外国語学資料に見る日本語の発話時現在の時間副詞 イマについて : インブリーの日本語文法とバーテ ルスの英仏独日会話集を出発点として
著者 城岡 啓二
雑誌名 人文論集
巻 70
号 2
ページ 29‑53
発行年 2020‑01‑31
出版者 静岡大学人文社会科学部
URL http://doi.org/10.14945/00027096
外国語学資料に見る
日本語の発話時現在の時間副詞イマについて
―インブリーの日本語文法とバーテルスの英仏独日会話集を出発点として―
城 岡 啓 二
01.はじめに
本稿は日本語のイマについて外国語と比較して考えている。おそらく人間の 言語に共通する基本的な意味カテゴリーに属する発話時を意味する時間副詞の イマであるが、外国語と比較して分かることは、使い方が完全に一致している どころか、かなり異なるということである。本稿では、日本人による翻訳資料 や辞典と、外国人による文法や辞典の両方を外国語学資料と呼び、明治期以降 の英仏独語の外国語学資料をもとに日本語の時間副詞のイマについて考え、現 代まで続く意味用法について観察と考察を加える。日本語と外国語の本格的な 交流が一気に始まり、来日外国人による日本語の外からの観察や日本人による 外国語学習がそれまでとは比べ物にならない勢いで始まったのは明治期である。
外国語学習は、日本の近代化の原動力となり、開国で世界に目を向けさせられ た日本人は、オランダ語の学習をやめ、外国語学習の対象は英仏独語に移って いる。東京大学の前身の大学南校で最初に開講されたのは、英語のクラスとフ ランス語のクラスだった。その後、教育言語にドイツ語も加えられている。大 学東校はドイツ医学の採用後に英語からドイツ語へと転換した1。過去の日本の 大学の語学教育の中心が英仏独語だったのは、この頃に起源があったわけであ る。英仏独語と日本語の密な交流は明治期以降おびただしい外国語学資料を生
… 1…大学東校の後身は東京大学医学部であるが、その前に大学東校は東京医学校と名前を変えてい る。そこで1874年から1881年までドイツ語やラテン語を教えていたドイツ人がルードルフ・ラン ゲ(Rudolf…Lange)であり、帰国後にベルリン大学の東洋語研究所の教授になっている。日本語 の口語をローマ字表記した精密な外国人向け日本語文法教本(LANGE…1890)を出版し、その後 も、1906年に2版、1922年に3版を出している。ランゲの教本を英訳するだけでなく、独自に内 容をふくらませたのがNOSS…(1907)である。ランゲの門下からはヘルマン・プラウト(Hermann…
Plaut)が出ているが、プラウトはランゲ同様に口語日本語の詳細な文法教本を作成したが(PLAUT…
1907)、続けて、英訳、仏訳、ロシア語訳も作成されており、明治期のドイツ人日本学者は、日 本語教本以外にとくに見るべきものがなく、英米人日本学者ほど知られてはいないが、外国人の 日本語学習に資する内容では大いに貢献している。
み出している。本稿で詳しく調査するバーテルスの英仏独会話集が英語とフラ ンス語とドイツ語の会話集だったことは、日本人にとってそのような会話集が 好都合だったからであろう。大正期に金刺芳流堂から出版された実用会話書が 英日と仏日と独日で出版されたのも明治期以降の外国語学習の中心が英語とフ ランス語とドイツ語だったことを反映しているだろう。本稿では、明治・大正 期の英語とフランス語とドイツ語の外国語学資料を利用し、イマの意味用法の 特徴をこれらの外国語と比較しながら見ていくが、発話時現在の時間副詞の意 味や用法は言語間で完全に一致しているわけではなく、英仏独語の間にも若干 の違いがあることが分かるが、この3つの欧米語と日本語との間にはさらに大 きな違いがあるということも確認できる。そして、現代日本語のイマについて 考えてみると、明治・大正期の外国語学資料で確認できるイマの特徴が基本的 に現在まで引き継がれていることが分かるし、現代の対訳資料を利用すると、
以前には確認できなかった細かなイマの特徴も確認できるようである。
02.助詞が付かない形式が標準の日本語の時間副詞とイマ
『外国人のための基本語用例辞典』(第2版、文化庁、1975)では、時間副詞 のイマについて「『今』だけの形で副詞的用法で使われることが多い」と書いて いる。実は、単独で使われ、独立形が標準と言え、助詞を付けるとむしろ特殊 な意味を持つのは、名詞派生の時間副詞一般の特徴である。「今日」「明日」など も助詞の無い形式が時間副詞としての標準形である。NOSS…(1903:338)2は日 本語の時間副詞が普通助詞をとらないことを述べ(words…denoting…time…when…
used…as…adverbs…commonly…take…no…particles)、対比や強調と関連してワを取る と説明している(but…when…a…contrast…is…implied,…or…when…the…corresponding…adverb…
in…the…English…sentence…takes…the…first…or…emphatic…position,…wa…is…requied )。 ま た、強調された時間副詞がニもとることがあるとして、イマニ、マエニ、ノチ ニ、アサニ、バンニをあげている。強調という解釈の妥当性は疑わしいが、無 助詞形が基本の時間副詞が助詞のニは取りうることはその通りであろう。また、
デワを取ってイマデワのようになるのは例外的と述べている。
ノッスの指摘に従えば、イマとイマワは用法が別であることになるし、イマ ニやイマデワもイマと同じ用法ではないと考えられる。本稿の考え方も同様で、
イマに助詞などの付いた形式のものを除外して助詞なしのイマと英語、フラン
… 2…ノッスは日本で活動している宣教師で、LANGE…(1890)をそのまま翻訳したものではなく、こ の部分もランゲに追随するような書き方にはなっていない。
ス語、ドイツ語の時間副詞の使い方を考察する。独立形のイマの意味や用法が 英語やフランス語やドイツ語の話者現在の時間副詞とはかなり違っていること は、明治・大正期の外国語学資料にも書き留められているので、まず、インブ リーによる文法書でこれを確認しておこう。
03.インブリーの日本語文法(1880)を出発点として
明治期の来日外国人の書いた日本語文法で副詞についての記述がもっとも詳 しいのが来日アメリカ人宣教師がまとめたインブリー(1880)である。インブ リーは…now…に対応する日本語について5つに分類して説明している。
①… At…present―ima, tadaima;…(less…definite)…konogoro, kono setsu, chikagoro.
②… Now…opposed…to…formerly―ima de wa
③… By…this…time,…already,…now…that,…things…being…as…they…are,…considering…the…
circumstances ― mō…(often…expressed…in…Japanese…when…only…understood…in…
English)
④… Next―kore kara3
⑤… Than…before―saki yori4.
