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モッセ教授のケインズ評 : 社会主義的立場からの 一批判

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(1)

モッセ教授のケインズ評 : 社会主義的立場からの 一批判

その他のタイトル Professor R. Mosse on Keynesianism

著者 森川 太郎

雑誌名 關西大學經済論集

巻 5

号 6

ページ 666‑681

発行年 1955‑09‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/15744

(2)

ここに紹介しようとするのは︑

プルに教授を訪問した際︑

﹃社会主義に対面するケインズ主義﹄ グルノープル大学︑ロペール・モッセ教授

( P r o f . Ro be rt   Mo ss e)

("

Le   Ke yn is me d   ev an t  l e   S o c ia l i sm e

"  

La   Re vu e  S o c i a l i s t e ,   De ce mb re

 1949 

e t  

この論文の抜刷を︑私はー│'聯か私事にわたるがl│贔昨年グルノー

日仏両国の学問的交流を希望するとの言葉を添えて︑教授の他の論著と共に贈られた︒

内容は教授が特定の立場からケインズ学説に加えた批判であり︑これに依つてフランス経済学者のケインズに対

する評価の一端を︑知ることも出来る︒依つて今回更めて教授の承諾を得︑

考に供する次第である︒尚仏文テキストの抄訳には柏尾昌哉講師の労を煩したが︑用語の若千について︑筆者が

多少修訂を加えたことに対し訳者の寛恕を待たい︒又本文は抄訳であるため︑時に教授の重要な論点を逸してい

ることがあるかも知れない︒そのような点については︑予め教授と読者の諒恕を乞うものである︒ J a

n vi e l  

1950)と題する論文の要旨である︒

' ︵ 

モ ッ セ 敦 授 の ケ イ ン ズ 評

はしがきの数言を附して︑読者の参

J I I  

(3)

モッセ教授は永くグルノープル大学法学部に於て︑

立の経済学部を有つていない︶︑思想的には社会主義の立場に立ち︑実際政治の面にもその立場から関与しているよ

0年代から経済学上の論文を数多く発表して居

り︑そのうち﹃計画経済の理論﹄と題する論文

("

Th e Th eo ry f     o P la n n ed   Ec on om y,

 

St ud y  o f   S om e  R e ce n t  W or ks

"

 

I

er nd ti on al La bo rR

e茎e

S ep t e mb e r ,

1937)

は ︑

土屋清訳﹃計画経済理論﹄︵昭和十七年︶に訳載せられて︑

我国にも紹介せられている︒又近年には

Bi la ns de   la   Co nn a1 ss an ce   Ec on om iq ue

と題する経済学関係の叢書

を編纂発行し︑自らその第一冊として﹃貨幣論﹄

(L a M on n a ie ,  P a r i s ,  

1950)を執筆公刊した︒

先に記した如く︑

ても︑論は明かにその立場からするケインズ批判となっている︒従ってケインズ批判と云うものの︑重点は寧ろ

理論の底にある思想傾向と︑それに連なる政策面の問題に置かれているようである︒教授は第二節をケインズ主

義の科学的側面と題しているが︑ここでも﹃一般理論﹄の分析的批判が行われているわけではない︒ケインズ体

系に対する純粋理論的な批判は︑この論文の意図するところではなかったように思われる︒

けれども分析的な理論に捉われず︑大観して云えば︑論はケインズ経済学の問題点を確かに衝いている︒例えば

ケインズは消費性向を問題にするだけであって︑所得分配の問題はこれを無視しているとなす点等である︵第四節︶a

勿論ケインズに於ても︑分配の問題が全然無視せられているのではないが︵例えば所得分配の調整が消痰性向に及ぼ

す影堀えの関説等︶︑元来完全雇傭の為めの調整だけを重視し︑他は経済体制の自動的調節作用に任ずるを以て足 モッセ教授は自ら社会主義者を以て任じている人である︒ うである︒しかしその学問的活動も極めて旺盛であって︑

従つて以下に抄訳する論文に於

経済学の講座を担当しているが︵フランスの大抵の大学は独

(4)

理論についてはヘ教授は別の論文に於てlつの批判を試みている︒

C o n f .   "

Da   Te o r ia   d o  M u l t i p l i c a d o r

 

