき所得の種類のみを例挙していた︒そのなかには︑株式所得︑不動産所得︑商工業

所得︑賃金︑諸報酬が含まれ︑

その累進度は﹁第一表﹂に現われている如く比較的高率であった︒このほか︑扶養

ソ連邦における所得税制度の発展︵佐藤︶ その可決を得︑さらに一九一六年四月に皇帝の承認を得て︑よ

(8)

148 

〔第一表〕 1916年所得税法に規定された税率*

得(年額ループリ) I税額(ループリ) 率(%)

〜  850 

850   900  0.6  900   1,000  0.7  1,800  2,000  20  1.0  2,900  3,200  45  1.5  4,500  5,000  100  2.0  7,000  7,500  188  2.5  9, 500  10,000  300  3.0  14,000 15,000  600  4.0  19,000 20,000  1,000  5.0  29,000 30,000  1,650  5.5  35,000 40,000  2,400  6.0  45,000 50,000  3,250  6.5  60,000 65,000  4,508  7.0  95, 000100, 000  8,000  8.0  140,000150,000  13,500  9.0  190,000200,000  20,000  10.0  290,000300,000  33,000  11.0  300,000400,000  48,000  12.0  400,000  12.5 

ソ連邦における所得税制度の発展︵佐藤︶

かしながらロシア資本主義の舞台は

*所得の段階は全部で91あり、本表はその抜幸である。

(A.Michelson et  al.,  Russian Public Finance during the  War, 1928,  p.  176.) 

1

奴 者 解 が の 放 課 増 以 せ 加 来 ら 所 れ 得 多 た ^ に

願 る で 臨

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一挙に現実の舞台におどり出た︒し ロシア所得税は︑世界大戦を契機に ﹁商工業の超過利潤ならびに自由職 年には戦時利潤税ーー正確な名称は ーブリであった︒このほか一九一六 おり︑税収見込額は約一億︱︱︱千万ル 九一七年一月一日より有効となって

その時すでに革命の前夜を迎えていたのである︒かくしてツァーは︑自己の創り出した所得税の︑

( 8 )  

の権限を新しい革命政権に譲らざるを得なくされた︒

その徴収と改訂

(1

)

﹁当時予算は公表されなかったし︑国の経済状態も何ら考慮されることもなかった︒予算の統一もなく︑政府各省は︑

それぞれの省の独自の予算案を作成し︑経費のみならず︑収入をも計画していた︒

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れていた︒この法律は︑事実上は 者控除や申告制度が具体的に規定さ

五八

(9)

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19 28 ,  Pr ef ac e. )

(2 )

一八六四年に予算統制局

(B oa rd s o f Co nt ro l) が出来︑各省の経費の各項目を証拠立てるために︑文書による証拠資 料を提出せしめる権限が付与され︑予算に対し詳細な法規が作られた︒

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! J: 8 T ‑,   19 54   r ,   CT p. 6   3.  

(

ロツア財政史概説﹄国立財政図書出阪所︑一九五四年︑六三ー五ページ参照︶︒

(3

) 

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  Tp eT be ,  19 52   r. ,   CT p. 40

4 1.   (ペ・イ・リャンチェンコ﹁ソ連邦国民経済史﹄第三巻︑資本主義篇︑第三版︑一九五二年︑四

0ー四一ペ

(4

) 一八九八年に営業税を所得税に改革することが問題になったときに︑大臣が︑その節害として挙げたものである

( A .

M. 

Mi ch el so n  e t  a l

. ,  

o p. c

i t. ,

 p .1 68 .)