この中で…ima…de…wa…ではなく、独立形の…ima…が出てくるのは①だけであり、ima…
には現在に限定した用法しかないことを理解していたことが分かる。②なら、
過去との対比の現在で、日本語ではイマデワが対応しているとしている。当時
… 3…近接未来用法がイマにならず、コレカラになることを重視した記述は、ABRAHAM…&…YAMAMOTO…
(1950)にある。IMBRIE…(1880)と比べるとかなり現代に近いアメリカで出版された日本語教材 だが、巻末の英日語彙集の部で…now…に対応する日本語として…ima…と…ima…kara…だけをあげてい る。イマカラだけをあげて、コレカラをあげていないのは欠陥だと思うが、未来用法の発話時現 在の時間副詞がイマではなく、イマカラであることに注目している点が評価できる。巻末には日 英語彙集もあるが、ima…kara…は、now…(referring…to…the…future)…と述べ、未来を指す…now…が…ima…
kara…と対応しているという観察を明記している。教材中でもこの観察に合致する日英語の例を 載せている。【Lesson…11】…Sā,…ima…kara…ryōriya…e…ikimashō.…Come…now,…letʼs…go…to…the…restaurant…right…
now.…【Lesson…14】…Dewa,…ima…kara…issho…ni…yūbin-kyokŭ…made…yukimashō…ka?…Well,…shall…we…go…to…
the…post-office…together…now?…Sā,…ima…kara…denshin-kyokŭ…e…itte,…dempō…(w)o…uchimashitara,…kyō…no…
yōji…wa…sunde…shimaimasŭ.…Well,…now…Iʼm…going…to…the…telegraph-office…and…when…I…send…a…telegram,…
todayʼs…business…will…be…completely…finished.
… 4…サキヨリの…now…の用例としてインブリーは…The…tideʼs…running…out…more…rapidly…now…(Shio…no…hiki- kagen…ga…saki…yori…hayaku…natta.)…をあげている。現代ならマエヨリの方がよさそうだが、サキを サッキにすれば、俗語になるが、使えるだろう。LANGE…(1906:481)に…arigatō,…kono…setsʼ…wa…
taihen…yoku…narimashʼta.…(Danke,…es…geht…mir…jetzt…viel…besser.)があるが、インブリーの…now…の サキヨリと同じ用法がドイツ語にあるということだろう。現代日本語では、イマは使えないが、
「この節は」の箇所は「この頃は」や「最近は」が使えそうだが、「以前より」も使えるところだ ろう。
イマワがそれほど使われていなかったのか不明だが、現代なら、イマデワ以外 にイマワがこの用法になるだろう。
③は過去がらみの現在の状況であるが、日本語ではモーが対応するとしてい る。用例も12例あげており、英語では…now…が使われる例が多いが、now…があっ てもなくてもよいとしている例文も4つあげている。日本語の対応はすべてモー になっている。インブリーがあげている例文とほぼ同一のものが大正時代の金 刺芳流堂の1915年刊行の『日英実用会話』『日仏実用会話』『日独実用会話』の3 冊(04のⅡで後述)にも出てくるので、英仏独語と日本語の対応を注記する。
この3冊の英仏独語や日本語について述べるときには、便宜的に金刺芳流堂
(1915)とまとめて表記することにする。
①… Most…of…them…are…probably…sold…now.…⇔…Mō…taitei…urete…shimaimashitarō.
②… Your…house…must…be…about…done…now.…⇔…O…uchi…no…fushin…wa…mō…taitei…
dekimashitarō.
③… Itʼs…too…late…now.…⇔…Mō…ma…ni…awanai5.
④… How…beautiful…that…island…is,…now…that…the…grass…is…green.…⇔…Mō…kusa…ga…aoao…
to…shite…ano…shima…no…kirei…na…koto6.
⑤… It…would…be…useless…to…send…for…the…doctor…now.…⇔…Mō…isha…wo…yobi…ni…yatte…
mo…muda…da7.
⑥… Now…I…think…you…had…better…apologize.…⇔…Mō…wabi…wo…nasaru…ga…yokarō.
⑦… They…ought…to…be…here…directly…now.…⇔…Mō…jiki…ni…kisō…na…mono…da8.
⑧… They…must…surrender…directly…now.…⇔…Mō…jiki…ni…kōsan…suru…darō9.
… 5…金刺芳流堂(1915)に「もう間に合はない」があるが、発話時現在の標準的時間副詞が使えない のは日本語だけで、英語は…now、フランス語は…maintenant、ドイツ語は…jetzt…を対応させてい る。
… 6…金刺芳流堂(1915)に「もう草が青々としてあの島の奇麗なこと」があるが、発話時現在の標準 的時間副詞が使えないのは日本語だけで、英語は…now、フランス語は…maintenant、ドイツ語は…
jetzt…を対応させている。もっとも、英語とフランス語では単純な時間副詞の使用ではなく、英 語では…now…that、フランスでは…maintenant…que…を使用している。
… 7…金刺芳流堂(1915)に「もう医者を呼びにやつても駄目だ」があるが、日本語はイマが使われて いないが、英語は…now、ドイツ語は…jetzt…を対応させている。フランス語は標準的な…maintenant…
ではなく、à…présent…を対応させている。
… 8…金刺芳流堂(1915)に「もう直きに来さうなものだ」があるが、発話時現在の標準的時間副詞が 使えないのは日本語だけで、英語は…now、フランス語は…maintenant、ドイツ語は…jetzt…を対応さ せている。
… 9…金刺芳流堂(1915)の「もう直きに降参するだらう」では、発話時現在の標準的時間副詞が使え ないのは日本語だけで、英語は…now、フランス語は…maintenant、ドイツ語は…jetzt…を対応させて いる。
⑨… Have…nʼt…we…waited…long…enough…(now)?…⇔…Mō…jūbun…matta…de…wa…gozaimasenu…
ka10.
⑩… You…have…boiled…it…enough…(now).…⇔…Mō…jūbun…nita11.
⑪… Tea…will…be…ready…directly…(now).…⇔…Mō…jiki…ni…cha…ga…dekimasu.
⑫… That…will…do…(now).…⇔…Mō…sore…de…yoroshii12.