T eo r i a  d os   P on t o s 

利子の流動性選好説等に深く立入ることは︑教授がここで目的とするところではなかったのであろう︒

としてのケインズ的思想傾向に向けられている︒ るとするケインズの立場は︑明かに︑ここで指摘されている弱点を含んでいるであろう︒この問題点を遡れば貨幣所得の支出︵消費性向︶よりも︑その以前に所得形成の過程に問題があることになり︑論文に示される如く︑問題は有炊需要の不足よりも︑寧ろ消費財需要に向けられる所得︵賃銀所得︶の不足に在ることになる︵第二節︶︒このような考え方は︑ケインズ理論の発展が︑長期発展乃至資本蓄積の理論に指向しつつある近年の事実から見て︑

モッセ教授は亦ケインズの唱える投資政策にも批判を加えている︒即ち社会主義者は夙に雇傭促進の為めの財

政政策を提唱して来た︒ケインズの投資論はその流れを著しく出づるものではない︒而も彼の理論に於ては︑投

資の対象︵例えば労働者住宅か︑ピラミッドか︶を選ぶ尺度が鋏けていると云うのである︵第二節︶︒

ケインズが投資について力説するのは︑新投資の乗数炊果と︑自由社会に於ける投資決定要因の分析であり︑財

政投資の対象の選択については︑寧ろこれを別の政策的考慮に委ねていると見るぺきである︒従って新投資に依

つて生産される財が何であるべきかの考察は︑ケインズに鋏けていると云えば鉄けているが︑それは︑彼の観点

よりすれば︑寧ろ別のカテゴリーに属する問題となるであろう︒

斯くて始めに述べた如く︑この論文に於ける教授の批判は︑ 決して方向を誤ったものではないであろう︒ モッセ教授のケインズ評︵森川︶

云うまでもなく

ケインズの経済理論そのものよりも︑政策の基調

一般にケインズ理論体系の主要な支柱と見られる乗数理論や︑

d es   l mp ac to  D e c i s i v o " ; R e   v i s t a   B r a s i l e i r a   d e   E c o no m i a,   Da ze mb ro   de 

19

49

)

︿

g

ケインズ理論ではなく

(5)

モッセ教授のケインズ評.︵森川︶ ﹃ケインズ主義﹄の語が用いられているのも︑その為めであると思われる︒要するにこの論文はケインズの修正資本主義的思想に対する批判として読まるべきであり︑その意味に於ては︑民主主義的政党においては︑人々は大きな問題に関してー

̲̲

  それが如何なる種類の問題であってもーー'個人的態

度を公的に主張することを許されない︒彼は唯︑専門化された認識によって︑その問題が如何なる情況において存

在しているかを︑出来るだけ明白に説明することが出来るだけであり︑更に︑道徳的秩序や社会的秩序についての︑

決は︑他の解決を方向づけ︑更には恐らく公式化に指向する綜合の全体的過程を目的たらしむるであろう︒もし︑

その問題がこのような過程をとることを正当とする程充分に重大であるときは︑政党の大審議機関が意見を表明す

ー語一語尊ぷべき教条或は﹁線﹂ではあり得ないであろう︒

インズ経済思想に対するフランス社会主義者の傾向たり得ると思われるところについて︑最初の索描を試みるもの

ケインズの父は有名な経済学者であり︑ケインズもケムプリッヂの経済学教授として殆んどその一生を過した︒ ケインズ主義の学問的︑政治的重要性

るために召集をかけることも出来る︒併し︑この場合においてすら︑

ケインズ主義的考え方に対して好き反

その解決は一つの傾向であって︑

この論文は︑以上のような観点に立つて︑ケ 各人が認 その政党の命令と思われるものに鼓舞されて︑︱つの解決を提案することが出来るだけである︒

この解

省の資料を提供するものであろう︒

(6)

" ン

よって最も明白に示されている︒ケインズ主義が共産主義者やツンパ

(s

ym

pa

th

is

an

ts

)

! J ,  

及ぼす誘惑は︑特に危険 会的︑政治的観点からも考察せられなければならない︒ 彼は色々な政治問題に関与して一般に知られることになったが︑経済学界における名声はその著﹃雇傭︑利子及び

