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井田洋子

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(1)

経営と経済第72巻第4号1993年3月

政教分離に関する判例研究(Ⅱ)

−いわゆる目的効果基準を中心として−

井田洋子

目  次

Ⅰ はじめに

Ⅱ わが国における目的効果基準の態様 1.最高裁判決の場合

(1)津地鎮祭最高裁判決

(2)自衛官合祀訴訟最高裁判決 2、.下級審判決の場合

3.わが国における目的効果基準の特色(以上第71巻3号)

Ⅲ アメリカ合衆国における目的効果基準の態様 1.問題の所在

2.アメリカ合衆国における政教分離原則の捉えかた 3.日的効果規準の成立過程とその内容

4.1970年代における目的効果規準の適用状況 5.1980年以降における目的効果規準の適用状況 6.小括(以上本号)

Ⅳ 日的効果基準の再構成 1.政教分離原則の捉えかた

(1)従来の議論

(2)国家の世俗性と中立性 2.日的効果基準の適用範囲 3.日的効果基準の適用方法

Ⅴ おわりに

(2)

E  アメリ力合衆国における目的効果基準の態様'

1.問題の所在

すでに記述したように,わが国で適用されている目的効果基準は,アメリ カ合衆国においては,政教分離原則に関連する諸判例の積み重ねによって築 かれた成果を基礎として,体系化されたものである。このことは,日本国憲 法の政教分離原則それ自体が,多分にアメリカ合衆国のそれを受け継いで構 成されている,という事実とも決して無関係ではないといってよい。それに してら他国で用いられている判断基準をわが国に摂取しようとする場合,

両者の歴史的・文化的土壌によって規定される異質の状況を不問に附したま ま,それをわが国に移植するのは,決して賢明であるとはいいがたい。した がって,わが国の実状により適合する範囲内で,他国の基準に修正を加える ことは,むしろ好ましい継受の仕方といえるのではあるまいか。そうしてま た,わが国に他国の基準を導入する際に肝要な事柄は,そうした基準が固有 すると想定される有用性に着目しつつ,これを的確に移植するということで なければなるまい。だから,当該基準の有用性を失わせるような修正は,無 意味な模倣として排除されるべきであろう。そうであるならば,いったい合 衆国の目的効果基準のどこに見習うべき意義が見出だされうるのか,また合 衆国とわが国の目的効果基準との間に差異が存する場合,それが両国の歴史 的もしくは文化的格差を考慮、したときに首肯できるものたりうるかどうか,

さらには,当該基準が政教分離原則の審査基準として本当に有益なものと認 定しうるかどうか,の諸点につき,いま一度検証されねばならないように思 われる。そうした検証がおこなわれて初めて,わが国の目的効果基準の進む べき方向が定位されることとなるのではなかろうか。

以上のような意図のもとに,ここではとりわけで,アメリカ合衆国におけ る目的効果基準の確立の過程,その内容と展開,および基準にたいする評価,

といった諸論点について概観したいと考える。もちろん,合衆国においては

(3)

政教分離に関する判例研究

(II) 111 

すでに,政教分離原則に関する多くの連邦最高裁判決が存するので,本稿で は,それらの連邦最高裁判決に的をしぼりつつ検討されるべき問題点を論じ ていく予定である。

2.

アメリカ合衆国における政教分離原則の捉えかた

周知のように,アメリカ合衆国における信教の自由の保障は,その憲法修 正第一条に掲げる「連邦議会は,国教を樹立し,または宗教上の行為を自由 におこなうことを禁止する法律 を制定してはならない r という規定によっ

てなされている。なお,この条文は,二つの相異なる内容ーすなわち,前 半部分が強調する国教樹立禁止条項

(establishmentc1ause)

と,後半部分 に規定される宗教活動の自由条項

(freeexercise c1ause)

ー か ら な っ て い ると解される。そうして,これらはそれぞれ,前者が,わが国の政教分離原 則に妥当し,後者は,わが国の狭義の信教の自由の保障に該当する,と一般 的には理解されているが,こうした条文解釈は穏当なものとみてよいであろ

フ 。

それはともあれ,まず国教樹立禁止条項をめぐる合衆国連邦最高裁判決の 航跡をたどるとき,われわれは,なににもまして二つの大きな流れを把握し ておく必要があるように思われる。その流れのひとつは,当該条項の解釈に ついての微妙な立場の変化であり,残りのひとつは,当該条項と宗教活動の

自由条項との関係の捉えかたの変化である。

そもそも,国教樹立禁止条項については,すでにはやく

1879

年の連邦最高

裁判決において,それが,ジェファーソンのいう「教会と国家との分離の

壁」を意味する,との解釈が示されている。爾後,この「教会と国家との分

離の壁」という思考が,国教樹立禁止条項の解釈をおこなううえでの絶対不

可欠な観念として,絶えず連邦最高裁判決のなかで引用され続けていくので

ある。しかしながら,この観念のより具体的な意味内容をめぐっては,国家

と宗教との絶対的な分離を意味するという見解(絶対的分離)から,協調的

(4)

分離(友好的分離)を意味するというそれに至るまで,きわめて多岐に亘っ ている

(6)

そのような動向のなかで,のちの国教樹立禁止条項の解釈に決定的 な影響をあたえた判決としては,別してエヴァスン判決(1

947)