なぜこれらの場合にイマが使いにくかったのか、インブリーは述べていないが、
現代日本語に至るまでイマは使いにくい文脈だと思われる。共通している特徴 は、発話時までの過去の状況を踏まえたものであってもなくても(⑥や⑦のよ うに過去の状況とは無関係なものもある)、文で述べている発話時にあてはまる 内容が発話時限定としては述べていない点である。述べられていることは発話 時だけでなく、その後の未来に開かれている内容になっている。①や⑥や⑧で 現在について推量した内容が明日や来週には当てはまらないというわけではな いだろう。「もうたいてい売れてしまいましたろう」(①)では、現代の言い方に 直すと「たいてい売れてしまったでしょう」という推定内容になるが、発話時 現在にのみあてはまる内容ではなく、発話時以降の未来にもあてはまる内容で、
このような場合に、「イマたいてい売れてしまったでしょう」にはしにくいとい うことだろう。大正時代に編纂された金刺芳流堂の日英、日仏、日独の実用会 話書(後述)に「もう大抵売れましたらう」があるが、英語が…now、ドイツ語 が…jetzt、フランス語は…à…présent…を対応させている。日本語でモーになるのは、
発話時現在に限定しない状況を記述するには日本語のイマは適当ではないから だ。モーならこのような場合に使えるわけだが、モーは…now…と同じような発話 時を意味する時間副詞ではない。モーの使用条件である限度超過という意味13 を満たせば、発話時以降に有効な状況を記述するときにも使える副詞だという
… 10…金刺芳流堂(1915)の「もう充分待つたじやないか」では、発話時現在の標準的時間副詞が使え
ないのは日本語だけで、英語が…now、フランス語が…maintenant、ドイツ語が…jetzt…となってい る。なお、英文の対応は、havenʼt…と表記を変え、now…があってもなくてもよいとはせずに、now…
を加えた文を出している。
… 11…金刺芳流堂(1915)の「もう十分煮た」では、日本語は発話時現在の標準的時間副詞が使えてい
ないが、英仏独語も標準的時間副詞が共通して使えるわけではない場合のようである。フランス 語は…à…présent、ドイツ語は…nun、英語は…now…(なお、英文は…now…あってもなくてもよいとはせ ずに、now…を入れた文をあげている)としている。
… 12…金刺芳流堂(1915)に「もうそれで宜しい」があるが、発話時現在の標準的時間副詞が使えない
のは日本語だけで、英語は…now…(なお、英文は…now…あってもなくてもよいとはせずに、now…を 入れた文をあげている)、フランス語は…maintenant、ドイツ語は…jetzt…を対応させている。
… 13…森田(1977:438)は「事柄が、話し手の意識中の基準点を超えている場合に用いる。基準点を
超えていない状態が『まだ』である」と述べている。
点から選ばれたものと考えられる。なお、日本語のモーは、歴史的にはイマ
(ハ)から派生したものと考えられるようで、加波(2003:91)は「雁音者今者 来鳴沼(雁がねはもう来て鳴いた)」(万葉集2183)や「今者許藝乞菜(さあ漕 ぎ出そうよ)」(万葉集8)の例をあげているが、この「今者」がモーに変化し たとされている。現代口語訳に見られるモーやサー14などは、英仏独語の発話 時現在の時間副詞を訳す際にも出てくる語であることから、かつての日本語は 英仏独語の時間副詞と似たような意味用法を持っていたと判断できる。現代日 本語に限ってみると、モーとイマの類似性や違いは、触れている先行研究は見 つけられなかったし、類義語辞典でもモーとイマは類(義)語として扱われて いない。次の表1は類義語辞典などでイマとモーの類義語や類語として説明さ れている語を集めたものである。徳川・宮島編(1972)と小学館辞典編集部編
(1994)と松井(2008)を調査した。
モーとイマを意味的な仲間の語とみなしている辞典はなかった。現代の日本人 の語感では意味的に関係が強くないと見なされているイマとモーであるが、英 仏独語の標準的な発話時現在の時間副詞が果たしている役割の一部をモーが担っ ているということは、やはり、イマとモーは、同一語源というだけでなく、日 本人には分かりにくくなってしまっているようであるが、現代日本語の意味用 法においても関連が切れてしまったわけではないということだろう。外国語と の対照研究が日本語について貢献できるのは特にこういう場合なのかもしれな い。
発話時にあてはまっても、発話時以降の未来に開かれている内容には…now…は 使えるが、イマは使えないことを確認した。インブリーの5分類の④について 見ておくと、短く…next…―…kore…kara…とまとめている…now…の未来用法であるが、
[表1] イマとモーの類義語や類語と考えられている語
(表記はカタカナ表記に統一した)
類義語辞典
1972 類語例解辞典
1994 類語使い分け辞典 2008 イマ ゲンザイ、モッカ、
ゲンコン、トーコン タダイマ、ゲンザイ ゲンザイ、タダイマ モー ハヤ、モハヤ、
スデニ モハヤ、スデニ、
トックニ スデニ、トックニ、
モハヤ
… 14…インブリーの…now…の5分類には含められていないが、命令・依頼文など近接未来用法の…now…を
日本語に訳そうとすると、イマは使えず、サーが使えることは多い。
それほど注目していなかったのか、用例は1例だけあげている。
(ア)… They…say…Mr.…Matsuiʼs…going…to…read…a…poem…now.
(イ)… Kore…kara…Matsui…san…wa…uta…wo…o…yomi…nasaru…sō…desu.
発話時の直後というよりは少し後に開始だと思われるが、now…にコレカラを対 応させている。当時もイマカラもあったことは、04のバーテルス会話集の日本 語訳で確認できるが、発話時の直後としての意味合いがより強くなればイマカ ラを使うことになるだろう。もっとも、発話時現在の直後が開始であったり、
時間のかからないことについて述べる場合は、少なくとも現代では、コレカラ やイマカラが使えなくなるが、これについては05で後述する。
なお、日本語のイマには未来用法と言えるものが基本的にないようであるが、
直後の未来なら「イマ行キマス」のように使える。しかし、この言い方は、英 語の…now…にはないようである。発話時にあてはまり、発話時以降の未来にも開 かれている内容にはイマが使えないということは、誘い掛けの文や命令・依頼 文でイマが使いにくいことの説明にもなるだろう。イマを使うと、発話時以降 の未来は除外してしまうので、イマスグというニュアンスになってしまい、「モー 帰ローヨ」や「ソロソロ帰ローカ」とは言えても、「イマ帰ローヨ」や「イマ帰 ローカ」は言いにくくなるだろう。誘い掛けの文や命令・依頼文でイマが使い にくくても、自分の直後未来の行動については、イマが使え、「イマ行キマス」
なら、発話時の直後に迅速に行動することを伝えるためには適当な日本語の言 い方になる。国際交流基金が編集した英和辞典と独和辞典から「今行きます」
の英訳と独訳を見ておこう。
①… 今行きますからちょっと待って下さい。
②… I…will…come…right…away…so…please…wait…for…me.…(基礎日本語学習辞典15)
③… Warten…Sie…bitte…einen…Augenblick.…Ich…komme…sofort.…(Langenscheidts…
Lernwörterbuch…Japanisch16)
日本語ではイマが使われているが、英訳も独訳も標準的な話者現在の時間副詞 が対応していない。right…away…と…sofort…で、英語とドイツ語は、スグニのよう な短時間の経過後を意味する時間副詞が使われている。「イマ行く」と日本語で 言え、英独語では発話時現在の時間副詞が対応しないことを確認した。しかし、
… 15…国際交流基金、凡人社、1986。
… 16…The…Japan…Foundation…Japanese…Language…Institute,…Langenscheidt,…1993.
