環境研究 と平和研究
Envi ronme nt alSt udi e sandPe aceRe se arc h
戸 田 清 TODA
Kiyosi20
世紀 は 「 戦争 の世紀 」 「 暴力の世紀 」 「 環境 破壊 の世紀 」 「 世界社会 の不平等 が拡大 した世 紀」であるとともに、「環境保全 と人権擁護 と 平和 の声めの意識的な努力が本格的に開始 され た世紀」 で もあ った
。21世紀 は、環境、人権、
平等、平和 などの価値が大 きく実現 され る世紀 でなければな らない。 これを一言でい うと 「 平 和 の世紀」である。 ここでい う 「 平和
」とは言 うまで もな く、 ノルウェーの平和学者 ヨ‑ ン ・ ガル トゥングの い う 「積極 的平和
」す なわち
「 戦争 (に代表 され る直接 的暴 力) と構造 的暴 力 の克服」である。かつての平和研究は 「 平和」
と 「 戦争」を対置 して戦争の克服 をめざす もの であ ったが、 ガル トゥングは
1969年 に 「 平和」
と 「 暴力」 を対置す る新 しいパ ラダイムを提唱 した
(Galtung,1969)。暴力 は 「直接 的暴力」
と 「 構造的暴力 ( 間接的暴力)」 に分 け られ る。
構造的暴力が存在す る状態が社会的不正義であ り、構造的暴力の不在が社会正義である。搾取 と抑圧 は構造 的暴力の基本形態 で あ り、 「自然 を搾取すれば、生態系が破壊 され る。人 々を搾 取すれば、 アル中や麻薬、犯罪、 自殺 などの深 刻 な社会的病が発生す る。国全体を搾取すれば、
債務問題や貿易問題が起 こって くる
。」(Galtu‑ng,199
1 )。国全体 の搾取 とは、 たとえば不平等 な交易条件 ( 安 い一次産品 と高 い工業製品) に よって発展途上国が累積債務 におちい って環境 や生活が破壊 され、債務返済促進 のために世界 銀行
・IMFが勧告す る構造調整政策
(SAP)によって さらなる環境破壊 や生活破壊が起 こる とい った状況 ( 北沢 ・村井編、
1995)を想定す ればよいであろ う。私 な りに解釈 す ると、 「直 接的暴力」 には戦争、死刑、殺人、拷問、 レイ プなどがあ り、「 構造的暴力」 には飢餓、貧困、
差別、不平等 、 菟罪、 環境破壊 な どが あ る。
「 平和」 とは戦争 の不在 で あ るとい う考 え方 を すれば、戦争 さえなければ 「 平和ならざる状態」
( 搾取、抑圧、差別、 い じめ、 環境汚染 な ど) があ って も平和 だ とい うことにな る。 実際、
「パ ックス ・ロマーナ
」「パ ックス ・ブリタニカ」
「パ ックス ・アメ リカーナ」 とい った 「平和」
は、 それぞれ ローマ帝国、英国、米国 による帝 国主義的支配 を伴 うものであ った。
1.環境問題 と平和研究
米国の政治学者 ソルースは、環境問題が平和 研究の課題 に入 って くる契機 として、次 の
4つ をあげている
(Soroos,
1994、大西、
1998)0 ( 丑環境問題 あるいは資源問題が国際あるいは国 内紛争 を もた らす ことを研究す る。
②戦争や戦争準備、 さらには兵器解体や民需産 業への転換過程が環境破壊 を もた らす ことを研 究す る。 ( 兵器解体 による環境破壊 とは、 た と えば核兵器 や化学兵器の解体 に伴 う環境汚染の
ことであろう。)
③発展途上国の経済発展 と環境保全を両立 させ
る方途 や、先進国の大量消費 による環境破壊が
発展途上国に もた らす不正義
(injustices)を
研究す る。
④環境破壊 という非常事態が従来の戦争誘発型 で国家中心的な国際秩序 を変えてい く可能性を 研究す る。
ここで( 丑は、有限な環境 ( 有限な浄化能力 と 有限な資源供給能力) を越えて人間活動が拡大 したときに生 じる緊張 と直接的暴力の問題であ る。 たとえば、稀少 な水資源 ( 河宮、1
998)杏め ぐる紛争が発生す るおそれがある。② は直接 的暴力の行使や手段 (あるいはその解体) に伴 う環境負荷の問題である。④ は軍事的安全保障 よりも環境安全保障のほうが優先課題 として認 識 される条件が生 じたときに、資源が軍備 より