,エンゲル 判決(1

962)

,およびゾラク判決(1

952)

などが数えられ,これらの諸判決 のうち前二者は厳格分離解釈を,後者は協調分離解釈を,それぞれ代表する 判決として分類されている。

たとえばエヴァスン判決は,当該条項が最少限包括する内容として,連邦 政府および州政府が,①教会を樹立してはならないこと,②ひとつの宗教あ るいはすべての宗教を援助する法律を,またある宗教を他の宗教より優遇す る法律を制定してはならないこと,①個人にたいする宗教上の行為の強制の 禁止,①宗教団体にたいするあらゆる形態の援助の厳格な禁止,などを挙げ ている。

またエンゲル判決では,国教樹立禁止条項の目的が,政府と宗教との結合 に起因する

(1

)政府の破壊,

(2)

宗教の堕落,

(3)

宗教的迫害,の諸点を防止する ことにある,といった内情が明らかにされている

(ll)

また,本判決は,国教樹 立禁止条項が宗教活動の自由条項とは異なる独自の役割を担っていることを 確認したうえで,政府の直接的な強制があったか否かにかかわりなく,公定 (公認)の宗教を樹立する法律が制定されただけで,結果的には当該条項は 侵害されることになる,との注目すべき判断を導き出している。さらに本判 決は,そのような解釈の妥当な根拠として,宗教的自由の個人性および神聖 性を指摘するとともに,宗教的迫害という歴史的事実に照らして,当該条項 の意義が少数者の保護にある点を確認し,かくて多数派が,宗教活動の自由 条項を根拠に,みずからの宗教的要求を満たすために国の機構を利用するこ

との不当性を告発している。

前二者とはまったく対腕的に,ゾラク判決においては,当該条項は国家と

宗教との対立・敵対を企図としたものではなく, したがって,ここでは「分

離の壁」といった観念が意味する内容は「友人間の合理的な境界線」たるべ

(5)

政教分離に関する判例研究(]I)

113 

きものである, との独自の見解が主張されている。しかも当該判決は,その ように緩やかな分離主義を唱える正当な論理的根拠として,合衆国の宗教的 伝統と国民性,ならびに法制,慣行,個人の宗教的自由の保護などを列挙し たのであった。このゾラク判決に表明された独特の論理は,その歴史認識,

さらには国民性や社会通念などを格別に重んじる点において,わが国の最高 裁のそれと通底しあっているといっても過言ではないだろう。

ところで,前述のエヴァスン判決は,条項の解釈それ自体については厳格 分離の立場に依拠しながらも,争点となったニュージャージー州の計画一 宗教系の学校を含めたすべての学校に通う生徒の通学費(パス代)を公費か

ら親に償還するというものーそのものの合憲性に関しては,それが宗教に かかわりなく,親が児童を学校へ安全かつ迅速に通わせるのを援助するため の,一般的計画を定めたものにすぎないとの理由よりして,

I

一般的福祉」

論あるいは「児童の利益」論を根拠に,合憲との判断(

5

4

)を導き出し たので、あった。それゆえ,この判断は,いちはやしその反対意見が的確に 指摘したように,結果的には,国教樹立禁止条項の厳格分離解釈の意義をな しくずしにしてしまった,との嫌いを払拭しえないように思われる。結局の ところ,この判決では,国家と宗教との 厳格"分離が,いかなる場合であ っても最優先されるべき価値なのか,それとも,なんらかの国家的利益が認 められる場合には,むしろそちらを優先させることによって,その限度で国 家と宗教との 厳格"分離が緩和されることを受忍すべきものなのか,とい う点についての見解の相違が,結論を二分したといえよう。いずれにしても,

エヴァスン判決こそは,のちの最高裁の国教樹立禁止条項をめぐる問題の対 処のしかたを予見させるものとなる,画期的ともいえる判決なのである。

こうして上述した諸判決を媒介に,最高裁は,国教樹立禁止条項の解釈を 展開させていくと同時にまた,それを受けての当該条項違反かどうかを判断 する際の,ひとつの方向性を生み出すことになる。いいかえれば,最高裁は,

建て前上では,エヴァスン判決やエンゲル判決の流れに沿った厳格分離解釈

(6)

の立場に依拠しながらも,その内実においては,条項の精神に照らして許容 されうる範囲内での国家と宗教とのかかわりかたを模索していくことによっ て,実質的には厳格分離解釈に訣別し,むしろ逆にゾラク判決に代表される 友好的分離解釈へと決定的な一歩を踏みだしたもの,と認定されるわけであ る。最高裁が,当該条項の精神を如実に示す言葉として当初好んで引用した 壁

(wall)

という言葉が,線(l

ine)

というそれへと見事に変化させられた という事実こそ,なにものにもまして雄弁に,その聞の消

d

息を物語っている といえるであろう。

なお,もう一方の流れとしての,国教樹立禁止条項と宗教活動の自由条項 との関係の捉えかたについての変化にもまた,当然、のことながら留意する必 要がある。というのは,それが国教樹立禁止条項の解釈の変化と緊密に連動 している,と思われるからである。すなわち,両条項の関係をめぐっては,

両者がいずれも宗教的自由の保障という究極的目的の実現に仕えるものであ る,と解する点では意見の一致がみられるものの,にもかかわらず,あくま で両条項の固有の意義を強調する見解と,それとは逆に,両条項の同質性を 強調し,それらを統一的にとらえる見解とが根強く対立している,というの が議らざる現状である

(4)

そうした状況のなかで漸次的ではあるけれども,両 者の独自性よりはむしろ,それらの同質性ないし一体性を強調する立場が優 勢となり,ついには国教樹立禁止条項は,宗教的活動の自由保障に包摂され うる適合的な価値として, とりわけ後者の名のもとに,その原則の緩和が正 当化されるまでに至るのである。

3.