行先が遠くなったり、滞在期間が長くなるとイマでは使えなくなるだろう17。
(ア)… ?…イマ静岡に行く(たとえば他県にいて)
(イ)… *…イマ2週間静岡に行く
このような場合には、やはり、未来用法として使いやすいのはコレカラやイマ カラである。したがって、イマが使えるのは直後未来に限られていると言える。
しかし、直後の未来であっても聞き手側の行動を聞くような場合は、下の例 のように、日英仏独4か国語で発話時現在の標準的な時間副詞が使えるようで ある。
【金刺芳流堂:実業会話 15.税関】
日… いま何卒私の荷物を御調べ下さいませんか
英… Would…you…be…so…good…as…to…examine…my…luggage…now?
仏… Voudriez-vous…être…assez…bon…pour…examiner…mon…bagage…maintenant?
独… Möchten…Sie,…bitte,…mein…Gepäck…jetzt…untersuchen?
直後未来の用法で日本語にあって、英仏独語にないのは、話者が主語になる ような文だけではない。話者が主語にならない文でも話者の意思を通すような 場合で、「床屋へ行つて今剃りに来るやうに云うて下さい」の英仏独訳では発話 時現在の時間副詞が使われていないからだ。したがって、不明な点は残るが、
話者自身の行動や話者の意志を働かせようとする場合は英仏独語では話者現在 の時間副詞が使われず、日本語では使われるということにまとめておけそうで ある。
【金刺芳流堂:6.起床】
日… 床屋へ行つて今剃りに来るやうに云うて下さい 英… Go…and…tell…the…hair-dresser…to…come…and…shave…directly.
仏… Allez…et…dites…au…barbier…de…venir…me…raser…de…suite.
独… Geh…zum…Barbier…und…sagʼ…ihm,…er…soll…mich…gleich…rasieren!
もっとも直後未来ではなく、近接未来の用法では、英仏独語は、発話時現在 の時間副詞が命令依頼文などにも使え、こちらは日本語のイマにはない用法で ある。
… 17…本稿で現代日本語の用例に文法性判断を加えているところは、筆者の直観以外に、静岡大学人文
社会科学部言語文化学科の学生の意見を聞いてまとめている。
04. 明治期のバーテルス会話集と大正期の金刺芳流堂の実用会話と発話時現在 の時間副詞
明治期と大正期の英仏独日会話集を資料として日本語の発話時現在の時間副 詞イマについて調査と考察を行う。
Ⅰ.バーテルスの英仏独語会話集と多数の日本語訳
バーテルスの3か国語会話集18は、明治5年以降19、明治後期まで多数の翻訳 が日本で出版されていて、英語とフランス語とドイツ語の異同について確認で きるだけでなく、日本語の翻訳間の違いや傾向をもとに考察することも可能で ある。著作権が確立した現代では、同一の著作から同時代に多くの翻訳が作ら れるということはほとんどないが、バーテルスの英仏独会話集からは、本稿で 調査したものだけでも10種程度の翻訳が短期間に作られている。これらの翻訳 本は、Part…Ⅷ…まである原著の…Part…Ⅱ…Familiar…Phrases…(日常表現を集めたもの)
だけ、あるいは…Part…Ⅱ…Familiar…Phrases…と…Part…Ⅲ…Dialogs…(場面別に会話文を 集めたもの)の両方を翻訳したものであり、仏英独日会話集にしたり、一部を
… 18…初版が1850年にロンドンで出版された…THE…MODERN…LINGUIST,…OR…CONVERSATION…IN…
ENGLISH,…FRENCH,…AND…GERMAN…は、1冊で英語とフランス語とドイツ語の3か国語の学 習に使え、日本語訳を追加することで、英和会話集、仏和会話集、独和会話集を出版することも 可能で、明治中期を中心に重宝された。著者は…Albert…Bartels…であるが、1950年の初版はロンド ンの…David…Nutt…社で出版されているが、著者について詳しい記載はない。1866年の第7版の英 独会話集には、表紙に…PH.…DR.…(哲学博士)の肩書きが追加されており、著者が博士号を取得し たことが分かる。また、第7版の序文には、Caius…House,…CAMBRIDGE…と書いていて、ケンブ リッジ市のキーズハウスで序文をしたためたことが分かる。ケンブリッジ市のキーズハウスを…
Capuring…Cambridge…という歴史情報サイト(https://capturingcambridge.org/)で検索すると、
Caius…House…Boarding…School…という寄宿学校のことであることが分かった。情報サイトでは、寄 宿学校に関連する過去の記録も表示され、1851年に30歳の…Albert…Bartels…という人物がこの寄宿 学校となんらかの関係があり、1860年には、Albert…Bartels,…40,…schoolmaster,…born…Germany…とあ り、1860年当時、年齢が40でドイツ生まれでこの寄宿学校の教員だったということになる。1950 年に初版が出版された英仏独の会話集の著者としては年齢も妥当なところであるし、Bartels…と いう姓はドイツやオランダの姓なので、ドイツ生まれの人物であっても不思議はない。したがっ て、バーテルスの3か国語会話集の著者は、イギリス在住のドイツ人だったと推定できる。
… 19…早くも明治5年末(仲冬:旧暦11月)には、『バーテル氏英独仏会話訳語』(報国学社)が原著の
第2章の翻訳文だけを集めて出版されている。英独仏語の学習にこの本が利用されていたことを 前提にした出版である。同じく明治5年に、日本最初の仏和辞典『仏語明要』(1864)の著者で あり、仏語学の大家であった村上英俊が『仏英独三国会話』の小冊子を出版している。この書は 富田(1983)によると、「内容が確認されているフランス語の会話本としては本邦最初のもの」で あるが、田中(1986)の比較調査によって、中身のほとんどがバーテルスの会話本の内容と一致 するうえに、フランス語の用例に見られる文法的な間違いまで一致していることが明らかにされ ている。注18で述べたようにバーテルスはイギリス在住のドイツ人だったと考えられるので、正 書法の問題にせよ、フランス語にとくに弱点があった可能性がある。