も環境保全 に優先 して配分 されるようにな り、
直接的暴力の危険が減少す るということであろ う
。戦争や軍備 に伴 う環境負荷 という② の問題 が、④ にかかわる認識転換を促進するであろう。
③ は不十分 な表現なが ら構造的暴力 (その克服 が社会正義) と環境的不正義 (その克服が環境 正義 ‑環境的公正) の問題を述べているのであ ろう。環境正義 ( 戸 田、1
994、戸田
、1998b、 村田、1
998)は 「 人間 と人 間の環境正義
」( 環 境利用 に伴 う受益 と受苦 の平等な分配) と 「 人 間 と自然の環境正義」 ( 人類全体 の 自然利用 の 量的 ・質的適正化) に分 け られ るが、 「人間 と 人間 の環境正義」 は社会正義 に包摂 され る。
(ここでは便宜上 「 人間 と自然」 とい う表現 を 用いたが、人間 は自然 の外 にあるのではな く、
自然の一部である。)環境破壊 が構造 的暴力 の ひとつの類型である理由は、次のようにまとめ
られ るであろう。
ア、環境汚染 ・自然破壊 ・アメニティ破壊 (こ の
3分頬 は植田ほか、1
991、 による)その もの が 「 平和な らざる状態」である。人間 は環境汚 染などを平和 な らざる状態 ( 望ましくない状態)
として感 じるし、「 人間 と自然 の環境正義」 か らいって も環境汚染 などはで きるだけ抑制す る 必要がある。
ィ、環境利用の便益 ( 受益)の不平等 な分配 は
不正義である。一人当た り資源消費の南北格差 ( 紙、鉄、 エネルギーなど) は、 環境 の資源供 給能力の不平等な利用である。‑人当た り排出 量の南北格差 ( 二酸化炭素、廃棄物 など) は、
環境の浄化能力の不平等な利用 ( 環境破壊への 責任の度合 い も反映す る)である。 これ らは南 北格差や国内の貧富の格差だけでな く、世代間 格差 も生 じるであろう。
ウ、環境利用に伴 う被害 ( 受苦) の不平等 な分 配 は不正義である。被害 は生物的弱者 ( 動植物、
人間のなかでは胎児、子 ども、高齢者、慢性疾 患患者 など) と社会的弱者 ( 低所得層、労働者、
零細農漁民、発展途上国住民、先住民 など) に 集中す る傾向がある。 これ らは、世代間格差 に
も広が ってい くであろう。
2.環境被害の不平等
先のりは、環境破壊の影響 の及 び方 も平等で はな く、既存の不平等や差別を増幅す る方向に はた らくということである。 このことについて は、 日本では、宮本憲一が1
960年代か ら公害な どの影響が生物的弱者 と社会的弱者 に集中す る 傾向があると指摘 して きた ( 庄司 ・宮本、1
964、 庄司 ・宮本、1
975)。放射能 や環境 ホルモ ンは 胎児や子 どもに大 きな影響 を与 えて きたか、あ るいはその可能性がある。太平洋 の核実験場周 辺では子 どもの甲状腺異常がふえている。米国 先住民のナバホ族 はウラン開発や核実験の影響 で1
0代の人たちの癌発生率が全国平均の1
0倍以 上 といわれる
(Dowie,1995)。 チェル ノブイ リ 原発事故の後遺症 として数十万人 の癌死亡者が 生 じるといわれるが、そのほとん どは事故当時 胎児や乳幼児だ った人たちであろう。核燃料再 処理工場 は原発の数百倍の放射能 を環境 に放出 す るといわれるが、英国のセ ラフィール ドや フ ランスの ラア‑グ周辺では小児 白血病や悪性 リ ンパ腫の発生率が高 くな っている。環境 ホルモ ンの影響 も大人ではおおむね小 さく可逆的だが、
内分泌系が形成途上 にある胎児では大 きく不可
逆的になるのではないか と推測 されている。大 気汚染の影響 は高齢者、子 ども、呼吸器疾患患 者 に大 きく出る。「 生物的弱者」 は人間 に限 ら ない。水俣病 の前兆 は魚介類や猫 にあ らわれ、
カネ ミ油症の前兆 は鶏の大量死であった。 オゾ ン層保護条約の国際交渉が比較的迅速 にすすん だのは、社会的強者である白人が皮肉なことに たまたま生物的弱者 ( 紫外線の影響)であるこ
とも一因であろう。
英国の衛生統計 は、職業階層別 の保健指標や 疾病構造がわかるようにな っている。専門職、
