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要 旨 三島由紀夫の歌舞伎観−『芝居日記』を中心に

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Academic year: 2021

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三島由紀夫の歌舞伎観−『芝居日記』を中心に

9N14005 佐藤 良江

三島由紀夫の述作の中には、『芝居日記』と題された劇評集がある。その劇評集は、

三島が学習院中等科三年生であった昭和十七年一月から、東京大学を卒業した昭和二 十二年十一月までの約六年間に渡って、断続的に記されている。日本の古典芸能から オペラやバレエなど様々な舞台芸術の鑑賞記録が記されているが、その中で特に目を 引くのが、歌舞伎に関する記述の多さである。三島は、自身の青年期を「歌舞伎狂」

と表したが、『芝居日記』はその「歌舞伎狂」時代を象徴するものであり、鑑賞者と しての三島の歌舞伎観を探ることができる著作である。修士論文では、この『芝居日 記』を用いて、三島由紀夫の歌舞伎観の形成がどのような状況下で行われたのか、ど のような歌舞伎観が形成されたのかを分析した。

まず第一章で、三島の観劇体験の発端を確認し、劇評集執筆に至った様子を確認し た。そして、劇評集が雑誌連載されてから、『芝居日記』の書名で出版に至るまでの 経緯を明らかにし、単行本『芝居日記』の書誌的事項を整理した。

第二章では、『芝居日記』の劇評が書かれた時代の状況と、三島の動向とを重ねて 確認した。そして、戦時下の歌舞伎上演を取り巻く事情が、三島の歌舞伎観の形成に 影響を受けていた可能性を見出すことができた。また、三島が『芝居日記』執筆の時 期に親しんだ他者の劇評について述べ、『芝居日記』の劇評に他の劇評家からの影響 を見ることができるかを考察した。また、『芝居日記』によく見られた「仁」、「柄」

などの用語や、〈古さ〉を示す言葉を取り上げ、三島が歌舞伎鑑賞をするうえでどの ような部分に興味を持ち、注意していたのかを考察した。また、『芝居日記』の歌舞 伎劇評を義太夫狂言と純歌舞伎とに分類し、鑑賞の確認できる歌舞伎演目から、三島 の歌舞伎に対する好みの一端を探った。更に、『芝居日記』の劇評の内容を確認し、

記された時期によって記述の方法に変化が見られることを明らかにした。そして、三 129

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島の歌舞伎に対する注目点の移り変わりについて考察を行った。

第三章では、『芝居日記』の時期に三島が好んだ役者として、特に七世沢村宗十郎 を中心に置き、七世宗十郎についての劇評を用いながら、その歌舞伎役者観を分析し た。役者の好みから、三島が江戸の生きた歌舞伎への憧憬を見出すことができた。

全編に渡って『芝居日記』を中心に置いた考察を行った結果、三島の歌舞伎観の形 成には戦時下における歌舞伎鑑賞経験が大きく影響していたことや、三島が歌舞伎の 様々な古さを重視していたこと、その歌舞伎観が「三島歌舞伎」に至るまで影響した 可能性があると示すことができた。

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