取り出して、英日会話集にしたりして利用された。多数の翻訳は、原著に対す る海賊版であったというだけでなく、内容を見ると、後続の翻訳が既存の翻訳 の盗用であるという恥ずべき内容のものが含まれていることは間違いないだろ う。現代は海賊版や無断盗用が許される時代ではなくなっているので、このよ うな翻訳日本語の資料を入手することはできないであろうから、その意味では、
貴重な言語資料といえるだろう。
調査した翻訳は以下の通りで、初版の出版年20で整理してあげておく。訳者 の出身地が奥付などに書いてある場合は示しておく。
【調査したバーテルスの会話集の翻訳】
明5… 『仏英独三国会話』(村上英俊)21
1872… 『バーテル氏英独仏会話訳語』(報国学社)
1880… 『バーテルス氏英文会話独案内(前編)』(埼玉県平民稲垣千代橘訳)
1882… 『英語通弁書』(アルバート・バーテルス著、長崎県平民山口林三郎訳、出 版者:大橋茂四郎)
1884… 『バーテル英文会話』(六合館)
1885… 『バアーテルス英仏日本三国会話編』(大阪府平民小川平吉訳述、出版者:
中川弥三吉)
1886… 『バーテルス氏英文会話独案内 後編』(埼玉県平民稲垣千代橘訳)
1886… 『モデルン・リンギスト 一名・三国会話編』(アルバート・バアトル氏著、
大阪府平民鈴木常松訳、出版者:花井卯助)
1887… 『英和通語』(松本孝輔、大倉書店)
1887… 『バーテルス氏英文会話独案内』(大阪府平民外川秀次郎訳、譯書出版書 房)
1887… 『バーテルス氏 会話独案内』(岐阜県平民栗田克三郎訳述、田中治兵衛発 行)
1888… 『バーテルス氏会話独学』(雨宮金護訳述、薫志堂)
1890… 『英仏独和近世会話篇』(バーテルス著、井上勤訳、開新堂)
1898… 『和訳当世英語会話』(アルバート・バーテルス著、島田豊訳、尚栄堂)
… 20…実際に調査したのは初版ではない場合もあるが、当時の語学教材や辞書の出版状況では版数は刷
数と意味が同じであり、「訂正」とあっても、初版と内容はほとんど変わらず、日本語の出自由 来を考えるには初版の出版年を示す方が合理的であるためである。
… 21…明治5年が出版年だが、太陽歴採用の明治6年以前なので、西暦には単純に変換できない。引用
する場合は「村上英俊[明5]」とする。村上については注19参照。
1899… 『玻氏ノ書ニ拠ル英仏独和四国会話』(バーテル著、斎藤祥三郎訳、成美 堂)、3冊に分けた『英和会話集(坡氏)』『仏和会話集(坡氏)』『独和会 話集(坡氏)』も同時に同年出版されている。玻氏や坡氏はバーテルスの こと。
これ以降、本稿でバーテルス会話集の日本語訳に言及する場合は、訳者名(姓
+名)に出版年を後続させて、「斎藤祥三郎1899」のように示すことにする。
さて、日本語との関係はひとまずおいて、バーテルス会話集の英語、フラン ス語、ドイツ語を調べておこう。発話時現在の標準的な時間副詞の…now,…meintenant,…
jetzt…が共通して使用される会話例はかなりあり、英語、フランス語、ドイツ語 の標準的な発話時現在の時間副詞…now,…meintenant,…jetzt…の使い方は類似してい ることが確認できる。バーテルスの英仏独会話集で…now…か、maintenant…か、
jetzt…が使用されている会話文は、それほど多くはないが、29の会話例が見つ かった(もちろん見落としはあるかもしれない)。3か国語の発話時現在の時間 副詞の対応を調べると、もっとも多いのは、英語の…now…とフランス語の…maintenant…
とドイツ語の…jetzt…が対応する会話文で29の会話例のうち16例(約55%)だっ た。
now/maintenant/jetzt… 16 now/à…présent/jetzt… 5 just…now/tout…à…lʼheure/eben… 2 at…present/maintenant/jetzt… 2 now/対応なし/jetzt… 2 now/pour…le…moment/augenblicklich… 1 at…present/à…présent/jetzt… 1
総計… 29
英語、フランス語、ドイツ語は、now/maintenant/jetzt…がかなり一致してい て、各言語の標準的な発話時現在の時間副詞の使い方が似ていることがわかる。
特に英語とドイツ語の発話時現在の時間副詞は一致することが多いことが結果 から示されている。
英・独… now/jetzt… 23/29(約79%)
仏・独… maintenant/jetzt… 18/29(約62%)
英・仏… now/maintenant… 16/29(約55%)
他の時間副詞の対応では、英語の…at…present…はフランス語の…à…présent…と対応し ているように見えるが、どのような意味の違いによるものなのかは不明だが、
少なくともバーテルス氏の英仏独語会話集の用例で見る限り、使用条件はあま り対応していないようである。会話例で…at…present…が…à…présent…に対応していた のは1例だけで、比較的多かったのが、フランス語で…à…présent…が使われるが、
英語では…now…になる場合で、5例あった。また、フランス語では…maintenant…
だが、英語の会話例で…at…present…が使われるものが2例だった。一方、フラン ス語の…à…présent…とドイツ語の対応関係の方は単純で、à…présent…が使用されて いる6例のすべてでドイツ語は標準的な発話時現在の時間副詞…jetzt…が使われて いた。at…present…と…à…présent…が使われていた唯一の会話例を見ておこう。
【バーテルス会話集、Part…Ⅲ、6】
英… It…is…fine…at…present,…but…I…think…we…shall…have…rain…before…long.
仏… Il…fait…beau…à…présent,…mais…le…temps…est…à…la…pluie.
独… Jetzt…ist…das…Wetter…schön,…aber…ich…glaube,…wir…werden…bald…Regen…bekommen.