(

l六年︶によってかち得られたと言えよう︒

﹃一般理論﹄が経済学を革命的に変動せしめたと主張するのは誇張であり︑又当代の大部分の経済学者は関心深い

態度を示してはいるが︑

しがたい︒併し︑

著者の個人的威光とか︑上手な宣伝によるばかりでなく︑それが現代の或る大きな憂慮に応ずるものであり︑更に

それが︑失業とか︑不景気とが︑資本主義の衰退とか︑

たらすと主張することによるものである︒ケインズ主義はもとより学問的に深められた方法で分析されねばならな

いが︑同時に︑その主義の成功は社会の斗争におけるイデオロギー的装備としての意味から由来している故に︑社

政治的に見るとき︑

な状態に及んでいる︒ソ同盟においてさえも︑ケインズの誤った見解の影響する危険性が認められている︒モスコ

ニューヨーク︑その他で︑ケインズ主義の分析がなされ︑人々は闘士達に︑ケインズ的イデオロギーに

対する闘争が︑イデオロギー闘争の本質的課題の一つであると予告している︒

ともかくこの書物が熱狂の波を生ぜしめ︑その党派

( se c t e)

をさへ造り出したことは否定

かかる成功は必ずしも学問的価値によるものではない︒ケインズ主義が世界的に波及したのは︑

ケインズ主義の意味は︑ スタンリン主義の拡大とか︑の悪い状況に対する対策をも

スターリン主義者がこれに対し熱心に防衛手段をとつている事実に

ケインズ主義は︑学問的にも政治的にも世界中において余りにも重要であるから︑

ケインズの﹃位置﹄を明確化する仕事に着手しない訳には行かないのである︒ フランス社会主義ほ モッセ教授のケインズ評︵森川︶

(7)

モッセ教授のケインズ評︵森川︶ であるのか︒吾々はこの第三の道に関心を惹かれる︒ ( C )  

( B

)   ( A この問題に直面してフランス社会主義は選ぶべき三つの方向を持つ︒ フランス社会主義にとつて可能な三つの態度

)  

先.つスターリン主義者に倣つて︑

併しながら︑その或部分は現在猶通用するとは言え︑

を︑そのまま唱え続けることは到底許されない︒他方︑政治的には︑ケインズ主義に関して共産主義的見解をとる

ことは︑社会主義者がスターリン主義に対立している深い理由を弱めることにもなるのである︒

ケインズに対し︑

一階級による支配機関としての国家観︑等々を容認

ケインズ主義を新しい型の進歩的或は革新的学説として採用すべきであるかどうか︒だが︑この道

を選ぶとすれば︑吾々は政治的に見て︑或る種の特権や制度を護持するために︑何等かの譲歩をなさんとする進歩

的保守主義者

( c o n s e r v a t e u a v r s a n c e s )

と︑如何なる点において自らを区別し得るのであるか︒

義の中に︑租税上の正義︑国有化︑社会保障︑労仇者の生活向上等の政網を樹立するための︑どのような確固たる 更に又︑ケインズ主

学問的地盤を見出すことが出来ると言うのか︒

或は又︑フランス社会主義は︑自らの立場をよりよく定義するために︑この論争を利用し︑又︑政治的︑社

会的及び同時に学問的見地から独自の方法でケインズ主義を批判して︑悪しきを避け︑良きを残すようになすべき

ケインズ主義を評価するには︑その二つの側面を考察せねばならない︒即ち一方ではそれを理論或は科学として その大部分が現在の世界では適用されない百年前の学説 しないことを主張すべきであろうか︒

ケインズ主義が労佑価値説︑剰余価値説︑階級闘争︑ マルクスの忠実な弟子でないことを非難すべきであろう

. 

(8)

社会主義者の側からは︑既にかなり以前より︑均衡が自動的に回復されるものではないことが確証されてい イギリス経済の明かな様相であった︒失業はこれ程の永続性をもつては現われていなかつ (1 ) 

(3 )  救済策'~救済策は賃銀の引下げよりも、むしる利率の低下とあらゆる種類︵たとい非生産的なものでも︶の (2) 

(1 ) 

評価せねばならぬとともに︑他方ではその社会的︑政治的意味をも評価しなければならないのである︒

ケインズの根本的思想

証明ー—今や慢性的失業が存在する。古典学派が信じたところとは反対に、経済的均衡はそれ自身自動的に

完全雇傭の水準まで回復するものではない●永久的な不均衡或は生産力の一部を遊休の状態に置き乍ら一般的に

は活動の状態にある均衡が存在する︒

説明ーーこの不均衡は商品の有効需要の不足︵それは投賓の不足より生ずる︶に起因するであろう︒

投資の増加とである︒

一般的ツェーマ

(s ch

ma )