中間管理職、 ホワイ トカラー、 ブルーカラーと いう順 に、平均寿命が短 くな り、子弟の乳児死 亡率が高 くな り、癌死亡率が大 きくなる ( 戸田、
1994)
。肺癌 は、典型的 に環境条件 に左右 され る。環境条件 は、生活習慣、居住環境、労働環 境 に大別 される
。生活習慣 (ライフスタイル) で肺癌 の因子 として重要なのは言 うまで もな く 喫煙である。喫煙率 は専門職で小 さ く、 ブルー カラーで大 きい。 ここは日本 と違 うところであ る。 日本では英米 と異な り職業階層別の喫煙率 の差 はほとんどな く、環境専門学者や自然保護 活動家で も喫煙す る人が少 な くない。居住環境 は、 どの工業国で も、 ブルーカラーは地価が安 く空気のよごれた地域 に住 み、専門職や経営者 は郊外の空気の きれいなところに住む傾向があ る。労働環境で肺癌 の因子 になるのは放射線や アスベス ト等であ り、 これ らはブルーカラーが 多 く被曝す る。 日本 に も所得階層別の影響を推 定 した研究がある。
1965年か ら
1974年 まで 日本 だけで使われた食品添加物
AF2は発癌性ゆえ に禁止 されたが、人間では肝臓癌 との関連が指 摘 されている。用途は豆腐や魚肉‑ム ・ソーセー ジの殺菌料であ り、農村の住民や低所得層の摂 取量が多か った。 これは、喫煙の疫学で有名な 故平山雄博士 の研究である。水俣病の被害者の 多 くは零細漁民であった。途上国の住民への影 響では 「 公害輸 出」事例が象徴的である。
1984年 に米国ユニオ ンカーバイ ド社のイ ン ド子会社
がポバールにある工場で起 こした 「 史上最大の 産業災害」では、 1万人以上の犠牲者が出た。
本国の工場 より安全対策で手抜 きを したためで、
農薬の中間原料イソシアン酸メチルが原因であっ た。三菱化成の子会社アジアレアアースはマ レー シアで放射性廃棄物のず さんな管理で近隣地域 の小児 白血病の増加を招 いた。将来世代 は現在 世代が引 き起 こした環境汚染や自然破壊の結果
を受 け継 ぐことを強制 され る
。3.
環境問題の出発点 と してのタバ コ問題 先 に喫煙 の問題 にふれたが、 これは私見によ れば 「 環境問題の出発点 ( 原点)」 で あ るとい
うことを改めて強調 しておきたい。
タバ コの問題 ( 戸田、
1988)は、室内環境か ら地球環境 にまで広が る問題である。土壌を疲 弊 させ る作物で もある。
WHOの推測によれば、
世界で年間約
300万人が喫煙 関連疾患 で死亡 し ている。世界最大の健康問題である。 タバ コは 最 も典型的な有害商品であるか ら、その販売 は 典型的な構造的暴力であ り、社会学的には 「 組 織体犯罪」( 暴力団のよ うな犯罪組織 で はな く 通常の組織の業績達成過程での犯罪)である。
ただ し、 タバ コの販売 は通常合法的であるか ら、
違法行為 としての犯罪で はな く、「 未必 の故意」
的な大量殺人 という実質的な意味での 「 犯罪」
である。本来の加害被害関係 はタバ コ会社 と喫 煙者のあいだにあ り、喫煙者 と非喫煙者の加害 被害関係 は二次的に派生 した ものに過 ぎない。
その意味では、喫煙 による癌患者 らが
1998年
5 月15日に国 と
JT(日本たば こ産業) を東京地 裁 に提訴 したのは画期的な ことである。 タバ コ 産業 は軍事産業 とも対比 され るようにな ってい
る
(Hewat,1991)0アフ リカのマラウィのように植民地支配 の遺
産 として タバ コのモノカルチ ャーをかかえてい
る国では、 タバ コの葉の乾燥が森林破壊の最大
原因である
。世界の森林破壊 の
10%以上、毎年
九州 より広 い面積の森林が タバ コのために失わ
れている ( 『 週刊金曜 日』
1998年
5月2
9日号 タ バ コ特集) 。 だか ら森林保護活動家 が喫煙 す る のは論理的に矛盾 している。 また、 タバ コ煙 に はアル ファ線 を出す天然放射能 ポ ロニ ウム21
0が含 まれているので、核兵器や原発 に反対す る 学者や活動家が喫煙す るの も矛盾 している。正 確 な事実認識 と合理的な推論 を嫌 う日本人 の国 民性 ( ? )がよ くあ らわれているといえ る。
4.