目的効果基準の成立過程とその内容

上述した事柄からも知られるであろうように,最高裁は,国家と宗教との

つながりを所与のものとして受け入れる一方で,なおかつ両者の関係に歯止

めをかける基準,あるいは両者間に許容されうる限度を固定しうるものとし

て,いわゆる目的効果基準を不動の地位に定着させていったとみても大過あ

(7)

政教分離に関する判例研究(1I)

115 

るま

L

。 、

それにしても,その目的効果基準は,その後の合衆国において,シェンプ 判決

(1963T

,アレン判決

(1968j

ペゥォルツ判決

(1970Y7)

をへて,最終的 にはテイルトン(1

97

1)およびレモン判決(1

971)

によって確立されたと理 解されている。これらはいずれも,宗教系学校にたいする直接・間接の財政 的支援(アレン,テイルトン,レモンの諸判決)ならびに公立学校の宗教的 活動(シェンプ判決)という,まさしく教育の領域内における国家と宗教と の関係の合憲性をめぐって提起された事例についての判決である。このよう に,合衆国においては,政教分離にかかわる問題は,教育問題ーとりわけ 宗教系学校への財政援助一に集中してきたといってよい。こうした事実は,

連邦最高裁が,国家と宗教との間に設定されるべき許容限度を,別して教育 の領域に特定してきた証左であり,ここに,目的効果基準の適用されるべき 好箇の領域が開示されている,といわねばならないであろう。

ところで,以下においては,目的効果基準の具体的審査内容について,い ささか瞥見してみたいと考える。

1971

年のレモン判決(教会系の初等・中等学校の世俗的教科担当教師の人 件費と教材の経費とについて,公金から学校に償還することを定めるペンシ ルヴェニア州法の合憲性を争った事案)を契機として完成された,目的効果 基準(レモンテスト)とは, (1)立法が世俗的目的でなされたものでなければ ならない(目的審査),

(2)

法律の主たる,ないし主要な効果は,宗教を促進 も抑制もしないものでなければならない(効果審査),

(3)

法律は,政府と宗 教との過度のかかわりあいを帰結するものであってはならない(過度のかか わり審査),の三段階の審査から構成されている。いうまでもなく,これら 三つの審査をすべてクリアしてはじめて,他ならぬ国家と宗教とのかかわり が合憲,と判断されるわけなのである。

目的審査および効果審査は,すでにはやく,きわめて厳格な分離解釈を展

開させたシェンプ判決によって提示された原理である。そこでは,国の援助

(8)

計画についての立法は,その「目的」ないし「主要な効果」のいずれかが,

宗教の推進または抑止である場合には,たとえ個人の宗教的自由に関する強 制の効果が認められなくても,それだけで優に国教樹立禁止条項違反となる,

との趣旨が鮮明に表示されている。なお当初は最高裁判決において, r 目的

審査」のほうに重点が置かれていたと解されているが,ここでいう目的審査 とは,立法の文言だけではなく,立法事実などの客観的視点から立法の目的 を検討する,というような客観的目的審査を意味する,と理解されている。

他方,効果審査はといえば,これは他ならぬアレン判決において特別に重要 視された審査であって,目的の世俗性が必ずしも効果の世俗性を導くもので はない,という認識から要請されたものである。しかしながら,その具体的 内容については,遺憾ながら,いまだ判事の間でも完全な一致をみていない ようである。たとえばバーガー判事の所説に従えば,原則的にはだれが直接 の受益者であるかによって決まる,としている。それにたいしパウエル判事 の見解では,効果審査の決定的な問題は,宗教団体にたいする援助の形態そ のものにではなく,むしろ援助の実質的効果にこそあると説き,効果が遠因 的・付随的なものであるか,それとも実質的・直結的な因果関係(援助が究 極において特定の宗教団体に利益を与える)がみられるか,が重要な問題た りうるという。加えて彼は,援助の影響ないし効果が,時間的にみて事後に なって現れることとか,援助から生じる効果の特色が間接的なものであるこ となどからして,いうところの効果の「主要」性は否定しえないと明言して いる。つまり彼は,効果が一次的なものなのか,それとも二次的なものなの かということのみではなく,遠因的

Cremote)

かっ付随的Ci

ncidencia

l)な ものにすぎない場合にのみ効果が否定される,との非常に厳格な基準を提示 しているわけなのである。

一方, r 過度のかかわり」審査は,効果審査において,立法の「主要な効

果」を認定する際の格好な物差しとして登場してきたものである。元来これ

は,宗教活動の自由条項についての合憲判断をおこなう際に,適用されてき

(9)

政教分離に関する判例研究

(II)

1 1 7  

た基準である

(22)