現在の天候が晴れであることを崩れる予想で述べる例だが、英語とフランス語 では、at…present…と…à…présent…が使われている。日本語訳は、対比の意味のイマ ワやタダイマワが使われることが多かったようだがワを付けない翻訳も1例あっ た。なお、当時の日本語では、イマワよりもタダイマワが多かったようだ。訳
(述)者の名前に出版年を付けて時間副詞を示すと次の通りだった。「只今(タヾ イマ)」(山口林三郎1882)、「唯今ハ」(稲垣千代橘1886)、「Tooji-wa」(松本孝輔 1887訳)、「現時(タヾイマ)ハ」(外川秀次郎1887)、「唯今(タヾイマ)ハ」(栗 田克三郎1887)、「只今ハ」(雨宮金護1888)、「今ハ」(井上勤1890)、「只今は」(島 田豊1898)、「今ハ」(斎藤祥三郎1899)。
さて、英語とフランス語とドイツ語で約57%の会話例で標準的な発話時現在 の時間副詞が使われていたが、日本語の標準的発話時現在の時間副詞を助詞が 付かない単独のイマとすると、英仏独語の標準的な発話時現在の時間副詞に日 本語はは、たぶん、それほど高い一致は示さないことは確実である。日本語の 標準的な発話時現在の時間副詞の使用制限は、次節で詳しくみるが、かなり強 いというのが筆者の考えである。
バーテルス会話集から英仏独語で…now、maintenant、jetzt…が使われている例 で、当時の日本語で単純にイマに置き換えられにくかった会話例を幾つか見て おこう。出版年がことなるものについては、古いものから新しいものの順にな
らべ、漢字は現代普通に使われるものに置き換えているが、句読点や記号の使 い方はなるべく元のままにした。促音文字も含め文字の小書きの習慣は使われ ていないので、そのままにした。フリガナについて「緩々(ユルユル)」のよう に、ルビにせずに、括弧に入れて後続させて示した。
直前過去の時間副詞の用法では、英仏独語も日本語も同じように使えること は以下の例で推測できる。イマコソを使った例もあるが、イマが使われている ものが多い。ただし、聞き手の発言に対して現在形を使う英仏独語に対して日 本語では、どちらかと言えば過去のタ形で表現していることも翻訳例から分か る。現在形のル形を使っているのは山口林三郎1882だけだが、これは文語文で 書かれているので、文法的に正確さが求められない近代文語文の性格が影響し ている可能性もある。Part…Ⅱ、18にも…Now…I…understand…you.…があるが、日本 語訳でル形を使っているのは、山口以外には「イマアナタノ.イフコトガ.ワ カリマス」(報国学社1872)だけだったので、やはり、現在形(ル形)ではなく 過去形(タ形)にする傾向が明治期の日本語でも強かったことが分かる。
【バーテルス会話集、Part…Ⅱ、7】
英… I…understand…you…now.
仏… Je…vous…comprends…maintenant.
独… Ich…verstehe…Sie…jetzt.
①… イマアナタノ.オツシヤツタコトガ.ワカリマシタ(報国学社1872)22
②… 今コソ解リマシタ(稲垣千代橘1880)
③… 私ハ今汝ヲ解ス(山口林三郎1882)
④… Watakushi…wa…ima…anata…no…yūta…koto…ga…wakarimashita.…(小川平吉1885)
⑤… Watakushi…wa…ima…anata…no…yūta…kotoga…wakarimashita.…(鈴木常松1886)
⑥… 今汝(アナタ)ノ謂(オツシヤツ)タ事ガ了解(ワカリ)マシタ(外川秀 次郎1887)
⑦… 今コソ解リマシタ(栗田克三郎1887)
⑧… 今コソ解リマシタ(雨宮金護1888)
⑨… 今解リマシタ(井上勤1890)
⑩… 今こそ解りました(島田豊1898)
⑪… 今分カリマシタ(斎藤祥三郎1899)
… 22…句点は文末では使われず、文中の区切りで使われている。
次は近接未来用法の発話時現在の時間副詞の使用であるが、英独仏では標準 的な時間副詞が使われている。誘いかけの「~しよう/しましょう」は、命令・
依頼表現で使われるものと同様に近接未来の用法である。
【バーテルス会話集、Part…Ⅱ、9】
英… Let…us…go…out…now.
仏… Sortons…maintenant.
独… Lassen…Sie…uns…jetzt…ausgehen.
①… イマゴイツシヨニ.デヽマイリマシヨウ(報国学社1872)
②… 緩(ソロ)々出掛ケマシヨウ(稲垣千代橘1880)
③… 我等ヲシテ今出行カシメヨ(山口林三郎1882)
④… Watakushidomo…wa…ima…kara…dekake…taku…omimasu.…(小川平吉1885)
⑤… Watakushidoma…(ママ)…wa…ima…kara…dekake…mashō.…(鈴木常松1886)
⑥… サア出掛マセウ(外川秀次郎1887)
⑦… 今出カケマシヨ(栗田克三郎1887)
⑧… 緩々出掛ケマシヨウ(雨宮金護1888)
⑨… 出掛ケヨウジヤ御坐イマセンカ(井上勤1890)
⑩… 緩々(ユルユル)歩きませう(島田豊1898)
⑪… 今出掛ケマセウ(斎藤祥三郎1899)
日本語の対訳の時間副詞は安定していない。しかも、イマを使っているものは 11種のうち3種に過ぎない。英仏独の時間副詞への対応語がないものや「緩々」
(ソロソロ、ユルユル)や「サア」も見られるほか、ima…kara…もある。これだ け様々な訳語がみられるのは、イマにはしにくかったことから来ているだろう。
また、イマを使っている訳にしても、それが当時自然な日本語だったとは限ら ないし、英語やフランス語やドイツ語と同じ意味合いで使えていたことにもな らないだろう。「イマ出かけましょう」は、現代語のイマの使われ方から判断す るなら、直後の未来に限定した使い方で、イマスグという場合以外は使えなかっ た可能性があるだろう。
【バーテルス会話集、Part…Ⅱ、32】
英… I…must…go…now.
仏… Il…faut…que…je…mʼen…aille…à…présent.
独… Ich…muß…jetzt…fortgehen.
①… 最(モウ)参ラナケレバ成リマセン(稲垣千代橘1880)
②… 私ハ今行カ子ハナラヌ(山口林三郎1882)
③… Watakushi…wa…yukanakereba…narimasen.…(小川平吉1885)
④… Watakushi…wa…yukanakereba…nari…masen.…(鈴木常松1886)
⑤… モウ行(ユカ)子バ成(ナリ)マセン(外川秀次郎1887)
⑥… 最(モ)ウ参ラナケレバ成マセン(栗田克三郎1887)
⑦… 最参ラナケレバ成リマセン(雨宮金護1888)
⑧… サア。行カナケレバナリマセン(井上勤1890)
⑨… 今参らなければ成りません(島田豊1898)
⑩… 私ハモー皈ラナケレバナリマセヌ(斎藤祥三郎1899)
これは現在の話者を取り巻く状況について述べている文であるが、イマが使い にくいのは、現在の状況が発話時現在に限定されず、現況の終了が予定されて おらず、言わば未来に開かれた現況記述になっているからだと考えられる。
未来でも近接未来用法では、英仏独語が発話時現在の時間副詞が使えるのに 対して日本語では使いにくく、日本語では、始点表現を使ったり(「唯今ヨリ」
「今ヨリ」23「只今カラ」「是カラ」)、訳出しなかったり(外川訳)という例が見 られ、単独形のイマを使用しているのは①と②と④と⑫であるが、少数派であ る。④の山口林三郎1882は文語文で訳しているせいもあると思われるが、正確 な訳とは言えないものが目出ち、このイマ行キツツアルカは誤訳と考える方が 妥当だと思われる。
【バーテルス会話集、Part…Ⅱ、11】
英… Where…are…you…going…now?