( 5 )

この際問題となったものは︑﹁物税﹂から﹁所得税﹂への移行方法についてであった︒その方法には︑英国方式とプロン

ア方式とがあって︑二者択一の問題となっていた︒英国式においては︑﹁物税﹂のなかにそれぞれ所得税方式をとり入 れるのに対し︑プロツア型では︑﹁物税﹂をそのまま残し︑付加税の形で一般所得税を︑その上に賦課するものであっ た︒大蔵大臣は︑次の理由からロツアにはプロツア方式が適切であるとして法案を作成した︒即ち︑第一に︑英国式に おいては︑納税者の総所得が把握出来ず︑負担能力に一致せしめることが困難である︒第二に︑英国式は結局﹁物税﹂

の実質的な廃止を意味するから︑このような急激な改革は︑ロツアの現状から余りに冒険すぎる︒かくして所得税は付 加税として提案された

( Ib i d .

p. 17 0. )

(6 ) 一九一四ー一六年までの戦費の増大は次の如くなっている︒一九一四年ー八四六百万ループリ︑一九一五年ー四︑

0

二百万ループリ︑一九一六年

1

七︑二七八百万ループリ

(n or pe 6H HC KH H, A

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YK aa .  c oq . ,  c Tp 2  32 .)

( 7 )

株式会社以外の会社は︑五

0 0ループリを超過した利潤に対して二

0

バーセントの課税︑また株式会社は︑戦時利潤税

を含めたすべての課税額が︑利潤の五0

バーセントを超えないことを限度とした

( A .

M. 

Mi ch el so n.  e t 

a l . ,

 

o p.  

c i t .

,   p. 18 0. )

(8

) 一八六二年の財政改革とその後のロジア租税制度の発展について︑本稿では︑主として

A .

M.  M

ic he ls on

の研究を参

ソ連邦における所得税制度の発展︵佐藤︶五九

(10)

150 

ソ連邦における所得税制度の発展︵佐藤︶

﹁直接税の課税に関して﹂という法令で具体化され︑まず最

照した︒このほか︑一八六二年財政改革の内容と︑その歴史的意義を社会主義的立湯より評価している文献として下記

のものがある︒

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. IT or pe oH HC KH H,

A .  

  r r . ,  

YK a3 .  coq.

,  f JI . 2 ,  CT p. 52

70

.

の利益とセントペテルスプルグソビェトにより支持された臨時政府が打ち建てられた︒臨時政府は︑メンシェビキ

一九一七年三月より十月に到る間︑国内の経済危機の克服に努力したが︑'戦争の継続のため事態は

( 1 )  

悪化の一途をたどった︒戦費調達のため臨時政府の採用した租税政策の要点は直接課税の増加であった︒これは︑

当時すでに社会主義革命への努力を結集しつつあったボリシェビキの間接税増徴に対する強力な反対からもたらさ

れた不可避的な政策と考えられる︒しかし同時にプルジョアジーとの妥協の上に樹てられていた臨時政府は︑この

( 2 )  

直接税の課徴を引延ばさざるを得ない運命にあった︒そのため戦費は︑結局において通貨の発行によって賄われ︑

急激な通貨量の増大は︑財政的危機を深刻化させ︑その矛盾が遂には社会主義革命を惹き起す結果となった︒

一九一七年十月の社会主義革命によって︑そのすべての権力を獲得したボルシェビキは︑同時にまた激化する財

政的危機と無秩序かつ不充分な租税制度をも引継いだのである︒かかる条件のなかで︑新政府は︑すでに革命の準

備期に行われた第六回党大会(‑九一七年七月二六日ー八月=一日︶で決議された租税政策を実施しなければならなかっ

た︒あらゆる租税を資本主義に不利に︑社会主義に有利に再編成して利用すべしというレーニン﹂

e m r n ,

B . 

1 1 .

 

( 3 )  

税政策に関する命題は︑革命直後の十一月二四日の の指導の下に︑ 第一次世界大戦はロシア経済に破局をもたらし︑一九一七年二月︑ツァー政権は倒され︑それに代わって商工業 0

(11)