が,その後,この審査は,ウォルツ判決ーもつばら宗教的 目的のために用いられる教会の財産を免税する,という内容の法案の合憲性 が争われた事案ーにおいて,決定的に重要な役割を果たし,ついにレモン 判決では一個の独立した審査基準にまで昇格した。たとえばウォルツ判決で は,所有財産を免税するという立法の,宗教的目的性が否定されるとともに,

さらに免税という措置が,課税という措置よりも国家と宗教とのかかわりに おいてはより稀簿であり,それゆえ,免税の最終的結果(=効果)は,政府 と宗教との「過度のかかわり」ではないとの理由から,いささかも憲法に違 反しない旨が主張されている。この判決は,アレン判決同様,国教樹立禁止 条項の「すぐれて常識的かつ実際的な適用」を志向したものであり,エヴァ スン判決にではなく,協調主義的ないし好意的中立を宣明したゾラク判決に,

著しく依存したものと解されている。すなわち,本判決で代表意見をのべた

t

ーカー判事の言葉を借りていえば,宗教条項は,ある程度の国家と宗教と の関与を暗黙の前提としたうえで,その限界を定めようとする目的をもつも のであり,当該条項に照らして許されうる関与の限界を設定するための基準 こそが, r 過度のかかわり」審査というわけである。そして,この「過度の かかわり」審査は,行政的かかわりと政治的なそれとの両面から測られねば ならず,①利益を受ける機関の性格と目的,②援助の性質,③政府と宗教的 権力との間で結果的に生じるであろうところの関係の実質的内容,の諸点に 照らして判断されるべきもの,として把握されている。

ところで,この基準にたいしては,概念それ自体が多分に抽象的であり,

裁判官の事実認識の相違によって,いかなる結論をも導きうる性質を有する がゆえに,合憲判断をおこなう際の適切な基準とはなりえない,という否定 的評価が寄せられている。だが同時にまた,政府の宗教にたいする「包括的,

選別的,継続的監視」や「予防的な接触」を「過度のかかわり

J

審査違反と

みなすことによって,この審査規準は,効果審査をより厳密にするものとし

て機能ししたがって国家と宗教組織との,許容されうる関与の範囲を広げ

(10)

るものではなく,むしろ逆に狭めるものとしての役割を担ってきた,とこれ を評価する対立的な見解も存する。

4.  1970

年代における目的効果基準の適用状況

以上に略述したような経過を辿りつつ確立された,目的効果基準を適用す ることによって,すでに触れたとおり,

1970

年代(約1

0

年間)は,とりわけ 教育分野における宗教への,国の補助金援助の問題にたいして合憲とされう る限界が,明示されることになった。別言すれば,基準の確立に寄与した前 述のシェンプ判決(国家の宗教的活動をめぐる問題)を唯一の例外として,

当該基準の確立から約

10

年間における適用場面は,もっぱら国家の宗教団体 にたいする財政的援助,という面に限定されて用いられてきたのである。

これを具体的にみるならば,まず合憲判決として,テイルトン判決(1

971)

とハント判決

(1973T)

の二つが,他方,違憲判決としては,いずれも

1973

年 に下されたナイキスト判決,スローン判決,レヴィット判決の三つが挙げら れる。さらに,一部合憲・一部違憲が下された判決としては,ミーク判決

(1975T

,レーマー判決

(1976T

,ウォルマン判決

(1977Yl)

の三つを数える ことができる。テイルトン判決,およびそれに依拠したハント判決は両者と もに,州の高等教育機関への補助金助成をめぐる争いであって,レモン判決 で初等・中等学校への助成を違憲と判定したのとは対照的に,ここでは合憲 との判断が提示されている。その論拠は,次の二点にあるといえよう。まず 第一に,宗教系の初等・中等学校での教育においては,宗教的教化が実質的 かっ重要な目的として位置づけられており,したがって宗教が世俗教育の領 域に浸透する可能性が高い(宗教教育と世俗教育との明確な区別が不可能で ある)のにたいし,高等教育機関においては,たとえそれが宗教系の機関で あったとしても,高度の学問の自由が保障されているはずであるばかりか,

そこに属する学生の成熟度が高く,宗教に影響される恐れが少ない。だから

こそ後者においては,政府による強度の監視の必要性が前者の場合より減少

(11)

政教分離に関する判例研究

(II) 119 

し,そうした監視にともなう「政府と宗教のインタングルメント」が少なく なる。さらに第二に,

I

教師は必ずしも宗教的に中立ではない」という論理 前提よりして,教師にたいする州の助成には,それが事実上,宗教教育を助 成することにならないように特別に政府の強い監視による保証が要求される のであり,そのため,ともすれば州政府と教師との間には,過度のかかわり が生じる倶れがあるのにたいし,施設そのものにたいする援助の場合には,

そうした危険性が乏しいというものである。

こうして,助成の対象が(

A)

初等・中等学校であるか,それとも高等教育機 関であるか,によって差異が設けられ,さらに高等教育機関である場合に ふ但)教師であるか施設であるか,によって区別がなされることとなった。

その結果,具体的には,宗教系の初等・中等学校に関しては,わずかに,生 徒への世俗的教科書の貸与(ミーク),教師が関与しないテストの作成・採 点サービスの供与(ウォルマン),および校外でのカウンセリングにたいす る供与(ウォルマン)のみが,合憲とされたにすぎなかったのである。また 高等教育機関にたいする援助としては,非宗教的目的に利用される施設を公 費で建設し,これを貸与したのち譲渡すること(ハント)',および非宗教的