の批判的分析

証明ーーこの検証は︑

0ー一九三0年のイギリスの状態に正確に合致する︒この慢性的失業は当時の

その他の国々では︑

た︒アメリカ合衆国においてさえも︑失業は﹃慢性的﹄と言うよりも﹃循環的﹄であった︒かくて﹃一般理論﹄

はその出発点からして︑特別にイギリス的問題を問題として世に現われた︒

た︒併し︑古典派経済学者がこの事実を容認するのを見るのは新奇なことである︒

(9)

モッセ教授のケインズ評︵森川︶ ら由来するものと考えたいのである︒ 主張する︒ケインズの功績は︑需要の不足することが可能であると是認した点である︒

説明ーーケインズの最も基本的な貢献は︑経済学的分析の光を︑全体的な需要の決定的な役割の上に投じた

点である︒失業が存在したり︑

たり︑不景気が起ったりするとすれば︑それ等は︑生産物が販路を見出すことが出来ないことから生ずる現象で

ある︒即ち︑需要が全体として全生産物の価値よりも低位であることから来ている︒この事実は明白である︒に

も拘らず大部分の経済学者は︑頑固にも需要が不足することはあり得ぬと固守して譲らない︒彼等は︑生産物の

価値は生産者への賃銀の総体以外の何物でもなく︑従ってこの賃銀の総体は全体的需要を構成する所得であると

併し吾々は︑ケインズの道から離れなければならない面を持つている︒蓋し一般的には需要の不足の原因を︑

( a )

分配された貨幣所得の不足か︑

(b

)

貨幣所得に比較しての需要の不足かに帰し得るであろう︒

( a )

の道は︑所得形成についての研究へと導く︒その際︑人は︑例へば生産者が生産物の価値に匹敵する賃銀

を︑受取っていないと言うような事実を発見するであろう︒ケインズは実にこの道を知らないのである︒何はと

もあれ彼は依然として販路法則に忠実であった︒彼は︑生産者の全体的賃銀は生産物の価維と相等しいと信じて

いた︒だから︑所得は生産物の売却を許すに充分であると言うことになり︑従って︑所得の全体と全体的需要の

差のうちに説明を求めなければならなくなるのである︒これが即ち

(b )

の道である︒この点で︑社会主義はケ

ケインズと共に︑全体的需要が生産物を吸牧するのにィンズ主義と訣別しなければならなくなる︒即ち吾々は︑

不足であることは認めるが︑吾々はその喰い違いを︑≪彼と離れて︑恐らくは所得形成のメカニズムの不完全性か 全生産物を売りさばくことが出来なかったり︑

又 ︑

全生産力を佑かし得なかつ

( 2 )  

(10)

動機は︑投資が所得の

c i r c u l a t o n

を起動せしめ︑それが次々と活動を増大して行くことにある︒換言すれば︑ 救済策ーーケインズ主義の救済策はかなり簡単である︒経済政策の目的は︑生産或は利益の社会的配分を増大することである︒

社会主義者達は︑例えば国家牧入を増大するためには︑税の負担を増大するのではなく︑国家的︵国民の︶所得

を増大しなければならないと言明していた︒社会主義者達の提案に強く反対していた財政監督官達も︑流行のケ

インズ主義に敬意を表明してか︑今日ではそれ等の提案を採用している︒

も︑それだけでは不足である︒即ち国家或いは銀行組織が介入して︑支払手段を拡大することにより投資を助長

介入の技術は二つの表現を持つている︒即ち︑.非常に低い利率と︑予算の不足である︒簡単に云えば︑それは

膨脹

( ex p a ns i o n)

の技術である︒

社会主義者の見地からすれば︑

例えばフランスのように︑ つまり根本的目的は﹃完全雇傭﹄の実現である︒

ケインズによれば投資である︒

この技術は︑或る条件の下でのみ︑又或る形式においてのみ許容され得る︒

一世紀の間に物価が百倍にもはね上った国では︑ケインズ主義の療法は全く異った

心理的事態に衝突するか●︑より多くの用意を必要とするであろう︒即ちその運動が過度の速度をとらないこと

が確実でなければならない︒

ケインズ主義者達が︑新に造られる︑或は再循環する購買能力に与えんと欲する用途は︑非常に重大な制限を

呼び起す︒彼等は何よりも︑投資を発展させること︑即ち生産の準備を増大させることを欲求する︒彼等の真実の しなければならない︒ 経済政策が関心すべき中心点は︑

(3 ) 