地球温暖化問題 と資源消費の南北格差 国連 の気候変動政府間パ ネル
(IPCC)は、
1990
年 の報告書で は温室効果 ガスの6
0‑80%排出削減 が必要であるとしてお り
、1995年 の報告 書で は
50‑70%の削減が必要であると してい る。ところが1
997年 の京都会議で は先進国全体で
5%削減、欧米や 日本で は
6‑8%削減で合意 され、必要 な レベルの1
0%程度 を削減 しよ うということにな った.資源 エネルギー浪費構造 を変 えた くないとい う先進国の本音のあ らわれであ る。
1998年
6月 に改訂 された通産省総合 エネル ギー調査会 の 「 長期 エネルギー需給見通 し」で は、大型原発 を2
0基増設 して電力の原発依存度 を35%か ら
45%に増大 させ るとい う相変わ らずの原発偏重路線 が堅持 されたO その一方で従来 の 「 長期 エネルギー需給見通 し」 と大 きく違 う のは
、2010年 にかけてエネルギー需要が ほとん ど増 えないと見通 していることである
。1991年 か ら
1997年 にかけてはエネルギー需要が1
3%伸びたのにその趨勢が突然変わるとい うわけであ る ( 朝 日新聞1
998年
6月3
0日社説)。 確 か に水 で もエネルギーで も電気で も道路で もあるいは 紙 で も、行政機関 による将来需要 の過大 な見通
しが乱開発 と浪費型経済 の促進要因のひとつで あ った。 た しかな政策転換があ って将来需要 の 見通 しが下方修正 され るな らけっこうな ことで ある。 しか しどうもそ うではないようだ。
原発2
0基増設 の空想性 は次 のよ うな新聞投書 か らもうかが うことがで きる。 「NHKニ ュー スで核燃料廃棄物 について触れていた。 その中
で核燃料廃棄物 の管理 は 1万年 の単位で行 うこ とが指針 と して提案 されていた。 しか し、同 じ 国家が 1万年存続 した事実 は今 の ところない。
1万年 も先 の話 を されて もだれ も実感がわかな いだろう。 ま して現代 において原子力発電所 の 様 々な不祥事 を見 る限 り
1万年後 の安全管理が で きるはど日本や世界 の核技術が確立 されてい るとは思えない ( 以下略) 」 ( 朝 日新聞1
998年
5月
9日 「声」欄)。通産省資源 エ ネルギー庁 の 審議会である総合 エネルギー調査会原子力部会 の1
998年
8月21 日の資料で も、 「解体放射性廃 棄物処理処分費用 の算定方法」 に関 して 「モニ タ リング費 は
300年間の人件費、 資材費 を積上 げ、施設毎 に按分」 とあ るが、 今後30
0年 のあ いだに も世界で は環境難民 の大量発生や石油の 枯渇 をは じめ とす る激変があるだろ う。今後3
0 0年 の安定 した行政
(300年前 は江戸時代である)
さえ見通せないのではないだろうか。
エイモ リ一 ・ロビンス等 の最近 の欧米 のエネ ルギー効率化研究 も参照 しなが ら、新 しい 「開 発 モデル」「 豊か さモデル」 を設計 して い く必 要がある。
現在 の先進国の 「開発 モデル」 をそのままに して東欧諸国や発展途上国が欧米や 日本 の生活 水準 に追 いっ くと仮定す̲ ると、温室効果 ガスの 排 出は
3倍以上 になる。 しか し人間 は平等であ るか ら、「 追 いっ く権利」 はあ る。 先進国 の産 業構造 とライフスタイルを変革 して、
1人当た り環境負荷 のよ り小 さい新 しい 「開発 モデル」
を構築 す る他 ない。 国連総会 で は、
1948年 の
「 世界人権宣言」採択 の ときソ連圏 は棄権 し、
1 986年 の 「 発展 の権利宣言」 採択 の ときに は西
側先進国 は反対 ( 米国) あるいは棄権 ( 西欧 と
日本) した ( 多谷、1
994)。 当時 ス ター リン主
義の全体主義体制であ った ソ連圏 は人権問題 に
口出 しされた くなか ったのであろう。西側先進
国の態度 は、表向 きは 「開発独裁政権」 を利す
ることになるか ら、 とい うことであったが、本
音 は世界社会 の貧富の格差の是正 に不熱心 だか
らとみ られて も仕方 あ るまい。 「発展 の権利」
とは、途上国の貧困層 の生活 を底上 げす るとい う理念であ り、社会正義 の観点か ら不可欠 な も のである。 に もかかわ らず、先進国の研究者や マスコ ミは発展 の権利 にほとん ど言及 しない。
また、 マル コスにせ よモブツにせ よス‑ル トに せよ、冷戦体制 のなかで 「開発独裁政権」 を援 助 して きたのは当の西側先進国であ った。
先進国の階級構造 は中産階級 の多 いダイヤモ ン ド型 ない しタマネギ型であ り、途上国の多 く は絶対的貧困層 の多 い ピラ ミッ ド型である。民 主的で貧富 の格差 の小 さい先進国が独裁的で貧 富の格差の大 きい途上国を独裁的に支配 してい るのが世界社会 の構造である。世界人 口の