目的にのみ使用しうる助成金の支出(レーマー)が認められている。

それにしても,このように助成の合憲性判断が,その対象である初等・中 等学校と高等教育機関との間で異なってくるという状況の存在に関しては,

両者を区別する最高裁の論理的根拠が十分な論証に基づくものとはいえな いとして,かねてより厳しく批判されていることもまた否定しえない事実 なのである。

また,当該基準の各審査の関係に注目するならば,次の事柄が指摘されう るであろう。

すなわち,ナイキスト判決やスローン判決などに代表されるように(1.、ず

れも,効果審査違反が認定された),たとえ目的審査において目的の世俗性

が認定された場合であっても,たとえば続く効果審査や過度のかかわり審査

(12)

において,宗教を援助・助長するような効果の存在,ないしは国家権力の宗 教への過度の関与などのうち,少なくともいずれか一つの審査規準が認めら れるときには,それだけで,結果的に違憲と判示された諸判決が散見される

という事実である。

要するに,それらの諸判決は,目的効果基準を構成する三審査が,それぞ れ独自の意義と役割とをもち, しかも相互に補完しあうものとして,ある程 度,国家と宗教との厳格分離の実離に寄与する機能を果たしえたことを証明 するものとみてよい。

とはし、うものの,その反面,それぞれの判決における各審査内容の認定結 果が,必ずしも説得力のあるものばかりでないこともまた,徒らに看過され てはならないであろう。 こうした当該基準適用の終局段階における整合性 の欠如は,当初より当該基準それ自体の,憲法判断のための審査基準として の有用性にたいする疑念を人びとに抱かせる要因となっている。

いずれにせよ,

1970

年代に下された諸判決を通して,われわれは,最高裁 による政教分離原則の解釈基準としての,いわゆる「予防」の原理を明確に 読みとることができる。すなわち,最高裁が力説するところによれば,政教 分離原則は,国家と宗教との結びつきによって惹起しうる害悪を未然、に予防 しうる,といった有効な役割を担っているとされるのである。それにしても,

害悪というものは,たとえそれが当初は些細なものであったにせよ,これを 軽視もしくは無視して徒らに放置しておくならば,漸次より大きな害悪へと 増幅していくといった危険な性格を固有する。そうだとするなら,害悪は,

まさにその端緒においてこそ極力阻止されねばならないはずである。だから こそ事実,このような考えはエンゲル,テイルトン両判決において宣明され ているばかりか,さらにはレモン・ナイキスト判決にも忠実に引き継がれて いたのであり,現に,レモン判決では,

I

危険性

JI

可能性」という表現で,

国家と宗教との厳格な分離の必要性が力強く強調されていたのであった。

(13)

政教分離に関する判例研究(11)

121 

(1) 

アメリカ合衆国の政教分離原則および目的効果基準に関しては,すでに以下のような 数多くの研究成果が精力的に発表されている。

山田卓生「信教の自由一一最近のアメリカにおける展開ー」東大社研編『基本的人 権』第

5

0969

年),滝津信彦『国家と宗教の分離』早稲田大学出版部

0985

年),土 屋英雄「アメリカ合衆国の政教分離

JW

国家学会雑誌

j98

巻 ,

11. 12

号,野村寿子「国家 と宗教の関係に関する一考察ーアメリカの判例の分析を中心にして一

JW

比較法研究』

第2

6

号,熊本信夫『アメリカ合衆国における政教分離の原則』北海道大学図書刊行会(1

972

年),小林節「アメリカ憲法における政教分離の法理 J W 法学研究

j62

4

号,高柳信一

「政教分離判例理論の思想」下山・高柳・和田編『アメリカ憲法の現代的展開

2j

( 1

978 

年),井門富二夫編『アメリカの宗教』弘文堂

(992)

,土居靖美「政教分離原則におけ

る世俗概念」姫路法学第1

0

号,松井茂紀『アメリカ憲法入門』有斐閣

0989

年),笹川紀 勝「信教の自由と政教分離原則の関係

J

(国際基督教大学社会科学研究所編),

W

社会科学

ジャーナ

l

レ』第3

0

号など。

(2)  W

解説世界憲法集

j

(三省堂)の訳をみよ。

(3) 

脚註

(1)

に掲げた諸論文を参照されたい。

(4)  Reynolds v.  United States

, 

98 U. S

, 

145 

( 1

879). 

(5) 

この言葉は,ジェファーソンが,ある宗教団体に返礼として古いた手紙(1

802)

のな かに記されたものである。その詳細については ,S

ourse 01 Our 

L i

berties

, 

pp.  55 ‑59. 

(Rey].Cooper eds. rev. ed. 1978)

を参照。

(6) 

分離"概念、の解釈をめぐる多元的な立場については,

e.  g.  cf.  Paul ].  Weber ed

, 

Equal S

φ

'aratio

  , 1 l

Greenwood Press

, 

1990

, 

pp. 2‑5

, 

Arlin M. Adams and charles]. Em‑

merich

, 

A Nation Dedicated to Religious Liberty

, 

Philadelphia

, 

University

, 

Pennsylvania  Press

, 

pp. 43‑73. 