モッセ教授のケインズ評︵森川︶

確かに蓄積された貯蓄は使用されるけれど ﹃一般理論﹄以前においてもフラソス

(11)

彼等は︑.効果を生産の領域にではなく︑

c i r c u l a t i o n

の領域において考察しているのである︒ケインズにとつて

は︑ピラミッドの建設も︑鉱山機械の製造と同様に社会に利益があるのである︒

このように所得の

者達は●生産すべき財の具体的本性や︑又︑その財と満足さるべき人間の要求との関係を︑否定することになっ

てしまったのである︒勿論︑ピラミッド建設の場合にも︑労佑者住宅建設の場合にも︑その建設期間には一定数

併し本質的に見るときは︑

他方の場合は幾何学的に配列された石の大きな堆積を吾々が持つていると言うに過ぎないのである︒

政策を指導するものとしての経済的認識は︑

ばならない︒先づ第一に︑何等かのカテゴリーの財の︑人間的社会的効用を評価すべき尺度を完成しなければな

らない︒次に︑衝撃が︑生産される財の特性を決定するところの︑決定的な衝撃点を探究しなければならない︒

ケインズ主義の弱点は︑生産手段︵或はピラミッド︶の製造を最初の衝撃と考え︑そして伝播の継続的効果を盲目

的に確信している点である︒もし︑最初の衝撃が決定的であるならば︑又もし︑それが生産さるべき財の性格を

決定するものならば︑吾々は︑再分配され或は附加される購買力が家族手当とか︑退職手当とか︑社会保障給与

の形で配分されることの方を︑

完全雇傭及び全体的生産量の現象に︑

ケインズ主義の鋏点を是正するために二つの課題に没頭しなけれ

より多く望むことであろう︒かくすれば︑吾々は与えられた衝撃が︑子供達には︑

スープや炭や衣類をー病人には薬や手当を供給すことを確信するであ の労佑者が雇傭される︒一方の場合が幾多の労仇者が楽しい家庭を持つに対して︑

c i r c u l a t i o n

心を奪われたケインズ主義

(12)

ケインズは恐るべき気質の子供であった︒彼の学問的業績は︑大部分︑伝統的な思想を突きとばす﹃若者﹄或は

﹃異端者﹄のそれであった︒失業が永続し得るものであること︑賃銀の自動的低下が最上の救済策ではないこと︑

自然的な力は充分ではないこと︑そして国家の介入に訴える必要があると言うこと等は︑初めからッョックを与え

るに充分な思想であった︒だが︑それはかつての

E t

o n

それは又アダム・スミス︑リカルド︑ミル︑マーシャルに対する非常な忠実をもって︑提出された思想で

ある︒而も︑吾々の隣国人達は︑実際的であって︑形而上学的実体と見倣される原理に没頭すると言うことはない

のである︒かくて﹃ケインズ主義﹄に対する真面目な反対が︑英国の保守的自由主義者の間に存するとは思われな ( A

)  

保守的自由主義者の側から 立場が如何にして定義され得るかを考察しよう︒

政治的側面ーケインズ主義の社会的影響

既に述ぺたように︑ケインズ主義の成功は︑著者の個人的威光や学問的価値によるばかりでなく︑その社会的︑

政治的意味によるものでもあった︒ケインズ主義の思想は︑政綱として︑イデオロギー闘争において重大な役割を

果している︒吾々は先づ︑保守的自由主義者︑

芸術の保護者から出されたもの スターリソ主義者︑進歩的民主主義者によって︑ケインズ主義は如

何に待遇され︑如何に利用されているかを見よう︒次いで︑吾々は︑ケインズ主義との関連において︑社会主義の

社会主義者以外の立場 モッセ教授のケイソズ評︵森川︶

(13)

677 

( B

)  

スターリン主義者の側から 実際︑保守的自由主義者が怒り立たないのは充分な理由がある︒と言うのは︑ケインズの︑自由主義学派に対す彼は︑その方法において︑リカルドやマーツャルと異ったことをなさなかった︒彼は︑北の経済心理学においては︑合理主義者即ち殆んどペンサム主義者の地位に座り続けた︒その哲学的観念においては︑彼は決定論或は機械論から離れてはいなかった︒彼はその基本的仮説において︑二十世紀初頭のイギリスの制度以外のものの上に立つ