仏… Où…allez-vous…maintenant?
独… Wo…gehen…Sie…jetzt…hin?
①… アナタ今トコヘ行カルヽヤ(村上英俊[明5])
②… アナタイマ.ドコエオイデナサルカ(報国学社1872)
③… 唯今ヨリ何處(ドチラヘ)オ出掛ケナサレマスカ(稲垣千代橘1880)
④… 何處ニ汝ハ今行キツヽアル乎(山口林三郎1882)
… 23…イマヨリは現代日本語としては古臭い言い方で口語で使うことは難しいだろう。「明大会話会話
コーパス」(2001-2003、国立国語研究所のホームページで公開されている)で見つかる「今より」
は、イマカラという意味ではなく、比較の対象としての「今より狭い」のような例があるだけ だった。
⑤… Anata…wa…doko…ye…okoshi…ninarimasu?…(小川平吉1885)
⑥… Anata…wa…doko…ye…okoshi…ni…narimasu.…(鈴木常松1886)
⑦… 何所ヘオ出掛デスカ(外川秀次郎1887)
⑧… 只今カラ何処ニヲ出掛デスカ(栗田克三郎1887)
⑨… 唯今ヨリ何處ヘオ出掛ナサレマスカ(雨宮金護1888)
⑩… 是カラドコヘお出デナサリマスカ(井上勤1890)
⑪… 唯今(タヾイマ)より何處(ドコ)へお出掛なされますか(島田豊1898)
⑫… 今ドコニイラツシヤル所デス(斎藤祥三郎1899)
最後に発話時に完了した内容で、現況がしばらく続く場合の例を見ておこう。
病気からほとんど回復したという内容の文であるが、フランス語では時間副詞 に…à…présent…が使われているが、英語とドイツ語は標準的な発話時現在の時間 副詞である。日本語訳はイマワやタダイマワなど、対比の発話時現在の時間副 詞を使う訳が多かった。⑧と⑩はモーを使っている。対比のない独立形のイマ は山口林三郎1882だけである。すでに03で述べた通り、モーの語源は、イマワ が変化したものと考えられているが、モーとイマワの使い方が明治期でもかな り似ていたことを日本語訳での混在が示している。
【バーテルス会話集、Part…Ⅲ、30】
英… But…he…is…nearly…recovered…now.
仏… Mais…il…est…presque…rétablis…à…présent.
独… Aber…er…ist…jetzt…fast…wieder…hergestellt.
①… 然シ今ハ殆トヨクナリマシタ(村上英俊[明5])
②… 然レ 彼レハ今殆ンド痊(イ)ヘテ有ル(山口林三郎1882)
③… 然シ今ハ大抵愈(ナオリ)マシタ(稲垣千代橘1886)
④… Shikashi…are-wa…taitei…naori…mashita.…(松本孝輔1887)
⑤… 然シ現今(タヾイマ)ハ快復シマシタ(外川秀次郎1887)
⑥… 然シ大抵本復(ホンプク24)致シマシタ(栗田克三郎1887)
⑦… 然シ今ハ大抵愈マシタ(雨宮金護1888)
⑧… 然シ、最ウ程ナク25全快致シマス(井上勤1890)
⑨… 併(シカ)し今は大抵直りました(島田豊1898)
⑩… 併シモー殆ド全快致シマシタ(斎藤祥三郎1899)
… 24…ルビの字なのでホンプクかホンブクか判別しがたい。
… 25…nearly…を誤訳している。
Ⅱ.金刺芳流堂の英仏独実用会話書と発話時現在の時間副詞
金刺芳流堂から1915年(大正4年)に『実用日英会話』(アーネスト・ルー ス)26、『実用日独会話』(エミイル・ハリール)27、『実用日仏会話』(ジュ・ブス ケ)28が出版されている。巻末の広告によると、『実用日英会話』をもとにフラン ス語版やドイツ語版を「仏独の両大家」に請い、「英仏独の完全無欠の三大実用 会話書」を公刊したとある。したがって、同一内容の日本語に英独仏の会話文 が対応するのが基本で、それぞれ、日本語と外国語の2か国語の会話集になっ ている。もっとも、内容は必ずしも完全に対応しておらず、とくに日仏版は修 正・追加がかなりある。また、ルースの序文には会話文のほとんどはオリジナ ルではなく、ヨーロッパで使用されている権威のある書籍の幾つかから編集さ れたとある( Most…of…the…conversations…have…been…compiled…from…the…works…of…
the…best…authorities…in…use…on…the…continent…of…Europe,…while…a…few…original.)。と すれば、利用した会話書のひとつにバーテルスのものがあると考えるのが自然 である。
さて、未来に開かれた現況記述から見ておこう。モーが使えるが、イマには ならない用法である。「雨はもう止みました」も「もう冬でございます」も日本 語はモーだが、英仏独語では、標準的な発話時現在の時間副詞が使われている ことが確認できる29。
【金刺芳流堂:8.天気】
日… 雨はもう止みました。
英… It…does…not…rain…now.
英… It…has…left…off…raining…now.
仏… Il…ne…pleut…plus…maintenant.
独… Es…regnet…jetzt…nicht…mehr…so.
【金刺芳流堂:9.散歩と運動】
日… もう冬で厶います。
… 26…実際に調査したのは、初版ではなく、1919年の訂正3版。
… 27…実際に調査したのは、初版ではなく、1930年の新増訂版。
… 28…実際に調査したのは、初版ではなく、1921年の訂正23版。
… 29…常にこのようなきれいな関係になるわけではなく、IMBRIE…(1880:113)と金刺芳流堂(1915)
には…Weʼve…walked…enough…now,…letʼs…go…back.…が英文例として使われていて、日本語ではどちら もモーを使って訳しているが、金刺芳流堂(1915)のフランス語とドイツ語は時間副詞を使わな い訳し方を採用している。
英… Itʼs…winter…now.
仏… Cʼest…lʼhiver…maintenant.
独… Es…ist…jetzt…Winter.
未来の行動を促す誘かけや命令・依頼文での発話時現在の時間副詞の使用は 日本語のイマにはないが、英仏独語では現れないこともあるが、一般的には可 能であるようだ。次の例では、日本語はサーが使われているが、ソロソロでも コレカラでもよかったであろう。イマはイマスグそこへ行くことに特別な理由 があれば可能だろうが、ふつうの状況では使えないだろう。
【金刺芳流堂:35.公園内】
日… さあ動物園へ往つて野獣30を見ようか
英… Shall…we…go…to…the…Zoological…Gardens…now,…to…see…the…wild…beasts?
仏… Voulez-vous…aller…au…jardin…zoologique…maintenant…pour…voir…les…animaux…
sauvages?