(7)  Everson v.  Board of Education

, 

330 U. S. 

1 .  

(8)  Engel v.  Vitale

, 

370 U. S. 421. 

(9)  Zorach v.  Clauson

, 

343 U. S. 306. 

(10)  Everson v.  Board of Education

, 

op. c

i   , . t

a

t .  

15‑16. 

(11)  Engel v.  Vitale

, 

op. cit.

, 

a

t .  

42

1 .  

(14)

(

1

2 )  

ibid.

, 

at.  430. 

(13)  Everson v.  Board of Education

, 

Op. cit.

, 

Ru

t 1

edge. J

,   .

concurring.  (

1

4 )   学説においては,厳格分離理論,中立理論,調整理論,の三つの立場があるとされる。

この点の詳細については,

Kauper

, 

Pau1 G.

, 

Religion and the constitution. 1964.

笹川・

前掲,

49

頁以下。

(15)  School D

i

strict of Abington Township v.  Schempp

, 

and Murray v.  Curlett

, 

374 U. S.  203. 

(16)  Board of Education v.  Allen

, 

392 U. S. 236. 

Walzv.  Tax Commission of the City of New York

, 

397 U. S.  664.  (18)  Tilton v.  Richardson

, 

403 U. S.  602. 

(19)  Lemon v.  Kurtzman

, 

430 U. S.  602

, 

a

t .  

614. 

~o) 85 Harvard Law Review

, 

3. 

~1) Committee for Public Education v.  Nyquist

, 

413 U. S. 756

, 

at.  798. 

KennethF. Ripple

, 

The Entanglement Test 01 the Reli

ionClause ‑ a Ten Year Assess ment

, 

UCLA Law Review

, 

p.  1201. 

ωD. 

A. Giannella

Lemon and Tilton: The Bitter and the Sweet 01 ChurchState Entangli

men

t "  , 

Surpreme Court Review

, 

197

  , 1

P. B. Kurland

, 

p.  159. 

85Harvard Law Review

, 

3

, 

pp. 172173. 

Huntv.  McNair

, 

413 U. S.  734. 

制前掲仰を参照。

Sloanv.  Lemon

, 

413 U. S.  825. 

。 8 )

Levitt v.  Committee for public Education and Re1igous Liverty

, 

413 U. S.  472. 

Meekv.  Pittenger

, 

421 U. S. 349. 

Roemerv.  Board of public Works of Maryland

, 

426 U. S.  736. 

Wolmanv.  Walter

, 

433 U. S. 229. 

~2) Morgan

Establishment Clause and Ssctarian Schools"

, 

p.  84. 

~3) 100 Harvard Law Review

, 

1606

, 

p

. 1

680. 

~4) 100 Harvard Law Review

, 

1606

, 

pp. 16441650. 

(15)

政教分離に関する判例研究(JI)

123  5.  1980

年以降における目的効果基準の適用状況

さて,

1980

年代に入ると,目的効果規準の適用状況は,にわかに一変する に至る。つまり,宗教に寛大な世論の趨勢や,それに呼応するかのような連 邦最高裁判事の構成における保守化の顕在化にともない,国教樹立禁止条項 そのものの解釈および目的効果基準の適用に,徐々にではあれ変化がもたら されるわけである。結論から先にいえば,最高裁は国教樹立条項に対崎する 姿勢として,漸次にこれまでの分離主義から協調主義へと,その立場を鋭角 的に移動せしめ

(1)

その結果,ついに目的効果基準もまた,適用場面・内容の 双方に亘って,従前にはまったく知られなかった変容を受けることとなった のである。

まず,当該基準が適用された場面についていえば,その具体的な変容の態 様は,およそ,次のとおりである。

たとえば,リーガン判決

(1980Y)

とかミュラー判決

(1983Y)

あるいはケン ドリック判決(1

985)

などは,いずれも宗教系学校にたいする国家の財政援 助をめぐる事案に関して下されたものであるが,そこでの目的効果基準の適 用自体は,従来の流れにそったものとして一応は首肯できると思われる。し かしながら,ストーン判決(1

980)

,ウィドマ判決(1

98

1),リンチ判決

(1984)

,)ウォレス判決

(1985)

,)アギラード判決

(1987))

などの場合には,

公共の場所における宗教団体の宗教活動や,国家による宗教的慣行の実行と いった,まさに国家が宗教に直接かかわる行為の合憲性が問われる係争点に ついて,目的効果基準が適用されているのである。

要するに,これらの状況は, ( 1 ) 国家が宗教に間接的にかかわる行為が関わ

れる場面と, ( r r ) 国家が自らおこなう宗教的行為が問われる場面という,質的

に異なる二つの場面の双方に,当該基準の適用が拡大してきている新たな事

態の発生を如実に示すものなのである。ところが最高裁自身は,このような

適用場面の拡大現象について,なんらその妥当性を示す積極的な必要性を感

じていないように思われる。こうした最高裁とは対照的に,他ならぬ目的効

(16)

果基準が,宗教的自立性の問題を包摂しえないことを理由として,これを公 共の場所における宗教団体の宗教活動が問題となる場面へ適用させることに 疑問を呈する学界からの異論がある点について,留意されてよいであろう。