而もケインズ主義は︑殆んど死に瀕したイデオロギーに一撃を与えたのに過ぎない︒

を批判すると言うことは︑もはや殆んど何等の価値をも見出し得ないことなのである︒これに比較すれば︑

0年或は一九一四年以前から︑自由主義者の楽観論を攻撃し︑所謂自動的メカニズムの不完全性を証明していたフ

ランスの経済学者の方が︑遥かに進んでいたのである︒

﹃各人に職を﹄と言うことである︒

イギリスの保守党も︑アメリカの共和党も︑完全雇傭や投資促進政策に真面目に反対したりしない︒

そしてフランスでは︑ケインズ主義に対する﹃反動的﹄反対が︑

= 

どこにあり得るのか見分けることは出来ない︒従

ケインズ主義は右翼の方え持ち去られており︑その左側の面が普通攻撃されているのである︒

共産党はケインズ主義を反駁すべく分析を行っている︒その分析の出発点は︑プルジョア経済学がプルジョア的

な経済︑政治組織の反映にしか過ぎないと言うことである︒

ケインズは資本主義を弁護する者であり︑資本家的私的利益の擁護者であると言うことになる︒彼は︑倒れかか

モッセ教授のケインズ評.︵森川) てはいなかった︒即ち︑ る攻撃は全く意志を欠いだものであるからである︒

一九三六年に自由主義学派

(14)

(7

) 

(6

) 

強いュートピア的思想︒

(5 ) 

(4

) 

帝国主義と戦争の問題を極端に単純化していること︒

(3 ) 

ないと云うこと︒

(2

) 

(1) 経済についての多くの誤謬︵価値︑貸銀︑貨幣︑国債の役割等々︶ より正確には︑次の七つの点が非難される︒ た剰余価値の山に均衝を与えることは到底出来ないから︒ つている反動的プルジョアジーの悲観的な経済哲学を展開している︒而して彼の分析は︑客観的法則や物質的条件を検討せずに︑資本主義的生産様式の動因についての主観的傾向の研究に没頭しているが故に︑無価値である︒

ケインズ主義は︑公言した目的即ち失業をなくすることを実現し得ない︒何故ならケインズ主義は︑失業の根本

的原因即ち生産の社会的性格と︑所有の私的性格との間の矛盾を廃棄し得ないからである︒ケインズ主義は︑資本

主義的生産の過程における階級間の関係を少しも顧慮しない︒資本家による労佑者の搾取や︑資本家の政治的支配

にも反対しない︒投資政策は無効であろう︒何故なら︑国家的大事業の小塚は︑資本家によって労仇者から奪われ

大衆の心理についての誤った分析︑即ち︑経済的変動の方が心理に変化を与えるのであって︑

資本家による独占の反動的な役割を甚だしく過少評価していることC

レーニンのそれと矛盾した誤った国家論︒

階級闘争の否認︒

そして最後に︑﹃ケインズ主義者は社会民主主義の右翼に属し︑第三次世界大戦の誘発者とはなっている﹄こ

モッセ教授のケインズ評︵森

J I I )

一 四

その反対では

(15)

(3

) 

モッセ教授のケインズ評︵森川︶

(2

) 

(1

) 

とを辞さない︒ この進歩的民主主義と言う語の範囲は︑

頂上に至るまで

l

イギリスの労佑党をも含むものである︒彼等はケインズ思想の中において︑現在の社会ーーーその最下部から

社会的進歩に向わせ得るところの新しい

"

ra di ca li sm e"

基礎を見出すことが出来ると信じている︒

ケインズ主義は﹃完全雇傭﹄を保証するために︑

し︑必要によっては公共投資によって︑

併しこの方法は︑

社会主義者の立場の素描

社会主義は三つの重要な点において︑

社会主義は︑経済上の異常︵攪乱︶

社会主義は︑

( C

)  