5分 の 1を占める先進国が世界 の資源の
5分 の
4を 消費 しているといわれ る。先進国 は多 くの富を 比較的平等 に分 け合 い、途上国 は小 さなパイを 不平等 に分 け合 っているといえる。世界社会 と 国民社会 の双方 の レベルで平等主義 に向か うこ とが必要 であ り、先進国の浪費削減 と途上国の 貧困層生活改善 によって歩み寄 る新 しい 「 適正 消費水準」 を模索す る必要がある。人頬全体 の 環境負荷 を減 らすためには、新 しい適正水準 は 現在 の世界平均 よ り小 さ くなければな らない。
紙 でいえば年間
1人当た り消費 (キ ロ) は米 国が
300、 日本が
240、 西 欧が
200‑210、 旧 ソ連 圏が
50前後、途上国が
1‑50くらいである (アー スデイ日本編
、1994他) 。適正水準 はおそ らく
1 00未満であろう。市場経済 の広告宣伝活動が根 本的に変わ らなければ、「紙 の浪費構造」 か ら 抜 け出す ことは不可能であろ う ( 宮嶋
、1994)0
京都会議での
EU提案 は、
1人当た り消費 を 平等化 しなが ら全体 の負荷を減 らす とい うこと のひとつのモデルを提供 している。
EU全体 の 排 出を
159や削減 しなが らルクセ ンブルクは
30%削減 ( 最大 の削減率)、 ポル トガル は
40%増加 ( 最大 の増加率) とい うの は、
21世紀 なかば に
EU内部 の南北格差 をな くす ことを目標 として いる。
EUの南北格差 は世界社会の南北格差 よ
りはるかに小 さい。 その意味で は
EUの 「 環境 正義」 ( 環境保全 と社会的平等 の同時達成) の 試みは、環境問題 と南北問題の解決 に大 きな示 唆を与 えている ( 植田、
1998)0
5.
環境問題 と 「 人 口問題」
米国の生物学者 ポール ・エー リックは、環境 負荷、人 口、 ライフスタイル、技術水準の関係 をあ らわすために、次のよ うな 「 公式」 を提案 した。人 口が多 いほど、浪費的な ライフスタイ ルであるほど、非効率 な技術を用いているほど、
環境負荷 は大 きくなるとい うわけである。
Ⅰ‑PAT
とい う 「 公式」 において、
Ⅰ(
impact)は環境負荷、
P (population)は人 口、
A (a ffluence:豊 か さ) は
1人 当 た り消 費 、
T (technology)は技術 の質 ( 消費 あた りの環境 負荷)である。
Pで途上国の人 口が多 く、人 口 増加率が大 きいことは確かに環境負荷 を大 きく す る要因ではあるが、
Pでの南北 の違 いが数倍 であるのに対 して、
Aでの南北格差 は数十倍か ら数百倍 になるもの も少 な くない。
Aは先進国の問題である。先進国 の 「消費爆発」 を棚 にあ げて途上国の 「 人口爆発」をあげっ らうのはフェ アではない。核大国がイ ン ド・パキスタンの核 実験 を非難 して制裁 をふ りかざすような もので ある。「 消費爆発」 を克服 す る新 しい開発 モデ ルをっ くっていかなければな らない ( 芦野 ・戸 田、
1996、朝 日新聞
1997年
2月2日社説)。 ま た、垂慶やメキ シコシティの大気汚染 にみ るよ うに、
Tは特 に中進国の問題である。 旧 ソ連 も 後期 には技術革新が停滞 し、利潤動機 による資 源節約がなか ったために、 たとえば鉄
1トンの 生産 に要す る水 やエネルギーの量が多 く、汚染 排 出量 も多か った。
しか し、途上国 の人 口安定化 もやはり必要で
ある。世界 の食料事情 が、現在 の 「 分配 の不平
等 による飢餓」 か ら
21世紀 なかばには人 口増加
と農地 の劣化 ( 砂漠化 など)や気候変動 によっ
て 「 絶対的食糧不足」 に移行す るであろうとい
うの も理由のひとつである。人 口増加率を押 し 上 げている要因 は、生活 の不安定、女性の地位 の低 さ、乳幼児死亡率 の高 さである。先進国 と 途上国、富裕層 と貧困層、男 と女の権力構造が 人 口爆発を もた らしている。
1982年 までは先進 国か らの援助資金が途上国か らの債務返済を上 回 っていたが、
1983年か らは資金が南か ら北へ 逆流す るようにな ったとい う 「 債務危機」のよ うな不平等 な南北関係 は、途上国の貧困層の生 活を不安定化す る国際的要因である。経済制裁 や 「 構造調整政策」 も同様である。 これ らは是 正 しなければな らない。 しか し、 ス リランカ、
イ ン ドのケララ州、 キューバなどの途上国にお ける人 口安定化の成功例 は、国内努力だけで も か な りの こ とが で き る こ と を 示 して い る
(Lapp6 and Shurman,1988)
.