なお,国家と宗教とをめぐるすべての問題に,目的効果基準の適用をおこ なうとし、った慣行が,最高裁の姿勢としてほぼ定着してきたかのようにみえ る趨勢が支配的ななかで,ただひとつ,マーシュ判決(1

983)

‑ 牧 師 の 議会での祈祷にたいする公費負担,および祈祷集の公費出版に関連するー のみが例外的に,目的効果基準を用いることなく合憲判断を導いたものとし て特異な地位を占めている。すなわち,この判決は,最高裁が最も緩やかな 分離解釈をとったと解されるゾラク判決に依拠し,アメリカ合衆国民は宗教 的国民であって(歴史的事実),国教樹立禁止条項が宗教にたいする敵対的 態度を志向したものではないこと(立法者意思の検討), しかも牧師の祈祷 が,裁判所でも国会でも長期に亘っておこなわれてきた歴史的慣行であるこ

と,などの諸点を強調することによって,国家の宗教的活動に合憲判断(

3

)を表明したのであった。

この判決での, 目的効果基準の不適用という点に関しては,それをあくま で例外的措置としてとらえる見解がある一方で,それとは逆に最高裁が,当 該基準を適用しなかったことについての正当な弁明をおこなっていない点を 批判する見方もある。そうして事実,当の判決の反対意見においては,もし も最高裁が目的効果基準を適用したならば,目的,効果,過度のかかわりな どの三つの審査領域すべてにおいて,それらは例外なく違憲となるはずの事 案であった,という興味深い指摘がなされているのである。さらにまた,こ の判決にたいしては,

(1)

その先例としてゾラク判決を引用した点,

(2)

今後,

同種の問題が浮上してきた場合の下級裁判所の対処の仕方に混乱をもたらす

であろう点などについても,厳しい見方が提示されている。要するに,こう

した最高裁とは対立的な立場に立つ評価の根底には,連邦最高裁が,従前の

国教樹立禁止条項解釈から大幅に離れていく可能性を示したことにたいする

(17)

政教分離に関する判例研究(1I)

125 

人びとの拭いがたい危倶の念を読みとることができるように思われる。

実際,このマーシュ判決を有力な転機として,目的効果基準の適用のあり かた(それぞれの審査内容)においても,大きな変容がみられるようになっ たという厳然たる事実に想到するならば,当該判決のもつ意義は予想外に大 きいといわねばならないであろう。

次に,当該基準を構成する目的,効果,過度のかかわりの,各審査におけ る認定方法の変容に目を転じることにしたい。

当該基準の新しい用法に決定的な先鞭をつけたのは,

1983

年に下されたミ ュラー判決(

5

4

)である。そのわずか一年前には,最高裁は分離主義の 立場から目的効果基準を適用し,宗教団体が政府の政策決定過程から排除さ れねばならない旨の判決を下していたことを想起するならば,隔世の感があ るといっても過言ではないだろう。

ところで,そのミュラー判決では,これまで違憲と認定されてきた宗教系 学校へ通う生徒らの親にたいする財政的援助が,なんら国教樹立禁止条項に 違反しないとの陛目すべき帰結が導カ亙れている。その理由として挙げられる のは,第一に,当該事例は授業料等の税金控除をめぐる問題であって,かつ て違憲とされた授業料の償還(ナイキスト判決)とは異なること,第二に,

法律の内容は中立的で,目的の宗教性が認められないこと(目的審査),第 三に,法律の直接の効果は,生徒の親に向けられたものであって,しかも宗 教系のみならず非宗教系の生徒の親にもまた平等に税金免除がなされること になり,したがってここにはなんら問題点は存在しないこと(効果審査), 

というものであった。そこでの各審査における認定は,いずれも従前のそれ らに比べて厳格性に欠けているとみられるが,なかでも効果審査の認定は,

これまでの認定一たとえ生徒や親にたいする援助であっても,それが最終 的には学校を援助することになり,宗教を促進する行為たりうるとみなす

ーーから大きく後退したものであったとみてよいであろう。

現に本判決の多数意見を記したレンキスト判事は,

I

目的効果基準は,国

(18)

教樹立禁止条項にかかわる問題を検討する際の有益な指標などではなく,単 なる概括的指針

(generalguide)

にすぎないものとみなされるべきであ る

17)

という,かつては捨てて顧みられなかった旧い見解に依拠して,当該基 準の有用性ないし重要性の稀薄化を試みている。

こうして,当該基準は, (1)主観審査に基づく目的認定,

(2)

主要な効果とは,

政府が直接に宗教を援助した場合にのみ認定されるべきである,という効果 認定の射程の大幅な縮小,

(3)

過度のかかわりを「不要な審査」として退ける,

といったような用い方をされたのであった。

ミュラー判決の,こうした目的効果基準の適用(審査方法)が,従前の厳 格なそれから遥かに隔絶したものとして,学界からの強い批判に晒されたの も,決して無理からぬことといえるのではあるまいか。そこでまず目的審査 に関しては,法律の文言どおりに目的を解し,法律の真の意図の探求にまで 踏みこまない(立法事実その他の,客観的観点からの考察を不問に附す)と いう,主観審査それ自体に本来的に内在する不十分性が指摘される必要があ ると同時に,さらには主観審査を採用することによって,立法府の宗教にた いする好意的措置を安易に追認してしまった最高裁の態度が,尖鋭に非難さ れねばならないだろう。また,効果審査については,新たな認定方法に則っ た,許されない効果としての 直接の援助"は,すでに目的審査(たとえ主 観審査であるとしても)の段階で,当然に違憲とされるは字であり,したが って,新効果審査は,旧効果審査のもつ独自の意義を抹消してしまったに等 しいわけである。さらに過度のかかわり審査についても,従来それに期待さ れてきた,国教樹立禁止条項侵害にたいする「予防」としての意義を無にし てしまった点が,とりわけで論難対象となるであろう。