独… Gehn…wir…in…den…zoologischen…Garten…und…sehn…wir…uns…die…wilden…Tiere…an?
ドイツ語訳にはこの文では時間副詞がないが、英語とフランス語では標準的な 話者現在の時間副詞が使われている。
05. 平成期のマンガ翻訳資料に見る現代日本語の発話時現在の時間副詞イマに ついて
明治期から大正期にかけての日本語で確認したことは、詳細はきちんと調べ る必要があるが、基本的には現代日本語まで変わらない性質だと考えられる。
しかし、明治・大正期の外国語学資料だけではイマの使い方の細かいところま で手が届かない。昭和から平成になって、日本から諸外国に漫画やアニメが輸 出され、日本語が外国語に時を経ずして翻訳されるようになった。漫画やアニ メには絵があるので、小説などより状況が把握しやすい利点がある。高野苺の 漫画「Orange」(2012-2017)31とその英仏独訳32を使って日本語のイマの用法に ついてこれまで確認したことと確認できなかったことの両方を考えることにし たい。
… 30…現代日本語では動物園の動物を「野獣」と表現することはないように思われる。
… 31…単行本は双葉社から出ている。
… 32…翻訳本の書誌情報の詳細は省略。英訳者は…Amber…Timosaitis、仏訳者は…Chiharu…Chujo、独訳者
は…Lasse…Christiansen。仏訳者の中條千晴さんはリヨン大学の日本語教師でもあるようなので、
フランス語のネイティブスピーカーではないと思われる。
まず、発話時現在の現況記述でも、記述内容が未来に開かれ、状況の終了が 見込まれていないようなことは日本語ではイマが使えず、モーが使われること になるが、英仏独語で発話時現在の時間副詞が使われる傾向は現代でも基本的 には変わっていないことを確認しておきたい。
【オレンジ1、Letter…4】
日… 翔はもう/33彼女いるし
英… YOU…HAVE…A…GIRLFRIEND…NOW.
仏… MAIS………TʼAS…DÉJÀ…UNE…COPINE…MAINTENANT,…ALORS……
独… ABER…DU…HAST…DOCH…JETZT…EINE…FREUNDIN.
電話で起こす約束をしていたが、起こさなかった理由として、相手に彼女がで きたことを述べている文である。日本語以外は標準の話者現在の時間副詞を使 用している。ただし、仏訳では、DÉJÀ…(スデニ)も使っている。基本的には明 治・大正期の外国語学資料で確認できたままであることが分かる。
現況に終了見込みのない、言わば未来に開かれた現況記述でイマが使いにく いことも明治・大正期の外国語学資料で確認された内容であるが、現代の漫画 でも状況は変わらないようである。次の例の「願うことしかできない」状況は 発話時現在に限定されていない。これからも続く内容である。フランス語では 基本的意味が「今日」という語…AUJOURDʼHUI,…が使われているが、英語とド イツ語は標準的な発話時現在の時間副詞だ。もし日本語でイマを使ったら、イ マだけに限定されてしまうので、限定の理由がないとおかしいだろう。
【オレンジ6、未来】
日… 俺達にはもう/願う事しか/できない
英… THEREʼS…NOTHING…WE…CAN…DO…NOW…BUT…HOPE.
仏… TOUT…CE…QUʼIL…NOUS…RESTE…AUJOURDʼHUI,…CʼEST…LʼESPOIR.
独… WIR…KÖNNEN…JETZT…NUR…NOCH…HOFFEN.
一方、イマには未来用法が欠如し、発話時現在以降の未来は、イマカラやコ レカラを使うことになるが、直後未来の用法については、発話時の直後が使用 条件になっているため、直後とは言えない状況では使えなくなる。03のインブ リーの文法記述のところで直後未来のおおよその特徴は述べたが、イマは、発
… 33…改行を「/」と表記した。漫画のせりふでは句読点が少なく、改行がその役割を果たしている場
合があると思われる。
話時現在の直後というだけでなく、発話場所を移動してはいけないという制限 もあるようである。
【オレンジ5、Letter…21】
日… 待って/少しだけでも/いいから/今 話したい
英… WAIT...…EVEN…IF…ITʼS…JUST…FOR…A…LITTLE…BIT,…THATʼS…FINE.…I…JUST…
WANT…TO…TALK…TO…YOU.
仏… ATTENDS!…JʼAI…BESOIN…DE…TE…PARLER…MAINTENANT.
独… WARTE!…NUR…GANZ…KURZ.…ICH…WILL…MIT…DIR…REDEN.
フランス語は発話時現在の時間副詞が使われているが、英語やドイツ語は使わ れていない。この場面のイマの用法は、発話時現在に限定され、おそらく場所 をココから変えることも許容されにくくなるのだろう。つまり、イマは、イマ
+ココデの意味合いがある。フランス語については…MAINTENANT…が訳で使 われていて、日本語と同様にイマ+ココデの意味合いが伝達されるのかどうか は分からないが、命令・依頼形や近接未来の表現でも…now…や…jetzt…が使える英 語やドイツ語では、場所の移動を想定しないニュアンスは出ないところだろう。
日本語では、別の場所に移ってということなら、「今 話したい」とは言わない だろう。少人数のアンケートをやってみると、以下のような結果になった。イ マを使わない場合は、イマカラやコレカラを使うことになるだろう。
①… … 待って、イマ少しだけでもいいから、ここで話したい。
②… ?…待って、イマ少しだけでもいいから、別の落ち着いた場所で話したい。
③… *…イマ図書館で勉強したいんだけど、いっしょに行く?(図書館以外の場所で)
直後未来の用法でイマを使うとイマココデの意味が出てくることを見たが、時 間的には直後未来でも発話の場所とことなる場所のことは、日本語ではイマが 使えなくなることが「Orange」の別の箇所のせりふから分かる。なお、話者交 代がある箇所には「→」を挿入して示してある。
【オレンジ3、Letter…12】
日… 戻るぞー→次なんだっけ→数学
英… WE…BETTER…GO.→WHAT…CLASS…DO…WE…HAVE…NEXT?→MATH.
仏… ʼFAUT…RETOURNER…EN…CLASSE→ON…A…QUOI…COMME…COURS…DÉJÀ?…
→MATHS
独… WIR…MÜSSEN…ZURÜCK.→WAS…HABEN…WIR…DENN…JETZT?→MATHE.
教室の外で休み時間が終わって、ツギは何?と聞いているが、日本語なら、こ の次(の授業)何?とは言えるだろうが、イマ何?は使えないだろう。授業が あるのは教室で、校庭ではないからだ。イマが使えるためには発話場所を移動 してはいけないという制限があるためだと思われるが、上の英仏独語の訳を見 ると、ドイツ語では発話時現在の副詞…jetzt…が使えているので、日本語や英仏語