ようである︒このことは︑

に置き代えるよう指令したことによっても肯定できる︒ 初︑これまでツァー政府︑臨時政府によって実施されながら︑いまだ徴収の行われていないすべての租税︑特にブ

ルジョアジーの所得税︑臨時所得税︑超過利潤税の強制的取立てが開始された︒

一九一七年一月一日より実施されていた所得税は︑

七年十二月十五日︶を定め︑この時期までに所有者階級は︑彼等の申告した所得税額と︑臨時政府によって法令上

加算された税額とを厳格に納付するよう義務づけられた︒また臨時税︑超過利潤税にも同様の措置がとられた︒か

かる措置は︑それと同時に行われたブルジョアジーに対する強制的寄付制度の実施とともに︑革命時の地方財政権

カの拡大に寄与した︒もちろんこれらの方策は消極的なもので︑

ばならない︒新政府は︑旧税制に代えて︑所得財産税を含む経常的な新しい租税制度を創設すべき必要に迫られ︑

主として︑革命前の租税の改訂による直接税の制度化が行われた︒所得税については︑①有産階級の免税の徹廃︑

②完全な所得計算の実施︑③課税階層の拡張︑④富農の貨幣蓄積の阻止を目標として︑累進度の強化︑租税台帳の

作成︑申告制度の強化︑農民に対する所得税賦課が企図された︒このほか土地税︑相続税︑事業税等の改訂や新設

が行われ︑全般的な税制の再編成が行われた︒しかし革命時の租税政策の目椋﹁有産階級に対する課税を通じて革

( 4 )  

命期の緊急政策に要する資金の調達を保証し得る租税制度﹂は︑やはり前述の所得税制度の確立に集中されていた

レーニンがすべての国税︑地方税を﹁単一所得財産税﹂

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しかるに以上の如き革命期租税政策は︑結果的に見て︑単なる理念的発展のみに終始したようである︒息継ぎ政

策を行なうことの出来た革命後の﹁最初の八ヶ月﹂において︑早やくも租税政策は現実の抵抗に直面した︒その第

ソ連邦における所得税制度の発展︵佐藤︶ それまでほとんど実収はなかったので︑一定の期限(‑九一

その上さらに積極的な租税政策がつけ加えられね

(12)

1.52 

〔第二表〕 革 命 期 の 租 税 お よ び 税 外 収 入 (19181920)

額(百万Jレープリ) (%) 

収 入 項 目

1918 I1919 1920 1918 1919 11920

歳 入 総 額 15,579.6  48,959.4  159,604.2  100  100  100  税 外 収 入 3,635.4  22,696.6  104,505.1  23.3  46.4  65.5  租 税 収 入 11,834.1  7,164.7  471. 0  76.0  14.6  0.3 

訳)

405.0  660.0  2.6  1.4 

(1) 

850.2  1. 7 

301.0  450.8  1. 9  0.9 

臨 時 革 命 税 10,000.0  611. )  20.0  64.3  1.3 

(2 

673.1  4,333.7  329.0  4.3  8.8  0.3 

130.4  18.8  26.9  0.8 

その他の租税 324.6  240.2  95.1  2.1  0.5 

ソ連邦における所得税制度の発展︵佐藤︶

註(1)農業税はすべて現物税

(2)このうちには課税形態をとらず、直接政府の利用したものも含まれる。

(TTJJOTHHKOB, K. H., 0'1epKH  I1crnpHH  BIOJJ.:lKeTa  CoaeTcKoro ro

cyJJ.apcTBa, 1954r., cTp.4445. カ・エヌ・プロトニコフ著『ソピェト国家

財政史概説』 1954 4445ページ。)

時代︑いわゆる﹁戦時共産主義﹂時代を 乱と外国干渉による国内の経済的混乱の を見ぬままに︑一九一八年夏に始まる内 さらに革命時の租税政策は︑その成果 の一方の支持者を失う結果となり︑不可能なことであった︒ ら︑農民に重課せしめることも︑新政権

枯渇し︑従って上級所得者に対する所得 や株式の没収などによってその所得源が は︑強制寄付︑臨時税︑強制公債︑土地 税を通じては革命期の資金が調達出来ぬ状態にあったことである︒当時有産階級

税は︑財政収入の点から無意味な状態に

一方労佑者は当然のことなが

策の理念とは逆に︑有産階級に対する課 困難であったこと︑また第二は︑租税政 一は︑適切な租税徴収機関を作ることが

(13)