6.
社会休制 と環境問題 ・環境正義
社会体制 と環境問題 ( 武谷
、1998)というこ とを考えるときに、経済 システムの
4種類のア ウ トプ ッ ト
(goods‑財、
bads‑汚染、
antib ads‑公害防止装置
、pseudogoods‑疑似財)
という考え方 は参考 になる ( 都留
、1994)0 資本主義経済が高度大衆消費の段階 (
1920年 代の米国における自動車の大衆化がその始まり)
に入 ると、「 飽和」 した市場 にさ らに売 り込 む ための 「 需要創造活動」がさかんにな り、それ が しば しば健康破壊や環境破壊を もた らす。昭 和電工 トリプ トフ ァン事件 やキ ノホル ム薬 害 (スモ ン病) はその典型である ( 戸田
、1994:42‑ 45)。 トリプ トファンは必須 ア ミノ酸であるが、
通常 の食生活 で不足 す ることはない。 だか ら
「健康食品」の錠剤 として特別 に取 る必要 はな い。 しか し、米国市場 において日本企業
6社 は、
抑皆状態、不眠症、月経前緊張症、不安、頭痛、
ス トレス、行動異常、肥満、関節炎、禁酒、禁 煙、 ボデ ィー ビルなどに効 いた り役立っ という 宣伝を したのである。 そ してたまたま遺伝子組 換え技術 により製造 していた昭和電工で、 コス
ト節約のため精製が不十分だ った らしく、有害 な不純物が残 り、
38人の死者、数千人の被害者 とい う健康被害を引 き起 こした。資本主義の利 潤動機 によるコス ト節約 は両義的である。資源 節約的にはた らけばプラスとなるが、安全性確 認の手抜 きになればマイナスである。 キノホル ムの医学的に正当な用途 はアメーバ赤痢のみで あるが、売 り上 げを伸 ばすためにその他の
33種 類の用途が 「 創造」 された。 それが薬害を拡大
したのである。
バイオテクノロジーの利用の仕方 は全般的に 見直す必要がある。組換えイ ンス リンのように バイオテクノロジーの 「 賢明な利用」 はすすめ てい くべ きだが、農業利用 は除草剤耐性品種の ように多国籍企業の利益が偏重 されている。除 草剤耐性品種 は、健康や環境への予期せざる影 響があるか もしれない し、短期的には農薬の使 用量 は減 るに して も ( 長期的には雑草の抵抗性 獲得 によって増えるか もしれ ない)、残留量 は む しろ増えることが指摘 されている
(VHSビ デオ 「 不安な遺伝子操作食品」 日本子孫基金制 作、 コモ ンズ発売
、1997年)0
資本主義では市場競争のなかで コス ト節約の ための技術革新がすすみ
、goods( 財) の単位 生産あた りの資源消費 と
bads( 汚染) が少 な くなるが、 ソ連型 システム
(socialismとい う よりも社会学者マヌエル ・カステルがい うよう に
statismであろう)ではこれ らが多 い。 技術 革新 は効率を向上 させ、単位生産 あた りの資源 消費 と汚染が低減 され る。 たとえば熱効率の向 上 により廃熱 ( 熱汚染) は低減 される。 また、
資本主義 で は
antibads( 公害防止装置) の生 産 もビジネスチ ャンスとして促進 される ( 汚染 しなが らもうけ、 汚染 の処理 で また もうける
「マ ッチポ ンプ」であるが) 。 しか し、資本主義 の大 きな弊害 として
、pseudogoods( 疑似財‑
<不要 な財の生産> または<財 の過剰生産>)
の生産が促進 され、単位 あた りでは省 エネ ・低
汚染で も、資源消費や汚染の総量は大 きくなる。
前述 の 「 健康食品」 トリプ トファンやキノホル ム (アメーバ赤痢以外 の用途) は、ps
eudogO‑ods
の典型例である。省 エネ ・低汚染車 の大量 生産 (旧西独) とェネルギー浪費 ・高汚染車の 少量生産 ( 旧東独)で は、前者 のほうが 自動車 公害の総量 は大 きい。 しか し、 旧東独 の クルマ は西独 の厳 しい環境基準 (
1台 あた り) に適合 で きない。大衆消費 によ り一人 当た りの資源消 費 は膨大 な ものにな る。前述 のよ うに一人当た り紙消費を例 にとれば、米30
0キロ、日
240キロ、
欧2
00‑210キ ロ、旧 ソ連40 キ ロにな る。 一人 当 た り資源消費 ・環境汚染 をみ ると、 ドイツは発 展途上国の約1
0倍 (