ともあれ,ミュラー判決の用いた目的効果基準は,従前のものとは一線を 画した,むしろ新基準ともいうべき未曾有の基準として,爾後の判決への影 響が大いに注目されることとなったのである。

そうして事実,はやくもその翌年,今度は国家の宗教的慣行が問題とされ

(19)

政教分離に関する判例研究

(II) 127 

る場面

((II)

場面)で, 目的効果基準が強力に再構成されることになる。その 画期的な判決とは,市がクリスマスにクリスマスツリーやサンタクロースな どの飾りと一緒に,馬槽の幼いキリスト像を飾ることは政教分離原則に違反 しない,と論結したリンチ判決そのものであった。前年の1

983

年に,リンチ 判決と同じ場面での合憲性が関われたマーシュ判決

(6

3

)で,最高裁が,

いささかも当該基準を行使することなしに,議会における宣誓と政治とが両 立しうる点を強調していたことは,先にも関説したとおりである。この判決 で反対意見を述べたブレナン判事は, 独特の歴史

(uniquehistory)"

という 観念こそが,多数意見をして例外的な国教樹立禁止条項解釈に踏み込ませた (本来なら断じて許されない国家と宗教との結びつきを容認した), と分析 している。また彼は,多数意見が目的効果基準を適用しなかったことを批判 するとともに,それが合憲判断の論拠として用いた 歴史的慣行"という観 念を,絶対視することの危険性についても,警告を発している。つまり彼は,

「憲法は不変の文書ではない」こと,したがって,長期間に亘って尊重され てきた政府の慣行は,不可逆的に進展してし、く社会規範に照らした場合,憲 法の「広い目的」と矛盾するものとみなされてよいこと,を示唆したのであ

(22) 

f

こ 。

さて,リンチ判決( 5対 4)では,マーシュ判決同様, 歴史的伝統"と

いう観念が,判決全体を貫くライトモチーフになっている。最高裁は,クリ

スマスシーズンにキリスト生誕像を展示するという,宗教的伝統を承認する

(acknowledge)

政府の行為を, 歴史的伝統"という観念を根拠に世俗的行

為として分類し,その結果,目的効果基準の個々の審査の要求を徹底的に弱

体化せしめた

(23)

すなわち,キリスト生誕像は,クリスマスの歴史的起源を示

す単なるシンボルでしかなく,他の事物(クリスマスツリー・サンタクロー

スなど)と一緒にそれを飾る行為は,あくまでも世俗的目的から出たものと

認定できること,キリスト生誕像は,いわば受動的シンボルであって,宗教

への支援でもなければ,過度のかかわりでもないという論理よりして,国教

(20)

樹立禁止条項に違反しないものと判断されている。他方,反対意見は,キリ スト生誕像とは宗教的事物に他ならない,という認識から出発して,目的効 果基準を厳格に適用し,これを目的,効果,過度のかかわり,のいずれの審 査に照らしても違反するものと判示している。このように,本判決において は,キリスト生誕像の固有する性質をめぐっての相違する見解こそが,同時 に目的効果基準の適用のあり方をも左右したという経緯が,ものの見事に開 示されているといえるであろう。

なお,オコーナー判事は,当の判決において,とりわけ効果審査の修正を 試みている。すなわち,彼女によれば,効果審査においては,国家が宗教を 促進するかどうかではなく,むしろ国家がそれを支持

(endorse)

するかど うかが肝要であり,その判断は 客観的観測者"にゆだねられるべきなので ある

(24)

しかしながら,こうした彼女の主張に従うとしても, 客観的観測者"

という観念がもっ漠然性もさることながら,さらには,その 客観的観測者"

による国教樹立禁止条項にたいする理解の差によって,宗教への支持か否か の認定がまったく異なってしまうのではないか,といった疑問が残る。もし も,そうであるならば,結果的には,なんら従来の効果審査の欠点を克服し たことにはならないというべきではなかろうか。

いずれにしても,上述のミュラー・リンチ両判決は,目的効果基準が適用

された場面,あるいはその手法における違いこそあれ,ともに三つの審査そ

れぞれがもっ特有の認定基準を弱め,なかでも,効果および過度のかかわり

の二審査を低く評価することによって,ついには,それらが担ってきた独自

の機能や意義をも消滅させてしまったところに,共通点が存する,とみなけ

ればならない。換言すれば,この二判決によって目的効果基準は解体・再構

成され,かくて当該基準は実質的に,目的審査のみに極端に収数されること

になったわけである。それだけではない。そうした目的審査もまた,それが

法律の文言を判断の基礎とする主観審査に依るかぎり,もはや当初のそれと

はまったく性質を異にするものとして取り扱われねばならないであろう。

参照

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