までには到らなかった︒しかし一九ニ︱年春より始められたネッ︒フ︵新経済政策︶は︑

活と所得税導入の契機とをもたらした︒

一九二二年十一月に︑革命後始めて統一所得財産税が実施された︵財産税法は一九二四年に削除された︶︒この所得

税は︑翌二三年直ちに改正されたが︑制度それ自身は︑革命前一九一六年施行の所得税法と大差なかった︒即ち︑

新所得税は︑﹃一般所得税﹂

(B as ic le vy ,  OC HO BH Ol i  I I  

O XO . D ;H h i li   Ha J1 or )

と﹁付加税﹂

Te Ji hH bl li  H aJ io r)

一般所得税は︑①賃金俸給︑②自由戦業収入︑③企業者所得︑④商社銀行収入の四

( 1 )  

つに分類され︑付加税は最高二五パーセントの税率が定められた︒

周知の如く︑ネップ初期(‑九ニ︱ーニ四年︶

すでに述べた如く︑

三 ︑

迎え︑国内経済の現物化とともに︑

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(Supple~entary

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その意義と役割を失つて行った︵﹁第二表﹂参照︶︒かくして︑革命時企図され

た強力な所得税制度は︑結果的に見て︑その実践的課題を果すことなく終ったのである︒

(1)ツア]政府によって一九一七年一月一日より施行されることになっていた所得税の税率の最高が、新らしく三0•五パ

ーセントに高められ︑超過利潤税の限度が九0

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Da vi es ,  Th e  De ve lo pm en t  o f  t he   So vi et  B ud ge ta ry   Sy st em ,  19 58

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(2 )  M ap bl lX HH , 

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(3

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> K e ,  CT p. 1   4.  

(4

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>K e,  cT p. 1   6.  

ロシアにおける所得税は︑幾度か現実社会のなかに種を播かれながらも︑遂に芽を出し実る

ソ連邦における貨幣経済の復

史上最高と言われるインフレーションに捲き込まれていたの

(14)

1~4

た︒この表によってわかるように︑ 一九二七年には不労所得者に対する﹁住宅税﹂が課され︑

﹁第四表﹂に見られる如く極め

れ ︑

直接税全体の税率は

それぞれの累進税率は更らに高めら この所得税において︑納税者は次の三つのグループに分けられ

で︑当然のことながら︑かかる所得税の実施も困難であった︒しかるに一九二四年には赤字予算が解消され︑革命

一九二六年には︑その後のソビェト所得税制度を基礎づける大改正が

( 2 )  

行なわれ︑所得税は︑新らしく﹁私的蓄稲規制の手段﹂として発足した︒われわれは︑この一九二六年の所得税制

一九二六年の改正によって︑二ニ年方式の一般所得税と付加税の区別は廃止され︑所得税は累進的な単一所得税

となった︒この累進率は納税者の社会的経済的カテゴリーの相違にもとづく差別方式を加味したもので︑

ソビェト所得税の特徴を基礎づけたものである︒

た︑①賃金俸給︵毎月源泉徴収︶ー│卓取高税率三0

( 3 )  

て低位にあり︑はたして︑ の如き発展を示し

一九二三年には不労所得者︵恐らくこれはネップの時期に都市に発生したネップマン

を指すと思われる︶と労佑者勤務員の税率は︑僅かの相違であったが︑年を経るに従つてネッ︒フマングループに対す

る税率は高められ︑遂には一00︒ハーセント税率の適用まで及んだ︒このことは当時の﹁私的蓄積の規制﹂が如何

に苛酷であったかを物語るものである︒しかるに所得税の財政的意義から見ると︑

この時代に所得税手段によって︑当時の経済政策を有効に遂行し得たか否か疑問となら

ざるを得ない︒

R.

w

この間の事情を次のように述べている︒

度の改革をもつて︑ソビェト所得税の確立と見ることが出来る︒ 後始めて安定した予算制度を見るに到った︒

その後の

﹁所得税の税率は︑名目的には極めて高かったが︑実際問題としてその実行は著しく困難であった︒ロシアには

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