1992年) にな る
(Weizsa‑cker,1992)0
「 環境正義
」( 環境 的公正。e
nvironmental justice)とは、「 環境保全 と社会 的平等 の同 時達成」 を求 め る考 え方 である。前述 のよ うに 公害などの被害 は社会的弱者 ・生物的弱者 に集 中す る。環境資源 の利用 による便益 の分配では 先進国 と富裕層が大 きな部分をとる。米国では、
19
世紀末以来の伝統的な自然保護運動 は白人中 産階級高学歴層 が中心 であ ったが、1
980年代か ら有色人 種 や低所得層 の環境運動 のなかで、
「環境人種差別
」(environmental racism)や 「 環境正義」 という概念が使われるようになっ た
(Dowie,1995参照) 。典型的な環境人種差別 は、有害廃棄物処分場が黒人や先住民 の低所得 層が多 い地域 に立地 され ること、 ウラン開発 の 影響が先住民 に集中す ること、農薬 の影響が ヒ
スパニ ック (メキ シコ移民 など) の農業労働者 に集中す ること、鉛 の影響が黒人低所得層 の子 どもに集中す ることなどである。環境正義 の理 念 には、「 手続 き的正義」 ( 情報公開、説明責任、
市民参画、医療 だけでな く技術全般 にわたるイ ンフォーム ド・コンセ ン トなど) と 「 分配的正 義」 ( 受益 ‑便益 と受苦 ‑被害 の世代 内 ・世代 間 における公平 な分配) の
2つの面がある。環 境正義 の要求 は、構造的暴力 としての貧困、差 別、環境破壊、経済制裁、構造調整、菟罪 など
の克服 につなが っている。経済制裁 はイ ラクや
‑イチなどの独裁者‑の懲罰 として 「 国際社会」
によって課せ られたが、実際 は乳児死亡率を上 昇 させ るなど構造的暴力の様相を呈 した ( ユニ セフ駐 日事務所 『 世界子供 白書
1996』)0「経済 制裁をされ る側」 は常 に特定の途上国であ り、
先進国 は決 して対象 にな らない。世界銀行 ・i
MF
が累積債務国の政府 に勧告す る 「 構造調整 プログラム」 も、社会的弱者 ・生物的弱者 を傷 つ け、環境破壊を促進することになった ( 北沢 ・ 村井編、1
995)0先進資本主義国のマイノ リテ ィか ら自然発生 的に出て きた<環境正義> の思想、発展途上国 の環境
NGOの主 張 (戸 田、1995)、 従 来 の
「 社会主義」‑の反省か ら出て きた<環境社会 主義> ( 戸田、1
998a)は、 いずれ も 「 環境保 全 と社会的平等の同時達成」を求 める考 え方で あ り、「 積極的平和 の世紀」 と しての21 世紀 を つ くってい く思想 と運動 に貢献 してい くであろ
つo
7.菟罪問題 と環境問題
環境経済学、環境法、環境社会学 とい うとき の 「 環境」 は自然的物理的環境 をさすが ( 飯島 編、1
993)、人間にとっての環境 には、 自然環 境 ・社会環境 ・文化環境 ( 記号環境)があ り、
これ らは切 り離す ことができない ( 田中、1
988)0 自然的物理的環境 との関連 で社会科学的な研究 を行 うときには社会的文化的環境 も念頭 にお く 必要がある。 また、環境問題 におけるホワイ ト カラー犯罪 ( 諌早湾干拓 など不必要 な公共事業 による自然破壊や薬害 エイズなどを想起 された い) は、菟罪問題 におけるホワイ トカラー犯罪 と対比す ることによってよ りよ く理解で きる。
環境問題 と菟罪問題 (いずれ も構造的暴力の重 要 な類型) の両者 における御用学者 と企業 ・官
お ご せ すなお
僚の責任を追及 して きた地質学者 の生越忠が指
摘す るよ うに、環境問題 では 「クロを シロと言
い くるめる」 ( 危険や不明を安全 にす りかえ る)
ことが横行す るのに対 して、菟罪問題では 「シ ロを クロと言 い くるめる
」( 無実 の人 に罪 を さ せ る) ことが横行す る ( 生越、
1981 )。 化学物 質 の使用の是非 を考え るときには 「 疑 わ しさは 罰す る」 ( 予防原則)が大切であ るのに対 して、
人間 の犯罪 につ いて は 「疑 わ しさは罰 せず」
( 人権原則 ‑推定無罪 の原則) が大切 なので あ る。統計学 の用語でいえば、環境汚染では野放 しに した ものが実 は有害であ ったとい う第