0年のイギリスの情況︑即ちデフレージョンに悩んでいる経済に対してのみ有効なので

0年のイギリス社会の範囲内にのみ自らの位置を置くものでない︒

﹃完全雇傭﹄の目的を愚弄的であると考える︒

これらの各点について︑ケインズ主義の粗末な限られた性格に反対して︑社会主義の一般的︑人間的価値が強化 進歩的民主主義者の側から とであるC

アメリカ民主党や︑

永続的な経済的︑

国家の介入を導入する︒

それを完成することにある︒彼等は予算の赤字や︑貨幣の膨脹に訴えるこ

ケインズ主義から離れる︒ その基本的手段は個人的投資を支援

の責任を別個の点におくと言うこと︒

一 五

フランス人民民主主義者

(d em oc ra te s p op u l ai r e s)

(16)

分析していたところの︶生産力と購買力との間の︑ されるのを人々は見るであろう︒

将又理論的部門において

独創的であるにせよ︑ないにせよ︑︑ケインズは﹃よく思索した﹄経済学によって︑

ほかくて︑均衡が︑供給と需要との間に︑又︑労佑可能の人口とさばき得る職との間に︑国家間の負債と債権との

間に︑自動的に再び成立する傾向があると主張する経済的自由主義に対して︑決定的な打撃を与えたのであった︒

従つて︑彼は︑不均衡を治療し︑特に失業と戦うべく国家が干渉を行うことに対して︑イデオロギー的な基礎を提

供したのである︒

学問的な面においては︑彼は︑いぐつかの新しい表現を流行させた︒即ち消費性向

(p ro pe ns io

n

co ns om me r)

︑流

動性選好

( pr e f er

c e  pou r  l a   l i q u i d i t t § )

︑有効需要

(d em an de e f f e c t i v e )

中で盛に用いられ︑多くの人々は︑これ等の概念を分析の道具の列に加えている︒

え︑その刺戟は拡大され強化されて︑具体的与件の蒐集︑解釈の面においても︑

も︑極めて注目すべき業績を生み出した︒今日の経済学はケインズ主義によって全く浸透されつくしている︒

併しながら︑それは恐らくは︑既に過去において為された認識の一段階に過ぎないであろう︒又それは︑研究の

一方向に過ぎず︑他面には︑尚探究さるべき領域の大部分が未開発のまま残されているかも知れない︒ケインズ主

義が︑貨幣所得の利用にのみ着目して︑所得形成の機構から生ずる変動の原因を少しも解明していないのを︑吾々

Pill! 

モッセ教授のケインズ評︵森川︶

多少とも持続的な不均衡と云う観念を承認する功績を挙げた︒彼

これ等の用語は経済学の文献の

研究に最初の刺戟を与 ︵社会主義が既に以前から認め︑

一 六

(17)

モッセ教授のケインズ評︵森川︶ にのみ注目して︑生産さるべき財の性質や︑出したりしようとはしないのである︒更にその根本的目的は︑

は既に観察した︒彼は︑所得分配の問題を完全に疎外してしまった︒生産の領域においては︑彼は︑専ら活動の量

それの人間的目的を軽視したのである︒

社会主義は経済学を︑哲学︑社会学︑政治学等との共通の︐大広場に復帰せしめることに依つて︑経済学に対し︑

実質的な貢献をなすことが出来るであろう︒その広場は︱つの路を頑固に進んでいる人々には想像もされない程多

社会的及び政治的側面においては︑ケインズ主義は大胆さと包容力とを鋏いでいる︒そしてその活動の範囲も︑

その視力の範囲と同様に限られているようである︒その燃料の蓄

積が︑油差しの完成に連なるのを考えるだけであって︑或る本質的な部分を取替えたり︑又新しい様式の機械を考え

その方法と全く同様に極めて狭い︒蓋しケインズ主

義に於て︑すべての人々にその地位を得さしめると言うことは︑唯彼等に賃銀の支払われる職を与えると云うこと

であるが︑そのことは個人の欲望を単純な計算に依つて一般化することに外ならない︒そしてそれは︑特に甚だし

い失業に悩んでいる国々!即ちそこでは︑労佑可能人口の極めて大きな部分が賃銀所得者であるところのーに

特に関連を持つのである︒このような考えに対して︑社会主義は︑永統的︑普遍的︑人間的価値の理想を対抗させ

るのである︒即ち︑人間の物質的︑精神的要求の完全なる充足を︑財と閑暇との平等な再分配によって︑実現させ

ようとするものである︒ くの光ある道に面している筈である︒

即ちそれは経済的機構をあるがままに受容れ︑

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