2種 の過誤 (ボ ンヤ リ者 の見逃 し)を防 ぐことを優 先すべ きであ り、凶悪犯罪では無実 の人を犯人 と誤認す る第 1種の過誤 (アワテ者の早 とちり) を防 ぐことを優先すべ きである ( 片平、
1997:1 05)。 ところが しば しば 日本 で は、 環境対策 で
「 疑 わ しきは罰せず」 (たとえば欧米 よ り出遅れ た ダイオキ シン対策)が産業界の圧力 もあ って 横行 し、逆 に刑事裁判で は 「 疑わ しさは罰する
」( 不十分 な証拠 や虚偽 自白に よ り有罪) がみ ら れ るのである。
日本 は菟罪が多発す るといわれ るが (たとえ ば小 田中、
1993)、菟罪 の可能性 が小 さ くない といわれ る 「 神戸小学生惨殺事件」 を例 にとっ て検討 してみよう ( 戸田、
1998C)。 犯罪 の事 実認定 は、 物 的証拠 (直接 証 拠 )、 状 況 証 拠 ( 間接証拠)、 自白 ( 任意性、 信用性、 「秘密 の 暴露」) によって行われ る。最 も重要 な物証 は、
あやふやな金 ノコギ リやナイフ等ではな く、遺 体 に他 な らない。特 に第二頚椎 (
!)で頭部が 切断 された とい うことが決定的に重要である。
第二頚椎切断の事実が初 めて明 らかにされたの は、
B少年 の頭部が発見 された当 日である
1997年
5月
27日の兵庫県警山下課長 の記者会見 ( 公 式発表) においてであ った
(A少年逮捕 は
6月
28日)。 ところが この発言 が報道 され たの はな ん と、
11か月 もた ってか ら
、1998年
4月
5日発 行 の 『暗い森』 ( 朝 日新聞社) で あ る。 なお、
『 週刊文春
』1997年
6月
12日号 に は某警察官 の
「リーク情報」 として第二頚椎への言及 があ り、
1997
年
10月 には 「 神戸事件の真相を究明する会」
が司法解剖 を行 った神戸大学龍野教授 の証 言 ( 第二頚椎問題 を含む) を教授 との約束 を破 っ て公表 している。第二頚椎で切断す るためには 頭部 を大 きくのけぞ らせ る必要があ り、 そのた めには切断場所 には深 い段差が必要である。 し か し、 タンク山ア ンテナ施設 にはそのよ うな段 差 はない し、板 を持 ち込んで段差を作 った とい う供述 もない。 したが って 『 文垂春秋
』1998年 3月号 に 「 発表」 されたA少年 の自白の うち、
頭部切断場面 について は、明 らかに虚偽 自白で あると判断せ ざるをえない。 日本社会分析学会
(1998年
7月、熊本大学) と日本平和学会(
11月, 大阪産業大学)で も報告 したが、自白の任意性 ・ 信用性 は疑 わ しく、「 懲役
13年」 問題 な ど も大
きな疑問を投 げかけている。少年法を盾 に した 説明責任 の放棄 は許 され るのだろうか。
確かに 「 第二頚椎 で切断」 とい うの は 「 特殊 な論点」であ り、問題点 の把握 にはある程度 の
「サイエ ンテ ィフイツク ・リテ ラシー ( 科学常 識) 」 (もう少 し特定す るな ら 「メデ ィカル ・リ
テラシー ( 医学常識)」)が要求 されるであろう。
「第二頚椎 ( 椎骨)で切断」 と聞 いて仰天 す る のは、 日本国民
1億
2000万人 の うち医師 ( 約
25万人)、歯科医師 ( 約
9万人)、獣医師 ( 約
3万 人) の合計約
37万人 プラス ・アルファであろう。
つま り
300人 にひとりである.私がインタビュー した
10人余 りの医師は、いずれも第二頚椎のニュー スは初耳 との ことで、「その部位 で の切 断 は大 変困難」 との コメ ン トが圧倒的であ った。ふつ うバ ラバ ラ事件 などで は第五頚椎付近 ( 椎間軟 骨)で切断す るのである。 なお、誤解 のないよ うに付 け加えておけば、 「サ イ エ ンテ ィフイ ツ ク ・リテ ラシー」 ( 長谷川、
1996)とい うのは、
「 文科系の人間 は科学 も勉強す る」だけでな く、
「 理科系の人間 は専門バカにな るので な く、 科
学 と社会 の関係 をよ く理解す る」 ことも含 めた
双方向の概念、 もっといえば 「 文理融合」 の問
題である。
文献
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